2009.07.15

メキシコ20世紀絵画展のフリーダ・カーロ

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‘メキシコ20世紀絵画展’(7/4~8/30)を見るため世田谷美を訪問した。この美術館は最寄りの用賀駅(東急田園都市線)からのアクセスがあまりよくない。美術館行きのバス停に近づくと待っている人は誰もいない。イヤな予感、バスは3:05に出発したばかり。つぎは3:45、35分も待つはめになった。

美術館までは歩いて20分だが、エコバッグは図録やら購入した本でずしっと重くなっているので、その元気はない。入館する前、帰りのバスの時刻を確認して、その時間内で見終わることにした。この展覧会ははじめからフリーダ・カーロ(1907~54)の‘メダリオンをつけた自画像’(1948、上の画像)を見るのが目的だから、時間はかからない。

お目当ての絵は最初に展示してあった。彼女の絵をみるのはこれがはじめて。03年Bunkamuraで回顧展があり、そのころ日曜美術館か美の巨人たちで取り上げられたような記憶がある。確か、小さい頃小児麻痺のため足の発育が止まり、さらに大きな事故に遭遇し足や腰椎を骨折するなど、人生の大半を肉体的な苦痛に見舞われて過ごし、47歳で亡くなったという話だった。

驚かされるのがその画風。メキシコにもこんなすごいシュルレアリストがいたとは!目に焼きついているのが‘折れた背骨’と‘ふたりのフリーダ’。ダリの体がくり抜かれた彫刻作品を彷彿とさせる‘折れた背骨’で、小さな涙の粒が描かれていたが印象的。この自画像でも涙が3粒みられる。

白のレース編みのテーブルクロスに大きな丸い穴を開けてそこから顔を出している感じのフリーダはぱっとみると男性にみえる。まゆげが濃くうっすら口ひげがはえているから、男と錯覚する。この絵は番組かほかの美術本にでていたので有名な絵だと思うが、シュールな表現という感じはしない。次回は仰天させられたあのシュールな作品に囲まれてみたい。

1点買いの絵を見たので、あとはスルスルと導線を進んだ。足が止まったのが真ん中のシケイロス作、‘進歩の寓意’(1950)。画面上部に飛行船とトンネルから出てきた列車、飛行機、そして右の黄色の大地にはトラクターが描かれている。斜めの線とか列車や煙のスピード感あふれるフォルムをみると、未来派のバッラやボッチョーニの絵を連想する。

メキシコ市にシケイロス(1896~1974)が制作した‘地上での、そして宇宙へ向かう人類の行進’(1971)と題された周囲150m、高さ15mの大壁画があるらしい。夢に終わるかもしれないが、いつか見てみたい。

下はイスキエルドの‘マリア・アスンソロの肖像’。画家の名前は全然知らなかったが、女性の内面をよくとらえているこの絵にぐっと惹きこまれた。また、白で描かれた人物描写とハッとする構図が心を打つロメロの‘ホロコースト’の前にも長くいた。

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2009.06.19

夢幻的なデルヴォーワールドに魅せられて!

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ベルギー王立美にはマグリット同様、デルヴォー(1897~1994)の展示室があり、傑作がずらっと並んでいる。とくに魅了されたのをあげてみると、

★民衆の声(上の画像)
★夜汽車(真ん中)
★スピッツナー博物館(下)
★ピグマリオン(拙ブログ05/4/26
★ノクターン(06/9/29

‘民衆の声’(1948)は縦1.52m、横2.54mの大きな絵。画面手前に横たわっている裸の女に目が釘付けになる。売春宿にいる女を連想するが、それでも心臓はバクバクしない。それはデルヴォーが描く女は人形のようで生々しさが感じられないからである。このイメージはベッドのむこうで紫の大きなリボンを髪につけ、黒い喪服を着ている3人の女でも同じこと。部屋の外は透視画法で街の様子が描かれ、真ん中に走り去ろうとしている路面電車がみえる。

マネキンのような女、夜、そして電車とデルヴォー絵画でお馴染みのモティーフだが、一体何がここに描かれているのか?デルヴォーはマザコン、35歳のとき母親が亡くなった。裸の女は母親の象徴で、これから黄泉の国へと旅立つところ。

‘夜の汽車’(1957)はデルヴォーに大きな影響を与えたデ・キリコの形而上絵画を彷彿とさせる。去っていく汽車とプラットホームに漂うなんともいえない寂しい空気が長くのびるレールや柱影と木柵のうしろで見送っている少女の姿で表現されている。

デルヴォーの絵には死を意味する骸骨がよく登場するが、それは1932年に起きたある出会いがきっかけになっている。医学知識の啓蒙のために、仮設テントのなかに性病に冒された人体の模型や骸骨などを並べた‘スピッツナー博物館’をデルヴォーは見たのである。それを描いたのが下の絵(1943)。

ピグマリオンで印象深いのはデルヴォーの絵とメトロポリタン美にあるジェロームの絵(08/5/13)。西洋美であった展覧会に出品された‘ノクターン’もなかなかいい。

これからの鑑賞ターゲットにしている絵は結構ある。いつか訪問しようと夢見ているポール・デルヴォー美術館が所蔵する作品、昨年見れなかった‘人魚の村’(シカゴ美)、‘眠れるヴィーナス’&‘レダ’(テートモダン)。済みマークがつくのはだいぶ先になりそう。

今年後半に開催される西洋画の展覧会のなかに、損保ジャパン美の‘ベルギー近代絵画のあゆみ’(9/12~11/29)がある。これはベルギー王立美蔵の70点で構成されるので、このなかにマグリットやデルヴォーの絵があるかもしれない。詳しいことはまだわからないが期待したい。

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2009.06.18

もう一度見たいベルギー王立美術館のマグリット!

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シュルレアリスム絵画を見るときはほかの絵と違って、心の中はかなりザワザワする。対象の不思議な組み合わせや想像力のキャパシティをはるかに超えたシュールな世界に思わずのめり込むというよりは、体も心もちょっと引き気味になることのほうが多い。

同じシュルレアリスムでも、ぬめっとしたところがあり緊張を強いられるダリの夢の世界に較べると、マグリットの絵は見慣れた現実の光景がベースになっているから、そのイリュージョンの中になんとか入っていけそうな気がする。と同時に、こんな不思議な構成やフォルムは並の才能ではとても創造できないことも思い知らされる。

Bunkamuraの‘だまし絵展’でマグリット(1898~1967)の世界に誘われたので、ベルギー王立美にある作品をまた見たくなった。05年に訪問した際の感想記では、‘エリプス’(拙ブログ05/4/25)のみだったから、まだあるお気に入りの絵を紹介したい。

★光の帝国(上の画像)
★アルンハイムの領土(真ん中)
★宝島(下)

マグリットが1952年から描きはじめた‘光の帝国’は全部で22点ある。これは1954年の作で、1961年に制作された別ヴァージョン(個人蔵)が02年の回顧展(Bunkamura)に出品された。王立美のは照明灯に照らされた建物のシルエットとそれが前の池に映り込むところが実に美しい。この絵はぱっと見ると不思議な感じがしない。日本の夕方でもこんな光景を体験することがある。

でも、建物のまわりの木々の暗さをみれば、この時間が陽が落ちる前ではないことがわかる。となると、この絵はどうなっているの?白い雲が沢山漂う空は昼で、下の風景は夜!じわりじわり、マグリットの意表を突く発想に心が揺り動かされる。こういうのは‘コロンブスの卵’で、説明されると‘なんだ、そうか!’となるが、数少ない人だけが思いつく。何事も最初に考えた者が一番エラくてすごい。

‘アルンハイムの領土’(1962)に表現されているダブルイメージはすぐわかる。三ヶ月の下の山の稜線が鷲の形をしている。が、その鷲の真下にある卵の読み方が難しい。これは何を意味しているのだろうか?岩になった鷲がこの卵を産んだのだろうが、これから卵をどうやって雛にするの?それともただ遠くで見守っているだけ。動物や人間が卵を持って行こうとしたら、岩から飛び出してくる?

下の‘宝島’(1962)に描かれている‘葉の鳥’もすんなりイメージできる。この絵はマグリットが思いついたメタモルフォーズ(変容)、つまり、ある物が別の物になることを表現している。マグリットは‘満開の花に少女を想像するとしたら、鳥を想像することも許されるだろう’という。ほかに葉がフクロウになった絵もある。

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2009.03.09

大丸東京のミロ展

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バルセロナにあるミロ美術館(拙ブログ05/7/9)が所蔵する絵画、彫刻が現在、大丸東京で展示されている(3/5~3/22)。

この美術館の作品は過去2回くらい見たような気がする。最初が1988年、日本橋三越。2回目はよく覚えてない。今回のミロ展がミロ美の作品と知って、果たしてどうかな?という気分が50%あった。

作品70点のなかにとびっきりいいのがあるわけではないから、満足度はアベレージ。普通の作品でも、ミロ大好き人間にはミロワールドのバリエーションが広がるのは嬉しいこと。だから、楽しいひと時だったことは間違いない。

が、現地に展示してある作品を知っている美術愛好家として意見を述べるなら、‘ミロ美はいつもいつも有名な作品は持ってきてくれないな!’というのが率直な感想。手元にある図録に載っているような絵を一点でも展示してほしかったのだが。ここを訪問された方なら、たぶん同じことを思われるはず。

今回はミロが晩年に制作したものが中心。作品をこれまでとは違ったやり方で並べているので、ミロが何を描こうとしたかが理解しやすくなっている。会場を入ったところにミロが描いた物の記号(シンボル)がある。これが絵を読み解く鍵。

例えば、‘睾丸’、‘女’、‘星’、‘三本の髪の毛’、‘逃避の梯子’、‘円’、‘太陽’、‘月’、‘目’、‘鳥’など。これらが‘性’、‘天体’、‘地球’、‘無限のかなたへ’という4つのテーマでグルーピングされ、そのくくりにそって各々の記号がでてくる具体的な作品が展示されている。

上の絵‘女、鳥、星’(1978)は‘天体’に分類されている記号‘女の性、燃える花’の一枚。この頃のミロの絵は黒の色面や太い線は画面を多く占めるようになるが、この絵や記号‘星’を表した‘人々、鳥たち、星’では青の背景に細い黒の線で星や鳥が描かれている。

お気に入りは‘地球’の記号‘目’のところに飾ってある‘頭部’と真ん中の‘夜中の野蛮人’。再会した‘頭部’の狂暴的な目にまた射すくめられた。この絵だけは人間の内面を強烈に感じる。‘夜中の野蛮人’はまったくおもしろい絵。足がちゃんと二本あり、大きな目が5つある。どのあたりが野蛮なのだろうか?

最後のコーナーにある18点は記号の分類とは直接対応しないものだが、原色の赤、青、黄色や太い黒線が目を楽しませてくれる。なかでも下の‘力強い思想家’や‘雪の野蛮人’や‘タコ捕り’に大変魅せられた。

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2009.01.18

もっと見たいクレー・エルンスト・デルヴォーのシュールな絵!

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今日の追っかけ画はクレー、エルンスト、デルヴォー。
★クレーの‘ゼネツィオ’:バーゼル美(上の画像)
★エルンストの‘聖アントニウスの誘惑’:ドイツ、デュイスブルク市立ウィルヘルム・レーンブルック美(真ん中)
★デルヴォーの‘レダ’:テートモダン(下)

現在、渋谷のBunkamuraでクレー(1879~1940)の作品が沢山展示された展覧会が行われているが、事前にチェックしたら06年、川村記念美の‘クレー展’に出品されたものばかりだったのでパス。ほかの作品のレベルは知らないが、2年前ノルトライン=ヴェストファーレン美自慢のクレー作品がごっそり公開されたのに、また、同じ作品をずらっと並べ‘今回のクレーはすばらしいでしょう!’と胸を張るわけ?Bunkamuraともあろう美術館がそれはないでしょう。

昨年、国立新美が‘モディリアーニ展’でも同じようなことをやっていた。日本の美術館で働く学芸員にはプライドというものがないのだろうか?海外の美術館から作品を持ってくる場合、先に接触した美術館が勝ちなの。後からまた契約し、同じ作品にプラスαをつけて展示しても、新鮮味がなく展覧会としての価値は当然下がる。これは当たり前。美術ファンが願っているのは好感度の高い美術館が日本にまだやってきてない名画の展示で競ってくれること。Bunkamuraも昨年のシャガール作品事件でケチがつきはじめた?

悪い流れを断ち切るために、‘バーゼル美名品展’でも企画し、クレーのおもしろい絵‘ゼネツィオ’(1922)をもってきたら?ゼネツィオは野菊の一種で、日本のサワギク、コボロギクのこと。調和のとれた色使いは無理だが、フォルムだけなら絵の上手な小学生はこれに近い絵が描けるかもしれない。大好きな‘猫と鳥’(1928、NY・MoMA)と同じタイプの絵だから、いつか対面したい。

エルンスト(1891~1976)が独自の手法、フロッタージュを使って描いた森の絵は苔とか水中のヘドロを思い浮かべるので生理的にダメ。これはずっと前から変わらない。だが、‘聖アントニウスの誘惑’(1945)はリスク覚悟で一度は見てみたい絵。

1946年、アメリカの映画監督が自分のつくる作品の小道具にしゃれた絵を使いたいとコンテストを思いつく。テーマはよく知られた‘聖アントニウスの誘惑’。声をかけられたのが12人の前衛画家。もちろん賞金付き。そこで一等になったのがエルンストのこの絵。三等がデルヴォー。が、ダリの絵(昨日紹介、06/2/27)はみごと落選。

エルンストの絵は図版では細かいところがつかみきれないが、描かれた悪魔や全体の怖さ加減はちょっとボスの‘快楽の園’を彷彿とさせる。デュイスブルク市はボンの北方、あまり遠くないところに位置している。一番望ましいのは日本でエルンスト展が開催され、これが展示されること。実現の可能性はほとんどないが、とりあえず帆だけはあげておきたい。

デルヴォー(1897~1994)の‘レダ’(1948)は昨年訪問したロンドンのテートモダンで残念ながら対面できなかった。デルヴォーの絵に描かれた裸婦(拙ブログ05/4/26)は皆同じ顔をしている。目が丸く肌がぬけるように白いので生身の人間というよりドール感覚。

白鳥になりすましたゼウスと交わったレダはふたつの卵を産み落とした。え?ひとつではないの?レダは夫とも交わったからふたつなの。しかもどちらも双子。で、レダは4人の子供の母親になる。絶世の美女ヘレネはゼウスとのあいだにできた娘。ご承知のようにヘレネはトロイ戦争の原因になった女性である。

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2009.01.17

もっと見たいダリの不思議な絵!

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シュルレアリスム作品の鑑賞はルネサンス、印象派同様、ライフワーク。でも、その作品を全部見たい画家とそうでもない画家をわけている。

ダリ、ミロ、マグリット、デルヴォーが前者で、エルンスト、タンギー、マッソンが後者。クレーはとても気にっている画家だが、なかには退屈な絵もあるから、見たい度は80%くらい。

画集に載っている作品を全点制覇することを夢見ている4人のなかで、ダリとデルヴォーの絵が夢見心地というか不思議な世界に誘われるのに対し、ミロとマグリットはシュールはシュールでも、気軽で楽しい絵。

ダリ(1904~1989)は日本でも人気の高い画家だから、展示の規模は異なるものの、結構な頻度で回顧展が開催される。記憶に新しいのが06年、上野の森美であったもの(拙ブログ06/9/30)。

ダリの絵は広い空間を感じさせる画面にぐにゃっと曲げられた時計とか、極端に細い足をした象、馬、小さな蟻などが超細密に描かれているので、隅から隅までなめまわすように見てしまう。はじめはすごく緊張感を強いられるのに、見ていると少しづつぬめっとして弾力性のある画面に惹きこまれていく。

これはダリの描写力が並はずれて高いから。こういうシュールなイメージを下手くそな人が表現したら、作品にならない。見る者は丁寧に描かれているモティーフに目を慣らし、その形態の変容やモティーフ同士の関係、さらに全体の不思議な構成を自分なりに感じていく。だから、こういう密度の濃い絵では対象がしっかり描かれていないと非日常的な異時空間のなかに入っていけない。

では、精緻に表現されたダリの絵にどっぷり浸かれるかというとそれはない。まあ、30~50%がいいところ。これ以上入り込むと逆に精神的にあぶなくなる。ほどほどの付き合いを心がけているダリ作品でなんとか対面したいのは、

★‘ゆでた隠元豆のある柔らかい構造:内乱の予感’(1936):フィラデルフィア美(上の画像)
★‘海辺に現われた顔と果物鉢’(1938):アメリカ・ハートフォード、ワズワース・アシニアム美(真ん中)
★‘目覚めの直前、柘榴のまわりを一匹の蜜蜂が飛んで生じた夢’(1944):スイス・ルガノ、ティッセン=ボルネミッサ財団(下)
★‘聖アントニウスの誘惑’(1946):ベルギー王立美(06/2/27

最も魅せられているのがスイスのルガノにある絵。これは一度日本にやってきたことがあるそうだが、かなり昔の話だからまったく縁がない。魚の口から飛び出す虎が見たーい!ベルギー美を再訪する可能性は少ないから、‘聖アントニウス’もなかなか難しい。なんとか対面したいのだが。

‘海辺に’と似た絵がマドリッドのソフィア王妃アート・センターにあるから、ひょっとするとマドリッドのほうを先に見るとこになるかもしれない。フィラデルフィア美には追っかけ画が数点あるが、この‘ゆでた隠元豆’もその一枚。絵の前ではかなり圧倒されそう。

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2009.01.16

もっと見たいミロの楽しい絵!

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3月、大丸東京店でミロの展覧会がある(3/5~3/22)。美術館へ出かけるとき、作品内容についての情報はチラシだけでいいという考えだが、今のところまったく情報がないから、期待値はニュートラル。会場で予想外のサプライズがあればもうけものというのが率直なところ。

02年に世田谷美で比較的大きな回顧展があったが、ミロ(1893~1983)の作品をまとまってみれるのはそれ以来。ミロは昔から大のファンなので、国内で開かれた回顧展は見逃さずに出かけた。これまで鑑賞したミロの絵で、最も満足度が高かったのは
91年、セゾン美(現在は無い)で開かれた‘グッゲンハイム美名品展’と01年、上野の森美であった‘MoMA展’に出品された絵。

画集に載っている有名な‘耕作’(グッゲンハイム)、‘狩人(カタロニアの風景’と‘オランダの室内Ⅰ’(ともにMoMA)がNYに行かずに見れるのだから夢のようだった。こうした展覧会に遭遇したり、バルセロナにあるミロ美術館(拙ブログ05/7/9)や海外の近代絵画を展示する美術館へも足を運んだから、相当数のミロ作品をみたことになっている。

でも、手元の画集にはまだ目に入れてない絵がだいぶある。とくに個人蔵やNYやパリにある画廊が所蔵しているものは一生見れないかもしれない。その中で関心が高いのは次の3点。
★アルルカンのカーニバル(1924~25):バッファロー、オルブライト・ノックス・アート・ギャラリー(上の画像)
★恋人たちに未知の世界を明かす美しい鳥(1941):NY,MoMA(真ん中)
★壁画(1947):シンシナティ、ヒルトンホテル(下)

‘アルルカンのカーニバル’は悔いの残る絵。これは02年の回顧展のとき日本にやってきたのに、展示されたのは世田谷美ではなく愛知県美。当時、仕事の関係でどうしても名古屋まで追っかけられなかった。こんな有名な絵を見逃したのは残念でならないが、‘自分は美術史家ではないのだ’と言い聞かせている。

これは‘耕作’、‘狩人’と三部作をなす絵。子供たちが思い思いに描いたようにみえる。昨年亡くなったギャク漫画の天才、赤塚不二夫はミロの絵に触発されて‘ニャロメ’を生み出したのではないか。まったくの想像だが、ずっと前から200%確信している。ピカソの‘ゲルニカ’にたいし、‘ハモニカ’でパロるのだから、ミロの形態を参考にしてもおかしくはない。

ミロは47、8歳のとき‘星座シリーズ’を23点描いたが、真ん中はのその一枚。いつか全点みることを夢見ている。右下にライオンをイメージできるこのユーモラスでファンタジックな絵はMoMAの所蔵。過去二度もここを訪れているのに、どういうわけか縁がなかった。次回のNY旅行ではなんとしても会いたい!

下はミロが最初に手がけた壁画(左側のほう)。原色の赤や緑、黒で装飾的に描かれた丸や三角が画面いっぱいにやわらかく響き合っている。壁画はほかにもハーバード大の食堂やパリのユネスコ本部、また大阪の国立国際美にもある。

大阪にあるものはいつかこの目でと思っているのだが、なかなか実現しない。シンシナティは遠いから鑑賞の可能性は低いが、ここはその気になれば見れる。機会をみつけて出かけよう。

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2009.01.14

美術に魅せられて! お気に入り日本のシュルレアリスム

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西洋絵画でも日本画でも、女性を描いた絵を見るのが好きなのはご承知の通り。興味深々な絵がもう一つある、それは‘怖い、不気味系’あるいは‘不思議系’の絵。

日本画でいうと‘地獄絵’、西洋画ではランブール兄弟の‘ベリー公のいとも豪華な時禱書・地獄’とかボスの‘快楽の園’、そしてデ・キリコの‘形而上絵画’、ダリ、エルンスト、タンギー、マグリット、ミロ、クレーらシュルレアリストが描く作品。

こういう絵が描ける芸術家の頭のなかは一体どうなっているのだろう?夢をみることがあまりなく、極めて乏しい想像力しかもちあわせてない人間からすると、こういう画家はエイリアンにみえる。

ダリなんかは演じているのかもしれないが、その風貌やパフォーマンスをみていると半分、いや大部分が狂人!でも、マグリットはネクタイをして絵を制作していたというし、贔屓の束芋だって愛嬌のある顔をしているから、外見だけみてもその作家のシュール度はつかめない。人間の脳みそのなかは本当に神秘的!

最近は訪問しなくなった東近美にも日本の洋画家が描いたシュルレアリスム絵画が常時展示してある。でも、それらのダリやタンギーの画風をそのままコピーしたような絵には昔から全然関心がない。だから、シュルレアリスムの作品というとダリ、ミロ、マグリット、デルヴォー、クレーらに専ら心は向かっている。

ところが、この4年くらいの間に、日本における真のシュルレアリストを発見した。その画家は竹内六郎、会田誠、そして石田徹也。この3人の絵は古賀春江、三岸好太郎、北脇昇、東郷青児、村山知義らと違って、自分の画風でシュールさを表現している。お気に入りの作品をあげると、

★竹内六郎の‘夢の中の道’(1969) : 横須賀美(上の画像)
★会田誠の‘あぜ道’(1991) : 豊田市美(真ん中)
★石田徹也の‘社長の傘の下’(1996) : 静岡県美(下)

週刊新潮の表紙に使われた竹内六郎の絵がこれほどシュールであることを知ったのは3年前にあった回顧展(拙ブログ06/2/14)。大変びっくりした。‘夢の中の道’は実におもしろい。

子供は早く向こうの明かりがついている家に帰りたいのに、歩いている道はベルトコンベヤーだからいつまで経っても着けない。手前では黒いお化けが楽しそうにこれを回している。いかにも夢で見そうな場面だが、竹内六郎はさらりとこれを思いついたという感じ。素直な感情をベースにしているからこういうことを発想するのだろう。まったく感心する。

会田誠の‘あぜ道’にも参った!この作家は少女がお好きのようだが、頭の髪をきれいに分けた真ん中は田んぼのなかの道と重なっている。なにかの拍子にこのダブルイメージを思いついたのだろうが、これはすごくインパクトがある。

‘あーとで候、会田誠&山口晃展’でみた‘滝の絵’(07/5/30)はフレデリックの作品を下敷きにして女の子をこれでもかというくらい描いた感じだが、この絵はシュルレアリスト、マコト・アイダの秀作。

石田徹也は日本が生んだ最強のシュルレアリスト!この絵とか‘燃料補給のような食事’(08/11/4)は世界のどのオークションに出しても高く評価されることは間違いない。展覧会の会場にアイデアノートが展示してあったが、石田の頭の中では表現したいことがモティーフの重ねあわせとなっていろいろ思い浮かんでいたのだろう。

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2008.05.18

その十五 ゴッホ  ダリ  バルテュス

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今回訪問したシカゴ、ワシントンナショナルギャラリー、ボストン、メトロポロタンはどこもゴッホ(1853~1890)の名画を揃えており、メトロポリタンにある静物画、風景画、人物画も魅力一杯。

静物画で惹きつけられるのはゴッホが死の数ヶ月前に描いた“アイリス”。背景の白地のほぼ中央におかれた花瓶には紫が目にしみるアイリスが沢山差し込まれている。ここではあのゴッホ独特の荒々しい筆使いは抑えられ、花の絵らしいやわらかい雰囲気が見る者を和ませる。糸杉が描かれた2点にも足が止まる。燃え上がるような鮮烈なタッチが印象深い厚塗りの縦長の絵とロンドンのナショナルギャラリーにあるのと構成がほとんど同じ“糸杉のある麦畑”。

人物画はお馴染みの“自画像”、“ルーラン夫人”、上の“ジヌー夫人(アルルの女)”が目を楽しませてくれる。ジヌー夫人はアルルの駅前でカフェを営んでいた。一緒に生活していたゴーギャンが夫人にモデルになってくれないかと説得している間に、ゴッホは一気に描き上げたという。背景の黄色に映える夫人の彫刻的な顔と黒い衣装に圧倒される。ローマ近代美術館で別の角度から描いたジヌー夫人をみたことがあるが、顔が丸く描かれていた。好みはメトロポリタンにあるほう。

ゴーギャンもカフェの中にいる夫人を描いているが、ゴーギャンは“ゴッホはこの店が気にっていたが、俺はここの色が好きではない”とベルナールへ宛てた手紙に書いている。ゴーギャンにとってアルルは心を虜にする町ではなかったようだ。

真ん中は対面を心待ちにしていたダリ(1904~1989)の“超立方体:磔刑のキリスト”(部分)。縦1.94m、横1.24mの大きな絵である。必見リストに入れていたダリの絵はこれとワシントンナショナルギャラリーにある“最後の審判”の2点。“最後の審判”は展示してなく、ガックリだったが、これは1階の近代美術とアフリカ美術の間にある通路の壁に飾ってあった。

聖職者に見立てられたガラが見上げているキリストの体は手にも胸にも釘の跡はなく、筋肉のしまったアスリートのように美しく描かれている。目を見張らされるのが十字架のフォルム。よくみると、表面のなめらかな8個の立方体でできている。ルービックキューブの形をした宇宙船がキリストを背中に乗せてこれから宇宙に向けて打ち上げられるようなイメージである。

下はバルテュス(1908~2001)の代表作“山”。これは近代絵画のなかではピカソの“ガートルード・スタインの肖像”(拙ブログ05/2/11)などとともに館自慢の作品。一度みたら忘れられない絵である。02年の“メトロポリタン美展”(京都市美)にも出品されたから、これで3度目の対面。黄色の岩肌にあたる強い陽光をみると、ホッパーの絵を連想させるし、手前に描かれた3人の男女の姿態はデ・キリコやシュルレアリストのデルヴォーが描く形而上的でシュールな絵を見ている感じもする。

バルテュスの絵では、隣に展示してある大人じみたポーズでこちらを挑発するように見ている少女を描いた“目を覚ましたテレーズ”がドキッとする。バルテュスの絵をまとまった形でみた経験はないが、この“テレ-ズ”とかポンピドーにある下着がちらっと見える“アリス”やMoMA蔵の床の上で少女が肘と膝をついてうつぶせになって本を読んでいるところを真横から描いた“居間”をみると、バルテュスは“危険な少女”を描く画家というイメージが強い。

少女たちの鋭い目つきやポーズ、エロティックな描写は不安な感情を掻き立て、心をざわざわさせるが、絵のなかにぐっと引き込まれるから、絵の力はかなりある。どこかの美術館でバルテュスの回顧展をやってくれると有難いのだが。

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2008.04.07

その五 マグリット  クレー  シャガール

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シカゴ美術館で中心となるコレクションは印象派の作品だが、近代絵画や現代アートも質の高いのが揃っている。リストには当然これらが入っている。94年の“シカゴ美術館展”に出品されたものはリストからはずしていたが、当時赤丸をつけたピエロ・デラ・フランチェスカの絵を思い出させるピカビアの作品やフランツ・マルクの“魔法にかかった水車”、シャガールの“祈るユダヤ人”、ドローネーの“赤い塔”などが目の前に現れるとわけもなく嬉しくなる。

でも、一度見た絵の前に長くいるのは時間が惜しいから、さらっと見てお目当ての作品を一心に探す。いくら目に力をいれても現れてくれないのもある。デルヴォーの“人魚の村”やアンリ・ルソーの“滝”、ダリの“最後の晩餐”が見られないのがなんとも惜しい!また、お目当てのマティスの“金魚と女”は色がうすく、期待値の半分だった。思わぬ収穫はフジタの絵やロセッティの“ベアータ・ベアトリックス”があったこと。これには感激した。

思い描いた通りのいい絵でとても魅せられたのが上のマグリット(1898~1967)の“釘づけにされた時間”。時計が置かれている暖炉から機関車が中空を白い煙をあげて疾走している。でも、なぜ暖炉と機関車の取り合わせなの?この意表をつく組み合わせがイメージの魔術師、マグリットの真骨頂。ここには時計が描かれた絵がもう一枚ある。それはマグリットが影響を受けたデ・キリコの“哲学者の征服”。時計は1時27分ときりのよい時刻のすこし前を指しており、マグリットはこれを真似て自分の絵でも時刻は12時42分にしている。

デルヴォー、クレー、エルンスト、タンギー、ダリ、ミロなどの作品が揃うシュルレアリスムの部屋でマグリットの機関車とおなじくらい心に響いたのが真ん中のクレー(1879~1940)の“日没”。6点あったなかではこれが一番輝いていた。赤や青の小さな点をモザイク状に並べる描き方は代表作の“パルナッソス山へ”(ベルン美術館)を連想させ、左上の赤で縁取られた円のなかに描かれた目と鼻(?)が目に焼きつく。昨年あったフィラデルフィア美展でみた“魚の魔術”に次いで今年もまたクレーのいい絵がみれた。情報が一切なかったから喜びも格別。

下はTASCHENのシャガール本に載っている“白い磔刑”。アメリカの美術館には“私と村”(NYのMoMA)や“緑色のバイオリニスト”(グッゲンハイム)などシャガール(1887~1985)の名作がいくつもあるがこれはそのひとつ。十字架のキリストは殉教者としてのユダヤ教徒を象徴し、まわりにはユダヤ教徒に対する破壊と暴力行為が描かれている。

左のほうでは赤旗をかざした革命派の一群が村に突進し、家に火を放ち、右ではナチスの制服を着た男がユダヤ教会の神聖を汚している。白を基調にして描かれているから、混乱のイメージが生々しくはないが、ユダヤ人弾圧に対する悲しみや憤りが深くじわーっと伝わってくる絵である。息を飲んで見た。

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