全生庵の‘円朝まつり’!
鏑木清方の‘茶を献じるお菊さん’(1904~05年) 朝日新聞の記事より
朝日新聞やNHKのニュースで報じられた鏑木清方の幽霊画をみるため、台東区の全生庵へ行ってきた。地下鉄千代田線の千駄木駅に降りるのははじめてのこと。略図でもわかるようにここから全生庵までは約5分、谷中墓地のほうに向かって進むとすぐ着く。
途中、銭湯があった。東京で銭湯をみたのは学生時代のとき利用して以来。台東区という名前は知っているが地元の住人ではないので広さや範囲が皆目見当がつかない。でも、銭湯にでくわすのだからここらがいわゆる東京の下町なのだろう。これが下町の風情かと想いながら歩いていた。
驚いたのはガイドブックを手にした男性の外国人観光客が4人もいたこと。アメリカ人かヨーロッパから来た様子だが、こんなところに興味があるのだろうか。外国人は今どんどん地方にも足をのばしているとよく耳にするが、ここでみた光景はその流れの現れかもしれない。
全生庵では年中行事として‘円朝まつり’(8/1~8/31)が開催され、三遊亭円朝(1839~1900)が蒐集した幽霊画が公開されている。例えば名の通った画家でいうと、円山応挙、川端玉章など、でも、お目当てはこれらの絵ではなく、94年ぶりに発見された鏑木清方(1878~1972)が26~27歳ころに描いたとされる‘茶を献じるお菊さん’。
予想していた通りこの絵の絵はがきは用意されてない。そのため、朝日の記事に載ったものを使っているが、本物も色的にはこんなもの。そして、お菊さんは顔をみせていない。美人画を得意とした清方が幽霊画とはいえ女性の顔を描かないというのはどういう意図があったのだろうか、
清方は17歳のとき円朝に誘われて一週間栃木を旅している。脚気を患った清方を円朝が転地療養に連れて行ったのである。二人は40も年が離れている。清方の父は粋人で円朝を支援していたため円朝が手助けしたというわけ、お蔭で清方の足は東京に帰って来たときはすっかり治っていたという。
それから35年経った1930年に美人画の人気画家になった清方が描いたのが‘三遊亭円朝像’、以前東近美によく通っていたころはときどき飾ってあった。久しぶりにみたくなった。
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