2007.08.29

日光東照宮

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日光東照宮を20数年ぶりに訪問した。で、前回通った道はすっかり忘れている。東北道の宇都宮インターで降りたのは覚えているが、そこから日光までのルートがあやふや。“あの頃、日光・宇都宮道路はあった?”なんて話しているうちに日光インターが近づいてきた。高速道路を走っているので、宇都宮からはすぐという感じ。

そこから先もまだ、道路沿いの景色のイメージが戻ってこない。やっと、日光東照宮に着いたのを実感したのは赤い神橋が見えてきたあたりから。市営の駐車場から階段を上がり、広い表参道に立つと、この道を進んだことをかすかに思い出した。

見学の順番は“日光山輪王寺”、“日光東照宮”、“日光二荒山神社”、最後に“家光廟大猷院”。お目当ては前回、存在すら知らなかった国宝の大猷院(たいゆういん)。輪王寺の宝物館には探幽の3幅の掛け軸があったが、アベレージの作。ここではサプライズはなかった。

で、日本のバロック建築、東照宮へ急いだ。“見ざる・言わざる・聞かざる”の“三猿”の彫刻がある“神厩舎”には白い馬がいた。白い馬は午前中だけここに居るらしい。前回会えなかったのはお昼すぎに到着したからだ。これはラッキー。

いい気分になり、導線を右に曲がると“陽明門”(国宝、上の写真)が目に飛びこんできた。絢爛豪華さに昔ほどびっくりしないが、今は金色ではなくあの胡粉の白に強く惹きつけられる。最高の技で仕上げられた獅子や獏、龍などの彫物を一つ々みていると徐々に気分が高揚してきた。横の回廊に目をやると、美しい緑や赤で彩色された花鳥の彫刻が陽明門をいっそう引き立てている。

唐門のむこうの拝殿、石の間、本殿では案内の人が一通り、社殿の形式、“権現造”や内部に描かれた絵画のことを説明してくれる。真ん中の絵は拝殿の左の間にある狩野探幽作、“白澤(はくたく)”。前回見たはずだが、記憶が全く消えているから、はじめて見るようなもの。平和な世に出現するという白澤は昨年みた狩野一信の“五百羅漢図”(拙ブログ06/3/2)で関心の高かった聖獣だから、とても興味深かった。右の間には青竹と麒麟が描かれていたので見逃してはならじと、大勢の人が出口のほうへむかう中を掻き分けて、逆サイドにある絵の前に立った。“このおっさん、えらく熱心やな!”と思われたにちがいない。

有名な“鳴龍”はこの拝殿の中にあると思っていたら、これは勘違いで“それは陽明門を降りた右側の本地堂ですよ”と言われた。前は自分たちで天井に描かれた龍(下の写真)の頭のあたりで手をパチッとたたいた覚えがある。で、また拍手するのを楽しみにしていたら、かわりに説明する男性がいい音のでる拍子木を数回たたいてくれた。耳をすますと龍の頭のあたりから金鈴のような音が聞こえてきた。何度聞いてもいい音!

最後に見た大猷院の規模は東照宮より一まわり小さいが、豪華さは東照宮と変わりなく、期待以上の満足が得られた。ここの拝殿にも探幽が描いた唐獅子や狛犬があったので、再接近してみた。4つまわったので少しくたびれたが、心地よい疲れだった。

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2007.07.17

もっと知りたいスペイン! その二 アントニ・ガウディ

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TBSの“世界遺産”で2週続けて“アントニ・ガウディの建築物”を放映してくれたので、“もっと知りたいスペイン!”(拙ブログ07/6/18)のその二はスペインが生んだこの天才建築家にした。

ガウディがつくった建築物を全部見てみたい気持ちは強いが、普通のツアーだと訪問できる建物は限られている。半日くらいの自由行動があると、“グエル邸”、山と地中海をイメージした“カサ・ミラ”(3/16)とか海から発想した“カサ・パトリョ”の内部を見たり、屋上のユニークなオブジェを楽しめるのだが。ここは、建築の専門家ではないから、上の“サグラダ・ファミリア贖罪聖堂”と下の“グエル公園”を満喫することで心を落ち着かせるほかない。

ガウディは74歳のとき、路面電車にはねられるというショッキングな死に方をする。病院に運ばれたとき、みすぼらしいいでたちだったので、誰もガウディと気づかなかったらしい。亡くなった1926年、聖堂は降誕のファサードと4本の塔が姿を見せており、4本のうち1本は完成していた(画像手前の一番左の塔)。ガウディの最大の理解者であり、パトロンであった大実業家、エウセビオ・グエルが1918年に死去した後は、ガウディは聖堂の建設に専念し、資金集めをし、無償で働いていたから、この天才の突然の死は多くのバルセロナ市民を悲しませたにちがいない。

番組ではガウディ建築のあの幻想的な色使い、直線と曲面を多用した独創的なフォルムは何に刺激されて生み出されたのかを解き明かしていた。ガウディは小さい頃から生地レウスの自然に親しみ、成人して、カタルーニャの聖山と呼ばれる“モンセラー”に登ったりしたので、山や植物、生き物などが独創的な建築にとり必要なモィーフとなった。“創造するのではない、人間がつくりだすものは自然という偉大な書物のなかに書かれている”と語っている。

この自然主義はサグダラ・ファミリア聖堂やグエル公園でもあちこちにみられる。聖堂の外壁にはかたつむり、とかげ、亀、内部のかたつむりを連想させる螺旋階段、そして聖堂そのものが静寂な森である。グエル公園では、階段の中央に流れる水盤に蛇やドラゴンがおり、柱廊の天井にある太陽を表現した色鮮やかな円形装飾が目を楽しませてくれる。そして、観光客や市民の憩いの場になっている曲がりくねったベンチの装飾モティーフにもバラやクローバー、シュロの模様が使われている。

自然を創造の源にしたガウディの建築物をみていると、自然を愛する芸術家だけにミューズは微笑むような気がしてきた。

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2007.07.07

美の壺 五重塔と音楽

917NHK教育で金曜夜10時に放映される“美の壺”はお気に入りの美術番組。

とぼけたキャラクターが持ち味の谷啓と女性ナレーターのおもしろい掛け合いで、美術品を見る壺を25分でまとめてくれるので大変勉強になる。

で、毎月購入する“TV太郎”で何が取り上げられるかをチェックし、関心のあるものがでてくるときは必ずみることにしている。

昨日は“五重塔”だった。2ヶ月前、京都で醍醐寺の五重塔(拙ブログ5/19)を見たばかりなので、目と耳に力をいれてみた。面白い見方だなとすごく興味深かったのは五重塔の姿を音楽になぞらえていたこと。全国の五重塔を研究している専門家が登場し、“逓減率”というデータをつかって塔の特徴を分類していた。

逓減率というのは初層に対する五層の幅の割合のことで、例えば、初層が1に対し五層が0.5だったら、逓減率は0.5。これは安定感のある形。0.7だとすらっと背が高くみえる感じ。具体的な例をあげると、法隆寺の五重塔は0.5、山口市にある瑠璃光寺は0.68、そして醍醐寺は0.61となっているそうだ。法隆寺がずっしり安定型、瑠璃光寺のは細みの長身型、醍醐寺は安定感があり、そして高くも見える理想型。

それで、このように特徴づけられる塔のプロポーションがどんな音楽のリズムを想起するのか?ここからは番組制作者の創作。“法隆寺は重厚なベースのリズムが合う、瑠璃光寺のイメージはバイオリンの独奏による上品なリズム、醍醐寺はバランスがよく堂々としているので、色々な音が響きあう交響曲のハーモニーを想わせる”とナレーションし、バックにベース、バイオリン、管弦楽団の演奏を流していた。使われている交響曲はベートーベンの7番の一番盛り上がるところ。“ううーん、醍醐寺の五重塔とベートーベンの7番か。こんなコラボがあったのか!”と思わず唸ってしまった。

これにはちゃんと種本がある。全く知らなかったのだが、作家の井上靖(1907~
1991)は著書“塔”で“すべての日本の塔が多かれ少なかれ<凍れる音楽>にほかならない”と述べているのだという。早速本屋に行ってみようと思う。

右は番組でその優雅な姿からバイオリンの独奏が聴こえてくると言わしめた“瑠璃光寺五重塔”(国宝、室町中期、1442年の創建)。はじめて見たときは大変感動した。ここを訪れる観光客は誰もが手前の池側から記念写真を撮る。これほどいい撮影ポイントはない。番組には羽黒山五重塔(05/11/10)や東寺の54.8mと一番高い五重塔も取り上げられたから、“THE五重塔”のてんこ盛り。

木造建築の技を結集してつくられた五重塔。その美しさにしみじみ感じ入る。まさに日本の宝である。

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2007.05.19

銀閣寺&醍醐寺

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京都は毎年2,3回訪問し、美術館に行ったり、お寺巡りをしている。有名な寺院や神社は大体まわったが、数が多いのでまだ事前予約がいる桂離宮、苔寺、修学院離宮や醍醐寺などが残っている。で、今回は相国寺から近い銀閣寺と醍醐寺を訪ねた。

この時期は修学旅行が真っ最中なのか、最初に出かけた銀閣寺には制服を着た中学生が沢山いた。今は男女5人で一つのグループをつくり、グループ単位で名所旧跡を回るようだ。みていると観光ガイドを兼ねたタクシーの運転手が寺を案内したり、写真を撮っている。帰りのお土産屋で千葉県から来たという男の子に、小遣いの目安があるのか尋ねると“一万円ぐらい”と言っていた。

生八橋などの試食を沢山置いているお店がやはり人気で、みんな財布を出し、2、3個買っていた。両親とか兄弟、祖母、祖父用とか算段しながら買っているのだろう。昔も今も変わらないなーと懐かしく見ていた。日本人は修学旅行からお土産を買うことをおぼえ、以後この良き風習を一生続けていく。お土産をもらうと誰しも悪い気はしない。普通のお饅頭でもわざわざ買ってきてくれたというのがすごく嬉しくて、お土産をくれた人との親密度が増すことが多い。

銀閣寺(上の画像)は過去一度来たことがあり、二層の観音殿(銀閣)はよく頭に入っているが、どういうわけか白砂を段形に盛り上げた銀沙灘や円錐台形の向月台の記憶がない。たぶん、金閣寺&銀閣寺で観音殿にしか関心がいってなかったからだろう。で、以前見た池田遙邨が描いた名画、“銀沙灘”がイメージできるよう、今回はいろいろな角度からじっくりみた。とくに惹かれるのが円錐台形。これを想いついた人の美意識というか感性は相当レベルが高い。銀沙灘は月の光を反射させるためといわれてるようだから、夜ここの空間に立つとすごく感動するだろう。

醍醐寺は地下鉄東西線の醍醐駅から歩くにはキツイ距離なので、巡回バスに乗った。ここのお目当ては国宝の五重塔(下の画像)。高さは38mと羽黒山(拙ブログ05/11/10)の30メートルを上回る。さらに屋根の上に13mの相輪がある。完成したのは951年だから、この五重塔は京都府下では最古の木造建築物。どーんと立っている感じである。これで代表的な五重塔は全部見た。東寺、法隆寺、興福寺、室生寺、瑠璃光寺(山口市)、羽黒山。醍醐寺のをみて日本の木造建築物のすばらしさを再認識した。

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2007.03.16

バルセロナのアントニ・ガウディ

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久しぶりのスペインとはじめての国、ポルトガルを旅行してきた。A社の“情熱のスペイン、哀愁のポルトガル10日間”は昔から見慣れたキャッチコピーだが、この定番文句が旅心を掻き立てるのである。今回訪れたのは
★スペイン:バルセロナ→バレンシア→クエンカ→マドリード→トレド→ラ・マンチャ→コルドバ→グラナダ→ミハス→セビリア
★ポルトガル:エボラ→リスボン→シントラ・ロカ岬。
スペインではバルセロナ、マドリード、トレド、グラナダ以外ははじめて行くところだし、リスボンも含め期待の観光地が続く楽しいツアーだ。

では、まずバルセロナから。
バルセロナ訪問は3度目。前回が90年だったので、17年ぶりのスペインである。このツアーはバスでポルトガルまで移動するので一つの観光地であちらの名所もこちらの名所もというわけにはいかない。で、バルセロナは天才建築家、アントニ・ガウディ
(1852~1926)が建てた建築物の見学が観光の中心。メインディッシュの前菜として市街を一望できる“モンジュイックの丘”に行き、スペインという国の風景の目慣らしをする。写真撮影ポイントにつくまで現地の日本人ガイドさんがこの丘にあるオリンピック施設を説明してくれる。途中、“ミロ美術館”が見えてきた。前回はここを目指してバスの進行方向の逆からふーふーいいながら歩いたことを思い出した。

日本を発つとき現地の温度を気にしたが、スペインでも暖冬のようで、それほど寒くはなく安心した。市全体が見渡せる場所からは右に地中海、真ん中あたりに“サグラダ・ファミリア”の鐘塔が見える。遠くからではあるが3回目の対面である。“後でまた行くからね!”という感じ。“サグラダ・ファミリア”を観たくてこのツアーを申し込んだ人はすぐにでもあの塔まで飛んでいきたい気分かもしれない。

バスは坂を下ると地中海沿いの道路を通って、街の中心部に進んでいく。車窓から高さが60mもある“コロンブスの塔”をパチリ。昔はこの近くの岸壁に“サンタマリア号”が係留されていたが、確認できなかった。どこへ行ったのだろう?

だんだんバルセロナのお目当てであるガウディの建築物が近づいてくる。最初が波打つ壁面と青や緑の色ガラスに目を見張る“カサ・パトリュ”。24年前、ここを写真に撮っているのに全く記憶がない。グラシア通りで次に現れるのが上の“カサ・ミラ”。これは丁度バスが信号で止まったのでいいショットになった。交差点の四つ角に建っているから見映えがする。建物の形から“石切場”とも呼ばれているらしい。上のほうをみると人がいる。時間があれば中に入れただろうに。残念!

どのツアーでもガウディの作品で時間をかけてみるのは“グエル公園”と未完の聖堂“サグラダ・ファミリア”。“グエル公園”での見所は真ん中の“ドラゴン”と広場の曲がりくねったベンチ。2月9日の新聞にこのドラゴンが若い男に壊されたという衝撃の記事が載っていた。頭の先は欠けて周りを柵で囲っていたから、“これから見に行くのになんてことをしてくれたのだ!自分は一度見ているからいいが、楽しみにしている人もいるのに”と思わず、隣の方と顔を見合わせた。で、てっきり新聞に載ってた情況と変わりないだろうと思っていた。ところが、なんとドラゴンが完璧に修復されていた!!これには驚いた。こんなに素早い対応をしていたとは。はじめてみる隣の方の嬉しそうな顔をみて、ほっとした。

天井に鮮やかな色彩で太陽の円形装飾が施されている柱廊を通りぬけ、上にあがると大変楽しい広場にでてくる。波打つベンチは形もさることながら多彩色のタイルを砕き、また張り合わせる“破砕タイル技法”でコラージュ風につくられたモダンな模様に目を奪われた。明るい赤や青、緑、オレンジ色の組み合わせにはこのベンチの装飾を担当したジュジョール(1879~1949)の豊かな色彩感覚がいかんなく発揮されている。

“サグラダ・ファミリア”はグエル公園からそう遠くないところにある。真近に観るのは
1983年以来。四半世紀もたつから、どこからどういう風にみたのかよく覚えていない。当時は建設してから100年目にあたるのでそれを示すバナーがかけられていた。作業現場は建築は進んでいるのだろうか?と思うくらい閑散としていた。エレベーターで鐘塔を登り、高いところから聖堂全体を眺めたのはいい思い出。現在は観光客が増えているから、エレベーターで登るにはかなり時間がかかりそう。

現場も以前とは様変わりで、都会のビルの建築現場に入り込んだような感じである。当時とは違い、資金も集まり、自然石ではなくコンクリートを使ったり、CG解析などの最新設計で建設しているので作業スピードが上がり、2020年に完成の予定だという。

下の画像は“受難のファサード”の4本の鐘塔部分。樹木のような塔である。塔の先端の模様はヤモリの足のよう。ここにも色が輝くモザイクタイルが使われている。ガウディが最初に手がけた“誕生のファサード”からも写真を何枚も撮った。でも、家に帰りアルバムをひっくり返してみると前撮ったところと同じアングルが多い。ご愛嬌である。

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2006.12.14

伊東豊雄 建築/新しいリアル展

586新日曜美術館が2週連続でこれまで知らなかった作家を発見するきっかけをつくってくれた。

最初が現代アーティスト、大竹伸朗、次が建築家、伊東豊雄。その作品はいずれも目を釘付けにさせ、番組が終了した後、すぐ展覧会へ行くことを決断させるほど大きな力をもっていた。

“伊東豊雄 建築/新しいリアル展”は現在、東京オペラシティアートギャラリーで開催されている(12/24まで)。番組で伊東豊雄をみたとき、“この建築家は世界中から設計依頼が来るトップランナーの一人だろうな!年齢は40代後半~50代前半かな”と思った。活躍ぶりは予想通り、世界各地に斬新な建築物がつくられていた。

が、歳についてはふさふさした髪の毛に惑わされ、大ハズレ。実際は現在、65歳だった(1941、韓国京城市、現ソウル生まれ)。顔の表情、しゃべり方からはとても65歳には見えない。流動体の形態をもつ建築物同様、頭の中と体は柔らかいのだろう。

展示室には現在進行中の建築プロジェクトやすでに完成している建築物の模型が展示してあり、最新のCG技術を駆使して制作された三次元画像で建物の概観や内部の構造をより詳しく解説している。“台中メトロポリタン・オペラハウス”は曲面体のオペラホールやその周りの部屋が連続してつながる開放感溢れる建物。なんだか珊瑚礁をいくつもくっつけたようにみえる。

コンピューターの発達と最新の構造技術により、現在では流れるような形態の建築が可能になった。伊東豊雄が目指すのはこれまでの均質なグリッド(格子)に基づく建築とはちがう、複雑で流動的な連続体を生み出すエマージング(生成する)・グリッドをコンセプトとした建築である。これにより建築が周りの自然環境へ近づき、自然と一体になるような建築物をつくることが可能になる。

靴を脱いで入る展示コーナーでは、床はフラットでなく緩やかな曲面になっているので、慎重に歩かないと転んでしまう。これは岐阜県各務原市営斎場(06年完成)の屋根を再現したもの。斎場の屋根を横からみるとUFOが森の中を飛んでるイメージ。ここに展示してある巻貝の形をした“リラクゼーション・パーク”(建設中、スペイン)の模型に目を奪われる。自然界に存在するものとそっくりの建物が現実につくられているのだから驚く。

大型プロジェクターに“せんだいメディアテーク”(01年)、右の“MIKIMOTO Ginza2ビル”(05年)、“TOD’S表参道ビル”(04年)が映し出されるので熱心にみた。鉄のチューブが目を惹く“せんだいメディアテーク”を訪れる市民は年間100万人いるという。広々とした開放的な空間のなかで本が読める仙台の方が羨ましい。宮城県立美術館を訪問する機会があったら、是非寄ってみたい。“MIKIMOTOビル”はときたま見ることがあるが、てっきり海外の売れっ子建築家の設計によるものだと思っていた。伊東豊雄が設計してたとは。へえー!である。

来年春一般に公開される“福岡アイランドシティ、ぐりんぐりん”は屋根に緑の草木が生えているので、遠くからは丘のように見える。まさに地形と建築が一体化している。先行例として思いつくのは、フンデルトヴァッサー(拙ブログ04/12/24)が“人間と自然の調和”という思想のもとにオーストリアのブルーマウにつくった“保養村”(1997)。日本版の“建築と自然の調和”をいつか見てみたい。

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2006.08.13

中尊寺・金色堂

454まばゆいばかりに光り輝く中尊寺・金色堂(国宝)の余韻に浸っている。

19年前、ここを訪れたときは、普通の観光客が抱く程度の好奇心しか持ち合わせていなかった。

が、今はどのくらいの鑑識眼があるかは横においても、美術品を一生懸命見ようという気持ちは昔よりは格段に強くなっているから、鑑賞したあとの充足感はかなりある。

金色堂は堂の内外に金箔が押してある“皆金色”の阿弥陀堂。木材に黒漆を塗り、その上に3万枚の金箔が使われているという。なぜ金ピカにしたのか?黄金に輝く極楽浄土を現世に再現するためである。藤原清衡の願いは戦乱に明け暮れた奥州に平和をもたらし、仏国土を建設することだったから、豊富に産出する金を惜しげもなく使い、
1124年、金色堂を建てた。清衡が73歳で亡くなる4年前である。

3度目の訪問となると、見るポイントがすこし変ってくる。絵画や仏像をみることが多くなったので、黄金の輝きには目が慣れ、これだけでは感情はハイにならない。今回、以前にも増して惹きつけられたのが螺鈿の美しさ。螺鈿は金細工とともに装飾のハイライト。圧巻なのが右の内陣の4隅にある巻柱(まきばしら)の螺鈿。巻柱は8枚の杉の板をくるんだ円柱に麻布をまき、漆をぬった上に七宝荘厳が施されている。七宝とは極楽浄土を彩る金など7種類の宝玉をいう。螺鈿は南洋の海でとれる夜光貝などを漆にうめこんで削りだす装飾で、7色の輝きは浄土の光を連想させる。

宝相華唐草文は普通、絵画に描かれるが、ここでは螺鈿が用いられている。螺鈿の数は柱1本につき2040個あるという。巻柱だけでなく、天井、須弥壇などいたるところ螺鈿、螺鈿。。。今年は螺鈿に縁があり、畠山記念館でみた“蝶螺鈿蒔絵手箱”(国宝)のピンクやうす緑の輝きにもKOされたが、金色堂の螺鈿装飾は輝きの総量が桁違いに大きく、まさに極楽浄土の香りがする。

00年に新築された“讃衡蔵”で国宝の数々を見た。金色堂内陣に飾られていた“金銅華鬘”(こんどうけまん)や“螺鈿八角須弥壇”など。また、昨年10月、東博平常展でみた経文を多宝塔の形に書き写した“金光明最勝王経金字宝塔曼荼羅図”のレプリカがあった。

ここでの収穫はその隣に展示してあった“紺紙金銀字交書一切経”(同じく国宝のレプリカ)について、理解が深まったこと。清衡発願の“一切経”(すべての経典)を金字と銀字で交互に書写した経巻は本来は5300巻以上あったが、中尊寺に伝わるのは15巻のみで、高野山金剛峯寺に4296巻、観心寺に166巻ある。これは豊臣秀吉の命で京都に運ばれ、中尊寺には戻されなかったためである。03年の“空海と高野山展”にこれが出たとき、なぜ金剛峯寺の所蔵になっているのか合点がいかなかったが、これで腹に落ちた。

中尊寺がつくっているガイドブックの冒頭に、ある新聞社が実施した“訪ねたい古寺ベスト10”のアンケートで中尊寺が清水寺とともに2位に入った(1位は金閣寺)ことが紹介されている。“黄金の国、ジパング”をヨーロッパに広めた発信源が金色堂であったことを思うと、この順位は当然といえば当然である。

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2005.11.10

羽黒山五重塔

212洛中洛外図とともに今回の山形旅行の目玉、“羽黒山五重塔”は山形自動車道の庄内あさひICで降りて、30分くらい走ったところにある。

雪道を運転する経験が無いので、11月上旬がここを訪れる最後のチャンスと心得、計画を練っていた。出羽、羽黒山の五重塔(国宝)をこの目で見てみたいと思った直接のきっかけは、2年前、BS2であった“国宝100選”に冬の五重塔が登場し、その古くて凛々しい姿
に魅せられたため。ちょうど右の写真のような感じだった。

海抜436メートルの羽黒山の麓から出羽神社の表参道ははじまっており、歩い
て間もなく、樹齢2、3百年を超える鬱蒼とした杉並木に囲まれる。中でも千年を
超えるという巨杉、“爺杉”にびっくりし、ため息をついたあと、顔を右に向けると、
杉木立の間から五重塔が姿をあらわす。小さな石が敷き詰められた道の両側にそ
びえる、垂直線から少し内側に傾いた老杉が奥に立つ五重塔を引き立てている。
ううーん、これは立派な五重塔。。とつい唸ってしまう。誰もがここで写真を撮りたく
なるのではないだろうか。

この塔は、承平(じょうへい)年間、(931~938)平将門(たいらのまさかど)の
創建と伝えられるが、現在の塔はその後の再建によるものであることが分かっている。
おおよその時期は応安年間(1368~75)。世は鎌倉のあと、南北朝時代のころ
である。五重塔は三間五層の木造で、高さは30m。屋根は柿葺(こけらぶき)。
長年の風雪により、木肌が風食し、白くなっている。白さが時の流れを教えてく
れると同時に、その古さが極上の美をつくりだしている。

歴史的にみると、五重塔はその存在が危うい時期があった。明治の廃仏毀釈で、
まわりの石地蔵が谷底に捨てられたり、仏像が売り払われる中、五重塔も百日以内
に破壊せよと命じられたが、幸い、豪雪の時期に入ったため、破壊を辛うじて免れ
たという。五重塔を見た後、クルマで山頂まで行き、月山、羽黒山、湯殿山の三神
を祀っている“三神合祭殿”(重文)を参拝した。急な石段を慎重に登りながら、
上を見上げると、白が鮮やかな龍の彫り物がこちらを睨んでいた。日光東照宮の
豪華な彫刻の小型版である。現在、修復中で残念ながら、祭殿全体の姿をみること
ができなかった。

案内の人に月山までクルマで行けるか訪ねると、もう冬期なので無理とのこと。
次回の月山登りに思いを馳せながら、羽黒山を後にした。

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2004.12.25

ウィーンのフンデルトヴァッサーハウス

646_1BS2では23日と今日、ドナウ川紀行の再放送をしていた。

昨年中欧を旅したときの感動が現地の映像をみてよみがえった。1年前なので記憶もかなり残っている。23日の放送はウィーンだった。

2回目の訪問だったので、新しい観光名所にいくつか行った。そのひとつがフンデルトヴァッサーハウス。フンデルトヴァッサーは画家であり
建築家でもある。人気の芸術家で今、このユニークな建物はウィーンの観光名所になっており、沢山の人がいた。

中国人のパックツアー客がガイドの説明を熱心に聞いていた。日本の旅行会社はこんな所に連れてってくれることはまず無い。自由時間のプライベイトオプションだ。どうでもいいことだが、中国人のコースにここが入って
いるのが妙に気にかかる。彼らの方が文化教養度が高いのかなと思ってしまう。

このハウスは86年に市営住宅として建設され、現在も普通の人が住んでいる。
中には入れず、外の概観をみるだけだ。フンデルトヴァッサーが描いた色彩鮮やかな
曲線と渦巻き模様の絵をそのまま建物にした感じだ。バルセロナにあるガウディの
建築群を連想する。フンデルトヴァッサーもガウディの建物に刺激されたのだろう。

ここから15分くらい行ったところに、フンデルトヴァッサーの絵が展示してある
クンストハウスがある。この美術館は91年にオープンした。建物は市営住宅
同様、変わっており、展示室の床が波打っている。これには驚く。絵は子供が
描いたようでもあり、クレーにもちょっと似ている。でも、この鮮やかな色彩は
この画家しか生み出せないだろう。かたちは曲線と渦巻きが多い。野原にある
ぜんまいの形にヒントを得たのかも?

フンデルトヴァッサーは百の水という意味らしい。日本の木版画に注目し、日本
から職人を呼んで作品を完成させている。絵には百水の落款がある。

この画家は1928年ウィーンに生まれている。母親はユダヤ人。親族の
大半はナチスドイツに殺されている。画家の唱える“5枚の皮膚”という
考えは重要だ。“人間は5枚の皮膚につつまれている。体の皮膚、衣服、
住まい、アイデンティティー、地球環境”。ここでアイデンティティーとは
集団、共同体、国民などへの帰属のこと。

5番目の皮膚、地球環境、自然と人間との調和が大事であるといい、自然の丘
の地形を生かした温泉保養村などを建設している。エコロジーの
考えを自分の芸術で実践した人だ。00年2月、98年から住んでいた
ニュージーランドで心臓発作のため亡くなっている。

日本でフンデルトヴァッサーの絵を観たのは大原美術館池田20世紀
美術館
だけ。この画家の展覧会をどこか開いてくれないかと秘かに
願っている。

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