2009.10.22

THE ハプスブルク展 その一 目玉はスペイン絵画!

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国立新美で開催中の‘THE ハプスブルク展’(9/25~12/14)は東博の‘皇室の名宝展’同様、大盛況。ウィーン美術史美とハンガリーのブダペスト国立西洋美からやってきた絵画75点は02年の‘ウィーン美術史美術館名品展’(東芸大美)の内容を2割くらい上回る感じ。

いい絵がいくつもあった前回のレベルをこえるのだから、これは春のルーヴル美展と遜色のない一級の西洋画展覧会である。しかも武具や装飾工芸品のオマケつきだから、気分は相当盛り上がる。

ビッグな展覧会なので絵画を2回取り上げることにした。目玉はずばり、スペイン絵画!
★ベラスケスの‘白衣の王女マルガリータ・テレサ’:ウィーン美術史美(上の画像)
★エル・グレコの‘受胎告知’:ブダペスト国立西洋美(真ん中)
★ムリーリョの‘悪魔を奈落に突き落とす大天使ミカエル’:ウィーン美術史美(下)

今回、5歳の王女マルガリータは弟の‘皇太子フェリペ’(2歳)も連れてきてくれた。ベラスケス(1599~1660)はマリガリータの肖像画を3点(拙ブログ08/8/5)描いているが、国立新美は昨年が3歳のときの‘バラ色のマルガリータ’、今年が5歳のマルガリータを展示してくれた。

これで‘フェリペ’を入れて美術史美にあるべラスケスの作品は日本で全部公開されたことになる。‘待てば海路に日和あり’である。3歳の絵も心に響くが、この白衣を着たマルガリータもとても可愛い。まるでお人形さんみたい。

また、ベラスケスが20歳頃に描いた‘食卓につく貧しい貴族’(ブダペスト美)と再会できたのも有難い。このカラヴァッジョを思わせる光の使い方を目に焼けつけた。

グレコ(1541~1614)の‘受胎告知’は86年に西洋美であったエル・グレコの超一級の回顧展に大原美蔵の‘受胎告知’と一緒に展示された。また、03年中欧を旅行した際、ブダペスト美でも見たから縁が深い。

グレコの絵にのめりこんでいったのはこの回顧展から。Myカラーが緑&黄色なのはグレコの絵に魅せられているため。ヨーロッパでも有数のグレココレクションを誇るブダペスト美からこの傑作がやってきたのは本当にすばらしい。うっとりしながら見ていた。

ムリーリョ(1618~1682)の大天使ミカエルの絵もなかなかいい。血のついた剣を右手のもつ躍動感のある姿に思わず惹きこまれる。

ゴヤ(1746~1828)はブダペスト美から男性の肖像画が1点。あまり欲張ってもいけないのだが、これでなくて1810年に描かれた傑作‘水を運ぶ女性’が登場したら嬉しかったが。そううまくはいかない。

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2009.09.08

西洋絵画のABC理論  C(チャイルド)

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聖母子やキューピッド(拙ブログ2/10)は宗教画の定番だから、かわいい子供の絵は数かぎりなくある。バロック以降でみると、ルーベンスは妻や子供をよく描いているし、ヴァン・ダイクにも少年貴族を描いたいい肖像画がある。

そして、何といっても子供の絵の真打はベラスケス。小さい頃の王女マルガリータの肖像(08/8/5)は‘THE 子供画’の傑作中の傑作。近代になってからは人物画の名手ルノワールが女性だけでなく愛らしい女の子や男の子(女の格好をさせて)沢山描いた。

今日はMy好きな子供画ファイルのうちまだ紹介していないものを。
★ムリーリョの‘善き羊飼いキリスト’:プラド美(上の画像)
★ミレイの‘はじめての説教’:ギルドホール・アート・ギャラリー(真ん中)
★ピカソの‘アルルカン姿のポール’:ピカソ美(下)

ムリーリョ(1618~1682)の描く子供はラファエロ同様、とても心を揺すぶる。この絵のキリストも本当に可愛い。何年か前、西洋美であったプラド美展でも展示されたから、多くの美術ファンの心を和ましたにちがいない。幼児天使でお気に入りはラファエロ、ティツィアーノ、ムリーリョ。この3人に加え‘ガニュメデスの誘拐’(05/7/18)を描いたレンブラントとちょっと意味ありげな顔をした天使が特徴のパルミジャニーノも頭のなかにある。

ミレイ(1829~1896)が愛らしい子供の絵を描くことを知ったのは4年前、Bunkamuraで行われたスコットランド国立美展。ここに‘優しき目は常に変わらず’という題名のついたすばらしい少女の絵があった。それまでミレイというと代表作‘オフィーリア’のイメージがあったので、面食らった。昨年Bunkamuraの回顧展でも、まだ子供ではあるがMy好きな女性画に即登録したい絵があった。‘はじめての説教’に描かれた緊張気味の幼子のパッチリまなこが忘れられない。

男の子の絵ですぐ思いつくのがピカソ(1881~1973)の絵。ポール(3歳)は最初の妻、オルガとのあいだにできた子供。ピカソは1914年から1925年までキュビスムから離れ古典に回帰する。いわゆる‘ピカソクラシック’である。1920年には肘掛椅子に座るオルガを、その4年後に黄と青の菱形模様の衣装を着て闘牛士の帽子を被ったポールを写実的に描いた。このポールの絵がとても気に入っている。

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2009.01.22

名画「巨人」はゴヤの作ではなかった!?

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マドリッドにあるプラド美術館は所蔵の名画‘巨人’はゴヤが描いたものではなかったことを明らかにした。‘それ、本当なの!ゴヤ作品のなかにある重たくて狂気的なイメージはこの絵とか「わが子を喰らうサトゥルヌス」でつくられていたのに’と思われた方が多いのではなかろうか。

で、手元にあるゴヤの本や画集に‘巨人’がどういうふうに解説されているか確認してみた。06年11月に出版された‘西洋絵画の巨匠・ゴヤ’(小学館)で著者の大高保二郎氏(早大教授)はこう書いている。‘1812年の財産目録に記載された「巨人、18番」と同定されてきたとはいえ、最近その来歴に疑義が生まれ、様式上ゴヤ以外の手に帰したり、19世紀末の作とみる研究者もいる’。

ゴヤの研究では国際的に高く評価されている大高氏がこう指摘しているくらいだから、この絵の作者がゴヤでない可能性が数年前から大きくなっていたのだろう。プラド美によると、作者はゴヤの弟子、アセンシオ・フリアとのこと。専門家は動物の描写が粗いことなどから、ゴヤの作品ではなくフリアが描いたものと結論づけている。

では、ゴヤはこの絵にまったくタッチしてなかったの?これだけすごい絵を無名の絵描きが自分一人で描けるのだろうか?依然として疑問は残る。いずれ詳細な調査結果がわかるだろう。

< 展覧会情報 >
‘美術の窓’(09年2月号)に今年開催される注目の展覧会が沢山載っており、そのなかに求めていた画家の回顧展があった。いずれも後半(7~12月)に行われるものだが、とても嬉しいのでいくつか紹介したい。

7/11~8/23     小林かいち展        ニューオータニ美
9/5~10/12     英一蝶展          板橋区美
9/12~10/12    20世紀モダンアート展  Bunkamura
10/24~12/23   クリムト・シーレ展     サントリーミュージアム
11/3~12/20    小野竹喬展         大阪市美
11/10~12/23   ロートレック展        Bunkamura
12/11~10年3月  束芋展           横浜美

今、のめり込んでいる小林かいちの作品がまた、ニューオータニでみれる。これは伊香保にあるコレクション。板橋区美が25年ぶりに英一蝶展をやってくれる。長いことこれを待っていた。本当に有難い!小野竹喬の回顧展は10年前、岡山県笠岡市にある竹喬記念館で見た。以来、カラリスト、小野竹喬の絵にぞっこん惚れている。そろそろ、どこかでまた回顧展をやってくれないかと願っていたら、大阪市美が期待に応えてくれた。

Bunkamuraは昨年と連チャンでロートレック展を開催する。今年はアルビにあるロートレック美の館長の企画によるもの。まだみてないロートレック美蔵の絵に期待大。モダンアートはロックフェラーのコレクションというから、これは見逃せない。クリムト・シーレ展は久しぶり。サントリーミュージアム(天保山)はまだ訪問したことがないから、心が動く。若手現代アーティストのなかで最も好きな束芋の大規模な回顧展が横浜美である。とても楽しみ。

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2008.12.16

08年感動の美術鑑賞プレイバック! ナショナル・ギャラリーⅡ

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西洋絵画の有名な絵はほとんど海外の美術館にあり、鑑賞の機会はそう何回もないから、その絵との対面は‘一期一会’みたいなところがある。たとえ幸運にも複数回みたとしても、関心のある画家だとよく覚えているが、そうでない場合は前回みてからの間隔が長くなれば、前の印象はまったく消えてしまっていることが多い。

今回取り上げる3点は見たことは見たのだろうが、絵の前に立ったという実感のとぼしかった絵と17年経ってもまだその絵のすばらしさが心に刻み込まれていた絵の組み合わせ。

★ティツィアーノの‘キルトの袖をつけた男の肖像’(上の画像)
★ゴヤの‘ドーニャ・イサベル・デ・ポルセール’(真ん中)
★マネの‘ビヤホールのウェイトレス’(下)

今でこそティツィアーノ(1506~1576)の絵にのめり込んでいるが、前回ここを訪問したときはティツィアーノとティントレットの絵の区別がはっきりつかないくらいヴェネツィア派にはうとかったから、この肖像画をしっかりみたという記憶がなかった。当時購入した図録(日本語版)の表紙にこの絵が使われており、これを本棚から引っ張り出して見る度に‘豚に真珠だったな’と思っていた。

でも、おもしろいことに実際は見たイメージがないのに、図録のお陰でこの絵は目に焼きつき、最近はそのすばらしさが体に沁みわたっている。だから、絵の前では‘また来たよ!’という感じ。図版でいつも仰天させられていたキルティングされたサテンの袖の見事な質感描写を息を呑んでみた。

この横向きでこちらを見ている男は若いころのティツィアーノといわれている。肖像画のモデルは普通こちらに見られているという感じでポーズをとるのに、この男はこちらを見ているという印象が強い。しかもその表情が自信に満ちているので、見てるこちらが心理的に圧迫される。

ティツィアーノの兄貴分にあたるジョルジョーネが描いた男の肖像画で同じように視線をこちらに投げかける絵‘ヴェネツィアの紳士の肖像’をワシントンナショナルギャラリーで見たが、こちらのほうがティツイアーノの自画像より目がきつく、あくの強そうな顔をしていた。

ゴヤ(1746~1828)とマネ(1823~1883)の女性の絵はすごく印象深い絵で、とても気に入っている。‘ドーニャ・イサベル’をはじめて見たとき、彼女の瞳と白い肌を引き立てている黒いレースのマンティーリに釘付けになったことを今でも鮮烈に覚えている。この絵と同じくらい魅了されたのがベラスケスの傑作‘ヴィーナスの化粧’で、再会を楽しみにしていたのに、どういうわけは姿を消していた。残念でならなかったが、すぐ気持ちを切り替えて‘ドーニャ・イサベル’に集中した。何度見てもこの絵は心を揺すぶる。

マネの絵では、ジョッキを客の前におきながら、もう一方の手に二つのジョッキをもっているウェイトレスのあまり楽しそうにない表情がすごく気になる。また、手前のパイプを吸っている男も静かに前を見ている。こうした都会の生活に疲れた男女のメランコリー気分の漂う絵をみているとドガの絵が目の前をよぎる。

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2008.05.06

その四 グレコ  ベラスケス  ゴヤ

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メトロポリタンはルーヴル同様大きな美術館なので、一回の訪問ではとても作品の全貌はつかめない。普通のツアーでは鑑賞時間は1時間とか1時間半程度。これだと、狙いを定めないで“ぐるっとまわってみようか”という気分でスタートすると、“まだこれだけしか見てないのにもう一時間経ってる。集合時間時間まであと30分しかない!”とあせりまくり状態にきわめて高い確率でおちいる。だから、ここを訪問するときはルーヴルでとったような綿密な作戦が必要。

あれもこれも欲張ってみるよりは自分の見たい絵や彫刻、遺跡出土品をかなり絞りこんで鑑賞したほうが大きな満足がえられる。例えば、絵画だとヨーロッパの古典絵画と印象派だけをみて、20世紀美術はMoMAやグッゲンハイムにまかせてパスするとか。また、エジプト、ギリシャ・ローマ美術は大英博物館、ルーヴルのほうが質、数は上だから、有名なものだけピンポイントでみるとか。

今回はまだじっくりみてないアフリカ美術コレクションに時間を使うことも考えたが、これを我慢してお目当ての絵画だけに集中した。そして、重点鑑賞画家にしていたのはグレコ、ゴヤ、レンブラント、カラヴァッジョ、ラ・トゥール、フェルメール、ドガ、サージェント。

昨年プラド美術館やトレドで久しぶりにグレコ、ベラスケス、ゴヤの傑作と対面し、スペイン絵画への親密度がぐっと増した。さらに今回のアメリカツアーではシカゴ、ワシントンナショナルギャラリーとここメトロで画集に載っている有名な絵が見れたからスペイン絵画は一気に済みマークがついた。とくに昔から大好きなグレコとゴヤがすごく充実していたので、満ち足りた気分になっている。

プラド以外でグレコ(1541~1614)のコレクションで評価が高いのは一度訪問したことのあるブダペスト美術館とメトロポリタン。上は再会を心待ちにしていた“トレド風景”。何度見ても絵のなかにぐぐっと惹きこまれる。深い緑で描かれた起伏のある川と丘、そして不気味な青い空がすごく印象的。2日前とりあげたブリューゲルの風景画のように画面左手の遠景には坂道を橋のほうへ歩いている人たちが小さく描かれている。中国の万里の長城をイメージさせる城郭と大聖堂のむこうには宮廷がおかれていたアルカサルがみえる。

このほかにも最晩年の作品“黙示録第五の封印”、“自画像”、衣装の朱色と白の対比が鮮やかな“枢機卿ベルナルド・デ・サンドーバル”など目を見張らされる傑作が目白押し。また、1階のレーマンコレクションの部屋には同じ題名の作品のなかではベストといわれる“十字架を担うキリスト”とこれまたすばらしい肖像画“聖ヒエロニムス”がある。よくこれほど質の高いグレコの絵を集まったものである。ビジネスの成功により巨万の富を手に入れたアメリカ人コレクターの眼力に敬服するしかない。

真ん中のベラスケス(1599~1660)の“フアン・デ・パレーハ”は前回見たという確かな記憶がないので、二重丸の絵。このツアーではベラスケスの肖像画が大当たり。ボストンにあった“詩人ルイス・デ・ゴンゴラ”(拙ブログ4/20)に魅了されたが、これはそれ以上に惹きこまれる。モデルはあまり腕のよくない助手。口ひげをたくわえたふてぶてしい赤銅色の顔にすごいインパクトがある。これまでベラスケスの肖像画というと王女マルガリータばかりに目がいきすぎていたから、この傑作に出会ったのは大収穫。

下の絵はゴヤ(1746~1828)の“マヌエール・オソーリオ・マンリケ・デ・スーニガの肖像”。15年前、この絵を見たときは大感激した。あの“裸のマハ”や“わが子を喰らうサトゥルヌス”を描いたゴヤがこんな愛らしい子供の絵を描いていたとは!子供は色が白いから赤の衣装がほんとうに映える!前回、純真無垢なこの男の子ばかりに目が集中し気がつかなかったが、隣にいる3匹の猫がやけに不気味。やはりゴヤは並みの画家ではない。

ほかにもいい絵がある。マネを感動させた“バルコニーのマハたち”、肖像画の傑作“セバスティアン・マルティネス”、そしてレーマンギャラリーに飾ってある“アルタミラ伯爵夫人と娘”。なかでも前回見逃した“アルタミラ伯爵夫人と娘”に200%感動した。プラドでゴヤと再会して以来、頭のなかはゴヤの絵でいっぱい。今回、念願だった“ポンテーホス女侯爵”(4/14)とこの伯爵夫人に対面でき、これ以上の幸せはない!

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2008.04.14

その五 ヴァトー  ゴヤ  ホイッスラー

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訪問する美術館でお目当ての名画がすべて鑑賞できれば申し分ないのだが、そうは問屋がおろさない。ここでの誤算は隣の方に是非見せたかったグレコの“ラオコーン”が展示されてなかったことと、特○のフラゴナールの“読書をする少女”に会えなかったこと。現在、スペイン絵画、18~19世紀初期フランス、そしてイギリス・アメリカ絵画の展示室が工事で閉鎖されている。前回パスした“読書をする少女”と対面できないとは。残念でならない!

一部の作品は1階に設けられた臨時の展示室に飾られているというのでまわってみると、リストに載せていた作品がほんの数点あった。上はヴァトー(1684~1721)の“イタリアの喜劇役者たち”。これはルーヴルにある有名な“ピエロ”の別ヴァージョン。ピエロはここでもあまり感情を外にださず、舞台中央でポーズをとっている。足下に白いバラの花綱が撒かれているから、この場面は幕間の一瞬かカーテンコールなのだろう。やさしそうな顔つきをしているが、まわりの人物とは違い何か醒めている感じのピエロが強く印象に残る。

ここでゴヤの画集にでている名画2点に会うのを楽しみにしていたが、見れたのは真ん中の“若いポンテーホス女侯爵の肖像”だけ。ゴヤの描いた女性の肖像画では最も魅了される“サバーサ・ガルシア”との対面は次回に持ち越されることになった。だから、嬉しさも中くらいなりといったところ。

“ポンテーホス女侯爵”は緑豊かな自然を背景にしたロココ風の肖像画。昨年プラド美術館でみた“オスーナ公爵夫妻と子供たち”(07/3/20)と雰囲気がよく似ている。女侯爵が着ているのは当時フランスで流行っていたポロネーズというドレス。目を奪われるのが銀灰色のレースや紗の生地。こんな繊細な質感が出せるのはゴヤのほかにはゲインズバラしかいない。

繊細でほんわかとした空気が漂う画面の中で、ちょっとくつろげるのが右の下に描かれた子犬。左の前足を少し上げ正面をむいている。円山応挙が描く子犬のようなには可愛くはないが、不思議と違和感を感じない。この絵は女侯爵の結婚記念として制作されたものだから、この犬は古典画同様、貞節を象徴している。が、絵をじっとみていると貞節の意味はどこかへとんで、子犬はヴァン・ダイクが王妃の美しさを引き立てるのに使った小人やサルと同じ役割ではないかと見てしまう。

下の絵はホイッスラー(1834~1903)の“白のシンフォニーNo1白衣の女”。これは美術の本にのっている代表作のひとつだから、いつか会いたいと思っていた。背景と女性を同じ白で描くというのはゴッホの“ひまわり”の色彩表現と同じ発想。そして、足元に置かれた熊の敷き皮はヴァン・ダイクやゴヤのサルや犬と同じ役割だろう。

目鼻の整った女性が描かれた魅力的な肖像画なのに、発表当時は女性が持っている白ユリがしおれており、“これは処女喪失の絵だ!”と辛らつに批判された。日本画に描かれる花や鳥と違って、西洋の宗教画では花は何かの象徴(この絵の白ユリは純潔)を表すことが決まりになっているから、もう大変!そんなお話は忘れてこのホイッスラーの名作をじっくり味わった。

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2007.03.20

ゴヤのマルチ画風に感服!

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プラド美術館の入場口の前にゴヤの肖像彫刻がある。やはり像があるベラスケスと同様、ゴヤはここスペインでは特別な存在だ。ゴヤ(1746~1828)の絵をプラドは170点所蔵している。これは巨匠たちのなかでは一番多く、2階と3階の多くの部屋がゴヤの作品にあてられている。

事前の鑑賞シミュレーションでは女性画とタペストリーの下絵として制作された風俗画、“黒い絵”シリーズをもう一度しっかり見ようという作戦を立てた。結果は出来すぎというくらい上手くいった。最後の10分は走りながら見たという感じで、あわただしかったが、望みの絵はだいたい目の中におさめたので、出口では満ち足りた気分だった。

誰しもそうだろうが、はじめてこの美術館を訪れたときはまず、代表作の“着衣のマハ”、“裸のマハ”を一生懸命になってみる。そして、“この絵のモデルは誰だ?”とか、“カソリックの厳しい戒律のなかで、どうしてこんな生身の裸婦が描けたのか?”などの情報をかき集め、自分でまた想像力をふくらましていく。ゴヤとアルバ公爵夫人との関係はピカソの女性遍歴よりずっと面白い。

挑発するようなポーズのマハで一回目のショックを受け、次に耳が聞こえなくなった後に描かれた人間の内面がそのまま表情に出ているような肖像画や戦争の悲惨さや人間の魂の叫びを表現した重苦しくて、衝撃的な絵に遭遇し、へなへなになる。こちらの方が衝撃度は大きい。2回目のとき時間をかけて見た“巨人”や“黒い絵”シリーズの“わが子を喰らうサトゥルヌス”は一生忘れないだろうなと思うほど胸にズシンと響いた。

ゴヤの絵についてはだいたいこんなイメージをもっていたが、プラドのあとメトロポリタン美術館で見た赤い衣装を着た男の子を描いた“マヌエル・オソーリオ・デ・スーニガ”に
200%感動した。以後この絵がルノワールが描く少女画とともに大好きな一枚になった。だから、今回可愛い子供の肖像画を見るのがお目当ての一つだった。上がその絵、“オスーナ公爵夫妻と子供たち”(部分)。こんなに可愛い男の子と女の子がいようかと思われるくらい愛らしい。人間への暖かいまなざしが内にあるからこそゴヤはこれほど美しい肖像画を描けるのである!

深く人間を見つめるゴヤは戦争の悲惨さもきっちり描き、見る者に深い共感をよびおこす。真ん中は有名な“1808年5月3日、マドリード ピリンシペ・ピオの丘での銃殺”。この絵はいつみてもこたえる。銃を構えるナポレオン軍の兵士は一様に顔を隠し、機械のように描かれているのに対し、光をうけて白く輝くシャツを着た男の右手のひらには殉教のキリストのように聖痕がみられる。

最後力をふりしぼって、ゴヤが73歳のときマドリード郊外の家の食堂とサロンの壁に描いたという14枚の“黒い絵”をみた。前回目に力が入ってなかったもので今回、注目してみたのが“棍棒での決闘”と下の“砂に埋もれる犬”。“犬”は現代絵画といってもいいすごい絵。頭だけのぞかせる犬はまもなく流砂にのみこまれるのであろうか。じっとみているとジーンとくる絵である。犬は音を失ったゴヤ自身の心情を表しているともいわれる。これからはゴヤの絵としっかり向き合おうと思う。

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2006.04.02

プラド美術館展のムリーリョ

349東京都美術館で開催中の“プラド美術館展”(6/30まで)には予想以上のいい絵が展示されている。

世界トップクラスの美術館が収蔵する作品を展示する場合、その絵の質によっては主催者が宣伝するほど見る人は評価しないケースだってある。今ではマドリッドにあるプラド美術館を訪問し、ベラスケスやゴヤ、グレコなどの名画を鑑賞したひとは数多くいるので、名画の残像が消えないときに日本に来た作品に接するとどうしても“えー、こんな絵しかきてないの、現地にはこれよりずっといい絵があったよ”ということになる。

プラドのような大美術館の展覧会ではあまり期待を膨らませないほうがいい。館自慢の名画が1、2点あればもう立派な展覧会である。そういう意味では、今回は目玉にティツィアーノの“ヴィーナスとオルガン奏者”(拙ブログ2/26)があるので申し分ない。これはベラスケスなどスペインの巨匠以外ではティツィアーノとルーベンスの傑作が揃っているプラドの所蔵品のなかでも評価の高い絵。

やはり群を抜いていい。とくにヴィーナスがつけてる髪飾り、イヤリング、ネックレス、腕輪の光り輝く質感に驚かされる。ベッドの敷物、後ろのカーテンのえんじ色と室内の外の風景に見える木々の緑が実にうまく溶け合い、落ち着いた絵画空間となっている。描かれた3人は顔の表情に微妙なちがいがある。左のクピドが一番緊張した顔をしている。幼子なのにどうしてそんなに顔をこわばらせているの?という感じ。端正な顔をしたヴィーナスはクピドの真剣なまなざしにたじらうこともなく、ゆったりと体をベッドに横たえている。右の二人に視線が向かうのに対し、左側のオルガン奏者は目がぼやっとしており、存在感はあまりない。今回でているティツィアーノのほかの3点にも魅了された。

また、右のムリーリョ作、“無原罪のお宿り”にも深い感動を覚えた。02年のプラド美展(国立西洋美)にも別ヴァージョンがでていた。前回のマリアは顔をすこし傾け、上のほうを見ているポーズだったが、この絵ではマリアは胸の前で両手を合わせ、まっすぐ前を向いている。目、口、鼻、のバランスがよく、とてもチャーミング。セビリアの町を歩けば出くわすような女性である。白い三日月に乗る聖母マリアのまわりには可愛い天使がいる。天使の数は今回のほうが多い。上のほうにいる頭だけ描かれた天使は左右からマリアをみつめ、マリアの足元にいる天使は手に花を持っている。ムリーリョの描く天使をみて心が和む感覚は円山応挙や長澤芦雪の仔犬図を前にしたときのそれと似ている。ムリーリョの優しい感性が充分伝わってくる“無原罪のお宿り”や羊がでてくる“貝殻の子供たち”を見れたのは大きな喜び。

このほかにも好きなグレコが4点あったし、ゴヤの色が鮮やかな“果実を採る子供たち”も見れた。階段を登るのはしんどいが、これを吹っ飛ばしてくれるほどの満足が得られる展覧会であった。

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