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2015.10.01

近代日本美術の煌き! 1907年(明治40) その一

Img_0001     下村観山の‘木の間の秋’(東近美)

Img     川合玉堂の‘二日月’(東近美)

Img_0002     木村武山の‘阿房劫火’(茨城県近美)

Img_0003     小林古径の‘闘草(くさあわせ)’(山種美)

下村観山(1873~1930)の作品をもし1点さしあげるといわれたらどれを指さすか、これはすぐ決まる。重文の‘弱法師’ではなく‘木の間の秋’。

10数年前東近美で琳派展があったとき、琳派の装飾美を引き継ぐ作品として‘木の間の秋’は菱田春草の‘落葉’や山口蓬春の‘扇面流し’などと一緒に展示された。‘落葉’同様、木の幹にはたらしこみが施され、下の草むらの描き方は酒井抱一の花鳥画を彷彿とさせる。琳派狂いだからこういう絵の前に立つと心が高ぶる。

川合玉堂(1873~1957)の風景画の魅力は人物や馬などを登場させ自然のなかに生活感をとけこませているところ。‘二日月’は玉堂が追い求めた独自の作風の出発点となった作品。夕霧につつまれて農民と馬が川を渡っている。川の流れを大きく曲げてS字をつくり後ろの山のラインと融合させる表現に魅了される。

木村武山(1876~1842)は大観、春草、観山とともに茨城県の五浦に移った画家。笠間の出身で代表作が‘阿房劫火’、描かれているのは秦の始皇帝の阿房宮が項羽軍によって焼き払われる場面、紅蓮の炎と煙につつまれた宮殿が目に焼き付いている。

山種美にある小林古径(1883~1957)の‘闘草’は絵画鑑賞が歴史を学ぶいい機会にもなりうることを教えてくれる一枚。闘草(くさあそび)はとってきた草をみせあい種類や形などで優劣を争う遊びのこと。古代中国にはじまり、日本では平安時代から行われた。負けると衣装を脱ぐことになっている。

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