お知らせ
拙ブログはしばらくお休みします。
箱根仙石原にある箱根ラリック美を訪問したのは開館した2005年かその
翌年。開館から15年経つのですっかり箱根の名所になっているにちがい
ない。ガレ同様日本にも愛好家がたくさんいるルネ・ラリック(1860
~1945)の宝飾品やガラス作品が楽しむためにこれまで足を運んだのは
東京都庭園美術館、諏訪湖の北澤美、そして箱根のポーラとラリック美。
ほかにも滋賀県長浜市の成田美や飛騨高山美にラリックコレクションがある
らしいのだが、まだ縁がない。
女性たちがラリックに熱い視線を寄せるのは初期の頃手がけた胸元飾り、
ネックレス、ブローチなどの宝飾品。彼女たちの興奮ぶりと歩調をあわせて
舞い上がるというところまでいかないが、宝石にくわえ象牙、七宝、色ガラ
スなどをふんだんに使い色彩豊かに仕上げた胸元飾りなどをみているとかな
り高揚してくる。ブローチの‘シルフィード(風の精)’は小品だが装飾的な
意匠が心に響く。
ここは1500点くらい所蔵しているが、宝飾品のほかにもガラス作家
ラリックの目を見張らせる作品が続々登場してくる。‘つむじ風’という名の
ついた花器の強い存在感に惹きつけられるが、これ以上にはっとさせられる
のが横に並んでいるどぐろをまいた蛇の花瓶。昔から蛇が苦手なのでこれは
パス。
オパルセント・ガラス製の置物、‘彫像・タイス’は暑い夏にはもってこいの
作品。これをみて以来、夏がやってくるとひんやりした風を運んでくれる
このタイスを眺めている。そして、透明感のあるドレ―パリー(衣文)は
ギリシャ彫刻をみているようで気持ちがいい。
昨年、友人がトヨタ博物館へ出かけラリックのカーマスコットをみたと熱く
語っていた。全作品を揃えているとのこと。流石、クルマの会社である。
ここに飾られているのは口を大きくあけ髪をピンと立てている姿が印象的な
‘勝利の女神’、‘トンボ’など8点。
ラリックの全体像が頭の中に入ったところで美術館をでると最後に大きな
オマケが待っている。それは美術館の横に展示されている豪華列車、オリ
エント急行‘コートダジュール号’のサロンカー・食堂車。このインテリア
・デザインをラリックが担当した。‘装飾パネル・彫像と葡萄’をみていると
これに乗ってヨーロッパとイスタンブールを旅したくなる。
デュビュッフェの‘彫刻の森美に遣わされた大使たち’(1975年)
美術の教科書で学ぶ彫刻家ですぐ思い浮かぶのはイタリアのミケランジェロ
とフランスのロダン。だから、彫刻というとこの二人の作品を最初に覚える。
美術に興味がなければこれで彫刻家は終わり。彫刻作品は重たいから海外の
美術館からやって来ることは数少ない。そうすると近代以降活躍した海外の
彫刻家の作品にふれる機会は限られ、海外旅行をしたときにみるか国内の
美術館で運よくお目にかかるかしかない。
イタリアのジャコモ・マンズー(1908~1991)とエミリオ・グレコ
(1913~1995)のつくった具象彫刻を日本の美術館でみたのは彫刻
の森、松岡美、茨城県近美、埼玉県近美、福島県美。ローマのサン・ピトロ
大聖堂や国立近代美でみたものを含めても視覚体験が少ないのでぼちぼちみ
たという印象だが、‘衣を脱ぐ’と‘うずくまる女NO.3’にみられるマンズー
とグレコの作品の特徴は少しは目が慣れている。
デュビュッフェ(1901~1985)の‘彫刻の森美に遣わされた大使た
ち’はよく覚えている。これをみたのは30年くらい前だが数年前にパリで
も同じような合成樹脂でつくられたゆるキャラ風のオブジェに遭遇した。
そのときの印象があまりに強烈だったのですぐこの画家であり彫刻家の名前
が刷り込まれファンになった。
ニキ・ド・サンファル(1930~2002)の‘ミス・ブラック・パワー’は
大きな風船人形のイメージ。箱根へ行ってない人も彼女の回顧展が日本で2回
開かれたので展示会場ではどーんと飾られたでぶっちょ女のパワーに口あん
ぐり状態になったことがあるかもしれない。
海外の美術館巡りは当分無理だから目は国内の美術館に向かっている。大き
なターゲットがふたつある。秋田県近美にある藤田嗣治の大壁画とイサム・
ノグチ(1904~1988)が札幌につくった‘モエレ沼公園’(2005年
完成)。彫刻の森にある立方体の‘オクテトラ’の別ヴァージョンを楽しみたい。
2004年に彫刻の森美でヘンリー・ムーア展が行われたが、このころまだ
広島にいたので見ることができなかった。人体をモチーフにした作品などが
15点野外展示されたという。あとからこういう話をきくと惜しいことをし
たなと思うが、鑑賞意欲が盛り上がったときちょうどうまい具合に展覧会に
遭遇するというのは滅多にない。だいたいはタイミングがずれる。
野外展示スペースでいつも楽しめるムーア(1898~1986)はMOA
にもある‘ファミリーグループ’と‘横たわる像=アーチ状の足’。横たわる像に
はいろいろヴァージョンがあり、これは大きな足がアーチ状になっているも
の。この像のシリーズの特徴はこの量塊にうがたれた穴。この穴によって
造形に柔らかさが生まれ像との距離がぐっと近くなる。立体の彫刻は密着度
が深まると心のなかにずっとい続ける。
ムーアと同じイギリス人のバーバラ・ヘップワース(1903~1975)
は女流彫刻家。彼女の作品に出会ったのはロンドンのテートモダンにある白
い卵を連想させるもの。‘ふたつの形’はシンプルなフォルムのオブジェがふた
つ直立している。穴がアクセントとなり男女にも木々にも変容する。
ザッキン(1890~1967)の‘住まい’はタイトルの意味がすぐわかる
ところがいい。真ん中にいるのが奥さんで後ろが旦那、左にみえる手は子ど
もたちかもしれない。鉄の素材なのにどこかあたたかみのある造形が目に焼
きついている。
ロシア出身のガボ(1890~1977)の‘球体のテーマ’はどうみてもフク
ロウの目。ステンレスを使った美しい曲面が左右にうごいているようにみえ
るのでついフクロウをイメージしてしまう。同じ丸い物体でもポモドーロ
(1926~)の‘球体をもった球体’は荒々しい原始地球を想像させる。真ん
中の地割れした裂け目をのぞくともうひとつ地球が誕生している。
箱根に大きな美術館からこじんまりとした美術館までいれると全部でどのく
らいあるのか正確にはおさえていない。これまで出かけたのは岡田、ポーラ、
彫刻の森、箱根ラリックの4館。ほかでインプットされているのは山本丘人
のコレクションで知られる成川美とポーラとラリック美の中間あたりにある
星の王子さま美。まだある?
1969年に開館した彫刻の森美を訪問したのは30年くらい前、だから
どういうルートをクルマで走り到着したかすっかり忘れている。地図で確認
すると岡田美から北へそう遠くないところにある。ここは日本にいて楽しめ
る近代彫刻の殿堂ともいえる場所。彫刻の本にでてくる有名な彫刻家の作品
が続々登場するので海外のたとえばポンピドーの展示室で味わったような
感激が再現される。
八重洲のアーチゾン美でも出会えるブランクーシ(1876~1957)の
‘接吻’は彫刻の森美でみたのが最初かもしれない。ひと目見て‘これはおもし
ろい!’とフリーズした。体を超がつくほど密着させて愛の強さを確認する
男女。今は新型コロナウイルスの感染防止でこのような姿になれらないのだ
からストレスがたまるだろう。
ブランクーシと未来派のボッチョーニ(1882~1916)の彫刻作品
‘空間における連続する形’はポンピドーで一緒にみたことがきっかけで以来
二人の作品はいつも響き合っている。ボッチョーニの黄金の彫刻をみると
なぜか宝塚歌劇団の男役の舞台を連想する。
スペインのガルガリョ(1881~1934)の‘大預言者’とリトアニア
のリプシッツ(1891~1973)の‘出会い’にも思わず足がとまる。鉄
を使い透彫のようなユニークな人体像を表現した‘大預言者’には同じスペイ
ンのゴンザレスやダリの作品が重なってくる。
近代日本絵画のおけるビッグネーム、東山魁夷(1908~1999)と
杉山寧(1909~1993)は洋画界の安井曾太郎と梅原龍三郎のように
いつも一緒にその存在が思い起こされる画家。回顧展を4度も体験した東山
魁夷に較べ、杉山寧のほうはまだ1回しか遭遇してない。漸くそれが実現し
たのは2013年の日本橋高島屋での特別展。このときポーラが所蔵してい
る作品が11点も出品された。これでポーラに杉山寧がたくさんあることが
わかったが、その数が43点にものぼるということを確認したのはそれから
数年経った2度目の箱根訪問のときだった。
これほどの数を所蔵していると美術館単独でも立派な杉山寧展が開催できる。
全部で30点ちかく展示されたような気がするが、そのなかに待望の大作‘水’
や最晩年の傑作‘洸’も並べられておりテンションが上がり放っしだった。
ポーラのコレクションをみればもう完璧!お蔭で杉山寧は一気に済みマーク
がつけられる。
‘水’はエジプト、‘洸’はインドを旅行したときみた光景をもとに描かれたもの。
どちらも日本画というより西洋画の印象が強く‘水’では頭に甕をのせている女
性の衣装の黒と背後を流れるナイル川の深い青のコントラストが目に焼きつく。
インドは2度訪問したので‘洸’に描かれた2頭の水牛に親しみを覚える。その
水牛に少女が乗りこちらをじっとみている。その視線と同じ方向にもう一頭が
正面向きで描かれている。2頭が十字のように交差する構成と青みがかった紫
の水面が柔らかく揺れる描写が心にぐっと響く。
花鳥画はいろいろある。鯉、あひる、孔雀、‘薫’と名づけられた絵は東近美に
ある作品同様、惚れ惚れする孔雀の姿が描かれている。青や緑が鮮やかで広げ
た羽が画面からはみ出すところがいい。まじかにやってくるような感じ。
福田平八郎(1892~1974)の‘鴛鴦’と小林古径(1883~1957)
の‘柿’も目を楽しませてくれる。今はスイカを食べて秋になると歯ごたえのいい
柿を食べるのがわが家の食べ物アラカルト。この柿の絵は本当によく描かれて
いる。
熱海のMOA,箱根の岡田、ポーラを頑張って一日で回ったとすると、近代
日本画はしばらくみなくてもいいかもしれない。例えていうと日本画のオー
ルスター戦を2試合見たくらい充実した鑑賞体験になることは請け合いであ
る。とにかく、この3つの美術館には体が震えるくらいいい絵が揃っている。
ポーラには竹内栖鳳、菱田春草、美人画の上村松園、鏑木清方、伊東深水は
ないがほかのビッグネームは次から次と姿を現す。数がもっとも多いのは
杉山寧の43点。これは明日とりあげる。長いこと日本画の展覧会をみてい
ると感動がすぐよみがえってくる特別な展覧会がある。2004年、東芸大
美で開かれた横山大観(1868~1958)の‘海山十題’展もそのひとつ。
このなかに‘山に因む十題のうち霊峰四趣・秋’があった。大観にしてはとても
優しい色使いで薄の白い穂や黄色の女郎花に富士が食われそうな感じ。
日本画の前衛派、横山操(1920~1973)も大観同様、富士をたくさ
ん描いた。とくに心を揺さぶったのは‘伊豆富士’にみられるような赤富士。
これまで両手くらい‘赤富士の横山’に遭遇したが、どれも富士の魂をみる思い。
藤の花というと根津美にある円山応挙の絵を思い出すが、明治以降では
山本丘人(1900~1986)が藤の名手。Myカラーの黄色&緑だけで
なく紫にも脳がしびれているので藤が装飾的に描かれている‘春閑’は敏感に
反応する。この絵は一見すると平面的でペタッとした感じだが、同じ印象
が東山魁夷(1908~1999)の‘リーべの家’にもある。描かれているの
はデンマークのリーべという街の民家。2年前デンマークを訪問したので魁夷
の北欧旅行をもとにした風景画により魅せられるようになった。
6点ある平山郁夫(1930~2009)は‘牧人’がお気に入り。中央の胡坐
をかいて座るアラブの男が強い存在感をみせている。後ろにシルエットで描か
れた羊の群れがゆっくり進んでいるようで男の‘静’と羊の‘動’が自然に絡まって
いる。こういう人物描写は描けそうで描けない。
藤田嗣治(1886~1968)の回顧展は2年前東京都美で行われたもの
を含めて5回くらいでかけた。また、パリの市立近代美に展示してある出世
作‘寝室の裸婦キキ’や迎賓館にある大きな壁画にも遭遇するという幸運に恵
まれた。そのため、藤田の作品がどこの美術館にあるかはおおよそ頭の中に
入っている。
ポーラ美は藤田を楽しむためには忘れてはならない美術館のひとつ。これま
でお目にかかったのはほとんどが心を和ませてくれる子どもの絵。子どもが
たくさん登場する‘誕生日’、‘校庭’、仕事をする人や職人の役を演じる子ども
を描いた‘床屋’とか‘風船売り’、‘姉妹’、また動物が主役の寓話画‘ラ・フォン
テーヌ頌’もおもしろい。
昨年大回顧展があった岸田劉生(1891~1927)、ここにある‘麗子
坐像’も数多く描かれた麗子像シリーズに欠かせない主要ピース。このとき
麗子は6歳。5歳の麗子像が東近美に展示してあるが、1年経つと髪もおさ
げになり幼い子の肖像画らしくなっている。
安井曾太郎(1888~1955)は上高地の風景を描いた‘霞沢岳’、盟友
梅原龍三郎(1888~1986)は‘裸婦結髪’も揃えているのでポーラの
洋画コレクションにはぬかりがない。感心させられる。
今から12年前、八重洲のアーチゾン美(旧ブリジストン美)で待望の
岡鹿之助展が開催された。このときポーラにある岡鹿之助(1898~
1978)がなんと10点出品された。お馴染みの川や雪の景色、発電所、
燈台、花などが次々と目の前に現れる。ええー、ポーラはこんなにもってい
たの!という感じ。そのなかで魅了されたのが胸にじーんとくる‘雪’と鮮や
かな色彩が花びらを輝かせている‘献花’。
洋画家の絵がみたいと思ったときまず思い浮かぶのは東近美と八重洲のアー
チゾン美(旧ブリジストン美)。もちろん、東博へ出かけても本館1階左の
通常展示のコーナーで高橋由一らの作品がお馴染みだし、タイミングがい
いと岸田劉生の‘麗子微笑’にも会える。このほかの美術館となると箱根の
ポーラ美が一度は足を運んでおきたい美術館かもしれない。
高橋由一(1828~1894)の‘鵜飼図’は東博にある‘長良川鵜飼’同様、
思わず見入ってしまう作品。実際の鵜飼を2度みたことがある。だから、
絵に吸いこまれる。川合玉堂の鵜飼と違い写真のようなリアル感が感じら
れるのも由一の魅力。
ここは洋画界をリードした黒田清輝(1866~1924)、藤島武二
(1867~1943)、岡田三郎助(1869~1939)のいい絵を
所蔵している。このあたりがスゴイ。この同じ時代を生きた3人の回顧展
は運よく体験することができた。そのため‘野辺’、‘女の横顔’、そして以前
は福富太郎コレクションだった‘あやめの女’はほかの美術館でも楽しませ
てもらった。
西洋画では後ろ向きの女性画がどうもしっくりこなくて目に力が入らない。
ところが、どういうけか岡田三郎助や日本画の竹内栖鳳の描く女性の後
ろ姿にはそういう感情がおこらずおちついて眺めている。とくに‘あやめの
女’に魅了され続けている。
若くして亡くなった村山槐多(1896~1919)の‘湖水と女’は女性の
顔ばかりみていると気がつかないが、この絵はダヴィンチの‘モナリザ’と同
じ描き方をしている。モナリザの後ろに描かれている山々と川にあたるの
が背景の湖水。
いろいろ楽しませてもらったシュルレアリスム絵画でいつかこの目でと願っ
ていることある。そのひとつがスペインのフィゲラスにあるダリ美術館の
訪問。だが、新型コロナウイルスの感染がおさまらず海外旅行が復活するの
がいつになるのか見当もつかない状況では、夢の実現はかなり遠い。
ダリ(1904~1989)はピカソ同様日本でも人気が高いので、回顧展
が頻繁というわけではないがコンスタントに開催される。そのとき熱心な
ダリコレクターの手元にあったり、各地の美術館に飾られているものも登
場する。ポーラにあるのはダリの20代のころ描かれた‘姿の見えない眠る人
、馬、獅子’。真ん中に横たわるぬめっとした皮膚の感覚をにおわせる馬の
イメージと女性の体のイメージが重なったような物体が気になってしょうが
ない。
夢の世界がもとになっているダリのシュールさとはちがいマグリット
(1898~1967)の作品はカラッとしたおもしろさが特徴。日常のな
かで見慣れたものを意表をつく場面で組み合わせる発想は並みの脳力からは
生まれてこない。‘生命線’は彫刻を連想させる裸婦の横にライフル銃が立て
かけられている。この銃の存在が頭を混乱させる。
エミール・ガレ(1846~1904)のコレクションというとすぐ思い
つくのは諏訪湖の北澤、ポーラ、サントリー、ウッドワン。アールヌーボー
のガラス工芸では象徴的な存在であるガレがこれほどあるのだからつくづく
日本は美術大国だなと思う。ポーラコレクションはガレに加え風景画をみ
ているような気分になるドーム兄弟(兄1853~1909、弟1864
~1930)とユニークなフォルムが目を点にさせる花形の花器をつくった
ルイス・C,ティファニー(1848~1933)も充実している。
6/18に仕切り直しスタートした西洋美の‘ロンドン・ナショナルギャラリ
ー展’(10/18まで)はどのくらいの人がみているのだろうか。出品され
ているゴッホ(1853~1890)の‘ひまわり’が気になっているが、
日時指定となっているのがなにか億劫でまだファミリーマートへ行ってない。
10月までのロング興行だから盆をすぎた遅い出動になりそう。
ポーラにあるゴッホの‘アザミの花’をみたのは箱根をクルマを走らせるだい
ぶ前のことでほかの美術館であったゴッホ展(2003年)のとき。日本に
あるゴッホは損保ジャパン美がもっている‘ひまわり’とひろしま美にある
‘ドービニーの庭’の2点だけだと思っていたので、目の前に現れた花の絵に
どぎまぎした。ポーラ美、やるじゃない、という感じ。
ゴッホがあればゴーギャンにも期待したくなる。水彩の‘異国のエヴァ’は小
さな絵だが、ゴーギャン本にはよく載っている作品。エヴァの顔が母親アリ
ーヌの若い頃の肖像画によく似ていることに驚かされる。ゴーギャンは大変
綺麗なお母さんに愛されたにちがいない。
ピカソ(1881~1973)の‘青の時代’に描かれた作品はいいという人
が多い。最も有名なのはパリのピカソ美にある20歳の‘自画像’(1901年)
だが、ワシントンナショナルギャラリーにある‘海辺の貧しい家族’(1903
年)にも魅了される。ここにある‘海辺の母子像’はワシントンのものと同様、
心の底を深く揺すぶられる。
ここ10年くらい回顧展に遭遇しなくなったシャガール(1887~1985)
、それ以前は頻繁に開かれていた。目玉の絵として展示されたポンピドー蔵の
作品がほとんどやって来たので、新規のプラスαに幅が小さくなるとシャガー
ル展を開くインセンティブが低下するのもやむを得ない。時代の空気としては
‘幻想の画家’のラベルはシャガールからアンリ・ルソーに移ったような感じて
いる。‘町の上で、ヴィテブスク’はお馴染みの宙を飛ぶシャガールとベラが描か
れている。これは2007年のシャガール展(千葉市美)に出品された。
昨年東京都庭園美で回顧展が開かれたキスリング同様、仲間のモディリアーニ
(1884~1920)の肖像画も日本の美術館やコレクターのもとに結構な
数がおさまっている。男のようにもみえるルネはじつはキスリングの妻。彼女
は男装が趣味のとんでる女性であり、この髪型を藤田嗣治も一時期していた。
箱根の仙石原にあるポーラ美はこれまで2度でかけた。ここのコレクション
の自慢はなんといっても印象派。たしか3つくらいの部屋に飾ってあったよ
うな記憶がある。そのなかで一番惹かれているのがスーラ(1859~
1891)の海景画‘グランカンの干潮’。2年前西洋美で開催されたジャポニ
スム展にも出品された。作品の数が少ないスーラの絵が日本の美術館でみれ
るのはスゴイことである。
この絵が強く胸に刻まれるのは浜辺に打ち上げられた帆船の大きく傾いた姿。
どうしてこんな傾いた船にスーラは関心を寄せたのか、これを解くカギとな
る絵がある。それは同じ年、このノルマンディ―の漁村にある奇岩が描かれ
た‘グランカンのオック岬’(ロンドン テートモダン)。蟹の爪を連想させる
巨大な岩の曲線がどこか傾いた帆船と響き合う。
スーラと一緒に点描画の道を進んだシニャック(1863~1935)は
スーラと死別して以降は点描のサイズを大きくして川や港の光景を明るく
生気にあふれる情景として表現した。‘オーセールの橋’では多用された紫色の
点描が光をキラキラ輝かせている。
日本の美術館にもルノワール(1841~1919)の描いた愛らしい少女
や女性の絵がある。すぐ思いつくのはア―ティゾン美(旧ブリジストン美)、
三菱一号館美、山形美、岐阜県美、そしてポーラ美。これがビッグファイブ。
ポーラにはこのレースの帽子を被った少女のほかに目を奪われる裸婦もある。
これにモネ(1840~1926)の定番‘睡蓮’が加われば、一瞬オルセー
の展示室にいるような気になる。
生涯つきあっていこうと決めている加山又造(1927~2004)は東近
美にもっとも魅了されている絵がある。‘千羽鶴’(1970年)と‘春秋波濤’
(1966年)。柔らかい曲線と金銀を使った工芸的な装飾を存分にちりば
めた表現は日本美術のルネサンスを思わせる。‘千羽鶴’は光悦・宗達の合作
‘鶴下絵三十六歌仙和歌巻’を連想させ琳派のDNAを強く感じさせるし、
‘春秋波濤’は大阪の金剛寺にある大和絵の傑作‘日月山水図’の現代ヴァージ
ョンともいえる見事な絵。
岡田美が所蔵する六曲一双の‘初月屏風’は又造が日本美術の装飾性にのめり
こんで傑作を次々と生み出していた1966~70年頃の作品。だから、絵
の前では息を呑んでみていた。秋風になびくススキに呼応する大きな三ヶ月
がしなやかにうねる波の動きによって微妙に振動しているよう。こんないい
絵だと腹の底から嬉しくなる。
速水御舟(1894~1934)と小茂田青樹(1891~1933)は
精緻な写実表現により花鳥画を描くことにエネルギー注いだ同志。そのため、
画風が似ている。御舟の‘桃梨交枝’は小品で桃と梨の枝が絶妙に交じり合う様
がなかなかいい。一方、青樹の‘粟と蜻蛉’は目にとびこんでくるトンボが心を
ゆすぶる。小さい頃、夏休みはトンボとりに夢中だった。日本画を趣味にし
ているお蔭でトンボの思い出が蘇る。
小林古径と安田靫彦は姿を現してくれなかったが、前田青邨(1885~
1977)はお馴染みの‘風神雷神図’が目を楽しませてくれた。青邨流の風神
雷神はじつに戯画チック。でも、上空から乗ってきた雲は琳派のたらしこみの
技法が使われている。あたりを見渡すような二人のしぐさは観客を意識した
サーカスの道化のようなノリ。‘風神様と雷神様がやって来たよ!’と叫んでい
るのかもしれない。
箱根にある岡田美とここからそう遠くない熱海にどんと構えるMOAはコレ
クションの特色が似ているところがある。琳派、京焼の仁清、岩佐又兵衛、
浮世絵、そして近代日本画。日本画についてとくにそう思うのは岡田にあ
る絵も質が高く、そしてMOA同様ほかの美術館で開催される企画展や回顧
展に出品されることがないため。
4点ある上村松園(1875~1947)はこれまで何度も出かけた回顧展
で一度もみたことはない。だから、はじめて遭遇したときは、こんないい
松園がまだあったのか、とびっくりした。そのなかで目を見張らされたのが
‘汐くみ’、これまで松園が描いたこの伝統的な画題は3点お目にかかったが、
これらを上回る出来映え。本当にいい絵。My松園ベスト10に即登録した。
鏑木清方(1878~1972)の‘布晒’も思わず唸ってしまった。これは
清方が鎌倉に移った68歳以降に描かれたもの。両手にもった白い布がひら
ひらとリズミカルに動く様がみてて気持ちいい。布晒の舞は英一蝶の絵
(遠山記念館)でインプットされたが、清方の絵でも白い布とあわせて踊り子の
着物の袖も揺れている。縦に長い画面に動きを強く実感させるのは並みの
画力ではムリ。画業の後半でこんないい絵を描くのだから清方はやはり美人
画のとびっきりの名手。
美術館へ行って日本画のコーナーに横山大観、菱田春草、川合玉堂といった
ビッグネームの絵があると嬉しいものだが、ここには3人ともしっかり展示
されている。足がとまったのは菱田春草(1874~1911)の‘海月’と
川合玉堂(1873~1957)の‘渓村秋晴図’。どちらも美術本に載って
なく回顧展でもみたことがなかった。こういう大きな収穫があるとその美術
館にはすぐ二重丸がつく。
岡田美へ2度出かけたのはいずれも喜多川歌麿(1753~1806)の
肉筆の大作‘雪月花’をみるためだった。この‘雪月花’のうち長いこと行方知れ
ずだった‘深川の雪’がなんと日本で発見され、岡田美におさまることになっ
た。修復をばっちり行い晴れて披露されたのが2014年4月。喜び勇んで
箱根にクルマを走らせた。
浮世絵展示における大イベントはさらに続く。3年後の2017年7月には
アメリカから‘吉原の花’が里帰りし、さらに原寸大の高精細複製画の‘品川の
月’も用意されめでたく岡田美で‘雪月花’劇場が実現した。これは圧巻!生涯
の思い出である。ひそかに期待している喜多川歌麿展、もし東博で開催され
たら、東京でアゲイン‘雪月花’が披露されることになるのだが、はたして。
そのときは‘芸妓図’も飾られるにちがいない。
ここには葛飾北斎(1760~1849)のとてもいい肉筆美人画がある。
‘夏の朝’は北斎の美人画ではお気に入りタイプ。後ろ姿で顔は隠れて
いるが手鏡に映ったのをみるとなかなかの美形。この後ろ姿で北斎は5年前
にもう一枚肉筆で描いている。これは現在ボストン美にあるが、こちらの女
は下に置いた鏡で後ろ髪を整えている。2点ともMy好きな北斎美人画に
登録している。もう一点ある肉筆画‘堀川夜討図’は3年前あべのハルカス美
であった北斎展に‘夏の朝’とともに出品された。
岡田美がもっている岩佐又兵衛(1578~1650)の‘堀江物語絵巻断
簡’は大浮世絵展(2014年、江戸東博)ではじめてお目にかかった。
しっかり又兵衛もあつめているところが流石である。
MOAでは京焼の名工、野々村仁清の藤花文を絵柄にした色絵の茶壺(国宝)
やグラフィカルな意匠が印象的な茶碗(重文)が目を楽しませてくれるが、
ここにもいいのがある。密教法具の輪宝と羯磨の文様が描かれた色絵の香炉。
これは2006年京博であった京焼展に個人蔵として出品された。時が流れ
て今は同じく重文に指定されている乾山の紅葉文の色絵透彫反鉢と並んで飾
られている。すばらしい!
琳派で描き継れてきた風神雷神図。酒井抱一(1761~1828)の描い
た風神雷神図は出光にあるのが有名だが、風神図が岡田美におさまっていた。
雷神図も一緒に描かれたと思われるが、こちらは不明。2011年の酒井抱
一展(千葉市美)ではじめてお目にかかったが、美術館が開館してここの
所蔵ということがわかった。いずれ風神の生み出す強い風によって雷神図が
吹き飛ばされてくるかもしれない。
予想以上に多くあったのが鈴木其一(1796~1858)。全部で6点、
そのなかで思わず声が出そうになったのが‘名月に秋草図’。これは傑作。秋
の頃みるとうっとりみてしまいそう。師匠の抱一を彷彿とさせる目に優しく
て品のある花鳥画。其一がだんだん大きな絵師になっていく。
フランスなど海外でもその高いデザイン性に人気が集まっている神坂雪佳
(1866~1942)は‘燕子花図屏風’がサプライズの一枚。雪佳の作品
は京都の細見美がたくさんもっているが、すごいのが隠れていた。光琳の
2つの燕子花(根津美とメトロポリタ)と抱一と雪佳。この4点が一緒に
飾られたらもう天にも昇るような気持ちだろう。
今、もっとも開催を待ち望んでいるのは渡辺崋山(1793~1841)
の回顧展。場所は決まっている。もちろん、国宝の‘鷹見泉石像’がある東博。
そのときは‘虫魚帖’も出品されるにちがいない。東博さん、期待してます!
美術品の蒐集がオールラウンドの分野にわたってなされていると東博や京博
のような国が誇る美術館や博物館ができる。でも、そこまで大きくない美術
館は好みの作品を選択し資金とエネルギーを注ぎこみ自慢のコレクションを
つくりあげる。室町時代以降の日本美術で愛好家が関心を寄せるのは雪舟、
桃山絵画、琳派、江戸絵画、浮世絵、近代日本画、そして洋画。岡田美は
若冲とともに琳派の名品が目を楽しませてくれる。
箱根に岡田美術館ができるまではそのコレクションはほかの美術館で開かれ
る展覧会に散発的に個人蔵として出品されていた。あとから岡田美蔵という
ことがわかったものでもっとも目に焼きついているのが尾形乾山(1663
~1743)の‘色絵紅葉図透彫反鉢’。何年か前に重文に指定されたがいく
つも違った絵柄のある独創的な反鉢のなかでこの紅葉が群を抜いて輝いて
いた。美術館を訪問して驚かされたのが乾山のやきものの多さ。兄光琳
(1658~1716)とコラボした角皿や‘色絵春草図’など全部で8点飾
られていた。こんなにあったとは!
さらに本阿弥光悦(1558~1637)と俵屋宗達の合作が‘花卉に蝶新古
今集和歌巻’など3点、そして誰もが欲しがる宗達の‘源氏物語図屏風断簡
明石図’、‘白鷺図’が目の前にさらっと現れる。宗達はまだあったのか!
というのは率直な印象。古美術の世界はやはり奥が深い。美術商はいろんな
ところから探してきてコレクターに売り込んでくる。
尾形光琳については以前から知っていたなかなかいい‘菊図屏風’がここの所蔵
だというのがわかり、未見の‘雪松群禽屏風’に遭遇した。この絵は川村記念美
にある(もう手放した?)‘柳に水鳥’(二曲一双)を連想させるが、ちょっと
ビジーな感じ。
箱根にある岡田美術館は喜多川歌麿の幻の肉筆画‘深川の雪’が66年ぶりに
公開された2014年と‘雪月花’が揃い踏みした(ただし品川の月はコピー)
2017年と2度訪問した。ここのお宝美術品は江戸絵画、琳派、野々村
仁清や古九谷、中国・朝鮮などのやきもの、浮世絵、近代日本画。MOAの
コレクションもスゴイがここにも目を楽しませてくれる名画や名品がたくさ
ん飾られている。
人気の高い江戸絵画では伊藤若冲(1716~1800)が充実している。
2016年東京都美で開催された伊藤若冲展になんと5点出品された。ええー、
岡田美は若冲をこんなにもっているの!という感じ。現地で少しはみた?かも
しれないがこれほど多く所蔵していたとは。鶏が2点と画像の‘梅花小禽図’、
そして水墨画の‘月に叭々鳥図’と‘三十六歌仙図屏風’。ほかにもあるかもしれ
ない。
与謝蕪村はないが池大雅(1723~1776)のいい絵が2018年の
大回顧展(京博)に出品された。‘楓林停車図屏風’。もっこりした山々を安定
した三角形構図におさめ横に林立する松とコラボさせている。じつに心が落
ち着く山水画。中国の様式とはひと味違う大雅流の水墨山水画である。
円山応挙(1733~1795)の‘三美人図’は弟子の源きと合作したもの。
真ん中を応挙が、左右を源きが描いた。この京美人は島原の太夫。
2003年大阪市美で開かれた大応挙展でお目にかかったが、このときは
個人蔵となっていた。
長澤芦雪(1754~1799)の屏風は室町時代の連歌師、肖柏(号
牡丹花)を描いたもの。肖柏は外へ出かけるときは必ず牛に乗ったという。
ところがどういうわけか後ろ向きに乗っている。そのため、牛の顔がみえな
い。意表を突く構図や人物描写が蘆雪の真骨頂。このあたりがおもしろい。
MOAのお楽しみというと美術館自慢の光琳の‘紅白梅図’や岩佐又兵衛の絵巻
といった日本の絵画や東洋のやきものでなのだが、ここには数は限られてい
るが西洋美術の作品もある。はじめて訪問したとき大きなサプライズに見舞わ
れた。
展示の導線にそって2階から1階に降りて来たらなんとあのモネ(1840
~1926)の睡蓮の絵が2点飾ってあった。そして、絵の横にガードマンが
1人立っている。これまで美術館に出かけてガードマンが絵をしっかり見守っ
ているという光景をみたのはマドリードのプラド美別館に展示してあったピカ
ソの‘ゲルニカ’しかない。
この2点の睡蓮は数多く開催されたモネ展でお目にかかったことがない。
美術館の行動法則‘いい作品ほど外に出さない’が実践されている。お気に入り
は黄色の睡蓮のほう。たくさんある睡蓮のなかで黄色の睡蓮は数が少なく、
これまでみたのはマルモッタンとメトロポリタンとここにあるものだけ。
Myカラーが緑&黄色ということもあってこの睡蓮には魅了されている。
モネのあともうひとつのサプライズは待ち構えていた。レンブラント
(1606~1669)の‘帽子を被った自画像’。ガードマンはモネ、レンブ
ラントの両方を守っているのである。川村記念美にもレンブラントの描いた
男の肖像画があるが、これと比べるとやはり自画像のほうが印象に強く残る。
MOAの西洋美術コレクションは一級品揃いだなと思わせるのがまだある。
野外彫刻としてどーんと飾られているヘンリー・ムーア(1893~
1986)の‘ファミリー・グループ’。近くの箱根の森美術館にあるムーアと
響き合っているよう。
一人の画家の作品をたくさん集めて展示する回顧展がなんといっても展覧会
の華。だから、誰々の回顧展が開かれるというと心が踊る。理想は同じ画家
の回顧展に2回遭遇すること。すると、その画家の代表作はだいたい目の中
に入る。とくに執着している美人画では幸いにも上村松園(1875~
1949)、鏑木清方(1878~1972)、伊東深水(1898~
1972)はこれが達成されているのでいうことなし。
ところが、この3人の名画のラインナップに欠けている作品がある。それが
MOAでお目にかかった松園の‘虫の音’、清方の‘名月’、深水の‘三千歳’。市販
されている美術本には載っていないし何回も足を運んだ回顧展でみたことは
一度もない。もし、これらが夫々の回顧展にでたなら誰もが絵の前では息を呑
んでみるにちがいない。
回顧展に出かけるたびに図録を購入してきたので数がどんどん増えていく。
そこで多くなった図録をよかった展覧会のものをベースにして合体させた。
そして、これに回顧展ではなくほかの企画展でみた絵の図版を本の空き頁に
ぺたぺた貼っていく。こうしMy松園本、清方本、深水本が出来あがった。
これにより生まれたMyベストセレクションにMOAの絵は堂々と入ってい
る。つくづくMOAはいい美人画をもっているなと思う。
小林古径(1883~1957)の‘紅蜀葵と猫(白日)’と前田青邨(1885
~1977)の‘西遊記’は例外的に2人の回顧展に出品された。大観や春草の絵
は出さないのにこの2点はOKなのはMOAが所蔵作品のお宝度にランキング
をつけているから。
明治以降に活躍した日本画家の回顧展が開催されることがあるとよほど好み
が合わない場合を除いて出かけることにしている。代表的な絵をどどっと集
めた回顧展に足を運んだのだから、とりあげられた画家の名画はこれでおお
かた済みマークがつけられる。でも、これはカッコつき。その理由はMOA
のコレクションが入ってないから。浮世絵同様、ここが所蔵している近代
日本画はまったく他の美術館に貸し出さないし、美術本にも掲載されてない。
ミュージアムショップで販売されているで図録は琳派、岩佐又兵衛、浮世絵
・風俗画、近代日本画、中国美術、やきものなどの分冊になっている。
MOAと長いつきあいになりそうだからこれらを一括購入した。近代日本画
の本に掲載されている作品の質の高いことにびっくり、これまでみた回顧展
でお目にかかったこともないから気になってしょうがなかった。そして、
2007年に待ちわびた日本画コレクションが公開された。心に響く作品の
数々に大興奮だった。最近はHPをチェックしてないのでこのあと同じ日本
画展がいつあったか知らないが、一見の価値があることは請け合い。
何度も回顧展を体験した横山大観(1868~1958)の‘瀟湘夜雨’は絶品。
200%KOされた。そして、盟友の菱田春草(1874~1911)も本当
にいい絵。息を呑んでみた。MOAはこんないい春草をもっているのである。
そして、みた瞬間うわーっとなったのが川合玉堂(1873~1957)の
‘春色駘蕩’。玉堂は俯瞰の構図がとびっきり上手い。しかも春らしい明るい色
合い。My玉堂ベスト5に登録している。
2013年東近美で大回顧展があったた竹内栖鳳(1864~1942)、
MOAでみた鯛の絵でこの画家に開眼した。そして、速水御舟(1894
~1935)の鼠も忘れられない。
MOAがスゴイなと思うのはミニ東博のようなところがあって日本画、浮世
絵、やきものなどいろいろ楽しめるところ。定期的に公開されている浮世絵
については時々里帰りする海外の美術館にあるコレクションをみているよう
な気分。というのも、ここにある浮世絵がほかの美術館で行われる浮世絵展
にはほとんど出品されないから。そのため、熱海に出かけないとこの質の
高い絵はお目にかかれない。
浮世絵は版を重ねたりするので同じ絵を複数の美術館が所蔵していることが
よくある。そうなると浮世絵コレクターは自分のところにしかないものが
あると胸が張れる。MOAでは○○にこんな絵があったの?ということが多
いので海外の美術館のものをみているような感じになるのである。
5,6点ある菱川師宣(?~1694)は12枚の揃物になっている‘大江山
物語’がおもしろい。この場面は大江山に住む鬼の頭領酒天童子に源頼光ら
が酒でもてなしている場面。くっきりした人物描写が印象的。
奥村政信(1686~1764)の遠近法をつかって芝居小屋の内部を描い
たものは江戸における初期の歌舞伎の人気ぶりをリアルに伝えてくれる。
遠近法で空間を表現する効果が西洋画ではない日本の浮世絵によって実感さ
れるというのがおもしろい。
鈴木春信(1725~1770)の‘機織り’、肉筆画の勝川春草(1726
~1792)の‘婦女風俗十二ヶ月図’、喜多川歌麿(1753~1806)の
‘入浴図’は美術館自慢の美人画。勝川春章に開眼したのはここでこの絵
と‘雪月花図’(ともに重文)に遭遇したおかげ。以来、春章の描く美人画に
病みつきになった。画像は左から七月 七夕図、八月 名月図、九月 重陽
図。そして、あっけにとられるのが歌麿の女の入浴図。やはり歌麿はただも
のではない。
日本画をみるとき名前を知っている絵師の作品が目の前に現われればすぐみ
るぞ!モードになるが、知らない絵師の場合いい絵ならその印象は強く残り
記憶される。作品が先行して名前は取り残されるというパターン。2017
年に京博で大回顧展があった海北友松(1533~1615)は後者。かな
り前にあった建仁寺展(京博)ではじめて海北友松の存在を知り、そのあと
MOAで遭遇してようやくその画風が記憶領域の一角を占めるようになった。
回顧展で久しぶりに‘楼閣山水図屏風’と‘四季山水図屏風’(ともに重文)をみ
て、名前と作品が一致しない状態だったMOAでの鑑賞体験を思い出した。
その頃は回顧展が開かれることなど頭が回らなかった。時が流れ、海北友松
は狩野永徳、長谷川等伯とならぶビッグな絵師に昇格した。
岩佐又兵衛(1578~1650)をみたかったらMOAへ行け!これが
又兵衛好きの合言葉。ユーモラスな水墨画‘柿本人麿・紀貫之図’も楽しいが、
心がワクワクするのは絵巻の‘山中常盤物語’、‘浄瑠璃物語'、‘堀江物語’。
MOAではこの絵巻を長めの間隔をとり公開している。美術館が開館30年
を迎えた2012年の春に3つが全巻展示された。山中常盤物語については
2004年の岩佐又兵衛展(千葉市美)で3巻みたが、これから2,3年経
って全巻お目にかかったような気がする。だから、2012年は浄瑠璃物語
と堀江物語をみるためにクルマを熱海まで走らせた。
このところご無沙汰しているので絵巻の展示をチェックしてないが、この
8年で披露された?3,4年前の改築が終わったとき展示された?その可能
性はある。とにかくここの絵巻をみるのは長期戦を覚悟していたほうがいい。
池大雅(1723~1776)の‘四季山水図巻’をみたのは熱海ではなく京博
であった大回顧展(2018年)。MOAに大雅があることがはじめてわか
った。与謝蕪村の絵はみたことがないので蕪村よりは大雅の方が好みだった
のかもしれない。
これまで数多く足を運んだ展覧会の中には強く記憶にとどまっているエポッ
ク的な企画展がある。根津美で2004年に行われた南宋絵画展もそのひと
つ。この展覧会によって足利将軍家が夢中になって集めた牧谿、馬遠など
日本にある南宋絵画の全体像をつかむことができた。だから、このときの
図録は中国絵画のバイブル。ときどきながめているのでどの名画がどこの
美術館におさまっているかはだいだい頭に入っている。
MOAは流石というくらいいい絵を所蔵している。コレクターたちが競って
集めた牧谿は3,4点ある。‘叭々鳥図’はもともと3幅1組で足利将軍家が
もっていたもの。今はMOA、五島、出光にある。牧谿は画僧だったが、
馬遠、梁楷は牧谿より前に活躍した画院画家。馬遠の‘高士観月図’で目を惹
くのは月とそれをながめる高士の間に途中で折れたような松が三角形のフォ
ルムで表現されているところ。下にのびる松は意表をつく。
馬遠の息子の馬麟の‘寒江独釣図’はお気に入りの中国絵画。漁師が体をまる
めて水上に仕掛けた網をじっとみている。釣りの趣味がないので魚が釣れる
のをじっと待つときの心境が実感できないが、こういう風俗画をみると静か
でリラックスできそうに映る。
梁楷の‘寒山拾得図’は馬麟の絵同様、根津美の展覧会に出品された。いろい
ろ描かれた寒山拾得のなかではもっともユーモラスなもの。二人は向きをた
がえて一体化しなぜか笑っている。この笑顔がじつにいい。
ちょっと々、何がそんなに嬉しいの?、と声をかけたくなる。
画聖、雪舟の絵もMOAは1点もっている。‘山水図’。ぬかりがない。これは
破墨の技法で描かれており、墨の濃淡と多用されるぼかしによってうみださ
れるモノトーンの調子は一種の抽象画のようなところがある。
MOAは4、5年前?展示室を一部改築したが、これでどういう風に変わっ
たのかはTVの美術番組でちらっとみただけなので詳しいことはわからない。
頭になかにある鑑賞の流れとしてはまず入口のある2階からスタートする。
ここで光琳の‘紅白梅図’をみて1階へ降りていき、ガードマンが立ってるモネ
の睡蓮の絵とレンブラントの自画像をみてやきものの部屋へ進んでいく。
そして、その先がミュージアムショップ。
紅白梅図の手前の部屋に飾られている野々村仁清の‘色絵藤花文茶壺’も忘れら
れない鑑賞体験。これはやきものなので常時展示してある。しかも国宝だか
らMOAを訪れた人はこの存在感のある見事な壺に魅了されるにちがいない。
球体の茶壺の表面に華やかな藤の花が装飾性豊かに描かれている。
本阿弥光悦(1558~1651)の‘樵夫蒔絵硯箱’、山形の蓋をした硯箱の
モチーフに樵夫(きこり)を使うというのは意表をつく選択。はじめてみた
とき螺鈿で細工された樵夫の顔が幽霊の様にはっきりせず違和感があったが、
今はそれは消えた。
尾形光琳の弟、乾山(1663~1743)のやきものはここにはいくつも
ある。お気に入りは光琳との合作で数多くつくった角皿と透彫りが施された
反鉢。この反鉢は乾山の得意とする意匠で絵柄として吉野山の満開の桜の木
が描かれている。とても洒落ていて女性的な感じのする鉢に仕上がっている。
やきものはローテーションをして展示してありタイミングがいいと‘染付花卉
文瓶’や鍋島の傑作‘色絵桃文大皿’(ともに重文)などと遭遇することができる。
日本のやきものだけでなく、中国の青磁や朝鮮のものもあるがこちらのほうは
いつ出かけても同じものが並んでいたような気がする。
熱海にあるMOA美はこれまで何度も出かけたのでとても愛着がある。ここ
にはすばらしい美術品がドドーンと飾られている。有名な尾形光琳の‘紅白梅
図屏風’をはじめとする琳派の数々、岩佐又兵衛の絵巻、明治以降の日本画、
そして野々村仁清、尾形乾山、鍋島などのやきもの、またモネやレンブラン
トの絵まで所蔵しているのだから恐れ入る。
東博や京博は横において琳派のコレクションで知られている美術館はMOA,
光琳の‘燕子花図屏風’をもっている根津、静嘉堂文庫、そして出光と畠山。
これらの美術館で開催された琳派展の図録を重ねるとかなりの高さになる。
春、梅の季節になると公開される尾形光琳(1658~1716)の‘紅白梅
図’、美術の教科書に載っている作品に対面するというのはやはり特別な出来事
である。右の紅梅がどんと踏ん張った外またの足にみえてしょうがない。
本阿弥光悦(1558~1637)の書と俵屋宗達の鹿の絵がコラボする
‘新古今集和歌巻’はいろいろヴァージョンがあり、MOA,サントリー、山種、
五島、そしてアメリカのシアトル美がもっている。一頭々動きの違う姿で描か
れた鹿をみるのはとても心地いい。
MOAの光琳への思い入れは強く美術館の横に京都・相国寺のすぐ北の所にあ
った光琳屋敷を再現している。これまで何回となく開かれたミニ琳派展でMOA
にある光琳は紅白梅図・琴高仙人図を入れて15点くらいお目にかかった。
酒井抱一(1761~1828)は‘雪月花図’が絶品。この構図のとり方が最高、
描けそうで描けない。鈴木其一(1796~1858)は少なく‘草花十二ヶ月
画帖’など数点。色が綺麗なこの画帖は7月(右)と8月(左)をピックアップ
した。
絵描きや小説家は伊豆にアトリエや仕事部屋をもって創作活動をしていると
いうことは容易に想像できる。温泉もあるから適度な休養にもなる。明治末
頃から日本美術院の画家たちは修善寺の新井旅館と懇意にしていた。
1930年4月ローマで横山大観らの作品を揃えた日本美術展が開催されて
いるが、1月には新井旅館で壮行会も行われた。そんなこともあり、修善寺
町や伊豆市にビッグネームのいい絵がいくつも所蔵されている。
これまで回顧展などで修善寺の名前がよくでてきたのは横山大観(1868
~1988)と安田靫彦(1884~1978)。ともに‘白鷺’や‘春生’など
4,5点お目にかかった。靫彦は1934年新井旅館のために浴室を設計し
天平風呂と名づけている。つくしが描かれた‘春生’をみるたびに日本画の優し
さを感じる。
伊豆市にあるのも傑作揃い。菱田春草(1874~1911)の‘秋郊帰牧’
は2014年の大回顧展に出品されたし、小林古径(1883~1957)
の初期の作品‘箏三線’も2005年にあった小林古径展で披露された。同じ
く出品された画帖‘伊勢物語’も伊豆市がもっている。普段は倉庫のなかだろ
うが、こういう晴れ舞台に展示される作品があるというが芸術家に好まれる伊豆の証かもしれない。
また、伊豆市には川端龍子(1885~1966)も‘湯浴’や小品の鶴や
海老を描いたものなど5,6点ある。龍子は若い頃から温泉が好きでよく
新井旅館を利用していた。‘湯浴’はそれをもとにして描かれた。
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