2008.05.06

その四 グレコ  ベラスケス  ゴヤ

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メトロポリタンはルーヴル同様大きな美術館なので、一回の訪問ではとても作品の全貌はつかめない。普通のツアーでは鑑賞時間は1時間とか1時間半程度。これだと、狙いを定めないで“ぐるっとまわってみようか”という気分でスタートすると、“まだこれだけしか見てないのにもう一時間経ってる。集合時間時間まであと30分しかない!”とあせりまくり状態にきわめて高い確率でおちいる。だから、ここを訪問するときはルーヴルでとったような綿密な作戦が必要。

あれもこれも欲張ってみるよりは自分の見たい絵や彫刻、遺跡出土品をかなり絞りこんで鑑賞したほうが大きな満足がえられる。例えば、絵画だとヨーロッパの古典絵画と印象派だけをみて、20世紀美術はMoMAやグッゲンハイムにまかせてパスするとか。また、エジプト、ギリシャ・ローマ美術は大英博物館、ルーヴルのほうが質、数は上だから、有名なものだけピンポイントでみるとか。

今回はまだじっくりみてないアフリカ美術コレクションに時間を使うことも考えたが、これを我慢してお目当ての絵画だけに集中した。そして、重点鑑賞画家にしていたのはグレコ、ゴヤ、レンブラント、カラヴァッジョ、ラ・トゥール、フェルメール、ドガ、サージェント。

昨年プラド美術館やトレドで久しぶりにグレコ、ベラスケス、ゴヤの傑作と対面し、スペイン絵画への親密度がぐっと増した。さらに今回のアメリカツアーではシカゴ、ワシントンナショナルギャラリーとここメトロで画集に載っている有名な絵が見れたからスペイン絵画は一気に済みマークがついた。とくに昔から大好きなグレコとゴヤがすごく充実していたので、満ち足りた気分になっている。

プラド以外でグレコ(1541~1614)のコレクションで評価が高いのは一度訪問したことのあるブダペスト美術館とメトロポリタン。上は再会を心待ちにしていた“トレド風景”。何度見ても絵のなかにぐぐっと惹きこまれる。深い緑で描かれた起伏のある川と丘、そして不気味な青い空がすごく印象的。2日前とりあげたブリューゲルの風景画のように画面左手の遠景には坂道を橋のほうへ歩いている人たちが小さく描かれている。中国の万里の長城をイメージさせる城郭と大聖堂のむこうには宮廷がおかれていたアルカサルがみえる。

このほかにも最晩年の作品“黙示録第五の封印”、“自画像”、衣装の朱色と白の対比が鮮やかな“枢機卿ベルナルド・デ・サンドーバル”など目を見張らされる傑作が目白押し。また、1階のレーマンコレクションの部屋には同じ題名の作品のなかではベストといわれる“十字架を担うキリスト”とこれまたすばらしい肖像画“聖ヒエロニムス”がある。よくこれほど質の高いグレコの絵を集まったものである。ビジネスの成功により巨万の富を手に入れたアメリカ人コレクターの眼力に敬服するしかない。

真ん中のベラスケス(1599~1660)の“フアン・デ・パレーハ”は前回見たという確かな記憶がないので、二重丸の絵。このツアーではベラスケスの肖像画が大当たり。ボストンにあった“詩人ルイス・デ・ゴンゴラ”(拙ブログ4/20)に魅了されたが、これはそれ以上に惹きこまれる。モデルはあまり腕のよくない助手。口ひげをたくわえたふてぶてしい赤銅色の顔にすごいインパクトがある。これまでベラスケスの肖像画というと王女マルガリータばかりに目がいきすぎていたから、この傑作に出会ったのは大収穫。

下の絵はゴヤ(1746~1828)の“マヌエール・オソーリオ・マンリケ・デ・スーニガの肖像”。15年前、この絵を見たときは大感激した。あの“裸のマハ”や“わが子を喰らうサトゥルヌス”を描いたゴヤがこんな愛らしい子供の絵を描いていたとは!子供は色が白いから赤の衣装がほんとうに映える!前回、純真無垢なこの男の子ばかりに目が集中し気がつかなかったが、隣にいる3匹の猫がやけに不気味。やはりゴヤは並みの画家ではない。

ほかにもいい絵がある。マネを感動させた“バルコニーのマハたち”、肖像画の傑作“セバスティアン・マルティネス”、そしてレーマンギャラリーに飾ってある“アルタミラ伯爵夫人と娘”。なかでも前回見逃した“アルタミラ伯爵夫人と娘”に200%感動した。プラドでゴヤと再会して以来、頭のなかはゴヤの絵でいっぱい。今回、念願だった“ポンテーホス女侯爵”(4/14)とこの伯爵夫人に対面でき、これ以上の幸せはない!

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2008.04.14

その五 ヴァトー  ゴヤ  ホイッスラー

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訪問する美術館でお目当ての名画がすべて鑑賞できれば申し分ないのだが、そうは問屋がおろさない。ここでの誤算は隣の方に是非見せたかったグレコの“ラオコーン”が展示されてなかったことと、特○のフラゴナールの“読書をする少女”に会えなかったこと。現在、スペイン絵画、18~19世紀初期フランス、そしてイギリス・アメリカ絵画の展示室が工事で閉鎖されている。前回パスした“読書をする少女”と対面できないとは。残念でならない!

一部の作品は1階に設けられた臨時の展示室に飾られているというのでまわってみると、リストに載せていた作品がほんの数点あった。上はヴァトー(1684~1721)の“イタリアの喜劇役者たち”。これはルーヴルにある有名な“ピエロ”の別ヴァージョン。ピエロはここでもあまり感情を外にださず、舞台中央でポーズをとっている。足下に白いバラの花綱が撒かれているから、この場面は幕間の一瞬かカーテンコールなのだろう。やさしそうな顔つきをしているが、まわりの人物とは違い何か醒めている感じのピエロが強く印象に残る。

ここでゴヤの画集にでている名画2点に会うのを楽しみにしていたが、見れたのは真ん中の“若いポンテーホス女侯爵の肖像”だけ。ゴヤの描いた女性の肖像画では最も魅了される“サバーサ・ガルシア”との対面は次回に持ち越されることになった。だから、嬉しさも中くらいなりといったところ。

“ポンテーホス女侯爵”は緑豊かな自然を背景にしたロココ風の肖像画。昨年プラド美術館でみた“オスーナ公爵夫妻と子供たち”(07/3/20)と雰囲気がよく似ている。女侯爵が着ているのは当時フランスで流行っていたポロネーズというドレス。目を奪われるのが銀灰色のレースや紗の生地。こんな繊細な質感が出せるのはゴヤのほかにはゲインズバラしかいない。

繊細でほんわかとした空気が漂う画面の中で、ちょっとくつろげるのが右の下に描かれた子犬。左の前足を少し上げ正面をむいている。円山応挙が描く子犬のようなには可愛くはないが、不思議と違和感を感じない。この絵は女侯爵の結婚記念として制作されたものだから、この犬は古典画同様、貞節を象徴している。が、絵をじっとみていると貞節の意味はどこかへとんで、子犬はヴァン・ダイクが王妃の美しさを引き立てるのに使った小人やサルと同じ役割ではないかと見てしまう。

下の絵はホイッスラー(1834~1903)の“白のシンフォニーNo1白衣の女”。これは美術の本にのっている代表作のひとつだから、いつか会いたいと思っていた。背景と女性を同じ白で描くというのはゴッホの“ひまわり”の色彩表現と同じ発想。そして、足元に置かれた熊の敷き皮はヴァン・ダイクやゴヤのサルや犬と同じ役割だろう。

目鼻の整った女性が描かれた魅力的な肖像画なのに、発表当時は女性が持っている白ユリがしおれており、“これは処女喪失の絵だ!”と辛らつに批判された。日本画に描かれる花や鳥と違って、西洋の宗教画では花は何かの象徴(この絵の白ユリは純潔)を表すことが決まりになっているから、もう大変!そんなお話は忘れてこのホイッスラーの名作をじっくり味わった。

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2007.03.20

ゴヤのマルチ画風に感服!

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プラド美術館の入場口の前にゴヤの肖像彫刻がある。やはり像があるベラスケスと同様、ゴヤはここスペインでは特別な存在だ。ゴヤ(1746~1828)の絵をプラドは170点所蔵している。これは巨匠たちのなかでは一番多く、2階と3階の多くの部屋がゴヤの作品にあてられている。

事前の鑑賞シミュレーションでは女性画とタペストリーの下絵として制作された風俗画、“黒い絵”シリーズをもう一度しっかり見ようという作戦を立てた。結果は出来すぎというくらい上手くいった。最後の10分は走りながら見たという感じで、あわただしかったが、望みの絵はだいたい目の中におさめたので、出口では満ち足りた気分だった。

誰しもそうだろうが、はじめてこの美術館を訪れたときはまず、代表作の“着衣のマハ”、“裸のマハ”を一生懸命になってみる。そして、“この絵のモデルは誰だ?”とか、“カソリックの厳しい戒律のなかで、どうしてこんな生身の裸婦が描けたのか?”などの情報をかき集め、自分でまた想像力をふくらましていく。ゴヤとアルバ公爵夫人との関係はピカソの女性遍歴よりずっと面白い。

挑発するようなポーズのマハで一回目のショックを受け、次に耳が聞こえなくなった後に描かれた人間の内面がそのまま表情に出ているような肖像画や戦争の悲惨さや人間の魂の叫びを表現した重苦しくて、衝撃的な絵に遭遇し、へなへなになる。こちらの方が衝撃度は大きい。2回目のとき時間をかけて見た“巨人”や“黒い絵”シリーズの“わが子を喰らうサトゥルヌス”は一生忘れないだろうなと思うほど胸にズシンと響いた。

ゴヤの絵についてはだいたいこんなイメージをもっていたが、プラドのあとメトロポリタン美術館で見た赤い衣装を着た男の子を描いた“マヌエル・オソーリオ・デ・スーニガ”に
200%感動した。以後この絵がルノワールが描く少女画とともに大好きな一枚になった。だから、今回可愛い子供の肖像画を見るのがお目当ての一つだった。上がその絵、“オスーナ公爵夫妻と子供たち”(部分)。こんなに可愛い男の子と女の子がいようかと思われるくらい愛らしい。人間への暖かいまなざしが内にあるからこそゴヤはこれほど美しい肖像画を描けるのである!

深く人間を見つめるゴヤは戦争の悲惨さもきっちり描き、見る者に深い共感をよびおこす。真ん中は有名な“1808年5月3日、マドリード ピリンシペ・ピオの丘での銃殺”。この絵はいつみてもこたえる。銃を構えるナポレオン軍の兵士は一様に顔を隠し、機械のように描かれているのに対し、光をうけて白く輝くシャツを着た男の右手のひらには殉教のキリストのように聖痕がみられる。

最後力をふりしぼって、ゴヤが73歳のときマドリード郊外の家の食堂とサロンの壁に描いたという14枚の“黒い絵”をみた。前回目に力が入ってなかったもので今回、注目してみたのが“棍棒での決闘”と下の“砂に埋もれる犬”。“犬”は現代絵画といってもいいすごい絵。頭だけのぞかせる犬はまもなく流砂にのみこまれるのであろうか。じっとみているとジーンとくる絵である。犬は音を失ったゴヤ自身の心情を表しているともいわれる。これからはゴヤの絵としっかり向き合おうと思う。

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2006.04.02

プラド美術館展のムリーリョ

349東京都美術館で開催中の“プラド美術館展”(6/30まで)には予想以上のいい絵が展示されている。

世界トップクラスの美術館が収蔵する作品を展示する場合、その絵の質によっては主催者が宣伝するほど見る人は評価しないケースだってある。今ではマドリッドにあるプラド美術館を訪問し、ベラスケスやゴヤ、グレコなどの名画を鑑賞したひとは数多くいるので、名画の残像が消えないときに日本に来た作品に接するとどうしても“えー、こんな絵しかきてないの、現地にはこれよりずっといい絵があったよ”ということになる。

プラドのような大美術館の展覧会ではあまり期待を膨らませないほうがいい。館自慢の名画が1、2点あればもう立派な展覧会である。そういう意味では、今回は目玉にティツィアーノの“ヴィーナスとオルガン奏者”(拙ブログ2/26)があるので申し分ない。これはベラスケスなどスペインの巨匠以外ではティツィアーノとルーベンスの傑作が揃っているプラドの所蔵品のなかでも評価の高い絵。

やはり群を抜いていい。とくにヴィーナスがつけてる髪飾り、イヤリング、ネックレス、腕輪の光り輝く質感に驚かされる。ベッドの敷物、後ろのカーテンのえんじ色と室内の外の風景に見える木々の緑が実にうまく溶け合い、落ち着いた絵画空間となっている。描かれた3人は顔の表情に微妙なちがいがある。左のクピドが一番緊張した顔をしている。幼子なのにどうしてそんなに顔をこわばらせているの?という感じ。端正な顔をしたヴィーナスはクピドの真剣なまなざしにたじらうこともなく、ゆったりと体をベッドに横たえている。右の二人に視線が向かうのに対し、左側のオルガン奏者は目がぼやっとしており、存在感はあまりない。今回でているティツィアーノのほかの3点にも魅了された。

また、右のムリーリョ作、“無原罪のお宿り”にも深い感動を覚えた。02年のプラド美展(国立西洋美)にも別ヴァージョンがでていた。前回のマリアは顔をすこし傾け、上のほうを見ているポーズだったが、この絵ではマリアは胸の前で両手を合わせ、まっすぐ前を向いている。目、口、鼻、のバランスがよく、とてもチャーミング。セビリアの町を歩けば出くわすような女性である。白い三日月に乗る聖母マリアのまわりには可愛い天使がいる。天使の数は今回のほうが多い。上のほうにいる頭だけ描かれた天使は左右からマリアをみつめ、マリアの足元にいる天使は手に花を持っている。ムリーリョの描く天使をみて心が和む感覚は円山応挙や長澤芦雪の仔犬図を前にしたときのそれと似ている。ムリーリョの優しい感性が充分伝わってくる“無原罪のお宿り”や羊がでてくる“貝殻の子供たち”を見れたのは大きな喜び。

このほかにも好きなグレコが4点あったし、ゴヤの色が鮮やかな“果実を採る子供たち”も見れた。階段を登るのはしんどいが、これを吹っ飛ばしてくれるほどの満足が得られる展覧会であった。

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