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2021.02.28

美術館に乾杯! 東京芸術大学大学美術館 その一

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        狩野芳崖の‘悲母観音図’(重文 1888年)

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        橋本雅邦の‘白雲紅樹’(重文 1890年)

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     横山大観の‘村童観猿翁’(1893年)

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     下村観山の‘日蓮上人辻説法’(1894年)

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        菱田春草の‘寡婦と孤児’(1895年)

上野で明治以降に活躍した日本画家の作品を楽しむとしたら、東博の平常展
を欠かさずみてすぐ近くにある東芸大美のコレクション公開(春と秋)にも
足を運ぶと通になれることは請け合い。さらに東近美と山種にもまめに訪問
するともう完璧に日本画の上級コースをすすんでいることになる。

東芸大美でもっとも感激した絵はやはり狩野芳崖(1828~1888)の
最高傑作‘悲母観音図’。これまで運よく3回くらいみた。展示の間隔はアバ
ウトだが5年に一度くらいの感じだろうか、近代日本画がこの絵からはじま
ったという印象をもっているので、まだまだお目にかかりたい。
橋本雅邦(1835~1908)の‘白雲紅樹’も見事な山水画。落下する滝の
水の描写がものすごく心を打つ。

横山大観(1868~1958)の‘村童観猿翁’は東京美術学校の卒業制作。
猿回しの翁は師匠の橋本雅邦に見立て、村童は同期の11人の幼な顔を想像
して描いている。童子の首がやけに太いので岩佐又兵衛の描く女性を連想す
る。大観は又兵衛を意識した?菱田春草(1874~1911)の卒業制作
が‘寡婦と孤児’。雅邦は最優等に推したが、落第作だという者もおり最後は
岡倉天心によって首席とされた。

下村観山(1873~1930)が東京美術学校を卒業し助教授になったと
きに描かれたのが‘日蓮上人辻説法’。2年前の在学中に最初の辻説法を画題
にしており、これは別ヴァージョン。明るい色調が印象的で活気のある歴史
風俗画に仕上がっている。こういう群像表現は観山と前田青邨が群をぬいて
上手い。

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2021.02.27

美術館に乾杯! 国立西洋美術館 その四

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        コローの‘ナポリの浜の想い出’(1872年)

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        モローの‘牢獄のサロメ’(1876年)Img_0004_20210227220901
  ゴーギャンの‘海辺に立つブルターニュの少女たち’(1889年)

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     セガンティーニの‘羊の剪毛’(1884年)

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        ムンクの‘雪の中の労働者たち’(1910年)

回顧展に遭遇したことでその画家に対する評価がぐんと上がることがある。
そのエポック的な体験となったのが2008年、西洋美で開催されたコロー
(1796~1875)、2013年のカイユボット(ア―ティゾン美)、
2016年のメアリー・カサット(横浜美)。コローについては名前は知
ってはいたがのめりこむほど魅せられてはいなかった。でも、それは作品
に接した回数が少なかったからだと回顧展をみてわかった。

展覧会の目玉となった‘モルトフォンテーヌの想い出’やダ・ヴィンチのモナ
リザを彷彿とさせる‘真珠の女’(ともにルーヴル蔵)をパリではみた覚えが
なく、東京で感心しているのだからまったくズレた絵画鑑賞をしていたこ
とになる。人物入りの風景画‘ナポリの浜の想い出’もなかなかいい。

2年前、汐留美術館で回顧展が開かれたモロー(1826~1898)。
日本の美術館では大原、ア―ティゾン、横浜にもあり、西洋美が所蔵して
いるのはモローの代名詞ともなっているサロメ。この‘牢獄のサロメ’はヨハ
ネ斬首のヴァリエーションの1枚、左奥でヨハネの首が斬り落とされようと
している。

セガンティーニ(1858~1899)の‘羊の剪毛’やムンクの大きな絵‘雪
の中の労働者たち’にお目にかかれるのは嬉しいかぎり。大原にある‘アルプ
スの真昼’でセガンティーニの名前がインプットされ、とても気になる画家
になった。夢はスイスのサンモリッツにあるセガンティ-二美にでかけ‘生’、
‘自然’、‘死’の‘アルプス三部作’をみること。果たして、実現するだろうか。
ムンクは一足先にオスロで‘叫び’に対面し、長年の思いの丈を叶えた。この
ため労働者を描いた絵にも敏感に反応する。

西洋美が主催した印象派・ポスト印象派展で忘れられないのは1988年
にあった‘ジャポニスム展’、1994年の‘バーンズコレクション展’、そして
2009年の‘ゴーギャン展’。趣味はなんでも長く続けているとときどき信
じられないような出来事にぶちあたる。ゴーギャン(1848~1903)
の代表作、‘我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか’
(ボストン美)が日本でみれるのだから天にも昇る気持ち。‘海辺に立つブル
ターニュの少女たち’もしっかり主役をひきたてていた。

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2021.02.26

美術館に乾杯! 国立西洋美術館 その三

Img_20210226215801      ラ・トゥールの‘聖トマス’(1615~24年)

Img_0001_20210226215801   グエルチーノの‘ゴリアテの首を持つダヴィデ’(1650年頃)

Img_0003_20210226215801      レーニの‘ルクレティア’(1638年)

Img_0002_20210226215801     マンフレ―ディの‘キリストの捕縛’(1613~15年)

西洋美にしろ東京都美にしろ国立新美にしろ、ウフィツィやプラド、ルー
ヴル、エルミタージュ、ウィーン美術史美のコレクションを順繰りに取り上
げる特別展が開催されることが多く、西洋絵画におけるかなりの数の古典画
の傑作にお目にかかることができた。だが、ルネサンスの後に花開いたバロ
ック絵画に焦点をあてた大きな回顧展はなかなか実現しなかった。

この流れを変えたのが西洋美。21世紀に入りグローバルレベルの一級のバロ
ック展をたてつづけに開催した。
★ラ・トゥール展(2005年)
★グエルチーノ展(2015年)
★カラヴァッジョ展(2016年)
★ルーベンス展(2018年)

こういう展覧会に遭遇すると流石、西洋美という感じがする。海外のブランド
美のように誰もが知っていて人気の高い画家の作品を多く所蔵しているわけで
はないのに、特別展が行えるというのは西洋美にラ・トゥール(1593~
1652)の‘聖トマス’やグエルチーノ(1591~1666)の‘ゴリアテの
首を持つダヴィデ’があるということも大きな強みとなっている。

2016年の展覧会シーンで話題を独占したカラヴァッジョ展に出品された
カラヴァッジェスキのマンフレーディ(1582~1622)の‘キリストの
捕縛’も西洋美の所蔵。平常展に展示されているときとは違ってカラヴァッジョ
の傑作と一緒に飾られるとみちがえるような輝きを放つ。これが回顧展のマジ
ック。同じことがグエルチーノ展に登場したレーニ(1575~1642)の
‘ルクレティア’にもいえる。こんないい絵が平常展に飾ってあった?!となる。

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2021.02.25

美術館に乾杯! 国立西洋美術館 その二

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      モネの‘睡蓮’(1916年)

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  ルノワールの‘アルジェリア風のパリの女たち’(1872年)

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        マネの‘ブラン氏の肖像’(1879年)

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     シニャックの‘サン=トロペの港’(1901年)

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       スーチンの‘狂女’(1920年)

西洋美にある西洋絵画でもっとも有名なのはモネ(1840~1926)の
絵。‘睡蓮’をはじめとして‘ポプラ並木、夏’、`セーヌ河の朝、雨’、‘舟遊び’な
ど一級のモネがずらっと揃っている。このうち‘ポプラ並木’と‘セーヌ河’は
1990年ロンドンのロイヤルアカデミーで開催されたモネの連作にスポッ
トあてた大回顧展に出品された。

入館が3時間待ちとなるほどの大盛況だったが、日本の美術館からもこの2
点を含めて6点展示されていたのでびっくりした。モネのコレクションで名
高いオルセー、メトロポリタン、ボストン、シカゴなどと一緒に西洋美蔵が
ならんでいるのだからちょっと誇らしい気持ちになった。

ドラクロアの絵を彷彿とさせるルノワール(1841~1919)の‘アル
ジェリア風のパリの女たち’も目に焼きついている。ここをはじめて訪問と
きはア―ティゾン同様、印象派の作品の質の高さに感激した。日本でこん
な大きなルノワールがみれるとは。流石、松方コレクションである。
マネ(1832~1883)の‘ブラン氏の肖像’も立派な肖像画。ところが、
女性の肖像ばかりに心が寄っていたのでファーストステージでは印象が薄い。
ところが、いつもの鑑賞パターンだが肖像画をみる回数が増えるとともに
この絵の価値がぐんと上がってきた。

日本にあるシニャック(1863~1935)でベストワンは‘サン=トロペ
の港’かもしれない。絵のサイズが大きいのと点描の色の輝きと巧みな構図で
とらえた活気のある港の光景が目を楽しませてくれる。スーチン(1893
~1943)の‘狂女’も忘れられない絵。スーチンはお目にかかる機会が少な
いので、西洋美でこの絵に遭遇したのはひとつの‘事件’がおこったようなもの。

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2021.02.24

美術館に乾杯! 国立西洋美術館 その一

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     クールベの‘波’(1870年)

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         ミレーの‘春’(1865年)

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     ロセッティの‘愛の杯’(1867年)

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        ミレイの‘あひるの子’(1889年)

昨年、新コロナ感染がちょっと落ち着いたとき西洋美のロンドンナショナル
ギャラリー展をみてきた。ナショナルギャラリーの傑作コレクションがやっ
と世界の美術館で公開されることになり、そのスタートが日本に決まったの
にタイミングは最悪だった。でも、だいぶ遅れたが開幕にこぎつけたので
なんとか恰好はついた。目玉のゴッホの‘ひまわり’やレンブラントの自画像
など名画がずらっと並ぶと、絵画の力はつくづく凄いなと思う。

同時に、作品を展示する場となる美術館についてもあらためてその存在の大
きさを認識する。パリのルーブル&オルセー、あるいはナショナルギャラリ
ーにあたるのが西洋美。ここへは数えきれないほどきているが、企画展をみ
たあとはほかへのまわる都合があるので平常展をみてまわる余裕がない。
またでかけるようになれば松方コレクションを存分に楽しむことにしている。

クールベ(1819~1877)をはじめてみたのは西洋美と大原にある波
の絵とア―ティゾンが所蔵する雪の鹿を描いたもの。西洋絵画への道はクー
ルベやモネによって開かれたといっていい。だから、この‘波’は感慨深い。
ミレーというとまず思い浮かぶのは山梨県美にある‘種まく人’。‘春(ダフニ
スとクロエ)’はミレーに再度感激した作品。びっくりしたのは画面の大きさ、
縦2.4m、横1.3m。これは美術館の宝のひとつ。

日本の美術館でラファエロ前派の絵に接することができるのはごく限られて
いる。ロセッティ(1828~1882)の‘愛の杯’は一瞬、ロンドンのテー
トブリテンにいるような気にさせてくれる作品。この絵の前ではいつもうっ
とりながめている。ミレイ(1829~1896)の‘あひるの子’は子ども画
の傑作。

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2021.02.23

美術館に乾杯! 日光東照宮

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     国宝 日光東照宮 陽明門(1636年)

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     陽明門の牡丹彫刻

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     神厩・欄間の彫刻 三猿

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     東廻廊の彫刻 眠猫

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     本地堂内陣天井の鳴龍

美術の教科書に登場するお寺、神社などの建築物は一度はみておきたいもの。
そのなかで絢爛豪華な黄金の輝きに圧倒されるものは一生目に焼きつく。
西では京都の金閣寺がその筆頭であり、東だと日光東照宮。東洋のバロック
建築と呼ばれる東照宮へは3回でかけた。ディズニーランドの熱狂的なファ
ンなら年間のうちかなりの日数を園内のアトラクションで楽しむのだろうが、
日光が1時間くらいで到着するのなら東照宮でも同じような行動をとるかも
しれない。

終日ながめていても飽きないため‘日暮門’とも呼ばれる‘陽明門’はありとあら
ゆる彫刻装飾で覆い尽くされている。獅子、莫、龍の彫物、組物の間や花頭
窓の羽目板などにパネル状に組み込まれた仙人像、牡丹などの植物、雲が漆
や胡粉、鮮やかな色によって塗り立てられている。全国から集められた最高
レベルの技をもった職人たち、大量に投入された木材、顔料、漆、、
徳川幕府の権力、財力をこれでもかとみせつけられる。ここでは政治と美術
が密接につながっている。

東照宮へ来たら見逃せない彫刻が二つある。欄間に彫刻された三猿、‘見ざる、
聞かざる、言わざる’のユーロラスな姿は都合が悪くなったらこれがすぐ頭に
浮かぶほど日本人にとってはリスク回避の常套手段になっている。もうひと
つ有名なのが眠猫。名匠、左甚五郎の作といわれている。目を閉じる猫とい
うのがおもしろい。

陽明門の左手にある本地堂の内陣天井に描かれた雲なしの龍。頭の下で拍手
をすると龍が鳴いているような金鈴の音が響きわたるので‘鳴龍’と呼ばれてい
る。最初に和尚さんが完璧な拍手で手本をみせてくれるから、それに続いて
2回はやってみる。びんびん響くので調子に乗ってさらに2回。楽しい思い
出である。    

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2021.02.22

美術館に乾杯! 三内丸山遺跡

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     復元された6本の巨大列柱と大形竪穴住居(縄文時代)

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     ‘板状土偶’(重文 前3000~2000年)

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       ‘土器’

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       ‘硬玉(ヒスイ)の大珠’

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       ‘縄文ポシェット’

1994年に発見され大きな話題になった三内丸山遺跡には関心を寄せてい
たが、青森からシャガールが巨大な舞台装飾画を見に来いと呼んでくれた
だけでなく瓢箪から駒がでるようにビッグなオマケまでつけてくれた。
青森県美のすぐ近くという申し分のない所に5000年前の縄文遺跡がある
のだから、野球でいうと豪華なダブルヘッターをみるようなもの。

遺跡で目を釘づけにするのが直径1mのクリの巨木を使った6本柱。高さは
15m、大型の高床建物という説や望楼、見張り台、柱を建て祭りを行った
というトーテム・ポール説などが議論されている。大形の竪穴住居は長さ
32m、幅10m。共同作業場とか集会所、冬の共同家屋が考えられている。

出土した土偶の数は1600点にのぼる。その板状土偶のなかに壊れないで
すべてが残っているいるものがあり、叫び顔を思わせるので‘叫ぶ土偶’と呼
ばれている。つくられたのは縄文時代中期の前3000年~前2000年の
頃。土器の形は三内丸山が栄えた縄文時代中期には前期に比べてだいぶ意匠
が装飾的になっている。

遺跡からは硬玉(ヒスイ)、黒曜石など産地が遠くにあるものが出土されて
おり、既に広範囲に交易が行われていたことを物語っている。ヒスイは新潟
県の糸魚川付近から運ばれてきたもの。そして、目が点になるのがおしゃれ
アイテムのポシェット。イグサ科の植物で織られていて、なかには半分に割
れたクルミが入っていた。


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2021.02.21

美術館に乾杯! 青森県立美術館

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     シャガールの‘月光のアレコとゼンフィラ’(1942年)

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     シャガールの‘カーニヴァル’(1942年)

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   シャガールの‘サンクトペテルブルクの幻想’(1942年)

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      奈良美智の‘あおもり犬’(2006年)

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          棟方志功の‘御吉祥大辨財天御妃尊像図’(1966年)

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         工藤甲人の‘夢と覚醒’(1971年)

青森県美は2006年7月に開館した。これを記念して開催されたのが
シャガール展。なんとこの美術館はシャガール(1887~1985年)がア
メリカに亡命しているときに描いたバレエ‘アレコ’の背景画の3点を所蔵して
いるのである。フィラデルフィア美にあるもう1点も一緒に展示するという大
イベントが繰り広げられることになった。これは見逃せない。9月、東北自動
車道を走り青森をめざした。

この舞台装飾画は高さ9m、幅15mの大画面、‘月光のアレコとゼンフィ
ラ’(1幕)、‘カーニヴァル’(2幕)、‘ある夏の午後の麦畑’(3幕)、‘サンク
トペテルブルクの幻想’(4幕)。青森でこんなすばらしいシャガールがみれる
とは!日本は本当に美術大国、いつか国立新美に飾ってくれないかと心から願
っている。

ここではサプライズがまだあった。弘前出身の奈良美智(1959~)の立体
作品‘あおもり犬’が屋外トレンチに設置されていた。ディズニーのアニメにでて
くる犬のように愛嬌があり、ずうたいも高さ8.5mと超特サイズだから見る
者は大きく癒され心配事がふっとんでいきそう。棟方志功(1903~
1975)の弁財天を描いた肉筆画にも大感激。これまでみた志功の仏画では
これがNO.1。やはり地元にはいいのがある。

青森県出身の工藤甲人(1915~2011)の‘夢と覚醒’は以前から目をつけ
ていた作品。シャガール展のおかげで対面が実現した。これは‘昭和の日本画
100選’(1989年、朝日新聞社主催)に選ばれており、画家の代表作。
ぱっとみてすぐ浮かぶ西洋の画家がいる。シュルレアリストの元祖ボスとマッ
クス・エルンスト。枯木のほこらにいる半身の女性はボスの‘快楽の園’を連想
させる。枯木のインパクトのあるフォルムに視線が集中するが、その上をみる
と蝶々が2羽飛んでいる。このあたりは日本画伝統の花鳥画のアレンジ。

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2021.02.20

美術館に乾杯! 棟方志功記念館

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       ‘花矢の柵’(1961年)

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      ‘’華狩頌’(1954年)

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     ‘宇宙頌 東西の柵’(1953年)

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     ‘門世の柵’(1968年)

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     ‘御鷹図’(1963年)

旅行に出かけるきっかけはいろいろあるが、‘思い立ったが吉日!’ということ
が作用して遠くまで行くことがある。2006年クルマで青森をめざしたと
きはこの気分だった。お陰で本州の一番北にある青森の県立美、棟方志功
記念館、三内丸山遺跡を訪問することができた。青森市生まれの棟方志功
(1903~1975)の板画に魅了され続けている。最近は回顧展に遭遇
しないが、棟方の情報が入ってくれば首都圏なら足を運ぶことは200%決
めている。

これまで棟方の版画を楽しんだのは日本民藝館、倉敷の大原美、鎌倉の棟方
板画館(現在は閉館)、そして青森の記念館。たびたび行われる回顧展に縁
があったので竹久夢二同様、図録の数が断トツに多い。版画という性質上同
じ作品をこれらの美術館が所蔵していることがあるが、そのほかにそこの館
にしかないものがある。背景の黄色によって黒で描かれた馬や人物が浮き上
がっている‘花矢の柵’は記念館でしかみれないもの。県庁舎玄関の上を飾って
いる壁画の原画で縦2.5m、横7.1mの大きな木版。本家の棟方館だから、いい
絵がある。モノクロの‘華狩頌’といっしょにみると馬の躍動感に感動する。

ボディペインティングというのは前衛芸術ではよくみられる手法。これを
連想させる‘宇宙頌’も女性の体の力をぐんと感じさせる作品。画面の上下に体
を密着させて飛んでいる二人の女性は白い顔に青や赤の模様をつけて楽しん
でいる。こういうのに外国人コレクターはとびつく。歌麿の大首絵のような
色香をふりまいているのが‘門世の柵’。色白の肌、大きな目、真っ赤なほっぺ、
棟方のヴィーナスに乾杯!

志功が好んで描いた生き物が鷹や鯉、岩にとまった鷹の横からみた姿はざざ
っと描いているのに猛禽類の鋭い嘴や足の爪の感じがよく伝わってくる。
モチーフをリアルに描写しないからこそ動きやパワーを表現することができ
る。これが絵画のもっている大きな力。

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2021.02.19

美術館に乾杯! 中尊寺 瑞巌寺

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      中尊寺 金色堂新覆堂 

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         金色堂全景

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      国宝 金色堂(1124年)

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     国宝 瑞巌寺本堂(1609年)

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     本堂 孔雀の間

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     本堂 上段の間

東北観光の名所として一度は行っておきたいところはやはり岩手県平泉の
中尊寺。今はコロナ感染の影響で人出は少ないだろうが、通常の状態に戻っ
たら金色堂は大勢の観光客であふれかえるにちがいない。岩手県は盛岡や
釜石などはまだ縁がなく中尊寺と花巻しか訪問してないので中尊寺は特別な
思い出であり続けている。

駐車場から金色堂まではなだらかな傾斜の砂利道を500m?くらい登っ
ていったような記憶がある。金色堂は一辺5.5mの小堂。中央檀には阿
弥陀如来坐像、観音・勢至菩薩、六地蔵、持国・増長天王が安置されており、
この檀中には藤原清衡の遺体が納められている。この仏像群は京都や奈良で
お馴染みのものなのでとくに体が熱くなることはない。

感激の極みは須弥壇や周囲の柱に施された飾り金具や螺鈿細工や漆の蒔絵の
数々。燦然と輝く装飾工芸を一度見てしまうとこれが基準になりほかの螺鈿
などがみれなくなる。奥州藤原文化は黄金の輝きに彩られていた。本当に
スゴイ!

宮城県は仙台には行くことはいったが伊達政宗の銅像をみただけなので、
観光スポットの思い出は松島の遊覧と瑞巌寺のふたつだけ。でも、宮島、
天橋立と一緒に語られる松島を訪問できたのは生涯の喜びである。中尊寺が
みちのくに生まれた平安文化のシンボルなら、瑞巌寺には桃山文化の粋が集
まっている。本堂の孔雀の間や上段の間に金碧で描かれた障壁画には度肝を
抜かれた。まるで京都の寺や神社をまわっているよう。

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2021.02.18

美術館に乾杯! 羽黒山五重塔 山寺 蔵王御釜

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Img_20210218224301          国宝‘羽黒山五重塔’(1368~75年)

Img_0002_20210218224301       山寺 納経堂、開山堂、五大堂(左より)

Img_0001_20210218224301      火口湖 蔵王御釜

東北でもっとも充実した旅だったのが山形県。米沢で念願の狩野永徳の
‘洛中洛外図(上杉本)’をみたあと山形に移動して西洋絵画や与謝蕪村の絵
などを堪能。そして、次に目指したのが出羽三山のひとつ羽黒山にある
五重塔(国宝)。合祭殿のある山頂の麓にあり杉木立のなかにドーンと建
っている。創建は承平年間(931~938)平将門の建立と伝わってい
るが、現在の塔は応安年間(1368~75)の再建によるもの。杮葺き
の屋根が重なる塔の高さは29m。それまでみた五重塔で感動の大きさが
断トツなのが東寺、醍醐寺にあるもの。これに羽黒山の五重塔が加わった。
生涯の思い出である。

天童市から南へ10㎞くらい下ったところにある山寺(宝珠山立石寺)で
は忘れられない‘事件’がおきた。山門をくぐって奥の院まで石段を登って
いったのであるが、途中で息が切れて一休みしなければ進めなくなった。
特段傾斜がきつい石段ではなく通常ならなんてことはないのに、なぜ
かフーフーいっている。旅行のあと病院で検査するとバセドー氏病にかか
っていた!汗をたくさんかき脈拍が高かったのはこのためだった。医師か
らは‘これほど脈拍が高いと山寺の石段はきつかったでしょう?’と同情され
た。山寺で印象深いのは舞台式御堂である五大堂からのすばらしい眺め。
そして、山寺とセットになって記憶に刻まれているのが芭蕉の名句‘閑さや
岩にしみ入る蝉の音’。芭蕉像と句碑をすばらくみていた。

蔵王のシンボル‘御釜’も絶景だった。心に沁みるのが火口湖の乳白色のま
じったコバルトブルーの水。蔵王温泉の旅館で夕食にでた米沢牛を美味し
くいただきながら、御釜の美しさを語りつくした。

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2021.02.17

美術館に乾杯! 山形美術館 その三

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    与謝蕪村の‘奥の細道図屏風’(重文 1779年)

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         長澤芦雪の‘富士見西行図’(18世紀)

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         高橋由一の‘鮭’(1887年頃)

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     小松均の‘最上川源流’(1970年)

山形美の建物についての記憶はほとんど消えているが、日本画コレクション
は地下の展示室に飾ってあったことは覚えている。忘れられないのが
与謝蕪村(1716~1783)の‘奥の細道図屏風’。芭蕉の‘奥の細道’の
全文が書かれ、それに挿絵9図が添えられている。蕪村はこの紀行文をもと
に10点くらい描いているが大部分は京博にあるような巻物、ここで屏風仕
立てのヴァージョンがみれたのは大きな収穫だった。

長澤芦雪(1754~1799)が気になる絵師である一番の理由は
その画面のつくり方。モチーフの表現に動きがあり意表を突く画面構成には
特別のものがある。‘富士見西行図’にもその特徴がみてとれる。超縦長の掛け
軸に描かれているのは富士山。それを西行がひっくり返らんばかりに反り返
ってみている。横の画面の富士ならこんな人物描写はないのに、富士の雄大
さを強調するために頭を思いっきり上に向けている。描きたい塊が心のなか
にありそれを的確に表現するために描き方を工夫する。誰れにでもできる
芸当ではない。

美術の教科書に必ず載っている高橋由一(1828~1894)の‘鮭’。
重文に指定されているのは東芸大美にあり定期的に見る機会がある。ところ
が、もう3つある別ヴァージョンは回顧展が開催されたときくらいしかお目
にかかれない。その一枚が山形美にある。これをみたのがきっかけで鮭は全部
で4点あることを知った。そして、2012年の回顧展(東芸大美)で鮭シリ
ーズを堪能した。

尾花沢市の近くに位置する大石田町に生まれた小松均(1902~1989)
の代表作‘最上川源流’も美術館のお宝かもしれない。この絵は‘昭和の日本画
100選’に選ばれており、対面を願っていた。3面(各縦94㎝、横370㎝)
を使って深い抒情性をたたえた最上川が描かれている。これをみたら最上川
下り観光がしたくなる。

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2021.02.16

美術館に乾杯! 山形美術館 その二

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   セザンヌの‘サンタンリ村から見たマルセイユ湾’(1879年)

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     ミロの‘シウラナ村’(1917年)

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        シャガールの‘パイプを持つ男’(1910年)

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        キスリングの‘ジョゼット’(1934年)

海外旅行を再開するタイミングが一体いつになるのか、コロナ感染の収束が
読めないので難しい予想になるが漠然とではあるが来年後半くらいからとい
う気がしている。その時期はまだだいぶ先だが、美術館巡り計画を練り直す
にあたり、今は必見絵画のリストアップと順番付けを少しずつ行っている。

その作業をうまくやるために必要なのが画家の美術本やこれまで体験した
回顧展などの図録。2012年国立新美で開催されたセザンヌ(1839~
1906)の回顧展の図録をぱらぱらみていたら、山形美が所蔵する‘サン
タンリ村から見たマルセイユ湾’が目に飛び込んできた。徐々に当時の展示状
況が浮かんでくる。メトロポリタンやオルセーなどから出品された風景画と
いっしょになってセザンヌの世界をつくっているのだから、日本のコレクタ
ーもやるじゃないかという感じ。

ミロ(1893~1983)の‘シウラナ村’はシュルレアリスムに突き進み
少し前の風景画。一見するとフォーヴィスム流の色彩が強い磁力を放ってい
るが具象性を残している家々や山のフォルムが視線を安定させてくれる。
全体が骨太のイメージだが、これをちょっと繊細な線の流れにすると初期の
カンディンスキーと重なってくる。

シャガール(1887~1985)の‘パイプを持つ男’はハッとさせられる絵。
男の顔と髪の毛は赤紫にして首まわりは赤いスカーフか衣服を連想させる。
どうしてもここに視線が集中るため手に持っているパイプの存在感が弱くな
る。人物描写にとって顔の表現が一番の肝だということがよくわかる。この
絵では異色の色使いだが、顔が鼻と口の間でカットされ頭と目の部分が宙を
舞っているように描かれているものもある。

藤田嗣治とも仲が良くモンパルナスの人気者だったキスリング(1891~
1953)、ここにはチャイナドレスを着ている娘と勝手に思わせる‘ジョゼ
ット’とアングルの浴女を意識した‘背中を向けた裸婦’がある。これまで2度
回顧展を体験したが、日本の美術館には予想を上回る数のキスリングがある
ことが判明した。

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2021.02.15

美術館に乾杯! 山形美術館 その一

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     クールベの‘ジョーの肖像’(1872年)

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        マネの‘イザベル・ルモニエ嬢の肖像’(1879年)

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     ルノワールの‘幼年期’(1891年)

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     モネの‘睡蓮’(1906年)

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     シスレーの‘モレ=シュル=ロアン’(1888年)

山形県は東北6県のなかで唯一県立の名前がついた美術館がない。県庁所在
地の山形市にあるのは山形美術館。でも、びっくりするほど質の高い西洋絵
画が揃っている。名画はあるところにはある。美術館を訪問してわかったの
だが、これらは吉野石膏(株)のコレクションが寄託されたものだった。

クールベ(1819~1877)の‘ジョーの肖像 美しいアイルランド女性’
は思い入れの強い作品。2007年の秋、パリのグランパレで開かれた
大クールベ展に運よく巡り合わせ、この絵の別ヴァージョン2点(メトロポ
リタン美とスコットランド国立美)に遭遇した。3点ある絵のひとつが日本
の山形にあるのだからたいしたもの。

さらにいい肖像画が続く。マネ(1823~1883)の‘イザベル・ルモニ
エ嬢の肖像’とルノワール(1841~1919)の‘幼年期’。国内の美術館
でみられるマネの油彩でお気に入りは東京富士美にある‘散歩’とここにある
イザベル嬢。そして、‘幼年期’に描かれた可愛い女の子にも和む。ルノワール
はもう一点あるが、こちらの軍配が上がる。

山形美のモネ(1840~1926)は‘ヴェルノンの教会の眺め’と連作‘睡蓮’
シリーズの一枚。モネの睡蓮はどこの美術館もこぞって集めたので海外の美術
館が所蔵している作品をもってこなくても立派な睡蓮展が実施できる。ここ
にある睡蓮と同じよう構成で心を打つのをざっとあげてみると、ポーラ、大原、
MOA,ア―ティゾン、アサヒビール 東京富士、、すばらしい!

シスレー(1839~1899)の風景画はモネと較べるとヴァリエーション
が少ないので、何度もみているとちょっと飽きてくることがある。そのため、
ぐっとくるものついては深く印象に残る。ここには2点あるが、‘モレ=シュル
=ロアン’に魅了されている。絵の良さというのは作品が数多く並ぶと確認で
きる。2013年、東京富士美で行われた印象派展に内外の美術館から集結し
たシスレー、ピサロのなかでこの絵は輝いていた。

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2021.02.14

美術館に乾杯! 米沢市上杉博物館

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Img_0001_20210214223101      狩野永徳の国宝‘洛中洛外図屏風(上杉本)’(16世紀後半)

Img_0004_20210214223101      ‘祇園会 山鉾巡行’

Img_0005_20210214223201      ‘歳末の風景’

Img_0003_20210214223201     

 ‘鶏合せ’

Img_0002_20210214223201      ‘北野天満宮の梅’

日本絵画に親しむようになるとこの絵とあの絵はなんとしてもみておきたい
という思いがだんだんたまっていく。その一つが狩野永徳(1543~
1590)が描いた‘洛中洛外図屏風(上杉本)’。でも、これを所蔵してい
るのは山形県米沢市の上杉博物館。米沢は福島市と緯度的には同じところに
あるが、やはり遠い。だから、意を決していくでかけるにはきっかけが必要。
博物館のHPをみると特別公開の日時がでていた。こうなるともう行くしか
ない。

上杉本をみたのはこのときと2013年東博で開催された‘洛中洛外図と障壁
画の美’の2回。上杉博では時間がたっぷりあったので腰をすえて屏風の隅か
ら隅までじっくりみた。もちろん単眼鏡のお世話になったことはいうまでも
ない。京の都の街なみが俯瞰の視点から六曲一双の屏風にどどーっと描かれ、
ここに住む人々の日常生活のひとこまを手抜き無しで事細かくみせてくれる。
風俗画は文字ベースの歴史の知識を立体化し身近に感じさせてくれる貴重な
情報媒体。だから、夢中でみてしまう。

どの洛中洛外図でもハイライトのシーンとして‘祗園祭りの山鉾巡行’が
でてくる。本物の祗園まつりにまだお目にかかってない。この年中行事を楽
しめるのはいつになるだろうか、生き物がでてくる場面で引き寄せられるの
は有力武士の屋敷の前で行われている‘鶏合せ(闘鶏)’。竹内栖鳳が軍鶏を
描いたのはこういうのをみたのだろうか。‘歳末の風景’では琵琶法師が犬に吠
えられている。じつにおもしろい。

今も昔も四季折々の草花をめでるのは変わりない。春には‘北野天満宮の梅’に
心をときめかし、秋になると嵐山の紅葉狩りで渡月橋を渡る。こうしたハレ
の体験と日常の楽ではない仕事。武士も町衆も農民も京の街を舞台にそれぞ
れの幸せをもとめて生きていく。想像がいろいろ膨らむ洛中洛外図、その
最高傑作を米沢でみれたことは生涯の思い出である。

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2021.02.13

美術館に乾杯! 諸橋近代美術館

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Img_0001_20210213223001      ダリの‘ビキニの3つのスフィンクス’(1947年)

Img_0003_20210213223001      ‘ダンス’(1957年)

Img_20210213223001      ‘アン・ウッドワードの肖像’(1953年)

Img_0005_20210213223001          ‘時間のプロフィール’(1977~84年)

Img_0004_20210213223001       ‘回顧的女性胸像’(1977年)

裏磐梯の五色沼近くにある諸橋近美はダリ(1904~1989)のファン
なら一度は訪問したい美術館かもしれない。東北への旅はあまり多くないた
め、方向感覚が定まらずどのルートでクルマを走らせ到着したかよく覚えて
いない。手元にある館の図録で記憶をたぐりよせると美術館というよりは豪
華なホテルのイメージが蘇ってくる。

ダリの絵画が400点、彫刻が40点くらい所蔵しているから堂々たるダリ
専門の美術館。ピカソ同様、人気の高いダリのシュールな作品はコレクター
は前のめりで手に入れたがる。アメリカのセント・ピータースバーグ(フロ
リダ州)にはサルバドール・ダリ美があり、パリのモンマルトルの丘にも
小さなダリ美が建っている。そして、本家フィゲラスの劇場美と諸橋美。

諸橋のダリで最も惹かれているのは‘ビキニの3つのスフィンクス’。手前と
一番向こうのスフィンクスは女性の肩から上の後ろ姿。手前の女性の白い髪
をよくるとアインシュタインの黒のシルエットがダブルイメージで登場する。
女性の間にあるのは大きな木のイメージ、右の緑の部分をじっとみていると
大きなおでこと鼻が印象的なフロイトの顔がみえる。

この絵と地平線の描写が似ている‘アン・ウッドワードの肖像’で描かれて
いるのはアメリカの上流階級の女性。一見ハリウッドの女優かとみまがう
美貌の持ち主なのでちょっと緊張する。腰に巻かれた青いベルトと海の青の
面が重なっているのがダリ流のシュルレアリスム。

全開したダリのシュール精神が皮膚に突き刺さってくるのが‘ダンス(ロック
ンロールの七つの芸術)’と彫刻作品の‘時間のプロフィール’と‘回顧的女性胸
像’。病的に痩せた男女が狂ったようにダンスをし、顔に蟻をたくさん遊ばせ
ている裸婦は頭にバケットをのせ肩からトウモロコシをたらしている。意表を
突く組み合わせにより頭がパンクしそう。そのため、時間が酔っぱらいのよ
うに体をくねくねさせて異常な進み方をしている。

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2021.02.12

美術館に乾杯! 福島県立美術館 その三

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     関根正二の‘姉弟’(1918年)

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     関根正二の‘神の祈り’(1918年)

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     岸田劉生の‘静物’(1918年)

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     村山槐多の‘庭園の少女’(1914年)

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     松本竣介の‘駅’(1942年)

はじめて福島県美へ行ったとき白河に生まれた関根正二(1899~1919)
の絵が‘自画像’や‘風景’など7点展示されていた。だが、関根の主要作品として
必ず美術本に載っている‘姉弟’と‘神の祈り’はお休み中だった。そして、そのあと
何かの企画展でお目にかかった。2019年の秋から2020年の2~3月に
かけて、福島県美、三重県美、神奈川県近美で待望の‘関根正二展’が開催された。

ところが、コロナ感染がおきたため神奈川県近美は1ヶ月弱で中止になった。
出かける予定だったので大ショック。で、欲しかった図録を後で手に入れるこ
とで気持ちを落ち着かせた。図録をみると福島県美からの出品がじつに13点
もあった。バーミリアン(朱色)で知られる関根の絵は洋画のなかでは強い輝
きを放っている。だから、関根のコレクションはこの美術館にとってはお宝中
の宝にちがいない。

岸田劉生(1891~1929)の‘静物(白き花瓶と台皿と林檎四個)’は2年
前東京ステーションギャラリーでお目にかかった。麗子像のみならず静物画に
も200%参っているので、この林檎と白の陶器も息を呑んでみていた。もっ
とも魅了されている静物は‘土瓶とシュスの布と林檎’だが、これはそれに次ぐ
出来映えと直感した。大収穫である。

関根、岸田のほかに村山槐多(1896~1919)の‘庭園の少女’と松本竣介
(1912~1948)の‘駅’も揃っているのだからすばらしい。もし青木繁
(1882~1911)があればいうことなしだが、このピースは欠けている。
この5人は皆ヨーロッパへ留学していない。でも、彼らは短い画業人生におい
て絵画史に残るスゴイ絵を描いた。

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2021.02.11

美術館に乾杯! 福島県立美術館 その二

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     速水御舟の‘女二題 其一 其二’(1931年)

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     小茂田青樹の‘農婦’(1914年)

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     安田靫彦の‘茶室’(1962年)

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     山本丘人の‘月夜の噴煙’(1962年)

日本画の展覧会に出かけたとき作品を所蔵する美術館のなかに地方の公立や
私立の美術館をみつけることがよくある。例えば、島根県の足立美は大観な
どビッグネームの作品をびっくりするほど多く揃えている。また、滋賀県美
には小倉遊亀がずらずらっと並ぶ。東日本では長野市の東山魁夷や飯田市の
菱田春草。そして、茨城県近美にも福島県美にも画家の回顧展があれば必ず
お呼びがかかる名画がある。

速水御舟(1894~1935)の‘女二題 其一 其二’はとても印象に残る
肖像画。ひとりは手を後ろにまわし帯の具合を直している。一方、濃いえび
茶色の着物を着た女性は斜め正面に向き頭の髪を整えている。こういう動作
入りの姿だと映画のワンカットをみているような気分になり記憶に長くとど
まる。運がいいことに2回みた。

御舟の盟友、小茂田青樹(1891~1933)の‘農婦’は6年前世田谷美で
あった御舟・青樹展ではじめて遭遇した。視線が思わず向かったのは籠に入
ったトウモロコシを天秤棒でかついで歩いている農婦のキリットしまった目。
まるで農村のマドンナといったところ。青樹は蜘蛛や蛙など小さな生き物を
精緻に描写する画家というイメージができあがっているので、こういう女性
に出くわすと面食らう。

安田靫彦(1884~1978)の‘茶室’は御舟の‘女二題’とともに福島県美の
名前がしっかり記憶されるきっかけとなった絵。伊東深水に香を楽しむ女性
たちを描いたものがあるが、靫彦はこれに刺激をうけて茶室の女性を画題に
したのだろうか。この女性をもっと大きくして画面いっぱいに座らせると
深水風の美人画になる。

政治家は骨太の政策を立案したとドヤ顔でいうが、山本丘人(1900~
1986)の画風は‘骨太絵画’と呼べるかもしれない。‘月夜の噴煙’は太い黒の
線で表現された山のフォルムと野原の平面性が銀色と白の色面によりくっきり
印象づけられている。

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2021.02.10

美術館に乾杯! 福島県立美術館 その一

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     ワイエスの‘ガニング・ロックス’(1966年)

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     ワイエスの‘松ぼっくり男爵’(1976年)

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     モネの‘ジヴェルニーの草原’(1890年)

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      ベン・シャーンの‘ラッキー・ドラゴン’(1960年)

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     マンズーの‘車に乗った子ども’(1982年)

美術館が蒐集する海外の作家の作品で日本にあまりなくそこでしかみれない
ものだとその美術館は強く胸に刻まれる。福島県美の場合、それはワイエス
(1917~2009)の絵画。ここがワイエスをいくつも所蔵しているこ
とを知ったのは2008年の暮れにBunkamuraで開催された回顧展。とくに
目に焼きついているのがリアルな人物描写に圧倒される‘ガニング・ロックス’
と松ぼっくりがてんこ盛りにはいった鉄兜に視線が釘付けになる‘松ぼっくり
男爵’。ワイエスとのつきあいはここからはじまった。

モネ(1840~1926)は埼玉県近美、茨城県近美にいい絵あるが、
福島県美も負けていない。1890年に描かれた‘ジヴェルニーの草原’はモネ
展があるときはよくお目にかかる。このところコロナ感染の影響で美術館と
の距離が心理的に遠くなり、名画を楽しむ機会が失われている。ふたたび
日本の各地の美術館にあるモネに再会できることを心から願っている。

ベン・シャーン(1898~1969)の絵をみたのはまだ片手ちょっとく
らいで縁の薄い画家。広島にいたとき、県立美で2,3点おめにかかったが、
ここには漫画チックな‘ラッキー・ドラゴン’がある。これで思い出すのはトリ
ス?ニッカ?ウヰスキーのTVコマーシャル(わかる人はわかる)。当時の
クリエーターはシャーンの絵をみたのだろうか?

福島県美を訪問したのはなにか見逃せない企画展か誰かの回顧展のためだっ
たのかよく覚えてないが、ホールに設置されていたジャコモ・マンズー
(1908~1991)の‘車に乗った子ども’はしっかり記憶されている。
これはマンズーの彫刻と東近美では遭遇しないのに、東京から遠く離れた
福島の地にあることに驚かされたから。また、マリノ・マリー二の‘母と子:
腕’も展示されているのだからスゴイ。

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2021.02.09

美術館に乾杯! 敦井美術館 その三

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        板谷波山の‘彩磁禽果文花瓶’(重文 1926年)

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        富本憲吉の‘色絵四辨花大飾壺’(1960年)

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     楠部彌弌の‘彩埏惜春花瓶’(1979年)

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     楠部彌弌の‘碧玉釉包花瓶’(1969年)

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            加守田章二の‘壺’(1977年)

敦井美の名前が心にしっかり刻まれているのはやきもののコレクションも深
く関わっている。板谷波山(1872~1963)ですぐ思い浮かぶ美術館
は出光、敦井、泉屋博古館、MOA。敦井が所蔵する波山をみたのはかなり
前たしか日本橋高島屋であった敦井美名品展。出光のコレクションをみる
より早かったかもしれない。2006年に重文に指定された‘彩磁禽果文花瓶’
を立ち尽くしてみていた。波山に乾杯!と叫びたくなるような名品である。

富本憲吉(1886~1963)もいいのが揃っている。お気に入りは‘色絵
四辨花大飾壺’、この四辨花模様の作品は数多くあるが、壺ではこれが一番
いい。壺全面にびっしり描かれた模様には一切乱れがなくリズミカルな連続
体をなしている。集中力が半端でないとこんな仕上がりにはならない。まさ
にゾーンに入っている。

板谷波山同様多くの作品を所蔵しているのが京都出身の楠部彌弌(1897
~1984)。広島に住んでいたとき運よく県立美であった回顧展(1997
年)に遭遇した。これより前に名品展をみていたので作品の一部はダブった
が全部でなんと26点飾られた。ほかの美術館より群をぬく多さだから、いや
がおうでも敦井の名前が記憶されていく。表面が蝋燭が垂れてぼこっ
とへこんだようにみえる造形と深い青が印象深い‘碧玉釉包花瓶’に魅了された。
そして、忘れられないのが白とピンクの椿が圧倒的な存在感をみせている
‘彩埏惜春花瓶’。これは文化勲章を受章した1年後、82歳のときの作品。

加守田章二(1933~1983)の‘壺’は抽象オブジェのイメージ。縦にの
びる青とこげ茶色がつくるフォルムはどこかクレーの絵を思わせる。素地の黒
がこの青とこげ茶と絶妙にとけあい不思議な浮遊感を演出している。抽象絵画
をやっている作家がこれをみたら裸足で逃げ出すだろう。

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2021.02.08

美術館に乾杯! 敦井美術館 その二

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         村上華岳の‘拈華観音’(1939年)

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     前田青邨の‘不二’(1963年)

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     速水御舟の‘白日夢(野の花)’(1934年)

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     小林古径の‘椿’(1933年)

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     奥村土牛の‘みかん’(1955年)

日本画家の回顧展がどこの美術館で開催されるかはもっとも大事な情報。それ
を見逃さないためにこれまでの体験で東近美、京近美はHPの定点観測をぬか
りなくやっている。京近美ではこれまで京都を主拠点にして制作活動をした
画家にスポットを当てることが多い。例えば、村上華岳(1888~1939)
、小野竹喬、土田麦僊、福田平八郎、いずれも日本画壇に新風を巻き起こした
画家たちである。2005年にあった華岳展に敦井から‘拈華観音’など3点が
出品された。またほかの展覧会でプラス2点お目にかかった。この美術館に
とっては縁の深い画家となっている。

前田青邨(1885~1977)の‘不二’はお馴染みのモチーフである富士山が
きわめてフラットに描かれている。見方によればマティスの切り紙絵のような
感じ。平板なのに魅了されるのは琳派を連想させるたらし込みの技法により装飾
性豊かに表現しているから。昨年フジヤマミュージアムでみた小倉遊亀の富士が
ちらっと頭をかすめる。

敦井にある日本画で最初に心に強く刻まれたのは速水御舟(1894~
1935)の‘白日夢(野の花)’。ここに登場するのは昼顔、蝶々、蜥蜴、、上の
白い雲はなんだか蛙が空を飛んでいるようにみえなくもない。幻想の雰囲気をつ
くって草花や小さな生きものを写実的に描写するのは御舟の得意芸。立ち上る炎
のなかをぐるぐる回る蛾が描かれた‘炎舞’の静的ヴァージョンにもなっている。

新潟県のなかでは富山県に近い方にある上越市に生まれた小林古径(1883~
1957)は郷土の画家だからしっかりコレクションされている。強い赤と青緑
のコントラストが印象深い‘椿’、‘柘榴’、栗とイチジクが描かれた‘久里’の3点に
遭遇した。奥村土牛(1889~1990)の‘みかん’は一見子どものお絵描き
風だが、じっとみていると橙色のみかんにふくらみがでてくる。

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2021.02.07

美術館に乾杯! 敦井美術館 その一

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     池大雅の‘渭城柳色図’(1744年)

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         横山大観の‘黄昏 夏日四題の内’(1899年)

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         菱田春草の‘荒磯’(1907年)

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         川合玉堂の‘湖山首夏’(1921年)

美術館の評判というのは展覧会に出かける回数が増えるにつれてだんだんわ
かってくる。日本画ならどこの美術館がいい絵をたくさん持っている、やきも
のならこの美術館にいいのが揃っている。西洋絵画ならこことここが充実して
いるといった具合。新潟にある敦井美は近代日本画と板谷波山や富本憲吉らの
コレクションでその名が知られている。単なる勘違いだがはじめ敦井という
名前が敦賀と重なって福井県のイメージができていた。

2018年、京博で池大雅(1723~1776)の大回顧展があり‘渭城柳色
図’にようやくお目にかかることができた。大雅は越後の画家が郷里へ帰るとき、
この絵を餞別として贈っている。こういう作品を所蔵するというのは流石だな
と思う。中国の文人画の精神をくみとったうえで柔らかい色彩を施し画面全体
をやさしく装飾しているのが大雅の真骨頂。この画風に200%嵌っている。

横山大観(1868~1958)の‘黄昏 夏日四題の内’と菱田春草(1874
~1911)の‘荒磯’は二人の回顧展にはよくお呼びがかかる、いわゆる展覧会
を盛りあげるために欠かせないワンピース。大観の絵はもともと四題あったが、
残りの3点は不明となっている。‘黄昏’はよくみると竹林と雲のもこもこ感が
とても新鮮。‘荒磯’は春草の風景画のなかではもっとも荒々しいもの。岩にぶち
当たる波がこれほど上昇するかと思うくらいのダイナミズムをみせている。岩
のてっぺんにとまっている鳥の群れは足もとが騒々しいのに平然とした姿で描
かれており、動と静の対比を表現している。

川合玉堂(1873~1957)の同じく縦長の掛け軸‘湖山首夏’は手間でそび
えたつ木々と岩山のインパクトが半端ではない。それを中和してくれるのが橋を
わたる馬と農夫。そして、斜め上に視線を移動させると大雅の絵のように帆船が
小さく描かれている。この構図の妙があるため空間が目に見えないところまで広
がっていく。

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2021.02.06

美術館に乾杯! 竹久夢二伊香保記念館

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           ‘黒船屋’(1919年)

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           ‘五月之朝’(1932年)

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     ‘榛名山賦’(1931年)

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      ‘江戸呉服橋之図’(1914年)

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        ‘セノオ楽譜 マダムバタフライ’(1924年)

わが家の図録コレクションのなかで横山大観、棟方志功と並んで多いのが
竹久夢二(1884~1934)。夢二は女性に人気があるからデパートで
は回顧展が定期的におこなわれる。2004年日本橋高島屋であったのは
岡山の夢二郷土美と群馬の竹久夢二伊香保記念館による豪華なコラボ展。
でも、伊香保からは有名な絵2点は披露されなかった。

それは夢二式美人の代名詞になっている‘黒船屋’とこの絵の13年後に描か
れた‘五月之朝’。この2点は館の方針として他館に貸し出さないことになっ
ている。そのため事前に予約を取って2度伊香保温泉までクルマを走らせた。
‘黒船屋’が特別公開されるのは毎年秋の9/10~23、‘五月之朝’のほうは春
5月。専用の蔵座敷でご対面するのだが、これが感激の極み。生涯の思い出
である。夢二がお好きな方は是非伊香保へ。

‘榛名山賦’は岡山にある‘立田姫’とペアで1931年(昭和6)に描かれたも
ので、春の女神を象徴的に表現している。この年の1年前、夢二は理想郷と
しての‘榛名山美術研究所’の建設を宣言し、榛名湖畔にアトリエをつくってい
る。だが、美術研究所は実現せず夢に終わった。

大正時代初期の作品‘江戸呉服橋之図’は別れた妻たまきが日本橋に開店した
絵草紙店‘港屋’のために描かれたもので116㎝四方の大作。構図がいいため
描き込まれた大川べりの蔵などがビジーな感じがせず隅から隅までみてしま
う。色彩的には緑と黒の対比が目を惹く。

夢二は絵画だけでなくグラフィックデザイナーとしても卓越した才能を発揮
しており、セノオ楽譜の表紙の原画をたくさんてがけた。お気に入りのひと
つが蝶々さんオペラの‘マダムバタフライ’。ほかにも魅了されるものがいくつ
も飾ってある。

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2021.02.05

美術館に乾杯! 小杉放菴記念日光美術館

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     ‘黄初平’(1915年)

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        ‘春風有詩’(1928年)

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     ‘静物’(1955年)

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      ‘泉’(1925年)

栃木県の宇都宮まで電車で出かけるとなると本をだいぶ読めるほど長く乗っ
ていなければならないが、ここからさらに北西にむかって日光をめざすと
所要時間はトータルで3時間くらいになる。小杉放菴記念日光美術館を訪問
したときは横浜からJR宇都宮線・東武日光線だったか、浅草まで行きそこ
から東武線に乗りこんだかよく覚えていない。

美術館は東武日光駅からでているバスで5分ほどのところにあるので
アクセスはいい。小杉放菴(1881~1964)は日光二荒山神社の神官
の家に生まれた。若い頃は西洋画を描いていたが、32歳のときヨーロッパ
に留学したおり池大雅の‘十便帖’(複製)をみて俄然日本画に目覚め、独自
の画風をつくりあげていく。

‘黄初平’は中国晋時代の仙人を描いたもの。あまり画題にのぼらないこの仙人
はおよそ中国人らしくなく西洋人っぽい。両手を上にあげたはっとする姿は
石を羊に変えているところ。これに対し、‘春風有詩’に登場するのは大酒飲み
の詩人李白(唐時代 701~762)。ぷくっと膨れた顔貌はとても漫画
チックでほっこりする。これは大雅の人物画と通じる。

西洋画から画業をスタートさせたことから74歳頃描いた静物画はお手のも
のかもしれない。平板なイメージにするかぼちゃなどの野菜は安定感があり
じわっと惹きこまれる。放菴はフランスのシャヴァンヌの画風に魅せられて
いたため、東京大学の安田講堂に飾る壁画(一般公開はなし)の制作を依頼
されるとパリのソルボンヌ大学の大講堂にあるシャヴァンヌの絵を参考して
‘泉’を完成させた。

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2021.02.04

美術館に乾杯! 宇都宮美術館

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        マグリットの‘大家族’(1963年)

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     シャガールの‘青い恋人たち’(1948~53年)

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           クレーの‘上昇’(1925年)

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     高橋由一の‘中州月夜の図’(1878年)

千葉の川村記念美へ行くときは絵画のほかにもうひとつ楽しみがある。それ
はJR佐倉駅の近くにある人気の定食屋の特大エビフライ。しばらくご無沙
汰しているのでそろそろ4度目のエビフライにありつきたい。地域々に美味
しい食べ物があるが、宇都宮といえば餃子が有名。でも、この餃子がダメな
のである。だから、横浜からJRに乗り大遠征したのに楽しみは宇都宮美
だけだった。

宇都宮駅からバスで20分くらいで着く美術館は市の中心から5㎞離れた緑
豊かな芸術公園のなかにある。6年くらい前、ここでクリムト展があったの
で意を決して出かけた。企画展をみたあと平常展をのぞいてみたらありまし
た、ありました。最も有名な絵が。マグリット(1898~1967)の
‘大家族’。この絵は日本にあるシュルレアリスム絵画のなかで一番価値が高い
ものかもしれない。その証拠に手元にあるTASCHEN本に堂々と載って
いる。だから、大原にあるゴーギャンの傑作‘かぐわしき大地’のようなもの。
本当にすばらしい!

最近はシャガール(1887~1985)やミロ(1893~1983)の
展覧会がなく残念な思いを募らせている。2007年、宇都宮美、千葉市美、
三重県美でシャガール展が開催された。千葉でみたのだが、宇都宮美が所蔵
する‘青い恋人たち’など3点の油彩とお目にかかった。図録の表紙に使われた
のがこの絵なので深い青が目に焼きついている。

クレー(1883~1940)やカンディンスキー(1866~1944)
についても見る機会がなくなっている。クレーは10年前東近美の回顧展
が最後だから、かなり間隔があいている。このとき出品されたのが‘上昇’。
洋画の父、高橋由一(1828~1894)の‘中州月夜の図’で描かれている
のは隅田川河口付近の月見の名所となっている浜町から日本橋一帯でとらえ
た月夜の光景。月の光が川面に反射する様が強く印象に残る。

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2021.02.03

美術館に乾杯! 濱田庄司記念益子参考館

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     ‘ガレナ釉蓋壺’(1922年)

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     ‘青釉黒白流描大鉢’(1970年代)

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     ‘絵刷毛目皿’(1963年)

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        ‘赤絵糖黍紋花瓶’(1940年)

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     ‘琉球窯呉須赤絵銅鑼鉢’(1968年)

やきものフェアが行われると多くの陶芸ファンが集まる栃木県の益子町に
出かけたのはずいぶん前のことだが、ここに民藝派に濱田庄司(1894~
1978)の屋敷のなかにつくられた濱田庄司記念益子参考館がある。どうい
うルートでクルマを走らせ到着したかもう記憶がほとんど残ってないのにTV
のニュースにやきものフェアの賑わいが映しだされると、もう一度訪問するの
も楽しいかなと思ってしまう。

陶芸家の回顧展がデパートなどでよく開かれるのが民藝派の作家たち。河井
寛次郎と濱田庄司、バーナード・リーチ。とくに汐留のパナソニック館は民藝
派と相性が良く3人みんな回顧展をやってくれた。濱田については川崎市市民
ミュージアムと宇都宮の栃木県美にも足を運んだ。島根県の安来にある足立
美や京都の河井寛次郎記念館を訪問し、益子で濱田庄司の仕事場もみることも
できた。幸せな陶芸ライフを噛みしめている。

濱田はこんなことを言っている。‘私の仕事は京都で道を見つけ、英国で始ま
り、沖縄で学び、益子で育った’。‘ガレナ釉蓋壺’は英国人のリーチに誘われて
1920年から3年間滞在したセント・アイヴスでつくられたもの。英国伝統
のスリップウェアの技法がおもしろい。濱田というと柄杓で釉薬を勢いよく流
し掛ける瞬間芸が魅力の一つになっている。見事な出来栄えの‘青釉黒白流描
大鉢’を息を呑んでみていた。そして、自由な筆さばきで描かれた3本の曲線が
アクセントになっている‘絵刷毛目皿’もなかなかいい。

河井も濱田も生来のカラリスト。その色のセンスが良く発揮されているのが
沖縄旅行が刺激になってうまれた‘赤絵糖黍紋花瓶’と‘琉球窯呉須赤絵銅鑼鉢’。
生き生きとした青、緑、赤の力はまるでフォーヴィスムのマティスの色彩を
彷彿とさせる。

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2021.02.02

美術館に乾杯! 茨城県陶芸美術館 その四

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          鈴木治の‘馬’(1978年)

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          伊勢崎淳の‘黒四方削花入’(2003年)

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          加守田章二の‘曲線彫文壺’(1970年)

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     深見陶治の‘瞬Ⅱ’(1998年)

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       中島晴美の‘苦闘する形態T-1’(2001年)

やきものの進化の形と彫刻の抽象化は形態的には似てくる。どちらもオブジ
ェのゾーンに同居している。やきものの世界で抽象的なアートのイメ
ージが強いのは鈴木治(1926~2001)と八木一夫。鈴木の‘馬’は
じっとみていると馬がいなないているようにもみえてくる。角々したフォル
ムという点では備前焼の伊勢崎淳(1936~)の‘黒四方削花入’も強く惹き
こまれる。これは花入だがア―ティザンにあるブランクーシの‘接吻’がオー
バーラップしてくる。

縄文時代にタイムスリップしたような錯覚をおぼえるのが加守田章二
(1933~1983)の‘曲線彫文壺’。2005年に東京駅ステーション
ギャラリーで回顧展があり、この鬼才に開眼した。そのなかで息を呑んでみ
ていたのが‘曲線彫文’シリーズ。リズミカルに波打つ曲線が壺の存在感を浮き
上がらせ原始日本に生きた人々が土器を使う姿がよみがえってくる。

深見陶治(1947~)の‘瞬Ⅱ’をみたときすぐ頭をよぎったのはアメリカの
‘ステルス戦闘機’。エッジをきかせた青白磁の薄い板がゆらゆらしながら
超スピードで飛んでいく感じ。挑発的で研ぎ澄まされたフォルムは海外でも高
く評価されているが、コレクターが手に入れたがる気持ちはよくわかる。

中島晴美(1950~)は女性ではなく男性の作家。‘苦闘する形態T-1’は
名前とは裏腹に見た目はじつに楽しい作品。トポロジーを連想させる柔らかい
球体からは水玉模様が連続して生成されている。現代絵画で水玉模様というと
草間彌生の代名詞だが、やきものでは中島がこれで一世を風靡した。

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2021.02.01

美術館に乾杯! 茨城県陶芸美術館 その三

Img_20210201221501    十四代酒井田柿右衛門の‘濁手菊文花瓶’(2002年)

Img_0001_20210201221501     井上萬二の‘白磁丸型壺’(1998年)

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前田昭博の‘白瓷面取壺’(2000年)

Img_0002_20210201221501     藤原雄の‘備前擂座壺’(1987年頃)

Img_0003_20210201221501    十五代楽吉左衛門の‘焼貫黒茶碗 青狸’(1993年)

やきものは絵画と違い茶碗や壺などは小さいので展示スペースがそれほど大
きくなくても結構な数を並べることができる。それもひとつの理由となり
デパートで人気作家の回顧展がよくおこなわれる。手元にある図録を引っ張
り出してみると日本橋高島屋、三越、銀座松屋でみたものが多くある。人気
のある十四代酒井田柿右衛門(1934~2013年)や十三代今泉今右衛門
(1926~2001)が登場したときは会場は大賑わいだった。柿右衛門の‘濁手
菊文花瓶’と同じくらいの大きさにはかなり高額の値段がつけられていた。

今年92歳になる井上萬二(1929~)はまだ現役で新作に挑戦している。
白磁といえば井上といわれるほど有田焼の重鎮的な存在で茨城県陶芸美にある
‘白磁丸型壺’も美しい白の球面が心をとらえて離さない。そして、鳥取県
出身の前田昭博(1954~)の白瓷(はくじ)にも魅了され続けている。
まん丸いではない球面に面取でつけられた滑らかな変化が心地よいフォルムを
生み出している。ついぐるぐるまわってみてしまう。

岡山の備前には広島にいたころ2回訪問したことがある。釉薬を使わない焼き
締めで模様が浮かび上がってくる備前焼は土のもっている力と炎の魔術によっ
て名品が誕生する。藤原雄(1932~2001)の‘備前擂座壺’は黒の塊と
茶褐色のグラデ―ションがまるで計算したようにでてきている。中世の古備前
がよみがえった感じがして惹きこまれる。

多くのファンがいる十五代楽吉左衛門(1949~)は2019年に息子に
十六代をつがせ、今は直入を名乗り創作活動をおこなっている。1993年に
つくられた‘焼貫黒茶碗 青狸’は光悦の楽茶碗のように腰から口縁へ真っ直ぐ立
ち上がる‘角作り’に視線が釘付けになる。大倉集古館のすぐ隣にある智美術館で
また回顧展に遭遇することを夢見ている。

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