美術館に乾杯! ベルヴェデーレ宮 その二
クリムトとシーレは年が28も離れていたが、クリムトはシーレの才能を高く評価し支援していた。そして、奇遇なことに二人は同じ年に亡くなった。1918年の2月6日、一ヶ月くらい前に脳卒中で倒れたクリムトがスペイン風邪による肺炎を併発し天国へ旅立った。
このスペイン風邪は10月28日妊娠していたシーレの妻エディットの命を奪うとその3日後の31日にはシーレにも襲いかかった。享年28。まだ20代というのに、クリムトの半分しか生きられなかった。
シーレの絵で最も魅了されている2点がベルヴェデーレ宮に飾ってある。亡くなった年に描かれた‘家族’とすばらしい風景画‘4本の樹’。シーレの人物画は大半が退廃的なイメージが強く、その表情やポーズからは精神がかなり不安定でいつも死と向かい合っているような感じがストレートに伝わってくる。
例えば‘死と乙女’では女性の手は異様に細く、その手で抱かれている体を丸めた男は眉間にしわを寄せ不安げな表情でこちらをみている。こういう作品は長くみているとこちらまで変な気持ちになってくる。ところが、‘家族’に登場するシーレの表情はとても穏やかで生きる喜びにあふれている。家族ですごす幸せがシーレにつきまとったすべての苦しみを取り去ってくれたかのよう。
秋の夕暮れの光景を描いた‘4本の樹’の前に立ったときは言葉を失ってみていた。ええー、シーレがこれほど心を奪われる風景画を描いていたのか!色彩の使い方とか構図で誰の絵が思い浮かぶだろうか、平板的な画面構成はムンクが頭をかすめる。
2005年、アムステルダムのゴッホ美を訪問した際、運良くシーレ展に遭遇した。ここにベルヴェデーレ美からは小学生の男の子が描いたような‘窓の並んだファサード’が出品されていた。思わず目に力が入った。
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