2008.04.24

その五 オスカー・ココシュカ  バーン=ジョーンズ  ジョン・マーチン

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1992年、講談社から発行された週間美術本“世界の美術館 ラ ミューズ”
(当時500円、全50冊)はコンパクトに美術館自慢の名画を紹介したすばらしい本で、今でも時々眺めている。“No9 ボストン美術館”ははじめてここを訪問するときには購入していたが、なにぶん印象派ばかりに心が向かっていたから、この本に載っている名作を何点も見落としてしまった。だから、今回はそのリカバリーに懸命。

が、近代絵画の部屋が工事でクローズされていたから、当時見たのだろうが見たという記憶がないピカソの“サビーニの女たちの掠奪”や再会を楽しみにしていたオキーフのクローズアップされた花の絵“白バラとヒエン草”とは残念ながら対面できなかった。首尾よくリカバリーできて喜んでいるのが上のオスカー・ココシュカ(1886~1980)の
“愛しあう二人”と真ん中のバーン=ジョーンズ(1833~1898)の“希望”。

これまで、ココシュカの絵を見た経験はきわめて少ない。1987年、池袋にあったセゾン美術館(現在はない)で“ウィーン世紀末展”というクリムトやシーレの代表作が沢山出品された感激の展覧会があったとき、ココシュカの絵も肖像画や版画など10点ちょっとあった。このときはいい絵をみたという印象がなく、何年か前訪れたウィーンのベルヴェデーレ美術館でも、どういうわけか館の図録に載っている静物画や母親の肖像画とは対面できずじまい。

で、ココシュカのイメージに直結しているのは東近美の常設展示で頻繁にお目にかかる“アルマ・マーラーの肖像”。この絵ではアルマの激情的な性格がよくでているが、全裸で抱き合う“愛しあう二人”はココシュカとアルマの表情が虚ろ。この表現主義特有の強い色彩をみるといつも、バブル時代一世を風靡したジュリアナトーキョーで若い女性たちが七色のスポットライトを浴びて享楽的に踊るシーンが頭をよぎる。この絵を見たからには2年後に描かれた代表作“風の嵐”(バーゼル美術館)ともなんとか対面したい。いつものようにミューズにお願いすることにした。

バーン=ジョーンズ(1833~1898)が亡くなる2年前に描いた真ん中の“希望”は二重丸をつけていた作品だから、大変感激した。足を鎖でつながれた女性の右手に白い花をもち、左手を高く上にあげるポーズがそのまま題名の“希望”を表している感じ。アメリカの美術館ではハーバード大のフォッグ美術館がバーン=ジョーンズの作品を沢山もっているが、シカゴやワシントンにはなく、ボストンとメトロポリタンに1点ずつあるだけだから、目に力を入れてみた。

下はイギリスの画家、ジョン・マーチン(1789~1854)が描いた壮大な作品“エジプトの七番目の災難”。ロンドンのテート・ブリテンにあった“神の怒りの日”などで少しは目が慣れているとはいえ、旧約聖書やミルトンの文学的な主題を題材にとり、崇高の美を表現した大作の前では言葉がでない。こういう嵐や火山の噴火など圧倒されたり、恐さを感じる自然現象には普段縁がないから、ロマン主義的に表現された自然の崇高さに強く惹き込まれる。

これでボストン美術館は終了。残るはNYのメトロポリタン、フリックコレクション。

なお、拙ブログは4/25~5/2お休みします。

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2008.02.09

テート・ブリテン その一 ブレイク  ロセッティ  バーン=ジョーンズ

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2度目の訪問となるテート・ブリテンは当時はテート・ギャラリーと呼ばれ、イギリス絵画と近代絵画が展示してあったのだが、そのなかの外国の近代絵画や現代アートは
2000年に開館したテート・モダンに移管されたため、現在はイギリス美術一色の美術館になった。館の前に立つと17年前の記憶がかすかに戻ってきたが、中の展示室がどうなっていたかはまったく覚えてない。

前回見たなかでは、ダリの代表作の一つ“ナルシスの変貌”やエルンストの“セレベスの象”などシュルレアリストの傑作は目に焼きついているのに、ブレイクやロセッティ、ミレイ、バーン=ジョーンズらラファエロ前派の作品を鑑賞したという自覚がまったくない。これらの画家に目覚めたのはこれ以降のことなのである。だから、ここの必見名画リストはこの4人とターナーの絵で埋め尽くされている。でも、はじめての対面となる作品ばかりというわけではない。

というのも、ちょうど10年前、東京都美で開催された“テート・ギャラリー展”に、上のブレイクの“ダンテ「神曲」・戦車の上からダンテに語りかけるベアトリーチェ”、真ん中のロセッティ作、“プロセルピナ”、ミレイの代表作“オフェーリア”、ターナーの“ノラム城、日の出”など館自慢の名画がごそっとやってきたからである。だから、画集に載っているほかの作品に注目してみて回った。

ブレイク(1757~1827)の部屋は入って左側の真ん中あたりにある。リストに載っている“アダムを裁く神”、“ニュートン”、“ネブカドネザル”、“善の天使と悪の天使”、上の“ダンテの神曲”などが次々と現れる。だが、残念なことにアベルを殺したカインの絶望的な顔が胸を突き刺す“アベルの死体を見つけたアダムとエヴァ”と“ヨブに煮え湯を注いで苦しめるサタン”がなかった。二重丸をつけていた絵だが、そう理想どおりにはいかない。8割のヒット率なら御の字である。

“ダンテに語りかけるベアトリーチェ”はブレイクが体験した幻視的な霊感を表現した神秘的な世界。右端の赤い服を着ているのがダンテで、永遠の恋人、ベアトリーチェは視線を集める横向きのグリフィンが牽く戦車に乗かっている。ブレイクにとって霊や天使、妖精などがとびまわる神秘的な世界は反合理主義の精神、つまり現実に対する幻滅の裏返しでもある。“ニュートン”ではコンパスをもち図形に夢中になっているニュートンは合理主義の危険を象徴する人間として批判的に描かれている。ブレイクは合理主義さえ人間の堕落と考えた。これからもブレイクを追っかけたいので、図録とともにここが発行している“ブレイクブック”を購入した。

ロセッティ(1828~1882)の作品は初見の“聖母マリアの少女時代”、“受胎告知”、“プロセルピナ”など6点あった。“プロセルピナ”は日頃の日常生活のなかでみかける女性とちがい、質量が多くのしかかってくるような女性画だから緊張する。インパクトがあるのが欲望をそそるような真っ赤な唇と吸い込まれそうな瞳。そして、波打つ巻き毛や緑の衣装のひだにも官能的な香りがする。美しくて官能的な女性を描く名手はクリムト(拙ブログ06/11/5)、ロセッティ、クノップフ(05/4/23)。3人の絵はもちろんMy女性画の上位に登録している。

ボッティチェリのあの優雅な線を彷彿とさせるのがバーン=ジョーンズ(1833~
1898)が描いた下の“黄金の階段”。美しく青白い女性たちが左にカーブした階段を降りてくる。ボッティチェリ好きだから自ずとバーン=ジョーンズにも高い関心がある。で、はじめてみるこの絵と“コーフェチュア王と乞食娘”を夢中になってみた。これからきれいな線と克明な細部描写が魅力のバーン=ジョーンズに嵌るかもしれない。

今回再会を楽しみにしていたミレイの“オフェーリア”はどこかへ貸し出し中で見れなかった。この絵だけでなく目の中に入れるはずだった“両親の家のキリスト”と“ローリーの少年時代”もなかった。今秋、Bunkamuraで開催される回顧展がすでにはじまっているのだろうか?

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