2009.05.01

日本の美術館名品展は夢の競演?

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東京都美で開催中の‘日本の美術館名品展’(4/25~7/5)を見た。テーマ設定型の企画展にはあまり関心がなく、ひとりの作家の回顧展とか‘自慢のお宝見せます!’という美術館名品展のほうが目に力が入る。だが、この名品展への期待値は普通。

チラシは東京都美のいつもの悪い癖で‘夢の競演 公立100館のコレクション’、‘選りすぐりの名品を一堂に公開します’などPRしまくり。がっかりするような展覧会では決してなく○だが、美術館が宣伝していることのまあ半分がいいところ。夢の競演にわくわくするほどの名品がそれほど沢山ある?という感じ。

公立美術館のネットワーク組織、美術館連絡協議会というのがあってその創立25周年を記念するイベントあるいはお祭りと思ったほうがわかりやすい。だから、数はやたらと多い。協議会から美術館へ‘ご自慢の名品を出品してください。こちらからは指定しませんので、貴美術館の選択にお任せします’という業務連絡メールが入り、100の美術館が応じ、220点が集まったのだろう。

テーマがあるわけではないから、美術館側も楽といえば楽。こういうNO指定の場合は美術館の顔になっているような絵は絶対出さない。だから、夢の競演にはならない。いくつか例をあげると、名古屋市美からの出品はユトリロの‘ノルヴァン通り’で、有名なモディリアーニの‘お下げ髪の少女’ではない。

宮崎県近美にはマグリットの‘白紙委任状’とか‘現実の感覚’といった一級のシュルレアリスム絵画があるのに、でているのはこれではなくてシニャックの絵。シニャックもいい絵だが、やはりマグリットを見たい。山梨県立美だって、‘ミレーの種まく人はとてもとても、ポーリーヌ・V・オノの肖像で回答しとこう’といった具合だろう。

日本の美術館で西洋絵画のいい絵があるのは大原美、ひろしま美、ブリジストン美、国立西洋美、ポーラ美、損保ジャパン美、大阪市立近美準備室、村内美、川村美。また、日本の洋画コレクションで質の高さを誇るのは東近美、東博、ブリジストン、ウッドワン。資金力に制約のある公立の美術館が人気の西洋画を手に入れるのはそう簡単なことではなく、有名な美術館にくらべると数が少ない。

だから、こういう記念展のとき上にあげたような名画がでてくると、この展覧会は気合いが入っているなということになる。だが、実際は予想していた通り。手元にある美術本をいろいろみてみると、100の美術館のうち規模の大きなところでランキング1位の絵を出品したのは少ないのではないか。あまり期待しすぎてもいけないのだが。

が、サプライズの絵が二、三あった。その筆頭が上のバーン=ジョーンズの‘フローラ’。これを所蔵しているのは郡山市美。最近、読み終えた‘バーン=ジョーンズの芸術’(ビル・ウォーターズ著、晶文社、1997年5月)にこの美術館が‘アヴァロンのアーサー王の眠り’のための大型スケッチの所有者としてでてくる。油彩までもっていたとは!どういう縁でこの絵を手に入れたかは知らないが、とにかくすばらしい。これまで日本で見たラファエロ前派の作品は西洋美にあるロセッティの‘愛の杯’しかないから、感心しながら見ていた。

もう一点、初見の絵で足がとまったのがある。エゴン・シーレの大きな絵‘カール・グリュンヴァルトの肖像’(豊田市美)。これは相当の資金を要したであろう。再会を楽しんだのは日本にあるミロ作品で一番いいと思っている福岡市美蔵の‘ゴシック聖堂でオルガン演奏を聞いている踊り子’、イブ・クラインの‘人体測定ANT66’(いわき市美)、バルラッハの‘母なる大地Ⅱ’(愛知県美)、ブランクーシの抽象彫刻‘空間の鳥’(滋賀県近美)。

日本画は例によって前期(4/25~5/31)、後期(6/2~7/5)に分けて展示される。西洋画に較べると当たり前のことだが、質のいいのが揃っている。でも、秘かに期待していたのは全部ダメだった。普段は行けそうにない佐久市近美にある横山操の‘雪原’とか鹿児島市美蔵の西山英雄作、‘噴煙’とか和歌山県近美の稗田一穂作、‘帰り路’など。やはり、どこも西洋画同様、自慢の代表作は出したがらない。

真ん中は竹内栖鳳の‘絵になる最初’(京都市美)。ここへ足を運んだのは実はこの絵と対面するため。女性画を見るのは絵画鑑賞の大きな楽しみだから、西洋画でも日本画でも女性を描いた絵には目がない。この左手で顔を隠すしぐさをする女性が気になって仕方がなかったが、これまで展示替えとかで縁がなかった。やっと会ったが、こういう女性はあまりじっとはみれない。でも、それで満足。

下の小杉放庵の‘金太郎遊行’(栃木県美)と遭遇したのは幸運だった。出光美にもいい金太郎の絵があるが、これにもすごく魅了される。下期に狩野芳崖のお目当ての絵がでてくるので、また出かけるつもり。

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2008.12.17

08年感動の美術鑑賞プレイバック! テート・ブリテン

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つい最近、ふと立ち寄った古本屋でいい本が目にとまったので即購入し、一気に読んだ。それはラングラート著‘D.G.ロセッティ’(90年9月、みすず書房)。この本は以前どこかの本屋で手にとったことはあるが、価格が4944円と高く、また画家のモノグラフを読む基準としている‘本物の絵7割鑑賞’に届いてないので、買うのをやめていた。

ところが運よく、2000円の格安で立派なロセッティ本が手に入った。1月、テート・ブリテンでこの画家の作品を沢山みたから、本に書かれていることが真綿に水が染み込むように頭の中に入っていく。で、テート・ブリテンで見た感動の絵画プレイバック!はロセッティとこの本により理解が進んだミレイ、ホイッスラーの作品を取り上げることこにした。

★ロセッティの‘受胎告知(見よ、われは主のはした女なり)’(上の画像)
★ミレイの‘両親の家のキリスト(大工の仕事場)’(真ん中)
★ホイッスラーの‘ノクターン:青と金色ーオールド・バタシー・ブリッジ’(下)

ロセッティ(1828~1882)がミレイ(1829~1896)らと共にラファエロ前派を結成したのは1948年、ロセッテイが20歳のとき。ラファエロ前派の活動はわずか3年で終わるが、このとき描かれた代表作が‘聖母マリアの少女時代’(1849)と‘受胎告知’
(1850)。‘受胎告知’のマリアのモデルをつとめたのはロセッテイが女神として恋するエリザベス・シダルで、‘ベアタ・ベアトリクス’(拙ブログ9/15)もこのエリザベス。

ダンテにとってのベアトリーチェのような存在がエリザベスなのに対し、‘プロセルピナ’(2/9)をはじめロセッティが数多く描いた女性が魔性的な美貌のジェイン・バーデン。ジェインはウィリアム・モリスの妻なのだが、ロセッティはエリザベスが死んだのちはジェインの虜になる。

ロセッテイにはこの二人のほかにも最後の最後まで縁が切れなかった娼婦ファニー・コンフォースや最高傑作‘モンナ・ヴァンナ’(テート・ブリテン)のモデルになったアレクサ・ワイルディングなどの愛人がいるが、これらの女性画は歌麿の美人画のように一見すると皆同じ女性に見える。

ふさふさした金髪にはウエーブがかかり、透けるような白い肌が口紅の赤を印象づけ、衣装の緑や赤はステンドグラスのような輝きを放っている。驚愕するのはロセッテイは麻薬中毒で健康状態が終始不安定だったのに、作品は死ぬ間際までしっかり描いていること。やはり、この画家は天才。

真ん中のミレイの絵はテート・ブリテンには展示されてなく、Bunkamuraの回顧展(9/12)ではじめて対面した。‘マリアナ’や‘木こりの娘’同様、マリアやヨセフ、キリストの肉体の精緻な描写と木の質感の見事さにしばらく立ち止まってみていた。この絵で忘れられないのが右にいる幼い洗礼者ヨハネの目つき。日本画家の土田麦僊の絵に、女の子を泣かせた男の子が申し訳なさそうにその女の子を横目にみている絵があるが、これがヨハネがキリストを横目でみるところとそっくり。

ホイッスラー(1834~1903)の絵は日本であった展覧会でもみたから二度目の鑑賞。構図は広重の‘江戸名所百景・京橋竹がし’を参考にしているのは明らか。青一色の背景に光る黄金の点々が視線を引き付け、対象のぼやけた描写や船頭や上の橋を渡る人々のシルエットはノククターンの題名がぴったりの詩情を漂わせている。

ラスキンの侮辱的な批評を訴えた裁判で裁判官からは橋の上の影をさして‘これは人間なのか?’と尋ねられ、ホイッスラーは‘お好きなようにお考えください’と答えている。何であれ先駆者の心は普通の人にはなかなかわかってもらえない。

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2008.09.15

もう一度見たいロセッティ、ウォーターハウス、サージェントの名画!

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1,3月の海外美術館巡りのあと、感動した作品を毎日3点ずつ紹介したが、ほかの画家とのバランスとかでいい絵なのに割愛したものがいくつかあった。3日前からラファエロ前派作品が続いているので、こぼれおちた名画のなかからこれらと響き合うとっておきの3点に急遽登場してもらった。

★ロセッティの‘ベアタ・ベアトリクス’: シカゴ美(上の画像)
★ウォーターハウスの‘レイディ・オブ・シャロット’: テート・ブリテン(真ん中)
★サージェントの‘マクベス夫人に扮するエレン・テリー’: テート・ブリテン(下)

テートのロセッティ作品では、一度みたことのある‘プロセルピーナ’より東京都美にやってこなかった‘ベアタ・ベアトリクス’(ラテン語の祝福されたベアトリーチェという意味)に期待していたのだが、どういうわけか‘プロセルピーナ’しかなかった。スペースの関係で二つは同時に展示しないのか、それともどこかへ貸し出し中だったのか?残念だったが、ウィンスロップコレクション展のとき、水彩のレプリカを見ているので、体中の力がドッとぬけるほどのことはなかった。

この絵のレプリカが6点あるらしいが、上のシカゴ美蔵は1872年に描かれた油彩のレプリカ。テートの原画よりは輪郭がすこしはっきりしており、下のプレデッラには‘神曲・煉獄編’で地上の楽園に来たダンテがベアトリーチェと再会する場面が描かれている。

この絵の前で興味深い光景をみた。70歳をこえている二人のお婆さんが少女のようなまなざしでこの絵を見みつめ熱心に話をしているのである。モネやルノワールの絵の前なら、とくに気にもとめないのだが、普通のお婆さんがラファエロ前派についてしゃべっているのにはちょっと驚いた。この街の文化・芸術度の高さを見せつけられた。二人の会話はこんな風だったかも、

‘ベアトリーチェのモデルはロセッティの死んだ妻よね。瞼を閉じ恍惚状態のベアトリーチェの手に小鳥が死の象徴である芥子の花を落としている’
‘そうね、後ろはフィレンツェの街でしょ。右にいるのがダンテで左が愛の姿ね。ダンテの前の日時計はベアトリーチェの死の時刻を示し、愛の手の消えかかった炎はベアトリーチェの命を表しているのね’

ウォーターハウスが‘オフィーリア’に想を得て描いた‘シャルロット’はいつか見たいと願っていたが、実際絵の前に立つと言葉がでないほど絵のなかに惹きこまれた。ほかにあったウォーターハウス作品にはそれほどぐっとこなかったが、これは別格。まったくすばらしい絵。小舟のまわりの草木や水面を流れる葉などリアルな小川の情景は‘オフィーリア’の雰囲気と似ている。呪いがふりかかり夢遊病者のような目つきになっている美しいシャルロットは、恋い焦がれるランスロット卿がいるキャメロット城のある岸に小舟が辿りつくころまで、命を持ちこたえられるだろうか?悲劇の結末が待っているような気がする。

サージェントの思わず‘うぁー’と声が出そうになる肖像画はラファエロ前派との関連はないが、見ていると体がフリーズする点では‘プロセルピーナ’と同じタイプの絵。まさに目の前の舞台で名女優がシェークスピア劇を演じている感じ。そして目が釘付けになるのは目の覚めるような青や緑の衣装描写とゴールドの飾り物の輝き。この絵と出会ったことは一生の思い出になる。

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2008.09.14

もっと見たいバーン=ジョーンズの名画!

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ロセッティやミレイより少し若いバーン=ジョーンズもこれからその作品を熱く鑑賞したい画家。バーン=ジョーンズの絵をまとまって見たのは02年に西洋美であった‘ウィンスロップコレクション展’と今年の海外美術館めぐりの2回だけで、まだ十数点しかない。

絵の記憶が今も鮮明に残っているのが1月、3月にみたテート蔵の‘黄金の階段’(拙ブログ2/9)、‘コーフェチュア王と乞食娘’、オルセーの‘有為転変’、ボストンの‘希望’(4/24)。ウィンスロップ展では‘深海’と‘バーンとプシュケ’が印象深い。

テートでは2点しかみれなかったが、ロセッティ、ブレイクと一緒にこの画家の本を買ったので、今はこれで作品を楽しんでいる。画集に載っている作品のなかで是非お目にかかりたいものを3点あげると、

★真鍮の塔が建設されるのを見るダナエ: グラスゴー美(上の画像)
★ウェヌスの鏡: リスボン、グルベンキアン美(真ん中)
★眠り姫: ロンドン、ファリドン・コレクション・トラスト(下)

‘ダナエ’(1888)はバーン=ジョーンズの豊かな想像力に感心させられる絵。よく知っている‘ダナエ’の絵は例えば、ティツィアーノ作品(07/3/23)のように、閉じ込められた部屋にいるダナエにゼウスが変身した黄金の雨が降り注ぐ場面だが、この絵ではダナエがいずれ中に入れられる真鍮の塔の建設現場を手前の部屋から見ているところが描かれている。ちょっと思いつかないアイデアである。神話を題材にするにしても、型にはまった描き方をしないところがラファエロ前派流。

‘ウエヌスの鏡’(1873~1890)にもすごく惹きつけられる。左に立っているのがウェヌスで膝をついて水面をのぞいているのはお付きの女たち。ウェヌスをふくめここにいる女性は皆同じような顔をしている。これはロセッティの絵に登場する女性たちにも言える。もう一つのウェヌスの絵、‘ウェヌス礼讃’(ニューキャッスル・アポン・タイン、レイング・アート・ギャラリー)の装飾性の高い描写と巧みな構成にも魅了されるので、2枚の絵を並べて見てみたくなる。

話が横に逸れるが、リスボンにあるグルベンキアン美の名品展をどこかの美術館で開催してくれないかとひそかに願っている。オルセー、ルーヴル展のシリーズも大歓迎だが、バーン=ジョーンズの絵のほかにもラリックの有名な宝飾品など質の高いコレクションを誇るグルベンキアン美とか古典絵画の傑作が揃っているナポリのカポディモンテ美なども積極的に新規開拓してもらいたい。

バーン=ジョーンズ作品には人物が眠っているのがいくつかあるが、‘眠り姫’(1870~76)はそのひとつ。おとぎ話から霊感を得て甘美に描かれた王女や待女の眠る姿をまじかで見たい衝動に強く駆られる。

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2008.09.13

もっと見たいロセッティの名画!

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昨日はミレイだったので、その関連でラファエロ前派の仲間のひとりであるロセッティの絵をとりあげることにした。

テートで関心の高い画家はやはりロセッテイ。事前に作った必見リストのうち3割くらいは姿をみせてくれなかったが、最も有名な‘プロセルピーナ’(拙ブログ2/9)や初期の作品、‘聖母マリアの少女時代’、‘受胎告知’などはしっかりみることができた。

館を出る前、ミュージアムショップで図録をチェックしていたら、この美術館が発行したロセッティのモノグラフ(英文)があったので、すぐに購入した。この本や手元にある美術本に載っている作品をながめていて、いつか対面したい絵が絞られてきた。それは次の3点。

★レディ・リリス: メトロポリタン美(上の画像)
★ダンテの夢: リヴァプール、ウォーカー・アート・ギャラリー(真ん中)
★アスタルテ・シリアカ: マンチェスター市立美(下)

1867年に制作された‘レディ・リリス’は3月、メトロポリタンを訪問した際、一生懸命にさがしたのだが、どこにもなかった。手鏡をみながら長い金髪をなでている色白の美女は図版でみてもうっとりするのだから、本物はさぞかし魅惑的だろう。またNYへ行く機会があったら、是非思いをとげたい。ちなみに、いくつか回ったアメリカの美術館でラファエロ前派の絵をみたのはシカゴ美に飾ってあったロセッティの‘ベアタ・ベアトリクス’の別ヴァージョンのみ。

テートの本にも載っている‘ダンテの夢’(1871)はウンベルト・エーコ編著の‘美の歴史’(東洋書林、05年11月)で知った。見た瞬間、体中を電流が流れるような感じで、すごく惹きこまれた。なんとか見たい絵だが、リヴァプールにあるのでは実現は難しい!リヴァプールは出張で一泊した記憶があるが、そのころはまだロセッティに目覚めてなかったからこの絵は知る由もない。

‘アスタルテ・シニアカ’のモデルは‘プロセルピーナ’と同じジェーン・モリスで、この2点はロセッティが亡くなる5年前の1877年に描かれている。ロセッテイは体の調子が悪くなり1878年には制作活動を注するから、古代シリアの愛の女神アスタルテを真正面からとらえた‘アスタルテ・シニアカ’は最後の絵である。所蔵しているマンチェスター市立美も縁遠い美術館。国内の美術館が大ラファエロ前派展を開催する可能性はゼロではないが、こういう名画はマンチェスターへ出かけないとまず見れないだろう。

‘ダンテの夢’と‘アスタルテ・シニアカ’はいつか対面できることを夢見つつ、マンチェスターとかリヴァプールが観光コースに入っているイギリスツアーがあるのか一度調べてみようと思う。

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2008.09.12

Bunkamuraのミレイ展

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待望の‘ミレイ展’(Bunkamura、8/30~10/26)を見た。1月に訪問したロンドンのテートブリテンで一足お先にミレイ作品を見る予定だったが、どういうわけか‘オフィーリア’(真ん中の画像)をはじめミレイの絵が消えていた。一枚も飾ってないのである。あとでわかったのは10日くらい前までここで大回顧展を開催していたためだった。だから、日本に巡回してきたこの回顧展はリカバリーの意味もこめて熱心にみた。

作品は75点ある。大半はテートやイギリスの美術館が所蔵するものだが、日本の西洋美と郡山市美からも3点出品されていた。作品を全部見終わったあとの率直な感想は、感動の総量はミレイがラファエロ前派を結成したときに制作した作品に使い果たしたという感じで、会場を進むにつれて興味が薄れてきた。やはりミレイは初期の作品がベストではないかと思う。

鮮やかな色彩と徹底した細部描写にあっけにとられる絵が最初に2点でてくる。男の子の赤い服と強い光の表現に惹きつけられる‘木こりの娘’と上の‘マリアナ’。腰の後ろに両手を当て体を少し後ろにそらすマリアナのポーズも気になるが、それよりも数倍のインパクトをもっているのが目の覚めるような青の衣服と半分光が当たっている椅子の赤い布地。青と赤が柔らかい生地の質感をいっそう引き立てている。

この絵の隣にお目当ての‘オフィーリア’がある。10年前東京都美であった‘テート・ギャラリー展’で見て以来、何度となく画集で眺めてきた絵だから、もう何回もみたような気になっている。大げさに言うと‘オフィーリア’はボッティチェリの‘ヴィーナスの誕生’、‘春’とともに西洋絵画の金字塔。

これほどすばらしい絵をイギリスの22歳の画家が描いたというのがまさにサプライズ!川のまわりの大半を緑の草木がしめ、水面に白い顔と胸、手のひらを出し、ぷかっと浮いているオフィーリアの胴体から足元にかけて、薔薇、ケシ、雛菊などが一緒に流れていく。美しいオフィーリアをどこまでも追っかけて行きたくなる。

下の‘ローリーの少年時代’に大変魅了された。海のほうを指さしている手前の男の姿をみてすぐ思い出したのがナショナルギャラリーにあるカラヴァッジョの‘エマオの晩餐’(拙ブログ2/6)に描かれた右の男の両腕。ミレイはこの短縮法で描かれた腕を参考にしたのだろうか?また、惹きこまれるのが男の冒険話をじっと聞いている二人の少年の目。人物画で一番大事なのは目だが、この真剣な目つきをみると将来この少年は立派な船乗りになるにちがいない。

肖像画でお気に入りは可愛い女の子を描いた‘連隊の子ども’,‘初めての説教’と‘ハントリー侯爵夫人’、‘トマス・オールダム・バーロウ’。ミレイは本当に子供を描くのが上手い!夫人や紳士をモデルにした絵は初期のように細部にこだわって描かれてないものが多いが、この2点は色の塗りがていねいで細部にまで筆が入っている。

日本でミレイの代表作がこれほど沢山みれるなんて夢のよう。満足度200%の展覧会だった。

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2008.04.24

その五 オスカー・ココシュカ  バーン=ジョーンズ  ジョン・マーチン

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1992年、講談社から発行された週間美術本“世界の美術館 ラ ミューズ”
(当時500円、全50冊)はコンパクトに美術館自慢の名画を紹介したすばらしい本で、今でも時々眺めている。“No9 ボストン美術館”ははじめてここを訪問するときには購入していたが、なにぶん印象派ばかりに心が向かっていたから、この本に載っている名作を何点も見落としてしまった。だから、今回はそのリカバリーに懸命。

が、近代絵画の部屋が工事でクローズされていたから、当時見たのだろうが見たという記憶がないピカソの“サビーニの女たちの掠奪”や再会を楽しみにしていたオキーフのクローズアップされた花の絵“白バラとヒエン草”とは残念ながら対面できなかった。首尾よくリカバリーできて喜んでいるのが上のオスカー・ココシュカ(1886~1980)の
“愛しあう二人”と真ん中のバーン=ジョーンズ(1833~1898)の“希望”。

これまで、ココシュカの絵を見た経験はきわめて少ない。1987年、池袋にあったセゾン美術館(現在はない)で“ウィーン世紀末展”というクリムトやシーレの代表作が沢山出品された感激の展覧会があったとき、ココシュカの絵も肖像画や版画など10点ちょっとあった。このときはいい絵をみたという印象がなく、何年か前訪れたウィーンのベルヴェデーレ美術館でも、どういうわけか館の図録に載っている静物画や母親の肖像画とは対面できずじまい。

で、ココシュカのイメージに直結しているのは東近美の常設展示で頻繁にお目にかかる“アルマ・マーラーの肖像”。この絵ではアルマの激情的な性格がよくでているが、全裸で抱き合う“愛しあう二人”はココシュカとアルマの表情が虚ろ。この表現主義特有の強い色彩をみるといつも、バブル時代一世を風靡したジュリアナトーキョーで若い女性たちが七色のスポットライトを浴びて享楽的に踊るシーンが頭をよぎる。この絵を見たからには2年後に描かれた代表作“風の花嫁”(バーゼル美術館)ともなんとか対面したい。いつものようにミューズにお願いすることにした。

バーン=ジョーンズ(1833~1898)が亡くなる2年前に描いた真ん中の“希望”は二重丸をつけていた作品だから、大変感激した。足を鎖でつながれた女性の右手に白い花をもち、左手を高く上にあげるポーズがそのまま題名の“希望”を表している感じ。アメリカの美術館ではハーバード大のフォッグ美術館がバーン=ジョーンズの作品を沢山もっているが、シカゴやワシントンにはなく、ボストンとメトロポリタンに1点ずつあるだけだから、目に力を入れてみた。

下はイギリスの画家、ジョン・マーチン(1789~1854)が描いた壮大な作品“エジプトの七番目の災難”。ロンドンのテート・ブリテンにあった“神の怒りの日”などで少しは目が慣れているとはいえ、旧約聖書やミルトンの文学的な主題を題材にとり、崇高の美を表現した大作の前では言葉がでない。こういう嵐や火山の噴火など圧倒されたり、恐さを感じる自然現象には普段縁がないから、ロマン主義的に表現された自然の崇高さに強く惹き込まれる。

これでボストン美術館は終了。残るはNYのメトロポリタン、フリックコレクション。

なお、拙ブログは4/25~5/2お休みします。

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2008.02.09

テート・ブリテン その一 ブレイク  ロセッティ  バーン=ジョーンズ

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2度目の訪問となるテート・ブリテンは当時はテート・ギャラリーと呼ばれ、イギリス絵画と近代絵画が展示してあったのだが、そのなかの外国の近代絵画や現代アートは
2000年に開館したテート・モダンに移管されたため、現在はイギリス美術一色の美術館になった。館の前に立つと17年前の記憶がかすかに戻ってきたが、中の展示室がどうなっていたかはまったく覚えてない。

前回見たなかでは、ダリの代表作の一つ“ナルシスの変貌”やエルンストの“セレベスの象”などシュルレアリストの傑作は目に焼きついているのに、ブレイクやロセッティ、ミレイ、バーン=ジョーンズらラファエロ前派の作品を鑑賞したという自覚がまったくない。これらの画家に目覚めたのはこれ以降のことなのである。だから、ここの必見名画リストはこの4人とターナーの絵で埋め尽くされている。でも、はじめての対面となる作品ばかりというわけではない。

というのも、ちょうど10年前、東京都美で開催された“テート・ギャラリー展”に、上のブレイクの“ダンテ「神曲」・戦車の上からダンテに語りかけるベアトリーチェ”、真ん中のロセッティ作、“プロセルピナ”、ミレイの代表作“オフェーリア”、ターナーの“ノラム城、日の出”など館自慢の名画がごそっとやってきたからである。だから、画集に載っているほかの作品に注目してみて回った。

ブレイク(1757~1827)の部屋は入って左側の真ん中あたりにある。リストに載っている“アダムを裁く神”、“ニュートン”、“ネブカドネザル”、“善の天使と悪の天使”、上の“ダンテの神曲”などが次々と現れる。だが、残念なことにアベルを殺したカインの絶望的な顔が胸を突き刺す“アベルの死体を見つけたアダムとエヴァ”と“ヨブに煮え湯を注いで苦しめるサタン”がなかった。二重丸をつけていた絵だが、そう理想どおりにはいかない。8割のヒット率なら御の字である。

“ダンテに語りかけるベアトリーチェ”はブレイクが体験した幻視的な霊感を表現した神秘的な世界。右端の赤い服を着ているのがダンテで、永遠の恋人、ベアトリーチェは視線を集める横向きのグリフィンが牽く戦車に乗かっている。ブレイクにとって霊や天使、妖精などがとびまわる神秘的な世界は反合理主義の精神、つまり現実に対する幻滅の裏返しでもある。“ニュートン”ではコンパスをもち図形に夢中になっているニュートンは合理主義の危険を象徴する人間として批判的に描かれている。ブレイクは合理主義さえ人間の堕落と考えた。これからもブレイクを追っかけたいので、図録とともにここが発行している“ブレイクブック”を購入した。

ロセッティ(1828~1882)の作品は初見の“聖母マリアの少女時代”、“受胎告知”、“プロセルピナ”など6点あった。“プロセルピナ”は日頃の日常生活のなかでみかける女性とちがい、質量が多くのしかかってくるような女性画だから緊張する。インパクトがあるのが欲望をそそるような真っ赤な唇と吸い込まれそうな瞳。そして、波打つ巻き毛や緑の衣装のひだにも官能的な香りがする。美しくて官能的な女性を描く名手はクリムト(拙ブログ06/11/5)、ロセッティ、クノップフ(05/4/23)。3人の絵はもちろんMy女性画の上位に登録している。

ボッティチェリのあの優雅な線を彷彿とさせるのがバーン=ジョーンズ(1833~
1898)が描いた下の“黄金の階段”。美しく青白い女性たちが左にカーブした階段を降りてくる。ボッティチェリ好きだから自ずとバーン=ジョーンズにも高い関心がある。で、はじめてみるこの絵と“コーフェチュア王と乞食娘”を夢中になってみた。これからきれいな線と克明な細部描写が魅力のバーン=ジョーンズに嵌るかもしれない。

今回再会を楽しみにしていたミレイの“オフェーリア”はどこかへ貸し出し中で見れなかった。この絵だけでなく目の中に入れるはずだった“両親の家のキリスト”と“ローリーの少年時代”もなかった。今秋、Bunkamuraで開催される回顧展がすでにはじまっているのだろうか?

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