2007.07.16

クリムトの風景画

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西洋絵画の画家のなかには死ぬまで付き合っていきたいのが何人かいる。クリムトはそのひとり。で、昨日の迷宮美術館(BS2)がクリムトを取り上げていたので、体をのりだしてみた。

今回、焦点をあてていた作品は風景画。クリムトが描いた220点あまりの絵のなかで、風景画は50点くらいあるという。これまで見た風景画はウィーンのベルヴェデーレ美術館に飾ってあった5点しかないが、どれも魅力的な作品だった。

上は番組にも登場した“アッター湖畔の風景(ウンターアッハの家並み)”。家の壁や屋根の赤や木々の緑は実際はもっと鮮やかにでていて、色紙を切って貼ったような家並みが強く印象に残っている。“アッター湖畔のカンマー城 Ⅲ”も“ウンターアッハの家並み”と同じく、建物を平面的に描いた作品。

1908年から1912年まで、夏の間すごしたアッター湖畔でクリムトはカンマー城を5枚連作で制作した。その最後の作品が下の“カンマー城の庭園内の道”。これも大好きな一枚。目を奪われるのは道沿いに続く木。曲がった枝は様式化して描かれており、幹の力強いタッチはゴッホの絵を彷彿とさせる。

もう一点、点描法で装飾的に表現された“白樺の林”も忘れられない。ここには“ひまわりの園”といういい絵があるのだが、どういうわけか03年の訪問時は展示してなかった。番組の中で、1905~06年に描かれた“ひまわり”(個人蔵)は有名な“接吻”と似た構図をしているという指摘があったので、“ひまわりの園”を見逃したのが悔やまれる。

クリムトが風景画を制作したアッター湖はウィーンの避暑地。35歳の頃からクリムトはここで恋人、エミーリエ・フレーゲと一緒にすごし、何も煩わされることなく、木々、草花、果樹、家々、カンマー城を描いた。面白いことにキャンバスはすべて正方形。スポーツが大変好きだったクリムトは湖でボートを漕ぎ、そして、岸辺から離れたところにボートを止め、オペラグラスを使い、湖畔の家々やカンマー城を切り取った。

ゲスト解説をしていた美術史家、千足伸行さんの本、“もっと知りたいクリムト”(拙ブログ07/2/27)にクリムトの風景画の特徴、傑作“接吻”と“ひまわり”の関連が詳しく書かれている。ご参考までに

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2006.11.05

映画「クリムト」

536大勢いる西洋画家のなかで、ウィーン世紀末芸術の中心人物として活躍したグスタフ・クリムトは特別な存在。

国内で行われたクリムトの展覧会はだいたい見逃さず観てきたし、ウィーンでも代表作が展示してある主要な美術館を訪問した。このように常日頃、アンテナをはっているクリムト狂いにとって、10/28から全国ロードショーの映画「クリムト」はクリムトのことを知る絶好のチャンス。で、前売り券を買っていたシネスイッチ銀座へ早めにとびこんだ。

クリムトを演じるジョン・マルコヴィッチ、愛人エミーリエ役のヴェロニカ・フェレ、そしてチリ人監督、ラウル・ルイスのことは全く知らないから、映画を見慣れている人とはちょっと見方が異なる。ネタばらしは禁じ手なのでストーリーについて詳しくは触れない。この映画で確認したかったのは、絵を描くときの想像力の源はどこにあるのか?クリムトは実際どんな人間だったのか?という点。これまで作品を観たり、画家のモノグラフを読んだりして興味をいだいていたこと、疑問に思っていたことがこの映画でいくつか解消されたので、そのことを書きたい。

この映画は昨年のはじめ、鎌倉の古本屋で偶然見つけたネーベハイ著のクリムト本(拙ブログ05/1/22)を所々で下敷きとして使っている。アトリエには裸のモデルが何人もいる。その中にクリムトの子供を生んだ女がいた。クリムトが女の赤ちゃんが出来たことを告げられて喜ぶ場面が面白い。貧しいモデルたちにクリムトはモデル料をきっちり払い、なにかと資金的な援助をしてやったという。父親が亡くなって埋葬する金がないと泣きついたり、家賃の未払いで立ち退きを迫られるモデルにはその金を払ってやっている。しかし、よく嘘をつかれ、騙されることもあった。誰かがそれを注意すると、クリムトは“ねえ、君、それが世の常さ。本当に貧しい人に生涯なんの施しもしないで終わるよりは、ろくでなしにだって何かくれてやる方がましじゃないか”と笑って言ったという。なんとも太っ腹。

アトリエのなかに掲げられている絵に右の“ダナエ”(個人蔵)がでてくる。チラシにも使われており、何点かある同じ画題の絵のなかでは一番官能的な“ダナエ”である。黄金の雨を光に変え象徴的に描いたレンブラントの絵(拙ブログ05/5/26)と較べると、クリムトの絵はエロテイックな香りがし、黄金の雨の描写は即物的。いつかこの絵にお目にかかりたい。

この映画にはクリムトが肖像画を描いた女性が2人登場する。結婚はしなかったが、生涯の恋人だったエミーリエ・フレーゲ(映画のなかではミディと呼ばれている)とクリムトの大のパトロンでユダヤ人実業家、アウグスト・レデラーの妻セレナ。クリムトとエミーリエの関係はプラトニックなものだったといわれているが(拙ブログ05/7/12)、映画でもそういう風になっている。はたして、本当にそうだったのか?幾何学的な装飾文様が入った青のドレスを着たエミーリエの肖像画は見たことあるが、セレナ夫人のはまだみていない。

レデラーは代表作のひとつ“ベートーベン・フリーズ”をはじめ18点の作品を所蔵していたが、13点は第二次大戦で焼失したらしい。大きな損失である。残念なことにこれらの作品は写真に撮ってなかったので、どんな絵だったか知る由もない。

最後にクリムトの肉体のことについて少々。クリムトは梅毒に罹り、定期的に病院を訪ね、医者に症状を聞いている。また、レスラーやボクサー並みの力を持ち、体臭がすごかったという。映画のなかにそのことがわかるシーンがでてくる。観てのお楽しみ。

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2005.07.12

クリムトの黄金絵画

229クリムトの絵はこれまでウイーンの美術館や日本での展覧会で見たり、TV美術番組のクリムト特集をビデオ収録してきたので、この画家のことはある程度知ってるつもりであったが、迷宮美術館で新しい話がでてきた。

それはクリムトと愛人、エミーリエの関係がプラトニックなものだということ。二人は決して触れることがなかったらしい。トリビアの泉ではないが、へえー、それ本当なのという感じである。

1ヶ月くらい前、友人の知り合いの画家が銀座の画廊で開いた個展を二人で見に
行ったとき、美術史家の千足伸行さんがちょうど来られて、少しお話をした。
この千足先生が番組に登場し、二人の意外な関係のことを語っておられた。
西洋美術では高階氏と並ぶ、高名な千足さんの話なので本当だろうと思うが、
クリムトという画家の心情がちょっとわからなくなった。

クリムトが愛したアルマ・シントラーをイメージして描いた官能的な絵では
黄金が光輝いているのに対し、代表作の“接吻”では信頼できるパートナー、
エミーリエ・フレーゲとの愛の関係を反映し、黄金の使い方が控えめになる
一方で、装飾性がより繊細になり、色彩豊かな明るい色調に変わっている。

黄金が全面にでた絵でまだお目にかかってなく、是非見てみたいのは
“金魚”、“ダナエ”、“水蛇Ⅰ”。水蛇は03年に訪問したベルヴェデーレ美術館で
期待したのだが、貸し出し中でみれなかった。これぞ官能絵画の代表みたい
な金魚、ダナエに会えるのを秘かに願っている。

日本であったクリムトの回顧展では1989年、池袋のセゾン美術館で開催さ
れた“ウィーン世紀末展”が凄かった。クリムト、シーレの代表作がかなりでてた。
余談になるが、当時のセゾン美術館はいい企画展を実施する美術館として
人気があった。クリムトの作品では代表作の“接吻”をはじめ、“エミーリエ・
フレーゲの肖像”、“ユーディトⅠ”、“パラス・アテナ”、“アダムとイヴ”があった。
また、複製ではあったが、“ベートーベン・フリーズ”にも会った。

右の“パラス・アテナ”はなかでも印象深い絵。黄金の胸甲アイギスを着けた
女神アテナが真正面向きにじっとこちらを凝視している。アテナは闇の戦士のようで、
暗く、不気味な気配を感じさせる絵である。アイギスのまんなかには英雄ペル
セウスが退治したメジューサの首が魔よけとして嵌め込まれ、その周りには蛇の
鱗が飾られている。左手の腕の上からこちらをみている二つの目は知恵の象徴、
フクロウ。そして、右手にいるのは勝利の女神ニケ。

多くの画家が女神アテナを描いているが、クリムトの“パラス・アテナ”はかなり
異色。このアテナの目にいつも射すくめられる。

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2005.07.10

エゴン・シーレの家族

115今日の新日曜美術館では画家が描いた家族を取り上げていた。美術史家の栗津則雄さんは過去にも別の切り口で内外の画家の作品をいろいろ見せてくれた。

番組の編集の仕方が変わってきて、一人の画家の作品を掘り下げることとは別に、BS2の迷宮美術館でやってるようにひとつのテーマで作品をグループ化してみていこうとしている。海外の巨匠たちの絵と日本画や日本人が
描いた西洋画を同じ土俵で鑑賞してるのが面白い。

今回は家族を描いた絵が時空を超えていろいろ集まった。久隅守景(くすみ
もりかげ)作の“納涼図屏風”(国宝、東博蔵)がでてきたのには驚いた。
なんとものどかな家族団らんの光景だが、この時代、夫婦と子供が一緒に
夕顔棚の下でくつろぐのは例外的なことかもしれない。

小倉遊亀が描いた“径”は02年、滋賀県立美術館であった小倉遊亀展で
一番感動した作品。お母さんの後を女の子と犬が歩調をあわせて進む姿が
ほほえましい。ルネッサンスの巨匠、ミケランジェロの“聖家族・ドーニ家の
トンド”(ウフィツィ美術館)やラファエロの“小椅子の聖母”(ピッティ美術館)
は宗教画の範疇であるが、宗教臭くなく見ててほっとする幸せな家族の
絵である。

栗津氏の分析力は広く、鋭い。ウイーン世紀末の画家、エゴン・シーレが死ぬ
年に描いた右の“家族”がでてきた。ウイーンのベルヴェデーレ美術館でこの
絵をみたとき、他の絵の画風とちょっと違うなと感じた。シーレの絵の中では珍
しくまともな絵。清楚で美しい妻エディットを後ろから抱いているシーレの顔は
すっきりと綺麗に描かれている。まもなく実現する3人家族を待ちきれないのか、
シーレはまん丸な赤ちゃんを描き込んでいる。背景の暗い色調はシーレの
不安な気持ちを表しているのだろうか。

スペイン風邪によりエディットが死んだ3日後に、シーレも同じ病気で息をひき
とった。まだ、28歳の若さである。孤独感と不安な感情を抱いたまま、短い一
生をとじたシーレが最後に描いた絵が“家族”。シーレの端正な顔が今も心に
強く残っている。

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2005.04.14

エゴン・シーレ展

228_2ゴッホ美術館の新館でエゴン・シーレ展をやっていた(3/25~6/19)。オランダでシーレの大規模な回顧展が開かれるのははじめてらしい。

お目当てのゴッホの作品を観た後、急いで観賞した。思わぬビッグなオマケに得した気分。会場にはウイーンのアルベリティナ・コレクションから水彩、グワッシュ、素描、油彩が沢山飾られている。

興味深かったのはシーレがゴッホの絵に触発されて描いた作品。一つは
ゴッホの“寝室”の影響をうけた“画家の部屋”。もう一点はひまわりを意識
した同名の絵。シーレはゴッホの寝室を1909年、ウイーンで開催された
国際クンストシャウ、ウイーン展で見たらしい。シーレが寝室に霊感を得て
描いた“画家の部屋”は赤や紫が印象的で、なかなかいい絵。

“ひまわり”は95年、日本であった“ウイーンのジャポニスム展”で一度みた。
その時はシーレがゴッホのひまわりの影響をうけたことは知らなかった。ウイ
ーンやドイツの表現主義画家にとってゴッホの絵はかなり刺激的だったのだ
ろう。

最後のコーナーには名画が目白押し。昨年訪れたウイーンのベルヴェデーレ
美術館で感動した“4本の樹”にまた出会った(拙ブログ05/2/5)。
また、この美術館からは代表作“窓”も出品されている。シーレは自画像を
はじめとする強烈な印象を与える人物画を数多く描いた。どぎつい表現がドン
とでてくるのであまり長くみてられないという場面もある。こうした絵ばかりみて
るとシーレはちょっと苦手ということになる。

ここに出ていた作品は日本で観たのとくらべると、マイルドで綺麗な絵が多か
った。オランダで最初のシーレ展なので主催者は気を使ったのだろうか?右の
絵“縞模様の服を着たエディット・シーレ”に魅せられた。1915年、シーレは
エディットと結婚し、この肖像画を描いている。エディットの着ている服の色合い
にうっとり。赤、緑、紫、、黄色の縞模様をみるとマチスばりのカラリストの天分
を感じる。外見よりも内面を強くだした他の人物画とくらべ、この絵に描かれた
妻は静けさをたたえている。

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2005.02.05

エゴン・シーレ

08昨日の世界美術館紀行にウィーンにあるレオポルト美術館が登場した。03年、ウィーンを訪れたときは時間がなくて残念ながらこの美術館には行けなかった。エゴン・シーレの絵を沢山所蔵してるので有名なところである。

日本にも、ここの名画が2、3回きている。8年前の97年、安田火災東郷青児美術館で開かれた“ウィーン世紀末展ークリムトの夢、シーレの愛”で観たレオポルト所蔵の作品は今でもよく
覚えている。この展覧会でシーレの画風についてのイメージが固まった。

その後、シーレの絵を日本でみることがなかったが、ベルヴェデーレ美術館で
久しぶりにお目にかかった。ここにもシーレの代表作がいくつもある。“家族”、
“自画像”、“抱擁”、“死と乙女”、“母と子供”などだが、これらは日本で見た。
で、新鮮味はないが、シーレが28歳の若さで亡くなった年に描かれた“家族”
が強く印象に残った。この絵のシーレの顔が他の作品にくらべ、暗さや退廃的
な匂いがなく、逆になぜか端正に描かれているからだ。妻、そして生まれて
くるであろう子供も綺麗で可愛い。

この絵についで心をうたれたのが右の“4本の樹”という風景画(1917年)。
はじめてみる絵。シーレの絵描きとしての才能の高さを感じさせる素晴らしい絵
である。沈みゆく太陽が夕暮れの空を赤くそめ、前景に平行に立ち並ぶ4本の
マロニエの樹が描かれている。エロティックで毒のある絵をかくシーレのイメー
ジがこの絵をみて変わった。こんな美しい絵も描けるのだと。これは大きな収穫。

ネーベハイ著の“クリムト”にはクリムトとシーレのおもしろいやりとりが出てくる。
クリムトは若いシーレ(28歳年下)の絵をみて“君が描いた人物の顔の表情は
どうだ!僕は君が羨ましい”と言ったという。また、後年、シーレは尊敬するクリム
トのデッサンが欲しくて、クリムトに作品の交換を懇請した。そして、クリムトの1点
に対して自分のは数点を差し上げましょうと言うと、クリムトは“何のために君は僕
とデッサンを交換しようと言うのか?君の方が僕なんかより遥かにいいデッサンを
するじゃないか。。。”と答えたらしい。クリムトとシーレは奇しくも1918年、同じ
年に亡くなっている。

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2005.01.22

クリムト

230鎌倉の鶴岡八幡宮に初詣に行ったとき、老舗の古本屋でネーベハイというクリムト研究家が書いた“クリムト”(美術公論社 85年10月)という本をみつけた。

訳者のあとがきによると、本書はクリムトの基本文献になっているという。著者の父がウィーンで画廊を経営していた関係でこの人も8歳のとき、クリムトに会っている。本の中にはクリムトの語ったことなどが随所に書かれており、クリムトがどんな人だったかがよくわかる。クリムトがぐっと身近になった。

クリムトは野生的で、頑丈な体をしていたらしい。口数は少ないほうだったが、
若い芸術家の信頼は厚かったという。28歳年下のシーレやココシュカにも経済
的な支援をしている。読む前に、クリムトの装飾的な画風に関連して日本の琳派
のことがふれられているかなと思ったが、ジャポニズムや日本美術の装飾的、
工芸的な特徴の記述はなかった。

この本で一番興味深かったのがブリュッセルのストクレ邸にあるモザイクシリーズ
(1911年)。ベルギーの実業家アドルフ・ストクレから依頼されたものだ。建築を
ホフマンが担当し、食堂のモザイクをクリムトが手がけている。右はそのひとつ
“期待”。いつか見てみたい綺麗なモザイクだ。金属、エナメル、色ガラスが金に
糸目をつけず使われている。光琳の紅白梅図にでてくる模様をおもわせる渦巻き、
三角形で様式化された女性の姿、黄金色でうめつくされた画面、女性の衣装に
みられる洗練された赤や緑、青の横線などは観るものを飽きさせない。

クリムトは1903年2度、イタリアのラヴェンナを訪れている。ここの教会でみた
黄金に輝くモザイクが彼の創作活動に決定的な影響を与えることになった。一緒
に行った仲間のレンツは“クリムトは真に衝撃をうけた。彼はそれを言わなかった
が、傍目にも歴然としていた”と語っている。クリムトの心を捉えたのはプリミティ
ブなビザンティン様式であった。

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2004.12.27

分離派館とクリムト

Scan10022昨年、ウィーンに行った時一番行ってみたかったのはこの分離派館。建物自体も興味があったが、お目当てはここにあるクリムトの“ベートーベンフリーズ”。

この分離派館(ゼツェッション)は1897年にクリムトなどが結成した分離派の展覧会活動の拠点となった建物。オットーワグナーの弟子オルブリッヒの設計。イスラム寺院をモデルにし、金メッキした月桂樹の葉のレリーフで飾られ
たドームが印象的。当時、金色のキャベツとあだ名されている。正面玄関の
上に掲げられた“時代にはその芸術を、芸術には自由を”という金文字は
分離派の精神を象徴している。

この建物の地下にクリムトの“ベートーベンフリーズ”がある。34mの壁画。
この絵の原寸大複製(ベルヴェデーレ宮オーストリア絵画館所蔵)を89年、
セゾン美術館で開催された展覧会で見た。本物の絵は左壁、正面、右壁に
ある。ベートーベンの9番にあわせ、左から“幸福への憧憬”、“敵対する
力”と続き、そして最後が“歓喜”。

音楽を絵にするのは難しいことだとおもうが、これをやってしまうのが天才
クリムト。正面の壁画、敵対する力は忘れようにも忘れられない絵。幸福に
敵対する力を巨大な怪物テュフォン(ゴリラ)、ヘビ、擬人化された悪徳(病、
狂気、死、欲望、不貞、不節制)で表現している。不節制をあらわす腹の
でた肥満の女性はちょっとグロテスク。

最後の歓喜では天使が合唱する横に全裸の男女の接吻するシーンが描か
れている。クリムトお得意の装飾的で官能的な描写で、色は光輝く金。いつ
までも見ていたい絵だ。

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2004.12.26

オットーワグナーのマジョリカハウス

Scan10021ウィーン世紀末を代表する建築物、マジョリカハウスを探し回ってやっとのことでこの前にたどり着いた。パリでおこったアールヌーボーがここウィーンで装飾的な建物となって伝播している。

これを設計したのはオットーワグナー(1841~1918)。このマジョリカハウスは一際目立っている。右側のベージュの壁面はレリーフが施され、その凹凸に金を被せて飾ってある。クリムトの絵にでてくる黄金の感じである。

左の方はタイルに東洋的な花柄模様が描かれている。世紀末の文様である。
薄紅色や緑などの色の配色は洗練されており、どぎつい装飾という感じはない。
ここはウィーンの観光名所の一つで、団体客も結構やってくる。また、中国人
ツアー客に会った。彼らはこういう奇想天外の建物が好きなのだろうか?

オットーワグナーが設計したもう一つの世紀末デザインの建造物も見た。それ
はカールスプラッツ駅。マジョリカハウスと同じ時期の1898~1899年に建て
られた。マーブル、鉄骨を使い、金粉をはめ込んでいる。洒落た文様で垢抜け
た建物である。

最後に、ワーグナーが1904~1906年に建てた郵便貯金局をみる予定であ
ったが、すでに日が暮れ、所在地を探す気力も失せていたのであきらめた。
オットーワグナーの装飾豊かな建築物は強烈な存在感があった。随分くたびれ
たが、楽しい一日だった。

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