2025.07.07

日本・中国の故事、歴史から生まれた傑作アート! 浅間山

Img_20250707230701   亜欧堂田善の‘浅間山図屏風’(重文 1804~18年頃 東博)

Img_0001_20250707230701   池大雅の‘浅間山真景図’(1760年頃)

Img_0002_20250707230701   梅原龍三郎の‘噴煙’(1953年 東近美)

Img_0003_20250707230701   片岡球子の‘火山(浅間山)’(1965年 神奈川県近美)

大河ドラマ‘べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~’を毎週のめりこんで観ているが、
25話(6/29)は天明3年(1783)7月、大噴火した浅間山がも
たらす大災害の話が中心だった。江戸にまで大量に降って来た火山灰は
昼でも空を夜のように暗くし、人々は大混乱に陥った。そして、‘天明の飢
饉’はこの天災により拍車がかかり、その惨状が長く語り伝えられること
になった。つくづく日本は災害大国だなと思う。

浅間山(2568m)は霊峰富士ほど多くは描かれてないが、目に焼き付いている作品はいくつもある。これぞ、浅間山!という印象が強く刷り込れているのが亜欧堂田善(1748~1820)の‘浅間山図屏風’。これは江戸時代に描かれた油彩画のなかで最大の作品で縦150cm、横338cmの大きな屏風に浅間山の雄大さを見事に表現している。大噴火から30年くらい後に描かれたので、まだ記憶にあったことだろう。

池大雅(1723~1776)は38歳のとき、友人二人と富士山、立山、白山に登る三岳紀行の旅に出る。信州では浅間山に登っており、その経験とスケッチをもとに‘浅間山真景色’を描いている。画面右前景に大きく描かれるのが浅間山で、山裾には軽井沢などふもとの集落が描かれている。左上には利根川が蛇行し、その先に筑波山がみえる。

火山が画家の絵心を強く刺激するようで、梅原龍三郎(1888~1986)は桜島に興味をそそられ、避暑先の軽井沢では浅間山に親しむようになる。浅間山の連作のなかでもっとも惹かれているのが東近美にある‘噴煙’。片岡球子(1905~2008)も活火山好きで桜島、浅間山、昭和新山などを描いている。‘火山(浅間山)’はぱっとみるとゴッホの絵が目の前をよぎる。これほど前衛的な風景画はほかにみたことがない。

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2025.07.06

日本・中国の故事、歴史から生まれた傑作アート! 富士(5)

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  梅原龍三郎の‘朝陽’(1945~47年 大原美)

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  林武の‘富士’(1965年)

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  棟方志功の‘富嶽頌 赤富士の柵’(1965年 棟方板画美)

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  絹谷幸二の‘日月龍神富嶽’(2007年 岡崎画廊)

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  福王寺法林の‘朝富士’(2007年)

絵画鑑賞が趣味となったとき、洋画家では梅原龍三郎(1888~1986)
や安井曾太郎(1888~1955)の回顧展をみるのを楽しみにしていた。
ところが、横山大観ら日本画の画家たちは頻繁に個展が開かれるのにどうい
うわけか二人はなかなか遭遇しない。あれほど有名な梅原龍三郎なのに、こ
れまで出会ったのは2006年、日本橋三越でおこなわれた1回だけ。そこ
で大きな感動をもらったのが大原美蔵の‘朝陽’。大きな回顧展が東近美で実現
されるのを強く望んでいるが、そのときは再会できるだろう。

まるでゴッホの厚塗りの油絵を連想させる林武(1896~1975)の
‘富士’には新鮮な驚きがある。強烈な色彩によって巨大なエネルギーをため込
んだ富士山が躍動しているかのようである。同じような印象をもつのが棟方
志功(1903~1975)が親友の草野心平の詩をもとに描いた連作‘富嶽
頌’の‘赤富士の柵’。詩そのものを文字の形で富士図の空のところに彫り込むと
いうアイデアがとてもユニーク。はじめに書かれた‘赤富士カーニバルだ’が
おもしろい。

7/9(水)~14(月)に横浜高島屋で最新作を披露する個展が開かれる
絹谷幸二(1943~)は2008年日本橋高島屋のとき富士山の絵を2点
楽しませてもらった。それを加えこれまでみた富士山図は全部で6点。‘日月
龍神富嶽’は2007年の東京美術アートフェアに出品されたもので、雄大な
富士にお馴染みの画題の太陽、月、龍神をカラフルに彩り神秘性を高めた表
現になっている。

‘ヒマラヤの画家’として知られる日本画家の福王寺法林(1920~2012)
には思わず足がとまる富士の絵がある。三鷹市が所蔵する‘暁富士’と個人蔵の
‘朝富士’。2006年三鷹市美術ギャラリーで縁があった回顧展でスケールの
大きなヒマラヤ連峰の作品に大変魅せられたが、別の展覧会でお目にかかっ
た金色に赤富士が浮かび上がる‘朝富士’にもぐっときている。

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2025.07.05

日本・中国の故事、歴史から生まれた傑作アート! 富士(4)

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  富岡鉄斎の‘富士遠望図屏風’(1905年 京近美)

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  横山大観の‘霊峰飛鶴’(1953年 横山大観記念館)

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  横山操の‘清雪富士’(1968年)

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  片岡球子の‘富士に献花’(1990年)

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  加山又造の‘白雪の嶺’(2001年)

名の知れた日本画家は大きな回顧展を一度はみてみたいと強く思っている。
長期戦になるが、これが実現したときの嬉しさはずっと心にとどまってい
る。仙人のイメージができあがっている富岡鉄斎(1836~1924)
は名古屋で仕事をしていた1996年、決定版の回顧展(愛知県美)に遭
遇した。全国を踏破した鉄斎は富士山を多く描いており、京近美にある胸
のすくスケールの‘富士遠望図屏風’を立ち尽くしてみていた。

北斎同様、横山大観(1868~1958)も富士を描いた画家という印
象が焼き付いている。‘霊峰飛鶴’は1967年の国際観光年記念切手に採用
された傑作。上野不忍池のところにある横山大観記念館でお目にかかった
とき、‘これがあの切手の富士か!‘、と感激した。鶴と一緒に描かれると
吉祥図をみているような気分になる。

苗字が同じ横山操(1920~1973)は‘赤富士の画家’と呼ばれ、自ら
二千点以上描いたと豪語するほどに多作したと言われている。これまでその
一部をみてずしっと重い富士をみたという思いが蓄積されている。そして、
別のヴァージョンにも傑作がある。大変魅了されているのは‘清雪富士’。
山を覆う白い雪が美しく、ぐーっとくる富士である。

片岡球子(1905~2008)の富士山図は富士とお花畑を合体させたユ
ニークな絵。いくつかあるなかでお気に入りは大作の‘富士に献花’。裾野の
ところがひまわりと牡丹の花々で彩られているのがじつに楽しい。装飾を施
されて富士は喜んでいる感じ。横山操と馬が合った加山又造(1927~
2004)の‘白雪の嶺’は操の絵の影響がみられ、とてもいい絵。

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2025.07.04

日本・中国の故事、歴史から生まれた傑作アート! 富士(3)

Img_20250704230501   葛飾北斎の‘富嶽三十六景 神奈川沖浪裏’(1830~33年)

Img_0003_20250704230501   英一蝶の‘富士山図’(17世紀 山梨県博)

Img_0002_20250704230501  歌川広重の‘東海道五捨三次之内 原 朝之富士’(1833~35年 レスコヴィッチ・コレクション)

Img_0004_20250704230501  歌川国芳の‘建久四年源頼朝富士牧狩之図’(19世紀)

Img_0001_20250704230501   司馬江漢の‘七里ヶ浜図’(1789~99年頃)

葛飾北斎(1760~1849)の浮世絵風景画ですぐ思い浮かぶのは‘富嶽
三十六景’。そのなかでとりわけ評価が高いのが‘神奈川沖浪裏。怪物と化した
ような大波がどどーっと舟におおいかぶさっていく大胆な構図に目を奪われ
る。この動的な表現を不動の聖なる山、富士山と対比させるという発想がス
ゴイ。富士は遠くに小さく描かれているのに大波を制している感じ。

富士川の渡し場から雄大な富士をとらえた英一蝶(1652~1724)の‘富士山図’には荷物を準備する人足や遊ぶ子どもが描き込まれており、その活気ある人物描写が風俗画の楽しさを伝えている。浮世絵も風俗画だから歌川広重(1797~1858)の朝焼けの富士に振り向く女性の旅人が登場する‘東海道五捨三次之内 朝之富士’を夢中になってみてしまう。この絵でおもしろいのは富士の頂が上部の枠外にはみ出していること。これで画面がぐんと立体的になった。

広重とほぼ同時代を生きた歌川国芳(1797~1861)は得意の武者絵で雄大な富士山でみせている。それは建久四年(1193)五月に源頼朝が富士の裾野で行った大規模な狩猟、富士の巻狩りに取材した作品。右で大傘のもと白馬に乗っているのが頼朝、そこにむかって崖から突進してくる大猪。これほど強い猪がでてくる絵はほかにみたことがない。国芳に嵌り続けている。

今年の春、府中市美で開催された‘かっこいい油絵’に司馬江漢(1747~1818)の‘七里ヶ浜図’が出品された。江漢の風景画でとくに多いのが駿河湾越しの富士山の図と鎌倉の七里ヶ浜の図。七里ヶ浜は鎌倉と江の島の間にある浜で、ここから西のほうに広がる光景を描いた油絵は4点あるが、漁師が仕事の手をとめて富士山を眺めているこのヴァージョンが一番のお気に入り。

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2025.07.03

日本・中国の故事、歴史から生まれた傑作アート! 富士(2)

Img_0002_20250703231701   国宝‘一遍聖絵 第六巻 富士の霊峰’(1299年 清浄光寺)

Img_0004_20250703231701   尾形光琳の‘不二山図’(18世紀 五島美)

Img_0005_20250703231701   尾形乾山の‘富士山図’(18世紀 井上コレクション)

Img_0003_20250703231701   鈴木其一の‘富士千鳥図屏風’(19世紀)

Img_0001_20250703231701   宋紫石の‘富士山図’(18世紀 東博)

鎌倉時代中期の僧で時宗の開祖と知られる一遍(1239~1289)の生涯を描いた‘一遍聖絵’(全12巻)は運よく京博とこれを所蔵している神奈川県の清浄寺でみた。最も仰天するのはテンションMAXの踊り念仏(第七巻)。そして、第六巻には雄大な富士がでてくる。富士参詣曼荼羅をみてるときを同じ感じでみてしまう。

琳派に現れた富士で最初にお目にかかったのは尾形光琳(1658~1716)の‘不二山図’。題材となっているのは‘伊勢物語’第九段の‘富士山’。五月なのに白い雪を冠している富士に驚いている様子が描かれている。光琳にはほかに同じ第九段の‘八橋’と第十二段の‘武蔵野’がある。弟の尾形乾山(1663~1716)の‘富士山図’には大きな衝撃を受けた。画面中央におおらかに構える富士山とえのき茸のように簡略化された松の木をとりあわせる平板的な描写が清々しい。乾山は享保年間に江戸へ下っており、そのとき快晴の富士を目にしたのだろう。

琳派狂いなので宗達、光琳 酒井抱一、鈴木其一(1796~1858)の回顧展の情報が入ったら、欠かさず足を運んできた。2016年、サントリー美で開催された鈴木其一展’では嬉しい出品があった。美術本でみたことのない‘富士千鳥図屏風’。とても見栄えのする図柄で手前に豊かな緑が目にとびこんでくる松を配し、雪を頂く富士を千鳥の群れが羽を重ねて旋回している。息を呑んでみていた。其一が晩年にこんないい富士を描いていたとは!

一見すると中国風のところがある富士山を大画面に描いたのは宋紫石(1715~1786)。名前が中国人のようになっているのは師匠が長崎に清からやって来た宋紫岩だったから。本名は楠本幸八郎といい江戸の人。今年、東博の平常展でタイミングよく出会い、久しぶりの鑑賞となった。

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2025.07.02

日本・中国の故事、歴史から生まれた傑作アート! 富士(1)

Img_0003_20250702230601   狩野元信の‘富士曼荼羅図’(重文 16世紀 富士山本宮浅間大社)

Img_0001_20250702230601   池大雅の‘富士白糸滝図’(1762年)

Img_0002_20250702230601   与謝蕪村の‘富嶽列松図’(部分 重文 18世紀 愛知県美)

Img_20250702230601   曾我蕭白の‘富士図屏風’(1762年頃 パワーズコレクション)

Img_0004_20250702230601   長沢芦雪の‘富士越鶴図’(1794年)

霊峰富士が絵としてインプットされたのは葛飾北斎の‘富嶽三十六景’がはじま
り。平均的な日本人の富士山図とのかかわり方である。そのあとヴァリエー
ションがいろいろ増えていくのは絵画鑑賞が趣味になったから。おかげで
富士のいい絵とたくさん巡り合った。

そのなかで狩野元信(1476~1559)の‘富士曼荼羅図’は比較的遅い時
期にみたもの。2007年に開催された‘美術の遊びとこころ『旅』’(三井記
念美)で宗教的な案内絵図である参詣曼荼羅のくくりとして伊勢や熊野那智な
どと一緒に楽しんだ。縦長の画面に登山の表口の駿河側からの参詣路が克明に
描かれている。目を惹くのが山頂近くにたどり着いた人々の姿。完全にゾーン
に入っていることだろう。

江戸時代、18世紀の京都で活躍した天才画家たちの富士山にも大変魅了されている。三度富士山に登っている南画の池大雅(1723~1776)は白糸ノ滝との組み合わせて表現している。この滝はみたことがあるので敏感に反応する。与謝蕪村(1716~1783)の‘富嶽列松図’はぐんと横長の画面に多くの松を平板に並べ、その向こうに雪を被った富士を雄大にみせている。単純な描き方だが、富士を強く印象づけるアイデアがすばらしい。

曽我蕭白(1730~1781)の屏風は左隻に富士山、右隻に三保松原を配したもの。ともに縦172cm、横378cmの大きな屏風。2005年にあった回顧展(京博)でアメリカ・デンバーのパワーズコレクションから里帰りした。伝統的な富士山図になっているが、パワフルな富士の姿を息を吞んでみていた。そして、長沢芦雪(1754~1799)の‘富士越鶴図’は意表を突く構図が目に焼き付いている。一列縦隊の丹頂鶴がグライダーのように静かにこちら飛来してくる。吉祥図にはうってつけの傑作である。

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2025.07.01

日本・中国の故事、歴史から生まれた傑作アート! 奥入瀬

Img_20250701232201   小野竹喬の‘奥入瀬の渓流’(1951年 東京都現美)

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奥田元宗の‘奥入瀬 秋’(1983年 山種美)

Img_0003_20250701232201   平山郁夫の‘流水無間断(奥入瀬渓流)’(1994年 平山郁夫シルクロード美)

Img_0001_20250701232201   安井曾太郎の‘奥入瀬の渓流’(1933年 東近美)

絵画になった日本にある人気の観光スポットをみて、そこへ出かけてみたい
と思うことが時々ある。たとえば、小野竹喬(1889~1979)が描い
た‘奥入瀬の渓流’を回顧展で遭遇したのがきっけとなり、俄然現地に行きた
くなった。明治以降に描かれた絵画作品をみる回数が増えてくるにつれて、
どの絶景を日本画家や洋画家が画題にしているのかだんだんわかってきた。

誰もがすぐ思い浮かべるのは富士山だろうが、これは別格扱いとして横にお
くと、青森の奥入瀬渓流をビッグネームの画家が描いていることに気づき、
早くこの絶景に観に行けとばんばん背中を押された。そして、青森・岩手観
光バスツアーに参加し、十和田湖の後長年の思いの丈を叶えた。

‘赤の画家’で知られる奥田元宋(1912~2003)はあのすばらしい奥入瀬の渓流を‘秋’(1983年)と‘春’(1987年)に訪れ、大画面の屏風(182cm×546cm)にドドーンと描いている。回顧展でゲットした図録をみて、現地での感動を何回も々再生している。だから、いまでもそうだが、親しい友人や知人には奥入瀬訪問を薦めている。

平山郁夫(1930~2009)も奥入瀬に魅せられ、1994年に‘流水無間断(奥入瀬渓流)’を制作している。緑のグラデーションで表現された木々や岩によって白が輝く水の流れを浮き立たせており、息を呑むほどの美しい光景に映している。安井曾太郎(1888~1955)の絵は渓流を斜めに下らせその勢いをみせる構図がとてもいい。まさにこんな感じだったなと長くみていた。

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2025.06.30

日本・中国の故事、歴史から生まれた傑作アート! 花見

Img_20250630232201   ‘豊公吉野花見図屏風’(重文 16世紀末 細見美)

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奥村土牛の‘醍醐’(1972年 山種美)

Img_0001_20250630232301   冨田渓仙の‘東山夜桜図’(1932年)

Img_0004_20250630232301   鳥居清長の‘飛鳥山の花見’(1786~89年 東博)

Img_0002_20250630232301   歌川広重の‘名所江戸百景 亀戸梅屋敷’(1857年)

名古屋で仕事をしていたとき、有名な吉野の桜を観るため近鉄に乗って(クルマは渋滞するので)出かけたことがある。やはりこの花見が人生で経験した桜のなかで一番感激した。生涯の喜びである。豊臣秀吉(1537~1598)は1594年(文禄3)、太閤となって3年目の年に家臣を引き連れて吉野の花見遊山に出かけた。‘豊公吉野花見図屏風’はそのときの様子が描かれたもので、右下にいるのが輿に乗って蔵王堂に参詣する秀吉。吉野の山々に金雲と桜が映え、権勢の絶頂にいる秀吉を見せつけるかのように表現されている。

京都洛南の醍醐寺の桜も人気の観光スポットなのだが、まだ縁がない。春のタイミングでは大混雑すると推測し夏や秋にでかけ国宝の五重塔や宗達の絵などを楽しんできた。で、奥村土牛(1889~1990)の傑作‘醍醐’をながめ、本物を観たことにしている。京都では東山のふもと、祇園円山公園の枝垂桜の大木も有名らしい。これをモチーフにして描かれた富田渓仙(1879~1936)の‘東山夜桜図’をみるたびに、旅心を強く刺激される。

浮世絵には賑やかな桜の花見が数多く描かれている。江戸で桜の名所は多くあり、隅田川沿いの桜並木、上野寛永寺、品川・御殿山、王子飛鳥山などが知られ、多くの人々が集まった。鳥居清長(1752~1815)の‘飛鳥山の花見’は行楽気分満載の図で、近景に美人をずらりと並べる一方、遠景にも多くの花見客が多く描き込まれているおり、飛鳥山の賑やかさを伝えている。

ゴッホが模写したことで浮世絵の描き方が西洋の画家たちに印象づけられたのが歌川広重の‘名所江戸百景 亀戸梅屋敷’。この絵でびっくりさせられるのは手前に極端に拡大された梅を配置し、この梅ごしに遠くで梅見の人々を小さく描く構図。平板的なのに奥行き感もある空間描写がゴッホに衝撃を与えたにちがいない。

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2025.06.29

日本・中国の故事、歴史から生まれた傑作アート! 花火

Img_0003_20250629231701   歌川広重の‘名所江戸百景 両国花火’(1858年)

Img_0004_20250629231701   歌川国芳の‘東都名所 両国の涼’(1830~36年頃)

Img_0002_20250629231801   渓斎英泉の‘東都両国橋夕涼図’(1830~44年頃 平木浮世絵財団)

Img_0001_20250629231801   山下清の‘長岡の花火’(1950年)

Img_20250629231801   加藤栄三の‘流離の灯’(1971年 山種美)

夏の時期、江戸っ子にとって一番の楽しみが隅田川でおこなわれる花火。
両国花火を描いた図は数えきれないほどあるが、歌川広重(1797~
1858)は縦長の画面の‘名所江戸百景’で花火の楽しさをとても上手く
表現している。夜空に花火の光が大きく弧を描き、星のようにはじけ広い
範囲でパチパチと輝いている。時間の流れを入れているところがとても冴え
る広重流の花火である。

昨日放送されたNHKの‘ブラタモリ 大山詣’を観た方は敏感に反応するのではないかと思われるのが歌川国芳(1797~1861)の‘東都名所 両国の涼’。右端で花火の火の粉が降りかかる男たちはこれから相模の大山詣をする人たちで、参詣の前に隅田川で身を清めているところ。先頭で掲げられている木太刀は大山への奉納物。左では納涼船での酒宴が大盛り上がり、物売り舟が横につけて水菓子(果物)を差し入れている。

渓斎英泉(1791~1848)の‘東都両国橋夕涼図’は両国川開きの賑わいが三枚続のワイド画面にびっしり描き込まれている。空には花火が左右対称に大きく打ち上っており、下では多くの納涼船が川面を埋めつくさんばかりに行き交っている。ひときわ目立つのが豪華な屋形船の吉野丸。中では芸者が舞を披露し、宴会を豪華に演出している。

浮世絵のほかで花火の絵が目に焼きついているのは山下清(1922~1971)の‘長岡の花火’。全国を放浪し、旅先の風景を情感あふれる貼り絵で表現した風景画のなかで最も有名なのがこの絵。大きな円を横に連続させる構図、大勢の観客が貼り紙を細かく切って緻密に描写されていることなどに200%KOされた。傑作である。そして、長良川の花火を描いた加藤栄三(1906~1972)の‘流離の灯’も忘れられない。

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2025.06.28

日本・中国の故事、歴史から生まれた傑作アート! 日本橋

Img_0003_20250628231601  歌川広重の‘東都名所 日本橋之白雨’(1832~39年 山口県萩美・浦上記念館)

Img_20250628231601   渓斎英泉の‘木曾街道続 日本橋・雪之曙’(19世紀)

Img_0004_20250628231601   歌川国芳の‘本朝名橋之図 江都日本橋略図’(1836年頃)

Img_0001_20250628231601   葛飾北斎の‘富嶽三十六景・江戸日本橋’(1831年頃)

Img_0002_20250628231601   鳥居清長の‘日本橋の往来’(1785~89年頃 ホノルル美)

日本橋は浮世絵の視覚体験だけでなく三越、高島屋、そして三井記念美で行
われる展覧会へよく足を運ぶので、すごく身近な街になっている。今年は
三井記念美の‘円山応挙展’(9/27~12/14)へ出かけることが決まって
いる。最近はデパートで特別展をみる機会が少なくなっているが、高島屋に
ついてはもうすぐ縁がありそう。でも、日本橋ではなく横浜高島屋。
7/9(水)~7/14(月)に贔屓の洋画家絹谷幸二の個展(最新作)が開催される。関心のある方は是非!

浮世絵に登場する日本橋というと歌川広重(1797~1858)の‘東海道
五捨三次’の最初に描かれた‘日本橋 朝之景’がすぐ思い浮かぶが、日本橋が
どんな形をしてるのか、まわりの建物などとの関係はどうなっているのかは、
これではなく‘東都名所 日本橋之白雨’のほうがわかりやすい。雨が降っているがここから富士山がみえるのか!じゃあー、行ってみるかとなる。

日本橋の賑わいがびんびんに伝わってくるのが渓斎英泉(1791~1848)の‘木曾街道続 日本橋・雪之曙’。棒手振(ぼてふり)が大きなカツオをてんびん棒に吊り下げて橋を歩いている。これよりさらに熱気につつまれているのが歌川国芳(1797~1861)の‘本朝名橋図  江都日本橋略図’。橋の上が群衆でごった返している。まるで花火見物の絵のよう。

葛飾北斎(1760~1849)の‘富嶽三十六景・江戸日本橋’は富士山が主役のため、遠近法を使って観る者の視線が富士山に向かうよう図柄が構成されており、日本橋と人々は下に一部が描かれているだけ。これでは日本橋のイメージはつかめない。これに対し、鳥居清長(1752~1815)の‘日本橋の往来’では女性たちの華やかさを引き立てる格好の場所として遠くに富士が見える日本橋が選ばれている。

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