2008.05.20

フリック・コレクション その一 ヤン・ファン・エイク  ベリーニ  グレコ

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メトロポリタン美術館から歩いて15分くらいのところにフリック・コレクションがある。前回ここを訪れたのは18年前で、そんなに長い時間いなかったから、この邸宅の入り口から部屋の配置まで情けないくらい忘れている。が、鑑賞した作品については、色のよくでた大きめの図録(英文)のお陰で半分くらいは覚えているから不思議。

鉄鋼王のヘンリー・クレイ・フリック(1849~1919)が住んでいた豪華な邸宅の中に入れるだけでも嬉しいのに、フリックが収集した珠玉の名画や18世紀のフランスの家具や陶磁器、ブロンズ小像をとてもくつろいだ気分でみられのだから、贅沢モード全開といったところ。で、究極のプライベイトコレクションをできるだけ多く紹介したい。

15の部屋や廊下に展示してある絵画はルネサンス、バロック、ロココ、新古典派、イギリス、スペイン、オランダ絵画、印象派の一級品。上はヤン・ファン・エイク(1390~
1441)の“ヤン・フォスの聖母子”。聖母子にかしずいているのがこの絵の制作を依頼した修道士ヤン・フォス。後ろの赤いマントを着ているのは聖バルバラで、右できらきらする質感が見事にでている王冠を手にもっているのは聖エリザベート。

背景に描かれた川、橋、舟、都市の景観はルーヴルにある“ロランの聖母子”とよく似ている。ロンドン、パリ、ワシントン、NYで見たヤン・ファン・エイク絵画の輝く色彩と質感を微妙に表現する神業的な細部描写に200%感動した。一生の思い出である。

真ん中はフリックコレクションの至宝、ベリーニ(1430~1516)の“聖フランチェスカ”。前回最も感激したのがこの絵。以来、ベリーニをイメージする3枚の絵のひとつになった。ちなみにほかの2枚はロンドンのナショナルギャラリーにあるすばらしい肖像画“統領レオナルド・ロレダン”と親しみやすく人間味あふれる聖母子像が描かれた“聖カタリナとマグダラのマリアのいる聖母子”(ヴェネツィア、アカデミア美)。

“聖フランチェスカ”で視線が集まるのが左上から岩肌を照らす光のほうにむかって大きく手を広げるフランチェスカの姿。手のひらに“聖痕”(キリストが受難の際に手足に受けた傷)を授かる奇跡の場面をこれほど劇的に表現した絵はほかにない。また、克明に描かれたフランチェスカのまわりの石ころとか左奥の遠景にみられる小道や木々の葉にも目を奪われる。

下はフリックの生存中そのままの状態で残されている広間にあるグレコ(1541~
1614)の“聖ヒエロニムス”。これは5点存在する“聖ヒエロニムス”のひとつで、メトロポリタンのものとここのがベストと言われている。レーマンギャラリーで見た時同様、枢機卿が着ている礼装の朱赤が目に飛び込んできた。本当にいい肖像画をみた。

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2008.05.05

その三 ティツィアーノ  ルーベンス  ヴェロネーゼ

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ワシントン・ナショナル・ギャラリーにはティツイアーノ(1485~1576)の肖像画の名作が揃っていたが、メトロポリタンでは見慣れた題材と対面した。上の“ウェヌスとアドニス”と“ウェヌスとリュート奏者”。上の絵はプラドにある原画のレプリカで、西洋美の“ウルビーノのヴィーナス展”にもこれとはちがうアドニスが赤い狩猟帽を被った別ヴァージョン(バルベリーニ宮美蔵)が展示されている。

“ウェヌスとリュート奏者”も同じ構図で描かれた作品6点のうちの一つ。作品の質としては、2年前東京都美にやってきたプラド蔵の“ウェヌスとオルガン奏者”が最もいいが、これをベンチマークにするとメトロにあるのは80点くらいの出来栄えで、現在、西洋美に出品されているウフィツィ蔵のものとほぼ同じレベルの絵。

真ん中はルーベンス(1577~1640)がティツィアーノの作品の80年くらい後に描いた“ウェヌスとアドニス”。ティツイアーノとルーベンスの作品を見較べてみると、ティツィアーノのほうが強く印象に残る。それはウェヌスの姿が真に迫っているから。若き愛人アドニスが狩に出かけようとするのを後ろ姿のウェヌスは体をひねらせアドニスの体にしがみつき必死に引き留めている。

なぜ、“行かないで!”とウェヌスは止めるのか?美少年のアドニスは向こう見ずな性質で、獅子、熊、猪といった危険な獲物を追いたがるので、ウェヌスは心配でたまらないのである。案の定、アドニスは手負いの猪の牙にかかって死んでしまう。

この絵の中には二人のほかに2匹の犬とクピドが描かれている。左のほうにいるクピドはウェヌスとアドニスを恋におちいらせた張本人。ぴゅーと放った矢が偶然ウェヌスにあたってしまったから大変。傷を受けたウェヌスはたちまち美しい狩人アドニスにメロメロ。プラドにある原画ではクピドは眠っているが、この絵ではクピドは二人のやりとりをじっとながめている。

ルーベンスの絵で面白いのはこの可愛いクピドがアドニスの足を引っ張っているところ。“ウェヌスお姉さんの愛の力ではアドニスお兄ちゃんの血気を止められないのなら、ここは僕が体を張るしかないな!”クピドちゃんは健気だね!ティツィアーノの絵と較べるとアドニスに動感がないが、ルーベンスは体を斜めにして説得するウェヌスにクピドを加え二人の引き留めようとする気持ちがどんなに大きいかをこの三角形の構図で表現したかったのかもしれない。

クピドは下のヴェロネーゼ(1528~1588)の“ウェヌスとマルス”でも愛の手助けをしている。恋多き女神ウェヌスのここでの相手は軍神マルス。眩しいくらい白い肌をしたウェヌスは当世風の貴族的な衣装をしたマルスの肩に手をかけ、下でクピドが二人の足を紐で結び付けているのを見ている。

指と指を結ぶのはすぐ愛をイメージできるが、足を結ぶというのはちょっと違和感がある。でも、クピドの気持ちはよくわかる。こういう絵ははじめてみたが、ヴェロネーゼはなかなか茶目っ気がある。ロンドン、パリ、ワシントン、ボストン、NYをまわったなかで、“カナの婚礼”(2/26)、ロンドンのナショナルギャラリーでみた“愛の寓意”、フリックコレクションにある“美徳と悪徳”、“智と力”にも魅了されたが、この絵が一番グッときた。

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2008.05.03

メトロポリタン美術館 その一 ジョット  サセッタ  ジョヴァンニ・ディ・パオロ

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本日からNYのメトロポリタン美術館です。また、しばらくお付き合いください。

ニューヨーカーに“MET”(メット)の愛称で親しまれているメトロポリタン美を訪問するのは3度目。前回は15年前だから、しっかり覚えている展示空間は1階のエジプト美術、“デンドゥールの神殿”ぐらいなもので、印象派など目に焼きついている作品についても何処でみたかは見事なくらい忘れている。

館内は広く、1階と2階にエジプト、ギリシャ・ローマ、イスラム、アジア、アメリカ、アフリカ、ヨーロッパ、20世紀美術、中世、武器・甲冑、楽器、コスチュームなど16の展示エリアがある。今回はルーヴル同様、絵画に絞って効率的に回ることを事前にシミュレーションしていたが、実際は目がまわるくらい沢山の部屋があり、また、工事のため封鎖中の部屋があったりするから、途中で一体どこをどう動いているのか頭がこんがらがってくることがしばしば。

絵画だけに限定し、必見リストにある名画を中心に見る作戦だったが、それでも見終わるのに5時間かかった。ツアーの行程ではここの鑑賞時間は3時間。予定ではこのあとの自由行動はグッゲンハイム、フリックコレクションの流れだったが、ここで2時間使ってしまったので、一度行ったことのあるグッゲンハイムはパスせざるをえなくなった。あらためて、メトロポリタンが超ビッグな美術館であることを思い知らされた。疲れはしたが、すごく充実した鑑賞体験だったので、これから感動の名画を目一杯紹介しようと思う。

ここの展示の仕方は少し変則的なところがある。というのも、コレクターの寄贈品のなかでも、一部のコレクターの場合、例えばロバート・レーマン・コレクションやリンスキー・コレクションなどは専用のギャラリーで展示されているから、2階のヨーロッパ絵画のコーナーでルネサンス、バロック、印象派などを見てもう済んだとのんびりしていると、1階中央奥にあるレーマン・コレクションのグレコ、ゴヤ、アングル、ルノワールのとびっきりの名画を見落とすことになる。これから訪問される方はこのことをくれぐれもお忘れなく!

今回リカバリーしたい作品をリストアップするのに役立ったのが04年にBS2で放送された特集“メトロポリタン美術館”。この番組を収録したビデオを出発前によくみて狙いの作品を事前に目になかに入れておいた。また、リストの中には購入した図録(英文、15年前は日本語版がなかった)、画集から得た情報もたっぷり入れてある。

ここにはダ・ヴィンチの絵はないが、ルネサンス絵画の質、数はワシントン・ナショナル・ギャラリーと同じくらい充実している。ジョット(1267~1337)はワシントンにはウフィツィ美術館にいるような気分になる名作“聖母子”があるが、ここの自慢は上の“三賢王の礼拝”。これはジョットが画家としての名声を確たるものにしていた53歳のころの作品で、他の三賢王の構成と違い、一番年上の博士は跪いて幼子キリストを手で持ち上げている。

真ん中と下は二重丸をつけていた作品。ともにシエナ派の画家で真ん中がサセッタ
(1392~1450)の“東方三博士の旅”。キリスト降誕のおり、東方から星に導かれてやってきた三博士の旅の情景が描かれている。惹きつけられるのが人や鳥の動感描写と奥行きを感じさせる構図。馬に乗って山道を下る一行の様子がとても印象的で、左の山の頂上付近にいる二羽の鳥や空を飛翔する鳥にも見入ってしまう。

下はジャヴァンニ・ディ・パオロ(1417~1482)が描いた“天地創造と楽園追放”(レーマンギャラリー)。右のほうに描かれている天使がアダムとイヴを楽園から追放する場面はすっと頭の中に入るが、一体何を表現しているのか?となるのが左の横向きで空を飛んでいる神とその下の鮮やかな赤や黄色、青、紫の輪がいくつもある円。こんな構成はこれまで見たことがない。

これは世界の成り立ちを教えるもの。このころはまだ天動説が信じられていて、円は惑星を表しており、赤の円は太陽。小さな絵だが、一生の思い出になりそう。

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2008.04.11

ウルビーノのヴィーナス展

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現在、国立西洋美術館で開催されている“ウルビーノのヴィーナス”(3/4~5/18)は開幕初日に見た。一月末以降国内で出かけた展覧会はいくつもあるのだが、終了したものは古新聞と同じだから取り上げないことにし、会期が残っているものについてだけ記事にしようと思う。で、この展覧会はタイミングをはかっていたところ。ちょうどワシントン・ナショナル・ギャラリーにあるティツィアーノの絵を紹介したので、感想をまとめてみた。

国立西洋美術館が企画する特別展への関心は本音をいうとあまり高くない。ここより昨年はフィラデルフィア美からマティスやクレーの傑作をもってきてくれたり、この8月からフェルメールを7点も展示してくれる東京都美のほうに倍くらい期待している。

さて、ウフィツィ美からやってきたティツィアーノの上の“ウルビーノのヴィーナス”の人気はどうだろうか?東博で昨年展示されたダ・ヴィンチの“受胎告知”の1/3くらいではないかとみている。間違っている?ルネサンス絵画の鑑賞をライフワークにしているから、この絵に対する関心はそれなりにあり、過去3回のウフィツィ訪問でしっかり目に焼き付けている。客の流れでいうと、この絵の前に大勢の人がいるということはなく、ボッティチェリやダ・ヴィンチ、ラファエロの名画と較べるとかなり淋しいというのが実情。

絵画史の点からいうとこの横たわるヴィーナスは大変な意味をもっているが、それと絵そのものの魅力は別。横たわるヴィーナスをはじめて描いたジョルジョーネの“眠れるヴィーナス”と“ウルビーノ”を較べてどちらが好きかと問われたら、躊躇なく“眠れるヴィーナス”のほうに手をあげる。これをドレスデン美術館で見たときは大変感動した。理由は単純明快。このヴィーナスがとても美しく感じられたから。

“ウルビーノ”は同じ横たわるポーズで描かれているが、このヴィーナスのこちらに投げかける視線はかなり挑発的。そう、これはベッドへ誘っている娼婦の目。当時、この絵はマグニテュード7くらいの衝撃度をもった裸婦図だったにちがいない。このヴィーナスはどうみても理想的な美もへったくれもない、街の楽しいところにいけば必ず見つかる多感な女性。

娼婦の匂いがする裸婦図はこの絵からはじまったといっても過言でない。この絵無くしてゴヤの“裸のマハ”もマネの“オランピア”も生まれてこなかった。だから、この絵については好みは横において、絵画の長い歴史を理解する上でとても大事な絵であるということを言い聞かせて見るようにしている。今回この絵のほかにでているティツィアーノ作品、“ヴィーナスとアドニス”、“キューピッド、犬、ウズラを伴うヴィーナス”は最初に描かれた絵のあと数多くつくられたレプリカの一つ。原画に較べるとすこし質が落ちるから、のめりこむほどではなかった。

さらっとみた絵画に対して、興味深くみたのがヴィーナスの彫刻。なかでも新鮮だったのがジャンボローニャのブロンズ彫刻。はじめてみた下の“跪き、身体を拭くヴィーナス”と“フィオレンツァ”に大変魅了されたので、像のまわりをぐるぐるまわってじっくりみた。初見の彫刻が収穫だったから、今回はこれで満足することにした。

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その二 ジョルジョーネ  ティツィアーノ  グリューネヴァルト

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ナショナル・ギャラリーの館内をまわっていると、ヨーロッパの美術館にいるような気がしてくる。とくにイタリアルネサンスの部屋では質の高い作品が沢山あるのでテンションはプラトー状態のまま。ダ・ヴィンチやラファエロのほかにもジョットの“聖母子”、フラ・アンジェリコとボッティチェリの“東方三博士の礼拝”などを見せられるともう“参りました!”というほかない。質量ともにアメリカの首都にふさわしい美術館と高い評価をうけているのも即納得である。

ルーヴルでもロンドンのナショナル・ギャラリーでもヴェネチア派の名画をいくつも揃えているが、ここでも画集に載っている有名な作品がここにもあそこにもあるという感じだった。上はジョルジョーネ(1478~1510)の代表作のひとつ“羊飼いの礼拝”(部分)。生まれたばかりのキリストを囲んで聖母マリアとヨゼフ、2人の羊飼いが敬虔な祈りを捧げている。

惹きつけられるのが動きのある羊飼いの描写。逆にちょっと引いてしまうのが5人の頭上を飛んでいるあの胴体がなく頭と翼だけの天使。宗教画にはよくこの手の天使が登場するがこれは苦手!画面左上にみえる遠景のうす青の空はとてもきれいなのだが、風景の中に描かれた人物はなぜか極端に小さい。この絵の隣にあった力強い個性がその鋭い目つきから直に感じられる男の肖像画にも足がとまった。

必見リストに何点も載せているティツィアーノ(1485~1576)はロンドン、パリに続いてワシントンでも収穫が多かった。二重丸をつけていた利発で気品のある風貌の少年、ラヌッチョ・ファルネーゼを描いた肖像画は期待値以上にすばらしかったし、威厳のある枢機卿や総督を描いたものにも心を奪われた。さらに目を楽しませてくれたのがティツィアーノが70歳のころ描いた真ん中の“鏡を見るヴィーナス”。クピドのもつ鏡に上半身を映すヴィーナスがなんとも美しく官能的!

この絵のモデルはすこし前に描かれた“ダナエ”(プラド美、拙ブログ07/3/23)とよく似ている。すでにMy好きな女性画に登録されている“ダナエ”のいい相方ができた。また、これまで見たことにないミケランジェロ風の短縮法で聖人ヨハネが描かれている天井画“パトモス島の福音書記者聖ヨハネ”と対面したのも大きな喜び。

グリューネヴァルト(1475~1528)の下の“磔刑図”は美術の本に必ずでている代表作“イーゼンハイムの祭壇画”の縮図みたいな絵。ドイツにある絵を今後見る機会は多分ないだろうから、これは貴重な鑑賞体験。それにしても残酷な磔刑図である。荊で破れ血を流し腫れ上がったキリストの肉体はリアルすぎてあまり凝視はできない。一度、ウイーンの美術史美術館でクラナッハが描いた同じような磔刑図をみたが、これほどサディスティックで痛々しくはなかった。

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2008.04.10

ワシントン・ナショナル・ギャラリー その一 ダ・ヴィンチ  ラファエロ  ヤン・ファン・エイク

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シカゴのあと訪問したワシントンでの観光は比較的ゆったりしていた。リンカーン記念堂、J・Fケネディが眠るアーリントン国立墓地、ホワイトハウス、国会議事堂など主要な観光スポットにあてる時間に余裕しろがあり、ワシントン・ナショナル・ギャラりーとスミソニアン航空宇宙博物館の見学時間は当初の3時間から4時間半になった。これは願ってもない理想的な鑑賞時間。

ここは18年前来たことがあるから、ナショナル・ギャラリーも航空宇宙博物館も既にみている。で、このツアーを申し込むときから航空博物館はパスして日本美術の宝庫であるフリーア美術館ヘ行くことを決めており、作品の鑑賞具合により時間配分を調整することにしていた。4時間半ももらったので、1時間をフリーアにあて、残りの3時間半をナショナル・ギャラリーに使うことにした。

最初に訪問したのはフリーアだったが、ナショナル・ギャラリーのほうを先に紹介することにしたい。鑑賞の順番としてはまず西館をみて、そのあと現代美術が展示してある東館へ移動するのが一般的なコース。前回も同じように動いたはずだが覚えているのは西館2階の天井の高い円形大広間とカルダーのモビールが上から吊り下げられている東館中央の広い吹き抜けくらい。展示室の導線やレイアウトはすっかり記憶から飛んでいる。

今回は無駄な動きをしないために部屋は番号順にまわった。これがやはり一番効率的。上は必見No.1の作品といっていいダ・ヴィンチ(1452~1519)の“ジネヴラ・デ・ベンチの肖像”。アメリカの美術館でダ・ヴィンチの絵をもっているのはここだけ。あのメトロポリタンにも1点もない。

はじめてこれを見たときそれほど感激しなかった。理由はこの女性が美しくなく、絵が小さいから(縦39cm、横37cm)。肖像画は人物の内面や個性が表現されていればそれで立派な作品だが、ルネサンス期の女性画としてはラファエロやボッティチェリが描くような温かみがありみずみずしい女性に心が動く。

ダ・ヴィンチの絵のなかで最も気に入っている“岩窟の聖母”(拙ブログ2/25)に登場する大天使ウリエルの美貌に較べると、この丸顔のジネブラはどうみても分が悪い。この絵で釘付けになるのは金髪の精緻な描写と遠景の青味がかった霞。また背景の水面にあたる光の捉え方からもダ・ヴィンチの高い技量がうかがえる。

真ん中はラファエロ(1483~1520)の“アルバの聖母”。ルーブルにある“美しい庭師”、ウフィツィの“ひわの聖母”、フィレンツェのピティ宮にある“小椅子の聖母”(05/1/4)と並び称される聖母像の傑作である。ラファエロの絵に目がないので、再会したのが嬉しくてたまらない。トンド(円形図)だから、人物と背景の景色のおさめかたがやさしくないのに安定的な構図で人間味のある柔和な聖母像に仕上げている。左で幼子イエスと聖母マリアをじっと見ている小童ヨハネの姿に限りなく魅了される。

この絵はもとはエルミタージュ美術館にあった。財政難からソ連が売りに出したのをこの美術館の生みの親であるアンドリュー・メロンが1931年、ほかの20点とともに700万ドルの巨費を投じて手に入れたのである。いまやアメリカの至宝。

下のヤン・ファン・エイク(1390~1441)の“受胎告知”(部分)もそのなかの一点。精緻な描写と鮮やかな色彩に心拍数が一気に上がった。驚愕するのがマリアに神の子を宿したことを告げる大天使ガブリエルの背中から出ている翼。まるで虹のよう。ルーブルの“宰相ロランの聖母”(2/27)で聖母に冠をかぶせようとしている天使の翼も同じ虹色をしているが、こちらの黄色、緑、赤、青のほうが断然鮮やか。ファン・エイクの絵を見るたびにいい気持ちになる。

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2008.02.26

その二 マンテーニャ  ティツィアーノ  ヴェロネーゼ

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ルーヴル美術館でも事前に重点鑑賞画家を決め、その作品をリストに多くのせていたから、そのひとりマンテーニャ(1431~1506)の絵の前では目に力が入る。お目当ての5点は全部あった。上の“キリストの磔刑”、“勝利の聖母”、“聖セバスティアヌス”、“パルナッソス”、“美徳の勝利”。

前回もこれらの絵の前を通ったはずだが、悲しいかなこの頃はまだマンテーニャに目覚めてなかった。どれも画集に載っている有名な絵。で、一気にリカバリーしようと目を皿のようにしてみた。キリストの磔刑を描いた絵は沢山あるが、このようにイエスと一緒に処刑された盗人が同じような強さで目の中に入ってくる絵はあまりみない。磔にされたイエスの姿より、背景の広大な空間描写と空の白い雲をみている時間の方が長い。遠景の宮殿や家々はびっくりするほど細かいところまで緻密に描かれている。

近景でおもしろいのは手前にいる男が上半身だけをみせているところ。これによりこちら側はイエスがいるところより低くなっていることがわかる。さらに、目をイエスの後ろにやると、兵士たちは坂を登ってきているように描かれている。この描き方はどこかでみたことがある!そう、歌川広重の“江戸名所百景”にも階段を上がってくる場面がいくつもある。マンテーニャのこの空間的な想像力はすごい。

もうひとつ、あっけにとられて見たのが“美徳の勝利”。これは知恵の女神ミネルヴァがヴィーナスと悪徳を美徳の園から追放する場面が描かれている。動感のある人物表現が上手いなと感心しながら画面全体を見渡していたら、左端の地面からすーっとのびた木と枝が途中から女性の胴体、腕に変わっているのに気がついた。なんとシュルレリストお得意のダブルイメージがここに使われているのである。これには仰天した。ルネサンス絵画を数多くみてきたが、こんな絵があったとは。マンテーニャ恐るべし!

ナショナル・ギャラリーではティツィアーノ(1485~1576)を夢中になってみたが、ここにも傑作がいくつもあるので気が抜けない。一番のお目当てが真ん中の“田園の合奏”(部分)。二人の裸体の女の間にリュートを手にした貴族と粗末な服の牧童がいる。座っている後ろ向きの女は笛を吹くのをやめ、左の立っている女は井戸から水を汲んでいるところ。

楽器は愛の象徴。とくに優雅な膨らみをもつリュートはルネサンス絵画では恋する者の楽器としてよく描かれた。この頃、ヴェネツィアの貴族の間では現実逃避的な田園生活と理想郷(アルカディア)への憧れがあり、ティツィアーノはこの時代精神をとりいれ、音楽と愛をモティーフにした絵を描いた。そして、これは18世紀の“田園の宴”へと受け継がれていく。この絵のほかにも“茨の冠”、“キリストの埋葬”、肖像画の傑作“手袋をした男”に釘付けになった。

下はヴェロネーゼ(1528~1588)の超大作、“カナの婚礼”。これはルーヴルにある絵のなかでは最も大きい絵。幅9.9m、高さ6.66m。この絵はルーヴルの大スター“モナ・リザ”と同じ部屋に飾ってある。しかも“モナ・リザ”と対面する形で。だから、かわいそうに“カナ”をじっくり眺めている人は“モナ・リザ”の前にいる人と較べたら極めて少ない。これだけ大きいと隅から隅まで見ようという気がおこらないのが率直なところ。せいぜい楽器を弾いてる楽士と聖母と並んで中央にいるキリストをみるくらい。

だから、これは二つのびっくりを体験する絵だといつも言い聞かせている。一つは西洋画にはこんな巨大な絵があるんだ!ということ。もう一つはキリストが行う奇跡、すなわち、キリストがカナという町で結婚式に招かれ、ただの水をぶどう酒に変えてみせること。次回この絵の前に立つようなことがあっても、あまり時間はかけないような気がする。でも、これは一生忘れることのない絵。

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2008.02.25

ルーヴル美術館 その一 ダ・ヴィンチ  ラファエロ

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最後のルーヴル美術館です。もうすこしお付き合いください。17年前、ルーヴルへ来たときは超近代的なガラスのピラミッドから入場したが、コの字型の建物の左手、リシュリュー翼は改築中だった。朝9時の開館時間にあわせ列に並び、荷物チェックを受けてエレベーターで下に降りていった。

今は冬なので、土曜日といっても開館を待っている観光客はそれほど多くなくスムーズに入れたが、春や夏、秋だと入館者も多く、あの荷物チェックがあるから入り口は相当混雑することは容易に想像できる。だから、美術鑑賞だけが目的ならパリは冬場に訪れるのが一番いいかもしれない。夏だと8時くらいに並んでないとしっかり見れないような気がする。

ここには3時間いる予定だったが、見終わったのは午後の1時。4時間館内を歩き回った。回る順序は前回目に気合がはいってなかったラ・トゥール、ヴァトー、プッサン、コローなどのフランス絵画をまずみて、最後にルネサンス絵画やドラクロア、ダビッドらの大作が飾ってあるドノン翼ヘ行った。今回は絵画だけに絞ったので、古代エジプト、ギリシャ・ローマ、彫刻部門などはすべてパス。これから取り上げる感動の名画は見た順番ではなく時代順。まず、ルネサンスから。

手に握りしめている必見リストには見逃したルネサンスの巨匠たちの作品が沢山載っている。が、ダ・ヴィンチ(1452~1519)とラファエロ(1483~1520)の作品はほんの少し。有名な絵は過去2回の鑑賞で目に焼きついているから、あまり時間をかけず肩の力を抜いてみようという作戦。

上の“モナ・リザ”は今はガラスの中に入っており、再接近して見ることができない。しかも大勢の人がいるから、一番前に行くこともままならない。で、かなり離れて見るはめになった。空気遠近法で描かれた神秘的な背景をじっくりみる予定だったのに、この位置からでは単眼鏡を使わないと細部がみえない。ここで実際単眼鏡を使うことになるとは思ってもいなかった。

今年の1月16日の新聞に、この絵のモデルがこれまでの有力な説通り、フィレンツェの商人の妻、リザ・デル・ジョコンドだったことを裏付ける証拠が見つかったと大きく報じられた。これを記述した書物がドイツのハイデルベルク大学図書館にあるという。この肖像画のモデルがジョコンド夫人であることはこれで決着がついたが、なぜ、ダ・ヴィンチはこれを死ぬまで持ち続けていたのだろうか?

これは注文されて描いた絵ではなく、自分の理想とする女性像を描くため、リザにモデルになってもらっただけなのかもしれない。ダ・ヴィンチは完璧主義者だから、何度も々絵の具を塗り重ねて微妙な色や明暗を追求したが、これでOKというレベルに至らず、ずっと持っていたのだろう。

“岩窟の聖母”(真ん中の右)と“聖アンナと聖母子”(左)はグランドギャラリーの一角にある。こんな傑作が特別扱いされることなく展示してあるところがすごい。ダ・ヴィンチの作品の中で最も惹かれているのが“岩窟の聖母”に描かれた大天使ウリエル。精緻に描かれた金髪のカール毛一本々とこちらを見つめる視線が胸をツンと突く。

そして、背景の先が丸くとんがった奇岩のむこうから差し込む光がとても印象的。ロンドンのナショナル・ギャラリーで同じ題名の絵をみたが、ここでは大天使ウリエルは洗礼者ヨハネのほうを指差してなく、聖母マリア、イエス、ヨハネの頭上には光輪が描かれ、ヨハネは十字杖を持っている。

“聖アンナと聖母子”で釘付けになるのが背景のうす青で描かれた幾重にも連なる山々。空気遠近法の特徴が一番でているのがこの絵の背景。この青にひきずられて視線は優しく微笑む聖アンナに集中する。聖アンナの絵は沢山あるが、これほど慈愛にあふれる表情を見せる聖アンナはほかにない。

下は大好きなラファエロの“美しき庭師”。もうメロメロ!イエスの手をささえる聖母マリアの安らかな顔をうっとりしてみていた。ナショナル・ギャラリーには“騎士の夢”がなかったが、ここではリストに載せていた“聖ミカエルと竜”や“竜と戦う聖ゲオルギウス”などを大体みることができた。ラファエロ作品の追っかけも終わりに近づいている。

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2008.02.03

その二 ティツィアーノ  ティントレット  クリヴェリ

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ナショナル・ギャラリーの2回目はヴェネツィア派。ここの自慢のひとつが色彩の魔術師、ティツィアーノ(1485~1576)のコレクション。質の高い名画が二つの部屋に8点展示してある。ここ3年くらい海外の美術館でティツィアーノのいい絵を見る機会に恵まれているが、昨年のプラド美術館(拙ブログ07/3/23)同様、ここの作品にも大いに魅了された。

上は代表作として画集に必ず載っている“バッカスとアリアドネ”。ティツィアーノとティントレットの区別がはっきりできなかった前回でもこの絵だけは目に焼きついている。強いインパクトをもって目にとびこんでくるのが赤いマントを風になびかせて動きのあるポーズをとっている若い男。酒神バッカスである。このバッカスと目を合わせているのが色鮮やかな青の衣装と赤い布のアリアドネ。こちらも右手を前につき出し、足を半歩前に出している。

これは“捨てる神あれば、拾う神あり”の場面。アリアドネを捨てたのが彼女の手助けで怪物ミノタウロスを退治した英雄テセウス。アリアドネの美貌がイマイチだったためか、テセウスは画面左に描かれた船に乗ってナクソス島を離れていく。でも、悲しむアリアドネの前に沢山のお供をつれたバッカスが現れ、すかさずプロポーズ。これって同情婚?

賑やかなお供たちはちょっとギョッとする。真ん中のサテュロスの子供は八つ裂きにした子牛の頭を引っ張っており、その隣のサテュロスは体に蛇を巻き付けている。もうひとつ気になるのがバッカスが乗る凱旋車を引く2頭のチータ。チータはこの絵を飾るフェラーラのアルフォンソの城にいたらしい。

動きのある人物表現といい、高価なウルトラマリンで描かれた目の醒めるような空の青といい、この絵は見る者の心を200%揺すぶる。再会できた幸せをかみしめている。前回記憶に薄かった作品で心を奪われたのがキルトの質感がよくでているすばらしい肖像画“青い袖の服を着た男”。これをみれたのも大収穫である。

真ん中はティントレット(1518~1596)の“天の川の起源”。この絵と“聖ゲオルギウスと竜”に対面するのを楽しみにしていた。前来たときはティントレットはティツィアーノ以上に知らなかったが、今ではこの画家の宇宙遊泳のような人物表現に非常に興味を覚えている。“天の川の起源”は画題と描き方がマッチしているなかなかおもしろい絵。天の川は英語で“ミルクの道”というが、この絵をみるとその意味がよくわかる。

裸婦はゼウスの妻ヘラで、乳を吸っているのは幼いヘラクレス。ヘラクレスがあまりに強く乳を吸うので乳があたりにとびちり、それが星になり天の川ができた。ヘラはヘラクレスがゼウスがよその女に産ませた子供とは知らずに乳をやっている。だから、嫉妬深いヘラが夫の浮気を承知していたら、天の川は生まれなかったかもしれない。

この絵はヘラとヘラクレスの二人を中心にして、放射上にゼウスや童子、鷹、孔雀、天の川の星が配されている。視線が集まるのがあの宇宙遊泳スタイルでヘラクレスを差し出しているゼウスと神々の伝令役のヘルメス。ヘルメスと左の童子は宙返り状態で、じっとみていると目が回りそうになる。

下はヴェネツィア出身の画家、クリヴェリ(1430~1494)が描いた“ツバメの聖母”。2年前訪問したミラノのブレラ美術館で、テンペラによる緻密な細部表現と金箔ずくめの額縁装飾が特徴のクリヴェリの祭壇画に開眼したが、ここでも同じような絵に目を見張らされた。この絵のほかにも“聖エミディウスを伴う受胎告知”や“大天使ミカエル”に足が止まった。これほど多くのクリヴェリの絵と遭遇するとは思ってもみなかった。

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2008.02.01

ナショナル・ギャラリー その一 ボッティチェリ  ラファエロ  フランチェスカ

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17年ぶりにロンドンとパリを訪問し、美術館巡りをしてきた。といっても個人旅行ではなく、名所観光と世界遺産、モンサンミッシェルが売りの普通のツアー旅行。このツアーは自由行動が多いので、この時間を全部美術館巡りにあてたというわけ。

名所観光も一部をパスして、絵画鑑賞をしたから、こうした一般的なツアーでも結構な数の美術館を訪問することができた。で、これからしばらくの間、西洋絵画の感想記が続く。訪問したのは次の8館。
(ロンドン)
★ナショナル・ギャラリー
★テート・モダン
★テート・ブリテン 
(パリ)
★ダリ美術館 
★ルーヴル美術館
★オルセー美術館
★クランパレ(クールベ展)
★ポンピドゥーセンター

まずはナショナル・ギャラリーにある名画から。ここへ来るのは3度目。ダヴィンチの“岩窟の聖母”やルーベンス、ホルバイン、スーラの傑作などよく覚えている作品もあるが、前回の鑑賞がなにぶん17年前だから、そのとき購入した館の図録には現在はすごく興味があっても、当時はまったく知らなかったか関心の薄い画家の作品がいくつも載っている。

そこで、昨年のプラド美術館のときと同様、見落とした作品とほかの美術本にでている作品をコピーした名画必見リストを作成し、これをひとつ々消化する作戦で館内を回った。作品が展示されている部屋が昔とは変わっているので、はじめて回っているようなもの。だから、全部見終わるのに3時間もかかった。予定を1時間オーバーしている。感動した名作を全部とはいかないが、ルネサンス期から印象派まで7回にわたって紹介したい。

ルネサンス絵画の鑑賞をライフワークにしているから、ここの名画の数々には興奮しっぱなし。上は大好きなボッティチェリ(1445~1510)の“ヴィーナスとマルス”。これはフィレンツェの大邸宅での婚礼に際して制作された室内装飾の一部で、ベンチか長持の背板とみられている。

はじめてこの絵を見たとき、眠っている軍神マルスの耳元でホラ貝を吹くサチュロスの子供のユーモラスな姿と恋人のマルスをみつめるヴィーナスの今風の美しい顔に釘付けになった。ボッティチェリの画風の特徴である優雅な線が心をとらえてはなさない。ほかにも晩年の傑作“神秘のキリスト降誕”やトンド(円形画)形式に描かれた“東方三博士の礼拝”、そして印象深い肖像画“青年の肖像”がある。

ラファエロ(1483~1520)は02年、アメリカへの流出騒動があった“聖母子”(24歳のときの作)がお目当てだったが、残念ながらどこかの美術館へ貸し出し中だった。こういうときは全身の力がぬける。また、リストに入れていた“スキピオの夢”もなかった。だが、真ん中の“アレクサンドリアの聖女カテリーナ”や“法王ユリウス二世”など6点もみれたから大満足。お気に入りのボッテイチェリとラファエロがこれほどみられるのはほかにはルーヴルとウフィツィしかない。すばらしいコレクションである。

ここには今回の美術館めぐりで重点鑑賞画家にしているピエロ・デラ・フランチェスカ
(1415~1492)の代表作が2点ある。下の“キリスト降誕”と“キリストの洗礼”。前回はまだ、フランチェスカの絵にめざめてなかったが、3年前あたりからその画風に魅せられるようになった(拙ブログ05/8/1)。だから、二つの絵を熱心にみた。

“キリスト降誕”は正方形の板に油彩で描かれている。地面には生まれたばかりのキリストが寝かせられ、横では少女のような聖母マリアがひざまずいている。この場面はほかの画家の作品でみることはよくあるが、この絵のようにキリストの後ろで天使がリュートを演奏したり、ミサの一部を歌っているのが描かれたものははじめてみた。

天使たちは村の娘そのもので、宗教画なのに当時のトスカーナ地方を描いた風俗画のような感じがして、絵の中にすっと入っていける。不思議なのが後ろの納屋の屋根に静かに止まっている本来はやかましいはずのカササギ。これはキリストの誕生で新しい世界がやってくることを暗示している。

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2007.09.13

ティツィアーノのサロメ

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海外からやってくる西洋絵画の展覧会の場合、いつも言っているように、目玉の作品が2,3点あればそれで充分。このMy評価基準に従うと、現在、Bunkamuraで開催中の“ヴェネツィア絵画のきらめき展”(9/2~10/25)は鑑賞リストに入らないのだが、チラシに使われている上のティツィアーノ作、“サロメ”がどうしてもみたいので、例外扱いで出かけた。

はじめからこの絵しか関心がないから、出足は遅い。ベリーニ、ヴェロネーゼ、ティントレット、カナレットらの出品作は予想通り、アベレージ。ヴェネツィア派の絵画の魅力はあの赤や青など輝く色彩なのに、心ときめくのが1点もないのである。タイトルの“きらめき”に惑わされないように。で、図録は買わず20分で出口に向かった。

さて、お目当ての“サロメ”である。これは美術本や愛読書の宮下規久朗著“カラヴァッジョ 聖性とヴィジョン”(04年、名古屋大学出版会、拙ブログ04/12/23)、パノフスキー著“ティツィアーノの問題”(05年、言叢社同人)にでてくるのでいつかこの目でみたいと願っていた。

絵を所蔵しているローマのドーリア・パンフィーリ美術館は次回のローマ旅行ではカラヴァッジョの2作品をみるため、必ず訪問しようと思っているところ。日本でこのサロメと対面できるとは思ってもみなかった。

これが描かれたのは1515年頃で、ティツィアーノ30歳の頃。同時期の絵、“聖愛と俗愛”(06/5/22)と較べると、色の鮮やかさとか細かいタッチは“聖愛と俗愛”ほうがだいぶ上。もし“お好きなのを差し上げる”と言われたら、即座に“聖愛と俗愛”に手をかける。

“サロメ”はいつも眺めていたい絵ではないが、不思議な魅力がある。洗礼者ヨハネの首が載せられた大皿をもつサロメはこのおぞましい首がなければ、聖母像にもなるほど柔和な顔をしている。サロメの絵ですぐ思い浮かべるモローの“出現”がサロメを“ファム・ファタル”として妖艶に描いているのに対し、ティツィアーノの“サロメ”は静謐そのもの。

普段はおとなしい女子高生が同級生を殺すといったショッキングな事件に接し、強い衝撃を受けることがあるが、この醒めたサロメにも不気味な怖さが漂っている。現代に生きるわれわれには激情的に表現されたモローのサロメより、こういうサロメのほうが妙にリアリテイを感じてしまう。

大皿の首はティツィアーノの自画像といわれている。聖人ヨハネが首を撥ねられたのは30歳で、これを描いたティツィアーノと同年齢だった。下は後年のティツィアーノの自画像(ベルリン国立美術館)。頬骨の形、鷲鼻などがよく似ている。

昨年のボルゲーゼ美、今年のプラド美(3/23)でティツィアーノの名画を沢山みて、この画家がますます好きになったが、今回のサロメも大満足だった。

なお、拙ブログは9/14~9/20までお休みします。

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2007.04.29

甘美なる聖母の画家 ペルジーノ展

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4/21から損保ジャパン美術館で“ペルジーノ展”がはじまった(7/1まで)。ペルジーノ(1450頃~1523)にぞっこんではない。でも、大好きなラファエロの師匠だから、やはり足を運んでおこうという気になる。

日本でペルジーノの展覧会が行われるのははじめてである。出品作の多くはウンブリア国立絵画館が所蔵するもの。真作は数点であとは公房作。その真作のなかにすばらしいのが2点ある。上の“聖母子と二天使、鞭打ち苦行者信心会の会員たち”(ウンブリア館)とウフィツィ美術館からやってきた“少年の肖像”。

“聖母子と二天使”における聖母子や天使には甘美で清らかな雰囲気が漂っており、その調和と均衡のとれた画面構成は見る者に安らぎを与える。そして、びっくりするのがマリアの衣装の深い赤と青。上の左右対称に描かれた天使の紫と橙色もよく色が残っている。この絵が描かれたのは1496~98年頃で、1500年、50歳くらいのペルジーノのところに17歳のラファエロが弟子入りする。

ラファエロはここで4年修行したあとフィレンツェに移るが、下の絵はラファエロがこの工房にいるときに描いた“マリアの結婚”(1504、部分)。昨年のイタリア旅行で幸運にもミラノのブレラ美術館でみた。右端と左のほうにいる顔を左に傾けこちらを向いている二人の女性はペルジーノが描いた上の絵のマリアとそっくり!若い頃のラファエロがペルジーノの影響を強く受けていたことがよくわかる。

近代の肖像画の香りがする“少年の肖像”は昨年、ウフィツィで代表作のひとつ“ピエタ”、“聖者とともにいる聖母子”と一緒に鑑賞した。大きな瞳をした少年が何か語りかけるような力のある絵だったのでよく覚えている。1500年頃にペルジーノはこのような人間の内面性を深くとらえた肖像画を描いた。これには恐れ入る。

最近、聖ヒエロニムスを描いた絵をみることが多い。リスボンの教会で見たのがはじまりで、昨日とりあげたイタリア・ルネサンスの版画展にも何点かあり、ここでもライオンを従え、手に石をもち、赤い衣をつけた聖ヒエロニムスが磔刑像の前で跪いている絵を見た。でも、ここの絵はなにか変?磔刑像はどうしてこんなに小さく描かれているのだろうか。聖ヒエロニムスをガリバーのように大きく描くのもあり?!これはconcernしておこう。

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2007.04.28

イタリア・ルネサンスの版画展

812国立西洋美術館は西洋版画に大変熱心。

05年の“キアロスクーロ展”(拙ブログ05/12/10)に続き、現在“イタリア・ルネサンスの版画展”を開催している(5/6まで)。

明るい色彩や大胆な構図に魅せられる日本の浮世絵と較べると、胸わくわくという感じではないが、期待するものがいくつかある。一つはデューラーとマンテーニャの銅版画。もうひとつはキアロスクーロ展同様、版画に描かれるキリスト教物語とギリシャ神話。

今回はスイスのチューリッヒ工科大学が所蔵する1460/70年から1530年ころまでに制作された鑑賞用版画が112点ばかり展示されている。絵画だけでなく版画(エングレーヴィング)も手がけたマンテーニャの作品は工房作を含めると11点でている。そのなかでとくに惹かれるのが“キリストの埋葬”と右の“海神の戦い”。

強いハッチングで表現された陰影や立体感に吸い寄せられ、悲しみや怒りなどの感情がリアルにでた顔の表情と人体や動物の激しい動きに目を奪われる。古代ローマ時代につくられた“ラオコーン”を彷彿とさせる彫刻的な描写は色つきより白黒のモノトーンのほうがかえって迫力がある。また、チラシに使われているポッライウォーロの“裸の男たちの闘い”もインパクトの強い作品。筋肉隆々の男たちが剣をふりかざす姿をみて、ウフィツィ美術館にある“ヒュドラと戦うヘラクレス”を思い出した。

デューラーは自分の作品“木版画小受難伝”がライモンディに無断でコポーされたので、これを怒り訴訟を起こしたという。1506年、当時25歳くらいだったライモンディは贋作としてデュラーの版画を売ろうとしていた。ヴェネツィアでデューラーをコポーし、腕をみがいたライモンディが次に向かったのがローマ。今度は同世代のラファエロと組んで版画をせっせと制作する。ラファエロの原画にもとづく作品が8点ある。お気に入りは“クオス・エゴ”。

マンテーニャの絵を同じくらい感動したのがバルバリが制作した大きな“ヴェネツィア鳥瞰図”。運河を含めた町全体がいくつかに分解されて作られ、それらが組み合わされてできあがった大きな地図である。四方に雲の中から顔をだし、風を吹き込んでいる風の神が描かれているのが面白い。最後のコーナーにあったティツィアーノの原画を版画にした9点も大きな収穫。

西洋版画を見る機会がないのでこういう展覧会は有難い。3回目はある?

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2007.04.27

ダ・ヴィンチの受胎告知

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ウフィツィ美術館にあるダ・ヴィンチの“受胎告知”が東博で公開されて1ヶ月ちょっと経つ(展示は6/17まで)。現在の混み具合はどんなだろうか?このGW中は大げさにいうと全国から美術愛好家がやってくるかもしれない。国立新美術館ではモネ展をやっているし、上野でもダ・ヴィンチの名画がみれるのだから、今、東京の美術環境は最高!

スペイン・ポルトガル旅行記が間にはいったので感想を書くのが随分遅れたが、この展覧会は3/20の初日に見てきた。予想されたとはいえ、目の前の混雑ぶりをみせられると、ダ・ヴィンチという画家に大の絵画好きにしろ普通の人にしろ多くの人が並々ならぬ関心を寄せていることがわかる。

今回公開されている“受胎告知”は昨年訪れたウフィツィ美術館で時間をかけてみたから、再度の対面では画面のディテールに対する目の配り方も似通ったものになった。絵のサイズでいえばダ・ヴンチの作品の中では“最後の晩餐”に次いで大きいから、見ごたえがある。現地で見たのと同じ印象だが、まず目が集中するのが書見台の大理石装飾。そして、聖母マリア。大天使ガブリエルからイエスの身ごもりを告げられた瞬間の驚きを顔の表情ではなく左手で表現している。マリアの顔はとても少女ぽい。

ダ・ヴィンチが描く女性で一番惹きつけられるのが念入りに編んだ金髪。マリアの綺麗にカールされた髪も悪くないが、お気に入りは“岩窟の聖母”(ルーブル美)で横向きに描かれた大天使ウリエルの髪のほう。大天使の周りに整然と描かれている植物や手に持っているユリは画面全体がすこし暗いから、花としての残像は強くない。それより印象深いのが白地の遠景に浮かび上がる糸杉。この糸杉は平板に様式化されて横に連続しており、背景の海面に浮かぶ小さな帆船(下の拡大画像)と較べると巨木のように感じられる。

遠近法上の消失点となっている遠景の先の尖った三角形の山と空には、まだ“最後の晩餐”(拙ブログ06/5/1)で目に焼きついている究極の空気遠近法、すなわち、美しいうす青はみられないが、中国の山水画を連想させるかすみがかった風景は深遠で幻想的。山水画は目の前にある風景ではなく、画家の精神性を象徴的に表現しているのに対し、ダ・ヴィンチは科学的な観察のうえに超想像力を働かせ、理想郷を描いた。

平成館で行われている企画展は昨年、ウフィツィ美術館で見た。鑑賞後購入した図録はイタリア語だったから、図版ばかりながめていたが、内容が日本語に翻訳されたので助かった。現地でも驚愕したのが大きな馬の像の模型。この像は結局実現しなかったが、ダ・ヴィンチの創作エネルギーは規格外のスケール。また、“最後の晩餐”における使徒たちの心の動きを再現したCG映像がすばらしい。

今回の図録は芸術家そして科学者、ダ・ビンチのことを知るには最良のもの。永久保存版として折に触れ、読みこなしたい。

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2007.03.23

ティツィアーノの神話画

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“ティツィアーノとルーベンスの絵をみたければプラドへ行け!”といわれるほどこの美術館には両巨匠の名画が沢山ある。今回の楽しみの一つが36点あるティツィアーノ
(1485~1576)の作品。過去2回の鑑賞で肖像画の傑作、“カール5世騎馬像”や下の“ダナエ”はよく覚えているが、ほかは感動を体の中にとどめたという確たる記憶がない。理由は明白。当時はまだ、鑑賞の対象としてティツィアーノは入ってなく、ティツィアーノとティントレットの絵が区別つかないくらい関心が低かったのである。

ティツィアーノに開眼したのは93年、ボストンにあるガードナー美術館で最高傑作といわれる“エウロペの略奪”(拙ブログ05/05/25)をみてから。そのあとヴェネツィアのサンタ・マリア・デイ・フラーラ聖堂に飾ってある“聖母被昇天”、昨年のボルゲーゼ美術館の“聖愛と俗愛”(06/5/22)などとのエポック的な遭遇があり、今はこの画家の絵を見ているととてもいい気分になる。だから、1階と2階にあるティツィアーノの部屋では画集に載ってる代表作を画像コピー入りチェックリストで確認しながら、興奮状態でみてまわった。“この絵はここにある、隣の絵がこれだ!”という調子。ここの所蔵作品が常時展示してあるわけではないから、リストの絵が見あたらなくてもおかしくないのに見逃したのではと、時間がないのにまた前の部屋に引き返したりする。

ティツィアーノは48歳のときカール5世の宮廷画家になって以来、ハプスブルク家一族の肖像画を多く手がける。カール5世のほかにも皇后イザベル、フェリペ皇太子、そして国王になったフェリペ2世の肖像画がある。昨年あった“プラド美展”には“皇帝カール5世と猟犬”、“フェリペ2世”の2点が出品された。今回注目したのは肖像画よりもギリシャ神話などを題材にした作品。ヴェネツィア派の特徴である鮮やかな色彩で描かれた神話画が次から次と目の前に現れる。“プラド美展”に展示されて多くの人をうっとりさせた“ヴィーナスとオルガン奏者”(06/2/26)と再会した。隣にクピドが枕に代わっている別ヴァージョンがあったが、色の輝き、細部の筆致は東京都美にきたほうが断然いい。

神話画のうち是非とも見たかったのが上の“ヴィーナスへの奉献(キューピットたち)”と真ん中の“バッカス祭(アンドロス島の人々)”。“キューピットたち”はヴィーナスの神殿がある林檎の果樹園で大勢のキューピットたちが林檎遊びに興じているところが描かれている。林檎はヴィーナスの果実で、生の喜びのシンボル。ルーベンスの絵でキューピットが沢山登場するのを何点かみたことがあるが、ティツィアーノのこの絵がモデルになっているに違いない。人数を数える時間はないが、多くの可愛いキューピットたちがふざけあったり、取っ組み合ったり、抱き合ったりしている。これほどバリエーションに富んだ動きと表情をしたキューピットをみたのははじめて。“聖母被昇天”や“聖愛と俗愛”にも愛らしいキューピットが描かれており、ティツィアーノはラファエロ同様、キューピット描きの名手である。

“バッカス祭”では右手前に描かれた酩酊して眠りこける裸婦のニンフに目が集中し、その官能的なポーズに心がざわざわしてくる。この絵のテーマは“アンドロス島を流れる葡萄酒の小川とその小川の酒を飲んで酔っ払ったアンドロスの人々”。酒席の楽しい雰囲気が伝わってくるようで、仲間に入れてもらいたくなる。笛を持って横たわる二人の若い娘の前に置かれた楽譜にはフランス語で“酒呑んで盃かさねぬ者は酒呑むことを知らぬ者”と書かれている。

下の“ダナエ”はティツィアーノがフェリペ皇太子のために制作した絵。拙ブログでレンブラント(05/5/26)とクリムト(06/11/5)が描いた“ダナエ”を取り上げたが、このティツィアーノの絵にもすごく魅了される。久しぶりの対面。性格が悪そうな召使の老女が天から降りそそぐ黄金の雨(ゼウス)を前掛けで集めている姿とやわらかい肌をした優美なダナエをしっかりみた。

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2007.03.22

ルネサンス・北方絵画の傑作

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美術館で絵画を鑑賞したあとずっと印象に残っている絵がある反面、だんだん記憶が薄れてくる絵もある。記憶にとどまらない絵はそのとき見てなかったか、見たいと思う気持ちが弱かったかいずれかである。でも、時が経つにつれて、どっちだったかわからなくなる。

今回のプラド訪問でなんとかリカバリーし、目に焼きつけたいと思った作品がベラスケスやゴヤ、ボス以外にもある。それが真ん中のフラ・アンジェリコの“受胎告知”と下のファン・デル・ウェイデンの“十字架降下”。90年、この美術館を訪問した際購入した図録(日本語版)にはどういうわけか、白黒の図版しか載ってない。あまりに味気ないので、絵葉書を沢山買い込み、実際の絵の印象を体に染み込ませてきた。で、今回やっと色つき図録を手に入れた次第だが、図版をみてがっかりした。00年に初版が発行されているのに実際の色がよくでてないのである。印刷会社の技術レベルがイマイチなのかもしれない。最近、海外の美術館で買った図録では一番色をひろってない。これはまったく想定外。

感激の2点のまえに前回熱心にみた上のボッティチェリの面白い絵、“ナスタジオ・デリ・オネスティの物語”のことから。これはボッティチェリ(1445~1510)が構想し、実際には工房の弟子たちが描いたといわれている。ボッカチオの“デカメロンの物語”に題材を得た4連作で、プラドに最初の3枚があり、最後の場面は個人蔵になっている。上の絵は三番目の場面。真ん中で両手を上げているのがナスタジオ。横は怖い光景。裸の女が2匹の猟犬に太腿を噛まれている。右で白馬にまたがり猟犬をけしかけているのがこの女を恋してしまった騎士。

どうして、好きな女を怖い目にあわせているのか?その理由がちょっと身勝手。女が自分になびいてくれないのでこの騎士は自殺してしまう。ところがこの男(幽霊)は女の愛情のなさを恨み、その罪の深さをわからせようと猟犬を使ってつかまえ、心臓をえぐり出し犬に食わせるという残虐な行為におよぶ。が、不思議なことに死んだはずの女は起き上がり逃げていく。そして、逃げる女を騎士と猟犬が追っかけていく。これが延々と続く。これをたまたまみたナスタジオは仰天する(この場面が前の2枚に描かれている)。

で、ナスタジオは自分が愛している恋人も同じようにこっちを向いてくれないので、恋人と一族を宴会に招待し、この恐ろしい場面を見せる。するとこの脅しがしっかり効いて恋人は心を開き結婚に同意する(これが最後の絵に描かれているとのこと)。ちょっとサディスティックな場面だが、ボッティチェリの特徴である優雅な線で描かれた人物と動感表現に心を揺すぶられる。

フラ・アンジェリコ(1395~1455)の“受胎告知”はフィレンツェのサン・マルコ修道院にある同名の作品と並ぶ傑作。サン・マルコのが抑制ぎみで静かな雰囲気に包まれているのに対し、この“受胎告知”に描かれた救世主の身ごもりを告げる大天使ガブリエルとそれを聞くマリアの間には緊張感があり、劇的な感じがする。左斜め上から出てくるゴールドの線状の帯には聖霊を表す鳩がいる。そして、左の遠景はキリストの贖罪の原点であるアダムとイヴの楽園追放の場面。大天使の金色の翼、マリアが着ている目の覚めるような青の衣装、そして金光に吸い込まれそうになる。本当にいい絵をみた。

ファン・デル・ウェイデン(1399~1464)の“十字架降下”も驚愕の一枚。美術本には数ある“十字架降下”のなかで一番の傑作と高く評価されているが、実際この絵の前に立つとそれを実感する。十字架からおろされたキリストより、気絶した聖母マリアの姿に視線が集中する。よくみるとキリストとマリアの体は同じ形。リアルな感情表現、鮮やかな青や赤、緑などの色使い、そして衣装の襞までしっかりとらえた細部描写に200%KOされた。一生の思い出になる名画との遭遇に腹の底から嬉しさがこみ上げてきた。

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2006.10.08

ウィーン美術アカデミー名品展のクラナハ

498損保ジャパン美術館で、03年、ウィーン美術アカデミーで観た絵画と再会した。

この名品展(11/12まで)の情報を得たとき、瞬間的にウィーン美術館巡りの楽しみの一つであったボスの怪奇画、“最後の審判”(三面祭壇画)がまた観られるのでは!?と胸が高鳴った。が、やがてわかった展示品にはこれは入ってなかった。やはり無理だった。

冷静に考えれば、こんな館の至宝のような絵が日本にくるわけがない。さらに残念なのはもう一つの目玉であるボッティチェリの“聖母子”もこない。

となると、再会したい絵は絞られてくるが、とにかくでかけることにした。今回は80点でている。美術アカデミーの展示部屋は各室あまり広くない。だから、展示してあるのは大作をすぐイメージするルーベンスの絵でも今回でている“三美神”のような中くらいの大きさの作品にとどまり、中・小品がほとんどを占めている。ファン・ダイクのなかなかいい絵、“15歳頃の自画像”もびっくりするくらい小さい。美術館が入場の際、無料でくれるパンフレットは大半のスペースを“最後の審判”で埋めているが、ほかにのってる4点のひとつがこの自画像。

今回、再会したかった絵はルーカス・クラナハの右の“ルクレティア”とヴェネツィア派色彩画家、グアルディの風景画。クラナハについては、工房作の“聖ドロテア”はみたかどうか自信がないが、“不釣合いなカップル”と“ルクレティア”はよく覚えている。“不釣合いなカップル”の女性に衣装にみられるように、クラナハが描く女性像はいつも模様の凝った衣装や首飾りなどの豪華な装飾品を身につけている。

深い赤が印象的な衣装の手触りのよさそうな質感を表現する精緻な筆致を目の当たりにすると、昔、ウィーン美術史美術館で衝撃を受けた“ホロフェルネスの首を持つユーディット”が目の前をよぎる。これまでの鑑賞体験で体に浸み込んだクラナハのイメージはこの“ユーディット”や“ルクレティア”、“ヴィーナス”から発せられる冷たい官能美。ラファエロやジョルジョーネらと同時代を生きた北ドイツのクラナハがどうして、当時の信仰心厚い人々の目には、とんでもないみだらで罪深いのものに映った絵を描いたのか不思議に思うことがある。

右の“ルクレティア”は自殺しようとして体に突き刺そうとする剣の先にかけ左手でつまんでいる薄いヴェールが生々しく、S字型に曲げた裸体は妖しいまでに官能的。4月に訪れたローマ、ボルゲーゼ美術館でも、古代彫刻に較べて非常に引き伸ばされたプロポーションをしたヴィーナスと蜂の巣に指を突っ込んで刺されるアモールが描かれた“ヴィーナスと蜂の巣を持つアモール”という名画に釘付けになった。

これは余談だが、ここにでているクラナハの作品をみて、西洋美術館で開催中の“ベルギー王立美術館展”の出品作がますますダメに思えてきた。損保ジャパン美はウィーン美術アカデミー所蔵品のなかでは人気NO.3のクラナハの“ルクレティア”やグアルディの“サンマルコ広場”、“ヴェネツィア運河”、そして、中作ながら色が輝いているルーベンスの“三美神”、ダイクの自画像、レンブラントの黒い衣装に見蕩れる“若い女性の肖像”など満足度の高い作品を展示している。

これに対し、ベルギー王立のほうは<ルーベンスのいいのは大きいからダメ、クラナハの図録に載っているボルゲーゼのと同じ画題の“ヴィーナスと愛”、“アダムとイヴ”は出せない、ブリューゲルのNO.1の“反逆天使の墜落”は入館者からクレームがつくから、作者が?の“イカロスの墜落”にしてください、近代絵画ではダリの“聖アントニウスの誘惑”なんてとんでもない、クノップフの“愛撫”は館の至宝ですから無理々、、、>と名画はことごとくNGだしをされてる感じである。王立はメムリンク、ハルス、レンブラント、マースももっているのにこれも出してこない。館の図録に載せてる自慢の作品を出し惜しみするような美術館なら来てもらわなくていいのだが。

海外の美術館の展覧会、とくに大きな美術館の場合、主催者のメッセージは半分くらいしか信用しない方がいい。今回のベルギー王立美術館はそのいい例である。

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2006.06.05

ダ・ヴィンチ・コードと最後の晩餐