« 2021年8月 | トップページ | 2021年10月 »

2021.09.30

Anytime アート・パラダイス! ロセッティ(1)

Img_20210930221101     ‘プロセルピナ’(1874年 テート美)

Img_0001_20210930221101   ‘ベアト・ベアトリクス’(1864~70年 テート美)

Img_0002_20210930221201    ‘白日夢’(1880年 ヴィクトリア&アルバート美)

Img_0003_20210930221201    ‘モンナ・ヴァンナ’(1866年 テート美)

Img_0004_20210930221201    ‘レディ・リリス’(1867年 デラウェア美)

女性の絵はダ・ヴィンチの‘モナリザ’からはじまっていろいろなタイプがある。
だから、どの絵が一番グッとくるかと尋ねられても返す答には複数の絵をなら
べるしかない。そこに必ず入るのがマネ、ルノワールとラファエロ前派の
ロセッティ(1828~1882)。ロンドンではじめてロセッティの絵を
みたのは今のテート・ブリテンがテート・ギャラリーと呼ばれていた頃、当時
はダリの絵なども展示されていた(現在はテート・モダン)。インパクトの強
かった作品として思い出されるのがターナー、ダリとロセッティの‘プロセル
ピナ’。

縦長の画面いっぱいにロセッティが描いたのは神話に登場する人物で大変魅了
されたプロセルピナ。なんとも圧の強い女性である。とくに目を奪われるのが
カールのかかった長い黒髪と身につけている衣裳の濃厚で深い緑、そして濃い
赤の唇と柘榴の実。女性の上半身だけが強調されているのでふと歌麿の大首絵
美人画がかぶってくる。この絵についてはよく官能的といわれるが、目はそれ
ほど誘っている風でもなくしっかりした女性というイメージがあるから大女優
のオーラを感じてしまう。

これに対し、神秘的な雰囲気が漂っているのがダンテの愛したべアタ・ベアト
リーチェをロセッティの伴侶エリザベス・シダルに見立てて描かれた‘ベアタ・
ベアトリクス’。絵全体に靄がかかっており、光に照らされた目をつぶっている
シダルの顔の部分だけが浮き上がっている。現代版のダンテの世界が精神性の
強い女性として表現されているところにスゴく惹きつけられる。
ロンドンのヴィクトリア&アルバート美でお目にかかった‘白日夢’も傑作だった。これも‘プロセルピナ’同様、画面の大半を占める濃い緑が強い磁力を発している。

‘モンナ・ヴァンナ’と‘レデイ・リリス’は超上流階級に属する女性が目の前に現れた感じがする作品。華麗な衣裳に加え宝飾品やまわりの花が女性の魅力をいっそう高めており、とても近くにはいけない。モデルはともに黒髪ではなくゴージャスさを演出するにはもってこいの金髪。まだ縁のない‘レディ・リリス’は夢のなかで会うしかなさそう。

| | コメント (0)

2021.09.29

Anytime アート・パラダイス! ミレイ(2)

Img_20210929221101    ‘両親の家のキリスト’(1849~50年 テート美)

Img_0001_20210929221101    ‘シャボン玉’(1886年)

Img_0003_20210929221101    ‘初めての説教’(1863年 ギルドホールアートギャラリー)

Img_0002_20210929221101    ‘木こりの娘’(1851年 ギルドホールアートギャラリー)

Img_0004_20210929221201   ‘優しき目が常に変わらず’(1881年 スコットランド国立美)

ミレイのイメージというとキリスト教や文学に題材をもとめた絵と完璧に
かわいい子どもをモデルにつかった絵が強く印象に残る。‘両親の家のキリス
ト’はお気に入りの宗教画。描かれているのは幼いイエスが大工の父の仕事場
で手に釘を刺してしまった場面がドラマチックな構図で描かれている。視線
が集中するのは真ん中のイエスと聖母ではなく、右端にいる幼い洗礼者ヨハ
ネ。水の入った皿をもち真横にいるイエスをみる目つきがなんともリアル。
ミレイの絵に登場する人物は誰かひとりは目に力があるのが特徴。

‘シャボン玉’と‘初めての説教’はMy‘好きな子ども絵’のベスト5に登録され
ている。大きなシャボン玉をじっとみつめる男の子はミレイの孫でのちに
海軍大将になっている。上をみさせる構図はすぐ思いつきそうな感じだ
が、そう簡単には決まらない。ちょっとした瞬間の表情が絵の出来映えを左
右してしまう典型的な例かもしれない。赤いマントを着て信徒席に座ってい
る幼い少女はミレイの5歳の娘。まるでフランス人形のよう。

‘木こりの娘’は嬉しそうな顔をみせる女の子にイチゴを差し出す男の子のな
にかもじもじしたところが微笑ましい。小さい頃のことを思い出すと好きな
女の子の前では緊張して会話がぶきらぼうになる。でも、女の子はだいたい
リラックスしてニコニコしている。異性を意識するようになった頃の男女は
同じ年なのに男のほうがずっとうぶなのである。

以前、どこの美術館だったか忘れたがスコットランド国立美の名画を披露す
る企画展が開催された。そこで大変魅了されたのが‘優しき目は常に変わらず’。
プレートをみると画家の名はミレイ。テート美にある‘オフィーリア’ぐらいし
かミレイと縁がなかったので、この絵との遭遇はミレイの画力をみせつけら
れるエポック的な鑑賞体験となった。絵のタイトルに即納得!肖像画の輝き
はやはり目の描き方で決まることを再確認した。

| | コメント (0)

2021.09.28

Anytime アート・パラダイス! ミレイ(1)

Img_20210928221501
   ‘オフィーリア’(1851~52年 テート美)

Img_0002_20210928221501
   ‘盲目の少女’(1856年 バーミンガム市美)

Img_0004_20210928221501
   ‘安息の谷間’(1858年 テート美)

Img_0001_20210928221501
 ‘浅瀬を渡るサー・イザンブラス’(1857年 リバプール国立美)

Img_0003_20210928221601
   ‘ローリーの少年時代’(1869~70年 テート美)

西洋絵画の世界で画家の名前が頭に入ってくるのは歴史の教科書の芸術関連
で記述される画家たち。ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロ、
ボッティチェリがまず最初にでてきて、そのあとブリューゲル、デューラー、
カラヴァッジョ、ルーベンス、ベラスケス、ゴヤ、レンブラント、フェルメ
ール、アングル、ドラクロア、クールベ、ミレーが登場し、マネ、モネ、
ルノワール、セザンヌ、ゴッホ、ゴーギャン、、、ピカソ、マティス、ミロ、
ダリ、シャガール、マグリット、カンディンスキー、モンドリアン、、と続
いていく。

こういう教養としての絵画から一歩進んでさらに興味をいだき絵をみることが
趣味になってくると、ほかにも凄い画家が存在することがだんだんわかって
くる。イギリスの画家についてははじめは知っている画家はほとんどいなか
った。だから、ラファエロ前派のジョン・エヴァレット・ミレイ(1829
~1896)とフランスの農民画家のミレーの区別がつかなかった。同じく
仲間のロセッティも知らない。イタリア人やフランス人画家ならすぐ何人も
でてくるのに、イギリスの絵画というのはやはり影が薄い。

ミレイが偉大な画家であることを目に焼きつけられたのは1998年、東京
都美で開催された‘テートギャラリー展’に出品された代表作の‘オフィーリア’。
驚かされるのが花びら、草の葉の緻密な細部描写、まるでカラー写真をみて
いるよう。流れる小川に浮かんでいる美形のオフィーリアにも視線は向かう
が、それより緑の草花の顕微鏡的なリアリズムのほうに心を奪われる。
‘盲目の少女’は色鮮やかな虹とワイエスの‘クリスティ―ナの世界’を彷彿とさ
せる細い々黄色の草の描き方が忘れられない。

この2点は女性の生気がとても薄いのに対して、‘安息の谷間・疲れし者の安
らぎの場’、‘浅瀬を渡るサー・イザンブラス’、‘ローーリーの少年時代’はいず
れも人物の目力の強さと画面に動きをつくりだす体の動きにより物語性が生
まれている。これは映画や芝居のワンシーンをみているのと同じ感覚。とく
に‘ローリーの少年時代’で右に座っている船乗りの男が右手を海のほうを指し
ている姿は、ロンドンのナショナルギャラリーにあるカラヴァッジョの‘エマ
オの晩餐’で短縮法を使って描かれた弟子の手を連想させる。

| | コメント (0)

2021.09.27

映画‘シェ―ン’!

Img_0001_20210927221801    クライマックスの決闘シーンでみせるシェ―ンの早撃ち

Img_20210927221901

少年の叫び‘シェ―ン、カムバック!’

映画が全盛期の時代を生きた人たちは西部劇をみるのが一番の楽しみ
だったという人が多いかもしれない。黒澤明監督の‘七人の侍’をコピーした
‘荒野の七人’やクリント・イーストウッドの‘夕陽のガンマン’などのマカロニ
・ウエスタン・シリーズを劇場で固唾をのんでみていた。中学や高校のころ
男子生徒の間では西部劇の話で盛り上がることがよくあった。そして、
モデルガンを腰に差しどのくらい早くぬけるかを競ったりした。そのとき、
みんなが口にしたのが流れ者ガンマン‘シェ―ン’に扮するアラン・ラッドの
早撃ちは何秒だったか。0.5秒は映画がつくられた1953年当時世界一
の早さだと言われた。

映画をみた記憶が完璧に消えているが、たぶん淀川長治が解説してくれる
TVの洋画劇場に登場したときだと思う。物語の流れは全部忘れており、覚
えているのは美しいメロディが心に響くテーマ曲‘遥かなる山の呼び声’とラス
トの少年が‘シェ―ン、カムバック!’と叫ぶシーンのみ。どういうわけは肝心
のシェーンと雇われ殺し屋との決闘の場面はまったく覚えてないのだから様
にならない。

このシーンが先月長い長い時をへてリカバリーした。映画評論家の町山智浩
さんにおもしろいことを教えてもらった。酒場でも決闘のとき悪党の殺し屋
ガンマンは腕に自信があるのか‘抜け’とシェ―ンに言う。このセリフをはく
シーンはその前にもあった。この意味がわからなかったが、町山さんによる
と、相手を撃ったのは正当防衛なんだということをあとで現場にいた者に
証言してもらうためだった。先に撃つと殺人罪になり裁判にかけられるので、
相手より遅く抜き早撃ちでやっつける。決闘シーンは西部劇では定番のクラ
イマックスだからほかの映画でも何度も目にしているが、こんなセリフをいう
場面はみたことがなかったから、そうだったのか!である。

もうひとつ重要な情報を得た。この映画は西部劇に革新をもたらしたという。
それまでの決闘シーンは子どもの遊びみたいで実際の拳銃の威力が全然でて
なかった。そこで監督はリアリティをだすため、撃たれた者はドーンと後ろ
に吹っ飛ぶという演出をしたという。ヴァイオレンス西部劇がこの映画から
はじまった。監督は第二次世界体験のノルマンディ作戦に従軍撮影班として
参加した経験から戦闘の生の感覚を西部劇にもちこんだ。
‘シェ―ン、カムバック!’で固められていた映画のイメージが一変した。

| | コメント (0)

2021.09.26

大相撲秋場所 新横綱照ノ富士 優勝!

Img_20210926215801
    五度目の賜杯に輝いた新横綱照ノ富士

大相撲秋場所は千秋楽、横綱照ノ富士が大関正代を破り優勝した。成績は
13勝2敗。これで優勝回数は5回になった。戦前の予想通りに新横綱の
優勝で終わったが、今場所はおもしろくなかった。その原因は期待してい
た力士が強くなかったから。関脇の御嵩海は相変わらず取り口にムラがあ
り、二桁にとどかず9勝6敗。いつまでたっても大関昇進の足がためがで
きない。今場所関脇にすわった明生は勝ち越しにこぎつけたから、最後
よくばんがったと思うが、前半は前にはたかれて敗ける相撲が多く物足り
ない。照ノ富士にいい相撲で勝ったから○としてもいいが、その前に正代
か貴景勝のどちらかを倒さないとおもしろくない。

多くの相撲ファンが注目している豊昇龍(5勝8敗2休)と若隆景(9勝
6敗)は体重の無さが勝負に響いたことは否めない。2人ともあと10
キロくらい大きくなるとすぐ大関という気がするが、先場所12勝した琴
ノ若は大栄翔と正代を撃破した相撲がよかったので、6番くらい勝つと思
っていたら10日から休場してしまった。こんなに簡単にケガするとは
拍子抜け。なんともやわな体だこと。

今場所強かったのは押しの大栄翔(10勝5敗)、照ノ富士をすばらしい
押し相撲で連勝をストップさせた。この勝ちで来場所、小結返り咲きは
間違いないだろう。大関めざしてがんばれ!もうひとり阿武咲(10勝
5敗)の突進力も目を見張らせた。明生との一番ではあっさりはたかれ、
前のめりになる悪い癖がでてしまったが、もうすこし冷静になれたらもっ
と強くなれる。大栄翔、明生同様、誰もが認める期待の力士である。

照ノ富士の相撲は先場所から一段も二段もステップアップした。両ひざに
爆弾を抱えているのでいつ相撲がとれなくなるかもしれないと自覚してい
るのだろう。だから、それを回避するためいい相撲をとろうと頭を使い取
り口を考えている。そして、思った通りに体が動き技が出せるように稽古
を重ねる。立派すぎる横綱である。

| | コメント (0)

2021.09.25

映画‘第三の男’!

Img_20210925215901

記憶に長く残っている映画は必ずと言っていいほどいい音楽とセットにな
っている。昨日とりあげたグレコリーペックが主演した‘マッケンナの黄金’
では冒頭にモニュメント・バレーを連想させる広大な渓谷をバックに主題歌
が流れる。なかなかいい曲で一流の歌手が3番くらいまでところどころ鼻声
にかかる甘い声で歌っている。だから、何度も観ているのにこの歌をまた聴
きたくてビデオを再生する誘惑にかられるのである。同じく西部劇のジョ
ン・ウェインの‘黄色いリボン’(1949年)でもあの有名なメロディが流
れるとつい口ずさんでしまう。

‘第三の男’(1949年)にも有名なテーマ曲が流れる。演奏に使われている
のはツィターというギターとマンドリンの合いの子みたいな楽器。エビス
ビールが宣伝にこの曲を使ったことで山手線の恵比寿駅でも聴くことができ
る。この音楽が長いこと耳に馴染んでおり、またウィーンのプラーター公園
にある大観覧車も乗ったことがあるのに、実はこの映画はまだみてなかった。
情報としてあの名優オーソン・ウェルズが出演していることは知っていたが、
どういうわけか縁がなかった。そんなとき、ブックオフで‘誰が為に鐘は鳴る’
(1943年)、‘シェ―ン’(1953年)、‘駅馬車’(1939年)、‘黄色
いリボン’(3本セット)、‘第三の男’が低価格(300円から500円)で
並んでいたのでまとめ買いした。

映画をみたあと二重丸がつくものはさらに詳しく知ろうという気持ちが強く
なりウィキペディアをチェックすることにしている。ほかにも世の中には映
画好きの人がたくさんいるから、感想記がいろいろ書き込みされている。
また、YouTubeで映画ものをサーフィンしていると大変情報量の多い番組
がでてきた。映画評論家の町山智浩氏が映画をみる前とみ終わったあと上映
された映画を解説している。話が大変おもしろい。いっぺんでファンになっ
た。おそらく町山氏が映画評論家では第一人者だと思う。昔、淀川長治という
映画評論家の代名詞みたいな人がいて映画の楽しみ方を教えてくれたが、
町田氏も映画にかかわった人たちや、製作にあたっての脚本づくりや撮影の
苦労や俳優の起用についての監督の考え方、その映画があとの作品に与えた
影響などをとことん語ってくれる。映画を愛している真のプロはここまでしゃ
べり、劇場に集まった映画ファンにヒントを授けてくれるのか、という感じ。

ネタバレになるので映画の内容にはふれないが、舞台は第二次世界大戦後、
米英仏ソによる四分割統治下にあったオーストリアの首都ウィ―ン。
My‘記憶に残る映画’に即登録した。‘第三の男’とはそういうことだったのか、
オーソン・ウェルズがこんな悪党を演じていたとは。どんな悪事をはたらき金
を儲けていたかはみてのお楽しみ!

| | コメント (0)

2021.09.24

名優グレゴリー・ペック!

Img_20210924221901  ‘アラバマ物語’で弁護士を演じたグレゴリー・ペック

Img_0001_20210924222001   ‘ローマの休日’でオードリー・ヘプバーンと共演

昨日、BSプレミアムで災害映画の傑作‘タワーリング・インフェルノ’を上映
していたので、すこしばかりみた。ここ2年くらいはビデオ化したい映画が
でてくるときはだいたいTV内蔵のビデオシステムに保存している。でも、
この映画はすでに中古DVDをブックオフで購入していたから今回はパス。
巣ごもり生活では映画が大きな楽しみ、だから、BSプレミアムのライナッ
プをTVガイドでしっかりチェックし、意中の作品をみつけると放送される
日を今か々と待っている。

先月は待望の‘ローマの休日’(1953年)が登場した。ビデオレンタルで一
度みたが20年くらい前なので、最後の場面、王女(ヘプバーン)がジャー
ナリストたちと会見し、恋に落ちた新聞記者(グレゴリーペック)と別れの
挨拶をするところだけしか覚えていない。そのため、はじめてみるようなもの
でとても新鮮だった。今でも多くの人に愛されるこの映画の魅力はなんといっ
てもヘプバーンの輝き。王女の可憐さにうっとりし、優しい新聞記者との恋の
切なさに心を痛める。本当にいい映画である。

王女にローマの街を楽しんでもらおうと奔走する新聞記者を演じたグレゴリー・
ペックはお気に入りの俳優。背が高くイケメンで優しい心根がみてとれる。
これまでみた映画では金塊探しをする保安官役で主演した西部劇‘マッケンナの
黄金’(1968年)を何度もみている。そして、‘ローマの休日’があまりにも良かったので、名作といわれている‘アラバマ物語’(1963年)に関心がむかっていたところ、運よくブックオフで低価格のDVDが現れた!

評判通りのいい映画だった。グレゴリー・ペックは冤罪で逮捕された黒人男性
を救おうとする弁護士。理想的な弁護士を見事に演じており、アカデミー賞
主演男優賞を獲得したのは即納得、またシナリオの出来映えの良さにも驚かさ
れる。物語のはじめの部分はなぜ弁護士の息子と娘は隣の家の自閉症の男性に
関心をもつのかわからなかったが、最後のシーンでその謎がとけた。ネタバレ
になるのでそれは書かないが。観終わったあと、真にグッとくる映画はそうは
ない。こんな名作ならもっとはやくみておけばよかった。

| | コメント (0)

2021.09.23

Anytime アート・パラダイス! ジョージ・グロッス

Img_0001_20210923220401
   ‘自殺’(1916年 テートモダン)

Img_0005_20210923220401
   ‘社会の柱石’(1926年)

Img_20210923220501
  ‘オスカー・パニッツァに捧ぐ’(1917~18年 シュトゥットガルト美)

Img_0002_20210923220501
    ‘プロムナード’(1926年 アーチゾン美)

Img_0003_20210923220501
  ‘詩人マックス・ヘルマン・ナイセ’(1925年 マンハイム美)

オットー・ディックス(1891~1969)と同時代を生きたジョージ・
グロッス(1893~1959)は漫画的な描き方の点で共通するところが
あるが、グロッスは反軍国主義、社会批判を画題にして人々のいだく不安感
や人間の冷酷さ、醜さを辛辣に描きだした。生まれたのはベルリンでドレス
デンの王立美術学校で学んだあと故郷にもどり、第一次世界大戦後はベル
リン・ダダの中心メンバーとして前衛画家の道を突き進んでいった。グロッ
スを知ったのはポンピドーにあるコラージュで構成された肖像画‘不幸な発明
家、アウグスト叔父さんを忘れないで’。これはダダ全開だが、そのあとお目
にかかった新聞の社会風刺漫画を連想させる作品のインパクトのほうが3倍
も4倍も大きかった。

ロンドンのテートモダンにかなりショッキングな絵が飾ってある。1916
年に描かれた‘自殺’、ピストル自殺した男が大の字になっている。画面が赤一
色になっているのは流れ出る血を表しているのかもしれない。男の横には
幽霊のようなものが姿を現し、その向こうでも男が首を吊っている。大きな
ガラスの内側から外をみているのは娼婦。‘あら、さっきあの人が首を吊った
ばかりなのに、今度はピストルで頭をぶち抜いたの?’とうそぶいているよう。

‘社会の柱石’はどこの美術館の展覧会だったか忘れたが日本でみた。ドイツ人
の画家の特徴である硬くて圧が強いイメージが風刺漫画に形を変えて現れた感
じで息を呑んでみた。下から上へといろんな人物が登場する。ビールのジョッ
キを持っている男性はナチスのシンボルマークの入ったネクタイをしめている
。左の男はジャーナリスト、その上は教会の牧師、最後は軍人たち。夫々社会
の柱石。ヨーロッパの街を歩いていると、赤い鼻が目立つ人や頬の皮膚に細い
血管がひび割れのように走っている人によくでくわす。ドイツ人にかぎらな
いが、そのリアルな表現が印象深い。

‘オスカー・パニッツァに捧ぐ’の衝撃度はマグニチュード7の地震並み。建物
の垂直の軸が斜めに傾き街全体が崩壊のパニックに陥っている様子。ガラスか
ら透けて見えるビルの内部は火事が発生したのかどす黒い赤で燃えているよう。
俯瞰の視点でとらえた街路は大勢の人で埋め尽くされている。顔はだいたい丸
かそれをぐにゃっとゆがませた形。大半は男性だが、よくみると骸骨や裸婦も
混じっている。グロッスは第一次世界大戦のドイツの混乱を風刺をこめてモン
タージュ技法で再現している。

アーチゾン美にある‘プロムナード’はディックスの‘サロンⅠ’がかぶる漫画的な
風俗画。後ろから二番目のドレスアップした女性がこちらを見つめる姿が妙に
気になる。こんないい絵を手に入れるのだから、旧ブリジストン美はブランド
美術館。‘詩人マックス・ヘルマン・ナイセ’はグロテスクな印象を与える肖像画
。歳をとると体が縮み曲がってくるので頭がやけに大きくみえるようになる。

| | コメント (0)

2021.09.22

Anytime アートパラダイス! オットー・ディックス

Img_0002_20210922221601
  ‘シルヴィア・フォン・ハルデン’(1926年 ポンピドー)

Img_0003_20210922221601
  ‘マルタ・ディックス夫人の肖像’(1928年 フォルクヴァング美)

Img_0004_20210922221701
   ‘ハーマン博士’(1926年 MoMA)

Img_20210922221701
   ‘サロンⅠ’(1921年 シュトゥットガルト美)

Img_0001_20210922221701
  ‘大都会’(部分 1927~28年 シュトゥットガルト美)

海外の美術館を日本で実行しているように一度に何館もまわった経験がある
のはヨーロッパの都市でいうとパリ、ニース、ロンドン、ローマ、フィレン
ツェ、ヴェニス、ミラノ、マドリード、アムステルダム、ブリュッセル、
ブリュージュ、ブダペスト、プラハ、ウィーン、コペンハーゲン。ここに
入ってないのがドイツの都市。ベルリンの博物館とミュンヘンとドレスデン
にある古典画美術館には縁があったが、わずか3つだから馴染みが薄くなる
のも仕方がない。これは団体ツアーでドイツを旅行する機会が少ないことが
関係している。フランス、イギリス、イタリア、スぺインに較べるとどうし
てもドイツ観光の優先順位が下がるのである。

美術館で本物の絵をみることがないので気になるドイツ人画家はいても、
断片的な作品情報により作風のイメージが固定されているのが実情。オット
ー・ディックス(1891~1969)はポンピドーが所蔵する‘シルヴィア
・フォン・ハルデン’で名前がインプットされ、消えることがない。
描かれた人物は実は女性ジャーナリストだが、ある時期まで男性とばかり思
っていた。顔と髪型で判断すると、日本にもこういうタイプの文芸評論家は
TVなどによくでてくるから、そのイメージですっと入っていった。でも、
よくみると赤い口紅をしワンピースを着ているのだから女性に間違いない。
ディックスはカリカチュア趣味と結びつけて独自の人物描写を生み出した。

‘マルタ・ディックス夫人の肖像’を日本の美術館でみたとき、瞬間的に頭を
よぎったのは歌手の弘田三枝子(知っている人は知っている)。そして、
ドイツ映画にでてくる圧の強い女性も微妙に絡んできた。どうでもいいこと
だが、人の顔をみるのが好きなので、散歩していてもよくすれ違う人の顔は
忘れない。以前、JR渋谷駅の近くでサングラスをかけ帽子を被った女優
の常盤貴子が歩いているのを目ざとく発見した。自慢気に話をすると隣の方
からは‘刑事にむいているのでは’と茶化されてしまった。‘ハーマン博士’の
肖像もどこか漫画チックなところがある。

‘サロンⅠ’と‘大都会’は興味をひく風俗画で大都会の人間模様が写実性と戯画
調をミックスして描かれている。‘サロンⅠ’の右の3人のうち真ん中の目の
大きな娼婦は客からよくお呼びがかかりそうな美貌の持ち主として描かれて
いるが、ほかは漫画のコマからとびだしてきたよう。これは‘大都会’でも同じ。
タキシードに身をつつんだ男性陣は本人そのものの感じだが、派手な衣装を
着た女性たちは歓楽の象徴としてドギツくデフォルメされている。

| | コメント (0)

2021.09.21

Anytime アート・パラダイス! バルテュス(3)

Img_20210921222701
    ‘崖’(1938年)

Img_0002_20210921222701
  ‘樹のある大きな風景’(1960年 ポンピドー)

Img_0001_20210921222801
    ‘窓’(1951年 トロア近美)

Img_0003_20210921222801
    ‘窓辺の少女’(1957年 メトロポリタン美)

Img_0004_20210921222801
    ‘部屋’(1952~54年)

バルテュスのイメージは8割方少女をモデルに使った作品でできあがってい
るが、ほかのモチーフを描いてないわけではなく風景画も静物画もある。
海外の美術館で遭遇しなかった風景画をまとまった形でみたのは2014年
の回顧展(東京都美)。このなかで思わず足がとまったのが‘崖’。ぱっとみる
とクールベが故郷オルナンの風景を描いたものと似ている。樹木がなく存在
感のある白い岩の塊を強く印象づけるため日差しがあたる時刻の姿がしっか
り描かれている。

‘樹のある大きな風景(シャシーの農家の中庭)’は第二次世界大戦後、パリ
の喧騒から離れブルゴーニュ地方のシャシーの城館に移り住んだ時期
(1953~1961)に描かれたもの。画面は光に満ちている向こう側の
野原と手前中庭の暗い影の部分で二分されている。とくに目が刺激されるの
は庭に差し込む三角形の金色の光。その下をよくみると後ろ姿の農夫が歩い
ている。幾何学的なイメージの農家を近くの位置に大きく描きそこから先は
並行するように小さく配置していき空間の広がりをみせるところがなかなか
いい。

マティスの‘コリウールのフランス窓’がすぐ思い浮かぶ‘窓’はパリ6区にかま
えたアトリエで描かれた。少女も猫もいないので拍子抜けするが、静かなが
らんとした室内の雰囲気はマティスやフェルメールとのコラボを連想する。
こういう室内画が描けるのはやはり一流の証。日曜画家の腕ではとても描け
ない。‘窓辺の少女’はシャシーの城館の一室で窓から外を眺める後ろ姿の
少女が描かれている。2015年METを再訪したとき運よくお目にかかれ
た。普通は女性を後ろから描いたものはパスなのだが、この少女はロート
レックの女性同様、例外扱いとしている。

‘部屋’はとても不気味な絵。窓のカーテンを開け光を部屋に呼び込んでいる
少女?の顔の怖いこと!いや少女ではなくメイドの女性?猫がこの女をじっ
とみているのがおもしろい。窓から入ってきた強い光が椅子に座ってのけぞ
る裸婦の体を輝かせている。右足を思いっきりのばした体は対角線をつくり
カーテンの斜めのラインと呼応し眠ったまま動きを生み出している。いつか
本物と対面したいが、その可能性はどうしようもなく小さい。

| | コメント (0)

2021.09.20

Anytime アート・パラダイス! バルテュス(2)

Img_0001_20210920220801
    ‘美しい日々’(1944~46年 ハーシュホーン美)

Img_20210920220801
   ‘トルコ風の部屋’(1963~66年 ポンピドー)

Img_0003_20210920220901
   ‘居間’(1942年 MoMA)

Img_0002_20210920220901
   ‘地中海の猫’(1949年)

Img_0004_20210920220901
‘トランプ遊びをする人々’(1966~73年 ボイマンス・ファン・ベーニンゲン美)

数多く描かれたバルテュスの少女像はどれもこっそり部屋に呼ばれて‘声をだ
さずみてください。立ち位置を絶対変えてはいけません’と要請されている
感じ。‘美しい日々’は一度訪問したワシントンのハーシュホーン美が所蔵して
いる作品だが、館内をまわったときは展示されてなかった。お目にかかった
のは2014年東京都美で開催された大バルテュス展。目を惹くのは左膝を
立て手鏡を見ている少女。強い磁力を放っているので右で暖炉に薪をくべて
いる男への関心が薄くなる。

手鏡をみるポーズが裸婦でも繰り返されているのが‘トルコ風の部屋’。この
モデルをつとめているのは1967年にバルテュスと結婚した日本人の生田
節子さん。1962年、バルテュス(54歳)が日本にやって来たとき知り
会った。節子さんは当時20歳で上智大学フランス語学科に在学中だった。
この絵はモチーフの平板な描写と壁布、タイルの装飾的な模様からマティス
の絵をすぐ連想した。ポンピドーではなく東京都現美に出品されたのをみた
が、その頃はバルテュスを知らなかったので東洋趣味だけが記憶に残り、
裸婦は中国人にみえた。30歳以上も離れた日本人恋人だったとは!

MoMAにある‘居間’は緊張感を強いられる少女像。はっとさせられるのが肘
と膝をついてうつぶせに横たわり本を読んでいる少女。こんな格好で女の子
は本を読むのだろうか?素朴な疑問がわきおこる。このぴんと張り詰めた
空気に対して、頭の前のいる白い猫はソファにいる子同様眠っている。ここ
でも強い要請があるため、体は動かせない。MoMAにはこの絵をふくめて
3点のバルテュスがある。

2014年の回顧展で大収穫だったのが‘地中海の猫’、ハイブリッドな雄の
猫人間が海にかかる虹からでてきた魚を食べようとしている。こりゃ、参っ
た!ダリの絵に魚から虎が飛び出してくるのがあるが、虹が魚の群れに変容
するアイデアはこれからもらったのかもしれない。猫は牝のイメージがこび
りついているから、ズボンをはいた猫がとても新鮮に映る。
暴力性をみせる猫の怖い顔と同じくらい陰気で残忍な性格が表情にでている
のが‘トランプ遊びをする人々’。楽しいトランプの遊びにこんなキツイ目を
する必要はないはずだが、この男女は大きな賭け金で勝負をしているのだろ
うか。

| | コメント (0)

2021.09.19

Anytime アート・パラダイス! バルテュス(1)

Img_0002_20210919222001
    ‘街路’(1908年 MoMA)

Img_0004_20210919222001
  ‘コメルス・サンタンドレ小路’(1952~54年)

Img_20210919222001
     ‘山(夏)’(1935年 メトロポリタン美)

Img_0001_20210919222001
 ‘目を覚ましたテレーズ’(1938年 メトロポリタン美)

Img_0003_20210919222001
   ‘夢見るテレーズ’(1938年 メトロポリタン美)

新型コロナウイルスの新規感染者の数は日本では全国的に減少してきたが、
自宅治療で不安な日々をすごす人たちはまだ多くおり医療体制のひっ迫状況
が改善されるのはまだ先になりそう。来年の後半あたりから海外旅行の計画
をアバウトに考えることができるかもしれないが、強い変異株がでてきたり
するとお楽しみがさらに後にずれ込む。こういうときは自然の絶景を描く
風景画より、街のリアルな雰囲気が感じられるユトリロのパリの絵のほうが
ありがたい。都市における生活感や賑わいぶり、その裏側の影が人間臭く描
かれているとその場所にでかけてみたいという気持ちがより強くなっていく。

パリの街を描いた画家はほかにも多くいるが、絵にある街の通りを歩いてみ
たいと思わせるのは日本人画家の佐伯祐三と藤田嗣治、そして1908年
パリに生まれ2001年に亡くなったバルテュス。NYのMoMAにある
‘街路’がバルテュスという画家を知った最初の絵。パリのある通りの光景が
ここにあるが、ユトリロの‘色彩の時代’にでてくる人物描写とは趣が全然異な
る。なにかただならぬ雰囲気をたたえている。登場する人たちには夫々の
物語があり独立した劇をみているような感じ。大作の‘コメルス・サンタンド
レ小路’も同様にひとり々が静寂のなか自分の世界に浸っており、目には見え
ないが境界線が張られている。

メトロポリタンに出かけるとバルテュスとの縁が深まる。‘山(夏)’は強い
日差しを浴び両腕を上にあげのびのびした表情をみせる女性とその足元で影
の中に沈みこみ眠っている娘に視線が集中する。この寝姿はプッサンの‘エコ
ーとナルキッソス’にでてくる横たわるナルキッソスを参考にしている。バル
テュスは古典画のピエロ・デッラ・フランチェスカやプッサンから大きな
影響を受けている。立っている金髪の女性はバルテュスと結婚したばかりの
アントワネット。

バルテュスがロリータ趣味から何点も描いた少女テレーズのシリーズではも
っとも人気のある‘目を覚ましたテレーズ’と‘夢見るテレーズ’もMETの所蔵。
どちらも日本にやって来た。テレーズは近所に住んでいた少女で‘目を覚まし
た’は強い存在感をみせている。これに対し‘夢見る’のほうはどこか大人じみ
た感じも漂っている。

| | コメント (0)

2021.09.18

Anytime アート・パラダイス! ユトリロ(2)

Img_20210918222101
  ‘サン=バルテルミティ広場と教会’(1922年)

Img_0001_20210918222201
  ‘イル・デ・サンジュの酒場にて’(1928~30年)

Img_0004_20210918222201
  ‘ボーリュー=シュル=メールの通り’(1922年)

Img_0003_20210918222201
   ‘ヴェルブリーの郵便局’(1924年 ゾロトゥルン美)

Img_0002_20210918222201
   ‘カフェ オーヴェルニュの領事館’(1936年)

ユトリロの絵画の時代区分で‘白の時代’(1908~1914年頃)のあと
が‘色彩の時代’(1915年頃~1935)。精神的緊張感がみられた‘白の
時代’にくらべると、‘色彩の時代’に描かれた作品は色彩が豊富になり、一点
透視法による奥行きのある景観が多くなる。空の鮮やかな青が印象的な
‘サン=バルテルミィ広場と教会’は全体の明快な色調が目に焼きつく。通りを
歩く人々も大勢描き込まれているので風景画プラス風俗画の楽しみが加わる。

若い頃4ヶ月くらい滞在したことのあるロンドンとはちがい花の都パリは自
分の足でいろいろ歩き回ったという経験がない。だから、ユトリロの絵みる
と、もっとパリの街をのんびり散策してみたいと思う。‘イル・デ・サンジュ
の酒場にて’はゴブラン地区のある通りの一角が安定した構図で描かれている。
日曜画家ならこういう場所はすぐスケッチをはじめるかもしれない。酒場か
ら出て通りの奥に向って進み右に曲がるとどこへ続くのか、イメージがふく
らむ。

‘ボ―リュ―=シュル=メールの通り’と‘ヴェルブリーの郵便局’に大変魅了され
ている。ここには腰のぷくっと張った女性像が描かれている。女性の後ろ姿
をこういう形態で描写したものがほかにみたことがない。そして、斜めから
のアングルが建物のリアル感じを印象づけ、見やすい色の組み合わせも目に
心地いい。タイムトラベルの術を使いここに降り立ちたくなる。

‘カフェ オーヴェルニュの領事館’はモンマルトルにある人気のお店。こう
いうカフェでくつろぐとパリのいろいろな風景をみたことになる。後ろに白
のサクレクール寺院がみえるが、この寺院と一度中に入ったことのある‘ムー
ラン・ルージュ’、ルノワールの絵でお馴染みの‘ムーラン・ド・ラ・ギャレッ
ト’がモンマルトル観光の定番スポット。また、出かける機会がめぐってくる
ことを願っている。

| | コメント (0)

2021.09.17

Anytime アート・パラダイス! ユトリロ(1)

Img_20210917223001
   ‘コタン小路’(1911年 ポンピドー)

Img_0001_20210917223001
   ‘ラパン・アジル’(1912年 ポンピドー)

Img_0002_20210917223101
  ‘ベルリオーズの家’(1915年 パリ市近美)

Img_0004_20210917223101
   ‘ドゥイユの教会’(1912年 ポンピドー)

Img_0003_20210917223101
   ‘ノートルダム’(1910年 オランジュリー美)

目の前に広がる光景をみて‘絵のような光景だな!’と思うことがときどきある。
ひとつは気分が一瞬でハイになる自然の絶景、例えば‘ナイアガラの滝’とか
トルコの‘カッパドキア’のとんがり帽子のような奇岩群。もうひとつは哀愁が
漂う都市の一角、どちらも画家たちの絵心をくすぶるモチーフとしてよく描か
れる。後者の画家ですぐ思い浮かぶのがユトリロ(1883~1955)と
アメリカのホッパー(1882~1967)。2人は同時代を生きている。

ユトリロの回顧展にこれまで日本の美術館で3回も遭遇した。2005年
(日本橋高島屋)、2010年(損保ジャパン美)、2013年(日本橋高島
屋)。海外の美術館ではパリのオランジュリーを訪問したとき、一部屋が全部
ユトリロで飾ってあった。ポンピドーには‘白の時代’に描かれた最高傑作‘コタ
ン小路’などがあるが、ここでこの絵をしかとみたという実感がなく、東京都
現代美で開かれた‘ポンピドー・コレクション展’で運よく遭遇した。

コタン小路はモンマルトルのどこにあるかはガイドブックの地図で知っている
が、まだ自分の足で確かめてない。でも、最寄りの地下鉄の駅で降りてあの
有名なサクレクール寺院にたどり着くまで細い路地を歩き、ちょっと急坂になっ
ている石段を登っていくとまさに‘絵のような光景’にでくわす。音が消えたよう
な静けさはユトリロの絵の通りで、華やかなイメージで彩られているパリの街
とは全くちがう景色。物悲しさが伝わってくるモンマルトル界隈にまた行って
みたい。

‘白の時代’のいい絵はまだある。ユトリロがしばしば飲んだくれて追い出された
店‘ラパン・アジル’、繰り返し描かれた‘ベルリオーズの家’。人影がなく砂の混じ
った漆喰がぬられた白壁にはひびが入っているのが特徴。‘ドゥイユの教会’も
‘ノートルダム’も雨が降ってきそうな重く垂れこめる空の下でそびえる姿が寂寥
感に満ちている。アル中毒に感情を乱されながら、20代後半から30歳すぎ
にかけてユトリロは自分の色、‘白’を追及した。

| | コメント (0)

2021.09.16

Anytime アート・パラダイス! レイセルベルへ

Img_20210916221301
   ‘舵を取る男’(1892年 オルセー美)

Img_0001_20210916221301
 ‘満潮のペール=キリディ’(1889年 クレラー=ミュラー美)

Img_0004_20210916221401
  ‘7月の朝’(1890年 クレラー=ミュラー美)

Img_0003_20210916221401
  ‘マリア・セート’(1891年 アントワープ王立美)

Img_0002_20210916221401
  ‘マルト・ヴェルハーレンの肖像’(1899年)

画家の描きたい題材は制作活動のなかでいくらかのバリエーションがでてく
るのはそれほど驚くことではないが、画業全般にわたって通覧できる回顧展
に遭遇することがないとそれはわからない。だから、ある時期に描かれた
作品が最初にインプットされると、その作風で画家のイメージができてしま
う。ベルギーのヘントに生まれたテオ・ファン・レイセルベルへ(1862
~1926)の場合、1988年西洋美であった‘ジャポニスム展’に出品さ
れた‘舵を取る男’が目に焼きついており、これまでみた海景画の傑作のひと
つとして心に強く刻まれている。

この頃は絵画鑑賞が趣味といってもまだ入り口のところでうろうろしてい
るレベルだったから、点描法(分割主義)の絵に慣れてなく描き方よりは
手前右端に男を大きくとりこみ帆や船縁を一部だけみせる構図のほうに視線
が集中した。浮世絵の手法が当時のヨーロッパの画家たちにこれほど影響を
与えたことに正直驚いた。点描による風景画は‘満潮のペール=キリディ’が気
に入っている。影の描写がとても上手く手前の岩の断崖がなにか大きな動物
のような感じがする。中景、遠景の小さな島やヨットとの対比を際立たせる
のも浮世絵を真似ている。

レイセルベルへのサプライズは10年前、クレラー=ミュラー美を訪問した
ときまた起こった。人物画でもいい絵を描いていた。それが‘7月の朝’
(あるいは‘果樹園’、‘庭園に集う家族’)。これをみてある絵がピンとくる人
は相当な点描画通。そう、明らかにスーラの‘グランド・ジャット島の日曜日
の午後’を意識している。描かれた5人の女性は皆顔をみせないところも同じ。
ゴッホがお目当てででかけたクレラー=ミュラーなのに、こんなビッグな
オマケがついているのだから美術館巡りはやめられない。

画家が風景画だけでなく女性画の名手でもあることが再度わかったのが新印象
派展(2015年 東京都美)でみた‘マリア・セート’と‘マルト・ヴェンハー
レンの肖像’。点描画をみるときのルールにのっとり少し離れて魅力いっ
ぱいの肖像画をうっとりみていた。女性の存在感を際立たせ美しく描く画家は
またまたルノワールとマネだけではなかった。レイセルベルへに乾杯!

| | コメント (0)

2021.09.15

Anytime アート・パラダイス! ヴァン・ドンゲン(2)

Img_20210915221701
   ‘赤い踊り子’(1907年 エルミタージュ美)

Img_0003_20210915221801
   ‘ソプラノ歌手’(1908年 MoMA)

Img_0001_20210915221801
  ‘ダンサー、ニニ’(1907~08年 ポンピドー)

Img_0004_20210915221801
   ‘羽飾り帽の婦人’(1910年)

Img_0005_20210915221801
   ‘競馬場’(1950年代 メトロポリタン美)

これまで訪問した海外の美術館でドンゲンと縁があったのはロシアのエルミ
タージュ(3点)、本籍オランダのゴッホ美(1点)、アムステルダム美
(1点)、現住所フランスの美術館(1929年フランスに帰化)について
はオルセーでは一枚もみた覚えがなく、ポンピドー(3点)、パリ市近美
(3点)で遭遇。ヨーロッパではもうひとつデンマークのコペンハーゲン
国立美(2点)でもお目にかかった。アメリカにまわるとNYのメトロポリ
タン(4点)、MoMA(1点)にもあった。

1911年ころまではドンゲンは色彩のインパクトを強く出した女性画を次
々と描くフォーヴィスム全開の画家だった。妻の顔に緑の線を入れるが比較
的穏やかな肖像画を描いたマティスとの違いは、ドイツ表現主義の‘ブリュッ
ケ’との交流の影響で強い感情表現によりモデルの個性をアピールしている
こと。エルミタージュにある‘赤い踊り子’やMoMAの‘ソプラノ歌手’は横向
きの姿を画面の多くをしめる赤と黄色で強く印象づけている。

‘フォリー・ベルジェールのダンサー、ニニ’はドンゲンのお気に入りのモデル
だった。二二はマネの最晩年の作品に描かれたキャバレーのダンサーで舞台
に立つ姿が全身像で描かれている。足を広げ右手を腰にあてるポーズは貫禄
十分といったところ。上の2点同様、モデルの頭の一部を意図的にカットし
て、動きをつくっている。‘羽飾り帽の婦人’はかつての大谷コレクション。
日本の美術館ではほかに松岡美、ひろしま美、諸橋近代美、アーチゾン美
(前のブリジストン美)がドンゲンを所蔵している。

1950年代の作品、‘競馬場’をみたのは2015年に再訪したメトロポリ
タン。ドガやマネがよくとりあげた題材にあの女性画で知られるドンゲンが
挑戦していたとは! 子どものお絵描きのような感じだが、騎手のまたがる
馬がゆっくり進んでいく光景を華やかな色彩で描くのはまさにドンゲンの
真骨頂。

| | コメント (0)

2021.09.14

Anytime アート・パラダイス! ヴァン・ドンゲン(1)

Img_20210914221601
  ‘黒い帽子の女’(1908年 エルミタージュ美)

Img_0001_20210914221601
   ‘画家の妻’(1911年 ゴッホ美)

Img_0004_20210914221601
   ‘白い服の婦人’(20世紀)

Img_0002_20210914221601
   ‘スフィンクス’(1925年 パリ市近美)

Img_0003_20210914221601
  ‘ポーレット・パックスの肖像’(1928年 ポンピドー)

近代絵画をジャンル別の好みで順番をつけると女性を描いたものがドンと真
ん中にあって、そのまわりを風景画とシュルレアリスム絵画、抽象画が囲む
構図になっている。そのため、ご存知のようにとりあげる作品は女性の肖像
画が大変多くなる。そのこだわり女性画の名手たちの筆頭にいるのがルノワ
ールとマネ。この二人は毎日でもみていたい女性を描いてくれるが、その
一方でときどきはじっとみつめたい気になる画家もいる。キース・ヴァン・
ドンゲン(1877~1968)もそのひとり。

オランダのロッテルダム出身のドンゲンは20歳でパリに移住し、エコール・
ド・パリンの画家として活躍した。フォーヴィスムの運動にも参加し1906
年にはモンマルトルの‘洗濯船’に住みピカソらと交流している。そのカラリス
トぶりが際立つのが‘黒い帽子の女’、これを飾っているのはサンクトペテルブ
ルクのエルミタージュ美。画家の名前は知らなかったが、緑の衣服と大きな
黒い目に惹きこまれた。女性の絵はルノワールだけじゃないことを思い知ら
された。

ゴッホ美で遭遇した‘画家の妻、ヒュース・プライティンゲルの肖像’もお気に
入りの絵。背景に目の覚める赤を使い、青のドレスを着た女性の色白の肌を
浮き上がらせている。色彩の力によって女性を生き生きと描写するアイデア
はドンゲンが同じオランダ生まれゴッホの強烈な色彩に強く触発されたこと
を物語っている。赤い唇と大きな目にくらっとくる‘白い服の婦人’も忘れら
れない。これはホテルニューオータニのなかにある美術館(現在は無し)で
お目にかかった。大谷コレクションは10年くらい前?売却されたという話
を聞いたが、今この絵はどこにあるのだろう。

ドンゲンは第一次世界大戦後は社交界に出入りし、上流階級の女性たちを描く
流行の肖像画家として知られるようになる。‘スフィンクス’は画家48歳のと
きの傑作。これほど華麗な女性に描いてくれたらモデルは一段ステップアッ
プしたような気分になるだろう。‘ポーレット・パックスの肖像’は等身大を
こえる見度な肖像画。毛皮をまとった女優は肌を出し決めポーズで立ってい
る。目鼻立ちのぱっちりした小顔の女性が装飾的な画面構成により一段と輝
いている。

| | コメント (0)

2021.09.13

Anytime アート・パラダイス! シュザンヌ・ヴァラドン

Img_0001_20210913223201
    ‘自画像’(1883年 ポンピドー)

Img_20210913223201
   ‘イーゼル前のユトリロ’(1919年)

Img_0003_20210913223201
 ‘エリック・サティの肖像’(1892~93年 ポンピドー)

Img_0004_20210913223201
  ‘ユッテルの家族’(1921年 ポンピドー)

Img_0002_20210913223201
  ‘縞の毛布の裸婦’(1922年 パリ市近美)

西洋絵画史において名を残した女性画家で知っている画家というと何人もで
てくるわけではない。印象派以降に限ってみると、モリゾ、ゴンザレス、
カサット、ヴァラドン、ローランサン、レンピッカ、オキーフ、フランケン
サーラー、これくらいしか思いつかない。この中で女流画家物語としてとび
ぬけておもしろいのがシュザンヌ・ヴァラドン(1865~1938)。

ヴァラドンの名前は二人の画家と強く結びついている。ひとりはルノワール。
1883年に描いた連作‘踊り’の‘ブージヴァル’と‘都会’に登場するとても綺麗
な女性のモデルをつとめているのが18歳のヴァラドン、このときのモデル
の選定におもしろい逸話がある。‘田舎’の女性は後にルノワールの妻になる
アリーヌだが、ルノワールはこれもヴァラドンにするつもりだった。これに
アリーヌがぶんむくれて、‘私を描かないのならもうつきあわないわよ!’と威
したらしい。シャヴァンヌ、ルノワール、ドガ、ロートレックのモデルをつ
とめたヴァラドンには絵の才能があり同じ年に‘自画像’を描いている。

私生児として生まれたヴァラドンはその美貌が画家たちを魅了したが、運動
神経が発達していてモデルの前はサーカスの曲芸師として大変人気があった。
奔放に生きたヴァラドンは自画像を描いた年に男の子を産んでいる。その子
がユトリロ。父親が誰だかわからない私生児だった。ヴァラドンは母親失格
で息子を祖母にあずけて恋の相手をさがすのに忙しかったから、ユトリロは
孤独に苛まされ17歳でばりばりのアル中になった。そこで、ヴァラドンは
ユトリロを立ち直らせるために絵を教えた。1919年には‘イーゼルの前の
ユトリロ’を制作している。

恋と絵画にあけくれたヴァラドンはユトリロが10歳のときモンマルトルに
住んでいた作曲家エリック・サティといい仲になる。そのとき肖像画も描い
ている。お気に入りの代表作‘ジムノぺディ’をつくったサティはヴァラドン
の恋人だったとは!そして、42歳の母ちゃんはユトリロの画家仲間だった
ユッテルとできちゃった。そして3人は一緒に生活をする。1つ年下のユッ
テルは義理の父ちゃんになるという奇妙な関係になった。母ちゃんはしっか
り‘ユッテルの家族’を描いている。‘縞の毛布の裸婦’は強い輪郭線をもちゴー
ギャンや仲間のポン=タヴァン派を連想させるところがある。

| | コメント (0)

2021.09.12

Anytime アート・パラダイス! ポール・セリュジエ

Img_20210912222501
    ‘護符’(1888年 オルセー美)

Img_0005_20210912222501
   ‘にわか雨’(1893年 オルセー美)

Img_0001_20210912222501
   ‘呪文 聖なる森’(19世紀)

Img_0002_20210912222601
   ‘花ざかりの棚、ル・プルデュ’(1889年 オルセー美)

Img_0003_20210912222601
 ‘ナビに扮したポール・ランソン’(1890年 オルセー美)

鑑賞した絵画が忘れられないことがあると、それは色彩の輝きと力、構図の
すばらしさ、超絶技巧の写実力、大きな画面のどれかが関係している。画面
のサイズが作品の評価に強く作用することはないが、見慣れた大きさよりあ
まり小さすぎると作品の印象が薄くなることは否めない。だから、大きい絵
とは逆に小さい絵なのに惹きつけられる場合は数が少ないだけに記憶に強く
残っている。ナビ派のポール・セリュジエ(1864~1927)の‘護符
(タリスマン)、愛の森を流れるアヴェン川’はそんな絵。

この絵は縦27cm、横21cmの小品。一見すると抽象画をみているよう
で飾る場所を間違えたのではと思ってしまうほど前衛的な表現である。オル
セーではじめてお目にかかったときは何が描いてあるのかまったくイメージ
できなかった。川と森の情景が多用されている黄色と薄青によってモザイク
的な画面に変わってしまうとナビ派の画風が突然難しくなってくる。でも、
この色彩の力は目に焼きつけられている。

忘れられない絵がもう一枚ある。‘にわか雨’、西洋画で雨の線が描かれている
ものはほかにみたことがない。これは明らかに浮世絵の影響。傘をさしてい
る女性は急ぎ足の感じがよく出ているし、後ろの人物も坂をそそくさと下っ
ている。雨を描いた絵ですぐ思いつくのは広重の有名な‘おおはしあたけの夕
立’と鈴木春信、そしてセリュジエ。雨に降られ慌てる人々の姿を浮世絵の描
き方をとりいれて活写したセリュジエに乾杯!

‘呪文 聖なる森’と‘花ざかりの棚、ル・プルデュ’はベルナールの作品とよく
似ている。もっといえばゴーギャンの色彩を重視した平坦な表現とも重な
ってくる。‘ナビに扮したポール・ランソン’はセリュジエが肖像画を描く才能
にも恵まれていることを示している。2017年に三菱一号館美で‘オルセー
のナビ派展’があり、汐留パナソニック美でも2015年に‘ゴーギャンと
ポン=タヴァンの画家たち展’が開かれたのでナビ派が日本でも徐々に認知
されるようになった。日本の美術館はいい仕事をする。

| | コメント (0)

2021.09.11

Anytime アート・パラダイス! エミール・ベルナール

Img_20210911223801
   ‘愛の森のマドレーヌ’(1888年 オルセー美)

Img_0001_20210911223801
 ‘日傘を持つブルターニュの女たち’(1892年 オルセー美)

Img_0002_20210911223801
 ‘ふたりのブルターニュの少女のいる風景’(1892年)

Img_0003_20210911223801
   ‘草上のブルターニュの女たち’(1888年)

Img_0004_20210911223801
  ‘果物をとる女たち’(1888年 ニューカールスベア美)

ナビ派の画家たちに刺激を与えつづけたのがブルターニュ地方のポン=タヴ
ァン時代のゴーギャンとエミール・ベルナール(1868~1941)。
ベルナールはゴーギャンの20歳も年下だったが、二人は総合主義という新
しい絵画の創造で意気投合しパリの美術界に新風を巻き起こした。ベルナー
ルが20歳のとき描いたのが代表作の‘愛の森のマドレーヌ’。モデルをつと
めているのは17歳の妹マドレーヌ。目を惹く構図が印象的で、寝そべって
いるところの向こう側には細い幹の木々が巧い具合に配置され奥の小川へと
視線を誘導している。この川とマドレーヌの横たわる姿からミレイの‘オフィ
ーリア’がふと目の前をよぎる。

‘日傘を持つブルターニュの女たち’は平板な人物描写が子どものお絵描きを
連想させる。女たちの立ち姿や座っている形態を別の紙で輪郭線をひいて作
成し、それを切りとって画面に丁寧に貼っていく。そのあと同じやり方で
日傘と背景の半円の山も用意してしっかり糊づける。最後に緑の木や空の白
い雲を描いて出来上がり。こういう日本の浮世絵の表現方法の影響をうけて
生まれた奥行き感のない絵画は当時の美術ファンにとっては衝撃的だったに
ちがいない。

2018年、北欧旅行の最初の訪問地だったデンマークのコペンハーゲンで
は自由時間を使ってニューカールスベア美にでかけた。お目当てはゴーギャ
ンの絵だったが、そこにベルナールの‘果物をとる女たち’が飾ってあった。
この絵も‘日傘をもつ’と同じタイプの作品で横に並ぶ女たちと木にはボリュー
ムがなく二次元の垂直性の細い面によって画面が構成されている。

同じ年に描かれた‘草上のブルターニュの女たち’は草のリアリテイがないため、
大勢いる女たちが日本画でよくみる水や池のないところで泳がされる鯉のよ
うな感じがする。おもしろいのが手前の右隅の女の顔、目がつり上がり怒っ
ているよう。ゴーギャンにもこういう顔の女性が登場するからベルナールは
それを意識したのかもしれない。‘ふたりのブルターニュの少女のいる風景’は
水平な線のイメージが消え野原を緩く曲げたり花や木を斜めに並べることに
よって画面に変化をつけている。

| | コメント (0)

2021.09.10

Anytime アート・パラダイス! ボナール(2)

Img_20210910221301
   ‘クロケットの仲間’(1892年 オルセー美)

Img_0001_20210910221301
   ‘庭園の女たち’(1891年 オルセー美)

Img_0005_20210910221301
   ‘ポスター:フランス・シャンパーニュ’(1891年)

Img_0002_20210910221301
   ‘ミシアとナタンソン’(1902年 ベルギー王立美)

Img_0003_20210910221301
   ‘逆光の裸婦’(1908年 ベルギー王立美)

ボナールが強い輪郭線と平坦な色面の画面構成を特徴としたゴーギャンの絵
に刺激されてドニらとナビ派(ナビは預言者の意味)を結成したのは
1888年の秋、21歳のときだった。そして、ゴーギャン同様大きく影響
されたのが日本の浮世絵。当時パリの画壇は1878年の万国博覧会以来、
日本美術が大流行していた。ドニもヴァロットンも浮世絵の色使いや構図に
惹かれていたが、ボナールは浮世絵に深く嵌り‘日本かぶれのナビ’と呼ばれ
るようになった。

酒造会社、フランス・シャンパーニュのためにリトグラフ(石版画)で制作
されたポスターには浮世絵の表現法が使わされており、女性の髪をくにゃく
にゃ曲げて描いたりシャンパンの泡を北斎の水や波のしぶきの描き方を真似
たりしている。同じ年に描かれた‘庭園の女たち’の縦長の画面はズバリ日本
の屏風からアイデアをもらっている。そのため、4枚のパネル画に登場する
女性たちはくねられた体が縦に長くのびている感じ。左端では犬まで普段は
みせないアクロバチックな姿で描かれている。

緑と茶褐色でうめられた背景に切り貼りシールの人物をぺたぺたと置いてい
ったようにみえる‘クロケットの仲間’はよくみないと中央のスティックを持っ
た女性の左右にいる格子柄の服を着た男性と女性を見落としてしまう。この
‘絵画は色で覆われた平たい表面である’というナビ派の表現方法はあんまりの
もぺたっとしているので今でもしっくりこない。

19世紀末から20世紀初頭は新しい表現をもとめてナビ派などいろんな
前衛芸術グループが誕生した。こういうときはいつの世でも彼らを支援する
パトロンが現れる。‘ミシアとタデ・ナタンソン’で描かれているのはポーラン
ド出身の新興のブルジョワ。ナタンソン夫人のミシアは評判の美人で主宰す
る文芸サロンの女王だった。ロートレックもピアノを弾くミシアを描いてい
る(ベルン美蔵)。ボナールをイメージする絵としてすぐでてくるのが愛す
るマルトを描いた裸婦図。たくさんあるが‘逆光の裸婦’はお気に入りの一枚。
窓辺のレースやカーテン、壁紙、平板な長椅子は光の揺れを感じさせるよう
に装飾的な模様づけがなされている。

| | コメント (0)

2021.09.09

Anytime アート・パラダイス! ボナール(1)

Img_0002_20210909221701
    ‘棕櫚の木’(1926年 フィリップスコレクション)

Img_0001_20210909221701
   ‘ヴェルノンのテラス’(1939年 メトロポリタン美)

Img_20210909221701
  ‘ル・カネの食堂’(1932年 オルセー美)

Img_0004_20210909221701
   ‘ミモザの見えるアトリエ’(1939~46年 ポンピドー)

Img_0003_20210909221801
   ‘ミルク皿’(1919年 テートモダン)

西洋画を古典、近現代と広くみているとどうしても画家を関心の高さによっ
て類別したくなる。いつも心を寄せておきたい画家が第一グループだとする
とその次のまとまりは知名度、人気の点でトップとは差がある準ビッグネーム
の画家たち。オルセーではナビ派として同じ部屋に飾られているピエール・
ボナール(1867~1947)はこの第二ブルーㇷ゚に入る。生まれた年は
1867年、ヴァロットンよりは2年後で、ドニよりは3歳年上。

日本でようやくボナールの回顧展(国立新美)は開かれたのは3年前の
2018年、その前は一度マティスとのジョイント展が神奈川県近美・葉山館
で開催されたくらいでにフランスの画家にしてはスポットがあまり当たらない
。作品をみる機会が限られていると少ない鑑賞体験だけによって絵の印象が
できてしまう。ボナールの場合、その絵はオルセーにあるナビ派の画家として
売り出していたときのもの。ナビ派はもともと関心が薄かったがそのなかでい
うと正直なところドニとヴァロットンのほうが好み。ところが、20世紀にな
り作風が明るい色彩に変わったあとの絵には惹かれている。その極めつきが
ワシントンのフィリップスコレクションでお目にかかった‘棕櫚の木’。大きな
棕櫚の枝が画面の上でアーチをつくる構図のおもしろさと田園風景の青や家並
みのオレンジの鮮やかな色使いに息を呑んでみていた。そして、回顧展があっ
た同じ年にプーシキン美展(東京都美)でも大作の‘夏、ダンス’に遭遇した。

メトロポリタンにある‘ヴェルノンのテラス’もぺたっとした感じの絵だがなかな
かいい。ヴェルノンはモネのアトリエがあるジヴェルニーからすぐ近くの街で
ボナールはここに別荘を持っていた。女性の前にあるテーブルクロスに落ちる
木漏れ日の描き方が印象派のモネやルノアールの表現を思い起こさせる。この
絵と同じ1930年代に描かれた‘ル・カネの食堂’と‘ミモザの見えるアトリエ、
ル・カンネ’はMyカラーの黄色が多く使われているので、つい画面に惹きこま
れる。回顧展に出品された‘ル・カネの食堂’はオルセーでは一度もみたことが
ない。画面の中央にがらんとしたテーブルがどんとおかれ、女性と猫は隅に追い
やられている。この構成がゆったり時間が流れる日常生活の感覚とピッタリ合
っている。

‘ミルク皿’で印象深いのが窓から差し込む強い光。置台の白い色面とピンクの
服を着た妻マルクの髪と顔、腕にあたる白い輪郭線で表現されている。色彩が
もっとクリアになっていると窓や椅子、テーブル、床の平板な描き方がマティ
スとよく似ていることに気づくかもしれない。ボナールも色彩の魔術師と呼ば
れた。

| | コメント (0)

2021.09.08

Anytime アート・パラダイス! ヴァロットン(2)

Img_20210908221201
   ‘怠惰’(1896年 三菱一号館美)

Img_0002_20210908221201
 ‘赤い服を着た女性のいる室内’(1903年 チューリヒ美)

Img_0001_20210908221201
   ‘訪問’(1899年 チューリヒ美)

Img_0005_20210908221201
    ‘ポーカー’(1902年 オルセー美)

Img_0003_20210908221401
  ‘引き裂かれるオルフェウス’(1914年 ジュネーヴ美歴博)

パリでロートレックのカラフルな石版画が流行していたころ、ヴァロットン
は大胆に黒を使った木版画を描いていた。三菱一号館美はこれらを数多く
所蔵しており、回顧展で披露された。お気に入りは‘怠惰’、裸の女が横たわり
体をのばした猫と戯れている。ベッドとクッションの幾何学模様が印象的で
惹きこまれる。ベッドが床のマットのようにもみえる平板な描き方が色はつ
いてないのにマティスの装飾的な室内画を連想させる。

コロナ禍で感染をしないためにもう1年半も巣ごもり生活が続いているが、
なんとか平常心を保てているのは名作映画をみているからかもしれない。
行きつけのブックオフで中古のDVDをみつけたりや新品のもの(森繁久彌
の‘社長シリーズ’)をどんどん買い込み、今は揃えたい映画はおおかた手に入
った。何度も同じ作品をみていたりすると、映画でよく採用されるシーンの
撮り方や狙いがだんだんわかってきた。そうすると、これまでの経験から
情報を多蓄積しているく絵画と映画の関連性もみえてくる。監督は絵コンテ
を描くのだから、絵画にも興味をもってないといい映画はつくれない。

映画へ注意がいっているときにヴァロットンの絵をみるとすごく魅力を感じ
る。妻のガブリエルがモデルの‘赤い服を着た後ろ姿の女性のいる室内’は映画
でよくでてくるカットのひとつ。のぞきみ趣味的な表現でもあるし、事件も
の映画で証拠をみつけるため刑事がドアの開いた部屋のなかを進んでいく緊
迫した場面のようにもみえる。また、‘訪問’も‘ポーカー’も映画のワンシーン
を思わせる描き方。ヴァロットンは男女の愛の物語、仲間内でするうちとけ
た遊びの様子を描いているが、その表現はあくまで冷静で隠された不安定な
心理状況や希薄な人間関係まで垣間見せてくれる。

‘引き裂かれるオルフェウス’は衝撃の一枚。モローやデルヴィルは狂女たちに
殺されたオルフェウスを竪琴を添えて綺麗な顔で描いているのに、ここでは
リアルすぎる八つ裂きの現場が目の前で行われている。石を投げつけられて
血がでる背中をさらに木で刺し爪で掻きむしっている。愛の高まりが叶えら
れないと一転して強い憎しみに変わる。哀れ!オルフェウス。

| | コメント (0)

2021.09.07

Anytime アート・パラダイス! ヴァロットン(1)

Img_20210907220901
    ‘ボール’(1899年 オルセー美)

Img_0002_20210907221001
    ‘化粧台の前のミシア’(1898年 オルセー美)

Img_0001_20210907221001
  ‘夕食、ランプの効果’(1899年 オルセー美)

Img_0004_20210907221001
  ‘白い砂浜 ヴァスイ’(1913年)

Img_0003_20210907221001
  ‘日没、ヴィレルヴィル’(1917年 チューリヒ美)

2014年、三菱一号館美で開催されたフェリックス・ヴァロットン
(1865~1925)の回顧展は予想外に刺激のある展覧会だった。
ヴァロットンは美しいレマン湖のほとりにひろがるローザンヌに生まれ
た。若い頃ジュネーブに住んでいたのでローザンヌはすごく馴染みがあ
る。ところが、当時は絵画とのつきあいはルーヴル、オルセーへ団体客
として入館しガイドブックに載っている名画を楽しむというレベルだっ
たので、ヴァロットンがこの街の出身など知る由もなかった。

回顧展は前年パリのグラン・パレでスタートし、アムステルダムでも開
かれ東京に巡回してきた。パリでは31万人が来場し、アムスでも大盛
況だった。これまでスポットが当たらなかったヴァロットンが突如話題
に画家になったというわけである。はじめてのオルセーで作品をみた
記憶はあるが、名前ははっきりとインプットされてない。なんとなく覚
えているのは‘ボール’、暑そうな夏の昼下がり、麦わら帽子を被った少女
が赤いボールを追っかけている。俯瞰の視点で後ろ姿の少女をとらえる
というのがユニーク。後ろの木々の影と女の子自身の影だけが目に焼き
ついている。左上には二人の大人の女性が小さく描かれている。この関係
はどうなっているの?ありふれた日常の光景なのにどこか謎めいている。

‘化粧台の前のミシア’も強い光を感じさえる作品。部屋のなかにいる女性
の顔と両手にはうすく影がつけ胸と白いテーブルを眩しいほどの光で照
らすことで日差しの強さを強調している。一瞬モネが使う光の表現が頭
をよぎる。これに対し‘夕食、ランプの効果’は部屋全体は真っ暗闇で黒
一色なのに丸い食卓はランプによって明るく描かれている。ここにいる
4人の描写はヒッチコックの映画を連想するような感じがしてちょっと
怖い。手前の黒いシルエットがヴァロットンで右が新妻。冷えた空気が
漂うのは人間関係が訳ありだから?

この画家の風景画は回顧展ではじめてお目にかかったが、‘白い砂浜、
ヴァスイ’に思わず足がとまった。これも‘ボール’のように高い視点から砂
浜を歩いている2人の男を後ろ姿でとらえている。砂浜の横の崖と野原は
一見すると抽象画のような描き方。こういう風景画は刺激される。
‘日没、ヴィレルヴィル’はチューリヒ美展(2014年 国立新美)に
出品されたものだが、息を呑んでみていた。すぐ思い出したのが小野竹喬
の晩年の傑作‘奥の細道句抄絵’。カラリスト竹喬とヴァロットンがモダン
感覚の風景画でコラボしていたとは!

| | コメント (0)

2021.09.06

Anytime アート・パラダイス! シャヴァンヌ(2)

Img_20210906220701
    ‘貧しき漁夫’(1881年 オルセー美)

Img_0005_20210906220701
   ‘聖ジュヌヴィエーヴ’(1898年 パンテオン)

Img_0001_20210906220701
    ‘瞑想’(1867年)

Img_0002_20210906220801
    ‘幻想’(1866年 大原美)

Img_0004_20210906220801
    ‘希望’(1872年 オルセー美)

美術館で絵画作品とむきあったときみた瞬間心を奪われるものがある一方
で、はじめはさほど惹かれなかったのにまたお目にかかった際は見方が変
わり、その絵の価値がわかることもよくおきる。シャヴァンヌの代表作‘貧
しき漁夫’は後者の一枚。これは人物の巧みな配置が印象に残る。音が聞こ
えない静謐な浜辺の光景が抑えられた色調で描かれているので、中央の小
舟に乗った漁夫に視線が集中する。後ろにいるのは娘と男の赤ん坊。ある
ときまで草花をつんでいる娘は漁夫の妻と思っていた。この絵をみるたび
にタイトル関連で小林桂樹と高峰秀子が聾唖者夫婦役で出演した映画‘名も
なく貧しく美しく’(1961年)を思い出す。

‘眠れるパリを見守る聖ジュヌヴィエーヴ’はパリのパンテオンに飾られて
いる連作壁画のひとつ。聖ジュヌヴィエーヴは5世紀ころの人でパリの
守護聖人。パンテオンはかつてこの聖人の聖堂と呼ばれていた。そのため、
聖人の生涯がシャヴァンヌやカバネルら一流の画家たちによって描かれて
いる。月を描き込むのはシャヴァンヌの得意技でその光がつくる影のなか
にすっと立ち、パリの街を静かにみつめる女性の姿が心に沁みる。

‘瞑想’と‘幻想’はある文筆家の邸宅を飾る4枚組の装飾壁画と同じ図柄で制作
されたもの。あと2つは‘歴史’と‘警戒’でそれぞれ擬人化して表現されている。
‘瞑想’は奥深い森のなか木々に囲まれて美形の女性が立っている。この瞑想
姿は古代ギリシャの彫像をみているよう。ぐっと引きこまれるのは身につけ
た白の衣裳がまばゆいほど輝いているから。‘幻想’は大原孫三郎が児玉虎次
郎を介して購入したもので1930年大原美が開館したとき披露された。
描かれているのは裸のニンフがペガサスを捕まえようと葡萄の蔓を投げてい
る場面。日本でこんないいシャヴァンヌがみれるのだからすばらしい。

可愛い女の子が登場する‘希望’はオルセーは改修中、日本で開かれた特別展
(2010年)に‘貧しき漁夫’と一緒に展示された。シャヴァンヌの絵はたく
さんの人物がいても女の子ひとりでもいつも静かなで淡々とした印象だが、
その豊かな抒情性のうちに秘められた象徴的な表現にスーラ、ルドン、ドニ
たちが嵌っていった。

| | コメント (0)

2021.09.05

Anytime アート・パラダイス! シャヴァンヌ(1)

Img_0001_20210905222201
 ‘諸芸術とミューズのいる聖なる森’(1884~89年 シカゴ美)

Img_0003_20210905222301
   ‘労働’(1867年 ワシントン・ナショナル・ギャラリー)

Img_0004_20210905222301
   ‘休息’(1867年 ワシントン・ナショナル・ギャラリー)

Img_20210905222301
    ‘夢’(1883年 オルセー美)

Img_0002_20210905222301
    ‘夏’(1873年 オルセー美)

イタリアのローマは楽しい思い出がいっぱいつまった街であるが、最大の喜
びはヴァチカン・システィーナ礼拝堂に描かれているミケランジェロの大壁
画とそこへたどりつく手前にあるヴァチカン宮殿の部屋を飾るラファエロの
‘アテネの学堂’などがみれたことである。タブローもいいが目の前に広がる
大きなフレスコ壁画をみるのは人生における最も幸せな瞬間かもしれない。

この最高の瞬間が味わえるのではないかと思っているのがフランスの
シャヴァンヌ(1824~1898)がパリのパンテオンやリヨン美などの
主要な建造物に手がけた記念碑的な壁画装飾の数々。アバウトな旅行計画だ
が、パリを再訪する機会があったらローマでカラヴァッジョとベルニーニを
追っかけたようにシャヴァンヌの壁画巡りを実現させようと思っている。

2014年、Bunkamuraと島根県美で日本ではじめてとなるシャヴ
ァンヌ展が開かれた。シャヴァンヌで誰だっけ?という美術ファンが多くい
るなかでよくぞこれだけの作品を世界の美術館から集めてきたなと感心させ
られる立派な回顧展だった。これだからBunkamura通いはやめられ
ない。真に企画力のある美術館である。‘諸芸術とミューズたちの集う聖なる
森’は理想郷の代名詞となったギリシャのアルカディアの牧歌的な情景を聖な
る森という場面にして美しいミューズたちと擬人化された諸芸術を登場させ
見事に描いている。これはリヨン美階段の壁画装飾を制作したあとその縮小
版をつくったもの。

‘労働’と‘休息’はパリの北の方向にあるアミアン・ピカルディ美の階段に描か
れている壁画の縮小作品で回顧展に出品された。2013年ワシントンに行
ったときこの2点ともう1点みた。アメリカではフィラデルフィア美で3点、
メトロポリタンで5点、こんなにシャヴァンヌがあるのだからこの画家の
人気の高さがうかがえる。

‘夢’は以前のオルセーの展示レイアウトだと1階のシャヴァンヌルームに飾ら
れており、‘夏’は玄関ホールにあり無料でみれた。現在はどこにおちついた
のだろうか。幻想的な‘夢’に大変魅了されている。月光の映える岸辺で旅人の
男が眠っている。空中を舞う3人の乙女が手にもっているのは左からバラの
花、月桂冠、金貨。それぞれ‘愛’、‘栄光’、‘富’を象徴している。さて、男に
どの徳をとるか、選択を迫っている場面が描かれている。

| | コメント (0)

2021.09.04

Anytime アート・パラダイス! ドニ(2)

Img_0004_20210904221401
  ‘木々の中の行列’(1893年 オルセー美)

Img_0002_20210904221401
   ‘四月’(1892年 クレラー=ミュラー美)

Img_0001_20210904221401
    ‘魅せられた人々’(1907年 ランス美)

Img_0003_20210904221501
    ‘ポリュフェモス’(1907年 プーシキン美)

Img_20210904221501
    ‘バッカス祭’(1920年 ア―ティゾン美)

絵画鑑賞のスタイルは人夫々で一人の画家にまっしぐらでほかの画家には興
味がないという人もいれば、もうすこし幅をもたせて名の知れた画家を中心
に貪欲に楽しんでいる人もいる。また、ブランド画家にはこだわらず作品の
出来映えに関心をよせ自分の好みにあえば知らない画家でも購入するといっ
たコレクターもいる。心を揺すぶる絵は世界中に数多くあるから、限られた
鑑賞体験だけにもとづいて画家の評価をしてしまうと好みの範囲が狭くなる
こともある。

海外の美術館をまわっていると、日本では縁がない画家が例えばヨーロッパ
では評価が高いことを知ったり、アメリカでは誰もが知っている人気の画家
に遭遇して元気がでるといったことを度々経験する。ドニはオルセーなど
自分の生まれたフランスの美術館に展示されているだけでなく、ロシアのエ
ルミタージュ、プーシキン、フィレンツェのウフィツィ、スイスのヴィンター
トゥール、オランダのクレラー=ミュラー、メトロポリタンにもあり、
2018年コペンハーゲンへ行ったときはニューカールスベア美でとても和む
家族の絵とお目にかかった。こうした有名な美術館のコレクションになってい
るのはドニの作品が高く評価されている証でもある。

オルセーにある‘木々の中の行列(緑の木立)’は何度もみているうちにお気に
入りの一枚になった。これはどうしても浮世絵を連想する。垂直に立つ高い
木々は広重の名所江戸百景に描かれた作品が何点もかぶってくる。前景と中、
後景で木の大きさを変えて奥行きをみせるのは広重とよく似た構図。また、
色数が緑、白、青と少ないのも浮世絵的な色彩表現である。‘四月’はゴッホ
以外では大きな収穫だった絵。この絵には時間という要素が入っている。大き
く曲がる道のそばで白の衣裳を着た女性たちが草花をつんでいる。異時同図の
手法で描かれたものをみているよう。同じ女性が向こうの方からだんだん手前
のほうに移動してきた感じ。

ドニの群像画はなかなかいい。‘魅せられた人々’、神話画の‘ポリュフェモス’、
‘バッカス祭’に共通するのは明るい色彩と描かれる人物を横に並ぶようにみせ
ていること。そのため、明るい画面のなかを視線を左右に振ればいいのでモチ
ーフがすっと目の中にとどまる。これは楽。ギリシャ神話を題材にした2点は
平板な表現に人物の動きを入れているのでは空間が横へ広がり、みてて楽しい。

| | コメント (0)

2021.09.03

Anytime アート・パラダイス! ドニ(1)

Img_0001_20210903221701
  ‘マレーヌ姫のメヌエット’(1891年 オルセー美)

Img_20210903221801
   ‘家族の肖像’(1902年)

Img_0002_20210903221801
   ‘内なる光’(1914年 ストラスブール美)

Img_0003_20210903221801
    ‘母子’(20古典絵画二世紀 マルモッタン美)

Img_0004_20210903221801
   ‘マリンボーダーの服を着たアコ’(20世紀)

はじめてオルセーに行ったときは気が張って館内ではずっと興奮状態だった。
事前につくった必見リストを手に1点でも見逃すまいと限られた時間をかけま
わる。だから、鑑賞の優先順位をどうしても付けざるをえない。印象派の
マネ、モネ、ルノワール、セザンヌ、ドガ、ロートレック、後期印象派のゴッ
ホ、ゴーギャン、新印象派のスーラ、まずこういう絵をおさえて、あとはアン
グル、シャヴァンヌ、モロー、ミレー、クールベもしっかりみる。これくら
いみると予定の鑑賞時間は残り少なくなる。ここで目に気合を入れ直して、
ルドン、アンリ・ルソーと対面。そして、最後はナビ派のコーナへと進む。

ナビ派は当時馴染みがなく創始者のモーリス・ドニ(1870~1943)
の平坦な色面と装飾的な表現が特徴の作品はそれほど心を打たなかった。
ところが、2011年損保ジャパン美であった回顧展で画風ががらっと
変わった現代版の聖母子像に遭遇し、ドニに対する評価がどんと上がった。
オルセーにある‘マレーヌ姫のメヌエット(ピアノの前のマルト)’のモデル
は妻のマルト。ピアノや衣裳に装飾性を出しているが、人物描写はオーソ
ドックスな三次元的な構成がみられる肖像画だからゆったり向きあえる。

‘家族の肖像’は本当に心が和む作品。ふっくらとした優しい顔立ちのお母さ
んマルトと可愛い3人の子ども。これ以上に幸せな家族の姿があるだろうか、
と思わせる一枚。これは回顧展のチラシに使われていた。これをみたら誰だ
って美術館に出かけたくなる。ドニがこんなすばらしい家族の絵を描いてい
たとは!おもしろいのは‘内なる光’、一見すると同じモデルを4人別々に配
置したのかと錯覚するさせられる。よくみると左でテーブルに手をおいてい
るのが母親?で、残りの3人は娘たちだろうか。

モネのコレクションで知られるマルモッタン美でお目にかかった‘母子’はこ
ちらをじっとみる裸の赤ちゃんが印象深い。まるでラファエロの聖母子像
をみているよう。ドニは1898年のイタリア旅行を契機に古典絵画に開眼
し、宗教画の復興や革新をめざしてフランス各地の教会壁画などを制作した。
赤ちゃん同様とてもいいのが愛息を描いた‘マリンボーダーの服を着たアコ’。

| | コメント (0)

2021.09.02

Anytime アート・パラダイス! ルドン(2)

Img_20210902221501     ‘長首の壺の草花’(1912年 オルセー美)

Img_0001_20210902221501     

‘グラン・ブーケ’(1901年 三菱一号館美)

Img_0004_20210902221601    

‘霊を宿す蝶’(1910~12年 デトロイト美)

Img_0003_20210902221601    ‘アリ・ルドンの肖像’(1897年 シカゴ美)

Img_0002_20210902221601   ‘ヴィオレット・エーマンの肖像’(1909年 クリーブランド美)

ルドンの静物画の多くは明るく鮮烈な色彩表現ができるパステルによって描
かれているため、みていると軽妙で浮き浮きするような感じになる。最も
魅了されているのはオルセーでみた‘長首の壺の草花’。これは亡くなる4年前
の作品で赤、黄色、青紫のきれいな色が並んだ花はパリ郊外にあった自分の
花畑からとってきたもの。親しみの沸く花だからつい長くみてしまう。

‘グラン・ブーケ(大きな花束)’は三菱一号館が所蔵する自慢の絵。1901
年に描かれたこの大作(縦2.48m、横1.63m)はある男爵の城館の食堂を飾
った装飾画のひとつでもっとも大きな絵。これをなんと三菱は手に入れてし
まった。流石というほかない。2018年にオルセーが所蔵するほかの15点
と一緒に披露されたときは息をのんでみていた。二度目の公開を待ち望んで
いる。

‘草花’も‘グラン・ブーケ’もパステル画だが、‘霊を宿す蝶’は油彩によって色彩
の輝きをみせている。ぱっとみると速水御舟の蛾が舞う作品を連想する。日本
人にとって蝶は白い羽をしたモンシロチョウが畑を飛びかう光景がすぐ思い浮
かび、やさしい蝶々のイメージができている。ところが、日本画にのめりこみ
御舟の絵をみてしまうと蛾と蝶が一緒になって、蝶の絵をみても神秘的な雰囲
気が漂うようになる。だから、象徴主義のルドンが蝶に霊的な感情を抱いたの
もよくわかる。

色彩の世界を大きく広げたモチーフはギリシャ神話、花、そして人物。ともに
パステルで描かれた次男のアリとヴィオレット・エーマンの肖像画に大変魅了
されている。使われている色は2点ともよく似ており、淡い色彩やかすれ、ぼか
しで描写された花々がアリと横向きの女性をそっと祝福している。

| | コメント (0)

2021.09.01

Anytime アート・パラダイス! ルドン(1)

Img_20210901221301
   ‘沼の花、悲しげな人間の顔’(1885年 岐阜県美)

Img_0001_20210901221301
   ‘蜘蛛’(1887年 岐阜県美)

Img_0002_20210901221301
  ‘キュクロプス’(1898~1900年 クレラー=ミュラー美)

Img_0005_20210901221301
 ‘勝ち誇るペガサス’(1905~07年 クレラー=ミュラー美)

Img_0004_20210901221301
    ‘閉じられた眼’(1890年 オルセー美)

画風が人生のある時期からがらっと変わる画家がときどきいる。フランス・
ボルドー生まれのルドン(1840~1916)の作品も戸惑うほどモチー
フや色彩が大きく変化した。そのきっかけは結婚。それまではギョッとする
生き物や怪物をモノクロークで幻想的に描いていた。小さい頃は内気で内向
的な子どもだったルドンが興味をひかれたのは顕微鏡の開発により微細にみ
れるようになった微生物や植物の姿。こうした関心の強さがもとになり‘ルド
ンの黒’の絵が生まれた。

たくさんある石版画集のなかで最も気に入っているのが‘ゴヤ頌 沼の花、
悲しげな人間の顔’。沼からでているさやえんどうのような花に白く輝く人間
の顔がくっついており、その光が下の水面に反射してゆらゆら映りこんでい
る。この白と黒のコントラストが悲しげな表情を浮き上がらせている。蜘蛛
が笑っている絵は意表をつかれる。黒の作品の多くが神秘的でグロテスクな
イメージを醸し出すので、こんなユーモラスな表現にでくわすと戸惑う。

オランダのクレラー=ミュラー美ではメインディッシュのゴッホで腹がいっ
ぱいになるのに、嬉しいオマケがいくつもついてくる。その一人がルドン、
事前につくった必見リストに載せていた‘キュクロプス’と‘勝ち誇るペガサス‘
は美術本に選ばれる主要作品。キュクロプスは親の手で地獄に落とされた
ギリシャ神話の怪物。一つ目だから見た瞬間腰が引けるが、山の向こうか
ら横たわるヴィーナスをみつめる目は意外にもおとなしくて優しい感じを与
える。これに対し、天馬ペガサスは緑の翼を大きく広げ悪の象徴であるキマ
イラ(竜)をやっつけ意気揚々と勝ち誇っている。赤の背景がペガサスの
英雄的な働きをいっそう強調している。

‘閉じられた眼’はルドン50歳のときの作品で10年前に結婚した妻カミーユ
がモデル。ここには崇高な静けさが漂っている。結婚によってルドンの絵は
それまでの怪奇なイメージから静謐で瞑想的な世界へと変わっていく。これ
は転換期となった作品。

| | コメント (0)

« 2021年8月 | トップページ | 2021年10月 »