2008.09.05

瀧下和之 The 軸と屏風展

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PCが回復しましたので、拙ブログを再開します。また、おつきあい下さい。

シブヤ西武のB館8階美術画廊で9/7まで行われている‘瀧下和之 個展 The軸と屏風展’を8/26の初日に見た。作家の名前も作品もこれまでまったく縁がないのに、初日に出かけたのは町田久美が特集されていた‘アートトップ7月号’に紹介されていた屏風や掛け軸にとても惹きつけられたから。

そして、もうひとつ面白いものがここに載っていた。それはこれからの画業を‘螺旋状にステップアップ’するというポンチ絵。‘2012年、37歳、画集刊行’といったことが45歳まで書かれている。これはMy螺旋式読書法とまったく同じ発想。‘世の中には同じことを考える人がいるものだ!’とにわかにこの現代アーティストに親しみを覚えた。

作品は全部で20数点。これらをみてすぐ頭に浮かんだのが村上豊の戯画‘新・義経物語’(06/10/17)。中でも200%目を楽しませてくれたのが上の‘風神雷神図屏風’(二曲一双)。お値段も一番高い。宗達の‘風神雷神’が現代アーティストの手にかかると、こんな色鮮やかでユーモラスな作品になるのかという感じ。この絵で即、瀧下和之のファンになった。風神雷神の絵にはもう一点、富士山と組み合わせた‘冨嶽風神雷神図’がある。

真ん中の‘龍虎図’にも魅せられた。画面中央の虎を真正面に向かせ、後ろの龍を横のシルエット風に描く構成がなかなかいい。画面の大半を占める背景の赤がそれほど強烈に感じられないのは上下に‘風神雷神’にもみられる白と薄青のまじったふわふわした色面をもってきているからだろう。

瀧下は9年も‘桃太郎シリーズ’を描いているらしく、その数は500にもなるという。思わずニヤニヤしてしまうのが下の‘桃太郎図ノ四百伍捨伍 鬼ヶ島で鬼退治’。鬼の親子5人が目の覚めるような赤、緑、青、黄色で描かれている。筆運びのぎこちなさをよしとして、瀧下はあえて左手で描き続けているそうだ。

なるほど、それで、鬼の動きが漫画チックで生き生きしているのか!ほかには絵とおもしろい題名がよくマッチしている‘メシはまだか’、‘鬼に金棒’、‘ユキヤコンコ’、‘アラレヤコンコ’に足がとまった。

これに続くのが最近作の‘鳥獣戯画シリーズ’。存在感たっぷりの‘梟’とか猿が綱引きをし、ウサギが審判役をつとめている‘つなひきワッショイ’を熱心に見た。これから期待のもてそうな作家に遭遇したのはなにかの縁かもしれない。また、いつか、まとまったかたちで作品をみれればいいのだが。

なお、この個展は東京のあと、松坂屋名古屋店でも11/5~11/11に開催される。

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2008.08.23

アネット・メサジュ:聖と俗の使者たち

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六本木ヒルズの森美術館で現在、“アネット・メサジュ:聖と俗の使者たち”(8/9~
11/3)が行われている。現代アートは好みに合い満足が得られるかどうかはいつもリスク半分なのだが、今回は館内にわりと長く居た。

この作家についての情報は皆無。出かけてみようと思ったのはHPに書かれていた“フランス現代美術界を代表する、女性アーティスト”というプロフィル記事と展覧会のタイトル“聖と俗の使者たち”に惹かれたから。

一体どんな作品が展示されているのか、歩きはじめはいつものように緊張する。いきなりぬいぐるみを羽織った鳥の剥製が目にとびこんできた。題名は“寄宿者たち”。“コレクターの秘密の部屋”をちらっと覗いたあと、さらに先に進むと動く作品“つながったり分かれたり”がある。

人物とか動物のぬいぐるみがごろんと横になったり、足や手を紐で結ばれ天井に吊るされている。じっと見ていると一定の間隔で紐が上下に動いたり、床をごそごそしている。逆さに吊るされた人間は首がなかったり、また、床にはぶよぶよの皮膚を思わせるグロテスク風のものがあったりするから、ちょっと緊張するが、なにせ物はぬいぐるみだから心拍数がそれほど上がることもなく、尻ごみはしない。

動く作品では上の“ふくらんだりしぼんだり”も目を楽しませてくれる。体から切り離された手や足、丸い袋、クッション、奇怪な物体などが空気を注入されて大きくなり、不規則に左右前後に動きだす。小さい頃よく出かけた海水浴で浮き袋を膨らませたり、空気を抜いてしぼませたりしたことが懐かしく思い出された。

また、空間の下のほうで赤い大きな布が風になびく幻想的な作品“カジノ”にも惹きこまれる。これは操り人形の“ピノキオ”に想を得て生み出されたもので、05年ヴェネチア・ビエンナーレのフランス館に展示され、金獅子賞を受賞したらしい。作品について作家自身がビデオで語っていたから興味深く見ていた。

真ん中は“たよったり自立したり”。上から垂れ下がるネットの森のような感じで、ネットが床につくところには防水用の砂袋とかゴミ袋を連想させるものがあり、途中ゴム人形、写真、文字が書かれた紙などが絡まっている。タイトルのイメージと作品がすぐ頭のなかで消化されないが、あまり深く考えないで、ぐるっと回って次のコーナーへ向かった。

下は“キマイラ”。神話本で知っている怪獣キマイラはライオンの顔、羊の胴、竜の尾をもっているが、これは蝙蝠タイプのキマイラ。真ん中の顔は苦手なホラー映画に登場する人間とか研ナオコをイメージさせる。また、黄色や青など色鮮やかな袋でサークルをつくり、その中心に上から袋の束をぶら下げる“観察中”と床から積み上げられた本の上にぬいぐるみをかぶった剥製の鳥を置き、本と本の間に動物のぬいぐるみを挟んだ“寓話と物語”にも足がとまった。

作品全体と通じてアネット・メサジュの表現したい“聖と俗の使者たち”は半分くらい伝わってきた。作家の名前と作品が心のなかに強く刻まれたことは間違いない。

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2008.07.17

西村画廊の町田久美新作展

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日本橋高島屋のすぐ近くにある西村画廊で町田久美の新作展 Snow Dayを見た。普段、画廊で絵をみる習慣がないから、展示の部屋に入るにもちょっと緊張する。今回展示してあるのは07年、今年制作された9点。

これまでに見た町田久美の絵はわずか2点しかない。昨年、東京美術倶楽部であった“21世紀展”にでていた“睡眠”と“東京コンテンポラリーアートフェア2007”でみた“レンズ”。町田久美の名前と作品を知ったのは06年東現美で開催された“日本画から日本画へ”のチラシに載っていた“ごっこ”という作品。ほかの作家の絵に関心がなかったのでこの展覧会は見なかったが、町田久美の絵にはすごい衝撃を受けた。

縄とび遊びをしている二人の子供が真上から描かれている。きれいな描線に惹きつけられるが、それ以上にびっくりするのは人物をとらえる視点。この絵から連想する西洋画が二つある。一つは短縮画法で描かれたマンテーニャの“死せるキリスト”(ブレラ美)。もう一つはダリの“十字架の聖ヨハネのキリスト”(グラスゴー・アート・ギャラリー)。“ごっこ”の直接的なイメージはダリの絵のほうに似ている。

町田久美の作品に関する情報が少ないので、この作家の画風全体のことはわからないが、美術雑誌“アート・トップ、歌麿特集”(07/5)には同じような上からの視点で見た“来客”(大原美)が載っていた。今回の新作展に対する期待も当然こういう見る者をハッとさせる視点から描かれたもの。

上の“雪の日 Snow Day”(08年)は上からではなく下から人物を見上げる絵だった。しかも再接近ローアングル。登場人物は例の丸坊主の男の子?この丸さがとても気に入っている。右の上ポケットからでているのは一体何?目ん玉は不気味な赤。

真ん中の“とまり木”(07年)と下の“ことほぎ”(08年)では二人の人物は後ろから描かれ、顔は見せてくれない。“睡眠”でも子供は白い布きれを頭から被り、顔を見せてないが、“とまり木”のほうが怖いムードがゆらゆら漂っている。電線に腰をかけている左の女の子?の白い服は鋭利な刃物で切られ、口があいている。右の女の子をみると服の頭部分が切り裂かれている。切り口を赤で彩色しているのは血をイメージさせるため?

町田久美でも束芋でも若手女性アーティストは肉体を切り裂くのがお好き。束芋はいとも簡単に指をチョン切るし、町田久美も“成分”(07年)のように手のひらにスプーンの先を突っこむ。ぞくぞくとした怖さがある。

“ことほぎ”は一見すると恋人同士が体を思いっきりくっつけあう楽しい場面に見えるが、頭の大きなこぶや合体した耳は長くみていると何かへん。そう、やっぱり不安な気持ちが掻き立てられる。

町田久美はこれからどんな作品を制作していくのだろうか?個人的な希望としては、大きな画面に沢山の人たちがでてくる群像画を描いてもらいと思っている。のびやかな太い墨線はすごくインパクトがあるから現状のままでも多くのファンを惹きつけるだろうし、国際的な評価も上がっていくことだろう。

でも、白黒で色数も少ない作品だから、いくらインパクトのある作品といっても小さな絵だけだと、10点くらいみたらもういいやということにならないだろうか?正直言うと、見終わったあと、この作家についてはそんな感じを持った。だから、高崎市タワー美術館で開催されている回顧展(8/24まで)はパスすることにした。

また、奈良美智が青森県美のために大きな立体作品“あおもり犬”をつくったように、絵だけでなくオブジェなどにも挑戦したらおもしろいと思うのだが。町田久美の描く人物のやわらかさ、丸さ、ハットする視点からの構成にぞっこん惚れているので、これからの作品に注目したい。

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2008.06.26

ミヤケマイ展 ーココでないドコかー

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日本橋高島屋6階の美術画廊で昨日からはじまった“ミヤケマイ展ーココでないドコかー”(6/25~7/1)を見た。この個展の情報は現代アーティストの榎俊幸さんのブログ“絵ノローグ”で教えてもらった。

美術雑誌はほとんど買わないのだが、アート・トップの昨年の5月号(芸術新聞社)が“ホントの歌麿”を特集していたので例外的に手に入れた。この記事のなかに“線の画家、町田久美”と“絵描き、ミヤケマイ”が語る歌麿の魅力というのがあり、はじめてミヤケマイという作家を知った。

歌麿つながりだから、その作品に興味を覚え、漠然ではあるがいつか本物を見たいと思っていた。どんな作家?榎さんのご案内記事で正確に名前を確認するまで、どういうわけかミ・マ・ヤ・ケ・イでインプットされていた。ミマヤケイか!カタカナ名だから、NYやロンドン、パリを拠点にしている新進気鋭の女流アーティストなのだろうな?クサマ・ヤヨイ的な流れをくんでいるのかな?勝手にイメージが膨らんでいく。

作品は屏風や掛軸など30点ある。表現方法は伝統的な日本美術のスタイルをとり、モチーフも水墨山水画、やまと絵、琳派からとってきたものが多いが、これを見立絵風に今の時代に目にするものと取り合わせて少女雑誌とかユーモラスな漫画感覚で表現するところがミヤケマイ流。

大半の作品は彩色された下地に紙とか布を貼ったり、重ね合したりして、形をつくっている。浮世絵の立判古(起し絵とも言う)をぎゅっと圧縮した感じで、少し立体感がある。こんな絵ははじめてみた。

上の絵はこのタイプではない“捕月”。3匹の猿は体のどこかが画面からはみ出している。上にいる猿は顔が見えない。普通の画家なら全部ではないにしろ顔の一部を前でも後ろでもちらっと見せるのに、ミヤケマイは手足だけしか描かない。このあたりの視点の取り方がすごくユニーク!

真ん中は思わず“おもしろい!”と唸ってしまった“お出かけ”。右のパスポートを持ったカエルや茶色の葉っぱなどは紙が貼り付けてある。カエルの上には風に揺れる日の丸マークの布があり、左のほうに目をやると旅客機が富士山の上空を飛んでいる。カエルの旅立ちの嬉しい気持ちを前景と遠景の大小対比で表わすところが憎い。

今回、最も魅了されたのが下の“秘密”と“花園”。どちらもハットする絵。“花園”のほうは横になった女性の綺麗な足が見えるだけで、すねのところにハチがとまっている。顔が見える“秘密”のほうがいいが、横向きの体はマジックでみる女性の空中浮揚のイメージ。でも、首がみえないので不思議な感覚が画面全体に漂っている。

初日だったから会場にはミヤケマイさん本人がおられたので、図録にサインをしてもらい、少し話をした。全然イメージとちがうとても明るくてチャーミングな方だった。プロフィールの説明文を読むと、昨年5月にオープンした銀座エルメスのウィンドウギャラリーを担当したとあった。今、注目のアーティストなのである。

歌麿好きが縁でミヤケマイさんの作品に導いてくれたミューズに感謝したい。ミヤケマイさんは町田久美さんと仲がいいらしく、西村画廊というところで7/1から個展がはじまることを教えてもらった。町田久美の作品を見たくてしょうがないから、これは嬉しい情報。収穫の多い展覧会だった。

なお、この個展はこのあと次の会場を巡回する。
★高島屋京都店:7/9~7/15
★高島屋横浜店:8/13~8/19

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2008.05.19

その十六 ポロック  リキテンスタイン  ケリー

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近代美術の作品は2階の19世紀ヨーロッパ絵画の向こう側とその下の1階で展示してある。印象派の部屋と較べると見ている人はかなり少ない。この現象はどこの美術館でも同じ。抽象絵画より具象的でわかりやすい絵のほうが絵のなかにすっと入っていけるから、どうしてもこうなる。

図録をみて前回見逃した作品のなかから是非対面したいものをいくつかコピーしていた。数は多くないから、すべて見られるだろうと思っていたが、予想に反して30%くらいのヒット率。ステラ、ホフマンの幾何学的な絵がダメで、ホックニーの“富士山と花”もなかった。

現代アートはどんどん新作がでてくるから、展示する作品はとびっきり有名なのものでないかぎり固定できないのかもしれない。逆に面食らうほど沢山あったのが、クレー、デイビス、オキーフ。お気に入りのオキーフがこんなに楽しめるとは思ってもいなかった。

ポロック(1912~1956)の上の“秋の律動”や“パーシパエ”は前回みたときの記憶がすぐ戻ってきた。とくに“秋の律動”はポロックのアクション・ペインティングを代表する絵だから、忘れようがない。ドロッピングはとてもわかりやすい技法なので、この絵のように密でなければ自分でもやれそうなる気がする。これを見た多くの人はそう思うにちがいない。でも、行為するポロックの姿を記録した映像や写真をみると、このあさはかな考えはすぐ打ちのめされる。

黒、白、グレー、そして黄土色の線が互いに重なり、絡み合いながら、自由に踊っている感じ。具象を暗示させるフォルムには見えないし、絵の中心というか焦点がないのだが、この厚塗りの描線がぎっしり埋め尽くすオールオーヴァーな画面からは心の奥深くにあるとらえどころのない情感のうごめきとか、複雑系の自然現象をイメージさせるものが伝わってくる。いつかメトロポリタン、あるいはMoMAでポロックの回顧展が開催されることがあったら、万難を排して駆けつけたい。

真ん中はポップ・アートの旗手、ロイ・リキテンスタイン(1923~1979)の“外出”。拙ブログでも一度とりあげたリキテンスタイン(05/10/7)は大好きなアーティストなので、ワシントンナショナルギャラリー蔵の“積みわら”、“ミッキーマウス”とここの“外出”との対面を楽しみにしていたが、実際展示してあったのは“外出”のみ。

これは近現代の巨匠たちの名画などの画題を引用してポップアート風に描いたシリーズの一枚。明るい黄色で彩色し、太く明快な輪郭線で描かれた男女の奇妙な重ね合わせが目を楽しませてくれる。男性はレジェの絵からとり、女性はシュルレアリスムのイメージを使ってフォルムをつくっている。

このシリーズのなかには笑えるのがある。それはポロックのドリップ絵画をパロディ-化した“ブラッシュストローク”や“大きな絵”。また、昨年あったモネ展(国立新美)に出品された“ルーアン大聖堂”(サンフランシスコ近美)も見ごたえのある作品だった。

下のまぶしいほど鮮やかな色彩の絵はエルズワース・ケリー(1923~)の代表作“青・緑・赤”。ケリーやステラの絵にとても魅せられているのはフォルムがすっきりしていて色が輝いているから。輪郭がはっきりした青、緑、赤の色面の組み合わせは超シンプル。絵を見る楽しみは形態より色彩にあるから、このハード・エッジ・ペインティングの名作を夢中になってみた。

これでメトロポリタン美術館はおわり。明日からは最後となったフリックコレクションの珠玉の名画が続きます。

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2007.12.22

村上隆の大回顧展が見たい!

131今日の朝日新聞・be on Saturdayに現在、ロサンゼルス現代美術館で開催されているアーティスト、村上隆の大回顧展のことが紹介されていた。

朝日は村上隆にご熱心で11/22にも大人気の個展の状況をレポートしている。この記事が出たあと、ロサンゼルス現代美のHPをクリックしてみると、確かに大勢の人を惹きつけそうな作品がいくつも展示してある。

記事によると開幕(10月末)一週間後の集計で、1万6千人近く動員し、02年のウォーホル展を千人くらい上回ったという。この勢いだと来年2月11日までの開催期間中に予想をはるかに超える観客が美術館に足を運ぶことになりそう。これはすごい!“世界の村上隆”を思いっきり見せつけている感じである。

ロサンゼルスのあとはNYのブルックリン美術館、ドイツ・フランクフルト近代美術館、スペイン・ビルバオのグッゲンハイム美術館を巡回する。残念なことに日本にはやってこない。村上隆の作品をまだ数点しか見たことがないから(拙ブログ05/2/14)、回顧展を待ちわびていたが、鑑賞の機会がまた遠のいた!NYで見る可能性があるかもしれないが、これはまだ不確定要素が多いので今の段階ではロサンゼルス現代美の映像で雰囲気を楽しむほかない。

右の村上隆の後ろに見えるのは“大仏オーヴァル”。村上龍が司会を務めるTV東京の番組に村上隆が出演したとき、その製作現場を映していた。この製作にすでに1億円を投じているとかなんとか言ってたような気がする。これが完成作だった。本物を見たいー!、見せて頂戴、村上隆!会場ではアニメもみられるようだ。これから、村上はアニメに本腰を入れるとのこと。夢の実現にむかって大車輪で疾走する構えである。

昨年、彼が書いた“芸術起業論”(06/7/9)を紹介したが、村上隆はアーティストであると同時に事業家。とくにコンセプトづくりには一流コンサルタント並みの能力を発揮する。それが“スーパーフラット”。琳派や浮世絵とは違うまだ欧米人が知らない日本美術の伝統を彼らがすっと入っていけるポップアートの流れと融合させて表現する。これなら“大仏”や“だるま”が現代アートファンの目にも新鮮に映るはず。

いつか村上隆の作品が沢山見られるようミューズに手をあわせておこう。

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2007.12.04

やっと届いた大竹伸朗展(東京都現代美術館)の図録!

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2,3日前、家に大きな郵便物が届いた。1年前に予約した東京都現代美術館で開催された“大竹伸朗 全景展”(拙ブログ06/12/13)の図録(上の画像)である。
厚さ8cm、重量6㎏というこれまでみたこともないお化け図録(索引までいれると1150頁)。値段は送料・手数料込みで7300円。

この図録は仕上がりが度々延期されたので、怒りを通りこして呆れ果てていた。一体何に時間がかかっているの?という感じ。はじめて手がけるわけでもないだろうに何がボトルネックなのかさっぱりわからなかった。だから、10月の初旬、完成の目安を案内する4度目の葉書が送られてきたときも、文言は全く信用できず、どうせ来年にずれ込むのだろうと思っていた。

図録は展覧会が昨年の10/14にはじまった時点で出来上がっているのが普通。それが出来てないのは展覧会を主催する美術館の運営能力が低いから。美術館としてはこれは恥ずべきことなのである。首を傾げたくなるのが現代美術館の日程管理能力。作家と担当の学芸員が普通に仕事を進めていれば、ちゃっとできていたはず。それが1年も遅れたというのは予約した人を全く馬鹿にした無責任な所業といわざるを得ない。

会場に展示された全作品(2000点)を載せたこのお化け図録をみたら、誰だって通常の図録の何倍もの工数がかかることはわかる。大竹伸朗が“全景”そのままの図録をつくりたいという気持ちもわかるし、こちらもそれを手にしたい。だから、はじめから予約を受け付ける際、“1年かかります”と素直に言っとけばよかったのである。こちらは大竹伸朗に腹の底から魅せられ、長く待たされても図録が欲しいのだから。

制作上の事情は予約した人には関係ない。期日をコミットメント(約束)したら、それを果たすのが大人社会のルール。一番怒りを覚えるのはこの展覧会を主催した現代美術館の対応。制作が遅れることに対するお詫びをはじめから一切行わず、全部制作会社の責任にしている。

6月に制作会社の代表の名前で送られてきた“お詫び”の書面には“この件に関しまして、大竹伸朗氏、東京都現代美術館に一切の責任がないことも申し添えさせていただきます”とあった。察するに、クレームの電話やメールが美術館に何件も寄せられたので、制作会社に“書面に責任はお前のところにあるということを明言しろ!”と指示したのであろう。呆れて開いた口がふさがらなかった。

“山口晃展”(8月)の図録が一ヶ月以上遅れたとき、これを開催した練馬区立美から館長名でお詫びの手紙がきたのとは対照的である。東京都現代美術館のやっていることはアルバイトに責任をなすりつけて平気な顔をしている船場吉兆の経営者と同じ。これで東京都現代美術館にたいするイメージが一気に低下した。もとからこんな体質で、訪問する頻度が少ないから気づかなかっただけなのだろう。

一度サントリー美術館の運営のところで書いたが(8/4)、美術館関係者とか美術評論家は保守的で尊大な態度をとる人が多いことは常識!もちろん全部の方がそうであると言っているのではないが。美がわかる自分は“花より団子”の俗人とは違うという意識がいつもどこかにある。如才ない人は心ではそう思っててもそれをうまく隠し、心穏やかな美術専門家として振舞うのが上手。でもどこかでボロがでる。

例えば、NHKの新日曜美術館にゲスト解説者として出演した○○さん(□□美術館で長年学芸員をつとめ、近々新しくできる△△美術館の館長に就任)は司会者の質問に応えるとき、“うん、それはですね、、”、“うん、、、、”と“うん、”を連発する。この政治家のようなしゃべり方には参った。この人が普段から威張っているのはすぐわかる。

美術の力とかが盛んに言われるようになり、アートエンターテイメントに興じる人たちが増えているのだから、ブランド美術館であっても普通の人の作品に対する期待値やニーズに誠実に対応しないと高い確率で客から見放される。国立西洋美に続いて、東京都現代美術館も客離れが起きるのではないか。

下の絵は作品の前で息を呑んでみた大作“既景/6402兆3737億572万8000分の1”(1999-2000、部分)。大竹伸朗がこんなアンリ・ルソー風の絵を描いていたとは!とてつもない才能をもった作家である。

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2007.11.25

東京コンテンポラリーアートフェア2007

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新橋の東京美術倶楽部で開かれていた“東京コンテンポラリーアートフェア2007”
(11/23、24、25)をのぞいてきた。日本における最前線のコンテンポラリーアートについてはまったく知らないから、48あるギャラリー・画廊をまわるのもおっかなびっくりな感じで、目線がどうも定まらない。

4Fからスタートした。西村画廊に今注目している町田久美の“レンズ”があった。少年が坊主頭の後に両手をまわし、皮膚を切り裂くようにして中にある目ん玉をみせている。束芋、石田徹也、町田久美ら最近のアーティストは体をよく切り刻む。町田久美の作品をみるのを楽しみにしていたが、1点だけだったのは残念。画廊通いをしないから、どこの画廊がこの業界で大手なのかわからないが、ここはスペースがほかより倍くらいあったから、トップクラスの画廊にちがいない。

この前に韓国のギャラりーが5つ並んでいた。そのひとつUMギャラリーにいい絵があった。上はDong-Heon、Yeoの作品。草原を移動する豚、ライオン、牛、羊らの群れが画面いっぱいに描きこまれている。明るく彩られた可愛い動物キャラクターのシールをペタペタ貼ったよう。ぱっとみてすぐ、村上隆の“COSMOS”(拙ブログ05/2/14)が頭に浮かんだ。置いてあったパンフレットには同じような絵が2点載っていた。まるで知らない作家だが、韓国では人気のアーティストのような気がする。

次のブースにでていたLee-Nam、LEEの屏風映像を夢中になってみた。8扇のひとつ々にちがった花鳥画が描かれており、そのひとつが宗達の“蓮池水禽図”。これをじっとみていると2羽の水禽が池の中を動き回り、水の流れも微妙に変化する。また、右端扇の枝にとまっている数羽のスズメが一羽ずつ飛んでいき、隣の扇子に入り込んでいく。はっとするアイデアは絵だけではない。バックミュージックに使っているのが大好きな曲、バッヘルベルの“カノン”!東洋の絵と西洋の音楽をうまく組み合わせているのである。この美的センスはすごい。200%感動した。こういうのを見ると現代アートも面白いなと思う。

3Fにあったギャラーで足をとめてじっくり見たのが大島梢の“無辺りの指標Ⅲ”。海の波しぶき、鳥の羽、空の雲のボリューム感あふれる描写に釘付けになる。

彩鳳堂画廊には、このフェアで是非見たかった榎俊幸さんの作品、“秋鳳図”があった。榎さんはアーティストらしい上手いネーミングの“絵ノローグ”というブログをもっておられ、今回の作品のことを書かれているので、絵のほうはそちらで見ていただきたい。日本橋三越であった個展(9/25~10/1)にも白い鳳凰の絵が3点あったが、ここに展示されているのはこれらより大きい100Fの絵。

以前、狩野探幽の“桐鳳凰図屏風”(サントリー美、07/4/8)を取り上げたとき述べたように、鳳凰の絵はあまりお目にかからない。平等院や金閣寺の屋根の上に飾られたものは遠くにあるので、その姿は実感できない。で、鳳凰のイメージは探幽と若冲(06/7/8)の絵と8年前あった“宋磁展”(山口県立萩美・浦上記念館)で見た下の“白磁刻花牡丹唐草文鳳首瓶”(大英博物館)や東博の“白磁鳳首瓶”(現在、東洋館で展示中)で形成されている。

これらと較べると榎さんの鳳凰は嘴や目の鋭さが消え、とても品があって優雅な鳳凰である。気に入っている若冲の鳳凰は地の色と羽の茶色が重なったり、隣にもう一羽いることもあり、鳳凰のフォルムがぱっとつかめない嫌いがあった。これに対し、目に前にいる尾っぽを長くのばした白い鳳凰は圧倒的な存在感で描かれている。羽一枚々の描写が実に精緻。胸の後ろあたりはうすピンクでその下の左右の羽を大きくひろげたところには金色で彩色されている。そして、えもいわれぬ美しさなのが先っぽの目玉柄。うす黄色とうす青がなんとも目にやさしい。見事な鳳凰図というほかない。

榎さん、すばらしい絵をみせていただき有難うございました。

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2007.11.16

マリーナ・カポス展

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渋谷パルコの前にあるトーキョーワンダーサイト渋谷で女性画家、マリーナ・カポスの絵を楽しんだ。今、ここのスタジオ風の部屋に12点の作品が飾ってある(9/8~11/25、無料)。

昨年開催された“ポップアート1960’s~2000’s展”(ミスミコレクション、拙ブログ06/7/13)でこの画家の作品にすっかり魅了された。で、以後追っかけモードに入っているのだが、アメリカの作家のため、日本にいては作品をみる機会はあまりないから、ロングレンジの追っかけにならざるをえない。だが、優しいミューズが意外と早く次の作品を見せてくれた。

トーキョーワンダーサイトが昨年11月、日本に滞在する海外アーティストのためにつくった青山のレジデンス施設でカポスは“東京”を題材にした新作を制作していたのである。それらが目の前にある作品で、上はもっとも気に入った一枚。これも昨日紹介した石田徹也同様、マグリットの画風が頭をよぎる。正面向きの自分の顔を縦に半分に分け、ずらして描いている。これは見る者が顔の色も衣装の色も違う左右半分の顔を自由にスライドさせて遊べるのがいい。

カポスの作品には3つのモティーフがある。自画像、人物と生き物を一緒に描くもの、そして風景画&花鳥画。グラフィカルで平面的な描き方は日本画と似ているが、画面のなかに色々なイメージを組み合わせる構成は現代アートそのものでシュール感覚。でも、シュールさは不思議なシュールというよりは洒落たシュール。

すっきりした画面構成とともに心を魅了してやまないのがその明るい色使い。アクションペインティング風に黄色や緑、ピンクで彩られた花の絵や日本を意識したのかゴールド地に赤の蛸と花を浮かび上がらせた作品が目を楽しませてくれた。また、広重の魚絵を連想させるような下の2匹の魚を黒とうす青で横から描いた絵もなかなかいい。

本当にいい画家と出会った。作品は結構日本画の匂いがするから、もっともっと見たくなる。これからの創作活動をしっかり追っかけたい。

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2007.11.15

石田徹也ー小さな展覧会

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1年くらい前からとても気になる絵がある。画家の名前は2年前、踏切事故により31歳の若さで亡くなった石田徹也。今年の7月静岡県美で開かれたこの画家の“悲しみのキャンパス展”を時間の折り合いがつかず、パスしたが、あとでこれを見逃したのはちょっと失敗だったなという気分が強かった。

が、最近、なにかの拍子でCB COLLECTION 六本木で“石田徹也ー小さな展覧会”(9/8~11/24、日曜休み、12:00~19:00)の情報が入ってきたので、何点展示してあるかもわからないのに、とにかく出かけてみた。場所は地下鉄日比谷線の神谷町駅(2番出口)からオランダヒルズ森タワーの方角へ徒歩5分のところにあるノアビル(1階)。

作品は16点しかないので、10分もあれば見終わる。でも、この10分が衝撃の10分だった。上の“囚人”(99年頃)は静岡県美に出品されたのをチラッとみて、すごく見たかった絵だから、食い入るように見た。作家が言わんとすることはなんとなくわかる。石田徹也が日ごろどんなことを考えて絵を描いていたかは全く知らない。この16点に現れた画風で画家の心の中を読むしかない。

この絵をしばらくみて、ほかの画家では誰の絵と雰囲気や描き方が似ているかを思い浮かべてみた。すぐ頭に浮かぶのはマグリット。“大家族”(10/27)などにはこれと同じ色調の青い空や白い雲がでてくるが、こんな孤独感にさいなまれ、恐怖におびえているような顔をした人物は登場しない。

校庭や校舎のなかにいる男子生徒は等間隔に配置され、校舎を胴体にした若い男(石田徹也の自画像)が横になっている。巨大な人物を登場させてびっくりさせるのはコメディの一つの手法だが、石田徹也は社会批評や風刺にこれを使う。規則でがんじがらめにされている学校生活は牢獄に閉じ込められている囚人と同じといいたいのだろうか。普通の画家はこんなシュールなイメージにたどりつかない。とにかくこの絵は腹にズキンとくる。

対象の豊かな写実描写に驚かされるのが下の“回収”(98年)。皆が座っている畳の質感表現が速水御舟の“京の舞妓”(東博、拙ブログ06/4/5)とあまりに似ているのでびっくりした。この描き方ひとつをとってみても石田徹也がすごい技量をもった絵描きであることがわかる。物の質感を捉える才能は部屋のなかに墓石を描いた作品にみられる床板の木目や板と板の間から出てくる草でもいかんなく発揮されている。

“回収”は何が描いてあるのかはパッとみるだけではわからない不思議な絵。わからないまま、視線は手前に置かれた発砲スチロールに入っている切断された首や手、胴体にいく。人間の体をいとも簡単にバラバラにし、血糊をドバッとみせるので、束芋の映像インスタレーションとイメージが重なってくる。この2作品のほかにも衝撃度200%の絵がいくつかあった。

ギャラリーで購入した“石田徹也遺作集”(求龍堂、06年5月)に今回の作品が載っているから、毎日眺めているが、すごい画家に遭遇したという感じ。香港で開催されたクリスティーズオークションで作品が1200万円で落札されたというのがよくわかる。この画家は今後世界的に評価されるのではなかろうか。

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2007.08.20

山口晃展 今度は武者絵だ!

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練馬区立美術館で行われている“山口晃展 今度は武者絵だ!”(8/17~9/17)はなかなか面白い。これは回顧展ではなく、学生時代から手がけている“武者絵”をテーマにした最新作のお披露目会。

もっと多数の作品がでていると思っていたが、それほどでもなく、また5月にあった“会田誠・山口晃展”(拙ブログ5/30)で大変魅せられた大作、“渡海文殊”の続編もなかった。この人気アーティストの作品では、現代の“洛中洛外図”よりは“渡海文殊”の方により魅力を感じるので、また日本画の見立絵が2,3点くらい見れるかなと期待していたが当てがはずれた。

でも、満足度が下がるということはない。カッコいい武者絵、しっかり見ると思わず笑ってしまうユーモラスな若冲物語漫画、源頼朝の写し、現代版洛中洛外図などが目を楽しませてくれる。漫画や劇画を見ないので、最新作の“無残ノ介”に目が輝くことはないが、戦いの場に登場するパトカーや戦車はしっかり見た。

“當卋おばか合戦”は上野にも出ていた作品。この絵をしばらくみていて思いついたイメージがいくつかある。一つはこの絵の感じがどこか“束芋”の作風とオーバーラップすること。右の最初の場面では秘書をつれた社長風の男性が“やぁーやぁー”と手をあげて本陣の天幕に入っていく。社員の戦争シミュレーションゲームの現場視察にやって来たという感じ。

のんびりした光景だなとみていると、すぐぎょっとする場面がでてくる。“そこの若い武士!パソコンでそんな卑猥な画像を見るんじゃない!”、“丼物を出前しちゃったの。イージーだな。炊事班が皆の食事をつくるのじゃないの!”とつい口を出したくなる。

また、画面の下のほうでピストルとドスを持ち大喧嘩をしているヤクザとか、決戦の流れ弾があたり顔から真っ赤な血を吹き出している女子高生、そしてその女の子を半狂乱状態で見ている女友達など、この絵には“束芋”の絵に通じる強烈な“毒性”もしっかり描かれている。ピュアなところとエログロ的なモティーフを同時に描くところは会田誠と同じで、表現したいものをストレートに描く現代アーティストの本性がそのままでている。

横道にそれるが村上隆も自分の作品の付加価値を高めるため、ぶよぶよした肉体に絵の具をつけアクションペインティングのパフォーマンスをし、それを撮影させ展示会場のモニターで流していた。ミッキーマウスのような可愛いキャラクターを生み出す一方、平気ですっぽんぽんになっちゃうのである。これぞ現在アーティスト!われわれとは違う世界にいる。

この絵で想起させられるもうひとつのイメージは映画“ロード・オブ・リング”。巨大なクレーンの下で敵軍を蹴散らしているガリバードクロ武士や左側に陣取る悪役のドクロ軍団は“ロードオブリング”の戦いの匂いがする。その中で山口晃オリジナルの“メカ武士”や“バイク馬”が面白い。“テクノロジー日本”に慣れている外国人がこれを見たら、“流石!日本人は芸術の世界にもホンダのバイクをもちこむ”と感心するのではないだろうか。

美しい“バイク馬”が見られるのが上の“厩図2004”。右から二番目の厩にいる馬は前の庭で体の手入れのため、部品をいろいろチェックしてもらっている。下はこの絵の原画、“厩図屏風”(六曲一双の左隻、16世紀、東博蔵)。武士にとり馬は大事な宝だから、立派な厩が建てられた。つくりがいいと多くの人が集まる。で、厩は社交の場となり、囲碁や将棋で遊んだりする。

現代版厩図では、将棋をさす男たちの隣では現代人、公家、町人が酒を酌み交わし、左端では男色遊びの真っ最中。男の子だけでなくロボットが給仕するところが山口晃の現代感覚が冴えわたるところ。一つ々の作品をみると、山口晃の描写力、構想力はほかの作家と較べるとちょっとものが違うな!という気がする。次回の個展では“渡海文殊”シリーズの続編をみてみたい。200%期待したい作家である。

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2007.05.30

あーとで候。会田誠 山口晃展

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上野の森美術館ではじまった“あーとで候。会田誠 山口晃展”(6/19まで)を楽しくみた。二人の作品をみるのは今回がはじめて。

会田誠は今年あった迷宮美術館に出演し、自分の作品で何を表現したいのかを語っていた。ブラックユーモア的な笑いにあふれる絵や、意表をつく構成に新鮮な感動を覚えた。現在、会田誠の作品は世界的に高く評価されているようだが、出品作を見て即納得。一方、山口晃の情報はほとんどない。テレビ東京が若冲の特集をやった番組に登場したので顔を覚えている程度。

会場では会田誠と山口晃の作品が交互に出てくる。今年制作された最新作がいくつかあり、現代アートの最前線を走る人気の作家ができたてホヤホヤの作品を“アートで候。とくと御覧あれ!”と披露しているようである。まず、会田誠から。

この作家は少女趣味オタクのような絵を描くが、その味付けには強い毒も入っている。ハットするのが“大山椒魚”(03年)。少女マンガに出てくるような裸の女の子がグロテスクな大山椒魚のぶつぶつの背中に肘をついたり、背びれをつかんでいる。会田はすごいセンスの持ち主だなと思わせるのはこの奇妙な取り合わせの背景に波の文様を使っていること。日本美術の伝統的な波の文様である青海波を銀でリズミカルに描いているのである。

海外の美術愛好家はこういうマンガ、装飾的な文様、まさにジャパニーズアートのエキスがつまっているような絵をみると、いっぺんに参ってしまうのではないだろうか。上も彼らが好きそうな絵で、この回顧展に合わせて制作された大作“滝の絵”(部分)。ここにはアクの強い要素は一切無く、思い々に滝から流れる水とたわむれる女子高生が大勢、明るい色調で描かれている。

現代の世相を鋭く風刺した絵“ヴィトン”に思わず笑みがこぼれる。これは東京美術倶楽部の“21世紀展”にでていた。“今年もヴィトンが豊作じゃ”のふきだしが最高にいい!まったく骨太のブラックユーモアである。笑いが止まらないのは最後のコーナーに展示されている“ポスター(全18連作)”も同様。これは見てのお楽しみであるが、小1会田誠は“平和”を描き、小6になるとピカソの泣く女で“自由な美術”まで進歩するが、中3会田誠の描く絵は“絶望”。面白い画家である。

山口晃の作品でお気に入りは下の“四天王立像・廣目天”と大作“渡海文殊”。四天王のなかではこの“廣目天”の美しさが際立っている。どうしてほかの3つもこんな調子で表現しなかったのだろうか?魅力度に差がありすぎるのが気になる。“渡海文殊”の前では声を失った。これは見事な作品。日本画の片岡球子が“葛飾北斎”などの“面構シリーズ”で一躍人気作家になったように、仏画や仏像にヒントを得た作品をどんどんつくり続けたらいいのではないかと思う。

山口独自の絵巻、風俗画、洛中洛外図風の大パノラマ画は“コロンブスの卵”みたいな作品。なんでもはじめに考えついた作家が一番エライ。金雲がたなびく中、垣間見せる街、“東京圖 広尾ー六本木”、“百貨店圖 日本橋”。ここにはちょんまげをした町人もいればネクタイをしたサラリーマンもおり、着飾った江戸の女、普通の服を着た今を生きるおばさんもいる。時間を超越し、昔の日本と現代における街の賑わいを同時に描くという発想が独創的で洒落ている。

予想以上にぐっとくる絵が沢山あった。これからの二人の作品に注目したい。なお、練馬区立美術館で“山口晃展”(8/17~9/17)が開催される。ご参考までに。

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2007.02.06

カンブリア宮殿に村上隆登場!

687昨日のTV番組“カンブリア宮殿”(テレビ東京)に現代アーティストの村上隆が登場した。

はじめて観る番組なので、最初勝手がつかめなかったが司会者の村上龍&小池栄子とゲストとして呼ばれた村上隆のトークショーである。

スタジオには美大生100人がおり、最後に彼らから質問を受け、これに村上隆が答えていた。番組のつくり方は昨年、NHKの教育でみた“トップランナー・束芋”と全く一緒。

村上龍とのトークの間に挿入される“芸術の革命児、村上隆物語”のVTR映像が新情報満載で大変刺激的。村上隆の絵や立体作品に魅せられてはいるものの、実際に見た作品はまだ2点しかない。だから、番組で紹介される作品に興味深々だった。

昨年出版された“芸術起業論”(拙ブログ06/7/9)を読んでいるので、ナレーションの解説や村上隆自身が語る“スーパーフラットは日本芸術の伝統を受け継いだもの”、“売れなければ芸術ではない”、“日本人は作品を説明するのが下手くそ!ピカソは表現力に長けていた”、“村上隆は株の銘柄みたいなもの”、“世界の最前線はフェイク(偽物)が通用するほどやわではない”などの意味はおおよそ理解できる。だが、これらは村上隆が嫌いな人には刺激的でイヤなフレーズかもしれない。

昨年10月、パリの画廊で開かれた個展にでていた大作が目を惹いた。96年に制作した右の“727”のリメーク版である。“ありゃー、信貴山縁起絵巻に登場する剣の護法童子(07/1/2)が口を大きく開けサメのギザギザ歯をみせるミッキーマウスみたいなキャラクターに変わってる!”と思わず叫んでしまった。10年前から日本美術を題材にした作品をつくっていたのである。これは知らなかった。馴染みのコレクターがこの絵を1億3千万円で買ったという。新作の村上ブランドをコレクターやセレブが高い値をつけ奪い合っており、画廊にきたルイヴィトンの総帥が購入できず不満を言い帰っていく様子をTVカメラは映していた。

村上隆は今や“世界で注目される100人の芸術家”のトップ10にはいるほどの人気アーティストだから、1億円以上の値がつくことはもう何も驚くことでもなく、当たり前のことかもしれない。もう1点、現在制作中の巨大な立体作品がでてきた。高さが7mもある河童の像。5年前から手がけ、制作費はすでに2億円かかっているとのこと。完成したら何億円で買われるのであろうか?5億円?是非観てみたい。

コレクターではないから、村上隆の作品を観る機会は普段はほとんどない。で、日本で開催される回顧展をひたすら待つしかない。そのとき、面白い作品が沢山でてくるのを願うばかりである。

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2006.12.30

スーパーエッシャー展

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渋谷のBunkamuraで開催中の“スーパーエッシャー展”(07/1/13まで)は事前にえがいていたイメージと全然異なった。展覧会に関する情報は美術館へ入るまではチラシくらいしか読まないことにしているので、“だまし絵”のエッシャーというイメージがこびりつき、作品はマンテーニャが短縮画法で描いた宮殿の天井画のような絵を想像していた。頭上の空間にプットー(童子)が浮かんでいるように錯覚する絵をさらに複雑に進化させたようなイメージである。だが、こういうタイプのだまし絵ではなかった。

実際はアナモルフォーズ(歪んだ画像)、一つの図像が別の見方をすると違ったものに見えるという、おなじみのあれである。平面の正則分割の絵はそれほど複雑なデザインではない。遠近法と組み合わせた立体的にみえる作品は対象をいくつもの視点からとらえて画面を構成しているので、かなり重層的で入り組んでくる。だが、最新の技術を駆使したサイケ調の滑らかな曲面が連続するCG作品ほどは進んでない。

一番魅せられたのは上の“昼と夜”。じっくりみると面白い要素がいくつもある。それは“ダブルイメージ”への時間軸の導入である。空を飛ぶ左右対称の白い鳥と黒い鳥は下の畑から生まれる。四角に区分けされた畑は魔法の絨毯のように宙を舞い、その形を変容させながら徐々に羽根が生え一羽の鳥になる。右に進む白い鳥は夜の、左へ向かう黒い鳥は昼間の光景として描かれている。白と黒の対比は一日の時間にもちゃんと合っているのである。単なる俯瞰の構図ではなく、畑が浮揚し鳥へと変わるので、鳥がいる高さが地面からイメージできるところが面白い。ダリやマグリッドが得意とするダブルイメージの作品にはこういう時間の推移はでてこない。これは大きな発見。

下の絵“滝”も不思議な絵。これは注意して観ないとどこが変なのかわからない。画面下で石の壁によっかかっている男のように、上から落ちてくる水をただ眺めているだけではダメ。滝のように流れ落ちた水は下からどういうわけか上へ上へと流れていき、いつのまにか元のところへ戻っている。絵本作家,安野光雅の展覧会(10月、日本橋高島屋)でピエロがへんてこな形をした陸橋を渡っている不思議な絵をみたとき、この画家の頭の柔らかさにびっくりした。絵の感じがエッシャーとあまりに似ているので、家に帰り、安野の図録をひっくり返してみたら、エッシャーにヒントを得たと書いてあった。アイデアの元はエッシャーだった!美術評論家たちがエッシャーを高く評価する意味合いがだんだんわかってきた。

もう一点、“相対性”という名前のついた作品にも唸った。人が階段を登り降りする様子を、階段を横から斜めに組み込んだり、あるいは逆さ状態にして人を登らせたり降らせたりしている。階段がこういうふうに色々な角度から描かれていこと自体、不思議なのだが、ほかの階段との接合部分がスムーズで絵としては違和感がそれほど無い。ピカソは多視点から平面的に“アヴィニョンの娘”を描いたが、エッシャーはいくつかの階段を同じく複数の視点で立体的に表現し、観る者をあっと驚かせる。“版画の画廊”もこの絵と似たような感じ。

会場はかなりの混雑で、全作品(153点)を観終わるのに2時間近くかかったが、作品が予想以上に刺激的だったので、疲れより満足感のほうが大きかった。最後に小さな発見をひとつ。1章のコーナーにあった版画、“24の寓意画・14 カエル”と伊藤若冲の“動植綵絵・池辺群虫図”に登場するカエルはポーズがそっくり。

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2006.12.15

ビル・ヴィオラ はつゆめ展

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現在、森美術館で行われている“ビル・ヴィオラ はつゆめ展”(07/1/8まで)は大変刺激的で面白かった。10/14に開幕したのだから、もっと早めに見とけばよかったと後悔している。この展覧会を1年くらい前に知り、今年後半の鑑賞リストに入れているのに、現代アートなので、“本当に心に響く作品だろうか?”といつもの心配が頭のなかを支配し、ずるずると鑑賞のタイミングが延びてしまった。

ビル・ヴィオラ(1951、NY生まれ)はヴィデオ・アートの第一人者だという。ヴィデオ・インスタレーションを見た体験が少なく、基準作の情報がないが、今回の作品がトップレベルのものであることは直感できる。目の前の映像、サウンドから作家の主張するメッセージや深い精神性が割合スムーズに理解でき、作品の中にすっと入っていけるところがいい。出品作は15点。スーパー衝撃度の作品が3点あり、作家の高い才能があますところなく発揮されている。“クロッシング”(1996、上と下の画像)、“ミレニアムの5天使”(2001)、“ラフト/漂流”(2004)。

会場入ってすぐのところにある“クロッシンブ”はなかなかよくできた作品。中央に大きな両面スクリーンがあり、正面には男が炎につつまれる場面(上下画像の左)、裏面では男の頭上から水が落ち、次第に滝に打たれるような感じになる場面(右)が映しだされる。映像時間は16分くらい。火が燃えひろがり、オレンジ色の炎がだんだん大きくなるのと、水がゴーゴーと音を立てて落ちる滝に変化するタイミングをシンクロさせているところが作品の完成度の高さを表している。最後には男がいなくなり、すざましい大音響の洪水になるのを見てると、千住博の“ウォーターフォール”(山種美術館、拙ブログ12/3)がダブってきた。二つの作品が美しくコラボレーションしているようである。

“ミレニアムの5天使”にも深く感動する。ここでは、5人の天使(実は服を着たままの男)が水面から上昇する場面をみるのにちょっと工夫がいる。暗い展示空間では、全部のスクリーンが見渡せる中央にポジションをとるのがいい。というのも、よく画面を見ていないと天使の中には水中から突然現れ、そのまますぐ消えてしまうのがいるからである。これを見逃すとまた10分くらい待つことになる。はじめ、入って一番近くにある、頭を下にして足のほうから上昇していく天使のところばかりを見ていたら、後ろのほうで大きな音がし、振り返ってみるともう天使は足だけで体の大部分は画面から消えていた。効率的に天使を見るには、例えていうなら、“モグラたたき”ゲームの身のこなしが必要。

天使が飛び出すときの格好が皆異なるのが面白い。水面に泡ができて飛び出しの予兆があったり、いきなり爆発音とともに浮かび上がってきたりする。ハッとするのがダリ作、“サン・ファン・デ・ラ・クルスのキリスト”(1951、グラスゴー美術館)の変わった角度で描かれたキリストを連想させる天使。神秘的な美しさが漂う映像空間はこれぞヴィデオ・アートの真髄といった感じである。見てのお楽しみ。

2000年以降に制作された“悲しみ”、“驚き”、“喜び”、“怒り”、“怖さ”といった人間の感情をテーマにした映像が興味深い。複数の男女をモデルに使い、感情の変化が現れる顔の表情や体の動きを高速度撮影し、これを低速度で映し出している。一見すると肖像画ではないかと間違えそうになる。よくみると顔の皮膚が微妙に動いたり、まばたきが見える。よく生き物の生態観察やスポーツ競技の再現シーンでこういう映像をみることはあるがアートとしてみるのははじめて。とても新鮮である。が、辛抱強く見続けなければならないから、見終わるのに時間がかかる。

気に入ったのは、“オブザーヴァンス/見つめる”(02年)。列の前には悲惨な死に方をした人が横たわっているのだろうか?立ち止まっては悲しい顔をし、隣の人と視線を交わしたりしてまた、後ろの方へ戻っていく。自分もこの列の中に入るときっと同じような感情になるのではないかと思わせる作品である。

ビル・ヴィオラのヴィデオ・インスタレーションに200%KOされた。今年は束芋に続き、現代アートのいい作家に遭遇した。今後のヴィオラ作品に注目したい。

ヴィオラが1980年代、日本に1年半いたときに制作した“はつゆめ”(1981、56分)は会場では見られなかったが、東京オペラシティタワー4階のNTTインターコミュニケーションセンターでも12/17、12/24に上映されるというから、行ってみたくなった。

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2006.12.13

東京都現代美術館の大竹伸朗展

585現代アーティスト、大竹伸朗(1955年、東京都生まれ)の大回顧展(東京都現代美術館、12/24まで)をみた。

作家の名前だけは頭の隅っこにあったが、作品については11月末の新日曜美術館をみるまで全く知らなかった。番組で大竹作品をみて、俄然興味がわき、強い磁力に吸い込まれるようにMOTへ足を運んだ。

展覧会タイトルにある“全景”の意味は膨大な作品群をみると納得する。なにしろ2000点の作品が3つの展示場にびっちり飾られているのだからすごい。現代アーティストに詳しくないのでわからないが、これほどのビックな作家なのに、これがはじめての大回顧展らしい。29年間毎日つくり続けてきたという64冊のスクラップブック、小さい頃描いた絵、北海道の別海にいた時の写真、ドローイング、本格的な創作活動に入ってから現代までに制作されたコラージュ、立体、大作絵画など多彩な作品を見ていくうちに、これはすごいアーティストに遭遇したなとだんだん興奮してきた。

作域が広いのに驚かされる。ヨーロッパやアメリカの作家、10人くらいの作風を全部吸収して、自分独自のスタイルをつくりあげているという感じである。道端に落ちていた広告や新聞、雑誌の写真、CD、などなどを画材にしたコラージュ作品が一番多い(右の画像の下はその一つ)。大竹はロックバンドのつくっていたのでコラージュと音楽が合体になった面白いのもある。“ゴミ男”の前ではスピーカーから中東や北アフリカの匂いのするメロディーが繰り返し流れてくる。

デュシャンの作品に大きな刺激をうけた大竹にとってコラージュは創造の源かもしれない。日本人作家がつくるコラージュだなと思うのは、貼る材料の量が多くて、しつこくかつ精緻に造形していること。これほど大量の情報、記号を消化し、操作できるからには、大竹の脳は規格外の大きなキャパシティをもっているのだろう。

絵画ではいろんな画家のイメージが重なってくる。しかも、なんでも高いレベルで描けるのがすごい。“網膜”シリーズのようなムラがあったり周辺がぼけた抽象的なフォルムを特徴とする作品が多いが、アフリカの男女をきりりと骨太に表現した人物画もある。大竹が旅したヨーロッパ、アフリカ、アメリカの土地々の風景や空気が作品を通してストレートに伝わってくる。

黒白や緑一色の静寂感の漂うモノトーンの作品にグッと惹きつけられる一方、堂本尚郎のように色とフォルムが魅力的な抽象美を見せる絵や明るい赤、黄色といった色の組み合わせが素晴らしい“日本景”(右の画像の上左)にも心を揺さぶられる。東京、新潟、厳島、岡山など日本の町がでてくる“日本景”の色使いはジム・ダインやエルズワース・ケリーの絵とそっくり。

偶然できた形やムラ、にじみを多用する大竹だが、色彩感覚にも天賦の才能がある。カラリスト、大竹伸朗を強く感じさせる作品が地下2Fの大フロアに飾ってある。それはとてもハイな気持ちにさせてくれる縦10m、横17mの緞帳“北の空に浮かぶカタチ”(右の上右)。2000点もの作品をみると、普通なら最後は疲れて飽きてくるのだが、今回はインパクトのあるフォルム、日本画にような美しい線描、晴れやかな気分になる明るい色調など魅力溢れる作品の連続だったので疲れる暇がなかった。

大竹伸朗にすっかり嵌ってしまった。My好きな作家に即登録した。

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2006.09.24

奈良美智の A to Z 展

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青森県立美術館の目玉作品はシャガールの“アレコ”のほかにもうひとつある。弘前市出身の現代アーティスト、奈良美智がこの美術館のために制作した上の高さ8.5mの立体作品、“あおもり犬”。

これは地下2階の屋外トレンチに設置してある。奈良がつくった作品のなかでは最も大きいものらしい。ペットを飼う習慣がないので、犬の種類やしぐさに詳しくないが、真正面から向き合いことになるこの馬面の“あおもり犬”は従順そうでやさしい顔をしている。雪の時期、大人も子供も被る耳あてみたいに先が曲がっている耳のかたちが面白い。

常設展示小屋、“ニューソウルハウス”には美術館が所蔵する奈良の絵画やつくりものがある。奈良美智が生み出すあの目と目の間がすごくあいている女の子の絵に少ない観賞体験(拙ブログ05/12/13)ではあるが、大変愛着を覚えているので、いろんなシチュエーションの中で表現されたこのキャラクターを夢中になってみた。“あおもり犬”と“ニューソウルハウス”を常時みられる青森の人が羨ましい。

8/17付けの朝日新聞で奈良美智の大規模な展覧会、“A to Z”(10/22まで)を知った。もともとシャガール展に出かけることにしていたから、この情報は飛び上がるほど嬉しかった。で、青森市で一泊し、翌日、会場の弘前市吉井酒造煉瓦倉庫を目指した。会場につくまで岩木山の素晴らしい景色にため息をつきながら、クルマを走らせた。これが有名な岩木山かという感じである。

元酒造所の1、2階を使って、奈良の展覧会が開かれるのは3度目だそうだ。今回は倉庫のなかに44の小屋ができている。レイアウトのチラシを入り口でもらったが、それはみず、どんどん見てまわった。目をつりあげて怒っている女の子が登場する作品に出会うと思わず口元がゆるむ。この女の子が大好きなのである。また下のとじた目とつむんだ口がなんともかわいい女の子をみるとほっとする。髪のなかに星がきらきら輝くメルヘンチックなイメージが絵の魅力を増幅させている。

今回の収穫はいくつかあった白の人物オブジェ。どういう仕掛けになっているのかわからないが、右目から涙をながしている数体の子供の顔が三段重ねになっていた。これが心を揺すぶる。そして、2階にあったオブジェに感動した。柔らかい素材でできた黒い地面におかっぱ髪で目をつむった女の子の頭部が3つ置かれている。大きくて白一色なので存在感がある。念願だった奈良美智の作品を沢山みることができて、これほど嬉しいことはない。まだ出来てない図録が送られてくるのが待ち遠しい。

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2006.08.07

束芋のヨロヨロン展

4507/23、NHK教育で放映された“トップランナー”に出演した束芋(たばいも)の個展が開かれている原美術館にでかけた。

ここで女性現代アーティスト、束芋の“ヨロヨロン展”(8/27まで)をやっていることは知っていたが、普段なじみのない現代アートなので訪問する可能性は低かった。

が、23日の番組がとても面白く、俄然、束芋のアニメをこの目で見てみようという気になった。作家は兵庫県生まれで現在30歳。人あたりがよく、芯が強そうな小柄な女性である。京都造形芸術大学へ補欠で入学したのに、卒業制作では一番になったという。

原美術館ははじめてなので、展示会場の勝手がわからないが、2階で06年に制作された3つの作品をみることができた。1階ではデビュー作のアニメ“にっぽんの台所”
(99年)などこれまでにつくられた作品が実際よりは縮小したセットや小さなモニターで上映されていた。これらの作品はアニメによる映像インスタレーションとして公開されたので、映像だけでは束芋の表現の一部しか味わうことができないが、4分~10分のアニメ(音楽入りもある)でも十分楽しめる。

束芋が日常生活そのものをモチーフとしているので、作品のなかにすっと入っていける。でも、映像はかなり刺激的で強い毒性を含む。現代日本の見慣れたまた懐かしさを覚える日常の光景をみてほわっとしていると、コミュニケーションの無い冷え冷えとした公衆のあり様や閉塞感、またぞっとする怖さみたいなものをじわじわ見せつけられるといった感じである。

面白いのが“にっぽんの台所”、“にっぽんの湯屋(男湯)”(00年)、“にっぽんの通勤快速”(01年)。“にっぽんの台所”ではっとしたのが毒入りナレーション。ラジオ?TV?から流れる天気予報、“今日は中学生、高校生が降ってくるでしょう?!”。これは自殺を表現している。このアニメにもでてくるが束芋の作品には切断される場面が多いのでドキッとする。指をはさみで切ったり、妻が台所でたまねぎと一緒に亭主の首を包丁で切ってしまう場面とか。

女性の強さ、図太さを巧みに表現したのが、“にっぽんの湯屋”。途中から“男湯解禁”となり、隣の女湯から女性が壁をのりこえてきたり、入り口からも女性連れがどんどん入ってくる。観光地のトイレが混んでるとき、やむにやまれず女性が男性トイレを利用する場面をここでは男湯に転換して描いている。これは笑える。束芋は只者ではない。

2階の最新作、右の“真夜中の海”と“公衆便女”は秀作。映像として何時間でも見ていたいのが“真夜中の海”。波の音入りで、生き物のような波が次第に大きく荒々しくなっていく。北斎の“富嶽三十六景 神奈川沖波裏”におけるダイナミックな波の動きを連想させるような光景である。その立体的な波のてっぺんから海底に生息する髪の不気味な物体が下に滑り落ち、消えていく。真夜中の海を見たことが無いから実感できないが、暗闇になかで海をみているとここで体験するような不安と怖さが入り混じった気持ちになるのではないだろうか。

“公衆便女”でびっくりするのは便器の中に女性がプールの踏み台から飛び込むようにザブンとつっこむ場面。よくこんなことを考えついたなと唖然として眺めていた。

束芋は世界的にも注目されているアーティストらしい。発想の斬新さはグローバルレベルのような気がする。海外の作家たちとコラボした映像が流れていた。いい作家に遭遇した。これからその作品を追っかけていこうと思う。

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