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2021.12.31

ベートーヴェン‘第九’!

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 サイモン・ラトルのベートーヴェン‘第九’(ロンドン交響楽団)

昨年から年末にベートーヴェン‘第九’を聴いている。以前は仕事仲間で合唱を
やっている人が暮れになると皆と一緒に‘歓喜の歌’を歌っているのを横目で
みているだけだったが、NHKがここ数年一流交響楽団のいい演奏を聴かせ
てくれるので世の中の恒例イベントに合わせて感動する気持になった。今年
聴いたのはお気に入りのサイモン・ラトルがロンドン交響楽団を指揮したも
の(2020年)。

ラトルはベートーヴェンが得意で長く指揮していたベルリンフィルが演奏し
た‘第五番’をよく聴いている。今はクラシックに多くの時間をさくことはない
が、前は有名な作曲家のものはだいたい聴いた。また、オペラもTV放送を
ビデオ録画したから人気のあるものはだいたい揃ている。今、ときどき
You Tubeで聴いているベートーヴェンは‘ピアノ協奏曲第五番(皇帝)’。
ピアニストは名手ポリーニ。聴くたびに感動している。だから、ベートーヴ
ェンだったら、‘皇帝’を軸にして‘第五(運命)’と‘第九’の3曲が定番になり
ほかの曲は関心が薄くなった。

クラシックの感じ方は年齢とともに変わってきた。若い頃はマーラー一本や
りだったのが、モーツァルトが加わり、さらにベートーヴェンの‘運命’に激し
く引き寄せられ、‘皇帝’の美しいメロディラインに癒され、‘第九’の第四楽章
の大合唱の壮麗なハーモニーに心を震わせる。クラシックに乾杯!である。

今年も拙ブログにおつきあいいただきありがとうございます。
皆様良いお年をお迎え下さい。

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2021.12.30

ピカソの‘ゲルニカ’!

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    ピカソの‘ゲルニカ’(1937年 ソフィア王妃芸術センター)

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   現代アートの殿堂、ソフィア王妃芸術センター(マドリード)

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   プラド別館に展示されていたときの‘ゲルニカ’

26日の日曜美術館にピカソ(1881~1973)の‘ゲルニカ’が登場した。
このタイミングでなぜ‘ゲルニカ’?と思ったが、スタッフがわざわざマドリ
ードへでかけソフィア王妃芸術センターに飾ってあるこの大作を8Kカメラ
で撮影したためだった。そして、実物の大きさ(縦3.5m 横7.8m)
を再現し、番組のゲストたちにみてもらっていた。

‘ゲルニカ’の本物はこれまで3回みたことがあり、誕生のきっかけとなった
ドイツ軍によるゲルニカ無差別爆撃のことやピカソがこの絵をどういうふう
に仕上げたかについてもだいぶ情報が入っているので、番組に前のめりに
なるということもなく気軽に話を聞いていた。興味深かったのは左上に描
かれている鳥。このモチーフをしっかりみたという実感がない。暗くてよく
見えないのと前にいる牛と息苦しさのためよだれをたらす馬のインパクト
が強烈なので鳥の存在がかき消されている。

1990年仕事でスペインに出張したとき、日曜を利用してマドリードにあ
るプラド美を楽しんだ。ベラスケスやボスの絵など名画の数々を満喫したあ
と、別館に移動して‘ゲルニカ’と対面した。なんとこの大作は防弾ガラスの
囲いのなかに閉じ込められていた!こんなに警備が厳しいとは思ってもみな
かった。1981年NYのMoMAからスペインに帰って来てここで展示さ
れることになったが、ソフィア王妃芸術センターへ移ったのは1991年だ
から、こういうピリピリした精神状態でこの絵をみる最後の年だったのであ
る。ソフィアでも2回みる機会があったが、絵の前にはもう不格好な防弾
ガラスはなかった。

もう一回くらいみてみたいが、海外旅行を再開するときはスペインの優先
順位はどうしてもパリやイタリアより低くなるのでマドリードに行けるか
どうかはわからない。

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2021.12.29

黒澤明 VS ジョン・フォード!

Img_20211229222301     黒澤明の‘七人の侍’(1954年)

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ジョン・フォードの‘アパッチ砦’(1948年)

黒澤明監督(1910~1998)がつくった映画でとくに関心が高いのは
‘羅生門(1950年)、‘七人の侍’(1954年)、‘天国と地獄’(1963
年)。何度もみているうちに黒澤映画の特徴みたいなものがだんだんつかめ
てきた。名画はみるたびに新しい発見があるというが、映画もそれと同じよ
うなことがあり、ディテールへのこだわりにも気づくようになる。そんな積
み重ねにより黒澤明の感心する映画のつくり方がいくつかわかった。そして
、これは監督独自のものだろうと思っていた。ところが、今年それがじつは
オリジナルのものではないことがわかった。

なぜわかったかというと黒澤明が大きな影響を受けたジョン・フォード監督
(1894~1973)が1948年につくった‘アパッチ砦’の一シーンを
みたから。砦の騎兵隊が雇った民間人を軍曹が訓練する場面をみたとき、こ
れはどこかでみたシーンだなと思った。すぐ‘七人の侍’を思い出した。村の
百姓たちから野盗の撃退を依頼された七人の浪人は村に着くと早速、策を練
る。同時に百姓を戦闘員に育てるため訓練をする。その担当になったのが
菊千代(三船敏郎)。槍の突き方と教えるが、戦えるようになるかは心もと
ない。菊千代はシニアの村人(左卜伝 知っている人は知っている)をいじ
って笑わせる。この演出はどうやらジョン・フォード監督の映画に刺激を受
けたようだ。そうだったのか!天才は天才からアイデアを受け継ぐのである。

‘七人の侍’にしても‘天国と地獄’にしても黒澤監督は緊迫する場面を和らげよ
うとよく笑いの場面をつくる。これに感心していたが、この手法はジョン・
フォードから学んだものだった。ジョン・ウェインが主演する西部劇の名作
をよくみているが、道化役のような軍曹や仲間が必ず登場する。ジョン・
フォード以外の監督の作品でもユーモラスなシーンは定番だから、西部劇は
悪党との決闘やインディアンとの戦いだけで物語が終始しているのではない。
西部劇の奥深さにしみじみ魅了されている。

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2021.12.28

心にとまった言葉! ‘考えるな、じいさん’

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Img_0001_20211228220601    映画‘老人と海’(1958年)

今年は3月にDVDの再生プレーヤーを買ったのがきっかけとなり、昔見た
お気に入り映画をブックオフでせっせと買い込んでいる。名作映画というの
は映画を見終わったあと感動をさらに膨らませるためのルーティンが続く。
SNSで映画の関連情報をいろいろさがし映画大好きさんの感想コメントや
映画評論家レベルの知識をもち見どころをしっかり教えてくれる上級クラス
のファンの話も読ませてもらう。これくらい情報を集めると、映画をみてい
るときの疑問や見落としていたところがうまくカバーでき作品の楽しみ方が
一段上がったような気になる。

そして、映画の原作となった小説があれば本屋にでかけ手に入れておくのも
お決まりの行動。たとえば、カズオ・イシグロの‘日の名残り’(ハヤカワ文庫
、グレアム・グリーンの‘第三の男’(ハヤカワ文庫)、ジョン・スタインベック
の‘エデンの東’(1~4 ハヤカワ文庫)、スティーヴン・キングの‘グリーン
・マイル’(小学館文庫)。

ヘミングウエイの小説を映画化したものでは、‘誰がために鐘は鳴る’、‘老人と
海’がMyライブラリーに入っている。ずっと探していた‘老人と海’が運よくみ
つかりいいDVDをゲットしたと心が満たされていたら、10月NHKのE
テレの番組‘100分de名著’でヘミングウエイ スペシャルが放送された。
いい流れがきたのでテキストも買って毎回みた。

2回目のとき久しぶりに見た映画では気がつかなかったことを講師の都甲幸治
氏(早大教授)から教えてもらった。大きなカジキをしとめた老人は心地よい
疲れを感じながら港へ帰還するが、途中サメの集団に獲物をしつこく狙われて
大苦戦する。弱気になった老人は自分にこういい聞かせる。‘あれこれ考えるな
よ、じいさん’、‘このまま進んで、いざとなったら受けて立ちゃいいんだ’。
また、しばらくすると‘考えすぎだぞ、じいさん’と声をだす。

都甲さんはすごくいいことをおっしゃる。‘何も考えるなという、考えるという
ことは言葉を使って過去にあったこととか、未来のことを考えるということ。
そうすると現在にいられない。言葉を使って状況をつかんでしまうことで感覚
が鈍くなる。そうなるとサメに負ける。考えるなとは今の現実に意識を向けろ
ということ’。

この話を聞いてはっとした。スポーツでは考えないことがやはり一番大事なの
だと。いまに集中してゾーンに入る。そうすると大きな力が生まれる。引退し
た豪栄道が全勝優勝したときは完璧にゾーン状態だった。一方、大関時代いつ
もいいところで勝てなかった稀勢の里(二所ノ関親方)はあれこれ考えすぎ
て優勝にとどかなかった。大リーガーのダルビッシュも同じでいろんな球は投
げられるが大一番でいい結果が出せない。‘もっている’野茂やイチローや大谷が
緊張しないのは余計なことを考えていないから。自分の力を信じて投げたり打
つからいい成績が残せる。

都甲さんはさらにこう続ける。‘体の感覚、身体性を現代の社会だと忘れがち。
スマホでだいたいできるんじゃないか、と思ってしまう。だから、体を見直す
ということは大事’。ヘミングウエイの‘老人と海’はこんなにいい話がモチーフのひとつになっていた。

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2021.12.27

追っかけ国宝仏像は最終コーナーへ!

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   国宝‘十一面観音菩薩立像’(奈良時代・8世紀 聖林寺)

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  国宝‘如意輪観音坐像’(平安時代・9世紀 観心寺)

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  国宝‘執金剛神立像’(奈良時代・8世紀中頃 東大寺法華堂)

今年は新型コロナウイルスの感染の波が何度も来たため、美術館へ出かけたの
はわずか5回しかなかった。2年もこういう低調な展覧会鑑賞が続くと本物の
美術品のことを忘れてしまいそうになる。2年前の秋、京都や大阪まで足をの
ばし‘佐竹本三十六歌仙絵展’や‘北斎展’に心を躍らせていたとき、こんな事が
起きるとは夢にも思わなかった。

6月東博に登場した国宝‘十一面観音菩薩立像’をみれたのは幸運だった。
元々は昨年披露されるはずだったのが今年に延期された。中止の可能性もあっ
たから、開幕してからすぐ出かけた。この十一面観音に強い関心をもつように
なったのはあの白洲正子(1910~1998)が大絶賛していたから。その
影響でいつか奈良の桜井市にある聖林寺を訪ねようと思っていた。機運が盛り
上がってきたとき嬉しい情報がとびこんできた。なんと東京にお出まし頂ける
とのこと。これは有難い。だから、開幕を今か々と待っていたいた。こんな
ビッグイベントをぶち壊しそうな勢いで広まったのが新型コロナウイルス。
だが、開幕が予定よりだいぶ遅れたものの感染が弱まったスキに本物と対面で
きた。本当についていた。

聖林寺の十一面観音を目のなかに入れたので次のターゲットは2つ。ひとつは
大阪の観心寺にある‘如意輪観音坐像’。公開されるのは4月の17日と18日
の2日だけであることは知っている。あとはこの日程にあわせてどう段取りす
るかである。もうひとつは東大寺法華堂の‘執金剛神立像’、こちらの開扉は
12月16日。12月はなにかと忙しいから奈良へ行くのは簡単ではないが、
なんとかしなくてはいけない。この2つをみたら国宝の仏像の追っかけは済み
マークがつけられる。元の生活スタイルが戻ったら観たい気持ちを高ぶらせ
行動したい。

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2021.12.26

Anytime アート・パラダイス! ニキ・ド・サン・ファル

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   ‘射撃’(1961年)

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   ‘赤い魔女’(1963年)

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   ‘泉のナナ’(1971年)

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   ‘言葉の散歩’(1980年)

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   ‘ホーン’(1966年 ストックホルム国立美)

2015年、国立新美でフランスのニキ・ド・サン・ファル(1930~
2002)の回顧展が開催された。この美術家の作品をたくさんみるのは
2度目だったが、前年パリのグランパレで行われた大回顧展では約60万人
の観客を集め大きな話題になっていたから作品へ興味が高まった。
一体、この女性ア―ティストのどこがスゴイのか、はじめてその作品をみた
とき度肝をぬかれたのが‘射撃絵画’。液状の絵具を満たした石膏レリーフを
ピストルで撃ち抜いて絵具を飛び散らせその色から線とフォルムを生み出す。
これもアクションペインティングの一種だから、‘射撃’はポロックのドリッ
ピングが頭をよぎる。

射撃絵画の次に関心をよせたテーマが女性の表現。これがまた怖い。‘赤い
魔女’は上半身の中央に聖母マリアがはめ込まれ、左足の膝のところには赤子
のオブジェがみえる。そして、右の太腿には髑髏が潜んでいる。いろいろ
変化する女性の姿を同居させるアイデアがユニークだが、暴力的で怪奇じみ
ているところが心底不気味。

この女性表現が‘ナナ’シリーズで一変する。その代表作が‘泉のナナ’。だいぶ
太めのナナのオブジェが跳びはねている。使われている素材はポリエステル。
衣裳の鮮やかな色彩とのびのびした姿が開放的な女性をイメージさせる。
ナナにはいろいろなヴァージョンがある。異様に小さな頭が衣服から出てき
たり、逆立ちしたりする。‘言葉の散歩’はこのオブジェの印象からはタイトル
がすぐには結びつかない。一見蛇の動きを連想するが、これが言葉とどう
関連するのか?

1966年、スウェーデンのストックホルム近代美のエントランスホールの
なかにナナのような巨大な女性が横たわり、足を広げて来場者を迎え入れた。
これはニキとティンゲリーが共同でつくったもので、‘ホーン’はスウェ―デン
語で‘彼女’を意味する。2018年、北欧旅行をしたとき最後の訪問地がスト
ックホルムだった。自由時間がとれればこの美術館へ行くつもりだったが、
行程が変更になり行きそびれた。惜しいことをした。

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2021.12.25

メリー クリスマス!

Img_0002_20211225215701  You Tube ‘音楽で巡る世界の旅 My Jet Stream’

Img_20211225215701   リッピの‘幼児を礼拝する聖母’(1459年頃 リカルディ宮)

2年前まではクリスマスはいつも飲食店やイベントパークは大賑わいで人々
であふれかえっていた。ところが、今はその楽しさと熱気は新型コロナウイ
ルスの感染のお陰でぐんと萎み繁華街に繰り出す人もかなり減っている。
昨日も今日もケーキ屋さんの前は大勢の人が並んでいた。多くの人は生活ス
タイルを変え家でクリスマスをエンジョイしている感じ。

つい2週間くらい前から、You Tubeで‘音楽で巡る世界の旅 My Jet Stream’
を頻繁に聴いている。‘音楽の定期便 ジェット ストリーム!’は若い人は
縁がないだろうが、シニア世代にとっては懐かしいラジオ番組、記憶が定か
でないが、確か深夜のFM?に流れていた。ナレーションは声がとてもい
い城達也(じょうたつや 声優のはず)。ちょっと聴いてみるか、と軽く
クリックするとあまりの選曲の良さでいっぺんに嵌った。シリーズの一つに
うってつけの‘クリスマス特集 ホワイト・クリスマス’があったのでここ
数日いい気分で聴いている。お馴染みのクリスマスソングを演奏する楽団も
歌手も一流どころがずらっと登場するから、クリスマスモードは否が応でも
高まる。いいタイミングで遭遇したことを喜んでいる。

このTou Tubeがいいのは今流れている曲がどれかわかること。メロディは
聴いた覚えはあるが、タイトルは忘れていたり知らないことはよくある。
だから、琴線にふれるこのメロディラインは○○という曲だったんだ、と
新鮮な発見がある。ドーパミンがどっとでて心地よい快感につつまれる。
ラインナップされた曲が流れ終えるのは1時間くらいだが、いい曲が多いの
で高揚感はずっとプラトー状態のまま。

ヴァリエーションの多さに感心するが、よく聴いているのが‘魅惑のハリウ
ッド 大いなる西部’。ブックオフで西部劇のDVDをせっせと購入している。
今14本。そのなかでこのジェット ストリームに選曲されている主題歌は
‘シェ―ン 遥かなる山の呼び声’、‘駅馬車’、‘アラモ’、‘黄色いリボン’。有名
な‘荒野の七人’はこれを聴くまではパスと決めていたが、昔よく聴いた主題歌
だったことを思い出させてもらったので近々手配するつもり。

フィレンツェのリカルデイ宮でお目にかかった‘幼児を礼拝する聖母’を描いた
のはボッティチェリ(1445~1510)の師匠、フィリッポ・リッピ
(1406~1469)。幼子キリストとまわりで咲き誇る花の美しさに思
わず足がとまった。

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2021.12.23

Anytime アート・パラダイス! フランケンサーラー

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  ‘キャニオン’(1965年 フィリップス・コレクション)

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  ‘湾’(1963年 デトロイト美)

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   ‘ウェールズ’(1966年 ワシントン・ナショナル・ギャラリー)

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  ‘白いサルビア’(1962年 フィラデルフィア美)

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  ‘高潮の一撃’(1974年 ルートヴィヒ美)

オキーフの40年後にNYに生まれたヘレン・フランケンサーラー
(1928~2011)は抽象表現主義の第二世代を代表する女流画家。
アメリカの美術館を回るようになってから抽象絵画の世界では大きな存在で
あることがわかった。オキーフの絵は大きな美術館ではよく飾ってあるが、
フランケンサーラーも出会うことが多い。日本にいてはなかなかの画家の評価
の高さがつかめないが、彼女はカサットとかオキーフと一緒で絵画の好きな
アメリカ人なら誰もが知っている有名な女性ア―ティストにちがいない。

ワシントンのフィリップスコレクションはルノワールの傑作‘舟遊びをする人
たちの昼食’を所蔵していることで有名だが、ここには現代アートのスター
画家の作品もずらっとある。ロスコは専用の部屋に3点あり、独自の絵の具
のしみこませ技法により色面に女性ならではの柔らかさと繊細さを生み出し
たフランケンサーラーの‘キャニオン’もみる者の視線を釘づけにしている。
‘湾’は全体を印象づける青い色のグレデ―ションと層の境の滲みが彼女の湾の
心象風景を表現してる感じ。淡い薄緑と下部の灰色との組み合わせがとても
優しい。

‘ウェールズ’は影響を受けたポロックのドリッピングとは趣の異なる軽快で
スッキリ感覚に満ちた色面絵画。色の配置の特徴は縦に長いキャンバスでも
画面の多くを占める薄い黄色を主役にして脇の色は左端にちょこっとみせる
のがフランケンサーラー流。これは横長の‘高潮の一撃’でも同じ。とてもおも
しろい構成で上に緑の帯をちらっとみせ真ん中の高潮の激しさを表現してい
る。手前の黒い岩から自然の荒々しさを俯瞰しているよう。

フィラデルフィア美でお目にかかった‘白いサルビア’は具象のイメージがかろ
うじて感じられる作品。白、黒、赤で彩られたオブジェとか彫刻作品が目の
前に並んでいるような感覚だった。同じような花の静物画を思わせるものが
ワシントンのナショナルギャラリーにも展示してあった。
日本でフランケンサーラーの回顧展に遭遇することがあるだろうか。
Bunkamuraあたりに期待したいのだが、果たして。

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2021.12.22

Anytime アート・パラダイス! オキーフ(2)

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   ‘夏の日々’(1936年 ホイットニー美)

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  ‘鹿の頭蓋骨とペダーナル’(1936年 ボストン美)

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 ‘遠くて近いところから’(1937年 メトロポリタン美)

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   ‘骨盤Ⅲ’(1944年)

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   ‘青、黒、グレー’(1960年)

オキーフは1929年ニューメキシコで過ごした最初の夏、花と並ぶ重要
なテーマをみつけた。それは荒野に散らばる動物の骨、オキーフは骨を‘私
の砂漠のシンボル’と呼んだ。‘私にとって野晒の骨は何よりも美しく感じ
られる。不思議なことにそれらは歩き回る動物たちよりも生き生きしてい
る。砂漠が巨大で空虚で非情でありながらもおかすことのできない美をも
つように、その厳しさの中で生きる生命の核心にこの骨たちは鋭く迫って
いるように思える’。

ホイットニー美にある‘夏の日々’はみたくてしょうがない絵だが、一度
期待して入館したときはどういうわけが展示されてなかった。あとでわか
ったがここは有名な作品だからといっても常時展示されていないのである。
この先、いつ対面できるか見当がつかない。砂漠の山の光景を見下ろすよ
うに鹿の巨大な頭蓋骨がどんと描かれている。おもしろいことにすぐ下に
野生の花も浮かび上がっている。空中に出現した静物画と風景を合体さ
せるというアイデアは普通の頭からはでてこない。

2015年、ボストン美を訪問したとき‘鹿の頭蓋骨とペダーナル’に遭遇し
た。‘夏の日々’の別ヴァージョンのようでもあるので溜飲が下がる思いだっ
た。ほかにも‘白バラとヒエン草’とTASCHEN本にも載っている‘パティオと
暗い戸口’が並んでいるのだからたまらない。1937年に描かれた‘遠くて
近いところから’では構図はかなりシュルレアリスム的な要素を帯びている。
牝鹿の頭蓋骨の複雑な絡みあいが動きをもたらし、死してなお生命力を保
つ鹿の逞しさに惹きつけられる。

動物の骨を描いた作品の中で奇抜な主題といえるのが‘骨盤’シリーズ。オキ
ーフは狙いをこんな風に語っている。‘骨盤の骨を描くとき、何より興味を
そそられたのは穴の部分とそこからみえるものでした。骨盤を空に向かって
高く掲げると青い空がみえる。人間による破壊が終わった後もいつまでも空
の青は残ると感じました’。ここまでくると抽象画へはすーっと移行できる。
‘青、黒、グレー’はロスコの滲みの部分を連想させるバリバリの抽象画。

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2021.12.21

Anytime アート・パラダイス! オキーフ(1)

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 ‘ジャック・イン・ザ・プルピットⅢ’(1930年 ワシントンナショナルギャラリー)

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 ‘ピンクの上の二つのカラ―・リリ―’(1928年 フィラデルフィア美)

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  ‘赤いケシ’(1927年)

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  ‘ケシ’(1950年 ミルウォーキー美)

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 ‘レッドヒル’(1927年 フィリップス・コレクション)

アメリカのブランド美術館を本格的に回るようになったのは2008年から。
このあと、2013年、2015年にもお目当ての美術館にせっせと足を運
んだ。訪問した都市はシカゴ、NY,ボストン、ワシントン、フィラデルフ
ィア。こうしてアメリカの美術館に展示してある名画の数々に魅了されてい
くなかで、ヨーロッパの美術館では味わえない鑑賞体験があることがわかっ
てきた。

それはどこへ行ってもよく遭遇するコール、チャーチ、ビーアスタットらの
ハドソンリバー派の大きな風景画と印象派のカサット、現代アートのジョー
ジア・オキーフ(1887~1986)の絵。この嬉しい体験のお陰で横浜
美であったカサット展(2016年)がすごく楽しめた。だから、ハドソン
リバー派とオキーフについても回顧展が実現することを強く願っている。
でも、まだミューズは微笑んでくれない。

女流画家オキーフに大変魅了されている。手元にあるTASCHEN本に載ってい
る作品の2割くらいしか眼の中に入ってないが、ワシントンナショナルギャ
ラリーやフィラデルフィア美が所蔵する大きな花の絵に出会ったことは生涯
の想い出になっている。濃い緑が目に飛び込んでくる‘ジャック・イン・ザ・
プルピット’はナショナルギャラリーに‘Ⅱ、Ⅲ、Ⅳ、Ⅵ’があるが、運がいい
ことにⅡを除いて3点みることができた。‘ピンクの上の二つのカラー・リリ
―’は日本で開催されたフィラデルフィア美展に出品された。

オキーフが描く花は普通の静物画とはちがって馬鹿デカい。‘赤いケシ’も
‘ケシ’もその大きな存在感に圧倒される。彼女はこんなことを言っている。
‘誰も本気で花をみてません。ものをみるには時間がかかるのです。私は思い
ました。みたままを描いてやろう。私にとって花が何であるかを。ただし、
うんと大きく、そうすれば皆びっくりして時間をかけてみるだろう。私が花
の何をみているかを目の前につきつけてやろう’。

ワシントンのフィリップスコレクションにある‘レッドヒル’は期待に胸をふく
らましていた作品。オキーフは花の絵だけでなく抽象画の要素を秘めたドラ
マチックな風景画を生み出した。広大な岩山、それを赤く染める夕陽、大胆
に単純化された赤や黄色の色面の重ね合わせによってアメリカの自然の雄大
さと厳粛性を表現している。

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2021.12.20

Anytime アート・パラダイス! フリーダ・カーロ

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  ‘ザ・フレーム’(1938年 ポンピドー)

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     ‘二人のフリーダ’(1939年)

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  ‘メダリオンをつけた自画像’(1948年)

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  ‘変化と私’(1937年 MoMA)

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   ‘小さな鹿’(1846年)

昨年の春はアメリカ西海岸の都市と奇岩で人気のアンテロープ・キャニオン
に出かけるのを楽しみにしていたが、新型コロナウイルスの感染が世界的に
広まったので中止を余儀なくされた。アメリカはNY,ボストン、ワシント
ン、フィラデルフィアなど東海岸しか縁がなく、LA,サンフランシスコは
まだ一度も足を踏み入れてなかったのでこの旅行が実現しなかったのは残念
でたまらない。仕切り直しがいつやって来るのか、アバウトには具体的な
計画が動き出すのは2023年くらいになりそう。

西海岸を体験したら、次の目標となるのはメキシコシティ。その下の中米、
さらに先の南米にまで飛んでいく元気はない。メキシコシティへ行ってみた
いのはリベラ、シケイロス、オロスコの大壁画をみたいのと、フリーダ・
カーロ(1907~1954)の自画像やシュルレアリスム絵画に遭遇でき
る可能性があるから。国内の美術館ではメキシコ絵画にスポットをあてた
展覧会は少なく、実際に足を運んだのは2007年に世田谷美であった
‘メキシコ20世紀絵画展’の1回だけ。

このとき目玉の作品として展示されたのがフリーダの‘メダリオンをつけた
自画像’。彼女の絵の多くが自画像だが、これは強い磁力を放っている。フリ
ーダが好んだ鳩のブローチをつけ顔のまわりは広いひらひらのエスぺランド
ール。目を見張らされるのはレースの模様が一つ々丁寧に描かれていること。
顔はぱっとみると男性のようにもみえる。髪の生え際と涙の粒でやはり女性
に落ち着く。

これに較べるとポンピドーにある‘ザ・フレーム’はだいぶ装飾的で乙女チッ
クな花園ムードが漂っている。だまし絵のようにフレームを描いてしまうの
はシュールな感性に火がついている証。‘二人のフリーダ’もダブルイメージ
の変種。これはリベラとの離婚直後に描かれた。リベラの好きだった民族
衣装を着た右の自画像は二人の関係がよかったときの姿、左は西洋風の衣装
を着た自分で破局を表現している。胸のところに医学書に出てくる心臓を
描くという発想が前衛そのもの。

NYのMoMAで遭遇した‘変化と私’は黒い猿の赤ちゃんを抱くフリーダが女芸
人のイモトアヤコにみえてしょうがない。シュール気分全開の‘小さな鹿’に
も大変惹かれている。ケンタウロスをイメージさせる鹿人間の体に矢が突き
刺さり血がふきでるのは交通事故の後遺症で体調が良くない状態にあること
を示唆している。

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2021.12.19

Anytime アート・パラダイス! レンピッカ

Img_20211219223301    ‘緑の服の女’(1930年 ポンピドー)

Img_0002_20211219223301    ‘自画像’(1929年)

Img_0001_20211219223301     ‘マルジョリ・フェリーの肖像’(1932年)

Img_0003_20211219223301      ‘男の肖像’(1928年 ポンピドー)

Img_0004_20211219223301   ‘腕組みをする女’(1939年 メトロポリタン美)

第一次世界大戦のあと活気が戻ったパリで一世を風靡した女流画家が二人い
た。ローランサンと彼女より15歳年下のレンピッカ(1898~1980)
。帝政ロシアの上流社会に育ったレンピッカはロシア革命ですべてを失い
パリに亡命してきた。時代の最先端をいく女性でその美貌と最新のファッシ
ョンで脚光をあびた。そして、自分の生き様をそのまま絵で表現した。モデ
ルから放たれる金属的な光沢は硬質な画面の質感を生み出しアール・デコを
象徴する女性像が誕生した。

もっとも有名な肖像画が‘緑の服の女’。圧が強く猛禽のイメージのするこの
女性は娘のキゼットでカッコいい肉食女子という感じ。2010年、Bunka
muraで開催されたレンピッカ展で絵の存在をはじめて知ったが、200%
KOされた。同じく緑のメタリックな輝きに圧倒される‘自画像’にもガツーン
とやられた。これはオリジナルの油彩のシルクスクリーン版だが、自動車を
運転するレンピッカのモダンすぎる感性がそのままでている。

‘マルジョリ・フェリーの肖像’は誘うような視線がとても気になる。彼女
はキャバレーの歌手で夫が絵を依頼した。金髪で背が高いのですぐド
イツ人を連想する。最近よくみている古い映画に登場する女優はこういう
タイプが多い。派手なのは金髪だけで画面全体はモノクローム的な作品。
‘男性の肖像’のモデルはレンピッカの夫、これは未完成で左手が最後まで描
かれていない。その理由は二人は離婚の瀬戸際にいたから。夫は家庭を顧
みず浪費にふけったため、レンピッカは愛想をつかしており結婚指輪がは
められた左手をわざと描かなかった。

回顧展に遭遇する以前に唯一レンピッカの作品としてインプットされていた
のが、ニューヨークに移った年に描かれた‘腕組みをする女’。この女性は
十代後半のキゼット。均一にぬられた青を背景に、物思いに沈んでいる娘の
姿が目に焼きついている。生気のなさはどうしたのだろう。‘緑の服の女’と
の落差がありすぎる。

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2021.12.18

Anytime アート・パラダイス! ローランサン

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  ‘シャネル嬢の肖像’(1923年 オランジュリー美)

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 ‘シモンヌ・ローランサンの肖像’(1932年)

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 ‘アポリネールとその友人たち’(1909年 ポンピドー)

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   ‘少女と小鳥’(1937年)

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  ‘三人の若い女’(1945年)

女流画家列伝をみると印象派のグループのなかで活躍したモリゾやカサット
のあと思いつくのはマリー・ローランサン(1883~1956)。これま
でまとまった形でみたのは2回、どちらも日本のコレクターが蒐集したもの。
2007年、鎌倉にあった大谷記念美(今は無し)でコレクションが披露さ
れた。その3年後、千葉の川村記念美で蓼科にあったマリー・ローランサン
美(こちらも今は無し)が所蔵する作品によって回顧展が開催された。
ほかの美術館でも、たとえば、山形美も5,6点もっており、広島県立美、
松岡美、ア―ティゾン美(旧ブリジストン美)でもお目にかかった。

国内でもローランサンは結構みれるが、情報が不確定なのが大谷コレクショ
ンとマリー・ローランサン美のこと。ほかの美術館とかコレクターの手に渡
ったのだろうか。3,4年前ホテルニューオータニにマリー・ローランサン
美が移ったと聞いたが、それもまた休館になったという。

海外の美術館でローランサンが楽しめるのはパリのオランジュリー美。ここ
でみた‘シャネル嬢の肖像’がMyベスト1。淡い紫やピンクの色調と簡潔な
フォルムによる憂いをたたえた詩的な女性像が印象深い。この絵にはおもし
ろい話がある。モデルは当時人気絶頂だった女性デザイナー、ココ・シャネ
ル。彼女はこの絵が気に入らなかったので描き直しを要求したが、ローラン
サンは‘私はドレスを注文したら代金を払うわ。シャネルなんて、しょせん
田舎娘よ’と怒って、描き直しを拒否した。

ローランサンの母親は未婚のままでマリーを産んだ。母親の遠縁にあたる
女性を描いた‘シモンヌ・ローランサン’もとても惹かれる肖像画。顔や肌に
使われている白はピンク、灰色、青の組み合わせをより引き立てている。
恋人の詩人アポリネールと友人たちが登場する群像肖像画はピカソのキュビ
スムに影響されたフォルムがみられ、狐のような顔とアフリカの仮面を連想
させる人物表現になっている。真ん中にいるのがアポリネールでその右が
ピカソ。右端がローランサン。

角々していた初期の人物の顔がしだいに丸くなり、女性のもつ柔らかさ、清
らかさは感じられるようになる。なんだか宝塚歌劇団風の優しい世界に誘わ
れてるよう。日本にあるローランサンでは‘少女と小鳥’と‘三人の若い女’に
魅了されている。

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2021.12.17

サントリー美の‘智積院の名宝’!

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    長谷川等伯の国宝 ‘楓図’(1592年 智積院)

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    長谷川久蔵の国宝 ‘桜図’(1592年 智積院)

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   国宝 ‘初音蒔絵貝桶’(1639年 徳川美)

美術館で計画されている展覧会を知るにはHPをみるのが手っ取り早いが、
ここ2年は新型コロナウイルスの感染の影響で開催そのものが中止になっ
たりすることがよくおこったので地域を問わずHPをチェックするインセ
ンティブがはたらかなくなった。だが、来年からは以前のようにこのルー
ティンが楽しみをもたらしてくれるかもしれない。

京都にある美術館で関心のど真ん中にあるのが京博。大きな話題になった
2019年秋の‘佐竹本 三十六歌仙絵と王朝の美’から2年経ったが、来年
の京博は‘京に生きる文化ー茶の湯ー’(10/8~12/4)がよさそう。
でも、ほかの美術館の方に気がいっている。2019年にオープンした
福田美の‘若冲と蕪村 交差する美意識’(10/22~1/9)。ここはまだ
みてない若冲があるので心がはやる。そして、衣替えした京都市京セラ美
で開催される‘アンデイ・ウォーホル展’にも刺激される。3館をまわる段取
りを検討し新幹線の予約をすることになりそう。

京博のすぐ近くにある智積院には長谷川等伯の襖絵の傑作がずらっと飾ら
れている。京博の特別展をみた後ここへ寄ればいい気持になるのにいっぱ
い美術館をまわるため、なかなか寄り道できない。その思いを東京で叶え
てくれる美術館がある。サントリー美では‘智積院の名宝’(11/30~
1/22)が行われる。‘楓図’、‘松に秋草図’、息子の久蔵の‘桜図’(いずれ
も国宝)が揃い踏みするというから有り難い。流石、サントリーである。

MOA美(4/1~5/8)と三井記念美(10/1~11/13)がコラボ
して開催する‘大蒔絵展’も見逃せない。名古屋の徳川美でも2023年春に
行われるが、‘初音蒔絵貝桶’は先行する2館でも展示される。蒔絵の名品に
クラクラしそう。さらに、根津美の‘蔵出し蒔絵コレクション’(9/10~
10/16)と東博の‘国宝 東京国立博物館のすべて’があるから、どれも
足を運べば一気に蒔絵の専門家になれることは請け合い。

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2021.12.16

ボストン美の‘平治物語絵巻’ 来年7月里帰り!

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‘平治物語絵巻 三条殿夜討巻’(鎌倉時代・13世紀後半 ボストン美)

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 ‘吉備大臣入唐絵巻’(平安時代・12世紀後半 ボストン美)

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    葛飾北斎の‘流水に鴨図’(1847年 大英博物館)

来年は日本美術関連でもバラエティに富んだ展覧会がたくさん開催される。
一番のお楽しみは東京都美で開かれる‘ボストン美展 芸術×力’。ヴァン・
ダイクの肖像画が出品されるようだから、日本画も西洋画も披露される
ラインナップになるのかもしれない。嬉しいのは2012年の‘ボストン美
 日本美術の至宝’(東博)に登場した‘平治物語絵巻 三条殿夜討巻’と
‘吉備大臣入唐絵巻’がまた里帰りしてくれること。

絵巻の本で迫力満点の炎の表現として取り上げられるのは出光美が所蔵す
る‘伴大納言絵巻’。この燃えさかる炎の写実表現が鎌倉時代に引き継がれた
のが‘平治物語絵巻 三条殿夜討巻’。名画はみるたびに発見があるというが、
再会したら炎をじっくりみてみたい。ユーモラスな人物描写で楽しませて
くれるのが8世紀に遣唐使を務めた学者、吉備真備(きびのまきび)を主人
公にした‘吉備入唐絵巻’。これは‘伴大納言絵巻’とともに小浜藩の酒井家にあ
ったが、大正時代にアメリカに渡りボストン美の所蔵となった。はじめて
お目にかかったのは2010年奈良博であった‘大遣唐使展’、そして2年後
に再度対面した。

4月16日から6月12日まで東京のサントリー美と九博で‘北斎展’が開か
れる。九州は無理だが、サントリーの期待値が高い。ここでは大英博物館が
所蔵する北斎を軸に構成される。そのひとつが2017年秋、大阪のあべの
ハルカス美で多くの浮世絵ファンを集めた‘北斎展’に出品された‘流水に鴨図’。
このとき披露された大英博の北斎コレクションをもう一度日本で、今度は
東京でお見せしましょう、ということなのだろうか。そうであれば大きな楽
しみになる。

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2021.12.15

大阪中之島美術館 来年2月2日オープン!

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Img_0002_20211215221201    大阪中之島美術館

Img_20211215221301 モディリアーニの‘髪をほどいた横たわる裸婦’(1917年 大阪中之島美)

新聞の広告欄に載っていた‘絶対見逃せない 2022美術展’(日経TRENDY
2022年1月号 臨時増刊)を行きつけの本屋で購入した。昨年までは翌年
に開催される展覧会については、特集される雑誌を立ち読みして関心のある
ものを頭のなかで覚えてメモするのがいつものルーティンだったが、今年
は展覧会情報に飢えていたこともあり980円払って手に入れた。

話題になりそうな特別展がいっぱいでており、すでに情報を得ているものもあったが海外の美術館が所蔵する名画の数々を披露するものが予想
以上に多かった。付録についている‘2022 美術展 ハンドブック80’には1月から12月までカレンダースタイルで日本全国で開催される展覧会(期間、美術館)がコンパクトにまとめられているので、来年はこれをチェックしながら美術館巡りの計画を立てることになりそう。

海外美術館展で人気がでそうなのは以前紹介した‘メトロポリタン美展’
(2/9~5/30 国立新美)だが、嬉しい新情報が入ってきた。東京都美
の‘ドレスデン国立古典絵画所蔵 フェルメールと17世紀オランダ絵画展’
(1/22~4/3)。修復が完了したフェルメールの‘窓辺で手紙を読む女’
が登場するという。現地でみたことがあるが、日本で再会できるのは運が
いい。これは初来日。MET展にもフェルメールの‘信仰の寓意’が初め
て登場するから、この2点がみれる期間は大勢のフェルメールファンが押し
寄せるだろう。
東京都美で開かれる‘スコットランド国立美 THE GREATS 美の巨人たち’
(4/22~7/3)もわくわくする。ベラスケスの本に必ず載っている‘卵
を料理する老婆’が出品されるのだからたまらない。

関西の美術館で関心が高いのは来年の2月2日にオープンする大阪中之島美。
最初の所蔵コレクション展はパスの予定だが、‘モディリアーニ展’(4/9~
7/18)は出かけようと思っている。美術館自慢の‘髪をほどいた横たわる
裸婦’とは14年ぶりの対面となりそうだが、とても楽しみ。

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2021.12.14

Anytime アート・パラダイス! サージェント(3)

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   ‘カンカルでカキを採る人々’(1877年 ボストン美)

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    ‘ハラ湖’(1916年 フォッグ美)

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   ‘滝と女流画家’(1907年 シカゴ美)

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 ‘リュクサンブール公園にて’(1879年 フィラデルフィア美)

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    ‘朝食のテーブル’(1884年 フォッグ美)

アメリカの有名なブランド美術館に一通り足を運んだお蔭でサージェントの
絵をいろいろみることができた。風景画についてはボストン美で2点、
フィラデルフィア美で山岳画など3点、ワシントンのコーコランギャラリー、
ハーバード大のフォッグ美で1点ずつ、運よく遭遇した。
そのなかでとくに気に入っているのが‘カンカルでカキを採る人々’。これは
サージェントが21歳のときブルターニュ地方のカンカルで地元の人たちが
カキを採るところを描いたもの。翌年のパリのサロンで2等賞のメダルをと
った。光の表現と人々を横に並べる構図がとてもいい。おもしろいことに
コーコランギャラリーにも別ヴァージョンがあった。

大きな岩が画面の大半を占める風景画を3点みたが、迫力満点なのがフォッ
グ美にある‘ハラ湖’。壮大な風景が真正面にどーんと現れたという感じで息を
呑んでみていた。この絵をみてからだいぶ経ってお目にかかったハドソン
リバー派の大画面が一瞬頭をかすめる。ローマの近郊で描かれた‘滝と女流画
家’は肖像画と風景画をうまくミックスさせた作品。サージェントはここでも
モデルの男性に筆を走らせている女流画家の横顔を描いている。色彩的には
背景の滝を含めてモデルと画家の衣服の白の輝きが強い印象を与えている。

フィラデルフィア美が所蔵する‘リュクサンブール公園にて’はぱっとみると
ロンドンのテムズ川を靄がかかったような静かな情景として表現したホイッス
ラーの絵を連想さす。うっすら藤色に染まった夕暮れ時の公園をカップルが腕
を組んで歩いている。その姿を後ろの満月が照らす構成に惹かれる。
この二人はあと5秒もしたら左のほうにすーっと消えていく。絵の中に時間の
動きが入っているものはそうはないから、記憶に長く残る。

‘朝食のテーブル’でモデルをつとめているのはサージェントの妹。視線が集中
するのは本を読んでいる妹よりもテーブルに置かれている花や陶器のカップ、
銀の食器など。お得意の肖像画だけでなく風景画、そして、この絵のような
静物画も見事に描ける。モチーフにつけられたアクセントもうまく一級の静物
画である。後ろの壁をみると日本の絵が掛けられている。サージェントは提灯
だけでなく日本画にも関心を寄せていた。

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2021.12.13

Anytime アート・パラダイス! サージェント(2)

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    ‘マクベス夫人に扮するエレン・テリー’(1889年 テート美)

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 ‘レディー・アグニュー’(1892~93年 スコットランド国立美)

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    ‘ヘンリー・ホワイト夫人の肖像’(1883年 コーコラン・ギャラリー)

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     ‘バラをもつ婦人’(1882年 メトロポリタン美)

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       ‘マダムX’(1884年 メトロポリタン美)

サージェントが描いた女性の肖像画でもっとも衝撃を受けたのはロンドンの
テート・ギャラリー(現在のテート・ブリテン)に飾られていた‘マクベス
夫人に扮するエレン・テリー’。実物大に近い肖像画なので豪華な舞台衣装を
着た女性が目の前に立っている感じだった。この華麗なポーズをとっている
のはマクベス夫人に扮した女優のエレン・テリー。こんな堂々たる肖像画が
あったとは!ロセッティの‘プロセルピナ’同様、心の高まりがしばらくおさ
まらなかった。

エディンバラのスコットランド国立美にある‘ㇾディー・アグニュー’は
1893年のロイヤルアカデミー展に出品され大喝采を博した作品。これに
よってサージェントはイギリスの画壇に地位を確立し、にわか成金たちに引
っ張りだこの画家になった。アグニュー夫人の上品な美貌がこれほど見事に
とらえられていれば、誰だって肖像画を描いてもらおうと思う。ワシントン
のコーコラン・ギャラリーで遭遇した‘ヘンリー・ホワイトの夫人の肖像’も惚
れ惚れするほど綺麗な女性だった。サージェントの優れた肖像画の多くは
実際の女性と同じくらいの縦に長い画面なので、絵の前では‘うわー’となる。
マドリードのテイッセン・ボルネミッサ美でも見栄えのする女性画に出会っ
たが、写真撮影がNGだったので画像がない。こそっとシャッターを押せば
よかった。

日本での開催を願っているサージェント展ではボストンかメトロポリタンか
どちらかが所蔵する作品を軸にすると話題の展覧会となることは請け合い。
こういう勝手な企画を妄想するのはMETにも魅了されるサージェントがい
くつもあるから。‘バラをもつ婦人’のモデルは19歳のシャーロット・ルイー
ズ・ブルクハルト。彼女の母親は娘とサージェントを結婚させたがり、サー
ジェントも気に入っていたようだが実らなかった。

‘マダムX’はMETでは至宝扱いの作品。この透き通るような白い肌と端正
な横顔がみる者の心を揺すぶる女性はその美しさでパリの社交界の花とうた
われたゴートロー夫人。アメリカ人でサージェントは会ってたちまち魅了さ
れた。不思議なのは体は正面なのに夫人の顔は横をむいていること。サージ
ェントは横顔にぞっこん参ったのだろうか。この絵が日本で披露されたら、
大勢の人が押し寄せるにちがいない。なんとか実現してもらいたいが、果た
して。

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2021.12.12

Anytime アート・パラダイス! サージェント(1)

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 ‘エドワード・ダーリー・ボイトの娘たち’(1882年 ボストン美)

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 ‘ヘレン・シアーズ’(1895年 ボストン美)

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 ‘カーネーション、ユリ、ユリ、バラ’(1886年 テート美)

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      ‘ワレン夫人と娘’(1903年 ボストン美)

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 ‘チャールズ・インチェ夫人’(1887年 ボストン美)

今年は新型コロナの感染の影響で美術館へでかける機会がほとんどなかった
が、救いは長年開催を望んでいたコンスタブル展(三菱一号館美)に遭遇し
たこと。求めていた一つのピースが埋まった感じ。となると、次に熱い思い
を叶えてもらいたいビッグな画家が一人いる。その画家はサージェント
(1856~1925)。2014年、横浜美でホイッスラー展があった。
傑作がたくさん出品されたので忘れられない回顧展になったが、同じアメリ
カ人でヨーロッパで画家としての名を上げたホイッスラーにスポットがあた
るのなら、同じような画家人生を送ったサージェントの絵も日本に集結させ
てと強く願った。それから7年経ったが、まだその気配はない。三菱一号館
美とBunkamuraの企画力に期待しているのだが、実現するだろうか。

これまでサージェントの絵をみたのはロンドンのテート美、オルセー、アメ
リカではボストンの市立図書館を飾る壁画をてがけた縁でボストン美に数多
くある。また、メトロポリタン、ワシントンのナショナルギャラリー、コー
コランギャラリー、ハーバード大のフォッグ美、フィラデルフィア美、シカ
ゴ美でもお目にかかった。サージェントは風景画も描いているが、心を打つ
のは子どもの絵と女性の肖像画。ボストン美は2015年に運よく3度目の
訪問が果たせたが、感激する絵またいくつかでてきたので大満足だった。

再会を楽しみにしていたのは‘エドワード・ダーリー・ボイドの娘たち’。
サージェントがこの傑作を描いたのは25歳。ある絵の構成を意識している。
そう、ベラスケスの‘ラス・メニーナス’(プラド美)。実際にこの絵を描く
2年前にスペインを旅行し、‘ラス・メニーナス’を模写している。日本でボス
トン美名画展が何度も開催されているのに、この4人の娘たちは姿をみせて
くれない。ボストン美がつくっているカタログ(英語版)の表紙に使われて
いるのがこの絵。自慢の絵だから、なかなか貸し出してくれない。

‘ヘレン・シアーズ’は感激の一枚。ミュージアムショップに絵葉書が販売され
ているのだが、ここではあえてそれに替えて写真撮影したものを使った。
理由はびっくり仰天した衣服と花の白の輝きが写真の方がしっかりでている
から。同じように大変魅了されたのが‘チャールズ・インチェ夫人’。白子の
ように白い肌が心を揺さぶった。この夫人はこの絵をみた1年後だったか2年
後だったか忘れたが、世田谷美に出品された。カタログに載っている‘ワレン
夫人と娘’もなかなかいい。二人が親子にはみえず姉妹のよう。

サージェントに開眼した‘カーネーション、ユリ、ユリ、バラ’は東京都美であ
ったテートギャラリー展(1998年)にやって来た。ボッテイチェリの‘春’
を連想させるような花園のなかで二人の女の子が花々の間に吊るされた日本
の提灯に明りをともすところが描かれている。この光が少女たちの顔や服、
手、そしてカーネーションやユリ、バラをいっそう輝かせている。

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2021.12.11

Anytime アート・パラダイス! モリゾ ゴンザレス

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 モリゾの‘ゆりかご’(1872年 オルセー美)

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 モリゾの‘舞踏会の若い女’(1875年 マルモッタン美)

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 モリゾの‘ジュリー・マネと犬’(1893年 マルモッタン美)

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 ゴンザレスの‘イタリア人座の桟敷席’(1874年 オルセー美)

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 ゴンザレスの‘家庭教師と子ども’(1878年 ワシントンナショナルギャラリー)

マネの肖像画のなかにスーパー美人のベルト・モリゾ(1841~1895)
をモデルにしたものが3,4点ある。もっとも惹かれているのが三菱一号館
の開館を記念したマネ展(2010年4月)に出品された‘スミレの花束をつ
けたベルト・モリゾ’。モリゾの美貌が強く印象づけられたが、この女性が印
象派の画家としても活躍したことはオルセーにある‘ゆりかご’をみて知った。
こんな心が和む赤ちゃんの絵を描いていたのか!という感じ。

パリではモネの絵で有名なマルモッタン美でもモリゾがみれる。思わず足が
とまったのが‘舞踏会の若い女’。扇子をもちきりっと前をみつめる眼差しに
すごい力がある。これで画家モリゾが印象派にグルーピングされた。もう一
点‘ジュリー・マネと彼女のグレイファウンド犬ラルト’も目に焼きついている。
モリゾはマネの弟と結婚し、二人の間にできた一人娘がジュリー・マネ。
モネは44歳の若さで亡くなったモリゾの思い出のためにこの絵を購入した。

アメリカの美術館ではワシントンのナショナルギャラリー、フィリップス・
コレクション、シカゴ美、フィラデルフィア美で運よくモリゾに遭遇した。
数が多いのがナショナルギャラリーで4点くらいある。‘ロリアンの港’と日本
で披露された‘麦わら帽子をかぶる若い女性’、‘姉妹’が印象深い。そして、
記憶に新しいところでは2018年の北欧旅行のとき、コペンハーゲンの
ニューカールスベア美で‘髪を編む若い少女’と出会った。

モリゾ同様、マネから絵を学んだエヴァ・ゴンザレス(1849~1883)
もマネのモデルになっている。彼女の絵はほんの片手くらいしか縁がないが、
オルセーにある‘イタリア人座の桟敷席’がとても気に入っている。日本にや
って来た‘家庭教師と子ども’は背景の光の表現がなかなかいい。1883年、
ゴンザレスは出産中に命を落とした。享年34。師匠マネの死からわずか
6日後のことだった。

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2021.12.10

Anytime アート・パラダイス! バジール

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   ‘家族の集い’(1867年 オルセー美)

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   ‘村の眺望’(1868年 ファーブル美)

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  ‘夏の情景 水浴する男たち’(1869年 フォッグ美)

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  ‘バジールのアトリエ’(1870年 オルセー美)

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  ‘エドモン・メートル’(1869年 ワシントンナショナルギャラリー)

絵の描き方のスタイルから絵描きのグループが生まれてくるが、パリのオル
セーへ出かけると多くのファンのいる印象派の傑作に遭遇できる。美術本を
揃えると印象派の画家たちの画風が蓄積され、どの画家が人気が高いかが
わかってくる。美術史家ではないので一回目のオルセーでは好みの画家の
作品に鑑賞エネルギーの大半は注がれる。たとえば、マネ、モネ、ルノワー
ル。そのあと、ほかの画家たちの絵もみることになるが、真に絵の価値が心
に沁みてくるまでにはだいぶ時間がかかる。フランス南部モンペリエの名家
に生まれたフレデリック・バジール(1841~1870)もそのひとり。

バジールの代表作‘家族の集い’は確かにみた記憶はあるが、この絵とよく似
ているモネの‘草上の昼食’のほうに気をとられ、バジールの群像人物画の印象
が薄い。だから、この絵に描かれている11人の男女のうち一人の男性を除
いてみんな顔をこちら側にむけていることにはまったく気づかない。南仏の
明るい日差しは気持ちいいのだが、記念写真を撮っているようで堅ぐるしさ
は否めない。でも、一人の人物画だとこの視線はとても魅力的に映る。‘村
の眺望’は赤いリボンとヘア飾りをした若い女性の愛らしい姿が胸にズキンと
突き刺さる。

ハーバード大学にあるフォッグ美でお目にかかった‘夏の情景 水浴する男た
ち’は刺激にみちている。水浴画というとセザンヌの絵にみられるように描か
れるのは女性というのはお決まりだが、バジールは意表をついて男性たちに
水浴を楽しませている。人物の数が多いような気もするが、一人々の姿に変
化をつけペアでレスリングをさせたりして動きのある構図に仕上げている。

‘バジールのアトリエ’はバジールの仲間たちがアトリエに集まっている様子
が描かれている。真ん中に立っている背の高い人物がバジール、カンヴァス
をみているのはマネでその後ろにいるのがモネ。そして、階段の上から話か
けているのはゾラで、それに下のルノワールが応じている。右の奥でピアノ
を弾いているのは音楽家のエドモン・メートル。バジールともっと親しかっ
た友人のひとりがメートルでワシントンのナショナルギャラリーには彼の
肖像画がある。メートルも上流階級の出身で二人はクラシックの演奏会に
頻繁に足を運んだ。日本でも披露されたメールの肖像画は洒落た着こなし
に品があり、マネの肖像画にもひけをとらない。

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2021.12.09

Anytime アート・パラダイス! ターナー(3)

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    ‘バターミア湖’(1798年 テート美)

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  ‘ヴェネツィア、嘆きの橋’(1840年 テート美)

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 ‘サンタ・マリア・デッラ・サルート聖堂から望む’(1835年 メトロポリタン美)

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 ‘ケルン、郵便船の到着 夕刻’(1826年 フリックコレクション)

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 ‘チャイルド・ハロルド巡礼ーイタリア’(1832年 テート美)

ターナーが23歳のときに描いた‘バターミア湖、クロマックウォーターの一
部、カンバーランド、にわか雨’はイングランドの北部にある湖が舞台。ター
ナーは旅好きで国内をいろいろまわっている。虹が印象的なこの絵は一見す
るとドイツロマン派のフリードリヒを連想させる。コンスタブルの虹がダブ
ルであったり、大聖堂を囲ったりしてすごく見栄えのするのに対し、ターナ
ーの虹は自然の力強さや崇高さが一緒に喚起されるため背筋がしゃんとする。

絵画に描かれる場所が観光旅行でみた名所だと、絵の食いつきはとてもいい。
‘ヴァネツィア、嘆きの橋’は誰もがガイドさんの解説を熱心に聴く有名な橋。
左のドゥカレー宮殿から連れ出された囚人は悲観にくれながら‘嘆きの橋’を
渡り、右の館の過酷な牢獄に収監される。メトロポリタンにある‘サンタ・
マリア・デッラ・サルーテ聖堂の前廊から望む’の場所もこの聖堂(手前右)
を訪問したからだいだいイメージできる。この大運河(カナル・グランデ)
をまっすぐ進むと‘嘆きの橋’のところに着く。ドゥカレー宮殿の後ろに鐘楼
がみえる。壮麗な光と明るい色彩で表現された運河の光景がじつに心地いい。
今、ヴェネツィア観光はどうなっているのだろうか、もう2回くらい行きた
いのだが。

NYにあるフリックコレクションはフェルメール好きにとっては是非とも足
を運びたい美術館だろうが、ほかにもいい絵画たくさんある。コンスタブル
もターナーもいい絵をしっかり蒐集している。ターナーは5点もある。
そのうち2点はヨーロッパ北部の港が描かれたもの。‘ディエップ港’と‘ケル
ン、郵便船の到着 夕刻’はどちらも大変大きな絵。‘ケルン’は太陽はみえな
いが空に光がひろがり、多くの船が行き来するライン川の活気ある光景を浮
き彫りにしている。

バイロンの詩にもとづいて描かれた‘チャイルド・ハロルドの巡礼ーイタリア’
はロココ絵画のヴァトーが描いた雅宴画の英国版といったところ。目を惹く
のは絵全体にあふれる黄金色の光と強い存在感をみせて立っているキノコの
形をした松。その大きな傘の下で人々が踊ったり歓談している。バイロンの
詩とターナーがイタリアでみた美しい光景がブレンドされてこんな傑作が誕
生した。

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2021.12.08

Anytime アート・パラダイス! ターナー(2)

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  ‘難破船’(1805年 テート美)

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  ‘海の漁師たち’(1796年 テート美)

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 ‘出航するユトレヒトシティ64号’(1832年 東京富士美)

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  ‘戦艦テレメール号’(1839年 ナショナルギャラリー)

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   ‘海獣のいる日の出’(1845年 テート美)

このところよくみている映画で好きなジャンルのひとつがパニックもの。
海難事故を扱った作品では‘タイタニック’が大ヒットしたが、これが登場する
前は名優ジーン・ハックマンが主演した‘ポセイドン・アドベンチャー’がお気
に入りだった。嵐で海が荒れ大波が押し寄せてくると大きな船でもひとたま
りもなく転覆する。ターナーはそんな自然の猛威を感じさせる波のうねりを
描くのが本当に上手い。‘難破船’をじっとみていると体が揺れ出してくる。

海景画の名手として知られるようになるターナーが最初に描いた油彩が‘海の
漁師たち’。画面の真ん中に海面のへこみがあり海はうねりはじめており、
小さな漁船が上下に揺れている。どこか嵐の前の静けさといった情景を漁船
のランプの光と雲の間から顔を出す月の光がコラボするようにつくりだして
いる。ロマン派の絵画をみてるよう。

コンスタブル展が三菱一号館美であったとき、東京富士美が所蔵する‘ヘレヴ
―ツリュイスから出航するユトレヒトシティ64号’はコンスタブルの‘ウォー
タールー橋の開通式’と隣り合わせで展示された。これは嬉しい演出で1832
年のロイヤル・アカデミー展でおきたことが再現されたのである。中央の少
し傾むいているのがユトレヒトシティで64門の大砲を備えた17世紀の軍艦。
ターナーはコンスタブルの話題性のある絵に負けてはならじと、最後の手直し
として前景に明るい赤のブイを描きこんだ。

荘厳なのに寂寥感の漂う‘戦艦テレメール号’はすばらしい絵。1805年、
大勝利をおさめたトラファルガーの海戦に参加したテレメール号が役目を終え
解体場へ曳航されていく場面が描かれている。右の没していく真っ赤な夕陽が
真にぐっとくる描写。映画監督がカメラを回す前につくる絵コンテを連想させ
る。まさに心をゆすぶる静かな赤。

晩年の作品、‘海獣のいる日の出’はターナーは印象派だけでなくシュルレアリ
スム絵画とのつながりもうかがわせる。海の海獣はエイのようでもありヒラメ
やかれいの化け物にもみえる。瞬間的に波の動きがダブルイメージとして海獣
にみえたのだろう。はじめてお目にかかったとき思わずのけぞった。ターナー
にこんなシュールな絵心があったの?

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2021.12.07

Anytime アート・パラダイス! ターナー(1)

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 ‘雨、蒸気、スピードーグレート・ウエスタン鉄道’(1844年 ナショナルギャラリー)

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      ‘吹雪’(1842年 テート美)

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 ‘国会議事堂の炎上、1834年10月16日’(1834~35年 フィラデルフィア美)

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     ‘奴隷船’(1840年頃 ボストン美)

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   ‘レグルス’(1827~37年 テート美)

イギリスの画家でコンスタブルとともに最も愛されているのがターナー
(1775~1851)。日本では2013年に東京都美で待望のターナー
展があった。どの画家でも一度回顧展を体験すると、画風の特徴や画業の流
れがつかめるので画家との距離が一気に縮まる。ターナーが好きな人にとっ
てロンドンのテート・ブリテンはなにはおいても訪問しなくてならない美術
館。ここにはターナーのための特別の展示室が5つくらいあり、傑作の数々
がずらっと並んでいる。所蔵作品が多いため、定期的にローテーションさ
れターナーファンの目を楽しませてくれる。ミュージアムションㇷ゚では美術
館がつくったターナーの図録(英語版のみ)が販売されていたので、重たい
のを覚悟で購入した。

ナショナルギャラリーにある‘雨、蒸気、スピードーグレートウエスタン鉄道’
はたんに陸橋を渡る蒸気機関車が描かれた普通の風景画とはまったく異なる。
とにかく激しくスピードがある。それを感じるのは機関車の姿が先頭をはじ
め全体がはっきり描かれてなく、まわりの空気もぼやかされているから。
印象派のモネも列車が走るところをロングショットで描いているが、ターナ
ーのこのスピード感には叶わない。雨が降るなか列車は全速力で走って来て、
新幹線のように手前にすっと消えていく感じ。

ターナーはこの絵を描くため、実際の列車に乗り込み窓から身を乗り出して
10分以上過ごしたという。この体を張って自然のリアルな光景をつかむと
いう体験を‘吹雪’でも行っている。60過ぎのわが身をマストにしばりつけ嵐
のなかに蒸気船を出した。こうして、渦巻き、逆立つ光と大気、荒れ狂う嵐
の海が目に飛び込んでくる傑作が生まれた。ところが、人々は抽象画を思わ
せるような斬新さに戸惑い、拒絶しこう言った。‘何が描いてあるのかわから
ない。まるで石鹸の泡、ターナーはもうろくした’。この批判に対してターナ
ーは‘わからない、それがどうしたというのです。大事なことはただ一つ、
観る者に深い印象を与えられるかどうかです’と切り返した。

フィラデルフィア美にある‘国会議事堂の炎上、1834年10月16日’と
ボストン美でみた‘奴隷船’に魅了され続けている。ともにターナーのジャーナ
リスト感覚が描かせた作品。どちらも赤が強烈な印象を与えている。1834
年10月16日の夜、ロンドンの中心部にある国会議事堂が炎につつまれた。
その火の粉がまいがりこちらまで飛んできている。右のウェストミンスター
橋や川岸は大勢の人々で埋め尽くされ、この大惨事をみつめている。‘奴隷船’
はむごたらしい光景が描かれている。海に浮かんでいるのは航海中に病気に
なった黒人奴隷たち。そこに魚が群がっている。正面の太陽が空を真っ赤に
染めあげるなか、船は奴隷たちを見捨てて去っていく。これは1781年、
130人の奴隷が虐殺された‘ゾング号事件’をもとに制作されたといわれて
いる。

‘レグルス’は構図のつくりかたはクロード・ロランを意識しているが、太陽
の強い光を放射状にみせるのはターナー流。紀元前3世紀頃のローマの将軍
レグロスは敵国カルタゴとの軍事取引に失敗する。その罰として両まぶたは
切り取られ太陽の目をさらされたため盲目になった。これはこの逸話にもと
づいて描かれた。これほどまばゆいと皆、盲目になってしまいそう。

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2021.12.06

Anytime アート・パラダイス! コンスタブル(3)

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  ‘チェーン桟橋、ブライトン’(1826~27年 テート美)

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  ‘ブライトンの浜’(19世紀 V&A美)

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  ‘ウォータールー橋の開通式’(1832年 テート美)

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  ‘虹が立つハムステッド・ヒース’(1836年 テート美)

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  ‘コルオートン・ホールのレノルズ記念碑’(1833~36年 ナショナルギャラリー)

今年、三菱一号館美で開催されたコンスタブル展にはテート美が所蔵する海
景画の傑作がいくつも展示された。海景画でよく知られたクールベの波の絵
やモネの絵は人物が登場しないのに対し、コンスタブルの‘チェーン桟橋、
ブライトン’には浜辺で網の手入れをする漁師に混じって流行の服を着た人々
が海の景色を楽しんでいる。海岸線が向こう側にみえるチェーン桟橋と斜め
の角度をつくり、遠くのほうまで人が描かれている。この構図のとり方に魅
了される。ヴィクトリア&アルバート美にある‘ブライトンの浜’も海岸線を
同じようにとり、海と空の青の輝きでみる者の目を楽しませてくれる。

このチェーン桟橋がロンドンのウォータールー橋に置き替わったのが1832
年に発表された‘ウォータールー橋の開通式(ホワイトホールの階段、1817
年6月18日)’2つの絵はどちらもタイトルには桟橋や橋の名前がどんとつ
いているが、絵の見どころはこれではなく手前に描かれている。開通式は摂政
皇太子(のちのジョージ4世)によって催され、皇太子は大勢の人々が見守る
なか、左側のホワイトホールの階段から王室用の豪華な船に乗って右奥にみえ
るウォータールー橋の南端に向かって進んだ。ふと、ルネサンスのヴェネツィ
ア派の絵が頭をよぎった。

‘虹が立つハムシテッド・ヒース’は感慨深い絵。若い頃、3ヶ月くらいロンドン
に滞在したことあり、地下鉄ノーザンラインの終点エッジウエア―に住んでい
た。途中にハムステッド駅があり、当時ロンドンの駐在員で同じノーザンライ
ンに住んでいた大学時代の友人とよくここで降りて遊んだ。この駅のすぐ近く
に列車の停車駅ハムステッド・ヒースがある。俯瞰の視点で印象深いダブル虹
や風車が描かれたコンスタブルの絵をみると、昔のハムステッドはこんな風だ
ったのかと想像が掻きたてられる。

鹿は日本画ではお馴染みの動物だが、西洋画ではクールベの狩猟画や角をつき
あわせて闘争する鹿がすぐ思い出される。‘コルオートン・ホールのレノルズ記
念碑’では記念碑の前にいる鹿が主役。まず、ここに目がいき、うっかりすると
前のレノルズの胸像を見逃してしまう。コンスタブルは馬、牛、犬、ロバなど
を絵の中に登場させているので、動物が好きだったのかもしれない。

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2021.12.05

Anytime アート・パラダイス! コンスタブル(2)

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  ‘水門を通る舟’(1826年 ロイヤル・アカデミー)

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  ‘跳ねる馬’(1825年 ロイヤル・アカデミー)

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 ‘主教邸の庭から望むソールズベリー大聖堂’(1823年 V&A美)

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 ‘草地から望むソールズベリー大聖堂’(1831年 テート美)

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    ‘麦畑’(1826年 ナショナル・ギャラリー)

コンスタブルをもっとみたいと思うようになったきっかけは1998年、
東京都美であったテートギャラリー展。ここで‘フラットフォードの製粉場’
に大変魅了された。このあと、もう一度日本でいい絵に遭遇した。2003
年、六本木ヒルズの森美の開館記念展に出品された‘水門を通る舟’。この絵
も‘フラットフォードの製粉場’のすぐ近くで描かれており、川をさかのぼろ
うとして水門にさしかかった舟が水門が開かれて川面が水平になるのを待
っているところ。この主題で描かれた作品はいくつもヴァージョンがあり、
マドリードのティッセン・ボルネミッサ美やフィラデルフィア美でもお目
にかかった。

絵を所蔵しているロンドンのロイヤル・アカデミーにはこの絵のほかに
‘干し草車’に次いで有名な‘跳ねる馬’がある。舟曳き道に置かれた柵を跳び
越えようとしている馬の躍動感あふれる姿に惹きつけられる。2010年、
この絵がみたくてモネの連作展で訪問したことのあるロイヤル・アカデミ
ーに喜び勇んででかけたが、修復作業のため展示されてなかった。残念!
そのリカバリーが実現する時を待っているが、果たして。

そのショックを和らげてくれたのがアカデミーのあと向かったヴィクトリ
ア&アルバート美に飾ってあった‘主教邸の庭から望むソールズベリー大聖
堂’。13世紀と14世紀にゴシック様式で建設された聖堂で、このソール
ズベリー大聖堂はイングランドで最も高い尖塔をもっている。ソールズ
ベリー主教のフィッシャーから依頼をうけてコンスタブルはこの見栄えの
する大聖堂を描いた。左で杖で陽光に白く輝く尖塔を妻に示しているのが
主教。この主教はコンスタブルの友人でもあったのだが、この絵の出来映
えに満足しなかった。そこで、尖塔の上空をもっと明るくして描いたのが、
NYのフリックコレクションにある別ヴァージョン。そして、この本画と
ほとんど変わらないほど完成度の高い習作がメトロポリタンにある。こち
らは日本にやって来たことがある。

‘草地から望むソールズベリー大聖堂’は南からみたもので、V&A蔵とはち
がって大聖堂は中景に描かれ虹に囲まれるように美しい姿をみせている。
これはテート美の所蔵であるが、2010年のロンドン美術館巡りでどうい
うわけかナショナル・ギャラリーで遭遇した。壮大な風景画という感じで息
を呑んでみていた。この絵の横にあったのが縦長の‘麦畑’、喉がかわいたの
か地面にはいつくばって水をのんでいる少年とまわりにいる犬や黒いロバが
目に焼きついている。

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2021.12.04

Anytime アート・パラダイス! コンスタブル(1)

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   ‘フラットフォードの製粉場’(1816~17年 テート美)

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   ‘干し草車’(1821年 ナショナルギャラリー)
   
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   ‘白馬’(1819年 フリックコレクション)

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 ‘舟造り、フラットフォードの製粉場付近’(1815年 V&A美)

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 ‘ウェインヴァンホー・パーク、エセックス’(1816年 ワシントンナショナルギャラリー)

今年、展覧会をみるため美術館に足を運んだのはわずか3回。新型コロナの
感染の影響で美術と接する機会がこれほど少なくなると、名画は一体どこへ
いったのか、と悲観的な心境になっていく。だから、2月に三菱一号館美で
みた‘コンスタブル展’は希望の光を消せないでくれた有り難い特別展だった。

長いこと待っていたコンスタブル(1776~1837)の回顧展で目玉
作品のひとつだったのが‘フラットフォードの製粉場’。日本には2度目のお披
露目、前回みたのは1998年東京都美にあったテートギャラリー展なので
23年ぶりの対面となった。この間、ロンドンのテートブリテンに足を運ん
だが、どういわけかここでは姿がみえずほかの作品が並んでいた。海外の
ブランド美術館は人気の画家のいい絵をたくさん持っているのでローテーシ
ョンの関係でこうことはよくある。そのため、この絵については2回とも
日本でみるという不思議なことがおこった。そんなこともあり最も気に入っ
ている絵になった。

ナショナルギャラリーにも大変有名な絵がある。‘干し草車’が描かれたのは
‘フラットフォードの製粉場’同様、コンスタブルの故郷、サフォーク州の田園
風景。川の水辺に一軒の農家が建っていて浅瀬には干し草を積む荷車が乗り
入れている。夏の光が川面や木の葉に反射する描写がとても印象的で牧歌的
な風景画が心を和ましてくれる。絵はフランスの画商に買われ、1824年
のパリのサロン(官展)で金メダルをとり、海外での評価が高くなったのに、
本国のイギリスではさっぱり売れなかった。風景画というジャンルがまだ低
く見られており、ありふれた農村は人々の興味を引かなかったのである。

アメリカの美術館もコンスタブルの傑作を所蔵している。魅了されているの
はNYのフリックコレクションにある‘白馬’とワシントンのナショナルギャ
ラリー蔵の牛と白鳥が主役をつとめている‘ウェインヴァンホー・パーク、
エセックス’。どちらもどこにでもあるような風景で絶景と唸らせるほども
場所ではない。でも、光の描写、白い雲の描き方による美しい風景と感じ
られる風景画をうみだした。これがとても新鮮にだった。
ヴィクトリア&アルバート美でみた‘舟造り、フラットフォードの製粉場付近’
は中央に置かれたつくりかけの舟の存在感がまわりに小さく描かれた人々に
よって大きくなっている。

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2021.12.03

Anytime アート・パラダイス! コルモン カザン

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  コルモンの‘カイン’(1880年 オルセー美)

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 カザンの‘一日の仕事の終わり’(1888年 オルセー美)

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  メッソニエの‘フランス戦役、1814年’(1864年 オルセー美)

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 リボの‘殉教者聖セバスティアヌス’(1865年 オルセー美)

美術史全般にわたって通じている美術史家や研究者とは違い、趣味で絵画を
楽しんでいるとどうしても好きな絵だけで絵画の世界がまわっていると思い
がち。だから、はじめてのオルセーでは頭のなかは大半がモネやルノワール
らの印象派とゴッホ、ゴーギャンの傑作で占領されている。これが訪問を重
ねるとほかの画家にも注意が向かうようになり、画家の名前はしっかり覚え
られないが絵の印象は強く残るものがでてくる。

コルモン(1845~1924)の‘カイン’はそんな絵のひとつ。この絵が忘
れられないのは画面の大きさ、縦5.8m、横7mの特大画面に先史時代の人
々が逞しい姿で描かれている。じっとみていてすぐ思い浮かぶ絵があった。
それは青木繁の有名な‘海の幸’(1905年 ア―ティゾン美)。コルモンの
絵のほうが先なので青木繁はこれを知っていて、銛で仕留めた獲物を担ぐ漁師
に変奏したのだろうか。

Bukamuraであったミレー展(2003年)に一緒にやって来たのがカザン
(1841~1901)の‘一日の仕事の終わり’。オルセーでは存在感が薄か
ったのに、絵の前で思わず足がとまった。タイトル通りの光景で重労働の仕事
を終えた農夫が母親から乳をもらう赤子を愛しそうにみている。カザンは
1881年に描かれたシャヴァンヌの‘貧しき漁師’を意識したにちがいない。
どことなく似た雰囲気が漂っている。絵の描かれた1888年というと、
ゴッホの‘アルルのはね橋’、‘夜のカフェテラス’やゴーギャンの‘説教のあとの
幻影’が生まれた年。同じ年にカザンの絵が存在したことに気づくようになった。

メッソニエ(1815~1891)のナポレオンを描いた‘フランス戦役、
1814年’はダヴィッドら新古典主義のナポレオンの流れで目にとまったが、
画家の名前は知らないまま。リボ(1823~1891)の‘殉教者聖セバステ
ィアヌス’はカラヴァッジョが近代に蘇ったよう。この時期フランスでこんな
絵が描かれていたとは。

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2021.12.02

Anytime アート・パラダイス! ドーミエ

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    ‘洗濯女’(1863年頃 オルセー美)

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   ‘三等車’(1862~64年 メトロポリタン美)

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  ‘蜂起’(1848年以降 フィリップス・コレクション)

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  ‘クリスパンとスカパン’(1864年頃 オルセー美)

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   ‘国会議員達’(1832年 オルセー美)

念願のオルセーへ喜び勇んで入館したときは、頭の中は教科書や美術本に載
っている画家で満杯状態。クールベ、ミレー、マネ、モネ、ルノワール、
セザンヌ、ドガ、ロートレック、スーラ、ゴッホ、ゴーギャン、アンリ・
ルソーを興奮しながらみた。だから、ほかに画家のついては注意が向かわず
、‘見れど見ず’のため記憶にあまり残ってない。絵画趣味が入口の段階では
こういう結果になる。

ドラクロアより10年後に生まれたドーミエ(1808~1879)の油彩
画やインパクトのある彫刻を落ち着いてみれたのは2回目以降のこと。目に
焼きついているのはガラスケースのなかに飾られている油絵具で彩色され
た粘土の胸像‘国会議員達(中道政治体制の著名人)’。社会風刺画がそのまま
彫刻になっているので、‘この政治家は権力欲で凝り固まっているな、この男
は何を企んでいるのか、’といった具合に民衆の側に立った視点でみてしまう。
この36体の連作がドーミエとのつきあいのはじまりだった。

でも、縁のあった油彩はほんの片手くらいしかない。お気に入りは‘洗濯女’。
主役はお母さんではなく、急な階段を登ってきた子ども。この動きのある
人物描写が心をとらえて離さない。ここにはミレーの‘編物のお稽古、Ⅰ’と
同じような優しい空気が流れている。一方、メトロポリタンにある‘三等車’は
急激な工業化が生んだ近代社会の‘光と影’が表現されている。列車は様々な人
たちで満席、車窓からの光が浮き彫りにしているのは村から町に卵を売りに
行く老女と乳飲み子をかかえた母親。お婆さんの横では孫の男の子が眠って
いる。今、昔の日本映画をみているが、こんなシーンがよくでてくる。

ワシントンのフィリップス・コレクションが所蔵する‘蜂起’も忘れられない
ドーミエ。1848年の革命とルイ=フィリップ退位に着想を得たものだが、
視線が集中するのは右手をあげる男性。スケッチ風にざざっと描かれてい
るのに、蜂起した人々の感情の激しさがバシッと伝わってくる。光のあたる
人物と暗闇の人物を上手くバランスさせて革命のエネルギーを強く表現する
ところがドーミエ流。‘クリスパンとスカパン’は劇場の照明でも光のコント
ラストを使い役者の顔のデフォルメぶりを際立たせている。

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2021.12.01

Anytime アート・パラダイス! ルパージュ

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  ‘干し草’(1877年 オルセー美)

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 ‘10月、じゃがいもの収穫’(1878年 ヴィクトリア国立美)

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  ‘乞食’(1880年 ニューカールスベア美)

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  ‘登校する娘’(1882年 アバディーン市美)

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  ‘眠りこけた小さな行商人’(1882年 トゥルネー美)

2018年、北欧へでかけたとき念願のノルウェーのフィヨルド見学だけで
なく、絵画の鑑賞でも収穫がたくさんあった。オスロ国立美でお目当ての
ムンクの‘叫び’に200%感動しただけでなく、最初の訪問地、デンマーク
の首都コペンハーゲンにあるニューカールスベア美も一生の思い出になった。
事前の必見リストに載せていたニューカールスベア美の名画はゴーギャンと
マネだったが、ほかにもビッグなオマケが続々と登場したのでここが一級の
絵画コレクションを所蔵する美術館であることがだんだんわかってきた。

そのオマケのひとつが1880年から1890年の10年間にフランスで
発達した自然主義を代表する画家ルパージュ(1848~1884)の‘乞食’。
大きな画面に存在感のある乞食が中央に立ち姿で描かれている。すぐには
画家がわからなかったのでプレートをみたら、あのオルセーにある‘干し草’
の画家だった。クールベ、マネ、印象派が描く人物画や風俗画は近代の感性
が前面にでてくるので身近な感じになってくる。モネより4歳年下のルパ
ージュはマネの表現なども吸収しながら、農民や老人や子どもたちをはっと
するほどのリアルさで描写した。

出世作となった‘干し草’はミレーの農民画とは違い宗教的で静かすぎること
もなく、農村に生る人々を真正面から大きくとらえているが、この絵の翌年
に描かれた‘10月、じゃがいもの収穫’も同じ調子で画面にリズムがあり元気
に働く女性の姿に共感をおぼえる。手前に女性を大きく描き、そのむこうは
ロングショット感覚の構成なので広々した農村のイメージがつかみやすい。

1882年に制作された‘登校する娘’は強い目力と美女ぶりにあっけにとら
れる。同じフランス人のマネやルノワールの女性画にはこんな雰囲気はなく、
似ているのはロシアの画家やベルギーのフレデリック。‘眠りこけた小さな
行商人’は貧しい環境なのに明るい表情をみせる男の子を描いたスペインの
ムリーリョの絵を彷彿とさせる。疲れたせいかつい寝入ってしまったこの子
の表情が忘れられない。

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