キリスト教を公認したコンスタンティヌス帝!
‘コンスタンティヌス帝の像’(4世紀 ローマ カピトリーニ美)
‘コンスタンティヌスの凱旋門’(4世紀初め ローマ)
現在のイスタンブール(ローマ帝国のコンスタンティノープル)
古代コーマの歴史を集中的にスタディーしていると、過去に体験した名所旧跡や絵画、彫像などの美術品がいろいろ思い出されてくる。今日はローマのカピトリーニ美で度肝を抜かれた皇帝の彫像のことを。
この美術館には中庭があり、そこに石でできた巨大な顔が置いてある。高さは2.8m。体全体の像がつくられ、首から下はどこかへいったのかこのあたりはよくわからない。展示室に人物の彫像がある場合はプレートに名前が記されているからそれがインプットされるのだが、この大きな顔は誰れなのかわからずじまい。
それがようやくわかった。ローマ皇帝コンスタンティヌス(272~337)だった。じつは美術館のほかの部屋にもうひとつこの皇帝の像がある。それが画像のブロンズ像。まあ首の太いこと!コンスタンティヌスは長身だったらしいが、首はプロレスラーみたいな頑丈な首だったのだろうか?これだけインパクトがあると忘れようがない。
コロッセオの隣にあるのがコンスタンティヌスの戦勝を記念して建てられた‘コンスタンティヌスの凱旋門’。定番の観光名所だから、写真を撮られたかたも多いはず。皇帝の名前がついた凱旋門はフォロ・ロマーナにもある。北アフリカ出身の皇帝セプティミウス・セウェルス(146~211)がパルティアとの戦いに勝利したことを称える凱旋門。
コンスタンティヌスはキリスト教に出会う前はアポロンや太陽神を崇拝することもあったが、313年にキリスト教を公認し厚く保護していくことになる。そして、ローマのサン・ピエトロ大聖堂やエルサレムの聖墳墓教会など数々の教会をつくった。
コンスタンティヌスが行ったもうひとつの大事業が330年のコンスタンティノープル(現在のイスタンブール)への遷都。これによってローマ帝国の政治、経済の中心が東方に移った。この街は2001年に訪れたが、感動する観光名所が多くにじつに楽しい旅だった。またアヤソフィアのなかに入ってみたい。
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コメント
アヤソフイアにゆきたかったのですが、単純に一番大きいといわれてるのでブルーモスクを選びました。(あとは市場でしたの・・・。)
私の自慢のもうひとつのいったところ・・・。
‘東西のキリスト教が分かれた地’ といわれてる
バルカン半島のモンテネグロ!
(多分、新しいのでしょうが、カトリック、オーソドックスの教会、それにイスラムの寺院がありましたの・・・。)
投稿: Baroque | 2012.09.06 00:53
to Baroqueさん
ブルーモスクは行ったかどうか?あやふやです。
バルカン半島のモンテネグロですか!興味を
そそられますね。
投稿: いづつや | 2012.09.06 10:44