美術館に乾杯! ミュンヘン アルテ・ピナコテーク その四
どの美術館でもそこでしかみれない絵というのがある。ウイーン美術史美ならブリューゲル、プラドならベラスケスなどスペインの画家とボス、ではアルテ・ピナコテークなら誰れかと考えたとき、すぐでてくるのはデューラー(1471~1528)。
ここでみたデューラーの作品でこの画家のイメージが固まった。デューラーが楽しめる美術館というとほかにはウィーン美術史美、ウフィッツイとプラドがあるが、一番印象に残るのはやはりアルテ・ピナコテーク。圧倒的な存在感があるのが28歳のときの自画像、正面をみすえた顔、長い髪、そして胸元にそえられた右手、目の前にデューラーがいるようなこのリアリティーがなんといってもすごい。
そして、2つの縦長の画面に二人ずつ描いた‘四人の使徒’も忘れられない。デューラーはこの使徒たちで四気質を表現している。左から多血質(若いヨハネ)、粘液質(老齢のペテロ)、胆汁質(壮年のマルコ)、憂鬱質((初老のパウロ)、右の二人に感じられる強い目力が目に焼きついている。
髪の毛一本々まで精緻に描くデューラーとクラーナハ(1472~1553)は同じドイツの出身で歳もほぼ同じなのに画風はまったく違っている。例えば、アダムとイヴを描くときデューラーはあまり暗さのない健康的な男女に仕上げるのに、クラーナハの裸婦ときたら体は異常に細長く下半身はばかデカくかなりマニエリスム調。
ところが、クラーナハのおもしろいところは画題によって描き方が変わること。‘葡萄の聖母’はマリアも品がいいし幼児キリストも上にいる天使たちもじつに可愛い。散歩をしているとこんな赤ちゃんによく出くわす。また、服を着た女性たちが明るく愛嬌のある顔をしているのも惹きつけられる。
さらにクラーナハに関心がいくのは風俗画的な描写がみられるから。鹿狩りの場面とか‘黄金時代’のように人間臭いエンターテイメントに興じる男女の様子などではつい画面の隅から隅までみてしまう。
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コメント
アルテ・ピナコテークのデューラーの数々の作品は、ゆっくりと観賞しましたが、『毛皮を着た自画像』が一番迫力があると思います。
ルーヴルとプラドにある以前のデューラーの自画像も含め、肖像画は四分の三斜め向きに描くのが通例だったのに、アルテ・ピナコテークの『自画像』は正面向き。
本来、正面向き肖像はキリスト像にのみ許される形式らしいので、神のごとき創造者としての自負心が表されているのでしょうか。目線は、こちらを射抜くような鋭さで、気圧されそうです!『四人の使途』のパウロも、別の意味で迫力ある目線ですが。
クラーナハは長年描いていたせいか、聖母子画は時代とともに様式もかなり変化して、比べて見ると面白いですね。ただ素朴で、イタリア・ルネサンスの画家みたいに理想的でないところが独特の魅力です。
『黄金時代』は人物描写がかわいらしくて、微笑ましくなります。画面にアニメ的楽しささえ感じられますね。
投稿: ケンスケ | 2017.02.18 22:01
to ケンスケさん
古典絵画でも近代絵画でも女性を描いたものを
意識的にとりあげてますが、デューラーの自画像
だけは別格扱いにしてます。この正面向きには
参りました。
クラーナハの‘葡萄の聖母’はベリー二並みにいい
ですね。すごく親しみのわく聖母子です。
投稿: いづつや | 2017.02.18 23:42