アウグストゥスに島流しにされたオウィディウス!
‘プリマ・ポルタのアウグストゥス像’(14~29年 ヴァティカン博)
ある時期、ギリシャ神話の本を片っ端から読んだ。そのお陰でゼウスをはじめとする神々の人間臭い話やヘラクレスやペルセウスなどの英雄物語がおおよそ頭のなかに入っている。
知識の森を散策する時、その知識が木の幹のようになっていると世界はどんどんふくらんでいく。BC1世紀ころに活躍した詩人オウィディウス(BC43~AD18)が書いた‘変身物語(上下)’ (1981、84年 岩波文庫)はそのギリシャ神話の幹づくりに役立った本のひとつ。
ルネサンスの画家でもバロックの画家でもギリシャ神話を題材にして作品を描く時はたいていこの本がネタ本になった。ルーベンスのように古典文学にも精通しているとすぐ制作にとりかかれたが、そこまで知識がないものは学者から教えてもらって物語を絵画化した。だから、この‘変身物語’は古典絵画が好きな人ならホメロスの‘イリアス’や‘オデュッセイア’よりも早く読んだほうがいいくらいの本なのである。
本には訳者の解説が最後についているが、読んだのはもうだいぶ前のことなのでどんなことが書いてあったかはすっかり忘れている。だが、あることが気になって、もう一度ぱらぱらめくってみた。あることとは何か?
最近、この‘変身物語’を書いたオウィディウスが初代皇帝アウグストゥス(BC63~AD14)によって島流しにされたとこを知った。これは歌麿が‘絵本太閤記’などを描いたことでお上に睨まれ、手鎖50日の刑を食らったのと同じ話。
アウグストゥスは娘ユリアの男遊びに頭を痛めていたから、オウィディウスの‘愛の技術(アルス・アマトリア)’と題された詩集にカットなったのかもしれない。10年も前に刊行された作品なのに、紀元8年突然、オウィディウスはドナウ河が黒海に流れ込むところから近くにある町トミ(現在ルーマニアのコンスタンツァ)に追放される。
オウィデイウスはこの年に流刑になったユリアのとばっちりをうけた感じ。愛のハウツー本とはいえそれほどきわどい内容の本でもなかったが、身内の不品行が皇帝を過度の綱紀粛正へと走らせてしまった。不運というほかない。オウィディウスはローマに帰れることを願っていたが、これも叶わず18年この地で亡くなった。
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