2008.02.11

テート・モダン その一 マティス  ピカソ

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2000年に開館したテート・モダンはテムズ川南岸のサザーク地区にある。セント・ポール大聖堂があるほうから歩行者専用のミレニアムブリッジを進んでいくと正面に高い煙突(99m)のある建物が近づいてくる(上の画像)。元火力発電所がモダンアートの殿堂に生まれ変わったのである。インパクトのある外観はおよそ美術館らしくないが、中に入ると洗練された展示室に飾られたモダンアートの数々が目を楽しませてくれる。

フロアは7階まであり、3階と5階が常設展示に使われている。細長い展示室は2つの階とも左右でひとつの括りになっているから、20世紀以降の近代絵画、抽象絵画、現代アートの作品は全部で4つの切り口にグルーピングされ展示されている。3階の左は“詩と夢”というワーディングになっていたが、いつもこういうまとめ方なのかはわからない。で、これにはあまりこだわらないで必見リストを参考にして、徐々に目を慣らしていった。

ここで思わぬ作品と遭遇した。それは真ん中のマティス(1869~1954)が39歳のときに描いた“グレタ・モルの肖像”。これはナショナル・ギャラリーで見る予定になっていた作品。この絵だけでなく、前回見逃したピカソやクリムト、ルドンの絵と併せて対面を楽しみにしていたのに、いずれも見当たらなかった。で、“全部貸し出し中か!しょうがないな”と諦めていたが、実はここテート・モダンに移管されていたのである。隣にクリムトの“ヘルミーネ・ガリア”もあった。

このクリムトの絵は色が薄く、期待値の半分だったが、マティスの肖像画は思い描いていた通りのいい絵だった。モデルはマティスが一時期、美術学校の先生をしていたときの生徒。この絵で魅せられるのは“マティス夫人(緑のすじのある肖像)”(コペンハーゲン国立美術館蔵)同様、色の使い方はフォービスムだが顔の表情や体の形が写実的に描かれているところ。とくに卵型の顔に心が和む。

マティスの作品は4,5点あったが、この肖像画とともに感動したのが緑、青、赤など8つの色の紙を四角に切って貼りつけた“カタツムリ”という作品。どうしてこのフォルムがカタツムリなのかわからないが、その大きさと印象深い色の対比に心を奪われた。

ピカソ(1881~1973)は若い頃の“シュミーズ姿の少女”をはじめ、代表作のひとつである下の“3人の踊り子”、晩年の名作“首飾りをした裸の女”など刺激的な作品がいくつもあった。ピカソのいい絵をこれだけ沢山みたのは久しぶり。狂ったように踊る姿が伝わってくる“3人の踊り子”を見ていると、ピカソにとってキュビスムという技法は喜びや悲しみ、怒りといった人間の感情や体の動きを自由に表現するための手段だったことがよくわかる。

二重丸をつけていた“赤い肘掛椅子の裸婦”が見れなかったのと“3人の踊り子”とともに再会を心待ちにしていた“泣く女”がなかったのは残念だが、朝鮮戦争の勃発に触発されて制作した灰色の絵“山羊の頭蓋骨、瓶、蝋燭”とも遭遇したから、大きな満足が得られた。

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2007.03.25

ピカソのゲルニカ

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国立ソフィア王妃芸術センターでピカソの傑作、“ゲルニカ”と再会した。前回みたのが
90年だから17年ぶりの対面である。場所はここではなく、プラド美術館の別館。縦
3.5m、横7.8mの大画面に白黒のモノトーンで描かれたこの歴史的な絵は防弾ガラスの囲いの中に閉じ込められていた。

ソフィアに移ったのは93年。てっきりいまでもガラスのなかに入っているのだろうと予想していたが、これはいい方にハズレた。入館する際、持ち物はチェックされるからもうガラスのなかに入れておく必要がないのだ。ソフィアセンターの訪問はゲルニカ鑑賞のためだけ。男性の現地ガイドさんはここにあるほかの現代絵画や彫刻作品などについては一切説明しないで、わき目も振らず3階の“ゲルニカ”が常設展示してある部屋に誘導していく。

“皆さん、これが有名なピカソのゲルニカです。ええーこの絵が。。。”このガイドさんは“ゲルニカ”が制作された時代背景、絵の見所、描写の特徴などを美術史家のように滔々と熱く語る。ご高説は割愛させてもらい、ゲルニカのまわりに飾ってある下絵やピカソのほかの作品、そしてミロの絵やゴンザレスの彫刻などをイヤホンで説明の時間経過を確認しながら、3回くらいまわってみた。

迷宮美術館が以前とりあげたゲルニカの制作過程のなかで、ピカソが本画を描く前の下絵(45枚)の段階でモティーフの表現の仕方をいろいろ模索したことをかなり丁寧に解説してくれていたから、これらの下絵を食い入るようにみた。例えば“泣く女のデッサン”は白黒のほかに赤と青が部分的に使われており、この絵がはじめからモノトーンにすると決まってなかったことが窺がえる。本画の右手前にいる腰をかがめ異様に大きな足を広げ前に進む女の左目には完成直前まで赤い涙が描かれていたという。で、レクチャーの輪の中に戻り、女の目元をみた。赤い涙はたしかにない。

ゲルニカのなかで感情を揺り動かされるのは、左側の牡牛の下に描かれた死んだわが子を抱きかかえ号泣している女、真ん中で傷を負い首をよじらせていなないている馬、そして絶望のあまり発狂寸前のパニックに陥いり、両手を上にあげている右側の人物。ピカソは牡牛や馬、泣く女を登場させ、戦争の恐ろしさや悲惨さを象徴的に表現した。戦争の犠牲になった人間の苦しみや悲しみが対象の極端なデフォルメとゆがめられたフォルム、モノトーンで表現されたこの絵はリアルな戦争画以上に見る者に訴える力を持っている。プラドでみたゴヤの“5月3日の処刑”同様、200%心をうたれた。

真ん中の絵は“ゲルニカ”の手前にあった“ハンカチをもって泣く女”。ロンドンのモダンテーにある“泣く女”の別ヴァージョンで、“ゲルニカ”が制作された1937年と同じ年に描かれた。ピカソの作品はほかにも彫刻を含め沢山展示してある。ガイドさんの名調子の解説がなかなか終わらないので、隣の方をつついて下絵や“泣く女”、ミロの名画のところへ連れていった。

大好きなミロの絵が4、5点あった。これはビッグなオマケ。下はその中で一番ぐっとくる大作、“カタツムリ・女・花・星”。館のパンフレットに載っているシュルレアリスト、ダリのいい絵も見たかったが、迷い子になって皆さんに迷惑をかけてはいけないから諦めて、一緒にトレドへ向かうバスに乗り込んだ。

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2005.07.27

ジャン・コクトー展

128日本橋三越で開催中のジャン・コクトー展をみてきた。ここは図録を買うといつも次回展覧会の招待券をくれるので、最近はずっと得した気分。

チラシに載ってる“横顔”に似たような絵が1993年、名古屋の松坂屋であったコクトー展でも出ていた。コクトーの作品をみたのはこの展覧会しかないので、今回はどんなのが出てくるのかと期待度は高かった。

松坂屋のときは没後30年を記念し300点くらい出たが、この三越展は250点。
家に帰って、出品作をチェックすると、これはというのがいくつか重なっていた。
同じコレクターのものを持ってきたのかもしれない。

コクトーはマルチアーチストである。本業は詩人や小説家なんだろうが、バレエ
や演劇の演出家であり、画家でもある。もっぱら画家としてのコクトーしか縁が
なく、ピカソを思わせる作風をすぐイメージする。今回も“キュビズム風の顔”
、“メルクリウス”、“恋人たち”、“9人の沈黙の婦人”などに惹きつけられた。
パステル画が大半を占めるが、油彩にも輝いている絵があった。前にも見た
“ファヴィーニ夫人とその娘”、“眠る女”。とくに黒を背景に使い、顔も黒くして
いる“眠る女”はハットさせる作品。

会場にはコクトーと親交のあったサティの曲が流れ、映画で用いられたオブジェ
の複製が展示してある。コクトーの展覧会に相応しい展示空間をつくろうという
主催者の意欲が感じられ、好感がもてる。コクトーはピカソと同じく、陶器を制作
している。陶器の形とマッチした“中世の女”、“三つの目”が面白い。また、
ブロンズやブローチなどもある。

一番気に入ったのがタペストリー。中でも、大作の“ユディトとホロフェルネス”と
細長い色面で顔を構成した“二つの顔”に感動した。二度目の右の“ユディトと
ホロフェルネス”は見ごたえ充分。眠りこけてる兵士はデフォルメしてるが、写実
的に描かれてるのに対し、真ん中のユディトの形とユディトに首をとられたホロ
フェルネスはかなり戯画的。リアルで凄みさえ感じるカラヴァッジョの同名の絵
とはカテゴリーの違う絵であるが、不思議な魅力がある。

コクトーの天才ぶりを窺うことの出来る貴重な展覧会であった。なお、この展覧
会は7/31までやっている。

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2005.02.11

ピカソの肖像画

Scan10043迷宮美術館でコレクターの話をしていた。アメリカ人のガートルード・スタインという女流作家は兄とともに美術愛好家としてパリでピカソやマチスの絵を買っている。

最初、彼女はマチスのフォーヴィスム作品を評価し、1905年に描かれた“マティス夫人(緑のすじのある肖像)”を購入し、当時お金に困っていたマティスを喜ばせている。

この絵は、対象物が持っている色ではなく、自分が感じた色で表現するというフォーヴィスムの代名詞のような作品。顔の真ん中に緑のすじが描かれている。まだ見たことが無いが、実物は強烈なインパクトを持っていそう。いつかお目にかかりたい絵だが、
コペンハーゲン国立美術館はちょっと遠い。

ガートルード・スタインはピカソがキュビスムの絵を描くようになると、こんどはピカソに
肩入れするようになる。そして、25歳のピカソは彼女の肖像を描いている。
右の“ガートルード・スタインの肖像”(1906年)である。メトロポリタン美術館でみた
時からかなり最近まで、この絵は男性の肖像とばかり思っていた。
ガートルードは80回以上もポーズをとったが、ピカソの筆は進まなかったようだ。
そのため、一旦中断し、ピカソはスペインに帰る。そのとき、ゴソルというピレネー地方
の小村で目にした素朴なロマネスク彫刻に霊感を受け、仮面を思わせる顔をした
肖像画を描きあげている。細部にとらわれず、ガートルードの顔を彫刻的に表現している。キュビスムを予感させる絵である。

ピカソは“モデルに似てないな”という世間の批評を全然気にせず、
“そのうち彼女の方が、この絵に似てくる”と言ったという。

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