2008.05.22

その三 フェルメール

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フリック・コレクションを訪問する人が年間どのくらいいるのかデータ的なことはわからないのだが、フェルメール(1632~1675)の絵を目当てにやってくる人が結構多いのではなかろうか。メトロポリタンが5点(拙ブログ5/8)所蔵していることだってすごいが、美術館の規模ではメトロポリタンの何十分の一のこの邸宅に3点もあるのだから驚き。フリックの高い鑑識眼にはまったく恐れ入る。

上は“仕官と笑う女”。フェルメールは女性のいろいろな表情を描いている。多いのはじっとこちらを見ているところを描いたもの。“青いターバンの少女”(07/10/6)や下の“中断された音楽の稽古”など8点ある。この絵の女性は笑っている。この笑顔がすばらしい。女性画を沢山みてきたが、笑っている女性で200%惚れているのはこの絵とルノワールが描いた“田舎の踊り”(2/18)、“女優ジャンヌ・サマリの肖像”(エルミタージュ美)。

フェルメールの絵のなかにはもう一枚、女が笑っているようにみえるのがある。まだお目にかかってないが“青いターバンの少女”と同じくらい魅せられている“真珠の首飾りの女”(ベルリン国立美)。フェルメールに対する好感度がすごく高いのはこの親しみを覚える3枚の絵があるから。

真ん中の“婦人と召使”も好きな絵。フェルメールの絵には女主人と召使が登場する絵が3点あるが、これが一番気に入っている。召使の“奥様、手紙が届いているのですが。。”という声が聞こえてくるよう。これは舞台で演じられる芝居の一場面を見ている感覚に近い。

こういう絵をみると、フェルメールの描く風俗画はほかのオランダ人画家のものとはまったく別物だなと思う。写実的で現実らしい絵ではあるが、単なる風俗画とちがい、演出のテイストも効いているから、こちらもいろいろイメージをふくらませて見てしまう。女主人にとってこの手紙は特別の意味を持っているのだろうか?とか。

Myカラーが黄色&緑であるということもこの絵に近づけている。白い毛皮の縁取りがついた黄色の上着が目に心地いい。これとまったくデザインが同じベビー服のような上着を“真珠の首飾りの女”と“手紙を書く女”(ワシントンナショナルギャラリー)も着ている。

下の“中断された音楽の稽古”は“ワイングラスを持つ娘”(ヘルツォーク・アントン・ウルリッヒ美)と“ぶどう酒のグラス”(ベルリン国立美)と構成がよく似た絵。ころらを振り向く女性の目が気になって、楽譜を覗き込んでいる教師の存在はうすい。

フェルメールの全作品を通じていえることだが、描かれた男に目をとめることはほとんどない。できることなら居なくなって欲しいといつも思っているから、この絵でも女性のまなざしと窓から差し込むやわらかい光だけをみている。

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2008.05.21

その二 ホルバイン  ブロンツィーノ  レンブラント

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ここに飾られている絵画はコローやコンスタブル、ターナーが描いた風景画もあるが、大半が聖人、王、貴族、歴史上の人物などを描いた肖像画や人物画。自分の邸宅に飾って毎日ながめていたい絵となると、やはり肖像画なのであろう。昨日紹介したグレコの“聖ヒエロニムス”とベリーニの“聖フランチェスカ”は広間で向かい合う形で壁にかけられている。

その“聖ヒエロニムス”の両隣の暖炉にかかっているのがホルバイン(1497~1543)の描いた上の“トマス・モア”と“トーマス・クロムウェル”。16世紀のころのイギリスにタイムスリップして、屋敷で二人と対面しているみたい。悪役面のトーマス・クロムウェルより無精ひげを生やしているトマス・モアを見ている時間のほうが長い。

ずっしり重みのある顔つきに緊張させられるが、なめらかな質感が見事に描かれたベルベットの袖に目が点になる。ホルバインの力量はとにかくすごい!ロンドンのナショナルギャラリーにあった“大使たち”(拙ブログ2/5)同様、言葉を失う。ダリが描いた“リチャード3世”(06/10/2)を見るといつも思い出すこの絵との再会をこころゆくまで楽しんだ。

この“トマス・モア”と同じくらい魅了されるのが真ん中のブロンツィーノ(1503~
1572)の“ロドヴィコ・カッポーニ”。これは前回見逃したか、見たのに当時は関心がうすいため忘れたためか、記憶にまったくない。だが、今はマニエリスム絵画のなかではブロンツィーノはパルミジャニーノとともにかなり心が傾いている。だから、これとメトロポリタンにある“若い貴族の肖像”と対面するのを楽しみにしていた。

目を奪われるのが気品のある顔と女性のようなきれいな手、そして細部まで丁寧に描かれた黒い上着のひだや後ろの深緑色の布のドレープ。“若い貴族の肖像”にすごく惹きこまれたが、この肖像画の前でも思わず立ち尽くした。ブロンツィーノが描いた女性の肖像画で最も気に入っているのはウフィツィ美術館にある“ルクレツィア・パンチアティキの肖像”だが、男性を描いたものはこの2点がとびぬけていい。

レンブラント(1606~1669)は3点あった。いずれも画集に掲載されている有名な絵。下の“ニコラース・リュッツの肖像”、“自画像(52歳)”(07/1/28)、“ポーランド人の騎手”。レンブラントが25歳のとき描いたのが貿易商のニコラース・リュッツ。

こちらにまっすぐにむけられた眼差しには生気があり、仕事熱心で真面目な人柄がそのままでている感じ。手紙を差し出す動きのあるポーズもこの存在感に富んだ肖像画をより魅力的なものにしている。レンブラントは若くしてもう巨匠の風格を感じさせるこんなすごい絵を描いていた。やはり、大きな画家である。

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2008.05.08

その六 NYでフェルメール三昧!

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フェルメール(1632~1675)の絵が飾ってある部屋で面白い光景に出くわした。日本の若い女性モデルが絵の前でポーズをとり写真撮影をしているのである。いずれ何かの雑誌に載るのだろうが、あらためてフェルメール人気の高さを見せつけられた感じ。

ここにある5点は大きさでいうと、ワシントン・ナショナルギャラリーの4点(拙ブログ4/13)と同じような小さな絵が3点、上の“窓辺で水差しを持つ女”、“リュートを調弦する女”、“少女”。そして、真ん中の“眠る女”はこれらの倍くらいの大きさ。下の“信仰の寓意”はフェルメールの風俗画では例外的に大きく、“絵画芸術”(ウィーン美術史美術館)とあまりかわらない。

今回の絵は好きな順に並べてあるが、“水差しを持つ女”に対する熱い気持ちは“眠る女”の3倍くらいある。この絵は18年前はじめてここを訪れ帰りがけに購入した図録(英文)の表紙に使われているから、図版を見た回数はフェルメール作品のなかでは最愛の“青いターバンの少女”(07/10/6)とともに一番多い。

心に強く響くのが右手で窓枠を、左手で水差しの把っ手をつかんだ動きのあるポーズと女性の清楚なイメージを掻き立てる白いかぶりもの。女性の立つ位置、テーブル、後ろの壁に掛けられた地図の配置はよく考えられており、そのフェルメールならではの巧みな構成には心底魅せられる。窓から部屋の中に入ってくる朝の明るい日差しは、部屋全体をやわらかくつつみこみ、静謐な静物画をみているよう。こうしたオランダの家庭の素朴で静かな情景をみていると本当に心が落ち着く。

真ん中の“眠る女”は頬杖をついて居眠りをしている女性の姿がすごく目に焼きつく。これはフェルメールが描いた最初の風俗画。光がさしこむ窓はないが、静かな雰囲気はこれ以降の作品とまったく同じ。カラヴァッジョやラ・トゥールが描いた“女占い師”、“いかさま師”のような風俗画は見る者がすっと絵の中に入っていけ、描かれた人物を笑ったり、あるいはその行為に眉をひそめたりすることが多い。

だが、フェルメールの描く風俗画にはざわざわした喧騒とかユーモラスなところが消え、ほのかな光に照らし出された室内で女たちが眠っていたり、牛乳を注いでいたり、手紙を読んだり、楽器を演奏したりするところが描かれている。フェルメールの絵は前のめりになってみるものではなく、心を鎮めていつもよりは一歩さがってみるくらいがちょうどいいかもしれない。

下の“信仰の寓意”のなかにはいろいろな寓意的表現が散りばめられている。画面の手前、石の下敷きになって床に血を流している蛇を見て瞬間的に思い浮かべたのはカラヴァッジョが描いた“蛇の聖母”(ボルゲーゼ美術館)。胴体の曲がり具合がよく似ている。女性がとっている地球儀の上に足をのせ、胸に手を当てるポーズは“信仰”を表しているが、この女性の顔がどうも苦手。

苦手と言えば“少女”も何度みてもダメ。少女というよりはお婆さんの顔。この絵と“リュートを調弦する女”の前ではいつも、普通の人の何倍ものスピードで年をとるというあのアメリカの少年が襲われた難病を連想するので、あまりながく見ないことにしている。

フリックコレクションにあるフェルメールもすばらしいのでいずれ紹介するつもり。NYは本当にフェルメールが楽しめる街である。I LOVE NY!

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2008.05.07

その五 カラヴァッジョ  ラ・トゥール  レンブラント

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日本では今、伊藤若冲が大ブレイクしているが、欧米ではカラヴァッジョ、フェルメール、ラ・トゥールが高い人気を誇っている。3人の現存する作品はあまり多くないから、愛好家にとっては作品を所蔵している美術館は聖地みたいなもの。

ヨーロッパとアメリカにあるブランド美術館をこの3画家の作品で評価してみると、メトロポリタンとルーヴルには高い点数がつく。メトロポリタンはカラヴァッジョ2点、ラ・トゥール2点、フェルメール5点。ルーヴルはカラヴァッジョ3点、ラ・トゥール7点、フェルメール2点。

これに対し、ロンドンのナショナルギャラリーはカラヴァッジョを3点、フェルメールを2点もっているが、ラ・トゥールはない。また、ワシントンのナショナルギャラリーにはフェルメール4点、ラ・トゥール1点あるが、カラヴァッジョはなし。ボストン、シカゴは3人に関してはまったく所蔵してない。

前回ここを訪問したときはカラヴァッジョ(1571~1610)には目覚めてなかったから、上の“合奏”や隣に飾ってある“リュート弾き”はまったく記憶が無い。だが、このたびは再接近してみた。“合奏”ではリュートを弾いている色白の少年の顔がピンク色に染まっているのが強く印象に残る。葡萄や楽器、楽譜の写実的な描写に釘付けになるが、リュートを弾いている少年と右にいる二人がくっつきすぎてる感じ。3つの頭の並び具合がどうも窮屈。真ん中でこちらをみているのはカラヴァッジョ自身。

リュートを弾く若い歌手を描いた絵はエルミタージュ美術館にもあるが、先に描かれたエルミタージュのほうがかなりいい。カラヴァッジョの24歳のころ制作した風俗画のなかでお気に入りはエルミタージュの“リュート弾き”、ロンドンナショナルギャラリーにある“トカゲに噛まれた少年”、そしてテキサス・フォートワース、キンベル美術館が所蔵する“いかさま師”。次のターゲットは画集でみてもすごく魅了される“いかさま師”。なんとしてもこの絵を見てみたい!

ここにあるラ・トゥール(1593~1652)2点は全作品のなかでも上位にはいる傑作。真ん中の“ふたつの炎のあるマグダラのマリア”と“女占い師”。“女占い師”は前回見たのをどういうわけかよく覚えていて、再会を楽しみにしていたのだが、残念なことに展示されてなかった。人気の高い作品だから引っ張りだこなのだろう。

“マグダラのマリア”に描かれているろうそくは鏡に映っているので二本あるようにみえる。ルーヴルのマリア(拙ブログ3/30)やワシントンナショナルギャラリーのマリア(4/13)が手で頬づえをついているの対し、こちらは両手を組んで髑髏の上においている。ろうそくの横にある真珠の見事な質感描写とろうそくの光に照らされ闇の中に浮かび上がるマリアの美しい横顔と上半身を息を呑んでみた。

ロサンゼルスへはまだ行ったことがないのだが、カウンティ・ミュージアムには“ゆれる炎のあるマグダラのマリア”があるから、いつかこれも目の中にいれようと思う。

大きな美術館はどこもレンブラント(1606~1669)の質の高い名作をいくつももっており、ここには35点ある。必見リストに下の“ホメロスの胸像を眺めるアリストテレス”、“フローラの姿のヘンドリッキェ”、“自画像(53歳)”、“沐浴のパテシバ”など8点をコピーしていたが、その倍の15点みることができた。

二重丸をつけていたのが“アリストテレス”。期待通り、迫力満点の肖像画だった。右の肩からかけている金鎖はアレクサンドロス大王の家庭教師だったアリストテレスが大王から貰ったもの。ゴールド、青、シルバーで描写されたこの鎖の質感と豪奢な衣服の袖に目を奪われる。肖像画の名手、レンブラントに惚れ直した。

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2008.04.13

その四 ラ・トゥール  フェルメール  レンブラント

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この美術館めぐりツアーは今、展覧会が開催されたらいつも大勢の人が押し寄せる超人気の画家、カラヴァッジョ、ラ・トゥール、フェルメールが好きな方にとってはとりわけ魅力的かもしれない。鑑賞できる作品の数が多いのがフェルメール、仮にNYにおける自由行動でフリックコレクションを訪問するとした場合、全部で12点みられる(ワシントンナショナルギャラりー4点、メトロポリタン5点、フリックコレクション3点)。

これは現存する30数点の1/3にあたるから、一気にフェルメールの通になれる。
My“通”の定義は絵画の理屈に精通している人ではなく、本物の絵を沢山鑑賞している人のこと。だから、本物を見さえすれば誰もが“通”。カラヴァッジョについては2点(メトロポリタン)、そしてラ・トゥールは3点(ナショナル・ギャラリー1点、メトロポリタン2点)。この2人の通になるにはまだ先は長いが、両館にあるのは人気の高い作品なので、大きな一歩をふみだすことは間違いない。

ルーヴルでいい気分にさせてくれたラ・トゥール(1593~1652)の作品にここでもすごく魅了された。上の“鏡の前のマグダラのマリア”は1974年、この美術館に入った。ルーヴルの“灯火の前のマグダラのマリア”(拙ブログ3/30)と較べ、画面の闇の部分がさらに多い。

横向きの髑髏のむこうに置かれた蝋燭は“灯火の前の”よりだいぶ明るく、右手で頬づえをつき、うつろなまなざしをしたマグダラのマリアの顔を美しく照らし出している。なんとも神秘的で静謐な世界である。息を呑んでながめていた。“マグダラのマリア”はメトロポリタンにもう1点あるが、ラ・トゥールの作品に用意していた感動のタンクは満杯寸前。もっと大きいのに取り替えないと溢れ出そう。

4点あるフェルメール(1632~1675)の部屋にはひっきりなしに人がやってくる。ロンドンのナショナル・ギャラリーやルーヴル同様、皆絵の前で食い入るようにみている。フェルメール人気は衰えることなく、どんどん上昇していく感じ。“天秤を持つ女”、“手紙を書く女”、“赤い帽子の女”、“フルートを持つ女”(これはフェルメールに属する作品)はいずれも小つぶな絵で、お気に入りの真ん中の“天秤を持つ女”は縦40cm、横36cmしかない。

この絵は8年前大阪であった展覧会にやって来たから、これで3度目の対面。フェルメール作品のなかではこの画面が一番暗い。だから、はっきりとらえられないテーブル上の真珠やウルトラマリンブルーで描かれた青い布よりも、左上の窓からかすかに入ってきた光線が照らす女性の頭にかけているスカーフや衣服の白に視線が吸い寄せられる。

女性がもっている天秤ばかりの皿には何も載ってないのに、一体何を測っているのだろう?後ろの壁に掛けられている絵には最後の審判の場面が描かれている。だとすると、世俗の富の大きさを測っているのではなく、天国行きか地獄行きかを決める人々の行為や魂のあり方をはかりにかけている?うす暗い部屋のなかで、やわらかい光があたってきらめく真珠の質感描写を目に焼き付けて次の部屋に移動した。

下はチェックリストに載せていたレンブラント(1606~1669)の“ルクレチア”。専制的なローマ王の息子に陵辱を受けたルクレチアが自害する直前の瞬間が描かれている。レンブラントに惹かれるのはこういう物語や事件の決定的瞬間を表現するとき、人物の肉体的な苦痛や悲しみや苦悩といった心の内面を顔の表情や身振りで表し、緊張感あふれる画面をつくりだしているところ。収穫の一枚だった。

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2008.04.12

その三 ルーベンス  ヴァン・ダイク  ティエポロ

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西洋絵画を鑑賞していて作品の数で圧倒されるのがバロックの絵画。なかでも、どこの美術館へ行ってもどうしてこんなにあるの?というくらい飾ってあるのがルーベンスの絵とヴァン・ダイクの肖像画。ナショナル・ギャラリーにも質の高い作品が並んでいる。ルーベンス(1577~1640)が7点、ヴァン・ダイク(1599~1641)はこの倍の14点。

ルーベンスに目をみはる絵があった。それは大作の“ライオンの中のダニエル”。預言者ダニエルは動物園の飼育係りではないかと錯覚するほど多くのライオンに囲まれている。数えてみたら、実物大のライオンが10頭いた。ライオンの登場する宗教画ですぐ想い浮かべるのは“聖ヒエロニムス”。このライオンは聖人に足に刺さった刺をぬいてもらったので、従順でおとなしい。

ダニエルとライオンの関係も悪くない。名声の高まった預言者ダニエルはねたまれて、ライオンの洞窟に投げ込まれるが元気一杯のライオンは何の危害をも加えようとしない。でも、ダニエルのまわりにいるライオンは本物そっくりで生き生きと描かれているので、よくニュースで流れてくる動物学者とかサーカスの調教師、動物園の飼育係りが油断してライオンに襲いかかられるショッキング映像を勝手にイメージしてしまう。

心がざわざわしないでうっとり眺めていたのが上の“侯爵夫人ブリジダ・スポノラ=ドーリアの肖像”。まばゆく輝く小さめの顔と金銀の模様が精緻に織り出されたサテンのドレスのなめらかな質感描写に目が点になる。ヴァン・ダイクの女性肖像画を彷彿とさせる衣襞の描き方にまったく心を奪われた。これまでルーベンスの女性画を何点もみてきたが、この夫人の衣装が一番輝やいている。これは一生の思い出。

そして、ヴァン・ダイクの真ん中の“王妃ヘンリエッタ・マリアと小人”もとびっきりの肖像画。これは手元にある画集でもう何年もながめていた憧れの絵。色白で大きな目をした王妃の目線に体がとろけそうになる。やわらかく折れ曲がる衣襞の描写も完璧。このイギリス国王チャールズ1世の王妃は実際はこんなに美人ではなく、ヴァン・ダイクは大いに美化して描いた。

国王の首席宮廷画家ともなると、モデルの願いを無視して描くなんてことは許されない。多少、いや大胆に美化して理想的な女性に仕上げるのが大事な勤め。で、ヴァン・ダイクが描く女性モデルたちはその個性があまり感じられず、だれもが王妃ヘンリエッタ・マリアとよく似たイメージになる。王妃の絵がどうしようもなく好きだから王妃の増殖は大歓迎。この絵をMy好きな女性画の最上位の席にお迎えした。

下の絵ははじめて取り上げるティエポロ(1696~1770)の“アポロンとダフネ”。この絵を是非紹介しようと思ったのはダフネを必死に追うアポロン君が泣いているから。“おいおい、あんたが泣くことはないだろう。泣きたくなるのは言い寄られたくないのにあんたがしつこくストーカー行為をするから、月桂樹に変身せざるをえないダフネのほうだろう!”と思わず注文をつけたくなる。でも、この絵はなかなか魅力的。

ダフネの手が月桂樹に変わっているところを見て目に涙をいっぱいためているアポロンにはびっくりしたが、バロックの絵の動きとロココの優美さが溶け合った画風に大変魅せられた。

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2008.03.30

その五 カラヴァッジョ  ラ・トゥール

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ルーヴルにあるカラヴァッジョ(1571~1610)の絵は、上の“聖母の死”(部分)、“女占い師”、“アロフ・ド・ヴィニャクールの肖像”の3点。このなかで前回見たなという記憶があるのは“女占い師”だけ。これは女が世間知らずの若者の指輪を抜き取るというほかの絵では見たことのない場面が描かれているのでよく覚えている。

だが、“聖母の死”とマルタ島の聖ヨハネ騎士団長を描いた大きな肖像画のことを知ったのはカラヴァッジョに関心をもちだしてからのこと。今はカラヴァッジョに夢中だから、この2点と真剣に向き合った。

“聖母の死”は絵のジャンルとしてはちゃんとした教会の依頼で制作された宗教画。横たわる聖母の頭には光輪がみえる。でも、これは伝統的な聖母の絵とはまるで異なる。死んだ聖母の腹は膨らみ、赤い衣装から素足をみせている。一見して普通の妊娠した女性の死体と変わらない。

視線が釘付けになるのがまわりで嘆き悲しむ使途たちの頭や聖母の顔、そして顔を手でおおいうずくまっているマグダラのマリアの背中にあたる光。聖母の死という厳粛な場面をカラヴァッジョは光を効果的に使い劇的に表現している。

カラヴァッジョの光と闇による画面構成がリアルで見る者の心を激しくゆさぶる感じなのに対し、ラ・トゥール(1593~1652)のろうそくやたいまつの光はより内面的で神秘的な雰囲気を醸し出している。05年、国立西洋美術館で開催された“ラ・トゥール展”で一気にこの画家の虜になり、ルーヴルにある7点の作品を見ることが今回の美術館巡りにおける最大の楽しみだった。

で、入館するとシュリー翼3階にあるラ・トゥールの部屋へ真っ先に向かった。ありました!ありました!7点全部。過去2回のルーブル訪問ではこれらの絵に気持ちが向かわず、一つ々の絵をはっきり覚えてないのに、今は前のめりになって夢中でこれらをみている。お気に入りは真ん中の“灯火の前のマグダラのマリア”と下の“大工の聖ヨセフ”、回顧展にも出品された“ダイヤのエースを持ついかさま師”(拙ブログ05/3/14)。

マグダラのマリアの絵はルーヴル所蔵のほかにもう3点ある。“ふたつの炎のあるマグダラのマリア”(メトロポリタン)、“ゆれる炎のある々”(ロサンゼルス郡立美術館)、“鏡の前の々”(ワシントンナショナルギャラりー)。ルーブルとロサンゼルス郡立美の二つはマリアのポーズの取り方とかひざの上にある骸骨の向きや手の添え方がよく似ている。目の前にある絵はろうそくの光が物思いにふけるマグダラのマリアの顔を照らさず、上半身をやわらかくつつみこんでおり、その美しい横顔に心が洗われる。

下の“大工の聖ヨセフ”にも魅了される。幼子イエスの顔にあたるろうそくの明るい光と赤く透けて見える左手を息を呑んで眺めていた。また、じっとイエスをみつめる聖ヨセフの目がとても印象的。闇の中、一本のろうそくの光で浮かび上がる親子の素朴な光景が今も脳裏に焼きついている。待望のラ・トゥールを7点もみられたので気分は上々。クールダウンせずに次の部屋に進んだ。

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2008.03.29

ルーヴル美術館 その四 ルーベンス  ヴァン・ダイク

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パソコンがやっと元に戻りましたので、本日から拙ブログを再開いたします。また、よろしくお願いします。再開にあたって、ルーブル美術館の感想記はもうおしまいにし、あらたな記事からはじめようかなとおもったのですが、感銘深い名画をとりあげないのはやはりもったいないので、残り6回を急いで綴ることにしました。

そして、そのあと3月上旬に行なった美術館巡り第2弾、アメリカ編(シカゴ、ワシントンナショナルギャラリー、フリーア、ボストン、メトロポリタン、フリックコレクション)に進むつもりです。西洋画が続きますが、おつきあい下さい。

4時間いたルーヴル美術館で、鑑賞にあまり時間をかけなかったのがバロックの巨匠ルーベンス(1577~1640)やヴァン・ダイク(1599~1641)の作品。はじめてここへ来たとき、ダヴィンチの“モナリザ”やドラクロアの“民衆を導く自由の女神”とともに強い印象を受けた作品はルーベンスの連作“マリー・ド・メディシスの生涯”。

ルーベンスは多作だから、ヨーロッパの主要な美術館ではこの画家の作品とは頻繁に出会う。そのなかで、“これぞルーベンス!”という印象を与えるのが24点からなるこの連作。リシュリュー翼でまるまる一室を占領しているこの絵は時間の関係で割愛するつもりだったが、“マリー・ド・メディシスのマルセイユ上陸”の前にくるとどうしても立ち止まってしまう。滑らかなシルバーの絹の衣装をまとったマリーの姿に視線が集中する画面構成が見事。

今回、ルーベンスの絵で二重丸をつけていたのは農民の祭りを描いた真ん中の“フランドルのケルメス”。この絵を見るとルーベンスがいかにブリューゲルを敬愛していたかがわかる。ブリューゲルの“農民の踊り”などに登場する人々の動きやしぐさが一枚の絵の中に凝縮されたような感じである。

ご馳走を食べ、酒を飲み、キスしたり、踊ったりとフランドルの農民の粗野な祭りは当時よく知られていたらしく、そんな雰囲気がストレートに伝わってくる。人物の配置が左下から斜めの線にそって配置されており、右上方の空には鳥が二羽飛んでいる。

ロンドンのナショナルギャラリーには人気の女性画“シュザンヌ・フールマン”があるが、ここにあるフールマンと子供たちを描いた2点の絵にも目を奪われる。

ヴァン・ダイクの作品もルーベンス同様、どこの美術館へ行っても数多くある。お気に入りの肖像画は女性を描いたものなのだが、なぜかルーブルには男性の絵が多い。有名なのは“狩猟場のチャールズ1世”。これは本当に圧倒される大きな絵。

下は“選帝侯ファルツ伯カール=ルードヴィッヒ1世とその弟の肖像”。二人は双子ではないかと間違えるくらいよく似ている。これくらい写実的で凛々しい肖像画に仕上がると絵を依頼した選帝侯も大満足だろう。ヴァン・ダイクの高い技量をみせつけられる名作である。

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2008.02.06

その五 カラヴァッジョ  レンブラント  ホントホルスト

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事前準備として作った“名画必見リスト!”のなかでもとくに目に力を入れてみる画家を美術館ごとに決めていた。ナショナル・ギャラリーはティツィアーノとカラヴァッジョとレンブラント。で、今日はそのカラヴァッジョとレンブラント、そしてオランダのカラヴァッジェスキのひとり、ホントホルスト。

今、西洋絵画でその作品を全部見たいと強く願っているのはカラヴァッジョとラ・トゥール。フェルメールについてもその思いはあるのだが、こちらは人気の作品はかなり目の中に入れたので、前の二人ほど追っかけモードではない。今回の旅行でカラヴァッジョ6点(ナショナル・ギャラリー3点、ルーヴル3点)、ラ・トゥール7点(全部ルーヴル)と対面した。もう浮き浮き気分。

ここにあるカラヴァッジョ(1571~1610)の絵は上の“エマオの晩餐”、“トカゲに噛まれた少年”、“サロメ”。この美術館を過去2回訪れたが、カラヴァッジョというとウィーン美術史美にあるあの強烈な“ゴリアテの首を手にするダヴィデ”を描いた画家のイメージが強く、この3点のことはまったく知らなかった。だから、一気にリカバリーしようと夢中になってみた。

まず釘付けになるのが短縮法で描かれた右の男の大きく広げた両腕。左腕がこちらに突き出してくるようである。この男と左端の男はキリストの弟子で、真ん中のまるぽちゃ顔がキリスト。二人ははじめ一緒にいた男が復活したキリストだと気づかなかったが、エルサレム近郊のエマオ村での食卓で、男がパンに祝福を与えて裂いた瞬間、キリストであることを知る。右の男の迫真の身振りと椅子を後ろに押しやりじっとキリストを見る左の男の姿はダヴィンチの“最後の晩餐”で使徒たちが見せる驚きにも匹敵するほどの緊迫度をもっている。

テーブルやそのまわりの立体感のつくり方が実に巧み。弟子たちの身振りだけでなく、顔に光が当たるキリストは手を前に出すポーズをとっており、さらに“果物籠”(拙ブログ06/5/3)と似た質感の葡萄やイチジクが入った籠はテーブルから落ちそうに描かれている。この絵の構成は一生忘れることはないであろう。“トカゲに噛まれた少年”で驚いたのはうす青いガラスの瓶の表面にうつる窓がヤン・ファン・エイク流に細密に描かれていたこと。色々な伝統の技を使いながら、独自の表現をうみだすカラヴァッジョの才能はやはり規格外。

レンブラント(1606~1669)のいい絵をこれまで数多く鑑賞してきたが、ここは画集に載っている有名な絵がぞくぞくと目の前に現れる。“自画像”(一番壮麗だといわれるものや最晩年)、真ん中の“ベルシャザルの饗宴”、“フローラに扮したサスキア”、“水浴の女”、“ヘンドリッキュ・ストッフェルス”、“マルガレータ・デ・ヘール”など全部で13点あった。流石、質の高いコレクションである。

“ベルシャザルの饗宴”は図版ではバビロニアの王、ベルシャザルが着ている金襴のマントの装飾模様が精緻に描かれているのをイメージしていたが、実際の質感は想定の半分だった。この絵で見入ってしまうのが人の手が書く王の不幸を暗示する文字をみつめるベルシャザルの動揺した様子と隣のびっくり眼で顔が引きつっている女の表情。レンブラントは人間の揺れ動く感情表現が本当に上手い。

下はラ・トゥールの“夜の情景”に影響をあたえたといわれるホントホルスト(1592~
1656)の“大司祭の前のキリスト”。待望の絵は予想をはるかに上回る大きな絵だった。1本の蝋燭の光があたった大司祭とキリストのどちらに目がいくかというと、どうしても顔にもひじをついた左腕にも光があたる大司祭のほう。ルーヴルにあるラ・トゥールの傑作を見る前にこの絵で目慣らしをしたのは絵を見る順番としては理想的。蝋燭の光をしっかり見た。

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2007.10.06

フェルメールの牛乳を注ぐ女

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国立新美術館でフェルメールの“牛乳を注ぐ女”(9/26~12/17)と再会した。前回アムステルダム国立美術館でみた(拙ブログ05/4/11)のは2年前だから、絵の印象は体のなかによく残っている。違いは見るシテュエーションだけ。

“黄金時代の風俗画”のコーナーをパスして“牛乳を注ぐ女”を目指した。今回この小さな絵はダヴィンチの“受胎告知”が飾られていた東博の部屋よりはるかに大きいスペースをもらって展示されている。まず、最前列にそって進み、絵の前でしばらく見て、次は正面の2列目に腰を据えて、単眼鏡で細部を確認したり、人の流れが途切れたのを見計らってすばやく前に移動したりして見た。はじめからこの絵しか関心がないから、時間はたっぷりある。30分くらいで、もういいかなという気分になったので引き上げた。

こんな絵画史上の名画が日本にいてみられるなんて願ってもないことなのに、その展示の方法については?がつく。00年にあった“フェルメールとその時代展”(大阪市立美)に展示された下の“青いターバンの少女”(マウリッツハイツ美)や3年前、東京都美に出品された“絵画芸術”(ウィーン美術史美)が普通に展示されていたのに、なぜ、この“牛乳を注ぐ女”だけを特別扱いにし、少し離れたところから見るようにするのだろうか?

絵の価値や人気度からいうとこの3点と“デルフトの眺望”(マウリッツハイツ美、05/4/17)がビッグ4と思っているのだが、フェルメール作品のなかでは最も大きい“絵画芸術”が真近でみれて、それより小さな絵の“牛乳を注ぐ女”を遠くからみるなんてどう考えても変。フェルメール好きなら誰だってそう思うはず。

“牛乳を注ぐ女”を見ていると心がしっとり落ち着く。日常のありふれた情景を描いた風俗画というより、静物画を見ている感じ。テーブルの上にパンや籠、陶器があるので人物のいる静物画である。フェルメールの絵で一番魅せられるのが白い点々により、対象にあたるやわらかい光を見事に表現しているところ。テーブルのパンや女の頭、窓のそばの壁にかけられた籠のあたりがキラキラ光っており、物の豊かな質感と褐色系の暗い色調が特徴のほかのオランダ絵画ではみられない明るさに見入ってしまう。

色で目に沁みるのは左からの光があたった白い壁がいっそう浮かび上がらせている女の黄色い上着と深い青のエプロン。構成、細部の精緻な描写、どこからみても、この絵はフェルメールの高い画技と自然や人間に対する優しい心によって生み出された傑作である。

“受胎告知”がイタリアへ帰ったら、今度はオランダから“牛乳を注ぐ女”がやって来る、やはり日本は美術大国。だとすると、次は“デルフトの眺望”を期待したくなる。まだ見てない9点のうち、一番のターゲットにしているのはベルリン国立美術館にある“真珠の首飾りの女”だが、“デルフトの眺望”と再会したい気持ちも強い。果たして実現するだろうか?

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2007.03.24

ルーベンス、デューラー、レンブラント

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プラド美術館の絵画のなかで、ルーベンス(1577~1640)の作品はゴヤに次いで多く、80点近くある。これはルーベンスが亡くなったとき、フェリペ4世が残されたコレクションのうちルーベンス作品の大半を買い上げたからである。為政者としての能力はからっきしダメだったフェリペ4世はルーベンスの絵が好きで、外交官ルーベンスがイギリスとスペインの和平のため1628年から29年にかけてマドリードに滞在したとき親交を深め、絵の制作を何点か依頼している。

これまでの訪問でルーベンスの絵は時間をかけて観たという思いがあるので、今回の必見リストには特に入れてなかった。で、古典画、神話画、肖像画、ティツィアーノの絵の模写などをさぁーッと観た。でも、バロック様式の巨匠の絵だから、前を通りすぎるだけといっても画面が目の中に入ってくれば心拍数は少しずつ上がってくる。どうしても見蕩れてしまう代表作の一つ、“愛の園”はフェリペ4世の寝室に飾ってあったもの。

この絵とともに印象深いのが上の“三美神”。古典画の形式を踏襲しているが、裸婦の透明感のあるふくよかな肌は理想化して描かれてはおらず、現実感があり生気にあふれている。当時は肉づきのいい女性の体の線がもてはやされていたから、ルーベンスの感性はこういう女性に理想美を求めたのであろう。太り肉のプロポーションについては好みがわかれるところ。“ルーベンスはどうも苦手!”という人は大体この豊満な肉体描写に拒否反応を示す。

画面左の美神はルーベンスの2度目の妻、エレーヌがモデル。1630年末、53歳のルーベンスは16歳のエレーヌと結婚する。晩年のルーベンスの作品に登場する肉感的な金髪の裸婦がこの若い妻、エレーヌに霊感を得ていることは明らか。プラドの“パリスの審判”に描かれたヴィーナスやウィーン美術史美術館所蔵の“ヴィーナスの祝祭”で年をとったサテュロスに抱き上げられた左端のニンフにエレーヌの面影がある。ルーベンスの絵には“聖ゲオルギウスと龍”のようにこれぞバロック!といったエネルギッシュで劇的な場面を描いた作品は沢山あるのに、今回だけはこれにコラボしてのめり込む時間がない。

ドイツルネサンスの大画家、デューラー(1471~1528)の“1494年の自画像”(真ん中の画像)は足をとめてみた。デューラーは自分の容貌に誇りをもっていたというが、たしかにびっくりするほどいい男である。この絵は半年間のヴェネツィア滞在(拙ブログ04/12/7)から戻って3年後の作品。このときデューラーは27歳。これほどかっこいい肖像画はほかにない。はじめてこれを観たときは美しい女性の絵をみるような感情が湧き起こった。

長い波打つ巻き髪の細密描写がとにかくすごい。まずこれに目が点になり、さらに貴族が着るような優雅な服装に見とれてしまう。そして、手袋までしている。この時代、身分と違う服装で町を歩くと罰せられ、手袋を使うのは手仕事をしない人に限られていた。だから、デューラーはこういう服装や手袋をしていたのではなく、想像でこの自画像を描いた。いつかこういう上品な貴族になりたいという願望の表れである。晩年、デューラーは名の知れた画家になり、若い頃抱いた夢は実現される。

下の絵は大変感動したレンブラント(1606~1669)の“ソフォニスバ”。古代ローマ時代の物語を絵画化したすばらしい絵である。明るい光があたり白く輝く衣装と目鼻だちの整った顔と背景の黒のコントラストが見事。そして、衣装の細かな模様や装飾的な杯の精緻な描写にも驚かされる。リストに入れていた作品ではあるが、予想以上にいい絵だった。オランダの絵があまりないプラドでレンブラントの一級の絵に会えたのは望外の喜びである。

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2007.03.19

プラド美術館 ベラスケス

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マドリード観光の楽しみはプラド美術館にある名画と国立ソフィア王妃芸術センターの超目玉作品、ピカソのゲルニカの鑑賞である。プラドでは日曜日は入場者が多いため、現地のガイドさんが中に入って絵の説明をすることが禁止されている。で、参加者は自由に1時間鑑賞することになった。

名画が沢山あるので1時間ではとても足りないが、皆が美術好きとは限らないからこれは致し方ない。1時間を目いっぱい密度の濃い鑑賞とするため、出発前、目に力をいれて観る作品とさらっと流す作品を分け、まわる順番をガイドブックにでている展示品の配置図でおおよそ決めておいた。ただ、配置替えは頻繁にあると注意書がされていたので当日もらった最新の配置図で最確認してスタートした。手には必見名画をコピーした画像入りリストを握り締めている。まずはベラスケスから。

所蔵52点のうち、過去2回の鑑賞経験のとき印象が薄かったり、見落とした作品でその後、観る力がつき関心度が増した絵を中心に大急ぎでみてまわった。なにしろ1時間しかないから、一つの絵にあまり時間はかけられない。観たい絵がリストにはびっちり載っているのである。

上のベラスケス(1599~1660)の代表作中の代表作、“ラス・メニーナス(女官たち)”は17年前、じっくり観たとはいえ、通りすごすわけにはいかない。とにかく大きな絵で、“傑作を見たぞ!”と感動する絵。何度みても不思議な構図である。右の窓からの光をあびて優雅に立つ王女マルガリータの愛らしい丸い顔と白が輝く衣装に視線が集中する。と同時に右端にいるおばさんのような大きな顔をした小人、マリバルボラが目にとびこんでくる。この小人はマルガリータのかわいらしさの引き立て役だが、見る者にとってはズキンと心にのこるほどの存在感がある。

印象派の先駆けとも言われる描法が前景の登場人物の衣装にみられる。近くではまだらな斑点のような素早いタッチだが、すこし離れてみると色彩が明確になり、生き生きとした感じになる。左のほうにいる画家、ベラスケスはこちら側にいる国王夫妻の肖像を描いている。5歳のマルガリータは“ベラスケスのおじさん、私ちょっと観に来たんだ!観てていい?”とでも言っているのであろうか。

後ろの戸口のところに侍従が階段を上がりかけ、こちらを見ている。この“戸口”が訳ありなのである。昨日、クエンカの現地ガイドさんがベラスケスについて面白い話しをしてくれたと書いたが、そのことについて少々。ベラスケスは19歳のとき師匠の娘フアナ16歳と結婚し、翌年長女フランシスカが生まれた。その娘は14歳のときクエンカ出身の20歳の男と結ばれた。父親は旅宿を営んでおり、そこに嫁いだのである。その宿が今でもホテルとして残っており、ガイドさんが部屋を案内してくれた。

ベラスケスは娘が結婚したときは34歳で以後、この旅宿によく来たという。なかにベラスケスの肖像画が飾ってあった。ガイドさんによると“ラス・メニーナス”に描かれた後ろに戸口のある部屋はこの宿の部屋がモデルだという!戸口の向こうの階段は下がっているので絵とは逆になってはいるが。これはいい話しを聞いた。こんなことはどのベラスケス本にもでてこない。

日本に戻りいろいろ調べたら、娘が結婚したクエンカの男はベラスケスの弟子、デル・マーソ(1610/15~1667)だった。昨年あった“プラド美展”(東京都美)に出品されていた“皇妃マルガリータ・デ・アウストリア”を描いた一級の画家である。ちなみに、マーソは1660年ベラスケスが亡くなると、首席宮廷画家になっている。

真ん中の絵は前回、傑作“ブレダ開城”と共に色彩の輝きと巧みな画面構成に200%驚愕した“皇太子バルサタール・カルロス騎馬像”。前足を上げた躍動感溢れる馬にまたがる王子の凛々しい姿と背景の澄んだ明るい青で表現された空と山々に目を奪われる。見事な肖像画である。

今回しっかり見たのがルーベンスのアドバイスを受けて描いたといわれる神話画、下の“酔っ払いたち(バッカスの勝利)”、“ヴァルカンの鍛冶場のアポロ”、そして“織女たち”。カラヴァッジョもバッカスや聖書の物語を画家自身や市井の人々をモデルに使い,制作したが、ベラスケスの“バッカスの勝利”ではさらにくだけて同時代の若者や農民が描かれている。農民の一人に葡萄の葉の冠をかぶせているバッカスの表情がなかなかいい。

女神ミネルヴァと織りの技を競って、女神の怒りを買い蜘蛛にさせられたアラクネの話しを絵画化した“織女たち”も風俗画仕立ての絵で、日常的なタペストリー工房が舞台になっている。忙しい鑑賞ではあったが、ベラスケスの名画を堪能した。

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2007.01.28

カラヴァッジョ vs レンブラント

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本日の新日曜美術館はカラヴァッジョとレンブラントをとりあげていた。番組の予定表を一ヶ月前入手したとき、ひょっとすると昨年2月から6月までアムステルダムにあるゴッホ美術館で開催された“カラヴァッジョ vs レンブラント展”を事後編集して見せてくれるのかなと胸が高まった。過去にも、シカゴ美術館であった“ゴッホ vs ゴーギャン展”をベースにした番組を制作したことがあるので、二番煎じの可能性があるかもと思ったのである。

が、この予想は大ハズレ。レンブラント好きとして映画監督の山本晋也、かたやカラヴァッジョ好きの代表はなんと司会者の壇ふみ。そして、野村アナウンサーも“レンブラントライト”の実演のモデルとつとめるという制作費が普段よりは安くあがるだろうなと誰がみてもわかる番組づくり。

専門家をゲストに呼ばないで、手作り感覚で大物画家のカラヴァッジョとレンブラントの絵の魅力を読み解いている。でも、番組自体は面白かったし、分析のセンスは上々。鑑賞の切り口をコンパクトにまとめており、カラヴァッジョとレンブラントの絵の特徴と魅力、そして画家の精神性をしっかりとらえていた。

この時期、なぜこの番組なのか?勝手に想像してみた。壇ふみ、野村アナ、プロデューサー、番組スタッフが集まる席でこんな会話があったのではないかと。。。

プロデューサー:“アムスであったカラヴァッジョ vs レンブラント展はかなり人気があったみたいね!この組み合わせでなんか一本つくりたいね。壇ふみさんはカラヴァッジョの大ファンなんですって?”

壇ふみ:“そうなんですよ。あまり胸張って大きな声では言わないようにしてるのですが”

プロデューサー:“カラヴァッジョの研究でいい本をお書きになった宮下規久朗さんをゲストに迎えると、レンブラントの先生もつれてこなくてはいけないなあー。。こうしよう、今回は専門家でなくカラヴァッジョは壇さんに語ってもらおう!”

壇ふみ:“ダメダメ、私のような素人では番組にならないですよ!”

プロデューサー:“カラヴァッジョは今、イタリア人の間ではダビンチやラファエロより人気の高い画家です。日本でもそういう目でカラヴァッジョを見ている人が増えていると思いますから、壇さんが素直にカラヴァッジョの魅力をしゃべっていただくほうがいいんですよ”

壇ふみ:“本当にいいのね、後からクレームがきても知りませんよ。で、レンブラントはどなたにされるのですか?専門の美術史家みたいなエライ方ではレベルが違って話しが噛み合いませんよ”

プロデューサー:“いい人がいるんですよ。映画監督の山本晋也さん。レンブラントライトはお手のものだし、レンブタントがお好きだと伺っております。お相手の野村アナにはレンブラントライトの実演の際、モデルになってもらいます”

壇ふみ:“それはいいアイデアね。野村さんはイケ面ですからね”

野村アナ:“ええー、私がモデルになるの、だったら女優の壇ふみさんのほうがいいに決まってるではないですか”

壇ふみ:“わたくし、20年前でしたら即OKでしたが、今はお肌が。。わかるでしょ、野村さん”。

番組では二人の画家の絵の違いを観るポイント毎に代表作で具体的に説明していた。昨年4月、ローマのサンゴスティーノ教会でみた上の“ロレートの聖母”の場合、聖母&イエスと下でひざまづいている民衆では光のあたる方向が違うという。壇ふみが言ってたように教会のなかでは聖母とイエスのところだけに強い光があたっている。

この絵と対照されていたレンブラントの“目を潰されるサムソン”は02年、京博であった“大レンブラント展”でみた。目ん玉を刺され血が吹き飛ぶ場面が脳裏に焼きついている。こんな傑作を日本でみられたのは幸運であった。

カラヴァッジョの絵は注文者から引取りを何回か拒否されている。“蛇の聖母”(拙ブログ06/5/20)もその一枚。自画像の比較に登場した下の“レンブラント自画像”は数ある自画像のなかでは一番威厳があり、堂々とした肖像画である。NYのフリック美術館でこれをみたときは衣装のゴールドの輝きに一瞬後ずさりした。

2年前訪問したハーグのマウリッツハイスでは念願だった亡くなる間際の自画像(63歳)が観れず、またカラヴァッジョがゴリアテの首を自分の顔にした“ゴリアテの首をもつダヴィデ”(ボルゲーゼ美術館)もゴッホ美への貸し出し中で会えなかった。いつかこの二つの絵が観られる日が来ることを強く願っている。

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2006.05.25

コルトーナの天井装飾画

386_1ローマには17世紀のはじめ誕生したバロック様式の建物、絵画、彫刻など見るべき作品が沢山あるのに、バロック芸術を意識して向かい合ったのはベルニーニの彫刻作品がはじめて。

これまで、サン・ピエトロ広場の柱廊や大聖堂の中にあるねじれたブロンズの柱が目を惹く天蓋(共にベルニーニ作)、また楕円形のナヴォーナ広場などバロック時代に好まれた楕円形、螺旋形、卵形の作品や建築物を見ていることは見ている。

でも、ローマでの関心事はミケランジェロのシスティーナ礼拝堂天井画や彫刻“ピエタ”、“モーセ”とかラファエロの“アテナイの学堂”などルネサンス美術であった。また、古代ローマ時代の遺跡、コロッセオやフォロ・ロマーノをみたり、ヴァチカン博物館の有名な古代彫刻、“ラオコーン”などに時間を割いた。また、トレヴィの泉でコインを投げたり、コンドッティ通りでブランド品を買わなきゃいけないので、スペイン広場の階段でゆっくり座ってる時間もない。こんなローマ観光ではバロックまで気が回らない。で、バロック様式の教会はどこにあるの?ローマバロックの画家は誰?ということになる。

が、今回は違った。ベルニーニの驚愕の大理石彫刻にイレ込んだからかもしれないが、バロックが少しこちらに近づいてきてくれた。当日回る教会、美術館のうち、バルベニーニ宮殿の順番は一番最後だったが、予想以上のスピードでお目当てのカラヴァッジョの絵やベルニーニの彫刻を見れたので、ここも入館できることになった。ガイドブックによると、主玄関から入ってすぐの巨大な広間の天井装飾は必見とある。

右の“神の摂理”(部分)を描いたのはベルニーニとともにローマバロックを代表する画家、建築家であるコルトーナ(1596~1669)。この広間はシスティーナ礼拝堂に次ぐ大きさだという。天井のフレスコ画は1633~39年に制作された。画面の下、雲の上に座すのが“神の摂理”で、その上に教皇の三重冠と聖ペテロの鍵を伴ってバルベリーニ家の家紋が中空に現れている。ソファにすわってしばらく眺めていた。これほど豪華な天井画は見たことがない。浮かび上がってるように見える“神の摂理”に心が動かされる。

ローマにでてきたコルトーナはフィレンツェ出身のバルベリーニ枢機卿に目をかけられ、枢機卿が1623年、ウルバヌス8世として教皇の座につくと、バルベリーニ家にも重用される。コルトーナがバルベリーニ家のために手がけた最大の仕事がこの天井装飾画。“神の摂理によって教皇ウルバヌス8世が選ばれ、その統治下、世界に平和がもたらされる”という寓意的内容を表現している。コルトーナは豊かな想像力を使って描きあげた華麗な天井画により、一気に名声を確立した。

思ってもみなかったバロック絵画の傑作がみれたのはバロックのミューズが呼んでいたからだろうか。バロックへの興味が沸々と涌いてきた。これからバロック芸術への理解を深め、次のローマ訪問ではこのコルトーナやベルニーニのライバルだったボロミーニ(1599~1667)が建てた教会を見てまわろうと思う。

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2006.05.24

レーニのベアトリーチェ・チェンチの肖像

814バルベリーニ宮殿の2階にある国立絵画館に関する情報はイタリアガイドブックのローマの見所に書いてある程度だったので、所蔵絵画に対する期待値はまったくニュートラルであった。

現在、修復中のため展示中の作品は通常より少なく、本にピックアップされてる必見の名画も全部でていない。はじめての美術館というのは展示のレイアウトがよくのみこめないため、出足は鑑賞も落ち着かない。

ラファエロの“フォルナリーナ”でこのコレクションのレベルがわかってきて、ここには結構いい絵があるなとニコニコしながら進んでいたら、“アアー、あの絵はここにあったんだ!”と思わず二人で声をあげた作品に出くわした。右の“ベアトリーチェ・チェンチの肖像”という絵。描いたのはカラヴァッジョと同世代の画家、グイド・レーニ(1575~1642)。

声をあげたのはこの絵が昨年12月18日放送の“美の巨人たち”(TV東京)で取り上げられたからである。番組の最後をフェルメールの名画、“真珠の首飾りの少女”の先行例はこの絵ではないか?という興味深い分析で締めくくっていたのでよく覚えている。その絵の前に立っているのだと思うと、目に力が入る。レーニの絵は2点あり、この絵の隣に“マグダラのマリア”というなかなかいい絵がある。これは岡田温司著“マグダラのマリア”(中公新書、05年1月、拙ブログ05/2/2)の口絵にも使われており、レーニの代表作のひとつ。レーニはマグダラ像を生涯に60点あまり描いている。

ベアトリーチェ・チェンチは1599年、父親殺しの罪で斬首の刑に処せられた実在の女性。22歳で断頭台の露と消えたベアトリーチェの悲劇の物語は今も語り継がれているという。生来女癖の悪いベアトリーチェの父親は自分の娘にまで手を出す始末。こんな極悪非道な男は殺されて当然だが、父親殺しは重罪で、死刑に反対するローマ市民の願いもむなしく、処刑が執行される。この肖像画は首をはねられる直前、牢獄のなかにいたベアトリーチェをチェンチ家とゆかりのあった枢機卿がレーニに命じて描かせたといわれている。

暗闇のなか、こちらを振り返る白い衣装をきたベアトリーチェの顔はマグダラのマリアと同じく小さい。顔が小さいので子供のようにみえる。恨みの気持ちが表情からは微塵もみられず、静かに神のもとに行く時を待ってるようである。あれほど父親に苦しめられたベアトリーチェのこのあどけない顔をみると、余計に人の命の儚さを感じる。

フェルメールの“真珠の首飾りの少女”とこの絵はたしかに頭にターバンを巻いているところ、振り返るポーズが同じである。フェルメールはオランダでこの絵のことを知っていて、構図を借用したのかもしれない。画家が絵を描くとき、先行作を参考にするのはよくあることだ。フェルメールは寓意画も描いているので、当然、絵を描く源泉としてギリシャ神話や聖書物語に通じていた。また、新しい風俗画を制作するにあたって、北方絵画のことはもちろんのこと、イタリア絵画の技法、題材についても相当情報を持っていたのではないだろうか。

“真珠の首飾りの少女”の絵自体が謎につつまれているので、二つの絵が響きあっているかどうかはわからない。ただ、こちらを振り向くという構図は本当によく似ている。

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2006.05.21

カラヴァッジョの聖マタイの召命

382教会でみたカラヴァッジョの絵はいずれも感銘深い宗教画であった。

それらはサン・ルイジ・デイ・フランチェージ教会にある右の“聖マタイの召命”、“聖マタイの殉教”、“聖マタイと天使”、ここからすぐ近くのサンタゴスティーノ教会の“ロレートの聖母”、そしてポポロ広場のところにあるサンタ・マリア・デル・ポポロ教会の“聖パウロの改宗”、“聖ペテロの磔刑”。お気に入りは“ロレートの聖母”と“聖マタイの召命”。

画集をみて大変魅せられた“ロレートの聖母”はイタリア人も好きなようで、団体ツアーや個人が午後の開門4時近くになるとぞくぞくと集まってくる。最初は教会をいろいろ回ってるのだろうと思っていたが、門があくとその大多数の人は入ってすぐのところにある“ロレートの聖母”へ向かって急ぐ。つられてこちらも小走りになった。

場面全体は“蛇の聖母”同様暗く、集中的な強い光によって浮かび上がる幼児キリストを抱いた聖母マリアに巡礼姿の老婆と息子がひざまずいて礼拝する姿が感動的である。聖母マリアの清楚な美しさに心を揺さぶられるとともに、町のどこにでもいる男の汚れた足の裏をこちらに見せるという迫真のリアリズムにこの絵の革新性を感じた。この写実的な描写は聖職者には野卑で挑発的と受け取られたかもしれないが、劇的な光の効果と人物の実在感は物語の迫真性を増し、宗教性を一層高めたともいえる。

“ロレートの聖母”の5年前、1600年に公開された右の“聖マタイの召命”はカラヴァッジョの画力の高さをローマ中に知らしめることになった出世作。今回のイタリア旅行中にみたカラヴァッジョ作品では一番登場人物の多い絵で、収税所にいた徴税吏マタイのもとにキリストが現れ、“私に従いなさい”と言った場面を描いている。後世の画家がカラヴァッジョから光と影の使い方を学んだのはまさにこの絵ではないだろうか。傑作中の傑作である。

キリストに声をかけられとすぐに回心し、ついていったといわれるマタイはテーブルを囲む5人の男の誰なのか?昔は中央の髭の人物と思われていたが、現在では左端の顔をあげず、テーブルにある金貨を見つめる若者とする解釈が主流になっている。見所は右の暗いところから手を差し出すキリストをそれほどの緊張感も無く眺めている男たちのリアルなポーズと身振り。右上からあたる光が男たちの着る当世風でファッショナブルな衣装や白い鳥の羽をつけた帽子を被っている男の色白でふくよかな顔つきを照らしだしている。そして、マタイとみられ若者の横顔はよくみると、実に端正。これは宗教画ではあるが、人物一人々に生身の存在感を感じさせる風俗画でもある。

イタリア滞在中、カラヴァッジョ作品を全部で15点(初見11点)鑑賞できたことが、嬉しくてたまらない。これでカラヴァッジョの全絵画51点のうち29点を見終わった。次回のローマではカピトリーニ、ドーリア・パンフィーリ、コリシーニ美術館を訪問しようと思う。カラヴァッジョとのつきあいはまだまだ終わらない。

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2006.05.20

カラヴァッジョ絵画三昧 in ローマ

381前々から次にローマを訪ねるときはベルニーニの彫刻とカラヴァッジョの絵の鑑賞に多くの時間をさくことを決めていた。ベルニーニ同様、ローマにはカラヴァッジョ(1571~1610)の作品が沢山ある。

美術館、教会にある名画のすべてを一日でみるのは無理なので、リストアップした作品にあらかじめ観たい順番をつけておいて、時間の許す限りタクシーでまわった。まずは美術館にある作品から。

日本を発つ前日、Juneさんのブログで貴重な情報を戴いた。ヨーロッパの美術館でカラヴァッジョの展覧会が開かれるというと、孫悟空のようにあっというまにかけつけるJuneさんはまたまたアムステルダムのゴッホ美術館で開催中の“レンブラント/カラヴァッジョ展”(2/24~6/18)を観られ、展示されているカラヴァッジョの作品のことをブログで書かれていた。で、カラヴァッジョ絵画を多く所蔵することで有名なボルゲーゼ美術館とバルベリーニ宮・国立絵画館からどの絵が今、貸し出されているかがわかった。期待していた“ホロフェルネスの首を切るユディト”(国立絵画館)と“ゴリアテの首を持つダビデ”(ボルゲーゼ美)に会えないのはとても残念だが、これは仕方がない。

ボルゲーゼ美術館のカラヴァッジョの絵が飾ってある部屋には大勢の人がいる。これをみると、ベルニーニとカラヴァッジョがこの美術館の2枚看板であることがよくわかる。観光客のガイドさんが熱っぽく説明していたのが右の“蛇の聖母”。大きな絵である。裸の幼児キリストのわきの下に両手をおき、少し前かがみになっている聖母マリアの姿に目がいく。優しそうで静かな女性である。でも、目を下にやるとギョッとする。足で踏んづけているのは罪と異端のシンボルである蛇。自分の足の上に幼児キリストの足をのせ、蛇を踏み潰す方法を教えているのである。背景を暗くし、左から聖母と幼児キリストに光を当てる描き方に魅了される。

聖母のモデルは娼婦レーナといわれており、サンタゴスティーノ教会にある“ロレートの聖母”にも衣装を変えて出てくる。右にいる聖アンナもローマの下町に行けばすぐ会えそうな老婆。光輪があるのでこの絵は聖母子像であるが、カラヴァッジョは市井の人々を使い、宗教画をより身近に感じるものに変えた。これが最初は依頼主の教会からは“卑俗で、神を冒涜している”などと非難され、受け取りを拒否されたりするが、一方で人間の感情や内面をとらえ深い精神性の感じられる宗教画と高く評価するパトロンたちがいた。

その一人が教皇パウルス五世のお気に入りであったシピオーネ・ボルゲーゼ枢機卿
(1579~1633)。はじめは12点あったボルゲーゼコレクションのうちの6点が現在、この美術館にある。今回見れたのは“蛇の聖母”、“病めるバッカス”、“聖ヨハネ”の3点。残りはゴッホ美術館に行っている。“果物籠を持つ少年”と“聖ヒエロニムス”は日本であった“カラヴァッジョ展”に出品された。カラヴァッジョお得意の暴力的な表現が強烈にでた“ゴリアテの首を持つダビデ”がなかったのは想定外だが、狙いの青白い顔をしたバッカス(カラヴァッジョ自身)も見れたのでトータルの満足度は高い。

バルベリーニ宮・国立絵画館では“ナルキッソス”と“瞑想の聖フランチェスコ”と再会した。隣の方ははじめてみる“ナルキッソス”に喜んでいた。また、日本にも出ていたカラヴァッジェスキ、サラチェーニの“聖チェチェリアと天使”、バリオーネの“聖愛と俗愛”にも足がとまる。次回はここでなんとしてもホロフェルネスの首から鮮血が飛び散るあの代表作を見るぞと思いながら、館をあとにした。

04年末、いいカラヴァッジョ本、“カラヴァッジョー聖性とヴィジョン”(宮下規久朗著、名古屋大学出版会)が出版された(拙ブログ04/12/23)。ご参考までに。

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2006.05.03

アンブロジアーナ絵画館のカラヴァッジョ

367ミラノでの自由時間の大半をブレラ美術館にあてたあと、次に向かったのが集合場所のドゥオーモの近くにあるアンブロジアーナ絵画館。

ここのお目当てはカラヴァッジョの静物画、“果物籠”。51点くらいあるカラヴァッジョ(1571~1610)の作品の多くはローマの教会やボルゲーゼ美術館、バルベリーニ宮国立絵画館にあるが、生地のミラノにはブレラとアンブロジアーナに2点ある。

右の“果物籠”は是非とも観たかった作品。この絵はカラヴァッジョの代表作のひと
つであるとともに、宗教画や肖像画が重きをなしていたそれまでのイタリア絵画のなか
で、最初の独立した静物画として重要な意味をもっている。カラヴァッジョが制作した
静物画はこの“果物籠”(1596)1点しかないが、この絵の前に描かれた世俗画の
“バッカス”(1593~4、ウフィツィ美)、“果物籠をもつ少年”(1593~4、ボルゲー
ゼ美)や宗教画の“エ