Anytime アート・パラダイス! パトロン物語(20)
横浜本牧にある三渓園をこれまで3回くらい訪問した。すばらしい庭園と京
都にいるのではと錯覚させられる三重塔をみると都会の喧騒を忘れとても穏
やかな気持ちになる。近代日本画に長く親しんでいると‘芸術のパトロン’と
呼ばれた実業家・原三渓(1868~1939)の名前は心に深く刻まれて
いる。
三渓が支援した多くの画家のなかでも、お気に入りだったのが下村観山
(1873~1930)。観山は三渓園近くの本牧和田山に居を構え晩年ま
で過ごした。その観山の代表作が重文に指定されている‘弱法師’、三渓園梅林
の古木をモデルにして謡曲の俊徳丸の悲話が幽玄的に描かれている。
横浜生まれの今村紫紅(1880~1916)も支援を受けていた。現在東博
にある‘熱国之巻’と‘近江八景’(ともに重文)は元は三渓が所蔵していたもの。
紫紅は31歳のとき文展に出品した‘護花鈴’が三渓の目にとまり、つきあいが
はじまった。また、紫紅とうまがあった安田靫彦(1884~1978)も
岡倉天心の口添えで三渓と関係ができ2人は小田原に転居している。
三渓と同い年の横山大観(1868~1958)は原邸に招かれて‘柳陰’を制
作した。また、前田青邨(1885~1977)も三渓から援助をしてもらっ
ていたが、‘御輿振’の下絵をみせたところ、三渓に‘うちに来て描け’といわれ
原邸の奥座敷で1ヶ月泊まりこみ描き上げた。ほかに速水御舟や小林古径らも
三渓は面倒をみた。
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