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2018.03.31

美術館に乾杯! グッゲンハイム美 その五

Img_0003     ココシュカの‘さまよえる兵士’(1915年)

Img_0001    キルヒナーの‘シャワーを浴びる兵士たち’(1915年)

Img_0002     ベックマンの‘パリの社交界’(1931年)

Img     シーレの‘老人の肖像’(1916年)

海外の美術館をターゲットにして名品展を開催するのは展覧会の定番のひとつになっているが、相性のいい美術館とそうでない美術館がはっきりしている。前者の代表がルーヴルやオルセーなどのフランスの美術館。そしてスペインのプラドやロシアのエルミタージュ、オランダのゴッホ美、アメリカのボストン美もよく行われる。

一方、後者はロンドンのナショナルギャラリーとかドイツの美術館で作品を見る機会がとても少ない。以前ドイツのメルツ゚バッハ―コレクション、ケルンのルートヴィヒ美がやって来たことがあるが、いかんせん単発の開催のためパリの美術館などと較べたら印象が弱い。

こうした国内の展覧会事情だとドイツの画家にふれる機会は限られるが、アメリカの美術館を幸運にもめぐることができたのでキルヒナー(1880~1938)やベックマン(1884~1950)にも度々遭遇した。グッゲンハイムにはこの2人とオーストリア生まれのココシュカ(1886~1980)やシーレ(1890~1918)のとてもいい絵がある。

ココシュカとキルヒナーが同じ年に描いた作品はともに兵士をモチーフにしている。‘さまよえる兵士’は画面が暗くかなり重たい絵。中央に大きく描かれた鎧をつけた騎士はココシュカ自身。右にいるスフィンクスの姿をした女性は別れた恋人アルマ・マーラー。lココシュカは恋の破局から立ち直れずにいる。

キルヒナーの‘シャワーを浴びる兵士たち’は緊張感を強いられる一枚。キルヒナーは1914年ドイツ軍に召集されるが精神が不安定になりすぐ除隊する。これはその後描いたもので、戦争から受けた精神的な圧迫や恐怖心がそのまま現れている。やわな人間はあの屈強なドイツ軍のなかではとても生きていけない。

メトロポリタン、MoMA同様、ここにもベックマンの圧の強い群像画がある。ここに描かれた社交界のメンバーは15人。隙間をあけずに男女が並んでいるが女性には華やかな雰囲気は無く、印象が強すぎる黒のタキシードを着た男性ばかりに目がいく。

シーレの‘老人の肖像’は2013年、2015年のとき必見リストの上位に載せていたのに連続で姿をみせてくれなかった。心理的に多くのエネルギーをつぎ込む追っかけも思い通りにはいかない。

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2018.03.30

美術館に乾杯! グッゲンハイム美 その四

Img     ピカソの‘水差しと果物鉢’(1931年)

Img_0003     ピカソの‘黄色い髪の女’(1931年)

Img_0002     ピカソの‘水浴’(1937年)

Img_0001     マティスの‘イタリアの女’(1916年)

関心を寄せている画家なら画集に載っている作品を全部みたい、だから主要な作品がどこの美術館におさまっているかおおよそ頭になかに入っている。例えばピカソ(1881~1973)、‘ゲルニカ’はマドリードのソフィア王妃センターにあり、‘アビニュンの娘たち’はMoMAでみれる。

NYではピカソはほかにもいい絵に会える。メトロポリタンへ行くと完璧に男と間違える‘ガートルード・スタインの肖像’に遭遇し、そこから歩いて10分くらいのところにあるグッゲンハイムでもすばらしピカソが出迎えてくれる。パリでポンピドーセンターとピカソ美をはしごしたときより、NYのほうが記憶に強く残る作品が多い。

こうした体験からいうとピカソを腹の底から楽しむなら目指すべきはマドリードとNY。ピカソというとキュビスムの角々したフォルムがまず思い浮かぶ。だが、グッゲンハイムにある‘水差しと果物鉢’をみると面食らう。立体感がなくじつに平板な作品。テーブルの布や果物、鉢を模ったシールをペタッと張り、その輪郭を太い黒線でとっていくとできあがる、という感じ。心を奪われるのがこの緑の面と黒の線がつくりだす明快な構成。My静物画の上位に登録している。

‘黄色い髪の女’はMoMAの‘鏡の前の少女’同様、魅了され続けているピカソの女性画。2013年、Bunkamuraでグッゲンハイム美展が行われたとき目玉に作品として登場した。ピカソに惹かれているのはこうしたやわらかい曲線で描かれた優しい女性。静かに眠るこの卵のような女性をずっとみていたくなる。

球体と直方体をうまく組み合わせた玩具的な人物が寄りそう‘水浴’には不思議な魅力がある。こういう形だと宇宙人が水浴をしているイメージにも広がっていく。小さな目鼻と口がほのぼのとしたムードをつくり、肩の力が抜けてくる。

マティス(1896~1954)は‘イタリアの女’の1点しかみたことがない。この絵は2004年東近美であったマティスの大回顧展でお目にかかった記憶がある。あれから14年経った。そろそろマティス展を期待したいところだが、はたして。

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2018.03.29

美術館に乾杯! グッゲンハイム美 その三

Img_0003    アンリ・ルソーの‘フットボールをする人々’(1908年)

Img_0001    アンリ・ルソーの‘砲兵たち’(1895年)

Img_0002     ピカソの‘ムーラン・ド・ラ・ギャレット’(1900年)

Img    モディリアーニの‘黄色いセーターのジャンヌ・エビュテルヌ’(1919年)

来月14日から東京都美ではじまる‘プーシキン美展ー旅するフランス風景画’に今心がむかっている。モネが26歳のときに描いた‘草上の昼食’がチラシで大きく扱われているが、お目当てはこの絵ではなくアンリ・ルソー(1844~1910)の‘馬を襲うジャガー’とセザンヌの‘サント=ヴィクワール山’のほう。

いつかモスクワにあるプーシキン美を訪問するつもりだが、こうして日本で開かれる展覧会に追っかけ作品が登場するともう出かけなくてもいいかな、という気になってくる。とにかくルソーの一枚がみれるのは幸運この上ないことである。

グッゲンハイムにもいい絵が2点ある。‘フットボールをする人々’と‘砲兵たち’、今から27年前の1991年池袋のセゾン美でグッゲンハイム美名品展が開催されたとき‘砲兵たち’は出品された。じつはNYへ行きこの美術館に足を踏み入れたのはその2年後。ところが、そのとき2点をみたという実感がない。なにしろ大きなカタツムリの形をした建物に度肝をぬかれてかなり興奮していたので、実際はみたのに覚えていないのかもしれない。

そのため、パジャマを着たような男たちがフットボール(ラグビーのこと)する絵をみたのは2013年のことで思いの丈をようやく叶えることができた。人物描写はどこか変なのに荒々しいラグビーのプレーの感じがよくでていて惹きつけられる。また、‘砲兵たち’は2015年に再会した。

ピカソ(1881~1973)の‘ムーラン・ド・ラ・ギャレット’は忘れられない作品。左に固まっている3人の女性の真っ赤な唇と妖しい視線に誘惑されそう。あのキュビスムのピカソにドイツ表現主義のような絵があったというのが大きな衝撃だった。

モディリアーニ(1884~1920)の‘黄色いセーターのジャンヌ・エビュテルヌ’は画集に必ず載っている代表作のひとつ。これもセゾン美に登場したが、細長い首と腰までのびる滑らかなS字の曲線を目に焼きつけた。この絵をみてモディに開眼した。

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2018.03.28

美術館に乾杯! グッゲンハイム美 その二

Img_0002          五番街はミュージアム通り

Img     ゴーギャンの‘村の男と馬’(1891年)

Img_0001     ゴッホの‘サン・レミの山の風景’(1889年)

Img_0003    スーラの‘鍬を持つ農夫’(1882年)

美術館をみてまわるとき、あまり広くない場所に多くの美術館が集中していると鑑賞の効率がよく体が疲れることもない。こういう理想的な配置になっているのはNYとスペインのマドリード。NYはもともと京都にように縦と横にできた通り碁盤のようになっているので街のなかの移動がとても楽だが、五番街には魅力的な美術館がいくつもな並んでいる。

メトロポリタンを中心にみると南にちょっと下ればホイットニーとフリック・コレクションがあり、北に向かって進むとグッゲンハイムやクリムトの作品が楽しめるノイエギャラリーにすぐ到着する。近現代アートについてはまずMETでポロックの大作やオキーフなどをみて目を馴らし、そのあとグッゲンハイムとホイットニーへ寄れば感動の袋はもうパンパンに膨れ上がる。

グッゲンハイムではゴーギャン(1848~1903)やゴッホ(1853~1890)は前菜のようなもの。ともに2点ずつ。METにあるゴーギャンのすばらしいコレクションと比べ数ではかなわないが、前景に描かれた男と馬の配置がとてもいい‘村の男と馬’と豚が2匹登場するタヒチの村の光景もしっかり楽しめる。

ゴッホは1888年に描かれた‘雪の風景’と翌年アルルを離れたときの‘サン・レミの山の風景’、療養先のサン・レミでゴッホは傑作‘星月夜’(MoMA)を描きあげたが、その1カ月あとに手がけたのが‘サン・レミの山の風景’、山が‘星月夜’にみられるような渦巻きが連続して山の斜面をかなりのスピードで降りている。

作品の数が少ない画家の場合、その貴重な絵が観れる美術館は強く印象に残る。グッゲンハイムでは嬉しいことにスーラ(1859~1891)が2点ある。‘鍬を持つ農夫’と‘農作業をする女たち’は小品だが、点描画なのでつい夢中になってみてしまう。

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2018.03.27

美術館に乾杯! グッゲンハイム美 その一

Img  ニューヨーク5番街88丁目にあるソロモン・R・グッゲンハイム美

Img_0003       ピサロの‘ポントワーズの風景’(1867年)

Img_0001        マネの‘鏡の前で’(1876年)

Img_0002         セザンヌの‘腕を組む男’(1899年)

美術館のイメージがその建物の形からできあがっているのが2つある。パリのポンピドーセンターとNYのソロモン・R・グッゲンハイム美。メトロポリタンから北に向かって10分くらい歩くと到着するグッゲンハイム美、この巨大なカタツムリを思わせるユニークな建物を設計したのは20世紀を代表する建築家フランク・ロイド・ライト。

近現代アートをみる舞台がこういう超モダンな建築空間だと、作品との密着度が強くなくても気分がぐんと高揚し緩やかに傾斜する螺旋状の回廊をまわるうちにハイエンドのアートの通になったとつい錯覚をしてしまう。

展示されている作品の大半は抽象絵画や現代彫刻、オブジェだが、MoMAほど多くはないが印象派やポスト印象派などの絵画にも遭遇する。お気に入りの筆頭はピサロ(1830~1903)の‘ポントワーズの風景’、パリの北西にあるポントワーズに2年住んだときの作品でMETにも同じ年に描いたものがある。道にできた影などをみるとコローの風景画を連想するが、画面全体がとても明るくコローやクールベとモネの中間をいく風景画という感じ。

2点あるマネ(1832~1883)はともに女性の絵。マネには女性の後ろ姿を描いたものあるが‘鏡の前で’はそのひとつ。このタイプの作品をみるたびにマネはどうして女性の顔をみせないのか思いを巡らす。

勝手な解釈はマネがプラドでみたベラスケスの‘ラス・メニーナス’との関連性。画面では画家の後ろに今描いている国王夫妻をみせているが、この現場に居合わせたわれわれはこの2人の後方に陣取り彼らの後ろ姿ごしにベラスケスや王女マルガリータをみていることになる。だから、マネはベラスケスのように人物の後ろ姿を描くことで見る者の存在を意識し奥行きのある画面をつくったのかもしれない。

セザンヌ(1839~1906)の‘腕を組む男’は静かな雰囲気だが、男の鋭い目力が印象に残る肖像画。男性を描いた肖像画では日本の安井曽太郎がふと頭をかすめる。

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2018.03.26

日本の美! 広重の桜

Img     ‘江戸名所 御殿山花盛’(1853年)

Img_0001     ‘東都名所 上野東叡山ノ図’(1830~44年)

Img_0002     ‘東都名所 日暮里’(1830~44年)

Img_0004     ‘江戸近郊八景之図 小金井夕照’(1835~44年)

今年は桜の開花が想定外に早く、上野、千鳥ヶ淵、目黒といった桜の名所は大賑わい。その様子をTVのニュースでみるとそこに瞬間移動したい気分になってくる。週の初めの月曜日だが、これだけ桜が満開だと仕事はそこそこにして宴席にくりだす人が多くいることだろう。

上野で酒盛りをしたことはないが、その傍をニヤニヤしながら通ったことは二度や三度はある。3年くらい前はタイの観光客が大勢いたが、今年はどうだろうか。タイの人だけでなく中国人も相変わらず多い?上野で外国人がサクラを楽しむ光景はもう普通のことかもしれない。彼らはスタンド式の丸テーブルのまわりに陣取って缶ビールを飲んだりしているが、これにも目が慣れてきた。

昨年、浮世絵の展覧会は鈴木春信展(千葉市美)や北斎展(あべのハルカス美)などが目を楽しませてくれたが、今年は太田記念美のような専門館除けば関心をひくものがまだ入ってきてない。これはどうしたことか、ずっと開催されてきた里帰り展がストップしそうなの残念!

浮世絵風景画に桜は度々登場するが、多く描いているのが歌川広重(1797~1858)。これまで取り上げてない作品をいくつかピックアップした。いずれ桜がどどっと楽しめるものばかり。‘御殿山花盛’では女子会はおおいに盛り上がっている。そして、上野や日暮里の花見も活気がある。

小金井の桜の名所にまったく縁がないが、富士山を背景にみる桜はさぞかし美しいだろう。江戸時代、小金井堤の両岸の桜並木を植えさせたのは徳川吉宗。吉宗は江戸市中だけでなく近郊にまで気を配るのだからまさに桜将軍。

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2018.03.25

大相撲春場所 鶴竜が4度目の優勝!

Img    8場所ぶりに優勝した横綱鶴竜

Img_0001     14日目 豪栄道を引き落としで破り優勝を決める

大相撲春場所は横綱鶴竜が13勝2敗で優勝した。昨年はずっと休場し引退の危機にまで追い込まれたが、先場所11勝、今場所の優勝(4度目)で強い鶴竜へと進化する可能性がでてきた。

今日の結びの一番は微妙な相撲だったが、鶴竜は取り直しで無理しなかった。高安が前の一番で足が痛そうな仕草をしたので鶴竜はすっといけば勝てると思ったのか、高安の激しい攻めに面食らった感じ。高安はこれで先場所に続き12勝をあげた。解説者の北の富士さんは来場所全勝優勝なら横綱にあげるでしょうと、つっこんだコメント。まあ、これはないが優勝争うには絡んできそう。

場所中、注目していたのは先場所優勝し関脇にあがった栃ノ心と小結の逸ノ城。その二人が10勝をかけて激突した。栃ノ心はまわしをとると無類の力がでる。だから、大きな逸ノ城が果敢に攻め立ててもふみこらえる。とにかく栃ノ心は四つ型が非常にいい。最後は逸ノ城の体勢を崩し寄り切った。

この一勝は価値がある。関脇で10勝したのだから来場所10番ないし11番勝てば大関に昇進できる。その可能性はかなり高い。これからの大相撲は高安、栃ノ心、逸ノ城を中心にまわっていきそう。横綱の白鵬と稀勢の里は3人のパワーは相当な驚異に感じるはず。うかうかしていると本当に引導を渡されかねない。大相撲における主役交代のときが確実に近づいている。

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2018.03.15

お知らせ

拙ブログはしばらくお休みします。

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2018.03.14

美術館に乾杯! MoMA その十八

Img_0002     ロングの‘キルケニー・サークル’(1984年)

Img_0003     ティンゲリーの‘ニューヨーク讃歌の断片’(1960年)

Img     ゴーバーの‘無題’(1991年)

Img_0001     ボイスの‘フェルトのスーツ’(1970年)

抽象絵画、現代彫刻、オブジェ、インスタレーションなど現代アートは多様な分野をとりこんで進化を続けているが、視覚体験を増やすにつれア―ティストの表現の狙いが十分につかめなくともそれが好みにフィットするものかそうでないものかはわかってくる。

絵画以外の現代アートでは抽象的な彫刻とみるかオブジェとみるか境がない作品が多い。これは陶芸の世界でも同じでオブジェとして楽しんだほうがいいこともある。イギリスのリチャード・ロング(1945~)の‘キルケニー・サークル’は現代によみがえったストーンサークルのイメージ。円のなかには川の上流に行くとごろごろ転がっているような石がなんら加工されることなく隙間なく置かれている。

これをみるとアートというのはパフォーマンスそのものという気がしないでもない。体育館を借りていろいろ集めてきた石を時間をかけて配置していく。普通の人はこんなことはしないし、表現したことがどう映るかまで想像できない。ア―ティストもできあがった完成形をはじめからイメージしていないだろうが、創作しているとだんだん手ごたえが感じてくる。たしかに、このサークルには古代遺跡の匂いがする。

スイスのア―ティスト、ジャン・ティンゲリー(1925~1991)の作品をはじめてみたのはパリのポンピドーセンター、‘地獄’と名付けられた作品には町の鉄工所に紛れ込んだかのような気分になるほど大きな鉄の輪とかモーターが雑然を置かれていた。おもしろいことにそこになぜか剥製のトナカイの頭が混じりこんでいる。

MoMAが所蔵する‘ニューヨーク讃歌の断片’はそれと較べるとかなりすっきりしており、垂直に立てられた三輪自転車に円の板や小さな缶をくっつけ子どもの玩具のように仕上げている。このオブジェの全体の造形が円を基調にしているので讃歌というほどおおげさではないが大都市NYが噴射するダイナミックなパワーはイメージできる。

ぱっとみてドキッとするのがロバート・ゴーバー(1954~)の作品。このうつぶせになった男性の下半身を暗い所で見たら震えあがる。人を驚かせるのにさらに工夫をくわえ蝋燭を3本ズボンをはいた足の裏に立てている。これに火がつこうものならまさに怪奇ホラーの世界。裸足で逃げなくいては。

ヨーゼフ・ボイス(1921~1986)の‘フェルトのスーツ’は作品の感じ方としてはデュシャンの便器などと同じ。これでアートになるのなら、自分もつくってみようかとつい思ってしまう。でも、これは後知恵。こんなスーツを並べることを考えつくオリジナリティにはとても叶わない。

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2018.03.13

美術館に乾杯! MoMA その十七

Img_0003     シーガルの‘バス運転手’(1962年)

Img     オルデンバーグの‘フロア・コーン’(1962年)

Img_0001     セザールの‘黄色いビュイック’(1961年)

Img_0002     ジャッドの‘無題’(1968年)

ジョージ・シーガル(1924~2000)の人体彫刻‘バス運転手’をみたのは3度目のMoMAとなった2013年。美術館が作成したカタログ(英語版)でみてから20年の時が流れていた。シーガルに興味を抱かせるのはその型破りな彫刻技法、生きた人間に直接石膏を塗布して型をとるのだからスゴイ。

‘バス運転手’はポップアート彫刻といっていいが、ウォーホルの作品のように明るさや活気はなく彫刻全体の雰囲気はホッパーの絵に似て都会に漂う孤独を表現している。シーガルの作品はまだこの1点。ホイットニーにある‘進めー停まれ’が次のターゲットだが、いつみれるだろうか。

スウェーデンで生まれ後にアメリカに帰化したオルデンバーグ(1929~)はアイスクリームやハンバーグなどを柔らかい素材で馬鹿デカくするのが得意。‘フロア・コーン(巨大アイスクリーム・コーン)’は甘いものへの無限の欲望そのまま。子どもたちは夢のなかでアイスクリームのお化けに何度も会ったはず。

ぱっとみてこれは一体なんだ、と目が点になるのがセザール(1921~1998)の‘黄色いビュイック’、ありゃ、本物のビュイックは圧縮されてスクラップの塊になっている!現代文明の象徴である自動車がこんな形に変形され金属としての存在感をみせつけている。人を運ぶという機能はなくなったが物体のエネルギーは却って増大した。

ミニマルアートのドナルド・ジャッド(1928~1994)に魅了されるのは幾何学的な抽象のおもしろさ。この箱型の立体作品は工場の現場に迷い込んだような感じ。こういう作品をみるとアートはギャラリーや工房をとび出してもいたるところで遭遇するとつくづく思う。

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2018.03.12

美術館に乾杯! MoMA その十六

Img     ジョーンズの‘旗’(1945~55年)

Img_0004     インディアナの‘LOVE’(1967年)

Img_0003     ダインの‘家財道具’(1959年)

Img_0002     ポルケの‘山羊車’(1992年)

ウォーホルに先駆けて日常ありふれたものを記号のようにして描いたジャスパー・ジョーンズ(1930~)はアメリカの現代アートの世界では大きな存在。今年、88歳になった。MoMAで楽しめるのは星条旗をどんと描いた‘旗’と同じく連作の標的シリーズ‘標的と4つの顔’、そして‘地図’。

日本の美術館でポロックやウォーホルの回顧展がこれまで開催されたので、いつか‘ジョーンズ展’も期待したいところだが、その可能性は難しそう。ホイットニー美にある‘3つの旗’をいつかこの目で、と思い続けている。なにかの拍子でこの美術館のコレクションがまた日本で公開されその目玉に星条旗が入っているとご機嫌なのだが、夢を見過ぎだろうか。

ロバート・インデイアナ(1928~)の代表作‘LOVE’は2015年NYを訪問したとき、街の一角に野外彫刻として設置されていた。夜だったので青と緑の背景に太く赤で書かれた‘LOVE’の文字が強烈なインパクトで浮かび上がっていた。この作品がTシャツにプリントされた‘I  LOVE NY’を生み出したにちがいない。

ネオダダのジム・ダイン(1935~)の‘家財道具’はピカソのコラージュの進化形、木材、布、紙、プラスチック、、何でももってきてモノとモノの新しい関係性を表現する。意表をつく組み合わせが見る者の関心をひけば作品はアートになる。その人数が多いか少ないかは二の次。

ドイツの現代作家ジグマール・ポルケ(1941~2010)の‘山羊車’は写真や網点ドットを使ったユニークな作品。こんな大衆の生活が現代アートのなかにでてくると具象画をみているときのように肩の力が抜けホットする。これもピカソが新聞の一部を貼りつけ時代性をもたせたのと同じ発想。

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2018.03.11

美術館に乾杯! MoMA その十五

Img_0002     ウォーホルの‘ゴールド・マリリン・モンロー’(1962年)

Img_0003     ローゼンクィストの‘マリリン・モンロー、Ⅰ’(1962年)

Img     リキテンスタインの‘溺れる少女’(1963年)

Img_0001     ウェッセルマンの‘スモーカー1’(1967年)

アンディ・ウォーホル(1928~1987)の肖像画に登場する映画スターや歌手は数多くいる。そのなかで記憶に強く刻まれているのは映画‘クレオパトラ’に出演したエリザベス・テーラーとアメリカでは絶大な人気を誇るあのエルヴィス・プレスリー。

これに対し、1962年に睡眠薬を飲み過ぎて36歳の若さで亡くなったマリリン・モンローは名前やその姿はTVに流れる芸能ニュースでみるくらいで出演した映画を楽しめる年齢ではなかった。そのため、ウォーホルが描くモンローによってこの女優のイメージができあがっている。

MoMAにある‘ゴールド・マリリン・モンロー’はモンローシリーズのなかで最も有名なもの。シルクスクリーンのサイズは縦2.11m、横1.44mの大きさがあるがモンローの顔はほかの作品のように画面いっぱいに描かれてなく拍子抜けするくらい小さい。亡くなって数ヶ月した経ってないのであえて小さくして‘永遠のモンロー’を印象づけたかったのかもしれない。

同じ年にモンローを描いたア―ティストがもう一人いた。昨年亡くなったローゼンクィスト(1933~2017)。でも、この作品でモンローはすぐわからない。ぐるっと回してみるとようやく女性の顔写真がでてくるが、マリリン・モンロー?という感じ。分割された画面に必ず逆になったモチーフを使い顔の一部や企業ロゴ、商品などで配置しいく手法なので、タイトルほどにはモンローが浮かぶ上がってこない。

ポップアートの世界ではウォーホルとともに一世を風靡したリキテンスタイン(1923~1997)は‘溺れる少女’の流す涙が忘れられない。ここには‘ボールを持つ少女’もあるが、どういわけか2013年のときお目にかかれなかった。ミュージアムショップに寄るとこの絵を使ったマグカップやノートなどが販売されていたので残念でならない。

ウェッセルマン(1931~2004)の‘スモーカー1’は2004年日本であったMoMA展で遭遇し、200%KOされた。幽霊のような女がまったりと煙草を吸っている。このポップ調の生感覚はスゴイ!

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2018.03.10

美術館に乾杯! MoMA その十四

Img_0002     デ・クーニングの‘女Ⅰ’(1950~52年)

Img_0001     ゴーキーの‘苦悶’(1947年)

Img  マザウェルの‘スペイン共和国のためのエレジー、108’(1967年)

Img_0003         ルイスの‘第3のエレメント’(1962年)

デ・クーニング(1904~1997)の‘女Ⅰ’をみたときまず頭に浮かんだのがフランスのデュビュッフェの描いた人物、デ・クーニングはオランダ生まれの画家だから描き方は抽象表現主義流のブラッシュワークを用いているが、人物にこだわりこんな感情をむき出しにした女をモチーフにしたのかもしれない。この連作の1作目と2作目をMoMAが所蔵している。

トルコ領内のアルメニア地方に生まれ、第一次世界大戦中の虐殺を逃れるためアメリカに渡ったゴーキー(1904~1948)が自殺する1年前に描いたのが‘苦悶’、ミロのシュルレアリスムを連想させるが、ミロとちがってすごく重々しい画面。中央の白と黒で描かれているのが苦しみで心が張り裂けそうになっている人物のようにみえてくる。画家自身かもしれない。

マザウェル(1915~1991)が連作として描いた‘スペイン共和国のためのエレジー’は墨の文化に馴染んでいる日本人には難しい抽象画という面が少し和らぎわりと落ち着いてみられる。といっても、鴉の羽や爆弾を連想させるこの黒の塊がスペイン共和国とどうつながっていくのかはいくらながめてもイメージできない。

縦長の画面に赤や青など様々な色彩の束が並んだルイス(1912~1962)の‘第3のエレメント’は熱帯に生息するオウムの美しい羽のようにみえてくる。抽象画はフォルムの印象よりもやはり色彩のもっているインパクトが作品の優劣をきめる。この作品のもつ色彩の訴求力に強く惹かれる。

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2018.03.09

ルドンの色彩美!

Img     ‘グラン・ブーケ(大きな花束)’(1901年 三菱一号館美)

Img_0003     ‘花とナナカマドの実’(1901年 オルセー美)

Img_0001     ‘蝶’(1910年 MoMA)

Img_0002     ‘ドムシー男爵夫人の肖像’(1900年 オルセー美)

三菱一号館美では現在、‘ルドンー秘密の花園’(2/8~5/20)が開催されている。ルドン(1840~1916)は二つの顔をもつ画家、一つ目の怪物や蜘蛛がでてくる怪奇的な世界を描いた‘黒の画家’のイメージ、そしてその色彩の美しさから別人かと思わせる‘花や蝶々の画家’。

今、三菱一号館に世界中のブランド美術館からルドンのカラリストぶりを存分に楽しめる作品が集結している。そのなかでとくにグッとくるのがパステルの大作‘グラン・ブーケ(大きな花束)’、今回は特別の演出がある。この絵と一緒に飾られていたドムシー城の食堂に飾られていた花の装飾画がどーんと15点もオルセー美からやって来た。

例えば、‘グラン・ブーケ’と同じくらいの大きさがある‘黄色の背景の樹’や赤のアクセントが目に心地いい横長の‘花とナナカマドの実’など。この部屋では‘ドムシー男爵夫人の肖像’にも思わず足がとまる。この肖像画はオルセーでまだみたことがなかったので大きな収穫だった。

最後のほうの部屋にもいいのが現れてくる。MoMAのルドンは日本でも展示された‘沈黙’と‘花瓶と花’は知っていたが、ほかにも絵の中にすいこまれる‘蝶’があったとは!これはいいめぐり合わせ。また、嬉しかったのが現地で捜したのに会えなかったㇷ゚ティ・パレの‘蝶と花’。

予想以上に収穫の多いルドン展だった。これでルドンは済みマークがつけられそう。

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2018.03.08

期待を裏切らないプラド美展!

Img_0001     ルーベンスの‘聖アンナのいる聖家族’(1630年)

Img     ムリーリョの‘小鳥のいる聖家族’(1650年)

Img_0002     ティツィアーノの‘音楽をくつろぐヴィーナス’(1550年)

Img_0003     スルバランの‘祝福する救世主’(1638年)

‘プラド美展 ベラスケスと絵画の栄光’(2/24~5/27)に出品されている絵画は全部で61点。7点あるベラスケス以外の顔ぶれをみるとこの美術館が所蔵しているコレクションの質の高さを窺い知ることができる。

プラドの楽しみは4つくらいある。まず、エル・グレコ、ベラスケス、ゴヤを中心とするスペイン絵画、そしてティツィアーノらヴェネツィア派の充実したコレクション、また数の多いルーベンスも傑作がずらっと揃っている。さらに、ここでしか見られない‘快楽の園’をはじめとするボスとブリューゲル。

今回は人気の高いボスやブリューゲルはきていないが、スペイン絵画のオールスターの面々も出品されているし、ティツィアーノもルーベンスもいい作品が飾られている。流石!西洋美、西洋美術ファンの期待値がよくわかっている。

全部見てもう一度ぐるっとまわるとこの展覧会の収穫が明確になってくる。2点あるルーベンス(1577~1640)で足がとまるのが‘聖アンナのいる聖家族’、ぐっと吸いこまれるのが聖母の黒い瞳、この美しさはルーベンスの作品のなかでも群を抜いている。

同じ聖家族を描いたムリーリョ(1617~1576)の作品の前にも長くいた。現地でもみた覚えがあるが、そのときは気づかなかったのが聖母の横に置かれた手芸かごにある白い布、ここに光があたり発光体のように明るくなっている。この白の輝きはモネが雪の光景を描いた‘かささぎ’級。これには参った!

プラドは5点あるティツィアーノ(1489~1576)の‘音楽をくつろぐヴィーナス’の2点を所蔵しているが、今回登場したのはヴィーナスが犬と戯れているヴァージョン。2006年東京都美であったプラド美展にはもうひとつの犬がキューピッドに変わっているものが出品された。絵の完成度からいうと好みはヴィーナスとキューピッドのほう。

昨年11月、ダ・ヴィンチの‘サルバトール・ムンディ(救世主)’がオークションで508億円で落札されたというニュースがまだ強く記憶に残っているので、スルバラン(1598~1664)の‘祝福する救世主’にもすぐ反応する。じつはこの作品は東京都美にもでていたが、前よりものめりこんでみた。

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2018.03.07

見逃せないプラド美のベラスケス!

Img_0002     ‘王太子バルタサール・カルロス騎馬像’(1635年)

Img_0001     ‘東方三博士の礼拝’(1619年)

Img          ‘軍神マルス’(1638年)

Img_0003     ‘彫刻家モンタ二ェースの肖像’(1635年)

スペインのマドリードにあるプラド美はルーヴルやエルミタージュ同様日本との相性がとてもよく、過去に何度も名品展が開催された。西洋美では2011年にゴヤ展があり、あの‘着衣のマハ’がやって来た。今回、西洋美がスポットをあてたのはベラスケス(1599~1660)。なんと7点出品された。だから、この‘プラド美展 ベラスケスと絵画の栄光’(2/24~5/27)は見逃すわけにはいかない。

マドリード観光の目玉になっているのがプラドでの絵画鑑賞、ここで誰もが必見名画としてチェックしているのがベラスケスの‘ラス・メニーナス’、絵画にあまり縁がない人でも話の種にこの絵にはしっかり食いつく。ルーヴルのダ・ヴィンチの‘モナリザ’と同じようにこの絵は美術館の至宝中の至宝。

jでは、ベラスケスで2番目にいいのはどれか、ほかの人の好みは横に置くとして即座に答えたくなるのは初来日した‘王太子バルタサール・カルロス騎馬像’。ベラスケスはフェリペ4世やイサベル、オリバーレス公伯爵の騎馬像も描いているが、いずれも横向きの構図。これより正面をむいたカルロスのほうについ見惚れてしまう。可愛くてカッコいい騎馬像に乾杯!

ツアーでプラドに入館するときは時間が限られているので忙しい鑑賞になってしまうが、ホームグランドに来てくれると一点々をじっくり楽しめる。しかも、今回は7点も揃った。だから、ベラスケスの豊かな才能に深くふれられる絶好の機会となった。

‘東方三博士の礼拝’は光の描写がカラヴァッジョの絵を連想させるが、ベラスケスがこれを描いたのは20歳のとき。やはりベラスケスはものがちがう。息を呑む写実表現が心をとらえて離さない絵でまだみていないのが1点ある。この絵と同じころに描かれた‘セビーリャの水売り’(ロンドン ウエリントン美)。会えるだろうか。

ベラスケスの肖像画の魅力は人物の生身の感覚が伝わってくること。‘軍神マルス’に荒々しさやいかめしさは無くちょっと疲れた表情の一人の兵士が寂しげに座っている。一方、‘彫刻家フアン・マルティネス・モンタニェースの肖像’は腕のいい彫刻家の気合の入った姿が目に焼きつく。

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2018.03.06

美術館に乾杯! MoMA その十三

Img     ポロックの‘ワン:ナンバー31、1950’(1950年)

Img_0001     ニューマンの‘英雄的にして崇高な人’(1950年)

Img_0003     ロスコの‘イエローとゴールド’(1956年)

Img_0002     ステラの‘インドの女帝’(1965年)

ルーヴルで大きな絵というとヴェロネーゼの‘カナの婚宴’やダビッドの‘ナポレオンの聖別式’がすぐ思い浮かぶが、アメリカの美術館では抽象表現主義のポロック(1912~1956)を筆頭に現代ア―ティストたちによって大作のイメージがつくられている。

ポロックの‘ワン:ナンバー31、1950’はメトロポリタン蔵の‘秋のリズム’(1950年)とほぼ同じ大きさで縦2.95m、横5.3mの超ビッグサイズ、画面には中心がなく新しい技法であるドロッピングがつくりだす混沌と調和がないまぜになった画風はまさに新しい抽象絵画が誕生した瞬間だった。

ニューマン(1905~1970)の赤一色の大作‘英雄的にして崇高な人’も横5.13mの大きな作品。絵画の色というのは不思議な力をもっている。普段の生活のなかで赤はよく目にするがそれは視野からすぐ消えていくので赤だけが強く印象に残ることはない。ところが、これほどの大画面で赤だけを目にするとこの赤は感情をとても刺激する。そして、アートになる。

ニューマンと同じ時代を生きたロスコ(1903~1970)はMoMAには3点ある。この‘イエローとゴールド’は日本であったMoMA展に出品された。ポンピドーやテートモダンへ行ってもロスコは楽しめるが、やはりアメリカの美術館のほうが数が多い。そのなかで最も心が震えたのはワシントンのフィリップスコレクションが所蔵している3点。次に狙っているのはロサンゼルス近美にある青の作品。これをなんとかしたい。

川村記念美で開眼したステラ(1936~)、いつか大規模な回顧展に遭遇することを夢見ているがまだその気配はない。ストライプの入ったV字を寄せ木細工のようにくっつけた‘インドの女帝’は端正な形からでてくる軽い動きが体をしゃきっとさせる。

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2018.03.05

美術館に乾杯! MoMA その十二

Img_0001     モンドリアンの‘ブロードウエイ・ブギウギ’(1943年)

Img     マレーヴィチの‘至高主義絵画’(1917年)

Img_0002     クプカの‘垂直線の中のクプカ夫人’(1911年)

Img_0003     クプカの‘第一歩’(1910~13年)

抽象絵画はモチーフがみてすぐわかるように描いていない絵画というふうにとらえてみると、その幅は限りなく広い。円や長方形のような幾何学的な形をメインに画面を構成するもの、垂直線と水平線を軽やかに絡ませたもの、色面を大胆に大きくし色彩の力を前面にだしたもの。まさに抽象画の世界は百花繚乱。

ヨーロッパで活躍した抽象画家で魅せられているのが4人いる。カンディンスキー(1866~1944)、モンドリアン(1872~1944)、マレーヴィチ(1878~1935)、そしてクプカ(1871~1937)。カンディンスキーについてはMoMAにあるのはぐっとこないのでパスしているが、ほかの3人は抽象絵画の美しさを強く感じさせる傑作が揃っている。

MoMAへ行ったらモンドリアンの‘ブロードウエイ・ブギウギ’は絶対に見逃せない。美術の本に載っている抽象絵画ではこれが最も有名かもしれない。NY観光の目玉のひとつになっているのが高層ビルからみる夜景、建物からもれる明りや街路灯がつくる格子状の光景をじっと見ているとモンドリアンがこれをみてあの‘ブロードウエイ・ブギウギ’を描いたのがよくわかる。

5,6点所蔵するマレーヴィチのシュプレマティスム(至高主義)の作品で最も心を揺すぶるのが1917年に描かれた‘至高主義絵画’、画面に漂うのは黒や緑、ピンクで色づけされた細長い板のようなものと色をグッとおさえたグレイの円と半円。宇宙空間にとびかう小惑星のようでもあり、大都会の建物群を遠くの空からながめた印象のようにもみえる。

クプカとの縁ができたのは名古屋に住んでいたときクプカ展(1994年 愛知県美)に遭遇したから。クプカの出身地であるチェコのプラハ国立美のコレクションから数多く出品されたが、MoMAからも13点でていた。そのなかで思わず足がとまったのが縦に伸びる赤や青の短冊、真ん中の上に視線をやるとなにやら人の顔がみえる。小さな穴から女性がこちらを覗きこんでいる。この女性はクプカの奥さん。

‘第一歩’は愛知には来なかったのでNYでお目にかかった。このところ宇宙の物語にどっぷり嵌っている。そのためこういう恒星のまわりを公転する惑星をイメージさせる作品には敏感に反応する。

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2018.03.04

美術館に乾杯! MoMA その十一

Img_0003     マグリットの‘脅迫された暗殺者’(1926年)

Img     デルヴォーの‘月の位相’(1939年)

Img_0002     ラムの‘ジャングル’(1943年)

Img_0001     タンギーの‘時の家具’(1939年)

ベルギーのシュルレアリスト、マグリット(1898~1967)はダリやミロ同様、お気に入りの画家。3年前に国立新美で大規模な回顧展に遭遇したお蔭で今はぼちぼちと新規の作品と対面しようかという心境になっている。

過去の鑑賞体験で最も印象深いのはブリュッセルの王立美のコレクションだが、ポンピドーやMoMAでもマグリットならではの深刻でないシュール絵画を存分に楽しんできた。

4,5点あるMoMAで一番おもしろいのは‘脅迫される暗殺者’、まるで映画の一コマをみているよう。女性を殺した犯人はさっとと逃げればいいのに蓄音機から流れてくる音楽を聴いている。自分のしたことはみんなバレバレだというのに、、手前の部屋ではこん棒と網をもった2人の山高帽をかぶった男が捕まえるタイミングをはかっている。殺人の現場だが血の匂いがしないというのも妙な感じ。

マグリットがでてくればデルヴォー(1897~1994)にも登場してもらいたくなる。‘月の位相’は連作の一枚。人形のような大きな目をした裸の女性はデルヴォーの代名詞みたいなものだが、その人形顔からうまれる健康的なエロスのせいで心拍数は上がらない。この絵で月は三日月になっているが、メトロポリタン美に展示されていた‘セイレーン’では中央の同じ位置に満月が描かれていた。

両親からアフリカや中国の血を受け継いだラム(1902~1982)はキューバ生まれの画家。マドリードで美術を学んだあとパリに移りキュビスムやシュルレアリスムをとりいれアフリカの黒人彫刻を連想させる呪術的な作風を生み出した。その代表作が‘ジャングル’。人物の描き方はジャコメッティ的なところがあるがなぜか足がバカでかい。

タンギー(1900~1955)は‘深海の画家’、ここ数年深海に生息する魚や生き物の発見が相次ぎその不思議な姿に目が釘付けになるが、光がとどかない暗い海中の様子はまさにタンギーが描いた光景のように静寂につつまれている。タンギーは深海のイメージをどこからヒントを得たのだろうか。それとも、これは深海ではない別の場所なのだろうか。

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2018.03.03

美術館に乾杯! MoMA その十

Img_0001     モディリアーニの‘アンナ・ズブロウスカ’(1917年)

Img_0003     マルクの‘牛の世界’(1913年)

Img_0002     デュビュッフェの‘誕生’(1944年)

Img     デュシャンの‘処女から花嫁への移行’(1912年)

ともに現代アートの殿堂となっているパリのポンピドーセンターとMoMAだが、展示する作品には美術館の個性がでている。パリの美術館群では古典絵画からロマン派あたりまではルーヴル、印象派はオルセー、そして近現代アートはポンピドーというようにすみわけがされている。

これに対し、MoMAは現代アートが中心であるが、モネ、ドガ、スーラ、ゴッホ、ゴーギャン、アンリ・ルソー、ルドンといった画家まで楽しめるのがいいところ。そして、ポンピドーでみたという記憶がないモディリアーニ(1884~1920)についても‘アンナ・ズブロウスカ’とまだお目にかかれない‘新郎と新婦’を所蔵している。

モディリアーニより4年前に生まれたフランツ・マルク(1880~1916)はカンディンスキーらと一緒に活動したドイツの画家。マルクは牛の画家として有名になった。グッゲンハイムにある‘黄色い牝牛’に魅了され続けているが、MoNAの‘牛の世界’の大きな赤い牛も忘れられない。また、2015年に訪問したメトロポリタンでも赤い牛がでてくる‘牛の戦い’に遭遇した。

デュビュッフェ(1901~1985)の‘誕生’はじつにわかりやすい絵。たしかに人はこうやって女性の体から生まれてくる。これをみてすぐ思い浮かべるのはフランスやスペインにある太古の洞窟に描かれていた人間や動物、こういう人物の描き方は子どものお絵かきとそう変わらない。体に厚みがなく、男や女のシールをペタッと貼って仕上げたという感じ。この原始的とも思える描き方でデュビュッフェは生命の逞しさや無垢な感情を表現した。

絵画から物質的な要素を消し去り描く対象の形だけに分解してみせたデュシャン(1887~1968)はピカソのキュビスムをこえるほどのインパクトを絵画の世界に与えた。‘処女から花嫁への移行’はフィラデルフィア美にある‘階段を降りる裸婦’や‘大ガラス’の序章となった作品。花嫁をテーマにして描かれており、結婚前後の女性が左右にいるといわれても普通はそれはわからない。

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2018.03.02

美術館に乾杯! MoMA その九

Img_0001_2     ミロの‘狩人(カタロニア風景)’(1924年)

Img_2     クレーの‘魚のまわりで’(1926年)

Img_0002_2     ピカビアの‘ウドニーと再会’(1914年)

Img_0003_2     マン・レイの‘女綱渡り芸人はその影を伴う’(1916年)

現代アートの作品が並ぶ美術館では不思議なフォルムや意表をつく色彩の構成を目にし緊張した心持ちで展示室をまわることが多い。そんなとき気分をぐっと軽くさせてくれる作品に出会うと一息つく。

MoMAにはもってこいの絵がある。すでに紹介したアンリ・ルソーやミロ(1893~1983)やクレー(1879~1940)。ミロ好きにはたまらない‘狩人’の前に立つと自然に口元がゆるむ。記号や略図のようなものがバランスよく配置されている。一体どこに狩人がいるのだろうか。左上でパイプがみえるのでどうやらそれらしい。

一方、クレーの魚の絵もとてもおもしろい。真ん中に描かれた魚は太古の魚を連想させる。周りを囲むものは謎だらけ。月は満月と三日月が二つ。魚からでた矢印の先は人間の横顔のよう。そして、左右には筒のようなものが置かれている。!の記号と十字架もある。クレーは深く考えることなく思いついたものを並べていったのかもしれない。

ピカビア(1879~1953)の‘ウド二ーと再会’は風船をいくつもふくらませてここにひと固まり、あそこにという風に画面を構成した感じ。対象に丸みがあるので全体が彫刻のように立体にみえるのでつい体を移動させて裏側ものぞいてみたくなる。

写真や絵に才能を発揮したマン・レイ(1890~1976)はアメリカのアーティスト、‘女綱渡り芸人はその影を伴う’はパッと見ると明るい色彩の色面が強く印象に残るのでケリーの画風とかぶるところがある。タイトルをみないでこれをみると洋服ダンスに明るいマントが何枚も掛けられているようなイメージ。

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2018.03.01

美術館に乾杯! MoMA その八

Img_0001  ボッチョーニの‘空間の連続における単一の形態’(1913年)

Img_0004     ブランクーシの‘ポガ二―嬢’(1913年)

Img_0002     ジャコメッティの‘喉を切られた女’(1932年)

Img     カルダーの‘ロブスターの罠と魚の尾っぽ’(1939年)

MoMAはパリのポンピドーセンターとともに現代美術の殿堂だから絵画だけでなくバラエティに富む現代彫刻やオブジェが数多く飾られている。

彫刻については1990年に訪問したとき中庭に設置されていたロダン(1840~1917)の‘バルザック記念像’(1898年)に大変感動した。この圧倒的な存在感が強く心を揺すぶり翌年パリの美術館巡りでロダン美にも寄ることに。

このように美術の鑑賞にはサプライズがつきもの。バルザックの場合は知っていた作品だが、あまり馴染みのない現代彫刻ではその抽象性や不思議な造形が衝撃を与える。未来派のボッチョーニ(1882~1916)の‘空間の連続における単一の形態’は動く人間のスピード感がすぐ伝わってくるフォルムが強い磁力を放っている。

ブランクーシ(1876~1957)の肖像彫刻‘ポガニー嬢’は一度見たら忘れられない作品。大きなアーモンド型の目からはフクロウとかみみずくが頭に浮かんでくる。これに対して同じく卵型の‘眠れるミューズ’のほうは目がうすくつるんとして静かなイメージ。

物騒なタイトルがついているジャコメッティ(1901~1966)の‘喉を切られた女’、これはどうみても地上を這う蜘蛛。首が切断され喉をかき切られるほどの残忍な事件をテーマにするのは作品への入り方としてはかなり過激。こういうタイトルだとすっと通りすぎるわけにはいかなくなる。

子どもから老人まで世代をこえて楽しめるカルダー(1898~1976)のモビール、空間に宙振りになっている軽やかなオブジェ‘ロブスターの罠と魚の尾っぽ’はロブスターがいつ罠にかかるのかとついじっとみてしまう。

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