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2017.09.30

期待を上回る‘鈴木春信展’!

Img_0002     ‘八つ橋の男女(見立八橋)’(1767年)

Img     ‘流れのほとりで菊をつかむ女(見立菊慈童)’(1765年)

Img_0001     ‘夕立’(1765年)

Img_0003     ‘風流江戸八景 両国橋夕照’(1768年)

千葉市美では現在、ボストン美所蔵による‘鈴木春信展’(9/6~10/23)が行われている。ここは15年前にも超一級の春信展をやり世の浮世絵好きを大いに楽しませてくれた。当時横浜にはいなかったが、幸運にも萩の浦上記念館に巡回してくれたので広島からクルマでかけつけた。

このときボストン美からは16点でてきたが、今回はこれらを含む90点ほどが里帰りした。ボストンにこれほど多くの鈴木春信(1725~1770)があったとは!ボストン、メトロポリタン、シカゴ、フィラデルフィア、アメリカのビッグな美術館には感心するほど質の高い浮世絵が揃っている。そして、それらが頻繁に日本で公開されるのだから嬉しくなる。

足がとまることたびたびなのでどれを選ぶか悩む。ポイントは色彩の鮮やかさとハッとする構図と描写、‘八つ橋の男女(見立八橋)’は画面をジグザグに曲がる八つ橋の造形的なおもしろさと鮮やかな黄色が目を釘づけにする。

‘見立菊慈童’は春信全作品のなかでベスト5に入れるほど気に入っている。春信は水の流れの描写が抜群に上手く、娘の前を流れる川にはミニ滝のような激しい流れができている。かわいい娘が醸し出すやわらかい雰囲気が自然の動的描写によってぴりっと締まる感じがする。

‘夕立’の荒々しさは春信のなかでは異色の作品。夕立が急にきたものだから、若い女性は大慌て、急いで洗濯物を取り込もうとするあまり下駄が脱げてしまった。よくある日常の光景をこれほど緊張感をもたせて表現するのだから、春信の画技はずぬけている。少女風の女性ばかり描いている絵師では決してない。

長くみていたのは‘風流江戸八景 両国橋夕照’、立っている女性に目をやると自然にその背景に描かれた富士山と沈む夕日にも視線が向かう。計算された構図のつくりかたに一本とられた。

なお、この春信展はこのあと次の美術館を巡回する。
★名古屋ボストン美   11/3~2018/1/21
★あべのハルカス美  4/24~6/24
★福岡市博        7/7~8/26

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2017.09.29

慶派の傑作 勢揃い!

Img     康慶の国宝‘伝行賀坐像’(1189年 奈良・興福寺)

Img_0002  国宝‘持国天立像(左) 多聞天立像(右)’(13世紀 奈良・興福寺)

Img_0001     ‘観音菩薩立像’(重文 12~13世紀 神奈川・満願寺)

Img_0003     康弁の国宝‘龍燈鬼立像’(1215年 奈良・興福寺)

運慶の父である康慶の仏像で最も有名なのは‘法相六祖坐像’、これは興福寺南円堂にあるが、ここに入ったかどうか記憶があやふや。南円堂は5月興福寺の前を通ったときたしか工事中という案内がでていたような気がする。北円堂同様、いつも入れるわけではないのでこの祖師像にはお目にかかってないかもしれない。

いずれの像も今僧侶と対面しているようなリアルさがある。お気に入りはぎょろっとした目が印象的な立膝の‘伝行賀坐像’とえらがはり強面の面構えについひいてしまう‘伝玄賓坐像’。運慶だけでなく父親だってこんなスゴイ彫像を生み出している。

同じく南円堂にある国宝の‘四天王立像’は誰の作かはっきりとわかってないが、運慶作とも考えられているのが手の位置により体全体に動きがでている持国天像と多聞天像。顔についた分厚い肉をみて水戸黄門役で有名な東野英治郎を思い出した。

満願寺にある‘観音菩薩立像’は大きなまゆ毛とはっきりした目に強い圧を感じ、しばらくみていた。これと隣にある‘地蔵菩薩立像’は運慶派の仏師がつくったとされる。運慶の‘阿弥陀如来坐像と両脇侍立像’とくらべると顔が少しきつい感じ。

興福寺の国宝館を訪ねるたびに強く目に刻まれるのが運慶の三男、康弁が手がけた‘龍燈鬼立像’ともうひとつの邪鬼像‘天燈鬼立像’。三角パンツをはいた龍燈鬼は燈籠を頭の上にのせがっと仁王立ち。短足で太い腿、龍がまきつく首はないにひとしく大きな顔、なんともユーモラスな邪鬼像、愛すべき2体に乾杯!

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2017.09.28

最高の‘運慶展’! 静の運慶

Img_0004     国宝‘大日如来坐像’(1176年 奈良・円成寺)

Img     ‘地蔵菩薩坐像’(重文 12世紀 京都・六波羅蜜寺)

Img_0003     ‘聖観音菩薩立像’(重文 1201年 愛知・瀧山寺)

Img_0001     国宝‘無著菩薩立像’(1212年 奈良・興福寺)

画家でも彫刻家でもその名前をきくとすぐイメージする作品がある。運慶の場合、すぐ思い浮かべるのは南大門の仁王像と円成寺の‘大日如来坐像’。今年は5月奈良に行ったので久しぶりに巨大な‘金剛力士立像 阿形 吽形’に会った。修学旅行でみて以来4度目の対面だった。

一方、運慶のでデビュー作‘大日如来坐像’については、ずいぶん昔クルマで奈良観光をしたとき円成寺にも寄った。そして、2011年金沢文庫であった運慶展で再会した。この仏像で魅せられるのは目に心地いい張りのある頬。そしてパワーの放出を感じさせる胸元でむすんだ智拳印(ちけんいん)。今回はまず、この仏像との対面から運慶ワールドがはじまる。体がきりりと引き締まるような仏像である。

京都の六波羅蜜寺にある‘地蔵菩薩坐像’の見どころは衣文の流動的な彫りが幾重にも重なっているところ。地蔵さんの顔はいかにもまじめなお坊さんという感じ。また頭もよさそう。一度出かけた六波羅蜜寺と2008年にあった東博の展覧会でもお目にかかった。

仏さんの彫像で収穫だったのが愛知の瀧山寺が所蔵する‘聖観音菩薩立像’。名古屋に住んでいたときは仕事が忙しくて寺巡りをする余裕がなかったので、聖観音菩薩はかすりもしなかった。運慶の仏像のなかでは思わず見惚れてしまうほどの美しさ。この寺にはもう2体あるそうだから、クルマを走らせとけばよかった。

興福寺の北円堂に飾られている‘無著菩薩立像’、今回ライトアップの効果によってその姿を頭のてっぺんから足の先までじっくりみることができた。前にも書いたが、頭に野球帽をかぶせれば完璧にヤンキースのマー君になる。本当によく似ている。

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2017.09.27

最高の‘運慶展’! 動の運慶

Img_0002_2     国宝‘毘沙門天立像’(1186年 静岡・願成就院)

Img_0003_2     ‘不動明王立像’(重文 1189年 神奈川・浄楽寺)

Img_2      国宝‘恵光童子立像’(1197年 和歌山・金剛峯寺)

Img_0004     l国宝‘世親菩薩立像’(1212年 奈良・興福寺)

春の‘快慶展’(奈良博)に続き、秋の日本美術の展覧会の目玉‘運慶展’が東博で昨日からはじまった。会期は11/26まで。早速出かけてきた。2日目だからまだ混んでないと思ったが、10時半に入ったら予想以上に観客が集まっていた。この土日は大勢の人が足を運びそう。

過去運慶(?~1223)の彫刻をまとまったかたちでみたのは3回くらいあるが、一度にお目にかかれるのはせいぜい片手くらい。今回はそれを大きく上回る22体。最高の‘運慶展’といっていい。そのなかで一番の収穫は静岡の願成就院にある国宝‘毘沙門天立像’、これまで縁がなかったがやっとみれた。目の鋭さもさることながら弾力性のある丸ぼったい頬がこれほど主張する毘沙門天像はみたことがない。

一度みたことのある‘不動明王立像’は森の石松というか片目のジャックというか右目は半開き。じつに個性的な不動明王、背景の激しく燃え上がる火炎が明王の怒りをすさまじさを象徴している。不動明王の感情を人間臭くリアルに表現する運慶の力量に圧倒される。

どの彫刻も光をいろんな角度からあて細部までよくみえるようにしてあるが、その演出が最も効果的に思えたのが‘八大童子立像’、かつて京博で開催された‘空海展’で現存する6体と対面したが、そのときのイメージがだいぶ消えていたので、このライトアップのおかげで一体々じっくりみることができた。一番ぐっときたのは眉間にしわを寄せ思いつめたように前方をながめる‘恵光童子’。

兄の無著の人気が高すぎて世親の存在感はどうしても薄くなる。これは顔の白い部分が無著にくらべて少ないことも関係している。顔の表情はきつく意志は強そう。‘静の無著’に対して‘動の世親’という感じ。

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2017.09.26

龍光院の曜変天目茶碗 ‘国宝展’に出品!

Img_0001     国宝‘曜変天目茶碗’(12~13世紀 京都・大徳寺龍光院)

Img     葛飾北斎の‘雪中虎図’(1849年)

Img_0003     葛飾北斎の‘女波図’(1845年 長野小布施・北斎館)

歌麿の‘吉原の花’をみた箱根の岡田美に10/6から大阪のあべのハルカス美ではじまる北斎展のチラシが置いてあったので家に持ち帰った。この展覧会はイギリスの大英博でも開催され大勢の人が押し寄せたという。

そんな話題の浮世絵展、大阪まで遠征するかパスするかおおいに迷った。そして出した結論が今回はパス。気になる作品がないわけではない。チラシに大きく使われている肉筆画の‘雪中虎図’は以前から気になっている絵で過去の回顧展にはいずれも姿をみせてくれなかった。このチャンスを見逃したらもう二度と会えないかもしれない。

その思いがある一方、目玉の小布施の北斎館に飾られている‘男波図’‘女波図’は現地でみており、晩年に描かれた肉筆画は日本にあるものはだいたいお目にかかっている。海外から里帰りしたものにあっと驚かされるかもしれないが、その情報がないので結局関心のある‘雪中虎図’1点買いの北斎展となる可能性もある。思案の末、この絵をみるために新幹線に乗るのはやめることにした。

ところが、思わぬ情報が入って来たのでやはり大阪に行くことにした。背中を押してくれたのは京博の‘国宝展’(10/3~11/26)。秋の京都はこの展覧会で盛り上がることはまちがいない。お宝の絵画や木彫などがどどっとでてくる。だから、日本美術への興味が沸きだしたころだったら万難を排して出かけたところ。

でも、国宝の追っかけは最終の直線コースを入ってもうすぐゴールというところまできているので前からパスときめていた。そしたら、ビッグな作品情報が飛び込んできた。なんと京都・大徳寺龍光院が所蔵する‘曜変天目茶碗’が展示されるという。期間はⅡ期(10/17~10/29)。これは200%見逃せない。

日本にある国宝の曜変天目茶碗は3つ、これまで成静嘉堂文庫と藤田美にあるものは幸運なことにみることができた。ところが、この龍光院のものはまったく縁がなかった。みたくてしょうがないのに展覧会にでてこないのである。

展覧会に出品されたのはおそらく1999年大阪市立東洋陶磁美で開催された‘宗磁展’が最後。この展覧会は広島にいるときくクルマを走らせて巡回した萩の浦上記念美でみたが、曜変天目茶碗は大阪のみの出品。それから18年経った今年、ようやく鑑賞の機会がめぐってきた。ワクワクしている。

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2017.09.25

美術館に乾杯! シカゴ美 その十三

Img_0001     リキテンスタインの‘しずくのあるブラッシュストローク’(1966年)

Img_0002     スティルの‘無題 1958’(1958年)

Img     ホックニーの‘アメリカ人コレクター’(1968年)

Img_0003     リヒターの‘階段を降りる女’(1965年)

個性の際立つ現代アートの場合、大きな美術館には十分なスペースがあるとはいえどのア―ティストも並べられるわけではない。おのずと人気の高い作品から披露される。よくお目にかかるのはポロック、ロスコ、デ・クーニング、ポップアートのウォーホルとリキテンスタインといったアメリカのスター作家。

このうちまだ回顧展に遭遇していないのがリキテンスタイン(1923~1997)、手元にあるTASCHEN本をときどきみて本物との出会いを夢見ているが、幸運がやって来る気配は今のところない。‘しずくのあるブラッシュストローク’は2008年のときアメリカ館が改修のためみれなかった。大作だからみごたえがありそう。

ワシントンのハーシュホーン美で4点くらいみたクリフォード・スティル(1904~1980)、‘無題 1958’でもほかの作品でもこの縦に不規則にのびる尖った黒の色面は子どものころ遊んだ大きな黒い蝶の羽を思い起こさせる。黒は激しい感情の揺れを表現するにはもってこいの色。心の奥底から突きあげられるような衝動が蝶の羽のようなフォルムとなって連続的に湧き上がってくる。

5年くらい前、ロンドンのロイヤルアカデミーでイギリス現代アートの大御所ホックニー(1937~)の回顧展が開催された。でも、タイミングが合わずロンドン行きは叶わなかった。関心のある画家の作品が沢山みれる機会をものにできないというのはなんとも辛い。今年はその気分がちょっぴりリカバリーできた。ちょっと前まで東京都美で開催されていたボストン美名品展にホックニーがひょいと現れた。しかし、‘アメリカ人コレクター’は時間がかかりそう。

リヒター(1932~)の画風のひとつがぶれた写真を使った作品、‘階段を降りる女’のモデルは女優かセレブにちがいない、さっそうと進む姿がよくとらえられている。

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2017.09.24

美術館に乾杯! シカゴ美 その十二

Img_0001     モンドリアンの‘菱形のコンポジション’(1921年)

Img_0002     クレーの‘日没’(1930年)

Img_0003     ゴーキーの‘田畑と歌’(1946年)

Img     デ・クーニングの‘発掘’(1950年)

モンドリアン(1872~1944)の代名詞である‘コンポジション’シリーズは大半が正方形タイプのものだが、ときどき菱形に出くわす。四角を45度回転させただけだが、作品の印象はガラッと変わる。シャープな感じが全面にでてくる。

この画面のなかでベースの白とクレイ以外で使われているのは黄色と青と赤、そして黒。この色の大きさによってイメージが変化するから、配色のバランスと位置取りには時間を食うはず。できあがったものは流石、充分練りこまれている。心地のいい色の関係に即納得。

クレー(1879~1940)の‘日没’は大きな収穫だった。過去、回顧展を数度体験しているのでクレーの画風に目が慣れていたが、この絵の前では思わず唸ってしまった。ドットで埋め尽くされた丸や変形した四角の絡み合いがとても刺激的で物言う抽象画という感じ。

アルメニア出身のゴーキー(1904~1948)の‘田畑と歌’はミロの絵を連想させる。ミロのように人物や動物にユーモラスなところはないが、丸みをおびたフォルムはどこか生き物の匂いがする。はっきりとはわからないが左端にいるのは若者でその視線の先には裸婦がいる。その色香に浮かれて歌を歌っているのだろうか。

NYでゴーキーと仲の良かったオランダ生まれのデ・クーニング(1904~1997)、この大作発掘‘’は1948年にゴーキーが自殺したあとに手がけたもの。キュビスムの角々したフォルムで鳥や魚、人間の鼻、目、顎、首などがびっちり描かれている。この絵はヴェネツィア・ビエンナーレのアメリカ館に出展され注目を浴びた。

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2017.09.23

美術館に乾杯! シカゴ美 その十一

Img_0002     デ・キリコの‘哲学者の征服’(1914年)

Img_0003     マグリットの‘貫かれた時間’(1938年)

Img     ドローネーの‘赤い塔’(1911~23年)

Img_0001     ファイニンガーの‘フランスの街のカーニバル’(1911年)

画面から音が聞こえてこない絵として思い浮かぶのは点描画のスーラと元祖シュルレアリスムのデ・キリコ(1888~1978)。スーラが休日パリの郊外ですごす人々の姿を静かにとらえたのに対し、デ・キリコの舞台はひと気のない街の広場。

そこには機関車が煙を吐きながらと走ってきたり、広場には建物や彫刻の影が長くのびている。‘哲学者の征服’の時刻は1時30分ちょっと前。この時間帯にこんな影ができるのか、まったく不可思議で神秘性につつまれた世界。この絵から読めるのはこのあたりまで。タイトルも手前の大砲みたいな白い物体、そして横にある松ぼっくりのような形をしたものはわからない。

デ・キリコに強い刺激を受けたマグリット(1898~1967)の‘貫かれた時間’に使われている部品はデ・キリコを彷彿とさせる時計と機関車。マグリット流のシュルレアリスムのおもしろさは機関車が部屋の暖炉から飛び出してくるところ。

どうしてこんな意表をつく組み合わせがでてくるのだろうか。マグリットの心の動きをひも解いてみると、まず普通にいつも目にしている時計がおいてある部屋の暖炉を思い浮かべる。そのとき、時計がトリガーになりデ・キリコの絵でみた機関車がひらめいた。そうだ、部屋の中に機関車をとじこめたらおもしろい!大きなものが小さな空間につつみこまれるという発想は目に見えるものしか信じない人間にはおよびもつかない。

ドローネー(1885~1941)のトレードマークである‘エッフェル塔’シリーズはこれまで片手くらいみたかもしれない。この‘赤い塔’はほかのスッキリヴァージョンとはちがい、エッフェル塔をキュビスムを取り入れて表現した建物でとりかこみ、ビジーともいえるほど重層的な構成になっている。

この建物とかぶるのがファイニンガー(1871~1956)のカーニバルの絵。ここはファイニンガーが毎年数ヶ月過ごしていたフランスの街、背景にはこの街にあるローマ時代の水道橋の遺跡が描き込まれている。カーニバルに熱狂するひとたちの描き方は漫画そのもの。こうした漫画チックな表現は骸骨を頻繁に登場させるアンソールとも通じている。

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2017.09.22

美術館に乾杯! シカゴ美 その十

Img     ピカソの‘ギター弾きの老人’(1903年)

Img_0002_2  モデイリアーニの‘ジャック・リプシッツ夫妻の肖像’(1916年)

Img_0001     シャガールの‘祈るユダヤ人’(1923年)

Img_0004     マティスの‘川辺の娘たち’(1916年)

古典絵画の数がメトロポリタンに比べるとかなり少ないとはいえ、シカゴ美にある印象派以降の近現代絵画は美術本でみたことのあるものが多くどの部屋でも息が抜けない。

画風をどんどん変えていくピカソ(1881~1973)、どの時代のピカソに惹かれるかで作品を所蔵する美術館に対する記憶の強さが変わってくる。シカゴがすぐ結びつくのは‘青の時代’、この19から22歳にかけて描いた作品はどれも足がとまるが、‘ギター弾きの老人’も忘れられない一枚。青一色で塗られた画面からは悲しみに耐えてギターを奏でる年老いた男の切なさがじーんと伝わってくる。

モディリアーニ(1884~1920)の肖像画は大半がひとりのモデルだが、2,3点夫妻のものがある。MoMAにある‘新郎と新婦’との出会いが予想外にてまどっているのに対し、はじめてのシカゴ美では彫刻家ジャック・リプとその妻にあっさり遭遇した。美術館は不思議なことに相性がある。

アメリカの美術館が日本でそのコレクションを公開する頻度はパリのオルセーやルーヴル、あるいはマドリードのプラドなどと較べればだいぶ少ない。ときどきやってくるという感じ。シカゴ美については一度名品展に出くわした。そのとき出品された作品のひとつがシャガール(1887~1985)の‘祈るユダヤ人(ヴィテブスクのラビ)’。

ユダヤ教の象徴のようなラビという宗教者のイメージはこのシャガールの絵によってつくられている。シャガールと長くつきあっていると故郷のベラルーシのヴィテブスクとパリにすごく親しみを覚えるようになる。ヴィテブスクの街は今でもユダヤ人が多く住んでいるのだろうか。

マティス(1869~1954)のキュビスムの影響を強く受けた作品‘川辺の娘たち’、事前のチェックリストには◎をつけていたのにどういうわけか姿をみせてくれなかった。灰色で描かれた女性は顔に目も鼻もない。4人の背景になっている4つの縦の帯にとても惹かれる。

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2017.09.21

美術館に乾杯! シカゴ美 その九

Img     ホッパーの‘夜更かしをする人たち’(1942年)

Img_0001     ホーマーの‘にしん漁’(1885年)

Img_0002     コールの‘ナイアガラ滝の眺め’(1830年)

Img_0003     チャーチの‘コトパクシ火山の眺め’(1857年)

シカゴ美が印象派コレクション以外の作品で最も誇らしく思っているのは間違いなくホッパー(1882~1967)の‘夜更かしをする人たち’。この絵をみれたことはスーラの‘グランド・ジャット島の日曜日の午後’同様、生涯の喜び。

運がこちらに向かってくるときひとつだけでなくふたつくらい一緒にやってくることがある。入館すると驚いたことにホッパーの大規模な回顧展が行われていた!もう天にも昇る気分。追加のお金を払ってまず想定外のオマケを楽しむことにした。

‘夜更かしをする人たち’が大都会の孤独を感じさせるところはドガのパリのカフェを描いた‘アプサント’とよく似ている。ともに映画の一シーンを見ているようで、描かれている男女の姿からつい勝手にありそうな物語を想像してしまう。夜も更け静寂なレストランの一角に黙って座るふたり、ずっと続きそうなこの深い沈黙は見る者にとっても長く記憶にとどまる。

アメリカの具象画で関心を寄せているのはサージェント、ホイッスラー、ホッパー、そしてホーマー(1836~1910)、このホーマーの水彩画展がホッパー展の横の部屋で同時開催されていた。まさに‘幸せ二段重ね’、おかげでホーマーに開眼した。所蔵する油彩画の‘にしん漁’も展示されており、大きくうねる波と格闘しながらに網にかかったにしんを引き上げるたくましい漁師たちを息を呑んでみていた。

事前の情報が一切なかった2つの回顧展に時間をとられたので、ハドソンリバー派のトマス・コール(1801~1848)とエドウイン・チャーチ(1821~1900)がそれぞれ壮麗に描いたナイアガラの滝とエクアドルの火山の大パノラマはみることができなかった。これもシカゴの忘れ物。

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2017.09.20

美術館に乾杯! シカゴ美 その八

Img     アンリ・ルソーの‘滝’(1910年)

Img_0003     バルテュスの‘トランプ占い’(1943年)

Img_0002     ベックマンの‘自画像’(1937年)

Img_0001     サージェントの‘人物を描く女性画家’(1907年)

手元にあるアンリ・ルソー(1844~1910)の画集を何度もみているので、どの絵がどこの美術館におさまっているかはおおよそ頭のなかに入っている。ざっとみて主要作品の半分はアメリカの美術館が所蔵している。正確なチェックはできていないが、大きな美術館でみるとボストン美以外はどこへ行ってもルソーを楽しめる。

シカゴ美にあるのは最晩年に描かれた‘滝’、残念なことに2008年に訪問したときは姿をみせてくれなかった。2度目のシカゴ旅行が実現したら真っ先に突進することにしている。ルソーの代名詞になっている熱帯森林画をもっているアメリカの美術館はメトロポリタン、MoMA、ワシントンナショナルギャラリー、シカゴ、フィラデルフィア、クリーブランド、バージニア、ノートン・サイモン。

クリーブランド美の‘水牛を襲う虎’はありがたいことに2014年日本にやって来た。残るはシカゴ、リッチモンドのバージニアとパサディナのノートン・サイモン。一番近い目標にしているのが、ノートン・サイモンの猿がいっぱいでてくる作品。果たして夢が実現するか。

3年前大きな回顧展があったバルテュス(1908~2001)、METが4点くらいもっているが、シカゴが所蔵しているのは‘トランプ占い’。モデルの少女はいつものように右膝をつきテーブルに寄りかかってひとりでトランプ占いをしている。この膝を立てたりついたりするポーズが観る者の心をザワザワさせる。

ドイツ表現主義のベックマン(1884~1950)はフランスやイギリスの美術館では頻繁には遭遇しないのに、アメリカのコレクターは想像以上にこの画家を集めている。自画像は昨年あったデトロイト美でもみたし、かなり昔出かけたハーヴァード大のフォッグ美でも対面した。ベックマンが自画像を何点も描いたのはゴッホに影響されたのかもしれない。

本籍アメリカ、現住所パリの画家サージェント(1856~1925)は今日本での回顧展を強く望んでいる画家。はたからみると妄想しすぎと切捨てられそうだが、あと数年したら実現するとみている。そのとき、‘人物を描く女性画家’が出品されると心はバラ色になる。

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2017.09.19

美術館に乾杯! シカゴ美 その七

Img     スーラの‘グランド・ジャット島の日曜日の午後’(1886年)

Img_0001     ロートレックの‘ムーラン・ルージュにて’(1892年)

Img_0003     ゴッホの‘ルーラン夫人’(1889年)

Img_0002     ゴーギャンの‘ノ・テ・アハ・オエ・リリ’(1896年)

先週、箱根の岡田美でみた歌麿の肉筆画三部作‘雪月花’のうち、‘品川の月’は高精細複製画だった。この絵を所蔵するフリーア美ではコレクションを美術館の外に出さないというのが決まりになっているため、こういう展示のスタイルとなった。

こうした門外不出扱いとなっている作品がもう一点インプットされている。それはシカゴ美に飾られているスーラ(1859~1891)の代表作‘グランド・ジョット島の日曜日の午後’、日本で待っていても絶対みれない。2008年アメリカ旅行ツアーに参加したのはこの絵と対面するためだった。

アメリカの在住している人ならシカゴへ足を運ぶのはそう難しいことではないだろうが、団体観光で出かけるとなるとNYやボストンと違ってシカゴが含まれているツアーが少ないため、シカゴ美には運がいくつも重ならないとたどりつけない。だから、スーラの用いた点描画法の最高傑作が目のなかに入った喜びを今でも噛みしめている。

作品の前では点描画の一番いい見方になるようにあまり近づきすぎないようにした。周りをみても最接近してみている人は少なく、皆ちょっと離れてじっとながめている。この絵はパッと見るとからくり人形を何体も左向きにさせて手前から奥のほうにむかって一定の間隔で置いていったような印象をうける。そして、不思議なのは音がまったく聞こえてこない。休日を楽しむ人々が大勢集まるパリの郊外の有名な行楽地というのに。

この絵をみてスーラの点描画を一点でも多くみたいと強く思うようになった。コンプリートにはまだとどかないが、画集に載っている主な作品はおおかたみることができた。今はアメリカの美術館にある2,3点が当面のターゲットだが、その可能性はかなり低い。でも、望みはもち続けることにしている。

印象派関連の作品でスペシャルな収穫はスーラ、カイユボットのほかにもう一人いる。ロートレック(1864~1901)、アメリカに数多くある油彩画のなかで最も魅了されているのはこの‘ムーラン・ルージュにて’とワシントンナショナルギャラリーにある‘シルぺリックでボレロを踊るマルセル・ランデール’。

‘ムーラン・ルージュにて’で目が点になったのは手前右で体の半分が画面からはみ出している踊り子の顔。下からのライトを受け浮かび上がった顔は不気味にも緑と白で描かれている。こんな色使いをするのだからロトレックの色彩感覚はスゴイ。浮世絵からヒントを得た構図とこの踊り子のアップの顔はこの絵に特別な魅力を与えている。

ゴッホ(1853~1890)とゴーギャン(1848~1903)はアメリカでも多くのコレクターに愛されれいるが、シカゴ美にもいい絵が揃っている。5点みたゴッホでお気に入りは‘ルーラン夫人’、現在東京都美に展示されているボストン美のものは最初に描かれたルーラン夫人でシカゴにあるのはこの絵をもとにして描かれた最初のレプリカ、ほかに3点ある。

シカゴのルーラン夫人はじつは2003年に日本にやって来た。5点あるなかでボストンとシカゴのものが一番いいというのが率直なところ。ゴッホが描いた女性の肖像画ではこの2点が最高ランクと勝手に決めている。このルーラン夫人のきりりとした目が心をとらえてやまない。

ゴーギャンの作品は2度目のタヒチで描かれたもの。現地の言葉でつけられたタイトルの意味は‘なぜ怒っているの’。女性たちの表情や姿とタイトルがすぐ結びつかないが、こうなっている。

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2017.09.18

美術館に乾杯! シカゴ美 その六

Img_0001     カイユボットの‘パリ、雨の日’(1877年)

Img_0002     モネの‘サン・ラザール駅’(1877年)

Img_0003     モネの‘リンゴとブドウのある静物’(1880年)

Img     セザンヌの‘オーヴェール、パノラマの眺望’(1873~75年)

画家の名前を知っていて作品をあるていどみているもののその魅力がまだつかめてない。そんな状態が一枚の絵との出会いによって画家の才能に一気にめざめることがある。カイユボット(1848~1894)はそんな画家のひとり。

作品の大きさも絵画の魅力に大きくかかわっている。カイユボットの‘パリ、雨の日’は縦2.13m、横2.76mのとても大きな絵。この大きさがどんなインパクトをもっているかは図版ではわからない。そのため、事前に作成した必見リストにあげていた作品のなかでこの絵に◎はついてなかった。

ところが、近代都市化路線をまっしぐらに進むパリの情景をスナップショット的にとらえたこの絵の前に立つと、びっくり仰天。カイユボットってこんないい絵を描いていたの!?、という感じ。とくに感心したのが雨に濡れて光っている歩道の質感描写。200%KOされた。

じつは鑑賞の前、現地ガイドから‘カイユボットの絵はホールの中央にありますから見逃さないで下さい’と案内されていた。この絵はシカゴ美自慢の絵だったのである。まさに看板通りの傑作だった。この感激は一生忘れられない。

もう一枚、想像もしなかったサプライズがあった。画集に載っていたモネ(1840~1926)の‘リンゴとブドウのある静物’がこれほど心を奪われる静物画だったとは。白い卓布の上においてあるリンゴとブドウが透明の陽を浴びてまばゆいばかりに照り輝いている。風景画が得意のモネなのに静物画でこれほどいい気分にさせてもらえるとは思ってもいなかった。

モネの作品はほかの画家にくらべて群を抜いて数が多く全部で25点でていた。ちなみにマネ9点、ルノワール8点、セザンヌ5点。お目当ての‘積み藁’の連作や‘サン・ラザール駅’を目に気合をいれてみたが、脇役の静物画の衝撃が強すぎて集中できなかった。

セザンヌ(1839~1906)の風景画というと、サント・ヴィクトワール山がすぐイメージされるが、ここにあるゴッホ終焉の地として有名なオーヴェールの光景を描いた作品に大変魅了されている。印象深いのが赤と青の屋根がリズミカルの配置されているところ。セザンヌのこれほど明るい風景画は珍しい。

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2017.09.17

美人画競演 歌麿 VS 松園!

Img_0002         喜多川歌麿の‘芸妓図’(1802年)

Img_0001       喜多川歌麿の‘三美人図’(1789~1801年) 

Img       上村松園の‘汐くみ’(1941年)

岡田美で今、歌麿の大作‘雪月花’(ただし、‘品川の月’は複製画)を展示しているのは2階、この部屋を出た後、4階へ移動するとこの特別展に関連した‘人物表現のひろがりー土偶・埴輪から近現代の美人画までー’というテーマ展示を楽しめる。

腹が減っていたのでこれはパスして美術館を後にしたが、手に入れた作品リストには前回出会った歌麿と上村松園(1875~1949)の美人画が載っていた。ともに2点ずつ。この美術館が歌麿の肉筆画を何点もってるか正確には知らないが、大作の‘深川の雪’に加え長いことフランスにあった‘芸妓図’と1910年ロンドンで開催された日英博覧会に出品され評判になった‘三美人図’も並ぶとなると日本で一番の歌麿コレクションといっても過言でない。

熱海のMOA美には尾形光琳の国宝‘紅白梅図’があり、箱根の岡田美にはいずれ国宝になると思われる歌麿の‘深川の雪’がおさまっている。パリのルーヴルやNYのメトロポリタンをみれば明らかなようにいい絵を揃えた美術館は観光の大きな目玉になる。そう離れてないこの二つの美術館は今やそんな存在、これからますます来館者を増やすにちがいない。

先月、ホテルオークラで行われた恒例のチャリティ展で松園のとてもいい‘うつろう春’(霊友会妙一コレクション)に遭遇した。そのため、リストにあった‘汐くみ’と‘夕涼’を敏感に思い浮かべた。とくにぐっとくるのが‘汐くみ’、これほどの傑作なのこれまで上村松園展でお目にかかったことがない。例えば、2010年東近美であった超一級の回顧展に‘汐くみ’のタイトルがついた作品は2点でたが、完成度では岡田美のほうが上だった。

コレクターというのは誰も咎められないわがままなところがあって‘うつろう春’と同じようにいい絵ほど展覧会に出したがらない。是非、箱根へお越しくださいと岡田美は言いたいのだろう。

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2017.09.16

岡田美の日本画コレクション!

Img_0003       岡田美へのアクセス

Img_0002         伊藤若冲の‘笠に鶏図’(18世紀後半)

Img        川合玉堂の‘渓村秋晴図’(1940~50年代)

Img_0001           小林古径の‘白花小禽’(1936年)

岡田美へのアクセスについて少しばかり、HPを開けば情報は得られるが、電車を利用する場合は新宿から小田急のロマンスカーに乗ると90分で箱根湯本に着く。その後はバスで小涌園まで20分。

クルマなら東名の御殿場ICからだと国道138号線、1号線を進む。厚木ICだと箱根口IC、1号線となる。また、横浜方面からは西湘バイパス、1号線。箱根湯本から美術館までは20分くらい。段々畑のような駐車場にクルマをとめたとき、隣のナンバーをみたら静岡だった。土日はかなりの数のクルマが出入りする感じ。

入館料は以前と同じ2800円だったが、前はコーヒーを注文すると無料だった足湯が今回は条件なしで無料となっていた。特別展以外のやきもの、中国美術品、日本絵画などの所蔵品は一度みているので3階の日本画だけを楽しんだ。

足がとまった作品をいくつも紹介したいところだが、絵葉書がないものもあるのでとりあげるものは限られる。ざっとあげてみると、江戸絵画では伊藤若冲‘笠に鶏図’、久隅守景、森狙仙、酒井抱一、鈴木其一、中村芳中など、そして明治以降の日本画は横山大観、菱田春草、下村観山、川合玉堂‘渓村秋晴図’、竹内栖鳳、速水御舟、村上華岳、小林古径‘白花小禽’、前田青邨など。

今回の収穫は若冲、‘笠に鶏図’は前みたような気もするのだが。家に帰って図録をチェックしたらどれにも載ってなかったから、初見の作品かもしれない。笠と鶏という意表をつく組み合わせをおもしろがってみていた。

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2017.09.15

待望の喜多川歌麿の‘吉原の花’!

Img 喜多川歌麿の‘雪月花 吉原の花’(1791~92年 ワズワース・アセーニアム美)

Img_0004    一階部分の拡大

Img_0002       ‘深川の雪’(1802~06年 岡田美)

Img_0001       ‘品川の月’(1788年 フリーア美)

3年前、喜多川歌麿(1753~1806)の‘雪月花 深川の雪’をみた箱根の岡田美を再訪し、開催中の‘歌麿大作 138年ぶりの夢の再会 深川の雪と吉原の花’(7/28~10/29)をみてきた。箱根はクルマだと1時間半くらいで到着するので、美術館へは楽に出かけられる。

今回のお目当てはアメリカから22年ぶりにやって来た‘吉原の花’。このすばらしい肉筆画の存在は前から知っていたが、千葉市美の歌麿展(開館記念)があったとき生憎東京にいなかったので対面は叶わなかった。図録でいつもため息とつきながらながめていたその絵がまた日本に登場したのだから、幸運というほかない。

入館するとすぐ2階へあがり、‘吉原の花’に突進した。図録通りの見応え十分の大傑作!一階と二階に描かれている女性の数はなんと52人。ちなみに横に飾ってある‘深川の雪’に出てくる芸者たちは28。遊び人の旗本やらお金をたっぷりもっている豪商たちがこぞって繰り出す吉原、この絵にはそうした男たちはでてこないが、きれいな衣装を身につけた遊女たちが満開の桜を楽しむ姿が生き生きと描かれている。

茶屋の二階では武家の奥方たちを楽しませる花笠踊りの真っ最中、踊りを盛り上げる三味線や鼓、太鼓の軽やかな音が聞こえてくるよう。そして、エンターテイメント気分をさらに高める演出が上の金雲、洛中洛外図でおなじみの雲が白い桜の花びらと華やかに響きあっている。この絵に出会ったことは生涯の喜び、ミューズに感謝!

オマケで展示されている‘品川の月’は所蔵しているフリーア美(ワシントンD.C.)からは門外不出となっているため、原寸大の高精細複製画。これもいつかこの目でと思っているが、そのチャンスがやってくる可能性は小さい。だから、本物のつもりで隅から隅までじっくりみた。

今年みた日本画で大きな収穫はボストン美が所蔵する英一蝶の‘涅槃図’と歌麿の‘吉原の花’、当分はこのふたつが心のなかを占領しそう。

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2017.09.14

美術館に乾杯! シカゴ美 その五

Img     マネの‘新聞を読む女性’(1879年)

Img_0001     ルノワールの‘テラスにて’(1881年)

Img_0002     ルノワールの‘フェルナンド・サーカス’(1879年)

Img_0003     ドガの‘婦人帽子店’(1882年)

アメリカの美術館をまわっていて体が一番震えるのはやはり印象派やポスト印象派の作品の前に立ったとき。メトロポリタン、ボストン、ワシントンナショナルギャラリー、フィラデルフィア、シカゴ、このビッグ5には画集でお馴染みの名画がここにもあそこにも飾ってある。

シカゴ美にある印象派コレクションはシカゴにゆかりのあるコレクターたちが美術館に寄贈した作品によりできあがっている。とにかくアメリカ人は印象派が大好きで作品の魅力をみぬく高い眼力をはたらかせ次々と買い込んでいった。マネからはじまり、モネ、ルノワール、カイユボット、ドガ、ロートレック、セザンヌ、スーラ、ゴッホ、ゴーギャン、、といい絵がずらっと並んでいる。

マネ(1882~1883)は9点あったが、お気に入りは日本にもやって来た‘新聞を読む女性’。こういう帽子を被っら女性にはどこか洒落たイメージがありかんたんには近づけない。この遠い距離感がいっそう心をざわつかせる。小さい頃近所に帽子屋をやっている家があったが、そこの奥さんはよく似合う帽子をいつも被っていた。

ルノワール(1841~1919)は涙がでるほどいい女性の絵が2点ある。もう可愛いくって仕方がない‘テラスにて’と‘フェルナンド・サーカス’、これをみてシカゴ美は本当にスゴイ美術館だと思った。できることなら死ぬまでにもう一度このルノワールをみたい。

アメリカにあるドガ(1834~1917)で最も魅了されているのはメトロポリタンにある‘菊のある婦人像’とここの‘婦人帽子店’、この絵で惹かれるのは巧みな構図。帽子をさわっている店員の姿をすこし上からとらえ、帽子を飾っている台のふちは左側から斜めにせりだすように描かれている。これはすぐには思いつかない。何度も描き変えこの形になったのだろう。ドガ一番の傑作と勝手に決めている。

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2017.09.13

美術館に乾杯! シカゴ美 その四

Img     ドラクロアの‘ジャウールとパシャの戦い’(1826年)

Img_0001     アングルの‘男性の肖像’(1823~26年)

Img_0002     モローの‘ヘラクレスとレルネーのヒドラ’(1876年)

Img_0003     アンソールの‘魚と海老のある静物’(1898年)

パリのルーヴルやグラン・パレ、ロンドンのナショナルギャラリーのHPを定点観測しようと年のはじめに思うものの、実際には実行されない。そんな気持ちにさせるのはこうした美術館では西洋絵画世界で誰もが知る大物画家の回顧展がときどき開かれるから。

今年はルーヴルで確かフェルメール展があったはずだし、5年くらい前にはナショナルギャラリーでダ・ヴィンチ展が開催された。せっかく西洋絵画と縁があったのだから、美術の本に載っている画家の回顧展に遭遇することを夢見たい。

例えば、ルーヴルにドラクロア(1798~1863)やアングル(1780~1867)がたくさん集められることになったら、いざパリへ!となるかもしれない。‘ジャウールとパシャの戦い’はプティ・パレでもこの絵のあとに描かれた別ヴァージョンをみたが、シカゴのほうが二人の勇者が乗っている馬同士の距離がㇷ゚ティパレとはちがい少し離れているので戦いの様子がみやすくなっている。

アングルの肖像画というと女性を描いたものがすぐ目に浮かぶ、身につけている衣服が半端ではないリアルさで描かれるのをみるとしばらく絵から離れられなくなる。これに対し男性の場合は、人物の姿そのものに魅了されることが多い。この男性の肖像も内面までろらえられている感じがして、長くみていた。

モロー(1826~1898)の作品はオルセーやモロー美でみたものが心のなかの大半を占めているが、ほかの美術館ならメトロポリタンの‘オイディプスとスフィンクス’とシカゴの‘ヘラクレスとレルネーのヒドラ’が忘れられない。蛇が苦手のため、この鎌首を高く上げたヒドラを直視できなかったが、その強烈なイメージが記憶に長く残っている。

想定していなかったのがアンソール(1860~1949)の静物画、テーブルには魚や海老のほかに陶器の皿や瓶はとてもバランスよく配置されている。オランダ絵画でみる魚屋の風俗画よりこちらのほうがゆったり楽しめる。

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2017.09.12

美術館に乾杯! シカゴ美 その三

Img_0002     ダヴィッドの‘パストレ侯爵夫人’(1792年)

Img     クールベの‘グレゴワール小母さん’(1855年)

Img_0001     コローの‘読書の中断’(1870年)

Img_0004     ロセッティの‘べアタ・ベアトリクス’(1872年)

展覧会をみるため美術館に出かけるのは今は月に一回、生の作品をみるのはこのときだが、西洋画でも日本画でも絵画とは画集や図録で毎日のように接している。これを何年も続けていると、ふとあの美術館を訪れたときもっと長く見ておればよかったなと思う画家もでてくる。

パリのルーヴルに作品が多く飾られているダヴィッド(1748~1825)もそのひとり。ナポレオンのお抱え画家というイメージが強すぎて、ナポレオンの絵や歴史画など男性中心の作品という印象が強すぎるきらいがある。これとは対照的に女性の肖像画でダヴィッドは女性特有の気品や優しさと表現している。

シカゴ美にある‘パストレ侯爵夫人’は革命期に幽閉された貴族の夫人の姿を描いたもの。地味な衣服を身にまとった夫人はちょっと前なら召使の仕事だった縫い物をしている。環境の変化に心は折れるだろうか、つつましく生きるこの女性にはどこか惹かれるものがある。

この絵に出会ったあとダヴィッドの女性画をもっとじっくりみておくべくだったという気になった。とくに意識したのはルーヴルにある‘レカミエ夫人の肖像’、過去この絵を時間をかけてみた覚えがない。だから、記憶が薄い。画集をみるたびに後悔している。

クールベ(1819~1877)とコロー(1796~1875)の描いた女性の肖像はどちらのほうが目に焼きついているか、軍配はどうしても‘グレゴワール小母さん’にあがる。気の強そうな顔をした女性が手に気持ちを伝えておれば強い圧を感じてしまう。

コローの描く女性で強く印象づけられるのは二の腕の太さ。外国の女性は腕のつけねあたりがこのように太い人が多い。中年の女性はだいたいこんなタイプ。でも若いひとでも力感のある腕の持ち主はよくいる。

ロセッティ(1828~1882)の‘べアタ・ベアトリクス’に遭遇したのは想定外の収穫だった。このモチーフはロンドンのテート・ブリテンにあるものが最も知られているが、ほかにもこの絵を含めて数点の別ヴァージョンがある。思わぬ作品が現れたので息を呑んでみていた。


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2017.09.11

美術館に乾杯! シカゴ美 その二

Img_0002     レンブラントの‘黄金の胸飾りをつけた老人’(1631年)

Img_0001マンフレーディの‘マルスに罰せられるキューピッド’(1605~10年)

Img     プッサンの‘パトモス島の聖ヨハネ’(1640年)

Img_0003     ロランの‘行列のできるデルファイの眺め’(1673年)

シカゴ美に飾られている古典絵画の数はMETやワシントンのナショナルギャラリーに比べるとかなり少ない。そのため、目にとまった作品は長く記憶に残っている。

レンブラント(1606~1669)の老人の肖像画もその一枚。アメリカのコレクターにとって、レンブラントの作品を手に入れたことは自慢の種だろうが、彼らはその作品を美術館に寄贈する。名画というのは自分だけで楽しむものではないというその気前良さのお陰でわれわれもすばらしいレンブランを堪能することができる。

カラヴァッジェスキの一人、マンフレ―ディ(1582~1622)の作品のなかで最もいいのではと思わせるのが‘マルスに罰せられるキューピッド’、目が点になるほどびっくりするのが鞭打たれるキュービッドのお尻の質感描写。このリアリティをカラヴァッジョがみたら、言葉を失うにちがいない。

プッサン(1594~1665)の‘パトモス島の聖ヨハネ’は画集に必ず載っているプッサンの代表作のひとつ。聖人の物語をスケール感のある風景のなかにとけこませて表現するところがプッサンの真骨頂。目に焼きつくのは膝をまげて横向きで座る聖ヨハネの姿。このポーズによって横の線と木々の縦の線がうまくつながり奥行きのある構図ができあがっている。

プッサンとロラン(1600~1682)はぱっとみると似たような画風というイメージがあるが、ロランは人物を描くとき沢山登場させ一人々を小さくすることが多い。そのため、ここで今行われていることを遠くから眺める感じ。デルファイで神の御宣託をうけようと人々が列をなして頂上をめざしている。吉となる話がいいにきまっているが、まま悪い先行きが待ち構えていることもある。

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2017.09.10

美術館に乾杯! シカゴ美 その一

Img           ミシガン湖を背にして建つシカゴ美

Img_0001           摩天楼の大都市シカゴ            

Img_0002    エル・グレコの‘聖母被昇天’(1577年)

Img_0003     ゴヤの‘羊に乗る少年’(1787年)

海外の都市に対する親しみが増すのはやはり出かけた回数が多いところ。アメリカならNYとワシントン、そしてボストン。これに対し、ミシガン湖に面する大都市シカゴは足を踏み入れたのはまだ一回、だから街の情報が少なくどんな印象だったかはわずかなことしかしゃべれない。

シカゴのイメージはシカゴ美術館と大リーグのホワイトソックスとカブスの本拠地ということでつくられていたが、実際に出かけてみるとモダンな高層ビルが建ち並ぶ摩天楼の都市という印象が強く残った。行ったのは2008年、それから10年近く経つがもう一回この街をぶらぶらするのを夢見ている。

団体ツアーに参加して旅行する場合、シカゴはNYやボストンとちがって行きやすい街ではない。この街が入っているツアーが多くはなくしかもシカゴ美を訪問するものはたまにでてくるだけ。2008年喜び勇んでアメリカへ行ったのはある旅行会社のツアーにシカゴ美への入館が入っていたから。一番のお目当ては門外不出のスーラの‘グランド・ジャット島の日曜日の午後’。その話は後ほどすることにして、先ずは古典画から。

エル・グレコ(1541~1614)がみれるアメリカの美術館というとNYのメトロポリタンとワシントンのナショナルギャラリーがすぐ思いつくが、シカゴ美にも‘聖母被昇天’というとびっきりの傑作がある。この祭壇画はエル・グレコがスペインに到着後最初に手がけたもので、トレドのサント・ドミンゴ・エル・アンティグオ聖堂に飾られていたもの。グレコ狂なのでこの絵に遭遇できたことを心のなかで自慢している。

スペイン絵画でもう一枚、いいのがあった。ゴヤ(1746~1828)の‘羊に乗る少年’。アメリカの美術館では感心するほどゴヤの名画と出会う。これもそうだが、例えばフリックコレクションには‘鍛冶屋’があるし、METやワシントンナショナルギャラリーは子どもや女性のとてもいい肖像画を所蔵している。

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2017.09.09

ドジャーズ ダルビッシュのPSでの活躍は期待薄!

Img      ロッキーズ戦で打ち込まれたダルビッシュ

レンジャーズからドジャースに移籍したダルビッシュへの期待がだんだん小さくなってきている。ナリーグ東地区で首位を独走するドジャースだが、今は絶不調。昨日もエース、カーショーで勝てず7連敗を喫した。連敗を止めるべくロッキーズ戦に登板したダルビッシュ。

こういうときびしっといい投球をしてチームを元気づけるのが大物投手の役割。しかし、今のダルビッシュにはそれができない。5回に一気に崩れて5失点で降板、ドジャースに移ってきていいピッチングをしたのは最初の登板だけ。体調を崩したりでファンの期待に応える成績にはほど遠い状況。

ポストシーズン(PS)まで残り21ゲーム、ドジャースはどこかで投打ともに修正して戦列を整えないと、ワールドシリーズを制するチャンスは少なくなっていく。今、最も勢いがあるのが16連勝しているアリーグのインディアンス、昨年カブスに敗れてワールドチャンピオンになれなかったが、その雪辱を果たすような感じになってきた。

ダルビッシュは今日の試合でMLB史上最速で1000奪三振を達成したように投手として高い才能をもっていることはまちがいない。しかし、長いことみているが、大一番にいいピッチングをしない。これは強い精神力がないから。ありていにいうと、気が小さいのである。多少打たれても自信をもってバンバンいけばいいのに弱気になる。

そして、すぐ投球フォームを変えたりほかの球種を選択したりする。器用だからそれはすぐできるが、はたからみるとそんな小細工をしないで、得意のスライダーをもっとみがけばいいだろうと思う。カーショーだって絶品のカーブで大リーグの頂点に立っている。あれもこれも投げる必要ない、このあたりが20勝をあげるカーショーとの大きな差。ダルビッシュは精神が図太くなく大事な試合になればなるほどカッコよく投げられない。

さらに、体調が万全でない感じがする。スタミナ力がだいぶ落ちている。ドジャース自体の打線が低迷しているので最少失点でないと勝ちがつかないのは誤算だったが、今は頼れるエースになっていない。おそらく、PSでもいい成績はあげられないような気がする。ドジャース、ダルビッシュへの期待が急速にしぼんできた。

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2017.09.08

ダリに子どもはいなかった!

Img     ダリの生地フィゲラス(美の巨人たちより)

Img_0001     フィゲラスにある‘ダリ劇場美術館’

Img_0003  ‘アパルトマンとして使えるメ―・ウエストの顔’(1934~35年)

2ヶ月前から気になっていたダリ(1904~1989)の娘騒動。7月に掘り起こされたダリの遺体の一部を使って行われたDNA関係の結果がでて、娘だと主張していた61歳の女性(霊媒師)の訴えが退けられた。やはりダリに子どもはいなかった。

この騒動が報じられたときダリはインポテンツだということがインプットされていたので、それはないだろうと思っていた。さらに娘を名乗る女性が霊媒師とくればどうしても胡散臭い話になってくる。莫大な遺産が絡むだけにダリ財団としてもやれやれ、と素直に喜んでいるだろう。

昨年12月TV東京の人気番組‘簿の巨人たち’でダリの生地フィゲラスにある‘ダリ劇場美’が紹介された。ダリ好きにとって、この美術館はダリの聖地みたいなところ。なんとしても訪問を実現しようと長年思い続けている。そのにため、交通情報がでてくると旅の実行計画が一歩進んだような気になる。

番組によるとバルセロナからフィゲラスまではAVE(スペイン高速鉄道)を利用すると1時間で行くらしい。新幹線なら横浜から名古屋へ行く感覚だから、フィゲラスは簡単に出かけられる街というイメージがわいてきた。

昨年のちょうど今頃国立新美で行われたダリ展のように、ダリ劇場美が所蔵する作品は過去に何度となくやって来た。それらを集めてみると、コレクションの半分くらいはすでにみているかもしれない。でも、一度もきていないいい絵もまだ沢山ある。例えば、‘セックス・アピールの亡霊’とか‘レダ・アトミカ’。

そもそも日本にもってこれないもので興味をそそられるのは‘メ―・ウエストの部屋’、この部屋を外からみるとダブルイメージがきいて‘アパルトマンとして使えるメ―・ウエストの顔’となる。この有名な作品をいつか目の中に入れたい。機が熟すのを待つばかり。

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