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2018.06.30

今年もミケランジェロがやって来た!

Img_0004ミケランジェロの‘ダヴィデ=アポロ’(1530年頃 パルジェロ国立美)

Img_0001 ミケランジェロの‘若き洗礼者ヨハネ’(1495~96年 エル・サルバドル聖堂)

Img_0003     ‘プットーとガチョウ’(1世紀半ば ヴァチカン美)

Img_0002     ‘ヘラクレスとテレフォス’(65~79年 ナポリ国立考古学博)

ミケランジェロがまたやって来た。今度は2点、場所は上野の西洋美。昨年は未完の作品を17世紀の彫刻家が完成させた‘十字架を持つキリスト’が三菱一号館で公開されたが、ふたたびミケランジェロ(1475~1564)の本物の丸彫りがお目にかかれるのだから話題性ではグローバルレベル。

第2弾の‘ミケランジェロと理想の身体’(6/19~9/24)に登場したのは1530年頃につくられた‘ダヴィデ=アポロ’と21歳頃の作品‘若き洗礼者ヨハネ’。‘ダヴィデ=アポロ’が普段飾られているのはフィレンツェのシニョーリア広場のすぐ近くにあるバルジェロ国立美、運よくここを訪問することができこのダヴィデのほか‘バッコス’、‘聖母子と少年の洗礼者ヨハネ’、‘ブルータス’も楽しんだ。

画集に載っているほど有名なミケランジェロの彫刻がフィレンツェへ行かなくてみれるのだから、めでたい話である。何度もまわってみた。これはフィレンツェの一時的な統治者だったヴァローリの依頼によってつくられた。強制されたのではないが、ミケランジェロはメデイチ家復権後は難しい立場にあったのでここは権力者の注文に応じることを選択した。

‘若き洗礼者ヨハネ’はスペインのエル・サルバドル聖堂に設置されていたが、20世紀前半スペインの内戦で大きな被害をうけた。その修復に長い年月がかかり2013年ようやく修復が完成した。オリジナルが残っているのは40%、顔を部分が壊れなかったのは幸いだった。

ミケランジェロは聖書を読んで15歳ころのヨハネのイメージしたが、当時つくられていたヨハネ像はどれも小さく痩せた子どもっぽい顔の少年だった。これをミケランジェロは健康で血気盛んな若者として仕上げた。駱駝の毛皮を身につけ、腰には皮帯をつけて荒野をさまよい教えを説いた若々しいヨハネの姿を長くみていた。

メインディッシュが豪華なのでほかの彫刻が散漫になりがちだが、‘プットーとガチョウ’のような肩の力がぬける作品も並んでいる。また、一度足を運んだことのあるナポリ国立考古学博士が所蔵するフレスコ画‘ヘラクレスとテレフォス’や‘アキレウスとケイロン’にも魅了された。

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2018.06.29

美術館に乾杯! プラド美 その六

Img  アントリーネスの‘マグダラのマリアの被昇天’(1670~75年)

Img_0001     メングスの‘王太子妃マリア・ルイサ・デ・パルマ’(1765年)

Img_0003     マドラーソの‘ビルチェス伯爵夫人’(1853年)

Img_0002     ソローリャの‘浜辺の子どもたち’(1910年)

ペンハーゲン国立美やオスロ国立美を訪問したとき、デンマークやノルウエーの画家の作品に数多くでくわした。名前はほとんど知らなかったが、思わず足がとまるいい絵がいくつもあった。当たり前といえば当たり前だが、どの国にも世界美術全集に載らなくても多くの国民から好かれた画家がいる。

スペインでもそんな画家がいるが、プラドのような大きな美術館でないとその作品にはお目にかかれない。アントリーネス(1635~1675)が描いた‘マグダラのマリアの被昇天’は見ごたえ十分。マグダラのマリアが昇天する場面は見たことがないので目が釘付けになる。とくに惹かれるのが斜めの動きによって昇天を表現しているところ。

ボヘミア出身の画家、アントン・ラファエル・メングス(1728~1779)はカルロス3世のとき宮廷画家になった。王太子(後のカルロス4世)が結婚した記念に描かれたのがこの‘王太子妃マリア・ルイス・デ・パルマ’。王太子が17歳で、マルア・ルイサは14歳だった。まだ少女の感じだがその立ち振る舞いはすでに王妃の雰囲気があり気品をそなえ堂々としてる。やはり宮廷画家の手になると肖像画が映える。

ロマン主義のマドラーソ(1815~1894)の‘ビルチェス伯爵夫人’に思わずみとれてしまう。どこかアングルを彷彿とさせるがそれもそのはずで、画家はパリでアングルに師事した。青の布地の質感描写が見事で愛嬌のある夫人の白い肌を浮き彫りにしている。こんなに華やかな肖像画を描ける画家がスペインにもいたとは!大きな収穫だった。

ソローリャ(1863~1923)は気になる画家だが、これまで回顧展に縁がない。最も有名なのが‘浜辺の子こどもたち’、目が点になるのがうつぶせになった3人の男の子の背中に照り付ける太陽の光、浜辺で遊ぶ光景はまさにこんな感じ。またマドリードへ行く機会があったら、ソローリャ美に出かけることを今から決めている。

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2018.06.27

美術館に乾杯! プラド美 その五

Img_0002     ゴヤの‘着衣のマハ’(1805年)

Img_0003     ゴヤの‘オス―ナ公爵夫妻と子どもたち’(1788年)

Img  ‘1808年5月3日、プリンシペ・ピオの丘での銃殺’(1814年)

Img_0001      ゴヤの‘わが子を食らうサトゥルヌス’(1821~23年)

プラドを訪れてベラスケスと同じくらい強い磁力を放っているのがゴヤ(1746~1828)、でかけるたびにゴヤだけが飾られている部屋にせっせと足を運んだので主要な作品はすべて目のなかに入れることができた。これもミューズのおかげ。感謝!

スペイン絵画というとすぐ思い浮かべるのはベラスケスの‘ラス・メニーナス’とゴヤの‘着衣のマハ’&‘裸のマハ’、この2枚のマハの物語がおもしろい。はじめに描かれたのは‘裸のマハ’、これを覆い隠すため5,6年後に‘着衣のマハ’が描くくわえられた。部屋の壁に仕掛けがしてあり、‘裸のマハ’をみているとき誰かがやって来たら、すぐ壁が回転して裏に飾られていた‘着衣のマハ’がでてくる。うまいことを感えついた。当時禁断の裸体画をみるためだから知恵がでる。裸のマハを楽しんでいたのは時の宰相ゴドイ。

ゴヤは子どもの絵がとくべつ上手い。お気に入りはメトロポリタンにある赤い衣装を着た男の子が紐でつないだかささぎで遊んでいる絵。この子同様、可愛くてたまらないのがオスーナ公爵夫妻と一緒にいる子どもたち。ここうした子ども画をみるとゴヤはなんて優しい男なんだと思う。

肖像画の名手、エル・グレコとベラスケスのDNAをしっかり受け継いだのもゴヤが天才たるゆえん。人物の内面をうつしとる冷静な目と高い描写力が肖像画の傑作を生みだした。こうした理知的な側面がある一方、激しく揺れる感情の高まりをそのまま画面にぶつけた作品もある。

息を呑むほど緊張感に包まれるのが‘1808年5月3日、マドリード、プリンシペ・ピオの丘での銃殺’、これはとても重い絵。光が強く当たる中央の両腕をあげた男の絶望的な表情が忘れられない。これはマネの‘マクシミリアン皇帝の処刑’を生み、ピカソの‘ゲルニカ’にも影響を与えている。ゴヤの反骨精神は半端ではない。

‘怖い絵’に必ずノミネートされるのが‘わが子を食らうサトゥルヌス’、暗い部屋でこれをみるとやはりゾクッとする。こういう絵を長くみていると夢にでてくるのでういつもほどほどにしてほかの絵に移動している。

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2018.06.25

美術館に乾杯! プラド美 その四

Img_0002   コターンの‘狩猟の獲物、野菜、果物のある静物’(1602年)

Img_0003     アレリャーノの‘ガラスの花瓶’(1668年)

Img_0001   メレンデスの‘プラム、パン、水差しなど’(1760~1770年)

Img   メレンデスの‘風景のなかにおかれたスイカとリンゴ’(1771年)

プラドへ何度か足を運んでいるとここには興味深い絵画のジャンルがあることに気づく。それはボデゴンと呼ばれる静物画。こうした果物や花や陶器などが写実的に描かれた絵はオランダのアムステルダム国立美でも数多く展示されている。

ボデゴンの第一世代の画家がコターン(1560~1627)、‘狩猟の獲物、野菜、果物のある静物’をはじめてみたときその精密な写実描写に200%驚かされた。野菜のリアルな質感描写は半端ではなく、天井からぶら下げられたリンゴの表面にあたる光の感じは見慣れたリンゴの表情そのもの。

写実描写というのは本物に限りなく近い完璧なものだともう、‘参りました!’となる。アレリャーノ(1614~1676)で目が点になったのはカラフルな花が生けられているガラスの瓶。澄んだ透明な質感がそのままでている。花を得意としたアレリャーノはフランドルの絵画に学び本家の静物画と並ぶほど華やかな花の絵を生み出した。

18世紀に入り、伝統のボデゴンをさらに発展させたのがメレンデス(1716~1780)。忘れられないのが2点ある。‘プラム、イチジク、パン、小樽、水差しなど’と‘風景のなかにおかれたスイカとリンゴ’。陶器の水差しがいい感じ。表面のつるっとした釉薬に光があたりなにかが白くうつりこんでいる。まるで本物が目の前にあるよう。これは一種のだまし絵。波の技術ではここまでだせない。

スイカの絵を以前とりあげたとき、北斎とメレンデスのスイカを載せた。北欧旅行で一足早くスイカをたくさん食べたが、これから暑くなると美味しい日本のスイカが幸せな気分にさせてくれる。広島に住んでいたころ、毎年鳥取の大栄町のスイカを食べるのが楽しみだった。このスイカをまた腹いっぱい食べたい。

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2018.06.24

美術館に乾杯! プラド美 その三

Img       ムリーリョの‘無原罪のお宿り’(1678年)

Img_0001     ムリーリョの‘ロザリオの聖母’(1650~55年)

Img_0002     リベーラの‘マグダラのマリア’(1641年)

Img_0003     スルバランの‘ポルトガルの聖女イサベラ’(1640年)

画家には夫々個性があるから作風の異なる作品で競い合う。そうなると作品のタイプは無限に広がることになるが、実際はそうはならず似たような作品はまとめられてふとつのグループとか同じ系列の作品に分類されていく。

数多く描かれてきた宗教画にはいろんなタイプがあって、とっつきにくいものもあればラファエロの聖母子のように宗教臭くなく心を虜にする作品もある。ベラスケスと同じセビリア出身のムリーリョ(1617~1682)の描く宗教画はどこかラファエロを彷彿とさせる。

20点以上制作されたといわれるムリーリョの‘無原罪のお宿り’はプラドが4点所蔵している。その2点が日本にもやって来たが、ここにあげたものはなかなか貸し出してくれない。どこの美術館でも同じだが、至宝扱いの作品はがっちりブロックする。この絵がムリーリョの最高傑作。こんな心が安まる宗教画なら何時間でもみていたい。

‘ロザリオの聖母’はラファエロの‘椅子の聖母’のように散歩の途中で出くわす愛らしい赤ちゃんとお母さんをモデルにした感じ。背景の黒によって聖母子の白い肌が浮き彫りにされ、赤の布地の皺やひだまでも精緻に表現する高い技術にも魅了される。

バレンシア生まれだが、イタリアのナポリを拠点にして活躍したリベーラ(1591~1652)はカラヴァッジョから強い影響を受けたため、男性を主役にして明暗のコントラストがきいた宗教画をドラマチックに描いたというイメージが定着している。そんなりーべーらにも‘マグダラのマリア’のようなゾクッとする女性画がある。モデルは美形の女優のよう。

ムリーリョに先行してセビリアの人気画家になったスルバラン(1598~1664)には‘聖女シリーズ’の連作がある。‘ポルトガルの聖女イサベラ’は手にもっている‘奇跡のバラ’よりも身につけている当時の最先端のファッション思わせる華麗な衣装のほうに目が寄っていく。セビリアはこのころ交易で栄えたから衣装にも街の豊かさが現れている。

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2018.06.23

美術館に乾杯! プラド美 その二

Img_0004     ベラスケスの‘ラス・メニーナス(女官たち)’(1656年)

Img_0002     ベラスケスの‘ブレダの開城(長槍)’(1634~35年)

Img  ベラスケスの‘バッカスの勝利(酔っ払いたち)’(1628~29年)

Img_0001     ベラスケスの‘織女たち’(1657年)

プラドを訪れる観光客のうち多くは絵画への関心は世間並みだろうが、誰れもがベラスケス(1599~1660)の‘ラス・メニーナス’の前に立つと絵画芸術のすばらしさに心が揺すぶられるにちがいない。こういう傑作をみると理屈抜きにベラスケスは偉大だ画家だなと思う。

いろいろある絵画のジャンルでもっとも惹かれているのが風俗画、カラヴァッジョやベラスケス、ラ・トゥールそしてレンブラントへの思い入れが強いのは画家が生きた時代にいた人々をリアルに描いてくれるから。こういう見る者が絵の中にすっと入っていける参加型の絵画というのは親しみがもてる。

大作‘ラス・メニーナス’がおもしろいのはこちら側にいる王と王妃を描いている画家ベラスケスと今対面しているような気になるところ。それはこのアトリエの床とこの美術館の部屋がそのままつながっているような錯覚を覚えるため。これと同じようなことがアムステルダムにあるレンブラントの‘夜警’でもおきる。ともに心に長く残っているのは作品が描いている世界に無意識のうちに飛び込んでいるのかもしれない。

‘ブレダの開城’をみるたびに感じるのはベラスケスの心根の優しさ。戦争で打ち破った敵将をこれほど寛大な精神で接する。これはとてもいい場面。プッサンの‘サビニの女たちの略奪’などと較べると戦争のイメージが変わってしまう。

ベラスケスの風俗画の極めつきがギリシャ神話を題材にした‘バッカスの勝利(酔っ払いたち)’と‘織女たち’。容姿の整ったばバッカスに対してまわりにいる男たちはいかにも酒が好きそうな農民。中央でニヤッとしている人物の嬉しそうな表情が忘れられない。

‘織女たち’で見事なのは構図のとりかた。手前に描かれた女たちは忙しそうに織物に精を出している。左のベテランの織女は隣の女と何かしゃべっている。‘そろそろ、お茶にしようか’とかなんとか言っているのだろうか。

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2018.06.22

美術館に乾杯! プラド美 その一

Img_0001     マドリード観光の目玉 プラド美(拡大で)

Img      美術館正面に置かれているベラスケスの銅像

Img_0002     エル・グレコの‘受胎告知’(1597~1600年)

Img_0004     エル・グレコの‘胸に手をおく騎士’(1580年)

Img_0003     エル・グレコの‘寓話’(1580年)

旅行会社の団体ツアーに参加して海外旅行する場合、美術館へ入ることが行程のハイライトになっていることが多い。パリだと必ずルーヴルへ行ってダ・ヴィンチの‘モナリザ’をみるし、NYへ出かけるとメトロポリタンへの入館がお決まりの流れ。スペインのマドリードでも同じでプラド美が定番の観光スポットになっている。

マドリードへ足を運ぶたびに感心するのはこの街ではアートが効率的に楽しめること。プラドを中心にしてすぐ近くにティッセン・ボルネミッサがあるし、20分くらい歩くとソフィア王妃芸術センターでピカソのあの‘ゲルニカ’をみることができる。だから、古典絵画から印象派、近現代アートまでいろいろな美術が満喫できる理想的なアート空間になっている。まさにマドリードはパリ、NY同様アートが大きな観光資源になっている街である。

日本の展覧会シーンにプラド美はよく登場する。今年は2~5月に西洋美でベラスケスをメインにしたプラド美展が行われた。その目玉がお気に入りの‘王太子バルタサール・カルロス騎馬像’、2011年にはゴヤの誰もが知っている‘着衣のマハ’がやって来た。

プラドの見どころはいろいろあるがまずはスペインの絵画から。美術館で大きな絵に遭遇すると特別な鑑賞体験をしているという気分になる。若い頃から心酔しているエル・グレコ(1541~1614)の‘受胎告知’は縦3.15m、横1.74mもある大作。もとはマドリードの神学校の祭壇画を飾っていた。最初の出会いは日本で行われた大グレコ展、大原美の受胎告知と並んで展示されていた。Myカラーが緑&黄色なのはこの大天使が着ている緑の衣服に魅了されたから。

エル・グレコは肖像画の名手、そのなかでとくにぐっとくるのが‘胸に手をおく騎士’、繊細な描写によりうつしとった威厳のある表情が確たる内面性まで反映し、見る者に静かな緊張感を与えている。このリアルな描写のDNAがベラスケスやゴヤに受け継がれていく。

蝋燭に移そうと息を吹きかける燃えさしの火が真ん中の人物の顔を強く照らしている‘寓話’をみてすぐ頭をよぎったのがラ・トゥールの絵。同じタイプの絵は3点あるが、カラヴァッジョ、ラ・トゥールの200%参っているからこの絵にも深く吸いこまれる。エル・グレコは本当にスゴイ画家だなと思う。

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2018.06.21

ビッグニュース! 来年秋 ‘コートールド美展’

Img_0002     ロンドンにあるコートールド美

Img_0001     マネの‘フォリー=ベルジェールのバー’(1881~82年)

Img     セザンヌの‘カード遊びをする人たち’(1892~96年)

Img_0003     ゴーギャンの‘ネヴァーモア’(1897年)

昨日の朝日新聞に嬉しい記事が載っていた。印象派やポスト印象派のコレクションで世界的に名が知られているロンドンのコートールド美の名品展が日本で行われることが決定したという。主催は朝日新聞で場所はまたまた東京都美。会期は来年9/10~12/15で3ヶ月のロングラン興行、そのあと2020年に愛知県美と神戸市博にも巡回する。

印象派好きにとってはたまらない展覧会だが、コートールドが改修のため2年間休館するためこんな夢のような美術館展が実現する。本当にすばらしい!この美術館のコレクションが公開されるのは3度目。過去2回は最初が1984年1~5月で東京(日本橋高島屋)、京都、大阪で開催され、1997年12~1998年2月にまたやってきた。このときも日本橋高島屋でみたが、東京以外に巡回したかは不明。どちらも主催したのは日本経済新聞経。

出品作の情報としてはマネの‘フォリー=ベルジェールのバー’、セザンヌの‘カード遊びをする人たち’、ゴーギャンの‘ネヴァーモアの3点を含む油彩50点ということだが、これからチラシがつくられこのほかの作品もわかってくるだろう。どの名画がラインナップされるか興味津々。

2010年にロンドン訪問したとき念願のコートールドへ足をのばしたので、展示されている名画の数々は目に焼きついている。とにかくすごい絵があそこにもここにもあるという感じ。古典絵画やバロックはちょっと横において印象派とポスト印象派にしぼって画家をあげてみると。

マネ、モネ、ルノワール、セザンヌ、ピサロ、ドガ、ロートレック、スーラ、ゴッホ、ゴーギャン、いずれも美術本によく載っているものばかり。とにかく傑作揃いなのでオルセーにいるような気分になる。今度は東京都美での開催となるので大勢の美術ファンが押し寄せることだろう。開幕はだいぶ先だがとても楽しみ。

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2018.06.20

美術館に乾杯!イザベラ・スチュワート・ガードナー美 その三

Img    ボッティチェリの‘ルクレティアの物語’(1490~1510年)

Img_0001     チェッリーニの‘ビンド・アルトヴィティ’(16世紀)

Img_0003     サージェントの‘エル・ハレオ’(1882年)

Img_0002     ホイッスラーの‘青と銀色のハーモニー’(1865年)

ルネサンスのころフィレンツェに暮らす一般市民の邸宅の壁面の上部には宗教画や世俗画が描かれた横長の羽目板があった。ボッティチェリ(1445~1510)は40代のころ‘デカメロン’の世界から題材をとった‘ナスタジオ・デリ・オネステイの物語’(プラド美)を手掛けている。そして、晩年にも数点制作した。

メトロポリタンにあるのが‘聖ゼノビウスの生涯’のひとつのパネルで、ガードナー美には‘ルクレティアの物語’が飾られている。中央で兵士たちがみつめているのがローマ王の息子に凌辱されたのを苦にして自ら剣を胸に突き刺し命を絶ったルクレティア。この絵と対になっている‘ウィルギ二アの物語’はイタリアのベルガモの美術館にある。

ドナテッロやミケランジェロとならぶ天才彫刻家チェッリーニ(1500~1571)はフィレンツェのシニョリーア広場に設置されている‘ペルセウス’が有名。メドゥ―サの首を高く掲げるペルセウスの姿は最高にカッコいい。この広場のすぐ近くにあるパルジェロ国立美に足を運ぶとチェッリーニのほかの作品にも出会える。

この彫刻家の作品はほとんどがイタリアにあるのに、なんとボストンでも‘ビンド・アルトヴィティ’の肖像彫刻をみることができる。流石という感じ。メトロポリタンにもベルニーニが1点あり気を吐いているが、これより前の彫刻家のものはない。

アメリカの美術館をまわるとサージェント(1856~1925)とホイッスラー(1834~1903)によく出くわすが、ガードナー美もその例に漏れず‘エル・ハレオ’と‘青と銀色のハーモニー’を所蔵している。二人は本籍アメリカ、現住所イギリスあるいはフランスの画家で活躍の舞台はヨーロッパにあった。

‘ハレオ’は大騒ぎを意味するスペイン語。2年ほどスペインで過ごしたサージェントは帰国後フランスのモデルを使ってこのパーティの様子を明暗のコントラストをきかせた動きのある画面に仕上げた。魅了されるスペインの踊りの雰囲気がそのままでている。

ホイッスラーの‘ハーモニーシリーズ’のなかでこの絵はクールベの影響を受けているが、水平線を強調しもやっとした海辺の感じをだしているのはホイッスラー独自の画風。手前の人物の視線をずっと追っていくと斜めの線上に広い帆のヨットがみえる。こういう構図でさらっと描けるというのがスゴイ。

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2018.06.19

美術館に乾杯!イザベラ・スチュワート・ガードナー美 その二

Img_0002     マザッチョの‘若者の肖像’(15世紀)

Img   ピエロ・デッラ・フランチェスカの‘ヘラクレス’(1460~66年)

Img_0001     レンブラントの‘嵐のガリラヤ湖上のキリスト’(1633年)

Img_0003     フェルメールの‘合奏’(1665~66年)

ボストンへ出かける前この美術館の作品情報はティツィアーノのエウロパだけ。こういう傑作がある場合、ほかはレベルが落ちるという話はこういう美術館に限ってはない。というのも、ガードナー夫人にはベレンソンという若い有能な美術史家がついており、ヨーロッパから豊富な絵画情報を夫人の耳に入れ購入を指南していた。

マザッチョ(1401~1428)の‘若者の肖像’は数少ない肖像画のひとつ。小品だが若者が被っている緋色のターバンの色遣いは新しい絵画をうみだしルネサンス絵画を先導するというマザッチョの意気込みが感じられる。マザッチョのイメージはこの赤のインパクトとサンタ・マリア・ノヴェッラ聖堂に飾ってある‘三位一体’でみせつけた遠近法。マザッチョの高い技術が発揮された作品をボストンでみれるなんて夢のよう。

印象派同様、ライフワークとしているルネサンス絵画なので美術本に載っている作品は特定の画家に絞らずなるべく多くみるように心がけている。ダ・ヴィンチ、ボッティチェリ、ラファエロ、フラ・アンジェリコのようにフィレンツェやローマに通うと代表作があれこれみれる画家については満足度のレベルはかなり高いところまできている。

でも、こういう観光都市ではなくイタリアの地方都市に作品が多くある画家はその距離がなかなか埋まらない。
ピエロ・デッラ・フランチェスコ(1416~1492)はそんな画家だが、なんとNYのフリック・コレクションとガードナー美に画集の載るほどいい絵がおさまっている。

‘ヘラクレス’はもとはフレスコ画だったもので1860年代に発見されたすぐ壁から剥がされた。そのため一部が失われているが、ガードナー夫人がベレンソンのアドバイスに従って1908年に購入した。彫刻的な人物表現で存在感のあるヘラクレスが神話的な英雄でなく村にいる元気な青年の凛々しい姿で描かれている。

オランダの人気の画家の作品もしっかりコレクションされている。レンブラント(1606~1669)の‘嵐のガルラヤ湖上のキリスト’とフェルメール(1632~1675)の‘合奏’。残念なことに‘合奏’はなかった。1990年に盗難に遭ったのである。もうすこし前にボストンへ行っておればみれたのだが。この絵はいまだに発見されてないがこのまま迷宮入りするのだろうか。でてきたら大ニュースになるのだが、果たして。

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2018.06.18

美術館に乾杯!イザベラ・スチュワート・ガードナー美 その一

Img ボストン美の近くにあるイザベラ・スチュワート・ガードナー美(拡大で)

Img_0001     サージェントの‘ガードナー夫人の肖像’(1887~88年)

Img_0003_2      ガードナー美の中庭

Img_0002     ティツイアーノの‘エウロペの略奪’(1559~1562年)

Img_0004    ボッティチェリの‘聖母子と天使’(1470年)

邸宅美術館というとロンドンでは質の高いコレクションで知られているコートールドやウォレスコレクション、そしてパリではモネの作品を集めたマルモッタンなどが思い起こされるが、アメリカにも収集家が暮らしていた邸を美術館にして公開しているところがいくつもある。

そのなかで別格扱いされているのがボストンにあるイザベラ・スチュワート・ガードナー美(1903年創立)、はじめて訪問したのは25年前なので、ボストン美のすぐ近くにあることはわかっているがどういう風に行ったかはまったく覚えていない。

入館して驚いたのは建物がヨーロッパの貴族の館そのものだったこと。中庭や回廊がつくられておりアメリカにいることを忘れるほど邸全体は完璧にヨーロッパ調。これを建てたイザベラ・スチュワート・ガードナー夫人が真似たのはヴェネツィアの建築様式。ヴェネツィアの邸宅のようにするため夫人はイタリアへ出かけ古い石造りの窓枠やバルコニー、敷石などを買いあさったという。根っからのヴェネツィア好き。

この美術館を訪問したころは美術の世界の入り口をぬけて少し進んだほどで、知っている西洋絵画の巨匠も限られておりティツィアーノとティントレットがまだはっきり区別できてなかった。だから、この美術館でもっとも有名なティツィアーノ(1485~1576)の‘エウロパの略奪’に遭遇したことはエポック的な鑑賞になった。

この傑作がどういう経緯でガードナー夫人のものとなったかは美術本によりインプットされているので、とにかく隅から隅までじっくりみた。後にルーベンスの模写にも出会うことになるが、この2つの絵によってこのギリシャ神話にでてくるエウロペの略奪の話が‘ヨーロッパ’の語源だということを知り知識の森がちょっぴり広くなった。これも絵画の力。

ここには古典絵画のいい絵がまだある。ボッティチェリ(1445~1510)の画集に必ず載っている‘聖母子と天使’。ボストンに来た1993年の10年くらい前、フィレンツェのウフィッツイ美でボッティチェリの‘ヴィーナスの誕生’や‘春’と対面したときの感動が蘇った。ボストンにこんないいボッティチェリがあるのだからガードナー夫人は本当にスゴイ目利き。

夫人はサージェント(1856~1925)に肖像を描かせたが8回NGを出し、9回目の作品でようやく満足したという。たしかに穏やかで美しい表情をしている。

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2018.06.17

心に響くターナーの海洋画!

Img  ターナーの‘風下側の海辺にいる漁師たち、時化模様’(1802年)

Img_0003  ‘ソマーヒル、トンブリッジ’(1811年 スコットランド国立美)

Img_0001     ‘キルカーン城、クラチャン・ベン山ー真昼’(1801年)

Img_0002     ‘風景 タンバリンを持つ女’(1845年 栃木県美))

現在、新宿の損保ジャパン日本興和美では‘ターナー 風景の詩’(4/24~7/1)が行われている。4月池大雅展をみるため京都へいったときは別の美術館でこの展覧会をやっていたが、いずれ損保ジャパンに巡回することがわかっていたのでパスして帰って来た。

出動は遅くなったが、5月にTV東京の‘美の巨人たち’がターナー(1775~1851)の‘難破船’とりあげてくれ、番組の最後でこの回顧展を案内していたので、その情報分だけ関心の度合いは増大した。といっても昨年の京都行きで手に入れたチラシで気になっていたのは‘風下側の海辺にいる漁師たち、時化模様’(サウサンプトン・シテイ・アートギャラリー)1点のみというのが正直なところ。

番組で紹介された‘難破船’が描かれたのが1805年だから、この‘漁師たち’はその3年前の作品。8年前テートブリテンで‘難破船’に出会ったとき、海面の波の迫力ある描写に目が釘づけになった。海洋画で心を奪われている画家はターナー、アメリカのホーマー(1836~1910)の2人、そして浜辺に打ち寄せる波をリアルに描いたクールベ(1819~1877)にも魅せられている。

ホーマーは海が大きく揺れ動く光景をもっと近くからとらえているのに対し、ターナーは焦点をあてている船を軸にしてまわりの大きな船も入れ俯瞰的に描いているので船が波に翻弄される場面に強いハラハラドキドキ感がある。27~30歳にかけてターナーが手がけた海洋画の傑作を2点もみれたのは幸運だった。

この絵に満足したのでほかの絵はさらっとみた。そのなかで足がとまったのがチラシに載っている‘ソマーヒル、トンブリッジ’と虹のかかった‘lキルカーン城、クラチャン・ベン山ー真昼’。そして、日本の美術館が所蔵しているものではトップクラスの‘風景 タンバリンを持つ女’もながくみていた。この絵は一度と栃木県美へ遠征したとき平常展に飾ってあったし、5年前の東京都美のターナー展にも出品された。

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2018.06.16

コペンハーゲンの美術館を想起させるフランス絵画!

Img     ゴーギャンの‘マタモエ 孔雀のいる風景’(1892年)

Img_0001     ドランの‘港に浮かぶヨット’(1905年)

Img_0003     クールベの‘山の小屋’(1874年)

Img_0002     ロランの‘エウロペの掠奪’(1655年)

ロシアのエルミタージュ美(サンクトペテルブルク)とプーシキン美(モスクワ)は美術の本によくでてくる超一級の美術館。19年前に運よくエルミタージュを訪問できたが、プーシキンはまだ足を踏み入れていない。

コペンハーゲンとオスロでお目当ての美術館をまわってきたばかりだが、次の計画がアバウトにできていて、順番は①プーシキンと二度目のエルミタージュ ②スイスの美術館 ③LAとサンフランシスコの美術館となっている。海外の美術館めぐりはまだまだ続く。

プライオリティの高いプーシキンだが、今回を含めるとそのすばらしいコレクションを3回楽しませてもらった。お陰で関心の高い印象派、ポスト印象派については画集に載っている作品がかなり目に入った。でも、いい絵はもっとあることはわかっている。それらが4回目、5回目に登場するかもしれないが、歳を考えるとそうのんびり待ってもおれない。

エルミタージュ同様、プーシキンで充実しているのがゴーギャン(1848~1903)、コペンハーゲンのニュー・カールスベア美でゴーギャンを満喫したので‘マタモエ 孔雀のいる風景’をみているとコペンハーゲンのデジャブがおこっていると錯覚する。本当にいい絵。2羽の孔雀がとてもやさしい感じで南国の楽園を思わせる安定感のある構図と調和のとれた色使いが心をとらえて離さない。

色彩の輝きに目を奪われるのがドラン(1880~1954)の‘港に浮かぶヨット’、コペンハーゲンの国立美でドランのいい女性の肖像に会ったばかりなのに日本ではフォーヴィスムを体で感じさせる風景画に遭遇した。マティスとドランに‘フォーヴィスム、いいだろう、参ったか’とドヤ顔で言われているよう。

小品だがクールベ(1819~1877)の‘山の小屋’に魅了された。クールベは北欧の美術館で念願の作品を2点リカバリーできたので今頭のなかにどーんといる画家、その感動のリレーが東京都美にも続いているのだからたまらない。これって‘セレンディピティ’(思わぬ幸運に偶然出会う能力)の証?!

ギリシャ神話や聖書を題材にして港や川の広大な風景を描き人気の画家になったクロード・ロラン(1604~1682)は2013年横浜美にも登場したが、‘エウロペの掠奪’はそれを上回る傑作、日本でこんないいロランは滅多にみれない。

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2018.06.15

待望の‘プーシキン美展’!

Img_0001    モネの‘草上の昼食’(1866年)

Img_0003     モネの‘白い睡蓮’(1899年)

Img_0002     セザンヌの‘サント=ヴィクトワール山’(1905年)

Img     アンリ・ルソーの‘馬を襲うジャガー’(1910年)

先週、上野へでかけ東京都美で開催されている‘プーシキン美展ー旅する風景画’(4/14~7/8)をみてきた。ここ数年、西洋絵画の鑑賞は国立新美と東京都美、そして西洋美の3館が中心になっている。今年は春のビュールレコレクション展(国立新美)とともに期待値が高かったのがこのプーシキン美展。待望の絵が登場するのでわくわくしながら入館した。

4点出品されたモネ(1840~1926)は26歳のときに描かれた‘草上の昼食’が展覧会の目玉、白樺の森のなかで12人の男女が昼食を楽しんでいる。こういうピクニックはいまでも楽しい。視線が集まるのはやはりワインや食べ物が置かれている真ん中。ほかとくらべ明るさが際立ち白が輝いている。モネの作品をみるときいつもこの白の使い方に注目。右下で長い足をのばしてくつろうでいる男性のシャツの白さにも目を見張らされる。

太鼓橋と水面の睡蓮を描いた‘白い睡蓮’をみるのは‘草上の昼食’同様2度目のこと。ところが、この睡蓮がこれほど光り輝いているという印象がまったく消えていた。前々回のプーシキン美展の図録をときどきみていたのに本物のすばらしさを忘れていた。名画は何度もみるものだとつくづく思う。

今回一番のお目当てはセザンヌ(1839~1906)の‘サント=ヴィクトワール山’とアンリ・ルソー(1844~1910)の‘馬を襲うジャガー’、モネ、セザンヌ、ルソーはほぼ同世代の画家だが、3人のめざした絵は大きく違う。同じ時代に生きても絵画表現には個性がでる。これがアートの奥深いところ。

セザンヌが晩年に描いた故郷のサント=ヴィクトワール山はフィラデルフィア美にある2点と同じく色彩が複雑に絡み合う密度の濃い絵、山や家々の形はまだ残るものの画面のイメージは抽象絵画の世界へと入りこんでいる。これでサント=ヴィクトワール山の連作は済みマークがつけられる。ミューズに感謝!

さて、チラシにどんと使われているルソーの‘馬を襲うジャガー’、ぱっとみるとジャガーは馬のどこを噛みついているのかわからない。逆に馬がジャガーの首あたりをくわえているようにみえる。ルソーが亡くなる年に仕上げられた一連のジャングル画で残りは3点。次のターゲットはスイスのバーゼル美にある‘豹に襲われる黒人’にしているが、運にめぐまれれば3年後くらいに遭遇するかもしれない。

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2018.06.14

ストックホルム(2)

Img     旧市街の大広場にあるノーベル博物館

Img_0002   歴代受賞者のパネル 大村智博士(左)、ディラック(右)

Img_0003     アインシュタインのブース

Img_0001   山中伸弥博士のサインがしてあるカフェの椅子

Img_0004    お土産にもってこいのメダルチョコ

旧市街をざっと散策したあとガイドさんが最後に連れて行ってくれたのが大広場。その正面にあるのが2001年ノーベル賞100周年を記念して開館したノーベル博物館。11時にオープンし、普通は100スウェーデンクローネ(1600円)を払うのだが、ガイドさんがお得な案内をしてくれた。ミュージアムショップでお土産を買うと係員に言うと無料にしてくれるという。

多くの日本人観光客が買い求めるお土産とは何か、それは旅の話のネタにはもってこいのメダルチョコ! これをゲットするために扉が開くとミュージアムショップに急いだ。10個入りが130SEKr(2000円)、これがどんどん売れていく。わが家は2箱買った。ガイドさんの話ではある日本人受賞者は3万個(600万円)購入されたそうだ。

館内にはアルフレッド・ノーベル(1833~1896)関連のものと歴代のノーベル賞受賞者の業績や関連資料などが展示されている。また、授賞式や晩餐会の様子を撮ったパネル写真もあり晩餐会でふるまわれた食事に使われた食器(本物)なども陳列されている。

天井から垂れ下がった受賞者を紹介する肖像写真のパネルが機械仕掛けでぐるっとまわっており、じっとみていると小柴昌俊博士(2002年 物理学賞)、大村智博士(2015年 医学生理学賞)が登場してきた。どうやって受賞者をセレクトしているのかわからないが、どうもショップでお金をたくさん使ってくれる日本人の心をくすぐるため日本人受賞者が頻繁にまわってくるようにセットされているのかもしれない。

今は宇宙論の虜になっているのでイギリスの天才物理学者ディラック(1933年 物理学賞)がでてきたり、アインシュタイン(1921年 物理学賞)のブースをみつけるとだんだん大きくなりつつあるサイエンスマインドに火がつく。しばらく科学者物語に没頭しようと思っている。

館内にはカフェがあり晩餐会でだされたアイスクリームが食べられる。そして、カフェの入口のところにiPS細胞の発見で受賞した山中伸弥博士(2012年 医学生理学賞)のサインが入った椅子が飾ってある。これをみると日本人として誇らしい気分になる。


これで北欧旅行記は終わりです。壮大なフィヨルドの風景やムンク、ゴーギャン、マティス、クールベたちの名画を皆さんと共有できたことを心から喜んでいます。

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2018.06.13

北欧は楽し! ストックホルム(1)

Img_0003     オスロと同じくらいの緯度にあるストックホルム(拡大で)

Img        レンガ造りの市庁舎は定番の観光スポット            

Img_0005       王宮

Img_0001    狭い路地が特徴の旧市街

Img_0002    願いが叶う?!‘座る像’

北欧の旅の最終日はスウェーデンの首都ストックホルム。ストックホルムには前日オスロからの高速列車で入ったが、始発の遅れなどのため到着は1時間遅れホテルに着いたのは夜の12時。そして、当日の市内観光は2時間半そこそこ、あっというまのストックホルム滞在だった。

現地在住のベテラン日本人ガイドさんの話がなかなかおもしろかった。スウェーデンでは5週間の有給休暇をとるが法律で決まっているらしい。‘大企業とはちがい自分たちは中小企業だから有給休暇なんて少ししかとれない’なんてことをもうずっと言っている日本の労働環境ではあと100年経ってもこんな制度はできないだろう。

とくに興味深かったのは高校生が卒業したとき、何人かが集まってトラックに乗り込み盛大に街をパレードをするという話。18歳は成人ということで皆、親離れする。だから、高校を卒業するというのは大人への仲間入りという意味で特別な区切りとなる。トラックを借りて数多くのグループが思い思いにデコレーションして通りを走りまわる。人々はそれを微笑ましくながめ祝福する。この国で定着しているそのイベントをみてみたかった。

多くの観光客が集まっていたのが市庁舎、ここは12月10日のノーベル賞授賞式後の公式晩餐会が開かれるところ。これから先日本人科学者が受賞したときはメデイアに流れる晩餐会の様子がよりイメージしやすくなる。
人口75万人のストックホルムは14の島からできているが、この市庁舎があるのは2番目に大きい島。建物の前にはリッダー湾が広がり絶好の撮影ポイントになっている。中国人が大勢いた。

スウェーデンは海外からの流入などのため人口が増え続け2018年現在1000万人に達している。ちなみにデンマークは573万人、ノルウエーは539万人、そしてフィンランドは556万人。北欧4か国の人口はみな同じくらいと思っていたが、スウェーデン人はほかの国の倍近くいた。

大勢の人が集まる旧市街では王宮をみてそのあと狭い路地を通りながら洒落たレストランやお土産屋などが並んでいるところを散策した。途中、ガイドさんが案内してくれたのが観光客の気配がないところ。小さな像がありコインがいっぱい投げ込まれている。この座った小像の頭をさわると願いが叶うらしい。また、ここへ来れることをお願いした。

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2018.06.12

オスロ国立美(5)

Img     ピカソの‘カフェの貧しい男女’(1903年)

Img_0001     ノルデの‘夜のバーで’(1911年)

Img_0002     ハンマースホイの‘コインコレクター’(1904年)

Img_0003     ワイエスの‘アルバートの息子’(1959年)

ピカソ(1881~1973)は多作の画家なので、ブランド美術館に展示されているお馴染みの名画のほかにもはじめて訪れる美術館でも思わず足がとまる絵がひょいと姿を現す。青の時代に描かれた‘カフェの貧しい男女’もそんな一枚。

この絵が描かれた1903年はピカソは22歳でパリとバルセロナを行ったり来たりしていた。画面を青一色で塗りあげるようになったのは2年前に起きた仲の良かった友人カサジェマスの自殺がきっかけだった。この事件にショックを受けたピカソは貧者など社会の底辺にいる弱者たちに目をむけ感傷的に描くようになった。

ムンクとの関連性が強いのはドイツ表現主義、そのためエミール・ノルデ(1867~1956)やキルヒナー(1880~1938)を見つけると敏感に反応する。青や黄色、赤の激しい原色と荒々しい筆致が印象深いノルデの‘夜のバーで’に強く惹かれた。

コペンハーゲン国立美で北欧絵画の部屋を進んでいたとき、ひとつの部屋がデンマークの画家、ハンマースホイ(1864~1916)に充てられていた。作品の数は20点くらい。知らない画家ではない。2008年、西洋美でこの画家の回顧展があったが、そのときはパスした。理由はこちらに背をむけた女性は好みでないから。そのため、写真を撮るか迷ったが結局一枚もシャッターを押さなかった。

オスロにも‘コインコレクター’があった。これは正面向きの男性がいる室内画だからコレクションに加えることにした。こういう静かで女性的な絵は一枚あれば十分という感じ。多くがワンパターンなので何枚もみると飽きてしまうというのは正直なところ。

想定外の収穫はワイエス(1917~2009)の‘アルバートの息子’、これは嬉しい作品。2年前、マドリードのティッセン・ボルネミッサ美でワイエス展に遭遇し心が揺すぶられたが、こんなところにもワイエスがあったとは。
ますます、のめりこんでいく。

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2018.06.11

オスロ国立美(4)

Img_0003     クールベの‘恐怖におののく男’(1845年)

Img_0002     コローの‘テルミの小滝’(1826年)

Img     モネの‘ノルウェーのコルサ―ス山’(1895年)

Img_0001    オラツィオ・ジェンティレスキの‘ユディットと待女’(1608年)

クールベ(1819~1877)の‘恐怖におののく男’(未完 1843~45年)はコペンハーゲンでみた‘窓辺にいる3人のイギリスの少女’同様、グランパレの回顧展のとき展示替えでみれなかった作品。リカバリーがうまくいくかちょっと緊張した。展示の場所を聞くと、‘どこかへ貸し出されるためもう包装されてここにはない!’そ、そんな、ガッカリしたが気を取り直して印象派のところへ急いだ。

ところが、そのあと部屋を進んでいたら、なんとこの絵が現れた。‘ここにあるじゃない!不確かな情報は流さないでよ’という感じ。監視員もローテーションするので勘違いしたのだろう。この男のパニックった表情を図版で何回もみてきたが、ようやく本物と対面した。今回クールベの追っかけは2戦2勝、機嫌はすこぶるいい。

コロー(1796~1875)は日本で立派な回顧展に遭遇したので、画家との距離がぐっと縮まった。そのため、海外の美術館をまわるときは見逃さないようにしている。小品の‘テルミの小滝’は思わず足がとまった。コローの風景画には湖や川がよくでてくるが、多くは静謐そのもので水面はとても滑らか。そのイメージがあるため、この激しい水流には200%圧倒された。

4点あるモネ(1840~1926)では手持ちの画集に載っている‘雨のエトルタ’(1886年)もいいが、前日ノルウェーの雪や氷河が残る山々を目に焼きつけたので‘コルサ―ス山’のほうに体が寄っていく。モネは1895年1月末、義理の息子ジャック・オシュデがいるノルウェーに旅だち100日間滞在した。

このコルサース山はオスロから45㎞離れたビュルネガードの宿屋で描いたもの。ノルウェー滞在中に20数点の作品を仕上げたがその半分の13点がコルサ―ス山。モネは日本の浮世絵が好きだったので富士山のように描いている。

ノルウェーにはフランスびいきのエリートたちがおり、オスロ国立美は1890年に‘雨のエトルタ’を購入し、フランスの国外でははじめてモネの絵を買った公共機関となった。こういう話を聞くとここにフランス絵画の傑作が多くあることが腹にすとんと落ちる。

最後になった古典画のなかに想定外の絵があった。カラヴァッジェスキのオラツィオ・ジェンティレスキ(1563~1639)の‘ユディットと待女’、ユディットが敵将ホロフェルネスの首を刎ねるというショッキングなモチーフは多くの画家たちによって描かれてきたが、最も魅了されるのが娘のアルテミジア・ジェンティレスキ(1593~1652)が描いたぞくっとするほど怖い絵。同じ画題を父親のオラツイオも描いていたとは!大きな収穫だった。

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2018.06.10

オスロ国立美(3)

Img     マネの‘1867年のパリ万国博覧会’(1867年)

Img_0001     ルノワールの‘水浴するブロンド娘’(1885年)

Img_0002     ドガの‘婦人と犬’(1875~80年)

Img_0004     セザンヌの‘テーブルの上のミルク差しと果物’(1890年)

オスロ国立美で‘ムンクの部屋’に次いで多くの人が集まっているのが印象派が飾ってあるところ。ここに美術本に載っている作品がいくつも登場した。必見リストで二重丸をつけていたのが部屋の真ん中にあったマネ(1832~1883)の‘1867年のパリ万国国博覧会’。

マネには魅力的な肖像画が数多くあるが、これを同じくらい惹かれるのが近代化するパリの街並みや人々の生活を活写した風俗画。ドガもよくとりあげた競馬場、華々しい社交場、カフェやバー、、、ここに描かれているのは2回目の万国で沸くパリの街の一角、馬に乗った人や話し込む女性たちの輪、くつろぐ兵士、活気づく街の様子が手にとるようにわかる。

コペンハーゲンのニュー・カールスベア美では残念なことに収穫といえるほどのルノワール(1841~1919)に遭遇しなかったが、オスロにやって来たらルノワールらしい女性画が現れた。手元の画集にも紹介されている‘水浴するブロンド娘’、大きな絵ではないがブロンドの髪や肌の色使いに吸い込まれる。

2点あったドガ(1834~1917)は踊り子と小品の‘婦人と犬’、じつはこの後ろ姿の婦人をみるのは2度目。30年前の1988年に西洋美で大規模な‘ジャポニスム展’があり、構図のとり方に浮世絵の影響が明らかにみられる‘婦人と犬’も出品された。小さな絵でも婦人の肩ごしに犬をとらえるという発想が当時の人にとって斬新だったにちがいない。

再会した絵がもう一枚ある。セザンヌ(1839~1906)のすばらしい静物画‘テーブルの上のミルク差しと果物’。これが日本の美術館で公開されたのは1999年に横浜美で行われたセザンヌ展。かれこれ20年ぶりの対面。目に飛び込んでくるのは白が輝いているミルク差し。そして、傾ているようなのにさほど不安定な感じがしないテーブルにバランスよく置いてある果物。

水平と垂直の直線によって整然とつくられたテーブルに丸い形のミルク差しとリンゴやレモンなどがきわめて穏やかにおさまっている。だから、ずっとみていたくなる。やはり、セザンヌの静物画は最高。

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2018.06.09

オスロ国立美(2)

Img     ムンクの‘病める子ども’(1885~86年)

Img_0002     ‘思春期’(1894~95年)

Img_0001     ‘作家ハンス・イエ―ガーの肖像’(1889年)

Img_0003     ‘月光’(1895年)

ムンク(1863~1944)の出世作となったのが‘病める子ども’、画集でこの絵をみるたびに心が締めつけられていたが、本物の前ではもっと辛い感じがした。病床が出てくる作品ですぐ思い浮かぶのはあの天才ピカソが16歳のとき描いた‘科学と慈愛’とムンクのこの絵。

病院はできることなら行きたくない場所だから、こういう光景をみると切なくなる。死が迫っている少女の顔は異様に白くなっており、それをまともにみていられない付添人のうなだれた首が病魔に襲われた患者にいだく深い悲しみを物語っている。

ムンクは小さいときから体が弱かったことや母親が早く亡くなり一歳上の姉ソフィーエも15歳で天国にめされたため、不安に悩まされ死の恐怖が頭からずっと消えなかった。このことがムンクの画風が感情を画面に強くだす表現主義のスタイルに変っていくことに影響している。

大人の体に成長していく少女の心の動揺を絵のモチーフにすることはほかの画家では思いつかない。でも、自分がいつも不安につきまとわれているから少女の心を敏感に読みとることができる。少女の後ろに描かれた大きな黒い影が彼女の内面を反映している。目に焼きついているこの絵を長いことみていた。

大きな収穫のひとつが‘作家ハンス・イェーガーの肖像’、この絵はムンクを特集した美術番組でみて以来とても気になっていた作品。女性の肖像に較べ男性のものへの思い入れは下がるが、この作家の圧倒的な存在感には魅了される。いかにも一癖ありそうな表情をしたイェーガーは前衛的な精神をもったグループのリーダーでムンクは尊敬していた。

ムンクの風景画には満月と海面の反射がよくでてくる。‘月光’でも青い海に白の影が印象的に描かれている。これは永遠の命を表し、月の反射の形は古代エジプトの文字アンク、♀にヒントを得ている。つくづくいいアイデアをもちこんだなと思う。

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2018.06.08

オスロ国立美(1)

Img_0003     オスロ国立美の入口

Img_0001     ムンクの‘叫び’(1893年)

Img_0002     ‘生命のダンス’(1899~1900年)

Img     ‘桟橋の上の少女たち’(1901年頃)

Img_0004     ‘メランコリー’(1892年)

フィヨルド観光からオスロに戻ってくるとすぐムンク(1863~1944)の‘叫び’が飾ってある国立美術館へ直行した。このあと4時50分発のストックホルム行きの高速列車に乗るので館内にいる時間は45分。予定は1時間だが、列車に乗り遅れるわけにはいかないのでこれは仕方がない。大急ぎで必見リストに載せてあるムンクとクールベ、印象派をめざした。

展示のレイアウト図は事前に用意したものが古くまったく変わっていた。そのため、係員にリストの図版をみせて展示されている部屋を教えてもらった。まず、突進したのはムンクの部屋。ありました々、念願のムンクの絵が!美術本でここにあるムンクはおおよそ頭に入っているので、確認はどれが出てないかだけ。この部屋に15点あり、1階から2階へ上がってくるところの壁に1点、そして別の部屋にもう1点、全部で17点。もう天にも昇る気分。ミューズに感謝!

美術の教科書に載っていた‘叫び’、耳をふさぎ目と口を大きくあけ何か大声をだしているようにみえる幽霊仕立ての人物、この異様な顔を一度見たら忘れられない。西洋絵画の人物表現で衝撃度の強さが目に焼きついているのはゴヤの‘わが子を食らうサトゥルヌス’、ムンクの‘叫び’、そしてピカソの‘アヴィニョンの娘たち’。その‘叫び’をやっとみることができた。素直に嬉しい。今秋にはムンク美の‘叫び’も東京都美にやって来る。わが家にとって今年は‘ムンクイヤー’。

35年ぶりに再会したのは‘生命のダンス’。1983年フィレンツェのピッティ宮殿を訪問したとき、ここで運よくミニムンク展が開催されておりそこに飾ってあったのがこの‘生命のダンス’。正直この絵によってムンクが本当に好きになったかもしれない。魅せられるのは一見平板な印象なのに人物を大きく描き巧みに奥行きをつくる画面構成と赤や緑の強い色彩。息を呑んでみていた。

色彩表現でぐっと惹きこまれるのが‘桟橋の上の少女たち’。美術館がつくったムンクの日本語版図録に載っている図版がじっさいの色をよくひろっていないのでノーフラッシュで撮った写真を使った。少女の白と赤の衣装と向こう側に描かれた緑の木の塊に頭がくらくらする。予想通りの傑作だった。

‘メランコリー’も期待の一枚、視線が寄っていくのが右手前でこちらを向いている男。タイトル通り気分がふさぎ込んでいる様子。この男の対角線上には桟橋がみえ男女が浜辺のほうに進んでいる。うまくいっているカップルと深刻な表情で悶々とする男。じつにストーリー性のある作品。

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2018.06.07

ノルウェー物語 ~食べ物 音楽 労働環境 物価など~

Img     脂がのったノルウェー産のサーモン

Img_0002    グリーグの名曲‘ピアノ協奏曲イ短調’(1868年)

Img_0003     森の精霊‘トロル’

Img_0001      氷河や万年雪が残る山々

★食べ物 
北欧の料理というとすぐイメージするのがサーモン、食べ較べをするほどサーモン通ではないが、オスロの昼食で食べたソテーは脂がのって大変美味しかった。ノルウェー人はサーモンはどこより美味いと自信をもっている。列車の中でいただいた生サーモンのサンドイッチにもご機嫌だった。

★ベルゲン出身の作曲家グリーグ
北欧で有名な作曲家は2人いる。フィンランドのシベリウス(1865~1957)とノルウェーのグリーグ(1843~1907)。グリーグの名曲‘ピアノ協奏曲イ短調’は好きなピアノ協奏曲のひとつであり、組曲‘ペール・ギュント’の‘朝の気分’が流れてくるとα波がでてきて心が癒される。でも、この偉大な作曲家がノルウェー第2の都市ベルゲンで生まれたことは知らなかった。グリーグが愛したフィヨルドを体感したので、こうした曲を聴くたびに感激がより深まるかもしれない。

★‘トロル’は森の精霊?それとも妖怪?
ノルウエーに古くからいる‘トロル’、この森の精霊はとても怖い形相をしている。だから、妖怪のほうがぴったりくる。昨年1月、BS2の‘体感!グレートネイチャー フィヨルド’をみたとき、ソグネフィヨルドより下のほうにある‘ハダンゲルフィヨルド’におもしろい形をした‘トロルの舌’という観光名所がでてきた。標高1100mの断崖の縁が横から見ると舌のようになっている。若い男女が写真を撮っていたが、ここに立つのはどうみても無理。怖すぎる。

★ノルウェーの労働環境
フィヨルドに面したホテルで一泊したあと、まだ氷河や万年雪が残っている山々の荘厳な景色を間近くにみながらバスは一路オスロへむかって進む。途中標高がだいぶ低くなったところでバスの運転手は10分間停止させられ‘コントロールチェック’を受けた。何をチェックされているかというと、バスを運行計画通りに走らせているか、また運転手は十分休みをとって運転しているか、などが調べられるとのこと。運転手は観光業に携わり尊い命を預かっているから、こうした厳しいチェックが入る。これには深く考えさせられた。日本ではこんなチェックは何十年経っても行われないだろう。

★高い物価
ノルウェーで最も驚いたのは物価の高さ、いろいろ税金がかかっているため物の値段、サービスの料金がべらぼーに高い。20分タクシーに乗ると8000円くらいとられるというので、オスロの初日、自由時間の際でかける予定だったヴァイキング博物館は取りやめた。そして、添乗員さんの話だとレストランに入ってそれほど豪華でないメニューを注文しても最低5000円はかかるという。これほどの高物価とは思ってもみなかった。

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ソグネフィヨルド(2)

Img_0007    フロムからはじまるソグネフィヨルド遊覧クルーズ

Img_0004_2   ①氷期に巨大な氷床の重みにより大地は2000m削られる

Img_0005_2   ②間氷期に海水が入り1000mの深さの海になった

Img_0006_2  ③ノルウエーの外海は深さ100m VS 内海のフィヨルドは1000m
  ~BS2‘体感!グレートネイチャー’(2017年1月)より~
Img_0001_2     ネーロイフィヨルド  ‘サーグ滝(のこぎり滝)’

Img_0002      ‘スティヴィ滝’

Img_0003       ‘シェル滝’

ノルウェーの大西洋に面する海岸線はノコギリの歯のようで海から陸に深く切りこむ入江は1000も連なっている。‘フィヨルド’はノルウェー語で内陸に深く入りこんだ湾を意味する。

どうやってできたかをざっくり説明すると、①氷期にノルウェーを襲った巨大な氷床の重みにより大地は2000m削られた、②間氷期に入るとそこに海水が入り1000mの深さの海になった、③ノルウェーの外海は深さ100mほどだが、フィヨルドは外海よりはるかに深い内海になった。

たくさんあるフィヨルドのなかで大勢の観光客がでかけるのが世界遺産になっている‘ソグネフィヨルド’、入口から最奥までの長さは205㎞、その深く入り込んだ内陸の先がさらに‘オーランドフィヨルド’と‘ネーロイフィヨルド’に分かれる(昨日の地図を参照方)。このオーランドフィヨルドのつきあたりがフロム。

遊覧クルーズ船はここから出発し分岐点まで北上し、そこから今度はネーロイフィヨルドのつきあたりグドバンゲンまで進んで行く。約2時間のクルーズ。2つの川のような海の幅はネーロイの方が狭く最も狭いところでは250m、だから1000m級の崖が両側からぐぐっと迫ってくる。その迫力の大きさでカメラのシャッターを切ったのはほとんどネーロイの滝。ソグネフィヨルド全体で海の深さをみると、入口から90㎞のあたりが1308mと最も深くなっているが、このネーロイはフィヨルドの末端なので235mくらい。

事前に配られたフィヨルドの概略図に鑑賞ポイtンとなる滝が描きこまれている。水量が莫大で感動の極みだったのが‘サーブ滝(のこぎり滝)’、日本画家の東山魁夷がここを訪れたとき絵にしている。はっきりしないがどこかの展覧会でみた覚えがある。

両サイドから交互に滝が流れ落ちてくる感じで、この光景は期待値の3倍くらいいい。日本の豪快で力強い‘華厳の滝’や神秘的な雰囲気をもつ‘那智の滝’にも心を奪われるが、鋭く切り立つ高い断崖からところどころ途切れて下に落ちてくる滝の数々にも200%感動する。

姿のいい滝は用意したミニ双眼鏡で仔細にとらえたが、中間地点の‘スティヴィ滝’や終着地点グドバンゲンの近くに現れた‘シェル滝’が忘れられない。船首で長くみていると寒さを感じたが、しっかり冬用のブルゾンを着ていたので寒さ対策は上手くいった。ノルウェーのフィヨルド、本当にすばらしい!一生の思い出になる。

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2018.06.05

北欧観光のハイライト! ソグネフィヨルド(1)

Img     フロムからスタートするフィヨルド遊覧クルーズ(拡大で)

Img_0001     ベルゲン鉄道の途中にあるハダンゲルヨークレン氷河

Img_0002      フロム鉄道の出発点 ミュルダール

Img_0004      ショース滝

Img_0003       岩の上で踊る妖精(赤の衣装)

Img_0006     フィヨルド遊覧クルーズ船が出港するフロム

北欧ツアーに申し込んだのはフィヨルドをみることとムンクの‘叫び’と対面することだった。ノルウェーの国土のイメージができていないので、フィヨルド観光がどんな具合に進むのか気持ちが少し落ち着かない。

まずはフィヨルド遊覧クルーズ(約2時間)がはじまるフロムをめざす(地図を拡大で)。この行程は前半がベルゲン鉄道、オスロからバスでヤイロまで行きそこで列車に乗り込む。バスからもまだ雪が残り北極圏に近い国を実感させる光景が続いたが、ベルゲン鉄道はさらに高い所を走るので白一色の雪景色。

途中、ハダンケルヨークレン氷河が現れた。氷河に遭遇するのは人生ではじめてのこと。寒さには弱いがここ数年BS2で‘体験!グレートネイチャー’で氷河の絶景を何度も目にしているので息を呑んでみていた。これが氷河か、という感じ。一番高い所にある駅の標高はなんと1222m。だから、5月とはいえまだ雪だらけ。氷河をみて気が引きしまった。

ミュルダール駅で降りると次は後半のフロム鉄道に乗り換える。ここから急勾配の斜面を下ってフロムまで行く。距離は20㎞で1時間ほどで到着する。すばらしい眺めで高い所から流れ落ちる滝の光景が何度も現れ心を揺すぶる。

この鉄道で最も感動するのが水量が豊かで迫力満点の‘ショースの滝’、列車はいったん停まって10分ほどの写真タイムを設けてくれている。皆が写真を撮り終わったころ、突然幻想的な音楽が流れはじめ、前方をみていると滝の途中の岩場に赤い衣装を着た妖精が現れ踊りだす。ありゃら、さらにその下にもう一人でてきた。こんなエンターテイメントがあるなんて、フロム鉄道さん、やるじゃない。

フロムに着くとすでにフィヨルド遊覧のクルーズ船が出港の準備をしていた。さあ、お楽しみのソグネフィヨルドがはじまる。

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2018.06.04

北欧は楽し! オスロ ヴィーゲラン彫刻公園

Img_2     ヴィーゲラン彫刻公園 橋の上の彫像(1926~33年)

Img_0001_2      最も有名な‘おこりんぼう’

Img_0002_2     噴水と樹木群の彫刻 ‘生命の樹’(1906~14年)

Img_0003_2      ‘モノトリック(一本石の柱)’(1929~43年)

Img_0004     ‘女の背中に乗る少年と少女’(1915~36年)

ノルウェーの首都オスロではバスを降りて街中の名所スポットをめぐる時間はなく、車中から街の様子をながめながら王宮の北西にあるフログネル公園に向かった。

ここはノルウェーが生んだ偉大な彫刻家ヴィーゲラン(1869~1943)の彫刻作品がこれでもかというほど数多く飾られており、ヴィーゲランの野外美術館となっている。かなり前、BS2で世界の彫刻をテーマにした美術番組がありそこにこの公園がでてきた。だから、ほかの像は忘れたが片足を上げて怒って泣いている赤ちゃんの像‘おこりんぼう’は記憶に強く残っている。

これまでヨーロッパの美術館や教会を巡り、ミケランジェロ、ベルニーニ、ロダン、カノーヴァたちが卓越した技で彫りだしたすばらしい彫像をみてきたが、この北欧の旅で印象深い彫刻家が新たに2人加わった。コペンハーゲンでみたトーヴァルセンとノルウェー人のヴィーゲラン。

フログネル公園の設置されているヴィーゲランの彫刻群は全部でなんと212、これほど多くのしかも個性的な彫像に遭遇したのは生涯の喜びである。ミューズに感謝!最も有名な‘おこりんぼう’はブロンズ像で橋のまん中あたりの左側の欄干にある。じっとみているとレンブラントの‘ガニュメデスの略奪’が頭をかすめた。ヴィーゲランは鷲に化けたゼウスにさらわれ大泣きしおしっこをもらすガニュメデス赤ちゃんを意識したのだろうか。

公園に噴水があると心が和む。この噴水の中央では6人の巨人が大きな皿型の水盤を高く支え、まわりの手すりの上に20の樹木の彫刻が置かれている。テーマは‘生命の樹‘、この彫刻群によりヴィーゲランは人生の輪廻を表現している。

噴水の先に進むと高さ17mの‘モノトリック(一本石の柱’がみえてくる。この柱は121の人の像や群像がひとつの花崗岩の塊に彫られている。これは圧巻!ヴィーゲランの彫刻は本当にスゴイ、ロダンがぶっとびそう。

この公園のシンボルをとりかむように並ぶ36の像も一点々力強く、そしてはっとする造形美を感じるものも多い。そのひとつが‘女の背中に乗る少年と少女’、強く迫ってくるヴォリューム感が心を打つ。200%KOされたヴィーゲランに乾杯!

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2018.06.03

北シェラン島観光のあと大型客船でオスロへ

Img      クロンボー城

Img_0001      フレデリスク城    

Img_0002   コペンハーゲンーオスロ クルーズのルート・マップ

Img_0003        DFDS社の大型客船

Img_0004     デンマークのお土産 ‘MARZIPAN BAR’

デンマークはドイツの北に国境を接するユトラント半島、コペンハーゲンのあるシェラン島、そしてこれらの間にあるフュン島からなっている。観光の2日目はコペンハーゲンを北上し、世界遺産となっているクロンボー城とフレデリスク城へでかけた。その後、大型客船でオスロへ向かった。

北シェランの対岸はスウェーデンでこのオアスン海峡は4㎞から16㎞と狭く、クロンボー城のある町は対岸まで4㎞しかない。ガイドさんの話では海峡列車が走りとフェリーが行き来しているという。スウェーデンからこちらにお酒を買いに来る人が多いそうだ。スウェーデンのほうが物価が高く、ここでたくさん買い入れるらしい。おもしろいことにフェリーの中の売店ではデンマークを出て10分経つと(海峡の中間点)、店は閉まるとのこと。

クロンボー城はシェークスピアの‘ハムレット’の舞台となった城として知られている。イギリスとデンマークはわれわれの感覚ではつかみとれないほど近い位置関係にあるのかもしれない。城に入る橋を進んでいるとぎょっとするものがでてきた。よくみると木の板の端を幽霊の手がつかんでいる。そのつくりものは手だけでほかはみえない。‘ハムレット’の幽霊が出迎えてくれたのである。このアイデアには感心する。

城の中には入らず、海の側からの城の光景や海峡を写真におさめた。夏には野外劇が上演されるようだ。‘ハムレット’を読んだのはずいぶん前だが、絵画好きのためミレイの傑作‘オフィーリア’を通じてハムレットは身近になっている。

もう一つのフレデリスク城はクロンボー城から南西に1時間くらいバスで走ったところにあった。クロンボー城が海峡を通る船に通行税をとるための拠点だったのに対し、ここは王が住んだ城なので広い庭園などが整備され見栄えのする立派な城だった。

このツアーではコペンハーゲンからオスロは船旅になっている。午後4時半に大型客船は出航し、翌朝9時45分にオスロに着く。海外旅行で客船に乗るのははじめてなので、出発後1時間くらいはデッキにでて潮風にあたっていた。

添乗員さんからここで買い物をすると安いと案内されたので、バッグが最初から大きくなるのを覚悟で早めにお土産を仕込むことにした。帰国後、配った人に評判がよかったのは王室御用達となっている‘MARZIPAN BAR’、スペインのトレドでおなじみのマサパンと似た菓子でとても美味しい。

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2018.06.02

コペンハーゲン国立美(3)

Img         ブラックの‘丸テーブルの静物’(1928年)

Img_0001     ジャン・メッツアンジェの‘夏’(1916年)

Img_0002     ムンクの‘家路につく労働者たち’(1914年)

Img_0003     ムンクの‘夕方のおしゃべり’(1889年)

現在、新橋の汐留ミュージアムで回顧展が行われているブラック(1882~1963)、来週でかける予定だが作品情報がなく期待外れになるかもと心配をしている。そんな気にさせるのは国立美でブラックのいい絵をみたから。

飾られているのは静物画2点と初期のフォーヴィスム風に描かれたエスタックの風景画。ブラックのキュビスム絵画のなかで気に入っているのは1928年ころから繰り返し描かれた‘丸テーブルの静物’、この縦長の大きな作品はこれまでメトロポリタンやポンピドー、フィリップスコレクションンなどでみたが、ここにあるものもぐっとくる。テーブルの台は画面と平行になるほど傾いており、滑り落ちそうなギターに余計な心配をしてしまう。

キュビスムらしいのがフランスのナント出身のジャン・メッツアンジェ(1883~1956)の‘夏’。この画家の作品はほんの数点した記憶がないので顔のなかに顔があり胴体が複雑に重なっている人体表現が刺激的だった。メッツアンジェは点描の新印象派やフォーヴィスムにも影響を受けたため、キュビスムの奇抜な形に色彩の強さが加わり魅力的な一枚に仕上がっている。

20くらいの部屋に展示されている18世紀後半から20世紀前半までに活躍したデンマークとノルウエーの画家たちの作品についても時間が許す限りみたが、ほとんどが知らない画家。そのなかで一瞬目が輝いたのがムンク(1963~1944)。大きな絵‘家路につく労働者たち’と‘夕方のおしゃべり’が現れた。

ムンクはオスロでじっくり楽しむ予定だったのにここで大きなオマケをもらった。ムンクの魅力のひとつが画面が大きいこと。ふたつとも見ごたえがあり前菜にしては美味しすぎる一枚だった。素直に嬉しい!

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2018.06.01

コペンハーゲン国立美(2)

Img_0001     ドランの‘シミーズ姿の女’(1906年)

Img_0003     ドンゲンの‘踊り子アニータ’(1911年)

Img_0002     モディリアーニの‘アリスの肖像’(1918年)

Img     ルオーの‘裁判官’(1908年)

コペンハーゲン国立美で楽しめるのはマティスを軸にしたフランス近代絵画と現在、閉鎖中の14世紀から18世紀までの西洋美術、そしてデンマークとノルウエーの画家たちの作品。

お目当てのフランスの近代絵画は5つの部屋で飾られており、よく知っている画家が続々登場してきた。マティス以外で大きな収穫だったのが同じフォーヴィスムの仲間であるドラン(1880~1954)の‘シミーズ姿の女’、みた瞬間惹きつけられた。

ドランの女性画というとパリのオランジュリー美にあるフォーヴィスムから画風が一転し静かでおとなしい人物表現をすぐ思い起こす。そのため、このフォーヴィスム全開の女性の出現にはビックリした。これまでフォーヴィスムのドランで鮮やかな色彩が目に焼きついているのはポンピドーやMoMAにある川の情景などを描いた風景画だったが、このモデルの圧の強さによりMyお気に入り女性画に即登録となった。

オランダ出身のドンゲン(1877~1968)もマティスとともに色彩の革命、フォーヴィスムを推し進めた画家のひとり。回顧展になかなか遭遇しないが、美術館をまわって作品をひとつずつつみ重ねてきた。コペンハーゲンにも2点あった。‘踊り子アニータ’と‘婦人の肖像’、マティスの緑のすじのある妻、そしてドランとドンゲンの描いた女性が互いに色彩の輝きを増すようにコラボしていた。すばらしい!

モディリアーニ(1884~1920)の‘アリスの肖像’に思わず足がとまった。これはモデイが亡くなる2年前のものだが、なかなかいい。瞳がしっかり描かれているので、近づきがたい感じのするアーモンドの目とはちがって、どこか安心して向き合える。

モディがありルオー(1871~1958)もでてくる。じつに粒のそろった質の高いコレクションである。こうした絵画をみれるということはコペンハーゲンが豊かな街であることの証。アメリカの美術館をまわってもなかなか会えないルオー、ここで‘裁判官’に遭遇するとは思ってもみなかった。

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