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2025.06.30

日本・中国の故事、歴史から生まれた傑作アート! 花見

Img_20250630232201   ‘豊公吉野花見図屏風’(重文 16世紀末 細見美)

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奥村土牛の‘醍醐’(1972年 山種美)

Img_0001_20250630232301   冨田渓仙の‘東山夜桜図’(1932年)

Img_0004_20250630232301   鳥居清長の‘飛鳥山の花見’(1786~89年 東博)

Img_0002_20250630232301   歌川広重の‘名所江戸百景 亀戸梅屋敷’(1857年)

名古屋で仕事をしていたとき、有名な吉野の桜を観るため近鉄に乗って(クルマは渋滞するので)出かけたことがある。やはりこの花見が人生で経験した桜のなかで一番感激した。生涯の喜びである。豊臣秀吉(1537~1598)は1594年(文禄3)、太閤となって3年目の年に家臣を引き連れて吉野の花見遊山に出かけた。‘豊公吉野花見図屏風’はそのときの様子が描かれたもので、右下にいるのが輿に乗って蔵王堂に参詣する秀吉。吉野の山々に金雲と桜が映え、権勢の絶頂にいる秀吉を見せつけるかのように表現されている。

京都洛南の醍醐寺の桜も人気の観光スポットなのだが、まだ縁がない。春のタイミングでは大混雑すると推測し夏や秋にでかけ国宝の五重塔や宗達の絵などを楽しんできた。で、奥村土牛(1889~1990)の傑作‘醍醐’をながめ、本物を観たことにしている。京都では東山のふもと、祇園円山公園の枝垂桜の大木も有名らしい。これをモチーフにして描かれた富田渓仙(1879~1936)の‘東山夜桜図’をみるたびに、旅心を強く刺激される。

浮世絵には賑やかな桜の花見が数多く描かれている。江戸で桜の名所は多くあり、隅田川沿いの桜並木、上野寛永寺、品川・御殿山、王子飛鳥山などが知られ、多くの人々が集まった。鳥居清長(1752~1815)の‘飛鳥山の花見’は行楽気分満載の図で、近景に美人をずらりと並べる一方、遠景にも多くの花見客が多く描き込まれているおり、飛鳥山の賑やかさを伝えている。

ゴッホが模写したことで浮世絵の描き方が西洋の画家たちに印象づけられたのが歌川広重の‘名所江戸百景 亀戸梅屋敷’。この絵でびっくりさせられるのは手前に極端に拡大された梅を配置し、この梅ごしに遠くで梅見の人々を小さく描く構図。平板的なのに奥行き感もある空間描写がゴッホに衝撃を与えたにちがいない。

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2025.06.29

日本・中国の故事、歴史から生まれた傑作アート! 花火

Img_0003_20250629231701   歌川広重の‘名所江戸百景 両国花火’(1858年)

Img_0004_20250629231701   歌川国芳の‘東都名所 両国の涼’(1830~36年頃)

Img_0002_20250629231801   渓斎英泉の‘東都両国橋夕涼図’(1830~44年頃 平木浮世絵財団)

Img_0001_20250629231801   山下清の‘長岡の花火’(1950年)

Img_20250629231801   加藤栄三の‘流離の灯’(1971年 山種美)

夏の時期、江戸っ子にとって一番の楽しみが隅田川でおこなわれる花火。
両国花火を描いた図は数えきれないほどあるが、歌川広重(1797~
1858)は縦長の画面の‘名所江戸百景’で花火の楽しさをとても上手く
表現している。夜空に花火の光が大きく弧を描き、星のようにはじけ広い
範囲でパチパチと輝いている。時間の流れを入れているところがとても冴え
る広重流の花火である。

昨日放送されたNHKの‘ブラタモリ 大山詣’を観た方は敏感に反応するのではないかと思われるのが歌川国芳(1797~1861)の‘東都名所 両国の涼’。右端で花火の火の粉が降りかかる男たちはこれから相模の大山詣をする人たちで、参詣の前に隅田川で身を清めているところ。先頭で掲げられている木太刀は大山への奉納物。左では納涼船での酒宴が大盛り上がり、物売り舟が横につけて水菓子(果物)を差し入れている。

渓斎英泉(1791~1848)の‘東都両国橋夕涼図’は両国川開きの賑わいが三枚続のワイド画面にびっしり描き込まれている。空には花火が左右対称に大きく打ち上っており、下では多くの納涼船が川面を埋めつくさんばかりに行き交っている。ひときわ目立つのが豪華な屋形船の吉野丸。中では芸者が舞を披露し、宴会を豪華に演出している。

浮世絵のほかで花火の絵が目に焼きついているのは山下清(1922~1971)の‘長岡の花火’。全国を放浪し、旅先の風景を情感あふれる貼り絵で表現した風景画のなかで最も有名なのがこの絵。大きな円を横に連続させる構図、大勢の観客が貼り紙を細かく切って緻密に描写されていることなどに200%KOされた。傑作である。そして、長良川の花火を描いた加藤栄三(1906~1972)の‘流離の灯’も忘れられない。

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2025.06.28

日本・中国の故事、歴史から生まれた傑作アート! 日本橋

Img_0003_20250628231601  歌川広重の‘東都名所 日本橋之白雨’(1832~39年 山口県萩美・浦上記念館)

Img_20250628231601   渓斎英泉の‘木曾街道続 日本橋・雪之曙’(19世紀)

Img_0004_20250628231601   歌川国芳の‘本朝名橋之図 江都日本橋略図’(1836年頃)

Img_0001_20250628231601   葛飾北斎の‘富嶽三十六景・江戸日本橋’(1831年頃)

Img_0002_20250628231601   鳥居清長の‘日本橋の往来’(1785~89年頃 ホノルル美)

日本橋は浮世絵の視覚体験だけでなく三越、高島屋、そして三井記念美で行
われる展覧会へよく足を運ぶので、すごく身近な街になっている。今年は
三井記念美の‘円山応挙展’(9/27~12/14)へ出かけることが決まって
いる。最近はデパートで特別展をみる機会が少なくなっているが、高島屋に
ついてはもうすぐ縁がありそう。でも、日本橋ではなく横浜高島屋。
7/9(水)~7/14(月)に贔屓の洋画家絹谷幸二の個展(最新作)が開催される。関心のある方は是非!

浮世絵に登場する日本橋というと歌川広重(1797~1858)の‘東海道
五捨三次’の最初に描かれた‘日本橋 朝之景’がすぐ思い浮かぶが、日本橋が
どんな形をしてるのか、まわりの建物などとの関係はどうなっているのかは、
これではなく‘東都名所 日本橋之白雨’のほうがわかりやすい。雨が降っているがここから富士山がみえるのか!じゃあー、行ってみるかとなる。

日本橋の賑わいがびんびんに伝わってくるのが渓斎英泉(1791~1848)の‘木曾街道続 日本橋・雪之曙’。棒手振(ぼてふり)が大きなカツオをてんびん棒に吊り下げて橋を歩いている。これよりさらに熱気につつまれているのが歌川国芳(1797~1861)の‘本朝名橋図  江都日本橋略図’。橋の上が群衆でごった返している。まるで花火見物の絵のよう。

葛飾北斎(1760~1849)の‘富嶽三十六景・江戸日本橋’は富士山が主役のため、遠近法を使って観る者の視線が富士山に向かうよう図柄が構成されており、日本橋と人々は下に一部が描かれているだけ。これでは日本橋のイメージはつかめない。これに対し、鳥居清長(1752~1815)の‘日本橋の往来’では女性たちの華やかさを引き立てる格好の場所として遠くに富士が見える日本橋が選ばれている。

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2025.06.27

日本・中国の故事、歴史から生まれた傑作アート! 錦帯橋

Img_0004_20250627224701   池大雅の‘日本十二景図 錦帯橋’(1765年)

Img_0001_20250627224701  葛飾北斎の‘諸国名橋奇覧 すほうの国きんたいはし’(1834年頃 大英博)

Img_20250627224701   渓斎英泉の‘周防岩国錦帯橋之図’(1818~43年頃 浦上コレクション)

Img_0002_20250627224801  歌川広重の‘六十余州名所図会 周防岩国 錦帯橋’(1853年 平木浮世絵美)

Img_0003_20250627224801   池田遙邨の‘錦帯橋’(1982年 倉敷市美)

葛飾北斎(1760~1849)の連作‘諸国名橋奇覧’(11図)に描かれてい
る周防国(山口県岩国市)の錦川に架けられている錦帯橋は甲斐の猿橋や中
国の西湖などを学んだことにより五連のアーチ橋として1673年に完成した。太鼓橋ような弧の連続が美しい景観をつくりだし、今でも、名高い観光名所として知られている。

そのため、錦帯橋は多くの画家の絵心を刺激した。京都で活躍した池大雅
(1723~1776)は43歳のとき医者に依頼されて描いた日本各地の
風景をモチーフにした‘日本十二景図’で‘錦帯橋’を登場させている。大雅は
天才南画家だから、実景を自分流に消化して中国の山水画のように表現して
いる。ほかに描かれた玄界灘と同様に錦帯橋は大雅は目にしていないので
名所図会などを使って仕上たと思われる。

北斎の錦帯橋を雨の景色にして描いているが、ぺたっとした石の橋脚が気になる。みんなの視線はアーチ橋の構造の美しさと背後の山に向かうだろうと読んで、しかも雨を降らせれば橋脚への関心はうすくなる。で、さらっと表現したのだろう。

実景のイメージに近いと感じられ、じっとながめてしまうのが渓斎英泉(1791~1848)が大画面に錦帯橋を空間的なひろがりとしてみせている作品。北斎の商品としての魅力を増すような演出された描写と違って、錦帯橋の姿をより忠実に描いている。歌川広重(1797~1858)の‘六十余州名所図会’に選んだ錦帯橋も俯瞰の視点がボリューム感のある橋脚に支えられたアーチ橋がくっきり目に焼き付けられる。そして、池田遙邨(1895~1988)の橋の下からアーチの構造をどーんとみせる構図には度肝を抜かれる。こんな意表を突くアイデアをどうやって思いついたのだろうか。

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2025.06.26

ほかの画家も楽しめる‘パウル・クレー展’!

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マルクの‘冬のバイソン’(1913年 バーゼル美)

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モワイエの‘アラブのベリーダンス’(1914~15年 ベルン美)

Img_0002_20250626232301   ミロの‘絵画’(1925年 愛知県美)

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デ・キリコの‘ヘクトールとアンドロマケーの別れ’(1918年 大原美)

Img_0003_20250626232301   ファイニンガ―の‘夕暮れの海Ⅰ’(1927年 愛知県美)

特定の画家の回顧展が開かれるとき、その画風に影響を与えたほかの画家た
ちの作品が一緒に展示されることはあまりない。ところが、静岡市美で行わ
れているクレー展ではびっくりするようないい絵がたくさんでていた。だか
ら、オマケの作品の満足度を加えると‘一粒で二度美味しい展覧会’をみせ
てみもらった感じ。本当にすばらしい!

収穫の一番はバーゼル美からやって来たフランツ・マルク(1880~
1916)の‘冬のバイソン(赤いバイソン)’。‘青騎士’のカンディンスキー、
マルクとクレーは盟友だから、二人の作品が目の前に現れてもおかしくない
が、本物が並ぶとなると敏感に反応する。5点あったカンディンスキーより
赤などの色彩の強さに惹き込まれるマルクの絵の前に長くいた。

クレー(1879~1940)は35歳のとき二人の友人画家と出かけたチュニジア旅行(12日間)で色彩に開眼するが、そのルイ・モワイエ(1880~1962)が描いた‘アラブのベリーダンス’に思わず足がとまった。構図のとり方と鮮やかな色彩がはっとさせる。これはベルン美の所蔵。そして、‘青騎士’のメンバーの一人であり、クレーとはバウハウス時代に親交があったドイツの画家、ファイニンガ―(1871~1956)の‘夕暮れの海Ⅰ’(愛知県美)と‘海辺の夕暮れ’(広島県美)と再会できたことも大きな喜び。2008年に開催された大回顧展(横須賀美)以来だから、一気にテンションがあがった。

今、東京都美で行われているワールドクラスの回顧展(7/6)が大盛況のミロ(1893~1983)とデ・キリコ(1888~1978)の傑作‘ヘクトールとアンドロマケーの別れ’までお目にかかれるとは思ってもいなかった。クレーの画風にはシュルレアリスムや形而上絵画で表現された不思議なフォルムがふんだん登場するが、これはクレーの変容度の広さの現れ。いろんな技法のかけらがあるときは子どもっぽい作品、またあるときは神秘的な抽象美となり、観る者の心をやわらげ、驚かす。その魅力は尽きることがない。

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2025.06.25

静岡市美で‘パウル・クレー展’を堪能!

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  ‘赤、黄、青白黒の長方形によるハーモニー’(1923年 パウル・クレー・センター)

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  ‘北方のフローラのハーモニー’(1927年 パウル・クレー・センター)

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  ‘ハマメットのモティーフについて’(1914年 バーゼル美)

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  ‘周辺に’(1930~36年 バーゼル美)

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  ‘無題(最後の静物画)’(1940年 パウル・クレー・センター)

静岡まで遠出してJR駅のすぐ近くにある静岡市美で開催されている‘パウル・
クレー展 創造をめぐる星座’(6/7~8/3)をみてきた。クレー
(1879~1940)の回顧展にでかけるのは久しぶり。愛知県美で1月
からはじまり、兵庫県美へ巡回したあと、静岡にやって来た。愛知県美がク
レーにスポットをあてるのは2度目で、名古屋で仕事をしていた1993年
にワールドクラスのクレー展を開催し、運よく最高傑作‘パルナッソス’にお
目にかかることができた。だから、今回は期待値がぐっと高くなる。

果たして、初見の作品が2006年にオープンしたパウル・クレー・センタ
ーとバーゼル美から出品され、満足度200%の特別展になった。出品情報
をキャッチしてからみたくてしょうがなかったのが抽象画家クレーを存分に
楽しませてくれる‘赤、黄、青、白、黒の長方形によるハーモニー’。現代に
進化した美しいモザイク画を思わせるこのタイプの作品はこれまで4点縁が
あったが、新たなヴァージョンが加わった。横に並ぶ東近美蔵の‘花ひらく
木をめぐる抽象’とコラボし純粋な色彩のコンポジションを表現していた。

展示室ではスマホ撮影はNGもあるが多くはOKだから、いい作品は撮りまく
った。色彩の明るさが印象的でモンドリアンのようにすっきりのびる縦横の
線によりつくられる四角の色面が爽快な気分にさせてくれる‘北方のフローラ
のハーモニー’にも思わず足がとまった。そして、バーゼル美から出品された
‘ハマメットのモティーフについて’はその深みのある色彩が抽象的な描写に
動きや振動を感じさせる。

図版で知っていた‘周辺に’は意表を突く作品。真ん中の赤い丸は太陽で、縦に
長い四角の端にぐるっと描かれているのは具象と抽象の入り混じった不思議
な形をした植物と鳥。この図柄はよく観ているNHKBSの番組‘体感!グレー
トネイチャー’に登場する洞窟の底から入口の穴をながめている感じ。最晩年
に描かれた‘無題(最後の静物画)’と32年ぶりに再会した。地の黒に緑や青、
黄が浮き上がりフォルムを際立たせている。天性のカラリストぶりが発揮さ
れた傑作である。パウル・クレーに乾杯!

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2025.06.24

日本・中国の故事、歴史から生まれた傑作アート! 名橋

Img_0002_20250624224001   葛飾北斎の‘諸国名橋奇覧 飛越の堺つりはし’(1834年頃 大英博)

Img_0003_20250624224001   葛飾北斎の‘諸国名橋奇覧 足利行道山くものかけはし’(1834年頃)

Img_0001_20250624224001   歌川広重の‘甲陽猿橋之図’(1841~42年 レスコヴィッチコレクション)

Img_20250624224001   渓斎英泉の‘木曾街道六捨九次之内 伊奈川橋遠景’(1835~36年頃)

映画のなかで恐怖心を掻き立てるシーンに壊れた鉄橋とか吊橋を渡るという
のがある。葛飾北斎(1760~1849)が‘諸国名橋奇覧’シリーズで描
いた‘飛越の堺つりはし’はとても々渡れるものではないのに、柴をもって渡
る男女は怖がるそぶりをみせることなく普通の道を歩くように飄々と進ん
でいる。‘飛越の堺’は飛騨(岐阜県北部)と越中(富山県)、もしくは越前
(福井県東部)との国境のことだが、場所は特定できないので、この吊橋は
北斎の逞しい想像力の産物ということになる。これをみせられると北斎は天才だなと思う。

‘足利行道山くものかけはし’はぱっとみて強く惹き込まれる橋の絵。描かれ
ているのは栃木県の西端、足利市の行道山浄因寺にある天高橋。右の岩に囲
まれているのが浄因寺で橋は巨石の上に建てられた清心亭に渡るために架け
られている。下は雲海のような感じなので幻想的な中国の風景を連想させる。

歌川広重(1797~1858)の‘甲陽猿橋之図’に魅了され続けているが、
昨年大阪のあべのハルカス美で開催された‘広重展’に摺りの状態が極上に保た
れているジョルジュ・レスコヴィッチ・コレクションにお目にかかった。
こんな絵になる猿橋を鮮やかにでている色でみられるのだからたまらない。
立ち尽くしてみていた。この構図のつくり方は本当にスゴイ。

浮世絵を本格的にみるため開催される特別展は欠かさず足を運ぶうちに、風景画の名手に北斎、広重のほかにもう二人加えなければいけないことに気づいた。渓斎英泉(1791~1848)と歌川国芳(1797~1861)。英泉が手掛けた‘木曾街道六捨九次’シリーズには思わず足がとまるいい絵がいくつもでてくるが、インパクトにある川の色彩とフォルムが目に焼きつくのが‘木曾路駅 野尻 伊奈川橋遠景’。滝のようにパワフルに流れ落ちる伊奈川に架かる伊奈川橋は石垣からアーチ型に弧を描く反橋で、橋の下に山々と落雁を描きこむところが憎らしいくらい上手い。

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2025.06.23

日本・中国の故事、歴史から生まれた傑作アート! 鵜飼

Img_0002_20250623231901   川合玉堂の‘鵜飼’(1931年 東芸大美)

Img_0001_20250623231901   渓斎英泉の‘木曾街道六捨九次之内 長柄川鵜飼船’(1835~36年頃)

Img_0004_20250623231901   富田渓仙の‘鵜船’(1911年 京近美)

Img_0003_20250623231901   長沢芦雪の‘鵜飼図’(1789~99年)

Img_20250623231901   前田青邨の‘鵜’(1940年)

鵜飼の絵ですぐ思い浮かぶのは川合玉堂(1873~1957)。玉堂は農村
画に大変魅了されており、勝手に‘日本のブリューゲル‘と呼んでいる。過去の
4回くらい回顧展に縁がありこれらの図録をまとめたMyベスト図録が3冊でき
あがった。農村の風景に加え目を楽しませてくれるのが鵜飼を描いた作品。
11点お目にかかったが、その中の最高傑作が郷里、長良川の鵜飼の風景を描
いたもの。所蔵する東芸大美でみたとき水面に篝火が反射する描写を息を呑ん
でみていた。

長良川の鵜飼は浮世絵にもいいのがある。それは渓斎英泉(1790~1848)が中山道を描いた‘木曾街道六捨九次’のシリーズに選ばれている‘河渡 長柄川鵜飼船’。腰蓑をつけた鵜匠があやつる鵜は篝火に照らされた水面に頭を突っ込み魚を捕っている。藍のぼかしが綺麗で澄んだ水中を泳ぐ鵜の躍動する姿が目に焼きつく。

1909年の台湾・中国旅行をもとに描いた富田渓仙(1879~1936)の‘鵜船’も忘れられない一枚。縦長の画面に鵜船をジグザグに積み上げる構図がユニークで、出品した文展で初入選を果たし出世作となった。そして、渓仙は8年後に今度は横長の画面に‘長江鵜船’を仕上げている。よほど中国の鵜を使った漁が興味深かったのだろう。

まだ先の話だが、好感度の高い府中市美で長沢芦雪(1754~1799)の回顧展が来年の3月14日~5月10日に開催される。名古屋の愛知県美とか京都の福田美で行われた芦雪展はパスしたから、期待値が今から高まっている。2006年にはじめて芦雪の特別展(師匠の応挙との二人展 奈良県美)を体験したが、ここに初出品として‘鵜飼図’が披露された。ほかの京都画壇のビッグネームが鵜飼は取り上げてないので貴重な鑑賞だった。鵜だけにスポットをあてた前田青邨(1885~1977)の絵も強く印象に残る。

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2025.06.22

日本・中国の故事、歴史から生まれた傑作アート! 鯉の滝登り

Img_0002_20250622231701   円山応挙の‘龍門鯉魚図’(1789年 大乗寺)

Img_0003_20250622231701   葛飾北斎の‘滝に鯉’(1833~34年 大英博)

Img_0004_20250622231701   長沢芦雪の‘瀑布登鯉図’(18世紀)

Img_20250622231801   河鍋暁斎・柴田是真の‘鯉の滝登り’(1885年 河鍋暁斎記念美)

Img_0001_20250622231801   柴田是真の‘滝登鯉図’(19世紀 野村美)

‘鯉の滝登り’は人の立身出世することをいうことわざとしてよく使われるが、
これを画題にした絵が数多く制作されてきた。立身出世の関門の登竜門は中
国の伝説からきている。黄河の上流に竜門という急流があり、その下に鯉が
集まり、多くの鯉は竜門をのぼることはできないが、もし登れたら、その鯉
は竜になる。竜になって望みを叶えるためにはこの高いハードルをこえなけ
ればならない。
 
円山応挙(1733~1795)の‘龍門鯉魚図’はシュルレアリスム絵画をみているような感じ。マグリットの‘白紙委任状’が重なってくる。鯉の背に流れる塗り残しによって表現された滝の水がマグリットが描いた女性の騎乗した馬の胴体が縦に切断されるのと似ているのである。マグリットが応挙の鯉をみたら裸足で逃げるにちがいない。

葛飾北斎(1760~1849)の‘滝に鯉’もシュール感覚がビンビンくる絵。緩くカーブをえがいて下に落ちる滝の水はうすべったい‘きし麺’みたいで、二匹の鯉はそれに挟まれるように泳いでいる。2017年の北斎展(あべのハルカス美)に大英博から里帰りしたが、極上の摺りでこんな傑作を楽しめるのだから天にも昇るような気分だった。

長沢芦雪(1754~1799)の‘瀑布登鯉図’は登りきるのは200%無理なのに鯉たちの必死になって体を動かしている姿が胸を打つ。一匹よりも群れの表現の方が登竜門のイメージが湧きやすい。観る者の心理状態を芦雪は良く知っている。河鍋暁斎(1831~1889)は滝の得意な柴田是真(1807~1890)と組んで仕上げた‘鯉の滝登り’は鯉の挑戦を諦めない心意気が伝わってくるよう。是真の‘滝登鯉図’はだまし絵的な作品で、鯉が滝の勢いに負け画面の外にはじき出されている。

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2025.06.21

日本・中国の故事、歴史から生まれた傑作アート! 名瀑

Img_0002_20250621233301   葛飾北斎の‘和州吉野義経馬洗滝’(1833年頃 大英博)

Img_0003_20250621233301   葛飾北斎の‘美濃ノ国養老の滝’(1833年頃 大英博)

Img_0001_20250621233301   葛飾北斎の‘相州大山ろうべんの滝’(1833年頃)

Img_20250621233301   歌川国芳の‘大山石尊良弁瀧之図’(1819年頃)

浮世絵の展覧会が開催されるとき、摺りの状態がいいものに出会うと一生の
思い出になる。これが存分に楽しめるのが浮世絵コレクションで名の知れた
海外のブランド美の名品が里帰りしたとき。過去10年のスパンでいうと運
良く2回あった。ともに大阪のあべのハルカス美で行われた‘北斎展’(2017年)と‘広重展’(2024年)。

葛飾北斎(1760~1849)が天保4年(1833)頃に描いた各地の名瀑をめぐる揃物‘諸国滝廻り’(全8図)は国内の美術館が所蔵しているものを全部みたので図柄はインプットされている。嬉しいことに2017年の北斎展に大英博から‘和州吉野義経馬洗滝’、‘美濃ノ国養老の滝’、‘木曾海道小野ノ瀑布’、‘東都葵ヶ岡の滝’の4点が出品された。どれも鮮やかな藍色が目にとびこんできて、今摺りあがったような感じだった。流石、大英博である。

‘和州吉野義経馬洗滝’は和州(現在の奈良県)にあるこの滝で源義経が馬を洗ったという伝説に触発され、北斎の心象風景として描かれている。上から滝が生き物のようにS字に体をくねらして下っているよう。馬を洗う二人の男の姿にほっこりする。‘美濃ノ国養老の滝’は親孝行の息子が汲んだ滝の水が酒に変わり年老いた父親を喜ばせたという故事が伝わる。風が吹き荒れるなか、二人の旅人が息を呑んでこの名瀑を見上げている。

‘相州大山ろうべんの滝’はどどっと勢いよく落ちる滝と滝に打たれ大山詣での禊を行う参詣者が描かれている。人々は奉納用の納め太刀を担いで滝で身を清めたのち、山頂の石尊権現をめざした。歌川国芳(1797~1861)は大山詣にやって来た大勢の人たちを画面いっぱいに描き、江戸庶民の信仰のエネルギーをMAXに表現している。

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2025.06.20

日本・中国の故事、歴史から生まれた傑作アート! 那智の滝

Img_0001_20250620232301   国宝‘那智瀧図’(13世紀 根津美)

Img_0003_20250620232301   ‘熊野那智参詣曼荼羅’(17世紀 國學院大學図書館)

Img_0002_20250620232301   池大雅の‘那智濺瀑図’(18世紀 東博)

Img_20250620232301   谷文晁の‘那智真景図’(1796年)

日本にある滝で一度は観ておきたいのは日光の華厳の滝と那智の滝。和歌山
県の那智勝浦町にある那智の滝は名古屋で仕事をしていたとき、クルマで出
かけ思いの丈を叶えた。高速道路に入ってクルマをすいすいとばし、到着
できるところではないので、この旅は結構しんどい。念願の熊野詣だから、熊野速玉大社(新宮市)へまず行き、次が熊野那智大社、そして最後の熊野川の上流に鎮座する熊野本宮大社(本宮町)を無事まわった。

高さ130mの滝そのものが神体として崇拝の対象とされてきた那智の滝。真っ白な滝がひゅーっと落ちてくる姿はまさに神が顕現したという感じ。華厳の滝は遠くからの眺めでもその圧倒的な水量から生まれるパワーがビシビシ伝わってくるが、那智の滝は距離が近いぶん、神秘的な空間に今立っているという思いが強くする。

絵画になった那智の滝でもっとも有名なのが根津美が所蔵するもの。国宝展の定番ピースのひとつであり、根津でも定期的に披露されるので7年くらいのスパンでお目にかかってきた。2年前の特別展‘やまと絵-受け継がれる王朝の美’にも出品された。鑑賞するときはいつも背筋がしゃんとし神妙な気分になる。参詣曼荼羅のなかで多くの数を占める‘熊野那智参詣曼荼羅’は江戸時代初期に描かれたもので、保存状態がよく色が鮮やかなため、山伏に先導された白装束の参詣者がくっきり目に焼きつく。右上に白い幟のように描かれているのが那智の滝。

池大雅(1723~1776)は28歳のとき二度紀州を訪れており、そのときの旅の経験をもとに四十代後半ころ描いたのが‘那智濺瀑図’。ただ、実景と異なるところがあるので那智の滝と何らかの中国のイメージをかさねて表現している。松平定信の命を受けて関西の調査旅行に赴いた谷文晁(1763~1840)が席上で描いた那智の滝は細長の画面に勢いよく水が流れ落ちる様子がリアルに仕上げられている。

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2025.06.19

日本・中国の故事、歴史から生まれた傑作アート! 日光三滝

Img_0002_20250619232401   渓斎英泉の‘日光山名所之内 華厳之瀧’(1843~46年)

Img_0003_20250619232401   

渓斎英泉の‘日光山名所之内 裏見ヶ瀧’(1843~46年)

Img_20250619232401   歌川広重の‘日光三瀧 裏見瀧(左)霧降瀧(中)華厳瀧(右)’(1853年)

Img_0001_20250619232401   歌川広重の‘六十余州名所図会 下野 日光山裏見ノ瀧’(1853~57年)

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池大雅の‘日本十二景図 華厳瀧’(1765年)

Img_0005_20250619232401   谷文晁の‘日光二瀑真景図 裏見瀧(左)霧降瀧(右)’(1817年)

日光の観光名所、華厳の滝をはじめて観たとき、‘これが有名な華厳の滝か!’と気持ちが昂った。日本で同じように大感動したのは富士山、阿蘇山。やはりスケールの大きな山や流れ落ちる水の量が半端でない大瀑布に遭遇するとここへやって来た甲斐があった、一生の思い出になったと思う。

日光には良く知られた滝がもう二つあることを教えてくれたのは渓斎英泉(1791~1848)と歌川広重(1797~1858)の浮世絵風景画。英泉の‘裏見ヶ瀧’はじつにおもしろい絵。滝の後ろに道があり、旅人が感嘆の声をあげており、視線を下に移動させると滝壺の傍で二人はびっくり眼で滝をみつめている。旅人が同じリアクションを‘華厳之瀧’でもみせているが、ここの3人は張り出した岩の上から、緊張の面持ちでどどーーと落下する水の神秘的なパワーを凝視している。

広重の霧降之瀧を加えた‘日光三瀧’は版画ではなく‘天童広重’と呼ばれる肉筆画。広重は出羽国天童(現在の山形県天童市)の織田藩から制作の依頼を受けて嘉永年間(1848~54)に肉筆画を描いた。現存するものは123図にのぼり、200図くらい描かれたと推定されている。画題はほとんどが名所絵で日光三瀧はその一枚。そして、‘六十余名所図会’では英泉の絵に刺激をうけたのか‘裏見ノ瀧’を選び、着物の帯のような滝をどーんと強調している。

中国の水墨山水画を思わせる描き方で日光の滝を画題にしているのが池大雅(1723~1776)の‘日本十二景図’。写真で観るような豪快さとは違う華厳の滝が神の存在として表現されている。谷文晁(1763~1840)の裏見の滝・霧降の滝はまさに北宋の峻厳な山水画をみる感じである。

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2025.06.18

日本・中国の故事、歴史から生まれた傑作アート! 鳴門

Img_20250618231201   歌川広重の‘阿波鳴門之風景’(1857年 川崎・砂子の里資料館)

Img_0003_20250618231201   歌川広重の‘阿波 鳴門の風波’(1855年 平木浮世絵美)

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  奥村土牛の‘鳴門’(1959年 山種美)

Img_0002_20250618231201   池田遙邨の‘鳴門’(1949年 徳島県近美)

徳島県というとすぐ思い浮かぶのは鳴門の渦潮と阿波踊り。阿波踊りは生で
観たことはないが、TVでいつも報道されるから、軽快に踊る姿は目に焼き付
いている。渦潮のほうは半分楽しんだいう感じ。広島からクルマで鳴門海峡
をめざしたが、途中渋滞があり、現地についたときは渦を巻くエネルギーは
映像でみていたものの半分くらいでクライマックスを過ぎていた。いつかリ
カバリーをしたいのだが、果たして実現するか。

晩年の歌川広重(1797~1858)を代表する‘阿波鳴門之風景’は鳴門
の渦を波の花と見立てる‘雪月花’の一枚として描かれた。雪景は‘木曽路之山
川’で月の景色は‘武陽金沢八勝夜景’が選ばれた。どれも三枚続きのワイド画
面で見栄えのする見事な風景画であるが、とりわけリアルな渦潮のパワーが
どーんと感じられる鳴門の風景が強く印象に残る。

広重はもう一点渦潮を描いている。それは2年前、風景にはじめて縦絵を使ったシリーズ‘六十余州名所図会’でとりあげた‘阿波 鳴門の風波’。鳴門の渦とうねる波を組み合わせてダイナミックな風景画に仕上げているが、葛飾北斎の‘富嶽三十六景 神奈川沖浪裏’を意識していることは容易にわかる。渦巻の波頭の奥に淡路島がみえる。

明治以降の日本画家で渦潮の画家というと奥村土牛(1889~1990)が有名。70歳のときに描いた‘鳴門’にはおもしろい話がある。土牛にとって波間を漂う船の上でのスケッチは危険をともなっていたが、間近で渦潮をスケッチさせるため、一緒に船に乗っていた夫人(57歳)は夫の帯をつかんで船べりから海へと突き出した。夫人のアシストによりこの傑作が生まれた。池田遙邨(1895~1988)の絵は海水がナイアガラの滝のようにどどっと落ちる様子が迫力満点。まるで津波のパニック映画を観てるよう。

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2025.06.17

日本・中国の故事、歴史から生まれた傑作アート! 松島

Img_0002_20250617233101   池大雅の‘日本十二景図 松島’(1765年)

Img_20250617233101   歌川広重の‘本朝三景之内 陸奥松島風景’(19世紀 丹羽コレクション)

Img_0001_20250617233101   菱田春草の‘松島’(1904年)

Img_0004_20250617233201   高橋由一の‘松島五大堂図’(1881年 宮城県美)

Img_0003_20250617233201   近藤浩一郎の‘松島’(20世紀)

日本国内をくまなくまわっているわけではないが、有名な名勝地や絶景ポイ
ントは生あるかぎり観てみたいという思いを強くもっている。東北でいうと
まだ足を踏み入れていないのが、盛岡。当面の目標はここと秋田市で藤田嗣
治の大きな祭りの絵をみること。夏か秋に出かけるかもしれない。

日本三景のひとつとして、また松尾芭蕉の‘松島や ああ松島や 松島や’の句でも有名な松島は仙台・中尊寺観光、瑞巌寺と一緒に楽しんだ。湾の内外に数多くの島が点在する、このすばらしい風景をみたら、芭蕉があまりの美しさで句が詠めなかったという気持ちがよくわかる。260あまりある島のイメージをどんとみせてくれるのが歌川広重(1797~1858)の‘本朝三景之内 陸奥松島風景’。そうそう、こんな感じだよな、松島は!となるので広重の風景画にやはり200%惚れてしまう。

池大雅(1723~1776)の‘日本十二景図’では最初の絵が松島。旅が好きな大雅も松島の絶景に感情が昂ったにちがいない。同じく旅を生涯好んだ近藤浩一郎(1884~1962)は日本三景のうち、一番魅せられた風景として松島を様々な情景で描いている。その一枚が縦長の画面で島々をとらえたもので、洋画風の光と明暗の表現を水墨画と融合させたユニークな画風が心を打つ。

五大堂に焦点を当てた高橋由一(1821~1894)のリアルな描写に息を呑む一方で、菱田春草(1874~1911)のもやっとした静謐な松島の絶景にも思わず足がとまる。ともに名勝地の枠をいったん外しずっしりとした心に残る風景画を誕生させた。すばらしい!

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2025.06.16

日本・中国の故事、歴史から生まれた傑作アート! 厳島

Img_20250616231301   長沢芦雪の‘厳島八景図 厳島神社’(重文 1794年 文化庁)

Img_0001_20250616231301   池大雅の‘日本十二景図 宮島’(1765年)

Img_0003_20250616231301   歌川広重の‘日本三景 安芸厳島’(19世紀)

Img_0002_20250616231301   小林古径の‘伊都岐島’(1920年 山種美)

Img_0004_20250616231301   平山郁夫の‘月華厳島’(1993年)

広島で仕事をしていたこともあり、厳島神社にはいい思い出がある。お薦め
は秋の宮島かもしれない。色鮮やかな紅葉の下で美形モデルの写真撮影が真
っ最中で、その絵になる光景に気持ちがぐっと華やいだ。海に浮かんでいる
ようにみえるあの美しい大鳥居に楽しいプラスαが加わった感じがした。

京都で活躍した長沢芦雪(1754~1799)は厳島を訪問した体験をも
とに‘厳島八景図’を描いている。最初の一枚が俯瞰の視点からとらえた厳島
神社の全景で木や鳥居を薄墨でぼかし闇につつまれる光景として表現して
いる。日本各地を旅してきた池大雅(1723~1776)は‘日本十二景図’
のなかで神社や鳥居の一部を縦長の画面からカットするにより空間の広がり
を観る者に想像させている。

歌川広重(1797~1858)は‘六十余州名所図会’に‘秋 厳島 祭礼之図’を描いているが、団扇絵に大鳥居と神社をうまくまとめた‘日本三景 安芸厳島’のほうに惹かれている。広重は実際に目にした訳ではなく‘厳島図会’(1842年)などからより多くの情報を得て見栄えのする厳島神社に仕上げている。

1997年、平山郁夫(1930~2009)の出身地、広島県瀬戸田町に平山郁夫美が開館し、記念の特別展が開催された。当時広島に住んでいたので喜び勇んで出かけた。主要作品がたくさん並ぶなか、大きな感動をもらったのが4年前に描かれた‘月華厳島’。静謐な夜の宮島が群青一色で神秘的に描写されている。心を強くゆすぶるのが水面にほのかに映りこむる釣り灯籠の光。My好きな平山郁夫に即登録した。長沢芦雪の絵がかぶる小林古径(1883~1957)の‘伊都岐島’にも大変魅了されている。

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2025.06.15

日本・中国の故事、歴史から生まれた傑作アート! 天橋立

Img_20250615230501   雪舟の国宝‘天橋立図’(15世紀 京博)

Img_0004_20250615230501   ‘天橋立図屏風’(16世紀)

Img_0003_20250615230601   歌川広重の‘日本三景 天ノ橋立’(19世紀 ブルックリン美)

Img_0002_20250615230601   川端龍子の‘天橋図’(1960年 国立劇場)

Img_0001_20250615230601   麻田鷹司の‘天橋雪後図’(1972年 何必館・京都現美)

日本三景のひとつとして名高い天橋立は名古屋で仕事をしていたとき、クル
マで出かけたことがある。実際に現地の光景をみていると画家たちによって
描かれた風景画は敏感に反応する。雪舟(1420~1506)の国宝に指
定されている‘天橋立図’はのんびり歩いた松の生える砂嘴のまわりはこんな
風になっていたのか、という感じになる。

当時は飛行機もヘリコプターのないからこういう視点でこの光景をとらえる
ことはできないが、雪舟は天橋立を歩いたり舟に乗ってスケッチした部分を
頭のなかでつなぎ合わせて再構成し、空の上から一帯を俯瞰している。並の
才能ではこれほど見事な山水画は描けない。やはり、雪舟はスゴイ!

2007年三井記念美で行われた特別展‘美術の遊びとこころ 「旅」’でお
目にかかった‘天橋立図屏風’(室町時代)は‘富士三保松原図’とセットで描かれ
たもの。画中に登場する人物は多くは旅装であり、霊地名所を訪れるという
体裁になっている。一方、江戸時代の歌川広重(1797~1858)の
団扇絵‘日本三景 天ノ橋立’は今とそう変わりない遊興気分の濃い名所の旅を
思い出させる。

明治以降に描かれた天橋立図では川端龍子(1885~1966)と麻田鷹司(1926~1987)の絵が忘れられない。龍子は天橋立を大胆にも真正面高くから俯瞰し、松並木を横からの視点でとらえている。そして、松のつくる曲線と左右から押し寄せる波の激しい動きがシンクロする描写にも強く惹かれる。麻田の雪景色の天橋立はすっきりした現代感覚の視点と冬の日本海をイメージさせる寂寥感に心を鎮められ。

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2025.06.14

日本・中国の故事、歴史から生まれた傑作アート! 赤壁

Img_0003_20250614232501   長沢芦雪の‘赤壁図屏風’(1794~99年)

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Img_0004_20250614232501   池大雅の‘洞庭赤壁図巻’(重文 1771年 京博)

Img_20250614232501   富岡鉄斎の‘後赤壁図’(1922年 清荒神清澄寺)

Img_0001_20250614232501   冨田渓仙の‘前赤壁図’(1921年頃 滋賀県近美)

赤壁は中国湖北省黄州城外にある長江に面した景勝地で、宋代の詩人蘇軾
(東坡 1036~1101)の詩‘前後赤壁賦’に詠われたその断崖絶壁の
光景が画題として好まれ、多くの画家によって描かれた。1082年7月に
舟を絶壁の下に浮かべて遊び‘前赤壁賦’、同10月には徒歩で遊んで‘後赤壁
賦’をつくった。

長沢芦雪(1754~1799)は‘赤壁図屏風’(六曲一双)では右隻に舟で遊ぶところを絵画化している(左隻に後赤壁)。異形の光景が連続する断崖絶壁は芦雪の得意とする表現であり、船上の人らには月光が照らす峰々が連なり霧が漂う幻想ワールドが目の前に出現したかのよう。

池大雅(1723~1776)の‘洞庭赤壁図巻’は49歳のときに描かれた晩年の代表的作品。色鮮やかな青や緑の絵の具が全体に使われ、部分的には金泥による彩色が施されている。ここには各所の名勝旧跡がちりばめられている。上(図巻では右)の最初に描かれているのがタイトルの赤壁で、その上が洞庭湖中に浮かぶ君山。実際には赤壁と洞庭湖は200kmも離れたているが、大雅は長大な空間を一図におさめている。下(図巻左)の真ん中にみえるのが江南の名楼として知られる岳陽楼。ここには誰もが憧れる仙郷のような光景が描かれている。

縦長の画面に描かれた富岡鉄斎(1836~1924)の‘後赤壁図’は同じ年に描いた3点のひとつ。同じように墨と色彩の強さが印象深いのが冨田渓仙(1879~1936)の‘前赤壁図’。いずれも蘇軾をイメージできるのがいい。

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2025.06.13

日本・中国の故事、歴史から生まれた傑作アート! 蓬莱山

Img_20250613225301   横山大観の‘蓬莱山’(1949年頃 高島屋資料館)

Img_0003_20250613225301   菱田春草の‘蓬莱山’(1910年 飯田市美博)

Img_0001_20250613225301   富岡鉄斎の‘口出蓬莱図’(1893年 出光美)

Img_0004_20250613225301   河鍋暁斎の‘蓬莱奈七福神図’(1879年 ゴールドマンコレクション)

Img_0002_20250613225301   冨田渓仙の‘蓬莱佳境図’(1928年 足立美)

縁起のいい画題が大きな画面で目の前に現れると思わず、うゎーとなる。そん
な一枚が横山大観(1868~1958)の‘蓬莱山’。蓬莱山は渤海にあると
された神の山のひとつで、金銀でできた宮殿や不老不死の薬があると伝えられ
吉祥画として数多く描かれてきた。画面の下から右斜め上に峻厳な山々が連な
る蓬莱山が描かれ、そのまわりを白雲がただよい鶴の群れが飛翔している。
その鶴の向こうに富士が輝いている。40点ほど描かれたなかで、壮大なスケ
ールにおいて、これが屈指のものである。

大観の盟友、菱田春草(1874~1911)も蓬莱山を何度もとりあげてい
る。この理想郷の山の姿は先が丸くなった筍的な形状が垂直に二つ三つのびる
というのが特徴。余分なモチーフはカットし日輪や鶴を描きこむことにより、
憧れ感を醸成する表現となっている。そして、大観といい関係にあった富田渓
仙(1879~1936)の絵は中国の蓬莱山に渡月橋、小倉山、嵐山の景色
をミックスしてとても美しい理想郷に仕上げている。

出光美にとてもおもしろい蓬莱図がある。富岡鉄斎(1836~1924)の
‘口出蓬莱図’。はじめてみたとき、あまりの奇想ぶりに目が点になった。解説
文を読むとこれは仙人が特殊な能力を使って口の中から神山を出現させるとこ
ろだという。ある仙人が30年間、崑崙山を念じ続けた結果、その神仙のあ
りさまをつぶさに思い描くことができるようになった。頸を極端にうしろに
まげた豪快な仙術ポーズに圧倒される。

河鍋暁斎(1831~1889)が描く‘蓬莱七福神図’は吉祥のてんこ盛り。この絵をいつも眺めているとお金はザクザクたまり、命は永遠にあり、家族生活はいつまでも円満、理想の連鎖がとぎれることはない。これが絵画の力!

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2025.06.12

日本・中国の故事、歴史から生まれた傑作アート! 芥川・錦木

Img_0003_20250612231201   

俵屋宗達の‘伊勢物語図色紙・芥川’(17世紀前半 大和文華館)

Img_0002_20250612231201   鈴木春信の‘見立芥川’(1767年頃 シカゴ美)

Img_0001_20250612231201   速水御舟の‘錦木’(1913年 山種美)

Img_20250612231201   

勝川春英の‘柏戸と錦木’(18世紀)

一度訪問したことのある奈良の大和文華館には忘れられない絵が二つある。
ひとつはコピーを毎日眺めている国宝‘婦女遊楽図屏風(松浦屏風)’(17世
紀後半)。この六曲一双の屏風に描かれた女性たちの群像表現に魅了され
続けている。もうひとつは琳派の俵屋宗達(16世紀後半~17世紀前半
)の‘伊勢物語図色紙・芥川’。いくつかお目にかかった伊勢物語の色紙でも
っとも惹かれるのがこの‘芥川’。

プレーボーイの在原業平は帝の后になる17歳も年下の藤原高子に身分違
いの恋をしていた。でも高子のガードは固く引き離されてしまう。そこで
業平は行動にでる。高子を屋敷から連れ出し駆け落ちした。高子を背負い
‘芥川’という川岸まで逃げのびた。そこには高子にとってはじめての光景が
広がっていた。月明りに照らされ光を放つ草むらの露。‘あれは何?’と高子
は尋ねる。しかし、追手が迫る中業平には答える余裕などなかった。

やがて夜がふけ雨が降り雷鳴まで鳴り響きはじめると、業平は蔵の奥に
高子を押し入れる。ところが、そこには鬼が潜んでいた。戸口で見張って
いた業平が気づいたときにはすでに高子は鬼に食べられたあとだった。夜
が明けると高子の姿はなく業平は悔やむ。そして、詠む歌が‘白玉かなにぞ
と人の問ひし時 露とこたえて消えなましものを’(あれは白玉ですか、何
ですか、とあの御方が尋ねたとき、いえあれは露ですよと、真っ直ぐにお
答えして、私もあの露のように、はかなく消えてしまえば良かったのに。
ああ、このような辛さに逢おうとは)。なんとも切ない嘆きの歌でおわる。
鈴木春信の‘見立芥川’も宗達同様、とてもロマンチックな絵。

秋田県鹿角市にある‘錦木塚の伝説’も身分の違う男の叶わぬ悲恋物語。大相撲の伊勢ノ海部屋の力士、錦木を応援しているのでこの話には関心がある。速水御舟(1894~1935)が‘錦木’を題材にしてとてもいい絵を描いている。昔の奥州では男性が女性に会いたいとき、女性の家の門に錦木を立て、女性側がその気持ちがあれば錦木を取り入れる。取り入れられないと男性は、千束をその限りに立て加えることができるという風習がある。出羽の狭布の里(今の鹿角)に住む豪族大海の姫政子を、2里離れた草木集落で錦木を売り買いしていた若者が好きになり、毎日錦木を立てる。でも、だんだん心が傾いていた政子なのに親の反対でいつもNG。あと一日で千束になるという日、若者は家の前で降り積もる雪の中、帰らぬ人となった。それを知った政子は嘆き悲しみ、若者のあとを追いこの世を去る。大海は二人の悲恋を哀れに思い、若者の亡骸を貰いうけ、千束の錦木とともに夫婦として一緒の墓に葬った。その墓が‘錦木塚’として今に伝えられている。

勝川春英(1762~1819)の力士絵に登場する錦木は盛岡藩お抱えの力士。鹿角市は旧盛岡藩の領内だったので、知名度のある‘錦木’を四股名にして土俵にあがった。大鵬のライバルとして一時代を築いた柏戸も伊勢ノ海部屋にある由緒ある四股名。

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2025.06.11

日本・中国の故事、歴史から生まれた傑作アート! 市川団十郎

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鳥居清倍の‘市川団十郎の竹ぬき五郎’(重文 1697年 東博)

Img_0002_20250612000301    勝川春好の‘五代目市川団十郎の暫’(1781~89年頃 太田記念美)

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   歌川国政の‘市川鰕蔵の暫’(1796年 平木浮世絵財団)

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   勝川春章の‘楽屋の五代目市川団十郎’(1781~89年頃 東博)

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   鳥居清長の‘五代目市川団十郎とその家族’(1783年頃)

浮世絵は美人画とともに役者絵の人気が高いため、多くの絵師たちが歌舞伎役者の名優を描いている。その歌舞伎役者の代名詞のような存在が市川団十郎。東博の浮世絵平常展の定期的に登場する鳥居清倍(1697~1722)の‘市川団十郎の竹ぬき五郎’をはじめてみたとき、その力感溢れる人物描写にびっくりした。モデルは荒事をつくった初代市川団十郎(1660~1704)。豪快な演技は神業的と絶賛され当時の江戸のほとんどの家には、団十郎の版画が魔除け代わりに貼られていたといわれる。

江戸東博に行くと歌舞伎十八番の演目‘助六’の舞台セットをみることができる。ここは中学生が校外学習で大勢やって來るが、社会人にとっては江戸の文芸が楽しめるのでお勧めの美術館。歌舞伎に近ずくためにはやはり、役者のことや舞台の雰囲気をつかむのが一番いい。市川団十郎は代々荒事も和事もいろいろ演じる。五代目市川団十郎(1741~1806)も名優で勝川春好(1743~1812)は‘暫’を描いている。

写楽のあと同じようなインパクトをもつ描き方でもてはやされた歌川国政(1773~1810)は‘市川鰕蔵の暫’では横向きアップで隈取りが強く印象付けられるように表現している。これは鰕蔵(五代目市川団十郎)の引退公演に取材した作品。

五代目の舞台の演技でなく楽屋の姿で最接近したのが勝川春章(1726~1792)。暫の拵えをした団十郎は煙草を吸うのをやめて台帳と拍子木を手にした狂言作家と思われる人物を話をしている。そして、鳥居清長(1752~1815)は団十郎と家族が宮参りに行くところを描いている。弟子が肩に乗せているのが団十郎の子の市川海老蔵(後の六代目団十郎)。

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2025.06.10

日本・中国の故事、歴史から生まれた傑作アート! 金剛力士

Img_20250610233801  運慶・快慶の国宝‘金剛力士立像 阿形(左) 吽形(右)’(1203年 東大寺)

Img_0001_20250610233801   定慶の国宝‘金剛力士立像 阿形(右) 吽形(左)’(12~13世紀 興福寺)

Img_0004_20250610233801   国宝‘金剛力士立像 阿形’(8世紀中頃 東大寺法華堂)

Img_0003_20250610233801   国宝‘執金剛神立像’(8世紀中頃 東大寺法華堂)

日本でつくられた彫刻でもっともスゴイなと思うのは奈良の東大寺にある‘金剛力立像’。修学旅行で京都・奈良へ行ったとき、目に強烈に焼き付けられたのは金閣寺、大仏、そして運慶(?~1223)・快慶(?~1227以前)たちによる‘金剛力士立像’。社会人になり、イタリアの彫刻家ミケランジェロに魅せられ‘ダヴィデ’などに感動し、西洋彫刻にのめりこんでいったが、同時に日本の運慶や快慶だって、世界に誇れる彫刻家ではないかという認識が深まった。

南大門に飾ってある仁王像は左が口をあけている阿形で、右が口をつむいでいる吽形。ともに8mを超える巨像。こんな筋肉隆々で力強い肉体をした仏像が日本に誕生したということに200%驚かされる。しかも、これを運慶たちはわずか69日で造像した。鎌倉の仏師たちの想像力とパワーにはほとほと感心させられる。

興福寺の国宝館でお目にかかれる‘金剛力士立像’は東大寺のごつごつした大きな顔をした仁王像とくらべると、怖さの点では上回る。それは阿形(右)、吽形(左)ともに眉を高くつりあげ、目がとても鋭い感じがするため。どこか傍若無人の荒くれ僧兵のイメージがかぶるのである。

それと同じくらい激しい怒りを忿怒の相ですさまじくみせているのが東大寺法華堂にある‘金剛力士立像の阿形’。怒りで前髪は逆立っており、右手を高く上げて金剛杵の柄をとり、左手の拳を握りしめている。そして、大きく口を開けて威嚇する面貌に凄味を感じさせる秘仏‘執金剛神立像’も傑作中の傑作。この姿で迫られたら腰を抜かしそう。

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2025.06.09

日本・中国の故事、歴史から生まれた傑作アート! 不動明王

Img_20250609232401   国宝‘不動明王坐像’(839年 東寺)

Img_0002_20250609232401   国宝‘不動明王二童子像(青不動)’(11世紀 青蓮院)

Img_0001_20250609232401   国宝‘不動明王像’(12~13世紀 醍醐寺)

Img_0003_20250609232401   国宝‘不動明王像(黄不動)’(12世紀 曼殊院)

明王のスーパースターで‘お不動さん’と呼ばれている不動明王を一番最初にみたのはどこだったかは記憶が薄れているが、京都・東寺で遭遇した‘五大明王像 不動明王坐像’は強く実感されている。しっかり目に焼き付けたのは弁髪と上の歯牙で下唇を噛んでいるところ。火焔光背を背負い右手に宝剣、左手に羂索をもち岩座に座っている。でも、圧倒的な怖さをみせられたという感じはしなかった。

不動明王がどんと体のなかに入ったのは1995年に奈良博で開催された特別展‘日本仏教美術名宝展’だった。ここで運よく‘不動明王二童子像(青不動)’に出会えたのは生涯の思い出となった。彫刻とのちがいは火焔の迫力のある描写。紅蓮の焔は激しく燃え上がり揺れ動いており、青黒の不動明王との強いコントラストにより忿怒の形相が真に迫っている。息を呑んでみていた。

この名宝展には不動明王像の傑作がもう2点飾ってあった(いずれも国宝)。醍醐寺にある‘五大尊像 不動明王像’は青不動にくらべると火焔のパワーは弱いが、筋肉隆々でパワーをみなぎらせている不動明王は鋭い目と赤い口がまわりを圧するほどの存在感を発揮している。そして、その横にいる二童子の将来の不動明王を予感させるキツイ眼差しも忘れられない。

曼殊院蔵の‘不動明王像(黄不動)’は滋賀の園城寺(三井寺)に現存し秘仏として扱われている画像の転写本で平安時代の12世紀に制作された。この不動明王は円珍(814~891)の不動感得伝説にちなむ作品なので、東寺にある空海の‘弘法大師様’とはちがい、弁髪はなく牙は上向きでやわらかい童子の体ではなく筋骨たくましいボディになっている。

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2025.06.08

日本・中国の故事、歴史から生まれた傑作アート! 阿修羅

Img_20250608230401   国宝‘阿修羅像’(734年 興福寺)

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国宝‘二十八部衆立像 阿修羅’(13世紀 妙法院)

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Img_0003_20250608230401  国宝‘北野天神縁起絵巻 修羅道’(13世紀前半 北野天満宮)

昨年は京都・大阪で美術館めぐりをしたが、今年は夏に奈良へ行くことにし
ている。お目当ての特別展は春日大社で開催される‘究極の国宝 大鎧展’。
まだ縁のない‘赤糸威大鎧(菊一文字)’が出品されるのだから、見逃すわけ
にはいかない。その後、時間があれば興福寺にも寄ってみるつもり。

興福寺というとすぐ思い浮かべるのは国宝に指定されている‘阿修羅像’。日本
で作られた彫刻でMy‘お気に入り彫刻’の一番にしているのはこれと中宮寺に
ある‘菩薩半跏思惟像’。阿修羅像は美少年のようで、目も口も鼻も綺麗で完璧
にバランスがとれており200%魅了される。じっとみていると若くして亡
くなった女優の夏目雅子を連想する。

この阿修羅がインプットされて、京都の三十三間堂に飾ってある‘二十八部衆立像 阿修羅’(妙法院蔵)に遭遇すると、二つのイメージの違いに戸惑う。牙を剥いて怖い顔をしている。ここでは阿修羅は護法善神として仏敵から寺院を守るためこういう姿になっているのである。

阿修羅は元はインドの戦いの神で、帝釈天を大将とする天上の神々と熾烈な戦いを続けるが、謀略によりついに敗れる。その神話を描いているのが‘北野天神縁起絵巻 修羅道(修羅軍と帝釈天軍の戦い)’。上(絵巻では右)にいるのが人面の盾に守られている巨人の阿修羅。下(左)は白象に乗り悪と戦う善神の帝釈天。そして、帝釈天との争いが絶えない修羅道から仏法によって救われて、心が鎮められ静けさと繊細さにつつまれた少年のような顔になった。

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2025.06.07

日本・中国の故事、歴史から生まれた傑作アート! 閻魔大王

Img_20250607232901    ‘閻魔王坐像’(13世紀 六波羅蜜寺)

Img_0004_20250607234001   国宝‘六道絵 閻魔王庁図’(13世紀 聖衆来迎寺)

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陸信忠の‘十王図 閻魔王’(重文 12世紀末∼13世紀 奈良博)

Img_0002_20250607232901   河鍋暁斎の‘地獄極楽図’(部分 1868年以前 東博)

Img_0003_20250607232901   河鍋暁斎の‘閻魔大王浄玻璃鏡図’(1887年 福富太郎コレクション)

十王は人が死後に行くという冥界にいる十人の王。そこで死者は生前の行いを王に裁かれ、次に生まれ変わる世界が決定される。十王中、もっとも有名なのが閻魔大王。小さい頃、‘悪いことをすると閻魔さんに連れていかれるよ’と母親から脅かされたあの閻魔大王である。六波羅蜜寺にある‘閻魔王坐像’がみせる怒りの表情にはタジタジになる。

絵画化された閻魔王をはじめてみたのは国宝に指定されている‘六道絵 閻魔庁図’。冥界の閻魔王たちの審判によって六道のいずれかに転生するため、15幅からなる六道絵に描かれた。真っ赤な顔で髭を長く伸ばした超怖い閻魔王は亡者の審判をじっとながめている。

十王信仰では閻魔王庁には浄玻璃鏡(水晶・ガラス)が置いてあり、生前の所行が映し出される。鏡には真実がでてくるので嘘は言ってもダメ。六道絵でも南宋末から元代(12~13世紀)に活躍した中国の画家、陸信忠の‘十王図’でも、死者は悪行をみせられ恐怖心にかられている。

河鍋暁斎(1831~1889)は閻魔大王を数点描いており、東博の平常展に登場する大作‘地獄極楽図’がよく知られている。画面が大きいのでこれが一番怖い地獄絵図かもしれない。パロディ的なおもしろさがあるのが‘閻魔大王浄玻璃鏡図’。だいたいは生前の悪行が映し出されるのに、この女性は信仰が篤いせいか美しい姿がそのまま映し出されている。これには閻魔大王の困惑気味で、鏡の調子が悪いのではないかとか覗き込んでいる。

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2025.06.06

日本・中国の故事、歴史から生まれた傑作アート! 大黒天

Img_0001_20250606232801   尾形光琳の‘大黒天図’(18世紀前半)

Img_20250606232801   曾我蕭白の‘大黒図’(18世紀後半 ファインバーグ・コレクション)

Img_0002_20250606232801   河鍋暁斎の‘恵比寿 大黒’(19世紀 ハンブルク・コレクション)

Img_0003_20250606232801   大津絵‘大黒’(17世紀 日本民藝館)

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大津絵‘大黒外法の相撲’(17世紀 日本民藝館)

大黒天は戦い・財福などの神でインドのシヴァ神(破壊神)の化身。米俵を
踏み大きな袋を肩にかつぎ、手に打出の小槌をもつ姿で描かれる。尾形
光琳(1658~1716)の絵は三頭身の大黒天が朗らかに笑う表情にと
ても惹かれる。光琳の優しい心根がうかがえる感じ。

光琳同様、ずっとみていたくなるのが曾我蕭白(1730~1781)の‘大黒図’。蕭白の描く人物はだいたいがアクの強い怪奇的な顔をしているのが特徴だが、これは例外的に光琳を連想させるやわらかさ、元気さに満ちている。描かれているのは打出の小槌を振り上げて力強く餅をつく場面。肩の力がすっとぬける戯画チックな絵を蕭白が描いていたとは!

河鍋暁斎(1831~1889)が大黒天と商売繫盛の恵比寿神との組み合わせで描いた作品とこれまで3~4点お目にかかった。これはその一枚で動きのある見事な吉祥図。鯛を釣りあげた恵比寿さんと一緒だから金運を授けてもらえる気がして正月にはいつも拝んでいる。

17世紀頃描かれた民画の大津絵におもしろい大黒天の絵がある。ゆるやかな着物を纏った大黒天は両足を二つの米俵の上にバランスよくのせて、右手に小槌、左手に耳をイメージさせるよう大きな袋をもっている。さらに、隠笠、隠蓑が添えてある。‘大黒外法の相撲’は相撲好きだから敏感に感応する。外法は寿老人のこと。大黒は寿老人の大きな頭を腕でかかえこみ足をからめて必死に倒そうとしている。こんなユーモラスな絵ならお土産にすぐ買いたくなる。

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2025.06.05

日本・中国の故事、歴史から生まれた傑作アート! 寿老人

Img_0001_20250605233201   雪舟の‘梅潜寿老図’(15世紀 東博)

Img_0003_20250605233201   野口幽谷の‘寿老人図’(1889年 三の丸尚蔵館)

Img_20250605233201   狩野芳崖の‘寿老人’(1877~86年 泉屋博古館)

Img_0002_20250605233201   池大雅の‘寿老図’(1761年 出光美)

Img_0004_20250605233201   仙厓の‘踊寿老画賛’(19世紀 出光美)

七福神のひとり、寿老人は中国では福徳、財運、長寿の神とされ南極老人星の化身とされた。その姿は白髪で黒色の頭巾に道服、杖を携えた老人に描かれる。雪舟(1420~1506)は横向きに描き顔をこちらに斜め向きにしている。目が窪み不気味な仙人風。その雰囲気は傍らにいる齢千五百歳をこえる霊獣の鹿にもうかがえ、異様な目つきをしている。

明治時代になり、椿椿山に学び花鳥画を得意とした野口幽谷(1828~1898)の寿老人は真正面を向いたすっきりした福の神になっている。優しそうな目でじっとみており、部屋に拡大コピーを貼り、毎日拝んでいると長寿の願いを叶えてくれそう。

一方、これを同じ頃に描かれた狩野芳崖(1828~1888)の絵はお決まりの吉祥画のためのモチーフはもれなく描かれている。梅の木の根元に腰掛けた寿老人はガリバーばりの巨人仙人で鹿、鶴、蝙蝠を従えている。これをはじめて泉屋博古館東京でみたとき、息を呑んでみていた。

池大雅(1723~1776)の寿老人はなんと頭は馬鹿デカく、背丈は二等身。親しみやすいその姿におもわず笑ってしまう。後ろには鹿の代わりをつとめる鶴と童子がいる。大きな鼻に垂れた眉、可愛い小さな目がじつにいい。さらに大胆なのが仙厓(1750~1837)の寿老人。太鼓にあわせて踊りの真っ最中。これほど明るい笑いをふりまかれると、こちらも幸せな気分になる。

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2025.06.04

日本・中国の故事、歴史から生まれた傑作アート! 布袋

Img_20250604231101   尾形光琳の‘布袋図’(17世紀 畠山記念館)

Img_0002_20250604231101   雪村の‘布袋図’(16世紀 板橋区美)

Img_0004_20250604231101   白隠の‘すたすた坊主’(1759年 富岡美)

Img_0003_20250604231201   伊藤若冲の‘布袋唐子図’(18世紀後半)

Img_0001_20250604231201   円山応挙の‘布袋図’(1788年 名古屋市博)

布袋は絵画や彫刻の題材として人気のある七福神のひとりで、中国の唐末五
代の頃に実在した伝説的な禅僧である。大きな袋を担いであちらこちら歩き
回る風変わりな僧として知られた。多くの画家が描いており、その姿には
いろいろなヴァリエーションがある。

もっとも優しい布袋として強く刷り込まれているのが尾形光琳(1658~
1716)の布袋さん。おおらかな線によってささっと描かれた小太りの布
袋に魅了され続けている。金運招福の神だから当然のように耳は大きく、
いわゆる‘福耳’になっている。これに対し、円山応挙(1733~1795)
の絵は太鼓腹をつきだして体全体にパワーをみなぎらせている豪傑型の布袋。
縦2mの画面の大きさに圧倒される。

ユーモラスな布袋も人々の人気の高さを示しているかもしれない。雪村(15世紀末~16世紀)の布袋は、サーカスの団員がボールの上に乗ってバランスをとりながら回転させるように、袋の一部を手に持ち片足を上げて踊っている。まわりの人は目を白黒させて楽しんでいるにちがいない。このパフォーマンスは受けそう。

布袋の姿に愛着を覚えるのは白隠(1685~1768)の描くもの。この絵によって白隠の存在がインプットされ、いっぺんに嵌った。笹と手桶を持ち裸参りをする布袋は何を意味しているのか?‘すたすた坊主’は商人などの代理として参詣を請け負う乞食僧(こつじきそう)のこと。そして、伊藤若冲(1716~1800)の‘布袋唐子図’もじつにおもしろい。唐子と遊ぶのは楽しいものの頭の上に乗った唐子に困った顔をみせる布袋。頸が疲れてくるとどうやってはしゃぐ唐子をなだめるのだろうか。

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2025.06.03

期待を裏切らないSOMPO美の‘藤田嗣治展’!

Img_20250603231601   ‘自画像’(1960年)

Img_0001_20250603231601   ‘女性と天使’(1935年 迎賓館赤坂離宮)

Img_0002_20250603231601   ‘ヴォジラール、パリ’(1953年)

Img_0003_20250603231601   

‘二人の軽業師’(1924年 Yuコレクション)

Img_0004_20250603231601   ‘つばめと子ども’(1957年 ポーラ美)

美術館のなかには相性が良かったり、好感度の高い美術館ある。そのひとつ、
新宿のSOMPO美へでかけ‘藤田嗣治 7つの情熱’(4/12~6/22)をみ
てきた。藤田嗣治(1886~1968)の作品の見せ方がユニークで、創
作の源となる‘自己表現’、‘風景’、‘前衛’、‘東方と西方’、‘女性’、‘子ども’、
‘天国と地獄’の7つの情熱を切り口にして分類している。

出品作は海外のコレクターが所蔵しているもので大半が占められており、その
多くが小品。たとえば、チラシに使われている‘自画像’は37.5×29cm
の画面。小さい自画像でも存在感はぐんと感じられ強く記憶に残る。Myお
気に入り肖像画に即登録した。ほかに10点の自画像が並んでいる。

小さな絵にまじって嬉しい大作が2点飾ってあった。それは一度迎賓館赤坂離宮でお目にかかった‘女性と天使’と‘犬を抱く女性と楽士’。これは気が利いている。‘藤田には大きな絵もありますから、迎賓館に行ったような気分になって存分にお楽しみ下さい!’という学芸員の心遣いかもしれない。

‘風景’への情熱が注がれた‘ヴォジラール、パリ’に思わず足がとまった。チラシをみて本物との対面を待っていたが、期待通りのいい絵だった。とくに惹かれるのが木のリアルな質感描写。こういう描き方でパリの街の一角をとらえた作品を2点、2018年に開催された回顧展(東京都美)で遭遇したが、そのときと同じ感情がわきおこった。

藤田は子どもの絵が天才的に上手い。今回の収穫は中国の唐子二人がペアの軽業師として球と棒を巧みの操っている姿を描いたもの。そして、‘つばめと子ども’も心を打つ。瞬間的に長沢芦雪と菱田春草の雀の絵が頭をよぎった。藤田は日本画家の絵を知っていたのだろうか。

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2025.06.02

西洋美の‘西洋絵画、どこから見るの?’!

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ジョルジョーネの‘男性の肖像’(1506年 サンディエゴ美)

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クリヴェッリの‘聖母子’(1468年頃 サンディエゴ美)

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エル・グレコの‘悔悛する聖ペテロ’(1590~95年頃 サンディエゴ美)

Img_0004_20250602230601   ベロットの‘サンマルコ湾から望む岸壁’(1740年頃 サンディエゴ美)

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ソローリャの‘ラ・グランハのマリア’(1907年 サンディエゴ美)

現在、アメリカ西海岸にあるサンディエゴ美の絵画コレクションが上野の西
洋美ではじめて公開されている(3/11~6/8)。特別展のタイトルが‘西
洋絵画、どこから見るか―ルネサンスから印象派まで’となっているのは、
この美術館が西洋絵画を古典絵画から印象派まで幅広く蒐集しているから。

事前に得た出品情報から狙いの作品は決めてある。ひとつはアメリカの
美術館、しかもワシントンのナショナルギャラリーでもメトロポリタンで
もないサンディエゴが所蔵していることに驚かされるヴェネツィア派の
ジョルジョーネ(1476~1510)の‘男性の肖像’。小品だがまぎれ
もないジョルジョーネの絵なので目に力を入れてみた。過去、日本でジョ
ルジョーネを一度みたことがある?ような記憶があるが、そのときより、
この絵の方が画家に最接近した感じがする。

もう一点は気になる画家クリヴェッリ(1435/44~1493以降)
の‘聖母子。隣にサルトのマニエリスム流の’聖母子’(西洋美蔵)が並んで
いたが、目のまわりが黒いサルトよりは聖母の目がちょっときつくても
クリヴェッリの方が落ちついてみられる。

展示室に入ってすぐお目当ての絵に遭遇したので、午後の宴会に遅れないようにスピードをあげて進んでいると、まったく予想もしなかったエル・グレコ(1541~1614)が目の前に現れた。しかも3点も。ええー、エル・グレコがでてくるの!だったらチラシに載せてよね、である。エル・グレコ狂だから‘悔悛する聖ペテロ’を興奮してみた。でも、時間が迫っているので長くはここにおれない。

ほかで思わず足がとまったのはカナレットの甥のベロット(1720~1780)の‘ヴェネツィア、サン・マルコ湾から望むモーロ岸壁’とソローリャ(1863~1923)の‘ラ・グランハのマリア’。プラド美蔵の‘浜辺の子どもたち’でソローリャに関心が向くようになったが、この美しい女性の肖像に200%嵌った。

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2025.06.01

大盛況の‘蔦屋重三郎展’!

Img_20250601224901   鳥居清長の‘雛形若菜の初模様’(1782~84年 東博)

Img_0001_20250601224901   山東京伝の‘箱入娘面屋人魚’(1791年 東博)

Img_0002_20250601224901   喜多川歌麿の‘画本虫撰’(1788年 国文学研究資料館)

Img_0003_20250601224901   喜多川歌麿の‘煙草を吸う女’(1792~93年 山口県萩美・浦上記念館)

Img_0004_20250601224901   東洲斎写楽の‘市川鰕蔵の竹村定之進’(重文 1794年 東博)

昨日は朝から雨が結構降っていたので、東博で開催中の‘蔦屋重三郎 コンテ
ンツビジネスの風雲児’(4/22~6/15)はあまり混んでいないと読んで
9時半の開館のタイミングで入場チケットの売り場に並んだ。ところが、こ
れが大きく外れ、長い列ができていた。運悪く20分を費やした後、ようや
く平成館に入ることができた。この間すでにチケットを持っていた人はどん
どん入館しているため、作品を真近でみれる最前列の動きは超スローペース。

そこで作戦を切り替え、浮世絵の方はそこそこ目が慣れているので、こういう
特別展でない限り縁のない、蔦屋重三郎(1750~1797)が関係した
出版物を中心に食いつくことにした。たとえば、‘吉原細見’や洒落本、黄表紙
などは大河ドラマ‘べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~’を毎週観て情報が豊富になっ
ているから敏感に反応する。

最も印象深かったのが山東京伝(北尾政演 1761~1816)の黄表紙
‘箱入娘面屋人魚’。座敷に現れた首から上は女の顔でその下は鱗と尻尾だけを
みせる魚というハイブリッドの人魚。これまでみた鏑木清方の人魚などとは
まるでちがう異形なので面食らった。どうでもいいことだが、今日の‘べらぼ
う’に出演していた山東京伝役の俳優はどこか長谷川一夫(知っている人
は知っている)を彷彿とさせる。

今回出品されている浮世絵の大半は東博の所蔵だが、‘コレクションは全部お見せします’という感じだから、手元の浮世絵本に載ってないものがどどっと並んでいる。大きな収穫は鳥居清長(1752~1815)の‘雛形和若菜の初模様 松葉屋瀬川 さゝの 竹の’。そして、蔦重とコンビを組み美人大首絵という新機軸で江戸っ子を楽しませた喜多川歌麿(1753~1806)は中程度の回顧展をおもわせるほど主要な作品が登場している。思わず足がとまったのが歌麿花鳥画の絶品‘画本虫撰’と‘煙草を吸う女’。NHKの日曜美術館で紹介された新発見の‘ポッピンを吹く娘’(個人蔵)は特別出品として飾られている。日美では5/20?22?から公開とあったが、6/15まででているかは不明(展示リストにこの絵の展示のことは書かれてないし、図録にも掲載されていない)。

また、写楽の役者絵も存分に楽しめる。後期(5/20~6/15)には19点が並ぶ。久しぶりにお目にかかった‘市川鰕蔵の竹村定之進’はどうしてもあの大きな鷲鼻に目がいく。今回の出動は蔦重の情報がびっしり詰まった図録を購入するのが第一の目的だった。分厚い図録(3300円)を‘べらぼう’が放送されるたびにしっかり読むことにした。

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