近代日本美術の煌き! 1935年(昭和10) その一
絵画をみることが生活の一部みたいになってくると、二つの楽しみ方が定着してくる。ひとつはモーツァルトやマーラーを何度も聴くように同じ名画をたびたびみて作品に対する愛着を深めていくこと。そして、もうひとつは新しい傑作との出会い。
昨年ワシントンのフリーア美で宗達展をみたとき、思いもよらず前田青邨(1885~1977)の‘罌粟(けし)’に遭遇した。この絵と以前明治神宮記念館で対面し、青邨が光琳の‘燕子花図屏風’を意識して描いたことはすぐ気がついた。そして、ワシントンでの対面、じっとみているうちに青邨の琳派DNA度は本物だなという思いが強くなった。
このように青邨の作品は何度みてもうならせるものが多い。その極めつきが岩崎家から皇室への献上画として制作を依頼された‘唐獅子’、画集では何度となくみているが実際に絵の前に立ったのは2回。視線が向かうのは右隻に描かれた黄金の獅子が首を右に曲げて子獅子をみている姿。この青邨流の獅子が目にやきついている。
冨田渓仙(1879~1936)の人物表現は漫画チックなところがあり、それが渓仙の魅力のひとつになっている。この滝壺に現れた仏さんの顔は意地を張った子どもみたいな感じがしてとてもおもしろい。大観は渓仙の才能を高く評価しており、家にはいつも渓仙の絵が掛けてあったという。
小杉放菴(1881~1964)の作品をたくさん所蔵している出光美、昨年ここで待ち望んだ回顧展が開催された。秋が深まったときにみたら格別魅了されると思われるのが‘山中秋意’、真っ赤に染まった紅葉の枝の真ん中に山鳥をとまらせる構図が見事に決まっている。こういう配置はすぐ思いつきそうだが、いざ描くとなったらこうピッタリとはいかない。
杉山寧は日本画家としては大きな存在だが、その作品をみる機会は意外と少ない。初期の作品でとてもいいのが東芸大美にある。‘野’は子どもたちが薄の野原でかくれんぼ遊びをしているのかとつい思ってしまう。
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