2009.07.15

メキシコ20世紀絵画展のフリーダ・カーロ

752
753
754
‘メキシコ20世紀絵画展’(7/4~8/30)を見るため世田谷美を訪問した。この美術館は最寄りの用賀駅(東急田園都市線)からのアクセスがあまりよくない。美術館行きのバス停に近づくと待っている人は誰もいない。イヤな予感、バスは3:05に出発したばかり。つぎは3:45、35分も待つはめになった。

美術館までは歩いて20分だが、エコバッグは図録やら購入した本でずしっと重くなっているので、その元気はない。入館する前、帰りのバスの時刻を確認して、その時間内で見終わることにした。この展覧会ははじめからフリーダ・カーロ(1907~54)の‘メダリオンをつけた自画像’(1948、上の画像)を見るのが目的だから、時間はかからない。

お目当ての絵は最初に展示してあった。彼女の絵をみるのはこれがはじめて。03年Bunkamuraで回顧展があり、そのころ日曜美術館か美の巨人たちで取り上げられたような記憶がある。確か、小さい頃小児麻痺のため足の発育が止まり、さらに大きな事故に遭遇し足や腰椎を骨折するなど、人生の大半を肉体的な苦痛に見舞われて過ごし、47歳で亡くなったという話だった。

驚かされるのがその画風。メキシコにもこんなすごいシュルレアリストがいたとは!目に焼きついているのが‘折れた背骨’と‘ふたりのフリーダ’。ダリの体がくり抜かれた彫刻作品を彷彿とさせる‘折れた背骨’で、小さな涙の粒が描かれていたが印象的。この自画像でも涙が3粒みられる。

白のレース編みのテーブルクロスに大きな丸い穴を開けてそこから顔を出している感じのフリーダはぱっとみると男性にみえる。まゆげが濃くうっすら口ひげがはえているから、男と錯覚する。この絵は番組かほかの美術本にでていたので有名な絵だと思うが、シュールな表現という感じはしない。次回は仰天させられたあのシュールな作品に囲まれてみたい。

1点買いの絵を見たので、あとはスルスルと導線を進んだ。足が止まったのが真ん中のシケイロス作、‘進歩の寓意’(1950)。画面上部に飛行船とトンネルから出てきた列車、飛行機、そして右の黄色の大地にはトラクターが描かれている。斜めの線とか列車や煙のスピード感あふれるフォルムをみると、未来派のバッラやボッチョーニの絵を連想する。

メキシコ市にシケイロス(1896~1974)が制作した‘地上での、そして宇宙へ向かう人類の行進’(1971)と題された周囲150m、高さ15mの大壁画があるらしい。夢に終わるかもしれないが、いつか見てみたい。

下はイスキエルドの‘マリア・アスンソロの肖像’。画家の名前は全然知らなかったが、女性の内面をよくとらえているこの絵にぐっと惹きこまれた。また、白で描かれた人物描写とハッとする構図が心を打つロメロの‘ホロコースト’の前にも長くいた。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009.06.19

夢幻的なデルヴォーワールドに魅せられて!

687_2
686_3
688_2
ベルギー王立美にはマグリット同様、デルヴォー(1897~1994)の展示室があり、傑作がずらっと並んでいる。とくに魅了されたのをあげてみると、

★民衆の声(上の画像)
★夜汽車(真ん中)
★スピッツナー博物館(下)
★ピグマリオン(拙ブログ05/4/26
★ノクターン(06/9/29

‘民衆の声’(1948)は縦1.52m、横2.54mの大きな絵。画面手前に横たわっている裸の女に目が釘付けになる。売春宿にいる女を連想するが、それでも心臓はバクバクしない。それはデルヴォーが描く女は人形のようで生々しさが感じられないからである。このイメージはベッドのむこうで紫の大きなリボンを髪につけ、黒い喪服を着ている3人の女でも同じこと。部屋の外は透視画法で街の様子が描かれ、真ん中に走り去ろうとしている路面電車がみえる。

マネキンのような女、夜、そして電車とデルヴォー絵画でお馴染みのモティーフだが、一体何がここに描かれているのか?デルヴォーはマザコン、35歳のとき母親が亡くなった。裸の女は母親の象徴で、これから黄泉の国へと旅立つところ。

‘夜の汽車’(1957)はデルヴォーに大きな影響を与えたデ・キリコの形而上絵画を彷彿とさせる。去っていく汽車とプラットホームに漂うなんともいえない寂しい空気が長くのびるレールや柱影と木柵のうしろで見送っている少女の姿で表現されている。

デルヴォーの絵には死を意味する骸骨がよく登場するが、それは1932年に起きたある出会いがきっかけになっている。医学知識の啓蒙のために、仮設テントのなかに性病に冒された人体の模型や骸骨などを並べた‘スピッツナー博物館’をデルヴォーは見たのである。それを描いたのが下の絵(1943)。

ピグマリオンで印象深いのはデルヴォーの絵とメトロポリタン美にあるジェロームの絵(08/5/13)。西洋美であった展覧会に出品された‘ノクターン’もなかなかいい。

これからの鑑賞ターゲットにしている絵は結構ある。いつか訪問しようと夢見ているポール・デルヴォー美術館が所蔵する作品、昨年見れなかった‘人魚の村’(シカゴ美)、‘眠れるヴィーナス’&‘レダ’(テートモダン)。済みマークがつくのはだいぶ先になりそう。

今年後半に開催される西洋画の展覧会のなかに、損保ジャパン美の‘ベルギー近代絵画のあゆみ’(9/12~11/29)がある。これはベルギー王立美蔵の70点で構成されるので、このなかにマグリットやデルヴォーの絵があるかもしれない。詳しいことはまだわからないが期待したい。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2009.06.18

もう一度見たいベルギー王立美術館のマグリット!

683_2
684_2
685_2
シュルレアリスム絵画を見るときはほかの絵と違って、心の中はかなりザワザワする。対象の不思議な組み合わせや想像力のキャパシティをはるかに超えたシュールな世界に思わずのめり込むというよりは、体も心もちょっと引き気味になることのほうが多い。

同じシュルレアリスムでも、ぬめっとしたところがあり緊張を強いられるダリの夢の世界に較べると、マグリットの絵は見慣れた現実の光景がベースになっているから、そのイリュージョンの中になんとか入っていけそうな気がする。と同時に、こんな不思議な構成やフォルムは並の才能ではとても創造できないことも思い知らされる。

Bunkamuraの‘だまし絵展’でマグリット(1898~1967)の世界に誘われたので、ベルギー王立美にある作品をまた見たくなった。05年に訪問した際の感想記では、‘エリプス’(拙ブログ05/4/25)のみだったから、まだあるお気に入りの絵を紹介したい。

★光の帝国(上の画像)
★アルンハイムの領土(真ん中)
★宝島(下)

マグリットが1952年から描きはじめた‘光の帝国’は全部で22点ある。これは1954年の作で、1961年に制作された別ヴァージョン(個人蔵)が02年の回顧展(Bunkamura)に出品された。王立美のは照明灯に照らされた建物のシルエットとそれが前の池に映り込むところが実に美しい。この絵はぱっと見ると不思議な感じがしない。日本の夕方でもこんな光景を体験することがある。

でも、建物のまわりの木々の暗さをみれば、この時間が陽が落ちる前ではないことがわかる。となると、この絵はどうなっているの?白い雲が沢山漂う空は昼で、下の風景は夜!じわりじわり、マグリットの意表を突く発想に心が揺り動かされる。こういうのは‘コロンブスの卵’で、説明されると‘なんだ、そうか!’となるが、数少ない人だけが思いつく。何事も最初に考えた者が一番エラくてすごい。

‘アルンハイムの領土’(1962)に表現されているダブルイメージはすぐわかる。三ヶ月の下の山の稜線が鷲の形をしている。が、その鷲の真下にある卵の読み方が難しい。これは何を意味しているのだろうか?岩になった鷲がこの卵を産んだのだろうが、これから卵をどうやって雛にするの?それともただ遠くで見守っているだけ。動物や人間が卵を持って行こうとしたら、岩から飛び出してくる?

下の‘宝島’(1962)に描かれている‘葉の鳥’もすんなりイメージできる。この絵はマグリットが思いついたメタモルフォーズ(変容)、つまり、ある物が別の物になることを表現している。マグリットは‘満開の花に少女を想像するとしたら、鳥を想像することも許されるだろう’という。ほかに葉がフクロウになった絵もある。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009.03.09

大丸東京のミロ展

433_2
431_2
432_2
バルセロナにあるミロ美術館(拙ブログ05/7/9)が所蔵する絵画、彫刻が現在、大丸東京で展示されている(3/5~3/22)。

この美術館の作品は過去2回くらい見たような気がする。最初が1988年、日本橋三越。2回目はよく覚えてない。今回のミロ展がミロ美の作品と知って、果たしてどうかな?という気分が50%あった。

作品70点のなかにとびっきりいいのがあるわけではないから、満足度はアベレージ。普通の作品でも、ミロ大好き人間にはミロワールドのバリエーションが広がるのは嬉しいこと。だから、楽しいひと時だったことは間違いない。

が、現地に展示してある作品を知っている美術愛好家として意見を述べるなら、‘ミロ美はいつもいつも有名な作品は持ってきてくれないな!’というのが率直な感想。手元にある図録に載っているような絵を一点でも展示してほしかったのだが。ここを訪問された方なら、たぶん同じことを思われるはず。

今回はミロが晩年に制作したものが中心。作品をこれまでとは違ったやり方で並べているので、ミロが何を描こうとしたかが理解しやすくなっている。会場を入ったところにミロが描いた物の記号(シンボル)がある。これが絵を読み解く鍵。

例えば、‘睾丸’、‘女’、‘星’、‘三本の髪の毛’、‘逃避の梯子’、‘円’、‘太陽’、‘月’、‘目’、‘鳥’など。これらが‘性’、‘天体’、‘地球’、‘無限のかなたへ’という4つのテーマでグルーピングされ、そのくくりにそって各々の記号がでてくる具体的な作品が展示されている。

上の絵‘女、鳥、星’(1978)は‘天体’に分類されている記号‘女の性、燃える花’の一枚。この頃のミロの絵は黒の色面や太い線は画面を多く占めるようになるが、この絵や記号‘星’を表した‘人々、鳥たち、星’では青の背景に細い黒の線で星や鳥が描かれている。

お気に入りは‘地球’の記号‘目’のところに飾ってある‘頭部’と真ん中の‘夜中の野蛮人’。再会した‘頭部’の狂暴的な目にまた射すくめられた。この絵だけは人間の内面を強烈に感じる。‘夜中の野蛮人’はまったくおもしろい絵。足がちゃんと二本あり、大きな目が5つある。どのあたりが野蛮なのだろうか?

最後のコーナーにある18点は記号の分類とは直接対応しないものだが、原色の赤、青、黄色や太い黒線が目を楽しませてくれる。なかでも下の‘力強い思想家’や‘雪の野蛮人’や‘タコ捕り’に大変魅せられた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009.01.18

もっと見たいクレー・エルンスト・デルヴォーのシュールな絵!

296_3
297_3
298_3
今日の追っかけ画はクレー、エルンスト、デルヴォー。
★クレーの‘ゼネツィオ’:バーゼル美(上の画像)
★エルンストの‘聖アントニウスの誘惑’:ドイツ、デュイスブルク市立ウィルヘルム・レーンブルック美(真ん中)
★デルヴォーの‘レダ’:テートモダン(下)

現在、渋谷のBunkamuraでクレー(1879~1940)の作品が沢山展示された展覧会が行われているが、事前にチェックしたら06年、川村記念美の‘クレー展’に出品されたものばかりだったのでパス。ほかの作品のレベルは知らないが、2年前ノルトライン=ヴェストファーレン美自慢のクレー作品がごっそり公開されたのに、また、同じ作品をずらっと並べ‘今回のクレーはすばらしいでしょう!’と胸を張るわけ?Bunkamuraともあろう美術館がそれはないでしょう。

昨年、国立新美が‘モディリアーニ展’でも同じようなことをやっていた。日本の美術館で働く学芸員にはプライドというものがないのだろうか?海外の美術館から作品を持ってくる場合、先に接触した美術館が勝ちなの。後からまた契約し、同じ作品にプラスαをつけて展示しても、新鮮味がなく展覧会としての価値は当然下がる。これは当たり前。美術ファンが願っているのは好感度の高い美術館が日本にまだやってきてない名画の展示で競ってくれること。Bunkamuraも昨年のシャガール作品事件でケチがつきはじめた?

悪い流れを断ち切るために、‘バーゼル美名品展’でも企画し、クレーのおもしろい絵‘ゼネツィオ’(1922)をもってきたら?ゼネツィオは野菊の一種で、日本のサワギク、コボロギクのこと。調和のとれた色使いは無理だが、フォルムだけなら絵の上手な小学生はこれに近い絵が描けるかもしれない。大好きな‘猫と鳥’(1928、NY・MoMA)と同じタイプの絵だから、いつか対面したい。

エルンスト(1891~1976)が独自の手法、フロッタージュを使って描いた森の絵は苔とか水中のヘドロを思い浮かべるので生理的にダメ。これはずっと前から変わらない。だが、‘聖アントニウスの誘惑’(1945)はリスク覚悟で一度は見てみたい絵。

1946年、アメリカの映画監督が自分のつくる作品の小道具にしゃれた絵を使いたいとコンテストを思いつく。テーマはよく知られた‘聖アントニウスの誘惑’。声をかけられたのが12人の前衛画家。もちろん賞金付き。そこで一等になったのがエルンストのこの絵。三等がデルヴォー。が、ダリの絵(昨日紹介、06/2/27)はみごと落選。

エルンストの絵は図版では細かいところがつかみきれないが、描かれた悪魔や全体の怖さ加減はちょっとボスの‘快楽の園’を彷彿とさせる。デュイスブルク市はボンの北方、あまり遠くないところに位置している。一番望ましいのは日本でエルンスト展が開催され、これが展示されること。実現の可能性はほとんどないが、とりあえず帆だけはあげておきたい。

デルヴォー(1897~1994)の‘レダ’(1948)は昨年訪問したロンドンのテートモダンで残念ながら対面できなかった。デルヴォーの絵に描かれた裸婦(拙ブログ05/4/26)は皆同じ顔をしている。目が丸く肌がぬけるように白いので生身の人間というよりドール感覚。

白鳥になりすましたゼウスと交わったレダはふたつの卵を産み落とした。え?ひとつではないの?レダは夫とも交わったからふたつなの。しかもどちらも双子。で、レダは4人の子供の母親になる。絶世の美女ヘレネはゼウスとのあいだにできた娘。ご承知のようにヘレネはトロイ戦争の原因になった女性である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009.01.17

もっと見たいダリの不思議な絵!

294
295
293
シュルレアリスム作品の鑑賞はルネサンス、印象派同様、ライフワーク。でも、その作品を全部見たい画家とそうでもない画家をわけている。

ダリ、ミロ、マグリット、デルヴォーが前者で、エルンスト、タンギー、マッソンが後者。クレーはとても気にっている画家だが、なかには退屈な絵もあるから、見たい度は80%くらい。

画集に載っている作品を全点制覇することを夢見ている4人のなかで、ダリとデルヴォーの絵が夢見心地というか不思議な世界に誘われるのに対し、ミロとマグリットはシュールはシュールでも、気軽で楽しい絵。

ダリ(1904~1989)は日本でも人気の高い画家だから、展示の規模は異なるものの、結構な頻度で回顧展が開催される。記憶に新しいのが06年、上野の森美であったもの(拙ブログ06/9/30)。

ダリの絵は広い空間を感じさせる画面にぐにゃっと曲げられた時計とか、極端に細い足をした象、馬、小さな蟻などが超細密に描かれているので、隅から隅までなめまわすように見てしまう。はじめはすごく緊張感を強いられるのに、見ていると少しづつぬめっとして弾力性のある画面に惹きこまれていく。

これはダリの描写力が並はずれて高いから。こういうシュールなイメージを下手くそな人が表現したら、作品にならない。見る者は丁寧に描かれているモティーフに目を慣らし、その形態の変容やモティーフ同士の関係、さらに全体の不思議な構成を自分なりに感じていく。だから、こういう密度の濃い絵では対象がしっかり描かれていないと非日常的な異時空間のなかに入っていけない。

では、精緻に表現されたダリの絵にどっぷり浸かれるかというとそれはない。まあ、30~50%がいいところ。これ以上入り込むと逆に精神的にあぶなくなる。ほどほどの付き合いを心がけているダリ作品でなんとか対面したいのは、

★‘ゆでた隠元豆のある柔らかい構造:内乱の予感’(1936):フィラデルフィア美(上の画像)
★‘海辺に現われた顔と果物鉢’(1938):アメリカ・ハートフォード、ワズワース・アシニアム美(真ん中)
★‘目覚めの直前、柘榴のまわりを一匹の蜜蜂が飛んで生じた夢’(1944):スイス・ルガノ、ティッセン=ボルネミッサ財団(下)
★‘聖アントニウスの誘惑’(1946):ベルギー王立美(06/2/27

最も魅せられているのがスイスのルガノにある絵。これは一度日本にやってきたことがあるそうだが、かなり昔の話だからまったく縁がない。魚の口から飛び出す虎が見たーい!ベルギー美を再訪する可能性は少ないから、‘聖アントニウス’もなかなか難しい。なんとか対面したいのだが。

‘海辺に’と似た絵がマドリッドのソフィア王妃アート・センターにあるから、ひょっとするとマドリッドのほうを先に見るとこになるかもしれない。フィラデルフィア美には追っかけ画が数点あるが、この‘ゆでた隠元豆’もその一枚。絵の前ではかなり圧倒されそう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009.01.16

もっと見たいミロの楽しい絵!

291_3
290_3
292_3
3月、大丸東京店でミロの展覧会がある(3/5~3/22)。美術館へ出かけるとき、作品内容についての情報はチラシだけでいいという考えだが、今のところまったく情報がないから、期待値はニュートラル。会場で予想外のサプライズがあればもうけものというのが率直なところ。

02年に世田谷美で比較的大きな回顧展があったが、ミロ(1893~1983)の作品をまとまってみれるのはそれ以来。ミロは昔から大のファンなので、国内で開かれた回顧展は見逃さずに出かけた。これまで鑑賞したミロの絵で、最も満足度が高かったのは
91年、セゾン美(現在は無い)で開かれた‘グッゲンハイム美名品展’と01年、上野の森美であった‘MoMA展’に出品された絵。

画集に載っている有名な‘耕作’(グッゲンハイム)、‘狩人(カタロニアの風景’と‘オランダの室内Ⅰ’(ともにMoMA)がNYに行かずに見れるのだから夢のようだった。こうした展覧会に遭遇したり、バルセロナにあるミロ美術館(拙ブログ05/7/9)や海外の近代絵画を展示する美術館へも足を運んだから、相当数のミロ作品をみたことになっている。

でも、手元の画集にはまだ目に入れてない絵がだいぶある。とくに個人蔵やNYやパリにある画廊が所蔵しているものは一生見れないかもしれない。その中で関心が高いのは次の3点。
★アルルカンのカーニバル(1924~25):バッファロー、オルブライト・ノックス・アート・ギャラリー(上の画像)
★恋人たちに未知の世界を明かす美しい鳥(1941):NY,MoMA(真ん中)
★壁画(1947):シンシナティ、ヒルトンホテル(下)

‘アルルカンのカーニバル’は悔いの残る絵。これは02年の回顧展のとき日本にやってきたのに、展示されたのは世田谷美ではなく愛知県美。当時、仕事の関係でどうしても名古屋まで追っかけられなかった。こんな有名な絵を見逃したのは残念でならないが、‘自分は美術史家ではないのだ’と言い聞かせている。

これは‘耕作’、‘狩人’と三部作をなす絵。子供たちが思い思いに描いたようにみえる。昨年亡くなったギャク漫画の天才、赤塚不二夫はミロの絵に触発されて‘ニャロメ’を生み出したのではないか。まったくの想像だが、ずっと前から200%確信している。ピカソの‘ゲルニカ’にたいし、‘ハモニカ’でパロるのだから、ミロの形態を参考にしてもおかしくはない。

ミロは47、8歳のとき‘星座シリーズ’を23点描いたが、真ん中はのその一枚。いつか全点みることを夢見ている。右下にライオンをイメージできるこのユーモラスでファンタジックな絵はMoMAの所蔵。過去二度もここを訪れているのに、どういうわけか縁がなかった。次回のNY旅行ではなんとしても会いたい!

下はミロが最初に手がけた壁画(左側のほう)。原色の赤や緑、黒で装飾的に描かれた丸や三角が画面いっぱいにやわらかく響き合っている。壁画はほかにもハーバード大の食堂やパリのユネスコ本部、また大阪の国立国際美にもある。

大阪にあるものはいつかこの目でと思っているのだが、なかなか実現しない。シンシナティは遠いから鑑賞の可能性は低いが、ここはその気になれば見れる。機会をみつけて出かけよう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009.01.14

美術に魅せられて! お気に入り日本のシュルレアリスム

288_4
286_4
287_4
西洋絵画でも日本画でも、女性を描いた絵を見るのが好きなのはご承知の通り。興味深々な絵がもう一つある、それは‘怖い、不気味系’あるいは‘不思議系’の絵。

日本画でいうと‘地獄絵’、西洋画ではランブール兄弟の‘ベリー公のいとも豪華な時禱書・地獄’とかボスの‘快楽の園’、そしてデ・キリコの‘形而上絵画’、ダリ、エルンスト、タンギー、マグリット、ミロ、クレーらシュルレアリストが描く作品。

こういう絵が描ける芸術家の頭のなかは一体どうなっているのだろう?夢をみることがあまりなく、極めて乏しい想像力しかもちあわせてない人間からすると、こういう画家はエイリアンにみえる。

ダリなんかは演じているのかもしれないが、その風貌やパフォーマンスをみていると半分、いや大部分が狂人!でも、マグリットはネクタイをして絵を制作していたというし、贔屓の束芋だって愛嬌のある顔をしているから、外見だけみてもその作家のシュール度はつかめない。人間の脳みそのなかは本当に神秘的!

最近は訪問しなくなった東近美にも日本の洋画家が描いたシュルレアリスム絵画が常時展示してある。でも、それらのダリやタンギーの画風をそのままコピーしたような絵には昔から全然関心がない。だから、シュルレアリスムの作品というとダリ、ミロ、マグリット、デルヴォー、クレーらに専ら心は向かっている。

ところが、この4年くらいの間に、日本における真のシュルレアリストを発見した。その画家は竹内六郎、会田誠、そして石田徹也。この3人の絵は古賀春江、三岸好太郎、北脇昇、東郷青児、村山知義らと違って、自分の画風でシュールさを表現している。お気に入りの作品をあげると、

★竹内六郎の‘夢の中の道’(1969) : 横須賀美(上の画像)
★会田誠の‘あぜ道’(1991) : 豊田市美(真ん中)
★石田徹也の‘社長の傘の下’(1996) : 静岡県美(下)

週刊新潮の表紙に使われた竹内六郎の絵がこれほどシュールであることを知ったのは3年前にあった回顧展(拙ブログ06/2/14)。大変びっくりした。‘夢の中の道’は実におもしろい。

子供は早く向こうの明かりがついている家に帰りたいのに、歩いている道はベルトコンベヤーだからいつまで経っても着けない。手前では黒いお化けが楽しそうにこれを回している。いかにも夢で見そうな場面だが、竹内六郎はさらりとこれを思いついたという感じ。素直な感情をベースにしているからこういうことを発想するのだろう。まったく感心する。

会田誠の‘あぜ道’にも参った!この作家は少女がお好きのようだが、頭の髪をきれいに分けた真ん中は田んぼのなかの道と重なっている。なにかの拍子にこのダブルイメージを思いついたのだろうが、これはすごくインパクトがある。

‘あーとで候、会田誠&山口晃展’でみた‘滝の絵’(07/5/30)はフレデリックの作品を下敷きにして女の子をこれでもかというくらい描いた感じだが、この絵はシュルレアリスト、マコト・アイダの秀作。

石田徹也は日本が生んだ最強のシュルレアリスト!この絵とか‘燃料補給のような食事’(08/11/4)は世界のどのオークションに出しても高く評価されることは間違いない。展覧会の会場にアイデアノートが展示してあったが、石田の頭の中では表現したいことがモティーフの重ねあわせとなっていろいろ思い浮かんでいたのだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.05.18

その十五 ゴッホ  ダリ  バルテュス

160_2
161_2
162
今回訪問したシカゴ、ワシントンナショナルギャラリー、ボストン、メトロポロタンはどこもゴッホ(1853~1890)の名画を揃えており、メトロポリタンにある静物画、風景画、人物画も魅力一杯。

静物画で惹きつけられるのはゴッホが死の数ヶ月前に描いた“アイリス”。背景の白地のほぼ中央におかれた花瓶には紫が目にしみるアイリスが沢山差し込まれている。ここではあのゴッホ独特の荒々しい筆使いは抑えられ、花の絵らしいやわらかい雰囲気が見る者を和ませる。糸杉が描かれた2点にも足が止まる。燃え上がるような鮮烈なタッチが印象深い厚塗りの縦長の絵とロンドンのナショナルギャラリーにあるのと構成がほとんど同じ“糸杉のある麦畑”。

人物画はお馴染みの“自画像”、“ルーラン夫人”、上の“ジヌー夫人(アルルの女)”が目を楽しませてくれる。ジヌー夫人はアルルの駅前でカフェを営んでいた。一緒に生活していたゴーギャンが夫人にモデルになってくれないかと説得している間に、ゴッホは一気に描き上げたという。背景の黄色に映える夫人の彫刻的な顔と黒い衣装に圧倒される。ローマ近代美術館で別の角度から描いたジヌー夫人をみたことがあるが、顔が丸く描かれていた。好みはメトロポリタンにあるほう。

ゴーギャンもカフェの中にいる夫人を描いているが、ゴーギャンは“ゴッホはこの店が気にっていたが、俺はここの色が好きではない”とベルナールへ宛てた手紙に書いている。ゴーギャンにとってアルルは心を虜にする町ではなかったようだ。

真ん中は対面を心待ちにしていたダリ(1904~1989)の“超立方体:磔刑のキリスト”(部分)。縦1.94m、横1.24mの大きな絵である。必見リストに入れていたダリの絵はこれとワシントンナショナルギャラリーにある“最後の審判”の2点。“最後の審判”は展示してなく、ガックリだったが、これは1階の近代美術とアフリカ美術の間にある通路の壁に飾ってあった。

聖職者に見立てられたガラが見上げているキリストの体は手にも胸にも釘の跡はなく、筋肉のしまったアスリートのように美しく描かれている。目を見張らされるのが十字架のフォルム。よくみると、表面のなめらかな8個の立方体でできている。ルービックキューブの形をした宇宙船がキリストを背中に乗せてこれから宇宙に向けて打ち上げられるようなイメージである。

下はバルテュス(1908~2001)の代表作“山”。これは近代絵画のなかではピカソの“ガートルード・スタインの肖像”(拙ブログ05/2/11)などとともに館自慢の作品。一度みたら忘れられない絵である。02年の“メトロポリタン美展”(京都市美)にも出品されたから、これで3度目の対面。黄色の岩肌にあたる強い陽光をみると、ホッパーの絵を連想させるし、手前に描かれた3人の男女の姿態はデ・キリコやシュルレアリストのデルヴォーが描く形而上的でシュールな絵を見ている感じもする。

バルテュスの絵では、隣に展示してある大人じみたポーズでこちらを挑発するように見ている少女を描いた“目を覚ましたテレーズ”がドキッとする。バルテュスの絵をまとまった形でみた経験はないが、この“テレ-ズ”とかポンピドーにある下着がちらっと見える“アリス”やMoMA蔵の床の上で少女が肘と膝をついてうつぶせになって本を読んでいるところを真横から描いた“居間”をみると、バルテュスは“危険な少女”を描く画家というイメージが強い。

少女たちの鋭い目つきやポーズ、エロティックな描写は不安な感情を掻き立て、心をざわざわさせるが、絵のなかにぐっと引き込まれるから、絵の力はかなりある。どこかの美術館でバルテュスの回顧展をやってくれると有難いのだが。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.04.07

その五 マグリット  クレー  シャガール

32_3
33_2
31_2
シカゴ美術館で中心となるコレクションは印象派の作品だが、近代絵画や現代アートも質の高いのが揃っている。リストには当然これらが入っている。94年の“シカゴ美術館展”に出品されたものはリストからはずしていたが、当時赤丸をつけたピエロ・デラ・フランチェスカの絵を思い出させるピカビアの作品やフランツ・マルクの“魔法にかかった水車”、シャガールの“祈るユダヤ人”、ドローネーの“赤い塔”などが目の前に現れるとわけもなく嬉しくなる。

でも、一度見た絵の前に長くいるのは時間が惜しいから、さらっと見てお目当ての作品を一心に探す。いくら目に力をいれても現れてくれないのもある。デルヴォーの“人魚の村”やアンリ・ルソーの“滝”、ダリの“最後の晩餐”が見られないのがなんとも惜しい!また、お目当てのマティスの“金魚と女”は色がうすく、期待値の半分だった。思わぬ収穫はフジタの絵やロセッティの“ベアータ・ベアトリックス”があったこと。これには感激した。

思い描いた通りのいい絵でとても魅せられたのが上のマグリット(1898~1967)の“釘づけにされた時間”。時計が置かれている暖炉から機関車が中空を白い煙をあげて疾走している。でも、なぜ暖炉と機関車の取り合わせなの?この意表をつく組み合わせがイメージの魔術師、マグリットの真骨頂。ここには時計が描かれた絵がもう一枚ある。それはマグリットが影響を受けたデ・キリコの“哲学者の征服”。時計は1時27分ときりのよい時刻のすこし前を指しており、マグリットはこれを真似て自分の絵でも時刻は12時42分にしている。

デルヴォー、クレー、エルンスト、タンギー、ダリ、ミロなどの作品が揃うシュルレアリスムの部屋でマグリットの機関車とおなじくらい心に響いたのが真ん中のクレー(1879~1940)の“日没”。6点あったなかではこれが一番輝いていた。赤や青の小さな点をモザイク状に並べる描き方は代表作の“パルナッソス山へ”(ベルン美術館)を連想させ、左上の赤で縁取られた円のなかに描かれた目と鼻(?)が目に焼きつく。昨年あったフィラデルフィア美展でみた“魚の魔術”に次いで今年もまたクレーのいい絵がみれた。情報が一切なかったから喜びも格別。

下はTASCHENのシャガール本に載っている“白い磔刑”。アメリカの美術館には“私と村”(NYのMoMA)や“緑色のバイオリニスト”(グッゲンハイム)などシャガール(1887~1985)の名作がいくつもあるがこれはそのひとつ。十字架のキリストは殉教者としてのユダヤ教徒を象徴し、まわりにはユダヤ教徒に対する破壊と暴力行為が描かれている。

左のほうでは赤旗をかざした革命派の一群が村に突進し、家に火を放ち、右ではナチスの制服を着た男がユダヤ教会の神聖を汚している。白を基調にして描かれているから、混乱のイメージが生々しくはないが、ユダヤ人弾圧に対する悲しみや憤りが深くじわーっと伝わってくる絵である。息を飲んで見た。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.02.15

その二 シャガール  マグリット  レジェ

226_3
227_4
228_2
ポンピドー・センターはオブジェとか現代アートは4階、キュビスム、フォービスム、シュルレアリスム、抽象絵画、ダダ、アンフォルメルなどは5階に展示されている。4階は知らない作家が多いからさーっと眺めるだけで、鑑賞の中心は5階にある作品。画集に載るような画家の代表作が続々と現れるのは当然のことながらフランス人画家が多い。

その筆頭がマティス。ポンピドーとエルミタージュにある元シチューキンコレクションをみたらマティスはだいたいみたといっても過言でない。今回は“ルーマニアのブラウス”や“王の悲しみ”はなかったが、花柄模様の壁紙に囲まれた裸婦を描いた“文様のある背景の前の装飾的人物”がでていた。

ロシアのヴィテブスク出身のシャガール(1887~1985)も代表作の多くがここにある。日本に何回かやってきたので馴染み深い上の“ロシアとロバとその他のものに”とシャガールがベラの肩の上の乗っている“ワイン・グラスをもった二人の肖像”と再会した。

“ロシアとロバ”は何度みても不思議な絵。ぎっとするのがミルクバケツを持っている女の体から離れて宙に浮かんでいる頭。屋根の上にいる赤い雌牛だって馬鹿デカイし、目つきも鋭い。また、背景の空も暗いから、いろんなイメージが混じり合う夢の世界とはいっても、“ファンタジックで楽しい!”なんて気にはなれず、見てて緊張する。

ロンドンのテート・モダンでみたマグリット(1898~1967)はいまひとつグッとこなかったが、ここにあった2点はとても惹きつけられた。東京都現代美にも展示された“二重の秘密”(真ん中の画像)と“メキシコ、クアウテモシン通りにて”。前回“二重の秘密”をみたとき、その奇想天外な構成に仰天してちょっと引いた。今はマグリットの絵に目が慣れ、だいぶ冷静に見れるようになったが、当時はシュルレアリストという人種はエイリアンのように思えた。

顔のまわりが紙の切れ端みたいに切りとられている左側の男性はまだみれたが、その剥がされた顔の内側の小さな鈴がいくつも埋め込まれた右側はあまり凝視できなかった。小さい頃学校の保健室にあった人体模型を見るような感じがして、ザワザワした気分になった。

今回も血管のイメージは消えないままなのだが、“マグリットはこれで何をメッセージしたいのかな?”という絵解きのほうに関心が向いている。“人間はいつも何か考えているように見えるが、実のところ脈絡のない意識が交錯しているだけで、内側は空っぽなのでは”と言ってるのだろうか?

レジェ(1881~1955)の下の“読書”や大作“三体の人物像による構成”に登場する人物像も一度みたら忘れることはない。人物像が記号的に刷り込まれているのはモディリアーニのあの“うりざね顔”とこのレジェの黒の輪郭線で彫刻的に描かれた人物。量感があり、いつも正面を向いている。

機械のような人物像なのだが、どういうわけは親しみがもてる。これは丸い形がやわらかい印象を与えているからだろう。黄、赤、青が基調に使われ画面全体が明るく、気持ちがハイになるレジェの代表作“余暇”とまた対面したかったが、今回は展示されてなかった。でも、同じ画風の2点を見たので大満足。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.02.13

モンマルトルのダリ美術館

220
221
222
今日からパリにある美術館の感想記。また、しばらくおつきあい下さい。最初はダリ美術館。ここは訪問予定に入ってなかったが、想定外の出来事があったため、急遽でかけることになったオマケの美術館。ロンドンからパリに入った日、思ってもみなかった公務員のストに遭遇した。ルーヴル美術館やヴェルサイユ宮殿などは終日閉館だから、日程をいくつか変更しなくてはならない。

で、午後の市内観光は自由行動になった。“さて、どこへ行くか?”、あれこれ思案。グランパレで開催中の“クールベ展”をチェックしたら、3時間待ちの大行列だという。これだと集合時間に間に合わない。ガイドブックとにらめっこをして、モンマルトルにあるダリ美術館へ行くことにした。

地下鉄12号線ABBESSES駅から徒歩5分になっているが、5分ではとても無理。坂道が多いからちょっと疲れる。途中、3人に美術館の場所を尋ね、日本の女性の方が持っていた詳しい地図のお陰でなんとかたどり着くことができた(上の画像)。入り口の外観は美術館のイメージではなく、画廊に毛がはえたようなもの。

展示室は地下にあり、展示されているのはダリ(1904~1989)のイラストと彫刻作品300点あまり。油彩画は一枚もないのが期待はずれだが、三次元のシュルレアリスムである彫刻は楽しめた。はじめてお目にかかる彫刻は3割。残りは過去日本であったダリ展や諸橋近代美術館(拙ブログ05/6/26)でみたから、満足の度合いは中くらいである。

ダリ好きな者にとってはここの作品によってダリワールドのヴァリエーションが広がったからOKなのだが、“これで入館料10ユーロは高いのでは?”と言う隣の方のほうが正直な感想かもしれない。こういうときはsomething newが一点でもあればそれだけで嬉しいファン気質とそれほどのめり込んでない者との気持ちの差がはっきりでる。

真ん中はダリ彫刻の代表作“回顧的女性胸像”。これとは4度目の対面。原型が制作されたのは1933年で、1977年にブロンズ像として復元され12点つくられた。原型のときは女の頭に乗っている細長いパンとかトウモロコシの首飾りは本物が使われたようで、展覧会場に訪れたピカソの犬がパンに飛びかかって食べてしまったという逸話が残っている。その現場に居合わせたかった!

日本の人形にように白い女の顔には額から頬にかけて油絵の具でアリが描かれている。数えたことはないが90匹いるそうだ。アリは死の象徴。パンの上のインク壷にみられるのはあのミレーの“晩鐘”に描かれた農民夫婦。ダリにとって彫刻やオブジェは“トランスフォーメーション”(変形、変容)をシュルレアリスムの観点から表現したものだから、この作品は食べ物としてのパンにインクが染みこんでいき別のものへ変容することをイメージさせているのかもしれない。

これに較べるとずっとわかりやすいのが下の“聖ゲオルギウスと龍”。ナショナル・ギャラリーでウッチェロの同名の絵をみたばかりだから、作品にすっと入っていける。中世ヨーロッパでは、聖ゲオルギウスは騎士の守護聖人で、龍をやっつけるところを描いた絵はよくお目にかかる。でも、彫刻作品を見る機会は少ないから、これはシュルレアリストをとったただの彫刻家ダリの作品としても充分楽しめる。見ごたえのあるいい彫刻なので、シュルレアリスム的な意味を考えるのは止めにした。

久しぶりの白亜のサクレ・クール寺院もみたかったが、集合時間が迫っていたので、あまりぶらぶらせず坂道を下っていった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.02.12

その二 ミロ  エルンスト  グロス

216_2
215_2
217_2
テート・ギャラリーからテート・モダンに移管された作品のなかで核となるのがダリらシュルレアリストの作品。だから、必見リストには前回訪問時購入したシュルレアリスム小冊子に載っている絵がいくつも入っている。で、ひたすらダリの傑作“ナルシスの変貌”や見逃したデルヴォーの“眠れるヴィーナス”や“レダと白鳥”を探した。

ところが、ダリもデルヴォーも一点もない。どうしてー?!美術館の人に聞くとダリの作品はアメリカに貸し出されているという。隣の方に“ナルシスの変貌”やハッとするオブジェ“ロブスター電話”をみせたかったのだが、残念!二重丸の“レダと白鳥”と対面したかったのに。デルヴォーはこれで二連敗。

そのかわり、マグリット、ミロ、エルンストは予定していた作品をほぼみることができた。上はミロ(1893~1983)がマッソンに誘われてオートマティスム(自動記述)で描いた“ペインティング”。これは横に飾ってある丸いフォルムを基調にしたユーモラスな鳥や女、月が登場する“月光のなかの女と鳥”とか昨年、埼玉県近美でみた“夜の中の女たち”(拙ブログ07/2/23)と違って、抽象度の高い絵。

アートマティスムというのは何も考えず、頭を空にした状態で筆の動くままに描き、フロイトの主張する意識下の世界を形にする実験だから、フォルムは具象とはおよそかけ離れ、抽象的なものになる。でも、印象に強く残る色の組み合わせと簡潔なフォルムはその後のミロの静寂と夢の世界を少し匂わせる。

真ん中はエルンスト(1891~1976)の代表作のひとつ“セレベスの象”。この絵と出会ってからはエルンストというとすぐこの絵を思い浮かべるようになった。画家がフロッタージュの技法で制作した作品は山に生えている苔のお化けとか川のヘドロが連想され、生理的にしっくりこないのだが、この象には腹の底から魅せられている。

怪物のようだがどこか愛嬌のあるこの象は人類学の雑誌で偶然見たスーダン人のとうもろこし貯蔵容器の写真から霊感を得たらしい。右下には首のない裸婦がいたり、象の隣には細長い兵士らしき人物が横向きに立っている。ダリともマグリットとも異なるエルンスト独自のシュールな画風をしっかり楽しんだ。

初見の絵でギョッとしたのは下のグロス(1893~1959)の絵。見ればすぐわかるが自殺の場面が描かれている。題名は絵のままの“自殺”。真ん中で倒れている男はいましがた拳銃で頭をぶち抜いたのであろう。左では男が首をつっている。画面全体を塗りつくした赤は男の頭から流れ出る血と爆弾の投下で街が燃え上がる炎のイメージ。

反軍国主義をとなえ、社会を辛らつに風刺した“社会の柱石”(06/2/2)も鮮烈なイメージをもった絵だが、第一次世界大戦さ中、不安や閉塞感に精神を圧迫された人間の悲しい結末を赤と黒で描いたこの絵も胸をかきむしる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007.10.27

シュルレアリスムと美術展のマグリット、デルヴォー

38
39
長らく追っかけていたマグリットの絵を見るため横浜美術館へ出かけた。ここで今、“シュルレアリスムと美術展”(9/29~12/9)が行われている。作品数125点のなかで一番のお目当ては上のマグリットの“大家族”。

シュルレアリスム作品をみるのは好きだから、関連する展覧会は見逃さず、まめに足を運んでいる。1月は“20世紀美術探検展”(国立新美)、2月“シュルレアリスム展”(埼玉県近美、拙ブログ2/23)、4月“澁澤龍彦ー幻想美術館ー”(埼玉県近美)。

2月の展覧会は埼玉県近美、岡崎市美、宮崎県美、姫路市立美の共同開催だったが、こちらのシュルレアリスム展は横浜美、豊田市美、宇都宮美がコラボしたもので、3館の所蔵品を中心に構成されている。年内に行われるシュルレアリスムの展覧会は横浜美で終わりだと思うが、国内にあるシュルレアリスムのいい絵は一連の展覧会にほとんど出品されたのではなかろうか。

このなかで質の高い作品が結構あるのがマグリット、デルヴォー、ダリ。02年
Bunkamuraであった“マグリット展”のときも誇らしく思ったが、国内の美術館には本当にマグリットのいい絵がある。今回、横浜美の大作“王様の美術館”・“青春の泉”、そして宇都宮美蔵の“大家族”が飾ってある部屋は圧巻。まるで、ベルギー王立美のマグリットの部屋(05/4/25)にいるよう。さらに、豊田市美がもっている“無謀な企て”にも会える。出品されてないのでは、“レディ・メイドの花束”(大阪市近美準備室)、“白紙委任状”と“現実の感覚”(ともに宮崎県美)が一級品。

シュルレアリスト、マグリットを知ったのは美術本に載っていた“大家族”。だから、マグリットというとすぐこの絵を思い浮かべる。鳥の翼に描かれた白い雲を浮かべた明るい青い空はマグリットの作品には頻繁にでてくる。“現実の感覚”のように大きな石の背景になったり、鏡に映ったり、額縁の中に入ったりする。

“大家族”では、“光の帝国”で暗い夜の風景と昼間の空をくっつけたのと同様に、明るい空を切り取ってフォルムされた大きな翼の後ろは嵐でもきそうな暗い空、そして下には波の荒い海が描かれる。どちらも単独でみれば、ダリの描いた夢の世界とはちがい、誰もが見慣れた日常の情景。だが、二つが一緒になるとこれは現実にはありようのない取り合わせ。マグリットは不思議な組み合わせをみせて、観る者を新しいイメージの世界に引き込んでいく。一度これに美を感ずればもうイメージの魔術師、マグリットから離れられなくなる。

下は日本にあるデルヴォーの3大傑作の一枚、“階段”(横浜美)。左から差し込む明るい日差しと上半身裸の女性がこれから降りようとする階段にできた影のコントラストが印象的。天井のガラス窓と黒い壁への映りこみはエッシャーの描き方を彷彿とさせる。これまで国内の美術館で見たデルヴォー作品でぐっときたのは、この絵と“こだま”(愛知県美蔵、横浜美には展示されず)、“夜の通り(散歩する女たちと学者)”(福岡市美)。

ダリはなんといっても横浜美自慢の“幻想的風景 暁”(04/12/17)が見ごたえがある。図録をみて残念に思ったのがここには展示されないミロの大作“ゴシック聖堂でオルガン演奏を聞いている踊り子”(福岡市美)。これは国内にあるミロのベストワン。ミロ好きとしては再会したかったのだが、、これでシュルレアリスムの絵は当分パスできる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007.06.16

森美術館のル・コルビュジエ展

885
886
日本の古い寺や五重の塔、近代の歴史的な建物、さらに最先端のビルディングなど建築物をみるのは好きだけれど、最近よくある建築家の展覧会には関心がない。理由ははっきりしていて、建築家や建築関係の仕事に携わっている人とか、建築物でなくても物を設計している技術者には興味を惹くかもしれない縮小模型、図面、写真、映像をみても面白くないから。

だから、普通なら、現在、森美術館で開催されている“ル・コルビュジエ展”(9/24まで)もパスするところなのだが、チラシのなかで強い磁力を放っていたキュビスム風というかシュルレアリスムのような絵と彫刻に惹かれて、入館した。美術史の本に必ずでてくる近代建築の巨人、ル・コルビュジエ(1887~1965)は頭のなかに入っているが、コルビュジエが絵を描いたり、彫刻をつくっていたことは作品の前に立つまで全く知らなかった。

生涯に450点あまりを制作したという油彩画は今回30点くらいでている。初期の作品はピカソやブラックのキュビスムに似ている。複雑な構成になっているキュビスムとの違いは、こちらは上から見下ろすのと側面からまっすぐに見る二つの視線から捉えられた対象が、幾何学的なフォルムで画面の中に整然と構成されているところ。この“ピュリスム(純粋主義)”を最も感じさせてくれるのが“赤いバイオリンのある静物”(1920)。

最初はこうした淡い色合いで平面的な絵だったが、1928年以降はピュリスムから離れ、不透明で強い色に変わり、フォルムもレジェのように輪郭を細い線と太い線のまじった曲線でとるようになる。また、シュルレアリスムの香りも漂う。インパクトのある丸い線で描かれた女性の裸体や画面の上と下に走る男と豹が登場する“ダンサーと小さな豹”(1932)はミロの絵を彷彿とさせる面白い絵。

絵画で最も魅せられたのがこの絵の2,3年後に制作された二つの絵、上の“水浴婦と舟”と“二人の女とロープと犬”。ともに大きな絵である。“水浴婦と舟”では、左の茶色で量感たっぷり描かれているのが女性。この人体表現ではイメージしずらいが、豊満な女ぽくみえる。モデルはコルビュジエの愛妻イヴォンヌ。

会場の最後のところで目を奪われたのが、赤と黒を基調にした明快な色使いが印象深い大きなタピストリー3点。いずれも森美術館の所蔵。室内空間を生き生きとさせるタピストリーをコルビュジエは“移動する壁画”とみなし、27点制作した。最も大きいものは弟子の坂倉準三による“東急文化会館”内の映画館“パンテオン”のためにつくられた緞帳だそうだが、会館の取り壊しで、現在は倉庫に保管されているらしい。一度みてみたいものである。

コルビュジエのつくる彫刻は“トーテム”、“イコン”、“手”といった絵画に描かれたモティーフが画面からそのままでてきたような感じ。下は1963年に制作された“イコン”。絵画の延長ということで正面性があり、彩色がなされている。ここにある“トーテム”や“手”をみてるとハンス・アルプの彫刻の造形がちらっと目の前をよぎった。

本題の建築物については、有名な“ロンシャンの礼拝堂”、“ラ・トゥーレットの修道院”や06年に完成した“サン・ピエール教会”の前にいつか立てることを夢見ている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007.02.23

シュルレアリスム展のマグリットとミロ

711
712
713
待望のシュルレアリスム展(埼玉県立近代美術館、2/21~3/25)を楽しんだ。この企画展をみて、日本ではシュルレアリスムのいい絵は東京より地方の美術館に多くあることがわかった。

アメリカやフランスを例にとっても、シュルレアリスムやダダ、現代アートの傑作はNY、パリといった首都に集結しているのに、東京にある西洋美や東近美、東京都現代美には質の高いダリ、マグリット、デルヴォー、ミロの作品がほんの少ししかない。首都圏で近・現代絵画の名品をぱっと思い出すのは東京の美術館ではなく、横浜美術館のダリや川村記念美術館のステラ、ロスコー。

この企画展にはシュルレアリストが制作した良質の作品を所蔵する岡崎市美術博物館(埼玉県近美の後、4/7~5/27に開催)、宮崎県立美術館(7/21~9/2)、姫路市立美術館(9/15~10/28)などから集まった134点が展示されている。なお、巡回展は山梨県立美術館でも6/2~7/8に行われる。章立てはシュルレアリスムを身近な作品として楽しんでもらおうと工夫されているから、鑑賞はスムーズに流れていく。

“1章:意識を超えて”、“2章:心の闇”、“3章:夢の遠近法”、“4章:無垢なるイメージを求めて” いつものように、学芸員の方には申し訳ないが作品分類は横に置き、惹きつけられる作品だけを追い求めた。その中に、びっくりするほど仕上がりが綺麗で、そして日本にこんないい絵があることが誇らしくなるような特○の絵があった。上のマグリットの大作“現実の感覚”。この絵は時の人、東国原氏が知事をつとめる宮崎県立美術館が所蔵している。

真ん中の空に浮く超デカイ石のかたまりに目が点になる。石の下の光があたる山や川がとても美しく描かれ、目のさめるような明るい空に柔らかい大きな雲が切れ目なく続いている。マグリットは石や鳩、リンゴ(拙ブログ06/3/24)のように大きな対象を登場させるのが得意。不思議な魅力をもった絵である。真ん中も宮崎県美がもっている“白紙委任状”。以前、円山応挙の“龍門鯉魚図”(05/5/14)のシュールさを対照させた絵である。女性が乗っている馬の体はひとつは木々のむこうの草木で縦からカットされ、もうひとつは一本の木で隠されている。女性に注目すると、左右の木に挟まれるように前進している感じ。

マグリットは夢や非現実を描いたダリやエルンスト、タンギーらとは異なり、現実世界の中で感じられる謎や不条理を表現しようとした。われわれは現実にはありえないような組み合わせにハットするが、よくみると森の中を進む馬と女性が絵のように見える気もするから不思議である。マグリットの絵は思い込みや常識を取っ払い、別のイメージを目の前に見せてくれるから、みてて楽しい。まさにイメージの魔術師。

国立新美術館で開催中の“異邦人たちのパリ展”に出品されているミロの絵に較べると下の“夜の中の女たち”(セゾン現代美術館)とか“雑貨商”(おかざき世界子ども美術博物館)のほうがグッとくる。子供が描いたような女性、星、鳥をイメージさせるフォルムは優しくて愛嬌がある。今回出ているミロの作品8点はどれもいい。

諸橋近代美術館から出品されたダリの“ダンス“と“反ピロトン的聖母被昇天”は現地でみたとき感激した作品。また二つあるオブジェも楽しい。姫路市立美術館はデルヴォーのいい絵を所蔵していることは何年か前シルフさんに教えてもらったが、やっとお目にかかった。6点のなかでは“海は近い”に魅了された。そして、“森”(埼玉県近美)もなかなかいい。ダリとならぶ大物、エルンストは版画、彫刻を含めて13点あったが、大きな絵“ポーランドの騎士”(愛知県美術館)と遭遇できたのは嬉しい誤算。

今回の一番の衝撃はなんといっても宮崎県美が一級のマグリットの絵を所蔵していたこと。参りました!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.10.02

ダリ回顧展 その三 スーパー・リアリズム

492
493
494
シュルレアリスト、ダリというと、すぐ常人にはとても思いつかない幻覚的なイメージの不思議な絵を想い浮かべるが、それと同時に、映像化された人目を惹く奇抜な服を着て行う狂気じみた奇行や刺激的な発言が頭をよぎる。

自己顕示欲が強く、ナルシストで拝金主義者などとレッテルを貼られたこの大芸術家の実像はどうだったのか?狂気度は実際どのくらいあったのか?興味は尽きない。父親や異性へのコンプレックス、少年のころのヒステリー発作や死んだこうもりにはりついた蟻をみて、死の恐怖を感じたことなどは事実であり、ダリの精神が小さいころから歪んでいたことは確かなようだ。

だが一方で、そうしたステレオ的なイメージはダリが意図的に演技してつくったもので、妻のガラや親しい人と一緒に居るときに見せる素顔のダリは超テクニックと豊かな想像力をもった普通の画家だったとも言われている。フロイトやラカンの著作を読んだり、戦後の原子物理学やサイバネティクスといった最新科学理論、数学者ルネ・トムのカタストロフィー理論などに関心を示すほどの知力をもっていたのだから、実際のダリは相当頭がよかったのではなかろうか。

今回の展覧会にはダリのそんな一面が窺がえる作品がでている。それは驚くべきテクニックを使って対象を緻密に描いたスーパー・リアリズムの3点。見慣れた記号的なダリの絵とは異なるが、その完成度の高さに心を揺さぶられた。上が“パン籠”(1926)、真ん中が“愛情を表す2切れのパン”(1940)、下が“リチャード3世の扮装をしたローレンス・オリビエ”(1955)。

“パン籠”はプラド美展(3月、東京都美)にあったスルバラン、メレンデスらが描いたスペイン絵画の静物画・ボデゴンの流れをくむ作品。メレンゲスの水差しや果物のリアルな質感に驚いたが、ダリのパンも見事。硬い皮の部分や中のやわらかいところにある小さな穴などまさにパンそのもの。そして、パンを入れる籠の網目も超写実的。パリにいたダリはルーブル美術館やベルギー王立美術館に通い、フェルメールやブリューゲルら北方画家の作品への好みを深め、これに影響されて自分流の精緻な描法でこの絵を制作したらしい。

蟻、ロブスター、卵などとともにダリの作品に繰り返し現れるパンはキリストの象徴でもある。“愛情を表す2切れのパン”では、広々とした砂漠の真ん中にまわりがすこし欠けた2切れの大きなパンがおかれている。パンのすぐ上にはチェスの駒があり、その先をみると、人物が二人、線描きされている。

“リチャード3世”に大変魅せられた。NYのフリック・コレクションとかロンドンナショナルギャラリーにあるホルバインの肖像画のような堂々たる人物表現と衣装生地の精緻な描写に観入ってしまう。この絵は二つの顔の唇を地平線に重ね合わせるといったダリ独特の手法を使ったり、画面下に剣をぶら下げたりして、幻想的な風景と写実的な人物像を組み合わせたシュールな肖像画なのに、不思議な魅力がある。やはり、ローレンス・オリビエが超一流の腕でリアルに仕上げられているからだろう。

今回のダリ回顧展には200%満足した。会期はまだたっぷり残っているので、また出かけようと思う。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2006.10.01

ダリ回顧展 その二 ダブル・イメージ

489
490
491
ダリお得意のダブル・イメージはわかると面白いが、その仕掛けが解けないとイライラし、自分の頭が硬いのかなとちょっと落ち込む。

会社の研修などで、アナモルフォーズ(歪んだ画像)の絵をみせられ、頭が混乱したとき、講師が“これは白の部分を中心に見るとワイングラスの形に見え、黒のところに注目すると人が向き合っているように見えます”と説明してくれると、“あーそうか!わかった、わかった”と納得した人は多いはず。

ダリが作品のなかで使うダブル・イメージはこうしたアナモルフォーズを造形的に複雑にし、イメージを多様に読み解かせようとする仕掛け。ダリは精神の異常をきたした“偏執狂(パラノイア)”を装っているが、実際は夢や無意識の世界から心に浮かぶ幻覚的で奇怪なイメージをこうした手法できわめて意識的に表現しているのである。今回、ダブル・イメージが使われてる作品はいくつかあるが、気に入ったのを3点ピックアップした。

上から気がつくのが楽な順に並んでいる。上が“柔らかな三美神のいる神秘的な砂浜”(1838)、真ん中が“三世代 老年、青年、幼年”(1940)、下が“ヴォルテールの見えない胸像”(1941)。

“柔らかな三美神”は見てすぐわかる。左の女は顔の輪郭がなく、地面におかれた黒や茶色の岩の塊で目や鼻をイメージさせている。真ん中はあまり画面に近づくと、顔のまつげや鼻、口をつくっている馬に乗った人や寝そべっている人、そして髪の毛のあらわす草木が目に焼きつき、女性の胸から上が消えてしまう。だから、この絵は画面に接近して細部に何が描きこまれていることがわかったらすぐ、ちょっと離れて見たほうがいい。そうすると、美しい女神がくっきりとイメージ出来る。右の女性は顔以外に何を読ませようとしてるのか逆にわからない。

この絵のダブル・イメージのつくり方は横浜美術館にある“幻想的風景”と同じで、形の輪郭を別の小さい塊や線形でつくっていくタイプ。“幻想的風景”では、空を飛ぶ鳥の羽根がまつげや目を表し、白い雲が腕や胸を造形している。これに対して、“老年、青年、幼年”と“ヴォルテールの見えない胸像”は諸橋美術館にある“ビキニの3つのスフィンクス”と同じようなイメージの読ませ方。アナモルフォーズを読み解くのと同じ要領で見ればいい。でも、これが慣れないとなかなか難しい。パッとみてわからないといつまでたってもわからない。

“三世代”では、右の“幼年”は一回目は残念ながら、わからなかった。2回目に謎がとけたとき、なぜ、すんなり見えなかったのかが理解できた。この子供の頭の上が切れているのと魚網を繕う2人の女を見すぎたためである。で、どうしても子供の顔が輪郭できなかった。中央の青年と左の老人は壁にできた穴や風景、人物が目の邪魔をすることはなく、すぐわかる。

下の“ヴォルテール”も苦労した。結局、図録にある部分図版をみて、やっとヴォルテールをつかまえた。白いターバン?をまいた向こうむきの2人の男に注目し、隣にいる黒の衣服をまとった女たちにそのまま目を移動させたのがいけなかった。最後まで、どこにヴォルテールがいるの?とすっきりしなかった。

ダリが仕組んだ視覚のトリックは結構楽しんだが、ダリが絵の中で表現した内なる精神への理解は深まらない。今のところ、心の病みはそれほど進んでなく、不思議な夢をみる経験もあまり無いので、ダリとの付き合いはこのくらいがちょうどいいかもしれない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.09.30

ダリ回顧展 その一 やわらかい時計・蟻

485
487
488
今年開催される洋画の展覧会では最も期待していたダリ回顧展(上野の森美術館、07/1/4まで)をみてきた。開館直後の平日だからゆっくりみれるだろうと思って入館すると、もう作品の前にかなりの列ができている。流石、ダリ。凄い人気である。

超シュールな絵だが、細密画みたいに対象をどうしてこんなに小さく描けるのかというくらい精緻に描写しているので、みんな目をこらし、時間をかけてみている。伊藤若冲の“動植綵絵”と同様、これくらいじっくりみないと、ミクロの隅々まで超想像力の広がったダリの絵は楽しめない。だから、列の動きが遅くなるのは致し方ない。この出足だと、週末は大変な混雑になりそう。

ダリの生誕100年を記念するこの大回顧展に展示される作品は油彩60点、素描30点。普通の海外旅行ではとても行けそうにないスペイン・フィゲラスにある“ダリ劇場美術館”(拙ブログ04/11/28)とアメリカ・フロリダ州セントピーターズバーグの“サルバドール・ダリ美術館”が所蔵するものだから、10点くらいを除いて大半が日本初公開。手元にあるTaschen社のダリの画集でチェックすると、掲載された57点のうち8点は今回の出品作だった。ダリの絵としては、名の知れた作品がかなり含まれていることは間違いない。これは目に力が入る。

作品はダリの初期のころから最晩年にいたるまで、年代別に並べられているので、画風の変化や画題のヴァリエーションがよく頭に入る。過去、海外や国内にあるダリの絵を鑑賞した体験にもとづき(04/12/1705/6/2706/2/27)、今回でている作品を作風の違いにより、いくつかに分け、その魅力をまとめてみた。

まずは、ダリの代名詞となった“やわらかい時計・蟻”から。1931年、ダリが27歳のときに描いた歴史的な傑作、下の“記憶の固執”(NY,MoMA)のヴァリエーションのようなのが2点ある。上の“夜のメクラグモ・・・希望”(1940)と真ん中の“記憶の固執の崩壊”(1952ー54)。2つの作品を念入りにみていると、こちらもいろいろと想像力を掻き立てられる。これがダリの絵をみるときの楽しみのひとつ。

“夜のメクラグモ”では溶けた時計は出てこないが、その代わりに、ぐにゃっと曲がったチェロが描かれている。そのチェロを演奏している裸婦のアクロバットのように反り返った顔は“記憶の固執”に横たわる人の顔と同じ。黄色の顔のうえには足をひろげたメクラグモと死の象徴である蟻がいる。上の女性の腹に置かれた二つのインク壷はエロティックを表す。

左のほうに描かれているのは複雑。大砲から飛び出てくる馬はわかるが、その下のウィンナーのような、スプーンのようなフォルムをしたものは何だろうか?硬いカマンベルチーズが部屋のぬくもりで溶けていく感覚からイメージされた曲がる時計のように、柔らかいチェロや顔が斜め平行に配置される画面構成が面白い。これはちょっと盛り沢山のきらいはあるが、特○作品のひとつ。

“記憶の固執の崩壊”は意外にも小さな絵。明るい色調で描かれ、“記憶の固執”とはだいぶ雰囲気が異なる。上半分は背景の海岸風景など同じような構成だが、蟻は登場せず、人間の顔はシュールさが緩み、きれいな魚のようにすっきりしている。下の長方形の塊が連続する幾何学的な模様は“原子力の核”を意味し、この絵は核の時代により、世界が変ったことを表している。絵全体から受ける印象は“夜のメクラグモ”のような、幻想的でぬめっとした不思議な世界ではなく、発想の自由度がせばめられ、逆に硬さが感じられる。好みからすると、“夜のメクラグモ”のほうが断然いい。

| | コメント (6) | トラックバック (2)

2006.09.29

ベルギー王立美術館展

484長らくご無沙汰していた国立西洋美術館へ出かけ、“ベルギー王立美術館展”(12/10まで)をみた。

昨年4月のオランダ・ベルギー旅行で、この美術館も訪れ、ブリューゲル、ルーベンスをはじめデルヴォー、マグリット、現代アーティストなどの質の高い絵画を楽しんだ。

それから、あまり時間がたってないので、展示室のレイアウトや美術館の誇る名画をどんな風にみたかをよく覚えている。で、当然ながら、まだ、ここを訪れていない人とはこの展覧会に対する期待値は異なる。海外のブランド美術館が所蔵する作品を展示するときは、いつも過大な期待はもたないようにしている。目玉の名画が2,3点あればもうOK。

だから、今回、ブリューゲルの名作、“イカロスの墜落”(拙ブログ05/4/27)がまた観られるのは有難いなというくらいの気持ちだった。トータルの満足度としては、これにどれくらいのプラスαがあるかだ。結果はどうであったか。名画2,3点は確かにクリアしているから、一応は○である。が、二重丸はつけにくい。理由はいくつかある。

古典絵画部門では、ルーベンスの名画を1点でもみたかったのだが、これは叶えられなかった。“東方三博士の礼拝”、“聖リヴィナスの殉教”やクラナッハの“アダムとイヴ”はやはり無理だった。ヨルダーンスの“酒を飲む王様”で我慢してくれということだろうか。この絵は現地で見たときも印象深かった。4点くらいみたなかでは一番惹きつけられた絵。酒を飲んだり食べたりして王様遊びを楽しんでる様子をみるとこちらも心が軽くなる。ヴァン・ダイクの“イエスの伴侶、ジャン・シャルル・デラ・ファイユの肖像画”もいい絵。

近代絵画は期待値を下回った。この美術館の自慢はシュルレアリスト、デルヴォー(4/26)、マグリット(4/25)と象徴派のクノップフ(4/23)やデルヴィル、アンソールのコレクション。実はこれらのビッグネーム画家の名画をプラスアルファとして一番期待していたのだが。。デルヴォーは“夜汽車”があり、右の目の大きい人形のような半身裸婦像が手前に大きく描かれた“ノクターン”があるので大満足。

マグリットの“光の帝国”はもちろん代表作のひとつ。でも、この絵も“血の声”も02年、Bunkamuraであった“マグリット展”にやってきた。まだ、4年しかたってないのにまた、同じ作品をでんと展示するのはちょっと配慮に欠けるのではなかろうか。もっともこの回顧展には王立のマグリットコレクションをごそっともってきたので、ほかの作品だとレベルが下がるというジレンマがあり、じゃー、“光の帝国”にしとこうかーとなったのかもしれない。もし、こうした思考回路でマグリットの作品を選んだのなら、今後はそんなやり方はしないほうがいい。

日本人は世界で一番といっていいくらい絵画が好きな国民なのである。いくら、マグリットの代表作といっても、同じ作品を何度も見るより、まだ日本にきてない、具体的には、図録(日本語版あり)に載っているクノップフの“マルガリーテ・クノップフの肖像”、“メモリー・芝生のテニス”、“愛撫”(これは無理だろうが)、デルヴィルの“悪魔の宝物”、“スチュアート・メルル婦人の肖像画”などがみられるほうが楽しいにきまっている。

絵画の好きな人はTV東京の“美の巨人たち”、NHKの“迷宮美術館”や美術雑誌などから情報を得て、気に入った名画を求めてどんどん海外の美術館に出かけている。日本初公開というフレーズにはあまり驚かない。注目しているのは展示内容。日本にはじめて紹介されたベルギー王立美術館所蔵品のなかにブリューゲルの“イカロスの墜落”が入っていたのは拍手々である。近代絵画のなかにぐっとくる名画がもう少し欲しかった。残念!

| | コメント (2) | トラックバック (1)

2006.07.04

パウル・クレー展

181今年2回目の“パウル・クレー展”を川村記念美術館でみた(8/20まで)。

これは2月、大丸東京店であった企画展(拙ブログ06/2/11)の巡回ではなく、ドイツのクレーコレクションでは定評のある3つの美術館蔵と国内の美術館の作品によるもの。約150点の絵画、素描、版画がでている。

国内からは東近美の純粋な色彩のコンポジションが美しい“花ひらく木をめぐる抽象”や大原美術館の“A”などがあるので、ひょっとすると日本にあるクレーのいい絵が全部集まっているかもしれない。これはまたとない機会である。ドイツの美術館からやってきたのにもいい絵がある。

数が多いからクレーのいろいろな絵を楽しめる。作品をタイプ別にみて気に入ったのは。
Ⅰ色彩美:“駱駝”、“バラの庭”、“測量された区画”、“花ひらく木をめぐる抽象”
Ⅱモザイク画:“直角の半円”、“プルンのモザイク”
Ⅲ文字や記号がある絵:“上昇”、“回転”
Ⅳ引掻き線描:“イルマ・ロッサ 女調教師”、“旗のたったパヴィリオン”、“花の神殿
 にて”
Ⅴシュルレアリスム:右の“頭も手も足もハートもある”、“黒い殿様”、“真珠をつけた
 旦那さん”
Ⅵ太い線:“婦人とモード”、“赤いチョッキ”、“石板の花”、“砕けた鍵”

好みのタイプはカラリスト、クレーの天分が発揮された色彩が鮮やかな油彩画。“花ひらく木をめぐる抽象”のような幾何学模様にも惹きつけられるが、駱駝の三角のこぶと耳が緑や赤のタンポポの頭のようなフォルムのなかに混じり、ダブルイメージで構成されている“駱駝”が印象深い。また、小さなモザイク画、“直角の半円”も観てて心がスッキリする絵。

クレーの頭は柔らかいなと感じさせるのがシュールな絵。今回一番ドキッとしたのは右の“頭も手も足もハートもある”。画面の真ん中に赤いハートのマーク。胴体を無くして、頭と手足をばらばらにし、四隅に配している。なんか変だがタイトル通りのイメージが面白い。もう一点、思わず笑ってしまうのが“真珠をつけた旦那さん”。これをみて瞬間的に連想したのが宴会芸の腹踊り。目とか鼻、口を描いた腹をくにゃくにゃ動かして、笑わせるあの腹芸である。興味のある方は是非ご自身の目で。

難病にかかり、辛い時期に制作した“太い線”タイプの作品が最後のコーナーに沢山飾ってある。中でも、黒の太い線でシンプルに顔の輪郭をつくったり、歩く姿を表現した“赤いチョッキ”はイメージが色々ふくらむ楽しい絵。クレーの多面的な画才と深い精神性が作品を通して十分伝わってくる質の高い回顧展であった。

この美術館のあと、北海道県近美(8/29~10/9)、宮城県美(10/17~12/10)でも開催される。

| | コメント (4) | トラックバック (2)

2006.02.27

ダリの聖アントニウスの誘惑

315先週末はTVでいい美術番組が続いた。新日曜美術館で取り上げられたのがダリ。この時期なぜ、ダリなのかわからないが、冒頭、司会者がダリの生誕100年を記念した展覧会が東京、西日本で開催されることを案内していた。

上野の森美術館である回顧展(9/23~07/1/4)は知っているが、このほかは全く情報がない。ダリの絵が好きなので、9月のダリ展は今年開かれる洋画展では、フンデルトヴァッサー(4月、
京近美)とともに一番楽しみにしている展覧会である。

ダリは1904年生まれなので、スペインでは04年に生誕100年の記念展がフィ
ゲラス、バルセロナ、マドリッドで開催され、スペイン以外ではフィラデルフィア、
ヴェネツィア、ロッテルダムにも巡回した。だぶん、この展覧会のためと思うが、
昨年4月、ベルギーを旅行したとき、王立美術館の一番の目玉だった右の“聖アン
トニウスの誘惑”がフィラデルフィア美術館に貸し出し中で見れなかった。全身の
力が抜けてしまった。残念でならない。

ダリの絵は代表作の“記憶の固執”(MoMA)や“ナルシスの変貌”(テートブリテン)
などはみているが、まだ沢山残っている。画集に載ってる作品はピカソやミロと
いったビッグネームの画家と較べて、個人蔵が多いので、これらを鑑賞する機会
は限られてると思わざるを得ない。で、美術館に展示してある名画はなんとか
目の中に入れたいのだが。今、ターゲットにしているのは次の3点。
・“茹でたインゲン豆のある柔らかい構造”(フィラデルフィア美術館)
・“聖アントニウスの誘惑”(ベルギー王立美術館)
・“目覚めの直前、柘榴のまわりを一匹の蜜蜂が飛んで生じた夢”(スイス・ルガノ、
 テイッセン=ボルネミッサ財団)。

“聖アントニウスの誘惑”の密度が濃くて光沢のある画面に魅せられる。伝統的
な宗教画と違い、聖アントニウスを誘惑する悪魔が細長いクモの足を持つ馬や象と
なっているのが面白い。先頭の馬はたけり狂い、一番前の象の背中には肉欲を象徴
する美女が姿を現し、十字架を高く掲げる聖アントニウスを挑発する。この画題は
痩せこけた聖アントニウスが様々な幻覚に耐える場面を描くのが定番だが、シュル
レアリスト、ダリにかかると苦行のイメージが消え、不思議な清新さと幻想的な雰囲
気が伝わってくる。いつか、ベルギー王立美術館を再訪したい。

過去拙ブログでダリを記事にしたのは04/11/2804/12/1705/6/26

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006.02.11

パウル・クレー展

299開幕を待ち望んでいた“パウル・クレー展”(大丸東京駅店、2/28まで)を観た。

国内でクレーの展覧会を見るのは93年以来。その間、上野の森美術館などであったNYのMoMA展やパリのポンピドー・コレクション展にクレーの作品が必ず含まれてたので、クレーの絵はとびとびながらも楽しんできた。

クレーの絵にはまるきっかけをつくってくれたのが93年、愛知県美術館であった
大回顧展。この展覧会は名古屋、山口、東京で開かれた。このころ仕事の関係で
名古屋に住んでいたので、幸運にもクレーの代表作の大半を見ることができた。
クレーの遺作を所蔵しているクレー財団とクレー家から、代表作中の代表作、“パル
ナッソスへ”やクレーが亡くなった年に描かれた名作、“無題(静物)”などをごそっ
と持ってきたという感じだった。感激の連続で観終わった後、すごく疲れたのを
よく覚えている。

今回のクレー展にでている絵は昨年6月、クレーの生まれたスイス・ベルンにオープ
ンした“パウル・クレーセンター”から貸し出されたもの。そのため、93年に出品さ
れたものが多くある。ダブりはある程度予想していたが、はじめての作品もあるの
で満足度が落ちるということはない。クレーの若い頃から晩年までの画業が頭に
はいる展示構成になっており、そのバラエティーに富む作風をあれこれ味わうことが
出来る。

期待してたのは“パルナッソスへ”のような1930年頃からはじまった点描主義の
シリーズだったが、今回でてたのは右の“喪に服して”1点のみ。93年のときもこの絵
はあった。これは点描シリーズのなかではハットさせられる絵。モザイクのような色使
いで色面を構成し、その上にうつむき加減で喪に服する女性を一筆描きのように表し
ている。深い悲しみが伝わってくる。この絵はクレーが皮膚硬化症という難病にか
かった1935年の前年の作。

1935年から亡くなる1940年まで、難病のためクレーには死を見つめる日々が続く。
作風は一変し、繊細な線は消え、一見ミロの絵を彷彿させるような荒々しいものに
なる。その一方で、シンプルな線で描いた絵もある。1938,39年の作、“ボール乗
りに興じる子”、“聖歌隊の女性歌手”、“おませな天使”、“旧約聖書の天使”。自由
な描線が胸を打つ。久しぶりのクレー展を心地よく楽しんだ。

| | コメント (12) | トラックバック (11)

2005.10.08

デ・キリコ展

182ブログやHPがあるお陰で、現在、またこれから、どこの美術館でどんな展覧会が開かれるのかという情報が容易かつスピーディに得られる。

10/6から東京駅の前にある大丸ではじまった“デ・キリコ展”ははろるどさんが毎月まとめられてる展覧会情報で知った。うかつにもこの企画展はNO情報だったので大変有難かった。

拙ブログでもデ・キリコは今年、2回書いたので(4/11と7/11)、この画家の
絵に対するテンションが上昇している。ましてや、今まで日本での回顧展に全く縁
が無かっただけに期待度はかなり高く、早速、初日に出かけた。

デ・キリコは長寿の画家で、90歳まで生きている。自画像をみるとイスラエルの
シャロン首相にちょっと似ている。今回出展されてるのは、1960年代以降、80歳
近くになってまた描いた新形而上絵画の作品が中心。デ・キリコの絵をあまりみて
なく、手元にある画集に載ってる代表作は1963年までなので、こんな作品を見
れるのは貴重な機会である。メインの油彩のほか素描、彫刻を合わせて110点が
展示されている。

絵を見ると、初期の頃の特徴、例のイタリア広場や、顔が卵形の無機質なマネキン
が出てくるので絵のなかにはすっと入っていける。だが、どうしてこんなことを思い
つくのかと感心してしまうシュールな組み合わせも出てくる。じっくり見ているといろ
いろ想像力を掻き立てられ、結構楽しい。でも、100%理解できる絵では無いとこ
ろが形而上絵画たる所以。

得意の遠近法で奥行きをつくった部屋の中に、太陽が入り込んできたり“暖炉の
太陽”、海が登場したり“ユリシーズの帰還”する。また、室内でも広場でも、現実と
非現実が交差する何かひんやりとした不思議な空間をつくっていた初期の画風と
比べると、人物や建物などが画面に沢山でてくるようになり、伝えようとしている
メッセージが複雑になっている。

もうひとつ、若い頃はこんな描き方はしなかったなと、おやっと思ったのが右の“愛
と涙/ヘクトルとアンドロマケの抱擁”(1974年)。仮面を被ってるのがトロイ戦争
でギリシャ軍のアキレスと戦ったトロイの勇将ヘクトル。背中をこちらに向けヘクトル
の胸のなかに顔をうずめているのはヘクトルの妻、アンドロマケ。アンドロマケは顔
こそ見えないが、その後姿はマネキン風のヘクトルとは違い、普通の女性にみえる。
後年のダリが妻のガラを写真のように描いたのと同じ心境に、年老いたデ・キリコ
もなったのであろうか。

ダリもブロンズの彫刻を制作しているが、デ・キリコがつくったマネキンタイプの彫刻
(ブロンズに金・銀鍍金)もなかなか魅力的で、所有欲をそそられる。本日、見てきた
隣の方も満足げな顔をしていた。はじめてのデ・キリコ展に大満足。なお、展示は
10/25まで。

| | コメント (6) | トラックバック (1)

2005.07.11

デ・キリコのイタリア広場

116昨日あったBS2の迷宮美術館は面白かった。幻想的な絵画を描いたデ・キリコとウイーン世紀末の人気画家、クリムトが登場した。

クリムトの場合、ウィーンに行けば“接吻”をはじめ“ベートーベン・フリーズ”などの代表作をみることができるし、日本でもクリムト、シーレの展覧会がよく開かれる。

これに対し、デ・キリコとなると、日本でこの画家の回顧展が開催されたという
記憶がない。一般の美術愛好家はせいぜい、NYのMoMA、グッゲンハイム、
パリのポンピドーを訪ねるくらいが関の山。この3つの美術館にデ・キリコの
代表作がいくつかある。4月、アムステルダムにある市美術館でデ・キリコの
マネキン絵画をみた(拙4/15ブログ)。久しぶりに見たデ・キリコの絵はシュル
レアリスト、マグリットに似ていたので、頭が混がらがったが、日本に帰って
マグリットのほうがデ・キリコの絵から霊感を得たとこを知った。デ・キリコの作品
は画集をみると個人蔵となってるのが多く、見てない絵がまだいっぱいある。

番組ではデ・キリコの代表的な形而上絵画、“イタリア広場”と言われる作品に焦
点をあてて、デ・キリコ芸術の謎に迫っていた。形而上絵画というのはちょっと難し
い言葉だが、人間が五感でとらえられる現実を超えたものを描いた絵のこと。デ・
キリコの絵をみてると、どこかで見たことのある風景だという印象をもつ。よく、
今見ている光景が、そっくりそのまま以前に経験したことがあるような気になると
きがある。でも、それがいつだったか、本当かどうかもわからない。精神分析では
これを“既視感”と呼んでいる。デ・キリコの絵をみたときはこの既視感と似た
感情が生まれる。

右の絵は1991年、日本であったグッゲンハイム美術館展でみた“赤い塔”(19
13年)。1911年から17年にかけて描かれたイタリア広場シリーズのひとつ。
両側のアーケードにはさまれ通りは影で暗くなっており、その先の光が当って
る広場の向こうには円形の赤い塔がでんと建っている。そして、広場には一部し
か見えないがローマの騎士像がある。人が誰のいない広場に騎士像の影が長く
伸びてる。冷ややかで不思議な絵である。イタリアの広場には大勢の人が集まり、
騒々しいはずだが、まったく人を消して、建物、銅像のモノだけの世界にしたら、
こんな雰囲気になるのかもしれない。

デ・キリコの絵にはわからないところが多いが、それでも何か不思議な魅力が
ある。それは既視感のような気がする。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.07.09

カタルーニャのミロ

114昨日の世界美術館紀行ではカタルーニャで活躍した巨匠、ミロ、ダリ、ピカソを特集していた。

ミロのユーモラスな絵が好きで、日本で開催された回顧展には必ず出かけてきた。回数は少なく、まだ3回しかお目にかかっていない。最初は1989年、日本橋三越での展覧会。2回目は1992年の横浜美術館。

最近では、02年、世田谷美術館であったミロ展。ここには“ロバのいる野菜畑”
などの代表作が海外の美術館から出品された。そして、日本にある作品では
一番見ごたえのある大きな絵(福岡市美術館蔵)もあった。残念ながら、愛知県
美のみの出品だった有名な“アルルカンのカーニヴァル”が見られなかった。

ミロ展ではないが、1991年セゾン美術館であったグッゲンハイム美術館展には
“耕地”などがでた。また、01年のMoMA展(上野の森美術館)に代表作“オラ
ンダの室内”、“狩人”がやってきた。“オランダの室内”はNYの現地で見れなか
ったので喜びもひとしおであった。

バルセロナを訪れる機会はこれまで2回あった。2度目のときは、グエル公園で
ガウディのモザイク作品を見た後、坂をのぼり、モンジュイックの丘にあるミロ美
術館をめざした。白一色のモダンな建物。中には、絵画、彫刻、版画、素描などが
沢山あり、ユーモラスで自由闊達なミロの芸術を満喫できる。ここの絵をみて、
過去この美術館から日本に出品されたのは二線級だということに気づいた。

シュールながら子供のような純真さが伝わってくる絵が多い中で、よく覚えている
のが右の“太陽の前の人物”。ミロ、75歳の作品。晩年、形はより明快になり、
色彩は一層鮮やかになっていく。太陽を表す強烈な赤の原色のフォルムと力強
い黒い線に釘付けになった。1966年に来日したミロは日本の美術に感銘を受け
たようで、黒い線は書や水墨画の影響と言われている。

バルセロナ空港の壁画や市内のミロ公園にある25mのオブジェ“女と鳥”はまだ
みてない。これらとミロが47歳のとき、戦禍を逃れて描いた“星座シリーズ”を見
るのが次のターゲットと決めている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.06.26

諸橋近代美術館のダリ

10223日、24日は山形、福島を旅行した。目玉は山寺、お釜、五色沼などの名所観光とさくらんぼ狩り。

最後の五色沼の散策は自由行動だったので、毘沙門沼のすぐ近くにある諸橋近代美術館を訪れた。

この美術館は今年のはじめに放送された迷宮美術館で紹介された。前々からここにダリの作品が沢山展示されてることを聞いていたので、いつかこの目
でその作品を確かめたいとおもっていた。

館の入り口の前に立つと一瞬ヨーロッパにいるのではないかと錯覚する。貴族
の館を思わせる立派な建物である。中の展示ホールは天井が高く、外光を多
く取り入れた開放的な空間になっている。1999年にこの美術館はオープンした。
コレクションの85%がダリの作品。ダリの作品を常時展示している美術館とし
てはスペイン・フィゲラスのダリ劇場美術館、アメリカ・フロリダのダリ美術館に
次いで世界で三番目。

自慢の作品は37点の彫刻。ダリの彫刻をこんなに多く所蔵するのはここだけ。
家に戻ってわかったのだが、1991年、新宿三越で開催された“ダリ展”にこれ
と同じ作品がでていた。このときは作品の所蔵はリヒテンシュタイン、ストラットン
財蔵となっていた。諸橋美術館に確認してないので断定的なことはいえないが、
館を設立した諸橋廷蔵氏が1991年以降、ストラットン財からこれらの彫刻を
購入したのかもしれない。

いくつかの彫刻、例えば“回顧的女性胸像”を鑑賞してたとき、前に見たことがあ
るなという感じがした。隣の方も記憶にあると言う。三越の展覧会はだいぶ前なの
で、目の前にあるシュールで不思議な形をした彫刻にみとれ、昔みたことをすっ
かり忘れていた。ダリのブロンズや大理石の像にはミロのヴィーナス、サモトラケ
のニケ、ナポレオン、ニュートンなど我々がよく知っている作品や人物が題材に
なっている。そのため、造形的には普通の頭では考えつかないものであるが、頭
がくらくらすることはなく、結構楽しめる。中には考えさせられる作品もある。1931
年、ダリが27歳のとき描いた“記憶の固執”に出てくるやわらかい時計のように。
くにゃっとまがった時計が木の枝のかけられたりしている。

絵のコーナーに面白い作品がいくつもあった。中でも気に入ったのが右の“ビキニ
の三つのスフィンクス”。ここではダリ得意のダブルイメージ(二重像)が使われ
ている。この絵の中にアインシュタインとフロイトがだまし絵のように描きこまれて
いるのである。アインシュタインは手前の人間の頭部のなか。原子雲のような
頭髪の真ん中にアインシュタインの横顔が黒のシルエットとなってみえる。樹木
の頭部の右端には眼鏡をかけたフロイトがいる。

1945年8月、広島と長崎に落ちた原子爆弾にショックをうけたダリがこれをモチ
ーフにしたのがこの絵で、1947年に制作した。その際、ダリはアインシュタインと
フロイトが1932年、手紙でやり取りした話を覚えていて、二人を絵の中に登場
させている。二人の会話とは。

Q.アインシュタイン“人間を戦争のくびきから解き放つことはできないのか?”
A.フロイト“本来、人と人の利害の対立は暴力で決着をつけるんだ。破壊という
 衝動を人間から取り除くことはできない”
Q.アインシュタイン“人間の心を特定の方向へ導き、憎悪と破壊の病に冒され
 ないようにすることはできないのか?”
A.フロイト“出来る。文化の発展を促がせば、戦争の終焉にむけて歩みだすこと
 が出来る”

裏磐梯にある諸橋美術館でダリの名作を堪能させてもらった。いつか、また訪れ
たい。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2005.04.26

デルヴォー

56ベルギー王立美術館ではデルヴォーの名画を堪能した。縦、横のサイズが大きいので見ごたえがある。

ここには“民衆の声”、“ピグマリオン”、“戦火”、“夜汽車”など傑作が揃っている。どの絵にも目鼻立ちの整ったドールのような女性が登場する。

デルヴォーは誰もが知るマザーコンプレックス。夢の世界にでてくる女性はデルヴォーが35歳のとき死別した母親を
象徴しているという。人工的でひややかな感じのする女性であるが、豊満な裸体
をじっとみてると心がざわざわしてくる。女性ばかりみないで画面全体をみてみる
と、どこか醒めてる感じ。デキリコの形而上絵画の雰囲気がある。

ギリシャ神話の物語を題材にした右の“ピグマリオン”を興味深くみた。この絵は
ピグマリオンの話をひねっている。真ん中に立ってるのはヴィーナスの姿をした
母親。その前にあるのはデルヴォーをモデルとした大理石の彫刻。ヴィーナスは
彫刻に命を与えている。

本来のピグマリオン物語はこうなってる。彫刻家のピグマリオンは女性嫌いで
長らく独身を守っていたが、象牙で作った女性の彫像が素晴らしい出来栄えだっ
たので、その像に恋をしてしまう。なんとかこの恋を実らせんとピグマリオンは
ヴィーナスに自分の妻として、象牙の乙女のような女性を与えて下さいと懇願
する。心優しいヴィーナスはピグマリオンの願いを聞き入れて、彫像に命を吹
き込んでやる。彫像が生身の乙女に変わったのをみてピグマリオンは大喜び。
とてもいい話し。

デルヴォーの絵では登場人物の性が転換している。女性版ピグマリオンをシュ
ルレアリスム的に解釈すると、所有欲の強い母親の支配に耐え忍ぶデルヴォー
ということになる。

デルヴォーは50歳のとき、20年まえ母親から反対されて別れた恋人と偶然
会い、新しい人生をスタートさせる。この絵を通じて人間デルヴォーを見たような
気がする。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.04.25

マグリット

55ベルギー王立美術館の現代絵画部門の目玉はベルギー生まれのシュルレアリスト、マグリットとデルボーの作品。数ではマグリットの方が多い。

ここにはマグリットの代表作がずらっとある。“光の帝国”、“アルンハイムの領土”など。作品をみてて、前にみたような感じがしてきた。日本に帰ってから分ったのだが、02年7月、Bunkamuraで開催されたマグリット展にこの王立美術館所蔵のものが数多く出品されていた。

今回、Bunkamuraの展覧会ではみられなかった面白い作品をいくつか観た。
その一つが右の“エリプス”。これは絵というより漫画といったほうがいい。
CMのクリエーターが喜びそうな絵。左手の上に手がまた描かれてるのに目
がいく。鼻が拳銃になっており、被ってる帽子は一つ目小僧。マグリットは
50歳の頃、こんな絵を描いていた。

シュルレアリスムの絵ではダリとマグリットがとくに気に入っている。奇人
のイメージのあるダリに対して、マグリッドは普通の社会人風。ワイシャツに
ネクタイをして絵を描いてたというから驚き。屋外でスケッチすることがな
かったそうだ。

マグリットの画風で面白いのはダリもしばしばみせるダブルイメージ。“アル
ンハイムの領土”では鷹の頭と山の稜線が重なっている。そして、このダブル
イメージよりもっと惹きつけられるのは、日常生活にある風景や物、人物
が部分的に切り取られ、画面の中に組み合わされてできる不思議な空間。

“光の帝国”は郊外にある池に面する屋敷を描いてるが、屋敷と周りの木々
は夜の風景なのに、空は白い雲がある青々とした昼の空になっている。
現実離れしてるので、頭が変になりそうだが、このアンマッチな絵は写実的
に描かれてることもあり、じっとみてると美しさを感じるようになる。不思議な
感覚である。

頭が柔らかく、超イマジネーション力を持つマグリットの絵にますます引き込
まれていく。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.04.15

デ・キリコ

46アムステルダム観光の自由行動ではアムステルダム市立美術館に出かけた。ガイドブックによると、ここには近代、現代絵画の名画がいくつもあるようだ。

何年か前、広島であったこの美術館所蔵展でシャガールの“7本指の自画像”という不思議な作品やゴッホのいい絵をみた。で、ここでまたシャガールの名画に会えると期待をふくらませて入館した。

現在、アムステルダム市立美は改装中のため、所蔵品の展示は中央駅から歩いて
15分くらいの郵便局のホールに飾ってある。仮展示のため、期間に分けて作品をロ
ーテーションする。今回の出品作には残念ながらシャガールの絵は1点もなかった。

印象派、象徴派からシュルレアリスム、キュビズム、現代アートまでビッグネームの
画家の作品が一通り揃っている。足が止まったのはドンゲン、デ・キリコ、ドローネー、
デュシャン、ポロック、アペル、ニューマン、イブ・クライン、ケリーなどの作品。意外に
もオランダ人画家のモンドリアンの絵にお目にかかれなかった。

頭に抱いてた画家には裏切られたが、デ・キリコが描いた右の“考古学者”で救われ
た。デ・キリコの作品に接する機会は少ない。手元の画集に載ってる絵を眺めるとまだ
2割くらいしか観てない。この考古学者と似たようなのが画集に3点でていた。

この絵は1929年に描かれている。2つのマネキンの腕は長く、足は異常に短い。
まず、これにおやっとする。胴部をギリシャ神殿のような風景が貫ぬいてるのがかなり
シュール。マグリットの絵をみるよう。卵のようななめらかな頭部は大原美術館にある
“ヘクトルとアンドロマケの別れ”にでてくる無機質的なマネキンとは違い、人間ぽくは
あるが、ちょっと不気味。

これまでマグリットのシュールさが最高と思っていたが、マグリットはデ・キリコから
霊感を得たのかもしれない。これは大きな発見。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004.12.17

横浜美術館のダリ

640
横浜美術館の通常展(来年3/23まで)でダリの大きな絵が楽しめる。3連作で真ん中にあるのがこの絵だ。250×240cmの絵がならんでいる。前に立つとこりゃすごいとただ見つめるばかり。空間的な広がりを感じる。

題名は“幻想的風景”。中央の絵には“英雄的昼”とつけられている。そして、左が“暁”、右が“夕暮”。英雄的となっているが、よくみると描かれているのは女性。顔、横に上げた手、胸は雲や空をとぶ鳥と重なっている。おもしろい構図だ。まさにシュールな絵。

ダリはこの絵を1942年アメリカにいるとき、富豪のポーランド系女性実業家、ヘレナ・ルビンシュタインのために描いている。広島県立美術館池田20世紀美術館にもダリの大きな作品があったが、ここの幻想的風景も感激度200%の絵だ。

ダリの作品では“ニュートンを讃えて”と名のついたブロンズ像がまたいい。久しぶりに帰ってきた横浜でダリの名品にあえるとは嬉しいかぎり。シュルレアリスムの作家ではマグリットの“王様の美術館”、デルボーの
“階段”もでている。共にこの美術館自慢の作品だ。

| | コメント (5) | トラックバック (1)

2004.11.28

ダリ劇場美術館

世界美術館紀行(NHK)でダリ劇場美術館が登場した。
カタルーニャ地方の小さな町、フイゲラスに年間100万人の
観光客が来るそうだ。ひとえに奇才ダリの絵をみるために。
美術館ビジネスもこのくらいの来場者になると大儲けとは
いかないかもしれないが、かなりの収入が期待できるだろう。
いつかここを訪れたい。ダリをもっと知るためにはここは避け
て通れない。ちょっと怖いもの観たさ的な気分もある。シュル
レアリスムの作品をみるんだから、お酒でもひっかけてみる
のも一興か。

実際行くとなるとツアーではなく、個人旅行になるのかな?
名古屋の桂田さんは前ここに行かれたとTakさんの掲示板で
おっしゃっていた、いつか聞いてみよう。

これまでみたダリの作品は。。
    ★記憶の固執 (NY、MoMA)
    ★ナルシスの変貌(ロンドン、テートG)
    ★ポルト・リガトの聖母 (福岡市美術館)
    ★ヴィーナスの夢 (広島県立美術館)
    ★キリンの連作 (池田20世紀美術館)
    ★ガラの測地学的肖像 (横浜美術館)
    ★ピアノに現れたレーニンの6つの肖像
           (パリ、ポンピドーセンター)
    ★風景の中で眠る女 (NY、グッゲンハイム)
    ★液状の欲望の誕生 (ベニス、グッゲンハイム)

画集を2,3冊広げて見ると代表作はまだ残っている。
これから観たい絵は。。。
    ★聖アントニウスの誘惑 
        (ブリュッセル、ベルギー王立美術館)
    ★茹でたインゲン豆のある柔らかい構造
        (フィラデルフィア美術館)

ダリのことをよく知っているとはとてもいえない。魅力一杯
の大天才には間違いない。こちらがついていけないだけだ。
今年福岡で見た大きな絵、ポルト・リガトの聖母(275×
210cm)には感動した。MoMAにある記憶の固執とよく
似た広島にある絵も大きくて魅了される。ダリは不思議な
画家であり、楽しい画家でもある。

フィゲラスの劇場美術館に行き、メイ・ウェストの部屋や天井
画(風の宮殿)がみられたら楽しいだろう。

    

| | コメント (2) | トラックバック (0)