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2015.10.10

近代日本美術の煌き! 1911年(明治44)

Img_0002        前田青邨の‘竹取’(東博)

Img_0001     今村紫紅の‘護花鈴’(霊友会妙一記念館)

Img     村上華岳の‘二月乃頃’(京都市立芸大美)

Img_0003     平櫛田中の‘幼児’(井原市田中美)

浮世絵の世界で人気を集めた美人画が上村松園や鏑木清方らによって引き継がれその作品が明治・大正から昭和にかけて多くの人々に愛されたように、安田靫彦(1894~1978)、小林古径(1883~1957)、前田青邨(1885~1977)が歴史や古典文学を題材にした描いた日本画も注目を集めた。

古径には‘加賀鳶’があるが、青邨の傑作は‘竹取’、屋根にあがった役人たちがかぐや姫が天に昇っていくのをあっけにとられて眺めているこの場面を息を呑んでみているとある絵巻が頭をよぎる、そう、‘信貴山縁起絵巻’の飛倉。だから、同じような奇蹟に遭遇し男たちがあわてふためく様子を夢中でみてしまう。

今村紫紅(1880~1916)の‘護花鈴’もお気に入りに一枚。描かれているのは秀吉の‘醍醐の花見’の場面、木のまわりには鈴のついた赤い紐をはりめぐらして桜の花を鳥から守っている。紫紅がこの絵描くために参考にしたのが東博の平常展によくでてくる狩野長信の‘花下遊楽図’。古典をよく消化し、自分流の風俗画にしているところがすごい。

農村の風景を描いた作品で心に響くのはなんといっても川合玉堂だが、村上華岳(1888~1935)の‘二月乃頃’にも大変魅了されている。この田園風景は目に心地よく一見誰にも描けそうな感じがするが、こういう田んぼを俯瞰の構図で仕上げるというのは並みの画家の頭のなかからは生まれてこない。

平櫛田中(1872~1979)が生まれた岡山県の井原市に田中美があり、広島に住んでいたとき訪問した。そして、小平市にある平櫛田中彫刻美にも足を運んだ。田中の初期の作品で好きなのが‘幼児’、散歩をしているとこの彫刻のような愛らしい赤ちゃんとよくでくわす。本当に可愛い!

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