« 2012年8月 | トップページ | 2012年10月 »

2012.09.24

お知らせ

拙ブログはしばらくお休みします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012.09.23

アメリカ人に愛される鈴木其一の‘朝顔図屏風’!

4314_2     鈴木其一の‘朝顔図屏風’(19世紀 メトロポリタン美)

4315_2      左隻

4316_2      花の拡大図

BSプレミアムの美術番組‘極上美の饗宴’を毎回楽しくみている。今日は2週間前に放送された‘メトロポリタン美(2)’でスポットをあてられた鈴木其一(1796~1858)の‘朝顔図屏風’(六曲一双)について少しばかり。

4年前に書いた其一の記事(拙ブログ08/7/22)に8/3NYに滞在されていた竹内友章さんからコメントがあり、メトロポリタン美で‘朝顔図’が展示されていることを知った。また、中村獅童が知人の方にインタビューし、それがいずれ放送されるということも書き添えてあった。そのときは獅童の話は何のことかわからなかったが、この番組のことだった!

朝顔図は5月頃からはじまった琳派展で最も人気のある作品だという(展示はすでに終了)。展覧会の様子を映した映像はちらっとだったが、そのなかに2年前里帰りしたギッターコレクション展(千葉市美)で出品された神坂雪佳の‘百々世草’や08年の‘大琳派展’(東博)にでた酒井抱一の‘柿図屏風’(MET)があった。

察するにMETが所蔵する光琳や抱一など自慢の琳派コレクションを軸に全米にある優品をごそっと集結させたのではなかろうか(会期は来年の1/13まで)。そうした作品のなかで多くの人々の目を楽しませているのが其一の朝顔。この情報はとても刺激的。

この朝顔図はこれまで日本で幸運にも2度みる機会があり200%参っている作品だから我が意をえたりという感じだが、断トツの人気というのは想像を超えていた。朝顔の明るくて深い青とデザイン性の高い造形がポップな感覚を感じさせるのかもしれない。

其一の作品全体をみて絵がもっているインパクト度の強さからいうと根津美にある‘夏秋渓流図屏風’とこの‘朝顔図’が双璧。ともに背景の金箔、葉や花の緑青、群青の目に訴える力には半端ではない強さがある。そして、圧倒的な明るさとダイナミックな構図。

またあの朝顔の透き通る光の輝きを真近でみてみたい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012.09.22

今年二度目の‘バーナード・リーチ展’!

4311_3     ‘ガレナ釉筒描人魚文大皿’(1925年 大原美)

4310_3     ‘ガレナ釉筒描グリフォン文大皿’(1952年 アサヒビール大山崎山荘美)

4312_3        ‘鉄絵魚文花瓶’(1961年 大原美)

4313_3     ‘宍道湖風景’(1953年 日本民藝館)

今年二度目となるバーナード・リーチ(1887~1979)の回顧展は日本橋ではなく地元横浜の高島屋(9/19~10/1)でみた。8階の催物会場では今人気の‘イタリア展’が開かれており、ピザやチーズの匂いにつられて道草をしてしまいそうになったが、まずはリーチをみようとチケット売り場へ急いだ。

中にはいるとイタリア展と変わらず大勢の人、これは日曜美術館であったリーチ特集の効果だろうか。出品作は陶芸100点、素描・版画20点。そのなかには日本民藝館が所蔵するものが多くでているので7月にみたリーチ展(拙ブログ7/7)のリフレインという感じがしないでもなかった。

でも、民藝館のほかにもリーチのコレクションで名の通っている美術館からもいい作品がずらっと出品されていて、これ以上望めない最高の回顧展になっている。まだリーチに目が慣れていない方はここへやってくるとリーチに一発で通(ツモ)になれること請け合い。

リーチのやきものの楽しみは濱田庄司同様、大皿。今回人魚や生き物などが大きく描かれたすばらしい大皿が全部で14点でている。これは圧巻!ブリタニーの玉葱売り、人魚、蛸、魚、松、鹿、兎、グリフォン、蛙、燕、井戸、里山、、

とくに長くみていたのは再会した‘人魚’と‘グリフォン’と‘鹿’(濱田庄司記念館 益子参考館)。‘人魚’は大海原の描写に惹かれる。海面はゆらゆら揺れており、人魚の長い髪が呼応するかのように風になびいている。生き生きとした姿が目に焼きつくのが‘グリフォン’と‘鹿’、今にも皿から跳び出て疾走していく感じ。

プラスαの作品で魅了されたのは魚の絵柄の花瓶。これは大原美にあるものだが、じっとみていて棟方志功の描いた鯉の絵を思い出した。花瓶の形に量感のある4匹の魚がぴったりおさまっているのがじつにいい。

リーチはつくづく絵が上手いなと思わせるのが風景や人物などを描いた素描。画面には詩心があふれじっと見入ってしまう。とくに心に響いたのは‘宍道湖風景’、広島に住んでいたとき仕事でよく松江を訪れ、宍道湖の美しい風景に心が癒されたから、この絵はぐっとくる。

なお、この展覧会は横浜のあと次の会場を巡回する。
大阪高島屋:10/10~10/22
京都高島屋:10/31~11/11

| | コメント (2) | トラックバック (1)

2012.09.21

ローマ史に輝く名将ハンニバルと女王クレオパトラ!

4309_2     ‘ハンニバルの胸像’(ナポリ博)

4308  ターナーの‘吹雪 アルプスを越えるハンニバル軍’(1812年 テート・ブリテン)

4307     トレヴィサーニの‘アントニウスとクレオパトラの饗宴’(17世紀 ウフィツィ美)

4306     カニャッチの‘クレオパトラの自殺’(1659~63年 ウィーン美術史美)

西洋史にでてくる武将の名将列伝をつくるとすれば絶対にはずせないのがマケドニアのアレクサンドロス大王(BC356~323)と古代カルタゴの名将ハンニバル(BC247~183)。

ハンニバルが象を率きつれてアルプスを越えローマ軍を打ち負かしたという話を聞いたのは中学生の頃だった高校生の頃だったか忘れたが、とにかくすごいことをやった武将がアフリカの北にいたことはしっかりインプットされた。

でも、それがBC218年に起きたことであり、カルタゴが当時地中海を支配していた大国でローマはまだ新興国にすぎなかったことなどはもちろん深く理解していない。関心は一点、厳しい冬の時期にどうやってあのアルプスを象が登ったのかだった。事実イタリアにたどりついた象はたったの1頭だけだった。

少年画報などでみた絵にくらべるとターナー(1775~1851)の描いた‘吹雪 アルプスを越えるハンニバルとその軍勢’はだいぶ趣がちがう。ここでの主役は吹雪、これまでどういうわけかこの絵に縁がないので早く真近でみてみたい。

エジプトの女王クレオパトラはローマ史には欠かせない大スター。クレオパトラをエリザベス・テーラー、カエサルをレックス・ハリソンが演じたハリウッド映画がいまでも強烈に目に焼きついている。カエサルが暗殺されたあと、クレオパトラはアントニウスを操りエジプトに君臨しようとする。トレヴィサーニ(1656~1746)の絵ではクレオパトラをどうしても魔性の女にみてしまう。

ウィーンの美術史美にあるカニャッチ(1601~1663)の‘クレオパトラの自殺’は映画の最後のシーンで蛇が床をくにゃくにゃ這いまわるのをよく覚えているから、クレオパトラの死がすーっと腹に落ちていく。蛇は大の苦手、お付きの女はよくも顔をあんなに近づけてみれること。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2012.09.20

すべての道はローマに通ず アッピア街道!

4302_2     ローマのアッピア街道

4304_2

4303_2      ローマ街道の基本構造

4305_2     1マイルごとに立てられたマイルストーン

古代ローマをイメージするものとしてすぐ思い浮かべるのは円形闘技場のコロッセオと‘すべての道はローマに通ず’の格言で有名なアッピア街道。コロッセオが剣闘士の決闘などで市民を楽しませる最大のエンターテイメント空間なら、ローマ帝国全土に張り巡らされた道路は軍隊や種々な物資が常に行き交う国の動脈であり、通信や輸送の要だった。

最初につくられた街道がBC312年に着工されたアッピア街道。農産物などが豊富なイタリア南部のカンパニア地方とローマをつなぐためにつくられた。全長560km。街道建設のスピードは今のイタリア人とは比べものにならないくらい速く、帝国の領土が最大になり全長8万kmの道路網ができた2世紀頃の最盛期には2日の1kmのペースで延びていった。

道路建設にかりだされたのは主に奴隷と兵士だが、身分の低い市民たちも民間の業者に雇われて働いていた。道路はみな直線、このころの技師たちには曲線の道は頭になく少々の山であれ河であれ、迂回せずおかまいなく直線の道をつくっていった。

舗装の仕方はどこでも同じで、まず広い溝を掘り砂と丸石で土台をつくり、次に砂利を敷き粘土やモルタルで固める。最後に玄武岩の石を敷き詰める。この玄武岩はとても硬くて耐熱性に優れており、その下が一種のクッションになっているため、道路は驚くほど頑丈にできあがった。また、適度な傾きをつけ雨水が道の両側に流れるようになっていた。

BC120年頃に道路関連の法律ができ、すべてのローマ街道には1ローママイルごとに石柱が立つようになった。マイルはキロに直すと1.485km。これにより旅人はローマまでの距離がわかるようになった。この街道は今でいうと高速道路、戦争がはじまるとローマ軍は武装した歩兵を引き連れて1時間6km以上という速いスピードで進んで行った。まさに街道はローマ帝国の力の象徴だった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012.09.19

ルーベンスの連作‘デキウス・ムス’がやって来る!

4299ルーベンスの‘占いの結果を問うデキウス・ムス’(1617年 リヒテンシュタイン美)

4300ルーベンスの‘戦いにおけるデキウス・ムスの死’(1617年 リヒテンシュタイン美)

4301 マンテーニャの‘カエサルの凱旋’(1480~95年 ハンプトン・コート・パレス)

あと2週間すると、国立新美で待望の‘リヒテンシュタイン美展’(10/3~12/23)がはじまる。お目当てはバロックのビッグネーム、ルーベンス(1577~1640)。作品は10点やってくるという。

そのなかで心待ちにしている絵が2点ある。愛娘を描いた‘クララ・セレーナ・ルーベンスの肖像’と連作‘デキウス・ムス’。クララの絵の存在を知ったのは25年前。いつかこの目でと思っていたが、ようやくそれが実現する。しかもウィーンではなく日本で。待てば海路の日和ありである。

古代ローマの英雄を描いた連作‘デキウス・ムス’も思い入れの強い作品。6点あるうち2点が出品されるが、チラシに載っているのは‘占いの結果を問うデキウス・ムス’。もう1点が‘戦いにおけるデキウス・ムスの死’かどうかは?絵のサイズは縦3m、横4m。

ルーベンスのこれほど大きな絵が日本でみれるのははじめてではないだろうか。国立新美はこれをみる舞台としてはうってつけの美術館。展示室の天井は高く広々とした展示空間だから、ルーベンスの躍動感あふれるバロック芸術が体全体で感じられるにちがいない。

絵の題材になっているデキウス・ムスはBC4世紀頃の古代ローマの執政官。政治のトップは同時に戦いの先頭にたつ軍人でもある。手ごわい相手だとつい神のご加護にすがりたくなる。すると夢で神のお告げがあった。‘誰かが命を捧げると勝てるかもしれないぞ!’

デキウス・ムスは国を愛する気持ちは誰よりも強いから、なんのためらいもなく‘命捧げます’と神に向かって大声で叫び敵陣に突っ込んでいく。兵士たちは勇気百倍であとにつづく。で、戦局は一気に自軍に傾き勝利を得る。

マンテーニャ(1431~1506)の描いた‘カエサルの凱旋’は長いこと気になっている作品。カエサルの率いる最強軍団が意気揚々と凱旋してきた様子がひしひしと伝わってくる。映画の一シーンをみているよう。連作9点が飾ってあるハンプトン・コート・パレスは次回のロンドン旅行のとき真っ先にでかけることにしている。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2012.09.18

絵画、彫刻で知るローマ建国物語!

4296_2  コルトーナの‘サビニの女たちの略奪’(1650~31年 ローマ カピトリーニ美)

4297_2ティツィアーノの‘タルクィニウスとルクレティア’(1571年 フィッツウィリアム美)

4295_2ジャンポローニャの‘サビニの女の略奪’(1583年フィレンツェ ランツィのロッジア)

4298_2 ベルリーニの‘アエネアスとアンキセス’(1618~20年 ローマ ボルゲーゼ美)

海外の美術館へでかけるのはもちろんそこに飾られている絵画や彫刻の名作を心ゆくまで楽しむため。感性を刺激されるのは気持ちのいいものだが、美術鑑賞はこれだけでなくもうひとつ貴重な体験をすることができる。それは作品を通じて世界が広がること。

宗教画に何度も接しているとキリスト教徒でもないのに‘目学問’(My造語)で聖母マリアやキリストの物語がだんだんとわかってくる。また、西洋史に起こった有名な事件や古代から伝承されている物語についても書物を読むより絵画や彫刻をみているほうがよりイメージが豊かになり理解が進むことがある。

昨日取り上げたサビニの若い女たちがローマの若者らにさらわれる話はまずルーヴルにあるプッサンやダヴィッドの絵によって知った。次にその暴力的な場面がルーヴル以上に目に焼きついたのはローマにあるカピトリーニ美。バロックの画家コルトーナ(1596~1669)の絵は人物描写が大きいので目の前に広がる略奪シーンに息がつまりそうになる。コルトーナは彫刻的な造形を意識してこの悲惨な情景を描いている。

こういう悲劇性の強いテーマを表現する場合、絵に比べると立体の彫刻のほうがやはり訴える力は強い。フィレンツェのランツィのロッジアに野外展示されているのがジャンボローニャ(1529~1608)のマニエリスム様式による作品。これをみるたびにベルニーニ(1598~1680)の‘プロセルピナの略奪’が頭をよぎる。

貞女ルクレティアの悲劇をレンブラントは王子に凌辱されたルクレティアが短剣を胸にさし自殺する場面で描いたが、ティツィアーノ(1485~1576)は王子が寝室で暴行する情景を選んだ。絵からうける印象はすでにバロック絵画。絵を所蔵するケンブリッジのフィッツウィリアム美へ行ってみたくなった。

詩人ヴェルギリウスが書いたローマ建国物語の叙事詩‘アエネイス’は岩波文庫で読んだので、ベルニーニの‘アエネアスとアンキセス’をボルゲーゼ美でみたときは感慨深かった。神話の人物が彫刻作品によって視覚化され、トロイからローマに逃れてきた苦難の道のりが思い描かれた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012.09.17

古代ローマを題材にした歴史画の傑作はこれ!

4292     ルーベンスの‘ロムルスとレムス’(1615~16年 ローマ カピトリーニ美)

4293     プッサンの‘サビニの女たちの略奪’(1637~38年 ルーヴル美)

4294     ダヴィッドの‘サビニの女たちの介入’(1799年 ルーヴル美)

4291     レンブラントの‘ルクレティアの自決’(1666年 ミネアポリス美)

西洋画には聖書やギリシャ神話にでてくる話を絵画化したものや古代史のエピソードを題材にして描かれたものが数多くある。今日は古代ローマの建国物語にまつわる絵をいくつか。

古代ローマの物語絵はヴァリエーションとしては多くない。コーマを建国した双子のロムルスとレムスはカピトリーニ美にあるブロンズ像‘カピトリーノの牝狼’をすぐ思い浮かべる人が多いかもしれない。ほかには貨幣のデザインに使われている?では絵は?これまでお目にかかったのはルーベンス(1577~1640)の絵のみ。

この‘ロムルスとレムス’もカピトリーニ美へ行くとみられる。彫刻との違いは狼の姿。狼も犬も似たようなものだからルーベンスの狼のほうがリアリティと伝えていると思うが、獰猛な狼という感じがでているブロンズのほうが芸術作品として強く印象に残る。

絵画や彫刻のテーマとして繰り返し表現されたのが‘サビニの女たちの略奪’。暴力的な物語なのでこれまで体験した絵の前では体が硬直した。プッサン(1594~1665)の作品はルーヴルとメトロポりタンにあるものをみた。画面の左の高いところで赤い上着を持ちあげて若い男たちに指示しているのがローマの支配者ロムルス。

サビニ族の人々はロムルスから祭礼に招待されてやってきたが、待っていたのは若い女が欲しくてしょうがない独身男たち。多くの女を略奪されサビニ人は黙っているわけにはいかない。で、ローマ人とサビニ人の間で激しい戦いがはじまる。3回衝突したがなかなか決着がつかない。

4回目の攻防のとき、略奪された女たちが両軍の間に割って入り、こう訴える。‘どちらが勝っても私たちは不幸になってしまいます。サビニ人が勝てば夫を失うことになり、ローマ人が勝てば親兄弟を失うことになってしまうのです’。この場面を描いたのがダヴィッドの絵。女に泣かれればいきり立つ男も冷静さをとりもどす。和平が成立し、以後両王の共同統治となった。

レンブラント(1606~1669)の‘ルクレティアの自決’は追っかけ画リストに入れている絵。最後のローマ王タルクィニウスには馬鹿息子がおり、人妻ルクレティアはこの男に犯されてしまう。そのため短剣を心臓に突き立て自決する。シュミーズに染みる真っ赤な血を実際にみたらフリーズしそうな感じ。この息子の破廉恥行為をきっかけに反乱がおき王政は終わりつげる。そして、BC509年ローマは共和制になる。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2012.09.16

古代遺跡は楽し! ハドリアヌスの長城

4287_2

4289_2     ‘ハドリアヌスの長城’(122~128年)

4290_2     ‘ヴィンドランド要塞’(122~128年)

4288_2     ‘バースのローマ浴場跡’(1世紀)

考古学者でもないのにハドリアヌス帝(76~138年)が建設した‘ハドリアヌスの長城’をみてみたいという思いに駆られている。好奇心というのはじつにやっかいなものである。

この長城がある場所がしっかり頭にはいってきたのはほんの数ヶ月前。古代ローマの本を読んだり、TVの美術番組をレビューしているうちにその場所と防壁の形がイメージできるようになった。地図でおわかりのように長城はイギリスの中部あたりを横切ってつくられている。

東はタイン河の河口部からスタートし、ニューカッスルを経て西のソルウェー湾まで続く。全長117km。長城というとすぐ頭に浮かぶのは‘万里の長城’、空からの映像でみるとこの‘ハドリアヌスの長城’も似たような石壁が延々と続いている。建設は122年に領土視察にやってきたハドリアヌスの命令によりはじまり、ローマ兵が総動員された。完成には5,6年を要したといわれている。だから、完成した長城をハドリアヌスはみとどけていない。

当時イギリスの北半分はローマ帝国の支配下に入ることを拒んだケルト系の民族がいた。そのため異民族の侵入を防ぐ目的でこの城壁を築いた。高さは建設されたときは
5mあったが、今は多くの石が石材としてもちさられたため低くなっている。

‘ヴィンランド要塞’は長城のそばにつくられた兵士の駐屯所。この遺跡ではもう長いこと発掘調査が行われていて、兵士たちの生活の様子を伝えるものがいくつも見つかっている。例えば給料として払われた貨幣とか兵士のサンダルとか‘軍務状況を記録されていた木簡などなど。

木簡には兵士の脱走が記されたものなどがでてきた。この兵士はダキア(ルーマニア)の戦いに派遣されるのが嫌だったらしい。別の土地に移動させられると二度と戻ってこれないから、可愛い妻や子どものほうを選んだのである。考古学はこういう話がわかるからおもしろい。

イギリスにはもうひとつ有名な古代ローマの遺跡がある。それはバースにある温泉の浴場跡。今から30年前、ここを訪れた。が、かなり前のことなので浴場の記憶はほとんど消えている。ロンドンからはコーチ(高速バス)に乗ると3時間で着く、また行ってみようと思う。    

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2012.09.15

ダルビッシュ 岩隈に投げ勝つ!

4286_2       ダルビッシュ vs マリナーズの川崎

4285_2     マリナーズの岩隈

今日はダルビッシュと岩隈に投げ合いがみれるレンジャーズ対マリナーズ戦を楽しんだ。日本で何度もあったこの対戦はマリナーズの岩隈の先発起用がシーズンの後半からだったため、なかなか実現しなかった。マリナーズはダルビッシュをよく知っている川崎をスタートからシュートで使ったので、日本人選手3人をまとめてみることができた。

先発の機会が与えられ好投を続ける岩隈のピッチングをみるのははじめて。前回の登板では打たれたがその前までは3連勝し6勝をあげている。注目してみたが、確かに球が低めに決まり日本の投げていたときのような安定した投球になっている。これならエースのヘルナンデスとともに投手陣の柱として監督から高く評価されていることもうなづける。

が、この試合では1回先頭打者のキンズラーにいきなりホームランを打たれ、3回にも主砲ハミルトンに完璧にとらえられ2点目を許した。失点はこの2点だが、相手がダルビッシュだから分が悪い。負け投手になったが、残り3回くらいの登板機会で2つ勝てれば初めてのシーズンとしては上々ではないか。来年は10勝以上はできそうな気がする。

ダルビッシュはいまやレンジャーズのエース、ここ5試合くらい安定したピッチングを続けている。7回投げて2安打失点1の内容だから安心してみていられる。これで15勝。残りゲームは20を切り、投げるのはあと3回しかないが、2つ加えて17勝でレギュラーシーズンは終了か。

ダルビッシュへの期待はもうポストシーズン(PS)にむかっている。監督はどうやらダルビッシュを先発の軸にすることを決めているようなので、10月になったらはじまるPSがとても楽しみ。

今日は上原がダルビッシュのあとを投げ3人を難なくうちとった。リードしている試合で使われるのだから、首脳陣に信頼されている証拠。昨年のPSでは投げる機会がまったくなかったから、今は相当気合が入っているだろう。上原にも熱い声援を送りたい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012.09.14

邸宅美術館にぴったりはまる‘シャルダン展’!

4281     ‘木いちごの籠’(1760年頃 個人)

4282     ‘桃の盆とぶどう’(1758年 ストラスブール美)

4283     ‘食前の祈り’(1740年頃 ルーヴル美)

4284     ‘羽根を持つ少女’(1737年 個人)

静物画というとすぐでてくるのはセザンヌとシャルダン。そして、もう一人イタリアのモランディ。そのシャルダン(1699~1779)の回顧展(9/8~1/6)がはじまった。

3人のなかで体験した作品の数はモランディが一番少ない。シャルダンは4年前ルーヴルのロココ作品が展示してある部屋で画集に載っている‘赤えい’やこの展覧会にも出品されている‘銀のゴブレット’などをゆっくりみたから、ある程度は目が慣れている。

でも、シャルダンは印象派のように世界中の美術館でみれるという画家ではないから、ルーヴルへでかけたときにまた楽しめばいいかなという構えだった。ところが、三菱一号館美が回顧展をやってくれるという。こうなるとおおいに期待してしまう。おかげでシャルダンにかなり近づけたような気がする。

作品の数は全部で38点。シャルダンはこういう邸宅美術館でみるのが一番いい。部屋を進んでいくうちに国立新美であったセザンヌ展のことが思い出された。静物画との関連というのではなくここに展示されている作品を所蔵する美術館のこと。

セザンヌ展と同様にブランド美術館が次々とでてくる。ルーヴルを筆頭にエルミタージュ、ワシントンナショナル・ギャラリー、フィリップス・コレクション、ボストン、フィラデルフィア、フリック・コレクション、ティッセン・ボルネミッサ。これはどこからみてもグローバルレベルの特◎回顧展であることは間違いない。

絵の前に長くいたのが‘木いちごの籠’。絵の存在を知ったのは25年前のことだが、日本でみれることになろうとは!典型的なピラミッド構図で描かれた赤い木いちごに目が吸い寄せられていく。いちごの生感覚の存在感をこえ永遠の神々しさまで感じさせるのだからシャルダンの画技はすごいところにいっている。

静物画に描かれた果物で最も好きなのは葡萄。だから、‘桃の盆とぶどう’や‘桃の籠とぶどう’、‘ティーポットとぶどう’、‘ぶどうの籠’をうっとりした気分でみてしまう。また、シャルダンの静物画はオランダの画家たちの描くものと比べ対象が少ないから、果物などと一緒に並べられている瓶やゴブレットやガラスコップの見事な質感描写に釘付けになる時間もつい長くなる。

人物画の収穫は2点ある‘食前の祈り’。ルーヴルのものは前回展示されてなく、またエルミタージュが所蔵するものは現地を訪問したときはシャルダンまで気が回らなかった。それが一気にリカバリーできたのは嬉しいかぎり。オランダの風俗画にもこんな親子の場面が登場するが、シャルダンの絵のほうがなにか静かでやさしい感じ。
二人の女の子の姿をみていると肩の力がすっとぬける。

‘羽根を持つ少女’はちょっとフェルメールの絵と似た雰囲気をもっている。子どもが一人で描かれるときはいつも横向きで暗い背景のなかに浮き上がっている。少女の赤いほっぺと木の質感がよくでているラケットをしばらくみていた。

バーン=ジョーンズ展に続き満足度200%の展覧会だった。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2012.09.13

期待の‘デルヴォー展’を楽しんだ!

4280

4276     ‘行列’(1963年)

4278     ‘エペソスの集いⅡ’(1973年)

4279     ‘森の使者’(1980年)

4277     ‘夜明け’(1944年)

昨日とりあげたアンソール展同様、期待値の高かった‘デルヴォー展’(9/12~11/11)をみるため府中市美まで足をのばした。最近は初日に出動することはあまりないのだが、シュルレアリスムというとどうしても体がむずむずするのでこの展覧会にあわせた美術館めぐりになった。

同じベルギーのシュルレアリスト、マグリット(1898~1967)の回顧展は一度
Bunkamuraで体験したことはあるが、デルヴォー(1897~1994)はどういうわけか縁がなかった。だから、チラシを手に入れたときは出品作を食い入るようにながめていた。

デルヴォーが生まれた街はリエージュ州のアンテイ。展覧会の図録に載っている地図で確認するとここは昨年のベルギー旅行のときブリュッセルから出かけたモダーブ城のすぐ近くだった!そして、1994年97歳で亡くなったところは北海からあまり遠くなくフランスとの国境近くに位置するフュルヌ。

フュルヌのすぐ上のサンティデスバルドにこの展覧会に作品を貸し出してくれたポール・デルヴォー美術館がある(1982年開館)。ここを訪問したいという思いはあるものの、単独で出かけることはまずないから実現する可能性はかなり低い。アンソールの故郷オステンドと組み合わせるという手もあるが、これとて魅力的なオプションにはならない。だから、こうやって日本でこの美術館の作品がみれるというのは大変幸運なことである。

最も惹かれたのは‘行列’。不思議な世界が目の前に広がっているが、デルヴォー独特の遠近法による画面構成が心を落ち着かせてくれる。お馴染みの裸体の女性が9人、三角形のフォルムをなしてこちらにやってくる。いつもそうだが、デルヴォーの裸体は肉体的な感じがしないから大勢いても心拍数が上がってくることもない。そして、左のほうでは汽車が反対方向へ向かって進んでいる。

‘エペソスの集いⅡ’もなかなかの傑作。壮麗なギリシャ神殿が建ち並び、汽車が横を通りぬける暗闇のなか自ら光を放つ発光体のような女性たちが気高く輝いている。赤いベッドと横たわる裸体の白さが目に焼くつく。汽車は神殿のある広場だろうが木々の生い茂る森であろうが不条理に現れるところがデルヴォーマジック。

‘夜の使者’も古代ギリシャやローマの時代にタイムスリップしたような気持ちになる絵。広々とした通りの両側に緑の木があり、遠くには凱旋門や円柱、神殿がみえる。ここにはなぜか場違いな男が描かれている。この眼鏡をかけた人物は一体誰れ?

会場の一番最初に飾られているのが‘夜明け’。つかみの作品としては上々。外にいる裸体の女と部屋にいる女の大小対比が記憶に強く残るのもシュルレアリスムらしいところ。久しぶりの府中市美だったが、とてもいい気分になって館をあとにした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012.09.12

アンソールの追っかけ画‘陰謀’が日本にやって来た!

4272_2     ‘陰謀’(1890年)

4273_2     ‘絵を描く骸骨’(1896年)

4274_2     ‘花と野菜’(1896年)

4275_2     ‘牡蠣を食べる女’(1882年)

開幕を楽しみにしていた‘ジェームズ・アンソール展’(9/8~11/11 損保ジャパン美)をみてきた。アンソール(1860~1949)の代表作のひとつ‘陰謀’がみれたので、今日はとても機嫌がいい。

今回の回顧展にでている作品は1点を除いてアントワープ王立美が所蔵するもの。昨年11月、アントワープを訪問したとき、この美術館が2017年秋までの長期休館に入っていることを知った。そのため、館自慢の作品は現在拙ブログ11/12/25で紹介したMASミュージアムで公開されている(今年の12/30まで)。

ここにでていたアンソールは期待していた‘陰謀’ではなくて以前に日本でみたことのある‘東洋の品々のある静物’(11/12/26)1点のみ。ほかはヤン・ファン・エイクの‘聖女バルバラ’やフーケの‘聖母子と天使たち’など美術館の代名詞ともいえる作品がでているのに、アンソールはなぜ最も有名な‘陰謀’ではないのか?

このときは腑に落ちなかったが、あとで損保ジャパンでこの美術館所蔵のアンソール展があることを知り、その謎が一気解けた。MASの展覧会は今年の末まであるので、アンソール作品だけははじめから日本における巡回展(4月の豊田市美からスタート)のためブロックされていたのである。

この展覧会、アンソールがメインでほかの作家の作品はおまけ。だから期待しないほうがいい。クールベなどもあることはあるがアベレージクラス。人気の作品はMASに展示されているので、これは仕方がない。

アンソールのゾクゾクする絵は最後の部屋に飾ってあった。お目当ての‘陰謀’はまさに仮面の画家が描いた傑作。この絵に心がざわざわするのは大胆にデフォルメされた仮面の姿だが、その怪奇さを強く印象づける色のマジックにも虜になる。それは鮮やかな赤と緑。黄色や青より数倍のインパクトをもっている。

どうでもいいことだが、この仮面の男たちのひとりがある人物の顔を連想させた。緑の衣服を着た男、その上に反り返った鼻に注目、これは亡くなったマイケルジャクソンの整形された鼻にそっくり!ついでに冗談をもうひとつ。右端の上にいる骸骨、この男はギャグをかまして笑わせる間寛平。

赤に視線が寄っていくのは‘花と野菜’でも肖像画の大作‘牡蠣を食べる女’でも同じこと。図版ではその赤の強さがよく出ていないが、本物の絵の前に立つと赤がストレートに感じられるはず。

‘陰謀’とともにみたくてしょうがなかったのが‘絵を描く骸骨’。レンブラントにも絵を制作中の自画像があるが、自分を骸骨として描く発想がじつにユニーク。その骸骨にしっかり目が入っているので、腰が引けるという感じが無くて、部屋のなかにある絵を1点々みてしまう。

05年東京都庭園美で開催されたアンソール展(05/6/5)のとき出品されたのが10くらいあったが、そのなかの‘首吊り死体を奪い合う骸骨たち’をまたじっくりみた。ここに登場する人物は‘陰謀’でもみられる。

アントワープ王立美が誇るアンソールコレクションを日本で2度も体験できたのは幸運だった。ミューズに感謝!

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2012.09.11

W杯アジア最終予選 日本1-0でイラクに勝利!

4271

4270    ヘディングシュートを決めたFWの前田

野球に比べるとサッカーの試合をみる回数はまったく少ないのだが、ワールドカップの予選や本大会のときはにわかサッカーファンになり熱く応援している。最終予選をライブでみるのは前回のオーストラリア戦に次いで二度目。相手のイラクはあのジーコが監督をしていた。

試合ははじまってすぐにイラクのコーナーキックにヒヤッとさせられる場面があった。だが、相変わらずGK川島の反応はいい。しっかりおさえてゴールを許さなかった。今日はもう一度、あわや同点かというシュートを超ファインセーブ、本当に頼もしい。勝手に川島弁慶と呼んでいる。

前半25分に日本にするすると点が入った。岡崎はびっくりするようなテクニックをみせた。駒野のスローイングを直接左足で巧みに受け止め、ゴール前に運んだ。そのボールを前田が確実にヘディングで決めた。イラクの選手はあっけにとられたような顔をしていた。

試合後のインタビューで岡野はこれを練習していたという。サッカーのテクニックのことをあまり知らないから、こういうプレーをみると、日本の選手もすごいテクニックをもっているんだ!と感心してしまう。日本のあげた得点はこの1点だったが、後半も終わり近くになって本田が放ったヘディングシュートもすばらしかった。GKにうまくとめられたが、いいプレーだった。

イギリスのマンチェスターユナイテッドに入団した香川は怪我のため今日の試合はメンバーからはずれた。代役をつとめたのがオリンピックで名前を覚えた清武。この選手は高く評価されているようなのでそのプレーを注目してみていたが、一度本田からでたボールに素早く反応したもののシュートとまではいかなかった。

日本は前半の4試合を戦って勝ち点10、ブラジル行きがかなりみえてきた。これからだんだんワールドカップモードになっていきそう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012.09.10

魅力いっぱいのチュニジアモザイク!

4266_2     チュニジア・シェムトゥの大理石採石場

4267_2     ‘オデュッセイア’(4世紀 チュニス バルドー博)

4268_2     ‘トラ’(4世紀 チュニス バルドー博)

4269_2     ‘ヴォーナスの勝利’(2世紀 ブラ・レジア遺跡)

3年前‘古代カルタゴとローマ展’が大丸東京店で開かれたとき、チュニジアの古代ローマ時代の遺跡から出土したモザイクをかなりの数みた。北アフリカのモザイクはその存在を知っていても、本物をこれほど多くみる機会は過去になかったからとても楽しめた。今、このとき手に入れた図録をまたじっくりながめている。

モザイクの材料となる大理石、そのなかで珍重されるのが古代黄色と呼ばれる大理石。黄色い石の中でも一際美しく黄金の石と称えられる。これは豪華な衣裳や人間の肌の色を表すのにもってこいの石。でも一ヶ所でしか採れない。その場所はチュニジア北西部の山のなかにあるシェムトゥ。

この古代黄色にはピンクがかった黄色など微妙に色が異なるものがいくつかあるため、これらを巧みに組みあわせるとうまくグラデーションがだせ人間の肌の陰影をつくることができた。いい材料を使い腕のいい職人の細かい作業よって生み出されたモザイク、大丸でみたのはほんの一部にすぎない。

チュニスにあるバルドー博がモザイクの宝庫、ここには魅力いっぱいのモザイクが沢山あるので訪問したくなった。大きなものがどーんどーんと飾ってある。作品の前では相当テンションが上がりそう。鑑賞欲をそそるのが‘オデュッセイア’と牙をむく姿が写実性豊かに表現された‘トラ’。いずれもこれまでみたものと比べるとワンランク、ツーランク上という感じ。

最高傑作といわれる‘ヴィーナスの勝利’が見られるのはチュニジアの西部にある古代ローマの住居跡、ブラ・レジア遺跡。暑さを避けるため地下につくられた食堂の床に描かれている。この遺跡は一般公開されているのだろうか?OKならば足を運んでみたいのだが。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012.09.09

ローマ通になれる‘古代ローマ人の24時間’!

4263_2

4262_2     ‘ラビカーナ通りのアウグストゥス’(10年頃 ローマ国立博)

4264_3                 トガの着方

4265_2             邸宅で開かれる饗宴

左の‘お気に入り本’をビッグマイナーチェンジした。数を大幅に減らし一部の本だけを残し、大半は新しい本に入れ替えた。関心のあるものがあればご参考にしていただきたい。最近は過去に購入した本の整理を大胆に進めており、身近に置いて愛読する本を絞り込んでいる。そして、あらためていい本を読む楽しさと名著の力を感じている。

その中に大変おもしろいローマ本がある。それは今回も‘お気に入り本’に継続して載せている‘古代ローマ人の24時間’(10年 アルベルト・アンジェラ著 河出書房新社)、原書はイタリアで07年に出版されており、この訳本が出た時点で40万部売れたというから、イタリア人にとってもその内容がとても新鮮だったにちがいない。

今古代ローマのことを連続して書いているので、この本で述べられている考古学者の調査研究などから明らかになった当時の人々の生活についてとくに興味深かったものをいくつかピップアップしてみたい。

時代設定はトラヤヌス帝が統治していた115年。タイトルの通り、この本はある一日の街の様子が日の出の頃、朝食を食べる時間、公共浴場へ出かける午後1時~2時、コロッセオで剣闘士の真剣勝負がある時間帯、そして饗宴に招待されて夫婦で出かける夕時、といった具合に時間の流れにそって構成されている。

ローマにはこのころ150万人が住んでいたという。突出した大都市で、皇帝をはじめとする帝国の支配者階級たちは優雅な戸建の邸宅ドムスで暮し、そのほかの下層民はインスラよばれる高層集合住宅に住んでいた。このインスラが林立していたという。

これは現在のマンションの原型。4,5階建ての2階に一番裕福な者が住み上へいくほど社会の底辺で生きるもの者たちがいた。高さ制限があり6階と決められていたが、お金を稼ぐため違法の増築がくりかえされどんどん高くなっていった。

彫像になったローマ皇帝が身につけているトガ。これは裕福な人々が外出のとき着た正装用の衣服で直径は6mもある半円形をしている。これを奴隷が主人に着せるやり方が図解されている。こういう風になっていたのか!という感じ。

邸宅で行われる饗宴の話でおもしろかったのは映画のシーンでお馴染みの臥台に寝そべって食べる豪華な料理の数々。グロテスクなウツボやヒトコブラクダの足なども人気の料理だったようだ。BSプレミアで放送された‘時を刻む コンクリート’でもハドリアヌスがティヴォリの別荘で開いた宴会にこのウツボがでてきた。また、シチリアの漁港でも売られていたから、今でもウツボは食卓にのぼっている。これは知らなかった。

この本には古代ローマの生感覚の情報がつまっている。興味のある方は是非ご自分の目で。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012.09.08

古代遺跡は楽し! エフェソス

4258_2     古代ローマ世界

4259_2     ‘セルシウス図書館’(117年)

4260_2     ‘ハドリアヌス神殿’(138年)

4261_2     ‘勝利の女神ニケのレリーフ’(2世紀)

2001年にでかけたトルコはじつに楽しい旅だった。どこへ行っても感動の袋がはちきれそうだったが、とくにいい思い出が残っているのが古代ローマ時代に栄えたエフェソス。

エフェソスはギリシャのアテネからエーゲ海を東へ380kmくらい進んでいったところにある。ここにはパルテオン神殿のような壮大な建造物はないが、わりとまとまった広さのところに音楽堂やこぶりの神殿などを一通りみることができる。ローマのフォロ・ロマーナのなかを歩くのと同じような感覚がある。

どこからこの遺跡の見学がスタートしたのかはっきりと思い出せないが、観光コースのハイライトはメイン通りを左右の建造物を眺めながら少しづつ下っていくところ。これがとても楽しかった。そして、ちょうどつきあたったところにあるのが‘セルシウス図書館’。遠くからでも目立つ建物だが、近くでみると1階と2階に8本づつ建つ大理石の美しい柱に目が釘付けになる。

この図書館は公共施設の一つだが、ローマ帝国が徴収した税金でつくられたのではなくエフェソスの有力者が市民のために寄付したもの。属州の都市づくりは一部こうした地方の有力者の帝国に対する忠誠心や責任感に頼っていたのである。

通りの中間あたりにある‘ハドリアヌス神殿’はハドリアヌス帝(76~138)が124年に視察のためここへやって来たことを記念してつくられた。これも有力者の寄付。

エフェソスでみた最も印象深い彫刻は‘勝利の女神ニケのレリーフ’。手を横に広げ腰から下が斜めになる姿勢が目にやきついている。博物館やギリシャの遺跡でニケの彫像に出くわすことは意外だがあまりない。だから、これは貴重な体験だった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012.09.07

世界遺産 ポン・デュ・ガールが見たい!

4254     

4255     フランスにあるローマ水道橋‘ポン・デュ・ガール’(BC19年)

4256     ‘ローマのクラウディア水道橋’(1世紀中頃)

4257     ‘チュニジア・ザクアンの水道橋’(2世紀)

古代ローマの高い土木技術を駆使してつくられた水道橋は昨年1月スペインを旅行したとき、タラゴナの近くにあるものを高速道路からみた。だが、ちょっと離れていたので感激がいまいちだった。

数日後セゴビアにある有名な水道橋(世界遺産)をみるオプショナルツアーが用意されていた。が、マドリードの美術館めぐりにでかけたので、スペインでは結局水道橋には縁がなかった。ツアーに参加された方の満足顔をみて、次回はセゴビアへ行くことを即決めた。

最近、セゴビアよりもっと感動しそうな水道橋を知った。それは南フランスにある世界遺産‘ポン・デュ・ガール’。場所は若い頃訪問したことのあるアヴィニョンから西へ20kmくらいのところ。三層アーチの美しい造形にすごく惹きつけられる。これは一度みてみたい。ここから南に進むとゴッホが数多くの傑作を描いたアルルがある。この組み合わせなら旅行の楽しさは格別かもしれない。

ローマにある古代遺跡でまだみてないのは水道橋とカラカラ浴場。古代ローマへの興味がおおいに増しているから、またローマを訪れることがあったらこうしたところやティヴォリにあるハドリアヌス帝の別荘を最優先にしてまわるつもり。

チュニジアの首都チュニスの近くの街ザクアンにある水道橋はその長さが141kmあり、地中海最大を誇る。2世紀にハドリアヌス帝によってつくられた。ローマ帝国はローマ化した属州地域にも水道橋を建設することにより都市生活に欠かせない水を遠い水源から人々の家や公共の浴場、トイレなどへとどけた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012.09.06

いつか行ってみたい北アフリカの古代ローマ遺跡!

4250_2     北アフリカの古代ローマ遺跡

4252_2     ‘ティムガドの古代ローマ都市’(100年頃)

4253_2     ‘トゥガの神殿’(2世紀)

4251_2     ‘レプティス・マグナの劇場’(1世紀初め)

北アフリカの国、アルジェリア、チュニジア、リビアは行ったこともないからどんなところかまったく知らない。そのため、エジプトとは違い地図上の位置はアバウト。ところが今は歴史の本に載っている地図によって国の広さや国が並んでいる順番がしっかり頭のなかにはいるようになった。

北アフリカに関心が向かっているのは2000年前にこの地中海世界を支配したローマ帝国にこのところ最接近しているから。これまでイタリア以外にある古代ローマの遺跡をみたのは4回しかない。イギリスのバース、トルコのイスタンブール、エフェソス、そしてスペインのタラゴナ。

少ない体験ではあるが神殿、劇場、円形闘技場、水道橋はこういうものかというイメージはつかめた。そして情報が増えてくるとほかにもまだ沢山あることがわかった。スペイン、フランスをはじめとして北アフリカやトルコ、シリア、ヨルダンなどにもミニローマがぞろぞろ。

このなかで最も興味を寄せているのはアルジェリアのティムガドの遺跡。ここに碁盤目状に区画された都市がつくられたのはトラヤヌス帝が統治していた100年頃。1881年に発掘されるまで長いこと砂に埋もれていたため、保存状態が極めていいという。まさにアフリカのポンペイ、こういう遺跡にはとても刺激される。

隣のチュニジアには地中海に面したカルタゴや内陸部のトゥガ、首都のチュニスを南に下ったところにあるエルジェムなどに目を惹く神殿や水道橋、円形闘技場が残っている。北アフリカはローマの穀倉、初代皇帝アウグストゥスはローマから近いチュニジアを特に重視し、BC146年に滅亡したカルタゴの再建にも熱心にとりくんだ。

そして、リビアのレプティス・マグナもアウグストゥスによるローマ風都市化のひとつ。これにより属州の人々もローマ人同じ快適な暮らしが保障され、地中海世界全体に‘パクスロマーナ(ローマの平和)’がもたらされた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012.09.05

キリスト教を公認したコンスタンティヌス帝!

4247_2      ‘コンスタンティヌス帝の像’(4世紀 ローマ カピトリーニ美)

4248_2     ‘コンスタンティヌスの凱旋門’(4世紀初め ローマ)

4249_2     現在のイスタンブール(ローマ帝国のコンスタンティノープル)

古代コーマの歴史を集中的にスタディーしていると、過去に体験した名所旧跡や絵画、彫像などの美術品がいろいろ思い出されてくる。今日はローマのカピトリーニ美で度肝を抜かれた皇帝の彫像のことを。

この美術館には中庭があり、そこに石でできた巨大な顔が置いてある。高さは2.8m。体全体の像がつくられ、首から下はどこかへいったのかこのあたりはよくわからない。展示室に人物の彫像がある場合はプレートに名前が記されているからそれがインプットされるのだが、この大きな顔は誰れなのかわからずじまい。

それがようやくわかった。ローマ皇帝コンスタンティヌス(272~337)だった。じつは美術館のほかの部屋にもうひとつこの皇帝の像がある。それが画像のブロンズ像。まあ首の太いこと!コンスタンティヌスは長身だったらしいが、首はプロレスラーみたいな頑丈な首だったのだろうか?これだけインパクトがあると忘れようがない。

コロッセオの隣にあるのがコンスタンティヌスの戦勝を記念して建てられた‘コンスタンティヌスの凱旋門’。定番の観光名所だから、写真を撮られたかたも多いはず。皇帝の名前がついた凱旋門はフォロ・ロマーナにもある。北アフリカ出身の皇帝セプティミウス・セウェルス(146~211)がパルティアとの戦いに勝利したことを称える凱旋門。

コンスタンティヌスはキリスト教に出会う前はアポロンや太陽神を崇拝することもあったが、313年にキリスト教を公認し厚く保護していくことになる。そして、ローマのサン・ピエトロ大聖堂やエルサレムの聖墳墓教会など数々の教会をつくった。

コンスタンティヌスが行ったもうひとつの大事業が330年のコンスタンティノープル(現在のイスタンブール)への遷都。これによってローマ帝国の政治、経済の中心が東方に移った。この街は2001年に訪れたが、感動する観光名所が多くにじつに楽しい旅だった。またアヤソフィアのなかに入ってみたい。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2012.09.04

ハドリアヌスの愛したアンティノウス!

4244_3     ‘ハドリアヌス帝の胸像’(2世紀 ローマ国立博)

4245_2       ‘アンティノウスの像’(2世紀 ローマ カピトリーニ美)

4246     古代ローマ世界

2年前、ローマの国立博物館やカピトリーニ美にでかけたときギリシャの神々の彫像やローマ皇帝の胸像などを沢山みた。そのなかで立派なあごひげをはやした14代皇帝ハドリアヌス(76~138)の像はよく覚えている。そして、若々しいアンティノウスの美しい姿にも足がとまった。

ところが、そのとき二つの像はつながっていない。ハドリアヌスが愛したのは妻のサヴィーナではなく美少年アンティノウスだったということを知らなかったのである。二人の関係を知ったのはほんの2ヶ月前。ハドリアヌスは同性愛の趣味があったのか!という感じ。

こうなるといろいろ知りたくなる。二人のことを少しばかり。アンティノウスはそれはそれは美しい容貌をしていたらしい。彼はギリシャ人で生まれたのは小アジア北西に位置するビティニア(現在のトルコ)。ハドリアヌスは皇帝になってから実施した領土視察のときみそめたという。アンティノウスは15歳前後、そしてハドリアヌスの歳はというと48歳。

それ以降ハドリアヌスは領土視察に妻や側近とともにアンティノウスも連れて行く。ところが楽しい関係が7年くらい続いたあと悲劇が待っていた。130年エジプトに出かけたとき、アンティノウスがナイル川で溺死したのである。ハドリアヌスの悲しみは深く誰も慰めようがなかったという。

悲しみにくれるハドリアヌスはこのあと人々に何と思われようとかまわないというような行動をとる。アンティノウスを神格化するため、事故の起きた場所の対岸に新都市アンティノポリスを建設し、ギリシャでは腕のいい彫刻家を集めアンティノウスの彫像を大量につくらせた。

これまでギリシャやローマの美術館とかルーヴルなどでよくアンティノウスの彫像にでくわしたのはこのためだった。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2012.09.03

ナポリ考古学博にあるポンペイ出土絵画!

4240_2     ‘アレクサンドロス・モザイク’(BC120~BC100年頃)

4241_2     ‘パクイウス・プロクロスとその妻の肖像’(部分 1世紀半ば)

4242_2     ‘犬のモザイク’(1世紀)

4243     ‘宴会の情景’(1世紀半ば)

はじめてポンペイを訪れたのは今からちょうど30年前の1982年。旅の流れとしてはポンペイに入る前にナポリの名所観光を楽しんだ。そのときナポリ国立考古学博を訪問した。

もうずいぶん前のことなので、博物館のレイアウトや展示してあった美術品についてはすっかり忘れている。でも、写真に撮ったポンペイの町を再現した模型と大きな‘アレクサンドロス・モザイク’だけは覚えている。

このアレクサンドロス大王とペルシャ王ダレイオス3世の戦闘のシーンを描いたモザイクは1831年ポンペイのファウヌス家で発見された。博物館では壁に展示されているが、もともとは中庭の部屋の床に描かれていたもの。黒、白、黄、赤の石片は全部で400万個以上あると推定されている。

左にいるアレクサンドロスの大きな目がとても印象的だが、大王のまわりはかなり石片が剥がれ落ちている。この破損は62年イタリア半島南部を襲った大地震によるもの。このため、視線はどうしても中央のダレイオスのほうへいってしまう。

じつはこの絵には原画があり、それを忠実にうつしたものといわれている。原画を描いたのはBC4世紀後半に活躍したエレトリア(ギリシャ・エウボイア島にあるポリス)生まれの画家フィロクセノス。絵はマケドニア王国の宮殿に飾ってあったが、BC168年ローマ軍に敗れたとき戦利品としてローマに持っていかれる。そして、BC120~100年頃ポンペイの豪華な邸宅でも装飾モザイクとして人々の目を楽しませた。

ポンペイでパン屋を営むパクイウス・ピロクロスとその妻を描いたフレスコ肖像画は図版でもすごく魅せられるが、当時これをみたという記憶はまったくない。また、玄関マットのような感覚でみてしまう‘犬のモザイク’も同様に忘れている。

2年前横浜美で‘ポンペイ展’が開かれ、ナポリ考古学博が所蔵する彫像や宝飾品、フレスコ壁画などのポンペイ出土品が沢山公開された。壁画で興味深くみたのが‘宴会の情景’。前景右に描かれた酔っ払いの姿がじつにリアル。召使いの少年に支えられて嘔吐の真っ最中。ほどほどにしとけばいいのに豪華な食事だったから美味しいワインをつい呑みすぎたのだろう。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2012.09.02

古代遺跡は楽し! ポンペイ

4236_2   79年のヴェスヴィオ火山大噴火の復元図

4239_2      車道にできた轍(わだち)

4237_2     秘儀荘の‘大壁画’(BC1世紀中頃)

4238_2     宿屋の中庭の壁に描かれた‘貝殻のヴィーナス’

海外でいろいろ体験した名所旧跡のなかでポンペイはとくに忘れられない町かもしれない。79年にヴェスヴィオ火山が突然大爆発し、ポンペイは1日で火山灰のなかに埋もれてしまった。この不条理とも思える自然の猛威の前では人間はなす術がないことをここにくると思い知らされる。

ローマにコロッセオが完成するのはこの大惨事の一年後。ローマの民衆が猛獣狩りや剣闘士のショーに熱狂していた頃、火山灰に埋もれたポンペイの人たちの体の肉や骨はなくなり地中に空洞をつくっていた。この死の瞬間をリアルにとどめる石膏型の人体をみると大きなショックを受ける。

18世紀から発掘されたこの町の風景でとても興味深かったのはメイン通りの車道にできた深い轍(わだち)。これほどへこむということは相当な数の馬車がここを行き来していたことが容易に想像できる。この轍の幅は143.5cm、これはヨーロッパを走る鉄道のレール幅と同じ。ちなみに日本の新幹線のレール幅もこの長さ。

定番の町めぐりでは裕福な家にいくつか立ち寄るが、とくに感動するのが遺跡の一番左端にある‘秘儀荘’。お目当ては人間の血が混じっているのではないかと思わる‘ポンペイの赤’を背景に描かれた大壁画。何が描かれているかは拙ブログ06/5/15で書いたように、ディオニュソス信仰にかかわる秘密の儀式。謎に満ちたしぐさや行為が心をざわざわさせる。

26人が登場する場面のなかではっと息を呑むのがこの黒い羽根をもつ神が入信者のおしりをむちで打つところ。痛さのあとにはいいしれぬ陶酔がわいてくるのか右では裸婦の姿で歓喜の踊りに興じている。

宿屋の中庭の壁に描かれているという‘貝殻のヴィーナス’はまだみてないが、ここは2度訪問したから画像で終わりそうな感じ。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2012.09.01

シチリアで気になっている絵と彫刻はこれ!

4232       メッシーナの‘受胎告知のマリア’(1465~70年 パレルモ 国立美)

4233     ‘死の勝利’(15世紀初頭 パレルモ 国立美)

4235     ブリューゲルの‘死の勝利’(1562年 マドリード プラド美)

4234        ‘ランドリーチのヴィーナス’(2世紀の模刻 シラクーザ オルシ考古学博)

シチリアの州都パレルモを訪れたら是非行ってみたいところがある。それはアバテリ宮殿の国立美。この美術館が最初にインプットされたのはメッシーナ(?~1479)の描いた異色の受胎告知の絵によってだった。

この絵にはマリアにイエスをみごもったことを知らせる大天使ガブリエルが描かれていない。だからぱっとみると女性の肖像画ではないかと思う。メッシーナは自由な空気の流れるヴェネツィアにいたので、形式にとらわれず人間臭い受胎告知を描きたかったのかもしれない。

国立美にどんな絵があるのか詳しいことはまったくわからないが、もう一点とても気になるフレスコ画がある。ちょっと緊張する‘死の勝利’。これは15世紀に描かれた死の舞踏の絵、あの‘メメントモリ 死を忘れるな!’である。とにかく画面中央の馬に乗った死神のインパクトが強烈!

死神が馬に乗るのは聖書のヨハネ黙示録に‘死が青ざめた馬に乗っている’と書かれているのに基づいている。この死神の姿がブリューゲル(1525~1569)の描いた‘死の勝利’にでてくる死神とよく似ているため、ひょっとしてブリューゲルはイタリア旅行のときパレルモまで足をのばしたのではないかともいわれている。はたして?

メッシーナ同様、このブリューゲルに影響を与えたかもしれない不気味な死神にも大変惹きこまれる。だから、この美術館は時間をやりくりして出かけてみたい。

島の東南部に位置するシラクーザはカラヴァッジョの絵があるから立ち寄りたい街だが、ここのオルシ考古学博に有名なヴィーナスの彫刻がある。ヘレニズム期につくられたヴィーナスにはいろいろなポーズをしたヴァージョンがあり、これはそのひとつ。モーパッサンが‘ミロのヴィーナスより美しい’と絶賛したとか。

こんな美欲がそそられるヴィーナスもみられるシラクーザ、楽しい街にちがいない。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

« 2012年8月 | トップページ | 2012年10月 »