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2020.04.30

‘BSプレミアムシアター'に名作映画が続々登場!

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  ‘ゴッドファーザー'(1972年)

先月、フランシス・コッポラ監督の‘地獄の黙示録'(1979年)が
‘BSプレミアムシアター'に登場したので、次は‘ゴッドファーザー'がくるか
なと期待していたら、果たして今月のラインナップにはいってきた。昨日に
続き5/6に‘PARTⅡ'、5/13に‘PARTⅢ'が上映される。

映画は大好きだけれど、TSUTAYAへでかけてみる習慣はなくTVに
内蔵されているビデオ機能を使ってBSプレミアムシアターで放送されたも
のを蓄積している。その容量は150時間くらいあるが、いまは半分くらい
は映画で占められている。これからも何度もみたい映画がでてきたら余力の
部分を映画にきりかえていくつもり。美術で名画・名品にこだわっているよ
うに、名作映画への思い入れはとても強い。

昨年の後半から没頭している名作映画でこれまでみていなかったもので嵌っ
ているのはジョン・ウエインが主演するもの。例えば‘エルドラド'、‘勇気ある
追跡'、‘3人の名付け親'、‘赤い河'。これらをみてわかったのはジョン・ウエ
インは高倉健のイメージが重なるということ。とにかく渋くてカッコいい。

‘ゴッドファーザー'以外で5月の注目映画をあげてみると、
☆リオ・ブラボー(ジョン・ウエイン主演)5/8(金)PM1:00
☆飢餓海峡(1965年)       5/18(月)PM1:00
☆キリング・フィールド        5/19(火)PM1:00

三国連太郎、左幸子、高倉健、伴淳三郎が出演する‘飢餓海峡'は‘砂の器'、
‘天国と地獄'と並ぶわが家の刑事もの映画のビッグ3。これまで何度もみて
いるがシナリオが秀逸。楽しみ。

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2020.04.29

エスニックジョーク 日本人なら!

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  マグリットの‘ゴルコンダ'(1953年 メニル・コレクション)

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  マグリットの‘リスニングルーム'(1958年)

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  マグリットの‘幸福な手'(1958年)

行動経済学が専門の明治大学の友野典男教授がお書きになった‘感情と勘定の
経済学'(潮出版社 2016年)のなかにとてもおもしろい話がでてくる。
それはパーティなどでの笑い話、エスニックジョーク。豪華客船が事故に遭
い沈没しそうになったので乗客を海に飛び込ませなくてはならなくなった。
船には多くの国の人が乗っている。その人たちにどう言えば飛び込んでくれ
るか。

アメリカ人に対してはこう言う。‘今飛び込めばヒーローになりますよ'、うん、
よくわかる。イタリア人だと‘美女も一緒に飛び込みますよ'、イタリアの男
を動かすにはこのフレーズが一番かもしれない。では、同じヨーロッパの
ドイツ人にはどう言うか、‘飛び込めと規則に書かれています'。これも納得!
ルフトハンザ航空は時間通り飛び立つのは世界の常識だから。

では、日本人ならどう言われるか、‘ほかのみんなも飛び込んでいますよ' 
ううーん、外国の人は日本人の行動性向をよく知ってるわ!日本人は自分の
感情は横においてまわりのものがどう行動するかをみてそれにあわせる。そう
いう風にみられている。

最近はMy散歩コースでもウォーキングをする人とすれちがうことが多くなっ
た。また、お父さんやお母さんと一緒に走っている男の子や女の子にもよく出
会う。さらにかなり本格的に走る若年層も増えた。テレワークをし終わったの
で外で手足を動かして気分転換をはかっているのだろう。今はほかのみんな
と同じように人と会わないように自粛していなければいけない。それをこうや
って歩いたり走る人をみて確認しているともいえる。

厳しい外出規制がひかれているパリでは人々が家のベランダにでてまわりの
人たちと手をふったり声をかけあったりしている。その光景をTVでみてマグ
リットの‘ゴルコンダ'というシュール画を思い浮かべた。パリっ子はこうやっ
て空中でつながっている感じがする。

同じくマグリットが描いた‘リスニングルーム'や‘幸福な手'は部屋のなかでも
無邪気に物とむきあい想像をふくらませればあっと驚く光景が生まれてくるこ
とをみせてくれる。でも、マグリットを真似てみたが刺激が足りないのかやは
りいつもの見慣れた部屋のままだった。

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2020.04.28

ボッカチオの‘デカメロン物語'!

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 ボッティチェリの‘ナスタジオ・デリ・オネスティの物語'(1483年)

毎年やってくるGWは今年は新型コロナウイルス感染拡大防止のため‘ステ
イホーム週間'に変わった。では家にいて何をするか、普通に考えるとTV,
ネットをみることに多くの時間を費やすのが手っ取り早い。パソコンや
iフォンがあればYouTube、ゲーム、音楽配信、映画、TVのドラマ
やドキュメンタリー、、なんでも楽しめる。

また、本を読むのが好きな人や絵を描いたり、アート、文芸に心を奪われ
ている人たちもそうしたことに没頭できるから家にいることが苦にならな
い。一方、‘スポーツわが命'派はつらいかもしれない。家でやれることとい
えば筋トレだけ。頭の切り替えが早い人はまた野球やサッカー、テニス、
水泳ができるようになったとき体がなまっていないように体力アップにし
っかり取り組むだろう。

また、音楽と毎日つきあっている人たちもフラストレーションがたまるに
ちがいない。知人・友人には合唱をやっていたり東京都のある区のオペラ
合唱団に参加している人もいる。また、親父バンドでピアノを担当してい
るものがいるが、今はマンションで指を動かしているだけ?

14世紀中頃の1348年、ペスト(黒死病)がイタリア半島を襲い多く
の人の命を奪った。そんな惨状のなかボッカチオ(1313~1375)
は‘デカメロン物語'(1348~53)という傑作を生み出した。これは
ペストから逃れるためフィレンツェ郊外に引きこもった男3人、女7人が
退屈を紛らわせるためにつくった物語を集めたもの。10人が1人1日
1話ずつ10日間話をする物語で、‘デカ'はギリシャ語で‘10'、‘メロン'
は‘日'を意味する。

話のひとつを絵画化したものがプラド美にある。横長の羽目板にボッティ
チェリ(1445~1510)が描いた‘ナスタジオ・デリ・オネスティ
の物語'。ただし、最後の結婚の場面だけは個人蔵。本にでてくる物語の
タイトルは‘正義の残忍性により熱烈な青年の恋が報われる話'となっている。

ナスタジオは恋い焦がれる女性に相手にされず悶々としていた。あるとき、
裸の女が騎士に切り殺され、犬に食われる場面に出くわす。これはあの世
の出来事がここで起こっており、騎士をふって自殺に追いやった女はその
罰として騎士に殺されまた蘇るという罰を無限に受けていたのである。

これをみてナスタジオは一計を案じる。これを俺になびかないあの女に
みせてやろう。で、この場所で宴会を開くことにして彼女とその家族を
招待する。その効果は大だった。女はすぐびびり‘ナスタジオ、私、あなた
のところへ嫁にいくことにしたわ'と猫なで声で言う。ボッテイチェリが
この話にとびついたことは即納得。

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2020.04.27

ゲーテがローマでみたもの!

Img_0001_20200427223501      システィーナ礼拝堂の天井画と‘最後の審判'

 

Img_20200427223501   ラファエロの‘キリストの変容'(1520年 ヴァティカン博)

 

Img_0002_20200427223501    パラッツォ・ファルネーゼのガレリア天井画

世界中の観光立国が新型コロナウイルスに悲鳴をあげている。人気のイタリ
ア、スペインに観光客が戻ってくるのは一体いつになるのだろう。訪れた
回数の多いこの二つの国でみた観光客の数は半端ではない。そんな活況に満
ちあふれたローマやフィレンツェ、マドリードやバルセロナの街に人が寄り
着けないという事態をつい半年前に想像した人はいる? いるはずがない。
つくづくウイルス感染は怖いなと思う。

ヨーロッパ観光は季節的にはこれからが本当に楽しくなる。このGWにでか
ける予定だった人は大勢いたにちがいない。不思議なもので無理やり行動を
制限されると逆にイタリアやスペインの街々に対する思いが強くなる。
フランクフルト生まれのゲーテも南のあたたかいイタリアへ行きたくてしょう
がなかった。‘イタリア紀行'を読むとその気持ちがよく伝わってくる。

ゲーテは驚くほど絵画好き。どんな画家たちがでてくるかあげてみると、
ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロ、グエルチーノ、コレッジョ、
グイド・レーニ、カラッチ、ドメニキーノ、ジョルダーノ、コルトーナ、
プッサン、ロラン、、

ローマで感激の極みだったのはミケランジェロが描いた天井画と‘最後の審判'
があるシスティーナ礼拝堂。この壁画を絶賛している。‘システィーナ礼拝堂
を見ないでは、一人の人間が何をなし得るかを眼のあたりに見てとることは
不可能である。偉大で有能な人物のことをたくさん人に聞いたり本で読んだ
りするが、しかしここにはそれが頭上に眼前に未だに生き生きとして存在す
るのである。'

ミケランジェロ同様、ラファエロにも心が強く向かっていたようで最晩年の
‘キリストの変容'やバルベリーニ宮にある‘ラ・フォルナリーナ'をしっかりみ
ている。また、パラッツォ・ファルネーゼに出かけてアン二バレ・カラッチ
が手がけた神話をモチーフにした天井画を楽しんでいる。
ここは現在フランス大使館として使われており、この天井画は一般公開され
てない。でも、ときどき見る機会があるらしい。なんとかこれにもぐりこみ
たいのだが、果たして。

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2020.04.26

ゲーテが感動したイタリア絵画!

Img_0001_20200426221501  ティッシュバインの‘ローマ郊外のゲーテ'(1787年 シュテーデル美)

 

Img_20200426221501  グエルチーノの‘復活したキリスト'(1630年 チェント市立絵画館)

 

Img_0002_20200426221501  ラファエロの‘聖チェチリアの法悦'(1515年 ボローニャ国立絵画館)

美術館や博物館の大半が新型コロナウイルス感染の影響で閉館になっている
ので出動を計画していた展覧会は軒並み中止や延期になっている。例えば
、期待していた西洋美の‘ロンドンナショナルギャラリー展'(3/3~
6/14)は大狂いに狂い今の状況だと中止になる可能性が高い。また、
東博に登場することになっていた法隆寺の百済観音も当初予定の3/10~
5/10はもう消えた。

美術館に足を運ぶのは叶わないが、美術とは毎日深くつきあっている。
本棚の整理はルーティンみたいなものだから、あちらの部屋の本をごそっと
別のところに移動させたりするのはしゅっちゅうおこる。ゲーテ(1749
~1832)の本群がすぐ近くにやってきた。たくさん揃えているわけでな
く‘ファウスト'、‘ヘルマンとドロアーテ'、‘イタリア紀行'、そして、エッカー
マンの‘ゲーテとの対話'とトーマス・マンの‘ゲーテを語る'と‘ゲーテとトルス
トイ'(いずれも岩波文庫)。

ゲーテとのつきあいは大学のゼミナールの恩師から‘ゲーテとの対話'を奨め
られたのがはじまり。この本でゲーテに嵌った。久しぶりにぱらぱらと読ん
だ‘イタリア紀行'も愛読書のひとつ。ゲーテは37歳のとき憧れのイタリア
へ旅立ち1年半くらい滞在した。そして、訪れた町では美術館や教会にもで
かけて絵画や彫刻を数多くみている。

フィレンツェとヴェネツィアの中間あたりにあるチェントではグエルチーノ
(1591~1669)の‘聖母のもとに現れる復活したキリスト'をみて感激
している。この絵は2015年西洋美で開かれたグエルチーノ展にも出品さ
れており、感想記でとりあげた。

チェントをすこし南に下ったところに位置するボローニャではラファエロ
(1483~1520)の‘聖チェチリアの法悦'に感じ入っている。ゲーテは
こんな風に語っている。‘この画は前から知ってはいたが、今や本当に眼のあ
たり眺めたのだ。彼は常に、他の人が描いてみたいと望むものを描いている'。

この絵はまだ縁がない。ラファエロをコンプリートするのに最後に残った
ワンピース。なんとかボローニャに足を踏み入れたいが、‘ビバ!イタリア'の
続編が書けるのはいつになるだろうか。

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2020.04.25

美術館に乾杯! 石山寺

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     石山寺 多宝塔(国宝 鎌倉時代・1194年)

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   快慶の‘大日如来像'(重文 鎌倉時代)

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  土佐光起の‘紫式部石山寺観月図'(江戸時代・17世紀)

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  勝川春草の‘見立紫式部図'(18世紀)

マラソンのレースを見るのが好きで以前はTVで実況放送される‘びわ湖毎日
マラソン'を毎年楽しんでいた。レースがはじまる前コースの説明があるが、
その際必ず紹介されるのが石山寺。おかげで琵琶湖から流れ出る瀬田川に
かかる唐橋の少し下流にあるこの寺の場所がよくイメージできるようにな
った。

空海が中国からもち帰った密教の教えが表されている宝塔が強く目に刻み
こまれているのは高野山にある大塔。多宝塔はこの大塔を小型化したもの。
なにかゆったりした気分でみられるのは下の塔の屋根の上部が大きな鏡餅
を載せたようになっているから。この膨らみが安心感を生み出す。チベッ
ト密教でもこういう形の寺院がでてくる

この多宝塔の本尊は快慶(?~1227以前)がつくった‘大日如来図'。玉眼の
入ったきりっとした目と胸前で結ばれた智挙印、膝のところからきれいに
流れる衣文線が印象深い。これは檜材をつかった寄木造り。

石山寺の本堂で興味深かったのは‘源氏の間'にいた紫式部。等身大の人形だ
が、式部はここで十五夜の月をみて‘源氏物語'の着想を得たと言われている。
江戸時代に活躍した土佐派の代表、土佐光起(1617~1691)は
その式部の姿を描いている。

紫式部を題材にした絵は数多くあり、源氏物語展が開催されるとずらずら
っと並ぶ。お気に入りは英一蝶の観月図や勝川春章(1726~1792)
の‘見立紫式部図‘。また、明治以降では冨田渓仙、松岡映丘、堂本印象、
菊池契月が描いた式部にも魅了される。

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2020.04.24

美術館に乾杯! 三井寺

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   三井寺 勧学院客殿(国宝 桃山時代・1600年)

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  狩野光信の‘四季花木図襖'(重文 1600年)

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  池大雅の‘幽居図'(1765年 法明院客殿)

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  与謝蕪村の‘山水図'(1765年 法明院客殿)

狩野永徳(1543~1590)の嫡男、狩野光信(1733~1795)
の絵をみたのは片手くらい。数が少ないので出てくる絵は早い。大阪の逸翁
美にある豊臣秀吉の肖像画と三井寺にある金碧障壁画‘四季花木図'、ともに
重文に指定されている。三井寺に出かけたのはひとえに光信の描いた‘四季
花木図'をみたかったから。

障壁画があるのは勧学院客殿の南側の一之間。武士たちの体中にアドレナ
リンがどばっとでるような永徳の豪快な金碧障壁画とは趣が異なり、まるで
祖父の元信の花鳥画をみているような感じ。金雲と金地が樹木をつつみこむ
ように描かれているので華やかなイメージだが、左の白梅は繊細優美な表現
でその横に立つ檜は体を曲げて踊っているようにもみえる。期待以上の傑作
だった。

法明院客殿を飾った障壁画、池大雅(1723~1776)の‘幽居図'と円山
応挙(1733~1795)の‘山水図'は2009年にあった‘国宝 三井寺
展'でお目にかかった。応挙がこのとき33歳、この頃から三井寺山内の円満
院との関係がはじまった。

この展覧会のとき思わぬ彫刻がでていた。それは円空(1632~1695)
の鉈彫り(なたぼり)彫像‘善女龍王立像'。これは大きなオマケだった。

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2020.04.23

美術館に乾杯! 延暦寺

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    国宝‘金銅経箱'(平安時代・11世紀)

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    国宝‘宝相華蒔絵経箱'(11世紀)

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    ‘聖観音菩薩立像'(重文 平安時代・12世紀)

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  ‘不動明王三童子五使者像'(重文 鎌倉時代・13世紀)

京都から比叡山をめざしてクルマを走らせ延暦寺の堂々とした根本中堂の姿
を目に焼きつけ、そのあとは眼前の琵琶湖をみながら下っていき滋賀県大津
市に入る。延暦寺の思い出はこんな風だった。国宝の根本中堂は中に入れた?
かなり前のことなので覚えてない。

延暦寺にあるお宝で国宝展や大きな仏教美術関連がテーマとなった企画展で
お目にかかれることがあるのが‘金銅経箱'と‘宝相華蒔絵経箱'。ともに宝相華
唐草文がびっしりと描かれている。金銅経箱の大きさは縦27cm、横12㎝。
これくらいのサイズの容れものだとサインペンやボールペンなどの文房具や
はさみ、小さい刷毛、チューブ糊がきれいにおさまりMyブックづくりに
役立つ小道具入れになる。

銅製の箱に金メッキを施した経箱では蓋や身の部分に唐草が一見乱雑に配置
されているのに対し、蒔絵経箱のほうは平面と直線で特徴づけられた形のな
かに花弁や蔓が対称性を保って表現されている。デザイン帖を正確に写した
ような宝相華文は強く印象づけられる

2006年東博で開催された‘最澄と天台の国宝'で思わず足がとまったのが
‘聖観音菩薩立像'。これは横川中堂の本尊。ふっくらとした顔と細い目は童子
のようでもあり優しいお姉さんのようにもみえる。左手にもった蓮華と右手
の指が調和の形になっているのも気を引く。

ここの不動明王は一度見たら忘れない構図になっている。勢いのある火焔に
囲まれ中央に威厳をみせる不動明王がおり、その横に親分に敗けぬくらい怖
い顔をした童子が3人立っている。そして左下には手を合わせる5人の使者。
これだけ鮮やかな色とわかりやすい人物配置だと不動明王物語がひとつ完結
する。

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2020.04.22

美術館に乾杯! 平等院

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     平等院鳳凰堂(国宝 平安時代・1053年)

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     鳳凰(国宝 11世紀)

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     平等院鳳凰堂内部

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   定朝の国宝‘阿弥陀如来坐像'(1053年)

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   国宝‘雲中供養菩薩像'(1053年)

宇治の平等院を訪問したのは生涯忘れられないイベントだった。クルマで行
ったことはまちがいないが、どういうルートで到着したかはもう覚えていな
い。宇治川を渡って進んでいくとあの写真でみた均整のとれた広がりをもつ
阿弥陀堂(鳳凰堂)が池のむこうに姿をみせてきた。中堂の屋根に目をやる
対になった鳳凰がむきあっている。なんだか平安時代にタイムスリップした
よう。

鳳凰堂のなかに入ると見事な金ぴかの天蓋の下に有名な‘阿弥陀如来坐像'が
どーんと安置されている。これをつくった平安時代後期の仏師、定朝
(?~1057)は寄木造りの技法を完成させ仏像の大量生産を可能にする
‘定朝様式'を生み出した。

この阿弥陀如来に魅了されるひとつのポイントはわりと大きめの目。この
目と鼻、口のバランスがとても良くこのため顔全体は小顔な感じがする。
そして、金の彩色が仏の慈悲の深さや神々しさを演出する。やはり浄土は金
に輝いているほうがいい。当時は末法思想が流行していたので人々は心の
安らぎを求めて金で荘厳された極楽浄土に強く憧れた。

阿弥陀如来坐像を囲む長押上の小壁に懸けられている‘雲中供養菩薩像'にも目
を見張らされる。全部で52体あり、浄土の空をそれぞれちがったポーズで
飛翔する様子はたいそう賑やか。画像の菩薩は香炉の蓋をもっており、ほか
には楽器を奏でるものや蓮華をもったり、合掌しているものもいる。

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2020.04.21

美術館に乾杯! 東福寺

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    東福寺三門(国宝 15世紀)

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   国宝‘無準師範像'(南宋時代・1238年)

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  吉山明兆の‘五百羅漢図'(重文 室町時代・1383~86年)

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  吉山明兆の‘達磨蝦蟇鉄拐図'(重文 15世紀)

臨済宗東福寺派の大本山、東福寺でまず度肝を抜かれるのは巨大な三門。
応仁の乱を免れることができたこの三門は現存する禅宗寺院三門として最
古のもの。絵でもサイズの大きい作品には圧倒されるが、立体の建築物で
はその圧を体全体でうける感じがする。

ここには禅院額字などをはじめとする国宝の書跡があるが、それよりもっ
と関心が高いのは‘無準師範像'。無準師範(ぶしゅんしはん)は東福寺開
山の円爾(えんに)が入宋したとき学んだ僧。この頂相が描かれたとき
無準は61歳だった。南宋禅林を代表する名僧の肖像画と対面することを
長いこと願っていたが、3年前にようやく実現した。顔の表情がとてもリ
アルに描かれているので目の前にいるようだった。

室町時代の前中期に活躍した臨済宗の画僧、吉山明兆(1352~
1431)の2つの絵も忘れられない。五百羅漢図は大徳寺のものが有名
だが、明兆のものは色が鮮やかなことが特徴。そして、あっと驚く描写も
気を引く。白い大蛇が大きくあけた口のなかをじっとみるとなんと一人の
羅漢がいる。つっかえ棒を立てて座る場所を確保している。これはおもし
ろい!

達磨と道教の蝦蟇仙人(左)と鉄拐仙人(右)が一緒になったものは珍
しい。正面向きになると達磨の動きがまったくなくなってしまうのに、あ
えてこのような姿にしているのはみる者に達磨と一体になることを期待し
ているのかもしれない。

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2020.04.20

美術館に乾杯! 西本願寺

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     唐門(国宝)

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    対面所(国宝)

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   国宝‘親鸞聖人像(鏡御影)'(鎌倉時代・13世紀)

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  国宝‘三十六人家集'(平安時代・12世紀)

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   飛雲閣(国宝 17世紀)

東寺と西本願寺は京都駅から近くにあるので帰りの新幹線に時間的な余裕が
あればタクシーを飛ばしてさーっとみてくることもできる。西本願寺はクル
マで七条通りを走っていて豪華絢爛な唐門に度々目を見張らされることはあ
るもののが、実際になかに入ったのは一度だけ。強く印象に残っているのは
びっくりするほど広い対面所。200余の畳敷は大きな日本旅館の宴会場を
4つくらい集めた感じ。

浄土真宗本願寺派の宗祖、親鸞聖人(1173~1263)の肖像(鏡御影)
はなかなか縁がなくようやくお目にかかれたのは7年くらい前。国宝に指定
されている肖像画が3点あるが、この立ち姿は60代初めの像。いかにもお
坊さんという表情に親しみがわく。

西本願寺にあるお宝でもっとも魅了されるのが‘三十六人家集'。これまで運よ
く4回見る機会があったが、毎度染紙・唐紙を使った艶やかな料紙装飾の技
に心を奪われてきた。画像は‘重之集'だが、和歌を書いた筆の流れとバック
の模様化された草花や唐草文などのリズミカルな配置を見度に融合させた
装飾の冴えにほとほと感心させられる。

三層の楼閣、飛雲閣は残念ながらまだみていない。非対称性の構造がとて
も気になるが、ここは観ることが可能なのだろうか。わかっているのは普通
にはみれないということ。誰かの紹介とかがあれば夢が叶うだろうが、いま
のところそのコネクションはない。

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2020.04.19

美術館に乾杯! 京都御所

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   建礼門

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   紫宸殿

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   高御座

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   小御所

3年前京都へ行ったとき、観光で来日していたフランス人夫婦とちょっとお
しゃべりした。この二人今回が5度目の京都という。これには驚いた。われ
われはパリにあこがれるようにフランス人は京都に魅せられているのかもし
れない。

京都へでかける大きな旅行プランがあってお寺や神社をひとつ々つぶしてい
るわけではないが、なにかの拍子に旅心が刺激され足がむかうことはある。
京都御所に縁があったのは広島にいたとき。春秋に実施される一般公開に合
わせた企画が旅行会社からのチラシに載っていたのですぐ参加を決断した。

どこから入って紫宸殿の前の白砂に立ったか記憶があやふや。京都御所の
正面の建礼門からではなく、紫宸殿の向かって左側のほうから進んできたよ
うな気がする。内裏の正殿である紫宸殿は正面が33mもある檜皮葺屋根の
巨大な建物。階段の脇には東(向かって右)に‘左近の桜'、西(左)に‘右近
の橘'があり正殿の美しさをいっそう引き立てている。

紫宸殿のなかには入れないが、母屋の中央に天皇の御座である‘高御座'(たか
みくら)が置かれている。昨年新天皇が即位したとき目にしたもので、東博
でも特別に披露されたのをチェックしていたが、なんとなく行きそびれた。

関心の深い場所が小御所。ここが慶応3年(1867年)12月9日、徳川慶
喜の‘大政奉還'をぶっとばした‘王政復古'のクーデターが行われた場所。朝廷
の実権を握った岩倉具視ら討幕派は夜、小御所会議を開き、慶喜の辞官・
納地を強引に決定した。‘ここがあの小御所会議の舞台か'思いながらみてま
わった。

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2020.04.18

美術館に乾杯! 二条城

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    二条城二の丸 唐門

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   狩野探幽の‘二の丸御殿障壁画(大広間 一の間)'(17世紀初め)

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   狩野探幽の‘二の丸御殿障壁画(大広間 四の間)'(17世紀初め)

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   二の丸御殿大広間の欄間

日本美術を飾る絵画や彫刻の傑作を中学や高校で学ぶとき、その知識は修学旅
行という大イベントによって本物とむすびつきひとつのイメージができあが
る。京都で強いインパクトがあったのは金閣寺と二条城。この二つは‘金色'
でつながっている。

十代の頃、日本絵画のイメージは雪舟の水墨画、狩野派の金碧障壁画、宗達
・光琳の琳派、北斎・広重の浮世絵だった。そのころは若冲なんて知る由も
ない。このなかで最初に本物と接するのは狩野派の豪快な絵。でも、狩野派
の大スター、永徳の絵でない。二条城に飾ってあった狩野探幽(1602~
1674)の松や鷹が描かれた金碧障壁画。

二条城では日光東照宮で感じるのと似た高揚感が生じる。のっけから唐門に
施された鳥や草木をモチーフにした欄間彫刻にぶっ飛ばされる。これで、
狩野派の豪華絢爛な技は特別という印象が深く心に刻まれた。この欄間の細
工は二の丸御殿へ入っても次々と登場する。

大広間の一の間からすぐ連想するのは時代劇でよくみる将軍の姿。一段と高
くなった上段の間に座っており、背後の金色の壁には幹の太い松が浮き上が
るように描かれている。松の緑と茶褐色と金色の相性はとてもよく天下人の
威光をみせつけるにはうってつけの組み合わせとなっている。

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2020.04.17

美術館に乾杯! 広隆寺

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  国宝‘弥勒菩薩半跏像'(7世紀)

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  国宝‘弥勒菩薩半跏像'(7世紀末~8世紀初)

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  国宝‘千手観音立像'(平安時代・9世紀中頃)

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  国宝‘阿弥陀如来坐像'(平安時代840年頃)

数多く出かけたお寺のなかで国宝に指定されている仏像がいくつもあったな
という印象が強く残っているのが太秦の広隆寺。ここでもお目当てはなんと
いってもあの有名な‘弥勒菩薩半跏像'。視線が自然とむかうのは頬に指を
あてている右手。肘を右膝にたてこのポーズをとっているので仏像全体がと
ても立体的にみえる。中宮寺にある半跏像はつむった目が大きいのに対し、
こちらは新羅でつくられたものだから細目。そのため、素朴で初々しい朝鮮
の女性をイメージする。

ひと回り小さい通称‘泣き弥勒'と呼ばれる‘弥勒菩薩半跏像'はたしかに女性が
泣いている感じがよくでている。つくられたのは飛鳥時代の後期。この菩薩
像が身近に思えるのは唇が大きいから。こういう顔立ちの女性は散歩中でも
わりと出くわす。だから、この時代にリアリティな表現のある仏像が生ま
れたことをミステリーっぽくとらえてしまう。

霊宝殿ではここにもあそこにも国宝の仏像が並んでいる。見上げるほど背が
高いのが‘千手観音立像'と‘不空羂索観音立像'。ここの千手観音は体から左右
に突き出ている手の数があっけないほど少ない。数え切れないほど多くの手
があるタイプのものをみた回数の方が多いので、逆にこの少なめヴァージョ
ンは記憶によく残っている。

講堂の内陣にある‘阿弥陀如来坐像'はその阿弥陀如来らしい安定感が魅力。
仏像をみるポイントは顔の表情と手の動き。胸の前で両手を向かい合わせた
説法印がすごく新鮮にうつる。  

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2020.04.16

美術館に乾杯! 龍安寺

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    龍安寺

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    龍安寺石庭(方丈庭園)

石庭で有名な龍安寺を訪ねたのがいつ頃だったか記憶がなくなっている
が、クルマでの旅だったことは確かなので近くにある金閣寺や仁和寺といっ
しょに回ったのだと思う。

京都の観光名所として気になるスポットが龍安寺。禅の心に深く通じてなく
てもそれに触れられる空間に身を置くと何かを感じるかもしれない。だから、
枯山水の石庭を一度みておきたいのである。方丈の前に広がる石庭は庭なのに
木はない。長方形の敷地に白い砂と苔のはえた岩が置かれているだけ。ここは
庭ではなく大海原。

15個の岩は5つにまとまり、2頭の親虎が3頭の子虎を連れて海を渡る‘虎の
子渡しの図'をイメージさせている。この石庭は室町時代の1450年に幕府
管領もつとめた細川勝元によって建立された。

とにかくここは静か。まわりに居る人たちもなるべくゆっくり歩きつれあい
としゃべっている人はいない。みな黙って目の前にある沈黙の岩と白い砂の
無言のコラボを息を殺してみている。で、禅とは簡素で小さな芯みたいな空間
からふわっとしたおおきな宇宙とつながった世界をイメージすることなのか、
と勝手に納得する。

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2020.04.15

美術館に乾杯! 東寺 その二

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  国宝‘両界曼荼羅図・胎蔵界'(平安時代・9世紀)

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  国宝‘五大尊像 軍荼利明王'(平安時代・1127年)

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  国宝‘真言七祖像 龍知像'(平安時代・821年)

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  国宝‘海賦蒔絵袈裟箱'(平安時代・10世紀)

空海(774~835)が日本にもってきた密教のシンボル的な画像が曼荼
羅図。胎蔵界と金剛界に描かれたおびただしい数の仏様をじっとみていると
まさに大宇宙がぐるぐるまわっているように思えてくる。退蔵界に描かれた
400以上の仏はだいたいがインド風でふっくらとした丸顔。真ん中には
ニコッと笑っている仏もいる。細部の精緻な描写と鮮烈な彩色が目に焼きつ
く。

絵画で表現された五大明王をいくつかみてきたが、東寺にあるものが印象深
いのは不動、降三世、金剛薬叉、軍荼利、大威徳夫々の背景に描かれた渦巻
き状になびく火焔光のインパクトがとても強いから。明王の動きの描写で
とくに惹きつけられるのが軍荼利。多くの手と足を大きく動かす姿はじつに
エネルギッシュでたとえ悪の道に入ったとはいえその強い力でまたもとの善
へと向かわせてくれそう。

‘真言七祖像'はインド、中国の密教の祖師たちの肖像画。空海の師匠恵果はこ
のうち五祖を長安の宮廷画家に描かせ空海にもたせてくれた。そして、残り
の龍知と龍猛については空海の指示で日本で描かれたもの。目が自然と向か
う画面上のにょろにょろとした文字、飛白体は空海の筆。

‘海賦蒔絵袈裟箱'は空海が唐から請来した僧がみにつける袈裟を納めるため
につくられたもの。晴れ晴れするようなリズミカルに波打つ大海原に描かれ
ているのは魚、亀、海獣、鳥。その整然とした配置がなんとも目に心地いい。
いつも夢中になってみてしまう。

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2020.04.14

美術館に乾杯! 東寺 その一

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   東寺五重塔(国宝 1644年)

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    国宝‘不動明王坐像'(平安時代 839年)

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    国宝‘帝釈天半跏像'(9世紀)

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    国宝‘金剛法菩薩坐像'(839年)

クルマを走らせて京都に入るとき高速のインターチェンジをでたあとは目印
となる東寺を目指して北上する。だから、東寺の五重塔は京都では一番なじ
みのある建築物かもしれない。この五重塔は醍醐寺のものと同様、お寺の塔
としては最高峰に位置する象徴的な存在。高さは55mあり日本一を誇る。
あまり近づかないでみるほうがその荘重なつくりがより深く腹に落ちる。

東寺ではもうひとつすごい空間に遭遇する。それは講堂になかにできた21
の仏像がつくりだす立体曼荼羅。五仏・五大菩薩・五大明王・六天、これは
圧巻!2011年、東博に八尊が登場した、そして今年もまた東寺展が開催
されてことになっていたが、新型コロナウイルス感染の影響で予定通り行わ
れるかどうかわからなくなった。

たくさん並ぶ仏像のなかで存在感がぐっと高いのは‘不動明王坐像'と‘帝釈天
半跏像'。不動明王でとても気になるのが上の歯で下唇を噛んでいるところ。
不動明王のイメージは目をかっと見開いた怒りの形相、でもこれにはそれが
ちょっと弱いので歯をだすことにより怒りの表現をしているのだろうかと
想像してしまう。

帝釈天のイケメンぶりには200%KOされる。象の背に乗った姿がじつに
カッコいい。これほど綺麗な顔をした帝釈天がどうしてうまれたのか不思議
でならない。興福寺にある阿修羅像とともに美しさでランキングをつけたら
最高点が与えられる。

五大菩薩坐像も一体々魅了される。神護寺のものと同じく注目は宝冠と動き
を感じさせる菩薩の両手のしぐさ、2011年のときやってきたのは‘金剛法
菩薩'と‘金剛業菩薩'。今年は残りの3つのどれが展示される?

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2020.04.13

美術館に乾杯! 三千院・六波羅蜜寺

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    国宝‘阿弥陀三尊像'(平安時代 大原・三千院)

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  ‘十王像 閻魔王'(室町時代 三千院)

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   ‘平清盛像'(重文 鎌倉・13世紀 六波羅蜜寺)

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   ‘閻魔王坐像'(重文 13世紀 六波羅蜜寺)

大原三千院へ出かけたのは25年くらい前のことだが、もっとも感動した
‘阿弥陀三尊像'(往生極楽院)は安定感を産む出す三角形構図にならって
配置された阿弥陀如来像(中央)、観音菩薩坐像(右)・勢至菩薩坐像
(左)のことが今でも目に焼きつている。当時は重文だったが、今は国宝に
格上げされている。10年くらい前、その情報に接したときはすぐ納得し
た。

ここには室町時代に描かれた‘十王像'(十幅)もある。中国唐代末期から
五代にかけて十人の王が亡者を裁くという信仰ができ、鎌倉時代に日本
でも定着した。縦長の画面には中央に王とその臣、そして下に地獄や餓鬼
、修羅などのおそろしい世界が描かれている。よく知られた王は閻魔王。
ほかの王の場面にも目がよっていくのは怖いものみたさの気分があるから。
でも、残酷な刑の執行をみるのはつらい。

建仁寺のすぐそばにある六波羅蜜寺には忘れられない人物の肖像彫刻が
ある。それは出家した平清盛の像。この彫像が実際の清盛の顔をどれくら
いリアルにとらえているかわからないが、一見すると権力者というより
は思想家とか学者の姿をイメージした。おでこがでているので相当頭がよ
さそう。

絵画に登場する閻魔王より立体の彫刻になって座っているほうが、冥府の
裁判の長としての恐ろしさや威厳が直にでてくる。この大王の前では申し
開きも刑の軽減も聞いてもらえそうにないので、日頃からもろもろの欲望
の誘惑に負けないように心掛けなくてはならない。

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2020.04.12

美術館に乾杯! 神護寺

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    国宝‘薬師如来立像'(8~9世紀)

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  国宝‘五大虚空蔵菩薩坐像'(平安時代・9世紀)

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   国宝‘源頼朝像'(鎌倉時代・13~14世紀)

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   国宝‘山水屏風'(鎌倉時代・12~13世紀)

京都の西北にある神護寺でみた‘薬師如来坐像'は印象深い仏像の五本の指に入
るものとして強く記憶されている。視線を釘づけにしたのはその顔。相当厳
しい顔をしておられる。これまでみた薬師如来でこれほど緊張し畏れを抱か
される仏像はほかにみたことがない。じっとみているとだんだん怖くなって
くる感じ。そして、衣の襞の重厚感にあふれた彫りの技にも驚かされる。

‘五大虚空蔵菩薩坐像'が並ぶ多宝塔は公開されてない。そのため、お目にかか
れるのは美術館で開かれる仏教関連をテーマにした特別展。運よくめぐりあ
ったのは‘蓮華'と‘業用'の二仏、五仏は全部宝冠を被っており密教特有の装飾性
にみちた姿に魅了される。

国宝展ではたびたびお呼びがかかる‘源頼朝像'は肖像彫刻としては大変な傑作。
この人物が頼朝かどうかはいろいろ説があるが、これはもう頼朝像のイメージ
ができあがっているので別の人物にみろといわれてもも戸惑う。もうふたり
平重盛像と藤原光能像が横の並んでいるが、頼朝像が立派すぎるので影がうす
い。ポイントはきりっとした頼朝の目。この目力にはかなわない。

‘山水図屏風'(せんずいびょうぶ)というと京博にあるものとこれがすぐ思い浮
かぶ。描かれているのは秋の景色。画面の多くを占める緑に囲まれた宸殿造り
の屋敷や貴族たちのくつろいだ様子が心を軽くしゆったりした気分に誘ってく
れる。

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2020.04.11

美術館に乾杯! 妙法院

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   妙法院庫裏(国宝 1604年)

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   国宝‘ポルトガル国印度副王信書'(桃山時代・1588年)

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   狩野永徳の‘松図襖'(重文 桃山時代・1595年頃)

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   狩野山楽の‘繋馬図衝立'(桃山時代・16世紀)

国宝の追っかけをはじめてからかなり長い時間がたってきたが、誰もが知っ
ている絵や仏像についてはその対面に大きな達成感のようなものが感じ
られる。これに対し、情報が少ないお宝の場合は初物特有の新鮮な驚きが
心に深く刻まれる。京博からすぐ近くの妙法院ではそんな貴重な体験があ
った。

圧倒的な存在感をみせているのが庫裏。入母屋造りの屋根を載せ正面に唐
破風の玄関をもうけた大規模な建築物にはそうそうお目にかかれない。
そして、内部に入ると目釘付けになるのは土間・板間部分の天井を張らない
小屋組。巨大な梁の交錯する構造はとても力強い。

国宝の‘ポルトガル国印度副王信書'をみることができたのは特別観覧のタイ
ミングで京都を訪問したから。レアものに遭遇したときは満足度が一段と高
くなる。この書状はポルトガルの植民地であったゴアを支配する印度副王
から秀吉に宛てたもの。本文の冒頭の‘C'の飾り文字には秀吉の紋である桐と
冠が描かれており、素材は家畜の皮をのばしてつくられた羊皮紙。

狩野永徳(1543~1590)の‘松図襖'は‘檜図屏風'と似た構成で太い幹
の左右にのびる松葉のボリューム感が目に飛び込んでくる。緑と茶褐色と
金地の相性がよくスケールの大きさを表現するにはピッタリ。また、馬の
躍動感が見事にとらえられた狩野山楽(1559~1635)の衝立にも
思わず足がとまる。

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2020.04.10

美術館に乾杯! 銀閣寺

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    慈照寺銀閣(国宝 室町時代・1489年)

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  伊藤若冲の‘牡丹・百合図'(1747~1751年)

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  与謝蕪村の‘棕櫚叭々鳥図'(18世紀)

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  奥田元宋の‘山霊重畳図'(1996年)

修学旅行で訪問しなかった銀閣寺へでかけたのがいつだっかは記憶がまった
く残っていない。でも、よくおぼえているところが二つある。最初が中門に
むかう参道の両サイドにできた銀閣寺垣。ずっと続く背丈の倍以上もある
高い垣はエントランスの仕掛けとしてはよくできた演出。これでぐっと落ち
着く。

あの茶色の柿葺きの屋根をもつ銀閣寺(観音殿)の後ろ姿をみながら導線を
どんどん進んで行くとちょうど東求堂あたりでとても渋い銀閣寺の全体が
とらえられるようになる。前にあるのはちょっと古墳を連想させるが抽象的
な造形物のようにもみえる向月台と砂の庭、銀沙灘(ぎんさだん)。なんだ
かモダンアートと東山文化の粋とたたえられた銀閣が息をあわせてコラボし
ているよう。

金閣寺に伊藤若冲(1716~1800)の水墨画の傑作がたくさんあるの
に対し、銀閣寺が所蔵するのは着彩画の‘牡丹・百合図'。岩の描き方は清の
画家、沈南蘋が日本にもたらした花鳥画の細密描法の影響がみられるが明る
くて生き生きとした牡丹や百合の姿は若冲流の表現になっている。

若冲と同じ年に生まれた与謝蕪村(1716~1783)の‘棕櫚叭々鳥図'
や‘飲中八仙図'とはまだ縁がない。美術書でみてからずいぶん時が経つのに
その思いがなかなか実現しない。そもそも蕪村の絵が一般に公開されること
があるのかもまだ確認していない。でも、鑑賞欲は衰えていない。

奥田元宋(1912~2003)が大玄関の障壁画として1996年に完成
させた‘山霊重畳図'は運よく日本橋高島屋であった元宋の回顧展で遭遇した。
ほかにも‘流水無限'や‘湖畔秋耀'があることがわかっているのでいつかこの目
でと思っている。

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2020.04.09

美術館に乾杯! 金閣寺

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    金閣寺

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    ‘足利義満像'(重文 室町時代・15世紀)

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  伊藤若冲の‘葡萄小禽図'(重文 1759年)

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  長澤芦雪の‘白象唐子図屏風'(江戸時代・18世紀)

京都へ修学旅行で行ったとき、もっとも感激した観光名所は金閣寺(鹿苑寺)、
これが金色に輝くあの金閣寺か!当時はここの大書院に伊藤若冲(1716
~1800)が水墨画の傑作を描いていたことなど知る由もない。

また、金閣寺を建てたのが室町幕府の第三代将軍・足利義満であることは習
ったが、義満が実際どんな顔をしていたかという情報はなく、実際の顔貌が
正確に描かれているかはわかないが画像のような目がぎょろっとし丸顔だっ
たことを知ったのは成人になり日本画に親しむようになってからのこと。

大書院の障壁画は選ばれた画題は葡萄に小鳥、松に鶴、芭蕉に叭々鳥、菊に
鶏、秋海棠、竹。そのなかでお気に入りは‘葡萄小禽図'。若冲が葡萄に目を
つけたというのが興味深い。竹のように垂直性が強くなるのに比べて、葡萄
の蔓は複雑なのびかたをしているため空間構成の点で自由な表現ができる。
これに惹かれたのかもしれない。

二度目に金閣寺のとき目を楽しませてくれたのは長澤芦雪の‘白象唐子図屏
風'。このころはまだ芦雪に開眼してなく、こんな大きな象をどういうイメー
ジから描き上げたのか不思議だった。そして、白象以上に頬がゆるむのが象
のまわりで遊んでいるたくさんの唐子。背中や頭の上に乗ったり鼻をつかん
だりしている。この絵とは2011年MIHOMUSEUMであった大回顧展で
再会した。2回も楽しめたのは幸運だった。

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2020.04.07

美術館に乾杯! 相国寺 その二

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  長谷川等伯の‘竹林猿猴図屏風'(重文 桃山時代・16世紀)

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  長谷川等伯の‘萩芒図'(16世紀)

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  円山応挙の‘牡丹孔雀図'(重文 1771年)

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  円山応挙の‘七難七福図巻'(重文 1768年)

芸術も駅伝レースのように描かれるテーマやモチーフ、そして技が前の世代
から次の世代へとバトンタッチされていく。だが、ただ先人の真似をするだ
けにとどまると後世に名を残すことはできない。長谷川等伯(1537~
1610)が水墨画で猿を描いたとき手本にしたのが中国南宋時代の絵師、
牧谿の‘猿猴図'(国宝 大徳寺)。

日本画で猿の絵ですぐ思いつくのは牧谿の手長猿と長澤芦雪がよく描いた
普通のニホンザル。芦雪の猿が小さい頃でかけた動物園や大分の高崎山でみ
た猿そのものなのに対して、牧谿やそれを真似た等伯が愛着をこめて描いた
手長猿のほうは女性的でとてもやさしい感じがする。‘竹林猿猴図'では母猿の
上に乗っかっている子猿がニコッとしている。目と鼻、口を顔のまん中に
ギュッと揃えて点と短い線で表現する描き方が略画風でとても癒される。

円山応挙(1733~1795)の‘牡丹孔雀図'と‘七難七福図巻'は大阪の
萬野美のコレクションとして知られていた作品。2003年大阪市美で開催
された大回顧展では見事な孔雀の絵とともにこの美術館の名前が記憶に強く
刻まれた。時が流れて今は相国寺におさまっている。

応挙の孔雀図はこのほかにも三の丸尚蔵館とアメリカのファインバーグコレ
クションのものが有名だが、この3点で比べると相国寺のものがもっとも惹
かれる。応挙の写実の技がどれほどスゴイかをみせつけられたのがこの孔雀。
羽ひとつ々のリアルな描写を息を呑んでみていた。

‘七難七福図'は日本が昔も今も相変わらず災害大国だったことを教えてくれる
絵巻。大雨、大火といった天災だけでなく子どもを鷲のさらわれたり、大き
な蛇に襲われるといった苦難にも遭遇した。この大蛇は大げさすぎるが蛇に
苦しめられたことは容易にわかる。

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2020.04.06

美術館に乾杯! 相国寺 その一

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Img_0001_20200406222701    伊藤若冲の‘釈迦三尊像'(1761~65年)

 

Img_0002_20200406222701     文正の‘鳴鶴図'(重文 明時代・14世紀)

 

Img_0004_20200406222801    雪舟の‘毘沙門天図'(重文 室町時代・15世紀)

 

Img_0003_20200406222801   陸信忠の‘十六羅漢図'(重文 南宋時代・13世紀)

 

大徳寺同様、名前に重厚感を感じさせる相国寺は同志社大学の隣の位置して
いる。ここにある美術品は宝物館という名ではない承天閣美術館で展示され
ており、特別展も定期的に開催される。2007年元々ここにあった伊藤
若冲(1716~1800)の‘動植綵絵'(三の丸尚蔵館)が‘釈迦三尊像'と
一緒に飾られるという大イベントがあった。これは見逃せない、万難を排し
て駆けつけた。相国寺と若冲は深く結びついているので若冲の絵は着色画、
水墨画ともにいろいろある。

中国明時代の初めころ文正によって描かれた‘鳴鶴図'は若冲が花鳥画を学ん
でいたとき、模写した作品。鶴の姿はほど同じにして波と草木は大きく変装
している。原画そのものはなかなかの傑作。右の体を曲げた鶴の背景にみら
れる岩と岩の境目の表現は雪舟の‘秋冬山水図'の描き方とよく似ている。

その雪舟(1420~1506)の‘毘沙門天図'がおもしろい。注目は毘沙
門天に頭を踏みつけられている邪鬼。心を奪われる水墨山水画をみたあとで
こういうゆるキャラを連想させる描写に遭遇すると戸惑うが、そこは中国の
人物画を描くときの流儀に従っている。長い頭をした寿老人もおれば鬼を捕
まえる鍾馗を戯画的に描いたものもある。

南宋時代に描かれた‘十六羅漢図'でとくに目を惹くのは赤や緑の鮮やかな
色彩と龍や生き物のスピード感に満ちた動的表現。右の羅漢たちがみている
龍の戦いが殺気立っている。

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2020.04.05

美術館に乾杯! 建仁寺 その二

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  伊藤若冲の‘雪梅雄鶏図'(江戸時代・18世紀 両足院)

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  曽我蕭白の‘山水図'(18世紀 久昌院)

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  長澤芦雪の‘牧童笛吹図'(18世紀 久昌院)

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  白隠の‘春駒図'(18世紀 霊洞院)

京博で行われた建仁寺展(2002年)で驚いたのは宗達の‘風神雷神図'
や友松の大迫力の龍のほかにも江戸絵画のいいのがいくつもあったこと。
その筆頭が伊藤若冲(1716~1800)のすばらしい鶏の絵‘雪梅雄
鶏図'、似たような雪を背景にした鶏が細見美にあるが、軍配はこちらに
上がる。大変刺激的な色合いが雪の白に鮮やかに映える山茶花と鶏冠の
赤。数多くある若冲の鶏のなかでもっとも魅了されている。

若冲同様熱狂的なファンが多い鬼才曽我蕭白(1730~1781)の
‘山水図'も見応え十分の水墨画。上の方はもっこりした丸い岩山が
連なってやわらかい印象をつくっているのに対し、視線を下へ移していく
とこれが一転して家々や周りの岩の塊は角々した形や地殻変動で斜めに
変形されたような鋭角的なフォルムに変わる。硬軟がうまく融合してい
るので違和感がすっと消えていく。

完成度の高い若冲と蕭白の絵と較べると長澤芦雪(1754~1799)
の‘牧童笛吹図'と白隠(1685~1768)の‘春駒図'はずいぶん手抜き
をした絵という印象。銀座で高価な神戸牛を食べたあとの翌日は簡単な
讃岐うどんで軽くすますような感じ。芦雪の牧童図は笛を吹く男の子は
まあみれるとしても、牛のほうは体の一部がまともに描かれていない。
左の角と前足と後ろ足の片方はどこあるの?

霊洞院には白隠の漫画チックな人物画が何点もある。目がギョロットした
達磨図、雷神図、、お気に入りは上半身裸の坊さんが馬のくぐつ人形を操
ってすたこら歩いている‘春駒図'。そして後ろでは長頭の寿老人が太鼓を
たたいて調子をとっている。おもしろいのは二人の顔、とても似ている。

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2020.04.04

美術館に乾杯! 建仁寺 その一

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    俵屋宗達の国宝‘風神雷神図屏風'(江戸時代・17世紀)

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   海北友松の‘雲龍図'(重文 桃山時代・1599年)

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  長谷川等伯の‘松に童子図襖'(桃山時代・17世紀 両足院)

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  狩野山雪の‘唐人物図座屏'(江戸時代・17世紀)

京都最古の禅寺、建仁寺ですぐ思い浮かべるのは俵屋宗達の最高傑作
‘風神雷神図屏風'。この絵は普段は京博にあり建仁寺の本坊大方丈に飾って
あるのは精巧なコピー。そのため、実際にお目にかかれるのは琳派展とか
国宝展が美術館で開かれるとき。毎年みれるわけではないがそうあせるこ
ともない。なにしろ日本美術史における象徴的な絵の一つなので早ければ
3年くらい辛抱しているとこのちょっとユーモラスなところがある風神雷
神に遭遇できる。東京オリンピックが1年延期されたので来年琳派展を
やればその機会が訪れる。果たして。

建仁寺は海北友松(1533~1615)の絵の宝庫といっていい。
2002年京博で建仁寺展が開催されたとき、本坊にある膨大な障壁画や
塔頭の霊洞院、禅居院、大中院にも残っているものをどっとみることがで
きた。でも、この絵師の腕前について十分つかみとれず、狩野永徳
(1543~1590)や長谷川等伯(1539~1615)よりは低く
みていた。ところが、その評価は3年前の大回顧展によって一気にランク
アップした。そして超ビッグサイズ‘雲龍図'と再会しガツーンとやられた。

等伯が晩年に描いた‘松に童子図襖'と‘竹林七賢図屏風'が両足院にある。
‘松に童子図'で不思議な感覚がおこったのは右と左に描かれている童子が
地面から離れて浮かんでいるようにみえたため。これは等伯の水墨画は
地面にあたるところがはっきりと輪郭されてないために生じる錯覚。だか
ら、二人は雲の中で話しているように感じてしまう。

狩野山楽(1589~1651)の‘唐人物図座屏'の一枚‘福禄寿'がとても
爽快。鶴と童子を従えた長頭のお爺ちゃんが福禄寿。そのこぼれる笑顔を
みればこちらの頬もゆるむ。そして、後ろの松の枝ぶりのいいこと。
こういう対角線構図にモチーフをおさめるのは簡単なようにみえるが、誰
にでも描けるというものでもない。

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2020.04.03

美術館に乾杯! 三十三間堂

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     三十三間堂(国宝)

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    ‘千手観音立像'(鎌倉時代・13世紀)

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   湛慶の国宝‘千手観音坐像'(鎌倉時代・1254年)

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     国宝‘雷神像'(鎌倉時代・13世紀)

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   国宝‘二十八部衆立像 婆藪仙人'(13世紀)

京博のすぐ前にある細長い三十三間堂のなかに一歩足を踏み入れるとあっと
驚くすごい光景が目に飛び込んでくる。階段上の台座にびっしり並んでいる
黄金の千手観音立像。その数なんと1001体。この圧倒的な千手観音パワ
ーに体ごと吹き飛ばされるのではないかとつい思ってしまう。

主役の菩薩は中央の‘千手観音坐像'なのに脇役の立像たちが数の力でみるも
のの視線を一手に集めているという感じ。だから、運慶の嫡男湛慶が晩年に
つくった大きな千手観音坐像の印象が薄い。修学旅行の記憶にはこちらの
坐像はまったく残っていない。

大人になってから出かけたときは長大な空間を隅から隅までじっくりみた。
そこで発見したのは‘風神雷神像'、赤鬼像の雷神のほうがその姿にインパクト
がある。背負った太鼓を連呼して雷鳴をとどろかすエネルギッシュな躍動感
は迫力満点。宗達があの有名な‘風神雷神図'を描くとき参考にしたのがこの像。

千手観音立像の前方の並ぶ二十八部衆のなかに妙に惹かれる眷属がいる。痩
せこけた老躯がリアルに表現されている‘婆藪仙人'(ばすせんにん)お馴染み
の阿修羅や迦楼羅にくらべると人間臭いところに親しみを感じる。

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2020.04.02

美術館に乾杯! 知恩院

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   知恩院御影堂

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  国宝‘阿弥陀二十五菩薩来迎図'(鎌倉時代・14世紀)

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  ‘法然上人像'(南北朝時代・14世紀)

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  国宝‘法然上人行状絵図'(鎌倉時代・14世紀)

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  ‘法然聖人像'(重文 南北朝時代・14世紀)

修学旅行で京都へ行ったときガイドのお姉さんがどの寺へ連れて行ってくれ
たか、まず金閣寺、これはまちがいない。それから清水寺、ここはお土産屋
が沢山あったから、たぶん生八橋や五色豆を買ったはず。あとは銀閣寺、
三十三間堂、知恩院へ行ったかどうか、銀閣寺はなかったような気がするが、
三十三間堂のあの数え切れないほどの仏像がびっしり並んでいるイメージが
かすかに残っており、知恩院についても御影堂に圧倒された記憶がある。

そうすると知恩院へは2度出かけたことになる。でも、もっとも感銘をうけ
た‘阿弥陀二十五菩薩来迎図(早来迎)'はここではなく25年前奈良博での
仏教美術展でお目にかかった。なんだか映画のワンシーンをみているようだ
った。阿弥陀如来と二十五菩薩が雲に乗って降下してくるスピードの速いこ
と。これくらい速くやって来てくれたら往生者は浄土へ安心していけると思
うだろう。絵師は対角線のつくる動きの効果を知っていたにちがいない。

早来迎図とともに知恩院にある美術品で広く知られているのが浄土宗を興し
た法然(1133~1212)に関連する絵。肖像画の‘法然上人像'は御影
堂にあるが、このなかでみた覚えはなく2011年に開かれた‘法然と親鸞展'
(東博)で対面した。丸顔で穏やかな表情に接すると‘念仏をとなえておれば
いいんだからね'と励まされているようで心が落ち着く。

説法の場面が強く印象に残る‘法然上人行状絵図'は絵巻展や仏教展で必ずと
いっていいほど出品されお馴染みの上人絵伝。全部で48巻もある長い絵巻。
風俗画でもあるのでひと場面々じっくりみると大変おもしろい。‘法然聖人絵'
は四国への流罪が決まり法然上人が船に乗って京を発つ場面。上のほうで僧
たちが泣き崩れている。

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2020.04.01

美術館に乾杯! 智積院

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    智積院庭園

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  長谷川等伯の国宝‘楓図壁貼付'(桃山時代・1592年)

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  長谷川等伯の国宝‘松に秋草図屏風'(1592年)

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  長谷川久蔵の国宝‘桜図壁貼付'(1592年)

お寺や神社にある宝物館は展示のスペースが美術館のように広くないため、
自慢のお宝との距離が近くその美しさや輝きに深くつつまれることが多い。
京博からそう遠くないところにある智積院の宝物館はそんな思いが強く
残る場所だった。

ここのお目当ては書院の庭園ではなくやはり長谷川等伯(1539~
1610)の出世作となった金碧花木図。長谷川派による障壁画は全部で
5点あり、等伯が‘楓図壁貼付'と‘松に秋草図屏風'、‘松に黄蜀葵・菊図'、
息子の久蔵(1568~1593)が‘桜図壁貼付'を描き、残りを長谷川派
の絵師が仕上げた。

等伯の‘楓図'を美術本でみていたとき真ん中の深い青で描かれた流水の形が
生み出すインパクトがずっと気になっていた。これがどうしても燕のよう
な鳥が飛ぶイメージに見えてしまうのである。この絵に狩野永徳(1543
~1590)の‘檜図屏風'より魅力を感じるのはこの不思議な形態美と草木
の装飾的な描写のせい。

かえすがえすも残念なのは見事な桜の絵を描いたあと26歳で急死した
久蔵。さらに装飾性をアップさせ桜の美しさを目の前にみせてくれる久蔵の
才能の高さには驚くべきものがある。もっと生きていればわれわれの目を
楽しませてくれる絵をいっぱい描いてくれたにちがいない。ときどき神は
不条理のことをする。

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