2008.05.24

その五 ゴヤ  アングル  ルノワール

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アメリカの美術館をまわると、大富豪コレクターたちが印象派と同じくらいグレコ、ベラスケス、ゴヤの絵の収集に熱を上げたことがよくわかる。フリックもその一人で、ここにはグレコ3点のほか、ベラスケスの“フェリペ4世の肖像”、ゴヤの上の“鍛冶屋”、“オスナ公ドン・ペドロ”がある。

ゴヤ(1746~1826)の“鍛冶屋”はワシントンナショナルギャラリーにある“ポンテーホス女侯爵”(拙ブログ4/14)やメトロポリタン蔵の赤い衣服を着た男の子の絵(5/6)とは画風ががらっと異なる絵。これはゴヤ70歳ころの作品で、メトロポリタンにある“バルコニーのマハ”と“黒い絵シリーズ”(プラド)との間あたりに描かれた。

下層社会に生きる労働者を主題にした作品では以前ブダペスト国立美術館でみた“水瓶を運ぶ女”と“刃物を研ぐ男”が強く印象に残っているが、それ以上に心を打つのがこの“鍛冶屋”。手前の男は足を踏ん張り重いハンマーを振り上げ、相方は真っ赤に焼けた鉄をはさみでしっかり支えている。そして二人の間にいる年嵩の男はふいごを手にしている。荒い筆使いで分厚く塗りこめられた暗い色調の画面からは3人が息をあわせて鉄と格闘している様子がひしひしと伝わってくる。

アングル(1780~1867)が65歳のとき描いた真ん中の“ドーソンヴィル夫人”はお気に入りの一枚。アングルが65歳から73歳にかけて制作した女性画はいずれも魅力に溢れている。“ジェイムス・ド・ロスチャイルド夫人”(パリ、個人蔵)、“モテシワ夫人”(ワシントンナショナルギャラリー)、“座るモテシワ夫人”(ロンドンナショナルギャラリー)、“ブロイ公妃”(メトロポリタン、5/13)。

この4点に描かれたモデルは“モテシワ夫人”を除いて、皆手が顔や髪に軽くふれるポーズをとっている。なかでもそのポーズに吸い込まれそうになるのが“ドーソンヴル夫人”。どこかファッション雑誌に載っているスーパーモデルを彷彿とさせる。次の狙いは画集でとても魅せられる“ロスチャイルド夫人”。個人蔵だから無理かもしれないが、諦めずに対面を夢見ていたい。

下の絵は前回の鑑賞でどういうわけか記憶に無いルノワール(1841~1919)の“母と子供たち”。どこかへ貸し出中だったのかもしれない。だから、シカゴ美術館にある“テラスにて”、“サーカスの少女”(4/5)同様、対面を楽しみにしていた。これは第二回印象派展に出品された初期の作品。期待通りの心が和むいい絵である。毛皮で縁取りされた緑の外套を着た可愛い二人の少女の背中にそっと手をやる母親の姿が実にいい。

本日でアメリカ美術館めぐりの感想記は終了します。お楽しみ頂けましたでしょうか。シカゴ、ワシントンナショナルギャラリー、フリーア、ボストン、メトロポリタン、フリックには心を奪われる名画が沢山ありました。感動の総量は相当大きいので、今年いっぱいはその余韻に浸っていられそうです。

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2008.05.13

その十一 アングル  モロー  ジェローム

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正面玄関を入ってまっすぐ進むとロバート・レーマンコレクションが展示してあるギャラリーが見えてくる。かすかに残っている記憶を思い起こしてみても、また直近にみた収録ビデオと較べても、目の前にある展示室は明らかに違う。どうやら、ここは現在工事中のようで完成するまで、作品はこの臨時の展示室に集められている感じだった。

ちょっと面食らいながら進んでいたら、目を見張らせる絵が現れた。上のアングル
(1780~1867)が73歳のとき描いた“ブロイ公妃”である。目の前に本人がいるようで、思わず息を呑み込んだ。やわらかい白い肌、豪華な青いドレスのなめらかな質感とひだの描写に目を奪われる。なで肩をしたモデルを穏やかな気持ちで見られるのは古典的なピラミッド型の構図で描かれているため。

女性の胸とウエストの間隔が短かすぎるのに、ドレスを膨らませ、ソファを体にくっつけて安定的な三角形構図をつくっているので、それが気にならない。少し離れたところで見たら、この絵はまわりの絵と較べて断トツに輝いていた。女性の肖像画でこれほど感激したのは久しぶり。エポック的な鑑賞体験になりそう。

2階にある素描、版画、写真のコーナーを左のほうに進むとT字のようになっている長い通路につきあたる。ここから向こうに館自慢の19世紀ヨーロッパ絵画が飾ってある。印象派の名画がこれでもかというくらいでてくる。これはもう圧巻!印象派を見る前に絶対見逃したくないのが2点あった。通路の壁に飾られている真ん中のモロー(1826~
1900)の“オイディプスとスフィンクス”と下のジェローム(1824~1904)の代表作“ピグマリオン”。

“アオディプスとスフィンクス”は18年前対面したとき、ものすごく感動し、すぐさまこの絵の虜になった。モローの絵ではこれが最も気に入っている。視線の集まるのが美しい翼をもつスフィンクスと美少年オイディプスがじっと見つめあう姿。こういう絵をみると、人物描写のなかでは目が一番大事だということがよくわかる。

この幻想的な神話世界にうっとりしたあと、目を画面の下にやるとギョッとする。急いで見たら見逃すものがちらっと描かれている。それはスフィンクスが出した謎に答えられず殺された旅人の足と手。モローの構想力はスーパーだなと思わせる構成である。スフィンクスがどんな謎を出したかはデルフィ考古学博物館の“ナクソスのスフィンクス”(拙ブログ06/2/6)を紹介したときに書いた。

ジェロームの“ピグマリオン”は対面を楽しみにしていた絵。ベルギー王立美術館でシュルレアリスト、デルヴォーが描いた登場人物の性が逆転した女性版ピグマリオン(05/4/26)をみたが、これは神話通りの絵。ジェロームはフランス、アカデミーの画家らしく、輝く白い肌の女性を描かせたら超一級の腕をもっている。

足の膝から下はまだ石像のままだが、お尻から上は血の通う生身の乙女になっているので、体を大きく曲げてピグマリオンと唇を重ねている。このポーズに長年魅せられていたから、感慨深い。

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2008.05.09

その七 プッサン展

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メトロポリタンでの鑑賞時間が予定より2時間延びた理由の一つはまったく想定外の“プッサン展”と遭遇したから。パリのグラン・パレで見た“クールベ展”はここへ巡回中であることは知っていたが、ルーヴルで重点鑑賞画家にしていたプッサン(1594~1665)の回顧展を楽しめるとは夢にも思わなかった。

パリ、ロンドンでかなりの数のプッサン作品と対面し、ググッとこの画家にのめりこんでいたから、わくわくしながら企画展示屋へむかった。会期は2/12~5/11で、油彩44点、素描50点の94点が出品されている。会場の入り口のところにルーヴルでみる予定だった“自画像”があったので、質の高い作品が集まっていることを直感した。はたして、ルーヴル、ロンドンナショナルギャラリー、プラドなどブランド美術館からやってきた名画が沢山あった。

上はメトロポリタンの所蔵で必見リストの二重丸作品、“日の出を探し求める盲目のオリオン”。ギシシャ神話はライフワークにしているので、この絵に描かれた巨人オリオンと対面するのを楽しみにしていた。“これがあのオリオンか!”という感じ。見上げるような巨人である。肩にのっかっているのは道案内人のケダリオン。オリオンの足元に立っているのはウルカヌス。

一体オリオンはどこへ行こうとしているのか?見えない目を治すため、これから太陽の光を浴びにオケアノスの果てまでいくのである。両端の大きな木の間にみえるむくむく雲に肘をついてオリオンを眺めているのは月の女神ディアナ。この神話的風景画には寓意的な内容が表現されており、月の女神ディアナは雨を降らせる自然の力を表すものとして描き込まれている。

真ん中は最晩年に描かれた“四季”のひとつ“夏(ルツとボアズ)”。ルーヴルには“秋(約束の地の葡萄)”と“冬(大洪水)”しか展示してなかったので、残念な思いをしていたが、この“夏”と“春(地上の楽園)”は嬉しいことにここまで追っかけて来てくれた。

“夏”に描かれているのは旧約聖書にでてくるルツの物語。夏の刈り入れ作業のなか、畑の持ち主ボアズがひざまずいているルツを褒めている場面である。夫を亡くしたルツは貧しい生活にもよく耐え姑につくしたから、姑の親族で裕福だったボアズはルツに対し親切にし、やがて妻にしてしまう。

プッサンの風景画は水平と垂直をうまく調和させた幾何学的構図に特徴がある。作業をしている人たちを水平に並べ、列をなすように配置しているから、視線がだんだんと空間の奥へむかっていく。そして、遠景に描かれた山や宮殿風の建物の上にはどの絵でも量感のある雲がたちこめており、明るい青の空は雲間からみえるといった感じ。

下の絵は“フォキオンの遺骨を拾う寡婦”(リバプール、ウォーカーアートギャラリー)。これは初期の英雄風景画の傑作である。フォキオンは古代アテナイ民主制最末期の軍人、弁論家。衆愚政治に反対の立場をとったが、ソクラテス同様民衆に誤解され、最後は毒をあおいだ。

この絵で目を奪われるのは構図。あまりにすばらしいので言葉を失った。左右の木の間に斜行する小道が描かれているため、遠景の神殿と三角形のフォルムをした山まで視線はなめらかに導かれていく。ロンドン、パリ(拙ブログ3/31)、ワシントン、そしてNYでプッサンの作品を73点もみることができた。こんな嬉しいことはない。ミューズに感謝々。

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2008.04.02

その九 ゴヤ  アングル  コロー

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ルーヴルの広い館内を休むことなく動き回り、最後に向かったのがドノン翼2階の端っこにあるスペイン絵画のコーナー。入館してから4時間近くたっているのでだいぶ見疲れているが、目力を振り絞ってグレコ、ベラスケス、ゴヤの作品を見た。この3人の絵やムリーリョの“乞食の少年”、リベラの“えび足の少年”は前回しっかりみたからここにある作品はリストには載せていない。

昨年訪問したプラド美術館と比べると数では全然負けるが、質的にはいいのがある。お目当てはグレコの“キリストの磔刑”と上のゴヤ(1746~1828)が描いた肖像画“ソラナ侯爵夫人”。アルバ公夫人の友人であるソラナ侯爵夫人は37歳で死ぬのだが、この絵は死の数ヶ月前に描かれた。

はじめてルーヴルにきたとき、この美しい肖像画に200%KOされた。ゴヤは“裸のマハ”のような衝撃的な絵も描いたが、こうした心に響く女性や子供の肖像画を何点も描いている。灰色と黒につつまれたこの夫人のやさしさと静けさにしばらくうっとりしていた。

真ん中はアングル(1780~1867)が26歳のとき描いた“リヴィエール嬢の肖像”。アングルというとどうしても体をひねった後ろ向きの女性の絵“ヴァルパンソンの浴女”や裸婦の背中が異常に引き伸ばされた“グランド・オダリスク”に熱くなるので、こういう肖像画は前回まったく気づかなかった。

女性の後ろの空を大きくとった遠景や画面下の暗い部分から浮かびあがる白一色の女性の優雅なまるい顔や体の豊かな曲線はダヴィンチやラファエロの肖像画をみているよう。目を奪われるのが黄土色の手袋と白い毛皮の上品な質感。15歳のリヴィエール嬢は病に冒されまもなく亡くなるというので、アングルは少女を思いやり精一杯美しく仕上げたのであろう。この絵をMy好きな女性画に即登録した。

シュリー翼3階でコロー(1796~1875)の絵を沢山見た。この画家については、見たい度がとくに高かったわけではないが、前回しっかり見たという意識が薄いので、リストには画集に載っている作品を何点も貼り付けていた。国内の美術館でもコローの絵を見ることは結構あるがすごく魅了されたという経験があまりないのに、ここにある絵は違った。風景画でも女性の肖像画でもぐいぐい絵のなかに惹きこまれていく。

3,4年前みたBS2の“ルーヴル名画100選”で、学芸部長がフランスの家庭で飾られることの一番多い複製画として紹介していたのが下の“モルトフォンテーヌの思い出”。しばらくながめていて、その理由がわかるような気がした。陽光が少なく、湿度の高いフランスの風景は霧につつまれたような感じだから、コローの灰色や銀灰色で詩的に描かれた世界はフランスの人々にはとても心地がいいのであろう。

6月、上野の国立西洋美術館で“コロー展”(6/14~8/31)がはじまるが、一足早く対面しようと思っていた“真珠の女”は残念ながら展示してなかった。今、どこにあるのか聞いてみると、“ナポリに貸し出し中。そのあと東京へ行くよ!”とニコッとされた。楽しみは一つ消えたが、“青衣の婦人”や“ナルニの橋”、“シャルトル大聖堂”、“ボーヴェー近くのマリセルの教会”などがみれたので大満足。コローにすっかり嵌ってしまった。回顧展が待遠しい。

ロンドン、パリの美術館巡りにおつきあい頂きまして、誠に有難うございます。途中、思わぬPCトラブルで一ヶ月も中断しましたが、ようやく完結できました。取り上げました名画を皆様と共有できたことを喜んでいます。さて、明日からは第2弾のアメリカ編をはじめます。よろしかったらまた、お越し下さい。

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2008.03.31

その六 プッサン  ロラン

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ルーヴルで重点鑑賞画家にしていたのはティツィアーノ、昨日取り上げたラ・トゥールとニコラ・プッサン(1594~1665)、ヴァトー、ブーシェ、フラゴナール。海外の美術館の所蔵品が日本で公開されるとき、プッサンの絵が含まれていることはほとんどないから、ここでプッサンの作品をみるのをラ・トゥール同様楽しみにしていた。展示してあるのはリシュリュー翼の14~17世紀のフランス絵画のところ。

手にしているチェックリストに必見名画の画像を沢山載せていたが、これを大きく上回る数の作品が二つの部屋に飾ってあった。描かれているのは歴史上の事件や聖書やギリシャ神話の話だから、知識として頭になかにはいっている歴史や神話の情報が目の前の絵によって具体的なイメージとして認識されることになる。古代ギリシャやローマ、ギリシャ神話をライフワークにしているから、個々の作品をじっくり味わった。

上は代表作の“アルカディアの羊飼いたち”で、前回不覚にも意識して見なかった作品。画面の真ん中に大きな墓石があり、二人の羊飼いがそこに刻まれた墓碑銘を読みとろうとしている。顔をこちらに向けている男はかたわらの女性をみやっている。視線が集まる指の先に書かれているのはラテン語の“われアルカディアにもあり”。“われ”とは死神のこと。で、その意味は“私は死神であり、牧歌的な夢の国アルカディアにも君臨している”となる。

プッサンの絵は書物のように“読む”ことができると言われるが、これは死をテーマにした絵。二人の男の指をさすポーズで厳粛なテーマを表現しているのであろうか。でも、背景の木々や山をふくめた絵全体の雰囲気は牧歌的であり、死の恐怖といったものはあまり感じないから、いつまでも見ていたい気持ちにもなる。期待通りの名画であった。

真ん中はいくつかある歴史画のなかでもとくに印象深い作品、“サビニの女たちの略奪”。ローマを建国したロムルスが祭りを利用してローマ人を結婚させるため、サビーニの女たちを掠奪する指揮をとっている場面が描かれている。男たちに連れて行かれる女たちの恐怖におびえる表情が真に迫り、奥行きのある画面のあちこちから泣き声や悲鳴が聞こえてくるようである。

17世紀フランス絵画でプッサンとならび高い人気を誇ったのがクロード・ロラン(1602~1682)。この画家に対する期待値はニュートラルだったが、太陽に輝く港の風景を描いた作品の数々をみて200%KOされた。とくに心に響くのがどの絵にもみられる光に満ちた遠景の美しさ。

下はギリシャ神話を題材にした“クリュセイスを父親に返すオデュッセウスのいる港の風景”。ロランは古代の歴史や神話をつかって懐古の詩情と理想化した自然の崇高な美しさを描いた。絵の構成はこれの隣にある“クレオパトラのタルソス上陸”やロンドンのナショナルギャラリーでみた“デロス島のアエネアス”、“シバの女王の船出”でもだいたい同じ。

手前に古代の人物を描き、そしてまわりにはローマ風の建物と木立を配する。港には出航するあるいは入ってきた大きな船が一隻、光のあたる遠景の海面を背景にして浮かび上がるように描かれている。風景画をこよなく愛しているのに、どうしてこんなすばらしいロランの歴史風景画を見逃していたのか!これからはしっかりみていこうと思う。

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2006.06.20

ダヴィッドのナポレオン騎馬像

4126/18(日)まで江戸東京博物館で開催していた“ナポレオンとヴェルサイユ展”は美術の本に必ず載っている新古典派のダヴィッドやグロの作品がでてたので、どうしてもはずせなかった。

具体的には、ダヴィッドが描いた右の“サン・ベルナール山からアルプスを越えるボナパルト”、“マラの死”、グロの“アルコル橋のボナパルト将軍”、そしてジェラールの“戴冠式の正装の皇帝ナポレオン”。

“マラの死”については昨年から立て続けに3点観た。05年4月、ベルギー王立美術館でオリジナル、6月に横浜美術館であった“ルーヴル美術館展”でレプリカ、今回、ヴェルサイユ宮殿美術館が所蔵するレプリカ。ジェラールのナポレオンの肖像画にもレプリカがいくつか制作されたようで、ルーヴル美展にも今回とそっくりのが飾ってあった。

ヴェルサイユ宮殿にあるのがオリジナルといっても画家本人がまた描くのだから、仕上がりの質が落ちることはない。皇帝ナポレオンの威厳とカリスマ性を存分に表した肖像画の傑作である。ナポレオンが身につけた衣装は絢爛豪華。赤紫の生地に白貂の毛皮をあしらい、黄金の糸で皇帝の紋章の蜜蜂が刺繍されている。こういう肖像画をみると、油彩画はつくづくいいなと思う。ナポレオンの自信にあふれる顔の表情や冠、衣装に使われた黄金の輝く質感は油絵の具でないと出せない。

白描による“随身庭騎図”に描かれた日本の騎馬像に対し、西洋画でも同じような馬のポーズをしているのが右のダヴィッド作、ナポレオン騎馬像。男前の随身が御する馬は荒々しく、その目はふてぶてしく描かれている。が、ナポレオンがこちらに視線をむけ、右手を上にあげて騎乗する愛馬は鬣と尾っぽを風で前にたなびかせ、美しい後ろ立ちの姿をみせている。この“サン・ベルナール山からアルプスを越えるボナパルト”はマルメゾン国立美術館にある作品(1801年)がオリジナルで、これはその後制作されたヴァージョンの一つ(1803年)。

ナポレオンの騎馬像の背景で険しい峠を登っていく兵士たちの姿は岩や馬の前足で一部を隠し、あまり目立たないように描かれており、観る者の目が自然に騎乗する勇ましいナポレオンと美しい馬にいくように構成されている。実際のアルプス越えは悪路に強いラバにまたがって進軍したのだが、誰だってラバに乗ったナポレオンはみたくない。ナポレオンの肖像画に大きなパワーをもたせるためには創作が不可欠。こういうとき絵画は役に立つ。ダヴィッドはそのあたりはよく心得ており、立派な肖像画に仕上げた。

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