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2018.09.27

美術館に乾杯! テイト・モダン その七

Img_0001     デュビュッフェの‘流体の木’(1950年)

Img     フォンタナの‘スパチアル概念’(1949~50年)

Img_0002     デュシャンの‘大ガラス’(1915~23年)

Img_0003     マン・レイの‘オブジェ’(1921年)

具象画っぽい抽象表現というのは幾何学的な抽象にくらべれば鑑賞に使われるエネルギーの消耗度は少ない。さらに子どもが描くような人物がでてくるとさらに楽。‘生の芸術’の画家デュビュッフェ(1901~1985)の前では頬が自然にゆるむ。

‘流体の木’は太古の時代に現れた人類の祖先が洞窟のなかに残した人間や動物の姿がそのままかぶってくる。母親は生まれたばかりの赤ちゃんを細い腕で抱いているようにみえる。粗い絵肌や極めて平板な描写はプリミティブアートの見本のような作品。

画家でもあり彫刻家でもあったフォンタナ(1899~1968)の作品をたくさんみたのは2度訪問したローマの国立近代美。それまでフォンタナのイメージは大原美にある赤い画面がナイフでスパッと切られたものだったが、ここには押しピンで開けたような小さな穴で形のゆがんだ円をいくつもつくっていくものがあった。テイトの作品はこれと同じで小さな穴は上下にゆらゆらしながら水平に進んでいく。

デュシャン(1887~1968)のあまりに有名な‘彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも(大ガラス)’はロンドンにもあった。これまでフィラデルフィア美にある原作と4つあるレプリカの2つをみた。もう一つのレプリカは1980年に完成した東大ヴァージョンで2005年横浜美で開催されたデュシャン展に出品された。

デュシャンのダダ仲間、マン・レイ(1890~1968)が制作したアイロンを連想させる作品はデュシャンの‘帽子掛け’や‘スコップ’とまったく同じ発想。だから、レディ・メイドは数限りなく生まれてくる。ただし、芸術家がつくったものでなければ話にならない。勘違いは悲劇のもと。

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