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2015.09.13

近代日本美術の煌き! 1893年(明治26) その二

Img     黒田清輝の‘舞妓’(重文 東博)

Img_0001         竹内久一の‘伎芸天’(東芸大美)

Img_0002     七代錦光山宗兵衛の‘色絵金襴手双鳳文飾壺’(東博)

黒田清輝(1866~1924)の肖像画ですぐ思いつくのは4点、西洋の女性をモデルにした‘読書’と‘婦人図’と日本人の女性を描いた‘舞妓’と‘湖畔’、このビッグフォーが黒田の代名詞といっていい。

‘婦人図’は東芸大美が所蔵し、残りの3点は東博にある。どの絵も同じくらいの回数をみているかというとそうではなくばらつきがある。どういうわけか‘舞妓’にお目にかかれる機会が極端に少ない。理由がよくわからないのだが、東博の平常展に‘舞妓’はなかなか登場しない。だから、この絵はまだ一回しか対面してなく、それがいつのことだっかた記憶が薄れている。

フランスから帰ってきて京都に出かけた黒田の心を虜にしたのが舞妓、美術作品の場合、絵画でも彫刻でも作家がうけた感動の大きさが作品の出来栄えを決める。描かれた舞妓のはつらつとした姿をみるとそのことがよくわかる。鴨川を背にする構図はホイッスラーが影響を受けた浮世絵の鳥居清長の美人画を連想させる。

竹内久一(1857~1916)の木彫作品は神武天皇像のほかにもう一点忘れられないのがある。1893年に開かれたシカゴ万国博覧会に出品された色つきの仏像‘伎芸天’、竹内は奈良にある優れた古仏像の模造をして技を磨きこの傑作をつくりあげた。

京薩摩の七代錦光山宗兵衛(きんこうざんそうべえ、1868~1928)の色絵金襴手もシカゴ万国博覧会に出品されたもの。当時こういう飾壺の装飾や模様には日本や東洋の美をイメージさせるモチーフとして獅子や鳳凰がよく用いられた。

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