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2015.09.30

近代日本美術の煌き! 1906年(明治39)

Img_0003_2      下村観山の‘春秋鹿図’(左隻)

Img_0001     渡辺省亭の七宝下絵‘雉’(東博)

Img          野口小蘋の‘青緑山水図’(三の丸尚蔵館)

今月のシルバーウイークあたりから美術館では力の入った企画展がはじまり、展覧会でエンターテイメントという気分がだいぶ盛り上がってきた。

どんなタイプの展覧会にもっともひきつけられるかは人によってまちまちだが、お好みはなんといっても一人の美術家の作品をどっと集めた回顧展。この秋期待しているのはサントリー美の‘久隅守景展’(10/10~11/29)、森美の‘村上隆 五百羅漢図’(10/31~3/6)、そして千葉市美の‘杉本博司展’(10/28~12/23)。

2年前、横浜美で開催された下村観山(1873~1930)の回顧展も代表作がずらっと揃い、東近美スタイルの観山全部お見せします!展示が心を熱くした。回顧展のいいところは画集でもみたことのない名画がひょいと現れること。‘春秋鹿図’はそんな一枚だった。波のように描かれた藤袴のなかを進む2頭の鹿を立ち尽くしてみていた。秋の鹿の絵ではこれが一番いいかもしれない。

迎賓館が1909年(明治42)に完成したとき、部屋を飾る七宝額を制作したのが涛川惣助で図案の下絵を渡辺省亭(1851~1918)が描いた。‘雉’はそのひとつ。涛川とのコラボは完璧にうまくいき、無線七宝の傑作が生まれた。

女流画家の野口小蘋(のぐちしょうひん 1847~1917)の作品はまだ片手くらいしかみたことがないが、深い青緑が目に染みる‘青緑山水図’は三の丸尚蔵であった‘帝室技芸員と1900年パリ万国博覧会’(2008年)で強く印象に残った作品。小蘋は1904年に女性としてはじめて帝室技芸員に任命された。

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2015.09.29

近代日本美術の煌き! 1905年(明治38)

Img_0001     青木繁の‘大穴牟知命(おおなむちのみこと)’(ブリジストン美)

Img     浅井忠の‘鬼ヶ島’

Img_0002        三代清風與平の‘旭彩山桜図花瓶’(三の丸尚蔵館)

青木繁(1882~1911)に惹かれる理由のひとつに神話画がある。西洋画にはボッティチェリの‘ヴィーナスの誕生’をはじめとしてギリシャ神話を題材にした傑作がいくつもあるが、青木はこれに霊感を得て古事記の物語を絵画化した。

ギリシャ神話が絵になっているのだから日本の神話を描いてもおかしくはないだろう、という発想がなんとも頼もしい。‘大穴牟知命’は因幡の白兎で知られる大国主命の話。大国主命にはいろんな別名があり大穴牟知命もそのひとつ。描かれているのは兄たちの陰謀によって命を落とした大穴牟知命が蘇生する場面。

英雄神を生きがえらせるために遣わされたのが蛤の女神(右)と赤貝の女神(左)、こちらをじっと見ている蛤貝比売(うむがいひめ)のモデルは‘海の幸’にも登場する恋人福田たね。目力のあるこの女性の存在感が際立っており、もうひとりの女性と頭をこちらにむけて横たわっている男性にはあまり視線が向かわない。

浅井忠(1856~1907)の‘鬼ヶ島’をみるとつい本当に浅井の作品?と思ってしまう。あの農民画を描いた画家はこんな戯画風の日本画にも手を染めていたのだから驚き。おむすびのような顔をした桃太郎の前で鬼たちが参りましたと降参している様子がじつにおもしろい。

板谷波山(1872~1963)が世にでてくる前、陶芸界の中心人物だったのが初代宮川香山(1842~1916)と三代清風與平(1851~1914)、與平の‘旭彩山桜図花瓶’は浮彫のように表現された山桜と鳥に魅了される。

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2015.09.28

今日はスーパームーン!

Img     今年最大の満月 スーパームーン

Img_0002     奥田元宋の‘紅嶺’(部分 1987年)

Img_0001     平山郁夫の‘興福寺の月’(1994年)

このところ天体や宇宙のことに関心がいっているのでスーパームーンにも敏感に反応する。今日は地球と月の距離が最も近くなり、月が大きく見える日。1年前だとTVに映しだされた満月をさらっとみるだけだったが、今はその明るさを熱心にみてしまう。

いろんなことに興味を抱くのは小さいころからの性分。惑星や月、銀河については科学雑誌‘Newton’のおかげで知識が増えている。本屋に寄ってみたら宇宙をテーマにした別冊がまた2つ発行されていた。いずれ購入することになりそうだが、現在は行動経済学と認知心理学に精神を集中させているので宇宙ものはちょっと小休止している。

スーパームーンにちなんで月の絵をとりあげてみた。古い日本画には‘日月山水図’(じつげつさんすいず)があるが、丸い太陽に対してここに描かれる月は三日月。これに対して‘武蔵野図’などでは秋の満月が描かれる。

明治以降の日本画で月がでてくる作品ですぐ思いつくのは平山郁夫(1930~2009)、夜のシルクロードを進むキャラバン隊を照らす月とか月光に浮かぶイスタンブールのブルーモスクなどが目に焼きついている。日本の‘興福寺の月’もとてもいい絵。

平山郁夫と同じ広島県出身の奥田元宋(1912~2003)は‘元宋の赤’に月を描くことが多い。‘紅嶺’のように山々はまだ紅葉に染まってないが、秋が深まってくると美しい月光が心をふるわすにちがいない。

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2015.09.27

鶴竜 横綱在位9場所目で優勝!

Img    決定戦で照ノ富士を破り優勝した鶴竜

Img_0002   横綱になってはじめての賜杯獲得

大相撲秋場所は横綱鶴竜が決定戦で照ノ富士を破り、2度目の優勝をかざった。横綱に昇進してからなかなか優勝できなかった鶴竜、9場所目にようやく賜杯を手にした。

本割で鶴竜は勢いよくでてきた照ノ富士にあっけにとられたような感じで土俵を割り、3敗で並ばれた。しかし、決定戦では立ち上いすばやく下手をとり右ひざを痛めている照ノ富士をなんなくしとめた。先場所は休場あけだったにもかかわらず調子がもどった感じだったので今場所は期待できそうだったが、白鵬が休場したあとの土俵の主役は大関の照ノ富士、11日目までは照ノ富士が全勝優勝につきすすむ雰囲気だった。

ところが相撲は何がおこるかわからない。自信満々の照ノ富士は12日目栃煌山に脇の甘さにつけこまれてまさかの敗戦。そして、翌日は稀勢の里の馬力に倒され右ひざを負傷してしまった。これで優勝の行方がわかならくなった。こうなると鶴竜が断然有利。14日目に優勝争いのトップにたった。

ようやく優勝にたどりついた鶴竜は来場所からは気分的にリラックスできるので賜杯を手にする回数はまだまだ増えそう。突然のアクシデントで優勝を逃した照ノ富士、相手力士に簡単にまわしを許し強引に勝ちにいく今の相撲では今回のようにケガをするリスクも高くなる。脇をかためて前に攻めていく相撲に変わったらすぐ横綱になれる。さらに稽古をつんで大きな力士になってほしい。

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2015.09.26

近代日本美術の煌き! 1904年(明治37)

Img_0004     青木繁の‘海の幸’(重文 ブリジストン美)

Img_0002     青木繁の‘海景(布良の海)’(ブリジストン美)

Img     竹内栖鳳の‘ヴェニスの月’(高島屋資料館)

Img_0001     山元春挙の‘ロッキー山の雪’(高島屋資料館)

数多くいる洋画家のなかで西洋画の本場フランスに留学していい絵を残した画家と日本にいて驚くばかりの油絵を描いた画家がいる。後者の代表が高橋由一を別格扱いで横に置くと青木繁(1882~~1911)と岸田劉生(1891~1929)。

1904年は青木繁の不朽の名画‘海の幸’が描かれた年。この絵をみるたびに遠い遠い昔の日本では人々はこんな漁をして生きていたことに思いをはせる。縄文・弥生時代の遺跡をみるより獲物をかつぎ横一列になって進む漁師たちの姿をみるほうが古代人の生活についてのイメージがより強くわく。

ブリジストン美ではじめて‘海景(布良の海)’をみたとき、すぐ頭に浮かんだのがモネの‘ベリールの岩’、そして思った。もしモネがこの絵をみたら裸足で逃げるだろうなと。この一枚でも青木の才能がとてつもなく大きいことがわかる。こんな天才が29歳しか生きられないのだから、天はときどきむごいことをする。

竹内栖鳳(1864~1942)の‘ヴェニスの月’と山元春挙(1871~1933)はともに展覧会出品のビロード友禅のために高島屋から依頼されて制作した下絵、栖鳳は1900年欧州を視察したときにみたヴェニスの風景を大きな絵に仕上げ、春挙は1904年セントルイス万国博覧会をみるために渡米したおり目にしたロッキー山脈を壮大な構図で描いた。

山水画に西洋画の技法をとり入れ新しい日本画をうみだそうと奮闘した橋本雅邦と同じく、栖鳳も元挙も西洋の写実を強く意識して現実感のある風景画を創作した。この2枚はとにかく大作なので絵の前では立ち尽くしてみてしまう。

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2015.09.25

近代日本美術の煌き! 1903年(明治36)

Img_0002     橋本雅邦の‘林間残照図’(駿府博)

Img     川合玉堂の‘日光裏見滝’(岐阜県美)

Img_0003     小堀鞆音の‘義経遇伊勢三郎図’

Img_0001     川之邊一朝ほかの‘菊蒔絵螺鈿飾棚’(三の丸尚蔵館)

明治のころアメリカでも万国博覧会が開催され、1904年にはセントルイスで行われた。このとき評判になった絵画がある。橋本雅邦(1835~1908)の‘林間残照図’、今は静岡の駿府博に所蔵されている。

アメリカ人の心をとらえたのはこの絵に空気遠近法といった西洋画の描き方が使われていたから。雅邦がめざしたのは線を重視する狩野派の伝統のうえに西洋の様式を融合させた新しい日本画、それがよくでているのが真ん中のなにも描かれていない空間。従来の見慣れた山水の表現とは趣がだいぶ異なり、深い精神性を感じさせる山水画に仕上がっている。

雅邦の絵に大きな影響を受けたのが川合玉堂(1873~1957)、‘日光裏見滝’は玉堂が30歳のときの作品。渓斎英泉もこの滝を描いているのですっと入っていける。目を奪われるのは鮮やかな紅葉と滝の水のコントラスト。じっとみていると雅邦の‘白雲紅樹’が自然と重なってくる。

小堀鞆音(1864~1931)の‘義経遇伊勢三郎図’でおっと思うのは動きのある構図、視線はまず左の二人に惹きつけられ、そして逆‘く’をたどるように縁先の伊勢三郎と座敷にいる義経にむかっていく。歴史画を得意とした小堀鞆音は出来事の一瞬をとらえるのが天才的に上手い!

11年の歳月をかけられてつくられた‘菊蒔絵螺鈿飾棚’は六角紫水の図案をもとに川之邊一朝(1830~1910)が蒔絵を仕上げた。一度しかみてないが息を呑んでみるほどの名品だった。こういう卓越した技術が詰め込まれた漆工作品をみるとほかのものがみれなくなる。

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2015.09.24

近代日本美術の煌き! 1902年(明治35)

Img        藤島武二の‘天平の面影’(重文 ブリジストン美)

Img_0002     浅井忠の‘縫物’(ブリジストン美)

Img_0003     菱田春草の‘王昭君’(重文 善ぽう寺)

Img_0001     竹内栖鳳の‘大獅子図’(藤田美)

黒田清輝とともに洋画界の中心人物だった藤島武二(1867~1943)、これまで岡田三郎助と組み合わせた回顧展はお目にかかったが、単独のものはない。清輝の回顧展をみて武二はめぐまれないというのはどうも落ち着かないのでこれを早く解消できないかと思っている。

ところで、武二の回顧展はいつごろあったのだろうか?ずっと期待しているのは東近美とブリジストン美、ほかには東京都美とか三菱一号館美も頭に浮かぶ。そうすると‘天平の面影’にも再会できる。清輝でも武二でもお気に入りは女性を描いたものだが、数でいうと武二は清輝の2倍ある。

武二の描く女性はどこかそのへんにいる女性のような気がしてならない。‘天平の面影’のモデルはとびっきりの美人という感じではなく、静かな身のこなしで内面のしっかりした女性のイメージ、ぱっとみるとNHKの有働アナに似てなくもない。

浅井忠(1856~1907)にも女性画がある。ブリジストン美が所蔵する‘縫物’、どの展覧会で対面したか思い出せないが、農民画が頭にこびりついているので思わずのけぞった。そして、洋画家は西洋画がお手本だから人物画も上手いんだと、感心した。

菱田春草(1874~1911)の‘王昭君’は昨年あった回顧展でようやく夢が叶った。描かれている女性の顔はよくみると親子か姉妹かと見まがうくらい似ている。だから、視線は顔ではなくて絹の質感をイメージさせる衣装のほうにむかう。胡粉の美しさを目に焼き付けた。

竹内栖鳳(1864~1942)の‘大獅子図’はサントリーであった藤田美名品展でみたばかり。このライオン、大阪へは特別仕様のトラックに乗って大阪に帰ったのだろうか。動物園とはちがい東京では檻がなかったから気分がよかったにちがいない。

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2015.09.23

マリナーズ岩隈 9勝目!

Img    ロイヤルズ打線をヒット3本に抑え込んだ岩隈

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大リーグのレギュラーシーズンは残り試合が10ちょっとになり、ポストシーズン進出を目指すチームの間には最後のふんばりどころ。これに対し、各地区の下位にいる弱体チームの楽しみは投手、野手個人の成績だけ。今日のロイヤルズとマリナーズの試合は岩隈が二桁勝利に近づけるかどうかが関心の的だった。

ここまで8勝を上げている岩隈、ノーヒットノーランを達成した後は敗戦を1つにとどめ、10勝まではあと2つ。対戦相手のロイヤルズは中地区で圧倒的な強さで勝ち進み地区優勝は目前、アリーグの勝率1位のチームだから簡単には勝てない。

ところが、ロイヤルズの先発ガスリーが大乱調、3回までにマリナーズの好打者カノに2打席連続でホームランを食らうなぞ散々、9点も奪われてはマウンドを降りざるをえない。予想外の大量失点にロイヤルズは休養モード、これは岩隈にとっては楽な展開、低めにボールを集め7回を3安打無失点で投げきった。

これで9勝目。もう2回くらい登板の機会があるから目標とする二桁勝利にはなんとかとどきそう。終わりよければなんとかで、勝ち星を重ねれば岩隈の評価はまた上がる。そうすると、シーズンオフにはFA市場の目玉投手として投手力を強化したいチームからは複数契約の高額オファーが期待される。そうなるように最後まで応援したい。

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2015.09.22

近代日本美術の煌き! 1901年(明治34)

Img     旭玉山の‘宮女置物’(三の丸尚蔵館)

Img_0001     初代宮川香山の‘菖蒲浮彫花瓶’

Img_0002     加藤友太郎の‘玉蜀黍画花瓶’(三の丸尚蔵館)

石川光明の‘古代鷹狩置物’とともに牙彫の傑作に数えられているのが旭玉山(1843~1923)の‘宮女置物’、これをはじめてみたのは1999年に東博で行われた‘皇室の名宝展’。

象牙の置物がこれほど写実的かつ精緻に仕上がっていると宮女の頭の髪から衣装の細部にいたるまで技の冴えをとことんみてしまう。スライスされた象牙をいくつも接合して扇子や重ね着された衣装の質感を見事に表現している。

才能に恵まれた美術家は創作の幅が広く、ひとつの技や作風にとどまることなく新たな創作の領域に踏み出していく。初代宮川香山(1842~1906)のその例外ではなく、明治初期のリアリズムの強い作品から後半はアールヌーヴォー調の作風になる。

‘菖蒲浮彫花瓶’は思わず見とれてしまう作品で淡い色調の菖蒲の花が花瓶の形と調和するようにとてもシンプルに印象深く彫りだされている。ガレのガラスなどに触発されたにちがいない。

加藤友太郎(1851~1916)の玉蜀黍をモチーフにした花瓶も魅力にあふれる一品。器全体を使って玉蜀黍が描かれ、そこに一匹の蜻蛉がとまっている。玉蜀黍というとこの花瓶と小林古径の絵をすぐ思い浮かべる。

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2015.09.21

近代日本美術の煌き! 1900年(明治33)

Img_0002     菱田春草の‘菊慈童’(飯田市美博)

Img_0003     竹内栖鳳の‘雪中噪雀図’(海の見える杜美)

Img     高村光雲ほかの‘楠木正成像’(皇居外苑)

好きな画家の回顧展をみるため美術館へ出かけるときは心は一段と高揚する。明治以降に活躍した日本画家で一生付き合っていこうと思っているのは6人いる。横山大観、菱田春草、上村松園、鏑木清方、東山魁夷、そして加山又造、そのひとり菱田春草(1874~1911)は昨年の今頃東近美で行われた。

この数年東近美が開催する回顧展は作品の数、質ともに非の打ちどころがないというほど充実している。春草のときも長年追っかけていた作品があそこにもここにもでているという感じ。だから感動袋はパンパンに膨らんだ。画集に必ずでてくる‘菊慈童’にも大きな感動をもらった。

図版では感じられなくて驚いたのは若さを数百年も保ってきた菊慈童が発光体のように輝いていたこと、日本画の色のなかでいつも気をつけてみているのは胡粉の白の強さ、この絵全体が朦朧体で描かれ背景の紅葉などの色は抑えられぼかしがはいっているため、よけいにこの幼い菊慈童の白は際立ってみえる。

同じく東近美で2年前にあったのが竹内栖鳳(1864~1942)の大規模な回顧展。このときもすばらしい内容だった。栖鳳は生き物の絵が格別に上手い。鳥はいうにおよばす、ライオン、兎、狐、猫、犬、蛙、いろいろ出てくる。鳥のなかでは雀をよく描いている。ふりつもった雪をふみしめる六羽の雀、一羽々をよくみるとその向きがみなちがっている。こうして奥行きをつくることをちゃんと計算しているところがすごい。

高村光雲(1852~1934)がつくった木彫作品で‘西郷隆盛’と‘楠木正成’はブロンズになっている。イタリアにある傭兵隊長の像をイメージさせるのが‘楠木正成像’、人馬一体になった見事な造形に目が釘づけになる。

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2015.09.20

近代日本美術の煌き! 1899年(明治32) その二

Img_0003     海野勝珉の‘太平楽置物’(三の丸尚蔵館))

Img     石川光明の‘古代鷹狩置物’(三の丸尚蔵館)

Img_0001     鈴木長吉の‘岩上ノ虎置物’(東博)

1900年、史上空前の規模で開催されたパリ万国博覧会は大盛況で世界中から集まった最新技術や最高の美術品をみようと5000万人が足を運んだ。当時ヨーロッパはジャポニズムがブームになっており、日本館で展示された工芸の傑作は多くの人の心をとらえた。

この万国博覧会はほかにも話題をさらった作品がある。そのひとつがアールヌーヴォーのガラス、ナンシー派の中心人物ガレとドーム兄弟がグランプリを狙って新しい技法をつかった作品で対決した。結果はガレは不満だったがグランプリを分け合った。

日本から出品された置物でその高い技術により強い磁力を放っているのは海野勝珉(1844~1915’の‘太平楽’、石川光明(1852~1913)の象彫‘古代鷹狩’、鈴木長吉(1849~1919)のブロンズ‘岩上ノ虎’。

このなかで圧倒的な存在感をみせているのは彫金の‘太平楽’、じっと見てしまうのがこの雅楽の演者の顔、あまりに写実的に描かれているので目の前にいるよう。豪華に装飾された兜と鎧に身をつつみ右手に剣をもった決めポーズが目に焼きついている。

象牙の置物が好きで、若いころインドを旅行したとき8つからなる親子象をお土産に買った。今は昔とちがって象牙の置物はNG,、これは彫りの状態もいいのでわが家の宝物のひとつ。石川光明の鷹匠は立派すぎて目がとろんとなる。こんな象彫がリビングにあったら最高の気分なのだが、

‘岩上ノ虎’はこれまで東博で2回みた。長吉というと鷹の置物なのだが、虎もあった。上の虎ばかりをみていると下にいるもう一頭の虎を見逃すので要注意。

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2015.09.19

近代日本美術の煌き! 1899年(明治32) その一

Img_0001     並河靖之の‘四季花鳥図花瓶’(三の丸尚蔵館)

Img     涛川惣助の‘墨画月夜深林図額’(三の丸尚蔵館)

Img_0002     香川勝廣の‘和歌浦図額’(三の丸尚蔵館)

Img_0003    川之邊一朝の‘石山寺蒔絵文台硯箱’(三の丸尚蔵館)

宮内庁の三の丸尚蔵館とのつきあいはかれこれ10数年になる。一度にみれる作品の数は多くないが、絵画にしろ工芸品にしろ一級品の折り紙つきが登場するので充実した美術展として長く心に刻まれる。

そのなかで強く印象に残っているのが2008年にあった‘帝室技芸員と1900年パリ万国博覧会’、パリで開かれた5回目の万国博覧会は過去最大の規模となり世界各国から国を代表する美術工芸品が展示された。日本も帝室(皇室)、宮内省が深くかかわり一級の美術品を出品した。

明治天皇の御下命により制作が依頼されたのは帝室技芸員をはじめとする23人、今風にいえばトップクラスの美術家からなるドリームチームをパリに派遣したようなもの。高い技がそそぎこまれてできあがった工芸品はいずれも名品揃い、その豊かな表現力におもわずうなってしまう。

七宝は並河靖之(なみかわやすゆき 1845~1927)の‘四季花鳥図花瓶’と涛川惣助(なみかわそうすけ 1847~1910)の‘墨画月夜深林図額’、霞のかかった山水画をみているような涛川の無線七宝に対して京都の並河の花瓶はその完ぺきな造形が心をとらえてはなさない。そして目を見張らされる絵付け、背景の黒に浮かび上がる緑の紅葉、白の桜、そして草木のなかを飛び交う鳥たち、まさに究極の七宝。

彫金や蒔絵も傑作、いずれも波の表現に目が点になる香川勝廣(1853~1917)の‘和歌浦図額’と川之邊一朝(1830~1910)の‘石山寺蒔絵文台硯箱’。こういう伝統の技に支えられた工芸品をみると、西洋における日本美術のイメージはこうした質の高い工芸の美によってつくりだされていたことがよくわかる。

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2015.09.18

近代日本美術の煌き! 1898年(明治31)

Img_0004     富岡鉄斎の‘富士山図’(右隻 清荒神清澄寺)

Img_0001     横山大観の‘屈原’(厳島神社)

Img     下村観山の‘闍維’(横浜美)

Img_0002     菱田春草の‘武蔵野’(富山県近美)

風景画家というと日本全国を旅する求道僧のようなイメージが浮かんでくるが、富岡鉄斎(1873~1930)もそんなことを強く思わせる画家のひとり。

富士山は古来より多くの画家に描かれてきた。でも、実際にこの霊峰を登ったものは多くはいない。鉄斎は明治8年40歳のとき登頂している。その実体験をもとに描かれたのは‘富士山図’、右隻が全景で左隻には頂上付近を人物をいれて大きく描いている。インパクトのある青緑がとびこんでくる頂上とは対照的に全景はここに足を踏み入れた者にしか感じとれない登山道がリアルにとらえられており、造形的に印象深い白い雲が富士の気高さを際立たせてる。

横山大観(1868~1958)の‘屈原’は何度も開催される回顧展には定番の作品、厳島神社にどういう経緯でおさまったのか詳しくは知らないが、広島に住んでいたので親近感を覚える。この絵のなかにはドキッとするものが描かれている。それは右下の黒い鳥、その鋭い目は一度見たら忘れられない。

下村観山(1873~1930)の‘闍維’は2年前あった回顧展(横浜美)で久しぶりに会った。闍維(じゃい)は荼毘(だび)のこと。仏陀の金棺に荼毘の火がつけられた瞬間が描かれている。金色というのは感情が異常に高ぶるから、立ち尽くしてみていた。

雀の絵を描かせたらこの画家だというのは3人いる。長澤芦雪、竹内栖鳳、そして菱田春草(1874~1911)。‘武蔵野’はお気に入りの作品。手前の草にとまっている一羽の鳥は勝手に雀にしている。しなったススキをみると秋がすぐそこまでやってきていることを思わせる。

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2015.09.17

近代日本美術の煌き! 1897年(明治30)

Img_0001     黒田清輝の‘湖畔’(重文 東博)

Img_0003        小堀鞆音の‘武士’(東芸大美)

Img     和田英作の‘渡頭の夕暮’(東芸大美)

Img_0002     加納夏雄の‘月に雁図額’(東博)

黒田清輝(1866~1924)の‘湖畔’は日本の洋画の記念碑的な作品、西洋の肖像画のスタイルをそのまま踏襲すると室内にいる女性の肖像となるが、黒田が選んだのは箱根の芦ノ湖。

湖と山々を背景にして石の上に座っているのは黒田の奥さん、この絵に強い衝撃を受けるのはこの照子夫人の美しさが尋常ではないから。まるで銀幕のスターが新作映画の撮影のため芦ノ湖でロケをしている感じ。とびっきりの美人が浴衣姿で団扇をもち涼をとっている、まさに日本人の琴線に響く理想的な人物画。

武士の鎧兜姿が目に焼きつく絵ですぐ思い浮かぶのは小堀鞆音(こぼりともと 1864~1931)の‘武士’と安田靫彦の‘黄瀬川陣’、安田が14歳のとき弟子入りしたのが小堀鞆音。‘武士’のモデルは源為朝、弓を持つ姿がじつに凛々しい。戦闘真っ最中の武士の姿を至近距離から斜めの視線で描くというのは並みの画家の頭の中からはでてこない。

和田英作(1874~1959)にはお気に入りの絵がある。夕暮れ時、川べりに集まった家族を素晴らしい構図で描いた‘渡頭の夕暮’、腕を組んで川のむこうをじっとみている少年になぜか強く感情移入してしまう。

明治の金工界における中心人物のひとりが加納夏雄(1826~1898)、その彫金の高い技術が認められ1890年、第一回帝室技芸員に任命された。満月を背に羽を大きく広げて飛ぶ雁が中央にどんと描かれた‘月に雁図額’は最晩年の作品。

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2015.09.16

近代日本美術の煌き! 1896年(明治29)

Img_0003     富岡鉄斎の‘旧蝦夷風俗図 右隻’(東博)

Img_0002_2      富岡鉄斎の‘旧蝦夷風俗図 左隻’(東博)     

Img_0001          今尾景年の‘柘榴錦鶏図’(松岡美)

Img     橋本雅邦の‘夏冬山水図’(三の丸尚蔵館)

絵画には宗教画、歴史画、肖像画、風景画などいろいろなタイプの絵画が存在するが、人物画と風景画が合体した風俗画もそのひとつ。日本画にも様々な風俗画がある。

‘源氏物語絵巻’もこのカテゴリーに加えることができるし、応天門が炎上するのを大勢の人がみている‘伴大納言絵巻’も風俗画の傑作。また、この秋に清浄光寺で全巻公開される‘一遍上人絵伝’にも当時の人々の生活や村々の光景が仔細に描かれている。

東博の平常展にときどきでてくるのが富岡鉄斎(1836~1924)の‘旧蝦夷風俗図’、みてて楽しくなるこの風俗画は鉄斎61歳のときの作品、右隻はアイヌの熊祭りの情景で左隻には家を建てているところや機織りといった村における普通の光景がおおらかに描かれている。感心するのは鉄斎のポップな色彩感覚、黄色の明るさが目に焼きつく。

今尾景年(1845~1924)は京都の友禅悉皆業の家に生まれたことが幸いしたのか構図のセンスや色彩の組み合わせたが抜群にいい。これまで出会った作品の数は少ないが、一点々画面に吸いこまれるほど魅力にあふれている。松岡美でお目にかかった‘柘榴錦鶏図’は鮮やかな色彩と繊細な筆致で表現された錦鶏の姿が忘れられない。

1890年、第一回の帝室技芸員に任命された橋本雅邦(1835~1908)、宮内省から依頼されて制作した‘夏冬山水図’も思わず見入ってしまう一枚。やはり並の絵は天皇家におさめられない。

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2015.09.15

近代日本美術の煌き! 1895年(明治28)

Img_0002      橋本雅邦の‘龍虎図屏風’(重文 静嘉堂文庫美)

Img_0003      橋本雅邦の‘龍虎図屏風’

Img_0001     山本芳翠の‘浦島図’(岐阜県美)

Img     菱田春草の‘寡婦と孤児’(東芸大美)

美術とのつきあいのなかで特別大きな幸せを感じるのは思いこがれた名品とようやく出会えたとき。狩野芳崖(1828~1888)の場合は‘仁王捉鬼図’(1886年 東近美)、そして橋本雅邦(1835~1908)の意中の絵は‘龍虎図屏風’。

‘龍虎図’は静嘉堂文庫美が所蔵しているが、滅多なことではでてこない。だから、三菱一号館美の三菱のコレクション展でみたときはとても興奮した。雅邦は9年前に芳崖が描いた‘仁王捉鬼図’の圧倒的な色彩力を意識したにちがいない。‘芳崖さんが仁王と鬼なら俺はこれまで誰も描かなかった色つきの龍虎を描いてみせるぞ!’と

その出来栄えの見事なこと、見ごたえがあるのは虎より龍のほう、波濤のなかを進むように飛雄する姿はじつにカッコいい。こういう作品は2年に一度くらいの頻度でみたいが今のところその願いは実現しそうにない。静嘉堂文庫美は根津美や五島美とともにブランド美術館、もともと好感度の高い美術館なのだからMOAが毎年春に尾形光琳の‘紅白梅図’を公開するように自慢のお宝は出し惜しみしないでどんどん展示してほしい。

山本芳翠(1850~1906)の‘浦島図’に大変魅了されている。この浦島太郎を岐阜県美でみたときびっくりした。どうみても女、しかもとびっきりの美形、パリやイタリアのファッションモデルがポーズをとっているようなイメージ。この絵は岐阜にあるのでなかなかみる機会がないが、東京で山本芳翠展が開催されれば再会できる。原田直次郎展もあるのだから山本芳翠の回顧展がなきゃおかしい。三菱一号館美あたりがやってくれないかな。

一生付き合っていこうと思っている菱田春草(1874~1811)、‘寡婦と孤児’は物語性を感じさえる作品、夫を亡くした妻の深い悲しみがひしひしと伝わってくる。春草の作品でこういう激しい感情表現がみられるものは珍しい。

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2015.09.14

近代日本美術の煌き! 1894年(明治27)

Img      初代宮川香山の‘青華氷梅紋花瓶’(三の丸尚蔵館)

Img_0001     鈴木長吉の‘百寿花瓶’(三の丸尚蔵館)

Img_0003     久米桂一郎の‘夏の夕(鎌倉の景)’(東芸大美)

明治時代に活躍した陶芸家や金工家の作品をみようと思ったらどこの美術館へ行けばいいか、ふたつある。東博と三の丸尚蔵館。

初代宮川香山(1842~1916)の染付の花瓶も鈴木長吉(1848~1919)の銀製の花瓶も三の丸尚蔵館の所蔵。尚蔵館の展示スペースは大きくないので一度に鑑賞できる作品の数は限りがあるが、ここへ5年くらい通うと相当数の名品に遭遇することができる。

ここの大きな利点は無料でみられること。料金を払わず絵画や工芸品の傑作がみられるのだから美術鑑賞としては理想的、ここで得られる満足感は海外の美術館では同じく無料で世界中から集まったお宝をエンジョイできる大英博物館と共通するものがある。

最近入手した情報によると、三の丸尚蔵館は展示スペースを拡張する工事に入るためこの秋から休館になるとのこと。数年間お宝はみれなくなるが、新館になると美術館の魅力はさらにますことはまちがいない。追っかけ作品がみれる可能性が高まるのではないかと今から期待している。

洋画家の久米桂一郎(1866~1934)は‘米欧回覧実記’を編んだ歴史学者久米邦武の長男、久米桂一郎と黒田清輝はパリで同じアパートに住み絵の修業に励んだ同志。そのため二人の画風は似ている。‘夏の夕’は点描で’印象派風に仕上げられている。

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2015.09.13

近代日本美術の煌き! 1893年(明治26) その二

Img     黒田清輝の‘舞妓’(重文 東博)

Img_0001         竹内久一の‘伎芸天’(東芸大美)

Img_0002     七代錦光山宗兵衛の‘色絵金襴手双鳳文飾壺’(東博)

黒田清輝(1866~1924)の肖像画ですぐ思いつくのは4点、西洋の女性をモデルにした‘読書’と‘婦人図’と日本人の女性を描いた‘舞妓’と‘湖畔’、このビッグフォーが黒田の代名詞といっていい。

‘婦人図’は東芸大美が所蔵し、残りの3点は東博にある。どの絵も同じくらいの回数をみているかというとそうではなくばらつきがある。どういうわけか‘舞妓’にお目にかかれる機会が極端に少ない。理由がよくわからないのだが、東博の平常展に‘舞妓’はなかなか登場しない。だから、この絵はまだ一回しか対面してなく、それがいつのことだっかた記憶が薄れている。

フランスから帰ってきて京都に出かけた黒田の心を虜にしたのが舞妓、美術作品の場合、絵画でも彫刻でも作家がうけた感動の大きさが作品の出来栄えを決める。描かれた舞妓のはつらつとした姿をみるとそのことがよくわかる。鴨川を背にする構図はホイッスラーが影響を受けた浮世絵の鳥居清長の美人画を連想させる。

竹内久一(1857~1916)の木彫作品は神武天皇像のほかにもう一点忘れられないのがある。1893年に開かれたシカゴ万国博覧会に出品された色つきの仏像‘伎芸天’、竹内は奈良にある優れた古仏像の模造をして技を磨きこの傑作をつくりあげた。

京薩摩の七代錦光山宗兵衛(きんこうざんそうべえ、1868~1928)の色絵金襴手もシカゴ万国博覧会に出品されたもの。当時こういう飾壺の装飾や模様には日本や東洋の美をイメージさせるモチーフとして獅子や鳳凰がよく用いられた。

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2015.09.12

近代日本美術の煌き! 1893年(明治26) その一

Img     高村光雲の‘老猿’(東博)

Img_0001     鈴木長吉の‘鷲置物’(重文 東博)

Img_0002     涛川惣助の‘七宝瀟湘八景図額’(ボストン美)

美術品に限らず世の中には好きなものを徹底的に集めるコレクターが星の数ほどいる。そのなかには置物コレクターがいるにちがいない。国内の観光地を旅行しお土産物屋に入ると木彫りの置物が並んでいることが多い。だから、旅をするたびにこれを購入すれば気がつくと部屋に置ききれないほどたまっていたということにもなる。

手にしっくりくる木の質感が好きなので心がおおいに動くが、隣の方はこういうタイプの土産物にのってこないのでいつも買いそびれる。そのため旅行はよくするのにお土産の置物は北海道へ行ったとき買った熊がひとつあるだけ。

東博で頻繁に展示される高村光雲(1852~1934)の‘老猿’は真に見事な置物。この猿をみるといろんなことを思う、すぐ思い浮かぶのが高崎山のボス猿、そして人間味あふれる風貌なのでつい清水の次郎長親分も重なってくる。一度でいいから触ってみたいが、これは叶わない。いつも驚かされるのが長い毛並み、まさに神業的な超絶技巧を駆使して彫られている。これこそ究極の置物!観光地の土産物屋では絶対に売ってない。

鈴木長吉(1848~1919)の回顧展が来年東近美で開催されるようなので楽しみにしている。時期に関する情報はまだ入ってないが、期待したいのは海外の美術館が所蔵している作品の里帰り、明治を代表する金工家、鈴木長吉の最高傑作が‘鷲置物’、鋭い鷲の目のリアルな表現がとにかくすごい。本物の鷲が目の前にいるような感じ。この鷲をはじめ名品が回顧展にどっと出てくれることを祈っている。

4月にあった‘ダブルインパクト 明治ニッポンの美’(東芸大美)にボストン美から涛川惣助(なみかわそうすけ、1847~1910)のすばらしい無線七宝が里帰りした。それは山水画をみているのと変わりない‘瀟湘八景図額’、今年は涛川惣助との縁ができた記念すべき年、無線七宝を一点でも多くみたくなった。

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2015.09.11

近代日本美術の煌き! 1892年(明治25)

Img     山本芳翠の‘十二支丑・牽牛星’(三菱重工業)

Img_0001     黒田清輝の‘婦人図’(東芸大美)

Img_0002     下村観山の‘辻説法’(横浜美)

山本芳翠(1850~1906)が岩崎彌之助に依頼されて制作した‘十二支’、10点現存するこの絵をみたのは三菱一号館で開催された三菱コレクション展。このとき‘丑・牽牛星’,‘午・殿中幼君の春駒’、‘戌・祇王’の3点が展示された。

芳翠というと‘浦島図’など片手くらいの作品しかお目にかかってない。だから、十二支にかかわる話を歴史画風に描かれたこのシリーズにはちょっとどぎまぎした。名画であることは間違いない、でも画集でみたことがない。一体どこの美術館が所蔵しているのか?美術館ではなく三菱グループの主要企業である三菱重工業のコレクションだった。

10点はすべて三菱重工業にある。残りの7点もみてみたいが、たぶん望みは叶わないだろう。可能性があるとしたら、三菱一号館美はこれらをコレクションの一部に加えたとき。はたして?

黒田清輝(1866~1924)の‘婦人図’でモデルとつとめたのは‘読書’と同じマリア・ビヨー、‘読者’はサロンで入選したのに対し、‘婦人図’は黒田の意に反して落選。東芸大美でときどき対面するが、この絵の前にくるとヨーロッパの美術館へ来ているような錯覚を覚える。

‘辻説法’は下村観山(1868~1930)が東京美術学校在学中に描いた作品。中央で人々に法華経の功徳を説いているのは日蓮。構図がうまくできていて、家々のまえの道を斜めに描くことで大勢の人が集まる街の通りの喧騒ぶりを見事に表現している。説法を熱心に聞いている男や女がいる一方で、日蓮の話に耳を傾けることなくどんど進んでいく人たちもいる。動きのある人物描写は映画のワンシーンをみているよう。

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2015.09.10

絶景 アイスランドの滝!

Img       アイスランド(首都レイキャビク)

Img_0003     デティフォス(落差44m 幅100m)

Img_0002     セルヤランドスフォス(落差60m)

Img_0001      2011年に発見された高さ240mの巨大な滝

一年前、BSプレミアムの‘体感! グレートネイチャー’はヨセミテでみられる神秘的な滝の映像化に成功したが、今度はアイスランドにたくさんある滝の姿をみせてくれた。

ここ数年、氷河や火山のことに関心がいっているので2週間前に放送された‘爽快!極北の巨大滝 アイスランド 氷と火のミステリー’を前のめりなってみてしまう。1時間半のなかに興味深い情報がぎっしりつまっており、バラエティにとんだ滝の数々に脳は刺激されっぱなしだった。

アイスランドは北海道と四国を合わせたくらいの面積で人口は32万人、その6割が首都のレイキャビクに暮らしている。アイスランドには数千をこす様々な滝があるという。そのなかでヨーロッパ最大の滝といわれるのが北東部にある‘デティフォス’、落差は44m、滝の幅は100mもある。

水のかたまりがドドドっと落ちているこんな大きな滝がアイスランドにあるとはまったく知らなかった。この滝の水源はヴァトナ氷河。島には大きな氷河が6つあるが、その下にはマグマだまりがあって氷をとかし続けている。そのため季節にかかわらず滝には豊富な水量がもたらされている。

アイスランドには‘トゥヤ’と呼ばれる頂きが平らな断崖絶壁の山があり、ここに水が流れると絶景の滝にかわる。‘セルヤランドスフォス’(落差60m)に思わず見とれてしまった。制作スタッフが今回チャレンジしたのは2011年7月にトゥヤのような地形で発見された高さ240mの巨大な滝。

この滝があるのはヴァトナ氷河の一角、滝が現れる今年の7月にリスクを乗り越えてその雄大な姿がとらえられた。TV画面でも息を呑むほどの光景だから、現地でみたら体が振るえるかもしれない。アイスランドにはたぶん縁はないが、この映像は一生の思い出になる。

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2015.09.09

近代日本美術の煌き! 1891年(明治24)

Img     黒田清輝の‘読書’(東博)

Img_0003     楊州周延の‘浅草公園遊覧之図’(部分 ボストン美)

Img_0001     三代清風與平の‘青磁銀杏文花瓶’(兵庫陶芸美)

ビジネスの現場で熾烈な競争があるように美術の世界でも作家たちは互いに激しい火花を散らす。明治中期、洋画家たちは日本画を描いている者たちに激しいライバル心をいだいていた。1887年に東京美術学校が設立されたとき西洋画は無視されクラスがなかった。

日本画に押されている状況を打破し洋画巻き返しの活動の中心にいたのが黒田清輝(1866~1824)、東博には黒田の名画がいくつもあり、博物館のお宝作品のひとつになっている。‘読書’はお気に入りの一枚。

東博を訪れる外国人観光客はこのところ増加の一途をたどっているが、この絵の作者をフランス人に聞いたら皆ヨーロッパの画家と答えるに違いない。また、絵画に本格的にのめりこんでない日本の若い人たちだっておそらく同じ反応をするだろう。黒田清輝の油絵を描く技はそれほど卓越している。

明治に入っても浮世絵は描き続けられたが、描く風俗も色彩の感じも明治という新しい時代の気分をうつしたものに変わっていく。楊州周延(ようしゅうちかのぶ、1838~1912)が描いたのは浅草公園で遊ぶ女性たち、このころの浮世絵の色は強い赤やうす紫が多いのが特徴。背景にみえるランドマークは関東大震災で倒壊した凌雲閣。

三代清風與平(せいふうよへい、1851~1914)は明治の名陶芸家のひとり、品のいい白磁や青磁の名品を数々生み出した。1893年(明治26)には陶芸界でははじめて帝室技芸員に任命されている。

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2015.09.08

近代日本美術の煌き! 1890年(明治23) その二

Img_0002       橋本雅邦の‘白雲紅樹’(重文 東芸大美)

Img_0001          小堀鞆音の‘那須宗隆射扇図’(山種美)

Img     浅井忠の‘収穫’(重文 東芸大美)

いい絵に一点でも多く出会いたいと常日頃思っているが、好きな画家のベストラインナップ、例えば5点が目のなかに入れば200%満ち足りた気持ちになる。そして、そのなかに最高傑作が含まれていればもう安心してその画家には済マークがつけられる。

橋本雅邦(1835~1908)の場合、傑作中の傑作は‘白雲紅樹’と‘龍虎’(静嘉堂文庫美)、ともに重文に指定されている。中国の影響を受けた山水画をはじめ日本画には数多くの風景画が存在する。そのなかで、雪舟は別格なので横に置くとして心に響く風景画がすぐ浮かんでくるのは円山応挙、橋本雅邦、川合玉堂の3人。

雅邦の大作‘白雲紅樹’は東芸大美に出かけているとちょくちょくお目にかかれる。この絵がすばらしいのは滝から落ちる水の白さ、胡粉の白がこれほど印象深く感じられる作品はなかなかない。そして、滝の上の楓の赤と木々の緑にも目を奪われる。奥行きのある構図、風景画の魅力をいっそうひきだす色使い、どこからみても一級の風景画である。

小堀鞆音(こぼりともと 1864~1931)が描いた歴史画のなかでお気に入りは‘武士’と‘那須宗隆射扇図’、平家物語にでてくる那須与一の話は小さいころインプットされたが、棹に掲げられた扇を見事に射落とすという場面を絵画でみたのは大人になってから。山種美でこの絵と対面し小堀鞆音という画家の存在を知った。

農民画というと西洋画ではミレーとゴッホがまず浮かんでくるが、洋画家浅井忠(1856~1907)の‘収穫’も二人に劣らぬ名画。今ではこういう稲を刈る農村風景は古い映画のなかでしかみることはできないが、ミレーの絵同様日本ではこの絵のおかげでノスタルジックな気分になれる。

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2015.09.07

近代日本美術の煌き! 1890年(明治23) その一

Img_0001        原田直次郎の‘騎龍観音’(重文 東近美)

Img_0002     竹内久一の‘神武天皇立像’(東芸大美)

Img_0003     海野勝珉の‘蘭陵王置物’(三の丸尚蔵館)

最近、人気の美術番組‘美の巨人たち’に東山魁夷の‘道’が登場した。この番組では今日の一枚を所蔵している美術館についても強く印象づけるように紹介する。‘道’があるのは竹橋の東近美。

今は東近美へ行くのは年に一回くらいになったが、以前はよく通って平常展にでている日本画や洋画を楽しんだ。洋画でいつも飾られているのが原田直次郎(1863~1899)の‘騎龍観音’、7、8年前重文に指定された。
毎度ルーチンのようにこの大作をみていたので龍とその龍の上に乗っている楊柳観音の姿が目に焼きついている。

病を治す楊柳観音をモチーフにした作品を油絵の世界で実現させるという構想力がとにかく規格外、ぱっとみると大きな仏像をみているような気持ちになる。青木繁も同じように日本の歴史や宗教を題材にした作品をいくつも描いたが、人物描写がリアルなので作品との距離が割と近い。これに対し‘騎龍観音’は威厳のある仏像と対面するのと似た感情になり自然に言葉を吞みこんでしまう。

絵画でも彫刻でもサイズが特別大きいと普通のものをみたときの5倍は感動する。竹内久一(1857~1916)の木彫作品‘神武天皇立像’の大きさも半端ではない、総高はなんと2.97m!おおげさにいうとフィレンツェにあるミケランジェロの‘ダヴィデ’を連想するくらいのデカさ。過去2回みたが、明治以降につくられた彫刻でこれより大きなものにお目にかかったことがない。

海野勝珉(うんのしょうみん、1844~1915)は明治の金工界でスター的な存在、その代表作が雅楽の演目‘陵王’を題材にした‘蘭陵王置物’。宮島の厳島神社で演じられる雅楽を思い出させる蘭陵王の決めポーズが忘れられない。

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2015.09.06

近代日本美術の煌き! 1889年(明治22)

Img     橋本雅邦の‘月夜山水’(東芸大美)

Img_0002         藤井松林の‘百福之図’(三の丸尚蔵館)

Img_0001     高村光雲の‘倭鶏置物’(三の丸尚蔵館)

橋本雅邦(1835~1908)は横山大観や菱田春草の師匠格にあたる人物、狩野芳崖同様、その風景画は圧倒的な絵画力で迫ってくる。日本の美術館ではいろんなところが名品を所蔵している。ざっとあげてみると東芸大美、東博、三の丸尚蔵館、埼玉県近美、泉屋博古館分館、川越市美など。

東芸大美のコレクションでは‘月夜山水’はお気に入りのひとつ。じつに見晴らしのいい風景画、画面の中央がV字にカットされ左右に山々が広がっている。そしてもっとも低いところを細い川がくねくね曲がりながら手前に流れ下る。こういう光景にじっさい出くわしたら心がすかっとしそう。

8年前、三の丸尚蔵館で‘福やござれー寿の美・新春に集う’という縁起のいい展覧会があった。そこに思わず笑みがこぼれる絵があった。藤井松林(1824~1894)の描いたお多福群像図、子どもから大人までみんなおでこで頬がふくれたあのお多福、この絵は長いこと笑いの素。家の中でも外にいるときでもなるべく笑うように心がけているのはこの絵に出会ったから。また、会いたい。

高村光雲(1852~1934)は明治以降に活躍した彫刻家のなかでは別格の存在、息子の光太郎の作品もあわせた回顧展をずっと待っているのだがなか実現しない。彫刻の場合、野外に設置されているものなどもあるから作品を多く集めてくるのは難しいのはわかっている、一回はこの矮鶏(ちゃぼ)の置物や有名な‘老猿’などの代表作がどどっと並ぶところをみてみたい。

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2015.09.05

2回目の楽しみ 藤田美の日本美術コレクション!

Img     国宝‘紫式部日記絵詞’(13世紀)     

Img_0001     国宝‘仏功徳蒔絵経箱’(11世紀)

Img_0003     菱川師宣の‘大江山酒呑童子絵巻’(1692年)

Img_0002     長澤芦雪の‘幽霊・髑髏仔犬・白蔵主三幅対’(18世紀)

サントリー美で開催中の‘藤田美の至宝 国宝曜変天目茶碗の日本の美’は9/2から後期になり展示作品が一部入れ替った。国宝が新たに3点もでてくるから早速でかけてきた。

国宝‘紫式部日記絵詞’は一度みたことがあるが、それは藤田美ではなく1993年に東博であった展覧会、だから22年ぶりの対面、5つの場面全部みるのははじめてだからすぐ目が本気モードになる。画像は最後の場面で、藤原道真が一条天皇の行幸を前に新造した舟を検分するところ。久しぶりに現れた竜頭鷁首(りょうとうげきす)を食い入るようにしてみていた。

この国宝をみる機会は長いことなかったが、‘仏功徳蒔絵経箱’のほうは縁が重なり今回で4度目。単眼鏡を使って蓋の外面から身の四側面に描かれた極楽浄土の景色や波の間から顔を出している魚の怪獣や飛翔する鳥の群れをじっくりみた。最近TVで輪島塗の蒔絵の貝桶をみたばかりだから、この金銀粉を使った研出蒔絵の技法にも敏感に反応する。

図録をみて関心を寄せていたのが菱川師宣(?~1694)の‘大江山酒呑童子絵巻’と長澤芦雪(1754~1799)の幽霊の絵。酒を飲まされて首をはねられた酒呑童子、驚くのはその首の執念深さ、武将の兜にくらいついている。とびちる血しぶきが岩佐又兵衛の絵巻にでてくる決闘のシーンを思い起こさせる。

蘆雪の三幅対はこれまで体験した数度の回顧展いずれにも出品されなかった。美術本でみていつかこの目でという思いが強かったが、やっと願いが叶った。髑髏と仔犬を一緒に描くのはちょっと違和感があるが、髑髏、幽霊、狐だけだと絵が重くなりすぎるので仔犬を中和のモチーフとして登場させたのかもしれない。

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2015.09.04

久しぶりのガレ、ドーム兄弟!

Img    ドーム兄弟の‘花器(ブドウとカタツムリ)’(1904年)

Img_0001  ドーム兄弟の‘銀飾金具付花器(オダマキ)’(1898~1900年)

Img_0002    ガレの‘花器(カッコウ、マツヨイグサ’(1899~1900年)

Img_0003     ‘台付蓋付花器’(1885~1889年)

情報の入っている展覧会のなかには出かけるかどうか最後まで迷うものがときどきある。今日は意を決して会期が9/6(日)までの‘アール・ヌーヴォーのガラス展’(パナソニック 汐留ミュージアム)に足を運んだ。

出品されているのはドイツのデュッセルドルフ美からやってきたガレやドーム兄弟などのガラス作品140点、チラシにはローロッパ随一のガラスコレクションと記されている。もともとガレやドーム兄弟のガラスと聞くと血が騒ぐ体質だから、行くかどうか悩む。

やはり汐留へ行こうと思ったのはドーム兄弟(オーギュスト:1853~1909、アントナン:1864~1930)のカタツムリがくっついている花器が気になってしょうがなかったから。この1点をみるため入館料を払った。ドーム兄弟のつくる花器というと森や林のなかに木々が立ち並ぶ様子をとても細い線で繊細に描いたものをすぐイメージするが、この‘ブドウとカタツムリはそれとはまったくちがいガレの作風を彷彿とさせる。

同じ種類の文様のものを箱根のポーラ美でお目にかかったことがあるが、今回目にするカタツムリのほうが5倍印象深い。このカタツムリはブドウの若葉を食べて育つエスカルゴ、この花器がチラシの大半を占めている意味がよくわかった。出かけたのは正解!

ドーム兄弟はもう一点気を惹くのがあった。オダマキのそばに蛇がいる花器、蛇は大の苦手なのだが、これまでのドーム兄弟のイメージからはとても想像できない蛇に遭遇しそのいきさつに思いをめぐらすあまり蛇の怖さを忘れてしまった。

数の多いガレ(1846~1904)はカッコウとマツヨイグサを組み合わせた花器に思わず足がとまった。こういう意匠はみたことがないので非常に新鮮、まるで日本の花鳥画をみているよう。そして、北斎の浮世絵に描かれた鯉を連想させる茶色の花器の前にも長くいた。デザインしたのはフランス人のウジェーヌ・ルソー、ジャポニズム満載の文様に見入ってしまう。

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2015.09.03

近代日本美術の煌き! 1888年(明治21)

Img         狩野芳崖の‘悲母観音’(重文 東芸大美)

Img_0001  井上安治の‘東京名所従吾妻橋水雷火遠望之図’(ボストン美)

Img_0002     浅井忠の‘春畝’(重文 東博)

狩野芳崖(1828~1888)の絶作となった‘悲母観音’、東芸大美に通っていると2,3年に一回くらいの頻度でお目にかかれる。今年は‘ダブルインパクト 明治ニッポンの美’(4月)に展示された。

この絵をはじめてみたときまず目が惹き込まれたのが透明のガラス玉のなかにいるようにみえる嬰児、縦2mちかくもある大きな掛け軸のちょうど真んなかあたりに描かれており。お寺にいる可愛い小僧さんのイメージ。

これまでたくさんみてきた仏像の観音像と比べると芳崖の観音像はちょっと趣が異なる。木造では観音様は正面向きであるのに対し、この悲母観音は体を斜めにして下の嬰児をじっとみている。この人物表現から思い浮かんでくるのは西洋の聖母子像。芳崖は新しい観音像を見事に描ききってこの世を去った。

芳崖の死の一年後、豊かな才能に恵まれた浮世絵師、井上安治(1864~1889)が25歳の若さで亡くなった。師である小林清親の画風の影響を受け、東京の名所を活写した。お幸運なことにダブルインパクト展にボストン美から安治のいいえは里帰りしてくれた。

描かれているのは1887年にできあがった隅田川にかかる吾妻橋、画面の右には海軍省が実験していた水雷の水柱が上がっているのがみえる。

日本の農村風景を描いた画家ですぐ思いつくのは日本画家の川合玉堂と洋画の浅井忠(1856~1907)、浅井忠の回顧展を期待しているが、いっこうに開催の話が聞こえてこない。原田直次郎とか五姓田義松の回顧展がこれから行われるから、そろそろ浅井忠も登場するかもしれない。そのときはこの‘春畝’も多くの観客の心をとらえるにちがいない。

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2015.09.02

近代日本美術の煌き! 1887年(明治20)

Img_0002     狩野芳崖の‘暁霧山水’(東芸大美)

Img     竹内栖鳳の‘池塘浪静’(京都市美)

Img_0001      十二代沈壽官の‘錦手松竹鶴図’

国内の美術館で狩野芳崖(1828~1888)に最接近できるのは東芸大美、2008年ここで回顧展が開催されたときは所蔵する芳崖作品がどっとでてきた。3点でた風景画のうち息をのんでみてしまうのが1887年に描かれた‘暁霧山水’。

芳崖の山水はどこか洞窟のようなところから外へ出ていくような感じのものが多い。この絵では左がU字の形をした出口のようになっている。その先は大海原、手前のの岩山には三角形の塊がぽんぽんとあり、視線を出口のほうへと誘導する。そして、向こう側の山にかかる霧は木々をつつみこみ左からさしこむ光とともに奥行き感をつくりだす。これは忘れららない一枚。

2年前待望の竹内栖鳳(1864~1942)の大規模な回顧展が東近美で開催された。画集に載っていた作品でいつかこの目でと思っていたものが次々を現われるのでテンションはずっとプラトー状態だった。‘池塘浪静’で目が点になるのは池から跳ね上がった鯉の姿。鯉ってこんなに真上に跳ねる? これが絵画の力、作品は創作だからこういう描き方のほうが鯉が強く印象に残る。

薩摩焼の中興の祖である十二代沈壽官(1835~1906)、この‘錦手松竹鶴図’は代表作のひとつ。白薩摩の素地に金で描いたモチーフのなかでとくに目に心地いいのは鶴の群れ。空に飛んでいる鶴と下の鶴が呼応する構図にとても魅了される。

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2015.09.01

組織委員会 東京五輪エンブレムの使用中止を決定!

Img     横山大観の‘群青富士’(部分 1917年 静岡県美)

Img_0001     尾形光琳の‘紅白梅図屏風’(18世紀後半 MOA美)

Img_0002     歌川広重の‘よし原仲の町桜の紋日’(1840~58年)

7/24に決まった2020年東京五輪のエンブレム、本日、大会組織委員会はこれを使わないことを発表した。このエンブレムはどうしても好きになれなかったのでホットしている。多くの国民がこうなることを望んでいたのではなかろうか。

エンブレムをつくった佐野氏にまつわるほかの作品のパクリ疑惑がこれほど噴出してきたら、もうアウト。組織委員会が会見で明らかにしたデザインの原案自体が著名な外国のタイポグラファーの展覧会のポスターに酷似していたり、エンブレムを活用する場面の写真をネット上の個人のサイトから無断転用したことが判明するなど、騒動を鎮めるための説明が逆に火に油を注ぐことになった。

新国立競技場の建設についでエンブレムも白紙撤回、東京五輪の準備は本当にうまくいくのか心配になってくる。

さて、仕切り直しのエンブレム、優秀なデザイナーは大勢いるのだからいいものができなくてはおかしい。勝手な希望をいくつか述べてみたい。まず第一は1964年の東京五輪のエンブレムを踏襲しないこと。これにこだわるからデザインに躍動感がでてこない。21世紀、先進都市東京でおこなわれる五輪、最高のスポーツの祭典を日本人のおもてなしの心でやさしく力強く繰り広げる。

デザインにとりこみたいモチーフは日本を象徴するもの、東京をイメージさせるもの、いろいろある。すぐ思いつくのは富士山とか桜、浮世絵に描かれた日本橋、そして日本美術の中核をなす琳派の造形、例えば流水を使ってくれないかなと思ったりもする。

二度も失敗は許されない。皆で五輪を盛り上げられるいいエンブレムを是非つくってもらいたい。

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