ビアズリーの‘サロメ’挿絵!
ラファエロ前派のロセッティ(1828~1882)が描いた‘プロセルピナ’
をテートブリテン(当時はテートギャラリーと呼ばれていた)ではじめてみ
たのは40年前の1982年。この女性の姿態から発せられる圧の強さにた
じたじになった。官能的というより強くて神秘的な美しさが際立ち一度見た
ら忘れられない感じ。200%イギリス絵画、恐るべし!だった。
イギリスにはもうひとり、インパクトが半端でない人物画を描く画家がいる。
オスカー・ワイルド(1854~1900)の戯曲‘サロメ’に挿絵をそえた
鬼才ビアズリー(1872~1898)。19世紀末のロンドンでまたたく
間に美術界のスターダムにのし上がり、26歳の若さで亡くなった。死因は
わずか7歳でかかった当時不治の病と言われた結核。
サロメの絵というとモローの‘出現’とビアズリーの挿絵が一緒に思い浮かんで
くる。ビアズリーの挿絵の魅力は白と黒の強いコントラスト、そして流麗な
線の美しさ。‘おまえに口付けしたよ、ヨナカーン’でサロメは宙を浮くよう
に恍惚の表情で欲していたヨナカーン(洗礼者ヨハネ)の首を見つめている。
男を破滅に追いやったファムファタル、サロメの激しい愛に視線が釘づけに
なる。
‘孔雀のスカート’に登場する孔雀のデザインはその頃ロンドンで評判になって
いたホイッスラーの壁画‘孔雀の間’(ワシントン フリーア美)を使っている。
ビアズリーもジャポニスムに強く惹かれていたので、よく知られている孔雀
のイメージを繰り返した。これはメディアの手法そのもの。大衆に訴えるイメ
ージづくりにおいてもビアズリーは先駆者だった。‘アーサー王、探し求めて
いた獣に出会う’は‘サロメ’の2年前に描いたトーマス・マロリーの‘アーサー王
の死’の挿絵。装飾的な細部描写や平面的な画面処理は浮世絵からインスピレ
ーションを得ている。
最近のコメント