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2018.08.31

美術館に乾杯! ポンピドー・センター その九

Img     デュビュッフェの‘ジャズ・バンド’(1944年)

Img_0003     ラムの‘物音’(1943年)

Img_0004     ブローネルの‘パラディスト’(1943年)

Img_0001     バスキアの‘奴隷市場’(1982年)

絵画と長くつきあっているとたまに小学生の子が描いたものと変わりないな、という作品に遭遇する。デュビュッフェ(1901~1985)の‘ジャズ・バンド’はまさにそんな一枚。メインバーは左からピアノ、ギター、ヴォーカル、クラリネット、サックス、ベース。デュビュッフェはジャズが好きで自分でも演奏しデューク・エリントンを聴いてたらしい。

プリミティブアートのはじまりはピカソのアフリカの仮面をとりこんだ‘アヴィニョンの娘たち’、この絵の37年後にでてきたデュビュッフェの絵は紙で象った人物のシールを黒く塗り、等間隔にペタペタ貼ったようなイメージ。青や赤が混じっているがモノトーンによる表現はこういう絵にはぴったりくる。

アフリカの黒人彫刻がどーんとでているのがキューバ生まれのラム(1902~1982)が描いた‘物音’、キュビスミの影響が強くみられ‘アヴィニョンの娘たち’の顔の描き方が頭をよぎる。この絵は2年前の国立美のポンピドー展でお目にかかり興味深くみていた。

デュビュッフェやラムと同世代のブローネル(1903~1960)はルーマニアの出身。作品を知ったのは30年くらい前のTVの美術番組、頭でっかちの奇妙な裸体?怪物?になぜか惹かれた。シュルレアリストは写実性をベースにモチーフを変容させたダリがおり、また漫画チックな表現で人気のミロもいるが、ブローネルのシュールさも強く印象に残る。

デュビュッフェの再来かと思わせるのがバスキア(1960~1988)の‘奴隷市場’、デュビュッフェには‘アンズ色のドテル’という未開人を連想させる知識人の肖像画があるが、この‘奴隷市場’の左に描かれている髑髏にそっくり。デュビュッフェがバスキアの絵をみたら裸足で逃げるかもしれない。

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2018.08.30

美術館に乾杯! ポンピドー・センター その八

Img_0001   ド・スタールの‘楽士たち(シドニー・ベシェの思い出)’(1953年)

Img_0003     マレーヴィチの‘走る男’(1933~34年)

Img_0002     キルヒナーの‘化粧(鏡の前の女)’(1912年)

Img     ビュフェの‘室内’(1950年)

独自の抽象絵画を切り開いた画家なら形象にこだわらず色面で画面を埋めたり、幾何学模様の組み合わせを色彩を使って際立たせる表現だけに専念しているイメージが強いが、画家によっては途中からまた具象的な作品に戻ることもある。

サンクトペテルブルクに生まれたド・スタール(1914~1955)にも楽しい気分にさせてくれる絵がある。自殺する2年前に描かれた‘楽士たち(シドニー・べシェの思い出)’、楽器を演奏する人物の顔に目や鼻はないが、彼らがエネルギーを注ぎこんでいる得意の音楽は今まさにのりのり状態。手にしているのはクラリネットかサクソフォンだろうか。

シュプレマティズム絵画をつくりあげたマレーヴィチ(1878~1935)はカンディンスキー(1866~1944)とともに抽象絵画の象徴的な存在だが、晩年にはまた具象画に取り組み‘走る男’というわかりやすい絵を描いた。大股で走っているのはロシアの農民、ツァーリスムや共産主義から必死に逃れているのである。

背景にみえる白い建物がツァーリスムの監獄で赤い建物が共産主義の監獄。マレーヴィチは1930年にソビエト政府から危険思想人物として痛めつけられたからついこんな絵を描きたくなったのだろう。

ドイツ表現主義のキルヒナー(1880~1938)はずっと気になっている画家。登場する女性は細長いガラスの破片をイメージするような体形をしているのが特徴。そして、当時の活気づくベルリンの空気を反映し洒落てはいるがどか退廃的な匂いが漂う。クセのある絵画だが妙に惹かれる。

日本のコレクターが熱心に作品を集め静岡県に専用の美術館ができたベルナール・ビュフェ(1928~1999)、これまで3回くらいまとまった形で作品をみる機会があった。カマキリみたいな人物表現はじつにユニーク、2年前国立新美で行われたポンピドー展に出品されたのが‘室内’。ここには男女がでてこないが、マティスのような平板に描かれた室内空間に魅了された。

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2018.08.29

美術館に乾杯! ポンピドー・センター その七

Img_0001        ブラックの‘ギターを持つ男’(1914年)

Img     グリスの‘朝食’(1915年)

Img_0002     リプシッツの‘ギターを持つ水夫’(1917~18年)

Img_0003     ブランクーシの‘接吻’(1925年)

20世紀に入り伝統の美術にとらわれない表現スタイルが百花繚乱のごとく生まれてきた。そのど真ん中にいたのがピカソ(1881~1973)とブラック(1882~1963)がはじめたキュビスム。二人は同じような作品を描いたのでどっちのほうがいいという感覚はない。

ブラックの‘ギターを持つ男’の謎解きには一つコツがある。キュビスムではモチーフを部分々をいろん視点からみて形変えそのあとそれらを再構成するから、なにか痕跡のある部分が目にとまればしめたもの。一つ二つみつかればそれで十分。ほかのパーツは忘れていい。

この絵では上のほうに箱のような形をした顔の左半分がみえる。そして、視線を下げるとちゃんとギターがある。あとは何にでもイメージは膨らむ。男の体が洗濯板(昔のものだが)が何枚も重なっているようにみえるのはギターの音色が空気の振動と重なるから。

ピカソと同郷のスペイン画家グリス(1887~1927)は総合キュビスをさらに進化させ、朝食という日常のひとコマをテーマにしている。画面のどこに焦点をあてるとみやすいかは人それぞれ。とりあえずは黄土色の部分の丸いグラスや皿たりがとっかかりになりそう。切り貼りされた緑の新聞は朝食のとき欠かせないアイテム。はじめにテーブルにつくのはやはりこの家の主人だろうか。

キュビスムに影響を受けた彫刻家リプシッツ(1891~1973)は先人に習って‘ギターを持った水夫’をつくりあげた。キュビスムは角々とした形の重なりあいで構成されるだから、こうした立体の彫刻ではキュビスムの本領が発揮しやすい。だが、水夫はイメージしにくい。ギターの弦と水夫の手はとらえたような気がするが、、、

リプシッツにくらべればとてもわかりやすいのがルーマニア出身のブランクーシ(1876~1957)の‘接吻’、ユーモラスでプリミティブな味をだしているこの石像は今は休館しているブリジストン美へ行くたびにながめていたので愛着がある。ところで、新しいブリジストン美はいつ開館?来年、それともオリンピックの年?

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2018.08.28

美術館に乾杯! ポンピドー・センター その六

Img     シャガールの‘ロシアとロバとその他のものに’(1911年)

Img_0001     シャガールの‘杯をかかげる二重肖像’(1917~18年)

Img_0002     デュフィの‘旗で飾った通り’(1906年)

Img_0005     ドローネーの‘詩人フィリップス・スーポー’(1922年)

印象派以降に登場し新しい絵画の創造に強い力を発揮し画壇をリードしたのはピカソ(1881~1973)とマティス(1869~1954)とシャガール(1887~1985)の3人。小さい頃美術の本をみて画家の存在がとても大きく感じられたという思いがあるので、ポンピドーで彼らの作品に遭遇するとなにか特別の絵をみている気になる。

シャガールの作品はポンピドーにたくさんあるが、過去に何度も日本でシャガール展が開かれたおかげでもうみるものがないのではという感じ。図録をチェックすると2002年には東京都美になんと41点もやって来た。数が多いのでポンピドーの展示室に飾ってあるのはその一部。

人気の作品は‘ロシアとロバとその他のものに’と‘杯をかかげる二重肖像’、どうしてこんな絵が描けるのかびっくりするのが‘ロシアとロバ’、夜空に浮かぶ女性の首は身体から分離しているのだからスゴイ。江戸の絵画の髑髏ッ首を連想する。赤いロバだって屋根の上にいるのだからわけがわからない。

‘杯をかかげる二重肖像’はとてもおもしろい絵。シャガール夫妻の幸せ気分が跳びはねたため二人はガリバーのような巨人になってしまった。背景にみえる橋や教会、建物の小さいこと。でも、普通ならシャガールがベラを肩車するところだが、この絵は逆。シャガールには計算があってみる者の視線がまず女性に向かうようにしたかったのだろう。主役は自分ではなくベラだと。

フランスの国旗、三色旗が何本もはためくデュフィ(1877~1953)の‘旗で飾った通り’が描かれたのは1906年、ポンピドーの図録‘20世紀美術の100選’(2010年制作)はこの絵からスタートする。旗がこれほどインパクトがある作品はモネの‘モントルグイユ街、1878年パリ万博の祝祭’とこれが双璧。

シャガール同様、パリの象徴的な風景であるエッフェル塔を何度も描いたドローネー(1885~1941)、‘詩人フィリップス・スーボー’は明るい色彩で彩られ円を多用した抽象絵画に移行する前の作品。家の外のエッフェル塔が傾いているだけでなく、部屋の柱もシュールぽく表現され真直ぐのびていない。

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2018.08.27

美術館に乾杯! ポンピドー・センター その五

Img     ローランサンの‘アポリネールと友人たち’(1909年)

Img_0002     レンピッカの‘緑の服の女’(1930年)

Img_0001     カーロの‘額縁’(1938年)

Img_0003     バルテュスの‘キャシーの化粧’(1933年)

世の中に名が知られている女性の画家は男性にくらべて圧倒的に少ないから、画集に載るような画家はすぐ覚える。近現代絵画の世界で有名なのはマリー・ローランサン(1883~1956)、ジョージア・オキーフ(1887~1986)、タマラ・ド・レンピッカ(1898~1980)、フリーダ・カーロ(1907~1954)、フランケンサーラー(1928~)といった面々。

このなかでポンピドーにあるのはローランサンとレンピッカとカーロ、美術館が2010年に作った図録‘20世紀美術の100選’にはカーロの‘額縁’が選ばれている。蓼科?に専属の美術館があるローランサン、昨年東京に移って来た?とい情報を耳にしたが場所は確認していない。これまでこの美術館がもっているローランサンを千葉の川村記念美で開催された回顧展(2010年)でみたり、大谷コレクションにも足を運んだの目はだいぶ慣れている。

恋人の詩人アポリネールや二人の橋渡しをやってくれたピカソなどが描かれた‘アポリネールと友人たち’は図版では知っているが、美術館で展示されたものはまだみていない。通常は倉庫にあるのかもしれない。右にいるローランサンの顔はアポリネールとピカソを除く人物とよく似ていてみんな狐の目。後年の作品のように薄いピンクや紫を使った乙女チックな画風にはまだなっていない。

淡い雰囲気の女性とは対照的に濃いキャラクターが画面をどーんと占めるのがレンピッカの肖像画、8年前Bunkamuraで大レンピッカ展に遭遇した。そのときの図録の表紙に使われていたのがアールデコ全開の‘緑の服の女’、まさに古いフランスやドイツの映画にでてくる金髪女優という感じ。華やかなパリの社交界にさっそうと現れて男性の視線を釘づけにする光景が目に浮かぶ。

メキシコのフリーダ・カーロの回顧展が10年くらい前?Bunkamuraであったようだが、当時情報がなくて見逃した。小さい頃から肉体的に大変辛い思いをしてきたカーロに関心があり、意表をつくシュールな絵をまとまった形でみたいと願っているがその可能性があるだろうか。‘額縁’は2010年に入館したときは展示してなかった。残念!

バルテュス(」1908~2001)はメトロポリタンにもいいのが揃っているが、ポンピドーには‘キャシーの化粧’、‘鏡の前のアリス’、‘トルコ風の部屋’などがあり、これらは運がいいことに日本でもみることができた。2010年の回顧展(東京都美)に結集した作品をみてバルテュスが偉大な画家であることを再認識した。

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2018.08.26

美術館に乾杯! ポンピドー・センター その四

Img     スーチンの‘ドアボーイ’(1928年)

Img_0003  ドンゲンの‘フォリー・ベルジェールのダンサー、ニニ’(1908年)

Img_0002     キスリングの‘若いポーランド女性’(1928年)

Img_0001     モディリアーニの‘母と子’(1919年)

マドリードのプラドではスペインの画家の絵が数多く展示されているように、ポンピドーではフランス人画家や芸術の都に世界各地から集まってきた若者たちの作品が所狭しと飾られている。エコール・ド・パリの画家、スーチン(1893~1943)はリトアニアから19歳のときパリにやって来た。

スーチンのイメージはア赤の色で出来上がっている。赤い衣服、赤い花、赤い肉、、職人シリーズの一枚、‘ドアボーイ’でも少年は濃い深紅の制服を身につけ両手を腰にあてたポーズで描かれている。子どもなのに中年の男性のように倦怠感のある顔がどうにも気になる。

フォーヴィスムのドンゲン(1877~1968)はオランダの出身、この画家に目覚めたのはエルミタージュやアムステルダムのゴッホ美で遭遇した女性の肖像。気品のある裕福な女性がモデルになることもあれば、気性の激しいダンサーなども登場する。

‘フォリー・ベルジェールのダンサー、ニニ’はいかにもキャバレーの踊り子という感じ。ところが、この絵で不思議なのが女性の頭の一部が欠けていること。なぜ、こんな描き方をしたのだろうか。ひょっとして、ドンゲンは浮世絵にでてくる人物表現に影響を受けたのだろうか。こういう頭がちょこっと画面からはみ出しているのはほかにも何点かある。

ポーランドのクラクフの裕福なユダヤ人家庭に生まれたキスリング(1891~1953)はモンパルナスに集まった外国人芸術家のひとり。スーチン、モデイリアーニ(1884~1920)、藤田嗣治(1886~1968)、パスキン(1885~1930)たちは皆絵描きで名を成そうと懸命に生きた仲間だった。ポンピドーはキスリングの‘若いポーランドの女性’やモディの‘母と子’、‘赤い顔’などを所蔵している。

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2018.08.25

美術館に乾杯! ポンピドー・センター その三

Img     ユトリロの‘コタン小路’(1910~11年)

Img_0003     藤田嗣治の‘フルール河岸 ノートル=ダム大聖堂’(1950年)

Img_0001     ヴラマンクの‘赤い木’(1906年)

Img_0002     ドランの‘コリウールの風景’(1905年)

旅心が刺激されるのはTVの旅行番組に感動したり映画館のスクリーンに映し出される街や自然の風景をみたことがきっかけになることが多い。そして、絵画好きならもうひとつプラスされる。それは画家が描く風景画。フランスのパリへ行きたくなったり、南仏のアルルへあこがれるのはユトリロ(1817~1955)やゴッホ(1853~1890)の絵をみたからかもしれない。

ユトリロの代表作‘コタン小路’は実際にはみていないが、モンマルトルの山頂をめざして同じような急な坂を登っていった経験があるので場所の雰囲気はつかめている。小路の両サイドの建物が白を基調にして遠近法で描かれている。騒々しい音は全く遮断されあたりは静寂そのもの。この絵によってパリのひとつのイメージができあがった。

一週間前、藤田嗣治(1886~1968)の大回顧展をみたとき、ポンピドーからとてもいい風景画は出品されていた。はじめてお目にかかる‘フルール河岸 ノートル=ダム大聖堂’、色彩の調子がユトリロの‘白の時代’の作品とよく似ている。藤田はユトリロを意識したのだろうか。

ヴラマンク(1876~1958)をこれまでほとんどとりあげていないのは描く風景画が近代的なのだがとても重いから。ダーク系の色で画面が占められるのも絵にのめりこめない一因。でも、‘赤い木’は赤が強く主張していて引きこまれる。これなら絵の前に長くいれる。

ドラン(1880~1954)はマティスとともに色彩の革命であるフーヴィスムを推進した人物。‘コリウールの風景’はフォーヴィスムらしく光輝く色彩に力があり、明るい海の光景と港に集まる人々の生き生きとした動きがストレートに伝わってくる。

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2018.08.24

美術館に乾杯! ポンピドー・センター その二

Img_0002     レジェの‘余暇 ルイ・ダヴィッドに捧ぐ’(1948~49年)

Img_0001     レジェの‘コンポジション 2羽の鸚鵡’(1935~39年)

Img_0003     ルオーの‘傷ついた道化師’(1932年)

Img     ルオーの‘鏡の前の娼婦’(1906年)

訪問した美術館の数が増えていくと美術館が自慢にしている作品の存在の多きさがよくわかるようになる。そして、画家が描いた作品をみるときそうした作品、つまり代表作が目の前にある絵の良さをはかる基準として働きだす。この絵はすばらしい出来栄えだが、あの代表作は超えていないな、といった具合い。

ポンピドーは名だたるブランド美術館だから、美術本に載っている傑作中の傑作が続々登場する。その一枚がレジェ(1881~1955)の‘余暇 ルイ・ダヴィッドに捧ぐ’、この絵はなんと1997年日本にやって来た。彫刻のような人物表現を前にして、これがレジェの代表作か、と夢中になってみた。

大人の男女が4人、そして女の子と男の子、皆正面を向いている。ピクニック気分を象徴するのは2台の自転車と子どもがもっている花。さらに空に飛び交う白い鳩が姿をみせると、余暇を200%エンジョイしている家族は自然からも祝福されているようにみえる。‘ルイ・ダヴィッドに捧ぐ’は一体何?ダヴィッドが描いた‘マラーの死’が地面に腰をかける女性のポーズとからんでいるのは事実だが、絵のイメージにはまったくかかわらない。この際忘れてみるほうが楽しい。

‘コンポジション 2羽の鸚鵡’はびっくりするほど大きな絵、縦4m、横4.8mもある。2006年のときミュージアムショップで‘ポンピドーの名作100選’という名がついた図録(英語版)を購入した。この本で選ばれているレジェは‘余暇’ではなくて超大作の‘2羽の鸚鵡’とキュビスム風の‘結婚式’、これだけ大きいとレジェの彫刻を思わせる似たような人物が目に焼きつく。また遭遇したい。

欧米の美術館をまわって気がつくのはルオー(1871~1958)の絵に出くわさないこと。NYのMoMAにもボストン美にもルオーがあることはわかっているのに、なぜか展示されてない。アメリカ人には暗くて重い画風なので人気がないのだろうか。だから、ポンピドーでルオーと会うのは貴重な鑑賞体験。ここには4,5点あるが心を打つのは‘傷ついた道化師’や‘鏡の前の娼婦’。

ルオーの情報をひとつ、パナソニック汐留ミュージアムでは開館15周年を記念して‘ルオー展’が開催される。会期は9/29~12/9 目玉の作品としてポンピドーにある‘ヴェロニカ’や‘聖顔’がやって来るのだからたまらない。再会が楽しみ!

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2018.08.23

美術館に乾杯! ポンピドー・センター その一

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Img_0001     外壁についたエスカレーターが目を引く外観

Img_0003     マティスの‘ルーマニアのブラウス’(1940年)

Img_0002     マティスの‘王の悲しみ’(1952年)

Img_0004     ピカソの緞帳‘パラード’(1917年)

Img_0005     ピカソの‘朝の調べ’(1942年)

パリが美術鑑賞には理想的な都市だということは美術に興味がある人なら誰もが感じることだろう。団体ツアーに参加す場合、ルーヴルとオルセーは行程に必ず入っている目玉の観光スポット。では、近現代美術の殿堂であるポンピドー・センターも皆と一緒に入館するかというと、これはない。旅行会社は現代アートまで面倒見てくれない。

そのため、ここへ来るオプションは2つ。自由時間を使って出かけるか、はじめから個人旅行にしてじっくり楽しむ。はじめてポンピドーを訪問したのは後者、今から35年前のこと。当時、現代アートはまだ目が慣れていなかったが、花のパリでアートを鑑賞するというのはわが家にとっては好奇心と憧れの入りまじった一大‘ハレ’体験だった。

ポンピドーに着いて度肝を抜かれたのが建物の異様な姿。美術館というよりは工場とか新商品をどっと集めた品評会(メッセ)の会場という感じ。あっけにとられるのが外壁についているトンネルのようなエスカレーター。これで5,6階まで上がったところが展示フロア。

これまで運よく3回訪問する機会があったので、展示室のレイアウトはおおよそ頭の中に入っている。驚かされるのはピカソ・マティスからカンディンスキー、ロスコ、ウォーホル、、、まで全部揃っていること。現代アートをかじりたくなったらここへ来なければはじまらない。

ポンピドーで印象深い作品として真っ先にあげたくなるのがマティス(1869~1954)、ここは何点も所蔵しているが最も魅了されているのが‘ルーマニアのブラウス’、ぱっとみると平板的な描き方だが、背景の赤の壁からルーマニアの綺麗なブラウスを着た女性がとびだしてきたよう。これほど安心してみられる肖像画はそうない。

切り紙絵の‘王の悲しみ’はどういうわけかまだ縁がない。みたくてしょうがないがこれは常時展示されていないため、いつ鑑賞にありつけるのか見当がつかない。でも、望みを捨てたわけではない。パリ旅行のプランが煮詰まれば美術館のHPで展示情報をつかみ作戦を練るつもり。

1997年、東京都現美ですばらしいポンピドー・コレクション展が開催された。この時出品されたのがピカソ(1881~1973)が描いた巨大な緞帳‘パラード’、これはコクトーが書いたバレエ劇‘パラード’のためにつくられた緞帳のデザイン。これが日本で見れたのは一生の思い出。

ピカソが61歳のとき仕上げた‘朝の調べ’は画面の大きさと水平と垂直を組み合わせた人物の配置のおもしろさが妙に心をくすぐる。ピカソが年老いてから描いた作品はそれほどグッとこないが、これは例外。もう一点、背景の緑が目に心地いい‘ミューズ’にも足がとまる。

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2018.08.22

美術館に乾杯! ギュスターブ・モロー美 その二

Img_0001     ‘一角獣’(1885年)

Img_0002        ‘妖精とグリフィン’(1878年)

Img     ‘ケンタウロスに運ばれる死せる詩人’(1890年)

Img_0003     ‘エウロペ’(1868年)

日本にモロー美から作品がやって来たのは2回くらい記憶している。さらに、2002年に開催されたアメリカのフォッグ美名品展でもモローはサプライズのラインナップだった。‘出現’の別ヴァージョンなどが含まれていたのでトータルの満足度でいうとモロー美よりフォッグのコレクションのほうが良かった。

モロー美蔵では何年前みたのか思い出せないが花園気分満載の‘一角獣’が目に焼きついている。一角獣の絵というと、ローマのボルゲーゼ美でラファエロの‘一角獣を抱く貴婦人’をみたが、この一角獣の存在感はあまりない。これに対し、モローの絵には3頭も登場する。右にいる白い花と剣をもつ裸婦と一角獣に視線がぐっと寄っていく。

この絵のほかにも水彩の‘ケンタウロスに運ばれる死せる詩人’と‘エウロペ’に魅了された。モローの色使いには宝石のような煌きがある。‘ケンタウロス’では詩人の着ている衣装と地面に多く使われている緑の美しさに心が動かされた。

‘エウロパ’はギリシャ神話の中にでてくるゼウスが牛の変身して綺麗なエウロパを略奪する場面を絵画化したもの。二人とも彫刻のように量感的に描かれているため硬い感じを与えるが、構図のとりかたが上手く見栄えのする姿になっている。

妖精の表情にドキッとするのが‘妖精とグリフィン’、妖精はすがすがしく軽やかなイメージだが、この妖精は妖艶でとても濃いキャラ。じっとみていると女優の菜々緒を連想した。夜間、森で出会ったら惹かれるというより吸いこまれるようで怖いかもしれない。

日本でいつかモロー美の‘出現’がお披露目されることを密かに期待している。果たして実現するだろうか。

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2018.08.21

美術館に乾杯! ギュスターブ・モロー美 その一

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Img     邸宅美術館のギュスターブ・モロー美

Img_0001    作品がぎっしり並ぶ展示室

Img_0002        ‘出現’(1876年)

Img_0003          ‘ユピテルとセメレー’(1896年)

西洋画家のなかには強烈なインパクトをもつ一枚の絵でその名が深く心に刻み込まれている画家がいる。すぐ思いつくのが‘叫び’で有名なノルウェーのムンク、そして、19世紀の象徴主義の画家モロー(1826~1898)もそのひとりかもしれない。彼が描いたのは宙を舞うヨハネの首。

モローの代表作‘出現’を知ったのは30年くらい前、裸身のサロメと切り落とされた洗礼者ヨハネの首がガチンコにらみ合っているこの絵を見たときの衝撃の大きさははマグニチュード8級、体が200)フリーズした。こういう絵は是非とも本物をみたい。その思いがだんだん大きくなり、その4年後の1991年に展示されているパリのギュスターブ・モロー美を訪問した。

かなり前のことだから、どういうルートで美術館にたどり着いたかはすっかり忘れている。この美術館はモローが住んでいた4階建ての私邸を美術館に向きに増改築したもの。3階までどの部屋も壁いっぱいに作品が飾られている。それほど大きくない部屋でこれほど多くのモローにかこまれるとモローとの距離は一気に縮まる。

また、水彩画や素描は壁や棚に収納されているパネルを引き出してみることができるので、時間をかければモローの画業全体をつかむことも可能。われわれはほかの美術館の予定があるため油彩画だけを楽しんだが、熱心にパネルをみている人が結構いた。

作品がたくさんあるためお目当ての‘出現’も特別扱いの展示にはなっておらず、あっさり対面したという感じ。サロメとヨハネの目がどちらもとても鋭く、次第に緊張感がましてくる。この絵に遭遇したことで後にR・シュトラウスのオペラ‘サロメ’にすぐ入りこめるようになった。文学、絵画、音楽の融合に絵画の力が強く作用した一例といえる。

モロー芸術の集大成となったのが最晩年の大作‘ユピテルとセメレー’、これもさらっと展示。ギリシャ神話に長く親しんでいるのでひとつ々の話がこういう風に精緻に絵画化されると画面の隅から隅まで夢中でみてしまう。絵の完成度としてはこれが最も高く、とくに視点が集中するのは装飾性豊かに描かれた女性の姿、数が多くその姿態は妖艶な美しさにつつまれている。一生忘れられない鑑賞体験となった。

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2018.08.20

汐留ミュージアムの‘河井寛次郎展’!

Img     ‘三色打薬双頭扁壺’(1961年)

Img_0003     ‘青瓷鱔血文桃注’(1922年)

Img_0002     ‘練上鉢’(1956年)

Img_0001     ‘白地草花絵扁壺’(1939年)

パナソニック汐留ミュージアムへ出かけるとき気をつけなければいけないのはここの休館日は水曜ということ。久しぶりの訪問のためこれをコロッと忘れ再度新橋へ行くはめになった。現在、ここで‘河井寛次郎展’(7/7~9/16)が開催されている。

河井寛次郎(1890~1966)や濱田庄司(1894~1978)の回顧展はこれまで数多くみてきたので、京都の河井寛次郎記念館蔵品が中心になっているこの没後50年記念展は当初はパスのつもりだった。ところが、なにかの拍子で寛次郎の中では最も惹かれている三色打薬のまだみてないものが出品されていることがわかった。

存在を知ってしまうともうダメ、赤と緑と黒の釉薬がアクションペインティングみたいに打ちついたこのモダンなやきものの魅力から逃れることはできない。入館するとすぐ二つの土管をくにゃっと曲げてくっつけたような形をした‘双頭扁壺’のところに向かった。これは個人の所蔵。目にどんと飛び込んでくる3つの色の力強いこと!毎日みれるコレクターが羨ましい。

この展覧会もホテルオークラのアートコレクション展同様、‘一点買い’だから鑑賞の時間は長くない。記念館蔵では魅了されている桃の感じがじつによくでている‘青瓷鱔血文桃注’、地形の褶曲を連想させる‘練上鉢’、そしてしゃきっとした菱形の扁壺が心を打つ‘白地草花絵扁壺’をピンポイントで楽しんだあとすっと退館した。

やきもののほかにも手の木彫像やゴールドのキセルなど記念館の自慢の作品がずらっとでている。京都に足を運ばなくて寛次郎のすばらしい作品がたくさんみれるのだから申し分ない。だから、寛次郎好きには有り難い展覧会、再チャレンジした甲斐があった。

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2018.08.19

第24回 秘蔵の名品 アートコレクション展!

Img_0001     浅井忠の‘牛追い’(1904年 歌舞伎座)

Img      菱田春草の‘黒猫’(1910年 播磨屋本店)

Img_0002     山口華楊の‘望郷’(1980年 ウッドワン美)

Img_0004     葛飾北斎の‘武松候虎の図’(19世紀 日本通運)

2年連続でホテルオークラで行われている‘秘蔵の名品 アートコレクション展’(7/30~8/23)を楽しんだ。昨年は美人画にスポットが当てられたが今年は動物画がたくさん飾られている。

地下鉄銀座線の虎の門で下車して15分くらい歩くとホテルオークラに着く。急坂を登る途中足をとめてだいぶできてきた建設中の新しいホテルをみていた。来年の9月にオープンするときはどんな姿をみせるのか、なにしろ日本でトップのホテルのリニューアルだから常連客でもないのワクワクしている。

最初の部屋に一度見たことのある浅井忠(1856~1907)の‘牛追い’が現れた。これは京都大原の牛追いを描いたもの。強い光をあびてできた牛と大原女の影が印象深い。この影の強さはオルセーにあるコルモンの‘カイン’における群衆の影と同じ。浅井忠の画力は相当高い。

菱田春草(1874~1911)の‘黒猫’が2点でている。ひとつは個人蔵の‘柿に猫’、これは運よく見る機会があった。もう一点は播磨屋本店蔵の‘黒猫’、これはお目にかかったことがなく画集にも載っていないので大きな収穫。当初はパスのつもりだったが出かける気になったのはチラシにこの黒猫が載っていたから。春草は大観と同様、一生つきあっていこうと思っているので、‘一点買い’の展覧会となっても足は展覧会場に向かう。

日本画家で動物画の名手というと山口華楊(1899~1984)が真っ先にあげられる。そのため作品の数が最も多く5点くらいでていた。とくに心を奪われたのが地面に体をつけて休んでいる駱駝を描いた‘望郷’、馬や駱駝にが優しいイメージを感じるのに対し、寝そべる黒豹の獰猛さにはおもわず後ずさりしてしまう。

江戸絵画や浮世絵で目を惹いたのは北斎の‘武松候虎の図’、虎が単独で描かれたものはこれまでいくつかみみたが、これはまだ縁がなかった。所蔵しているのは日本通運、このチヤリテイーイベントのいいところは企業が所蔵している日本の絵や西洋絵画が出品されること。‘黒猫’のオマケが北斎ならいうことない。

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2018.08.18

待望の‘藤田嗣治展’! その二

Img     ‘五人の裸婦’(1923年 東近美)

Img_0001  ‘フルール河岸 ノートル=ダム大聖堂’(1950年 ポンピドー)

Img_0002     ‘人形と少女’(1954年)

Img_0003     ‘礼拝’(1962~63年 パリ市立近美)

藤田嗣治(1886~1968)はパリで活躍した画家なのでその作品はフランスを中心にヨーロッパに多くあると思ってしまうが、どっこい日本の美術館や個人が結構もっている。今回出品されている絵画は全部で117点、そのうち96点が日本にあるもの。

日本の美術館で藤田の絵がすぐ思いだされるのは東近美、東芸大美、京近美、大原美、秋田の平野政吉コレクション、万代島美、ポーラ美といったところ。圧巻だったのは藤田の代名詞となった乳白色の裸婦が描かれた東近美の‘五人の裸婦’と大原の‘舞踏会の前’が隣り合わせで展示されていること。久しぶりにみたので感激した。

藤田の子どもの絵に大変魅了されているが、収穫の一枚があった。はじめてお目にかかる‘人形と少女’、子どもの絵はポーラ美が一手に引き受けていると思っていたが、こんないい絵を個人がもっていたとは。個人蔵ではもう一点、初期の肖像画‘座る女’にもKOされた。白い肌に浮かび上がる黒髪、黒い目、そして身につけた黒い衣装。この黒のインパクトにたじたじだった。

海外の美術館ではポンピドーの風景画‘フルール河岸 ノートル=ダム大聖堂’に思わず足がとまった。一瞬、ユトリロのパリの絵が頭をよぎる。だが、ユトリロとはちがい静けさよりは落ち着いたパリの街の居心地のよさが感じられる。ああー、パリが呼んでいる。

フランスに帰化した藤田が晩年に描いた‘礼拝’はヨーロッパの画家の描く宗教画とは明らかにちがっている。両側にいる修道士の藤田と修道女の君代の間を数羽の鳥が動き回っている。そして、聖母マリアの左手のところから右の肩にむかって小さく描かれた鳥が群れをなして飛んでいっている。また、右ではウサギが跳びはねている。聖母マリアがでてくる絵に鳥や生き物がこれほど目立つ絵はほとんどみない。

キリスト教へ改宗したとはいえ藤田は花鳥風月の心をもち続けており、横に並んでいる‘キリスト降架’でも画面下に草花がたくさん描きこまれている。藤田はやはり日本の画家。

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2018.08.17

待望の‘藤田嗣治展’! その一

Img_0002     ‘カフェ’(1949年 ポンピドーセンター)

Img   ‘エミリー・クレイン=シャドボーンの肖像’(1922年 シカゴ美)

Img_0003     ‘美しいスペインの女’(1949年 豊田市美)

Img_0001     ‘人魚’(1940年)

現在、上野の東京都美で開かれている‘没後50年 藤田嗣治展’(7/31~10/8)をみてきた。藤田嗣治(1886~1968)の回顧展をみるのは今回で5度目。これだけ出かけてるのは藤田の絵に大変魅了されているから。

チラシによると‘質量ともに史上最大級の大回顧展’という力強い訴求。一般の物売りだと大げさなに盛ったキャッチフレーズはよくあることだからそう驚かないが、展覧会ではまじめに展示内容のスゴさを伝えていることが多い。作品に自信があるときは主催者のどや顔はこういうフレーズに変わる。

作品をみるとその通りだった。東京都美は相変わらずホームランを打ち続ける。本当に感心する。出かける前は図録を買うのはやめて絵葉書で済ますつもりだったが、初見の作品が続々登場するのでそうもいかなくなった。

どうしても最初に載せたいのがチラシにどんと使われている‘カフェ’。この絵は3つのヴァージョンがあり、ポンピドー蔵のこの絵は2度目の来日。ドガの描いた男女のいるカフェの絵ほどうら寂しくひんやりしてないが、この女性はなにか心配事があり気が晴れない様子。

後ろにいる2人の男性の後ろ向きと横向きに対して、手を顎にあててぼんやりしている女性は真正面からとらえられている。仮に女性だけがこのポーズで描かれたものを想像してみると、3人が登場する場面のほうが女性の内面により肉薄できる。カフェには同じ時間が流れていて男性には平穏に進むのに女性には重苦しい雰囲気が固定されたまま。そんな感じがよく描かれている。

2008年シカゴ美でみた‘エミリー・クレイン=シャドボーンの肖像’と再会した。当時、美術館感想記にこの絵を紹介したかったのに絵葉書がなく写真が撮れなかったため、それが叶わなかった。これは藤田36歳のときの作品。背後に銀箔を使用するなどとても見栄えのする肖像画に仕上がっている。

‘カフェ’同様、藤田がNYに滞在しているときに制作されたのが‘美しいスペインの女’、この絵はどういうわけか過去の回顧展に出品されなかった。海外の美術館がもっているのではなく豐田市美にあるのだからいつかでてくると思っていたが予想外に時間がかかった。図版でみるより数倍いい。すっきり顔の美しい女性だった。

初見ではっとしたのが1940年に描かれ二科展に出品された‘人魚’、こんな絵が藤田にあったとは!現在は香港在住の個人が所蔵している。こういう想定外の作品に遭遇するのが回顧展の醍醐味。収穫の一枚だった。

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2018.08.16

美術館に乾杯! パリ ピカソ美 その三

Img_0003     ミロの‘スペインの踊り子の肖像’(1921年)

Img_0002     ミロの‘自画像’(1919年)


Img     アンリ・ルソーの‘女の肖像’(1895年)

Img_0001     セザンヌの‘レスタックの海’(1883~86年)

1991年パリへ行ったときは今とはちがい個人旅行。美術館めぐりがメインの目的で名所観光はあくまでもオマケ。全部で13の美術館をまわった。だから、この年がわが家にとって美術旅行の元年だった。ピカソ美もそのなかに入っている。

ピカソの名がついている美術館なので作品はオールピカソと思いきや、ほかの画家の作品も所蔵している。でも、このときはこうした絵をみたという実感がない。鑑賞エネルギーは当然だがすべてピカソに向かっていたから‘見れど見えず’状態だったのか、それとも常時展示してないのか、よくわからない。

ピカソ(1881~1973)よりひとまわり若いミロ(1893~1983)の‘スペインの踊り子の肖像’は2002年世田谷美で開催されたミロ展でお目にかかったが、‘自画像’のほうはまだ縁がない。2点とも顔の描写や衣服の陰影のつけ方などは全体を一旦分解して再構成するキュビスムの匂いがする。

未だに謎なのがアンリ・ルソー(1844~1910)の絵。手元にある美術本ではピカソ財団が所蔵する4点がルーヴル美に寄託?寄贈?されていることになっている。その絵は‘女の肖像’、‘平和のしるしに共和国に敬意を表して訪れた列国の代表者たち’、‘自画像’、‘ジョセフィーヌ・ルソー’。

ところが、ルーヴルへ足を運ぶときはこの4点を必見リストに入れているのにこれまで一度も遭遇したことがない。だから、美術本が古くて今はピカソ美で展示しているのかな、と勝手に思ってしまう。それを確認する意味でも新装なったピカソ美に行かなくてと思っている。

セザンヌ(1839~1906)に影響を受けたピカソは‘レスタックの海’をもっていたのかもしれない。この絵も現地でみた記憶はないので、もう一度出かけたときは展示されていることを念じておきたい。

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2018.08.15

美術館に乾杯! パリ ピカソ美 その二

Img_0002     ‘ドラ・マールの肖像’(1937年)

Img_0001     ‘読書’(1932年)

Img     ‘闘牛士の死’(1933年)

Img_0003     ‘磔刑’(1930年)

ピカソ(1881~1973)は作風をどんどん変えていく。これは天才に共通する特徴。絵を描く技術が高いところにあるものの強みで描きたいテーマやモチーフが変わればそれに合わせて全体のスタイルもガラッと変える。そのため、多視点からモチーフをとらえ画面を構成するキュビスムという革命的な画法だけでピカソをみているとピカソの全体像が見えなくなる。

‘ゲルニカ’が描かれた年にピカソはハッとするほど明るい女性の肖像も仕上げている。‘ドラ・マールの肖像’、顔が二つあるのはキュビスム流だが、緑の髪や目、黄色の顔はマティスのフォーヴィスムと同じ。ギターとかマンドリンを描いた作品のように角々し直線だけが印象に残る抽象度の強いキュビスムとはちがい、この肖像画は人物表現がやわらかく直線の硬さを曲線がつつみこんでいる。お気に入りの一枚。

そして画面全体が円や曲線で支配されているのが‘読書’、両手がくにゃっと曲がり顔と乳房はお椀のような造形、丸い顔をじっとみていると岡本太郎の彫刻‘太陽の塔’がダブってくる。おそらく岡本太郎はピカソの絵を知っていたのだろう。

ピカソは闘牛が大好き、だから闘牛がいろいろ変奏して登場する。‘闘牛士の死’では闘牛の勝利に終わった。馬が長い首を大きく後ろにまげていななく姿は闘牛士の死の悲劇を物語っている。もう一点怖い牛をイメージさせる絵がある。この絵の2年後に制作されたエッチングの‘ミノタウロマキア’、ギリシャ神話にでてくる牛頭人身の怪物ミノタウロスはまさに闘牛そのもの。そして‘ゲルニカ’にもこの姿で登場する。

宗教画の定番の題材として古典画ではお馴染みなのが磔刑図、これがピカソの手にかかるとスペインの後輩ミロのシュルレアリスム絵画のようにちょっと漫画チックな絵になる。ピカソはダリよりミロのシュールさが気になったのかもしれない。

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2018.08.14

美術館に乾杯! パリ ピカソ美 その一

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Img_0002     ‘自画像’(1901年)

Img_0003     ‘肘掛け椅子に座るオルガ’(1917年)

Img_0004     ‘水浴の女たち’(1918年)

Img_0001     ‘海辺を駆ける2人の女’(1922年)

バルセロナにあるピカソ美はずいぶん前に出かけたため美術館のイメージがほとんど消えているのに対し、1991年に訪問したパリのピカソ美については建物の輪郭が薄くは残っている。この美術館は2008年に改修工事をし装いを一新したそうだから、次に行ったときははじめての美術館のように映るかもしれない。

ピカソ(1881~1973)は古典絵画のダ・ヴィンチ同様別格扱いの画家なので、日本でも繰り返し回顧展が開催される。2004年には東京都美、そして2008年には国立新美&サントリー美でいずれもパリのピカソ美のコレクションによる特別展が開かれた。2008年のときは2館で200点以上出品されるなどかつてない規模のピカソ展となった。

こうした度重なる展覧会によりピカソ美にある主要な絵画や彫刻はほとんどやって来た感じがする。だから、現地では一度しか足を運んでないのにこの美術館との距離感はないといっていいほど。多くの作品を見ることができたので心にとまった絵を選ぶのに時間はかからない。

キュビスムのピカソとは違う作品で最も魅了されているのはやはり‘青の時代’に描かれた‘自画像’、はじめてみたときは20歳のピカソにはとても思えなかった。この風貌はどうみても30歳はこえている。頬がこけているのは当時困窮していたためだろう。この絵は勿論Myピカソベスト5に登録している。

‘肘掛け椅子の座るオルガ’も魅了される一枚。画家は愛する人を描くときは特別熱が入る。ピカソも例外ではない。ロシア人のオルガは野人ピカソにとっては敷居の高い女性であり彼女への愛情は長く続かなかったがとてもいい肖像画を残した。

‘水浴の女たち’をみているとある絵が目の前をよぎる。それはNYのグッゲンハイムにあるアンリ・ルソーの‘ラグビーをする人々’。顔を上にむけ体をくねらせてる女や寝そべっている女の姿がラグビーに興じる男たちの動きにとてもよく似ている。ピカソはルソーを敬愛していたからちゃっかり真似たにちがいない。

人体のダイナミックな動きに惹きこまれるのが‘海辺を駆ける2人の女、この動的表現は広大な海を背にして生じてくる感情の高まりであり、彫刻を思わせるような極端に太い手足を動かすことであふれる生命力を表現している。

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2018.08.13

美術館に乾杯! ニース シャガール美

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Img_0004    閑静な住宅街の一角にあるシャガール美

Img_0001     ‘楽園を追われたアダムとイヴ’(1961年)

Img     ‘アブラハムと3人の天使’(1960~66年)

Img_0002     ‘十戒の石板を授かるモーゼ’(1960~66年)

Img_0003     ‘雅歌Ⅰ’(1960年)

若い頃、南仏コート・ダジュールの中心地ニースや映画祭で有名なカンヌを旅行したのは一生の思い出。心が晴れやかになる穏やかな地中海の光景をみて毎年来たいと思ったが、人生そううまくはいかず再訪の機会がめぐって来ない。

バルセロナからジュネーブに帰るときニースで一泊した。入江に沿って続く散歩道ゆっくり進み目の前に広がる青い海を目に焼きつけたあと、山側に15分くらい登ったところにあるシャガール美をめざした。閑静な住宅街の一角にあるこの美術館は正式名は‘国立マルク・シャガール聖書の言葉美術館’といい1973年に開館した。

訪ねたのはオープンして10年経ったとき、だからすごく新しい美術館という感じがした。1階だけのこじんまりとした展示空間なので1時間もあれば十分楽しめる。ここに飾られているメインの作品は旧約聖書を題材にして描かれた17点の連作。いずれも天地左右2mもある大作、大きな作品がこれだけ多くあると身も心もシャガール一色に染まる。

10年くらい前まではちょくちょく開催されていたシャガール展を欠かさずみていたが、感激の大きさでいうとニースで味わった満足度のほうがいつも上回っていた。だから、ときどき図録をみてあの大作で感じた色彩の強い力を思い出している。

シャガール(1887~1985)がニースにほど近いヴァンスに移り住んだのは1950年、62歳のとき。その4年後からこの連作の制作がはじまり1967年まで続く。お気に入りなのが‘楽園を追われたアダムとイヴ’、‘アブラハムと3人の天使’、‘十戒の石板を授かるモーゼ’、‘雅歌Ⅰ’。

キリスト教徒ではないが、旧約聖書の話やキリストの物語について多少なりとも知っているのは絵画や彫刻とのつきあいが長いから。宗教画を見続けているお蔭でモーゼやキリストのハイライトの事件はしっかりイメージできるようになった。ポンピドーとこの美術館にあるシャガールの作品もそれに一役買ってくれている。

もしこの美術館で将来修復工事があるとしたら、日本の美術館が動けばシャガールの連作が日本でみれる可能性がでてくる。そんな夢のようなことがおこるだろうか。

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2018.08.12

美術館に乾杯! トレドのエル・グレコ

Img     マドリードの南70㎞に位置するトレド

Img_0002     ‘聖衣剥奪’(1577~79年 トレド大聖堂)

Img_0001     ‘オルガス伯爵の埋葬’(1586~88年 サント・トメ聖堂)

Img_0004     ‘無原罪の御宿り’(1607~13年 サンタ・クルス美)

Img_0003  ‘コバルービアスの肖像’(1580~1600年 エル・グレコ美)

世の中にはスペインを愛する人がたくさんいる。昔一緒に仕事をした同僚にも会社を辞めてスペインに語学留学した女性がいる。そういう筋金入りのスペイン派ではないが、これまで運よく6回訪問する機会があったからお酒が入るとスペイン話も長くなる。

1983年はじめてのスペインはクルマで出かけたバルセロナだったが、同じ年マドリードも訪問した。そのころは絵画への関心は普通の観光客と同じレベル。でも、パリのルーブルと同じでプラドへの期待値は高かった。だから、美術の本に載っているベラスケスやゴヤの名画の前ではわけもなく感動した。これがあの‘ラス・メニーナス’、‘裸のマハ・着衣のマハ’か!

もうひとり印象に残っているスペインの画家(生まれはギリシャだが)はエル・グレコ(1541~1614)、しかしこの画家については観光バスツアーに参加して足をのばしたトレドの聖堂にサプライズの絵が待ち受けていた。1時間もすれば到着するトレドの街は細い道が迷路にようにのびているので、ガイドさんの後をしっかりついて行かないとお目当てのトレド大聖堂やサント・トメ聖堂にたどり着けない。

この2つの聖堂にグレコの最高傑作がある。キリストの着ている赤の衣服がどーんと目に飛び込んでくる‘聖衣剥奪’、大聖堂自体も一見に値するすごい聖堂で外観も内部も見どころは多いが、聖具室を飾るこのグレコの祭壇画の放つ磁力の強さは半端ではない。

そして、サント・トメ聖堂へ移動すると再度すごい絵と対面する。荘厳な空気につつまれた‘オルガス伯爵の埋葬’、グレコの描く宗教画はとても純粋でそして深い。画面を上下で天国と現世に分け、地上界ではトレドの守護聖人がオルガス伯爵を葬る奇跡が描かれている。晩年のラファエロがこれをみたら裸足で逃げるかもしれない。

この2点に遭遇してグレコがぐっと近くなり一生忘れられない絵になった。そして5年前、トレドにあるもうひとつの傑作が日本にやって来た。‘無原罪の御宿り’。飛び上がるほど嬉しかった。東京都美のグレコ展にはエル・グレコ美(グレコが住んでいた家)が所蔵するとてもいい‘ディエゴ・デ・コバルービアスの肖像’も出品されていたのでもうトレドは行かなくてもいいかなと思った。

次のスペイン旅行は北のルートをまわることにしているが、マドリードは起点になるので3度目のトレドも計画している。そのときは残っているグレコを全部みるつもり。

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2018.08.11

美術館に乾杯! バルセロナ ガウディ作品

Img_0001       ‘サグラダ・ファミリア聖堂(外観)’(2026年に完成?)

Img_0002     ‘サグラダ・ファミリア聖堂(内部)’

Img_0003     ‘グエル公園 ドラゴン’(1900~14年)

Img       ‘ミラ邸’(1906~12年)

Img_0005     ‘パトリョ邸 バルコニー’(1904~07年)

1983年、バルセロナを訪れたとき最初に向かったのが‘サグラダ・ファミリア聖堂’、当時はまだ観光客が現在のように大勢いるという感じではなく作業現場の雰囲気はゆっくりモード。だから完成までにあと100年くらいかかという話に即納得した。

ところが、ガウディ(1852~1926)が人生の大半を費やしたこの大聖堂の建築は現在資金が豊富になり作業にかかわる人の数も増え進捗のペースが上がってきている。この勢いでいくと目標にしている没後100年にあたる2026年の完成が達成できるかもしれない。

2年前中に入ったときは中はもう全部できていて残すは外観のみだった。今現在、‘栄光のファサード’や170mの‘イエスのシンボリオ’はどこまでできたのだろうか、サグラダファミリア聖堂とのつきあいは長いので日本から熱い思いでみている。完成したら出かけるつもり。

サグラダ・ファミリアは観光客が大幅に増えているためだいぶ前から予約制になっているが、バルセロナの北、グラシア地区の市内を見下ろす小高い丘にあるグエル公園も2年前は予約がいるようになっていた。そのため以前なら必ず行程に入っていたこの公園はパスになりほかの観光スポットをまわった。

2つとも予約で縛られると確かに時間のやりくりはきつくなるが、お客さんの要望にも答えたい。旅行会社も頭が痛いだろう。はじめてのバルセロナなら人気のドラゴンがいるグエル公園は絶対外せない。このドラドンを背にした写真はバルセロナの楽しい思い出。旅行会社はどんな知恵を絞っているのだろうか。

ほかのガウディ作品については団体ツアーの場合、市内の中心部にある‘ミラ邸’と‘パトリョ邸’を見るようになっている。ただし、パトリョ邸はバスの中からがほとんど。一方、‘ミラ邸’は近くにバスを止めて邸宅の写真が撮れるように時間をとってくれることもある。だが、これも今は観光客が増えているからバスのなかからというケースが多くなっているような気もする。2年前はそうだった。

ガウディの建築物の次のターゲットをあげてみると、
★‘グエル別邸’
★‘グエル邸’
★‘コロニア・グエル地下聖堂’
★‘ミラ邸の屋上’
★‘ビアンス邸’

はたしてミューズは微笑んでくれるだろうか。

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2018.08.10

美術館に乾杯! バルセロナ ピカソ美

Img      中世の街並みが残るゴシック地区にあるピカソ美

Img_0004     ‘科学と慈愛’(1897年)

Img_0001     ‘待ち合わせ’(1901年)

Img_0002     ‘質素な食事’(1904年)

Img_0003     ‘ラス・メニーナス、ベラスケスによる’(1957年)

バルセロナへはじめて行ったのは1983年、当時住んでいたスイスのジュネーブからクルマで出かけた。何時間かかったかは忘れたがとにかく無事到着した。訪問した観光スポットはガウディがつくったサグラダファミリア聖堂、グエル公園、そしてゴシック地区にあるピカソ美。

ピカソ(1881~1973)がバルセロナへ家族とともにやって来たのは14歳のとき。その2年後に描いたのが‘科学と慈愛’、この絵をみたらピカソの絵を描く才能がとびぬけて高かったことがよくわかる。16歳でこれほどリアルな人物表現ができるのだから参ってしまう。

ピカソ美でどれくらいの数をみたか記憶がなくなったが、印象が強かったものは画集をみると感動がよみがえってくる。ピカソが20歳のときの作品‘待ち合わせ’も‘科学と慈愛’同様、収穫の一枚。ピカソはこの年、女性がこのモデルのようにテーブルにひじをつきその手を肩にもっていったり、あるいは顎をさわる姿を何点も描いている。

この絵のあと幸運なことに‘アブサント好きの女’(エルミタージュ)、‘アルルカンと女友達’(プーシキン)、‘シニヨン髷の女’(フォッグ美)などに遭遇した。パリのピカソ美にある‘自画像’を含め‘青の時代’に描かれた作品に魅了され続けている。

ピカソは1900年にパリへ出かけたあとモンマルトルに居を構える1904年まではパリとバルセロナを行ったり来たりしている。心にじんとくるエッチングの‘質素な食事’は青の時代の最後の作品。

第二次世界大戦後に取り組んだ美術史上の名作シリーズのなかで最もたくさん描かれたのがベラスケスの‘ラス・メニーナス’、スペインの大先輩だから力が入り1957年に58点も仕上げた。ここには5点くらいあった。その一枚が最後の絵。マルガリータ王女単独で描いたものも2点ある。

ピカソ美を訪問してから35年経った。もう一度行ってみたい。

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2018.08.09

美術館に乾杯! バルセロナ ミロ美 その二

Img_0005      ミロ美の外観

Img_0002     ‘少女の肖像’(1919年)

Img_0006    ‘財団のタペストリー’(1972年)

Img     ‘アーモンド・ブロッサム・ゲームをする恋人たち’(1976年)

Img_0001          ‘人’(1967年)

ミロ美術館がオープンしたのは1976年、ミロ(1893~1983)が83歳のときだった。建物を設計したのは友人のセルト。白を基調にした外観はカタルーニャの明るくて自由な雰囲気をイメージさせ、ミロの魅力を伝えるのにふさわしい展示空間になっている。

ミロは若い頃男女の肖像画を何点も描いている。ここにある‘少女の肖像’は小品だが大変魅了された。何年か前、幼い姉妹が登場し妹の意地っぱりぶりをおもしろく演出したCMが流れていたが、この少女の金髪のおかっぱ頭をすぐ連想した。

1972年ミロ財団のためにつくられたのが大きなタペストリー。黄色、赤、青、緑、黒を使って織られたデザインは一度みると忘れないほどの磁力を放っている。抽象的な造形はサイズがうーんと大きくなると一段とパワーがでてくる。

1階から2階への吹き抜け部分に展示されているのが‘アーモンド・ブロッサム・ゲームをする恋人たち’というタイトルがついたボリューム感のあるオブジェ。ここではミロのアトリエを再現しており、これはパリのデファンスに設置されているオブジェのマケット(予備習作)。ポリエステルに油絵の具で色が着けられている。

ミロ美では建物のまわり、中庭、屋上の展示スペースにおもしろい形をした彫刻やオブジェがいろいろ飾ってある。例えば、鳥や犬、そして人間をモチーフにしたものなど。1967年につくられた‘人’は鉄の棒で人間の骨格と頭を表現したユーモラスなオブジェ。

こうした作品をみるとミロは歳をいくつも重ねても子どものころの感性をもっていたことがよくわかる。ものに感動することや夢みることが創作の源、ミロの創作パワーは本当にスゴイ!

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2018.08.08

美術館に乾杯! バルセロナ ミロ美 その一

Img    モンジュイックの丘にあるミロ美(拡大で)

Img_0003     ‘空間の炎と裸婦’(1932年)

Img_0002     ‘朝の星’(1940年)

Img_0001     ‘太陽の前の人物’(1968年)

Img_0006         ‘女と鳥Ⅰ’(1969年)

バルセロナ観光の一番の目玉はガウディの建てたサグラダ・ファミリア、団体ツアーで行く場合はまずこの人気の聖堂へ出かけ、あとはガウデイのほかの建物、ミラ邸やパトリョ邸やグエル公園などをまわる。そのため、ここにあるピカソ美やミロ美は自由時間が組み込まれたツアー(ほとんどみないが)に参加した美術好きの人しか縁がないかもしれない。

バルセロナオリンピックで使われたスタジアムのあるモンジュイックの丘をめざしたのは今から28年前の1990年。大好きなミロ(1893~1983)の美術館を訪問するためである。ホテルからどう行ったか忘れたが、丘の下から石段をふうふういいながら登ったことはよく覚えている。

ミロ美はミロ自身の寄贈により開館した美術館。作品は絵画だけでなくオブジェ、タペストリー、陶器、版画、ポスター、スケッチなど多岐にわたり、1万点のコレクションのなかからセレクションされたものが1階と2階の明るい部屋に飾られている。

絵画は初期の素朴な感じの絵はなくシュルレアリスムの精神が全開したユーモラスで力強い表現がここでもあそこでも強く主張している。そして、色彩の変化にもヴァリエーションがあり生き生きした明るい色彩が目を楽しませてくれる一方、晩年の作品では日本の墨に影響され黒が画面の多くを占めるようになる。

‘空間の炎と裸婦’は女性をモチーフにした11点のうちの1点。口を大きくあけて横たわる裸婦の姿はどこかとぼけている。赤塚不二夫のギャグ漫画をすぐ連想する。大きな収穫だったのが1940年に描かれた星座シリーズの‘朝の星’、全部で23点あるこのシリーズ、まだ5点しかお目にかかれてないがコンプリートを夢見ている。

ミロが75歳ごろ仕上げた‘太陽の前の人物’と黒が豊富な‘女と鳥Ⅰ’も忘れられない作品。この歳になってもミロの創造するエネルギーはこんこんと湧き出てくる感じ。日本ヘは1966年と壁画を制作した大阪万博の1970年の2度やって来た。このとき日本の書の墨からインスピレーションを受けた。

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2018.08.07

美術館に乾杯! 国立ソフィア王妃芸術センター その五

Img     チリーダの‘風の櫛Ⅰ’(1952年)

Img_0001     タピエスの‘絵画’(1955年)

Img_0002     マザウェルの‘トーテム像’(1958年)

Img_0003    ロスコの‘無題(オレンジ、桃色、黄色)’(1950年)

スペインを旅行するときバルセロナからスタートすると、次に向かう街はバレンシアと決まっている。ここでのお楽しみはスペイン料理の定番、パエリャ。ガイドブックにはほかにも地元出身の抽象彫刻家のフリオ・ゴンザレスの作品が展示されている現代美術館が紹介されている。

スペインの彫刻家はもう一人知っている。バスク地方のサン・セバスチャンに生まれたエドゥアルド・チリーダ(1924~2002)、2002年に縁があり鎌倉の神奈川県近美で行われた回顧展に出品された鉄やテラコッタ、大理石を使った抽象的な立体作品に目を奪われた。

チリーダはスペインだけでなくヨーロッパ各地に野外彫刻作品を設置している。図録に載っている巨大なオブジェはいつか見たいと思わせるものばかり。ソフィアにある‘風の櫛Ⅰ’は25年の歳月を費やした代表作の最初の作品。そして1977年、生まれ故郷の海岸に完成作ができあがった。

作風がフランスのデュビュッフェと似ているアントニ・タピエス(1923~2012)はバルセロナの出身。ポンピドーでお目にかかったのが最初の出会いだったが、過去の絵画の概念とはまったくちがったもので正直どうみればいいのか戸惑った。‘絵画’は建設がはじまったばかりの建築物の現場に紛れ込んだ感じで、まだなんの処理もされてない壁のむき出しの状態をみているよう。

アメリカのア―ティストについてはビッグネームがすべてが揃っているわけではないが、マザウェル(1915~1991)がスペインをはじめて訪れたとき内乱の悲劇に思いをはせ描いた‘トーテム像’とロスコ(1902~1970)のお馴染みの大きな色面の縁がぼやけた作品に足がとまった。

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2018.08.06

美術館に乾杯! 国立ソフィア王妃芸術センター その四

Img_0002     グリスの‘開かれた窓’(1921年)

Img         ピカビアの‘手押し一輪車’(1922年)

Img_0003           レジェの‘壁画’(1924年)

Img_0001     タンギーの‘占いⅠ’(1927年)

スペインはフランスの隣国でピカソやミロ、ダリが新しい絵画を切り開く旗手になったこともあり、キュビスムやシュルレアリスムなどパリを中心起こった絵画運動との結びつきが強い。そのため、ソフィアに飾られた作品をみているとポンピドーセンターにいるような感覚になる。

ピカソのはじめたキュビスムをさらに進化させたのがホアン・グリス(1887~1927)、ここではビッグ3に次ぐスペイン画家として扱わており7点が専用の部屋に展示されていた。これまでグリはポンピドーで少しお目にかかったくらいだからどの作品も新鮮。とくに惹かれたのが‘開かれた窓’、これまでみたなかでは一番いい。

ピカビア(1879~1953)の画風はいろいろ変わる。古典絵画のピエロ・デッラ・フランチェスカを連想させるものがある一方で、ポンピドーの‘ウドニー’のように躍動する抽象画もある。この‘手押し一輪車’は円や直線のシンプルなおもしろさを表現した作品。ピカビアの回顧展に遭遇することを密かに期待しているが、可能性は10%だろう。

レジェ(1881~1955)の絵をみるたびにはじめて訪れたポンピドーで代表作‘余暇’と出会ったときの感動を思い出す。まさに‘最高の瞬間’だった。1924年に描かれた‘壁画’はスッキリすぎるほど整然とした画面構成になっている。彫刻のような人物はでてこず洗練された色合いが使われた水平と垂直の線の帯が印象的。

深海のイメージの強いシュール画をたくさん描いたタンギー(1900~1955)、ソフィアにある‘占いⅠ’は最初期の作品、これは北アフリカの部族の占いから触発されている。こんな絵があったとは!大きな収穫だった。

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2018.08.05

美術館に乾杯! 国立ソフィア王妃芸術センター その三

Img_0002     ミロの‘椰子の木のある家’(1918年)

Img_0003     ミロの‘絵画’(1925年)

Img     ミロの‘カタツムリ、女、花、星’(1934年)

Img_0001     ミロの‘スペインを助けよ’(1937年)

気の合う友人がいるのと一緒で画家でも相性のいい画家がいる。ミロ(1893~1983)はそのひとり。絵画とのつきあいがはじまったころピカソやマティス以降の画家で好みのど真ん中にいたのがミロ。この画家によってシュルレアリスムへの扉が開き、ダリ、マグリットたちに関心が広がっていった。

ミロが好きになると関連の本を集め、美術館で行われる回顧展にもせっせと足を運んだりといろいろ忙しい。どっぷりのめりこむと海外の美術館も視野に入ってくる。バルセロナへ出張したときはミロ美をしっかり訪問した。作品の数からいうとこの美術館が最も多く、その次がソフィア、ここでは4つくらいの部屋に20点飾ってあった。

初期の作品で人気があるのが‘椰子の木のある家’、ぱっとみると絵のちょっと上手い小学生が農村の風景を平板に描いた感じ。この絵の2年後、さらに魅了される絵が誕生する。アメリカの小説家ヘミングウエイが所蔵していた傑作‘農場 母なる大地への追憶の詩’(ワシントン ナショナルギャラリー)

ミロのシュルレアリスム絵画にぞっこん参っているのは画面にコミカルで象徴的に記号化されたモチーフがあふれているから。人物描写でも生き物の描き方でもダリのシャープでリアルな表現とはちがい対象の造形はぐにゃっと曲がったりしてとてもゆるい。漫画チックで軽いタッチのためモチーフが記号に変わっていてもそこに表情があり親しみが生まれてくる。

‘絵画’は太陽系以外の天体からやって来た宇宙人に遭遇したような気分。そして、体が異様にひきのばされたカタツムリや女がいたり星も描きこまれた作品では賑やかなカーニバルのパレードを楽しんでいる感じ。漫画家の赤塚不二夫がミロに魅了された気持ちがよくわかる。

1936年に勃発したスペインの内乱に絶望したミロの心の叫びを表したのがポスターの‘スペインを助けよ’、ピカソの‘ゲルニカ’同様、深く考えさせられる一枚。

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2018.08.04

美術館に乾杯! 国立ソフィア王妃芸術センター その二

Img_0001     ダリの‘窓辺の人物’(1925年)

Img_0003     ダリの‘ラファエロの聖母の最高速度’(1954年)

Img_0004     ダリの‘偉大なる手淫者’(1929年)

Img_0002     ダリの‘永遠の謎’(1938年)

NYのMoMAが近現代アートの傑作をまんべんなく並べているのに対して、ソフィア王妃芸術センターの特徴はスペイン出身の前衛アーチストの作品が多いこと。その中心にいるのがピカソ(1881~1973)、ダリ(1904~1989)、ミロ(1893~1983)のビッグスリー。

シュルレアリスム絵画を象徴するダリ、これまで一点でも多くみたいと思い主要作品のある海外の美術館に足を運んできた。ここ10年のスパンでみると2011年のソフィア王妃芸術センター(2度目)と‘茹でた隠元豆のある柔らかな構造:市民戦争の予感’を所蔵するフィラデルフィア美が忘れられない美術館となった。

ソフィアではダリを25点くらいみた。収穫のひとつがスペイン以外の国の美術館ではなかなかお目にかかれない初期の作品。その中で画集に必ず載っているのが21歳のとき描いた‘窓辺の人物’、顔がみえないモデルは妹のアナ・マリア。この背中ごしの妹の絵はもう1点あった。

ダリの写実の技は群を抜いており、それを200%実感させられたのが2年前のダリ展(国立新美)に出品された‘ラファエロの聖母の最高速度’。聖母の顔はわずかな断片しか描かれてないが仮に全部みせたとしたらダリがラファエロに変身したと思ってしまうほどの出来映えになるだろう。やはりダリの描写力はスゴイ。

ダリお得意のシュールな世界に引きこまれる作品が何点も出てくるが、お気に入りは明るい色彩が印象深く金髪の女性やバッタ、蟻などが不思議なフォルムのなかに同居する‘偉大なる手淫者’とダブルイメージどころか5つも6つも違う場面が重なってみえる‘永遠の謎’。

ソフィアのダリを存分に楽しんだので次の目標はフィゲラスのダリ劇場美。やりくりして行ってみたいのだが、夢が叶うだろうか。

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2018.08.03

美術館に乾杯! 国立ソフィア王妃芸術センター その一

Img_0005      国立ソフィア王妃芸術センター

Img     ピカソの‘ゲルニカ’(1937年)

Img_0002     ピカソの‘泣く女’(1937年)

Img_0003     ピカソの‘青衣の女’(1901年)

Img_0001     ピカソの‘画家とモデル’(1963年)

美術品をみる目的で都市を訪れるとき、そこにある美術館群が古典絵画から印象派、近現代アートまで全部展示していれば理想的。そんな心を躍らせる街は5つある。パリ、NY、ワシントン、ロンドン、そしてマドリード。

団体ツアーでマドリードに出かけるとまずプラドへ行きベラスケスの‘ラス・メニーナス’とゴヤの‘裸のマハ・着衣のマハ’をみてスペイン旅行の土産話のひとつに加える。この街には帰国したら友人に話したくなる有名な絵がもうひとつある。それをみるため現地ガイドさんの後をついて10分くらい歩くと国立ソフィア王妃芸術センターに到着する。

ここで待ち受けているのはあのピカソ(1881~1973)の代表作‘ゲルニカ’、驚かされるのが絵の大きさ、縦は3.5m、横は7.8mもある超ワイド画面、これは実際にこの絵の前に立たないと実感できない。そして、物々しいのが展示の仕方。なんとこの絵は防弾ガラスで覆われている。

白と黒と灰色で描かれているのは悲しみに身をよじる女や怪我の痛みでいなないている馬、悲劇の現場をしっかり目に焼きつけているように思える闘牛、、長く見ていると目に見えないとても重いものに体がつぶされていく感じがしてくる。この絵に遭遇したことは生涯の思い出。

ピカソの作品は彫刻などを含めて20点ほどあるが、目にとまったのは‘ゲルニカ’の習作として描かれた‘泣く女’と20歳のときの作品‘青衣の女’。‘泣く女’はロンドンのテートモダンに同名の絵同様、大きな涙が流れでている。これほど感情表現が上手いと本物の女性がそこにいるような錯覚をおぼえる。

あらためて‘青衣の女’に魅了されるのはつい2ヶ月前コペンハーゲンのニューカールスベア美でまったく同じ調子の‘スペインの女’に遭遇したから。白い顔と口紅の赤が目に焼きついている。ピカソが歳をとってから描いた絵はあまりみる機会がないがここには82歳のときに手がけた‘画家とモデル’がある。

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2018.08.02

納涼アート! 花火

Img     NHK‘大迫力!長岡の大花火スペシャルライブ’より

Img_0002     山下清の‘長岡の花火’(1950年)

Img_0001     加藤栄三の‘流離の灯’(1971年 山種美)

先週だったかBSフジで中継していた新潟県の花火大会をちょっと長めにみたが、今日はNHKがあの有名な長岡の花火をライブで流していた。民放BSやテレビ東京が夏になると定番番組として全国に名の知れた花火大会にスポットをあてているのに対し、NHKがこれまで花火を生で放送したのは記憶がない。

それがどういう風のふきまわしか今年は1時間15分、ライブで長岡の花火をとりあげた。ひとつ々タイトルのついた花火がどんどん打ち上げられるのをうっとりしながらみていた。だが、中間はほかの番組をみていたので興味があった‘ナイアガラ’は見逃した。残念!

花火大会は相撲と似たところがある。一発上がると次が上がるまですこし間がある。だから、料理を食べたりお酒を飲んだりしながら花火をみるのは楽しいかもしれない。旅行会社は‘長岡花火ツアー’を用意していると思うが、桟敷席みたいなところで食事をしながら花火をみるのだろうか、もしそうなら一度参加してみたい気がする。

花火の絵は浮世絵にはいっぱいあるのに明治以降になると近代日本画でも洋画でもあまり描かれない。これまでみたのは2点のみ。あの山下清(1922~1971)の代表作‘長岡の花火’と岐阜出身の日本画家加藤栄三(1906~1972)が亡くなる1年前に描いた‘流離の灯’。数が少ない分、この2枚は強く記憶されている。

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2018.08.01

美術館に乾杯! サン・アントニオ・デ・ラ・フロリダ礼拝堂

Img_0001      マドリード サン・アントニオ・デ・ラ・フロリダ礼拝堂

Img     ゴヤの天井画‘パドヴァの聖アントニウスの奇跡’(1789年)

Img_0002     ‘パドヴァの聖アントニウスの奇跡’(部分)

Img_0003     ‘パドヴァの聖アントニウスの奇跡’(部分)

Img_0004    右下のルネッタに描かれた天使

マドリード観光の目玉のひとつになっている王宮の最寄りの駅プリンシペ・ピオから歩いて5分くらいのところにあるのがサン・アントニオ・デ・ラ・フロリダ礼拝堂。ここにゴヤ(1746~1828)が1798年に4ヶ月で描き上げたフレスコの天井画‘パドヴァの聖アントニウスの奇跡’(直径5.8m)がある。

プラドで‘裸のマハ・着衣のマハ’や不気味な‘黒い絵’などたっぷりゴヤをみて、昨日紹介した王立サン・フェルナンド美術アカデミーへ足を運ぶとさらに13点が待ち受けてくれて、最後はゴヤが眠る霊廟があるこの礼拝堂ですばらしい天井画と遭遇する。まさにマドリードはゴヤ尽くしの街。

描かれている‘パドヴァの聖アントニウスの奇跡’というのはこんな話。聖アントニウスの父があろうことか殺人の罪をきせられる。そこでアントニウスは無実の罪をはらすため殺された男を生き返らせて真犯人を聞きだす。一番目の部分画像で黄色い修道姿で立つのが聖アントニウス。そして、右の目を閉じた老人が父親。

聖アントニウスのお陰で奇跡的に息をふきかえし真犯人を告げるのが両手をあげた女性の横にいる裸の男。すると聖人の後ろから背をむけて逃げ出す男がいる。この黒い帽子を被り黄色い服を着た男が犯人。聖人、父親、真犯人が皆黄色い服を着ているのは奇跡の場面を見る人にくっきり印象づけるため。色使いが良く考えられている。

この絵で目が点になるのは欄干のまわりにいる子どもや女性たちがこちらにとびだしてくるように描かれていること。まるでマンテーニャの短縮法を使っただまし絵をみているよう。エル・グレコも教会に飾る絵を描くときは信者が下から仰ぎ見ることを想定して人物の形を変形させているが、ゴヤにもこうした配慮が頭にあったのかもしれない。

単眼鏡をとりだして天井画全体をじっくりみたが、右下のルネッタのところにとても美形の天使がいることに気づいた。ゴヤの描く女性の肖像画をいろいろみたが、びっくりするほど顔が整った綺麗な女性によくでくわす。フランス人形みたいな大きな目が忘れられない。ゴヤの女性画に乾杯!

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