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2016.05.27

お知らせ

拙ブログはしばらくお休みします。

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2016.05.26

近代日本美術の煌き! 1961年(昭和36) その二

Img_0002     堂本印象の‘交響’(京都府立堂本印象美)

Img     河井寛次郎の‘三色扁壺’

Img_0001     石黒宗麿の‘彩瓷柿文壺’(東近美)

日本画家を仮に抽象派というくくりでグルーピングすればそこには堂本印象(1891~1975)、福田平八郎(1992~1974)、徳岡神泉(1896~1972)が名を連ねる。3人とも京都で活躍した画家。

‘交響’は印象の作品になかで最も人気の高いもの。最近は宇宙の話に大きな関心を寄せているのでこの絵をみると太陽系の惑星が微惑星の衝突などによって誕生する様子を示したシミュレーション映像がダブってくる。以前は音楽と絵画のコラボでみていたが、今は宇宙の神秘のイメージの方が強い。

クラシック音楽で宇宙をズバリ表現したものはホルストの‘ジュピター’、このきれいなメロデイーが昔から大好きだが、このところの宇宙への最接近と相俟って前にもまして気持ちよく口ずさんでいる。

陶芸の世界でも抽象的なオブジェのような作品が存在する、民藝派の濱田庄司にはポロックのアクションペインテイングを連想させる大皿の‘掛け流し’があるし、盟友の河井寛次郎(1890~1966)は赤、緑、黒の組み合わせが目に心地いい‘三色扁壺’を生みだした。

鮮やかな色彩によって強烈な存在感をみせるこの扁壺をこよなく愛している。3色のいろいろなヴァリエーションと遭遇するたびに寛次郎が好きになる。

絵でもやきものの絵付けでもそれを鑑賞するのにふさわしい季節がある。石黒宗麿(1893~1968)の‘彩瓷柿文壺’の見ごろがやはり秋、なにか懐かしい感じのする吊るし柿、小さい頃は吊るし柿がかたくなった干し柿をよく食べたが、今はまったく縁がない。

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2016.05.25

近代日本美術の煌き! 1961年(昭和36) その一

Img_0001     中村岳陵の‘残照’(静岡県美)

Img     陳進の‘果実摘み’

Img_0003     徳岡神泉の‘仔鹿’(東近美)

画家が精魂込めて描いた作品が心を打つ要素はいくつかある。絵画をみるときはいつも色の組み合わせ、色彩の輝きを中心にみている。印象派に魅せられているのは色彩の力にくらくらしているから。日本画でも画面が澄みきった色でみたされているものには大きな感動をおぼえる。

そして、日本画にはもうひとつ見どころがある。線の美しさ、この線をひくくというのはとても難しい、小さな丸を描くのだって練習しないと上手に描けない。だから、太い線、細い線をさらさら自在に引ける人は大変な技量の持ち主。中村岳陵(1890~1969)はそんな凄腕画家のひとり。静岡県美で‘残照’をみたとき、木々の精緻な描写の声が出なかった。夕日に照らされて極細の木の枝が繊細に絡みあう光景がなんとも美しい。

台湾出身の女流画家陳進(1907~1998)が描く人物画はどこか小倉遊亀を彷彿とさせる。二人に共通するのは女性ならでは優しい表現。果物をとる女性の手には実った果物への感謝の気持ちがあらわれている。

東近美は徳岡神泉(1896~1972)のいい絵を揃えているが、‘刈田’とともに強く印象に残るのが‘仔鹿’、うまい演出だなと思うのはこの可愛い仔鹿の顔をみせないところ、じっとみているとふいとこちらに振り向くのではないかと次の動きを想像する。鹿は止まってなく動いているのである。

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2016.05.24

近代日本美術の煌き! 1960年(昭和35) その二

Img     富本憲吉の‘色絵金銀彩四弁花文飾壺’(東近美)

Img_0001     加藤土師萌の‘黄地紅彩金襴手富貴長春牡丹文飾壺’

Img_0002    バーナード・リーチの‘鉄砂抜絵巡礼者文皿’(日本民藝館)

やきものの絵付けには器面をキャンバスに見立て絵のように花や鳥をえがくものや精緻にデザイン化された模様を連続させて装飾的な美しさを生み出すものがある。富本憲吉(1886~1963)の最大の魅力は小さな模様を寸分の狂いもなく完璧に配置するところ。

羊歯文とともによく使われた模様が四弁花、これをきれいに縦横に繰り返し並べていくのはかなりシンドイ作業、陶芸家や彫刻家には絵描き以上に力仕事の部分があるから頑丈な体でないとプロの作品として要求される高いレベルのものに仕上がらない。富本憲吉の絵付けをみるたびにすごい集中力だなと思う。

加藤土師萌(1900~1968)の飾壺はのびのびと花を描いている部分と同じ模様をリズミカルに反復させるところが半々。蓋や胴は中国の技法金襴手が使われており、見栄えのする牡丹はこういう華やかな感じのやきものにはうってつけのモチーフ。見事な一品。

バーナード・リーチ(1887~1979)は陶画の名手、鳥を描かせれば軽やかに空を飛んでいくし、獅子は体をぶるぶると震わせる。そして、シルエットになった巡礼者。余分なものは一切なく描かれているのはただ黙々と前に進む巡礼者の姿だけ。詩集の挿絵をみているよう。

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2016.05.23

近代日本美術の煌き! 1960年(昭和35) その一

Img_0001         川端龍子の‘天橋図’(国立劇場)

Img_0002     徳岡神泉の‘刈田’(東近美)

Img_0004     小倉遊亀の‘コ―ちゃんの休日’(東京都現美)

Img_0003     山下清の‘群鶏’

川端龍子(1896~1972)の‘天橋図’と遭遇するまで長い時間がかかった。出会ったのは茨城県の天心記念五浦美。2005年の秋に江戸東博で川端龍子展があり、そのあと五浦美に巡回した。対面を待ち焦がれていた‘天橋図’がやっとでてくるというのでわざわざ五浦までクルマを走らせた。

川端は水の描写がとても上手い、以前天橋立をみにいったときは松の木が立ち並ぶ砂洲の両側にこんな激しい波は打ち寄せていなかった。龍子がこの絵でみせた視点は意表を突く、なんと砂洲の真上。ヘリコプターから下を見下ろす感じで風によって白波のたつ砂洲の情景を描いている。

徳岡神泉(1896~1972)は福田平八郎(1892~1974)同様、抽象画風の日本画で画壇に新風を吹き込んだ画家。‘刈田’は画面とタイトルを同時にみてイメージを膨らませないと抽象画をみている気分になる。描かれているのは稲を刈った田んぼの一角。水面に映る影が強く印象に残る。

100年をこえる人生をおくった小倉遊亀(1895~2000)、65歳のとき描いたのが歌手の越路吹雪(知っている人は知っている)をモデルにした‘コ―ちゃんの休日’、ぱっとみるとマチスの素描がダブってくる。小倉遊亀はマチスの影響を相当受けていたにちがいない。越路吹雪というとすぐイメージするのは宝塚歌劇団の男役スター、そしてあの名曲‘愛の讃歌’、昔の歌手はみな歌唱力があったなぁー!

東京都美で開催中の若冲展は連日大変な待ち時間になっているようだが、こうしてがんばって若冲をみるともう若冲とは離れられなくなる。そして最高傑作の‘動植綵絵’をみたことが一生の思い出になる。その一枚‘群鶏図’に山下清(1922~1971)も魅せられていた。清はこの絵を図版でみたのか、それとも本物をみたのだろうか?

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2016.05.22

近代日本美術の煌き! 1959年(昭和34) 

Img_0001     奥村土牛の‘鳴門’(山種美)

Img_0003     川端龍子の‘筏流し’(部分 大田区龍子美)

Img     平山郁夫の‘仏教伝来’(佐久市立近美)

Img_0002     富本憲吉の‘色絵金銀彩羊歯模様八角飾筥’(東近美)

画家の描く風景がそこへ実際足を運んだことがある場所だったら目に力が入る。渦潮で有名な徳島の鳴門海峡は一度行ったことがある。ところが、広島からクルマを走らせやっと鳴門に着いたのに、お目当ての渦潮はもうほとんど最後の段階で穏やかな波に戻りつつあった。

時間管理がちょっと甘くもう一時間早く出発しておれば、奥村土牛(1889~1990)の‘鳴門’のような光景が眼前に現れたはず、惜しいことをした。今となっては徳島旅行が実現する可能性はかなり小さい。だから、土牛の傑作で渦潮はみたことにしている。現地にも一応行ったことだし。

大田区にある川端龍子(1885~1966)の美術館は一時期よく通い、図録に載っている作品はほとんどみた。ここを訪れるのが楽しいのは作品がびっくりするくらい大きいから。こうした大作を一枚仕上げるだけでも大変なエネルギーを要するのに龍子はテーマやモチーフを変え次々を描きあげていく。

お気に入りの‘筏流し’は縦2.4m、横7.3m、圧倒されるほどの画面の広さのため、ちょうど上流から下ってきたこの筏を手前の岩の上から眺めているような気になる。激流のなかうまく舵をとりながら材木を運んでいくのは熟練の技をもってしても簡単なことではない。ぼやっとしていると命を落しかねない危険な仕事、岩にぶつかり飛び散る白いしぶきがを男たちの緊迫した精神状態を伝えている。

7年前に亡くなった平山郁夫(1931~2009)の出世作が‘仏教伝来’、広島に9年住んでいたから、広島出身の日本画家は身近な感じがする。奥田元宋も平山郁夫も回顧展が開催されると必ず足を運ぶことにしている。1997年、平山の故郷の瀬戸田町に平山郁夫美が開館した。そのとき行われた記念展でお目にかかったのがこの‘仏教伝来’。普段は長野県の佐久市にある作品だから、瀬戸内海に浮かぶ島にできた美術館でみれたの幸運だった。

富本憲吉(1886~1963)の羊歯模様に大変魅了されている。金と銀で彩られデザイン化されだ羊歯がリズミカルに配置され器面全体をおおっている。ボリュームを感じる八角の形はお宝箱にはうってつけかもしれない。この筥は特別な時にしか開けられないのだろう。

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2016.05.21

近代日本美術の煌き! 1958年(昭和33) その二

Img      平櫛田中の‘鏡獅子’(国立劇場)

Img_0002     佐々木象堂の‘蝋型鋳銅置物 瑞鳥’(東近美)

Img_0003    石黒宗麿の‘黒釉褐斑鳥文壺’

Img_0001     金重陶陽の‘備前耳付水指’(東近美)

芝居見物の趣味がないのでまだ国立劇場のなかに入ったことがない。この先もここを訪問する計画はなさそうだが、一度出かけたいと思っている。それは芝居に興味があるのではなくロビーに飾ってあるという平櫛田中(1872~1978)の‘鏡獅子’をみておきたいから。

六代目尾上菊五郎が演じるこの決めポーズ、本物は2メートルもする大きな色つきの木彫像。後につくられた縮小ヴァージョンを2回みる機会があったので全体の感じはつかめているが、彫刻のインパクトは像の大きさが強く影響するから、この大作にはとても興味がある。

佐々木象堂(1882~1961)のつくった銅の置物、‘瑞鳥’には古の日本のお寺を装飾する吉祥のムードが漂っている。不思議なもので鳥でも鹿でもフォルムをざざっと簡略にして仕上げるほうが写実よりかえってモチーフに生命力が宿る。この瑞鳥はそのままアニメーションに使える。

今年のはじめに渋谷の松濤美で運よく石黒宗麿展に遭遇した。魅了される作品がいくつもあったが、‘黒釉褐斑鳥文壺’もそのひとつ。とても新鮮なのが黒の器面に浮かび上がる中国の甲骨文字を思わせる燕の文様。古代中国の遺跡からこんな模様が描かれた破片がでてきたというのはありそうな話。

広島に住んでいたころ岡山のやきものの街、備前を数回訪れた。備前焼でビッグネームは金重陶陽(1895~1967)、藤原啓(1896~1983)、山本陶秀(1905~1994)の3人、いずれも人間国宝。東近美にある金重陶陽の‘耳付水差’は備前らしいどっしりした渋みのあるやきもの。

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2016.05.20

近代日本美術の煌き! 1958年(昭和33) その一

Img        伊東深水の‘姿見’

Img_0001     上村松篁の‘星五位’(東近美)

Img_0003     東山魁夷の‘秋翳’(東近美)

日ごろ気になっている画家との距離が一気に縮まるのは心のなかで二重丸をつけていた作品との対面が叶ったとき。伊東深水(1898~1972)の場合、その瞬間ははじめての回顧展で姿を現してくれた‘姿見’、おおげさにいうと体が200%フリーズした。

とびっきり美形の女性が鏡に姿を映し帯あげを手で整えている。深水の美人画は上村松園や鏑木清方とちがってモデルが全身をみせることは少なく、たいてい腰から上あたりを画面いっぱいに描いている。そのため、この絵のように美貌が際立つときはもうくらくらするほどの衝撃をうける。これは個人のコレクション、毎日でもみれるのが羨ましくてならない。

上村松篁(しょうこう、1902~2001)は上村松園の息子で母親と同じく文化勲章を受章した。その松篁の子どもが淳(あつし)で今年83歳になる日本画家、そろそろ文化勲章の声がかかってもいいころなのだが、もしそうなると三代続けて文化勲章受章となる。

松篁の代表作が東近美にある五井鷺を描いた‘星五位’、これは現代感覚のただよう花鳥画、数羽の五井鷺を縦のラインに配置するという発想が意表を突く。そのため一見平板な描写にみえるが奥行きのある空間でそれぞれ違うポーズをとる五井鷺は一羽々が等しく存在感を主張しているように思える。

東山魁夷(1908~1999)の‘秋翳(しゅうえい)’は秋の頃、東近美に出かけるとよくお目にかかる。三角形の山は下のほうから朱色の濃さがだんだん薄くなっていく、このグラデーションの妙が心を打つ。デザイン的な印象を与えるが、じっくりみると筆使いはおどろくほど精緻。自然の美しさが深ーく感じられるところが魁夷芸術の真髄。

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2016.05.19

近代日本美術の煌き! 1957年(昭和32) その二

Img_0003     芹沢銈介の‘風の字文のれん’

Img     黒田辰秋の‘赤漆流稜文飾箱’(東近美)

Img_0002     河井寛次郎の‘木彫像 母子’(京都 河井寛次郎記念館)

のれんというと和食を食べさせてくれるお店には欠かせないもの、、行きつけの小料理屋ののれんを頻繁にくぐっている人には店の匂いのしみ込んだのれんには愛着をおぼえることだろう。お酒は飲むが小料理屋の常連とまではいかないので、のれんとの付き合いはほどほどといったところ。

世の中にはいろんなコレクターがいるから、のれんを集めている人もいるにちがいない。そのなかにきっと入っていそうなのが芹沢銈介(1895~1984)の風という文字を模様にしたのれん。藍染めでデザイン化された風の文字、そのシンプルでスッキリした造形は風がまさにのれんを揺らしている感じ。

1976年、パリのグランパレで開催された芹沢銈介展のポスターに使われたのがこののれん。当時、パリっ子たちはこのしゃれた感じの漢字一文字におおいに魅了された。芸術の都、パリでそのデザインセンスを高く評価されたのだから芹沢は気分が悪かろうはずがない。

2年前、横浜そごうで待望の黒田辰秋(1904~1982)の回顧展があった。あたたかみのある木工芸はみていて心が落ち着く。はじめてみるものが多く夢中になってみたが、馴染みの赤漆の飾箱の前では息を呑んでみていた。大胆に形どられたか太い渦巻き模様は強烈な磁力を発しており強く印象に残る。

戦後、河井寛次郎(1890~1966)は身の回りにあるものをモチーフにしてやきものにしたり木彫像を制作したりしている。見るものがみな顔にみえてきて次々と木彫の面に変わった。自動車の面、スクーターの面、、そして人の顔も木彫でつくった。お気に入りは‘母子’、ぷくっとふくれたほっぺたがお多福を連想させる。

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2016.05.18

近代日本美術の煌き! 1957年(昭和32) その一

Img_0004     加山又造の‘冬’(東近美)

Img_0003     山下清の‘奈良二月堂’

Img          横山操の‘塔’(東近美)

Img_0001     瑛九の‘れいめい’(東近美)

日本画家で誰がお気に入りかはこれまで何度もふれてきたが、そのひとりが加山又造(1927~2004)。この画家とはうまがあう。もっとも惹かれているのが琳派と大和絵をミックスした華麗な画風だが、初期の作品の‘冬’にもぞっこん参っている。

ブリューゲルが好きな方ならこの絵にすぐ反応するにちがいない。そう、あの‘雪中の狩人’が下敷きになっている。又造の解説によると、‘この頃には非常にブリューゲルに惹かれていた。左下の狼は、もう少し多くの群れだったが、何かさわがしい気がして三匹ばかり苦心して消してしまった。そして、盲目の鴉を木に止まらせた’

山下清(1922~1971)のペン画‘奈良二月堂’をみているとゴッホのある絵が重なってくる。それは‘オーヴェルの教会’。山下清は棟方志功同様、ゴッホが好きだったから、知らず知らずのうちに建物の描き方も似てきたのかもしれない。

加山又造と大変親しくしていた横山操(1920~1973)。今年のはじめこの画家の作品で大きな収穫があった。福井県美が所蔵する日本画の名品がどっと横浜そごうで披露され代表作のひとつ‘川’が目の前に現れてくれた。この流れが来年あたり、‘塔’のある東近美で回顧展へと展開すると嬉しいのだが、果たして。

回顧展の開催を強く望んでいるのは横山操だけでない。‘れいめい’を描いた瑛九(1911~1960)も期待し続けている。じつはほかにどんな作品があるのかよく知らない。だから、回顧展にどのくらいの数が集まるのかもイメージできない。天空の星々のきらめきをイメージさせる‘れいめい’はやきものの‘曜変天目茶碗’をみているような気分になる。この絵が生まれる前や後の流れはどうなっているのか、興味はつきない。

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2016.05.17

近代日本美術の煌き! 1956年(昭和31) その二

Img_0001     岡鹿之助の‘雪の発電所’(ブリジストン美)

Img_0002     村田陶菀の‘東山人形 太子様’

Img     生野祥雲齋の‘竹華器 怒濤’(東近美)

現在、増築のため休館している八重洲のブリジストン美、ここで2008年岡鹿之助(1898~1978)の回顧展が行われた。美術館が一人の作家の回顧展をする気持ちになるのはその作家の有名な作品を所蔵していることもひとつの理由、岡鹿之助の場合、その絵は‘雪の発電所’。

絵に関心があるものでも発電所を描いてどこがおもしろいのか?と正直思うかもしれない。以前東京湾に面する工場地帯のライトアップをみてまわるバスツアーのことがTVで紹介されていた。山にある発電所に注目した岡鹿之助の美意識とこのツアーに参加する人の建造物に対する感じ方は根っこのところでつながっている。

いい絵というのは画面のなかに個々の造形がバランスよく組み合わさっていることが多い。‘雪の発電所’は安定感のある三角の山が真ん中にあってその下にはこれまた安定よく横に広がる四角の発電所施設、そして建物の前に奥行きをつくるように電柱がぽんぽんと並ぶ。このシンプルな構図が山の光景にとけ込む発電所の存在感を浮き彫りにしている。

京焼陶工の村田陶菀(1905~2002)の‘東山人形 太子様’はキューピーちゃんにそっくり。2004年日本橋の高島屋であった回顧展のときはこのイメージだったが、お笑い女芸人の柳原可奈子が活躍するようになるとこの子がキューピーにとってかわった。

小さいころ竹とんぼをつくって遊んだから、竹への愛着が強い。だから、生野祥雲齋(1904~1974)の竹工芸に大変魅了されている。その代表作が東近美の工芸館でよくみかける‘竹華器 怒濤’、シャープに曲げられた細い竹ひごがつくるユニークな造形は一度みたら忘れられない。

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2016.05.16

近代日本美術の煌き! 1956年(昭和31) その一

Img_0002     伊東深水の‘赤と白A’

Img_0001     奥村土牛の‘踊り子’(山種美)

Img     中村貞以の‘爽涼’(東近美)

Img_0003     安田靫彦の‘伏見の茶亭’(東近美)

日本画家の描く女性画にときどき映画スターがでてくる。伊東深水(1898~1972)の場合、木暮美千代(知っている人は知っている)をモデルにして‘婦人像’を描いた。また、青学在学中からファッションモデルとして活躍していた大内順子(ファッション・ジャーナリスト)も‘黒いドレス’のタイトルで登場する。

こういう誰もが振り返るような華のある女性だと絵の魅力は一段とます。‘赤と白A’のモデルは世間に知られた女性ではないが、おしゃれに敏感でピチピチしたその顔は現在原宿などでみかける若い女性となんら変わりない。はじめてみたとき瞬時に思い浮かんだのは目がくりくりっとした‘マー姉ちゃん’の熊谷真実。

奥村土牛(1889~1990)の‘踊り子’のモデルはあの有名なバレリーナ谷桃子、土牛はこんなことを言っている‘谷桃子さんのお宅へ数えられないくらい写生に通って、純粋従順な人柄が分った。絵描きは感情が強くモデルとの間でも気持ちがぴったりしないと、その人は描けない。すっかり頭に入ったので、写生に捕らわれずに描いてみた’

中村貞以(1900~1982)は大阪船場の生まれで現代的な美人画を得意とした。これまで沢山の作品に縁があったわけではないが、出会った女性はしっかり記憶に残っている。‘爽涼’は東近美でお目にかかった。西洋画で人物を描くときは背景も一緒に描かれる。ところが、日本画では女性だけが描かれる、この横向きの女性は畳の上の座っているのだろうが、その畳はない。このためうす土色の色面に浮かび上がる女性の姿が強く印象づけられる。この女性はきりっとした性格にちがいない。

今日で閉幕した‘安田靫彦展’(東近美)、日曜美術館で取り上げられたから終盤は入館者がぐんと増えたことだろう。東近美が所蔵するものでは‘黄瀬川陣’同様、いつもみとれてしまうのが茶人秀吉を描いた‘伏見の茶亭’、絵の大きさ、明るい色調の澄み切った画面が心をとらえて離さない。

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2016.05.15

近代日本美術の煌き! 1955年(昭和30) その二

Img_0001     山本丘人の‘北濤’(東近美)

Img     池田遙邨の‘銀砂灘’(日本芸術院)

Img_0002     北大路魯山人の‘銀彩鶴首花入’

絵画とのつきあいが長くなるといろんな作品とで出くわす。芸術の価値が高まるのはバラエティに富んでいるからといっていい。自然を描写する風景画ではとても静かな絵がある一方で、自然の神の怒りに触れたかのように画面が激しく揺れているものもある。

山本丘人(1900~1986)の‘北濤’はまさに海は大荒れ、岩にぶち当たって激しく砕け散る波の動きからすると普段は海底にいる魔王が相当暴れ狂っている感じ。漁師なら海の怖さが体にしみているだろうが、海に縁がないものでもも映画やニュースにでてくる大しけや台風の場面は真に体をちじこまる。この絵も船が荒波にのみこまれるシーンが脳裏に浮かんでくる。

中国地方の出身で文化勲章を受章した日本画家は5人いる、松林柱月(山口県)、橋本明治(島根県)、池田遥邨岡山県)、奥田元宋(広島県)、平山郁夫(広島県)。このなかで一番長生きをしたのは池田遙邨(1895~1988)で93歳で天国に旅立った。その遥邨が60歳のときに描いたのが‘銀砂灘’。ぱっとみると抽象画っぽいところがあり、福田平八郎の画風ともコラボしてくる。

北大路魯山人(1883~1959)のやきものにもモダンな色彩が心に響くものがある。‘銀彩鶴首花入’、鶴の首を連想させる造形をいっそう引き立てているのが器体に巻き付く緑の線。魯山人のカラリストぶりを示す作品はほかにも驚くほど現代的な文様と色彩が施された向付などがある。

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2016.05.14

近代日本美術の煌き! 1955年(昭和30) その一

Img_0001     前田青邨の‘出を待つ’

Img     橋本明治の‘六世歌右衛門’(東近美)

Img_0002     平田郷陽の‘衣装人形 朝霜’

絵画でもやきものなどの工芸でも心にながくとめていたものとの出会いが実現するとなにか大仕事をしたような気持になる。手元にはもう何年も前から追っかけリストがあり、そこに載せている作品と遭遇するたびにアートライフの階段はひとつ高くなる。

ときどき2,3段上がったようなことがおきる。前田青邨(1885~1977)の‘出を待つ’はそんなことが強く感じられる作品。能の舞台をまだ見たこともないのに、能がそれほど遠い存在ではないのはこの般若の面をかぶった能役者の絵のおかげかもしれない。この絵は個人がもっているものだから、滅多にでてこない。でも、一度お目にかかった。いつだったかは忘れたが、とにかく念願が叶ったのである。息を呑んでみていた。

いい肖像画を描けるようになったら画家も一流の仲間入りできるが、そこまでたどり着けるのはごく限られたものだけ。人体を描くのはそれほど難しい。島根県の浜田出身の橋本明治(1904~1991)は著名人をモデルにした肖像画をいくつも描いている。そのなかで最もいいできなのがこの‘六世歌右衛門’、ご存じ歌舞伎の名女形の中村歌右衛門、女形というと独特の雰囲気があるが、この斜めからの姿がとても印象的。

橋本は男性では経営の神様、松下幸之助、そして髭の殿下、三笠宮寛仁親王殿下がビリヤードを楽しんでいるところを描いている。また、相撲が好きだったのか取り組みの前支度部屋で髪を整えている大関貴乃花の姿を描いたものもある。相撲といえば、稀勢の里は今日も勝って7連勝、ひょっとすると優勝がある?気になるのは勝つぞ!という気迫が前面にでてこないこと、取りこぼさないようにとっているのはいいが、これでは肝心の大一番が心配、果たして?

過去に‘人間国宝展’を2回体験し、創作人形の名品をみることができた。そのなかでとくに魅了されたのが平田郷陽(1903~1981)、‘朝霜’はこどもに顔を寄せる母親のやさしさが真に心を打つ。

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2016.05.13

近代日本美術の煌き! 1954年(昭和29) その二

Img_0001

Img_0002     丸木位里・俊の‘原爆の図 第八部 救出’(丸木美)

Img_0003     八木一夫の‘ザムザ氏の散歩’

Img     芹沢銈介の‘みのケラ屏風’

10数年前、埼玉県東松山市にある原爆の図丸木美を訪問した。それからだいぶ経っているので家からクルマをどう走らせたのかよく覚えていない。美術館にはわれわれのほかに4人くらいいた。

‘原爆の図’は全部で8つの壁画からなり1954年に描かれたのが最後の‘第八部 救出’、広島に9年住んでいたから、‘原爆の図’をみないで絵画ライフを続けていくことはできない。ここに描かれた原爆の悲劇を目に焼き付け、そして平和を祈りたい。今月27日に広島を訪問するオバマ大統領は丸木位里(1901~1995)・俊(1912~2000)夫妻が描いた‘原爆の図’を図版でみたことがあるのだろうか?

八木一夫(1918~1979)の名前がインプットされたのはおもしろいタイトルがついた‘ザムザ氏の散歩’と出会ったとき。作品の解説を本気で読まない鑑賞スタイルをとっているのでこの‘ザムザ氏’はいまだに謎のまま、この廃材のような丸いオブジェが散歩を表している?こうした抽象作品は強いインパクトをもった造形だけが残り作品のタイトルは宙に浮いたまま。いつも浜辺の砂のなかに埋まったサンゴのかけらのイメージがつきまとう。

東近美で行われていた芹沢銈介(1895~1984)の回顧展をついつい流してしまった。季節の花鳥や景観を文様にして型染めした‘みのケラ屏風’はとてもユニークな作品、デザインのセンスというのは努力して身につくというより生まれながらにしてもっている才能かもしれない。この屏風にはそんなことを思わせるものがある。

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近代日本美術の煌き! 1954年(昭和29) その一

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Img_0003     伊東深水の‘春宵(東おどり)’(ヤマタネ)     

Img     棟方志功の‘華狩頌’

Img_0002  バーナード・リーチの‘白地影絵飛燕文皿’(アサヒビール大山崎山荘美)

浮世絵の役者絵というと普通は舞台で演じている姿を描いたものだけれど、たまにその役者が芝居の前楽屋にいるときのを様子を描いたものがある。伊東深水(1898~1972)の‘春宵(東おどり)’も出番前の出演者たちが化粧をしたり着る衣装を整えたりしている様子をスナップショット的に表現したもの。

芝居好きなら贔屓の役者に差し入れをするために楽屋に足を運ぶことはよくあるだろう。パトロンにはなれないが楽屋に顔を出したがるパトロンの気持ちはよくわかる。芸に秀でた人間が舞台でみせる表情だけでなく楽屋にいるところもちょっとのぞいてみたい、そんなことを思うようになったらもう一ファンの領域を超えたところにいる。

棟方志功(1903~1975)の版画に魅せられて久しいが、‘華狩頌’をみるのは大きな楽しみのひとつ。左右に勢いよく疾走する馬に乗った人物の身振りが生き生きしており、一度みたらその姿は忘れられない。画面は人馬のほかに鳥や花びらでうめつくされているがビジーな感じはせず、白黒の装飾模様は心地よい色彩の香りまでも想像させる。

日本人以上に日本の四季の移ろいや生き物たちの生命力を深く感じている外国人芸術家がいる。バーナード・リーチ(1887~1979)もそのひとり。やきものの絵付けは簡単そうで大変難しい。それはモチーフをシンプルに描くのができそうでできないから。この皿の燕は本当にうまく描けている、まさに燕が軽快に飛び回っている感じ。

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2016.05.11

日本のラ・トウール、葛飾応為とルーベンス!

Img_0001       葛飾応為の‘夜桜美人図’(19世紀中頃 メナード美)

Img_0003  ルーベンスの‘月明かりの景色’(部分 1637年 コートールド美)

Img          近藤浩一路の‘十三夜’(1936年 東京都現美)

テレビ東京の人気番組‘美の巨人たち’が今、西洋美で回顧展(6/12まで)が行われているカラヴァッジョを取り上げるのではないかと期待していたが、どうも制作される気配がない。2本つくったNHKほどの厚いスタッフをかかえられずで贅沢な予算もないテレビ東京ではカラヴァッジョにまで手がまわらないのだろう。過去に2回いいものをつくっただけに残念!

そのかわりいい絵にスポットをあててくれた。それは先月に放送された葛飾応為の‘夜桜美人図’、ご存知のように応為は北斎の娘、この女流絵師はいうなれば日本のラ・トウールのような存在、目を見張らされるのはその光の描写。

この‘夜桜美人図’は幸運なことに2年前江戸東博で行われた‘大浮世絵展’でお目にかかった。これは浮世絵のオールスターゲームのようなビッグな展覧会だったので、この絵に足がとまった人も多くいるのではなかろうか。絵の見どころはなんといっても灯篭の明かりとその光がうつしだす女性の姿、そして夜空の星。

夜の情景をこれほど強い陰影をきかせて描いた絵はほかにない。こんなすごい絵をあの北斎の娘が描いていたのである。番組の中で詳しく解説していたが、星の描写がじつにリアル。北斎の鋭い観察力はしっかり娘にひき継がれている。

つい見惚れてしまう星の描き方をみてある絵を思い出した。2010年、ロンドンにあるコートールド美でみたルーベンス(1577~1640)の‘月明りの景色’、西洋絵画でも星がこのように繊細に描かれることはほとんどないのでその美しい星の輝きが強く記憶に刻まれている。

もうひとつ、近藤浩一路(1884~1962)の‘十三夜’に描かれた星々も心を打つ。‘美の巨人たち’が応為に光をあててくれたおかげでルーベンス、葛飾応為、近藤浩一路による星のコラボレーションが生まれた。しばらく楽しんでいたい。

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2016.05.10

とても気になる画家、高島野十郎!

Img     ‘御苑の春’(1948年以降 福岡県美)

Img_0001     ‘雨 法隆寺塔’(1965年)

Img_0002     ‘からすうり’(1948年以降)

Img_0004     ‘蝋燭’(1912~1926年 福岡県美)

久しぶりに目黒区美を訪問した。現在、ここでとても気になる画家、高島野十郎(1890~1975)の回顧展(4/9~6/5)が開催されている。

過去この画家の作品をみたの10年前、東芸大美で行われた‘日曜美術館30年展’のときだけ。お目にかかったのは3点ほど、それはドキッとする自画像とラ・トウールがすぐ思い浮か蝋燭を描いた小品、そしてカラヴァッジョの静物画のような驚異の写実力をみせつける‘からすうり’。

それ以来、高島野十郎はずっと気になっていた。回顧展の情報は突然入って来た。場所は目黒区美?普段は縁がないこの美術館は1988年に高島野十郎展を行っていた。だから、この画家を世間に知らしめることに一役買っていたのである。それで2回目の回顧展に合点がいく。

作品の数は140点以上、お蔭で高島野十郎に最接近することができた。‘御苑の春’は大きな樹の存在感と枝の太さがだんだん細くなってもなお写実の密度を保つ粘着的な描写力が強く印象に残る。画面をじっくりみていると加山又造の木々の描き方がダブってきた。

‘雨 法隆寺塔’は東芸大美には出品されなかった作品。広重の‘大はしあたけの夕立’を連想させる構成が鑑賞欲を刺激し続けてきたので、おおげさにいうと立ち尽くしてみていた。この雨の線をこれほど沢山ひくにはかなりの時間がかかり相当な集中力がいる。並みの画家ではとうていこのレベルに到達できない。

またみれて嬉しくてたまらないのが鮮やかな朱が目に焼きつく‘からすうり’、高島の描く果物の絵はどれもその驚くべきリアリズムが心を打つが、そのなかで群をぬいていいのがこのからすうり。この絵をみたら高島野十郎はもう心のなかにずっと居座る。

ラ・トウールのイメージがつきまとう蝋燭の絵、今回高島流の蝋燭が全部で19点も並んでいる。ゆらゆらと揺れる炎を1点々じっくりみていた。6月上旬、プラド美でラ・トウール展をみることになっているが、そのときは高島野十郎の蝋燭を思い出すことだろう。

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2016.05.09

カラヴァッジョの‘バッカス’へのこだわり!

Img_0002  カラヴァッジョの‘バッカス’(1597~98年 ウフィッツイ美)

Img_0001     フラスコに描かれた自画像

Img  シモン・ヴ―エの‘女占い師’(1620年 フィレンツェ ピッティ宮)

Img_0003     ジャコモ・マッサの‘聖ヒエロニムス’(ローマ バルベニーニ宮)

西洋美で開催されている‘カラヴァッジョ展’(3/1~6/12)をまた見に行った。これで3度目。足が何度も向かうのはカラヴァッジョに腹の底から参っているからだが、もうひとつは20代の作品‘バッカス’に描かれた自画像をどうしてもつきとめたいから。

4月に放送された日曜美術館でその自画像の場所がはっきり示された。2回目のときなんとか確認したはずだった人の顔とはまったくちがっていた。大カラヴァッジョ展(2010年 ローマ)の図録をみていてふと気がついたところはフラスコの右下の白くなっている部分。確かに顔が左斜め前から描かれた男が映っているのだが、、

番組をみたあと、件の図録で拡大された図版をみてみたが解説されたところには何もうつってない。だから、この絵をまたみたときちゃんと確認できるか心配だった。でも、絵の前に立ったらその心配はすぐ消えた。これでスッキリしたが、あの右下の男の顔は何だったのか? 忘れることにした。

この展覧会が終わると、カラヴァッジョをまとまった形でみるのはだいぶ先になる。そう思うと今回でているカラヴァッジョへの思い入れは一段と強くなる。そこで入口のところへもどって‘女占い師’から一点ずつ時間をかけてみた。

また、カラヴァッジェスキの作品にも気持ちがぐっと入っていく。そのなかでシモン・ヴ―エ(1590~1649)の活気のある風俗画‘女占い師’とラ・トウールの光の表現がダブってみえるジャコモ・マッサの‘聖ヒエロニムス’を長くみていた。

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