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2016.03.10

近代日本美術の煌き! 1943年(昭和18) その二

Img_0003     藤田嗣治の‘アッツ島玉砕’(東近美)

Img_0001     須田国太郎の‘校倉(乙)’(京近美)

Img     松本竣介の‘Y市の橋’(東近美)

昨年10月、Eテレに藤田嗣治が登場した。NHKの美術関連の番組というと日曜美術館がまずあげられるが、ここ数年は見る機会が少なくなっている。理由は司会者の井浦新と女性アナウンサーの仕切りがつまらないから。同じNHKでも、総合のヒストリアでときどきとりあげる画家物語やBSプレミアムで制作される番組、例えば浮世絵四季めぐり、といったもののほうが情報量も多くおもしろい。

件のFUJITA物語も内容の充実したいい番組だった。大きな収穫だったのが藤田嗣治(1886~1968)が描いた戦争画には下敷きにした西洋画があったという話。例えば‘アッツ島玉砕’に描かれた兵士たちの戦闘の場面はラファエロの‘ミルウイウス橋の戦い’から構図を借り、、また‘ソロモン海域における米兵の末路’はドラクロアの‘ドン・ジュアンの難船’を参考にしていた。

藤田は軍から依頼されて戦争画を描いたが、出来上がった作品はパリにいるとき学んだ西洋画における戦いの絵のDNAをしっかり受け継いだものだった。このあたりが並みの画家とちがうところ。藤田は引き受けたときから自分の新たな作風の一つとして後世に残る戦争画を描きあげようと思ったにちがいない。

須田国太郎(1891~1961)の‘校倉(乙)’は建物をモチーフにした作品では忘れられない一枚。日本人の生活にはなにがしら墨の色が入っているので、こういう黒が画面に多くを占める作品をみてもすぐ目が慣れすこし時間がたつと心もぐっと落ち着いてくる。

数日前、ひとつの展覧会情報が入ってきた。秋に神奈川県近美葉山で松本竣介(1912~1948)の回顧展(10/8~12/25)が開催される。2012年世田谷美でおこなわれたときは見逃したので、運よくリカバリーできそう。スーラの音のない風景画を連想させる‘Y市の橋’とまた会えるかもしれない。

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コメント

東京国立近代美術館には、年に3度くらい足を運んでいるのですが、いつも展示されている藤田嗣治の『アッツ島玉砕』と違い、松本俊介の『Y市の橋』は一度しか見たことがありません。

それでも印象に残っているのは、『Y市の橋』のなにかとてももの悲しい雰囲気が影響しているのかもしれません。戦争の激しくなった時期の作品なので、画家が表現したかったものは暗い感情なのでしょう。解説に詳しいことが書いていなかったので、わかりませんが。

投稿: ケンスケ | 2016.03.15 21:17

to ケンスケさん
松本竣介の風景画は心にじんときますね。
こういう絵は自分でもなにか描けそうな気になり
ますが、戦時下という時代の重たい空気のなかに
身をおかなければ表現は形にならないでしょうね。

投稿: いづつや | 2016.03.16 00:27

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