2008.05.18

その十五 ゴッホ  ダリ  バルテュス

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今回訪問したシカゴ、ワシントンナショナルギャラリー、ボストン、メトロポロタンはどこもゴッホ(1853~1890)の名画を揃えており、メトロポリタンにある静物画、風景画、人物画も魅力一杯。

静物画で惹きつけられるのはゴッホが死の数ヶ月前に描いた“アイリス”。背景の白地のほぼ中央におかれた花瓶には紫が目にしみるアイリスが沢山差し込まれている。ここではあのゴッホ独特の荒々しい筆使いは抑えられ、花の絵らしいやわらかい雰囲気が見る者を和ませる。糸杉が描かれた2点にも足が止まる。燃え上がるような鮮烈なタッチが印象深い厚塗りの縦長の絵とロンドンのナショナルギャラリーにあるのと構成がほとんど同じ“糸杉のある麦畑”。

人物画はお馴染みの“自画像”、“ルーラン夫人”、上の“ジヌー夫人(アルルの女)”が目を楽しませてくれる。ジヌー夫人はアルルの駅前でカフェを営んでいた。一緒に生活していたゴーギャンが夫人にモデルになってくれないかと説得している間に、ゴッホは一気に描き上げたという。背景の黄色に映える夫人の彫刻的な顔と黒い衣装に圧倒される。ローマ近代美術館で別の角度から描いたジヌー夫人をみたことがあるが、顔が丸く描かれていた。好みはメトロポリタンにあるほう。

ゴーギャンもカフェの中にいる夫人を描いているが、ゴーギャンは“ゴッホはこの店が気にっていたが、俺はここの色が好きではない”とベルナールへ宛てた手紙に書いている。ゴーギャンにとってアルルは心を虜にする町ではなかったようだ。

真ん中は対面を心待ちにしていたダリ(1904~1989)の“超立方体:磔刑のキリスト”(部分)。縦1.94m、横1.24mの大きな絵である。必見リストに入れていたダリの絵はこれとワシントンナショナルギャラリーにある“最後の審判”の2点。“最後の審判”は展示してなく、ガックリだったが、これは1階の近代美術とアフリカ美術の間にある通路の壁に飾ってあった。

聖職者に見立てられたガラが見上げているキリストの体は手にも胸にも釘の跡はなく、筋肉のしまったアスリートのように美しく描かれている。目を見張らされるのが十字架のフォルム。よくみると、表面のなめらかな8個の立方体でできている。ルービックキューブの形をした宇宙船がキリストを背中に乗せてこれから宇宙に向けて打ち上げられるようなイメージである。

下はバルテュス(1908~2001)の代表作“山”。これは近代絵画のなかではピカソの“ガートルード・スタインの肖像”(拙ブログ05/2/11)などとともに館自慢の作品。一度みたら忘れられない絵である。02年の“メトロポリタン美展”(京都市美)にも出品されたから、これで3度目の対面。黄色の岩肌にあたる強い陽光をみると、ホッパーの絵を連想させるし、手前に描かれた3人の男女の姿態はデ・キリコやシュルレアリストのデルヴォーが描く形而上的でシュールな絵を見ている感じもする。

バルテュスの絵では、隣に展示してある大人じみたポーズでこちらを挑発するように見ている少女を描いた“目を覚ましたテレーズ”がドキッとする。バルテュスの絵をまとまった形でみた経験はないが、この“テレ-ズ”とかポンピドーにある下着がちらっと見える“アリス”やMoMA蔵の床の上で少女が肘と膝をついてうつぶせになって本を読んでいるところを真横から描いた“居間”をみると、バルテュスは“危険な少女”を描く画家というイメージが強い。

少女たちの鋭い目つきやポーズ、エロティックな描写は不安な感情を掻き立て、心をざわざわさせるが、絵のなかにぐっと引き込まれるから、絵の力はかなりある。どこかの美術館でバルテュスの回顧展をやってくれると有難いのだが。

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2008.04.07

その五 マグリット  クレー  シャガール

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シカゴ美術館で中心となるコレクションは印象派の作品だが、近代絵画や現代アートも質の高いのが揃っている。リストには当然これらが入っている。94年の“シカゴ美術館展”に出品されたものはリストからはずしていたが、当時赤丸をつけたピエロ・デラ・フランチェスカの絵を思い出させるピカビアの作品やフランツ・マルクの“魔法にかかった水車”、シャガールの“祈るユダヤ人”、ドローネーの“赤い塔”などが目の前に現れるとわけもなく嬉しくなる。

でも、一度見た絵の前に長くいるのは時間が惜しいから、さらっと見てお目当ての作品を一心に探す。いくら目に力をいれても現れてくれないのもある。デルヴォーの“人魚の村”やアンリ・ルソーの“滝”、ダリの“最後の晩餐”が見られないのがなんとも惜しい!また、お目当てのマティスの“金魚と女”は色がうすく、期待値の半分だった。思わぬ収穫はフジタの絵やロセッティの“ベアータ・ベアトリックス”があったこと。これには感激した。

思い描いた通りのいい絵でとても魅せられたのが上のマグリット(1898~1967)の“釘づけにされた時間”。時計が置かれている暖炉から機関車が中空を白い煙をあげて疾走している。でも、なぜ暖炉と機関車の取り合わせなの?この意表をつく組み合わせがイメージの魔術師、マグリットの真骨頂。ここには時計が描かれた絵がもう一枚ある。それはマグリットが影響を受けたデ・キリコの“哲学者の征服”。時計は1時27分ときりのよい時刻のすこし前を指しており、マグリットはこれを真似て自分の絵でも時刻は12時42分にしている。

デルヴォー、クレー、エルンスト、タンギー、ダリ、ミロなどの作品が揃うシュルレアリスムの部屋でマグリットの機関車とおなじくらい心に響いたのが真ん中のクレー(1879~1940)の“日没”。6点あったなかではこれが一番輝いていた。赤や青の小さな点をモザイク状に並べる描き方は代表作の“パルナッソス山へ”(ベルン美術館)を連想させ、左上の赤で縁取られた円のなかに描かれた目と鼻(?)が目に焼きつく。昨年あったフィラデルフィア美展でみた“魚の魔術”に次いで今年もまたクレーのいい絵がみれた。情報が一切なかったから喜びも格別。

下はTASCHENのシャガール本に載っている“白い磔刑”。アメリカの美術館には“私と村”(NYのMoMA)や“緑色のバイオリニスト”(グッゲンハイム)などシャガール(1887~1985)の名作がいくつもあるがこれはそのひとつ。十字架のキリストは殉教者としてのユダヤ教徒を象徴し、まわりにはユダヤ教徒に対する破壊と暴力行為が描かれている。

左のほうでは赤旗をかざした革命派の一群が村に突進し、家に火を放ち、右ではナチスの制服を着た男がユダヤ教会の神聖を汚している。白を基調にして描かれているから、混乱のイメージが生々しくはないが、ユダヤ人弾圧に対する悲しみや憤りが深くじわーっと伝わってくる絵である。息を飲んで見た。

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2008.02.15

その二 シャガール  マグリット  レジェ

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ポンピドー・センターはオブジェとか現代アートは4階、キュビスム、フォービスム、シュルレアリスム、抽象絵画、ダダ、アンフォルメルなどは5階に展示されている。4階は知らない作家が多いからさーっと眺めるだけで、鑑賞の中心は5階にある作品。画集に載るような画家の代表作が続々と現れるのは当然のことながらフランス人画家が多い。

その筆頭がマティス。ポンピドーとエルミタージュにある元シチューキンコレクションをみたらマティスはだいたいみたといっても過言でない。今回は“ルーマニアのブラウス”や“王の悲しみ”はなかったが、花柄模様の壁紙に囲まれた裸婦を描いた“文様のある背景の前の装飾的人物”がでていた。

ロシアのヴィテブスク出身のシャガール(1887~1985)も代表作の多くがここにある。日本に何回かやってきたので馴染み深い上の“ロシアとロバとその他のものに”とシャガールがベラの肩の上の乗っている“ワイン・グラスをもった二人の肖像”と再会した。

“ロシアとロバ”は何度みても不思議な絵。ぎっとするのがミルクバケツを持っている女の体から離れて宙に浮かんでいる頭。屋根の上にいる赤い雌牛だって馬鹿デカイし、目つきも鋭い。また、背景の空も暗いから、いろんなイメージが混じり合う夢の世界とはいっても、“ファンタジックで楽しい!”なんて気にはなれず、見てて緊張する。

ロンドンのテート・モダンでみたマグリット(1898~1967)はいまひとつグッとこなかったが、ここにあった2点はとても惹きつけられた。東京都現代美にも展示された“二重の秘密”(真ん中の画像)と“メキシコ、クアウテモシン通りにて”。前回“二重の秘密”をみたとき、その奇想天外な構成に仰天してちょっと引いた。今はマグリットの絵に目が慣れ、だいぶ冷静に見れるようになったが、当時はシュルレアリストという人種はエイリアンのように思えた。

顔のまわりが紙の切れ端みたいに切りとられている左側の男性はまだみれたが、その剥がされた顔の内側の小さな鈴がいくつも埋め込まれた右側はあまり凝視できなかった。小さい頃学校の保健室にあった人体模型を見るような感じがして、ザワザワした気分になった。

今回も血管のイメージは消えないままなのだが、“マグリットはこれで何をメッセージしたいのかな?”という絵解きのほうに関心が向いている。“人間はいつも何か考えているように見えるが、実のところ脈絡のない意識が交錯しているだけで、内側は空っぽなのでは”と言ってるのだろうか?

レジェ(1881~1955)の下の“読書”や大作“三体の人物像による構成”に登場する人物像も一度みたら忘れることはない。人物像が記号的に刷り込まれているのはモディリアーニのあの“うりざね顔”とこのレジェの黒の輪郭線で彫刻的に描かれた人物。量感があり、いつも正面を向いている。

機械のような人物像なのだが、どういうわけは親しみがもてる。これは丸い形がやわらかい印象を与えているからだろう。黄、赤、青が基調に使われ画面全体が明るく、気持ちがハイになるレジェの代表作“余暇”とまた対面したかったが、今回は展示されてなかった。でも、同じ画風の2点を見たので大満足。

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2008.02.13

モンマルトルのダリ美術館

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今日からパリにある美術館の感想記。また、しばらくおつきあい下さい。最初はダリ美術館。ここは訪問予定に入ってなかったが、想定外の出来事があったため、急遽でかけることになったオマケの美術館。ロンドンからパリに入った日、思ってもみなかった公務員のストに遭遇した。ルーヴル美術館やヴェルサイユ宮殿などは終日閉館だから、日程をいくつか変更しなくてはならない。

で、午後の市内観光は自由行動になった。“さて、どこへ行くか?”、あれこれ思案。グランパレで開催中の“クールベ展”をチェックしたら、3時間待ちの大行列だという。これだと集合時間に間に合わない。ガイドブックとにらめっこをして、モンマルトルにあるダリ美術館へ行くことにした。

地下鉄12号線ABBESSES駅から徒歩5分になっているが、5分ではとても無理。坂道が多いからちょっと疲れる。途中、3人に美術館の場所を尋ね、日本の女性の方が持っていた詳しい地図のお陰でなんとかたどり着くことができた(上の画像)。入り口の外観は美術館のイメージではなく、画廊に毛がはえたようなもの。

展示室は地下にあり、展示されているのはダリ(1904~1989)のイラストと彫刻作品300点あまり。油彩画は一枚もないのが期待はずれだが、三次元のシュルレアリスムである彫刻は楽しめた。はじめてお目にかかる彫刻は3割。残りは過去日本であったダリ展や諸橋近代美術館(拙ブログ05/6/26)でみたから、満足の度合いは中くらいである。

ダリ好きな者にとってはここの作品によってダリワールドのヴァリエーションが広がったからOKなのだが、“これで入館料10ユーロは高いのでは?”と言う隣の方のほうが正直な感想かもしれない。こういうときはsomething newが一点でもあればそれだけで嬉しいファン気質とそれほどのめり込んでない者との気持ちの差がはっきりでる。

真ん中はダリ彫刻の代表作“回顧的女性胸像”。これとは4度目の対面。原型が制作されたのは1933年で、1977年にブロンズ像として復元され12点つくられた。原型のときは女の頭に乗っている細長いパンとかトウモロコシの首飾りは本物が使われたようで、展覧会場に訪れたピカソの犬がパンに飛びかかって食べてしまったという逸話が残っている。その現場に居合わせたかった!

日本の人形にように白い女の顔には額から頬にかけて油絵の具でアリが描かれている。数えたことはないが90匹いるそうだ。アリは死の象徴。パンの上のインク壷にみられるのはあのミレーの“晩鐘”に描かれた農民夫婦。ダリにとって彫刻やオブジェは“トランスフォーメーション”(変形、変容)をシュルレアリスムの観点から表現したものだから、この作品は食べ物としてのパンにインクが染みこんでいき別のものへ変容することをイメージさせているのかもしれない。

これに較べるとずっとわかりやすいのが下の“聖ゲオルギウスと龍”。ナショナル・ギャラリーでウッチェロの同名の絵をみたばかりだから、作品にすっと入っていける。中世ヨーロッパでは、聖ゲオルギウスは騎士の守護聖人で、龍をやっつけるところを描いた絵はよくお目にかかる。でも、彫刻作品を見る機会は少ないから、これはシュルレアリストをとったただの彫刻家ダリの作品としても充分楽しめる。見ごたえのあるいい彫刻なので、シュルレアリスム的な意味を考えるのは止めにした。

久しぶりの白亜のサクレ・クール寺院もみたかったが、集合時間が迫っていたので、あまりぶらぶらせず坂道を下っていった。

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2008.02.12

その二 ミロ  エルンスト  グロス

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テート・ギャラリーからテート・モダンに移管された作品のなかで核となるのがダリらシュルレアリストの作品。だから、必見リストには前回訪問時購入したシュルレアリスム小冊子に載っている絵がいくつも入っている。で、ひたすらダリの傑作“ナルシスの変貌”や見逃したデルヴォーの“眠れるヴィーナス”や“レダと白鳥”を探した。

ところが、ダリもデルヴォーも一点もない。どうしてー?!美術館の人に聞くとダリの作品はアメリカに貸し出されているという。隣の方に“ナルシスの変貌”やハッとするオブジェ“ロブスター電話”をみせたかったのだが、残念!二重丸の“レダと白鳥”と対面したかったのに。デルヴォーはこれで二連敗。

そのかわり、マグリット、ミロ、エルンストは予定していた作品をほぼみることができた。上はミロ(1893~1983)がマッソンに誘われてオートマティスム(自動記述)で描いた“ペインティング”。これは横に飾ってある丸いフォルムを基調にしたユーモラスな鳥や女、月が登場する“月光のなかの女と鳥”とか昨年、埼玉県近美でみた“夜の中の女たち”(拙ブログ07/2/23)と違って、抽象度の高い絵。

アートマティスムというのは何も考えず、頭を空にした状態で筆の動くままに描き、フロイトの主張する意識下の世界を形にする実験だから、フォルムは具象とはおよそかけ離れ、抽象的なものになる。でも、印象に強く残る色の組み合わせと簡潔なフォルムはその後のミロの静寂と夢の世界を少し匂わせる。

真ん中はエルンスト(1891~1976)の代表作のひとつ“セレベスの象”。この絵と出会ってからはエルンストというとすぐこの絵を思い浮かべるようになった。画家がフロッタージュの技法で制作した作品は山に生えている苔のお化けとか川のヘドロが連想され、生理的にしっくりこないのだが、この象には腹の底から魅せられている。

怪物のようだがどこか愛嬌のあるこの象は人類学の雑誌で偶然見たスーダン人のとうもろこし貯蔵容器の写真から霊感を得たらしい。右下には首のない裸婦がいたり、象の隣には細長い兵士らしき人物が横向きに立っている。ダリともマグリットとも異なるエルンスト独自のシュールな画風をしっかり楽しんだ。

初見の絵でギョッとしたのは下のグロス(1893~1959)の絵。見ればすぐわかるが自殺の場面が描かれている。題名は絵のままの“自殺”。真ん中で倒れている男はいましがた拳銃で頭をぶち抜いたのであろう。左では男が首をつっている。画面全体を塗りつくした赤は男の頭から流れ出る血と爆弾の投下で街が燃え上がる炎のイメージ。

反軍国主義をとなえ、社会を辛らつに風刺した“社会の柱石”(06/2/2)も鮮烈なイメージをもった絵だが、第一次世界大戦さ中、不安や閉塞感に精神を圧迫された人間の悲しい結末を赤と黒で描いたこの絵も胸をかきむしる。

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2007.10.27

シュルレアリスムと美術展のマグリット、デルヴォー

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長らく追っかけていたマグリットの絵を見るため横浜美術館へ出かけた。ここで今、“シュルレアリスムと美術展”(9/29~12/9)が行われている。作品数125点のなかで一番のお目当ては上のマグリットの“大家族”。

シュルレアリスム作品をみるのは好きだから、関連する展覧会は見逃さず、まめに足を運んでいる。1月は“20世紀美術探検展”(国立新美)、2月“シュルレアリスム展”(埼玉県近美、拙ブログ2/23)、4月“澁澤龍彦ー幻想美術館ー”(埼玉県近美)。

2月の展覧会は埼玉県近美、岡崎市美、宮崎県美、姫路市立美の共同開催だったが、こちらのシュルレアリスム展は横浜美、豊田市美、宇都宮美がコラボしたもので、3館の所蔵品を中心に構成されている。年内に行われるシュルレアリスムの展覧会は横浜美で終わりだと思うが、国内にあるシュルレアリスムのいい絵は一連の展覧会にほとんど出品されたのではなかろうか。

このなかで質の高い作品が結構あるのがマグリット、デルヴォー、ダリ。02年
Bunkamuraであった“マグリット展”のときも誇らしく思ったが、国内の美術館には本当にマグリットのいい絵がある。今回、横浜美の大作“王様の美術館”・“青春の泉”、そして宇都宮美蔵の“大家族”が飾ってある部屋は圧巻。まるで、ベルギー王立美のマグリットの部屋(05/4/25)にいるよう。さらに、豊田市美がもっている“無謀な企て”にも会える。出品されてないのでは、“レディ・メイドの花束”(大阪市近美準備室)、“白紙委任状”と“現実の感覚”(ともに宮崎県美)が一級品。

シュルレアリスト、マグリットを知ったのは美術本に載っていた“大家族”。だから、マグリットというとすぐこの絵を思い浮かべる。鳥の翼に描かれた白い雲を浮かべた明るい青い空はマグリットの作品には頻繁にでてくる。“現実の感覚”のように大きな石の背景になったり、鏡に映ったり、額縁の中に入ったりする。

“大家族”では、“光の帝国”で暗い夜の風景と昼間の空をくっつけたのと同様に、明るい空を切り取ってフォルムされた大きな翼の後ろは嵐でもきそうな暗い空、そして下には波の荒い海が描かれる。どちらも単独でみれば、ダリの描いた夢の世界とはちがい、誰もが見慣れた日常の情景。だが、二つが一緒になるとこれは現実にはありようのない取り合わせ。マグリットは不思議な組み合わせをみせて、観る者を新しいイメージの世界に引き込んでいく。一度これに美を感ずればもうイメージの魔術師、マグリットから離れられなくなる。

下は日本にあるデルヴォーの3大傑作の一枚、“階段”(横浜美)。左から差し込む明るい日差しと上半身裸の女性がこれから降りようとする階段にできた影のコントラストが印象的。天井のガラス窓と黒い壁への映りこみはエッシャーの描き方を彷彿とさせる。これまで国内の美術館で見たデルヴォー作品でぐっときたのは、この絵と“こだま”(愛知県美蔵、横浜美には展示されず)、“夜の通り(散歩する女たちと学者)”(福岡市美)。

ダリはなんといっても横浜美自慢の“幻想的風景 暁”(04/12/17)が見ごたえがある。図録をみて残念に思ったのがここには展示されないミロの大作“ゴシック聖堂でオルガン演奏を聞いている踊り子”(福岡市美)。これは国内にあるミロのベストワン。ミロ好きとしては再会したかったのだが、、これでシュルレアリスムの絵は当分パスできる。

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2007.06.16

森美術館のル・コルビュジエ展

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日本の古い寺や五重の塔、近代の歴史的な建物、さらに最先端のビルディングなど建築物をみるのは好きだけれど、最近よくある建築家の展覧会には関心がない。理由ははっきりしていて、建築家や建築関係の仕事に携わっている人とか、建築物でなくても物を設計している技術者には興味を惹くかもしれない縮小模型、図面、写真、映像をみても面白くないから。

だから、普通なら、現在、森美術館で開催されている“ル・コルビュジエ展”(9/24まで)もパスするところなのだが、チラシのなかで強い磁力を放っていたキュビスム風というかシュルレアリスムのような絵と彫刻に惹かれて、入館した。美術史の本に必ずでてくる近代建築の巨人、ル・コルビュジエ(1887~1965)は頭のなかに入っているが、コルビュジエが絵を描いたり、彫刻をつくっていたことは作品の前に立つまで全く知らなかった。

生涯に450点あまりを制作したという油彩画は今回30点くらいでている。初期の作品はピカソやブラックのキュビスムに似ている。複雑な構成になっているキュビスムとの違いは、こちらは上から見下ろすのと側面からまっすぐに見る二つの視線から捉えられた対象が、幾何学的なフォルムで画面の中に整然と構成されているところ。この“ピュリスム(純粋主義)”を最も感じさせてくれるのが“赤いバイオリンのある静物”(1920)。

最初はこうした淡い色合いで平面的な絵だったが、1928年以降はピュリスムから離れ、不透明で強い色に変わり、フォルムもレジェのように輪郭を細い線と太い線のまじった曲線でとるようになる。また、シュルレアリスムの香りも漂う。インパクトのある丸い線で描かれた女性の裸体や画面の上と下に走る男と豹が登場する“ダンサーと小さな豹”(1932)はミロの絵を彷彿とさせる面白い絵。

絵画で最も魅せられたのがこの絵の2,3年後に制作された二つの絵、上の“水浴婦と舟”と“二人の女とロープと犬”。ともに大きな絵である。“水浴婦と舟”では、左の茶色で量感たっぷり描かれているのが女性。この人体表現ではイメージしずらいが、豊満な女ぽくみえる。モデルはコルビュジエの愛妻イヴォンヌ。

会場の最後のところで目を奪われたのが、赤と黒を基調にした明快な色使いが印象深い大きなタピストリー3点。いずれも森美術館の所蔵。室内空間を生き生きとさせるタピストリーをコルビュジエは“移動する壁画”とみなし、27点制作した。最も大きいものは弟子の坂倉準三による“東急文化会館”内の映画館“パンテオン”のためにつくられた緞帳だそうだが、会館の取り壊しで、現在は倉庫に保管されているらしい。一度みてみたいものである。

コルビュジエのつくる彫刻は“トーテム”、“イコン”、“手”といった絵画に描かれたモティーフが画面からそのままでてきたような感じ。下は1963年に制作された“イコン”。絵画の延長ということで正面性があり、彩色がなされている。ここにある“トーテム”や“手”をみてるとハンス・アルプの彫刻の造形がちらっと目の前をよぎった。

本題の建築物については、有名な“ロンシャンの礼拝堂”、“ラ・トゥーレットの修道院”や06年に完成した“サン・ピエール教会”の前にいつか立てることを夢見ている。

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2007.02.23

シュルレアリスム展のマグリットとミロ

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待望のシュルレアリスム展(埼玉県立近代美術館、2/21~3/25)を楽しんだ。この企画展をみて、日本ではシュルレアリスムのいい絵は東京より地方の美術館に多くあることがわかった。

アメリカやフランスを例にとっても、シュルレアリスムやダダ、現代アートの傑作はNY、パリといった首都に集結しているのに、東京にある西洋美や東近美、東京都現代美には質の高いダリ、マグリット、デルヴォー、ミロの作品がほんの少ししかない。首都圏で近・現代絵画の名品をぱっと思い出すのは東京の美術館ではなく、横浜美術館のダリや川村記念美術館のステラ、ロスコー。

この企画展にはシュルレアリストが制作した良質の作品を所蔵する岡崎市美術博物館(埼玉県近美の後、4/7~5/27に開催)、宮崎県立美術館(7/21~9/2)、姫路市立美術館(9/15~10/28)などから集まった134点が展示されている。なお、巡回展は山梨県立美術館でも6/2~7/8に行われる。章だけはシュルレアリスムを身近な作品として楽しんでもらおうと工夫されているから、鑑賞はスムーズに流れていく。

“1章:意識を超えて”、“2章:心の闇”、“3章:夢の遠近法”、“4章:無垢なるイメージを求めて” いつものように、学芸員の方には申し訳ないが作品分類は横に置き、惹きつけられる作品だけを追い求めた。その中に、びっくりするほど仕上がりが綺麗で、そして日本にこんないい絵があることが誇らしくなるような特○の絵があった。上のマグリットの大作“現実の感覚”。この絵は時の人、東国原氏が知事をつとめる宮崎県立美術館が所蔵している。

真ん中の空に浮く超デカイ石のかたまりに目が点になる。石の下の光があたる山や川がとても美しく描かれ、目のさめるような明るい空に柔らかい大きな雲が切れ目なく続いている。マグリットは石や鳩、リンゴ(拙ブログ06/3/24)のように大きな対象を登場させるのが得意。不思議な魅力をもった絵である。真ん中も宮崎県美がもっている“白紙委任状”。以前、円山応挙の“龍門鯉魚図”(05/5/14)のシュールさを対照させた絵である。女性が乗っている馬の体はひとつは木々のむこうの草木で縦からカットされ、もうひとつは一本の木で隠されている。女性に注目すると、左右の木に挟まれるように前進している感じ。

マグリットは夢や非現実を描いたダリやエルンスト、タンギーらとは異なり、現実世界の中で感じられる謎や不条理を表現しようとした。われわれは現実にはありえないような組み合わせにハットするが、よくみると森の中を進む馬と女性が絵のように見える気もするから不思議である。マグリットの絵は思い込みや常識を取っ払い、別のイメージを目の前に見せてくれるから、みてて楽しい。まさにイメージの魔術師。

国立新美術館で開催中の“異邦人たちのパリ展”に出品されているミロの絵に較べると下の“夜の中の女たち”(セゾン現代美術館)とか“雑貨商”(おかざき世界子ども美術博物館)のほうがグッとくる。子供が描いたような女性、星、鳥をイメージさせるフォルムは優しくて愛嬌がある。今回出ているミロの作品8点はどれもいい。

諸橋近代美術館から出品されたダリの“ダンス“と“反ピロトン的聖母被昇天”は現地でみたとき感激した作品。また二つあるオブジェも楽しい。姫路市立美術館はデルヴォーのいい絵を所蔵していることは何年か前シルフさんに教えてもらったが、やっとお目にかかった。6点のなかでは“海は近い”に魅了された。そして、“森”(埼玉県近美)もなかなかいい。ダリとならぶ大物、エルンストは版画、彫刻を含めて13点あったが、大きな絵“ポーランドの騎士”(愛知県美術館)と遭遇できたのは嬉しい誤算。

今回の一番の衝撃はなんといっても宮崎県美が一級のマグリットの絵を所蔵していたこと。参りました!

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2006.10.02

ダリ回顧展 その三 スーパー・リアリズム

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シュルレアリスト、ダリというと、すぐ常人にはとても思いつかない幻覚的なイメージの不思議な絵を想い浮かべるが、それと同時に、映像化された人目を惹く奇抜な服を着て行う狂気じみた奇行や刺激的な発言が頭をよぎる。

自己顕示欲が強く、ナルシストで拝金主義者などとレッテルを貼られたこの大芸術家の実像はどうだったのか?狂気度は実際どのくらいあったのか?興味は尽きない。父親や異性へのコンプレックス、少年のころのヒステリー発作や死んだこうもりにはりついた蟻をみて、死の恐怖を感じたことなどは事実であり、ダリの精神が小さいころから歪んでいたことは確かなようだ。

だが一方で、そうしたステレオ的なイメージはダリが意図的に演技してつくったもので、妻のガラや親しい人と一緒に居るときに見せる素顔のダリは超テクニックと豊かな想像力をもった普通の画家だったとも言われている。フロイトやラカンの著作を読んだり、戦後の原子物理学やサイバネティクスといった最新科学理論、数学者ルネ・トムのカタストロフィー理論などに関心を示すほどの知力をもっていたのだから、実際のダリは相当頭がよかったのではなかろうか。

今回の展覧会にはダリのそんな一面が窺がえる作品がでている。それは驚くべきテクニックを使って対象を緻密に描いたスーパー・リアリズムの3点。見慣れた記号的なダリの絵とは異なるが、その完成度の高さに心を揺さぶられた。上が“パン籠”(1926)、真ん中が“愛情を表す2切れのパン”(1940)、下が“リチャード3世の扮装をしたローレンス・オリビエ”(1955)。

“パン籠”はプラド美展(3月、東京都美)にあったスルバラン、メレンデスらが描いたスペイン絵画の静物画・ボデゴンの流れをくむ作品。メレンゲスの水差しや果物のリアルな質感に驚いたが、ダリのパンも見事。硬い皮の部分や中のやわらかいところにある小さな穴などまさにパンそのもの。そして、パンを入れる籠の網目も超写実的。パリにいたダリはルーブル美術館やベルギー王立美術館に通い、フェルメールやブリューゲルら北方画家の作品への好みを深め、これに影響されて自分流の精緻な描法でこの絵を制作したらしい。

蟻、ロブスター、卵などとともにダリの作品に繰り返し現れるパンはキリストの象徴でもある。“愛情を表す2切れのパン”では、広々とした砂漠の真ん中にまわりがすこし欠けた2切れの大きなパンがおかれている。パンのすぐ上にはチェスの駒があり、その先をみると、人物が二人、線描きされている。

“リチャード3世”に大変魅せられた。NYのフリック・コレクションとかロンドンナショナルギャラリーにあるホルバインの肖像画のような堂々たる人物表現と衣装生地の精緻な描写に観入ってしまう。この絵は二つの顔の唇を地平線に重ね合わせるといったダリ独特の手法を使ったり、画面下に剣をぶら下げたりして、幻想的な風景と写実的な人物像を組み合わせたシュールな肖像画なのに、不思議な魅力がある。やはり、ローレンス・オリビエが超一流の腕でリアルに仕上げられているからだろう。

今回のダリ回顧展には200%満足した。会期はまだたっぷり残っているので、また出かけようと思う。

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2006.10.01

ダリ回顧展 その二 ダブル・イメージ

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ダリお得意のダブル・イメージはわかると面白いが、その仕掛けが解けないとイライラし、自分の頭が硬いのかなとちょっと落ち込む。

会社の研修などで、アナモルフォーズ(歪んだ画像)の絵をみせられ、頭が混乱したとき、講師が“これは白の部分を中心に見るとワイングラスの形に見え、黒のところに注目すると人が向き合っているように見えます”と説明してくれると、“あーそうか!わかった、わかった”と納得した人は多いはず。

ダリが作品のなかで使うダブル・イメージはこうしたアナモルフォーズを造形的に複雑にし、イメージを多様に読み解かせようとする仕掛け。ダリは精神の異常をきたした“偏執狂(パラノイア)”を装っているが、実際は夢や無意識の世界から心に浮かぶ幻覚的で奇怪なイメージをこうした手法できわめて意識的に表現しているのである。今回、ダブル・イメージが使われてる作品はいくつかあるが、気に入ったのを3点ピックアップした。

上から気がつくのが楽な順に並んでいる。上が“柔らかな三美神のいる神秘的な砂浜”(1838)、真ん中が“三世代 老年、青年、幼年”(1940)、下が“ヴォルテールの見えない胸像”(1941)。

“柔らかな三美神”は見てすぐわかる。左の女は顔の輪郭がなく、地面におかれた黒や茶色の岩の塊で目や鼻をイメージさせている。真ん中はあまり画面に近づくと、顔のまつげや鼻、口をつくっている馬に乗った人や寝そべっている人、そして髪の毛のあらわす草木が目に焼きつき、女性の胸から上が消えてしまう。だから、この絵は画面に接近して細部に何が描きこまれていることがわかったらすぐ、ちょっと離れて見たほうがいい。そうすると、美しい女神がくっきりとイメージ出来る。右の女性は顔以外に何を読ませようとしてるのか逆にわからない。

この絵のダブル・イメージのつくり方は横浜美術館にある“幻想的風景”と同じで、形の輪郭を別の小さい塊や線形でつくっていくタイプ。“幻想的風景”では、空を飛ぶ鳥の羽根がまつげや目を表し、白い雲が腕や胸を造形している。これに対して、“老年、青年、幼年”と“ヴォルテールの見えない胸像”は諸橋美術館にある“ビキニの3つのスフィンクス”と同じようなイメージの読ませ方。アナモルフォーズを読み解くのと同じ要領で見ればいい。でも、これが慣れないとなかなか難しい。パッとみてわからないといつまでたってもわからない。

“三世代”では、右の“幼年”は一回目は残念ながら、わからなかった。2回目に謎がとけたとき、なぜ、すんなり見えなかったのかが理解できた。この子供の頭の上が切れているのと魚網を繕う2人の女を見すぎたためである。で、どうしても子供の顔が輪郭できなかった。中央の青年と左の老人は壁にできた穴や風景、人物が目の邪魔をすることはなく、すぐわかる。

下の“ヴォルテール”も苦労した。結局、図録にある部分図版をみて、やっとヴォルテールをつかまえた。白いターバン?をまいた向こうむきの2人の男に注目し、隣にいる黒の衣服をまとった女たちにそのまま目を移動させたのがいけなかった。最後まで、どこにヴォルテールがいるの?とすっきりしなかった。

ダリが仕組んだ視覚のトリックは結構楽しんだが、ダリが絵の中で表現した内なる精神への理解は深まらない。今のところ、心の病みはそれほど進んでなく、不思議な夢をみる経験もあまり無いので、ダリとの付き合いはこのくらいがちょうどいいかもしれない。

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2006.09.30

ダリ回顧展 その一 やわらかい時計・蟻

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今年開催される洋画の展覧会では最も期待していたダリ回顧展(上野の森美術館、07/1/4まで)をみてきた。開館直後の平日だからゆっくりみれるだろうと思って入館すると、もう作品の前にかなりの列ができている。流石、ダリ。凄い人気である。

超シュールな絵だが、細密画みたいに対象をどうしてこんなに小さく描けるのかというくらい精緻に描写しているので、みんな目をこらし、時間をかけてみている。伊藤若冲の“動植綵絵”と同様、これくらいじっくりみないと、ミクロの隅々まで超想像力の広がったダリの絵は楽しめない。だから、列の動きが遅くなるのは致し方ない。この出足だと、週末は大変な混雑になりそう。

ダリの生誕100年を記念するこの大回顧展に展示される作品は油彩60点、素描30点。普通の海外旅行ではとても行けそうにないスペイン・フィゲラスにある“ダリ劇場美術館”(拙ブログ04/11/28)とアメリカ・フロリダ州セントピーターズバーグの“サルバドール・ダリ美術館”が所蔵するものだから、10点くらいを除いて大半が日本初公開。手元にあるTaschen社のダリの画集でチェックすると、掲載された57点のうち8点は今回の出品作だった。ダリの絵としては、名の知れた作品がかなり含まれていることは間違いない。これは目に力が入る。

作品はダリの初期のころから最晩年にいたるまで、年代別に並べられているので、画風の変化や画題のヴァリエーションがよく頭に入る。過去、海外や国内にあるダリの絵を鑑賞した体験にもとづき(04/12/1705/6/2706/2/27)、今回でている作品を作風の違いにより、いくつかに分け、その魅力をまとめてみた。

まずは、ダリの代名詞となった“やわらかい時計・蟻”から。1931年、ダリが27歳のときに描いた歴史的な傑作、下の“記憶の固執”(NY,MoMA)のヴァリエーションのようなのが2点ある。上の“夜のメクラグモ・・・希望”(1940)と真ん中の“記憶の固執の崩壊”(1952ー54)。2つの作品を念入りにみていると、こちらもいろいろと想像力を掻き立てられる。これがダリの絵をみるときの楽しみのひとつ。

“夜のメクラグモ”では溶けた時計は出てこないが、その代わりに、ぐにゃっと曲がったチェロが描かれている。そのチェロを演奏している裸婦のアクロバットのように反り返った顔は“記憶の固執”に横たわる人の顔と同じ。黄色の顔のうえには足をひろげたメクラグモと死の象徴である蟻がいる。上の女性の腹に置かれた二つのインク壷はエロティックを表す。

左のほうに描かれているのは複雑。大砲から飛び出てくる馬はわかるが、その下のウィンナーのような、スプーンのようなフォルムをしたものは何だろうか?硬いカマンベルチーズが部屋のぬくもりで溶けていく感覚からイメージされた曲がる時計のように、柔らかいチェロや顔が斜め平行に配置される画面構成が面白い。これはちょっと盛り沢山のきらいはあるが、特○作品のひとつ。

“記憶の固執の崩壊”は意外にも小さな絵。明るい色調で描かれ、“記憶の固執”とはだいぶ雰囲気が異なる。上半分は背景の海岸風景など同じような構成だが、蟻は登場せず、人間の顔はシュールさが緩み、きれいな魚のようにすっきりしている。下の長方形の塊が連続する幾何学的な模様は“原子力の核”を意味し、この絵は核の時代により、世界が変ったことを表している。絵全体から受ける印象は“夜のメクラグモ”のような、幻想的でぬめっとした不思議な世界ではなく、発想の自由度がせばめられ、逆に硬さが感じられる。好みからすると、“夜のメクラグモ”のほうが断然いい。

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2006.09.29

ベルギー王立美術館展

484長らくご無沙汰していた国立西洋美術館へ出かけ、“ベルギー王立美術館展”(12/10まで)をみた。

昨年4月のオランダ・ベルギー旅行で、この美術館も訪れ、ブリューゲル、ルーベンスをはじめデルヴォー、マグリット、現代アーティストなどの質の高い絵画を楽しんだ。

それから、あまり時間がたってないので、展示室のレイアウトや美術館の誇る名画をどんな風にみたかをよく覚えている。で、当然ながら、まだ、ここを訪れていない人とはこの展覧会に対する期待値は異なる。海外のブランド美術館が所蔵する作品を展示するときは、いつも過大な期待はもたないようにしている。目玉の名画が2,3点あればもうOK。

だから、今回、ブリューゲルの名作、“イカロスの墜落”(拙ブログ05/4/27)がまた観られるのは有難いなというくらいの気持ちだった。トータルの満足度としては、これにどれくらいのプラスαがあるかだ。結果はどうであったか。名画2,3点は確かにクリアしているから、一応は○である。が、二重丸はつけにくい。理由はいくつかある。

古典絵画部門では、ルーベンスの名画を1点でもみたかったのだが、これは叶えられなかった。“東方三博士の礼拝”、“聖リヴィナスの殉教”やクラナッハの“アダムとイヴ”はやはり無理だった。ヨルダーンスの“酒を飲む王様”で我慢してくれということだろうか。この絵は現地で見たときも印象深かった。4点くらいみたなかでは一番惹きつけられた絵。酒を飲んだり食べたりして王様遊びを楽しんでる様子をみるとこちらも心が軽くなる。ヴァン・ダイクの“イエスの伴侶、ジャン・シャルル・デラ・ファイユの肖像画”もいい絵。

近代絵画は期待値を下回った。この美術館の自慢はシュルレアリスト、デルヴォー(4/26)、マグリット(4/25)と象徴派のクノップフ(4/23)やデルヴィル、アンソールのコレクション。実はこれらのビッグネーム画家の名画をプラスアルファとして一番期待していたのだが。。デルヴォーは“夜汽車”があり、右の目の大きい人形のような半身裸婦像が手前に大きく描かれた“ノクターン”があるので大満足。

マグリットの“光の帝国”はもちろん代表作のひとつ。でも、この絵も“血の声”も02年、Bunkamuraであった“マグリット展”にやってきた。まだ、4年しかたってないのにまた、同じ作品をでんと展示するのはちょっと配慮に欠けるのではなかろうか。もっともこの回顧展には王立のマグリットコレクションをごそっともってきたので、ほかの作品だとレベルが下がるというジレンマがあり、じゃー、“光の帝国”にしとこうかーとなったのかもしれない。もし、こうした思考回路でマグリットの作品を選んだのなら、今後はそんなやり方はしないほうがいい。

日本人は世界で一番といっていいくらい絵画が好きな国民なのである。いくら、マグリットの代表作といっても、同じ作品を何度も見るより、まだ日本にきてない、具体的には、図録(日本語版あり)に載っているクノップフの“マルガリーテ・クノップフの肖像”、“メモリー・芝生のテニス”、“愛撫”(これは無理だろうが)、デルヴィルの“悪魔の宝物”、“スチュアート・メルル婦人の肖像画”などがみられるほうが楽しいにきまっている。

絵画の好きな人はTV東京の“美の巨人たち”、NHKの“迷宮美術館”や美術雑誌などから情報を得て、気に入った名画を求めてどんどん海外の美術館に出かけている。日本初公開というフレーズにはあまり驚かない。注目しているのは展示内容。日本にはじめて紹介されたベルギー王立美術館所蔵品のなかにブリューゲルの“イカロスの墜落”が入っていたのは拍手々である。近代絵画のなかにぐっとくる名画がもう少し欲しかった。残念!

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2006.07.04

パウル・クレー展

181今年2回目の“パウル・クレー展”を川村記念美術館でみた(8/20まで)。

これは2月、大丸東京店であった企画展(拙ブログ06/2/11)の巡回ではなく、ドイツのクレーコレクションでは定評のある3つの美術館蔵と国内の美術館の作品によるもの。約150点の絵画、素描、版画がでている。

国内からは東近美の純粋な色彩のコンポジションが美しい“花ひらく木をめぐる抽象”や大原美術館の“A”などがあるので、ひょっとすると日本にあるクレーのいい絵が全部集まっているかもしれない。これはまたとない機会である。ドイツの美術館からやってきたのにもいい絵がある。

数が多いからクレーのいろいろな絵を楽しめる。作品をタイプ別にみて気に入ったのは。
Ⅰ色彩美:“駱駝”、“バラの庭”、“測量された区画”、“花ひらく木をめぐる抽象”
Ⅱモザイク画:“直角の半円”、“プルンのモザイク”
Ⅲ文字や記号がある絵:“上昇”、“回転”
Ⅳ引掻き線描:“イルマ・ロッサ 女調教師”、“旗のたったパヴィリオン”、“花の神殿
 にて”
Ⅴシュルレアリスム:右の“頭も手も足もハートもある”、“黒い殿様”、“真珠をつけた
 旦那さん”
Ⅵ太い線:“婦人とモード”、“赤いチョッキ”、“石板の花”、“砕けた鍵”

好みのタイプはカラリスト、クレーの天分が発揮された色彩が鮮やかな油彩画。“花ひらく木をめぐる抽象”のような幾何学模様にも惹きつけられるが、駱駝の三角のこぶと耳が緑や赤のタンポポの頭のようなフォルムのなかに混じり、ダブルイメージで構成されている“駱駝”が印象深い。また、小さなモザイク画、“直角の半円”も観てて心がスッキリする絵。

クレーの頭は柔らかいなと感じさせるのがシュールな絵。今回一番ドキッとしたのは右の“頭も手も足もハートもある”。画面の真ん中に赤いハートのマーク。胴体を無くして、頭と手足をばらばらにし、四隅に配している。なんか変だがタイトル通りのイメージが面白い。もう一点、思わず笑ってしまうのが“真珠をつけた旦那さん”。これをみて瞬間的に連想したのが宴会芸の腹踊り。目とか鼻、口を描いた腹をくにゃくにゃ動かして、笑わせるあの腹芸である。興味のある方は是非ご自身の目で。

難病にかかり、辛い時期に制作した“太い線”タイプの作品が最後のコーナーに沢山飾ってある。中でも、黒の太い線でシンプルに顔の輪郭をつくったり、歩く姿を表現した“赤いチョッキ”はイメージが色々ふくらむ楽しい絵。クレーの多面的な画才と深い精神性が作品を通して十分伝わってくる質の高い回顧展であった。

この美術館のあと、北海道県近美(8/29~10/9)、宮城県美(10/17~12/10)でも開催される。

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2006.02.27

ダリの聖アントニウスの誘惑

315先週末はTVでいい美術番組が続いた。新日曜美術館で取り上げられたのがダリ。この時期なぜ、ダリなのかわからないが、冒頭、司会者がダリの生誕100年を記念した展覧会が東京、西日本で開催されることを案内していた。

上野の森美術館である回顧展(9/23~07/1/4)は知っているが、このほかは全く情報がない。ダリの絵が好きなので、9月のダリ展は今年開かれる洋画展では、フンデルトヴァッサー(4月、
京近美)とともに一番楽しみにしている展覧会である。

ダリは1904年生まれなので、スペインでは04年に生誕100年の記念展がフィ
ゲラス、バルセロナ、マドリッドで開催され、スペイン以外ではフィラデルフィア、
ヴェネツィア、ロッテルダムにも巡回した。だぶん、この展覧会のためと思うが、
昨年4月、ベルギーを旅行したとき、王立美術館の一番の目玉だった右の“聖アン
トニウスの誘惑”がフィラデルフィア美術館に貸し出し中で見れなかった。全身の
力が抜けてしまった。残念でならない。

ダリの絵は代表作の“記憶の固執”(MoMA)や“ナルシスの変貌”(テートブリテン)
などはみているが、まだ沢山残っている。画集に載ってる作品はピカソやミロと
いったビッグネームの画家と較べて、個人蔵が多いので、これらを鑑賞する機会
は限られてると思わざるを得ない。で、美術館に展示してある名画はなんとか
目の中に入れたいのだが。今、ターゲットにしているのは次の3点。
・“茹でたインゲン豆のある柔らかい構造”(フィラデルフィア美術館)
・“聖アントニウスの誘惑”(ベルギー王立美術館)
・“目覚めの直前、柘榴のまわりを一匹の蜜蜂が飛んで生じた夢”(スイス・ルガノ、
 テイッセン=ボルネミッサ財団)。

“聖アントニウスの誘惑”の密度が濃くて光沢のある画面に魅せられる。伝統的
な宗教画と違い、聖アントニウスを誘惑する悪魔が細長いクモの足を持つ馬や象と
なっているのが面白い。先頭の馬はたけり狂い、一番前の象の背中には肉欲を象徴
する美女が姿を現し、十字架を高く掲げる聖アントニウスを挑発する。この画題は
痩せこけた聖アントニウスが様々な幻覚に耐える場面を描くのが定番だが、シュル
レアリスト、ダリにかかると苦行のイメージが消え、不思議な清新さと幻想的な雰囲
気が伝わってくる。いつか、ベルギー王立美術館を再訪したい。

過去拙ブログでダリを記事にしたのは04/11/2804/12/1705/6/26

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2006.02.11

パウル・クレー展

299開幕を待ち望んでいた“パウル・クレー展”(大丸東京駅店、2/28まで)を観た。

国内でクレーの展覧会を見るのは93年以来。その間、上野の森美術館などであったNYのMoMA展やパリのポンピドー・コレクション展にクレーの作品が必ず含まれてたので、クレーの絵はとびとびながらも楽しんできた。

クレーの絵にはまるきっかけをつくってくれたのが93年、愛知県美術館であった
大回顧展。この展覧会は名古屋、山口、東京で開かれた。このころ仕事の関係で
名古屋に住んでいたので、幸運にもクレーの代表作の大半を見ることができた。
クレーの遺作を所蔵しているクレー財団とクレー家から、代表作中の代表作、“パル
ナッソスへ”やクレーが亡くなった年に描かれた名作、“無題(静物)”などをごそっ
と持ってきたという感じだった。感激の連続で観終わった後、すごく疲れたのを
よく覚えている。

今回のクレー展にでている絵は昨年6月、クレーの生まれたスイス・ベルンにオープ
ンした“パウル・クレーセンター”から貸し出されたもの。そのため、93年に出品さ
れたものが多くある。ダブりはある程度予想していたが、はじめての作品もあるの
で満足度が落ちるということはない。クレーの若い頃から晩年までの画業が頭に
はいる展示構成になっており、そのバラエティーに富む作風をあれこれ味わうことが
出来る。

期待してたのは“パルナッソスへ”のような1930年頃からはじまった点描主義の
シリーズだったが、今回でてたのは右の“喪に服して”1点のみ。93年のときもこの絵
はあった。これは点描シリーズのなかではハットさせられる絵。モザイクのような色使
いで色面を構成し、その上にうつむき加減で喪に服する女性を一筆描きのように表し
ている。深い悲しみが伝わってくる。この絵はクレーが皮膚硬化症という難病にか
かった1935年の前年の作。

1935年から亡くなる1940年まで、難病のためクレーには死を見つめる日々が続く。
作風は一変し、繊細な線は消え、一見ミロの絵を彷彿させるような荒々しいものに
なる。その一方で、シンプルな線で描いた絵もある。1938,39年の作、“ボール乗
りに興じる子”、“聖歌隊の女性歌手”、“おませな天使”、“旧約聖書の天使”。自由
な描線が胸を打つ。久しぶりのクレー展を心地よく楽しんだ。

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2005.10.08

デ・キリコ展

182ブログやHPがあるお陰で、現在、またこれから、どこの美術館でどんな展覧会が開かれるのかという情報が容易かつスピーディに得られる。

10/6から東京駅の前にある大丸ではじまった“デ・キリコ展”ははろるどさんが毎月まとめられてる展覧会情報で知った。うかつにもこの企画展はNO情報だったので大変有難かった。

拙ブログでもデ・キリコは今年、2回書いたので(4/11と7/11)、この画家の
絵に対するテンションが上昇している。ましてや、今まで日本での回顧展に全く縁
が無かっただけに期待度はかなり高く、早速、初日に出かけた。

デ・キリコは長寿の画家で、90歳まで生きている。自画像をみるとイスラエルの
シャロン首相にちょっと似ている。今回出展されてるのは、1960年代以降、80歳
近くになってまた描いた新形而上絵画の作品が中心。デ・キリコの絵をあまりみて
なく、手元にある画集に載ってる代表作は1963年までなので、こんな作品を見
れるのは貴重な機会である。メインの油彩のほか素描、彫刻を合わせて110点が
展示されている。

絵を見ると、初期の頃の特徴、例のイタリア広場や、顔が卵形の無機質なマネキン
が出てくるので絵のなかにはすっと入っていける。だが、どうしてこんなことを思い
つくのかと感心してしまうシュールな組み合わせも出てくる。じっくり見ているといろ
いろ想像力を掻き立てられ、結構楽しい。でも、100%理解できる絵では無いとこ
ろが形而上絵画たる所以。

得意の遠近法で奥行きをつくった部屋の中に、太陽が入り込んできたり“暖炉の
太陽”、海が登場したり“ユリシーズの帰還”する。また、室内でも広場でも、現実と
非現実が交差する何かひんやりとした不思議な空間をつくっていた初期の画風と
比べると、人物や建物などが画面に沢山でてくるようになり、伝えようとしている
メッセージが複雑になっている。

もうひとつ、若い頃はこんな描き方はしなかったなと、おやっと思ったのが右の“愛
と涙/ヘクトルとアンドロマケの抱擁”(1974年)。仮面を被ってるのがトロイ戦争
でギリシャ軍のアキレスと戦ったトロイの勇将ヘクトル。背中をこちらに向けヘクトル
の胸のなかに顔をうずめているのはヘクトルの妻、アンドロマケ。アンドロマケは顔
こそ見えないが、その後姿はマネキン風のヘクトルとは違い、普通の女性にみえる。
後年のダリが妻のガラを写真のように描いたのと同じ心境に、年老いたデ・キリコ
もなったのであろうか。

ダリもブロンズの彫刻を制作しているが、デ・キリコがつくったマネキンタイプの彫刻
(ブロンズに金・銀鍍金)もなかなか魅力的で、所有欲をそそられる。本日、見てきた
隣の方も満足げな顔をしていた。はじめてのデ・キリコ展に大満足。なお、展示は
10/25まで。

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2005.07.11

デ・キリコのイタリア広場

116昨日あったBS2の迷宮美術館は面白かった。幻想的な絵画を描いたデ・キリコとウイーン世紀末の人気画家、クリムトが登場した。

クリムトの場合、ウィーンに行けば“接吻”をはじめ“ベートーベン・フリーズ”などの代表作をみることができるし、日本でもクリムト、シーレの展覧会がよく開かれる。

これに対し、デ・キリコとなると、日本でこの画家の回顧展が開催されたという
記憶がない。一般の美術愛好家はせいぜい、NYのMoMA、グッゲンハイム、
パリのポンピドーを訪ねるくらいが関の山。この3つの美術館にデ・キリコの
代表作がいくつかある。4月、アムステルダムにある市美術館でデ・キリコの
マネキン絵画をみた(拙4/15ブログ)。久しぶりに見たデ・キリコの絵はシュル
レアリスト、マグリットに似ていたので、頭が混がらがったが、日本に帰って
マグリットのほうがデ・キリコの絵から霊感を得たとこを知った。デ・キリコの作品
は画集をみると個人蔵となってるのが多く、見てない絵がまだいっぱいある。

番組ではデ・キリコの代表的な形而上絵画、“イタリア広場”と言われる作品に焦
点をあてて、デ・キリコ芸術の謎に迫っていた。形而上絵画というのはちょっと難し
い言葉だが、人間が五感でとらえられる現実を超えたものを描いた絵のこと。デ・
キリコの絵をみてると、どこかで見たことのある風景だという印象をもつ。よく、
今見ている光景が、そっくりそのまま以前に経験したことがあるような気になると
きがある。でも、それがいつだったか、本当かどうかもわからない。精神分析では
これを“既視感”と呼んでいる。デ・キリコの絵をみたときはこの既視感と似た
感情が生まれる。

右の絵は1991年、日本であったグッゲンハイム美術館展でみた“赤い塔”(19
13年)。1911年から17年にかけて描かれたイタリア広場シリーズのひとつ。
両側のアーケードにはさまれ通りは影で暗くなっており、その先の光が当って
る広場の向こうには円形の赤い塔がでんと建っている。そして、広場には一部し
か見えないがローマの騎士像がある。人が誰のいない広場に騎士像の影が長く
伸びてる。冷ややかで不思議な絵である。イタリアの広場には大勢の人が集まり、
騒々しいはずだが、まったく人を消して、建物、銅像のモノだけの世界にしたら、
こんな雰囲気になるのかもしれない。

デ・キリコの絵にはわからないところが多いが、それでも何か不思議な魅力が
ある。それは既視感のような気がする。

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2005.07.09

カタルーニャのミロ

114昨日の世界美術館紀行ではカタルーニャで活躍した巨匠、ミロ、ダリ、ピカソを特集していた。

ミロのユーモラスな絵が好きで、日本で開催された回顧展には必ず出かけてきた。回数は少なく、まだ3回しかお目にかかっていない。最初は1989年、日本橋三越での展覧会。2回目は1992年の横浜美術館。

最近では、02年、世田谷美術館であったミロ展。ここには“ロバのいる野菜畑”
などの代表作が海外の美術館から出品された。そして、日本にある作品では
一番見ごたえのある大きな絵(福岡市美術館蔵)もあった。残念ながら、愛知県
美のみの出品だった有名な“アルルカンのカーニヴァル”が見られなかった。

ミロ展ではないが、1991年セゾン美術館であったグッゲンハイム美術館展には
“耕地”などがでた。また、01年のMoMA展(上野の森美術館)に代表作“オラ
ンダの室内”、“狩人”がやってきた。“オランダの室内”はNYの現地で見れなか
ったので喜びもひとしおであった。

バルセロナを訪れる機会はこれまで2回あった。2度目のときは、グエル公園で
ガウディのモザイク作品を見た後、坂をのぼり、モンジュイックの丘にあるミロ美
術館をめざした。白一色のモダンな建物。中には、絵画、彫刻、版画、素描などが
沢山あり、ユーモラスで自由闊達なミロの芸術を満喫できる。ここの絵をみて、
過去この美術館から日本に出品されたのは二線級だということに気づいた。

シュールながら子供のような純真さが伝わってくる絵が多い中で、よく覚えている
のが右の“太陽の前の人物”。ミロ、75歳の作品。晩年、形はより明快になり、
色彩は一層鮮やかになっていく。太陽を表す強烈な赤の原色のフォルムと力強
い黒い線に釘付けになった。1966年に来日したミロは日本の美術に感銘を受け
たようで、黒い線は書や水墨画の影響と言われている。

バルセロナ空港の壁画や市内のミロ公園にある25mのオブジェ“女と鳥”はまだ
みてない。これらとミロが47歳のとき、戦禍を逃れて描いた“星座シリーズ”を見
るのが次のターゲットと決めている。

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2005.06.26

諸橋近代美術館のダリ

10223日、24日は山形、福島を旅行した。目玉は山寺、お釜、五色沼などの名所観光とさくらんぼ狩り。

最後の五色沼の散策は自由行動だったので、毘沙門沼のすぐ近くにある諸橋近代美術館を訪れた。

この美術館は今年のはじめに放送された迷宮美術館で紹介された。前々からここにダリの作品が沢山展示されてることを聞いていたので、いつかこの目
でその作品を確かめたいとおもっていた。

館の入り口の前に立つと一瞬ヨーロッパにいるのではないかと錯覚する。貴族
の館を思わせる立派な建物である。中の展示ホールは天井が高く、外光を多
く取り入れた開放的な空間になっている。1999年にこの美術館はオープンした。
コレクションの85%がダリの作品。ダリの作品を常時展示している美術館とし
てはスペイン・フィゲラスのダリ劇場美術館、アメリカ・フロリダのダリ美術館に
次いで世界で三番目。

自慢の作品は37点の彫刻。ダリの彫刻をこんなに多く所蔵するのはここだけ。
家に戻ってわかったのだが、1991年、新宿三越で開催された“ダリ展”にこれ
と同じ作品がでていた。このときは作品の所蔵はリヒテンシュタイン、ストラットン
財蔵となっていた。諸橋美術館に確認してないので断定的なことはいえないが、
館を設立した諸橋廷蔵氏が1991年以降、ストラットン財からこれらの彫刻を
購入したのかもしれない。

いくつかの彫刻、例えば“回顧的女性胸像”を鑑賞してたとき、前に見たことがあ
るなという感じがした。隣の方も記憶にあると言う。三越の展覧会はだいぶ前なの
で、目の前にあるシュールで不思議な形をした彫刻にみとれ、昔みたことをすっ
かり忘れていた。ダリのブロンズや大理石の像にはミロのヴィーナス、サモトラケ
のニケ、ナポレオン、ニュートンなど我々がよく知っている作品や人物が題材に
なっている。そのため、造形的には普通の頭では考えつかないものであるが、頭
がくらくらすることはなく、結構楽しめる。中には考えさせられる作品もある。1931
年、ダリが27歳のとき描いた“記憶の固執”に出てくるやわらかい時計のように。
くにゃっとまがった時計が木の枝のかけられたりしている。

絵のコーナーに面白い作品がいくつもあった。中でも気に入ったのが右の“ビキニ
の三つのスフィンクス”。ここではダリ得意のダブルイメージ(二重像)が使われ
ている。この絵の中にアインシュタインとフロイトがだまし絵のように描きこまれて
いるのである。アインシュタインは手前の人間の頭部のなか。原子雲のような
頭髪の真ん中にアイン