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2017.03.31

セザンヌの‘カード遊びをする男たち’!

Img_0002  バーンズコレクション蔵 1890~92年 134×181.5cm 

Img_0001     メトロポリタン美蔵 1890~92年 65.4×81.9cm

Img_0004     オルセー美蔵 1890~92年 47×56cm

Img_2     中東コレクター蔵 1890~92年 97×130cm

コートールドコレクションが誇る自慢の絵画のひとつであるセザンヌ(1839~1906)の‘カード遊びをする男たち’を紹介したので、残り4つのヴァージョンも並べてみたい。

セザンヌは1890年から1892年にかけて‘カード遊びをする男たち’のシリーズに取り組み5点仕上げた。作品の順番ははっきりしているわけではないが、有力な説としては最初に描かれたのがバーンズコレクションにある3人のプレーヤーと傍で2人がみているもので、次がこの小さめヴァージョンのメトロポリタン美が所蔵するもの。

3番目に描かれたのが農夫2人しかいないオルセー美にあるもの、そしてその後が同じく2人のヴァージョンでコートールド美と中東のコレクターがもっているもの。

キャンバスのサイズを記したが、バーンズコレクションのものが最も大きい。その次に大きいのが中東にある2人プレーヤー、一番小さいのはオルセー蔵でバーンズコレクションの1/3くらい。また、コートールドのものは60×73cmと小さめサイズ。

1994年上野の西洋美にバーンズコレクションがやって来たとき、大きな感動をもたらしてくれた作品のひとつがセザンヌのこの‘カード遊びをする男たち’。画面にはカードに興じている3人の農夫のほかにそれをみているパイプをくわえた男と少女が描き込まれている。セザンヌの人物画がぐっとくるようになったのはこの絵をみたからかもしれない。

5点のうち縁がないのが現在中東のコレクターが所有しているもの。2013年、あるTV番組をみていたら‘高額絵画ベスト3’を話題にしていた。1位がこの‘カード遊びをする男たち’で金額はなんと246億円!、ちなみに2位はピカソの‘夢’ 153億円、3位はポロックの‘No.5 1948’ 138億円。

中東にあるヴァージョンを一度みてみたいが、その可能性はほとんどないだろう。だから、図版で楽しむことが続きそう。

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2017.03.30

美術館に乾杯! コートールド美 その八

Img_0001     アンリ・ルソーの‘税関’(1890年)

Img     ユトリロの‘サンノアの通り’(1912年)

Img_0002    モディリアーニの‘裸婦’(1916年)

Img_0003     ココシュカの‘プロメテウスの物語 ハーデースとペルセポネー’(1950年)

アンリ・ルソー(1844~1910)は49歳から本格的に絵を描きはじめたが、それまではパリ市の税吏をやりながら趣味で日曜画家になっていた。その職場を描いたのがこの‘税関’。ルソーの時代、パリは城門に囲まれており税吏は税の取り立てだけでなく闖入者の見張りもしていた。

40代の半ばに描かれたこの絵は小学生の絵のように人物や木々や門が平板的に描かれ、西洋画ではおなじみの遠近法によってうまれる奥行き感が感じられない。でも、日本画や浮世絵を見慣れているわれわれにとってそれほど違和感がなくすっと画面に入っていける。ピカソにもこういう描写は新鮮だったため、変わったおっさんルソーに親しみを覚えた。

何年か前に立て続けに開かれたユトリロ(1883~1955)の回顧展、ときどき図絵をひっぱりだしてパリの街角を楽しんでいる。‘サンノアの通り’はルソーの画風とは真逆な描き方で遠近法を使った通りの遠くは小さくなるお決まりの風景描写。ふらっとパリへ行きこういう場所をのんびり散策することにあこがれている。

モディリアーニ(1884~1920)の本物の絵をみることから遠ざかっている。昨年訪問したマドリードのティッセンボルネミッサ美でも2015年の末に出かけたフィラデルフィア美やメトロポリタン、MoMAでもどういうわけは一枚の出会わなかった。だから、‘裸婦’のような典型的なモデイ様式をそろそろみたくなっている。

ココシュカ(1886~1980)はここには数点ある。3連祭壇画(トリプティック)の形式で描かれた‘プロメテウスの物語’の左の絵が‘ハーデースとペルセポネー’、あとの2つは‘ヨハネの黙示録’(中)と‘プロメテウス(右)’。人物に白や赤の色を塗りたぐった荒々しい筆触が目に焼きつく。

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2017.03.29

美術館に乾杯! コートールド美 その七

Img_0001_2     ゴーギャンの‘テ・レリオア(夢)’(1897年)

Img_0002_2     ゴーギャンの‘ネヴァーモア’(1897年)

Img_2     ゴッホの‘耳に包帯をした自画像’(1889年)

Img_0003_2     シスレーの‘ルーヴシエンヌの雪’(1874年)

ある画家の画集に載った有名な作品を複数以上美術館が所蔵しているとすると、その美術館はその画家とのつながりで記憶されることになる。ゴーギャン(1848~1903)が思い浮かぶ美術館をざっとあげてみると、オルセー、コートールド、エルミタージュ、プーシキン、メトロポリタン、ワシントンナショナルギャラリー。

コートールドにある傑作は‘テ・レリオア(夢)’と‘ネヴァーモア’、この存在感のあるタヒチの女を描いた作品は1997年日本橋高島屋で開催されたコートールド美展に出品されたし、2010年ロンドンのテートモダンで行われた大ゴーギャン展にも揃って飾られ、その強い磁力によって多くの美術ファンの視線を釘づけにしていた。また、図録の表紙に使われたのは‘ネヴァーモア’。

コートールの2点に加えてエジンバラのスコットランド国立美には有名な‘説教のあとの幻影’と昨年日本にやって来た‘タヒチの3人’がある。イギリスはまさにゴーギャンの宝庫。

ゴッホ(1853~1890)の‘耳に包帯をした自画像’も高島屋にやってきたが、ゴッホのいい絵がオルセーやアムスのゴッホ美、オッテルローのクレラー=ミュラー美以外の美術館から出品されるのは本当に限られた機会なので、この包帯姿のゴッホを息を呑んでみていた。‘この包帯の下は耳がちょん切れているのか!’そんな目でゴッホと向かいあった。

コートールドには印象派は一通り揃っており、シスレー(1839~1899)もある。モネは雪の光景を比較的多く描いたが、シスレーも‘ルーヴシエンヌの雪’を見事にとらえた。シスレーというと‘青い空と白い雲’の画家という思い込みがあるが、こんなしっとりした雪の情景も描いていた。

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2017.03.28

美術館に乾杯! コートールド美 その六

Img     セザンヌの‘カード遊びをする男たち’(1892~95年)

Img_0001     セザンヌの‘石膏のキューピッド像のある静物’(1894年)

Img_0002     セザンヌの‘サント・ヴィクトワール山’(1887年)

Img_0004     セザンヌの‘アヌシー湖’(1896年)

先般、‘スラブ叙事詩’を目玉とするミュシャ展や草間彌生展が行われている国立新美へ出かけたとき、嬉しい展覧会チラシが目に入った。2018年の2月からここで‘至上の印象派展 ビュールレ・コレクション’(2/14~5/7)が開催されるようで、以前やって来たことのあるルノワールの‘イレーヌ嬢の肖像’が掲載されている。

印象派の本によくでてくるチューリッヒにあるビュールレ・コレクション、2014年秋に国立新美は‘チューリヒ美展’を行い多くの美術ファンを楽しませてくれたが、そのときの情報だとチューリヒ美は2017年に新館が完成し、
ビュールレ・コレクション財団との統合も進みことがわかった。

となると、来年やってくるビュールレ・コレクションの作品は統合により生まれた大美術館からの出品ということになる。チラシにはルノワールとモネの睡蓮の2点しか載ってないが、ほかにどんな絵が登場するのだろうか。期待したいのがセザンヌ(1839~1906)の‘赤いチョッキの少年’、これはお宝すぎて無理?果たして。

2015年12月にフィラデルフィア美を再訪した際、2013年に見逃した‘大水浴図’をようやくみることができたので、ひとまずセザンヌは済マークをつけることにした。といっても追っかけをやめるというのではなく、次のターゲットは時間をかけてつぶしていこうという作戦。その狙い目トップ2点が‘赤いチョッキの少年’とモスクワのプーシキン美にあるピエロを描いた‘マルディ・グラ’。

このようにセザンヌのみたい絵はミューズのお陰で大方目に入った。セザンヌとのつきあいのはじまりがオルセーとコートールドの所蔵品。だから、‘カード遊びをする男たち’、‘石膏のキューピッド像のある静物’、‘サント・ヴィクトワール山’、‘アヌシー湖’はどれも目に焼きついている。

2010年にコートールへ来たとき‘カード遊び’をテーマにしたミニセザンヌ展が開かれていた。なんという幸運!5点ある‘カード遊びをする男たち’のうち3点が結集していたので楽しくてたまらなかった。

また、風景画の‘アヌシー湖’は思い入れのある作品。若いころジュネーブに住んでいたが、フランスにあるこの湖はジュネーブからそう遠くないところにあるので一度クルマで出かけた。その記憶はだいぶ薄れているが、この絵をみるとこんな風な景色だったなとかすかに思い出す。

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2017.03.27

美術館に乾杯! コートールド美 その五

Img_0001     ドガの‘舞台の二人の踊り子’(1874年)

Img_0002     ロートレックの‘ボックス席の夕食’(1899年)

Img     スーラの‘化粧する若い女’(1886~90年)

Img_0003     スーラの‘クールブヴォアの朝’(1887年)

バレエの舞台が好きだったドガ(1834~1917)には踊り子をピンポイントで描いたものと本番の前の稽古にのぞんでいる踊り子たちをいろんな姿でみせるものがある。前者の代表作がオルセーにある‘エトワール’とコートールドが所蔵する‘舞台の二人の踊り子’。

‘エトワール’が手を大きくのばした踊り子を上のほうから眺めるような格好でとらえたのに対し、‘舞台の二人の踊り子’は足のつま先立ちとㇵの字をつくる足をみせるバレエらしい姿。本物のバレエの舞台は数回したみたことがないが、目に焼きつくのはなんといってもつま先立ち。だから、好みはコートールドのほう。

ロートレック(1864~1901)の‘ボックス席の夕食’は真っ赤な口紅を塗ったモデルの天真爛漫な微笑みが強く心に残る作品。ロートレックはモンマルトルで働く娼婦たちに可愛がられたからモデルを手配するのに苦労しなかった。この女も‘おちびちゃん、いいわよ、あの旦那も一緒に描くのかい、でもあの人の面が割れるように描いちゃダメよ。今後の商売に影響するからね’とかなんとか軽口をたたきながらポーズをとったにちがいない。

点描画家のスーラを1点でも多くみたいと願っているので、どの美術館にどの絵があるというのはおおよそ頭に入っている。ここは画集に必ず登場する‘化粧する若い女’と‘クールブヴォアの朝’を揃えている。日本には同じ展覧会ではないが、どちらもやって来た。

‘化粧する若い女’でおもしろいのは右手にもっているパフのあたりを中心にして後ろの部屋の壁に渦巻が白く描かれていること。この曲線に呼応するように、女性のスカートにも巻貝のような丸い輪ができている。そのため象徴主義の作品にみられる神秘的な雰囲気が感じられる。

一方、風景画のほうは音が消えたような静謐な世界。人物、木々、工場の煙突、ヨットのマストはみんな真っすぐな垂直線で整然と並んでいる。確かに、何も考えずに川岸に立ち遠くをみると目の前の光景がこういうふうに見えることがある。水平線や垂直線でつくられた構図は絵画の表現に深い意味をもたせるのに大きな役割をはたしていることがこういう絵をみるとよくわかる。

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2017.03.26

新横綱 稀勢の里 奇跡の逆転優勝!

Img   優勝決定戦で照ノ富士を小手投げで下した稀勢の里

Img_0002   新横綱の優勝は22年ぶりの快挙!

小さい頃から大相撲をみているが、今日の新横綱稀勢の里の逆転優勝は長く記憶に残る感動の一番だった。13日に日馬富士との一戦で左肩から腕のあたりを痛めた稀勢の里が昨日強行出場したものの力がでず鶴竜に破れ、誰がみても千秋楽の照ノ富士戦もダメだと思われた。

ところが、相撲はとってみないとわからない。1敗でトップにたつ照ノ富士を稀勢の里は奇襲の立ち会いのあと動き回りなんと突き落としで仕留めた。照ノ富士はどうも左膝がまた痛み出したようでそのため足の運びがスムーズにいかない。だから、稀勢の里の右からのつきにあっさり転がった。これで優勝は決定戦にもちこまれた。

稀勢の里は今場所は一番々冷静に考えてとっていた。無理な体勢で寄り立てず有利な形にしてから勝負をつける相撲を12日まで続けていた。横綱になってプレッシャーから解放され、自分の強さはどういう形になると一番発揮できるかを頭の中で終始考えられるようになったのは大きな進歩。

決定戦の最後の仕切りをみるとどうやって勝つかをイメージしているような顔つきだった。立ち会いで照ノ富士に刺し込まれたが土俵際粘りながら強い右の腕力をいかした渾身の小手投げ、これが決まり奇跡の逆転優勝を呼び込んだ。呆然とする照ノ富士、勝利の女神は2回も稀勢の里に微笑んだ。

連続優勝した稀勢の里はこれからどんどん人気が出てくる。ケガの状態が心配だが、これほどの負傷にも強い精神力で土俵にあがるのだからもう横綱の心をもっている。並みの力士ではこんなことはできない。治療に専念し早く元の体にもどし、さらに強い横綱になってもらいたい。

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2017.03.25

美術館に乾杯! コートールド美 その四

Img    マネの‘フォリー=ベルジェールのバー’(1881~1882年)

Img_0001     ルノワールの‘桟敷席’(1874年)

Img_0003     モネの‘アンティーブ’(1888年)

Img_0002    ピサロの‘ロードシップ・レイン駅、ダリッジ’(1871年)

絵を鑑賞するとき抽象画を除いてキャンバスに何が描かれているかはだいたいわかる。ところが、ときどきその理解が説明書きによって覆されることがある。マネ(1832~1883)が最晩年に描いた‘フォリー=ベルジェールのバー’はそんな絵のひとつ。

視線は中央にどんと描かれた給仕女にまずいく。そのあと後ろでお客と話し込んでいる別の女へと関心が移る。楕円形のようなカウンターがあって後ろのカウンターの向こうには椅子席がありそこに大勢に人が座っいる。これがしばらくみたあとにいだくこの絵の場面。

でも、これが大外れ!給仕の女のすぐ後ろには鏡があってそこに女の後ろ姿が映っているのである。そして、椅子に座っているようにみえる人たちはカウンターのこちら側にいるお客たち。絵の解説にはそう書いてあるが、女と鏡像の位置関係がなんとも不自然。だって、女の前には帽子をかぶった男はいないのだから。

この絵をみてマネの才能はスゴイなと思った。普通の画家はこんなトリッキーな絵は描かない。キュビスムと同じようにここには複数の視点が同居しており、想像をふくらませると見る者は移動すると立体的な画面が回転しているようにみえる。

ルノワール(1841~1919)の‘桟敷席’は大のお気に入りにでMy好きなルノワールのベスト5に入れている。若いころのルノワールはマネのように黒の使い方はとても上手い。コートールドのコレクションのお宝中のお宝がマネの絵とこのルノワール、もう最高!

モネ(1840~1926)の‘アンティーブ’は前景に斜めに傾く木が大きく描かれた大胆な構図から浮世絵の影響をイメージする人が多くいるにちがいない。通常の西洋画の学校では風景画にこんな目障りな木を中心にもってくることは教えない。だから、印象派は伝統的な絵画を打つ破ることから出発している。われわれ日本人は広重のこういう絵に慣れているのですっと入っていけるが、当時は違和感がありすぎ落ち着かない絵だったことだろう。

ピサロ(1830~1903)で一番好きなのが‘ロードシップ・レイン駅、ダリッジ’。手間にある歩道橋からみた列車の光景だが、画面中央、正面向きの列車がこちらに近づいてくるスピード感が量感のある煙の流れる様によって力強く伝わってくる感じがよくでており、臨場感にあふれている。

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2017.03.24

美術館に乾杯! コートールド美 その三

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Img    ゴヤの‘ドン・フランシスコ・デ・サーヴェドラ’(1798年)

Img_0002  ゲインズバラの‘ゲインズバラ夫人マーガレットの肖像’(1778年)

Img_0003     ターナーの‘難破後の夜明け’(1841年)

ロンドンはパリやNY同様、観光で出かけても楽しい大都市だが、美術が好きだとその楽しみは3倍重ね。2010年に訪問したときは観光バスツアーを1日パスして全部で9つも美術館を回った。はじめてでかけたコートールドはナショナルギャラリーからはそう遠くはなく1キロちょっとのところにある。地下鉄利用ならテンプル駅で下車。

日本橋高島屋で公開されたコートールドコレクションには古典絵画や18世紀のころの作品は含まれておらず有名な印象派やゴッホ、ゴーギャンが中心だった。そのため、ゴヤ(1746~1851)の肖像画に出くわすとここがプラドの分館のように錯覚してしまう。

この人物はカルロス4世時代に財務大臣を務めたドン・フランシスコ・デ・サーヴェドラでゴヤを支援していた自由進歩派の法務大臣ホベリャーノスの友人、そのためゴヤは気合を入れて描いたにちがいない。ベラスケスもゴヤも本当に肖像画の名手。こんなにいい作品がさらっと飾ってあるのだからすごい。

ゲインズバラ(1727~1788)の肖像画はナショナルギャラリーではずらっと並びメトロポリタンやワシントンの国立美でもお目にかかるが、正直言って前のめりになってはみていない。だが、コートールドにある夫人のマーガレットを描いたものは素直にいいなと思う。見慣れた全身像ではなく上半身だけが大きく描かれているので、夫人の品の良さがそのまま伝わって来る。ゲインズバラは身内だから脚色せず素のままを描いたのかもしれない。

ターナー(1775~1851)の‘難破後の夜明け’は‘吠える犬’とも呼ばれている。犬が登場する作品はよく目にするが空にむかって吠えている姿はみたことがない。船が難破したあとの情景を思うとこの場に居合わせたら犬の泣き声が耳にズキン々と入ってくることだろう。

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2017.03.23

美術館に乾杯! コートールド美 その二

Img_0002    クラーナハの‘アダムとイヴ’(1526年)

Img_0003     ブリューゲルの‘エジプトへの逃避途上の風景’(1563年)

Img     ルーベンスの‘月明りの風景’(1635~1640年)

Img_0001     ルーベンスの‘ヤン・ブリューゲルの家族’(1613年)

先週の土曜日(25日)から六本木の森アーツセンターギャラリーではじまった‘大エルミタージュ美展’(~6/18)へ出かけるかどうかで今迷っている。未見の作品がひとつ気になるが、チラシに載っているものの半分はすでにみている。1枚の絵のために足を運ぶべきか、まだふんぎれない。

そのみたくなる絵はクラーナハ(1472~1553)の‘林檎の下の聖母子’、昨年西洋美で回顧展があり以前とくらべクラーナハの魅力の感じ方が変わってきたせいで、この聖母のモデルが気になってしょうがない。しばらく心は揺れ動きそう。

コートールドコレクションにもクラーナハの‘アダムとイヴ’がある。楽園には蛇もいればライオンも鹿もいるが、野生の動物園のように描くのは主流派とは異なるスタイル。たくさんの動物や鳥たちに囲まれたアダムは林檎を食べることがNGであるという意識が薄れてしまう。もっと自然に生きたい。

こうなると食べるのはもう止められない。高価なキャビアならブレーキがかかるが、林檎を食べるという小さな欲望を抑えるのは誰だって無理。それが原罪になるのだからキリスト教は息苦しい。

ここには嬉しいことにブリューゲル(1525~1569)が2点もある、‘エジプトへの逃避途上の風景’と灰色のグリザイユで描かれた‘キリストと姦淫の女’、ともに小さな絵だがブリューゲルと会っていると思うとじっとみてしまう。

バロックの巨匠、ルーベンス(1577~1640)が晩年ブリューゲルの風景画の影響を受け、とても心を打つ山々の情景や農民たちの生活を描いている。‘月明りの風景’はお気に入りの一枚。とくに魅了されるのが点々と輝く星々、西洋画で星の絵はほとんどお目にかからないが、今国立新美に飾れているミュシャの‘スラブ叙事詩’でではの最初に描かれた‘原故郷のスラブ民族’に美しい星々がでてくる。コートールドでも思い出が蘇った。

ルーベンスは花の画家と呼ばれたぶブリューゲルの息子ヤン(1568~1625)とうまがあったようで、二人は共作している。だから、ヤンの家族を描いたこの肖像画もとてもいい感じ。ブリューゲル親子とコラボしたルーベンスのことを知れば知るほど、ルーベンスが描いた風景画を追っかけたくなる。

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2017.03.22

美術館に乾杯! コートールド美 その一

Img    コートールド美の外観

Img_0001    ボッティチェッリの‘コンヴェルテイーテ祭壇画’(1494年)

Img_0002     マセイスの‘聖母子と天使たち’(1509年)

Img_0003     パルミジャニーノの‘聖母子’(1528年)

日本では印象派やポスト印象派の展覧会が頻繁に開かれるから、まめに足を運べば海外にある質の高い印象派コレクションを相当数見ることができる。そのなかで忘れられないのが2つある。フィラデルフィアのバーンズコレクション(1994年 西洋美)とロンドンのコートールドコレクション(1997年 日本橋高島屋)。

ともにここにもあそこにも名画があるという感じだった。マネ、ルノワール、ゴッホ、ゴーギャンらの有名な絵がごそっとやって来たコートールド美の展覧会はどういうわけか日本橋高島屋で数年間のうちに2回も開催された。だから、ロンドンにもう行く必要なしかと思われた。そんなこともあり、2010年にようやくコートールド美の訪問が実現した。

この美術館はいわゆる邸宅美術館で展示の部屋数が多くない。でも、飾られている作品は一級品ぞろい。数は少ないが古典絵画もある。最も魅せられるのはボッティチェッリ(1445~1510)の‘コンヴェルティーテ祭壇画’、誰もが目が点になりそうなのが左にいるマグダラのマリアの姿。

髪の毛が伸びて伸びてなんと体全体を覆っている。この髪ファッション、意外にいける。コンヴェルティーテは‘悔悛せし者たち’という意味、娼婦だったマグダラのマリアは悔悛し髪がこれほど長くなるまで修行を重ねたのだからエライ!

マグダラのマリアの足元をみるとまたハットする。小人のように描かれたトビアスと大天使ラファエル、絵画作品をたくさんみてきたが、こういうガリバーと小人たちの場面に遭遇したのはこの絵とプラハ国立美でみたアンリ・ルソーの‘私自身 肖像=風景’のみ。

髪つながりでいうとマセイス(1466~1530)の‘聖母子と天使たち’の聖母マリアの髪もかなり長い。この絵で癒されるのは後ろでリュートを奏でる子どもとイエスにむかってカーネーションを差し出している天使。このまま大人をやっていけそうなつるっとした表情がなんともいい。

パルミジャニーノ(1503~1540)が描くマニエリスム調の聖母子は一風変わっている。聖母は正面向きではなく膝を立てて横向き、背景に古典的な建物をおくところも変わっている。この舞台づくりがイエスの死についていろいろなことを想像させる。

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2017.03.21

モーツァルトの♪♪‘フルートとハープのための協奏曲’!

Img_0001    ウォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756~1791)

昨年の12月からYou Tubuでクラシックの名曲を聴いている時間が多くなった。聴いているのはもっぱら30分以内で終了する協奏曲やソロ曲。前回はバイオリン協奏曲の話をしたが、チャイコフスキーとブルッフの2曲とともに楽しんでいるのがモーツァルトの♪♪‘フルートとハープのための協奏曲’。

モーツァルト(1756~1791)が22歳のとき作曲したこの協奏曲はパリに滞在中、外交官の公爵から依頼されたもの。クラシックにはいろんなタイプの音楽があるが、このフルートとハープのテンポのいい響き合いは‘元気のでるクラシック’の典型ともいえるもの。はじめて聴いて200%心を奪われて以来、魅了され続けている。

もし南海の孤島に住むことになり持っていけるクラシックのCDが10枚だとすると、どの曲にするか。モーツァルトはこの‘フルートとハープのための協奏曲’と‘交響曲第41番ジュピター’がすぐ決まる。それほどフルートとハープの美しい音色はわが人生を支えてくれている。

クラシックの通ではないのでよく知らないが日本の演奏者でフルートとハープの名手が誰だろう?世界中をみわたしてフルートの第一人者はフランスのエマニュエル・パユが今も君臨している!?そしてハープの現役の名演奏家は?

生の演奏を聴く機会が今はほとんどないが、フルートとハープの掛け合いは一度聴いてみたい。そのためクラシックの情報を少しずつ集めることにした。

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2017.03.20

美女に救われた‘シャセリオー展’!

Img     ‘カバリュス嬢の肖像’(1848年 カンベール美)

Img_0001  ‘泉のそばで眠るニンフ’(1850年 フランス国立造形芸術センター)

Img_0002     ‘アポロンとダフネ’(1848年 ルーヴル美)

Img_0003     シャヴァンヌの‘海辺の娘たち’(1879年 オルセー美)

美術館めぐりの最後に入館したのは西洋美、現在ここで‘シャセリオー展’(2/28~5/28)が開かれている。シャセリオー(1819~1856)の作品をどこの美術館でみたか、すぐいえるのはルーヴルとオルセーしかない。ほかの美術館でこの画家をみたという記憶はない。だから、2つの美術館でみたオリエンタリスム的な匂いのする女性の肖像を描いた画家というのがシャセリオーのイメージ。

とくべつ前のめりになる画家ではないが、チラシに大きく載っている‘カバリュス嬢の肖像’がどうも気になるのでパスというわけにはいかない。はたして、この美形の女性の絵が群を抜いてよかった。のぼせるような目で彼女をみていたら、もし今人気のモデルの奈々緒ちゃんにこういう衣装を着せたら瓜二つの感じになるかもしれないと思った。

いつものように男性の肖像への食いつきは悪く、どんどん進んでいたら、もう一点ぐっとくるのが現れた。‘泉のそばで眠るニンフ’、これはもうけものの作品。これで2点は確保した。でもじつをいうとこれでおわりだった.。印象に残る作品が少なく、期待していたルーヴル、オルセーの作品は1点もでてこなかった。だから、評価はよくないのだが、この2点に大変魅せられたので大甘で‘まあーいいか’とした。


期待していたルーヴルの作品はなんといっても‘エステルの化粧’と‘2人の姉妹’、チラシには載ってないが回顧展なのだから館内では会えるだろう、とふんでいた。ところが、かすりもしない。やって来たのは感じるものが少ない神話画の‘アポロンとダフネ’。でも、またいうが2点いい女性画に出会ったから他は忘れようと心を鎮める。

この展覧会ではシャセリオー以外にも、ドラクロア、モロー、シャヴァンヌがでている。そのなかでシャヴァンヌ(1824~1898)の‘海辺の娘たち’の前に長くいた。これに加えてルーヴルから件の2点のうちどちらかでもあったら評価はぐんと上がったのに。残念!とびっきりの美女、カバリュス嬢に救われた回顧展だった。

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2017.03.19

期待の‘カッサンドル・ポスター展’!

Img_0002     ‘エトワール・デュ・ノール’(1927年)

Img_0003     ‘ラントランジジャン’(1925年)

Img     ‘ノルマンディー’(1935年)

Img_0004     ‘デュボ・デュボン・デュボネ’(1932年)

国立新美の‘ミュシャ展’へ出かけるとミュシャがつくった人気絶大のポスターがたくさんみれるが、もしポスターに興味がある人はJR京浜東北線の北浦和駅から歩いてすぐの所にある埼玉県近美へも足をのばすと楽しいことがあるかもしれない。

ここではパリで活躍したグラフィックデザイナー、カッサンドル(1901~1968)の刺激的なポスターがずらっと並んでいる。この‘カッサンドル・ポスター展’の会期は残り少なく来週の26日(日)まで。カッサンドルを知ったのは2010年に放送された‘パリのポスター’に焦点をあてた日曜美術館。このときでてきた‘エトワール・デュ・ノール’に200%KOされた。

これはフランスの鉄道会社が運営するパリとアムステルダムをを結ぶ寝台列車‘北極星号’のためにつくられたポスター。でも、通常の旅行のポスターとちがい、描かれているのは列車ではなく、レールだけ。その軌道を6本の直線と曲線を組み合わして表現し、高い位置の地平線の消失点までのばしている。この斬新な発想に大きな衝撃を受けた。

これまでみたカッサンドルのポスターは数点しかないので、展示されたものがどれも刺激的でいちいち足がとまる。そして、‘こりゃ、天才だわ’と思う。ドキッとしたのが夕刊紙のポスター‘ラントランジジャン’、会社からテーマは‘情報’と言われたカッサンドルはこのテーマがすぐイメージできるよう耳に直線が何本も集まるデザインを思いついた。そして‘ラントランジジャン’の文字が一部切れているのもポイント、これで情報の命であるスピード感をだしている。

圧倒的な存在感を放つのが豪華客船の‘ノルマンディー号’、真正面の姿を下から仰ぎ見るとこの客船は船に乗り込むのにどれだけ時間がかかるのかと思ってしまうほど巨大に見えてくる。船底にほうには白いカモメが飛んでおり、旅のロマンをいやがおうにも掻き立てる。

今回大きな収穫だったのが食前酒‘デュボネ’のポスター、3つが連動し、男性の酔い心地にあわせて左から文字がだんだん染まっていく。これがおもしろい。最初が‘美しい’、次が‘おいしい’、そして‘デュボネ’。じつに上手くできたポスター。

子どものころTVにトリスウイスキーのおもしろいCMがよく流れていた。男の顔がだんだん赤くなっていくものだが、このアイデアは食前酒のポスターをまねたものにちがいない。この作品もカッサンドルがつくったというのも驚き、硬いものもユーモラスなキャラクターも生みだせるのだからカッサンドルはグラフィックを自在にものにできるほどの豊かな才能をもちあわせている。

ずっと気になっていたデザイナーの代表作がいくつもみれて満ち足りた気分、ミューズに感謝!

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2017.03.18

大盛況の‘草間彌生展’!

Img_0003_2     ‘わが永遠の魂 しのびがたい愛の行方’(2014年)

Img_0001_2     ‘私に愛を与えて’(2015年)

Img_0002_2     ‘真夜中に咲く花’

Img_2     ‘かぼちゃ’(1999年 松本市美)

現在、国立新美は大賑わい。1階で‘草間彌生展’(2/22~5/22)を開催し、2階ではミュシャの話題の‘スラブ叙事詩’(3/8~6/5)を堂々展示しているからである。平日なのにチケット売り場には長い列ができている。だから、もしチケットがまだの人は前もってコンビニなどで購入しておくことをお勧めしたい。

また、草間彌生展では想定外の混雑があった。ミュージアムショップで図録などを買おうと思ってもレジのキャパが足りないため60分も並ぶことになる。時間がないので今回は絵葉書も図録のなしにした。土日は展覧会関連グッズを買うのは大変なことになりそう。これから観客はどんどん増えていくから美術館はこのレジ問題の対策を真剣に考えないと大クレームになるのはまちがいない。

今年88歳になる草間彌生(1929~)の回顧展をみるのは今度が3回目、前回は2012年の春埼玉県近美でクサマワールドを存分に楽しんだ。今回のメインの作品は2009年から描き続けている‘わが永遠の魂’、2012年をパートⅠするとパートⅡで目のなかに入ったのが全部で130点ほど。

これまで500点も仕上げたというのだからクサマの作品に注ぎ込むエネルギーは次から次と湧いてくる感じ。こんな超人的な現代アーティストがかつていただろうか、本当にスゴイ!

ここの部屋では写真撮影OK、みんな赤や黄色や青など朝やかな色彩で描かれた丸や点、そして人間の顔やミトコンドリアを連想させる生き物などを思い々にパチパチやっていた。そして、花の作り物‘真夜中に咲く花’を背景に記念撮影。これは楽しい。若い人が多いのは予想通りだが、外国人もニコニコしながらみている。まさに世界のクサマの証。

クサマ作品のなかで欠かせないのが‘かぼちゃ’、水玉模様のかぼちゃはいろんなヴァージョンがある。シルバーメタリックを施したかぼちゃの前でも思わず足がとまった。嬉しい展示だったのが入ってすぐ目にとびこんでくる‘クサマヤヨイの富士山’(2014年)。本物と対面して言うことなし。

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2017.03.17

アール・ヌーヴォーの煌めき ミュシャ様式!

Img_0002     ‘黄道十二宮’(1896年 堺市)       

Img     ‘ラ・ナチュール’(1899~1900年 堺市)

Img_0001     ‘クオ・ヴァディス’(1904年 堺市)

Img_0003     ‘ヒヤシンス姫’(1911年 堺市)

画家でも陶芸家でもつきあいがぐっと深まるのは回顧展に遭遇したとき。ミュシャの回顧展は幸運にもこれまで2005年(東京都美)と2010年(三鷹市美術ギャラリー)にみることができた。そのため、今回‘スラブ叙事詩’のあとの展示コーナーではお馴染みのアールヌーヴォー調のミュシャ様式を楽しむことになった。

どうしても足がとまるのが‘黄道十二宮’、心をウキウキさせる女性の整った顔立ちはCMによくでてくる佐々木希ちゃんをつい連想してしまう。おもしろい形をしているのが顔の前後にのびる金髪、まじめにみると乱れすぎているようにも感じるがすぐに美女がもっている魔力がそれをかき消す。

2010年にみた彫刻‘ラ・ナチュール’もじっとみてしまう。頭部の装飾は‘黄道十二宮’の模様が造形されている。図録にはこの彫刻の横に蛇のブレスレットと指輪が載っているが、どうも見逃したらしい。でも、前回じっくりみたのでご愛敬。

収穫は前回展示がされなかった‘クオ・ヴァディス’。こんな鑑賞欲をそそる絵が1980年にシカゴで発見されるまで行方不明だったとは。堺市蔵のコレクションではこの絵とミュシャが‘スラブ叙事詩’を描く前に仕上げた‘ハーモニー’がリカバリーできたのはついていた。おかげで堺市まで出かけることがなくなった。

ミュシャがチェコに帰国して1年後に手がけた‘ヒヤシンス姫’も忘れられない一枚。花が好きな人はすぐ反応することだろう。頭部には赤いヒヤシンスの花を飾り、手に持っている輪の装飾にもヒヤシンスの模様が使われている。

‘スラブ叙事詩’ との関連でいうと、この姫のモデルは‘東ローマ皇帝として戴冠するセルビア皇帝ステファン・ドゥシャン’の最前列に描かれている女性とよく似ている。

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2017.03.16

圧巻!ミュシャの‘スラブ叙事詩’

Img    ‘スラブ叙事詩 原故郷のスラブ民族’(1912年)

Img_0001  ‘東ローマ帝国として戴冠するセルビア皇帝ステファン・ドウシャン’(1923年)

Img_0003     ‘スラブ式典礼の導入’(1912年)

Img_0002   ‘スラブ菩提樹の下でおこなわれるオムラジナ会の誓い’(1926年)

国立新美ではじまった‘ミュシャ展’(3/8~6/5)をみてきた。お目当てはミュシャ(1860~1939)がチェコに帰ってから17年もかけて完成させた連作‘スラブ叙事詩’、この大きな絵が20点全部日本にやって来るなんて夢のような話。そんな奇跡みたいなことがおこるのだから日本は美術大国。

古代から現代に至るまでのスラブ民族の苦難の歴史を描いた壮大なシリーズ20点は絵のサイズでいうと3つくらいに分かれ、最も大きいのは最初の‘原故郷のスラブ民族’やこの向かい側に飾ってある‘スラブ式典礼の導入’、最後のほうにでてくる‘スラブ菩提樹の下でおこなわれるオムラジナの誓い’などの
縦6.1m、横8.1m、全部で7点ある。これだけ大きいと本当に見ごたえがある。

国立新美の広い展示スペースを3つに区切って展示されているが、最後のコーナー(5点)は撮影が可能になっている。これは粋なはからい。拍手々! 昨日は平日なのに大勢の人であふれかえっており、そのなかには中学生がたくさんいた。美術の鑑賞体験がミュシャの‘スラブ叙事詩’なんて幸せすぎる。

iフォンで撮影する人、大きな絵の前で描かれている場面の印象をノートに書き込む中学生たち、圧倒的な絵の力を見せつけられ、言葉を失い1点々画面の隅から隅までながめている光景をみてミケランジェロの天井画‘天地創造や大壁画‘最後の審判’が飾られているローマのシスティーナ礼拝堂のなかにいるような気がしてきた。

ひととおりみて作画の特徴みたいなものがひとつみえてきた。何人も登場する人物のうちで手前に描かれている男女に注目、じっとこちらをみる目力の強い人物(たいてい女性)が一人ないし二人いる。このとても気になる女性がどの絵にもでてくるかチェックしたら、15点でそう描かれていた。

印象に残った表現では‘原故郷のスラブ民族’にみられる夜空の星々、そしてミケランジェロの‘最後の審判’に描かれた人物を連想させる2人のスラブ人の祖先。‘スラブ式典礼の導入’で左にいる輪を右手にもっている人物が女性ではなくて若い男だったのも本物の威力。

明るい光に満ちた黄色の画面が心を打ったのが‘東ローマ帝国として戴冠するセルビア皇帝ステファン・ドゥシャン’と‘スラブ菩提樹の下でおこなわれるオムラジナ会の誓い’、そして最後の‘スラブ民族の賛歌’。17番目の‘聖アトス山’はベルギー象徴派のクノップフの神秘的な絵が頭をよぎった。

プラハ国立美で‘スラーヴィア’に遭遇し、今回あの‘スラブ叙事詩’をみることができた。ミュシャに乾杯!

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2017.03.14

スメタナの ♪♪交響詩‘モルダウ’!

Img_0003     スメタナ(1824~1884)

Img_0002 プラハの街を流れるモルダウ川 手前から二本目がカレル橋 左側が旧市街

Img     手前の旧市街からみたカレル橋、橋を渡り丘を登るとプラハ城

Img_0001     チェコの南から北へと流れプラハに流れ込むモルダウ川

‘チェコ国民音楽の父’といわれたスメタナ(1824~1884)が作曲した♪♪交響詩‘わが祖国 モルダウ’(1874年)は日頃よく口ずさむクラシック音楽のひとつだが、じっさいにプラハに来てモルダウ川の流れをみるとこの曲のすばらしさをいっそう実感する。絵画好きにはミュシャが楽しめ、そして音楽好きにはスメタナがやさしく心をつつんでくれるプラハ、つくづくこの街を旅してよかったなと思う。

クラシックを頻繁に聴いていた頃、毎年5月12日からプラハで開催される‘プラハの春音楽祭’をNHKがBSで放送してくれ2回くらいビデオ収録したことがある。お楽しみはやはり6曲からなる交響詩‘わが祖国’、その1曲としてスメタナが作曲したのが‘モルダウ’。曲名はチェコに豊饒な大地をもたらす母なる川、モルダウ(ヴルタヴァ)川に由来している。

この曲がつくられたのは1874年、オーストリア=ハンガリー帝国の統治下ににあったチェコに民族独立の気運が吹き荒れた時代、この聴く者の心を揺り動かす美しいメロディにはチェコの民衆が願った祖国独立への熱い思いが込められている。

モルダウ川はチェコの南から北へ流れて首都プラハに流れ込む。冒頭のフルートのころころするような音色はモルダウの源流を表しており、一滴々の水滴が集まってひとつの流れをなしていく。スメタナはこの曲について、‘最初に2つの源流が現れる。これらの支流はやがて合流して広大な牧草地と森を通り抜ける’と言っている。

プラハ国立美をとりあげたのでこのところ‘モルダウ’を聴くことが多く、音楽にも大きな力があることをかみしめている。

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2017.03.13

美術館に乾杯! プラハ国立美 その十一

Img     クリムトの‘乙女たち’(1912~13年)

Img_0002    クリムトの‘アッター湖畔のカンマー城Ⅰ’(1908年)

Img_0001     クリムトの‘農家の庭’(1905~06年)

Img_0004     シーレの‘左脚を高くあげて座る女性’(1917年)

クリムト(1862~1918)は多くのファンがいる画家のひとり。だから、国内外で定期的に回顧展が開かれてきた。クリムトはカラヴァッジョやモネ、ゴッホ同様一生付き合っていこうと思っているので、作品が日本にやって来たときは欠かさず足を運んでいる。

最近では(といっても4年前だが)、2013年の春に宇都宮で開催されたクリムト展をJR(普通)で遠征し、しっかり新規の作品と対面した。こうして1点々積み上げているがクリムトのコンプリートのゴールはまだまだ先。これまで画集に載っているものでお目にかかったのは6割くらい。

プラハ美へ出かけたとき事前の作品チェックにはクリムトの‘乙女たち’は当然入っておりアンリ・ルソーとともに一番の楽しみにしていた。ところが、展示室を一通りぐるっと回ったのになぜか‘乙女たち’が姿をみせてくれない。これは大きな誤算。残念でならず、その思いをずっと引きずっている。

今だに原因がわからないのだが、はじめての美術館のため展示室を見逃したのかもしれない。あるいは、クリムトは別の建物に飾られているということも考えられる。じつは近現代美術は数カ所に分散して展示されており、り、シーレ(1890~1918)の‘左脚を高くあげて座る女性’など3点は街の中心となっている旧市庁舎広場の一角にあるキンスキ―宮殿で展示されている。そうすると、クリムトもここに一緒に飾られている可能性が高い。

ここにあげた4点は本当にみたくてしょうがないが2度目のプラハ旅行はなさそうだから、今は日本でプラハ美名品展が行われることをちょっぴり期待している。

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2017.03.12

美術館に乾杯! プラハ国立美 その十

Img_0003     クプカの‘黒い偶像’(1900~03年)

Img     クプカの‘ピアノの鍵盤ー湖’(1909年)

Img_0004    クプカの‘アモルファ、2色のフーガ’(1912年)

Img_0001     クプカの‘おしべとめしべの物語’(1920年)

西洋絵画でも日本画でも特定の分野の作品に限定しないでいろんなタイプの絵画をみるように心がけている。普段接するものの大半は具象画だが、抽象的な画風に感動することも数は少ないがある。例えば、カンディンスキーの美しい抽象画をみると心が跳びはねる感じになる。

東ボヘミアに生まれたクプカ(1871~1957)が描く抽象画にも大変魅了されている。この画家に強い関心を抱くようになったのは名古屋で仕事をしていた1994年に愛知県美で開催された‘クプカ展’に遭遇したから。これでクプカに開眼し、さらに縁が深まってのが2003年のプラ国立美の訪問。

ここにはクプカを展示する部屋が3,4室あり、初期の神秘主義に影響を受けた象徴主義的な作品や40歳以降にとりくんだ抽象画の傑作が数多く並んでいた。回顧展にはここのコレクションから多く出品されていたので嬉しい再会となったが、その感激にひたる暇がないほどいい作品が次から次と現れた。本場に来た甲斐があった。

杉山寧のエジプトの絵のような印象を受けるのが‘黒い偶像’、またじっとみていると香月康男のシベリア抑留時代を描いた作品ともイメージがダブル。クプカはこうしたちょっと重たい作品のほかにおもしろい猿の絵や裸婦が馬に乗って浜辺ではしゃぐという陽気な絵もある。

絵の中にぐっと惹きこまれるのはやはり抽象絵画、具象から抽象へ移行する過程の作品が‘ピアノの鍵盤―湖’、画面には鍵盤を思わせるものが描き込まれなんだか音楽が流れてくるよう。

‘アモルファ、2色のフーガ’は抽象画へ本格的に移行した最初の作品でパリで大きな話題になった。2mの大作でテーマは音楽と絵画のコラボ、これをシンプルな円やリボンの重なりにより青、赤などの少ない色で明快に表現している。

‘おしべとめしべの物語’は生命の力強い息吹が壮大な宇宙の揺らぎとまさに共振しているよう。今、ビッグバンで生まれた宇宙創成の物語にのめりこんでいるのでこういう作品はいつまでもみていられる。

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2017.03.11

美術館に乾杯! プラハ国立美 その九

Img_0003   ミュシャの生地 モラヴィア地方イヴァンチッツェ

Img       ミュシャの‘スラーヴィア’(1908年)

Img_0002      ミュシャの‘チェコの心’(1917年)

Img_0001     ミュシャの‘サマリアの女’(1920年)

Img_0004     ‘聖ヴィート大聖堂のステンドグラスの窓’(1931年)

チェコの国民に親しまれているミュシャ(1860~1939)の絵がみられるのはプラハ城のなかにある聖ヴィート大聖堂のステンドグラス、プラハ国立美分館(ヴェルトレズニ宮殿)、プラハ市美、そして1998年に開館したミュシャ・ミュージアム。

プラハの街を自由散策するとき、参加者のなかにはミュシャ・ミュージアムへ行きポスターを数枚買っていた女性がいた。ミュシャが好きな友人にあげるのだという。われわれが出かけたプラハ美の分館には有名な‘ジスモンダ’などのポスターも飾ってあったが、息を呑みようなすばらしい油彩に出会った。それはミュシャが1910年チェコに帰国したときに携えてきた‘スラーヴィア’

スラーヴィアは古くからスラブ民族が信仰してきた美の女神。髪に飾っているのはチェコの国の花である菩提樹の冠、そして手にはスラブ民族の連帯を表す輪をもっている。右下のギョッとするダーク色の鷲はオーストリアハプスブルク家の象徴、スラブ民族が団結して外国の支配から立ち上がるというメッセージをこめている。

この絵はアンリ・ルソーの‘私自身、肖像=風景’同様、西洋絵画が好きな人とお酒を飲み話が盛り上がるとつい調子にのってみたことを自慢し‘どや顔’になる絵。本当に一生の思い出である。ほかには日本にやって来た‘チェコの心’や‘サマリアの女’も心を打たれる。

国立新美で8日からはじまった‘ミュシャ展’は来週出かけることにしている。お目当ての‘スラブ叙事詩’全20作品は2012年の5月から2013年の12月までプラハ美で展示されたが、それと同じことが日本で実現した。まったく夢のような話。ワクワクしている。

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2017.03.10

美術館に乾杯! プラハ国立美 その八

Img     ムンクの‘水辺の踊り’(1900年)

Img_0001     ユトリロの‘郊外の通り’(1916年)

Img_0002     ヤン・プライスラーの‘黒い湖’(1905年)

Img_0003     ロダンの‘青銅時代’(1876年)

来年あたりには北欧旅行ができそうな感じになってきた。楽しみにしているのはノルウエーのフィヨルドとムンク(1863~1944)の‘叫び’(オスロ国立美蔵)、小さい頃から知っているこのムンクの代表作をなんとしてもこの目でという思いが強かったが、ようやく実行計画がつくれそう。

プラハにもムンクらしい作品があった。踊りをテーマにした絵は‘生命のダンス’を思いがけずフィレンツェのピッテイ宮殿でみることができたが、ここにあるのは‘水辺の踊り’、水面にお馴染みの月光の柱が映る湖のほとりでは二人の女性が踊りを楽しんでいる。ファンタジックで静かに揺れる画面に魅了される。

7、8年前、ユトリロ(1883~1955)の回顧展に遭遇しパリの街並みを遊んだ。‘郊外の通り’は日曜画家が好んでつくりそうな構図。遠近法のいいところは描かれた場所にすぐ誘われるから。こういう気持ちのいい風景をみると右の夫人の後をついて歩いてみたくなる。

チェコの象徴派画家のヤン・プライスラーが描いた‘黒い湖’はウイーンン世紀末風の作品、黒い水をたたえた湖を背にして裸の青年と白馬が立つという幻想的な場面、絵の世界は広い、ユニークな表現をする画家がたくさんいる。

ここの展示でありがたいのは絵画とともに彫刻が楽しめること。有名な彫刻家の作品がずらっと飾られている。バリー、カルポー、ロダン(1840~1917)、ブールデル、またドガやドーミエの彫刻もある。ロダンの‘青銅時代’やブールデルの‘ベートーベンの頭部’や‘弓をひくヘラクレス’の前に長くいた。

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2017.03.09

美術館に乾杯! プラハ国立美 その七

Img     シャガールの‘サーカス(女馬乗り師)’(1927年)

Img_0003    レジェの‘恋人たち’(1952年)

Img_0001     ドランの‘座る女’(1920年)

Img_0002    ヴァン・ドンゲンの‘裸婦’(1905年)

数多くいる画家に対する人々の関心の度合いは世の中の動きとおおいに関連がある。美術館が観客数を意識して回顧展やテーマ展を頻繁に開催するルネサンスや印象派は画家への思い入れはどんどん強められていく。その一方で、いくらビッグネームでも開かれる回顧展の間隔が空いてくると印象がややもすると薄れてくる。

今そんな思いでみている大物がシャガール(1887~1985)、6,7年くらい前まではシャガールの油彩や版画がよく展示された。そのため、手持ちの図録が多い画家だった。ところが、最近は昨年のポンピドーセンター名品展でお目にかかったくらいでまとめてみる機会が本当に少ない。今はアンリ・ルソーの人気が上回っている感じ。

プラハには画集に載っている有名な作品がある。‘サーカス(女馬乗り師)’は画商のヴォラールの依頼で描かれたもので、40歳のシャガールは何度もサーカス小屋に通っている。サーカスにすっかり魅せられ主要テーマのひとつになり、そこには空中を飛んだり逆さになったりする人物や動物が定番のように登場してくる。

レジェ(1881~1955)はポンピドーやMoMAへ行くと輪郭のはっきりした彫刻のように描かれた男女の幸せそうな光景にでくわすが、そんな機会がなければレジェにはほとんど縁がない。一度回顧展を遭遇したが、それはずいぶん前のこと。晩年の作品‘恋人たち’をみると大きなレジェ展を期待したくなる。果たして?

野獣派のドラン(1880~1954)はパリのオランジュリー美にある作品をすぐ思い出す。広島にいるときこの美術館の名品展があり、道化師や帽子をかぶった夫人像をえがいたとてもいい絵がやって来た。これと同じくらい心に刻まれているのがプラハ美の‘座る女’、このリアルな存在感に言葉を失ってみていた。

オランダ人のキース・ヴァン・ドンゲン(1877~1968)はお気に入りのフォービスム画家、マティスのように緑の線を大胆に使った‘裸婦’から放たれた強い磁力に体がぐいぐい引き込まれた。

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2017.03.08

美術館に乾杯! プラハ国立美 その六

Img     ピカソの‘自画像’(1907年)

Img_0001     ピカソの‘立つ女’(1921年)

Img_0002     ブラックの‘ギターのある静物’(1921年)

Img_0003     ミロの‘コンポジション’(1933年)

ピカソ(1881~1973)としっかり向き合った美術館といったとき、すぐ思い浮かべるのは‘アヴィニョンの娘たち’のあるNYのMoMAと‘ゲルニカ’が飾られているマドリードのソフィア王妃センター、そしてバルセロナとパリにあるピカソ美も青の時代やキュビスムの時代の傑作の数々が目に焼きついている。

ほかにも、ポンピドーセンターとかグッゲンハイムでもピカソらしい作品と遭遇しているが、もうひとつ忘れてならない美術館がある。それがプラハ美、ここには絵画における形の革命を起こしたピカソとブラック(1882~1863)をかなりの数揃えている。

ピカソの‘自画像’は‘アヴィニョンの娘たち’と同じ年に描かれた。自分の顔を大きく表現しているのでさすがにアヴィニョンの娘のように鼻をマントヒヒのようにひん曲げてはいないが、目を大きくするところは女たちと同じ。

パリのピカソ美に新古典派時代の作品がたくさん飾ってあるが、彫刻的な滑らかさがありふくよかで量感を感じさせる‘立つ女’にも大変魅了された。プラハでこんないいピカソと出会えるとは思ってもいなかった。これだから美術館めぐりはやめられない。

一緒に展示してあるブラックのお馴染みのキュビスム絵画にもいいのがあった。足がとまったのは‘ギターのある静物’、ギターはブラックの定番モチーフだからつい見入ってしまう。

シュルレアリスムはダリやマグリッドなくミロ(1893~1983)だけ。でも、ミロらしい‘コンポジション’にお目にかかれたのは幸運だった。ミロ好きだから、こういう色と形のおもちゃが跳びはねているような作品はぐっと吸い込まれる。

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2017.03.07

美術館に乾杯! プラハ国立美 その五

Img_0001    アンリ・ルソーの‘私自身 肖像=風景’(1890年)

Img_0002     セザンヌの‘ジョワシャン・ギャスケの肖像’(1896年)

Img_0003   セザンヌの‘ジャズ・ド・ブーファンの邸宅と農家’(1887年)

Img     スーラの‘オンフルール港の船’(1886年)

プラハ美にあった作品で最大の収穫は古典絵画ではデューラーの‘ロザリオの祝祭’、そして近現代絵画でいうとやはりアンリ・ルソー(1844~1910)の‘私自身 肖像=風景’が忘れられない。

描かれた作品をコンプリートしたい画家はカラヴァッジョなど何人もいるが、ルソーもその一人。この自画像をみたのが追っかけのはじまりになったような気がする。ルソーの画集には必ず載っている絵をなかなか行けないプラハでみたのは小さな自慢であり、まだ見ぬ名画へ心を駆り立てる源にもなっている。

この絵が描かれたのはエッフェル塔が完成した1年後。背景に停泊する船のマストに各国の国旗がたなびくのは1889年にパリで開かれた万国博覧会を意識しているから。右の青空には気球が飛んでいる。この絵が印象深いのはガリバーみたいに大きな画家ルソーが黒の衣服を着ていることも一つの理由。

セザンヌ(1839~1906)の肖像画もよく記憶に残っている。ぱっとみるとこの男性モデルは50代以上にみえるが、じつは23歳の若者。ジョワシャン・ギャスケは詩人でセザンヌの友人の息子、セザンヌの絵を賞賛していた。セザンヌは気をよくしこの若い地方詩人を水彩画風の筆触で威厳をもたせた姿で描いた。

‘ジャズ・ド・ブーファンの邸宅と農家’も意お気に入りの風景画、垂直線と水平線でかっちり形づくられた建物はよくみるとちょっと傾いているが、こうやって画面を揺すぶるのはセザンヌ流の絵画創作、これが後のピカソやブラックのキュビスムにつながっていく。

想定外だったのがスーラ(1859~1891)の‘オンフルール港の船’、プラハで点描画に遭遇するとは思ってもいなかった。大きなオマケをもらった気分。

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2017.03.06

美術館に乾杯! プラハ国立美 その四

Img_0002    ゴーギャンの‘こんにちは、ゴーギャンさん’(1889年)

Img_0001     ゴーギャンの‘逃避’(1902年)

Img_0003     ゴッホの‘糸杉と緑の麦畑’(1889年)

Img_0004     ロートレックの‘ムーラン・ルージュ’(1892年)

2階の展示室にずらっと飾られていた印象派とポスト印象派はルノワールを除いてモネ、シスレーからゴーギャン、スーラまでひととおり揃っている。これはスゴイ、なかでもゴーギャン(1848~1903)が2点輝いている。
‘こんにちは、ゴーギャンさん’と‘逃避’、ともにゴーギャンの画集に載っている有名な作品。

ここ数年日本の展覧会でも海外の美術館でもゴーギャンのいい作品をみる機会が多い。そのためゴーギャンに対する思い入れがますます強くなってきている。‘こんにちは、ゴーギャンさん’は異色の自画像、ブルターニュ村のポン・タヴァンにいた41歳のころ、アトリエの入り口の前に立つ自分を描いたもの。

‘逃避’は2010年ロンドンのテートモダンで開催された大ゴーギャン展に出品された。横向きの男女をペタッと平板的に色面の強さをきかせて配置している。これほど色彩が立つと印象に残る。そして、このタヒチの女の顔をみるといつも女優の天海裕希が浮かんでくる。

ゴッホ(1853~1890)の‘糸杉と緑の麦畑’は死の1年前、サンレミにいたときに描かれた。この糸杉はメトロポリタンにある生き物のように荒々しく描かれたものとちがい、全体の風景のなかにある木として穏やかな姿で画面をひきしめている。

最近、ロートレック(1864~1901)の回顧展に縁がないのは気になるところ。版画でなく、油彩を1点でも多くみたいと思っているのでプラハで‘ムーラン・ルージュ 踊る二人の女たち’に遭遇したときは息を呑んでみていた。ルノワール同様、ロートレックが表現するパリのたまり場の光景に200%魅せられている。

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2017.03.05

美術館に乾杯! プラハ国立美 その三

Img     ドラクロアの‘馬上の人を襲うジャガー’(1855年)

Img_0002     コローの‘農村の木造家’(1873年)

Img_0001     クールベの‘森の中’(1865年)

Img_0003     ドーミエの‘道’(1853年)

プラハ美の古典絵画コレクションはプラハ城のある場所で楽しめるが、19世紀後半の絵画や印象派、現代アートは街の中心からちょっと離れたところにあるモダンな建物で展示されている。自由時間のとき電車に乗り歩行者に教えてもらいながらなんとか到着したので今でもよく覚えている。

ここにある作品の情報は多くなかったが、入館してみてコレクションの質の高さに驚かされた。クールベや印象派が飾ってある部屋ではパリのオルセーにいるような気持になるほど充実した作品が並んでいた。

動物が激しく動く姿を描かせたら右にでるものがいないのがドラクロア(1798~1863)、定番の動物は馬とかラうイオンだが、ここに登場するのはジャガー、馬上の男に襲いかかっている。ドラクロアは野生動物が好きで動物園によく通っていたという。獰猛なライオンを描くとき体を極端に曲げた姿で表現したのは究極の野性味をだしたかったのかもしれない。

コロー(1796~1875)は2点あり、‘農村の木造屋’に魅了された。コローの作品はオルセーの印象が強いので、プラハにもこんないい絵があるとは思ってもいなかった。進んで行くうちにこの美術館のスゴさがだんだんわかってきた。

3点あったクールベ(1819~1877)は‘森の中’がなかなかいい。山のことは強くないが、少ない山歩きの経験からするとこういう音をたてて流れる川に木々が覆いかぶさるようなところは三流の素人絵描きでもつい絵心を発揮したくなるもの。

コロー同様、オルセー以外であまりみたことのないドーミエ(1808~1879)に‘道’というタイトルのついたとてもいい絵があった。このお母さんと幼な子の必死に前に進む姿が強く心を打つ!人物は写実的に描かなくても見る者に感動を与えられることをあらためて教えられる。

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2017.03.04

美術館に乾杯! プラハ国立美 その二

Img_0001    ブリューゲルの‘干草の収穫’(1565年)

Img_0004    近景、中景部分

Img     レンブラントの‘読書中の学者’(1634年)

Img_0002    ゴヤの‘ドン・ミゲル・デ・ラアデイサバルの肖像’(1815年)

国立新美の‘ミュシャ展’(3/8~6/5)同様、開幕が待ち遠しいのが東京都美で公開されるブリューゲルの‘バベルの塔’(ボイマンス美蔵)、4/18~7/2まで出品される。ウイーン美術史美にあるバベルの塔は運よくお目にかかっているが、こちらはまだなので胸が高まる。

この絵はBaroqueさんによると1993年にやって来たそうだが、ちょうどその頃名古屋で仕事をしていたのでみることができなかった。ブリューゲル(1525~1569)の作品がはじめて日本で公開されたのは1990年でその記念すべき絵がプラハ国立美が所蔵する‘干草の収穫’。

どこの美術館だったかは忘れたが、夢中になってみたことをよく覚えている。だから、現地で再会したときは多少は心に余裕があり、農民画家ブリューゲルが活写する働く農民たちの姿をじっくりとみた。手前の道を母と娘2人が並んで歩いており、中景では男たちが馬車の荷台に干草を積み上げている。この村に瞬間移動してながめているような気分。

レンブラント(1606~1669)が28歳のときに描いた‘読書中の学者’も印象深く、男性の肖像画ではお気に入りの第一列においている。レンブラントはこの年愛するサスキアと結婚しており、人生の絶頂期、だから絵画制作にもいちだんと熱が入っていた。本を読むのを止めこちらにふりかえる学者の真摯なまなざしには近づきがたい雰囲気がただよっている。

ブダペスト美にはゴヤ(1746~1828)の庶民を描いたとてもいい肖像画が2点あったが、ここには貴族の内面性が強く感じられる肖像が飾ってあった。ゴヤは商売っ気があって注文主の格によって描き方を変えていた。男の容貌からするとなかなか芯が強そう。

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2017.03.03

美術館に乾杯! プラハ国立美 その一

Img_0002   カレル橋のかかるモルダウ川西岸の丘の上に建つプラハ城    

Img    プラハ城の向かい側にあるプラハ国立美(シテンベルク宮殿)

Img_0003     デューラーの‘ロザリオの祝祭’(1506年)

Img_0004   ブロンズィーノの‘エレオノーラ・ディ・トレドの肖像’(1543年)

Img_0001     マビューズの‘聖母子を描く聖ルカ’(1515年)

今ワクワクしながら開幕を待っているのが来週の8日から国立新美ではじまる‘ミュシャ展’(3/8~6/5)、期待はなんといってもミュシャが晩年に描いた連作‘スラブ叙事詩’、全20点が日本でみられるなんて夢のような話。それがもうすぐ実現する。

2003年、チェコのプラハへでかけたときツアーの参加者にはミュシャが好きな女性がいて、自由散策ではミュシャ記念館へ行きポスターを買い込んだと楽しそうに話していた。また、プラハ城観光の際は聖ヴィート大聖堂でミュシャが描いた見事なステンドグラスをみることができた。

lプラハ国立美の所蔵美術品は分散して公開されており、カレル橋のかかるモルダウ川を見下ろす丘陵に建てられたプラハ城のむかい側にあるシテンベルク宮殿にあるのは古典絵画、近現代絵画や彫刻、工芸などは市内の別の建物で展示されている。

古典絵画で印象に残っている作品はそれほど多くないのだが、そのなかに思わず‘うわー!’と声が出たのがある。デューラー(1471~1528)の‘ロザリオの祝祭’、二度目のヴェネツィア旅行のとき現地で描いたもので画面の多くを赤の色が占領し、みるからに賑やかで堂々たる聖母子像。

描き込まれた人物のうち右にいるのが赤い衣装の身をつつんだ皇帝マクシミリアン1世、そして赤いバラの冠をもっている幼子キリストの前にいるのが教皇ユリウス2世。二人の間に描かれた天使は尊敬するベッリーニの絵にでてくる姿を借用している。この絵とめぐりあったのは生涯の思い出。

ブロンズィーノ(1503~1572)がキャンバスいっぱいを使って仕上げた‘エレオノーラ・ディ・トレドの肖像’も忘れられない一枚、フィレンツェのウフィッツイにも女性を描いたすばらしい作品があるが、このコジモ1世の妻は一見すると冷たい表情をみせているが、じっとみているとその魅力にほんろうされる。

ネーデルランドの画家、マビューズ(1478~1532)の‘聖家族を描く聖ルカ’は空間処理がおもしろい作品、広い部屋に聖母がぽつんと座り、その姿を画家たちの守護神ルカが静かに描いている。背景をみると遠近法がきいて遠くの聖堂までみえる。こんな構図の聖母子像はみたとこがない。

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2017.03.02

待望の‘ティツィアーノとヴェネツィア派展’!

Img ティツィアーノの‘ダナエ’(1546年 ナポリ カポディモンテ美)

Img_0001 ティントレットの‘ディアナとエンディミオン’(1544年 ウフィッツイ美)

Img_0002     ベッリーニの‘聖母子’(1470年 コッレール美)

Img_0003 ヴェロネーゼの‘聖家族と聖バルバラ、幼いヨハネ’(1565年 ウフィッツイ美)

昨年に続き今年もヴェネツィア派の絵画がどっと日本にやって来た。場所は東京都美、現在ここで‘ティツィアーノとヴェネツィア派展’(1/21~4/2)が開かれている。一ヶ月遅れの出動となったが、お目当てのティツィアーノ(1485~1576)を存分に楽しんだ。

メインディッシュのティツィアーノは7点、ナポリのカポディモンテから4点、そしてウフィッツイからは有名な‘フローラ’など2点が出品された。何年か前行われたカポディモンテ美名品展では‘マグダラのマリア’が展示されたが、今回再来日のこの作品に加え‘ダナエ’、‘教皇パウルス3世の肖像’、‘枢機卿ピエトロ・ベンボの肖像’が初お目見えした。

最も関心を寄せていたのは‘ダナエ’、3点あるダナエのうち最初に描かれたのがこれ。美術書ではお馴染みの絵だが、ナポりは簡単には行けないので鑑賞の機会があるとしてもそれはだいぶ先のことと思っていた。だから、日本で対面できたのは本当に運がよかった。

注目のまとはダナエの美貌、これほどの美形だと女好きのゼウスがほっておかないのもわかる。得意の変身の術を使って黄金の雨になりすましダナエに最接近、画面の右に暑苦しい老女がいるプラドのものよりこちらのほうがダナエとゼウスの恋物語にすっと入っていける。絵画はやはり本物をみるに限る。

ティントレット(1519~1594)はウフィッツイ蔵の2点、現地でみたことのある‘レダの白鳥’よりぐっと惹かれたのは天使たちが渦巻きをつくって空を飛んでいる‘ディアナとエンディミオン’、ティントレットはキリストの悲劇を絵画化するときよりギリシャ神話を表現するときのほうが人物がよりダイナミックに空間を動く。

展示室のはじめのほうにでてくるベッリーニ(1429~1507)の‘聖母子’に思わず足がとまった。すがすがしい気持ちになるのは背景の空の青さ、この明るい青空のおかげで宗教画の枠が取っ払われ、近代的な母子の肖像画をみているような気にさせてくれる。これは大きな収穫だった。

ヴェロネーゼ(1528~1588)はウフィッツイから出品された‘聖家族と聖バルバラ 幼い洗礼者ヨハネ’の構図に見惚れた。画面の中央に描かれたとても可愛い赤ちゃんをみんながみつめる姿がじつにいい。子どもはこんなふうに祝福されるために生まれてきたことをつくづく実感する。

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2017.03.01

日本橋高島屋の‘加山又造展’!

Img_0001     ‘淡月’(1996年 郷さくら美)

Img      ‘倣北宋水墨山水雪景’(1989年 多摩美大美)

Img_0002     ‘紅白梅’(1965年)

Img_0003     ‘迷える鹿’(1954年)

日本橋高島屋で開催中の‘加山又造展’(2/22~3/6)をみてきた。この展覧会の情報を得たのは2月に入ってから。今年は加山又造(1927~2004)が生まれて90年にあたる。高島屋はこれを記念して久しぶりの回顧展を企画してくれた。本当にエライ!

もう何回もしゃべっているからご存知かもしれないが、加山又造は一生付きあっていこうと思っている日本画家のひとり。過去に回顧展を3回体験した。今回は陶器や着物の絵付けなども含まれており、2009年国立新美であったときとよく似た構成になっている。作品は全部で70点ほど。

立ち尽くしてみていたのがはじめてお目にかかる‘淡月’、これまで加山が得意とする夜桜を何点かみたが、1982年に描かれた光ミュージアムにあるもの(今回出品)とその14年後に仕上げられたこの絵が双璧。月の位置が絶妙でもうすこし後対面していたら感激もひとしおだったろう。

多摩美にある‘倣北宋水墨山水雪景’は回顧展には欠かせない重要作品。画面は冷え冷えとしている感じで漆黒に浮き上がる奇岩の連なる山々や手前にあるトゲトゲしい細かい枝をつけた木をみると妖怪が棲む世界を覗きこんでいるような気分。

作域の広いのが加山又造の特徴。これは高い創作能力の証、やまと絵や琳派にみられる装飾的な意匠美に深く魅せられ宗達や光琳から刺激を受けた作品が生まれた。‘紅白梅’が今熱海の新装なったMOAに飾られている‘紅白梅図屏風’とコラボしているのを天国の光琳がみたら満面の笑みをうかべるにちがいない。

初期に数多く描いた動物の絵が11点でている。このあと向かった東博の‘春日大社展’といいつながりだったのが‘迷える鹿図’、よくみると5頭が重なるように連続的に描かれている。これは絵にスピードを持ち込んだイタリアの未来派の影響。

なお、展覧会は次の美術館を巡回する。
・瀬戸内市美 4/8~6/4
・新潟県近美 7/8~8/27
・横浜高島屋 8/30~9/10
・大阪高島屋 9/13~9/25
・京都高島屋 10/4~10/16

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