2008.05.19

名古屋市美術館のモディリアーニ展

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現在、名古屋市美術館で行われている“モディリアーニ展”(4/5~6/1)を存分に楽しんだ。感想を書く前にまず、名古屋のあと巡回する美術館のことにふれておきたい。
★姫路市立美術館:6/8~8/3
★岩手県立美術館:8/12~10/5

名古屋市美術館が開館20周年を記念する企画展にモディリアーニの回顧展を選んだのはわかりすぎるくらいわかる。なにしろここにある“おさげ髪の少女”(下の画像)は代表作のひとつに数えられる名作。だから、館の目玉作品として常日頃展示しているこの少女に感謝をこめて、世界中から名作のお仲間を集めてきたのだろう。作品は油彩30点、水彩・素描30点。少女もさぞかし満足しているにちがいない。

日本で西洋画家の一級の回顧展を開催するのは容易なことではない。国立西洋美術館とは美術館の規模がちがう名古屋市美が世界的に名の通ったモディリアーニの作品をこれほど多く集めてきたのはもう大快挙!拍手々。

上は追っかけていた“髪をほどいた横たわる裸婦”。これを所蔵しているのは大阪市近美準備室。大阪市近美はなかなかできずお気の毒だが、準備室がこれまで購入した西洋画の質はびっくりするほど高い。この裸婦も自慢の作品。画集に載っている代表的な裸婦図を見較べてみて、見たい度NO.1はこれとミラノの個人蔵となっている“バラ色の裸婦”。

その絵が目の前にあるのだから、体が熱くなる。大きな目をした女はティツィアーノの“ウルビーノのヴィーナス”(拙ブログ4/11)と同じポーズをして、こちらをじっと見つめている。息を呑んでみた。隣のアントワープ王立美からやってきた“座る裸婦”がまたすばらしい。その目の迫力は“横たわる裸婦”と変わらない。

着衣画で心を打つのが気の強そうな性格がすごく伝わってくる“アルマイサ(アルジェリアの女)”(ルートヴィッヒ美)、真ん中の“召使いの少女”(オルブライト=ノックス美)、そして下の“おさげ髪の少女”。“召使いの少女”は作品中一番大きな絵で、縦1.53mある。目に瞳が描いてない女性は退屈な気持ちになり、絵に引き込まれないが、この少女は瞳がなくてもぐっと向かい会える感じ。これは目が大きく描かれているから。

豊富な資金と高い鑑識眼をもったアメリカ人コレクターが集めたモディリアーニの名作が現在、シカゴ、ワシントンナショナルギャラリー、メトロポリタン、オルブライト=ノックス、MoMA、グッゲンハイムなどにおさまっている。その名作のひとつが楽しめるのだから、これほど嬉しいことはない。

名古屋に住んでいたとき見たことのある“おさげ髪の少女”と再会したのも感慨深い。半開きの口から白い歯がみえる少女の顔が実に生き生きしている。髪の毛、椅子の背、後ろのドアに使われた茶色と肌の色、衣服の赤の配色がいい感じで、見ててとても愛着を覚える。

ここでとりあげた作品以外にも魅了されるのがいくつもある。満足度200%のすばらしい回顧展だった。名古屋市美に感謝!

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2008.04.07

国立新美術館のモディリアーニ展

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アメリカの美術館めぐりで使った名画必見リストに入れていたモディリアーニの作品は3点。ルノワールやドガなどほかの画家に比べると少ない。が、お目にかかれたのは昨日紹介したシカゴ美蔵の“ジャック・リプシッツ夫妻”1点のみだった。一番みたかったワシントン・ナショナル・ギャラリー所蔵で画集に載っている“赤子を抱くジプシー女”とシカゴの“ポンパドゥール夫人”はなかったし、一度みたことのあるメトロポリタンの“ホアン・グリス”も展示されてなかった。

ひょっとすると、国立新美術館で行われる“モディリアーニ展”(3/26~6/9)に貸し出されるからお休みなの?この回顧展は国内では過去最大規模という情報がインプットされていたから、勝手に想像を膨らましてしまった。これがそもそもの大間違い。日本に帰って早速出かけたが、想像していた質の高い作品はあまりなくがっかりした!

最大規模というから、パリのポンピドー、あるいはNYのMoMA、グッゲンハイムの所蔵とか個人蔵で画集に載っている名作が2,3点でてくるかなと期待する。が、海外からの作品はあることはあるがいまひとつグッとこない。油彩61点、素描94点の大半が個人蔵。これも多くは日本にあるものだろう。素描はさらっとみるだけで油彩に期待してどんどん進んだら、極めつきの目玉作品に遭遇することなく出口付近まできた。

“ええー、これくらいのものしかないの?!しかも、1年前、Bunkamuraであったモディリアーニと妻ジャンヌの物語展に出品されたものがいっぱいあるじゃない!!”。ずばり、昨年Bunkamuraの展覧会をみられた方は行かないほうがいい。展示されている作品の質はアベレージをすこし上回っているから、展覧会自体にダメだしをするつもりはないが、よその美術館で1年前に展示した作品をまたごそっと飾るというのはどういう神経をしているのだろうか?国立と名のつく美術館がやることではない。

厳しいコメントはこれくらいにして、Bunkamuraへ出かけられなかった人のために、作品の情報をいくつか。初見でお気に入りの作品は上のモディリアーニ様式の原点のような彫刻っぽい“大きな赤い胸像”、下の大きな目が可愛い“若い娘の肖像”。再会したもので魅せられるのはアサヒビールの大山崎山荘美術館でみた“少女の肖像”、Bunkamuraに出ていた“赤毛の若い娘(ジャンヌ・エピュテルヌ)”、本人の雰囲気をよくとらえている“ジャイム・スーチン”、赤い頬と背景のこげ茶色が印象深い“女の肖像”、“肩をあらわにしたジャンヌ・エピュテルヌ”(拙ブログ07/4/17)。

チラシに使われている横向きの“ジャンヌ・エピュテルヌ”は意外と小さな絵で、それほど感激しなかった。今回国内にあるモディリアーニのいい作品はかなりここへ集まっていると思うが、残念なことに名古屋に住んでいたとき市立美術館でみた“おさげ髪の少女”は出品されなかった。ここにあるのと“少女”を較べてみると、国内では“少女”が一番いいように思えてきた。いつか再会したい。

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2007.12.12

青山ユニマット美術館のシャガール

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どこかの美術館に置いてあったチラシに誘われて青山ユニマット美術館を訪れた。ここは半年前、はじめて行ったところ。平常展示と企画展の2本だけになっており、現在は印象派の作品が特別展示されている(10/16~08/4/20)。チラシにあったルノワールの“授乳する母親”(1886)を見るため、早足で2階まで降りた。

が、画集TASHENで見たイメージと異なっていた。ルノワールは1886年に妻のアリーヌが長男のピエールに乳を飲ませるところを何点か描いている。本に載っている米国のセント・ピーターズ・バーグにあるファイン・アーツ美術館蔵もここの作品と同じかどうかはわからないが、ずいぶん薄い色調である。期待したルノワールの明るい色ではなかった。

画集にでている作品をこの美術館はもっているのかと色めきたったが、ブリジストン、ポーラ、山形美にあるものと較べると半分の感動しか得られなかった。印象派の巨匠の絵といっても全部が全部、心にヒットするわけではないから、こういう不完全燃焼の鑑賞もある。この絵は忘れて、来年Bunkamuraで開催される“ルノワール+ルノワール展”(2/2~5/6)にオルセーからやってくる“田舎のダンス”(1883)に期待しよう。これは200%楽しませてくれる真打中の真打。

一緒にでているモネ、セザンヌ、ドガの作品は足が止まるほどではなかった。ということで、今回は上の階にある常設展示の作品でOKとした。上はシャガールの初期の作品、“酒飲み”(1911)。下はここの絵ではなく、群馬県立近代美術館が所蔵している“世界の外のどこへでも”(1915)。

見るとわかるように2つの絵には宙を飛ぶ首や二つにカットされた顔がみえる。シュールな絵を見るのが絵画を見る楽しみのひとつだから、体はすぐ反応する。“世界の外のどこへでも”とくらべ緊張を強いられるのが“酒飲み”。明るい黄色と赤の対比が目を惹き、透明感のある画面なのに、男が手に鋭利なナイフを持ち、横向きの頭の目が正面を見ているので、不思議なシュールさに遊ぶというよりはこの酔っ払いの狂気性に体は引き気味。

隣に飾ってある館自慢の“ブルーコンサート”(拙ブログ07/6/17)は日本にあるシャガールの作品ではトップクラスの名画。これを目に焼きつけたから、ここの鑑賞はひとまず終わり。

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2007.08.03

秘蔵の名品 アートコレクション展 その二

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過去3回のアートコレクション展で大きな満足が得られたのは西洋絵画ではなく、日本画のほう。だから、今回も鏑木清方の“雨月物語”が見れれば、あとの作品はオマケでそれほど期待してなかった。

ところが、最初の西洋絵画(43点)にびっくりするようないい絵が4,5点あった。思わず、“ビッグネーム画家のこんないい絵が日本にあったの?!やはり日本は美術大国だな”と心のなかでつぶやいた。この展覧会はいつも図録はつくらず、300円の小さな図版入りのパンフレットを販売している。ここにサプライズの絵が全部載ってないので、一部しか画像をお見せできない。

上はチラシに使われているモディリアーニの“ポール・アレクサンドル博士の肖像”。昨年あたりからモディリアーニの作品によく出会う。女でも男でもアーモンド形の目した瞳がないあのモディリアーニ独特の人物像ばかり。この男性肖像画は体が細長い点はいつもの調子だが、顔はデフォルメされてなく、ごく普通の人物像。チラッとみえるうす青の袖と襟がアクセントとなって黒衣装を引き立て、立派な髭をたくわえた赤い顔には威厳が感じられる。

この絵以上にサプライズなのが藤田嗣治の“猫の教室”(個人蔵)。隣に飾ってある“力士と病児”(大日本印刷蔵)は昨年あった大回顧展(東近美)でみたが、これはなかった。教室の床や机の木肌の質感表現に驚かされるとともに、表情豊かにそして、ユーモアたっぷりに描かれた先生猫や生徒猫に釘付けになる。

生徒たちはちょっとすました顔の先生の話は聞いてなく、でれっとした猫もいれば、意地悪そうな目をした猫もいる。鳥獣戯画を連想させるこの魅力的な絵に遭遇したのは大きな喜びである。こんないい絵を個人が持っていて、回顧展にもでてこない。展覧会の名前の通り、まさに秘蔵の名品。見てのお楽しみ!

サプライズはまだ続く。シャガールの大きな絵“緑の太陽”にKOされた。シャガールが人生の後半に制作したものは日本の美術館もたくさん持っているが、絵の魅力はそれほど高くない。が、1968~71年に描かれたこの絵は太陽の緑、背景の橙色、馬に乗る女の赤と白の衣装など強い色調が鮮やかで、対象も細部までしっかり描かれている。これも千葉市美術館であったシャガール展に登場しなかった。一体誰が所蔵しているのだろうか?

日本人画家の洋画部門(36点)では、下の佐伯祐三の“パレットを持つ自画像”や萩須高徳の“リオン風景”、北村民次の“女医”に魅了された。佐伯祐三がこんなに惹きつけられる自画像を描いていたとは!今年のアートコレクション展は3つの部門がそれぞれ輝いていた。忘れられない鑑賞体験になりそう。

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2007.07.27

横浜そごうのキスリング展

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エコール・ド・パリ派の画家で展覧会がよく開かれるのはなんといってもシャガール。断トツに多い。これに較べるとキスリング(1891~1953)の回顧展はお目にかかったことがないから、昨日から横浜そごうではじまった“キスリング展”(8/26まで)は興味深々といったところ。

今回の作品62点はスイスのジュネーブにあるプティ・パレ美術館のコレクションが中心になっている。関心の的はどのあたりからあのキスリング独特の女性像になるのかという点。初期の作品はぱっとみるとセザンヌ風の静物画や風景画が多い。マチスの香りのする“赤い長椅子に横たわる裸婦”もある。

キスリングの作風というと、花びらを赤や黄色などで輝くばかりに描き、絵肌がつるつるした花の絵と女性画をすぐ思い浮かべるが、心が傾くのは女性画のほう。今回衣装姿の女性が14点、裸婦図が5点ある。このなかでお気に入りは上の“赤いセーターと青いスカーフを纏ったモンパルナスのキキ”と下の“スウェーデンの少女、イングリッド”。

イングリッドの目はあまり大きくないが、キキをはじめキスリングの描く女性の目は大きいのが特徴。肌の白い人は赤の服が似合うというが、モンパルナスに集まる画家たちに愛されたモデル、キキはこの絵に描かれたように色白の女だったのだろう。短くカットされた前髪、白い顔と首は透明感があり、つるつるしたマチエールだが、青いスカーフの模様や赤のセーターの色調はうすい感じ。

キキの背中の真ん中が丁度壁の角になっており、うすグレーと影のできたこげ茶色の色面が奥行きのある空間をつくり、キキの姿を引き立てている。図録で長いこと眺めていた“モンマルトルのキキ”に会えて最高の気分。早速My好きな女性画へ登録した。

下の“イングリッド”もすばらしい絵。金髪の質感と大きな白い襟と袖に釘付けになった。そしてこの絵の白以上に圧倒されるのが高さ1.9mもある大きな絵、“女優エディット・メラの肖像”。細かな刺繍模様のはいった見事な白の衣装に身を包んだ女優の顔はちょっと黒柳徹子に似ている。

そして、どうやってこんな名画を手に入れたのかとびっくりするのが大阪市立近代美術館準備室蔵の“オランダ娘”。見てのお楽しみ。また、女性ではないが、大変魅せられるのが女の子と見まがう“ブロンドの少年”。寂しげに遠くをみつめる瞳が心を揺すぶる。

25年前、ジュネーブに住んでいた頃はまだ絵画に現在のようにのめり込んでいなかったから、プティ・パレ美術館に足を運ぶことがなかった。ここにある一級のキスリングコレクションと対面できたのは一生の思い出である。

なお、この展覧会はこのあと次の美術館を巡回する。
・北九州市立美術館:9/1~10/8
・府中市美術館:10/13~11/18
・名古屋松坂屋美術館:11/23~12/24

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2007.06.19

千葉市美術館のシャガール展

890千葉市美術館で6/16からはじまった“シャガール展”(7/29まで)へのワクワク度は前回の“鳥居清長展”と違って普通。

チラシをみると、国内にあるシャガールが中心の回顧展である。

過去あったポンピドーセンター所蔵展などにも国内の美術館や個人が所蔵する名画が展示されたから、今回は初見のいい絵にどれくらい会えるかで満足or消化不良が決まる。

残念ながらぐぐっとくるような新発見はなかったが、52点ある作品に対するトータルの満足度は決して低くない。国内にあるAクラスの作品が目いっぱい集まっており、シャガール芸術を初期の頃から後年までの油彩、リトグラフにより楽しむことができる。

右の絵は昨年、青森県立美術館であったシャガール展(拙ブログ06/9/23)でお目にかかりとても感激した“軽業師”。チラシには代表作のひとつとあるが、その通りの名画である。いまひとつわからないのは、この絵の所有者。図録には個人蔵(ザザビーズ協力)となっているが、このザザビーズ協力の意味は?国内の個人が持っているのだろうか?

代表作、例えば“私と村”(NY、MoMA)とか“ワイングラスをもった二人の肖像”(ポンピドーセンター)などの多くはシャガールが24歳から30歳のころに制作されている。今回、“軽業師”とともに再会したかった群馬県近美蔵の“世界の外へどこへでも”もこの時期の作品。“軽業師”が描かれたのはシャガールと最愛の妻、ベラがアメリカにいた
1943年。シャガール56歳のときである。ほかのどの絵よりも色が鮮やかで、後年になるとみられる粗っぽい描写ではなく、おきまりのモティーフがひとつ々丁寧に描かれ、真ん中の鶏人間のまわりに上手く配置されている。

シャガールの描き方でシュールというか面白い発想なのが、体の一部にまた対象を描くこと。ここでは緑色の胴体に同じ緑色でバイオリン弾きを小さく挿入している。こういうのは普通の頭ではななか思いつかない。で、ほかの作品ではどんなのが見られるかチェックしてみると、リトグラフの“サーカス”にいろいろあった。同じく鳥人間の膝小僧のところに人間の頭が入っていたり、女の大きな顔の目に下あたりに三日月が浮かんでいたり、小牛を抱いた男が歩いていたりする。

“世界の外へどこへでも”のように、女の顔が鼻あたりで真っ二つに切られ、赤く彩色された上半分が宙に浮かぶというのはシュルレアリスムの影響。また、“サーカス”にふんだんにでてくる牛の頭と女の顔をくっつけたり、顔の左右半分を二人の人間で共有させる描き方はキュビスムからの刺激であろう。

この展覧会は今年の2月宇都宮美術館、4月三重県美でも行われているが、このどちらかに出品された“エッフェル塔と新婚の二人”(1928、ベネッセコーポレーション)にお目にかかりたかった。でも、全部消化してしまうと、展覧会に行く動機づけがなくなるから、見てない作品をすこし残しておくほうがいいかもしれない。

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2007.06.17

青山ユニマット美術館のエコール・ド・パリコレクションとワイエス

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はじめての美術館というのは一抹の不安がつきまとう。所蔵作品に関する情報が全くないので、ここを訪れた友人の眼力を信じるしかない。地下鉄銀座線外苑前で下車して徒歩5分くらいのところにある青山ユニマット美術館は“サプライズの美術館だ!”という。どうでもいい話しだが、コンタクトをしている人間にとって風の強い日ほど嫌な日はない。目の中に小さなゴミが入り泣き泣き男になるのを避けるため、目を細くして、美術館の入り口をめざした。

まず、4階に上がり、そこから3階、2階の展示室に降りていくという導線になっている。常設展示の4、3階は“シャガールとエコール・ド・パリコレクション”。年2,3回ある企画展をおこなう2階では、現在“アンドリュー・ワイエス展”(3/20~10/2)を開催中。4階に飾ってあるのは全部、シャガールの作品(18点)。

日本にはシャガール好きのコレクターが多いが、ここのオーナーもその一人なのであろう。なかでも群を抜いていいのが上の“ブルーコンサート”。シャガールの特徴である幻想的な画風を構成するモティーフと鮮やかな色彩に溢れている。柔和な感じの女性の白い顔がまず、目に飛びこんでくる。緑色のバイオリンを弾く手のそばには定番の鶏がおり、後ろでは羊がラッパを吹いている。画面左には白ずくめの超細い花嫁が宙を舞い、その下にいるのは逆立ちした子供。赤い衣装を着て、小さなシンバルをたたいている。これは国内にあるシャガールでは最上位にはいる絵ではなかろうか。

3階はエコール・ド・パリの画家やピカソらの作品(35点)。ここにはサプライズ!がありました、ありました。ドンゲンの“女性像”に思わず、“オー!”と唸った。パーティ会場に姿を現したら周囲の視線を一身に集めるのではないかと思わせるノーブルな容姿にクラクラ。早速My好きな女性画に登録した。ミロの後年の作品2点もなかなかいい。画面の大半を占める黒とアクションペインティング風に散らされた赤、緑、黄色の点々がつくる抽象的な構成が美しい絵画空間になっている。裸婦の肌の色がまぶしいキスリングの“長椅子の裸婦”とローランサンの“チューリップと女性”にも吸い込まれそうになる。予想を大きく上回るサプライズだった。

“アンドリュー・ワイエス展”には期待してた人物画(福島県立美蔵、拙ブログ4/18)はなく、人間がでてこない風景画ばかりだった(15点)。感激の一枚は下の“オープンハウス”。下からちょっと高いところにある木造の家と馬を描いたワイエスらしい絵である。家の側面に使われた横板の質感やまわりの草や馬の毛並みの精緻な描写が心を揺すぶる。また、雪景色のなかに犬やカラスを描いた静謐な風景画にも足が止まる。

最近、ロシア人画家(シーシキン、ポポフなど)、森本草介、ワイエスらが描くリアリズム絵画に魅了されることが多い。あらたな楽しみにミューズが導いてくれてるのだろう。

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2007.04.17

モディリアーニと妻ジャンヌの物語展

801Bunkamuraで行われている“モディリアーニと妻ジャンヌの物語展”(6/3まで)は二人の愛の悲しい結末を知っている者にとって、興味をそそられる展覧会ではなかろうか。

モディリアーニの絵を沢山観ているわけではないが、画家の人生については有名な伝記映画“モンパルナスの灯”
(1958)でおおよそ頭の中に入っている。

衝撃的なのはモディリアーニが亡くなって、2日後にジャンヌも両親の住むアパートの6階から飛び降り自殺をしてしまうこと。芸術家はあまたいるが、ロミオとジュリエットみたいに人生の幕を降ろしたのはこの二人のほかにいない。

モディリアーニの回顧展と期待していたが、これは肩透かしをくらった。ジャンヌのデッサンとか油彩がモディリアーニの作品と同じくらいある。ジャンヌの絵をみるのが目的ではないから、これはパスしてモディリアーニの油彩(16点)を中心にみた。数の予想はこの倍。でも、これほど多くまとまった形でみるのははじめてなので、目に力が入った。

昨年ここでみたモディリアーニ作品より、今回のほうが満足度は高い。お気に入りは“ベアトリス・ヘイスティングス”、“婦人像”、“女性の肖像”、“珊瑚の首飾りの女性”、“赤毛の若い娘”、右の“肩をあらわにしたジャンヌ・エビュテルヌの肖像”。

チラシに使われている“大きな帽子を被ったジャンヌ・エビュテルヌ”はモディリアーニの女性像を象徴する文化記号だが、うりざね顔と瞳の無い目の造形的な特徴が上半身のため生かしきれてない。もうひとつの手があり、腰のあたりまで描かれていたらすごくいい絵になるのだが。

この絵と較べるとじっと見ていたくなるのが黒い衣装に赤茶色の顔と手が映える“女性の肖像”。そして、青白い肌が画面の多くを占める右のジャンヌの絵もとても魅力的。男でも女でも、目に瞳が入っていると、その人物に近づきやすくなる。黒い瞳のジャンヌを描いた“赤毛の若い娘”に対し、こちらのほうが顔も丸みをおびて、画面全体が柔らかく、美しいジャンヌに仕上がっている。

現在、国立新美術館で開催中の“異邦人たちのパリ展”(5/7まで)に展示されている“デディーの肖像”は期待値を下回ったが、今回のモディリアーニは昨年みたクリーブランド美展の“女の肖像”(拙ブログ06/10/3)同様、見てていい気持ちになった。数がもっとあれば言うこと無いのだが、作品が世界中に分散していることを思えば、質の揃ったコレクションを見れたのは幸運なことかもしれない。

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2007.02.09

国立新美術館の異邦人たちのパリ展 その一

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六本木に新しくオープンした国立新美術館へ出かけた。国内で最大級の展示スペースをもつアートセンターというふれこみなので、開催中の2つの展覧会を時間をかけてみて、体力に余力があればほかの美術館を回るということにした。

地下鉄千代田線の乃木坂駅からだと美術館に直結しているから、歩かない分便利。だが、建物の後ろ側から入る格好なので、黒川紀章が設計したユニークな曲面のファサードは見ないまま展示会場に入ることになる。ガラス張りの建築の中は外光がよくはいり、とても明るい。2階で行われているのが2/7からはじまった“ポンピドー・センター所蔵作品展 異邦人たちのパリ1900ー2005”(5/7まで)。1階の展示会場は全部1/21に開幕した“20世紀美術探検”(3/19まで)の出品作で埋め尽くされている。2つの展覧会は別の企画なのでそれぞれ観覧料がいる。

今回のポンピドーセンター展は果たして、有名な作品が大量にやってきて大人気だった97年の“ポンピドーコレクション展”(都現代美術館)と同じくらいの質が期待できるのか?胸の高まりを抑えて会場に足を踏み入れた。観客は続々と入ってくるが、スペースがたっぷりあるから鑑賞は非常にスムーズ。作品をゆったりとじっくり見られるので、申し分ない。

展示されているのは旺盛な創作意欲と夢をもってパリにやってきた外国人芸術家の作品200点(1900-2005)。だから、フランス人のマティス、ブラマンク、ブラック、レジェ、デュシャン、ルオー、デュビュッフェらの絵はない。芸術の都には世界各国から才能ある画家やアーティストが集まったから、これまで縁のなかった作家や作品がいくつもでてくる。中には響かないのもあるが、興奮するような発見の方が断然多く、刺激に富む作品群だった。

ビッグネームの画家では、ピカソに較べるとシャガールのほうがいい。もっとも4点は全部02年の“シャガール展”(東京都美)にでていた。上の“エッフェル塔の夫婦”は好み度では“ロシアとロバとその他のものに”や“盃をかかげる二重肖像”(今回は出品なし)より下がるが、シャガールのお馴染みのモティーフが幻想的に表現されたとてもいい絵である。不思議でならないのが画面中央、紫の服を着たシャガールと白いウエディングドレスのベラの横にいる大きな鶏。鶏の腰あたりにはバイオリンを弾く少年がいて、前に逆さの天使が蝋燭をもっている。対象が逆さになったり、人間やロバが横になったり斜めに飛んだり、シャガールの絵は夢と幻想に満ち溢れている。

チラシをみて是非とも対面したいと思っていたモディリアーニの女性肖像画“デディーの肖像”は普通の黒目には惹くつけられたが、背景の処理や黒の衣装の描写がすこし粗いので、それほど感激しなかった。これよりドンゲンの大作裸婦像、“スペインのショール”や赤のショールが目にまぶしいキスリングの“若いポーランド人”に魅せられた。ドンゲンの絵の鑑賞が増えるたびに、ますますファンになっていく。昨年の大回顧展で沢山の作品が体の中に入った藤田嗣治の4点にも足が止まる。“カフェ”にては回顧展でも2点見たが、別ヴァージョンがポンピドーコレクションにあった。3点で全部、ほかにもあるのだろうか?

下のド・スタールの“ミュージシャン、シドニー・ベシェの思い出”はお気に入りの作品。これは97年のときでていたので嬉しい再会となった。縦方向の赤や黄色、青の明るい色面に目を奪われる。音楽家たちの演奏する楽器の音色や軽快なリズムにあわせて体が自然に揺れてくる。日本の美術館でド・スタール(ロシア人)の絵をみたのは福岡市美術館にある“黄と緑の長方形”。厚塗りの絵具で描かれた黄色と緑の四角が心地よいフォルムとなって画面に繰り返されていた。モザイク的な色面が生き生きとしていて、具象が感じられる抽象画である。いっぺんにこの画家の虜になった。

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2006.10.03

クリーブランド美術館展のモディリアーニ

495森アーツセンター(六本木ヒルズ森タワー52F)で開催中の“クリーブランド美術館展”(11/26まで)を見逃さずにすんだのはアイレさんが集められた展覧会情報のお陰。感謝々である。

森アーツセンターのHPは定点チェックしてないので、アイレさんのブログでこれを知ったときは“へえー、クリーブランド美が来るのか!迂闊だったなあー。これは有難い”と素直に喜んだ。

クリーブランド美の所蔵品を承知しているわけではないのに、気持ちがざわざわしたのはこの美術館が04年にあった“マティス展”に出品されたマティスの画集に載ってるくらいの名画、“エトルリアの壺のある室内”を所蔵してたことを覚えていたから。この絵があるのなら、ここはほかにもいい絵を持っているのではと期待してもおかしくない。その後入手したチラシに載ってるルノアールの絵をみて、ますます期待がふくらんだ。が、はじめての美術館だから安心はできない。いいのはルノアールの絵だけだったということもある。まあ、ルノワールが好きなのでこれでもいいのだが。

で、期待4割、不安6割で入館した。展覧会のサブ・タイトルは“女性美の肖像”とある。だから、出品作(絵画、彫刻)60点は女性をモデルにした作品が多い。メインディッシュはちょっとおいて前菜から。風景画では、モネの“アンティーブの庭師の家”はとびっきりいいというわけではないが、モネらしく太陽の光がまばゆいほどに輝いている。ちょっと離れて見ると心がやすまる。セザンヌの“小川”は画集にある代表作と較べるとアベレージの作品。

2点あるゴッホの“サン・レミのポプラ”、“大きなプラタナスの木”も色の調子が弱い感じ。ゴッホの絵としては可といったところ。驚いたのはここにセガンティーニの絵、“松の木”があったこと。牛や人物が出てこない風景画ははじめてお目にかかった。モダン・パラダイス展でみた大原美の“アルプスの真昼”と画面構成は異なるが、松やまわりの草木の葉を緑で一本々こまかいタッチで描く表現方法に変わりない。

テーマの女性美の競演ぶりはどうか。魅了されたのは、ラトゥールの“マリー=ヨランド・ド・フィッツ=ジェームス”、ルノワールの“ロメーヌ・ラコー”と“リンゴ売り”、右のモディリアーニの“女の肖像”、ティソの“7月、肖像画の見本”。

ラトゥールとルノワールの“ロメーヌ・ラコー”は雰囲気が似ている。“ロメーヌ・ラコー”はとても綺麗でいい肖像画なのだが、おとなしそうだなという印象が強すぎて、これをずっと見ていたいという気にならなかった。白が多く使われているからだろうか。チラシをみたときはこの絵をMy好きな女性画に登録しようとおもったのだが、これをはずし、代わって今回一番の収穫だったモディリアーニの“女の肖像”を入れることにした。

この絵に200%KOされた。理由は目と背景の茶褐色に浮き立っている肌。このモデルの目はいつもの単なる切れ目ではなく、写実的に描かれている。モディリアーニが描く像は裸婦でも肖像でも、様式化されているので、色も自然な色ではない。よく見る目の色は黒一色であったり、Bunkamuraで開催中の展覧会にでている“母と子”のような緑目。Bunkamuraでもモディリアーニの作品を12点ばかりみたが、この絵のほうがぐっとくる。緑の目をしたうりざね顔の女性には近づきたくないが、この女性なら“どう、元気?”とそばに座って話したくなる。この絵に会えただけでもこの展覧会へ足を運んだ甲斐があった。

9/20の朝日新聞に来年2月、国立新美術館で行われる“ポンピドーセンター名品展”のことが紹介されており、モディリアーニの“デディーの肖像”が使われていた。よく見ると、この絵に描かれた女性の顔が“女の肖像”と同じタイプ。開幕が楽しみになってきた。

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2006.09.23

青森県立美術館のシャガール展

4777/13に開館した青森県立美術館で開催中の“シャガール展ーアレコとアメリカ亡命時代”をみてきた。

会期は明日、24日までなので滑り込みセーフのような鑑賞となったが、今は満足感でいっぱい。

7/30に放映された新日曜美術館でこの展覧会のことを知り、番組が終了したあと、隣の方と顔を見合わせ、“青森まで観に行こうか!”と即決した。

二人をこれほど興奮させた作品はバレエ“アレコ”の舞台美術として制作された大きな背景画4点。この絵はTVでみた瞬間から、96年にみた“ユダヤ劇場大壁画”(トレチャコフ美術館所蔵)のときと同様、わくわくさせるものがあった。はたして、地下2階につくられた高さ19m、4層吹き抜けの巨大なホールに展示してある“アレコ”は気持ちの昂りで体がほてってくるような絵だった。

画面は縦9m、横15mと超のつく大きさ。大きな絵というのは普通サイズの絵を見るときとは体の反応の仕方が全く異なる。大きな絵として、すぐ思い出すのがルーブルにあるヴェロネーゼ作、“カナの婚宴”。これが縦6.6m、横9.5mだから“アレコ”4点はさらに一回り大きい。

このホールに入ってしばらくは、戸惑う。4点あるうちどれから見ればいいのか?だが、これは学芸員の解説に耳を傾けていると、だんだんわかってくる。まず、1幕は“月光のアレコとゼンフィラ”。2幕“カーニヴァル”、3幕“ある夏の午後の麦畑”、最終幕は右の“サンクトペテルブルグの幻想”。どういう経緯で入手したのか知らないが、3幕以外は青森県美の所蔵。いつもはフィラデルフィア美で常設展示している3幕が美術館の開館にあたり、ここにやってきたので、シャガールがアメリカ亡命中に制作したバレエの背景画が揃って展示されることになった。

シャガールファンとしては、横浜から青森までクルマで8時間かかろうが、この貴重な鑑賞の機会を見逃すわけにはいかない。シャガールのような大巨匠の名画が海外に出かけなくてもみれるのだから、日本は本当に美術大国である。

バレエ“アレコ”の原作はプーシキンの叙事詩“ジプシー”。NYのバレエ団から依頼を受け、シャガールは4点の絵を描き、ダンサーの衣装をデザインした。時期は1942年、シャガールが55歳のころ。貴族の青年、アレコはジプシー娘、ゼンフィラと恋に落ちるが、別の男に心変わりしたゼンフィラに嫉妬し、男だけでなく、ゼンフィラまでも殺してしまう。

1幕の青い空にアレコとゼンフィラ、赤い羽根をした鶏が浮かぶ“月光のアレコとゼンフィラ”とヴァイオリンを持った熊とその上に黒い猿が描かれた2幕の“カーニヴァル”はあまりぐっとこないが、3幕と4幕は強く惹き込まれる。とくに最後の“サンクトペテルブルグの幻想”は見ごたえがある。一度観たら忘れられないほどインパクトがあるのが黄色のシャンデリアにむかって天空を駆け上がる白馬の姿。馬の白と画面下の横一杯に描かれた街並みの赤との対比が鮮烈で、色彩の魔術師、シャガールの色彩感覚にいつもながら驚かされる。

この展覧会は24日で終了するが、“アレコ”の1、2,4幕はこの大ホールで常設展示される。世界的にみても評価の高いシャガールの作品が日本の美術館にあるというのは誇らしいこと。また、何年か先、ここを訪れたい。

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2006.04.04

藤田嗣治展

351期待の“藤田嗣治展”(東近美、5/21まで)を見てようやく世界のフジタの画業の全容を知ることができた。

フジタという名前はエコールドパリの代表的な画家として、知ってはいるが、“代表作をいくつ見た?”と言われると答えに困る。手元に画集がないので、そもそも代表作のイメージがない。海外で記憶してるのはパリ市立近代美術館にあった“横たわる裸婦”(1922)くらいしかない。

国内では意外にも結構いい絵に出会った。広島に長く住んでいたので今回出品されていたひろしま美術館の“十字架降下”(1927)を楽しんだが、ほかの作品と較べてみると、この絵が代表作のうちでも上位に位置する名画であることがわかる。

4年くらい前、大原美術館で猫と裸婦が出てくるいい絵を4,5点見たときは、乳白色の肌の輝きにも魅せられたが、それよりも闘争する猫のイメージのほうが強く残った。それが決定的になったのは東近美蔵の“猫”(1940)。十何匹の猫が虎のように激しく喧嘩する様は迫力がある。裸婦の傍に座っているおとなしい猫がときにはこんなに激しく取っ組み合いをするのだから、その落差に驚く。

裸婦像で惹きつけられるのは、裸婦が横たわるベッドの背景が黒一色の“眠れる女”(1931)。この絵のほかにもフジタの作品を多く所蔵している秋田の資産家、平野政吉のことははじめて知った。流石にいい絵を集めている。この絵と似たような美しくて官能的な女性画が島根芸術文化センター建設室と福岡市美術館にある。今回出品されるのを期待してたが、残念ながら出てこなかった。まあ、“眠れる女”があるので充分。

今回、とくに気になった絵が右の“カフェ”(1949~63)。これまで見慣れた裸婦や猫の絵とは違い、都市の生活の匂いがする絵で、これが新鮮だった。黒いドレスの女性はどこか憂いをたたえており、マネが女性バーテンダーをモデルにして描いた“フォリー=ベルジェールのバー”(コートールドコレクション)と似たような雰囲気が伝わってくる。

フジタの偉大なところはヨーロッパ絵画の土俵に入って、乳白色の肌という独自の世界を創り上げたことである。フジタは春信や歌麿の女性の描き方に触発され、肌の滑らかさや柔らかさを描こうとヨーロッパの画家がなし得なかった乳白色の肌を生み出した。毛筆と墨を使って伸びやかな黒い線を描くのも、流れるような日本画の伝統的な線の魅力を油絵に生かすためである。琳派のような金地、色使いを抑え、絵の具を塗り重ねない描き方、肌の魅力を一層ひきたてる流れるような黒の輪郭線などを目にすると、日本画をみているのではと錯覚する。

西洋画の単なる模倣でなく、西洋画の中に日本画の良さを融合させて、新たな美の世界を生み出したフジタの作品の数々に200%満足した。

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2005.09.25

ユトリロ展

173ユトリロという画家は小さいときから美術の本で知ってるが、これまで日本で開かれた展覧会に出くわさなかった。有名な画家なのに意外といえば意外。

作品そのものもさほど見てない。ポンピドーにある代表作、“コタン小路”、“ラパン・アジル”や大原、ひろしま、国立西洋美術館に飾られてる作品くらいしか記憶に無い。だから、ユトリロの絵、イコール、白を基調としたモンマルトルの家並というイメージができあがって、この画家の作品に限ってはヴァリエーションが極めて少ない。

こんなユトリロ観を広げてくれそうな回顧展が日本橋高島屋で開かれるというので
開幕を楽しみにしていた。今年はユトリロの没後50年で、節目の年に内外の美術館や
個人蔵の作品が初期から晩年まで80点あまり集まっている。日本にあるので注目を
惹くのは八木コレクションの7点。いい絵なので知る人ぞ知る有名なコレクターなの
だろうが、ユトリロに縁がないため、コレクター話は全くわからない。

ユトリロの人生はおおよそ頭に入っている。母親のシュバンヌ・バラドンはルノワール
やロートレックのモデルをつとめた伝説の女性。恋多き母親の私生児として生まれ
たユトリロは母親からほったらかしにされ、小さいころから寂しく孤独な生活を送らざる
をえなかった。これを癒すため15歳のときから酒に溺れ、17歳でもうアルコール
中毒になっていたという。本当の父親のことなど知る由もなかったろうが、母親自身
が特定できないのだからなんとも哀れ。ルノワールの血も混じってるのではと勝手
に想像している。

1908~1914年頃に描かれた“白の時代”の作品に孤独なユトリロの精神状態が
一番出ている。ユトリロの白は、家の壁の漆喰で遊んでた小さい頃の記憶の表れ。
よく通った酒場を描いた右の“ラパン・アジル”(1912)でも漆喰のマチエールをだす
ため白の表現を色々工夫している。ユトリロはこのラパン・アジルを350枚も描い
たという。ポンピドーにも同じ構図のものがある。酒場の中はシャンソンが歌われ騒々
しかっただろうが、ドアを閉じたお店と周りの小路はユトリロの心情を反映してか
ひっそりとしている。

これが色彩の時代(1915~1935)では一転して、“ムーランの大聖堂”や“ヴェル
ブリーの郵便局”のように輪郭線がすっきりし、空の青や屋根の赤が輝くような作品
に変ってくる。アル中のユトリロはどこへいったのか?とちょっと戸惑うほどである。
これがまたすごく魅力的な絵だから驚く。売れっ子画家になって母親や義理の父親
に管理されて、描かされたのだろうか。

ユトリロの絵を色々見れて、満足感一杯の展覧会であった。会期は10/10まで。

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2005.06.27

シャガール展

103諸橋近代美術館でビッグなおまけがあった。シャガール展を開催中で、これを通常の入場料金950円でみることができた。

展示の内容としては、アオキインターナショナルのコレクションが中心となり油彩画、リトグラフ合せて70点がでていた。会期は7/3まで。

シャガールは好きな画家なので、過去国内で開催された大きな回顧展は欠かさ
ず見てきた。その中で質、量ともに良かったのは02年、東京都美術館で開催
されたマルク・シャガール展。ここではポンピドーセンターから“盃をかかげる二重
肖像”、“ロシアとロバとその他のもの”などの代表作が出品され、満足度の高
い展覧会であった。

諸橋美術館のシャガール展では見たことのない名作がいくつもあった。この展覧
会のテーマは“愛の軌跡”。妻のベラ、そして故郷ヴィテブスクに対して注いだ愛を
シャガールが絵の中でどのように表現しているか、またどう変化していったかを
みせてくれる。

目玉は右の“誕生日”。シャガールは同じ名前の絵を2枚描いている。最初の
作品は1915年に描かれている。現在、NYのMoMAの所蔵。もうひとつの“誕生
日”は1923年に描かれ、これが右の絵(アオキインターナショナルの所蔵)。シャ
ガールとベラの愛の物語は2人の著作でよく知られているが、この絵には2人の
楽しい婚約時代の甘い夢のような幻想の世界が描かれている。

シャガールの7/7の誕生日に、婚約者ベラが花束やお菓子をもってやってくる。
画面では花束を手にしたベラとシャガールはふわりと宙に舞い上がっている。
シャガールの体は陸上の走り高跳びの選手がする背面とびのよう。奥行きを感じ
させない平面的な構図で、カーペットの赤やシャガールの着ている服の緑、青が
鮮やか。この絵のシャガールのへんてこな体は一度見たら忘れられない。

2人が空を飛ぶ絵をもう一枚見たことがある。それは1917年に描かれた“街の
上で”。1998年、ローマを旅行中に遭遇した“トレチャコフ美術館所蔵シャガール
展”にこの絵がでていた。たぶん、街は2人のふるさとヴィテブスクではないかと
思う。

愛の軌跡、シャガール展には油彩の他、シャガールの定番である動物や農村、
サーカスなどが出てくるリトグラフのいい絵が何枚もあった。ダリの作品に感動し、
お腹は満腹だったのに、シャガールのおまけまであった。通常の展覧会鑑賞より
2倍気分がよかった。

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