コロー展 そのニ 女性画



一人の画家の回顧展が開催される場合、誰れしも美術本とか画集に載っている代表的な作品ができるだけ多く展示されていることを期待する。このコロー展にはルーヴルが所蔵する作品のなかで最も有名な3点、“モルトフォンテーヌの思い出”、“真珠の女”(上の画像)、“青い服の婦人”(真ん中)が揃い踏みしているのだからすごい!
もちろんルーヴルにはまだまだコローのいい絵があるので、欲を言ったらきりがないが、この3点を含めてよくぞこれほど多くの名作を貸し出してくれたものである。ルーヴルに限らず、オルセー、ポンピドゥー、ギメなどパリにある美術館はどこも本当に気前がいい。
25点ある人物画のなかにも強い磁力をもっている作品がいくつもある。展示室に入ってすぐのところに43歳の頃の“自画像”(ウフィツィ美)がある。晩年、絵を制作中のコローを撮った写真をみると角々したいかつい顔をしているが、この頃はまだ少年っぽさが残っている。どうでもいいことだが、老人コローをみてすぐ連想したのが俳優の東野英治郎、あの水戸黄門様と日本画家の川端龍子。
人物画のほとんどが女性を描いたもの。裸婦図も一点“水浴するディアナ”がある。お目当ての一番はルーヴルで会えなかった“真珠の女”。背景の色と着ている服が土色系なので派手さはないが、その目鼻立ちの整った容貌は近づきがたいほど美しい。コローは画面の中に木の葉を散らすのが好きで、この女の髪飾りにもお決まりの赤やうすい青緑の葉がみえる。この絵にはすごく惹きつけられるが、一方でどうしても絵のなかに入りきれない壁のようなものも感じる。だぶん、内面の揺れが見えてこないからだろう。
これと較べると真ん中の“青い服の婦人”はどうしようもなく心をゆすぶり、“ちょっとお休みですか?”と声をかけたくなる絵。ルーヴルで対面したときは、時間があればいつまでも見ていたい気分だった。肩から腕にかけての肉付きのよさはいかにも欧米の女性を思わせ、ピアノの上に肘をつき口元に手をやる姿がなんとも魅力的。
横向きでこちらを振り返る珍しいポーズに惹きこまれるが、同時に女性の心のなかがふと顔や体全体に表れたところを捉える描写力はどこかドガの“菊の花と女”(メトロポリタン、拙ブログ5/15)やマネの“プラム”(ワシントンナショナルギャラリー)に通じるものがある。これまで好きな女性画の上位はフェルメール、マネ、ルノワール、サージェントの絵で占められていたが、この絵を加えることにした。
下は目の鋭さにタジタジになった“草地に横たわるアルジェリアの娘”(ゴッホ美)。どうでもいいことをもう一つ。この娘は安達裕美とかあの“別に、、、”の沢尻エリカによく似ている。これと同じくらいインパクトがあるのがルーヴルで見れなかった“身づくろいをする若い娘”。また、“本を読む花冠の女”も運良くリカバリーできた。
この回顧展は満足度200%のすばらしいものだったのだが、最後に気になったことを少し。コローに刺激されたり、影響を受けた画家の作品が20数点あったが、会場を進む途中、これらを一緒に展示する必要があったのかな?と思った。純血でいくか?多少ほかの画家の作品を混ぜるか?意見の分かれるところである。
個人的には、静寂なコローワールドに浸っているときに、特段惹かれることもないルノワール、ブラック、ピカソの絵が出てくると、“イメージを分断するような絵を横に置かないでよ!”と言いたくなる。弟子のピサロとかシスレー、モネあたりはOKだけれども、ほかの絵はとても違和感を覚える。どうしてもコローの偉大さを主張したいのなら、昨年の“モネ展”(国立新美)のように別のコーナーを設けてそこで展示したらいい。
海外美術館めぐりで遭遇した大規模な“ホドラー展”、“クールベ展”、“ホッパー展”、“プッサン展”はすべて純血主義だった。今回のコロー展は世界のどこへもっていっても胸をはれる一級の回顧展。これだけの名作を世界中の美術館から集めてきたのだから、コローの絵だけで充分。日本の美術館の悪い癖は説明的すぎること。日本人は世界で一番絵画が好きな民族、質の高い作品をみればコロー絵画のすばらしさはしっかり感じられる。説明に使った絵がコローの足を引っ張ったのでは元も子もない。
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