« 2020年5月 | トップページ | 2020年7月 »

2020.06.30

美術館に乾杯! 佐野美術館

Img_0005_20200630222601

Img_0001_20200630222601       佐野美術館

Img_20200630222601  国宝‘薙刀 銘備前国長船住人長光造’(鎌倉時代・13世紀)

Img_0003_20200630222701    ‘短刀 無銘 正宗’(鎌倉時代・14世紀)

Img_0004_20200630222901    ‘刀 無銘 吉岡一文字’(重文 鎌倉時代末期)

Img_0002_20200630222801    ‘刀 金象嵌銘 備前国兼光’(重文 南北朝時代・14世紀)

Img_0006_20200630223501           澤田政廣の‘白鳳’(1929年)

三島にある佐野美術館は日本刀の鑑賞の仕方を指南してもらった美術館。
2007年ここで‘備前一文字展’があり、喜び勇んで新幹線に乗りこんだ。
こじんまりとした美術館のなかにたまたま刀剣愛好家のような小グルー
プがいて渡邉妙子館長の解説を聞きながら名刀の数々をみていた。で、
これ幸いとばかりここにくっついて館長の話に耳をかたむけた。すべて
を理解したわけではないが、‘日本刀は素敵’(2008年 静岡新聞社)
を書かれている有名な館長からじかに刀の見方を教えてもらった
のは大きな収穫だった。

ここにある刀でお宝中のお宝は国宝に指定されている‘薙刀(なぎなた)’。
造ったのは備前長船派の二代目棟梁長光。昔は女性の薙刀の全国大会が
スポーツニュースで流れるとか、時代劇で大奥に忍び込む者がいたりする
と奥女中たちが薙刀であいまみえるシーンをみるようなことがあったから、
薙刀に目が馴染んでいた。でも、今の若い人は薙刀って何?だろうな。

ほかにもいい刀はたくさんある。浅いのたれの刃文の美しい正宗の短刀、
長光の孫で長船四代目を継いだ兼光の大太刀、そして徳川将軍家に伝来
した吉岡一文字派などに思わず足がとまる。日本刀の展覧会は2011年
根津美でもあったが、それから10年近くになる。もし3回目に遭遇した
ら、まわりは刀剣女子に囲まれることになりそう。刀人気が女性にまで浸透
するとは想像だにしなかった。

刀以外で大変魅了される作品がある。熱海生まれの彫刻家、澤田政廣
(1894~1988)の‘白鳳’。高さ2.63mもある木彫の仏像で
両手を鳥の翼のように広げる姿が印象的。

| | コメント (0)

2020.06.29

美術館に乾杯! ベルナール・ビュフェ美術館

Img_20200629215301

Img_0002_20200629215301
      ‘アトリエ’(1947年)

Img_0001_20200629215301
         ‘ピエロ’(1961年)

Img_0005_20200629215301
         ‘狂女たち’(1970年)

Img_0004_20200629215401
     ‘コンコルド広場’(1989年)

Img_0003_20200629215401
     ‘フィレンツェ ポンテ・ヴェッキオ’(1991年)

日本の美術館のなかには海外の有名な画家や作家の作品をごそっともってい
る美術館がある。思いつくままあげてみると、出光美とパナソニック汐留美
のルオー、北澤美のガレ、岐阜県美のルドン、諸橋美のダリ、川村記念美の
ロスコ、そして静岡県の長泉町(三島市の北)にもベルナール・ビュフェ美
がある。こうしたコレクター物語をまとめると一冊の本になる。

ベルナール・ビュフェ(1928~1999)という画家を知ったのは21
世紀になってから。だから、つきあいは短いが相性はどういうわけは良くこ
れまで何回も回顧展に遭遇し作品の数が増えていった。きっかけはホテル
ニューオータニのなかにある美術館(今はない)でみた絵。ドン・キホ
ーテが絵画化されていたり、二羽の鶴の絵もあったりして強いインパクトを
感じた。

このあと損保ジャパン美やそごう美、目黒区美でベルナールビュフェ美蔵の
作品を軸に構成された回顧展をみた。昨年の夏、この気になるビュフェの絵
を銀座のギャルリーためながが披露するという情報が入ってきたので出かけ
た。大谷コレクション同様、この画廊のオーナーもビュフェのコレクターだ
った。

1973年に開館したベルナール・ビュフェ美は2000点くらい所蔵して
いる。ひとりのコレクターがフランスの有名な画家の絵がこれほどたくさん
蒐集するというのは本当にスゴイこと。ビュフェの作品は3つくらいに分け
られる。‘アトリエ’のようにペタッとして平面的に表現された部屋とそこに
いる人物を描いたもの、‘ピエロ’などサーカスをテーマにしたもの、そして
200%嵌っている風景画。

人物描写は妻のアナベルや小さい子どもたちはきりっとした表情で写実的に
描かれているが、‘狂女’のような場合は痩せた体で道化師に同化させている。
晩年になるとパーキンソン病の影響で死の影が忍び寄り骸骨が登場してくる。

ビュフェの描く風景画に魅了され続けており、広々とした光景の‘コンコルド
広場’や‘フィレンツェ ポンテ・ヴェッキオ’が目に焼きついている。はかに
もパリのサクレ・クール寺院、ヴェニス、NYのマンハッタンなどが忘れら
れない。

| | コメント (0)

2020.06.28

美術館に乾杯! 池田20世紀美術館

Img_0002_20200628225501

Img_20200628225501
        ピカソの‘近衛兵と鳩’(1969年)

Img_0003_20200628225501
        マティスの‘ミモザ’(1949年)

Img_0001_20200628225501
        キスリングの‘女道化師’(1927年)

熱海にあるMOA美は最近とんと出かけなくなったが、10年くらい前は
岩佐又兵衛の絵巻をみるためとか関心のある企画展に引かれてよくクルマを
走らせた。だから、熱海までの道のりは慣れたもの。伊豆半島でほかに馴染
みのある街というと伊東と修善寺。若い頃は会社の保養荘がここにあったの
で同じ部の同僚たちとテニス合宿とか新人歓迎会とかいろいろ名目をつくり
伊豆へくりだした。伊東のシャボテン公園へも皆で行ったことがある。

このシャボテン公園の近くのあるのが池田20世紀美術館。ここはピカソや
マティスにはじまりウォーホルまで近現代絵画をいろいろ揃えている。訪問
したのは30年以上も前なので、作品の詳しいラインナップは思い出せない
が、いくつかいい絵画あったというのは覚えている。

ピカソ(1881~1973)の‘近衛兵と鳩’は88歳のときの作品。ピカ
ソの絵には鳩がよく出てくるが、近衛兵との組み合わせはおもしろい。ピカ
ソもこの年になると人物描写はかなりざざっとなっているが、それでも
ピカソらしいパワーは十分に感じられる。

マティス(1869~1954)の‘ミモザ’は美術館の一番のお宝。体を悪く
してから取り組んだ切り紙絵やコラージュではモチーフをシンプルな形にし
明るい色彩で浮き上がらせた。その心を打つ出来映えはマティスの生み出す
色彩の力が再度爆発したことを物語っている。

マティスと同様キスリング(1891~1953)の‘女道化師’も見栄えの
する人物画。これまでキスリング展を2度体験したが、出品作のなかに日本
の個人コレクターや美術館が所蔵するものが相当数あった。この絵は回顧展
ではみてないが、美術館はいい絵ほど簡単に展覧会に貸し出さないという
法則を実践しているのかもしれない。

| | コメント (0)

2020.06.27

美術館に乾杯! 静岡県立美術館 その四

Img_0001_20200627223401
    ロダンの‘地獄の門’(1880~1917年)

Img_20200627223401
   ジャコメッティの‘横たわる女’(1929年)

Img_0003_20200627223301
   佐伯祐三の‘ラ・クロッシュ’(1927年)

Img_0002_20200627223301
   北川民次の‘タスコの祭日’(1937年)

Img_0004_20200627223401
   石田徹也の‘燃料補給のような食事’(1996年)

彫刻好きには静岡県美は大きな満足がえられる美術館かもしれない。ここは
日本におけるロダン(1840~1917)の聖地みたいなところ。作品を
専用に展示するロダン館(1994年)があり、広い展示スペースに‘考える
人’や‘地獄の門’などお馴染みの傑作がどどっと飾られている。山梨県美には
ミレーの‘種をまく人’があり、そこから南に下ってくると静岡県美であの
ロダンの彫刻が楽しめる。富士山の周辺には本当にいい美術品が揃っている。

ロダンをたっぷりみたあとジャコメッティ(1901~1966)の‘横たわ
る女’の前でも足がとまったか覚えていないが、これは2017年国立新美
で開催された回顧展でお目にかかった。キュビスム風の造形で表現された女
は一見するとデ・キリコのマネキンを連想させる。このあと針金を芯にして
つくった薄っぺらな紙人形のような女に大変身をとげる。

洋画家の回顧展は日本画家に較べると回数がぐっと落ちなかなか遭遇しない。
梅原も安井もまだ得心のいく展覧会に出会っていない。最近の出来事で残念
だったのは神奈川県近美の関根正二展。会期中にでかける予定だったが、
新型コロナウイルスの感染の影響で途中で中止になってしまった。これは痛
かった。早めに出動しなかったことが悔やまれる。

ふだんは佐伯祐三(1898~1928)の作品をみる機会はほとんどないが、
2005年練馬区美に沢山集結したおかげで静岡県美の‘ラ・クロッシュ’にも
会うことができた。これと東近美にある‘ガス灯と広告’がもっとも気に入って
いる。

静岡県出身の北川民次(1894~1989)はアメリカに渡ったあとメキシ
コに移動しオロスコやシケイロスらと交流し、メキシコの風俗を描き続けた。
メキシコですぐ思いつくのは藤田嗣治と北川民次。‘タスコの祭日’は片手くらい
しかみてない作品のひとつ。

ロダン同様、ここには石田徹也(1973~2005)の絵がたくさんある。
焼津市に生まれた石田徹也はまだ生きていたら今年47歳。この画家の才能に
大変魅了されているが、‘燃料補給のような食事’にKOされ続けている。これは
日本人画家が描いたシュルレアリスム絵画の金字塔。マグリットがこれをみた
ら裸足で逃げ出すにちがいない。石田徹也はまさに‘日本のマグリット’!

| | コメント (0)

2020.06.26

美術館に乾杯! 静岡県立美術館 その三

Img_0001_20200626221001
        橋本雅邦の‘三井寺・狂女’(1894年)

Img_0004_20200626221101
    下村観山の‘日蓬莱山図’(1900年)

Img_0003_20200626221101
    横山大観の‘月蓬莱山図’(1900年)

Img_0002_20200626221101
    中村岳陵の‘残照’(1961年)

Img_20200626221101
    福田平八郎の‘雪庭’(1958年)

ローマのヴァチカン博物館からこの秋カラヴァッジョの‘キリストの埋葬’がや
ってくることになっている。今は静かに開幕を待っているところだが、ここ
にはもうひとつ忘れられない絵がある。それはラファエロの遺作となった
‘キリストの変容’。登場する人物で視線を集めるのが右端で両手を大きく広げ
ている少年。悪魔にとり憑かれているため気がふれて尋常な目つきではない。
この少年を思い出させるのが橋本雅邦の‘三井寺・狂女’

この女が狂ってしまったのは人買いにわが子をさらわれたから。子どもを探
し続けて駿河から近江の三井寺にたどりつき鐘楼の鐘をついたことでわが子
との再会を果たす。愛する子どもに会いたい一心で三井寺の階段を急いで登
っていく。足元をみると鼻緒が切れている。これはズキンとくる。

横山大観(1868~1958)と盟友の下村観山(1873~1930)
がコラボして描いた絵が静岡県美にある。右隻が観山の‘日蓬莱山図’で左隻が
大観の‘月蓬莱山図’。描かれたのは120年前。当時の日本画では吉祥の画題
である蓬莱山は画家の制作意欲を強く刺激したにちがいない。そして、蓬莱
山には鶴が欠かせない。絵をみる側にも吉祥の願いがある。昔から鶴の絵を
みたらをなにかいいことがありそうと思うことにしている。

中村岳陵(1890~1969)は下田の生まれ。そう、伊豆半島は静岡県。
だから、ここには地元の偉大な画家の作品が5,6点ある。その中でもっと
も魅了されているのが‘残照’。茜色の空に極細の線で描かれた木々の枝がシル
エットとなって浮かび上がっている。この光景は視点を変えると抽象画に
変奏する可能性を秘めている。岳陵と同時代をすごした福田平八郎(1892
~1974)の描くモチーフにも日本画の枠組みをこえて抽象画のイメージ
を感じる。‘雪庭’は風景を描いているというよりは静物画の範疇でしかも現代
アートの感覚。

| | コメント (0)

2020.06.25

美術館に乾杯! 静岡県立美術館 その二

Img_0002_20200625222401
        浦上玉堂の‘抱琴訪隠図’(19世紀)

Img_0003_20200625222401
        酒井抱一の‘月夜楓図’(19世紀)

Img_0001_20200625222401
    山口素絢の‘春秋草花図屏風’(19世紀)

Img_20200625222401
        山本梅逸の‘花卉竹石図’(1833年)

以前TVの美術番組をみていたらで中国の北京かどこかの街でストリート
絵画をしている人物が登場した。石の歩道をキャンバスにして水をたっ
ぷり含ませた大きな筆を使い風景画をどんどん描いていく。それは水墨画
のようにみえる。本来は紙の上に墨の濃淡で作品を完成させるのだろうが、
こうやって山々を軽妙に表現するのをみるとやはり中国は墨文化の国だな
と感心しながらみていた。

その中国から伝わって来た水墨画は日本でも画聖、雪舟をはじめとして多く
の天才画家たちによって生み出されてきた。江戸時代、武士をやめて画家に
なった浦上玉堂(1745~1820)の水墨画は山々をさらさらとひかれ
た輪郭線でもっこりした形にしてその量感を部分的な濃淡と点々によって
だしているのが特徴。静岡県美にある‘抱琴訪隠図’もいい感じ。

酒井抱一(1761~1828)の‘月夜楓図’は2011年千葉市美で行われ
た酒井抱一展でお目にかかった。とても装飾性の高い水墨画で月明りによっ
て楓がシルエットとなって映える様子が心を微妙にゆする。太い幹のたらし
こみにも目がすっと寄っていく。

抱一には‘四季花鳥図巻’(東博)というすばらしい花鳥画があるが、これを
ふっと連想させるのが山口素絢(やまぐちそけん 1759~1818)の
‘春秋草花図屏風’。大きな屏風のなかにモチーフをごちゃごちゃもちこまず斜
めに傾かせた藤の木のまわりにつくしやタンポポなどを描きさわやかに仕上
げている。

山本梅逸(1783~1856)は名古屋に生まれた文人画家。この画家と
出会ったのは出光美でみた‘四季花鳥図屏風’。作品の数が少なかったときは
それほど意識しなかったが、アメリカのギッターコレクションやファインバ
ーグコレクションの所蔵作などと遭遇するうちに関心が高まっていった。
太湖石と草花を組み合わせた‘花卉竹石図’にも思わず足がとまる。

| | コメント (0)

2020.06.24

美術館に乾杯! 静岡県立美術館 その一

Img_0005_20200624222301

Img_0003_20200624222401

Img_0004_20200624222401
   伊藤若冲の‘樹花鳥獣図屏風’(18世紀)

Img_0001_20200624222401
   円山応挙の‘木賊兎図’(1786年)

Img_20200624222401
    長澤芦雪の‘大原女図’(1794~99年)

Img_0002_20200624222501
    池大雅の‘蘭亭曲水図屏風’(1763年)

東名高速をドライブするときわが家の場合、横浜町田ICが起点となる。
渋滞がなければ御殿場をすぎ沼津までは軽快に進み1時間半くらいで着く。
だが、これから先はフラットな道が続くので心理的に運転がだれるとこ
ろがでてくる。だから、静岡までは予想以上に時間がかかるという印象
が強い。日本平のふもとにあり環境抜群の静岡県美はクルマでないと
アクセスが悪いかもしれない。これまで2度出かけた。

ここは江戸絵画のいいのが揃っていることで有名。名古屋にいるときクル
マを走らせたのは伊藤若冲(1716~1800)のおもしろいモザイク
画‘樹花鳥獣図屏風’をみるためだった。六曲一双の屏風の横の長さは7.2
mもある。右隻(上)の主役が正面をむいている白象で、左隻(下)は
横向きで綺麗な羽を広げている鳳凰。ここは動物や鳥たちの楽園。何時間
でもみていたくなる。若冲に乾杯!

円山応挙(1733~1795)の‘木賊兎’は後ろの木賊(とくさ)と3匹
かたまっている兎が絶妙なバランスで配置されている。小学校にはよく兎
が飼育されているが、体を小刻みに動かす様子がとても愛らしい。後ろ向
きの白兎もいるので画面に奥行き感がある。応挙はこういうところが流石
に上手い。

大原女を描いた絵ですぐ思う浮かぶのは土田麦僊。そのため、長澤芦雪
(1754~1799)が大原女をモデルにしていたのはちょっと驚き。
しかも、この女性の切れ長の目が色っぽく心をザワザワさせる。いっぺん
で忘れられなくなった。

池大雅(1723~1776)が脂ののりきった41歳ごろ描いた‘蘭亭曲
水図屏風’は美術館自慢のお宝。これは王羲之たちが蘭亭に集まり盃を流し
て詩をつくる趣向で曲水の宴を張った場面が描かれた右隻で、左隻には龍山
勝会図が並んでいる。2年前、京博で開催された大回顧展で再会した。

| | コメント (0)

2020.06.23

美術館に乾杯! 山梨県立美術館 その二

Img_0001_20200623223401
    近藤浩一路の‘雨期’(1951年)

Img_0002_20200623223401
    近藤浩一路の‘採果’(1951年)

Img_0003_20200623223401
    横山大観の‘春之霊峰’(1941年)

Img_20200623223401
    川崎小虎の‘囲碁’(1921年)

近藤浩一路(1884~1962)は山梨県南部の静岡県との県境に近い
南部町に生まれ。はじめ洋画を描いていたが、その後日本画に転向し独自
の水墨画にとりくんだ。そして、晩年に傑作を生み出した。それが山梨県
美にある代表作の‘雨期’。これは‘昭和の日本画100選’(1989年)に
選ばれている。

はじめてみたとき2つの点で絵に吸いこまれた。ひとつは広大にみえる
水田を描くのに用いられた遠近法。西洋絵画では遠近法は当たり前だから、
すっみてしまうが、この描き方が日本の水田で働く農夫たちの絵に登場す
るとスゴく新鮮に映り息を呑んでみてしまう。

そして、もうひとつのサプライズは光と影が墨のモノトーンで描かれてい
ること。印象派から深く影響を受けた近藤は伝統的な水墨画で光で柔らか
くつつみこまれた水田の光景を詩情豊かに表現した。じっとみていると
農民画家ミレーの‘落穂拾い’や‘晩鐘’をみているときと似た感情が沸きあが
ってくる。同じ年に描かれた葡萄をつみとる‘採果’は山梨ならではの作品。
陽が差し込む感じがよくでている。

富士山は静岡県同様、山梨県も切っても切り離せない存在。ここには横山
大観(1868~1958)の描いた‘春之霊峰’と‘冬之霊峰’がある。また、
川崎小虎(1886~1927)の‘囲碁’は心を平安時代にタイムスリップ
させてくれる。   

| | コメント (0)

2020.06.22

美術館に乾杯! 山梨県立美術館 その一

Img_0004_20200622222801

Img_20200622222801    ミレーの‘種をまく人’(1850年)

Img_0002_20200622222801    ミレーの‘落ち穂拾い(夏)’(19世紀)

Img_0003_20200622222801    ミレーの‘冬、凍えたキューピッド’(1865年)

Img_0001_20200622222801    藤田嗣治の‘黙示録(四人の騎士)’(1959年)

日本にある西洋絵画で最も知られているのはミレー(1814~1875)の
‘種をまく人’。所蔵しているのは甲府にある山梨県立美、ミレーの代表作のひ
とつが日本の地方都市の美術館で鑑賞できるのだから日本はたいした美術大国
である。

今から36年前の1984年、日本橋高島屋でボストン美が所蔵するミレーの
作品がたくさん展示された。ご承知のようにボストン美にも‘種をまく人’があり、隣に特別出品として山梨県美の絵が並べられた。このころは絵画への興味は普通にちょっと毛が生えたていどだったが、この2つの‘種をまく人’との遭遇はまちがいなく大きな文化体験だった。

だから、甲府を訪れてこの絵と再会したのはこの展覧会からだいぶ後になって
から。このときの長距離ドライブの主たるお楽しみは‘花より団子’のほうでぶど
う狩りとほうとうなべに気がまわっていた。美術館には流石というかミレー
専用の部屋が設けられ作品がずらっと飾ってあった。‘種をまく人’のほかには
‘落ち穂拾い(夏)’、‘夕暮れに羊を連れ帰る羊飼い’、‘冬、凍えたキューピッド’があり全部で10点?くらいみたような気がする。

藤田嗣治(1886~1968)が晩年に描いた宗教画‘黙示録’のうち3枚‘四人の騎士’、‘七つのトランペット’、‘天国と地獄’が山梨県美にあることを知ったのは2018年東京都美で開催された大回顧展のとき。また、ここは藤田がミレーの‘嵐’に刺激を受けて描いた絵も所蔵している。

| | コメント (0)

2020.06.21

美術館に乾杯! 善光寺・松本城

Img_20200621223601

Img_0001_20200621223601
    国宝 善光寺本堂

Img_0002_20200621223601
    国宝 松本城天守

諏訪湖に出かけるときここが甲府からそう遠くないところにあるというのが
長野県に対するまず最初にできた間違ったイメージ。さらにわをかけてずれ
ているのが長野市のある場所。諏訪湖からは長野自動車道を2,30分走れ
ば到着するという風に頭のなかではなっている。地図で長野を確認すると
実際はその倍の1時間以上はかかりそう。だから、長野までくると日本海は
もうすぐという感じである。

はじめて善光寺を訪問したのは30年くらい前のこと。国宝に指定されてい
る本堂はかすかに形が残っているがそこへ行くまでの通りは全く覚えていな
い。山派ではないが隣の方と同じく旅行好きなので、‘牛に引かれて善光寺
参り’で知られる善光寺は一度は訪ねたいお寺だった。実際にでかけてみると
色々なことを学ぶ。牛に導かれるように参ったのは男ではなく老女。じつは
女人の救済に熱心だったいうことが善光寺信仰の最大の特徴だった。

諏訪湖ICから先に進むとすぐ着きそうなのが松本市、どうもこの松本と
長野がかさなってしまったのが長野までの距離を過少に見積もっていた原因
かもしれない。松本は美ヶ原高原と一緒の行程でそのときはすぐ近くの浅間
温泉で一泊したように記憶している。爽快な美ヶ原ビーナスラインを下って
松本に入ってまず目指したのは松本城。別名‘烏城’、黒々とした外壁はイン
パクトがある。現存する五層の天守閣では最古のもので、どんとした大きな
城ではないがとても美しい城だった。

松本城の北に位置する旧開智学校も忘れられない体験。長野県はなぜ‘教育
県’と呼ばれるのかが展示された資料から即納得できた。薩長土肥が幅を利か
せていた明治新政府にあって長野県出身者は文部省の大臣をつとめ有能な人
材を有することをアピールした。文部省などに薩摩や長州の人間は目もくれ
ないからなかなか頭のいいやり方である。

| | コメント (0)

2020.06.20

美術館に乾杯! 佐久市立近代美術館

Img_0005_20200620221901

Img_0002_20200620221901
   平山郁夫の‘仏教伝来’(1959年)
Img_0001_20200620221901

Img_0006_20200620221901
    横山操の‘雪原’(1963年)

Img_20200620222001
    山本丘人の‘夕陽’(1968年)

Img_0004_20200620222001
    広田多津の‘立像’(1975年)

Img_0003_20200620222001
    千住博の‘ウォーターフォール’(2000年)

軽井沢の南に位置する佐久市の近代美術館の名前が最初にインプットされた
のは平山郁夫(1930~2009)の出世作となった‘仏教伝来’を所蔵し
ていたから。美術館と画家のつながりについての情報はないが、ここには
‘天山南路(夜)’などもう3点ある。広島に9年いたこともあり回顧展は欠
かさず足を運んでいる平山郁夫との縁は深い。来年あたりまた名画の数々が
みれると嬉しいのだが。

新潟県出身の横山操(1920~1973)の‘雪原’も美術館自慢の絵。この
雪景色は横山操の故郷西蒲原郡吉田町の光景、心にじーんとくるのは細い線で
精緻に描写された樹々、ハザキが雪の大地を水平に広がっていくところ。
まるで深い情趣を醸し出す水墨画をみているよう。‘昭和の日本画100選’
(1989年)に選ばれており、絵を知ってから魅了され続けている。
吉田町は洋食器で有名な燕市のすぐ上。いつかこの地を訪ねてみたい。

ここにある日本画コレクションはいろいろ揃っており、ほかにも東山魁夷、
高山辰雄、加山又造らの作品もある。山本丘人(1900~1986)の
‘夕陽’や千住博(1958~)の代名詞‘ウォーターフォール’にも大変惹かれる。
千住博というと軽井沢に千住博美術館があるらしい。観光のための県外移動が
解除されるのでまだ乗車してない長野新幹線でぶらっとでかけると気分転換
になるかもしれない。

広田多津(1904~1990)は女流日本画家で京都の生まれ。裸婦と舞妓
をよく描いており、この舞妓の立ち姿は地の橙色が黒の着物に映える色白の顔
を浮き彫りにしているのが印象的。収穫の一枚。    

| | コメント (0)

2020.06.19

Bunkamuraの‘超写実絵画の襲来’!

Img_0003_20200619215101
   森本草介の‘未来’(2011年)

Img_0001_20200619215101
  野田弘志の‘聖なるもの THE-Ⅳ’(2013年)

Img_0002_20200619215101
   島村信之の‘夢の箱’(2017年)

Img_20200619215101
   五味文彦の‘いにしえの王は語る’(2018年)

美術館が再スタートとしたので昨日はBunkamuraへ行ってきた。東博や
西洋美は事前予約の客だけが入館できるシステムをとっているが、
Bunlamuraはその必要はなく出かければみれる。コロナ対策として検温
と住所氏名の登録がある。そして、中に入り困ったのはロッカーが使え
ないこと。そのため、エコバッグをずっと持って歩くはめになった。

現在ここで開催されている特別展は千葉市にあるホキ美のコレクション
を披露する‘超写実絵画の襲来’(6/21まで)。もともと3/18~
5/11の会期で予定されていたが、美術館自粛でいったん中止になった。
興味があったので事前に前売り券を購入していた。でも、おじゃんにな
りあるとき、これをびりっと破りゴミ箱へ。よく考えたら払い戻しとい
うことがあったが、そこまで気がまわらなかった。そうこうしているう
ちに6/21まで短期間展示するという情報が入ってきた。

久しぶりに渋谷をめざしたのは森本草介(1937~2015)の女性
画に関心があったから。今回でているのは‘未来’など3点。あと2点は
風景画。ホキ美はこの画家の作品を全部で何点所蔵しているのか、20
点くらい?3点のうち絵葉書は1枚のみ。肩透かしを食らった感じ。

ほかの画家で名前を知っているのはほんの数人。野田弘志(1936~)
は昔、日曜美術館によく登場していたので超リアルな画風は馴染み
がある。足がとまったのは2013年の作品‘聖なるものTHE-Ⅳ’、まだ
現役バリバリだった。

そして、クワガタの標本にもすぐ目が寄っていく。小さい頃、朝早く起
きスズメバチのとびかうなかクワガタ採りで山を奔走した。大きくて形
のいいクワガタを見つけたときは天にも昇る気持ち。だから、この昆虫
には特別の思い入れがある。描いたのは島村信之(1965~)、まっ
たく知らない。

五味文彦(1953~)の‘いにしえの王は語る’は絵のタイトルがなかな
かいい。これほど太古に存在した自然の命を感じさせる樹木をみせられ
るとつい後ずさりしてしまう。たしかに王の風格がある。

| | コメント (0)

2020.06.17

美術館に乾杯! サンリツ服部美術館 その二

Img_0003_20200617222401
  ‘佐竹本三十六歌仙絵 中務’(重文 鎌倉時代・13世紀)

Img_0002_20200617222401
  ‘佐竹本三十六歌仙絵 大中臣能宣’(重文 13世紀)

Img_20200617222401
  光悦・宗達の‘鹿下絵新古今集和歌巻断簡’(17世紀)

Img_0001_20200617222401
 光悦・宗達の‘四季草花下絵新古今集和歌色紙帖’(17世紀)

Img_0005_20200617222401
            可翁の国宝‘寒山図’(14世紀)

新型コロナウイルスの感染の影響で今年でかけた展覧会はわずか5回。これ
だけ美術との接触がシャットアウトされると生活のリズムが狂ってしまう。
この状況と比べると昨年の美術館通いは足取りも軽く高揚していたことか。
その高い満足度の中心にどんとあったのが京博で開催された‘佐竹本三十六歌
仙絵展’(10~11月)。31点出品されたなかにサンリツ服部美の‘大中臣
能宣’(おおなかとみのよしのぶ)も含まれていた。

ここはもう一点所蔵している。女流歌人の‘中務’(なかつかさ)。11月上旬
から1ヶ月展示されるというので喜び勇んで中央道を疾走した。この中務
ちゃんのお顔が可愛いこと!その美貌をみせてくれない‘小野小町’だけでなく
、‘小大君’よりも魅力度は勝る。これほどの歌仙絵を手に入れるのだからまっ
たくスゴイ美術館である。

宗達の下絵に光悦が和歌を見事な筆さばきで装飾的に書きしるした‘鹿下絵新
古今集和歌巻断簡’と‘四季草花下絵新古今集和歌色紙帖’に大変魅了されている。
二人の合作あるいは光悦のものを運よくたくさんみることができた。サンリツ
、MOA、サントリー、五島、畠山といった美術館にいいのが揃っている。
宗達のほかに岩佐又兵衛も歌仙絵を描いており、和歌を詠むという文化が
日本人の生活の中に強く根付いていたことがよくわかる。

2度目のサンリツ訪問は2016年の7月、お目当ては国宝の追っかけ禅画
‘寒山図’。描いたのは南禅寺の住職にもなった禅僧の可翁(1345年没)。
こういうたまにした飾られない名画がみれるのは巡りあわせのたまもの。

| | コメント (0)

2020.06.16

美術館に乾杯! サンリツ服部美術館 その一

Img_0001_20200616222901
    サンリツ服部美術館

Img_20200616222901
   本阿弥光悦の国宝‘白楽茶碗 銘不二山’(17世紀初め)

Img_0003_20200616222901
   俵屋宗達の‘源氏物語図・ 鈴虫’(17世紀)

Img_0004_20200616222901
    尾形光琳の‘乙御前図’(18世紀)

Img_0002_20200616222901
    尾形乾山の‘秋山図’(18世紀)

諏訪湖のほとりにある美術館で中央自動車の諏訪ICから一番早くたどり着
くのはサンリツ服部美術館。このちょっと先にあるのが北澤美。そして、
まだ縁がないが気になっているのがアンリ・ルソーの絵を所蔵している美術
館。うかつにもそのことを知ったのは1年くらい前。次回の長野ドライブで
は寄ってみたい。

はじめてサンリツ服部美を訪れたのは本阿弥光悦(1558~1637)の
‘白楽茶碗 銘不二山’をみるため。日本でつくられた茶碗で国宝に指定され
ているのはこれと志野茶碗の‘卯花墻’(三井記念美)の2件のみ。だから、
この美術館自慢のお宝であると同時に日本の超一級のお宝でもある。これま
で、‘卯花墻’とちがってやきもの展でお目にかかったことがない。

そのため、ここで特別展示される時期を見計らってどうしてもクルマを走ら
せる必要があった。本物と対面したときの印象はなんだか長谷川等伯の‘松林
図’をながめている感覚と似ていた。精神のすごく深いところでじわっと刺激
される感じ。それから、15年くらいたつがもう一回じっくりみれるといい
のだが、はたして。

この名碗のまわりに飾られている琳派の絵画は本来なら主役の位置にいれる
が、琳派オールスターではやはり‘不二山’が4番にどんと座っているのでここ
は1番から3番で我慢するしかない。俵屋宗達の‘源氏物語図・鈴虫’、
尾形光琳(1658~1716)の‘乙御前図’、そして尾形乾山の(1663
~1743)の‘秋山図’。乙御前(おとごぜ)は狂言などで使われる女面のこ
とで転じて不器用な女を意味するが、お多福と同化し縁起物として人気があ
ったので琳派では扇面によく描かれた。

| | コメント (0)

2020.06.15

美術館に乾杯! 北澤美術館 その二

Img_20200615222601
    東山魁夷の‘晩鐘’(1971年)

Img_0001_20200615222601
    東山魁夷の‘緑のハイデルベルク’(1971年)

Img_0003_20200615222601
    工藤甲人の‘ほたるの郷’(1993年)

Img_0002_20200615222601
    橋本明治の‘舞妓’(1962年) 

北澤美は長野県にある美術館ということが関係しているのかそれともコレク
ターの好みかはわからないが、ここには東山魁夷(1908~1999)の
いい絵がいくつもある。これまでお目にかかったのは回顧展があるとよく
出品される‘晩鐘’など5点。1969年魁夷は半年間、ドイツ、オーストリ
アを夫人と旅行した。このときみたドイツの風景を2年後に描いたのが‘晩鐘’
と‘緑のハイデルベルク’。

魁夷は‘晩鐘’についてこう語っている。‘フランスとの国境の町フライブルク
には、ゴシックの美しい塔を持つ大伽藍が夕陽の下に聳えていた’ 雲の間か
ら射す夕陽が神の存在を暗示するかように荘厳な世界をつくりだしている。
ヨーロッパの街をいろいろみてきたが、残念ながらこういう光景に遭遇した
ことがない。

ハイデルベルグは一度訪問したことがあるので緑一色に変奏されていても
敏感に反応する。古い大学町のハイデルベルクやロマンチック街道をまたみ
る機会があるだろうか。それまでは魁夷の絵で昔を懐かしむことにしたい。

工藤甲人(1915~2011)は青森が生んだ鬼才。日本画家のなかに
グルーピングされているがその画風はかなりの前衛的。作品の多くはシュ
ルレアリストのマックス・エルンストの描く荒廃とした森の光景を彷彿とさ
せる不気味な世界。ところが、‘ほたるの郷’は例外的に蛍が円を描きながら
飛び交うメルヘンチックモード。これなら気持ちよく夢が見れる。

橋本明治(1904~1991)は東山魁夷より4歳年上で同じく東京芸大
の日本画科で学んだ。舞妓の絵はとくに有名だが、有名人の肖像画を多く描
いている。例えば、歌舞伎の名女形である中村歌右衛門、同じ山陰の鳥取出
身の女優司葉子、三笠宮寛仁親王殿下(ヒゲの殿下)、経営の神様、松下
幸之助、そして支度部屋にいる元大関の貴ノ花をモデルにしたものもある。

| | コメント (0)

2020.06.14

美術館に乾杯! 北澤美術館 その一

Img_0004_20200614220901

Img_0005_20200614220901
     北澤美術館

Img_20200614220901
      ガレの‘フランスの薔薇’(1902年)

Img_0002_20200614220901
   ガレの‘ひとよ茸ランプ’(1900~04年)

Img_0003_20200614220901
       ガレの‘藤文ランプ’(1894~1931年)

Img_0001_20200614220901
       ドーム兄弟の‘風雨樹林文ランプ’(1900年)

クルマで長野県の諏訪湖まで行く場合、事故などの渋滞に巻き込まれなけ
れば2時間20分くらいで到着する。この道中、諏訪湖のある位置がどう
いうわけか前から山梨県の甲府からすぐ近くというイメージでクルマを
運転している。でも、実施は諏訪湖は中央自動車道の岡谷JCTのひとつ
手前。だから、遠くの長野まで来ていることになる。

ここ4年くらい諏訪湖ドライブはサンリツ服部美を訪問することが続いた
が、15年前はじめて出かけたときはこの美術館のすぐ先にある北澤美術
館が目的だった。お楽しみはここにある自慢のエミール・ガレ(1846
~1904)のガラス工芸コレクション。ガレのこのアールヌーヴォー調
のガラス作品に惹きこまれるきっかけとなったのは広島にいたときウッド
ワン美でガレをみたから。

日本にはガレにとりつかれたコレクターはほかにも数多くいる。すぐ思い
つく美術館は北澤美、箱根のポーラ美、それからサントリー美。北澤美は
2回にわけてそのすばらしいガレをみたが、最も魅了されたのは‘フランス
の薔薇’。TVの美術番組で詳しく解説してくれた作品誕生物語を知ってい
るから、本物の前では息を呑んでみた。こういうのがまさに心理学者マズ
ローのいう‘最高の瞬間’(ピーク・エクスペリエンス)。

思わず足がとまるモチーフはいろいろある。見ごたえ十分なのが‘ひとよ茸
ランプ’。決め手は成長の違う茸を3つ並べたこと。この発想がなかなかで
てこない。普通は一番大きな茸をひとつもってきて周りを装飾してさあー、
出来上がりだが、成長の過程、つまり時間を表現するというのがガレ流の
創作の真骨頂。

ドーム兄弟(兄1853~1909、弟1864~1930)のガラス工
芸は北澤美ではじめてお目にかかった。刺激的だったのはランプの表面が
風景画のようになっている‘風雨樹林文’。これ以降、ドーム兄弟は繊細な
線描が印象深い森の木々などをあしらったものを中心にみてきた。ガレの
華やかな‘藤文ランプ’と並ぶと‘静’と‘動’の共演が心に響く。

| | コメント (0)

2020.06.13

美術館に乾杯! 小布施 北斎館

Img_20200613222201

Img_0002_20200613222201
   上町祭屋台

Img_0001_20200613222201
   葛飾北斎の‘上町祭屋台天井絵 男浪図’(1845年)

Img_0003_20200613222301
   ‘岩松院本堂天井絵 鳳凰図’(1846年)

Img_0005_20200613222301
   ‘潮干狩’(19世紀)

Img_0004_20200613222301
   ‘かわらと蛙’(1839年)

Img_0006_20200613222301
   ‘西瓜と包丁’(1839年)

長野県の小布施町へでかけ葛飾北斎(1760~1849)の祭屋台の天井
絵や岩松院の天井に描かれた‘鳳凰図’をみれたのは生涯の思い出である。
‘思い立ったが吉日’ということがあるように、鑑賞欲が強く刺激されたときは
迷わず美術館や寺院をめざすことにしている。美術鑑賞にも勢いと機運があ
り、ゾーンに入っているときは絵をみる力がぐんとあがることを身にしみて
感じている。

北斎が江戸から小布施に出かけたのは86歳のころ。北斎館には祭屋台が2台
あり、そのひとつの天井に描かれているのは生き物が渦を巻いてようにみえる
‘男浪図’と‘女浪図’。激しく回転する波濤はまるでブラックホールへ誘っている
よう。この浪図と同じくらいの迫力があるのが北斎館からクルマで10分くら
いのところにある岩松院の天井に描かれた‘鳳凰図’、21畳の天井を下から寝っ
転がってみるとどこからでも鳳凰の目に睨まれる。北斎が好きな人にはいつも
岩松院行きを薦めている。

北斎館の自慢は肉筆画をたくさん所蔵していること。季節柄、富士山をバッ
クに描いた‘潮干狩’と‘西瓜と包丁’をセレクトした。新コロナウイルスの感染
防止のため今年の夏はこのような賑やかな潮干狩は無理だが、いろいろ工夫す
れば楽しめるのではなかろうか。西瓜は大好物、これからが美味しい季節。

‘かわらと蛙’は北斎展にはよくお呼びがかかる肉筆の画帖のひとつ。全部で10
点あるが、蛙が瓦に片足をかけてこえようとするこの絵に思わず足がとまる。
蛙に動きがあり親しみがわいてくる。こういう描写をみると北斎の観察眼がと
びぬけていることを思い知る。

| | コメント (0)

2020.06.12

美術館に乾杯! 水野美術館 その二

Img_0001_20200612222901
    鏑木清方の‘娘’(1934年)

Img_20200612222901
    伊東深水の‘夜長’(1947年)

Img_0004_20200612222901
    橋本明治の‘実’(1970年)

Img_0002_20200612222901
    杉山寧の‘徑’(1986年)

Img_0003_20200612223001
    加山又造の‘千羽鶴’(1978年)

鏑木清方(1878~1972)との距離がぐんとちじまったのは鎌倉にある
鏑木清方記念美によく通ったのが影響している。部屋は一つしかなく展示さ
れているのは10点くらいなので5分もあれば鑑賞終り。お楽しみは定期的に
やってくる他の美術館蔵の絵。何度も出かけると清方様式の美人画がだんだん
増えてくる。水野美の‘娘’は記念美には登場せずサントリーであった回顧展で
お目にかかった。

伊東深水(1898~1972)は師匠の清方と同じ年に亡くなった。師匠と
一緒に天国にいけたので嬉しかったにちがいない。‘夜長’は浮世絵の美人画的な
雰囲気が漂っているが、清方の女性の描き方とのちがいは深水は画面に人物を
大きく描くこと。そのため、女性の顔、着ている衣裳の模様や色使いが強く
印象づけられる。この絵では草花の大きな葉が散らされた着物の柄に注意がい
きすぎるきらいがある。

島根県浜田市出身の橋本明治(1904~1991)も美人画の名手。‘実’は
明治が得意とする舞妓を描いたもの。でも、皆が皆好きになることはないかも
しれない。その理由は黒の輪郭線、この線がしっくりいかないとこの画家とは
縁がなくなる。幸いそっちのグループではなかったのでしっかり楽しんでいる。
浜田といえば新型コロナウイルスに感染して長く治療をうけていた元プロ野球
選手の梨田もここの生まれ。心配したが回復して本当によかった。

特筆すべきはここには東山魁夷(1908~1999)とともに日本画壇の中
心的な存在だった杉山寧(1909~1993)の作品が2点あること。裸婦
図の‘晶'とトルコのカッパドキアの奇岩を描いた‘徑'。そして、好感度がさらに
増すのが加山又造(1927~2004)の‘千羽鶴’。琳派風の装飾的な表現に
魅了される。

| | コメント (0)

2020.06.11

美術館に乾杯! 水野美術館 その一

Img_0003_20200611223401

Img_0001_20200611223401
    橋本雅邦の‘紅葉白水’(1902年)

Img_20200611223401
    横山大観の‘陶端節’(1919年)

Img_0004_20200611223501
    菱田春草の‘月下狐’(1899年)

Img_0005_20200611223501
    下村観山の‘春秋’(1909年)

Img_0002_20200611223501
    川合玉堂の‘清湍釣魚’(1949年)

日本橋へは3月三越であった魯山人展をみにいって以来、足を踏み入れてい
ない。そして、高島屋で予定されていた若冲展もユトリロ展もすべて中止に
なった。これからはデパートで絵画をみる機会がぐっと減るかもしれない。
東京駅にある大丸は新装したときは上の階で展覧会をおこなっていた。とこ
ろが、途中からやらなくなった。ちょうど最後のころだったのかもしれない
が、長野市にある水野美の日本画コレクションがどどっと公開された。

以前から水野美の名前はインプットされていたが、ちょっとややこしいこと
があった。長野市には北野美というのもある。こちらもいい日本画を所蔵し
ているのでときどき‘水野’と‘北野’が混線する。大丸の展覧会が先だっか後だ
ったか忘れたが、2006年信濃美で菊池契月展を楽しんだ後、水野美をめ
ざした。

橋本雅邦(1835~1908)の‘紅葉白水’は目の覚めるような赤と黄色が
強く印象に残る。広島のウッドワン美にもそっくりの別ヴァージョンがある
ので忘れられない一枚になった。作品の数が多いのが横山大観(1868~
1958)、飯田市生まれの菱田春草(1894~1911)、下村観山
(1873~1930)。大丸で対面した際はこんなにあるのかと驚いた。

大観の‘陶靖節’は‘帰去来辞’で有名な詩人陶淵明のこと。頭巾を被った陶淵明
は師匠の岡倉天心のイメージがかぶってくる。春草の‘月下狐’は2014年の
大回顧展(東近美)でお目にかかった。春草の生き物画は猫がよく知られて
いるが、この狐にしろ雀にしろ鷺にしろ本当に上手く描く。観山の‘春秋’は
酒井抱一を連想させる花鳥画の傑作。すばらしい!

川合玉堂(1873~1957)もいい作品が揃っていて、これまで鵜飼の
絵や雪の情景を描いたものなど7点くらいみた。そのなかで勢いのある早瀬で
釣りをする人物を描いた‘清湍釣魚’がとくに気に入っている。

| | コメント (0)

2020.06.10

美術館に乾杯! 長野県信濃美術館

Img_0001_20200610222501     菱田春草の‘羅浮仙’(1901年)

Img_0003_20200610222601     菱田春草の‘老子’(1893年)

Img_0002_20200610222601  春草の‘乳び供養’(右)と大観の‘釈迦と魔女’(左)(1903年)

Img_0004_20200610222601    菊池契月の‘光明皇后’(1944年)

Img_20200610222601    菊池契月の‘寂光院’(1902年)

長野県生まれの日本画家では菱田春草(1874~1911)と菊池契月
(1879~1955)が有名。長野県信濃美には当然この二人の作品を
所蔵している。2006年には菊池契月展が開催されたので久しぶりの長
距離ドライブを兼ねて中央道・長野自動車道を疾走した。

春草の回顧展があるとき欠かせないのが‘羅浮仙’。隋の頃の話である男
が羅浮山の中で薄い羅をまとった美人にもてなされ、酒でいい気分になり
寝てしまう。目が覚めると美人は消えていた。そこは梅の樹、あの美人は
梅の精だった。

初期の作品‘老子’は老子を乗せている水牛の存在感に目が釘づけになる。
ときどき主役を食う動物がいる。横山大観(1868~1958)との合作
‘乳び供養’と‘釈迦と魔女’は二人でインドを旅行したときの体験をもとにし
ている。春草が描いたのは苦行を終えた釈迦が村娘スジャータから差し出さ
れた牛乳粥を食べて生気を取り戻した場面。

菊池契月の代表作は京都市美にある‘少女’。静かでちょっと近づきがたいほ
どの清らかな姿をした女性、これが契月の女性画でできあがっているイメ
ージ。契月には松園や清方の美人画とはちがう魅力がある。歴史画の‘光明皇
后’はスッキリ感がとてもいい。20代前半の作品‘寂光院’では出家して寂光
院に暮らす建礼門院が花摘みから戻ってきたところが描かれている。この
女院の顔立ちは清方の美人画の卵顔とよく似ている。

| | コメント (0)

2020.06.09

美術館に乾杯! 長野県信濃美術館 東山魁夷館

Img_0002_20200609223201

Img_0001_20200609223201
     長野県信濃美術館 東山魁夷館

Img_0003_20200609223201
      ‘白馬の森’(1972年)

Img_0006_20200609223301
      ‘緑響く’(1982年)

Img_20200609223301
      ‘夕静寂’(1974年)

Img_0004_20200609223301
      ‘静唱’(1981年)

Img_0005_20200609223301
      ‘倉庫’(1963年)

明治以降に活躍した日本画家に関心が強まり展覧会に足を通っているうちに
生涯つきあっていこうと思う画家がかたまってきた。横山大観、菱田春草、
上村松園、鏑木清方、東山魁夷、加山又造。6人のなかで大きな回顧展が
定期的に開催されるのが大観、松園、魁夷。だから、図録の数も群をぬいて
多くなる。2018年には東山魁夷展が国立新美で行われた。

東近美ともに東山魁夷(1908~1999)の作品をたくさん所蔵してい
る長野県信濃美術館 東山魁夷館をいつ訪問したかすぐ思い出せない。名古
屋に住んでいたころだから26年くらい前のこと。場所は善光寺の隣だから
すぐわかったのは記憶に残っている。ここに飾ってあった傑作の数々がその
後に開かれた回顧展、例えば2004年(兵庫県美)、2008年(東近美)
でも定番のように出品されたので魁夷に対する愛着度がどんどん増してい
った。

馬を描いた‘白馬の森’と‘緑響く’が最初に目に馴染んだ東山魁夷のイメージ。
まるで少女漫画にでてくるような世界だった。一時期‘緑響く’のコピー画を
部屋の壁に貼っていたことがある。そして、美術館で立ち尽くしてみたのが
‘夕静寂’。この青一色の山々と渓谷に200%痺れた。山派ではないのでこう
い景色とは縁のない生活をしているが、この絵は実景を超えた美しさがある
ように感じた。

‘静唱’をみていると心拍数がすーっとさがっていくような気がする。鏡のよう
な水面に映った木々が連なる光景はここが北欧かもしれないと思ってしまう。
2018年、雪のイメージが漂う北欧へ旅行したことで魁夷の絵をみる気持に
も変化が生じた。コペンハーゲンにある倉庫の壁を描いた作品が今は新鮮な
親しみをもってながめられる。

| | コメント (0)

2020.06.08

美術館に乾杯! 伊勢神宮・熱田神宮

Img_20200608223401
   伊勢神宮 内宮

Img_0004_20200608223401
    ‘伊勢両宮曼荼羅’(16世紀 神宮徴古館農業館)

Img_0002_20200608223501
   お伊勢参りの定番のお土産 ‘赤福餅’

Img_0003_20200608223501
    熱田神宮

Img_0001_20200608223501
   あつた蓬莱軒本店の‘ひつまぶし’

名古屋にいたこともあり親族や友人が遊びにきたりすると‘じゃあ、伊勢神宮
へ行こうか!‘となる。だから、‘お伊勢参り’は都合3度した。お決まりのコー
スはまず内宮へでかけ心を清らかにし、そのあと赤福餅を美味しくいただき、
最後は人気スポット‘二見浦’の夫婦岩。

新型コロナウイルスのことがなければ伊勢神宮は大賑わいだろうが、今年は
想定外の淋しさ。この先いつものような観光風景にもどるには時間がかかり
そう。伊勢神宮に何度も縁があったおかげで大好物の‘赤福餅’にありつける
ことになった。あんこの甘さが舌にあまり残らないのでいくつもほおばって
しまう。以来、京都や名古屋へ出かけたときは駅の土産コーナーで必ず買う
ことにしている。

内宮や外宮の光景は昔から風俗画や浮世絵に描かれてきた。‘伊勢両宮曼荼羅’
は室町から桃山時代の16世紀のころのもの。厳かな神事の様子や各地から
やってきた人たちの両宮参拝をはたした熱い思いが伝わってくるよう。

一方、熱田神宮は皇位継承の御しるしである‘三種の神器’のひとつ‘草薙神剣’
を祀る由緒ある大社。毎年大勢の人がやってくる。そして、ここでも美味し
い食べ物が腹を満たしてくれる。うまぎ料理の‘ひつまぶし’、あつた蓬莱軒は
ひつまぶし発祥のお店。薬味、出汁をかけ、そして茶漬けにして3回にわけ
て平らげる。名古屋にこんな美味しいものがあったとは。ひつまぶしに乾杯!

| | コメント (0)

2020.06.07

美術館に乾杯! 名古屋城・犬山城

Img_0004_20200607223901        名古屋城

Img_0005_20200607223901     名古屋のシンボル ‘金の鯱’

Img_0002_20200607223901    狩野探幽の‘雪中梅竹遊禽図襖’(重文 1634年 名古屋城)

Img_0003_20200607223901    狩野探幽の‘琴棋書画図襖’(重文 1634年 名古屋城)

Img_0001_20200607224001    国宝‘犬山城’(桃山時代・16世紀)

名古屋に2年弱住んでいたので大阪城にくらべると名古屋城に親しみを覚える。
そして、名古屋城というとすぐ‘金の鯱(しゃちほこ)’をイメージする。
天守がこれほど金ピカの鯱で輝いていれば尾張人は‘尾張名古屋は城でもつ’と
いいたくなるだろう。熊本城、姫路城、大阪城、名古屋城が日本の城のビッグ
フォー。どこも堂々とした見事な城である。

1945年の空襲で焼失した本丸御殿の復元が2018年完了した。まだ一度
しか中に入ってないのでまた徳川美の企画展に足を運ぶことがあったら出かけ
てみたい。狩野探幽(1602~1674)の‘雪中梅竹遊禽図’や‘琴棋書画図’
などがあるのは将軍家光が上洛する際、御成御殿として造営された上洛殿。

‘雪中梅竹遊禽図’は狩野永徳の‘檜図’とよーく較べてみると木の枝ぶりはともに
三角形構図となっている。二人のちがいは明白で探幽のほうが画面の余白が多
くすっきりと梅と竹をみせている。こういう深い情趣をこめた描写が探幽の
魅力となっている。‘琴将書画図’は武家の好んだ画題を広々とした景観をつくり
そのなかで高士たちに自由に棋を楽しませている。

犬山市にある国宝の犬山城を訪問したことは生涯の思い出。木曽川の左岸の
丘陵地に建つこの美しい平山城は李白の詩‘早く白帝城を発つ’にちなみ‘白帝城’
と呼ばれている。

| | コメント (0)

2020.06.06

美術館に乾杯! 徳川美術館 その四

Img_0003_20200606222701     ‘大名物 白天目’(重文 室町時代・16世紀)

Img_0002_20200606222701   ‘黒織部筒茶碗 銘 冬枯’(重文 桃山時代・17世紀)

Img_0001_20200606222701   千利休の‘竹茶杓 銘泪(名物)’(桃山時代・16世紀)

Img_20200606222701   ‘唐物茶壺 銘松花’(重文 南宋時代・13世紀)

Img_0005_20200606222701   国宝‘太刀 銘光忠’(鎌倉時代・13世紀)

定期的に開催される茶碗を中心にすえたやきもの展は見逃さないようにして
いる。天目や志野・織部などの茶碗に心がぐっとよっていくきかっけとなっ
たのが2002年と2005年に徳川美・五島美で行われた‘茶の湯 名碗’展。
いい茶碗がずらっと出品されたので展覧会の図録がわが家のやきもののバイ
ブルになった。

徳川美には白、黄、灰被、油滴、曜変など天目茶碗がたくさんある。そのな
かでとくに魅せられるのが‘白天目’。華やかな感じが目に焼きついている。
黒織部の‘銘冬枯’は志野・織部展が企画されるときには欠かせないピースにな
っているもの。抽象的で現代アートを連想させる文様はびっくりするほど
大胆で時代を突き抜けている。

2007年にあった‘大徳川展’(東博)では徳川家の所蔵するお宝がどどっと
展示されたが、千利休の‘竹茶杓 銘泪(名物)’は注目の一品だった。秀吉に
切腹を命じられた千利休はその死に際し自らこの茶杓を削り最期の茶会に使い
古田織部に与えた。その場面が映画のワンシーンのように目に浮かび利休の手
元をじっとみてしまう。‘唐物茶壺 銘松花’は中国から入って来たとき茶人た
ちは感動したにちがいない。土の香りがする素朴でおおらかなフォルムが圧倒
的な存在感を生み出している。

名碗同様、名刀がここにたくさんあってもおかしくない。なにしろ天下の徳川
家。現在、国宝の太刀や短刀が8振りある。‘太刀 銘光忠’は備前長船派の祖
である光忠の最高傑作。華やかな刃文をうっとりながめてしまう。

| | コメント (0)

2020.06.05

美術館に乾杯! 徳川美術館 その三

Img_0004_20200605221601
    牧谿の‘洞庭秋月図’(南宋時代 13世紀)

Img_0003_20200605221701
    陳容の‘龍図’(重文 南宋時代 13世紀)

Img_0002_20200605221701
   狩野山楽の‘四季花鳥図屏風’(部分 17世紀)

Img_0001_20200605221701
   狩野探幽の‘福禄寿・猫・鹿図’(1670年)

Img_20200605221701
     円山応挙の‘鯉亀図’(18世紀)

足利将軍家の中国絵画コレクション、いわゆる‘東山御物(ひがしやまごもつ)’
のなかで人気の高いのが南宋時代に活躍した牧谿の作品。だから、牧谿がずら
ずらと揃った企画展は特別の思い入れがある。これまで運よく遭遇したのは
根津美とここ徳川美で行われたもの。‘洞庭秋月図’は‘瀟湘八景図’の一図。靄が
かかったような光景が心の目にも響くようになるのはやはり禅寺でみたとき
かもしれない。

龍の絵は海北友松や俵屋宗達の‘雲龍図’がすぐ思いつくしほかにもいろいろあ
るが、中国絵画では陳容の縦長の画面に描かれた龍以外はでてこない。これも
東山御物。ここにはこれと対になる虎の絵もある。‘龍虎図’は武士たちの気分
をハイにするにはもってこいの画題だから大事にされたのだろう。

狩野山楽(1559~1635)の‘四季花鳥図屏風’は風俗画同様、その存在
を知ってから対面できるのを楽しみにしていた。とにかく、ここには鑑賞意欲
を刺激する絵がいくつもある。鶏がでてくると瞬時に伊藤若冲モードになるが、
山楽も鶏の姿を見事に描写している。

名古屋城に出かけると狩野探幽(1602~1674)の障壁画の数々に目
を奪われるが、徳川美にあるのは耕作図とかスケッチブック的なものなど。肩
の力がぬけるのが‘福禄寿・猫・鹿図’。長寿の象徴である鶴に乗って空を飛ぶ
福禄寿ははじめてみた。また、左の鹿にも定番の生き物として見慣れているの
に猫がでてくるのは珍しい。

円山応挙(1733~1795)の‘鯉亀’がなかなかいい。収穫だったのは亀。
小さいころ亀とよく遊んだからこういう絵には敏感に反応する。北斎にも亀が
何匹も登場する絵がある。

| | コメント (0)

2020.06.04

美術館に乾杯! 徳川美術館 その二

Img_0001_20200604222401   岩佐又兵衛の‘豊国祭礼図屏風’(部分 重文 17世紀前半)

Img_0004_20200604222401

Img_0003_20200604222401    ‘歌舞伎図巻 茶屋遊び’(重文 17世紀前半)

Img_0002_20200604222501    ‘相応寺屏風 猿回しと見物人’(重文 17世紀前半)

Img_20200604222501    ‘本多平八郎姿絵屏風’(重文 17世紀前半)

日本画のなかにはみててとても疲れる絵がある。その代表が京のにぎわいを
屏風一面にパノラマミックに描いた‘洛中洛外図’、狩野永徳が描いた‘上杉本’
や東博にある‘舟木本’がとくに有名。元来が風俗画に目がないので一時期
夢中になってみた。その甲斐もあって主要な作品はおおよそみることができ
た。徳川美にも洛中洛外図ほどではないが隅から隅までみたらかなり時間の
かかる屏風がある。岩佐又兵衛(1578~1650)の‘豊国祭礼図’。
画像は左隻の群衆が体を大きく傾けてエネルギッシュに踊る場面。こんな
熱気のある祭りの絵をほかにみたことがない。一見の価値がある。

この美術館にすごく惹きつけられるのは視線を釘づけにする風俗画が続々
登場すること。‘歌舞伎図巻’にもぞっこん参っている。これは四条河原で人気
の太夫の演目が描かれており、そのハイライトが‘茶屋遊びの場’。舞台の中央
で大刀に寄りかかった姿がきまっている。胸にはかぶき者の定番のアイテムで
あるロザリオをかけ腰には瓢箪をさげている。衣裳の模様や鮮やかな緑にクラ
クラしてくる。

遊びの楽しみがここにもあそこにもあるという感じでその様子を目を凝らし
てみてしまうのが‘相応寺屏風’。川遊びの横で繰り広げられる賑やかな宴、
猿まわしをみている人もいればそばを食べる人々もいる。宴会をやっている
部屋の隣では若衆が遊女に髪を結ってもらい、その続きの部屋は蒸し風呂場。
いつの世も遊びのネタは尽きない。

‘本多平八郎姿絵屏風’は禿(かむろ 遊女見習いの少女)がもってきた文に振
り返る若衆が描かれている。これをみて‘フェルメールにもこんな絵があった
な’、とピンとくる人は相当のフェルメール狂。そう、NYのフリック・コレ
クションが所蔵する‘女と召使’。禿に文を届けさしたのはこの若い男に恋い焦
がれる徳川の御姫さま。徳川美に相応しい絵かもしれない。

| | コメント (0)

2020.06.03

美術館に乾杯! 徳川美術館 その一

Img_0004_20200603220901

Img_0005_20200603221001
     徳川美術館

Img_20200603221001
   国宝‘源氏物語絵巻 柏木三’(12世紀前半)

Img_0001_20200603221001
   国宝‘源氏物語絵巻 竹河二’(12世紀前半)

Img_0003_20200603221101
   国宝‘婚礼調度類 初音蒔絵’(1639年)

Img_0002_20200603221101
   国宝‘婚礼調度類 初音蒔絵硯箱 蓋表’(1639年)

東博と京博をひとまず横に置いて日本美術のお宝品がどんと楽しめるところ
としてMy美術館の第一列に登録されているのは名古屋の徳川美、熱海の
MOA美、そして東京の根津美、五島美、静嘉堂文庫。徳川美に通えたこと
は名古屋滞在の大きな思い出である。

徳川美のコレクションでスゴイなと思うのはやはり‘源氏物語絵巻’、ここに
15図、五島美に4図ある。全点常時展示されてはおらず、いつだったか
忘れたが定期的に開催される特別展で3,4点展示される。

2005年ここで大きなイベントがあり、新たにできあがった19図の復元
模写と原画が一緒に飾られた。全図がみられるのはそうそうないので気持ち
を高ぶらせて新幹線に乗りこんだ。絵巻が描かれた当時の色使いや模様が鮮
やかに蘇った1点々を原画と比べながらじっくりみた。とくにお気に入りの
‘柏木三’や‘竹河二’の前には長くいた。

国宝に指定されている‘婚礼調度類 初音蒔絵’にも魅了される。これまで国宝
展などで披露された肉彫した金や銀の彫金により鶯を表現した‘硯箱 蓋表’や
‘貝桶’、‘書棚飾り’、‘鏡台’といった蒔絵のお宝を見る機会があった。

| | コメント (0)

2020.06.02

美術館に乾杯! 名都美術館 その二

Img_0003_20200602221901
    上村松園の‘わか葉’(1940年)

Img_0001_20200602221901
    鏑木清方の‘蛍’(1940年)

Img_0002_20200602221901
  鏑木清方の‘西鶴五人女のおまん’(1911年)

Img_20200602222001
   伊東深水の‘鏡獅子’(1946年)

Img_0005_20200602222001
   伊東深水の‘清涼’(1956年)

数多くある美術館のなかにはその名前が強い磁力を発しているところがある。
名都美術館はそのひとつ。そして、この名都(めいと)のイメージにピッタ
リあうのが美人画。そこは外部の人間が感じる以上に美術館はぬかりがなく
上村松園(1875~1949)、鏑木清方(1878~1972)、
伊東深水(1898~1972)のいい作品をずらっと揃えている。

松園の‘わか葉’は西洋画でいうと窓のある絵と似ているが、日本画では外の
景色は全然見せないかチラッとみせるだけ。そのため、見る者はこの女性の
内面をいろいろ想像する。こんな美人がただわか葉をみているだけではつま
らない。ひょっとすると好きな人のことをぼーっと想っているのかも。

西の松園に対して東の清方の美人画も当時の美術ファンの心を釘づけにした。
‘蛍’は2014年サントリー美で開催された‘鏑木清方と江戸の風情’で図録の
表紙に使われた作品。小さいころ夏になると蛍をみるのが楽しみだったが、
今はどんなところへ行けば蛍がみれるのだろう。‘西鶴 五人女のおまん’は
松園が描いたものがここにあるが、好みは清方の方。その決め手となるのは
フィギュアの浅田真央ちゃんを連想させる卵顔。

清方に師事した深水の回顧展を運よく2度体験した。だから、深水のぐっと
くる美人画はだいたい目の中に入った。そのなかに名都美から出品されたも
のが全部で9点もあった。これほど深水をもっているところはほかにない。
お気に入りは‘鏡獅子’と‘清涼’。深水は浮世絵から続く美人画の系譜を受け継
ぎつつ現代的な美人画をうみだしたところがスゴイ。

| | コメント (0)

2020.06.01

美術館に乾杯! 名都美術館 その一

Img_0005_20200601223501

Img_0002_20200601223601
   横山大観の‘正気放光’(1941年)

Img_0001_20200601223601
   横山大観の‘海暾’(1952年)

Img_20200601223601
   川合玉堂の‘梅咲く’(1951年)

Img_0003_20200601223601
   平山郁夫の‘西蔵布達拉宮’

長久手市にある名都美はクルマで出かけたが、住んでいた名古屋の地下鉄
東山線沿線からは一時間以内で着いたような記憶がある。でも、館内はどん
なレイアウトだったかもう忘れている。

ここにある日本画で有名なのは横山大観(1868~1958)と川合玉堂
(1873~1957)。大観は十数点あるがお気に入りは富士山と海洋画。
山歩きにくらべると海の景色をみるのが好きなので‘海暾’は大変惹かれる。
松の木がみえる浜辺に向かって連続的にやってくる波の動きが見事に表現さ
れている。

玉堂の‘梅咲く’をみると日本の山川の景色のもっている優しさが心に響く。
山派でないためこういう光景をみる機会がほとんどない人生を送っている
が、つい最近BS2でみた映画‘飢餓海峡’で映った下北半島をトロッコが走る
シーンが目に焼きついている。

平山郁夫(1930~2009)の‘西蔵布達拉宮’は1977年に訪問した
チベットの中枢都市ラサにあるポタラ宮を描いたもの。平山はポタラ宮に続
く長い階段を高山病に悩まされながら登ったという。宮殿は標高3700m
の断崖の上にあるからしんどかったにちがいない。

| | コメント (0)

« 2020年5月 | トップページ | 2020年7月 »