美術館に乾杯! オランジュリー美 その二
オランジュリー美に飾られている作品はほとんどがフランスを舞台にして活躍した画家が描いたもの。イタリア人のモディリアーニ(1884~1920)がパリにやって来たのは1906年。どんな彫刻家あるいは画家人生を送ったのかは美術番組でモディがとりあげられるときに流される映画によってイメージができあがっている。
かっこいいイタリア人は多いから、そのイケメンぶりには驚かないが確かにモディは俳優になれるほどのいい男。作品はほとんど人物を描いたものだが、オランジュリーにはとてもいい男性の肖像画がある。えらの張った顔が特徴の‘ポール・ギョーム’はモディの人生を変えたやり手の画商。作品の左下には‘新しい水先案内人’と書かれている。
‘若い奉公人’は結核のため健康状態が悪くなったモディが療養のため恋人のジャンヌと出かけた南フランスで描いたもの。モディには若い女の子や少年を描いたものがあるが、これもその一枚でなぜか惹かれる。
モディの部屋の横に飾ってあるのがマリー・ローランサン(1885~1956)、この女流画家の作品をまとまった形でみれたのはこの美術館を訪問したことの大きな成果。最も長く見ていたのは‘シャネル嬢の肖像’、ココ・シャネル(1883~1971)は当時人気の高かった注目のファッションデザイナー。
実際の顔は肖像とはずいぶん違う。だからシャネルはぶんむくれて描き直しを要求した。これに対してローランサンは怒って、‘私がドレスを注文したら代金を払うわ。シャネルなんて、しょせん田舎娘よ’といって描き直しを拒否したという。薄ピンク色を多く使い柔らかいほわっとした女性画を描いていたが、気性は激しかったようだ。
ローランサンの絵は牝鹿のイメージと結びついている。‘牝鹿’は最初にみた鹿が登場する作品かもしれない。ローランサンは40歳のときロシアの前衛バレエ団リュッスの演目‘牝鹿’の舞台美術を手掛け、その名を知られるようになった。
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