2017年 心にとまった言葉 ‘リミッター’
Eテレの‘100分de名著’で関心のある本がとりあげられたときは見逃さないようにしている。昨年のちょうど今頃はレヴィ=ストロースの‘野生の思考’を熱心にみていた。
今年は宗教ものがふたつ。6月の‘維摩経’と10月にアンコール放送された‘歎異抄’を講師の釈徹宗さんに教えてもらった。この如来寺住職であり宗教学者でもある釈さんの話が聞けたのは大きな収穫だった。僧侶というのはだいたい説教が上手な人がなるものだが、この人の語り口には感情があってしかも論理的。そのためハッとさせられ腹にストンと落ちる。
刺激がいっぱいあった話で印象深いのは‘歎異抄’の第4回にでてきた‘リミッター’という言葉、これは‘暴走を抑制する装置’という意味で使われており、宗教はときに反社会的行動にもつながるためそこへ安易に行かないため教義や教学というリミッターが設定されている。
宗教はそれぞれ体系のなかにリミッターを設けている。だが、忙しい現代人がなにか役にたつ宗教情報を得ようとすると、キリスト教からはこの部分を、仏教からはこの部分をと、いろんな宗教のいいとこどりをするとぐっと学んだような気になるが、そうするとリミッターが効かなくなると釈さんはいう。
ある道をずっと体系をたどるからこそこっちへ行ったら間違いというリミッターが効く。自分に都合のいいところだけ取り出すと自分勝手になって宗教の具合の悪いところが噴出する。宗教を甘くみているとえらい目にあう。そうならないよう、例えば‘歎異抄’をリミッターを再確認するための書としてじっくり読みなさい。この話は深く心を打った。
宗教のことを離れてみると、このリミッターは読書のヒントになった。本を読むときいろんな本を並行的に読むことがあるが、こういう読み方は情報を多くとっているようだが、薄っぺらいものが重なっているだけかもしれない。一冊ずつ仕上げて次の本へいくとか愛読書をまた読むというほうが深い理解につながるような気がしてきた。
| 固定リンク
コメント