共演 洋画家の富士!
昨年のちょうど今頃東芸大美で‘高橋由一展’があった。この回顧展のおかげで高橋由一の画業の全貌を知ることができた。代表作の大半は目のなかにおさまったと思うのだが、一部はほかの美術館(山形美、京近美)での展示のためみれなかった。
そのなかに富士を描いたものがあった。‘本牧海岸’(香川の金刀比羅宮の所蔵)。由一は政府から1872年にウイーンで開催された万国博覧会に出品する作品の制作を依頼され‘富嶽大図’を描いたが、この絵は第二次世界大戦中、失われた。
五姓田義松(ごせだよしまつ 1855~1915)の‘清水富士’は1882年の第2回内国勧業博覧会で洋画の最高賞を獲得した作品。これを6年前神奈川県美葉山館であった展覧会でみたときは美しい富士にみとれてしまった。どこかの美術館が世界遺産登録を記念して‘大富士山展’を企画してくれたら、再会できる可能性があるのだが、果たして?
富士山を描いた洋画家で思い浮かぶのはまず梅原龍三郎(1888~1986)、次が林武(1896~1975)、そして絹谷幸二(1943~)。といっても、みている作品の数はせいぜい片手くらいで10も20も体験しているわけではない。林武はまだ回顧展に縁がなく、梅原龍三郎だって日本橋三越で06年にあったものだけ。東近美が梅原の大回顧展をやってくれないかとずっと願っているのだが、なかなか実現しない。そのときは‘朝陽’のほかにも画集に載っている富士の絵がずらっと並ぶだろう。
フォーヴィスムの強烈な色彩で描かれた林武の富士に大変魅了されている。縦長の富士は下の広々とした裾野から頂上をめざして一歩一歩登っていくような気分。赤い富士は希望の光の象徴のようにみえる。
今年70歳をむかえた絹谷幸二、世の中に大勢いる熱狂的な絹谷ファンほど作品をみていないが、鮮やかな赤や青、ゴールドで彩られた陽気で目の大きな人物や仏像に昔から強く惹かれてきた。過去2回あった回顧展でお話をする機会があったが、笑顔を絶やさない気さくな人柄なので会話がはずんだ。お気に入りの富士は02年に制作されたもの。またみたくなった。
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