2013.02.26

書がわからなくてもはずせない東博の‘書聖 王羲之’展!

Img_2     ‘行穣帖’(唐時代7~8世紀摸 プリンストン大美)

Img_0003_3     国宝‘孔侍中帖’(唐時代7~8世紀摸 前田育徳会)

Img_0001_3     ‘定武蘭亭序(呉炳本)’(原跡:東晋時代永和九年・353年 東博)

Img_0004_2     与謝蕪村の‘蘭亭曲水図屏風’(江戸時代1766年 東博)

東博で行われている‘書聖 王羲之’展(1/22~3/3)をみてきた。日頃から書に親しんでいるわけではないが、王羲之(307~365)の書を集めた展覧会はやはり見逃すわけにはいかない。世の中には書を愛する人は沢山いるから、会場は大変な賑わい。そのため予定の倍の時間がかかってしまった。

漢字の三つの書体、楷書・行書・草書がどういうものであるかは理解しているが、どのように生まれてきたかはしっかり把握してない。だから、王羲之の書がどの書体に優れているかもよくわかっていない。こういうとき役に立つのが展覧会のチラシ。まずはここにでているものをしっかりみることにした。

王羲之の真跡は今日一点も残ってないから、目の前にあるものはすべて複製。その複製のなかで王羲之の真跡に一番近いとされるのが唐時代に精巧な技法で敷き写されたもの。これは世界で10点もないという。日本には奈良時代に伝わったものが4点あり、中国に3,4点、そしてプリンストン大美が所蔵している。これらは皆王羲之の尺牘(手紙)。

今回の目玉はプリンストン大美にある‘行穣帖’。隣にいた男性の目が輝いていたから、この摸本が特別なものであることは直感できる。だが、悲しいことにこの書が例えば清の時代の書と比べてどのくらいスゴイかはわからない。

次に日本にある3点が展示されている。国宝の‘孔侍中帖’と‘妹至帖’(個人蔵)はみたことがあるが、‘大報帖’(個人蔵)は最近発見されたものだという。世界初公開。それは大変!新聞にそのことがでていたので目をかっと開いてみた。

ここのコーナーをみたのであとは気軽にみた。有名な‘蘭亭序’の拓本が沢山あった。画像は東博にあるもの。07年に東博、三井記念美、台東区の書道博で開催された‘拓本の世界’を体験したので、この拓本には少し目が慣れている。今回は初見の‘蘭亭図巻’と与謝蕪村のお馴染みの‘蘭亭曲水図屏風’も一緒飾られていたので曲水の宴の様子がイメージしやすかった。いい趣向に座布団2枚!

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2008.07.26

北京故宮 書の名宝展

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江戸東博で行われている“北京故宮 書の名宝展”(7/15~9/15)を見た。普段、筆をとって文字を書くことがなく、書についての知識が極めて乏しくとも、この展覧会は絶対見逃せない。

書をやられている方なら、心拍数がバクバクものの王義之(おうぎし)の“蘭亭序”(唐時代)が北京の故宮からやってくるのである。しかも、書道の教科書に載っている一番有名な“神龍半印本”が。来場者の多くはやはり書を知っている方。まわりで飛び交う話は“はね方がいいわね、このあたりが上手く書けないのよね”とかなり専門的。

作品リスト(65点)のなかで知っている書家は欧陽詢(おうようじゅん)、顔真卿(がんしんけい)、米芾(べいふつ)、薫其昌(とうきしょう)と少ないから、“蘭亭序”のところにたどりつくまで時間はあまりかからない。でも、王義之の“蘭亭序”の前ではピタッと流れがとまる。皆、最前列でしっかりみたいから、どうしても時間がかかってしまう。

で、“神龍半印本”、同じく故宮にある“張金界奴本”、“褚遂良臨本”の3つの画像が一緒に並べられたパネルとか“蘭亭序”の全訳をしっかりみて時間がたつのを待つ。“神龍半印本”はほかの二つと比べると明らかに字がくっきりしている。王義之が書いた詩集の序文の内容をだいたい頭の中にいれたところで、ようやくこの有名な墨跡と対面。

2年前、東博であった“書の至宝展”(拙ブログ06/1/14)で王義之の墨跡は“孔侍中帖”(国宝、前田育徳会)があったが、“蘭亭序”は当然ながら拓本(07/6/9)のみ。目の前にある墨跡も原本ではないが、原跡より敷き写しされたものだから、拓本よりはぐぐっと王義之の書に近づいた感じがする。書をやっている方は目つきが全然違う。これをテキストにして何度も〃臨書をされたことだろう。

素人の目にも何回かでてくる“之”の字が違っていることがわかる。後でみたガイドビデオによると、これを書いているときの王義之の心の状態がそのまま字に表れているからだという。“書は心を写す”ということか!これが今回の一番の収穫。

真ん中は黄庭堅(こうていけん)の“草書諸上座帖巻”(宋時代)。何が書いてあるのかさっぱりわからないが、字の形になぜか惹きつけられる。そして、下は文徴明(ぶんちょうめい)の“行草書西苑詩巻”(明時代)。東博平常展でみた米芾の筆法(07/10/18)ように一行に大きな三つの文字が並んでいるので、見やすい。当座はこういうタイプの書を一生懸命みることにしている。

王義之の拓本でない“蘭亭序”を見れたので大満足。この展覧会は一生の思い出になる。

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2007.10.18

東博特集陳列 中国書画精華

21_2東博が2ヶ月に1回発行する“東博ニュース”の8/9月号にでていた中国の書が気になって仕方がないので、久しぶりに東洋館へ行ってみた。

目指すは2階の中国書画コーナー。ここで今、特集陳列“中国書画精華”(9/4~10/28)が行われている。

書のほうは会期中展示されているが、絵は前期(9/30で終了)と後期(10/2~10/28)で作品が入れ替わる。ここへ来るときは絵を先に見て、気が向けば隣の書をみるのがいつもの鑑賞パターンだが、今回はまず“ニュース”で気になった書から見た。

19点のうち4点が国宝。国宝といわれても、書はまだ見慣れていないので普通の書と国宝のちがいがよくつかめてない。今、書に対しては、隷書、草書、行書、楷書をなるべく沢山みて書の雰囲気に慣れるという考えで向き合っているから、見ていてもあまり疲れない。文章を読まないため脳の消費エネルギーが少ないのがかえっていいのかもしれない。

知識としてインプットしているのは、中国の長い歴史の中に現れた当代一流の能書の名前とその書風の特徴らしきものだけ。で、墨の濃淡、書体の美しさ、字の大きさ、あるいは字自体のフォルムとしての面白さなどに注目してみている。右は北宋後期に活躍した米芾(べいふつ)が最晩年に書いた“行書虹県詩巻”。

書いてある七言絶句は全く読めないが(当然意味もわからない)、字が大きく一行に2文字、ないしは3文字しかないので目で追っかけやすい。えらく横に長い書巻で、よくみると10枚の紙を継ぎ足している。書を見て印象に残るのは字が濃い墨で書かれ、大きく、そして個性的だったとき。この書巻はこれが全部あてはまる。大きい字だと字画をトレースできるのがいい。

解説によると、これは米芾が風光明媚な虹県を船で通過するときに作った詩を揮毫したもの。誰がみても書風はのびやかで個性的に思えるが、これは北宋後期になると、伝統的な書法に縛られず、個人の精神性を重視する風潮がでてきたから。

後期に飾られている絵画(14点)の大半は鑑賞済みなので、あまり足をとめてみなかったが、名画ぞろい。お気に入りは李迪の“紅白芙蓉図”(国宝、拙ブログ05/10/12)、梁楷の“李白吟行図”(重文)、李氏の“瀟湘臥遊図巻”(国宝)。このコーナーは人があまりいないから、いつも自分の部屋で名画を鑑賞しているような気分になる。

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2007.06.23

三井記念美術館の拓本コレクション展

895最近は書を意識してみるようにしている。といっても、書に詳しいわけではなく、書の鑑賞者としては駆け出しである。

とりあえずのルーチンは東博の本館と東洋館にある書画コーナーに展示される書を絵画を見たとき必ずみること。当面はこれだけで、まとまった書の本を読むことはしない。まず、書を沢山見て、漢字とひらがなに目を慣らすのを先。

話しが横道にそれるが、展覧会で作品を見るとき、説明のプレートで読むのはタイトル名と所蔵先だけで、作品の解説にはほとんど目を通さないのがMy鑑賞スタイル。また、イヤホンガイドとかを借りることもなく、入り口のところにあるご挨拶文やセクション毎の解説もパスすることが多い。この方法を20年間続けている。

だから、鑑賞疲れというのは作品を一生懸命みることによる疲れだけなので、よほどの名品揃いでなけれは一つの展覧会での疲労はさほど無い。解説文というのは曲者で、脳細胞は文字情報の理解にエネルギーを食われるから、これに作品そのものの鑑賞疲れが加わると全部見終わると結構シンドイのである。で、ご挨拶とか解説は図録に載っているので必要ならば後で読むことにして、目の前の作品だけに専念している。

これから向かい合うつもりの書は漢字や古文の世界だから、かなりの解説が作品の背景にある。これを一々理解しようと思って鑑賞すると、相当疲れることは目に見えている。そのため、書も絵画やほかの美術品同様、知識を詰め込んでみるのではなく、気楽に文字の特徴や美しさを感じようと、現在、“中国五千年 漢字の姿”(7/1まで)を開催中の三井記念美術館を訪問した。

拙ブログ6/9で書いた東博と書道博の拓本コレクション展とコラボする三井家の拓本は79点ある。開館記念展でこのなかの一部をみたが、これほどの量、質をそなえたコレクションとはサプライズ!王義之の11点のほか、虞世南1点、欧陽詢6点、褚遂良3点、顔真卿4点と歴史に名をなす書家のものがずらっとある。

右は虞世南(558~638)の“孔子廟堂碑”の唐拓孤本。虞世南が書いた碑文の原石は存在しないから、この唐拓は虞世南の筆跡をうかがうことの出来る唯一の拓本である。それで、孤本と名づけられている。これは欧陽訽(557~641)の“九成宮醴泉銘”の宋拓とともに唐代の楷書を代表する傑作といわれている。中国にあっては大変なお宝が二つとも三井家に伝わっているのである。どこがどう上手なのか、また同じ楷書でどう違うのか、まだわからないが、すこしずつ目を慣らし、その傑作ぶりがわかるようになりたいと思う。

来年、日本民藝館で漢~六朝の石碑から写し取った中国の拓本などを展示する“版と拓の美展”(08/1/6~3/23)が開かれるので、ここでも拓本をみる機会がある。

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2007.06.09

東博、書道博の拓本コレクション展

876東博の東洋館と台東区にある書道博物館で開催されている“拓本の世界展”(7/1まで)を見た。

書はそこに書いてある字が読めないから、書体の形とか、字と字のつなぎ方、墨の濃さに注目して眺めている。

昨年1月、東博であった“書の至宝展”(拙ブログ06/1/14)を鑑賞して以降、書の掛け軸もいいなと思うようになったので、今回の東博、書道博、三井記念美で行われる拓本コレクション展にも興味が涌いてきた。

3館が所蔵する中国善本碑帖はわが国屈指のものだという。中国の西安で石碑や拓本を沢山見た覚えがあるが、国内の美術館で目にする機会はほとんどなく、至宝展と三井の開館記念展で見たくらい。数はこのように少ないのだが、拓本は黒地で文字が白抜きになっているのと古代中国の書という点で強くイメージづけられている。同じような印象を持つ人は多いのではないだろうか。

不慣れな書を全部は消化しきれないので、知っている書家の作品だけをしっかり見ることにした。とくに時間を多く割いて見たのが王義之(303~361)の拓本。東博には5点、書道博には7点でている。右は書道博にある“蘭亭序(韓珠船本)”。至宝展でも展示されていた。王義之の真筆は現存せず、今その筆跡を伝えるのは摸本と拓本のみ。現在20数点残されている摸本のうち3点が日本にある。

王義之の書を愛した唐の太宗は欧陽訽(557~641)に命じて“蘭亭序”を臨書させ、石にも刻ませた。この時の石が宋の慶暦年間(1041~48)に発見され、拓本がつくられた。その宋拓本の一つが書道博の所蔵するもの。今回出品されてないが、東博の高島菊次郎コレクションにも欧陽訽の系統をひく蘭亭序の拓本がある。

“蘭亭序”というのは王義之が浙江省紹興の蘭亭に名士を招き、詩会を行ったときできた詩集の序文のこと。この王義之の会心作を、後に太宗が手にいれ、亡くなったとき随葬させたと伝えられる。

王義之の書を何点も見れたのでこれから、書と本格的に向き合っていこうと思う。

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2006.07.21

書の国宝 墨蹟展

440五島美術館で行われている“書の国宝 墨蹟展”(7/23まで)へ前期、後期2回足を運んだ。

書については、空海の書や装飾料紙の最高傑作“本願寺本三十六人家集”、また俵屋宗達の下絵に本阿弥光悦が散らし書きした和歌などは昔から興味をもって鑑賞していたが、今回のような墨蹟をじっくり観るという経験はあまりない。過去あった“鎌倉禅の源流展”、“建仁寺展”など一連の大仏教展でも、書はさらっと流し、絵画や彫刻のほうに鑑賞のエネルギーを注いできた。

だが、今年は東博の“書の至宝展”やアラビア書道との遭遇と書に縁があるので、この流れを大事にしようと思い、展示替えもなんのそのと五島美に通った。通期、90点のなかで、国宝が12点、重文が56点あるのだから、日本にある墨蹟の名品はほとんど揃ったといっても過言ではない。でも、MOA、東博、五島美が所蔵するものは多少馴染みがあるが、大半は知らないものばかり。

禅宗の高僧の書である墨蹟は茶室の床に掛けられる“茶掛”として、大名や茶人たちに愛蔵されてきた。中国人僧の墨蹟がどういう風に日本にやってきて、その後誰の手に入ったかという経緯をみていると、床に掛けられた高僧の偈(げ)、法語などに茶をたてる主人の感性や精神性が表れているようで、とても興味深い。

大名のなかでは松江の松平不昧(ふまい)公はかなりの名品を愛玩している。東博から出品されている国宝4点のうち3点は雲州松平家に伝来したもの。その一つ右の“虚堂智愚墨蹟 与照禅者偈頌”の書体に魅せられた。虚堂智愚(きどうちぐ)は13世紀南宋時代の臨済宗松源派の巨匠で、これは日本からやって来た鎌倉の浄智寺の僧、無象静照に書き与えた法語(仏の教え)である。

虚堂は大徳寺・妙心寺派の直系の祖にあたり、大徳寺派の禅と密接な関係があった茶道では、虚堂の墨蹟はとりわけ重んじられ、右の書は茶会で一番多く使われたという。今回、虚堂の書に7点お目にかかったが、その装飾的な字の形に釘付けになった。華やかな感じがするのが“今”、“天”、“夲”などにみられる左払い。これまでみた墨蹟では一番美しい書である。

日本人僧が書いたものでは宗峰妙超(1282~1337)の力強い墨蹟が印象深い。なかでも“徹翁字号”の大字が忘れられない。また、一休宗純の“尊林号偈”や“七仏通偈”にも思わず立ち止まってしまう。書はまだ入り口をすこし入ったところ。これから機会をとらえて目を慣らしていけばいい。

いずれ書をやろうと考えているので、重くて大きな図録も買っておいた。これだけ大きいと本物の墨蹟が目の前にあるようで、会場での体験が蘇ってくる。

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2006.01.30

アラビア書道

288先週訪れた“アラビアンナイト大博覧会”(国際交流基金フォーラム、1/31迄)で新しいアートとの遭遇があった。それはアラビア書道。

昨年末、この展覧会の存在を偶然知り、アラビアンナイトやイスラム文化のことが手っ取り早く分かるいい機会なのではというごく軽い動機で足を運んだ。

会場は地下鉄銀座線“溜池山王駅”12番出口すぐのところにある赤坂ツインタワ
ービル1階。アラビアンナイト誕生の歴史をイラスト入りのパネルでざっと頭の
中に入れ、フランス人、ガラン(1646~1715)が翻訳した“千一夜”(1704~
1717)の初版本やアラブの風俗、女性の衣装などが展示してあるコーナー
を見た後、これで終わりかなと一息ついてたら、アラビア文字と美しいフォルムで
構成された現代アートのような右の作品(部分)が目に飛び込んできた。

アラビア書道の作品らしい。アラビア文字が全く分からないので、この青で描か
れた部分がデザインなのか文字なのか区別がつかず、文字の意味するところや
書道家の表現したいイメージが充分に伝わってこないが、芸術作品として充分
感じることはできる。この書はイラク生まれの書道家の作品(00年)であるが、
その隣にあった中国人の最新作(04年)にとても惹きつけられた。波濤のような
形がシャープな黒の線で描かれている。線がシャープで繊細に見えるのは鋭い
ナイフ状の筆先を使っているから。瞬間的に京博でみた狩野山雪作、“雪汀水禽
図”の波の文様が頭をよぎった。

アラビア書道のもつ高い芸術性が世界的な関心を呼んでいるそうだ。で、ネットで
いろいろ調べてみた。日本におけるアラビア書道の第一人者、本田孝一さん(大東
文化大学教授、1946年生)の作品が昨年、大英博物館に買い上げられたという。
“神の顔”と題する三部作は鮮やかな赤、青、緑の地の上にアラビア文字が左右
対称に配置されている。堂本尚郎の“宇宙Ⅰ”を連想させるような新しいアート感覚
の書である。

4月にこの書道家の作品集が出版されるとのこと。東博の“書の至宝展”と“雪汀
水禽図”、この二つの文化記号がアラビア書道を導いてくれた。アラビア書道に
はまるかもしれない。

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2006.01.14

書の至宝展

273開幕初日に出かけた“書の至宝展”(東博、1/11~2/19)の人気が徐々に高まっている。

当日も午前中にもかかわらず、書道の先生風の人や宗教関係の方が大勢いて、最初にある王義之(おうぎし)のコーナーから混雑し、列の進み具合が遅く、全部見終わるのに2時間以上かかった。

日本史や中国史の教科書に出てくる書の大家の名筆がこれだけ揃えば、書道家
や古美術関係の専門家のみならず、一般の美術ファンでも興味が涌いてくる。
中国の書を見る機会は少ない。東博東洋館の平常展で定期的に鑑賞する中国
絵画のあと、すぐ隣に展示してある書をさっとみる程度。目は多少慣れているがキャ
プションを覚えているわけではない。直近では、昨年10月にあった三井記念館の
名宝展に李斯筆の“泰山刻石”などがでていた(至宝展にも出品)。

展覧会で絵画をみる場合、説明書きは読まないが、今回は中国の書の歴史につ
いて、まとまった知識を得ようと、章のはじめにある文章を熱心に読んだ。そのあと、
古い王義之(303~361)や欧陽詢(557~641)らの書を食い入るように見、
書体の特徴を素人なりに読み取ろうとしてみた。草書、行書、楷書は知っているが
実際、筆で書いたことがないので、字と字の続きかた、墨の濃さやかすれ具合は
つかめても、字そのものの達筆さのレベルはわからない。

漢字を書く技量についての知識はないが、書は人を表すの言葉通り、大家の性格
や美意識といったものはなんとなくその書から伝わってくる。あくまでも先人の書風
を踏襲しようとする人、長い文章を楷書で一字々丁寧にきっちり書いていく人がい
るかと思うと、一方で自由奔放な筆使いで個性的な書のかたちをつくりだした書家も
いる。紀元前12世紀から清朝末までの作品のなかには、絵画同様、美しさを感じ
る書もあり、また見てると元気がでてくるような自由ではつらつとしたものもある。
じっくりみると、書は奥が深く、高い芸術性を秘めていることに気づく。

中国の書に較べると、日本の書は三筆と呼ばれる人の書や写経を過去、みたこと
があるので身近な感じがする。とくに、三筆の一人、空海の本展にでている書は、
空海展(03年、京博)のとき熱心に観た。今回の一番の収穫は、和様の書をつくりだ
した三蹟、小野道風、藤原佐理、藤原行成の本物と、美しい料紙に和歌が繊細
な書体で書かれた右の“古今和歌集(元永本)”(国宝、東博)に出会ったこと。

“古今和歌集”のなんと華麗なこと。薄紫の料紙に撒かれた金銀の切箔、砂子を
みると、源氏物語絵巻の詞書の部分を連想する。中国の書体から離れ、日本の風土
から独自のひらがなを生み出した日本の書は、さらに装飾的な工芸品と一体に
なり、柔らかくて、優美な書の世界に発展していった。これは日本美の極みかも
しれない。今回の展覧会で書の魅力を十二分に感じることが出来た。もう一度見に
行こうと思う。

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