2008.05.06

MIHO MUSEUMの与謝蕪村展

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名神高速の栗東ICと名阪国道の壬生野ICをむすぶ線のちょうど中間位のところにあるMIHO MUSEUN(新名神高速の信楽ICからは10分くらい)を訪問した。高名な日本美術史家、辻氏が館長をつとめるこの美術館の所蔵品が展覧会によく出品されるので、いつか行ってみようと思っていたが、待ち望んでいた与謝蕪村の大回顧展(3/15~
6/8)がここで開催されるという情報がひょんなことから入ってきた。となるともう出かけるしかない。

この展覧会は3月の中旬に開幕したのだが、お目当ては長年待っている代表作“夜色楼台図”(やしょくろうだいず、個人蔵)だから、これが展示される期間(4/29~5/6)にあわせてクルマを走らせた。作品は会期を6期に分けて147点が展示される。4期
(4/29~5/11)は56点。国宝の“十宜帖”(拙ブログ05/6/19)をまた見たかったが1期(3/15~3/30)だけの展示だった。辻館長が企画される蕪村展だけあって、代表作はほとんど集まっている。もう完璧という感じ。流石、辻館長である。

展覧会開催のきっかけになったのは館長が蕪村の未知の傑作、銀地の“山水図屏風”(会期中展示)と遭遇したからだという。確かにわれわれがすぐ思い浮かべる蕪村のイメージとはちがう絵である。新しい蕪村作品の登場に辻館長はいたく衝撃をうけこれが回顧展の開催につながったというわけである。これは見てのお楽しみ!

上の絵は京博蔵の“奥の細道図巻”(重文)。“奥の細道図”は10種類描かれ、大部分が巻物。これは現存する4点のひとつ。上が“旅立ち”で下は“那須野行”の場面。これまで逸翁美術館の図巻と山形美術館が所蔵する屏風形式のものを見たことがある。

真ん中は“夜色楼台図”。これは“横物三部作”といわれているもののひとつで蕪村、晩年の作品。町に降る雪を描いた絵で心に最も響くのは東山魁夷の“年暮る”(05/12/11)とこの絵だったが、やっと見ることができた。墨のたらしこみの技法が使われた夜空が山々や家の屋根に積もった雪の白をより一層輝かせている。夜の雪の情感がしみじみと伝わってくる期待通りの傑作だった。

愛知県美にある“富嶽列松図”(06/4/8)と一緒にみれたら最高だったが、これともうひとつの“峨嵋霧頂図巻”は5期以降の展示となっている。こういう揃い物は京博方式で全部見せてもらいたいのだが、“峨嵋霧頂図巻“の鑑賞はこれでだいぶ遠のいた。また、“夜色楼台図”同様、ずっと追っかけている北村美術館蔵の“鳶・鴉図”も会期が合わなかった。すごく残念だが、幸いなことに“鳶図”と構図がよく似ている下の“寒樹老鳶図”があったので思いの丈は半分叶えられた感じ。

狙いの作品のほかでは、京博にある“野馬図屏風”で味わった感動が再現された“寒林野原馬図”(重文、文化庁)と大きな画面に鳴子と稲積と五羽の鴉しか描かれてない“晩秋飛鴉図屏風”に足がとまった。蕪村の絵がほぼ終了したので、次のターゲットは池大雅。京博が来年あたり大回顧展をやってくれたらご機嫌なのだが。

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2007.11.17

大倉集古館の富岡鉄斎展

70現在、大倉集古館では“富岡鉄斎展”(10/6~12/16)が行われている。

普段、最後の文人画家といわれる富岡鉄斎(1836~1925)の絵を見る機会はほとんどないから、画家のイメージが涌かない人のほうが多いかもしれない。

東博では最近も展示してあった大きな絵“旧蝦夷風俗図”が2年に一度のペースででてくる。目を惹くのがアイヌの人たちは着ている黄色の衣装。この画家の素晴らしい色彩感覚はこの絵を見ると即納得できる。東近美だとお目にかかれる作品の数は東博より多く、4,5点が4ヶ月くらいのサイクルでローテーションしている。ここには猿が鯰を瓢箪のなかに入れようとしているおもしろい絵がある。

大倉集古館に今、展示されているのは奈良にある大和文華館のコレクションで、書画が50数点。11年前、名古屋に住んでいたとき、鉄斎の大きな回顧展(愛知県美)をみたから、どんな画風かは目が慣れている。文人画だからしっかり見たいのはやはり山水風景画。お気に入りは雨の情景を斜めのうすい墨線で表現している“山荘風雨図”と緩やかなカーブをえがいて上にのびる梅の木を掛け軸全体に配し、そのむこうに大きな月を描いた“寒月照梅華図”。

今回の収穫は割りと多くあった魚などの絵。福神が鯛を釣り上げているのやら、朱が鮮やかな伊勢海老を描いたものやら、右の“魚藻図”のようなのもある。自由奔放な筆使いで対象を生き生きと描くところが鉄斎の一番の魅力。“魚藻図”を釘付けになってみた。そして、すぐ尾っぽを横に元気よく曲げた前の魚が棟方志功が描いた“御群鯉図”(拙ブログ06/10/18)と響き合った。人物画では2点ある“錘馗図”の顔の表情に親しみを覚える。

大和文華館が有難いオマケをつけてくれた。それはいつかみたかった若冲の“釣瓶に鶏図”。見てのお楽しみである。ついでに言うと、その隣にある抱一の絵はあまり期待されないほうがいい。

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2007.09.23

谷文晁とその一門展

1042現在、板橋区立美術館で“谷文晁とその一門展”(9/8~10/21)が行われている。

これまで谷文晁の絵は片手くらいしかみたことがないので、この展覧会は文晁の画業を知るいい機会である。

作品の内訳は谷文晁が20点、弟子たちのが56点となっており、一門の絵を沢山集めている。安村館長が精力的に集められた弟子たちの作品ではあるが、今は谷文晁の絵にしか心が向かってないので、これらはさらっとみて、お目当ての文晁の絵に集中してみた。

20点のうち前期(9/8~9/30)にでているのは14点で、残りの6点は後期(10/2~10/21)の展示。鑑賞時間は30分くらいだったが、大きな満足が得られた。代表作、“公余探勝図巻”(拙ブログ07/7/18)の作風が頭のなかを占領しているので、同様の色使いや西洋絵画的な陰影法がみられる作品に釘付けになる。

右ははじめてお目にかかる“山水図襖”。中国北宋系の山水画を彷彿とさせるごつごつした岩山の描写と“公余探勝図巻”と変わらないあの鮮やかな青緑が目にとびこんでくる。山々を左から右に墨の濃淡をつけて重ねていく構図がなかなかいい。

同じく色で惹きつけられるのが近畿地方を旅したときのスケッチ画“西遊画紀行帖・箕面山瀑布之図”と“秋山高隠図”。とくに“秋山高隠図”は強く印象づけられる絵。水晶の結晶サンプルが垂直にのびた感じの岩山は深い青と緑で彩られ、その上に金泥が散らされている。一見するとケバケバしいイメージだが、直線的でボリューム感のある岩山が金泥によりその堅さが和らげられ、さらに装飾的に仕上げられているところが文晁流。南画をそのまま受け継いでいるのとは違う。

弟子の作品でギョットしたのが渡辺崋山の“福海図”。蝙蝠(こうもり)が吉兆文様として陶磁の絵柄に使われるのは見慣れているが、この絵のように岩や波といっしょに描かれた蝙蝠は見たことがない。海上を蝙蝠が何匹も飛ぶ情景はリアリティに欠けるから、絵の画題としてはあまりふさわしくない。波頭と蝙蝠の組み合わせはどうみてもアンマッチ。

後期に展示される文晁の4点をみたいので、またでかけるつもり。

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2007.09.03

肖像画家 渡辺崋山

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昨日の新日曜美術館はドナルド・キーン氏が語る“わが渡辺崋山”だった。日本文学の世界的権威で日本語も達者なキーン氏は現在85歳だそうだが、とてもお元気。最近、渡辺崋山の本をお書きになったそうだ。この情報はNOタッチ。番組を見終わって、本を読んでみたくなった。

これまで渡辺崋山の絵は片手くらいしか見たことないから、ここで紹介された絵が新鮮だった。とくに冒頭に出てきた白い歯を見せて笑っている武士を描いた肖像画には驚いた。崋山の師匠である谷文晁にも大阪の町人学者、木村蒹葭堂(きむらけんかどう)が笑っているところを描いた絵(重文、大阪府教育委員会蔵)があるから、それを真似たのかもしれない。

渡辺崋山というとすぐ思い浮かべるのが上の“鷹見泉石像”(国宝、東博)。この絵は東博の平常展によくでてくる。昨年は5月にでていた。この3年間にたぶん2回展示されたはず。また、儒学者、佐藤一斎の肖像画(重文)もよく会う。目が鋭くて、口のまわりの濃い髭が強烈な印象を与える“佐藤一斎像”に較べると“鷹見泉石像”にはリアリティと同時に品格が感じられる。じっと見ていると本物の武士が目の前に座っているような錯覚に囚われる。

顔の表情は西洋の陰影法を使って描かれているが、ぱっとみて、これまでの日本画とは違う描き方の絵であるという印象は受けない。これは画面の大部分を占めるうす青の衣装が線描表現で描かれているからだろう。苦心してマスターした陰影法を取り込んでも、それがあまり目立たず、顔の部分と明確に引かれた衣紋の線により量感がでた着物がうまく溶け合っている感じ。

この絵をはじめて見たころは渡辺崋山の自画像に思えてしょうがなかった。で、“鷹見泉石”(たかみせんせき)なる人物は誰れ?状態から、この人物が崋山と一緒に蘭学を学んでいた先輩武士ということがわかっても、なにか物足りない肖像画だなというイメージがあった。だが、今はこの見事な肖像画に魅了されている。

下の絵は昨年、府中市美術館であった“亜欧堂田善の時代展”に出品された大作“千山万水図”(重文、部分)。崋山が蛮社の獄(1839)によって田原に蟄居させられていたころの作である。このような透視遠近法的な描き方と俯瞰の視点が組み合わさった雄大な風景画はこれまで見たことがなかったので、息を呑んで見た。

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2007.07.18

東博平常展の光琳、文晁

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東博平常展の展示作品が一部替わったので、早速でかけた。お目当ては本日から8/26まで展示される谷文晁の“公余探勝図巻・下巻”。この絵の上巻(拙ブログ06/6/21)は過去3年で2回登場したのに、下巻ははじめて出てきた。見開き二枚に一つの風景が描かれ、これが15点くらいある。地名は白濱、谷津、川津、八幡野濱、鐙槢濱、三浦など。

下は構図がすばらしい“鐙槢濱”。垂直にのびる角々した岩の上に形の整った緑の松があり、下の平らな浜辺には宮崎の鬼の洗濯板のような岩が海の方につきでている。海岸の風景が多いが、田んぼや農家の家々、海岸沿いの道を歩く旅人などが西洋画法も使って描かれている。

谷文晁がこの絵を描いたのは30歳のころ。絵を描かせた松平定信は寛政の改革
(1787年)のころが29歳だから、江戸湾防備のため相模伊豆の海浜視察をしたときはまだ35歳だった。この巡視の後、老中を解任された定信は若くして隠居の道を歩まざるを得なくなる。で、古美術や庭造り趣味に没頭する。文晁が古い兜や陶器類などを模写してつくったといわれる古美術カタログ“集古十種”には縁がないが、いつか見てみたい。

定信は72歳で亡くなるが、文晁はこの頃、弟子を何千人もかかえる大画家になっていた。たんすの引き出しには金貨、銀貨がぎっしり詰まっており、贅沢三昧に暮らしていたという。絵を描く間も酒瓶を放さず、弟子の出来のいい作品には署名して自分のハンコを押してやっていた。文晁の真筆が少ないのはこのためともいわれている。

“公余探勝図巻”の前の掛け軸に嬉しいのがある。3年ぶりに展示された上の尾形光琳の“八橋図”。ここでは間隔があいたが、05年10月、根津美術館であった“国宝 燕子花図展”にも出品されたから、実質1年半ぶりの再会。

広重の“江戸名所百景”には名所を対象の大胆なトリミングでみせるものが多くあるが、トリミングの元祖は宗達、光琳。画面のなかでこちら向きに座っている業平は左の水辺のほうを見ているが、光琳は橋や燕子花を一部しか描かず、見る者がもっと広い空間を想像するように仕向けている。

ほかでは久隅守景の“許由巣父図屏風”、隣の部屋にある狩野山楽が描いた良コンディションで色彩が鮮やかな“黄石公張良虎渓三笑図屏風”に魅せられた。

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2007.06.21

谷文晁の彦山真景図

893現在、東博の平常展に展示してある谷文晁の絵2点をみて、今年は谷文晁の当たり年だなと思った。

東博では、右の“彦山真景図”(6/5~7/16)と特別陳列“平成18年度所収品”のコーナーにでている“相州名勝図帖”(6/19~7/16)のあと、7/18~8/26に“公余探勝図巻”(下巻)が展示されるし、少し先の情報だが、この秋、板橋区立美術館で“谷文晁とその一門展”(9/8~10/21)がある。

この流れの発端は昨年11月、板橋区美の“戸方庵井上コレクション名品展”で見た隅田川を中心にして左に富士山、右に筑波山を描いた大きな絵、“隅田川両岸図”だったかもしれない。今年は4月に福島県立美で“熊野舟行図巻”(山形美術館・長谷川コレクション)と遭遇し、今回初見の“相州名勝図帖”である。そして、長らく待った“公余探勝図巻”の下巻がもうすぐ見られる。

谷文晁(1763~1841)は有名な絵師だから、名前だけはちゃんと知っている。が、その作品は今でている“彦山真景図”と“公余探勝図巻”(06/6/21)の上巻を各2回ずつ見た程度。だから、谷文晁の画風はこの2点でイメージづけられている。大きな絵で、そこに描かれている山が異様なかたちをしている“彦山真景図”はすごくパワーのある絵。福岡と大分の県境にある彦山(英彦山)は古代からの修験の霊場だから、水晶の結晶みたいな角棒を突っ立てた奇妙な山にしたのだろうか。

山の中腹に家々がある外界と頂上の仙界を分けるかのように白い雲が横になびいている。描き方が似ている浦上玉堂の山(06/11/28)なら足を踏み入れてみようかという気になるが、この濃墨の点々で描かれたパワフルな霊なる山に立ち向かうには相当な覚悟がいる。

“相州名勝図帖”は“公余探勝図巻”の4年後、文晁が34歳のときに描いた絵。富士山が出てくる絵はこれで2枚になった。右の切り立った崖や松は“公余探勝図巻”と同じ調子で表現されている。板橋区立美術館の安村館長は江戸絵画では有名な人だから、秋には谷文晁の絵画が沢山見られそう。今から開幕が待ち遠しい。

“書画の展開”のコーナーと隣の部屋では、英一蝶の“雨宿り図屏風”(拙ブログ05/7/15)とはじめて見る司馬江漢の“護持院ヶ原図”を楽しんだ。そばにいた外人の若い男性は“雨宿り図”が気に入ったらしく、写真を撮っていた。じっとしてない子供が面白かったのだろうか。

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2007.01.08

池大雅の楼閣山水図屏風

621東博の新春平常展には例年いい作品が登場する。

ここは本館の2階と1階にある長方形の形をしたかなり大きなドーナツ型の展示空間を回る感じで、作品を一点々丁寧にみていくと結構疲れる。で、最近は時間配分にメリハリをつけている。

国宝室に飾ってある長谷川等伯の傑作、“松林図屏風”(1/28まで)は何度もみているので今回はパス。隣の部屋の国宝、“十二天像”や“男衾三郎絵巻”も12月にみたのでどんどん通りすぎて、右の池大雅作、“楼閣山水図屏風”(国宝、1/28まで)がある部屋へむかう。

この絵は2年前くらいに観た。“松林図”のような超人気の絵は毎年展示されるが、いい絵は大体2年サイクルででてくる。この絵で目を奪われるのは琳派の絵のような金箔地と文士の衣装の青、赤の鮮やかな対比。一般的な南画では見ない作風である。池大雅の作品は鮮烈な赤がアクセントになっているのが多いが、金地と青、赤の組み合わせはこの絵しかない。

大雅の絵には国宝が3点ある。これは雪舟についで多い。この“楼閣山水図屏風”と
03年にあった“空海と高野山展”(京博)にでてた“山水人物図襖絵・山亭雅会図”(和歌山、遍照光院)、そして与謝蕪村との合作、“十便十宜帖”(拙ブログ05/6/19)。大雅の作品の中に登場する人物はまるく太った体つきで顔が福々しいのが特徴。このおおらかさ、親しみやすさがなんともいい。とくに“十便帖”の中の文士が釣りを楽しんでいる“釣便”がお気に入りで、心からほっとしたいときはこの絵をみることにしている。

1階の近代日本画(2/12まで)にも名作が並んでいる。これも2年ぶりの登場となる菱田春草の大作、“微笑”、横山大観の“松並木”と“雲中富士”、土田麦僊の“明粧”、そして下村観山の“修羅道絵巻”。“明粧”とは10年ぶりに再会した。名古屋であった回顧展でみたときは個人の所有だったが、現在は東博へ寄贈か寄託されたのであろうか。東近美の“舞妓林泉図”と較べると華やかさが薄まり、畳や後ろの襖の白と舞妓の白い顔、扇子が溶け合い、やわらかくて、揺るやかな空気が感じられる舞妓図である。

“修羅道絵巻”は昨年の三渓園で開催された下村観山の回顧展でみたが、ここで対面するのははじめて。三渓園のときは、最後の燃え盛る火の粉の中、仁王立ちする怖い鬼の場面しかみられなかったのに、幸運にも最初の僧が立っているところから最後までみれた。また、浮世絵のコーナーには、太田記念館のギメ美展に展示されていた広重の“冬椿に雀”や宮川長春のお正月にふさわしい“万歳図”などいい絵がいくつもあった。浮世絵の展示は1/14まで。

1回目の平常展はいつものように○ 今年もここへはMy展示部屋の感覚で訪問することにしたい。

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2006.11.28

浦上玉堂の水墨山水画

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千葉市美術館で開催中の“浦上玉堂展”(12/3まで)は出品数が多いので、一ヶ月の会期中、作品がかなり入れ替わる。11/27~12/3にお目当ての作品が集まったので、また出かけた。

一回目のときは“山紅於染図”などをとりあげたが(拙ブログ11/13)、今回の目玉は上の国宝、“東雲篩雪図”(とううんしせつず)。小説家の川端康成が所蔵していたことで有名な絵である。02年、サントリー美術館ではじめてみたあと、同じ企画展が山口県の周南市に巡回したときも広島から2回でかけた。で、4度目の対面となった。

最初にみたとき苦い思い出がある。張り切って観たのはいいが、画面上の雪明りのような明るい部分とか朱の点々、細かい枝の描写ばかりに注意がいき、画面右下に描かれた小さな茅屋とその中にいる高士を見落としてしまった(真ん中の拡大図)。どんよりと曇った空の下、山々に雪が深々と降り注ぐすごく寒そうな情景を感じすぎて、人物まで気が回らなかったのである。

題名の“東雲”は凍てつく雲、“篩雪”は篩(ふるい)をかけたように雪が降るという意味。題名と絵のイメージがぴったりあってるのがこの絵のすごいところ。ほかの絵と違い、画面全体に雲、山、木々が丁寧にきっちり描き込まれている感じで、水墨画ではあるがとても密度の濃い絵という印象を受ける。目線を下から上にあげるにつれて絵のなかに吸い込まれていく。見事な描写だなと思うのは、上のほうの雪が積もった山々では墨で稜線をつくり量感を出しているところ。

“東雲篩雪図”が気持ちがぴりっと引き締まる絵だとすると、下の絵はよく観ると心がざわざわするくらいドキッとする絵。“山潤読易図”という題は、山と潤の間で“易経”を読むということ。易は陰陽二元で天地の万物が生成されると説く。陰と陽は互いに異なる特性を持っているが、お互いに循環、結合、変化し存在する。地が陰であり、天が陽、人間では女が陰で、男が陽。男女の陰陽を絵に持ち込むとこうした“男根山水画”になる。今回出品されている絵の8割方は男女のそれが描きこまれている。これは誰でも気がつく。とくに男性の山は。女性のはあまり目立たないが、山と山の間を流れる滝とか谷はそれである。

なぜ、玉堂がこういう山水画を描いたのか?勝手な解釈を色々考えてみた。玉堂は易の思想で自然を理解していたので、山水の風景になかに男女の凸凹を表現した。陰陽思想を表現するのにマイルドに描かずに、これほど即物的に見せたのは玉堂にはもう現代アーティストの感覚があったからではないか。石原慎太郎の小説“太陽の季節”の“障子破り”と同じ衝動が“男根山水図”を描かせた!?

これは表現者の側からの仮説だが、観る側、つまり玉堂の絵を買った人もこうした見て楽しい絵を求めたのだと思う。この頃、江戸では浮世絵の春画も普通に買われていたから、こういう絵の需要もあったはず。玉堂も生活の為に絵を制作する必要があっただろうから、金持ち商人や村の顔役といった支援者の要望に応えたのだろう。俗世にいる人間は玉堂のように自然に遊び、悟りをひらいたような心境にはなれず、性欲が強く、ガサガサしているのだから。

前衛的なアーティストだった玉堂の絵は歌麿同様、観る者には刺激があったような気がするのだが。。玉堂に本当のことを聞いてみたい。

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2006.11.13

浦上玉堂展

544玉という字のついた日本画家が3人いる。古い順から浦上玉堂、川端玉章、川合玉堂。川合が浦上を慕って玉堂と名乗ったのかどうかは知らない。

最初の玉堂、浦上玉堂の回顧展(千葉市美術館、12/3まで)を見た。出展数230点の大回顧展である。

相当数の作品が会期中、展示替えになる。4期に区分されているが、11/3~19と11/21~12/3の2回足を運べば、ほぼ全点鑑賞できるようになっている。11/21からは代表作中の代表作、国宝“東雲篩雪図”(とううんしせつず)がでてくる。

浦上玉堂(1745~1820)の絵を見る機会はあまりないが、今年は愛知県美で開かれた“江戸絵画展ー木村定三コレクション”(3月)で右の“山紅於染図”(さんこうおせんず、重文)ほか9点にお目にかかった。この回顧展にも同じ8点が出品されている。木村定三というコレクターは重文クラスの玉堂作品を所蔵しているのだから相当の目利き。玉堂の絵をもっているのは木村氏のように個人の趣味人が圧倒的に多い。

玉堂は絵を描いたり、詩を作ったり、琴を自分で製作して弾くなど多芸に秀でた文人だが、50歳までは備前池田家の鴨方支藩に仕える武士だったというから驚き。陰湿ないじめにあって、つい脱藩したくなったのだろうか?備前を出てからは風流人として会津から長崎まで各地を遊歴したという。独学で学んだ絵を買ってくれるパトロンがその土地にいたようだ。

玉堂が描いたのは水墨山水画のみ。いろんなタイプの絵がある。掛軸、小品の画帖、一幅の画面のなかに円形や矩形の独立した山水画を組み合わせたもの、書と扇面画を貼り付けた屏風など。また、書もある。水墨画を描いた気分になるにはこの玉堂の絵を模写するのが一番いいかもしれない。中くらいの太さの黒いサインペンと細い竹ペンを使うと、あまり時間をかけずに木々や山が描けそうである。

池大雅や与謝蕪村の流れをくむ文人画だが、玉堂の絵はかなり前衛的。目の前にある自然をみて心で感じとった風景をのびのびと墨の濃淡・強弱だけで描いており、実景の山河を描いた絵ではない。自分の描きたいような形で描くのだから、西洋の表現主義と同じ絵画表現である。

右の“山紅於染図”はお気に入りの絵。題名の“紅色で染めるよりも山の紅葉はなお赤い”をつい4日前、函館の香雪園にあった紅葉で実感した。目の前の赤に感動しっぱなしだった。応挙や芦雪の山水画には朱色はでてこない。地の白に山肌と木の枝のうすい墨と紅葉の朱と黄色の点々が見事に溶け合い、静寂な美しさを醸し出している。ほかでは構図がいい“山雨染衣図”、“山中結廬図”、彩色画の“山水図”などに魅了された。

この展覧会は“東雲篩雪図”を観るため、もう一回出かけることにしている。そのとき、またとらさんと会うかもしれない。

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2006.06.21

谷文晁の公余探勝図巻

413皇居の三の丸尚蔵館にて公開中の伊藤若冲作、“動植綵絵”の精緻な描写ばかりに目を奪われがちだが、現在、東博平常展(7/2まで)にでている絵にもその細かい技と鮮やかな色使いにグッとくるのがある。

その絵は右の風景画、“公余探勝図巻”(こうよたんしょうずかん、重文)。絵師は谷文晁(1763~1840)。上巻、下巻、二つあり、今回でているのは上巻(04年11月にも上巻が展示された)。“公余探勝図巻”は老中、松平定信の三浦半島、伊豆半島視察に同行した谷文晁が旅の途中の風景を帳面に描きとどめたもので、全部で80図ある。

04年のときと同様、息を殺して、三浦半島の見覚えのある海岸線や田畑の様子、大名行列や地元の人たちが描かれた場面を見た。下田港、手石、石廊崎、妻浦、など。右は下田港とともに見所の図、“石廊崎”(部分)。ほかは見開き2頁に1図が描かれているのに、これだけは4頁を使っている。茶色のごつごつした切り立った岩の描写に驚かされると同時に、岩にうちよせる波をあらわした細かな白い点々にも惹きつけられた。谷文晁は漢画、やまと絵の技術だけでなく、西洋画の描き方も修得しており、ここでは透視遠近法的な空間や陰影による量感表現がみられる。青い海に囲まれ、天にそびえるように屹立する大きな岩の塊の存在感に圧倒され、しばし茫然として見ていた。日本画でこれほどインパクトのある風景画はめったにお目にかかれない。

ほかの町の情景で吸い込まれそうになるのが、田畑の鮮やかな緑や遠くの船や通行人までもきっちり描きこんだ画面構成。いずれの絵も精密に描写している。実はこれが視察の目的だった。定信が三浦・伊豆半島に出かけたの1793年。前年、ロシアの使節が根室に来航し、通商を幕府に要求していた。鎖国以来、こうした事態ははじめてのこと(ペリー来航はこれから60年後)。そのため、外国船の江戸湾侵入を想定し、三浦半島や伊豆半島の地形図を早急につくる必要があったのである。定信の選んだ絵師が家臣でお気に入りだった谷文晁。

ところが、有能すぎるリーダーの悲劇で、定信は三浦・伊豆旅行の直後、老中を解任される。絵が描かれた背景を知ると、下巻を是非みたくなる。どうして出てこないのかわからないが、いつかその理由を聞いてみようと思う。

なお、“公余探勝図巻”以外の作品で感激したのは酒井抱一の“宇治蛍狩図”。東博にこんな大きないい絵があったとは!見てのお楽しみ。隣には曽我蕭白の“山水図”がある。このあたりはたまらない気分。また、1階の“近代美術”のコーナーに名品が並んでいた。初代宮川香山の大瓶(重文)が絶品。安田靫彦の“夢殿”、今村紫紅の“熱国之巻”(重文)、横山大観の“柳蔭”は何度見ても感激する。これらの展示は7/17まで。

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2006.04.08

木村定三コレクションの与謝蕪村

355京博の“18世紀京都画壇展”をみたあと、名古屋に寄り、愛知県立美術館で開かれている“江戸絵画展”(5/21まで)を楽しんだ。

コレクター、木村定三氏(1913~2003)が集めた質の高い江戸絵画をはじめて公開するというチラシのキャッチコピーがだいぶ前から頭の中を占領するようになったので、愛知県美を訪問してみた。

出品数は116点と結構ある。鑑賞を楽しくさせてくれたのはここにも“京都画壇展”
にでてた若冲(3点)、蕭白(1点)、芦雪(2点)、呉春(4点)、蕪村(6点)があった
こと。また、日ごろからもっと数をこなしたいと願っている英一蝶(4点)、白隠(6点)、
仙厓(5点)、浦上玉堂(9点)にいい絵があり、江戸琳派の酒井抱一と鈴木其一
にも出会ったので、見終わったあとは満ち足りた気分になった。

そのなかで新鮮だったのが若冲のはじめてみるタイプの絵、“六歌仙図”。ユーモラ
スな戯画で、六歌仙が田楽を焼き、酒の肴にしている様子が描かれている。見慣れ
た太った鶴の絵が隣にあったが、若冲は人間もコミカルにしている。人が笑ってい
る絵なら仙厓が一番。大きく口を開けて痛快に笑う和尚や子供の絵をみてると、こち
らもわけも分からずに笑ってしまいそうになる。白隠の絵も笑いを誘う。“寿”の入った
袋の口をもって嬉しそうな顔をしている布袋の絵や手の異様に長い猿が掛け軸に
筆書きしている“吉田猿猴図”も面白い。英一蝶の絵に鶴がでてくるいいのがあった。
陽をさえぎるため、鶴がデザインされた日傘を朝顔のなかに立てかけている構図
が洒落ている。

今回一番見たかったのが右の蕪村作、“富嶽列松図”。蕪村が晩年に制作したこの絵
は“夜色楼台図”、“峨嵋露頂図”とともに“横物三部作”(いずれも重文)とよばれて
いる。深山幽谷の中国的な山水を縦長の掛軸にかいた作品とは対照的に、これらは
極めて横長の画面を使った絵。チラシでみて横長の画面と雪を抱いた富士山の輝く白
に強く惹きつけられたが、予想以上の傑作だった。手前に筍のような太い幹をした松
がのびやかな濃い墨線で描かれており、そのむこうに見える端正なフォルムの富士山
が心を揺すぶる。日本人の情感を刺激するこの絵に会ったことは一生の思い出に
なるかもしれない。

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2005.06.19

与謝蕪村

98本日の新日曜美術館は与謝蕪村であった。どこかで蕪村展をやってるのかと最後のコメントに注目していたが、回顧展の情報はなかった。

蕪村の展覧会はこれまで一回しかみたことがない。02年に出光美術館の“大雅と蕪村展”で山水図屏風(重文)を鑑賞したのみ。いまではこの絵の印象も薄くなっている。

蕪村の絵で一番の思い出は“十便十宜帖”(国宝)。この絵は02年サントリー
美術館で開催された“川端康成が愛した美の世界展”に、浦上玉堂が
描いた水墨画の傑作“凍雲篩雪図”(とううんしせつず、国宝)とともに目玉の
作品として出品された。これは画帖なので、一点を数日間展示し、期間中に
10点全部みせる方法をとっていた。そのため、当日の展示は十便を一点、
十宜を一点のみ。十便の絵は一番見たかった“釣便”ではなかったので、消化
不良の感が強かった。が、ラッキーなことに翌年山口県の徳山市美術博物館
でこの展覧会が開かれたので、広島から2回かけつけ、念願の“釣便”や十宜
のいい絵をみた。

この十便十宜帖は池大雅が十便を、与謝蕪村が十宜を描いている。二人の
画家は面識はあったが、とくに親しかったというわけではないらしい。依頼者に
応じて別々に描き、一組の作品となっている。画題は中国の明から清にかけて
の文人、李笠翁(りりゅうおう)が作った“十便十二宜詩”。別荘での暮らしは
都会より便利だとうたう“十便”と、四季折々、刻々と変わる自然の素晴らし
さ=宜しきことをうたう“十二宜”の詩の意味を理解し、それぞれの持ち味を生かし、
絵にしている。昭和25年、川端康成がこの絵を手に入れ、現在は鎌倉の
川端康成記念会の所蔵。

右の絵は蕪村の十宜のなかの“宜暁”(あかつきがよろし)ー水辺にある家は
夜があけたことがすぐわかる。朝日が池に反射し、白壁に美しい波紋を映し出す
から。白壁の波紋が陽炎のようにゆらゆら揺れているように見えたのが強く印象
に残っている。蕪村の光の表現は鋭い。

これから蕪村の絵で見てみたいのは番組でも紹介されていた“鳶鴉図”(京都、
北村美術館、重文)と最高傑作と言われる“夜色楼台図”(個人蔵、重文)。
とくに、雪につつまれた京都の町並みを描いた夜色楼台図(やしょくろうだいず)
と対面できる日を首を長くして待っている。

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2004.11.25

ウェブログ事始、東博通常展

はじめまして、いづつやと申します。PCに精通してないのに大胆に
もココログをスタートさせました。徐々に改善し、笑われないように
体裁を整えたいと思います。
よろしくお願いします。画像情報も入れられるようがんばります。
波長の合う人と楽しくおつき合いができればいいのですが。。

美術館めぐりをもう20年も続けている。23日は東博の通常展と
大田区の川端龍子記念館にとなりのお方と行ってきた。
入場料は東博が420円、龍子が200円。こんな安い料金で凄い絵
をみせてもらった。

東博は日本ギャラリーをリニューアルして以来、所蔵品の名品を
オールキャストで展示している。これを見逃す手はない。
23日からの展示で一番の狙いは与謝蕪村の“山野行楽図屏風”と
谷文ちょうの“公余探勝図巻”。ともに重文。

蕪村の絵はおおらかでユーモラス、図録ではこれがわからない。
リラックスしてゆったり絵を鑑賞できるのがいい。南画の真骨頂か。
公余探勝図巻。これは松平定信が相模伊豆の海岸を巡見したとき、
お供で行った谷文ちょうが下田港や石廊崎などを描いた巻物。
よく細部まで描けていて魅力充分。緑青が鮮やかにでている田園
風景や切り立った岩に打ち寄せる波を実にリアルに表現している。
今回の展示は下巻のみ。上巻がみたくなった。

近代日本画では前田青邨のいい絵があった。神輿振(みこしぶり)
はじめてみる巻物。僧兵が橋をわたり町をとおり神輿を運んでいる。
これを大勢の人が見物している。俯瞰の構図がいい。
喧騒の感じが伝わってくる。また、青邨流のたらし込みを幾箇所に
使い、琳派の装飾性をだしている。やはり青邨は巨匠だ。

それにしても東博は青邨の名画をいくつも持っている。
1ヶ月くらい前にも“唐獅子”をみた。東博通常展の常連になりそう。

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