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2019.03.31

美術館に乾杯! カーサ・ブオナローティ美

Img_0001_10      ミケランジェロがもっていた邸宅カーサ・ブオナローティ

 

Img_0005      カーサ・ブオナローティの正面

 

Img_14      ミケランジェロの‘階段の聖母’(1491年)

 

Img_0002_11      ‘ケンタウロスの戦い’(1490~92年)

 

Img_0003_9        ‘河神’(1530~34年)

 

Img_0004_3      ヴォルテラの‘ミケランジェロの胸像’(1565年)

 

ミケランジェロ(1475~1564)の虜になっているとはいえ、はじめて
のフィレンツェ旅行で作品がある教会や美術館へ全部行くというわけにはいか
ない。自ずと濃淡がついている。

2010年、バルジェッロをみたあと向かったのがミケランジェロがもって
いた邸宅カーサ・ブオナローティ。ここは邸宅美になっていてお目当ては
ミケランジェロの青年期の浮彫り2点。

16歳のときにつくった‘階段の聖母’は5年前西洋美であったミケランジェロ展に出品された。10代の半ばでこんなに優雅な浮彫りをつくってしまうのだから本当にスゴイ。

動きのある群像彫刻に魅了される‘ケンタウロスの戦い’も同じころの作品。
パトロンのメディチ家でみた古代ローマ彫刻から大きな影響を受けている。粘土などでつくった‘河神’はミケランジェロの写実的な肉体表現がヘレニズムの彫刻がベースになっていることがよくわかる。

ミケランジェロの死をみとった画家で彫刻家のヴォルテラが翌年仕上げた
‘ミケランジェロの胸像’が感慨深い。視線がすぐいくのが若いころ喧嘩した
相手に殴られてつぶれた鼻。ミケランジェロはこんな顔をしていたのか、と
じっとみてしまう。
 

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2019.03.30

美術館に乾杯! バルジェッロ国立美 その三

Img_13      チェッリーニの‘ペルセウス’(16世紀)

 

Img_0002_10      ジャンボローニャの‘メルクリウス’(1564~1580年)

 

Img_0001_9      ロッビアの‘若い少女の肖像’(1465年)

 

Img_0004_2      ベルリーニの‘コスタンツァ・ボナレックの肖像’(1635年)

ルネサンスが終わりマニエリスムの様式に人々の好みが向かうと彫刻の形にも変化がでてくる。作品のモチーフはギリシャ神話からとってもその新しい作風は刺激にとんでいる。

チェッリーニ(1500~1571)の‘ペルセウス’は映画の一シーンをみている感じ。高くあげた左手に持っているのは見る者を石に変える怪物メドゥ―サの首、シニョーリア広場に面したロッジに飾られている別ヴァージョンのペルセウスには叶わないが、見栄えのする造形にはぐっとくる。

同じく踊っているような体の動きが強く印象に残るジャンボローニャ(1529~1608)の‘メルクリウス’にも心を奪われる。天にむかって右手をのばし足を後ろにはねあがる姿はバレエの舞台をみるよう。

ロッビア(1399~1482)はフィレンツでその存在を知った彫刻家。青い地の施釉テラコッタの浮彫りが何点もあったが、とくに目を惹いたのがNHKの朝ドラに出てきそうな‘若い少女の肖像’。そのみずみずしい表情は当時もおおいにもてはやされたことだろう。

必見リストに載せていたベルニーニ(1598~1680)の‘コスタンツァ・ボナレックの胸像’は残念ながら姿を現してくれなかった。どこの部屋にあったのだろうか。むろさんはこの胸像をみたいというと係り員が案内してくれたと、おっしゃっていたが、次回はこの手を使うつもり。

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2019.03.29

美術館に乾杯! バルジェッロ国立美 その二

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     ギベルティの‘イサクの犠牲’(1401~02年)

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     ドナテッロの‘ダヴィデ’(1430~1450年代)

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     ドナテッロの‘聖ゲオルギオス’(1416~17年)

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     ポッライウオーロの‘ヘラクレスとアンタイオス’(1478年)

フィレンツェで一番の観光スポットは大聖堂。中に入ったり、ドームの上
まで昇ったりしているとフィレンツェにやって来た!という実感がだん
だん湧いてくる。

大聖堂の前にあるサン・ジョヴァンニ洗礼堂にも多くの人が集まっている
が、誰もが熱心にみているのはギベルティ(1378~1455)が門扉
のためにつくった黄金のブロンズレリーフ‘天国の門’(コピー)、これを
みるとギベルティの彫刻家として腕前は半端ではないことがわかる。

バルジェッロには門扉のコンペで一等賞をとったギベルティとブルネッ
レスキの‘イサクの犠牲’が並んで飾ってある。でも共同制作をブルネッレ
スキが嫌ったため、ギベルティが制作者になった。二つを較べるとアブラ
ハムが息子のイサクを殺めるところを止める天使の処理がすっきりして
いるギベルティのほうに軍配を上げたくなる。

ギベルティに師事したドナテッロ(1386~1466)も圧巻の作品
が並ぶ。もっともカッコいいのが‘ダヴィデ’、これは初の裸体表現のブロン
ズ像。美少年が体をS字カーブにして立つ姿に見惚れてしまう。

正面をじっとみつめる‘聖ゲオルギオス’も傑作、ほかにも‘洗礼者ヨハネ’や
ライオン像など足がとまるものが6点。ドナテッロがこれほど多くみれた
のは大きな収穫。

暴力的なイメージがつきまとうポッライウオーロ(1431~1498)
の‘ヘラクレスとアンタイオス’はまさに死闘。巨人アンタイオスをやっつ
けるには宙に持ち上げて思いっきり腰を締め上げること。地面にたたき
つけるとアンタイオスは大地から力をもらい逆襲してくるのを避けたの
である。

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2019.03.28

美術館に乾杯! バルジェッロ国立美 その一

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     バルジェッロ国立美

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     ミケランジェロの‘バッコス’(1496~97年)

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     ‘聖母子と幼児聖ヨハネ’(1503~05年)

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     ‘ダヴィデ=アポロ’(1530年)

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     ‘ブルートゥス’(1540~42年)

ローマでベルニーニの彫刻を見るのが楽しいようにフィレンツェでは美術
館や邸宅をまわるとミケランジェロ(1475~1564)とたくさん
出会える。

‘ダヴィデ’のあるアカデミア美の次に目指すのはヴェッキオ宮殿のすぐ近く
にあるバルジェッロ国立美。ここは彫刻の殿堂でルネサンス、バロック時代
に活躍したスター彫刻家の作品がずらっと並んでいる。

数が多いのがミケランジェロとドナテッロ(1386~1466)。
ミケランジェロは4点、初期の作品‘バッコス’でおもしろいのは葡萄をこっそ
り盗んでいる小さなサテュロスがバッコスの後ろに隠れていること。この
いたずらっ子の表情がじつにいい。

3つあるトンドの浮彫りでもっとも惹きつけられるのはここにある‘聖母子
と幼児聖ヨハネ’、正面をむく聖母の端正な顔が目に焼きついている。

昨年日本にやって来て彫刻ファンを楽しませてくれた‘ダヴィデ=アポロ’
日本でなかなかみれないミケランジェロが西洋美に登場したのはひとつの
事件といっていい。

歴史上の人物をモチーフにした‘ブルートゥス’はミケランジェロにとっては
異色の作品。これも一度日本で公開されたことがある。となると何年か後
‘バッコス’とまたお目にかかれるかもしれない。

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2019.03.27

美術館に乾杯! サン・マルコ美 その二

Img_10      アンジェリコの‘われに触れるな’(1440年代前半)


Img_0003_6      アンジェリコの‘キリストへの嘲笑’(1440年代前半)


Img_0001_6      ギルランダイオの‘最後の晩餐’(1480年代)


Img_0002_7      バルトロメオの‘サヴォナローラの肖像’(1499年)


ココログブログのシステムの大改訂があった後、文章と画像が以前と同じスタイルになるようあれこれトライしているが、まだ安定に至ってない。文章の塊と塊の間の間隔が一行以上になったり、画像につけたタイトルのあとにすぐ画像が張り付いたりとどうもしっくりいかない。もうしばらくお待ちいただきたい。

第一廊下につくられた僧房に描かれたアンジェリコ(1395~1455)のフレスコ画は一点々味わい絵が並んでいる。とくに印象深いのが‘われに触れるな’、庭師の姿で現れたキリストとマグダラのマリアが対面する劇的な場面が丁寧に描かれた植物のなかに浮き上がっている。この庭の描写は‘受胎告知’とすぐむすびつく。

‘キリストへの嘲笑’はちょっとシュールの絵。目隠しされたキリストのまわりに4つの手とつばを吐く男の顔が描かれている。暴行する者をこういうふうに表現することがとても新鮮だった。アッシジでみたジョットの絵にも手がでてくるのがあるが、この絵をみていたのでドギマギせずにすんだ。

ここにあるギルランダイオ(1449~1494)の‘最後の晩餐’はこのモチーフのヴァリエーションのひとつとして美術の本によくでてくる。ダ・ヴィンチのものとちがい裏切り者のユダはテーブルの手前側に座っておりキリストと使徒たちとは別扱いで描かれている。

フィレンツの街を一時支配したドミニコ会修道士サヴォナローラの肖像は強烈なインパクトをもっている。鋭い目つきで狂信的に説教されたら普通の神経の持ち主はコロッと参ってしまう。

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2019.03.26

美術館に乾杯! サン・マルコ美 その一

Img_9      サン・マルコ修道院の第一廊下
Img_0001_5      アンジェリコの‘受胎告知’(1440年代前半)
Img_0002_6      ‘アンナレーナ祭壇画’(1445年)
Img_0003_5      ‘最後の審判’(右部分 1432~35年)
Img_0004      ‘嬰児虐殺’(1450~53年)

アカデミア美のすぐ近くにあるサン・マルコ美はドミニコ修道会のサン・マルコ修道院がそのまま絵画館となったもの。ここのお目当ては修道院内にある僧坊や壁画のフレスコ画をてがけたフラ・アンジェリコ(1395~1455)。

ルネサンス絵画のなかで欠かせないピースのひとつがアンジェリコの代名詞ともいえる‘受胎告知’、目を釘づけにするのが大天使ガブリエルの羽毛、静謐な空間に際立つえんじ色、赤、黄色の精緻なグラデーション表現を息を呑んでみていた。

そして、奥行きをつくる細い柱の配置は遠近法のもつ安定感が受胎告知という厳かな儀式にはうってつけの描き方であることを示すものであり、宗教画の美しさが体をつつみこむ。

宗教画と黄金の輝きが深く結びついていることをあらためて実感するのが‘アンナレーナ祭壇画’、画面の大半を占める黄金は聖なるものの象徴として中央の聖母子やまわりの聖人たちの神々しさを演出している。

アンジェリコの絵は黄金が煌めいていても清楚で静かな雰囲気が漂うというイメージがあるため、‘最後の審判’の右の部分に描かれた地獄の場面をみると面食らってしまう。下では黒づくめの悪魔の親分が人間を食べている。日本でも西洋でも地獄の怖さは同じ。

同じく‘嬰児虐殺’も心がザワザワする一枚。悲しみのあまり泣き崩れる母親の表情がじつにリアルでプッサンの‘サビニの女たちの略奪’を連想させる。

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2019.03.25

美術館に乾杯! アカデミア美 その二

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    ボッティチェリの‘聖母子と聖ヨハネ’(1468年)


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     ペルジーノの‘聖母被昇天’(1500年)


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     ギルランダイオの‘3聖人’(1493年)


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     ポントルモの‘ヴィーナスとキューピッド’(1533年)


フィレンツェにある美術館が所蔵するルネサンス絵画は度々日本にやって
来るが、3,4年前、アカデミア美にあるボッティチェリ(1445~
1510)の初期の作品が出品された。

師匠のリッピの影響が色濃くでている‘聖母子と聖ヨハネ’をみるたびに、
ボッティチェリの特徴であるアンニュイな女性の表情が心を強く揺すぶる
としてもそのシンプルな人物描写はリッピをどこまでいっても引き継いで
いることは明らか。

‘聖母被昇天’のペルジーノ(1448~1523)と‘3聖人’のギルラン
ダイオ(1449~1494)はボッティチェリとほぼ同じ時代を生きた
人気のトリオ。

大作‘聖母被昇天’は定番の描き方で縦長の大画面を3層にわけて聖母の
被昇天の場面を描いている。視線が向かうのは中央の聖母と下の右端に
いる大天使ミカエルの武具。

背景の奥行きのある建築物によって浮き上がってみえるギルランダイオ


の3聖人(ステファヌス、ヤコブ、ペテロ)も圧倒されるほどの傑作
衣装や壁の模様の装飾的な表現も人物を際立たせている。

ポントルモ(1494~1557)の‘ヴィーナスとキューピッド’は
ミケランジェロが描いたカルトン(下絵)をもとに完成させたもの。
左の 仮面がすごく不気味でどことなくマニエリスム調。

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2019.03.24

美術館に乾杯! アカデミア美 その一

Img_0001_3      アカデミア美内の展示室

 

Img_4      ミケランジェロの‘ダヴィデ’(1501~04年)

 

Img_0003_3           ‘聖マタイ’(1505~06年)

 

Img_0002_4        ‘囚人たち アトラス’(1519~34年)

 

 

ツアーに参加してフィレンツェをまわるとき名所めぐりは街の中心にある
大聖堂と鐘楼からスタートする。その後向かうのがシニョーリア広場、
ここで目にとまるのはミケランジェロ(1475~1564)の有名な
ダヴィデ像、大理石でつくられたこの巨大な像の高さは4.1m、はじめ
てみたとき一番記憶に残ったのは頭と右手の大きいこと。

何も情報がないとこれが本物と思うが、じっさいはコピー。では、本物は
どこにあるのか、美術に対する興味が普通だと自由行動になったときこれ
を求めて大聖堂から10分も歩けば到着するアカデミア美へ出向くこと
はないかもしれない。

われわれもフィレンツェをはじめて訪れたときはルネサンス美術への思い
込みは人並み程度、でもジュネーブからの個人旅行のため自由な時間がた
っぷりあり折角だから本物もみようということになった。

美術館でみる‘ダヴィデ’は広場にあるものとちがってしきられた空間のなか
にどんと飾られてあるので存在感がグーンと増す。足の下から見上げると
不思議なことに顔と右手が異常に大きいという印象が消える。サイズ的な
違和感がないのである。像のまわりを3回くらいまわった。ミケランジェ
ロの大傑作と対面したことは一生の思い出。

ダヴィデ像の前に並んでいるのが未完成の‘聖マタイ’と‘囚人たち’の連作、
‘若い囚人’、‘目覚める囚人’、‘髭の囚人’、‘アトラス’、いずれも大理石のなか
から人物たちがミケランジェロの手によって引き出された感じ。ミケラン
ジェロはイメージした人物を懸命に石の束縛から解放してやったのだろう。

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2019.03.23

美術館に乾杯! フィレンツェ ピッティ美 その四

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     ジョルジョーネの‘人間の三世代’(1500年)
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     ジェンティレスキの‘ユディット’(1614~1620年)
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   アッローリの‘ホロフェルネスの首を持つユディット’(1620年)
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     ムリリョの‘聖母子’(1650年)
画家の価値は独自の表現にどれだけ到達できるかで決まるが、その個性的な描き方が画家の頭のなかにぽっとわきでてくるというわけでもない。偉大な画家は先達から数多くのことを学んでいる。では、イタリアで人気の高いカラヴァッジョ(1571~1610)の先達は誰かと想像をめぐらすと、ヴェネツィア派のジョルジョーネ(1476~1510)にいきつく。


ピッテイ美にある‘人間の三世代’をじっとみていると宗教性を薄くした風俗画として人々を写実的に描いたカラヴァッジョの作品と共通する雰囲気が漂う。左でこちらをみている老人の生感覚は半端ではないのですっと絵のなかに入っていける。


カラヴァッジェスキのひとりジェンティレスキ(1593~1652)の‘ユディット’も忘れられない一枚。この稀代の女流画家はユディットをテーマにして何点も描いているが、顔を横にむけ何かを注視しているユディットの姿からは敵将の首を刎ねたあとの精神の高ぶりがぴりぴり伝わってくる。


一方、アッローリ(1577~1621)の描いたユディットはホロフェルネスの首を手にして正面を向いている。美形の女性には冷たい魔性の女の匂いがして、その大胆な行動がにわかには信じられない。ええー、あの美女が怖い親分の首をちょん切ったの!という感じ。何年か前、女子大生が年配の女性を殺した事件があったが、彼女の複雑な心理状態に戸惑った。


スペインの画家ムリリョ(1617~1682)の‘聖母子’はラファエロ同様、心をとらえて離さない。ここにコレッジョの聖母子があったら最高なのだが。

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2019.03.22

美術館に乾杯! フィレンツェ ピッティ美 その三

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     カラヴァッジョの‘眠るアモール’(1608年)
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     グエルチーノの‘タビタの蘇生’(1618年)
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       ルーベンスの‘野良の帰り’(1635~39年)
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     ルーベンスの‘戦争のアレゴリー’(部分 1637~38年)
ローマの美術館や教会をまわるとかなりの数の作品を楽しめるカラヴァッジョ(1571~1610)、フィレンツェではウフィツィに出かけると3年前やって来た‘バッカス’と‘メドゥ―サ’、そしてピッティ宮殿にまで足をのばすと‘眠るアモール’をみることができる。
はじめてピッティ美を訪れたときはラファエロの‘小椅子の聖母’に集中していたので、カラヴァッジョの‘眠るアモール’は知る由もない。当時カラヴァッジョは気になる画家のひとりだったが、対面した絵は数点しかなく画業の全体像がわからなかった。

カラヴァッジョにのめりこむようになったのはそれから15年くらい経ってから。で、‘アモール’の存在を知ったが、本物をみるのにさらに10年かかり2010年の大回顧展(ローマ)でようやくこの絵と出会った。


日本でも回顧展が開催されたグエルチーノ(1591~1669)はカラヴァッジョからも構図のつくりかたなどで影響をうけている。‘タビタの蘇生’は善行をした婦人タビタを死から蘇らせる使徒ペテロの奇跡が描かれているが、右手を上げるペテロの姿や陰影のコントラストはカラヴァッジョを彷彿とさせる。

ルーベンス(1577~1640)が晩年ブリューゲルに習って描いた風景画に大変魅了されている。心に沁みるのが4,5点ある。例えば、ロンドンのウォレスコレクションの‘虹のある風景’、ナショナルギャラリーの‘ステーンの城館のある風景’。‘野良の帰り’もお気に入りの一枚だが、この絵も‘アモール’同様、みたという実感がない。

このころはルーベンスというといかにもバロック風の‘戦争のアレゴリー’のような作品に目が釘づけになっていたので、こうしたのどかな農村を舞台にした風俗画はかすりもしなかった。いつかリカバリーを果たしたい。

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2019.03.21

美術館に乾杯! フィレンツェ ピッティ美 その二

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     ラファエロの‘エゼキエルの幻視’(1518年)
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     ボッティチェリの‘聖母子と洗礼者聖ヨハネ’(15世紀)
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     ティツィアーノの‘マグダラのマリア’(1533年)
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     ティツィアーノの‘ピエトロ・アレティーノ’(1545年)
2013年、西洋美でラファエロ(1483~1520)の回顧展が開催されたとき目玉の‘大公の聖母’とともにやって来たのが晩年の‘エゼキエルの幻視’、小品だが牛、鷲、そして羽のあるライオンに乗り天使と一緒に現れた神の威厳のある姿が目に焼きついている。


男性の肖像画‘ビッビエーナ枢機卿’は写実性に富む傑作だが、これも出品された。ここにはもう一点記憶から消えない肖像画がある。それは斜視の高位聖職者‘フェドラ’


ボッティチェリ(1445~1510)の‘聖母子と洗礼者聖ヨハネ’も嬉しいことに3年くらい前のボッティチェリ展に展示された。現地でみたという実感がなかったのでいいリカバリーになった。


ここにはヴェネツィア派のティツィアーノ(1485~1576)のいい絵画が揃っている。とくに印象深いのが画面いっぱいに描かれた‘マグダラのマリア’、この別ヴァージョンがエルミタージュ美とナポリのカポディ・モンティにもあるがどれも心を奪われる。


ラファエロ同様、ティツィアーノは男性の肖像画の名手、仲の良かった詩人で劇作家のピエトロ・アレティーナの堂々とした姿に思わず足がとまる。

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2019.03.18

美術館に乾杯! フィレンツェ ピッティ美 その一

Img_0005     花の都 フィレンツェ

Img     ピッティ宮殿

Img_0002     ラファエロの‘小椅子の聖母’(1513~14年)

Img_0001     ラファエロの‘大公の聖母’(1504~05年)

Img_0003     ラファエロの‘ヴェールをかぶった婦人’(1515~16年)

Img_0004     ラファエロの‘マッダレーナ・ドーニ’(1506~07年)

イタリアの人気観光地のひとつフィレンツェはあまり大きくないこじんまりした街なので美術館や教会をまわるのがとても楽。その所在地はだいたいイメージできタクシーを使わず歩いて移動することが多い。

ピッティ宮殿はアルノ川にかかるポンテ・ヴェッキオを渡ってすぐのところにある。この宮殿がメディチ家の美術コレクションを展示するピッティ美。ツアーに参加する場合、美術館の入館はウフィッツイ美と決まっているのでここへ入るのは自由行動のときになる。

われわれは1984年ジュネーブに住んでいたとき念願のフィレンツェへでかけピッティ美にも足を運んだ。一番のお目当てはラファエロ(1483~1520)の‘小椅子の聖母’、美術の教科書でみて以来心を奪われ続けていた聖母子像なので感慨もひとしお、天にも昇るような気持でみていた。

ここにはラファエロがなんと11点もある。ウフィツィでボッティチェリ(1445~1510)の‘ヴィーナスの誕生や‘春’に感動し、そのあとピッティ宮でラファエロを堪能すればもう盆と正月が一緒に来たようなもので一気にルネサンス万歳!モードとなる。

2013年、西洋美のラファエロ展に出品された‘大公の聖母’は‘小椅子の聖母’の対面に飾られている。幼子イエスを抱く聖母マリアは本当に清楚で優しいお母さん。こんないいラファエロが一度にみられるのだからエポック的な鑑賞体験となった。

聖母子像のほかで忘れられないのは2つの肖像画、最晩年の作品‘ヴェールをかぶった婦人’は最も愛らしい女性画かもしれない。そして、強い目力に惹きつけられる‘マッダレーナ・ドー二’はダ・ヴィンチの‘モナ・リザ’をラファエロが完全に吸収した証となる一枚。一緒に描かれた夫の肖像‘アーニョロ・ドー二’も肖像画の傑作。

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2019.03.17

ヨーロッパのスーパーマーケット!

Img  スーパーマーケットのレジの女性は椅子に座って仕事をする

コンビニの24時間営業をめぐる議論が活発になってきた。散歩の途中で目にするわが家の近くのコンビニは今のところどこも24時間営業のままなので、この営業体制が変わって店舗が深夜から7時くらいまでは閉まっているという光景が当たり前になるのはまだまだ先のような気がする。

ただ、コンビニのある場所に大きな差があるので人口が多い都会と地方の普通の街とではその進捗状況は違いがでてくる。アルバイトの確保がだんだん厳しくなる状況ではお客が少なくなる深夜に店をあけておくメリットをみいだせないのは当事者でなくてもすぐわかる。

そして、昔は夜遅くまでコンビニにいた若年層は今はどんどん細っている。昼間利用する機会が増えてきたシニア世代はとっくに床についている。こういう現象が地方の実態。もう、24時間営業を前提にしたビジネスモデルは破綻しているのだから頭を切り替えて、早く普通の店の形態にした方が競争に勝ち残れる。

この24時間営業の話は従業員の働き方と深く係わっている。日本で顧客満足度調査は商品・サービスに対するユーザーの評価を知る上で大事な手法として定着しているが、この調査の本家のアメリカでは顧客の満足度だけでなく従業員の満足度もセットで測定している。

でも、日本では従業員の満足度まで真剣に考えている会社は多くないのが現状。しかし、このところ人手不足がどの業界でも喫緊の課題になっており、働き方改革にも力を入れざるを得なくなった。では、従業員の満足が大きくなるような改革ははたして進むだろうか?過剰すぎるほどお客に配慮したりそのニーズに応えようとする日本の企業の仕事のやり方がこれを阻む一番の要因かもしれない。

そんなことを思わせる光景をヨーロッパのスーパーマーケットで買い物をすると目にする。昨年、デンマークの街でスーパーマーケットに入りお土産と食料品を購入した。レジで精算するときのやり方が日本とはまったくちがう。レジの女性は座っていて、客が購入したものを自分でひとつずつベルトレーンに置きそれをバーコードが読み取った合計の値段を告げるだけ。客は支払いをしその品物をまた手にとって袋に入れる。

日本のスーパーではかごに入った商品をすべてレジ係りが打ち込み、客はトータルの金額だけを払うだけ。つくつくお客は楽だなと思う。これは日本では当たり前の光景。だから、従業員が少しでも処理が遅かったり、ミスの打ち込みがあればすぐハードクレーマーになる。

デンマークだけではない、以前スペインのグラナダで出かけた店も同じようなシステムだった。スーパーで買い物をする人はレジ係りが楽をしているとは思わない。自分がそういう仕事についたら座ってすることを望むのだから、従業員をそんな目でみはしない。

日本人は物を買う客の意識だけでなく、それを売る立場の従業員、サービスする人たちの気持ちも一緒にもつべきである。お客ファーストはとても大事なこと、しかし働く人が疲れていては真の顧客対応は果たせない。

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2019.03.16

美術館に乾杯! 国立トレチャコフ美 その四

Img_0001     シャガールの‘ユダヤ劇場へのいざない’(部分 1920年)

 

Img_0002          ‘音楽’(1920年)

 

Img_0004         ‘文学’(1920年)

 

Img     シャガールの‘結婚式’(1918年)

 

トレチャコフ美はシャガール(1887~1985)がモスクワにあるユダヤ劇場のために描いた壁画(7点)を所蔵している。これらは1995年~96年にかけて日本橋高島屋など6つの美術館を巡回した。ちょうどそのころ広島に住んでおり最後の会場となった広島県美で運よく遭遇した。

そして、この壁画とは縁が深く3年後の1999年イタリアを旅行した際、ローマの自由時間で定番の観光スポットをまわっていたとき偶然ある美術館で再会した。当時シャガールの壁画がヨーロッパ各地でも展示され人気を呼んでいたのである。

ユダヤ劇場は実業家の自宅を改造した90席の客席をもつ小劇場。シャガールは33歳のときその客席を取り囲む壁に7点の壁画を描いた。最も大きな‘ユダヤ劇場へのいざない’は縦2.8m、幅7.9mのワイド画面。逆立ちする軽業師や伝統的な民族音楽の楽士、牛などがシャガール独特のフォルムで軽やかに描かれている。

‘音楽’(2.1m×1.0m)はお馴染みの‘屋根の上のヴァイオリン弾き’、そして‘文学’(2.1m×0.8m)ではモーゼの律法記者の静かな姿。その横にほぼ同じサイズの‘舞踏’、‘演劇’が並んでいる。高さが2mもある画面が4つも揃うとシャガールがぐっと近くなる。

ロシア革命の翌年に描かれたのが‘結婚式’、シャガールと愛するベラの頭の上を天使が守護するように飛ぶ様子がとてもいい。じつはこの構図は1500年頃のフランス絵画‘金門での出会い’を拝借している。

 

 

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2019.03.15

美術館に乾杯! 国立トレチャコフ美 その三

Img_0003     カンディンスキーの‘コンポジションⅦ’(1913年)

Img_0004     カンディンスキーの‘モスクワⅠ’(1916年)

Img_0002     マレーヴィチの‘干し草づくり’(1909年)

Img_0001     ペトロフ=ヴォトキンの‘赤い馬の水浴び’(1912年)

幅の広い抽象絵画のなかでとくに心を奪われているのはカンディンスキー(1866~1944)、彼が生まれたのはモスクワ。画家としては異色の経歴の持ち主で当初は法律や経済を学んでいた。頭脳明晰なため学んだモスクワ大学で教授の道に進むこともできた。

ところが、1996年モスクワで開催された展覧会でみたモネの‘積み藁’をみて俄然絵画に目覚め、30歳のときミュンヘンへ移り絵描きをはじめる。はじめは風景画を描いていたが、次第に音楽と絵画を融合を図ろうと抽象絵画に突き進む。‘コンポジションⅦ’はこのミュンヘン時代に描かれた大作、縦2m、横3mもある。

この初期の抽象画をみたのは現地ではなく、2002年東近美でおこなわれたカンディンスキー展。その目玉が‘コンポジションⅦ’、ほかにもトレチャコフにあるこの時期の作品が数点出品された。日本には来なかった‘モスクワⅠ’は第一次世界大戦のためモスクワに戻ったカンディスキーが具象的な建物と直線や曲線を組み合わせてモスクワのイメージを表現したもの。

カンディンスキーに劣らずスゴイ抽象画を生みだしたマレーヴィチ(1878~1935)の初期の作品は人物の描き方がロボットのよう。小さい頃遊んだおもちゃのロボットを思い出す。‘干し草づくり’は中央で仁王立ちする農夫の圧倒的な存在感が目に焼きつく。手に鎌をもち髭面とくれば忘れようがない。

マレーヴィチと同じ年に生まれたペトロフ=ヴォトキン(1878~1939)の‘赤い馬の水浴び’は強烈な印象を放つ。金髪の裸の男性が乗る馬は全身赤。青騎士のマルクは黄色い牛を得意としたが、ペトロフ=ヴォトキンは大きな赤い馬を描いた。色彩の力をすごく感じる絵。

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2019.03.14

美術館に乾杯! 国立トレチャコフ美 その二

Img_0001     クロムスコイの‘忘れえぬ女’(1883年)

Img     レーピンの‘レーピン夫人と子どもたち’(1879年)

Img_0002     レーピンの‘クールスク県の十字架行進’(1883年)

Img_0003     セローフの‘桃と少女’(1887年)

昨年秋、渋谷のBunkamuraで展示されたクロムスコイ(1837~1887)の‘忘れえぬ女’をみられた人がいるかもしれない。この美術館はトレチャコフ美と深く結ばれており、2009年にもこの絵をメインにした‘忘れえぬロシア リアリズムから印象主義’を開催し、その4年後の2012年には‘レーピン展’。どちらも出かけたので渋谷へは足が向かわなかった。

‘忘れえぬ女’は何度目の来日だったかご存知だろうか。なんと8度目!だから、ロシアリアリズムの作品は日本の展覧会シーンでは定番のひとつといっていい。2007年にも東京都美でサンクトペテルブルクにある国立ロシア美の名品展があり、クロムスコイやレーピン(1844~1930)などオールスターの絵がかなりの数披露された。

レーピンの初期の傑作‘ヴォルガの船曳き’(1870~73年 国立ロシア美)はまだ縁がない。一度小樽の美術館にやって来たという情報があるが、ぼやっとした話のまま。またサンクトペテルブルクに行くときはなんとしても目に入れたい。

‘レーピン夫人と子どもたち’はモネやルノワールの絵が目の前をよぎる。1873年パリに留学したレーピンは外光派や新しい印象派の絵に強く刺激された。この絵の光の表現やくつろいだ家族の光景はまさに印象派そのもの。

大作‘クールスク県の十字架行進’は正教国ロシアではありふれた宗教行事である十字架行進に集まる大勢の人々を描いた見ごたえのある風俗画。貴族、農民、軍人、僧侶、、、が画面の奥からここちらにむかって思い思いのスタイルで進んいく。絵画は社会とともにある。

レーピンに師事したセローフ(1865~1911)は肖像画の名手で‘桃と少女’がなかなかいい。こういうみずみずしい表情をつかみとれるのはほんの一握りの才能に恵まれた画家だけ。


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2019.03.13

美術館に乾杯! 国立トレチャコフ美 その一

Img     モスクワ市街図

Img_0002     アイヴァゾフスキーの‘嵐の海’(1868年)

Img_0003     ポレーロフの‘モスクワの庭’(1878年)

Img_0001     シーシキンの‘ライ麦畑’(1878年)

Img_0004     レヴィタンの‘静かな修道院’(1890年)

モスクワにある美術館でよく美術本にでてくるのは国立トレチャコフ美とプーシキン美。1999年にロシアを旅行したときモスクワの観光巡りにはトレチャコフ美への入館が組み込まれていた。現地の女性ガイドが有名な絵の前では画家や作品のことを説明してくれた。

これを横目にみながら彼女が触れなかったもので強い磁力を発している絵を見逃さないようにきょろきょろしながら進んだ。とにかく時間が限られているからとても忙しい。ロシアの画家が描く風景画はフランスの外光派や印象派の絵影響をうけており、思わず足がとまるものがたくさんある。

海景画を得意としたアイヴァゾフスキー(1817~1900)の‘嵐の海’は画面に釘づけになる感じ。この画家の作品は2007年東京都美であった‘国立ロシア美展’に大作‘天地創造’など3点が出品された。イギリスのロマン派のマーチンと似た画風で大変感動した。

代表作‘モスクワの庭’を描いたポレーロフ(1844~1927)は印象派のモネ(1840~1926)やルノワール(1841~1919)と同世代の画家。‘モスクワの庭’はどこにでもある景色だが明るい色調と幼児たちの愛らしい姿が心を打つ。ポレーロフはこのモチーフを何点も描いており、ここには人物なしのものもある。

シーシキン(1832~1898)の風景画にも大変魅了されている。‘ライ麦畑’は美術館の図録に見開きで載っている傑作。黄色のライ麦と後ろに並ぶ大きな幹の木々とのコントラストがじつにいい。いかにもロシアの大平原を連想させる。

ポレーロフの教え子だったレヴィタン(1860~1900)の‘静かな修道院’はいつまでもみていたくなる一枚。夕暮れ時、川の向こうに建つ修道院の一部が川の水に映りこむ光景が目にやさしい。そして、川にかかる橋の曲がり具合がなんともいい。

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2019.03.12

美術館に乾杯! モスクワ 武器庫

Img     クレムリンのなかにある‘武器庫’

 

Img_0001     ‘モノマフ帽’(13世紀末~14世紀初め)

 

Img_0003     ‘皇帝ミハエル・ロマノフの王冠、笏、球’(1627年)

 

Img_0004     ‘皇帝ピュートル1世のダイアモンドの帽子’(1682~87年)

 

Img_0002     ‘モスクワ・クレムリンエッグ’(1906年)

 

昨年春に北欧を旅行し念願のフィヨルドとムンクの‘叫び’を楽しんだ。次のヨーロッパは2度目のロシアを計画している。お目当ては印象派コレクションが有名なモスクワのプーシキン美と新館ができたエルミタージュ美。

モスクワの街は非常にわかりやすい都市構造になっていて、中心のクレムリンと赤の広場から大きな通りが東西南北に放射状に広がっている。メインの観光スポットがクレムリン、内部にはロシア建築の粋を集めた宮殿、教会僧院、武器庫(博物館)などがある。

武器庫という名前から銃や大砲、武具をみるのかなと思うがそれだけではない、ここにはサプライズの宝物がどんど飾ってある。女性なら目が輝くに違いない。

ロシア皇帝の戴冠式で伝統的に使用されていた‘モノマフ帽’をはじめ、エメラルド、サファイア、ルビーやダイヤモンドが惜しげもなくちりばめられた王冠、笏、球は息を呑むほどの美しさ。ほかにもエカテリーナ2世が戴冠式でかぶったダイヤモンドの王冠とか玉座もある。

事前の情報から期待していたのが名高いロシアの宝石職人ファベルジェが工房を総動員してつくった‘イースターエッグ’、全部で10個。‘モスクワ・クレムリンエッグ’は2007年江戸東博にもやって来た。卵の装飾はクレムリンのなかにあるウぺンスキー大聖堂の建物をイメージしている。

 

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2019.03.11

美術館に乾杯! カイロ考古学博 その二

Img ‘王子ラー・ヘテプとネフェルトの像’(第4王朝:紀元前2620年~2500年)

Img_0003    ‘カー・アペルの像’(第5王朝:紀元前2500~2350年)

Img_0004  ‘イクナトンの巨像’(第18王朝:紀元前1580年~1314年)

Img_0005     ‘パピルスと蓮と鴨’(18王朝:紀元前1580年~1314年)

カイロ考古学博の展示室は1階と2階。2階に‘ツタンカーメンの黄金のマスク’があるのでツアーでは黄金のマスクとほかの宝物をみて大半の時間はつぶれる。あとは体力勝負でツタンカーメン以外のものがどれくらいみられるか。

威厳に満ちた第2ピラミッドを建造したカフラーの玉座像にも足がとまるが、長く見ているのはリラックスして対面できる‘王子ラー・ヘテプとネフェルトの像’や西郷隆盛を連想させる‘カー・アペルの像’。

サッカラから出土した‘カー・アペル’は世界最古の木造肖像彫刻。タイトルには‘村長’とついているが、実際はメンフィスの神官のリーダーだったカー・アペルという人物。人間の姿をそのまま表現した感じ。

古代エジプトで異色のファラオは第18王朝に太陽神アテンを信仰する宗教革命を行いアマルナに遷都したアメンヘテプ4世(イクナトンに改名 紀元前1372~1354年)。その王の巨大な像が目に焼きついている。

馬面で唇が厚くさらにお腹が女性のように膨らんでいるときたら、その異様な形を忘れようがない。写実性を尊ぶのがアマルナ美術だから王はこんな格好をしていたのだろう。

日本画の花鳥画に馴染んでいるとアマルナ王宮の床に描かれていた‘パピルスと蓮と鴨’には強く反応する。こんなところに日本画があったの?!パピルスと蓮のはえた水場から羽ばたく鴨は生き生き描写されている。これは参った!

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2019.03.10

美術館に乾杯! カイロ考古学博 その一

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Img_0004   ‘ツタンカーメンの黄金のマスク’(第18王朝:紀元前1580~1314年)

Img_0003    ‘ツタンカーメン王と王妃’紀元前1330年頃)

Img     ‘青い河馬像’(第12王朝:1991年~1785年)

Img_0002     ‘トエリス女神像’(第26王朝:紀元前666年~524年)

昨年12月、NHK総合でも4K・8Kの番組‘ツタンカーメンの秘宝’が放送された。そこに気になっていた現在建設中の‘大エジプト博’がでてきた。日本のOADがかなり入っている。場所はピラミッドのあるギザ地区。カイロ考古学博のコレクションをここへ移転して名前も‘大エジプト博’に変えるようだ。その時期は当初は2018年だったが、遅れて2020年に延びている。

カイロ考古学博のシンボルは世界的に有名な‘ツタンカーメンの黄金のマスク’、若くして亡くなった未知の王ツタンカーメン(在位紀元前1347年~1338年)はこの黄金のマスクのおかげでエジプト考古学のスーパースターになった。

件の番組ではマスクに使われている金の材質や眉毛や目のまわりをおおう濃い青のラピスラズリについて学者の詳細な分析を紹介していた。現代のハイテク、ナノテクノロジーと同じくらいの技術によって生み出されたいう。これには仰天!そして、玉座の背もたれに描かれた‘ツタンカーメン王と王妃’もついつい長くみてしまう。

愛嬌のある‘青い河馬像’はファイアンスと呼ばれる焼物でできたもの。貴族たちの副葬品として棺のなかに置かれた。ゆるキャラの河馬としてデビューさせたらすぐ全国から名前がエジプト大使館にどんどん飛び込んできそう。

‘トエリス女神像’はどしっとした存在感のある姿が忘れられない。一般庶民の家で祀られて妊娠と出産の神として崇められた。硬い石から削りだされているが、高い技術によってぽちゃとした柔らかい質感を出している。

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2019.03.09

美術館に乾杯! アヤ・ソフィア

Img     ‘アヤ・ソフィア’(537年)

Img_0002     メインドームの内部

Img_0001     ‘ディーシスのモザイク’(1260年代)

Img_0003     ‘コムネノスのモザイク’(12世紀)

Img_0004     ‘ブルー・モスク’(1616年)

ヨーロッパをまわるといろんなタイプの教会に遭遇する。別格扱いのローマの‘サン・ピエトロ大聖堂’、高さで圧倒される‘ケルン大聖堂’(170m)、また‘トレド大聖堂’もスゴイなという印象を受ける。まだ見てない教会でも感動しそうなのがたくさんある。

こうした見慣れた形とは違うビザンチン様式の傑作がイスタンブールの‘アヤ・ソフィア’。まわりにいくつもの小さいドーム、中央に大きなドームがそびえる。十字の形をした空間にドームがいくつものる構造がビザンチン様式の特徴。いくつもの石を積み重ねてつくられた巨大ドームは高さ56m、直径31m。

そして、もう一つの特徴が荘厳な神の世界を表現する鮮やかなモザイク画。そのなかでとくにいいのが‘ディ―シス(請願図)のモザイク’。中央にキリスト、左に聖母マリア、右に洗礼者ヨハネが描かれている。1453年、コンスタンティノポリスを征服したスルタン・メフメット2世は荒れ果てた聖堂を修復しモスクとして使用することにするが、賢明にもモザイク画を壊さず残した。

コムネノス一族のモザイクは真ん中の聖母子像がじつにいい。モザイクでは人物に強いインパクトをもたせるため目は丸くくっきり描かれている。だから、印象が深く刻まれる。

‘アヤ・ソフィア’の近くにあるイスラム教のモスクとして1616年に建てられた‘ブルー・モスク’はバスの中からみただけ。ツアーではここへは行かない。またこの街を訪れることがあればいの一番に出かけるつもり。

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2019.03.08

美術館に乾杯! イスタンブール考古学博

Img_0002     トプカプ宮殿から徒歩5分で着く‘イスタンブール考古学博’

Img  ‘アレキサンダーの石棺:戦争の場面の浮き彫り’(紀元前4世紀後期)

Img_0003     ‘左端に描かれたアレキサンダー’(拡大)

Img_0001     ‘アレキサンダーの石棺:狩りの場面の浮き彫り’

Img_0005     ‘ライオンが襲いかかる馬の後ろがアレキサンダー’(拡大)

トプカプ宮殿を見た後自由行動の時間があったのですぐ近くの‘イスタンブール考古学博’へ駆け込んだ。事前の情報でここの‘アレキサンダーの石棺’が必見とあったので期待が高い。この石棺は1887年、当時オスマン帝国の領土だったレバノンのシドンの王家の墓地から発見された。つくられたのは紀元前4世紀後半。

ほとんど完全な形で残っていたというのが驚き。石棺はギリシア神殿を模し、棺の長い面にはアレキサンダー大王率いるギリシアとペルシアの戦闘の場面とライオンと鹿狩りの場面が描かれている。モチーフの動的描写を浮き彫りでこれほどリアルの表現できるのは並みの腕前ではでてこない。200%圧倒された。

‘戦争の場面’では左端の馬上の若者がアレキサンダー、馬は前足をあげアレキサンダーが右手で槍を構える姿がじつの絵になる。このシーンはイッソスの戦い(紀元前333年)を描いたものとされている。

‘狩りの場面’でアレキサンダーが描かれているのは拡大画像の左の人物。ここではギリシア人とペルシア人が一緒になってライオンと鹿を仕留めようとしている。そして、馬の下にはグレイハウンドが3匹おり、その1匹はライオンの足にかみつている。このころから狩りに犬を連れていっていた。美術によっていろんなことを学ぶ。

この場面で視線が長くとどまるのは馬の胸に噛みつくライオン。アフリカ動物紀行で登場するライオンは小さい動物を襲うことは多いので、こういう馬に襲いかかるシーンはギョッとする。

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2019.03.07

美術館に乾杯! トプカプ宮殿

Img_0002  ボスポラス海峡を挟んで西がヨーロッパ側、東がアジア側

Img_0003     トプカプ宮殿の全景

Img     ‘トプカプの短剣’(1741年)

Img_0001     ‘スプーン職人のダイアモンド’

Img_0005     ‘イズミックタイルが鮮やかな割礼の間’(16世紀)

Img_0004     ‘麒麟のモチーフのある大皿’(明代 15世紀)

海外の観光地にでかけて事前の魅了度が上に大幅に外れることがある。2001年、イスタンブールやカッパドキアなどを訪れたトルコはそのいい例。旅行から帰ってしばらくは友人にトルコにはバラエティに富んだすばらしい観光資源があることを熱く語っていた。

旅のスタートとなったイスタンブールではオスマン帝国の繁栄を今に伝える‘トプカプ宮殿’(1465年完成)の宝物に200%心を奪われた。宮殿正面の敬礼門から入って右手の宝物殿に飾られているお宝のなかでとりわけスゴイのが‘トプカプの短剣’

スルタンたちは緑のエメラルドをとりわけ好み、3cmほどの大きなエメラルドが柄のところに3つも埋め込まれている。これほどサプライズのある宝物には滅多にお目にかかれない。目玉はもうひとつある。‘スプーン職人のダイアモンド’、世界で2番目に大きいダイアモンド(86カラット)のまわりを49個の小さなダイヤモンドがとりかこむ。漁師の拾った原石をスプーン職人が3本のスプーンと交換したという伝説がその名の由来。

宝物殿のあと宮殿のなかをどういう風にまわったか記憶が薄れているが、鮮やかな青が目にしみるイズミック・タイルを使って植物模様を装飾した居室の壁はよくおぼえている。

エメラルドの短剣と大きなダイアモンドでもう感動の袋はパンパンに膨れたが、やきもの好きにとって嬉しい出会いが待っていた。それはもと厨房だったところが展示室になっている中国陶磁。その数1万点にのぼり、本家の北京、ドレスデンにつぐコレクションを誇っている。

その一部が2007年東京都美にやって来たが、明代の青花‘麒麟のモチーフのある大皿’のように見事に青が発色した皿や壺がずらずらっと並んでいる。夢のような気分でながめていた。

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2019.03.06

美術館に乾杯! ペルガモン博 その二

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Img     ‘イシュタール門’(紀元前6世紀初め)

Img_0002     ‘イシュタール門正面の竜と雄牛のレリーフ’

Img_0003     ‘ネブカドネザル二世の南宮殿謁見の間’

Img_0001     ‘バビロンの神々の行列街路’

‘ペルガモンの大祭壇’で遭遇したすばらしいヘレニズム彫刻と同じくらい強く心を打ったのが新バビロニア王国のネブカドネザル二世が建築した‘イシュタール門’。釉薬を使って焼成された青い煉瓦の美しさが目に焼きついている。

これが復元されているのは博物館の正面右の建物。ドイツの考古学隊がバビロンでこの都市防衛のために築かれた‘イシュタール門’を発掘したのは1902年。紀元前539年、アケメネス朝ペルシャに滅ぼされたあと長い間土と砂に埋もれていたが、帝国の栄光が再び蘇った。

壁面は花模様で縁取られ、雄牛や竜の浮き彫りが門のセンターを境にして鏡合わせのように向き合い、整然と描かれている。動物を主役にした装飾はこの前の‘バビロンの神々の行列街路’でさらにパワーアップする。壁の上を悠然と歩くライオンの姿はバビロンの守護神女神イシュタールのシンボルでもある。

イスラムの教会のなかにいるのかと錯覚するのが幾何学模様と花を連想させる豪華な装飾の割合が多い‘ネブカドネザル二世の南宮殿謁見の間’。これは‘イシュタール’のすぐ横に復元されている。

これまでみたメソポタミア文明の遺跡で圧倒的な存在感をもっているのは大英博でみたアッシリア帝国の守護神‘人面有翼守護像(ラマックス)’(紀元前888年~859年頃)。そして、ペルガモンで模様として大変魅力のある竜やライオンと出くわした。両方みれたのは生涯の喜び。

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2019.03.05

美術館に乾杯! ペルガモン博 その一

Img     古代ギリシア地図

Img_0004     ベルリン ペルガモン博

Img_0005     ‘ペルガモンの大祭壇’(紀元前160年頃)

Img_0003     ‘ゼウス群像’

Img_0002     ‘アテナ群像’

Img_0001     ‘戦うヘカテ’

Img_0007     ‘アルテミスと敵’

ベルリンを観光したのは2003年。自由行動の時間がなかったので数多くある美術館のなかで出かけたのはペルガモン博のみ。館内に入って度肝を抜かれたのはトルコ・ペルガモンのアクロポリスに建っていた大祭壇がなんと再現されていたこと。

この大祭壇が完成したのは紀元前2世紀の中頃。この年の2年前トルコを周遊したときペルガモンにも寄り、トロヤヌス神殿、円形劇場などをみたが、大祭壇があった場所には5段の基壇が残っていた。そのイメージを膨らませることがベルリンで実現した。実際に旧ペルガモン博に大祭壇が復元されたのは1901年のこと。

大祭壇(35m四方)の東西南北の各フリーズに描かれているのはギリシア神話にもとづきゼウスと神々が巨人族と戦い勝利するまでの様子。ヘレニズム期の彫刻はローマのヴァチカン博にある‘ラオコーン’のように、男性は筋肉隆々で勝者、敗者が入り混じる戦いの構成ではひねりの入った人体表現もあり、戦いの激しさや悲哀が顔の表情にリアルに出ているのが特徴。

とくに見ごたえのあるのが東のフリーズ、‘ゼウス群像’では左から2番目が力をみなぎらせて立っているゼウス。‘アテナ群像’は巨人アルキオネウスと戦うアテナの強さが目立つ。髪をつかまれた巨人の胸に蛇が噛みついているが、‘ラオコーン’がダブった。同じく東フレーズにある‘戦うヘカテ’と‘アルテミスと敵’の動きのある描写にも惹きこまれる。

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2019.03.04

美術館に乾杯! オリンピア博

Imgオリンピア遺跡‘ゼウス神殿’(右)の後方が‘スタジアム’、‘ヘラ神殿’(左)

Img_0004     ‘ゼウス神殿の西側破風’(紀元前460年)

Img_0002     ‘ケンタウロスと戦うテーセウス’(紀元前460年)      

Img_0001     ‘黄金のりんご’(紀元前460年)

Img_0003     プラクシテレスの‘ヘルメス像’(紀元前4世紀末)

ペロポネソス半島の西にあるオリンピア遺跡で美しい女優が聖火リレーの火を太陽の光からとりだす恒例の儀式がTVのニュースで映し出されるたびに、ここを訪れて本当によかったなと思う。

紀元前776年からはじまった古代オリンピックはゼウス神殿の後方にあるスタジアムで行われた。トラック一周は192m、今もゴールラインが残っている。そして、観客席は3万人収容できた。

オリンピア博のみどころのひとつがゼウス神殿の東側と西側の破風を装飾していた彫刻群。西側は‘ラピタイ人とケンタウロス’が描かれている。中央にいるのはアポロンでその右が‘ケンタウロスと戦うテーセウス’、人間の上半身と馬の足をもつケンタウロスは荒くれで好色。

婚礼の酒宴が進むとすぐケンタウロスは本性をだしラピタイ人の花嫁にちょっかいをだす。こうなるともう収拾がつかない。ラピタイの男たちとケンタウロスは大乱闘。英雄テーセウスもケンタウロスを退治するのに一役買う。

ゼウス神殿の前室と後室の上部にほどこされたレリーフに描かれたのは‘ヘラクレスの12の難業’、そのひとつが‘黄金のりんご’。真ん中が球を背負うヘラクレスで右がヘラクレスに代わって黄金のりんごをとってきたアトラス。

紀元前4世紀中頃の大彫刻家プラクシテレスの作品はヘレニズム時代に模刻されたものが多いが、この幼児のディオニュソスを抱くヘルメス像は唯一残る原作とみなされている。ヘラ神殿で発見された。彫刻好きならこれをみるだけでもここへやって来る価値があるかもしれない。

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2019.03.03

美術館に乾杯! デルフォイ博

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Img_0001     ‘デルフォイの御者’(紀元前475年)

Img_0005      ‘デルフォイの御者’(拡大)

Img_0006     ‘ナクソス人のスフィンクス’(紀元前560年)

Img_0003     ‘アポロン’(紀元前550年)

Img_0004     ‘アンティノウスの像’(130~38年)

ギリシア旅行のなかで特別な思い入れがあったのがパルナソス山の中腹にあるデルフォイ遺跡。ガイドブックに載っているアポロンの神殿、へその石、劇場などをみてまわりながら、判断に悩む古代のギリシア人が最後に頼ったデルフォイの神託に今お願いするとしたら何があるか、考えたりした。

ツアーはこの後デルフォイ博に入館する。ここにサプライズのブロンズ像があった。クラシック期の傑作‘デルフォイの御者’、目が点になるのが御者の目のまつげ、こんな細かいところまで手をいれてる彫像はみたことがない。色のついた石の目とまつげがこれほど見事だとほかの彫像がみれなくなる。

高さ2.3mもある‘ナクソス人のスフィンクス’も目に焼きついている。スフィンクスというとエジプトのカイロのあるものがすぐ浮かぶが、こんな小ぶりのスフィンクスも悪くない。モローの絵にスフィンクスがでてくるが、参考にしたのはギリシアの彫刻だろう。

象牙と金で制作されたアポロン像の頭部はパッとみるとエジプトの神官のイメージ。目、鼻、口はいずれも大きく存在感はすごくある。そのため、ロマンチックなイメージをもつアポロンとのちがいが気になる。横には同じつくりの女神アルテミスがいた。

最後の11室にある‘アンティノウスの像’はローマ時代につくれたもの。ご承知のようにアンティノウスは14代皇帝ハドリアヌス(在位117~138年)の愛した青年。アウグストゥスとハドリアヌスを除いてもっとも多く残っている大理石像、ローマのカピトリーノ美でもみたが全部で100体くらいあるらしい。

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2019.03.02

美術館に乾杯! アクロポリス博 その二

Img     ‘ぺプロスのコレー’(紀元前460年)

Img_0003     ‘エユテュディコスのコレー’(紀元前490年)

Img_0002     ‘アテナ’(紀元前520年)

Img_0001     ‘哀悼のアテナ’(紀元前460年)

アクロポリス博で最も印象深かったのは‘コレー’と呼ばれるアルカイック時代の着衣の少女像。10くらい並んでいる。青年像を表す‘クーロス’が裸体像なのに対し、コレ―の見どころは身につけている衣服や髪に彩色された色が残っているところ。着色された彫刻は滅多にみれない。

ひと目見てKOされたのが‘ぺプロスのコレー’、ぺプロスは厚手の布地でできた古風なマントのこと。目が大きくアルカイックスマイルをみせるこの少女はモデル派遣会社の前でたむろしているとすぐ会えそうな明るい子。

この売れっ子モデルの横にいるのは成熟した女性の雰囲気が漂う‘エウテュディスコのコレ―’、少女の表情は生感覚のままという感じの肖像がこの頃存在していたというのは驚き。

思わず足がとまった‘アテナ’はアクロポリスの神殿破風に装飾されていたもので蛇の飾りのついた神楯アエギスを構える女神アテナが巨人ギガンテスと戦っている場面。体を前に倒した動きのある表現が心をとらえて離さない。

勇ましい女神がいる一方、クラシック期につくられた‘哀悼のアテナ’では戦争で亡くなった戦士を悲しみ槍にもたれながらうつむくアテナの姿がある。こういう彫刻をみると神の超越的な力でなく生身の人間のように心の揺れもそのままみせる女神に共感をおぼえる。

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2019.03.01

美術館に乾杯! アクロポリス博 その一

Img_0002     アクロポリスの丘に建つパルテノン神殿

Img_0003     ‘仔牛を担う人’(紀元前560年)

Img_0001     ‘馬上の青年’(紀元前6世紀)

Img_0004     ‘パンアテナイア祭に列席する神々’(紀元前440年)

Img     ‘水かめを運ぶ若者たち’(紀元前440年)

アテネにあるパルテノン神殿をみることはエジプトのピラミッド同様、わが家における一大イベント。その夢が叶ったのは2004年。それから15年の月日が流れたが、相変わらず大勢の観光客が押し寄せているにちがいない。今も神殿の修復工事は続いているのだろうか。

われわれがでかけたとき、神殿の右後ろの場所にアクロポリスで発掘された出土品や神殿を飾っていた大理石彫刻が収められたアクロポリス博があった。その後博物館はこの遺跡のふもとに移転し、2009年6月に新アクロポリス博としてオープンした。展示スペースは旧館の10倍になったというから、またアテネを訪問する機会があったら立ち寄ってみたい。

ギリシャ旅行から帰ったあと‘彫刻をみるならギリシアへ行け’、と専門家のような顔をして西洋美術が好きな人に熱く語っていた。いろいろな美術館をまわるとこんな形の彫刻もあったのか、と感心するものとも出くわす。アルカイック期の‘仔牛を担ぐ人’はそんな彫刻。これはアクロポリス山上に献上された最古の彫刻のひとつで肩に仔牛を担ぐ男性の大きな目と明るくきびきびした姿が目に焼きつく。

これぞ‘アルカイック・スマイル’という感じなのが‘馬上の青年’、こういう穏やかな笑いの表情は男性のイメージと結びつかないので勝手に胸から下はみないで若い女性を思い浮かべている。

嬉しいことにここではパルテノン神殿のフリーズや破風を飾っていたレリーフが楽しめる。東側フリーズにあった‘パンアテナイア祭に列席する神々’には左からポセイドン、アポロン、アルテミスが描かれている。そして、顔がよく残っている‘水かめを肩にかついで運ぶ若者たち’は北側フリーズに彫られていた。

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