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2015.10.31

近代日本美術の煌き! 1922年(大正11)

Img     岸田劉生の‘二人麗子図’(泉屋博古館分館)

Img_0001     川村蔓舟の‘雨二題’(三の丸尚蔵館) 上が犬山で下が蒲郡

Img_0003     六角紫水の‘蓬莱山蒔絵模造手板’(東芸大美)

岸田劉生(1891~1929)の描いた麗子像シリーズが特異な肖像画として強く記憶に残るのはこの肖像画が成長していく麗子の姿をそのまま描いただけでなく、生の麗子を劉生のいだく美の世界に変容させ架空のイメージを生み出しているから。

‘二人麗子図’はとても興味深い作品で‘麗子微笑’で描かれた麗子が双子として登場し、もうひとりの麗子が‘麗子微笑’の麗子の髪を結っている。劉生はこのアイデアをどうやって思いついたのだろうか。この絵や中国絵画を思わせるニヤッと笑った麗子像をみると劉生が麗子というリアルな存在を飛び越えて絵画の可能性をいろいろ追求していたことがわかる。

三の丸尚蔵館へ足を運ぶと普通の美術書ではあまりお目にかからない画家が描いたとてもいい絵に遭遇することがよくある。三の丸尚蔵館のHPを定点観測しているのはそのため。川村蔓舟(1880~1942)は山元春挙に学んだ風景画家、犬山と蒲郡の風景を描いた‘雨二題’は雨の感じがよく表現された抒情性あふれる作品。

六角紫水(1867~1950)は広島県出身の漆芸家。広島に住んでいたとき県立美術館の一角に常設展示された蒔絵の傑作をよく鑑賞した。‘蓬莱山蒔絵模造手板’は金銀研出蒔絵の高い技術が存分に発揮された名品。本物の法隆寺献納宝物(東博)をみているのとなんら変わらない。

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2015.10.30

近代日本美術の煌き! 1921年(大正10)

Img_0001     岸田劉生の‘麗子微笑’(重文 東博)

Img_0002     冨田渓仙の‘祇園夜桜’(横山大観記念館)

Img     小茂田青樹の‘出雲江角港’(東近美)

クラシック音楽に何度聴いても心がゆすぶられる名曲があるように、絵画の世界にもみるたびにいい気持になる絵がある。岸田劉生(1891~1929)の‘麗子微笑’はそんな名画のひとつ。

何点も描かれた麗子像のなかで‘麗子微笑’はほかとはまったく雰囲気がちがう。このときだけ劉生は美の女神ミューズにとりつかれ特別な状態にあったのか、麗子から神秘的な美しさをひきだした。こんなすごい絵が日本の画家の手によって生み出されたことが日本人としてすごく嬉しい。

とりわけ惹きつけられるのが涼しげな目ときれいな口、真正面ではなく斜めを向いたポーズはおかっぱの髪とバランスのとれた顔の美しさを浮かび上がらせ視線を釘づけにする。また、毛糸の質感が見事に表現された肩掛けの赤が強く印象に残る。この絵をみれることは大きな喜び。

横山大観が名画‘夜桜’を描くとき触発されたのが冨田渓仙(1879~1936)の‘祇園夜桜’、水墨表現の山を背景にして月の光に照らされた円山公園の枝垂れ桜は能の幽玄の世界を現出しているよう。2009年運よく茨城県近美で開催された大規模な富田渓仙展に遭遇し、渓仙の魅力を再認識した。

速水御舟(1894~1935)と親しい間柄であった小茂田青樹(1891~1933)は川越の出身、以前川越市美へ橋本雅邦展をみるために出かけたとき、ここにも小茂田の作品があることを知った。十数年前回顧展も行われている。30歳のとき描いた‘出雲江角港’は風景画のなかでは一番気に入っている。

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2015.10.29

近代日本美術の煌き! 1920年(大正9) その三

Img_0002     富岡鉄斎の‘小かつ大胆図’(東近美)

Img_0001     平櫛田中の‘転生’(東芸大美)

Img     高島野十郎の‘絡子をかけたる自画像’(福岡県美)

富岡鉄斎(1836~1924)が84歳のとき描いた‘小かつ大胆図’は鳥獣戯画を思わせるユーモラスな絵。描かれているのは猿がぬるぬるっとしたなまずを瓢箪で捕らえようとしている場面。これは禅の画題‘瓢鮎図’のパロデイで人間が猿に変わっている。一体どうやってなまずを瓢箪のなかにいれるのか? 今だにわからない。

平櫛田中(1872~1979)は信じられないくらい長生きをした。亡くなったのは1979年で108歳になっていた。だから、お気に入りの木彫は長い時間のレンジのなかに分布している。東芸大美が所蔵している‘転生’は田中の長い人生の真ん中あたりに制作されたもの。

この作品でドキッとするのは鬼が口からなにかを吐き出しているところ。これはじつは子ども、ゴヤが好きな人はすぐ‘わが子を喰らうサトゥルヌス’を連想するにちがいない。なぜ子どもを吐き出しているかというとなまぬるかったから。

田中はこんな話をしている。‘私は子供のころ、生温ッ子は鬼も喰わない、って、よく父親から叱られたもんだァね。熱いなら熱い、冷いなら冷い、中途半端じゃいかんという訳だろうな、それを私がああいう風に制作したのです。鬼が子供を食ったが、なまぬるいので、こんな生温ッ子が食えるか生まれかわって来いって、火焔の中に吐き出しているところです’

高島野十郎(1890~1975)の絵はまだほんの数点しかみていない。自画像は4点あるそうだが、お目にかかったのは‘りんごを手にした自画像’(1923年 福岡丱美)のほうで‘絡子をかけたる自画像’はまだ縁がない。岸田劉生を彷彿とさせる写実に徹底的にこだわった表現は強烈なインパクトがある。

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2015.10.28

近代日本美術の煌き! 1920年(大正9) その二

Img_0003     村上華岳の‘裸婦図’(重文 山種美)

Img_0002     鏑木清方の‘妖魚’(福富太郎コレクション)

Img     速水御舟の‘京の舞妓’(東博)

Img_0001     竹久夢二の‘秋のいこい’(岡山 夢二郷土美)

村上華岳(1888~1939)が描いた‘裸婦図’は顔のイメージはインドの女性だが、直接に結ぶつく絵としてはルネサンスのボッティチェリの‘ヴィーナスの誕生’、手を乳房の前のおくポーズはまさに日本版ヴィーナス。この絵をはじめてみたとき強く印象に残ったのは真ん丸の顔と乳房、ほかはあまり目に入らなかった。

鏑木清方(1878~1972)にも上村松園の‘焔’のような異色の作品がある。人魚を描いた‘妖魚’、ドキッとさせられるところはスイス出身の象徴派、ベックリン(1827~1901)の絵の雰囲気と共通するものがある。清方はこの絵ついて、‘平常はあまり同調しかねる、山中常盤や浄瑠璃物語などに見るややグロテスクな岩佐派の手法に倣った’と述べている。

岸田劉生(1891~1929)がデューラーの細密描写に強く影響をうけたように日本画の速水御舟(1894~1935)も写実を極限までつきつめた。その代表的な作品が東博にある‘京の舞妓’、目が点になるのは畳の描写。畳そのものという感じでびっくりした。これを描き上げるには気が遠くなるような時間が必要、とにかく御舟は超人的な持続力の持ち主。畳のインパクトが強すぎて、この絵の前では畳ばかりみている。

竹久夢二(1884~1934)の秋を200%感じさせる‘秋のいこい’に大変魅せられている。ベンチにかけて物思いにふける女性のモデルは当時一緒に暮らしていたお葉、これも夢二式美人のひとつ。夢二の絵にしては生活感のある女性なので絵にすっと入っていける。

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2015.10.27

近代日本美術の煌き! 1920年(大正9) その一

Img_0004     古賀春江の‘婦人’(茨城県近美)

Img_0002     橋口五葉の‘髪すき’(町田市立国際版画美)

Img     山本鼎の‘ブルトンヌ’(東近美)

Img_0001     中村つねの‘エロシェンコ氏の像’(東近美)

古賀春江(1895~1933)の絵ですぐ頭に浮かぶのは東近美に展示してある‘海’、画面の右に手を上にあげたモダンガールが立っているおもしろい絵。確かにシュルレアリスムの作品だがダリのように深くこみいってなく、小学6年生くらいの子がおもちゃや魚たちを気ままに並べたようにもみえる。

古賀というと当時のCMやデパートのポスターにシュール世界をとりこんだような作品を得意とした画家のイメージができていたが、あるとき茨城県近美にすごくまともな肖像画に出会った。それは古賀の姉さん女房がモデルをつとめた‘婦人’、以来しっかりもので頭がよさそうなこの女性をみ続けている。

古賀がモダンガールを絵のなかに登場させたのに対して、今でいうぐグラフィックデザイナーだった橋口五葉(1880~1921)が創業期の三越の宣伝ポスターに描いたのは浮世絵風の美人。女性らしさを強調する長い髪がこれほどどっさり描写されると忘れようにも忘れられない。

木版画家の山本鼎(1882~1946)の‘ブルトンヌ’や中村つね(1887~1924)の‘エロシェンコ氏の像’をみみているとヨーロッパの美術館にいるような気持になる。まさに西洋絵画そのもの。ゴーギャンが一時期住んでいたブルターニュで描いた作品にもこのブルトンヌ(この地方の女性のこと)がでてくるので、山本鼎の絵にはすっと入っていけるしとても魅了される。

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2015.10.26

近代日本美術の煌き! 1919年(大正8) その二

Img        関根正二の‘子供’(ブリジストン美)

Img_0001        関根正二の‘三星’(東近美)

Img_0002     中村悌二郎の‘若きカフカス人’(東近美)

Img_0004    バーナード・リーチの‘楽焼駆兎文皿’(日本民藝館)

関根正二(1899~1919)は1919年に20歳という若さで亡くなった。この年に描かれたのが‘子供’と‘三星’、ともに傑作だが、とくに体が震えるくらい惹きつけられるのが‘子供’の赤、この絵について関根の友人だった
今東光(こんとうこう、作家・僧侶・参議院議員)はこう語っている。

‘あの子どもの絵があるでしょ、朱いのが。あれなんかがつまり、関根のバーミリオンってくらいでね、たっぷり使っている朱が、生きているんですよ。関根はうれしかったでしょ、これを描くときは。これ、ほんとうにいい絵ですよね。これあんたね、19、20歳で描いたんですよ’

‘三星’の三人の顔は唇、鼻、頬、額が赤づくめ、真ん中が関根で顔がよく似ている左はお姉さん、そして右は恋人。じっとこちらをみている関根はまさに生きており、絵を描くことに真剣にむきあっている感じ。‘いい絵が描けたじゃない!’とつい声をかけたくなる。

日本の若き彫刻家たちに大きな影響を与えたのがフランスのロダン、中村悌二郎(1888~1921)のブロンズ像‘若きカフカス人’は日本のロダニズムを強く感じさせる作品。これも荻原守衛の‘女’や高村光太郎の‘手’同様、目に焼きついている。

近代になってから制作されたやきものでは民藝派の陶芸家たちに特別の関心を寄せている。バーナード・リーチ(1887~1979)もそのひとり。日本民藝館でよくお目にかかるのが魅力いっぱいの兎。リーチの楽しみはこのような大きな皿に描かれた生き物。ほかにもペリカン、ライオン、グリフォン、鹿、人魚、タコなどが登場する。

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2015.10.25

近代日本美術の煌き! 1919年(大正8) その一

Img_0001          竹久夢二の‘黒船屋’(竹久夢二伊香保記念館)

Img_0002          村上華岳の‘日高河清姫図’(重文 東近美)

Img     松田権六の‘草花鳥獣文小手箱’(東芸大美)

美術本や画集かなにかで気に入った絵があったとする。それをみる機会というのは普通は美術館で開催される企画展とか回顧展。作品を所蔵しているのが美術館でも個人のコレクターでもこういう展覧会をじっと待っていると願いはまあまあ叶えられる。

ところが、美術館のなかには所蔵している作品を自館でしか公開しないことを決めている美術館があるので、それをみるためにはどうしてもその美術館を訪問しなければならないことがある。典型的な例が熱海のMOAにある尾形光琳の‘紅白梅図屏風’、この傑作は春の時期にしか展示されない。

また、例外的に事前に予約をして対面する絵がある。それは竹久夢二(1884~1934)の代表作‘黒船屋’、展示されるのは年一回、9/16を中心に二週間、10年くらい前、事前に日時を決めて伊香保にある記念館を訪問した。予約をしていたのはわれわれともう一組の4人、この絵は20年前特別につくられた和式の部屋に飾ってあり、畳に座ってみるようになっている。そして、ここでしか聞けない話ををふくめて学芸員が丁寧に解説してくれる。予約までしてみるなんてことは他の絵ではない。大好きな絵だからこそ特別な手続きをして伊香保まで出かけた。一生の思い出である。

村上華岳(1888~1939)が安珍清姫物語を題材にして描いた‘日高河清姫図’は鈴木春信の美人画の雰囲気が重なってくる作品。目を閉じたやさしくてか細い感じの女の姿からは蛇になって安珍を追っかけるところはちょっと想像しにくい。華岳はそのイメージのギャップをあえて使って女心の激情さを表現したかったのかもしれない。

漆芸家のスーパースター、松田権六(1896~1986)の‘草花鳥獣文小手箱’は東芸大の卒業制作で満点をとった名品。ぐるっとまわってみると跳びはねる鹿や兎の躍動感が目に飛び込んでくる。こういう目を見張らせる蒔絵をみていると本当に楽しい。

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2015.10.24

近代日本美術の煌き! 1918年(大正7) その二

Img         上村松園の‘焔’(東博)

Img_0002     土田麦僊の‘湯女’(右隻 重文 東近美)

Img_0003     速水御舟の‘洛北修学院村’(滋賀県近美)

Img_0001     高村光太郎の‘手’(東近美)

上村松園(1875~1949)の美人画というと女性の美の理想を求めた作品がすぐイメージされるが、一点だけ異色の作品がある。それは東博の平常展示にときどきでてくる‘焔’。

視線が集中するのは蜘蛛の巣と藤の文様の着物を着た女性が後れ毛をおはぐろをつけた歯で食いしばっているところ。女性が嫉妬に狂うときは心も体もこれほど激しく乱れるのかという感じ。なにかの反動で松園は一度だけ自らの内面の世界をこんな凄絶な絵で表現した。

土田麦僊(1887~1936)の‘湯女’は江戸時代に描かれた風俗画の趣と近代的な人物表現が見事に融合した傑作。松と藤の花に囲まれるようにして横たわっている女性は身につけている着物の鮮やかな赤の色によって強い磁力を放っている。東近美に足が遠のいているため長いことご無沙汰しているがいつか再会したい。

‘湯女’が赤で目が強烈に刺激されるのに対し、速水御舟(1894~1934)の‘洛北修学院村’は青に恐るべき力が秘められている。これほど青緑の美が心を揺さぶる絵はほかにみたことがない。木々を細密に描写する御舟の集中力と高い技量は尋常ではない。そして、青へのこだわり。長く記憶に残る一枚。

東近美へでかけるときは必ず目にするのが荻原守衛の‘女’と高村光太郎(1883~1956)の‘手’、手とか腕をモチーフにして価値ある彫刻作品を生み出すのだから光太郎の創作する力は並みのレベルを大きく超えている。

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2015.10.23

近代日本美術の煌き! 1918年(大正7) その一

Img_0001     岸田劉生の‘麗子肖像(麗子五歳之像)’(東近美)

Img     中沢弘光の‘かきつばた’(東近美)

Img_0003     関根正二の‘信仰の悲しみ’(大原美)

Img_0002     関根正二の‘少年’

岸田劉生(1891~1929)が娘の麗子を描くのは1918年の夏から、麗子が五歳のときだった。油彩の最初の麗子像が現在東近美にある作品。東近美に足しげく通っていたころはしょっちゅうみていたから、これが一番馴染みのある麗子像。

麗子は髪がばさばさの感じでなにか農村の家の子どものようにみえる。でも、背景の描き方のおかげで子どのなのにとても存在感のある肖像画になっている。青緑と麗子の着ている紺の着物の組み合わせがよくあい、髪の形や肩から両腕にかけてのラインとパラレルになっている朱色のアーチの枠が麗子の姿を浮き立たせている。

中沢弘光(1877~1964)の作品でよくお目にかかるのは東近美にある‘夏’、昨年か2年前に横浜そごうで回顧展があったような気がするが、なんとなく見逃した。この画家の作品でずっと追っかけているのが‘かきつばた’、水の精のような雰囲気をもった女性との対面を強く願っているがなかなか実現しない。

関根正二(1899~1919)が亡くなる一年前に描いたのが‘信仰の悲しみ’と‘少年’、この2点と1919年に描かれた‘子供’と‘三星’は決して忘れられない作品。関根はウイリアム・ブレイクみたいに幻影をみたらしい。‘信仰の悲しみ’は関根が日比谷公園のベンチに座っているときみた幻影がインスピレーションになっている。真ん中の朱で描かれた女性は関根が恋した女性という。

来年1月、国立新美で大原美のコレクション展(1/20~4/4)が開かれるので久しぶりに‘信仰の悲しみ’と会えそう。

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2015.10.22

心を奪われるモネの‘ヨーロッパ橋、サン=ラザール駅’!

Img     ‘ヨーロッパ橋、サン=ラザール駅’(1877年)

Img_0003     ‘ジヴェルニーの黄色いアイリス畑’(1887年)

Img_0001     ‘クルーズ川の渓谷、夕暮れの効果’(1889年)

Img_0002     ‘ポリーの肖像’(1886年)

東京都美で開催中の‘モネ展’(9/19~12/13)は‘印象、日の出’の展示が10/18で終了し、これに替わって20日から‘ヨーロッパ橋、サン=ラザール駅’が登場、早速みてきた。

パリにある邸宅美術館、マルモッタン美を訪問したとき、‘サン=ラザール駅’もみたはずなのだが、そのときはなんといってもあの有名な‘印象、日の出’しか眼中になかったので、この絵はまったく覚えてない。館がつくった図録(フランス語)にはもちろん載っている。

図録が発行されたのは1987年、そのため残念ながら全体的に作品の実際の色を忠実に再現していない。この絵についても色彩の輝きが弱く、これまでみたオルセー美やフォッグ美、シカゴ美にある‘サン・ラザール駅’と比べて出来栄えはどうだろうか、という心配があった。

でも、本物に会ってその心配は吹っ飛んだ。目を奪われるのは画面いっぱいに広がる機関車からでた白い蒸気、図版とはまったく印象の異なる活気に満ちた白、マルモッタン美がこの絵を外には出さない理由がよくわかった。絵の魅力はオルセーに並び、シカゴ、フォッグにあるものを上回る。期待の作品が大ヒットしたので興奮した。

ほかは一度みているのでさらっとみた。長くみていたのは二度目の公開となった‘ジヴェルニーの黄色いアイリス畑’と‘ポリーの肖像’、そして日本初登場の‘クルーズの渓谷、夕暮れの効果’。この‘クルーズの渓谷’は1990年ロンドンのロイヤルアカデミーで鑑賞した‘モネ連作展’に出品されているのだが、もうすっかり忘れている。だから、強い光の描写を目にやきつけた。

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2015.10.21

近代日本美術の煌き! 1917年(大正6) その二

Img_0003     板谷波山の‘葆光彩磁珍果文花瓶’(重文 泉屋博古館分館)

Img_0004     板谷波山の‘葆光彩磁チューリップ文花瓶’(石川県美)

Img_0001     松岡映丘の‘道成寺’(右隻 姫路市美)

Img     関根正二の‘天平美人’(大阪市近美準備室)

美術家の多くは完璧主義者。明治以降に活躍した作家でとくにそれを感じるのは美人画の上村松園(1875~1949)と陶芸家の板谷波山(1872~1963)。

これまでみてきた二人の回顧展でちょっと出来が悪いなと思わせるものはほとんどない。とにかくどの作品も完璧に仕上がっているという感じ、松園は思い通りの線が引けなければ何度も描き直したというし、波山はやきあがった花瓶にちょっとでもひびが入っていたら家の裏にいき割ってボツにしたという。

波山の作品で重文に指定されているのは2点あり、そのひとつが泉屋博古館分館が所蔵する‘葆光彩磁珍果文花瓶’、昨年同館で開催された没後50年の記念展で久しぶりに会った。波山の代名詞となった葆光釉が全体に完璧にかけられ、吉祥の果実の桃や枇杷、葡萄の文様が端正に品よく描かれている。

同じ年につくられたチューリップの葆光彩磁も目を楽しませてくれる。見惚れてしまうほどいい形をした花瓶でチューリップがアールヌーヴォー調にS字の曲線で描かれている。やさしくて洒落た感覚の意匠は波山の精神の純粋さがそのまま表れている。これをみるたびに波山に惚れ直す。

松岡映丘(1881~1938)はやまと絵の美を伝統を受け継いだ画家。兵庫県の生まれで民俗学者の柳田国男は実のお兄さん。今村紫紅の‘護花鈴’がダブってくるのが安珍・清姫伝説を画題にした‘道成寺’、描かれているのは清姫の怨霊が道成寺の鐘の再興供養に白拍子に化身して現れる場面。鐘のなかに入り、蛇に戻っていく。

20歳の若さで亡くなった関根正二(1899~1919)、残された作品をみるたびに天才だなと思う。肖像画だけでなく青木繁を連想させる‘天平美人’のような歴史画も描いていた。

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2015.10.20

近代日本美術の煌き! 1917年(大正6) その一

Img_0003     岸田劉生の‘土瓶とシュスの布と林檎’

Img       村山槐多の‘バラと少女’(東近美)

Img_0001        村山槐多の‘コスチュームの娘’(東近美)

Img_0002     萬鉄五郎の‘もたれて立つ人’(東近美)

西洋絵画とのつきあいはまず教科書に載っている絵をみることからはじまる。ひとつ々の名作が強い刺激をもっておりどんどん体のなかに入っていったが、油絵の魅力をもっとも感じさせてくれるのは近代になって描かれた静物画。そのなかで心をとらえて離さないのがセザンヌの‘林檎とオレンジ’(オルセー美)、以来この絵に魅了され続けている。

好きな静物画はもうふたつある。みた順番からいうと岸田劉生(1891~1929)の‘土瓶とシュスの布と林檎’とシャルダンの‘木いちごの籠’、岸田劉生に200%に参っているのは‘麗子微笑’とこの静物画をみた喜びがずっと心にとどまっているから。この土瓶と林檎はこれまで2回みたが、はじめてお目にかかったとき見事な質感描写にびっくり仰天した。セザンヌがこの絵をみたらきっと裸足で逃げるにちがいない。

村山槐多(1896~1919)の代表作‘バラと少女’と‘コスチュームの娘’は東近美が所蔵している。ここに頻繁に通っていたころは足をとめてよくみていた。‘バラと少女’は赤いほっぺの少女は囲まれたバラの花びらからその美しさを祝福されているように思えてならない。

萬鉄五郎(1885~1927)の‘もたれて立つ人’も東近美にある作品。ピカソが‘アヴィニョンの娘たち’を描きキュビスムという絵画革命を起こしたのは1907年、その10年後に萬鉄五郎はこんなキュビスム風の作品を描きあげた。マティスの色彩革命にもキュビスムにも敏感に反応するのだから鉄五郎の創作の精神と豊かな画才にはただただ感服させられる。

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2015.10.19

近代日本美術の煌き! 1916年(大正5)

Img_0001     川合玉堂の‘行く春’(重文 東近美)

Img_0002   山元春挙の‘晴天鶴’(三の丸尚蔵館)

Img_0003         岸田劉生の‘古屋君の肖像’(東近美)

Img     村山槐多の‘自画像’(三重県美)

近代日本画の殿堂、東近美には心を奪われる傑作が数多くあるが、川合玉堂(1873~1957)の‘行く春’もそのひとつ。春のころ、この絵をみると本当にいい気持になる。強く印象に残るのが岩の描写、だから川を下っていく水車舟をみるのがついおろそかになる。

そして、春が終わろうとしているのだなと実感させるのが風に吹かれて小雪のように舞う桜の花びら、図版ではこの美しい光景は伝わらないが、絵の前に立つと200%感激する。玉堂はスケッチ旅行で秩父の川下りを体験し、このときみた自然景観が絵のモチーフになっている。いつか秩父へ行ってみたい。

竹内栖鳳(1864~1942)とともに京都画壇をリードしたのが山元春挙(1871~1933)、大きな画面に描く壮大な風景画はみごたえがある。明治末まではセピア色の風景画を描いていたが、次第に色鮮やかな青や緑を多用する画風に変わっていく。三の丸尚蔵館にある‘晴天鶴’は色彩が色つき風景画としては派手すぎると思えるほど目にやきつく作品。こうした絵は結婚式のようなお祝いごとがあるとき会場に飾ってあるといっそう映える。

麗子像だけでなく男性の肖像画も沢山描いた岸田劉生(1891~1929)、そのなかでお気に入りは‘古屋君の肖像’、てかてかした顔の描写がなんともリアル、劉生がルーヴルにあるデューラーの‘自画像’を意識してこの肖像画を仕上げたことは明らか。生身の人間がすぐ目の前にいるように感じさせるデューラーの肖像画、その細密描写のDNAが時空をこえて日本の岸田劉生に受け継がれた。画家でもないのになにか誇らしい気分になる。

村山槐多(かいた 1896~1919)の‘自画像’はみた瞬間タジタジになった。その強烈な目力は‘俺は誰にも描けない絵を描くぞ!’という思いをこの絵にこめているよう。忘れらない一枚。

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2015.10.18

近代日本美術の煌き! 1915年(大正4)

Img_0004     下村観山の‘弱法師’(重文 東博)

Img_0002     今尾景年の‘花鳥之図’(左隻 三の丸尚蔵館)

Img     岸田劉生の‘道路と土手と塀’(重文 東近美)

Img_0001     山下新太郎の‘端午’(ブリジストン美)

下村観山(1873~1930)は菱田春草(1874~1911)よりひとつ年上で春草が37歳で亡くなった4年後に最高傑作‘弱法師’を描いた。この絵は重文に指定されていることもあって、東博の平常展で展示されることが極めて少ない。だから、以前足しげく通っていたときみたのか記憶があやふや。

最近では2年前横浜美の大規模な回顧展でお目にかかった。印象深いのはユニークな構図。すぐ目に飛び込んでくるのが左の大きな太陽、西方浄土に沈む太陽ということでこういう低い位置に描かれているが、ほかの作品ではあまり見ない。画面の多くを占めるのが咲き乱れる梅、その枝ぶりに視線が釘付けになる。そして、右にいる盲目の俊徳丸。顔がまるで老人。悲しい弱法師物語が見事に絵画化されている。

今尾景年(1845~1924)の作品をみた回数は多くないが、いつもぐっと引き込まれる。それくらいこの画家の技術は卓越している。三の丸尚蔵館にある‘花鳥之図’も立ち尽くしてみていた。端正な構図といい、色彩の強さといい一級の花鳥画である。

岸田劉生(1891~1929)は洋画家のなかでは青木繁(1882~1911)とともに特別な存在、この二人はヨーロッパへ行って本物の西洋絵画を目にするという経験がないのにすごい油絵を描くのだから、その才能はとびぬけていたというほかない。

‘道路と土手と塀’は自然の質感が完璧に表現された驚くべき作品。でこぼこの赤土の道路、そこにある小石や草は今まさに現場にいてじっと眺めているような気分になる。どうして対象をこんなにリアルに描けるの、デューラーの絵の図版をみてその細密描写を再現してみせる技はどんなものだったのか、一度きいてみたい。

ブリジストン美は洋画家のいい絵を沢山所蔵しているが、山下新太郎(1881~1966)の‘端午’も忘れられない一枚、窓の向こうで鯉のぼりが勢いよく風に吹かれているのがとてもいい。もちろんMy好きな子ども絵にしっかり登録されている。

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2015.10.17

来年6月 横浜美で‘メアリー・カサット展’!

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Img_0002      ‘5時のお茶’ (1879年 ボストン美)

東京都美でモネを楽しんだあとテーブルに置かれていた展覧会のチラシをみていたら、嬉しいものが目に入った。来年6月横浜美で開かれる‘メアリー・カサット展’(6/25~9/11)。

カサット(1844~1926)の回顧展があることはどこからともなく入ってきていたが、出品作についてはNO情報、ところが、今日最もみたかった‘桟敷席にて’(1878年 ボストン美)がやって来ることがわかった。思わず横浜美に心のなかで拍手した。

この絵の存在はもうかなり前から承知しており、ボストン美は日本との相性がとてもいいからそのうち姿を現してくれるだろうと思っていた。でも、どういうわけか一向にやって来ない。美術館が誇る印象派の名画はこれまで数多く披露されたというのに。

例えば、ルノワールの‘ブージヴァルのダンス’、モネの‘ラ・ジャポネーズ’、ゴーギャンの‘われわれは何処から来たのか’、、、だが、来日を心から希望しているのにそれが実現しないのが2点ある。それはゴッホの‘郵便配達夫ルーラン’とカサットの‘桟敷席にて’

その理由の半分は理解できる。ゴッホの‘ルーラン’はやはりすごくいい絵、だから、美術館としてはそう簡単には貸し出しはしないのだろう。そして、カサットの‘桟敷席にて’も同じ扱い?これは正直よくわからない、個人的には魅力あふれる名画だと思っているが、現地での人気はどうなんだろう。

ボストン美は2回訪問したが、08年のときカサットをみたのは美術館がつくった図録(英語版)に載っている‘5時のお茶’だけ、どういうわけか必見リストに入れていた‘桟敷席’は飾ってなかった。そんなわけで‘桟敷席’は現地でも日本でも縁にめぐまれなかった。それが来年解消されるのだから、大いに期待したい。

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2015.10.16

畠山記念館の‘古田織部展’!

Img     ‘伊賀花入 銘 からたち’(重文 16世紀末~17世紀初)

Img_0003     ‘志野水指 銘 古岸’(重文 16世紀末~17世紀初)

Img_0001     ‘割高台茶碗’(朝鮮時代 16世紀)

Img_0002     ‘織部手付向付’(17世紀)

都営浅草線の高輪台駅から徒歩7分くらいのところにある畠山記念館を久しぶりに訪問した。最後にみたものが何だったか忘れるくらいご無沙汰してしていた。4,5年でかけてなかったのに急遽足を運ぶことになったのは現在ここで古田織部(1544~1615)の没後400年を記念した‘桃山茶陶と織部好み’展(10/3~12/13)が開かれているから。

今年古田織部展をみるのは3度目。最初が1月の松屋銀座でそのつぎは2か月前の湯島天神の宝物殿、おかげで‘織部好み’の名品が数多く目のなかに入り、古田織部の自由な精神によって生まれた斬新な造形美にかなり近づくことができた。

これぞ‘織部好み’という感じなのが‘伊賀花入 銘 からたち’、男性的で豪快な花入で伊賀焼では五島美にある‘古伊賀水指 銘 破袋’(重文)とともにお気に入りの一品。これはもとはこの記念館の創設者畠山一清(号 即翁 1881~1971)の故郷金沢にあった名宝。

今回のお目当ては‘志野水指 銘 古岸’だった。何年もこの美術館から遠ざかっていたのは図録に載っている名品のほとんどをみたから。でも、1点だけなかなか遭遇せず残っていた。それが重文に指定されている志野の水指。なんともすきっとして安定感のある造形が心を和ませてくれる。そして、胴の周囲に描かれたのはこの形によく合う葦と桧垣文。本当にいいものをみた。待てば海路の日和あり、といったところ。なお、展示は11/5まで

ほかでは古田織部が所持していたと伝えられる‘割高台茶碗’や緑の釉薬が目にしみる‘織部手付向付’などを存分に楽んだ。やはりここの茶道具は名品が揃っている。すばらしい!

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2015.10.15

待望の‘久隅守景展’!

Img     国宝‘納涼図屏風’(17世紀 東博)

Img_0001     ‘鍋冠祭図押絵貼屏風’(17世紀)

Img_0003     ‘四季耕作図屏風’(右隻部分 17世紀 東博)

Img_0004     ‘賀茂競馬図屏風’(部分 17世紀 神奈川・馬の博物館)

先週の土曜日からサントリー美ではじまった‘久隅守景展’(10/10~11/29)は今年行われる日本美術関連の展覧会ではもっとも期待していたもの。チラシには代表作の国宝‘納涼図’のほか鑑賞欲を駆り立てる作品が載っているから、東博の平常展とくらべたら楽しみは大きい。

風俗画はとても好きなので‘納涼図’や初見の‘鍋冠祭押絵貼屏風’を夢中になってみてしまう。瓢箪の下で両親と子供が夕涼みをしている光景を描いた‘納涼図’、視線がながくとどまっているのは右手の肘を筵につけほおずえをついている男の姿。この格好があまりに印象深いので女と後ろにいる子どもの存在感がだいぶ薄くなる。

今回もっともみたかったのはおかめ顔の女が気を引く‘鍋冠祭図’、15年くらい前、サントリー美がホテルニューオータニの近くにあったころ行われた展覧会に登場した。ところが運悪く、展示替えで見逃した。それから、リカバリーを望んでいたが、その機会に恵まれずこんなに時が流れた。そして、奇しくも同じサントリーが主催する久隅守景展でお目にかかれることになった。素直に嬉しい。

これは絶対外せないので前期に出かけたが、もうひとつみたくてしょうがない鷹狩の絵は残念ながら後期の(11/5~11/29)の展示、一回で済ましたいがなかなか思い通りにはいかない。この‘鍋冠祭’、左の女はおもしろい恰好をしている。一体どうして鍋をかぶっているの?しかもひとつではなく五つも?

女たちはいい仲になった男の数だけ鍋を被って神社に参詣する。もし偽って数を申告すると神様からひどく怒られる。女の顔はみえないが鍋が五つもあるから男がほっておかないほどいい女なのだろう。それにくらべみじめなのは器量の悪い右の女、毎年鍋は必要ないかもしれない。

‘四季耕作図’は今回全部で7点でてくる。東博蔵のものはときどき平常展示でお目にかかる。時間は左隻から右隻に流れていて、これは右隻の皆で行っている脱穀などが描かれた部分。こういう農村の風景を目にするのはじつに楽しい。

はじめてみた‘賀茂競馬図’も目に力が入る一枚。後期に登場する大倉集古館にあるものと比べると疾走する馬の数が多く、レースの最後のところで二頭は後ろ足を大きくあげ激しく前のめりになっている。馬の絵はみているとこちらの体もつい左右に動く。

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2015.10.14

モネの‘印象、日の出’に乾杯!

Img_0001     ‘印象、日の出’(1872年)

Img_0003     ‘オランダのチューリップ畑’(1886年)

Img_0002     ‘小舟’(1887年)

Img     ‘睡蓮’(1916~19年)

上野の東京都美で開催中の‘モネ展’(9/19~12/13)をみてきた。10時ちょっとすぎに着いたのだが、チケットを購入するのに15分くらい並んだ。予想以上の人気ぶりにびっくりした。この並び方をみると3連休は相当混んでいたにちがいない。

先週だっかたBSでこの展覧会が取り上げられていたが、すでに13万人が入場したらしい。やはり日本では印象派が好きな人が多いからビッグネームのときは大勢の観客が押し寄せる。その大半が女性、ざっとみて10人のうち8人が女性という感じ、高齢の方もおられる。

出動が遅れたのは2回訪問するかどうかで心が揺れていたから。24年前の1991年、今回展示されているモネの作品を所蔵しているパリのマルモッタン美を訪問した。ご存知のようにモネの‘印象、日の出’は1985年10月27日盗難にあった。この絵が運よく発見されたのはそれから5年経った1990年、訪問する1年前のこと、そして1991年から再公開された。だからとてもいいタイミングでパリを旅行したことになる。おかげで長年の思いの丈をかなえることができた。

‘印象、日の出’が日本で展示されるのは21年ぶり、めでたい話なのだが展示期間は9/19~10/18の1か月だけ。そしてこの絵がパリに帰ったあとは‘ヨーロッパ橋、サン・ラザール駅’が10/20~12/13まで展示される。この‘サン・ラザール駅’は現地でみたはすだが、当時この絵に注意がいってなかったため記憶にまったくない、いわゆる‘見れど見えず’というやつ。

で、今回は一度みている‘印象、日の出’はパスして‘サン・ラザール駅’を優先し一度の鑑賞で済まそうと思っていた。ところが、展示替えの時期が迫ってくるとやっぱり‘印象、日の出’をもう一回みておこうという気持ちが強くなった。久しぶりにみて驚いたのは画面が思ったより明るかったこと。これはよくみている画集の図版の色が濃いすぎたのが原因。

目を奪われるのはこれからのぼってくる太陽が海面に反射している情景を橙色でざざっとした筆触で表現しているところ。確かに港の朝の雰囲気はこんな印象、そして橙色の線の横に描かれた小舟と船頭のシルエットが心をじわっとゆすぶる。再会したのは正解だった!

モネ好きの方ならこれまで2回あったマルモッタンのコレクション展には足を運ばれたはず。期待するのはたぶん同じではじめてやって来る作品。それが‘オランダのチュールップ畑’と‘小舟’、だから目に力をいれてみた。ともにいい気持になった。一連の睡蓮の作品でお気に入りはここにとりあげたもの。一番好きな黄色の睡蓮がまたきてくれたらいうことなかったが、これは欲張りすぎだった。

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2015.10.13

近代日本美術の煌き! 1914年(大正3)

Img_0001     今村紫紅の‘熱国之巻 朝之巻’(部分 重文 東博)

Img_0003           上村松園の‘楚蓮香’

Img     中村つねの‘小女’(中村屋)

Img_0002     村山槐多の‘紙風船をかぶった自画像’

今村紫紅(1880~1916)の‘熱国之巻’に大変魅せられている。この名画は東博では1年か1年半に一回くらいのペースで展示される。‘朝之巻’と‘夕之巻’の2巻に分かれており、長さは全部で9.5mにもなる。そのため二つは同時にでてくることはないので、これを目のなかにいれるには3~4年かかることになる。

1914年紫紅はパトロンの原三渓からの資金援助をうけてインドを旅行し、その成果を絵巻の形式で描きあげた。色数は少なく金色の混じった橙色や黄色、そして緑で表現された海岸沿いの村落の光景は熱い国の生活そのもの。2度インドを体験したのでこの絵にはすっと入っていける。

上村松園(1875~1949)の美人画というと女性の美があまりにも完璧に表現されているためちょっと近づきがたいところがあるが、そんな松園にも例外的にゾクッとするような作品が数点ある。そのひとつが‘楚蓮香’、この絵を4年前東芸大美でお目にかかったとき、びっくり仰天した。ええー、こんな鏑木清方風の色っぽい美人画を松園が描いていたとは!

松園の描いた中国美人にはほかに楊貴妃、羅浮仙があるが、いい香りにつられてよってくる蝶々が描きこまれたこの楚蓮香は横浜美蔵のものなどヴァージョンが3点存在する。そのなかでもっともいいのがこの作品。フィギュアの真央ちゃんを思わせる卵型の顔に200%参っている。

2、3年前新宿の中村屋のビルのなかにコレクションを展示する美術館ができたことは知っているが、まだ訪問してない。そこに展示されている作品の目玉のひとつが中村つね(1887~1924)の‘小女’、中村屋の娘を描いた作品は愛知県美や横須賀市美にもあるがどれも魅力いっぱい。

22歳で亡くなった天才画家村山槐多(かいた、1896~1919)の‘紙風船をかぶった自画像’は今風にいうとおねえ系の男性。2009年渋谷の松濤美で待望の‘村山槐多展’があり喜び勇んで出かけた。そのときこの自画像をはじめてみたが、そのあやしい視線にどぎまぎした。

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2015.10.12

近代日本美術の煌き! 1913年(大正2)

Img     土田麦僊の‘海女’(右隻 京近美)

Img_0002     萬鉄五郎の‘雲のある自画像’(岩手県美)

Img_0001     村上華岳の‘夜桜之図’(京近美)

Img_0003     平櫛田中の‘落葉’(広島県美)

ゴーギャンに影響をうけた土田麦僊(1887~1936)は‘島の女’を仕上げた翌年にゴーギャンの香りをより強くした‘海女’を描きあげた。みどころは右隻の海女が海からあがってくるところ。海女たちは二人ずつ同じ姿でパターン化されている。視線がむかうのは樽を横にもった二人。手前のほうを大きく描き仕事を終えてちょっと安堵した気分で歩いているところを躍動的に描写している。

目の覚める青で描かれた海に立つ波の形は見慣れた日本画ではでてこないものだが、この波とコラボしているように思えるのが同じ年に制作された萬鉄五郎(1885~1927)の‘雲のある自画像’、12年前この絵を東近美で開催された‘青木繁展’でみたとき強い衝撃をうけた。一体なぜ雲が頭のすぐ上にあるの?!

しかも、男の髪の毛の色は紫色で顔には緑が塗られている。まるでフォーヴィスムのマティスの人物画をみているよう。そして思った、萬鉄五郎、やるじゃないと。日本の男性がこういう色合いで描かれていてもあまり違和感を感じない。ということは鉄五郎が絵の可能性を真に理解しているから。これはすごい!

日本の画家で村上という苗字をもつ有名な画家が二人いる。村上華岳(1888~1939)と10月末から森美で回顧展がはじまる村上隆。また、村つながりでいうと洋画家に村山槐多(かいた)がいる。村上華岳は京都で土田麦僊や小野竹喬たちを一緒にあたらしい日本画を創作しようと奮闘したニューウエーブ。

25歳のとき描いた‘夜桜之図’はなかなかいい。幕末、夜桜を楽しむ人たちが下から層をつくるようにぎっしり描かれている。華岳は江戸時代に登場した風俗画や浮世絵などの魅力を大いに吸収し、誰も思いつかなかった画面構成で新しい風俗画を生み出した。

広島に住んでいるとき、県の美術館へよく出かけた。平常展に飾ってあった工芸や彫刻のなかには忘れられないものがいくつもある。そのひとつが平櫛田中(1872~1979)の木彫‘落葉’、彫られた老人は僧侶、この造形はムササビが体をひろげて飛んでいるところを連想させる。

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2015.10.11

近代日本美術の煌き! 1912年(大正1)

Img_0003_2     今村紫紅の‘近江八景’(重文 東博)

Img_0002_2     横山大観の‘瀟湘八景’(重文 東博)

Img_2     土田麦僊の‘島の女’(東近美)

Img_0001_2          萬鉄五郎の‘裸体美人’(重文 東近美)

東博の平成館で特別展があるときはその後本館へまわって平常展示をみるのがいつものパターン。必ず寄る部屋は決まっていて1階の日本画が飾ってあるところと2階の浮世絵コーナー。

今は東博の平常展示を見る回数はぐんと減っているが、以前は熱心に通っていた。東近美にある日本画も傑作ぞろいだが、ここにある作品の特徴は縦長の大きなものが多いこと。これはみごたえがある。だから一度にでてくる作品は10点くらいでも、いい絵をみたという印象が強く残る。

今村紫紅(1880~1916)の描いた作品で重文に指定されているのは‘近江八景’と‘熱国之巻’、いずれも東博の所蔵、東博によく足を運んでいたときはこの2点をみるのが大きな楽しみだった。琵琶湖周辺の名所を描いた‘近江八景’は天性のカラリスト、紫紅のすかっとした色彩表現が存分に発揮された作品。

右から‘唐崎’、‘粟津’、‘三井’、‘比良’と並んでいるが、とくに目に焼きつくのは‘比良’の青、雲などの白との鮮やかなコントラストをつくり海と山の美観を強調している。

1910年に中国を旅した横山大観(1868~1958)は北宋時代から多くの画家によって描かれた瀟湘八景に取り込んだ。8点あるなかでお気に入りは右の‘漁村返照’、ここには色彩があふれている。画面の多くを占める黄色、子どもと男たちの衣装の橙色、そして手前の緑の葉っぱ。従来の瀟湘八景のイメージとは趣が随分異なる大観流の瀟湘八景、絵画は時代の空気にあわせて変っていくものだということがよくわかる。

土田麦僊(1887~1936)の‘島の女’と萬鉄五郎の‘裸体美人’は東近美でお馴染みの名画。日本画家というのは伝統的な日本画ばかりみているわけではなく、西洋絵画の技法も貪欲に自分の作品に取り入れている。‘島の女’はゴーギャンの影響を受けている。わけもなく惹かれるのは右のしゃがんだ女、目と目の間が大きくあいたぺちゃんとした顔がほわんとしていい。

この女性に対して強力な磁力を放っているのが萬鉄五郎の‘裸体美人’、はじめてみたときはちょっと引いたが、どういうわけか何度も会っているうちに好きになった。強い母性愛とか生活力を感じさせる女性の体の力にいつも圧倒される。

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2015.10.10

近代日本美術の煌き! 1911年(明治44)

Img_0002        前田青邨の‘竹取’(東博)

Img_0001     今村紫紅の‘護花鈴’(霊友会妙一記念館)

Img     村上華岳の‘二月乃頃’(京都市立芸大美)

Img_0003     平櫛田中の‘幼児’(井原市田中美)

浮世絵の世界で人気を集めた美人画が上村松園や鏑木清方らによって引き継がれその作品が明治・大正から昭和にかけて多くの人々に愛されたように、安田靫彦(1894~1978)、小林古径(1883~1957)、前田青邨(1885~1977)が歴史や古典文学を題材にした描いた日本画も注目を集めた。

古径には‘加賀鳶’があるが、青邨の傑作は‘竹取’、屋根にあがった役人たちがかぐや姫が天に昇っていくのをあっけにとられて眺めているこの場面を息を呑んでみているとある絵巻が頭をよぎる、そう、‘信貴山縁起絵巻’の飛倉。だから、同じような奇蹟に遭遇し男たちがあわてふためく様子を夢中でみてしまう。

今村紫紅(1880~1916)の‘護花鈴’もお気に入りに一枚。描かれているのは秀吉の‘醍醐の花見’の場面、木のまわりには鈴のついた赤い紐をはりめぐらして桜の花を鳥から守っている。紫紅がこの絵描くために参考にしたのが東博の平常展によくでてくる狩野長信の‘花下遊楽図’。古典をよく消化し、自分流の風俗画にしているところがすごい。

農村の風景を描いた作品で心に響くのはなんといっても川合玉堂だが、村上華岳(1888~1935)の‘二月乃頃’にも大変魅了されている。この田園風景は目に心地よく一見誰にも描けそうな感じがするが、こういう田んぼを俯瞰の構図で仕上げるというのは並みの画家の頭のなかからは生まれてこない。

平櫛田中(1872~1979)が生まれた岡山県の井原市に田中美があり、広島に住んでいたとき訪問した。そして、小平市にある平櫛田中彫刻美にも足を運んだ。田中の初期の作品で好きなのが‘幼児’、散歩をしているとこの彫刻のような愛らしい赤ちゃんとよくでくわす。本当に可愛い!

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2015.10.09

近代日本美術の煌き! 1910年(明治43) その二

Img_0002     青木繁の‘朝日’(佐賀県立小城高校)

Img_0001          朝倉文夫の‘墓守’(朝倉彫塑館)

Img_0003     萩原守衛の‘女’(重文 長野県信濃美)

Img     板谷波山の‘金魚’

東京駅の八重洲口から5分ぐらい歩いたところにあるブリジストン美、現在は改築中で休館となっているが新装なってお目見えしたときにはルノワールの可愛い女の子の絵のように常時展示してほしい作品がある。それは藤島武二や青木繁(1882~1911)の名画。

青木繁はもちろん‘海の幸’だが、重文指定になっているためこれが実現しない。洋画に限って言えばこの展示期間の制限に何の意味があるのだろうか。オルセーではルノワールの代表作‘ムーラン・ド・ラ・ギャレット’がいつ訪問しても楽しめるのに、同じ油彩の岸田劉生の‘麗子微笑’(東博)や‘海の幸’はときどきしかみれないというのは、まったく変な話。

青木繁の絶筆‘朝日’と4,5年前ブリジストン美であった回顧展で久しぶりに対面し立ち尽くしてみていた。波のうねりは6年前に描いた‘布良の海’に比べると穏やかだが、全体の雰囲気はモネの海景画を連想させる。藤島武二の海の絵は正直ぐっとこないが、青木のモネ風の作品には200%しびれている。

1910年の秋に開催された第4回文展で最高賞の二等賞に輝いたのが朝倉文夫(1883~1964)のブロンズ像‘墓守’、そして三等賞が萩原守衛(1879~1910)の‘女’。手を後ろに組む姿がとても印象深い‘墓守’はなかなか見る機会がないが、東近美に行くと必ず会えるのが‘女’、ロダンに影響をうけその造形に現れた女性の内面描写をみると碌山という彫刻家は才能に恵まれた芸術家だなと思う。

板谷波山(1872~1963)の‘金魚’は大好きな作品。ぱっとみると誰でも気づくアールヌーヴォー調。そして下のほうをみると光琳の流水模様で華やかに装飾されている。天才といわれる人はいつの時代もその作品は多彩、この金魚がそれをよく表している。

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2015.10.08

近代日本美術の煌き! 1910年(明治43) その一

Img          菱田春草の‘黒い猫’(重文 永青文庫)

Img_0001          安田靫彦の‘花の酔’(宮城県美)

Img_0002     小林古径の‘加賀鳶’(東近美)

家で猫か犬をペットとして可愛がっているかどうかは別にして、猫好きと犬好きはどっちが多いだろうか?散歩をしていると犬の散歩によく出くわすが、家で飼われている猫の場合、飼い主と一緒に外出するのだろうか、ずっと部屋のなかにいてときどき庭を歩き回っている?犬派なのでこのへんのことはよくわからない。

近代日本画のなかで猫の画家としてすぐ頭に浮かぶのは菱田春草(1874~1911)、竹内栖鳳(1864~1942)、奥村土牛(1889~1990)、そして加山又造(1927~2004)。春草は黒い猫と白い猫をそれぞれ数点ずつ描いているがもっとも惹かれるのはやはり永青文庫にあるもの。

この作品は縦長の画面を下からたらし込みで描かれた木の幹、毛のふさふさした黒い猫、そして金泥で装飾的に表現された柏の葉という風にひとつ々を目に焼きつけていくような感じでみていくので絵との密着度が非常に強くなる。こういう作品はなかなか出会えない。

安田靫彦(1884~1978)の‘花の酔’はお気に入りの一枚。上村松園と鏑木清方、伊東深水の作品がMYミニ美人画展の大部分を占めるが、‘花の酔’もしっかりランクインしている。とくに視線が集中するのが手の描き方。いつもうっとり気分でみてしまう。

小林古径(1883~1957)は安田靫彦、前田青邨(1885~1977)とともに大観、春草の後をひきつぐ日本画壇の中心人物、27歳のとき描いた‘加賀鳶’は‘伴大納言絵巻’の火事の場面を連想させる力のこもった風俗画。古径というと‘静’の画家のイメージがあるが、加賀藩の消防団の活躍ぶりを描いた‘加賀鳶’は例外的に勢いのある作品で鳶たちの姿をきびきびした動きで表現し緊張感の漂う画面に仕上げている。

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2015.10.07

近代日本美術の煌き! 1909年(明治42) その二

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Img_0001     菱田春草の‘落葉’(重文 永青文庫) 上が右隻で下が左隻

Img        横山大観の‘流燈’(茨城県近美)

Img_0003     涛川惣助の‘七宝花鳥図三十額 駒鳥に藤’(迎賓館)

菱田春草(1874~1911)の‘落葉’は明治以降に描かれた日本画のなかで最上位にランクされる絵のひとつであることは間違いない。作風のちがいはあるものの、絵のもっている雰囲気は長谷川等伯の‘松林図’と似ており、いつも特別な思いでみている

この絵をみると心がすごく落ち着くのは林のなかを落ち葉を踏みしめながら歩いているような気分になるから。琳派のたらしこみの技法で描かれた木々はよく計算されて配置されているため、この静かな空間をついぶらぶらと奥のほうに進んでみたくなる。同じような感覚は‘松林図’でもおこる。東博でわりと頻繁に展示される‘松林図’のように‘落葉’とのつきあいが何度もあると心はとても豊かになる。

横山大観(1868~1958)が春草と一緒に旅したインドでの体験をもとに描いたのが‘流燈’、大観は不評だった朦朧体から脱却して色彩の美しさをだしたこの絵にきっかけに新たな日本画を切り開いていく。描かれているのはベナレスを流れるガンジス河で見た光景。

盛装した未婚の女性は石段から降りてきて燈がついているかわらけをガンジス河に流す。そのかわらけはみている間に沈まなければ前途は幸運に満ちている。真ん中と左の女性は美しい表情をみせているので幸せになれそう。

1909年に完成した迎賓館の部屋に飾る七宝の制作を依頼されたのが無線七宝で高い評価を受けていた涛川惣助(1847~1910)、今年その‘花鳥図三十額’をようやくみることができた。‘花鳥の間’でうけた感動の余韻が今も残っている。

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2015.10.06

近代日本美術の煌き! 1909年(明治42) その一

Img     藤島武二の‘黒扇’(重文 ブリジストン美)

Img_0001     黒田清輝の‘鉄砲百合’(ブリジストン美)

Img_0002     朝倉文夫の‘つるされた猫’(朝倉彫塑館)

藤島武二(1867~1943)の名前を聞いてすぐ思い浮かべるのはやはり‘黒扇’、日本の洋画家が描いた女性の肖像画でMyベストワンはこの絵と安井曽太郎(1888~1955)の‘金蓉’。

人物画の出来を映えを決める一番のポイントは目だが、‘黒扇’はそのことを教えてくれる典型的な作品。この絵を前に立つと、いつもなんと目のきれいな女性だなと思う。そして、その目をいっそうひきたてているのがのびのびとした筆致で描かれた白いヴェール。こういう名画は油絵をみる楽しみを強く感じさせてくれる。

黒田清輝(1866~1924)には人物画のほかに風景や草花を描いた作品もあるが、ランキング最前列には‘読書’や‘湖畔’とともに明るくて生き生きした感じのする‘鉄砲百合’を並べている。モネやルノワールの静物画がちらっと目の前をよぎりいい気持になる。

彫刻家、朝倉文夫(1883~1964)の‘つるされた猫’を東芸大美ではじめてみたときは不思議な感覚にとらわれた。ぎょっとしたのは手、これをシュール的にみるのか、そこまで気持ちをザワザワさせなくていいのか、迷った。

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2015.10.05

レンジャーズ 4年ぶりに西地区制覇!

Img     5回裏逆転の2ランホームランを放ったベルトレ

Img_0001    9回2失点と好投したハメルズ

ダルビッシュの所属するレンジャーズがエンゼルスとの最終戦に勝利し、4年ぶりに西地区を制覇した。拍手々!

今日勝てば優勝だが試合前の予想はきわめて悪い、昨日の試合はエンゼルスに8回を終わって4点差をつけていたのに抑えがこのリードを守れず5点も失点しまさかの逆転敗け。この敗けは嫌な流れになりそうでこの試合も敗けてアストロズとの決定戦にもつれこむのではないかと思っていた。

その悪い予感は1回いきなり現実のものとなった。先発のハメルズはトラウトにヒットを許し続くプホルスに先制の2点ホームランを打たれてしまった。その裏レンジャーズは今年好調のフィルダーがタイムリーヒットで1点を返し反撃。ハメルズのピッチングは失点したが悪くはなく2回以降は点をあたえず試合をつくっていく。

そして、5回裏のレンジャーズに流れがやってきた。2アウトのあとランナーを一塁において4番のベルトレがライトに見事なホームランを放ち試合をひっくり返した。ホームでの試合だからこうなるとレンジャーズは優勝へむけて活気づく。7回に大量6点をあげたところで勝負は決まり。

9月にフィリーズから移ってきたハメルズは2回以降エンゼルス打線を抑え結局2失点3安打で完投した。ハメルズを補強した効果は最後の最後で発揮された格好。昨年の覇者エンゼルスは最終盤になって驚異的な粘りでアストロズとワイルドカードを争ったが、惜しくも1勝の差で敗れ去った。

ポストシーズンに進出したレンジャーズの最初の相手は東地区を制したブルージェイズ。強力打線を誇るタフな相手だが、3勝する可能は十分ある。ダルビッシュはいないが馴染みのチームだから応援したい。

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2015.10.04

近代日本美術の煌き! 1908年(明治41)

Img_0001     藤島武二の‘チョチャラ’(ブリジストン美)

Img_0004     山下新太郎の‘読書の後’(泉屋博古館分館)

Img_0003     青木繁の‘漁夫晩帰’(ウッドワン美)

Img_0002     土田麦僊の‘罰’(京近美)

美術館で行われる展覧会計画はせいぜい1年先くらいの情報しか入ってこない。だから、そのあとはお気に入りの画家の回顧展を勝手につくっている。実現するかは運次第だが船の帆だけは高くあげておきたい。

洋画家のラインナップはすでに出来上がっている。期待値の高いのは山本芳翠(1850~1906)、藤島武二(1867~1943)、山下新太郎(1881~1966)の3人。理由は明白、いずれも女性の肖像画の名手だから。

武二はいい絵が2点残っている。どういうわけか縁に恵まれない‘チョチャラ’と‘芳けい’。ブリジストン美は現在改築工事のため休館しているが、数年先に再オープンするときはこれまで久留米にあった作品が全部東京に移ってくるので‘チョチャラ’にも対面できるだろう。これに対しチャイナドレスを着た女性を横向きに描いた‘芳けい’は個人のコレクション、そのため今後も姿を現してくれないかもしれない。

山下新太郎の描く女性画にもぞっこん参っている。もっとも好きなのが泉屋博古館分館にある‘読書の後’、モデルの女性はフランス人なのだろうが、美しい顔立ちは日本人であったとしてもおかしくない。はじめてお目にかかって以来ずっと心をとろけさせられている。

青木繁(1882~1911)の‘漁夫晩帰’は‘海の幸’のパート2を思わせる作品。漁夫は‘海の幸’と比べると写実的で生活感のある描写にしている。そして、いつものように前を行く二人の女性の一人をこちらに向かせ見る者の関心をぐっと引き寄せている。

日本画家、土田麦僊(1887~1936)は佐渡の生まれ。2年後には生誕130年を迎える。東近美で麦僊の大規模な回顧展があるのではないかとひそかに期待している。‘罰’は風俗画の傑作、なにかをやらかして廊下に立たされた三人の子ども。泣いている女の子と右の男の子の目つきがとてもいい。

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2015.10.03

神奈川県歴博で‘五姓田義松展’!

Img     ‘朝暘の富士’(1903年 茨城県近美)

Img_0001     ‘土佐丸’(1896年 日本郵船)

Img_0002     ‘山の宿’(1897~1906年 神奈川県歴博)

Img_0003     ‘操芝居’(1883年 東芸大美)

横浜のJR桜木町駅から歩いて10分くらいのところにある神奈川県歴博で気になる画家五姓田義松(ごせだよしまつ 1855~1915)の回顧展がはじまった。会期は9/19~11/8。

この洋画家の名前は最初は読めなかった、ごせいだ?ごしょうだ?ごせだと読めるのに時間がかかったのはなにぶん作品との出会いが少ないから。これまでお目にかかったのは東京都現美にある‘清水富士’と義松がパリに滞在していたときに描いた‘操芝居’の2点のみ。だから、チラシに‘最後の天才’とあってもこれをそのままうけとめるにはサンプルが少なすぎる。でも、みた絵の出来からするとそうかなとも思う、だから長い間気になる存在だった。

関心の的は油彩、全部で33点でていた。みていくうちに‘最後の天才’は当たっているなと感じてきた。五姓田義松という画家をはじめて知ったのは富士山の絵。今回富士山が描かれた風景画は5点ある。どれもぐっと惹かれるが、Myカラーが緑&黄色なので‘朝暘の富士’を長くみていた。

日本郵船が所蔵している‘土佐丸’にも思わず足がとまった。豪華客船が入港すると大勢の人が集まってくるように大きな船というのは特別に心を高揚させる。この絵の写実性豊かに描かれた船をみると外国へのあこがれやロマンがいやがおうにもかきたてられる。

市井の女性を描いたものがいくつもあったが、お気に入りは‘山の宿’。後ろから光を受けた真ん中の女性が着ている着物の白が発光体のように輝いていた。これは大きな収穫。そして、再会した‘操芝居’、やはりこれが一番よかった。未完成だが、五姓田の代表作であることを実感した。

見終わって図録を購入しようと思ったら、まだ出来ていないという。ええー!? のんびりしていること。10月20日頃入荷するというから図録を手に入れようと思っている方はそのころ行かれるほうがいい。

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2015.10.02

近代日本美術の煌き! 1907年(明治40) その二

Img     青木繁の‘わだつみのいろこの宮’(重文 ブリジストン美)

Img_0001     小林萬吾の‘物思い’(東芸大美)

Img_0002     和田三造の‘南風’(東近美)

Img_0003     大下藤次郎の‘穂高山の麓’(東近美)

絵画を西洋画、日本画、浮世絵などいろいろみてきてふと思うことがある。それは日本人が絵を描くことが非常に得意な民族だということ。とくにそれを感じるのは漫画の原点ともいえる鳥獣戯画、印象派に影響を与えた浮世絵、そして明治時代に描かれた洋画。

その洋画のなかで突出しているのが2人いる。青木繁(1882~1911)と岸田劉生(1891~1929)。青木の作品で心に強く残るのは人物描写、重文に指定されている‘わだつみのいろこの宮’で視線を釘づけにするのは奴婢と一緒に壺をもち木の枝に腰掛ける山幸彦をみつめる豊玉姫。

青木が人物を描くときの特徴はこの絵でも‘海の幸’でも‘大穴牟知命’でもそうだが、一人の女性に強い磁力をださせほかの男女は存在感をうすめて描くこと。そして、その女性が現在みているTVのドラマやCMにでてくる俳優やタレントを連想させるほどリアルで生の感覚があるためコロッと参る。青木の絵が長く愛される由縁である。

画家のなかには作品を数多くみているのではないのに一枚とても気になる絵があり、その名前が心にずっととどまっている画家がいる。小林萬吾(1870~1947)の‘物思い’はそんな一枚。この絵を実際にみたのは1回か2回だが、画集で何年もおつきあいしているから、この柱にもたれかかっている少女には親しみを覚える。本を手にしてじっと前をみつめる姿はタイトルそのもの。まるで映画のワンシーンをみているよう。

東近美へでかけるとよく出会うのが和田三造(1883~1967)の‘南風’と大下藤次郎(1870~1911)の水彩画の傑作‘穂高山に麓’、強烈なインパクトをもった筋肉隆々の男性が印象深い‘南風’は勝手にジェリコーの‘メデュース号の筏’の日本版と思っている。

海に比べると山とは薄い人生を送ってきたので山の美しさが体に多くしみこんでないが‘穂高山の麓’みると、もっと山歩きをしておけばよかったなと後悔する。はじめてこの絵をみたときの感動が今でも忘れられない。

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2015.10.01

近代日本美術の煌き! 1907年(明治40) その一

Img_0001     下村観山の‘木の間の秋’(東近美)

Img     川合玉堂の‘二日月’(東近美)

Img_0002     木村武山の‘阿房劫火’(茨城県近美)

Img_0003     小林古径の‘闘草(くさあわせ)’(山種美)

下村観山(1873~1930)の作品をもし1点さしあげるといわれたらどれを指さすか、これはすぐ決まる。重文の‘弱法師’ではなく‘木の間の秋’。

10数年前東近美で琳派展があったとき、琳派の装飾美を引き継ぐ作品として‘木の間の秋’は菱田春草の‘落葉’や山口蓬春の‘扇面流し’などと一緒に展示された。‘落葉’同様、木の幹にはたらしこみが施され、下の草むらの描き方は酒井抱一の花鳥画を彷彿とさせる。琳派狂いだからこういう絵の前に立つと心が高ぶる。

川合玉堂(1873~1957)の風景画の魅力は人物や馬などを登場させ自然のなかに生活感をとけこませているところ。‘二日月’は玉堂が追い求めた独自の作風の出発点となった作品。夕霧につつまれて農民と馬が川を渡っている。川の流れを大きく曲げてS字をつくり後ろの山のラインと融合させる表現に魅了される。

木村武山(1876~1842)は大観、春草、観山とともに茨城県の五浦に移った画家。笠間の出身で代表作が‘阿房劫火’、描かれているのは秦の始皇帝の阿房宮が項羽軍によって焼き払われる場面、紅蓮の炎と煙につつまれた宮殿が目に焼き付いている。

山種美にある小林古径(1883~1957)の‘闘草’は絵画鑑賞が歴史を学ぶいい機会にもなりうることを教えてくれる一枚。闘草(くさあそび)はとってきた草をみせあい種類や形などで優劣を争う遊びのこと。古代中国にはじまり、日本では平安時代から行われた。負けると衣装を脱ぐことになっている。

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