すべての道はローマに通ず アッピア街道!
ローマのアッピア街道
1マイルごとに立てられたマイルストーン
古代ローマをイメージするものとしてすぐ思い浮かべるのは円形闘技場のコロッセオと‘すべての道はローマに通ず’の格言で有名なアッピア街道。コロッセオが剣闘士の決闘などで市民を楽しませる最大のエンターテイメント空間なら、ローマ帝国全土に張り巡らされた道路は軍隊や種々な物資が常に行き交う国の動脈であり、通信や輸送の要だった。
最初につくられた街道がBC312年に着工されたアッピア街道。農産物などが豊富なイタリア南部のカンパニア地方とローマをつなぐためにつくられた。全長560km。街道建設のスピードは今のイタリア人とは比べものにならないくらい速く、帝国の領土が最大になり全長8万kmの道路網ができた2世紀頃の最盛期には2日の1kmのペースで延びていった。
道路建設にかりだされたのは主に奴隷と兵士だが、身分の低い市民たちも民間の業者に雇われて働いていた。道路はみな直線、このころの技師たちには曲線の道は頭になく少々の山であれ河であれ、迂回せずおかまいなく直線の道をつくっていった。
舗装の仕方はどこでも同じで、まず広い溝を掘り砂と丸石で土台をつくり、次に砂利を敷き粘土やモルタルで固める。最後に玄武岩の石を敷き詰める。この玄武岩はとても硬くて耐熱性に優れており、その下が一種のクッションになっているため、道路は驚くほど頑丈にできあがった。また、適度な傾きをつけ雨水が道の両側に流れるようになっていた。
BC120年頃に道路関連の法律ができ、すべてのローマ街道には1ローママイルごとに石柱が立つようになった。マイルはキロに直すと1.485km。これにより旅人はローマまでの距離がわかるようになった。この街道は今でいうと高速道路、戦争がはじまるとローマ軍は武装した歩兵を引き連れて1時間6km以上という速いスピードで進んで行った。まさに街道はローマ帝国の力の象徴だった。
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