2017.03.30

美術館に乾杯! コートールド美 その八

Img_0001     アンリ・ルソーの‘税関’(1890年)

Img     ユトリロの‘サンノアの通り’(1912年)

Img_0002    モディリアーニの‘裸婦’(1916年)

Img_0003     ココシュカの‘プロメテウスの物語 ハーデースとペルセポネー’(1950年)

アンリ・ルソー(1844~1910)は49歳から本格的に絵を描きはじめたが、それまではパリ市の税吏をやりながら趣味で日曜画家になっていた。その職場を描いたのがこの‘税関’。ルソーの時代、パリは城門に囲まれており税吏は税の取り立てだけでなく闖入者の見張りもしていた。

40代の半ばに描かれたこの絵は小学生の絵のように人物や木々や門が平板的に描かれ、西洋画ではおなじみの遠近法によってうまれる奥行き感が感じられない。でも、日本画や浮世絵を見慣れているわれわれにとってそれほど違和感がなくすっと画面に入っていける。ピカソにもこういう描写は新鮮だったため、変わったおっさんルソーに親しみを覚えた。

何年か前に立て続けに開かれたユトリロ(1883~1955)の回顧展、ときどき図絵をひっぱりだしてパリの街角を楽しんでいる。‘サンノアの通り’はルソーの画風とは真逆な描き方で遠近法を使った通りの遠くは小さくなるお決まりの風景描写。ふらっとパリへ行きこういう場所をのんびり散策することにあこがれている。

モディリアーニ(1884~1920)の本物の絵をみることから遠ざかっている。昨年訪問したマドリードのティッセンボルネミッサ美でも2015年の末に出かけたフィラデルフィア美やメトロポリタン、MoMAでもどういうわけは一枚の出会わなかった。だから、‘裸婦’のような典型的なモデイ様式をそろそろみたくなっている。

ココシュカ(1886~1980)はここには数点ある。3連祭壇画(トリプティック)の形式で描かれた‘プロメテウスの物語’の左の絵が‘ハーデースとペルセポネー’、あとの2つは‘ヨハネの黙示録’(中)と‘プロメテウス(右)’。人物に白や赤の色を塗りたぐった荒々しい筆触が目に焼きつく。

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2017.03.29

美術館に乾杯! コートールド美 その七

Img_0001_2     ゴーギャンの‘テ・レリオア(夢)’(1897年)

Img_0002_2     ゴーギャンの‘ネヴァーモア’(1897年)

Img_2     ゴッホの‘耳に包帯をした自画像’(1889年)

Img_0003_2     シスレーの‘ルーヴシエンヌの雪’(1874年)

ある画家の画集に載った有名な作品を複数以上美術館が所蔵しているとすると、その美術館はその画家とのつながりで記憶されることになる。ゴーギャン(1848~1903)が思い浮かぶ美術館をざっとあげてみると、オルセー、コートールド、エルミタージュ、プーシキン、メトロポリタン、ワシントンナショナルギャラリー。

コートールドにある傑作は‘テ・レリオア(夢)’と‘ネヴァーモア’、この存在感のあるタヒチの女を描いた作品は1997年日本橋高島屋で開催されたコートールド美展に出品されたし、2010年ロンドンのテートモダンで行われた大ゴーギャン展にも揃って飾られ、その強い磁力によって多くの美術ファンの視線を釘づけにしていた。また、図録の表紙に使われたのは‘ネヴァーモア’。

コートールの2点に加えてエジンバラのスコットランド国立美には有名な‘説教のあとの幻影’と昨年日本にやって来た‘タヒチの3人’がある。イギリスはまさにゴーギャンの宝庫。

ゴッホ(1853~1890)の‘耳に包帯をした自画像’も高島屋にやってきたが、ゴッホのいい絵がオルセーやアムスのゴッホ美、オッテルローのクレラー=ミュラー美以外の美術館から出品されるのは本当に限られた機会なので、この包帯姿のゴッホを息を呑んでみていた。‘この包帯の下は耳がちょん切れているのか!’そんな目でゴッホと向かいあった。

コートールドには印象派は一通り揃っており、シスレー(1839~1899)もある。モネは雪の光景を比較的多く描いたが、シスレーも‘ルーヴシエンヌの雪’を見事にとらえた。シスレーというと‘青い空と白い雲’の画家という思い込みがあるが、こんなしっとりした雪の情景も描いていた。

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2017.03.28

美術館に乾杯! コートールド美 その六

Img     セザンヌの‘カード遊びをする男たち’(1892~95年)

Img_0001     セザンヌの‘石膏のキューピッド像のある静物’(1894年)

Img_0002     セザンヌの‘サント・ヴィクトワール山’(1887年)

Img_0004     セザンヌの‘アヌシー湖’(1896年)

先般、‘スラブ叙事詩’を目玉とするミュシャ展や草間彌生展が行われている国立新美へ出かけたとき、嬉しい展覧会チラシが目に入った。2018年の2月からここで‘至上の印象派展 ビュールレ・コレクション’(2/14~5/7)が開催されるようで、以前やって来たことのあるルノワールの‘イレーヌ嬢の肖像’が掲載されている。

印象派の本によくでてくるチューリッヒにあるビュールレ・コレクション、2014年秋に国立新美は‘チューリヒ美展’を行い多くの美術ファンを楽しませてくれたが、そのときの情報だとチューリヒ美は2017年に新館が完成し、
ビュールレ・コレクション財団との統合も進みことがわかった。

となると、来年やってくるビュールレ・コレクションの作品は統合により生まれた大美術館からの出品ということになる。チラシにはルノワールとモネの睡蓮の2点しか載ってないが、ほかにどんな絵が登場するのだろうか。期待したいのがセザンヌ(1839~1906)の‘赤いチョッキの少年’、これはお宝すぎて無理?果たして。

2015年12月にフィラデルフィア美を再訪した際、2013年に見逃した‘大水浴図’をようやくみることができたので、ひとまずセザンヌは済マークをつけることにした。といっても追っかけをやめるというのではなく、次のターゲットは時間をかけてつぶしていこうという作戦。その狙い目トップ2点が‘赤いチョッキの少年’とモスクワのプーシキン美にあるピエロを描いた‘マルディ・グラ’。

このようにセザンヌのみたい絵はミューズのお陰で大方目に入った。セザンヌとのつきあいのはじまりがオルセーとコートールドの所蔵品。だから、‘カード遊びをする男たち’、‘石膏のキューピッド像のある静物’、‘サント・ヴィクトワール山’、‘アヌシー湖’はどれも目に焼きついている。

2010年にコートールへ来たとき‘カード遊び’をテーマにしたミニセザンヌ展が開かれていた。なんという幸運!5点ある‘カード遊びをする男たち’のうちバーンズコレクションを除く4点が結集していたので楽しくてたまらなかった。

また、風景画の‘アヌシー湖’は思い入れのある作品。若いころジュネーブに住んでいたが、フランスにあるこの湖はジュネーブからそう遠くないところにあるので一度クルマで出かけた。その記憶はだいぶ薄れているが、この絵をみるとこんな風な景色だったなとかすかに思い出す。

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2017.03.27

美術館に乾杯! コートールド美 その五

Img_0001     ドガの‘舞台の二人の踊り子’(1874年)

Img_0002     ロートレックの‘ボックス席の夕食’(1899年)

Img     スーラの‘化粧する若い女’(1886~90年)

Img_0003     スーラの‘クールブヴォアの朝’(1887年)

バレエの舞台が好きだったドガ(1834~1917)には踊り子をピンポイントで描いたものと本番の前の稽古にのぞんでいる踊り子たちをいろんな姿でみせるものがある。前者の代表作がオルセーにある‘エトワール’とコートールドが所蔵する‘舞台の二人の踊り子’。

‘エトワール’が手を大きくのばした踊り子を上のほうから眺めるような格好でとらえたのに対し、‘舞台の二人の踊り子’は足のつま先立ちとㇵの字をつくる足をみせるバレエらしい姿。本物のバレエの舞台は数回したみたことがないが、目に焼きつくのはなんといってもつま先立ち。だから、好みはコートールドのほう。

ロートレック(1864~1901)の‘ボックス席の夕食’は真っ赤な口紅を塗ったモデルの天真爛漫な微笑みが強く心に残る作品。ロートレックはモンマルトルで働く娼婦たちに可愛がられたからモデルを手配するのに苦労しなかった。この女も‘おちびちゃん、いいわよ、あの旦那も一緒に描くのかい、でもあの人の面が割れるように描いちゃダメよ。今後の商売に影響するからね’とかなんとか軽口をたたきながらポーズをとったにちがいない。

点描画家のスーラを1点でも多くみたいと願っているので、どの美術館にどの絵があるというのはおおよそ頭に入っている。ここは画集に必ず登場する‘化粧する若い女’と‘クールブヴォアの朝’を揃えている。日本には同じ展覧会ではないが、どちらもやって来た。

‘化粧する若い女’でおもしろいのは右手にもっているパフのあたりを中心にして後ろの部屋の壁に渦巻が白く描かれていること。この曲線に呼応するように、女性のスカートにも巻貝のような丸い輪ができている。そのため象徴主義の作品にみられる神秘的な雰囲気が感じられる。

一方、風景画のほうは音が消えたような静謐な世界。人物、木々、工場の煙突、ヨットのマストはみんな真っすぐな垂直線で整然と並んでいる。確かに、何も考えずに川岸に立ち遠くをみると目の前の光景がこういうふうに見えることがある。水平線や垂直線でつくられた構図は絵画の表現に深い意味をもたせるのに大きな役割をはたしていることがこういう絵をみるとよくわかる。

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2017.03.25

美術館に乾杯! コートールド美 その四

Img    マネの‘フォリー=ベルジェールのバー’(1881~1882年)

Img_0001     ルノワールの‘桟敷席’(1874年)

Img_0003     モネの‘アンティーブ’(1888年)

Img_0002    ピサロの‘ロードシップ・レイン駅、ダリッジ’(1871年)

絵を鑑賞するとき抽象画を除いてキャンバスに何が描かれているかはだいたいわかる。ところが、ときどきその理解が説明書きによって覆されることがある。マネ(1832~1883)が最晩年に描いた‘フォリー=ベルジェールのバー’はそんな絵のひとつ。

視線は中央にどんと描かれた給仕女にまずいく。そのあと後ろでお客と話し込んでいる別の女へと関心が移る。楕円形のようなカウンターがあって後ろのカウンターの向こうには椅子席がありそこに大勢に人が座っいる。これがしばらくみたあとにいだくこの絵の場面。

でも、これが大外れ!給仕の女のすぐ後ろには鏡があってそこに女の後ろ姿が映っているのである。そして、椅子に座っているようにみえる人たちはカウンターのこちら側にいるお客たち。絵の解説にはそう書いてあるが、女と鏡像の位置関係がなんとも不自然。だって、女の前には帽子をかぶった男はいないのだから。

この絵をみてマネの才能はスゴイなと思った。普通の画家はこんなトリッキーな絵は描かない。キュビスムと同じようにここには複数の視点が同居しており、想像をふくらませると見る者は移動すると立体的な画面が回転しているようにみえる。

ルノワール(1841~1919)の‘桟敷席’は大のお気に入りにでMy好きなルノワールのベスト5に入れている。若いころのルノワールはマネのように黒の使い方はとても上手い。コートールドのコレクションのお宝中のお宝がマネの絵とこのルノワール、もう最高!

モネ(1840~1926)の‘アンティーブ’は前景に斜めに傾く木が大きく描かれた大胆な構図から浮世絵の影響をイメージする人が多くいるにちがいない。通常の西洋画の学校では風景画にこんな目障りな木を中心にもってくることは教えない。だから、印象派は伝統的な絵画を打つ破ることから出発している。われわれ日本人は広重のこういう絵に慣れているのですっと入っていけるが、当時は違和感がありすぎ落ち着かない絵だったことだろう。

ピサロ(1830~1903)で一番好きなのが‘ロードシップ・レイン駅、ダリッジ’。手間にある歩道橋からみた列車の光景だが、画面中央、正面向きの列車がこちらに近づいてくるスピード感が量感のある煙の流れる様によって力強く伝わってくる感じがよくでており、臨場感にあふれている。

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2017.03.24

美術館に乾杯! コートールド美 その三

Img_0001

Img    ゴヤの‘ドン・フランシスコ・デ・サーヴェドラ’(1798年)

Img_0002  ゲインズバラの‘ゲインズバラ夫人マーガレットの肖像’(1778年)

Img_0003     ターナーの‘難破後の夜明け’(1841年)

ロンドンはパリやNY同様、観光で出かけても楽しい大都市だが、美術が好きだとその楽しみは3倍重ね。2010年に訪問したときは観光バスツアーを1日パスして全部で9つも美術館を回った。はじめてでかけたコートールドはナショナルギャラリーからはそう遠くはなく1キロちょっとのところにある。地下鉄利用ならテンプル駅で下車。

日本橋高島屋で公開されたコートールドコレクションには古典絵画や18世紀のころの作品は含まれておらず有名な印象派やゴッホ、ゴーギャンが中心だった。そのため、ゴヤ(1746~1851)の肖像画に出くわすとここがプラドの分館のように錯覚してしまう。

この人物はカルロス4世時代に財務大臣を務めたドン・フランシスコ・デ・サーヴェドラでゴヤを支援していた自由進歩派の法務大臣ホベリャーノスの友人、そのためゴヤは気合を入れて描いたにちがいない。ベラスケスもゴヤも本当に肖像画の名手。こんなにいい作品がさらっと飾ってあるのだからすごい。

ゲインズバラ(1727~1788)の肖像画はナショナルギャラリーではずらっと並びメトロポリタンやワシントンの国立美でもお目にかかるが、正直言って前のめりになってはみていない。だが、コートールドにある夫人のマーガレットを描いたものは素直にいいなと思う。見慣れた全身像ではなく上半身だけが大きく描かれているので、夫人の品の良さがそのまま伝わって来る。ゲインズバラは身内だから脚色せず素のままを描いたのかもしれない。

ターナー(1775~1851)の‘難破後の夜明け’は‘吠える犬’とも呼ばれている。犬が登場する作品はよく目にするが空にむかって吠えている姿はみたことがない。船が難破したあとの情景を思うとこの場に居合わせたら犬の泣き声が耳にズキン々と入ってくることだろう。

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2017.03.23

美術館に乾杯! コートールド美 その二

Img_0002    クラーナハの‘アダムとイヴ’(1526年)

Img_0003     ブリューゲルの‘エジプトへの逃避途上の風景’(1563年)

Img     ルーベンスの‘月明りの風景’(1635~1640年)

Img_0001     ルーベンスの‘ヤン・ブリューゲルの家族’(1613年)

先週の土曜日(25日)から六本木の森アーツセンターギャラリーではじまった‘大エルミタージュ美展’(~6/18)へ出かけるかどうかで今迷っている。未見の作品がひとつ気になるが、チラシに載っているものの半分はすでにみている。1枚の絵のために足を運ぶべきか、まだふんぎれない。

そのみたくなる絵はクラーナハ(1472~1553)の‘林檎の下の聖母子’、昨年西洋美で回顧展があり以前とくらべクラーナハの魅力の感じ方が変わってきたせいで、この聖母のモデルが気になってしょうがない。しばらく心は揺れ動きそう。

コートールドコレクションにもクラーナハの‘アダムとイヴ’がある。楽園には蛇もいればライオンも鹿もいるが、野生の動物園のように描くのは主流派とは異なるスタイル。たくさんの動物や鳥たちに囲まれたアダムは林檎を食べることがNGであるという意識が薄れてしまう。もっと自然に生きたい。

こうなると食べるのはもう止められない。高価なキャビアならブレーキがかかるが、林檎を食べるという小さな欲望を抑えるのは誰だって無理。それが原罪になるのだからキリスト教は息苦しい。

ここには嬉しいことにブリューゲル(1525~1569)が2点もある、‘エジプトへの逃避途上の風景’と灰色のグリザイユで描かれた‘キリストと姦淫の女’、ともに小さな絵だがブリューゲルと会っていると思うとじっとみてしまう。

バロックの巨匠、ルーベンス(1577~1640)が晩年ブリューゲルの風景画の影響を受け、とても心を打つ山々の情景や農民たちの生活を描いている。‘月明りの風景’はお気に入りの一枚。とくに魅了されるのが点々と輝く星々、西洋画で星の絵はほとんどお目にかからないが、今国立新美に飾れているミュシャの‘スラブ叙事詩’でではの最初に描かれた‘原故郷のスラブ民族’に美しい星々がでてくる。コートールドでも思い出が蘇った。

ルーベンスは花の画家と呼ばれたぶブリューゲルの息子ヤン(1568~1625)とうまがあったようで、二人は共作している。だから、ヤンの家族を描いたこの肖像画もとてもいい感じ。ブリューゲル親子とコラボしたルーベンスのことを知れば知るほど、ルーベンスが描いた風景画を追っかけたくなる。

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2017.03.22

美術館に乾杯! コートールド美 その一

Img    コートールド美の外観

Img_0001    ボッティチェッリの‘コンヴェルテイーテ祭壇画’(1494年)

Img_0002     マセイスの‘聖母子と天使たち’(1509年)

Img_0003     パルミジャニーノの‘聖母子’(1528年)

日本では印象派やポスト印象派の展覧会が頻繁に開かれるから、まめに足を運べば海外にある質の高い印象派コレクションを相当数見ることができる。そのなかで忘れられないのが2つある。フィラデルフィアのバーンズコレクション(1994年 西洋美)とロンドンのコートールドコレクション(1997年 日本橋高島屋)。

ともにここにもあそこにも名画があるという感じだった。マネ、ルノワール、ゴッホ、ゴーギャンらの有名な絵がごそっとやって来たコートールド美の展覧会はどういうわけか日本橋高島屋で数年間のうちに2回も開催された。だから、ロンドンにもう行く必要なしかと思われた。そんなこともあり、2010年にようやくコートールド美の訪問が実現した。

この美術館はいわゆる邸宅美術館で展示の部屋数が多くない。でも、飾られている作品は一級品ぞろい。数は少ないが古典絵画もある。最も魅せられるのはボッティチェッリ(1445~1510)の‘コンヴェルティーテ祭壇画’、誰もが目が点になりそうなのが左にいるマグダラのマリアの姿。

髪の毛が伸びて伸びてなんと体全体を覆っている。この髪ファッション、意外にいける。コンヴェルティーテは‘悔悛せし者たち’という意味、娼婦だったマグダラのマリアは悔悛し髪がこれほど長くなるまで修行を重ねたのだからエライ!

マグダラのマリアの足元をみるとまたハットする。小人のように描かれたトビアスと大天使ラファエル、絵画作品をたくさんみてきたが、こういうガリバーと小人たちの場面に遭遇したのはこの絵とプラハ国立美でみたアンリ・ルソーの‘私自身 肖像=風景’のみ。

髪つながりでいうとマセイス(1466~1530)の‘聖母子と天使たち’の聖母マリアの髪もかなり長い。この絵で癒されるのは後ろでリュートを奏でる子どもとイエスにむかってカーネーションを差し出している天使。このまま大人をやっていけそうなつるっとした表情がなんともいい。

パルミジャニーノ(1503~1540)が描くマニエリスム調の聖母子は一風変わっている。聖母は正面向きではなく膝を立てて横向き、背景に古典的な建物をおくところも変わっている。この舞台づくりがイエスの死についていろいろなことを想像させる。

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2017.03.13

美術館に乾杯! プラハ国立美 その十一

Img     クリムトの‘乙女たち’(1912~13年)

Img_0002    クリムトの‘アッター湖畔のカンマー城Ⅰ’(1908年)

Img_0001     クリムトの‘農家の庭’(1905~06年)

Img_0004     シーレの‘左脚を高くあげて座る女性’(1917年)

クリムト(1862~1918)は多くのファンがいる画家のひとり。だから、国内外で定期的に回顧展が開かれてきた。クリムトはカラヴァッジョやモネ、ゴッホ同様一生付き合っていこうと思っているので、作品が日本にやって来たときは欠かさず足を運んでいる。

最近では(といっても4年前だが)、2013年の春に宇都宮で開催されたクリムト展をJR(普通)で遠征し、しっかり新規の作品と対面した。こうして1点々積み上げているがクリムトのコンプリートのゴールはまだまだ先。これまで画集に載っているものでお目にかかったのは6割くらい。

プラハ美へ出かけたとき事前の作品チェックにはクリムトの‘乙女たち’は当然入っておりアンリ・ルソーとともに一番の楽しみにしていた。ところが、展示室を一通りぐるっと回ったのになぜか‘乙女たち’が姿をみせてくれない。これは大きな誤算。残念でならず、その思いをずっと引きずっている。

今だに原因がわからないのだが、はじめての美術館のため展示室を見逃したのかもしれない。あるいは、クリムトは別の建物に飾られているということも考えられる。じつは近現代美術は数カ所に分散して展示されており、り、シーレ(1890~1918)の‘左脚を高くあげて座る女性’など3点は街の中心となっている旧市庁舎広場の一角にあるキンスキ―宮殿で展示されている。そうすると、クリムトもここに一緒に飾られている可能性が高い。

ここにあげた4点は本当にみたくてしょうがないが2度目のプラハ旅行はなさそうだから、今は日本でプラハ美名品展が行われることをちょっぴり期待している。

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2017.03.12

美術館に乾杯! プラハ国立美 その十

Img_0003     クプカの‘黒い偶像’(1900~03年)

Img     クプカの‘ピアノの鍵盤ー湖’(1909年)

Img_0004    クプカの‘アモルファ、2色のフーガ’(1912年)

Img_0001     クプカの‘おしべとめしべの物語’(1920年)

西洋絵画でも日本画でも特定の分野の作品に限定しないでいろんなタイプの絵画をみるように心がけている。普段接するものの大半は具象画だが、抽象的な画風に感動することも数は少ないがある。例えば、カンディンスキーの美しい抽象画をみると心が跳びはねる感じになる。

東ボヘミアに生まれたクプカ(1871~1957)が描く抽象画にも大変魅了されている。この画家に強い関心を抱くようになったのは名古屋で仕事をしていた1994年に愛知県美で開催された‘クプカ展’に遭遇したから。これでクプカに開眼し、さらに縁が深まってのが2003年のプラ国立美の訪問。

ここにはクプカを展示する部屋が3,4室あり、初期の神秘主義に影響を受けた象徴主義的な作品や40歳以降にとりくんだ抽象画の傑作が数多く並んでいた。回顧展にはここのコレクションから多く出品されていたので嬉しい再会となったが、その感激にひたる暇がないほどいい作品が次から次と現れた。本場に来た甲斐があった。

杉山寧のエジプトの絵のような印象を受けるのが‘黒い偶像’、またじっとみていると香月康男のシベリア抑留時代を描いた作品ともイメージがダブル。クプカはこうしたちょっと重たい作品のほかにおもしろい猿の絵や裸婦が馬に乗って浜辺ではしゃぐという陽気な絵もある。

絵の中にぐっと惹きこまれるのはやはり抽象絵画、具象から抽象へ移行する過程の作品が‘ピアノの鍵盤―湖’、画面には鍵盤を思わせるものが描き込まれなんだか音楽が流れてくるよう。

‘アモルファ、2色のフーガ’は抽象画へ本格的に移行した最初の作品でパリで大きな話題になった。2mの大作でテーマは音楽と絵画のコラボ、これをシンプルな円やリボンの重なりにより青、赤などの少ない色で明快に表現している。

‘おしべとめしべの物語’は生命の力強い息吹が壮大な宇宙の揺らぎとまさに共振しているよう。今、ビッグバンで生まれた宇宙創成の物語にのめりこんでいるのでこういう作品はいつまでもみていられる。

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